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水曜日, 8月 29, 2012

人倫の形而上学:付リンク

               (カント:インデックス、→リンク:::::::
カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)→目次

『人倫の形而上学』は、理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古い。

道徳の形而上学
 法論の形而上学的基礎原理
 徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

岩波全集250頁:

 V これら二つの概念の解明

A 自己の完全性

 完全性という言葉は、多くの誤解にさらされている。時にこの言葉は、超越論的哲学 に属する概念として、まとめられ一つの事物を構成する多様なるものの全体性と理解され、〜〜しかしまた、目的論に属する概念として、ある事物の性質がある目的に一致していることを意味するとも理解されている。第一の意味での完全性を量的(実質的)完全性、第二の意味での完全性を質的(形式的)完全性と名づけることができよう。量的完全性はただ一つしかありえない(なぜなら、一つの事物に属するものの全体は唯一であるから)。しかし質的完全性については、一つの事物に多数ありうるし、そして本来ここで論じられるのも、後者の完全性についてである。

B 他人の幸福


図解としては、

1法(権利、量)→2徳(目的、質)

が正しい。


第1部 
法論 序文/序論(区分)
 1部 私法
    1章(所有?)
    2章(物件/債権)
    3章(契約)
 2部 公法
    1節 国家法
    2節 国際法
    3節 世界公民法

第2部 
徳論 序文/序論(区分)
第1篇 原理論
    1部 自分自身へ
       1巻 完全義務
       2巻 不完全義務
    2部 他人へ
第2篇 方法論(教授論)
 ___________
|     |     |     
|     法     |     
| 人倫  |     |     
|_____|_____|
|     |     |
|     徳     |    
|     |     |     
|_____|_____|
あるいは、

 ___________
|     |     |     
| 1法  
 2徳  |     
|     |     |     
|_人倫__|_____|
|     |     |
|     
     |    
|     |     |     
|_____|_____|
 (1法=権利→2徳=目的)
あるいは、

 ___________
|     |     |     
| 2徳  
 1法  |     
|   目的|   権利|     
|_人倫__|_____|
|     |     |
|     
     |    
|     |     |     
|_____|_____|
 (1法=権利→2徳=目的)


参考:
ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)

第1部 抽象的な権利ないし法(自分のものとしての所有;契約;不法)
第2部 道徳
  企図と責任
  意図と福祉
  善と良心
第3部 人倫態
1家族 
  婚姻
  家族の資産
  子供の教育と家族の解消
2市民社会
  欲求の体系
  司法
  ポリツァイとコルポラツィーオーン)
3国家 
  国内法 
  国際法
  世界史)

       /\
      /  \
     / 人倫 \
    /______\
   /\      /\
  /  \    /  \
 / 法  \  / 道徳 \
/______\/______\


カントと違い、ヘーゲルは人倫という共同体の習俗を普遍的な命題と捉えて固定化した。
→ネット上で公開されている木村靖比古の諸論考が参考になる。

追記:

カント『人倫の形而上学』:メモ

以下、カント『人倫の形而上学』の読書メモです。

英数字は叙述順(法論1〜2、徳論3〜9)。漢数字はカントの原本にある番号。
上下、左右どちらかの数字しか記載されていなくセットで語られる。基本的にカント作成の図のままだが、Bの図は全集記載のものと90度ずらし、転置した。
番号を振り直し全体系での位置づけも追加したが、柄谷行人が『〜政治を語る』p116でいう「発見的 heuristic な仮説」(必ず正しい答えが導けるわけではないが、ある程度のレベルで正解に近い解を得ることが出来る方法)として機能すればいいと思い作成しました。

A 法則と義務の区分(理想社版全集第11巻p69より)


         分析的
        完全義務
         法 論  
他         |        自
者  二 2、7  | 一 1、5  分
に  人間達の権利 | 人間性の   自
対         | 内なる権利  身
す_________|________に
る  四   8  | 三   6  対        
義  人間達の目的 | 人間性の   す
務         | 内なる目的  る
          |        義
          |        務
         徳 論
        不完全義務
         総合的

あるいは、

A 法則と義務の区分(理想社版全集第11巻p69より)



         分析的

        完全義務

         法 論  

自         |        他

分  一 1、5  | 二 2、7  者

自  人間性の   |人間達の権利  に

身  内なる権利  |        対

に_________|________す

対  三   6  | 四   8  る

す  人間性の   | 人間達の目的 義

る  内なる目的  |        務

義         |        

務         |        

         徳 論

        不完全義務

         総合的


B 徳の義務の図式(同p297より)

       徳の義務の実質
   二 4    | 一 3
   他者の目的  | 自己の目的 
   他者の幸福  | 私自身の完成   
 外________|________内
 的 四      | 三      的
   動機=目的  | 動機=法則   
   適法性    | 道徳性
       徳の義務の形式
  分析的←          →総合的

あるいは、

B 徳の義務の図式(同p297より)


       徳の義務の実質

   一 3    | 二 4

   自己の目的  | 他者の目的

   私自身の完成 | 他者の幸福

 内________|________外

 的 三      | 四      的

   動機=法則  | 動機=目的   

   道徳性    | 適法性

       徳の義務の形式

  分析的          総合的


           
この場合、道徳性は内的なもの、適法性(法則性ではない)は外的なものと定義し直され、Aのそれと(「分析的←→総合的」に関しては再考の余地がある)交差する。



https://onlinebooks.library.upenn.edu/webbin/book/lookupname?key=Kant%2C%20Immanuel%2C%201724%2D1804


[X-Info] Kant, Immanuel, 1724-1804: Die metaphysik der sitten. (Königsberg, F. Nicolovius, 1803) (page images at HathiTrust)


_______全体系内での位置づけ______
          |
          |
   <量>    |    <質>
         第一批判
          |
____実質____|____________
2 |1|  |  |
_7法5|4_徳_3|
8 |6|  |  |
__|<関係>|__|    <様相>
    |     |
 第二 |基礎づけ |     第三批判
 批判 |(定言= |     
(関係)形式_確然)|____________

カントには形式的な事象の方がより本質的で人間の目的となり得るというねじれた思い込みがある。そこがパーソンズと違う。

追記:
カントによれば、目的は実質的、義務は形式的なものである。

         実 質
         目 的
          |        
   他者の幸福  | 
          | 
          |
他_________|________自
者         |        己
          |    
          | 自己の完全性  
          |        
          |        
         義 務
         形 式

(他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。追記:ゲーム理論ではまず出てこない利得表。)


カント『人倫の形而上学』:目次
http://sociology.g.hatena.ne.jp/hidex7777/20060214/p1
行為が拘束性の法則の下にあり、したがってまた、その行為の主体が自分の選択意志の自由に基づいて考察されるかぎりで、その行為は作為と呼ばれる。行為者は、そうした行動を通して結果の【創始者】とみなされる。そしてその結果というものは、行為そのものとともに、行為者の【責任に帰せ】られうるが、それは、それらのことへ拘束性を課する法則があらかじめ知られている場合である。
【人格】とは、その行為の【責任を帰すること】の可能な主体である。それゆえ、【道徳的】人格性とは、道徳法則の下にある理性的存在者の自由にほかならない(一方、心理学的人格性とは、自分の現存在の種々の状態において、自己自身の同一性を意識する能力にすぎない)。このことから次に、人格とは、その人格が(自分一人で、あるいは、少なくとも他人と一緒になって)自分自身に課する法則以外のいかなる法則にも服することはない、といったことが帰結する。
【物件】とは、責任を帰することのできない事物である。それゆえに、自由な選択意志の客体で、それ自身は自由をもたないすべてのものは、物件(res corporalis)と呼ばれる。
作為が義務に適っているか、あるいは義務に反しているか(factum lictum aut illicitium)に応じて、一般にそれは【正しい】か【不正】か(rectum aut minus rectum)であって、義務そのものがどのような種類の内容、もしくは起源であるのかは問わない。義務に反したそれは、【違反】(reatus)と呼ばれる。(Kant[1797=2002:39])


カント『人倫の形而上学』目次:

  • 第一部 法論の形而上学 的定礎
    • 序文
    • 法論の区分表
    • 人倫の形而上学 への序論
      • I 人間の心の諸能力と人倫の法則との関係について
      • II 人倫の形而上学の理念と必然性とについて
      • III 人倫の形而上学の区分について
      • IV 人倫の形而上学への予備概念
    • 法論への序論
      • A 法論というもの
      • B 法とは何か
      • C 法の普遍的原理
      • D 法は強制する権能と結びついている
      • E 厳密な意味での法は、普遍的法則に従って万人の自由と調和する全般的相互的強制の可能性としても表象される
      • 法論への序論についての付論
        • 二義的な法について
        • I 衡平
        • II 緊急権
      • 法論の区分
        • A 法の義務の一般的区分
        • B 法の一般的区分
      • 生得の権利は唯一である
      • 人倫の形而上学一般の区分
    • 法論の第一部 私法
      • 第一編 外的ななにかを自分のものとしてもつ仕方について
      • 第二編 外的ななにかを取得する仕方について
        • 外的な私のもの・あなたのものの取得の区分
        • 第一章 物権について
        • 第二章 債権について
        • 第三章 物件に対する仕方で人格に対する権利について
          • 第一項 婚姻権
          • 第二項 親権
          • 第三項 家長権
          • 契約に基づいて取得されるすべての権利の教義的区分
            • I 貨幣とは何か
            • II 書籍とは何か
        • 挿入章 選択意志の外的対象の観念的取得について
          • I 取得時効による取得の仕方
          • II 相続
          • III 死後に名声を遺すこと
      • 第三編 公的裁判の判決により主観的に制約された取得について
          • A 贈与契約について
          • B 使用貸借契約について
          • C 遺失物の再請求(再先占)について
          • D 宣誓による保証の取得について
          • 自然状態における私のもの・あなたのものから法的状態における私のもの・あなたのものへの移行一般
    • 法論の第二部 公法
        • 第一章 国家法
          • 国民の統合の本性から生じる法的効果に関する一般的注解
          • 祖国および外国に対する市民の法的関係について
        • 第二章 国際法
        • 第三章 世界市民法
        • 結語
    • 付論 『法論の形而上学的定礎』への注釈的覚書
  • 第二部 徳論の形而上学的定礎  (1803年)
    • 序文
    • 徳論への序論
        • I 徳論の概念の論究
        • II 同時に義務である目的の概念の論究
        • III 同時に義務である目的を考える根拠について
        • IV 同時に義務である目的とは何か
        • V これら二つの概念の解明
          • A 自己の完全性
          • B 他人の幸福
        • VI 倫理学は、行為に対して法則を与えるのではなく(法論がこれを行うのであるから)、ただ行為の格率に対してだけ法則を与える
        • VII 倫理学的義務は広い拘束性にかかわるが、法の義務は狭い拘束性にかかわる
        • VIII 広い義務としての徳の義務の解説
          • 一 同時に義務である目的としての自己の完全性
          • 二 同時に義務である目的としての他人の幸福
        • IX 徳の義務とは何か
        • X 法論の最上の原理は分析的であった、徳論のそれは総合的である
        • XI 徳の義務の図式は先の原則に従って次のように表すことができる
        • XII 義務概念一般に対する心の感受性の情感的予備概念
          • a 道徳感情
          • b 良心について
          • c 人間愛について
          • d 尊敬について
        • XIII 純粋な徳論に関する人倫の形而上学の普遍的原則
          • 徳一般について
        • XIV 徳論を法論から区別する原理について
        • XV 徳にはまず自己自身の支配が必要とされる
        • XVI 徳には無感動(強さとみられる)が必然的に前提される
        • XVII 徳論の区分への予備概念
        • XVIII 〔倫理学の区分
    • I 倫理学的原理論 (巻末の倫理学の区分表、倫理学の区分の表は以下の目次とほぼ同じ)
      • 第一部 自己自身に対する義務一般について
        • 序論
        • 第一巻 自己自身に対する完全義務について
          • 第一編 人間の、動物的存在者としての自己自身に対する義務
          • 第二編 人間の、単に道徳的存在者としての自己自身に対する義務
            • I 嘘言について
            • II 貧欲について
            • III 卑屈について
            • 第一章 人間の、自己自身に関する生得的審判者としての自己自身に対する義務について
            • 第二章 自己自身に対するあらゆる義務の第一の命令について
            • 挿入章 道徳的反省概念の多義性、人間の自己自身に対する義務であるものを他のものに対する義務と考えるということ、について
        • 第二巻 人間の自己自身に対する(自己の目的に関する)不完全義務について
            • 第一章 自己の自然的完全性の発展と増進という、すなわち実用的意図における、自己自身に対する義務について
            • 第二章 自己の道徳的完全性を高めるという、すなわち単に人倫的な意図における、自己自身に対する義務について
      • 第二部 他人に対する徳の義務について
          • 第一編 単に人間としての他人に対する義務について
          • 第二編 人間の状態に関する人間相互の倫理学的義務について
          • 原理論の結び 友情における愛と尊敬とのきわめて緊密な結合について
          • 補遺 社交の徳について
    • II 倫理学的方法論
            • 第一章 倫理学的教授法
              • 注解 道徳的問答法の断編
            • 第二章 倫理学的修行法
    • 結び 宗教論は、神に対する義務の教説として、純粋な道徳哲学の限界外に存する
    • 倫理学の区分表

 __________________カント『人倫の形而上学』_________________
| 国民の統合の本性から|     |     |     |     |     |法論の区分表 ←
|生じる法的効果に関する|     |     |     |     |     (義務、一般的)
|      一般的注解|     |     |     |     |     序     |
|____第一章____|_____|_____|第一編 外的ななにかを自分の  法論への序論 |
|    国家法    |     |     |ものとしてもつ仕方について    A法論というもの
|祖国および外国に対する|     |     |     |     |D 強制 |B法とは何か
|市民の法的関係について|     |     |     |     |E相互的・|C法の普遍的原理
|_______法論の第二部____|_____|_____|_法論の第一部____|_____|
|     |    公 法    |     |     |    私 法    |     |
|     |     |     |     | 第二章 | 第一章 |    第三編    |
|   第二章     |    第三章    債権について|物権について  公的裁判の判決に |
|___国際法_____|____世界市民法__|第二編 外的ななにか・|より主観的に制約された|
|     |     |     |     | 第三章 | 挿入章 |     取得について|
|     |     |     |     人格に対する|   時効|     |     |
|     |     |     |    3家長権 2親権   相続|     |     |
|_____|_____|_____|__4貨幣/書籍_1婚姻権__死後|_____|_____|
|     |     |     |     |     |    区分☆☆☆図式☆☆徳論への序論 ←
|     |     |     | 1愛の義務     |    (食事、自殺)一動物的存在|
|     |     |第一編 単に人間として|     |     |第一巻 自己自身に  |
|_____|_____|_の他人に対する義務に|_____|_____|対する完全義務について|
|     |     |     |  ついて|     |     |     |     |
|     |     |2徳の義務|     |     |     |二道徳的存在     |
|     |     |     |  倫理学的原理論  |     |     |     |
|_____|____第二部____|_____|_____|____第一部____|_____|
|    他人に対する徳の義務について     |    自己自身に対する義務一般について   |
|     |     |     | 第一章 |     1実用的意図|     |     |
|第二編 人間の状態に関|    倫理学的教授法|第二巻 人間の自己自身|     |     |
|する人間相互の倫理学的|__/倫理学的方法論_|に対する(自己の目的に|_____|_____|
|     義務について|   結び 宗教論は、|関する)不完全義務について    |     |
|    原理論の結び/|第二章   神に対する義務    |     |     |     |
|    補遺 社交の徳|倫理学的  道徳哲学の限界外  2人倫的な意図|     |     |
|_____|_____|修行法__倫理学の区分表_____|_____|_____|_____| →図TOP



参考ヘーゲル法の哲学
                               /\
                              /ゲルマン
                             /\世界史
                            /東洋\/ギリシア、ローマ
                           /対外主権   /\
                          立法権\ 国家 /__\   
                         /\国内法\  /\国際法\
                        君主権\/統治権/__\/__\
                       /\              /\
                      /__\            /__\  
                    教育と解体/\ <倫理=共同世界>/福祉行政と職業団体
                    /__\/__\       社会政策\/職業団体
                   /\      /\      /\      /\
                  /__\ 家族 /__\    /財産\ 市民 /裁判\
                 /\婚姻/\  /\資産/\  /\欲求/\  /\司法/\
                /__\/__\/__\/__\/満足\/労働\/正義\/現実性     
               /\                              /\
              /  \                            /__\
             /強制と犯罪                          /共同体精神
            /______\                        /__\/__\
           /\      /\                      /\      /\
          / 不法に対する法  \       <客観的精神>      /__\善と良心/__\
        無邪気な不法\  / 詐欺 \                  /\善、主観  /\良心/\
        /______\/______\                /__\/__\/__\/__\
       /\              /\        アンティゴネー\              /\ 
      /  \            /  \       オイディプス__\            /__\
     / 譲渡 \   <法>    / 交換 \          /\結果/\   <道徳>   /\自由/\
    /______\        /______\        /__\/__\        /__\/__\
   /\      /\      /\      /\      /\      /\      /\      /\
  /  \ 財産 /  \    /  \ 契約 /  \    /__\企図と責任  \    /__\意図と福祉__\
 / 所有 \  /物の使用\  /わがまま\  / 贈与 \  /\関心/\  /\行動/\  /\一般/\  /\特殊/\
/______\/______\/______\/______\/__\/__\/__\/__\/__人格__\/__法/__\ 

カントと違い、ヘーゲルは人倫という共同体の習俗を普遍的な命題と捉えて固定化した。


A 法則と義務の区分(理想社版全集第11巻p69より)


         分析的
        完全義務
         法 論  
他         |        自
者  二 2、7  | 一 1、5  分
に  人間達の権利 | 人間性の   自
対         | 内なる権利  身
す_________|________に
る  四   8  | 三   6  対        
義  人間達の目的 | 人間性の   す
務         | 内なる目的  る
          |        義
          |        務
         徳 論
        不完全義務
         総合的           →

図:カントの徳論における徳福一致

2他者の幸福 ←  → 自己の幸福1
      |\  /|
      | \/ |
      | /\ |
4     |/  \|     3
他者の完全性↓     ↓自己の完全性


☆☆
B 徳の義務の図式(同p297より)

       徳の義務の実質
   二 4    | 一 3
   他者の目的  | 自己の目的 
   他者の幸福  | 私自身の完成   
 外________|________内
 的 四      | 三      的
   動機=目的  | 動機=法則   
   適法性    | 道徳性
       徳の義務の形式
  分析的←          →総合的         →
           
この場合、道徳性は内的なもの、適法性(法則性ではない)は外的なものと定義し直され、Aのそれと(「分析的←→総合的」に関しては再考の余地がある)交差する。

(上記は左右逆Z型)


☆☆☆
倫理学の第一区分

             自己自身に対する
   人間の人間に対する/
義務/         \他人に対する
  \
   人間の人間以外の  人間以下の存在
      存在に対する/
            \人間以上の存在

倫理学の第二区分

         教義論
     原理論/
倫理学的/   \決疑論
    \    教授論
     方法論/
        \修行論

二が一に先行する。
(理想社版318頁)


参考:
NAMs出版プロジェクト: カント体系
http://nam-students.blogspot.jp/2010/09/blog-post_5252.html?m=1#98


道徳形而上学原論
(1785年 - 『人倫の形而上学の基礎付け』Grundlegung zur Metaphysik der Sitten)
NAMs出版プロジェクト: カント『道徳形而上学原論』『人倫の形而上学の基礎づけ』
 http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_11.html
 _______________________________________________
|           |           |           |           |
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|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|__________第一章__________|___________|___________|
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|  普通の道徳から  |    哲学へ    |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|___________|___________|___________|___________|
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |   仮言的命法   |
|           |           |           |   蓋然的     |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|__________第三章__________|__________第二章__________|
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|  実践理性批判へ  |  道徳形而上学から |    仮言的命法  |   定言的命法   |
|  自由       |  自律       |    実然的    |   画然的    |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|___________|___________|___________|___________|

(カント自身が明言するように、批判書とは論理展開が逆である。)


「君の人格ならびにすべての他者の人格における人間性を、けっしてたんに手段としてのみ用いるのみならず、つねに同時に目的[=自由な主体]として用いるように行為せよ」
(岩波文庫103頁、定本『トランスクリティーク』181頁)

http://deztec.jp/z/dw/j/note06.html
http://d.hatena.ne.jp/rue_sea/comment?date=20120714


あるいは、
 __________________カント『人倫の形而上学』_________________
| 国民の統合の本性から|     |     |     |     |     |法論の区分表 ←
|生じる法的効果に関する|     |     |     |     |     (義務、一般的)
|      一般的注解|     |     |     |     |     序     |
|____第一章____|_____|_____|第一編 外的ななにかを自分の  法論への序論 |
|    国家法    |     |     |ものとしてもつ仕方について    A法論というもの
|祖国および外国に対する|     |     |     |     |D 強制 |B法とは何か
|市民の法的関係について|     |     |     |     |E相互的・|C法の普遍的原理
|_______法論の第二部____|_____|_____|_法論の第一部____|_____|
|     |    公 法    |     |     |    私 法    |     |
|     |     |     |     | 第二章 | 第一章 |    第三編    |
|   第二章     |    第三章    債権について|物権について  公的裁判の判決に |
|___国際法_____|____世界市民法__|第二編 外的ななにか・|より主観的に制約された|
|     |     |     |     | 第三章 | 挿入章 |     取得について|
|     |     |     |     人格に対する|   時効|     |     |
|     |     |     |    3家長権 2親権   相続|     |     |
|_____|_____|_____|__4貨幣/書籍_1婚姻権__死後|_____|_____|
|     |     |     |     |     |    区分☆☆☆図式☆☆徳論への序論 ←
|     |     |     | 1愛の義務     |    (食事、自殺)一動物的存在|
|     |     |第一編 単に人間として|     |     |第一巻 自己自身に  |
|_____|_____|_の他人に対する義務に|_____|_____|対する完全義務について|
|     |     |     |  ついて|     |     |     |     |
|     |     |2徳の義務|     |     |     |二道徳的存在     |
|     |     |     |  倫理学的原理論  |     |     |     |
|_____|____第二部____|_____|_____|____第一部____|_____|
|    他人に対する徳の義務について     |    自己自身に対する義務一般について   |
|     | 第一章 |     |     |     |     |     1実用的意図|
|    倫理学的教授法|第二編 人間の状態に関|     |     |第二巻 人間の自己自身|
|__/倫理学的方法論_|する人間相互の倫理学的|_____|_____|に対する(自己の目的に|
|結び 宗教論は、   |     義務について|     |     |関する)不完全義務について
|神に対する義務 第二章|    原理論の結び/|     |     |     |     |
|道徳哲学の限界外 倫理学的   補遺 社交の徳|     |     |2人倫的な意図    |
倫理学の区分表___修行法_____|_____|_____|_____|_____|_____| →図TOP

 __________________カント『人倫の形而上学』_________________
| 国民の統合の本性から|     |     |     |     |     |法論の区分表 ←
|生じる法的効果に関する|     |     |     |     |     (義務、一般的)
|      一般的注解|     |     |     |     |     序     |
|____第一章____|_____|_____|第一編 外的ななにかを自分の  法論への序論 |
|    国家法    |     |     |ものとしてもつ仕方について    A法論というもの
|祖国および外国に対する|     |     |     |     |D 強制 |B法とは何か
|市民の法的関係について|     |     |     |     |E相互的・|C法の普遍的原理
|_______法論の第二部____|_____|_____|_法論の第一部____|_____|
|     |    公 法    |     |     |    私 法    |     |
|     |     |     |     | 第二章 | 第一章 |    第三編    |
|   第二章     |    第三章    債権について|物権について  公的裁判の判決に |
|___国際法_____|____世界市民法__|第二編 外的ななにか・|より主観的に制約された|
|     |     |     |     | 第三章 | 挿入章 |     取得について|
|     |     |     |     人格に対する|   時効|     |     |
|     |     |     |    3家長権 2親権   相続|     |     |
|_____|_____|_____|__4貨幣/書籍_1婚姻権__死後|_____|_____|
徳論への序論      |     |     |     |     |     |1愛の義務
図式☆☆区分☆☆☆   |     |     |     |     |     |     |
|     |     |第一巻 自己自身に  |     |     |第一編 単に人間として|
|_____|_____|対する完全義務について|_____|_____|の他人に対する義務について
|     |     |(自殺、食事)    |     |     |     |     |
|     |     |     |     |     |     |2徳の義務|     |
|     |     |     |  倫理学的原理論  |     |     |     |
|_____|____第一部____|_____|_____|___第二部_____|_____| 
|    自己自身に対する義務一般について   |    他人に対する徳の義務について/    |
|1実用的意図     |     |     |     |     |     | 第一章 |
|第二巻 人間の自己自身|     |     |第二編 人間の状態に関|     |倫理学的教授法
|に対する(自己の目的に|_____|_____|する人間相互の倫理学的|__/倫理学的方法論_|
|関する)不完全義務について    |     |     義務について|     | 結び 宗教論は、
|     |     |     |     |原理論の結び     |第二章  |神に対する義務の教説として、
|    2人倫的な意図|     |     |補遺 社交の徳    |倫理学的 |純粋な道徳哲学の限界外に存する
|_____|_____|_____|_____|_____|_____|修行法__|_倫理学の区分表   →図TOP

 __________________カント『人倫の形而上学』_________________
| 国民の統合の本性から|     |     |     |     |     |法論の区分表
|生じる法的効果に関する|     |     |     |     |     (義務、一般的)
|      一般的注解|     |     |     |     |     序     |
|____第一章____|_____|_____|第一編 外的ななにかを自分の  法論への序論 |
|    国家法    |     |     |ものとしてもつ仕方について    A法論というもの
|祖国および外国に対する|     |     |     |     |D 強制 |B法とは何か
|市民の法的関係について|     |     |     |     |E相互的・|C法の普遍的原理
|_______法論の第二部____|_____|_____|_法論の第一部____|_____|
|     |    公 法    |     |     |    私 法    |     |
|     |     |     |     | 第二章 | 第一章 |    第三編    |
|   第二章     |    第三章    債権について|物権について  公的裁判の判決に |
|___国際法_____|____世界市民法__|第二編 外的ななにか・|より主観的に制約された|
|     |     |     |     | 第三章 | 挿入章 |     取得について|
|     |     |     |     人格に対する|   時効|     |     |
|     |     |     |    3家長権 2親権   相続|     |     |
|_____|_____|_____|__4貨幣/書籍_1婚姻権__死後|_____|_____|
|徳論への序論     |     |     |     |     |     |1愛の義務|
|     |     |     |     |     |     |     |     |
|     |     |第一巻 自己自身に  |     |     |第一編 単に人間として|
|_____|_____|対する完全義務について|_____|_____|の他人に対する義務について
|     |     |     |     |     |     |     |     |
|     |     |     |     |     |     |2徳の義務|     |
|     |     |     |  倫理学的原理論  |     |     |     |
|_____|____第一部____|_____|_____|___第二部_____|_____| 
|    自己自身に対する義務一般について   |    他人に対する徳の義務について/    |
|1実用的意図     |     |     |     |     |     | 第一章 |
|第二巻 人間の自己自身|     |     |第二編 人間の状態に関|     |倫理学的教授法
|に対する(自己の目的に|_____|_____|する人間相互の倫理学的|__/倫理学的方法論_|
|関する)不完全義務について    |     |     義務について|     | 結び 宗教論は、
|     |     |     |     |原理論の結び     |第二章  |神に対する義務の教説として、
|    2人倫的な意図|     |     |補遺 社交の徳    |倫理学的 |純粋な道徳哲学の限界外に存する
|_____|_____|_____|_____|_____|_____|修行法__|_倫理学の区分表

婚姻権について:

婚姻とは法則に基づくものであり、「性を異にする二個の人格が自分たちのもろもろの性的固有性の生涯にわたる相互的占有のためにする結合である」
(家族的社会の権利の第一項 婚姻権 24、理想社版全集第11巻123頁)。     TOP

___________

そもそも婚姻はどのように定義されるであろうか。
カントによれば,婚姻は「性を異にする2人格が互いの性的特性を生涯にわたって互いに占有 しあうための結合」*(Ⅵ,277)であるが,種別的に言えば,性的共同態のなかでも自然的なものであ り,そのなかでも法則に従うものが婚姻である,とされる。

人間性の権利は,「君の人格にある人間性を常に同時に目的として用い,決して単に手段としてだ けしか用いないことがないように行為せよ」**という命令に表現される。これは定言命法であり,先 の「人間性の法則」の命令だと考えられる。

カントによれば,このように手段とされた人格の人間性を目的として回復することを可能にする 唯一の条件は,「一方の人格が他方の人格によって物件のように取得されながら,この後者の人格が 反対にまた前者の人格を物件のように取得する」(ibid.)という条件である。しかしこの条件によ ると,相互の物件である性器を互恵的に使用するという意味で,物権や契約における対人権で済む のではないであろうか。

この問いについては,全人格の取得は婚姻という条件のもとでだけ可能である,とカントは答え ている。つまり婚姻以外の形態での自然的な性的共同態は,人格を単に物件としたり,債権の対象 としたりするので,人格の絶対的統一性と矛盾する。この意味で,内縁関係も法的に有効な契約で はないとされる(vgl. 278f.)。

 定言命法によるカントの家社会論 ~物権的対人権について
 http://www.hosei.ac.jp/bungaku/museum/html/kiyo/52/articles/sugasawa.pdf
 カント『人倫の形而上学』からの引用はアカデミー版カント全集の巻数と頁数とを併記。


「結婚とは、性器の使用を一方が他方に交互に許す権利の契約である 」とも訳され得る。
**
道徳形而上学原論』(『人倫の形而上学の基礎づけ』)より


食事について:

<真の人間性と最もよく調和すると思われるような歓楽生活は、よき社交仲間(それもできれば交代する)のよき食事である。これについてチェスタフィールドは、「その仲間の優雅の女神の数[三人]より少なくてもならず、また芸術の女神の数[九人]より多くてもならぬ」といっている>
(『人間学』第一部第三篇、理想社版全集第14巻255頁)

本来の出典はゲリウス『アッティカの夜』より。

Kant bei seinem Mittagsmahl (1892) Emill Dörstling (1859-1939)





 (以下、理想社版全集第11巻416−420頁より)

注  道徳的問答教示法の断片
 教官は、自分の生徒の理性に対して、自分が生徒に教えようと思うことを問い質す。そして、万一生徒がその質
問に答えられないような場合には、教官はその質問を生徒に(彼の理性を指導しながら)言い含めてやる。

一、教官 汝の人生における最大の、いやそれどころか全き要求はなにか。 
  生徒 (黙して答えず)
  教官 万事がつねに汝の望みのままになることである。
   
二、教官 このような状態は、なんとよばれるか。 
  生徒 (黙して答えず)
  教官 それは幸福(不断のしあわせ、満ち足りた生活、自分の状態に全面的に満足しきっていること)とよば
   れる。

三、教官 では、汝が(この世において可能であるかぎりの)あらゆる幸福を手中に納めているとしたら、汝はそ
     をすべて自分のために手離さずにおくか、あるいはまたそれを汝の隣人にも分け与えるか。 
  生徒 私は、それを分け与え、他のひとびとをも幸福にし、満足もさせるでしょう。 

四、教官 では、それはたしかに、汝が可なりとはいえ、よき衷心の持ち主であることを証明してはいる。だがし
   かし、汝がその際によき分別をも示しているかどうかを見せよ。--汝は、一体怠け者に柔らかい枕をあて
   がって、その者がなにもせずにいい気になって自分の一生を浪費させるであろうか、あるいは、酔いどれに
   対して酒やその他の酔わせるものを欠かせないようにしてやり、詐欺師に対しては、他人を騙すようにひと
   好きのするような姿や態度をさせ、また、乱暴者に対しては他人を征服することができるように大胆さと鉄
   拳とを与えるようなことがあるであろうか。これらは、それぞれの者が自分なりの仕方で幸福になるために
   望むほどの手段ではあるが。 
  生徒 いいえ、そんなことにいたしません。 

五、教官 それでは分かるであろう。たとえ、汝があらゆる幸福を汝の手中に納め、それに加うるに最善の意志を
   所有しているとしても、やはり汝は、その幸福を躊躇せずに手を伸ばすものにはだれにで心ゆだねてしまう
   ことなく、まずそれぞれのひとがどの程度まで幸福に価するであろうかを調べるであろう。--しかしなが
   ら、汝自身としては汝は、やはり自からの幸福の内に算え入れるあらゆるものを、まず備えることにいささ
   かの躊躇もしないであろうが。 
  生徒 はい。
  教官 しかしながら、そこで汝が実際に自から幸福に価するであろうかという疑問を思い浮かべることはない
   か。
  生徒 もちろん思い浮かべます。 
  教官 ところで、汝の内にあってただ幸福のみを追求するところのものは、傾向性である。しかしながら、汝
   の傾向性を、あらかじめこの幸福に価するという条件によって制約するところのものは、汝の理性である。
   そして、汝が自分の理性によって自分の傾向性を制約し、克服できるということこそ汝の意志の自由であ
   る。

六、教官 さて、汝が幸福にあずかりながら、しかもまたそれに価するものであるためには、どうすればよいかを
   知るための規則や指示は、全くひとり汝の理性の内にのみある。このことは、汝が、このような汝の振舞の
   規則を経験により、あるいは他人により、その指導を通じて学びとる必要はないというほどのことを意味し
   ている。すなわち、汝自身の理性が汝に対して、まさに汝がなにをなすべきかを教え、そして命ずるのであ
   る。たとえば、もし汝が、絶妙な虚言を思いつき、それによれば汝あるいは汝の友人に莫大な利益を与える
   ことができ、しかもなおそのためにだれも他のひとに害をおよぼさないというような場合に遭遇したとすれ
   ば、汝の理性は、それに対してなんというか。
  生徒 その利益が私や私の友人にとっていかほど大きなものであっても、私は嘘をつくべきではありません。
   嘘をつくということは、卑劣なことで、人間を幸福に価しないものにしてしまします。--ここに、私のし
   たがわなくてはならない理性の命令(あるいは禁令)による無条件的強制があります。これに対しては、私
   の傾向性のすべてに沈黙しなければなりません。
  教官 このような理性によって直接的に人間に課せられた--理性の法則にしたがって行為せよという--必
    要性をなんとよぶか。
  生徒 それは義務といいます。
  教官 それだから、人聞にとっては、自分の義務を遵奉することが、幸福に価するための普遍的で、しかも唯
   一の条件であり、これとそれとは、同じことなのである。

七、教官 しかしながら、たとえわれわれが、--それあるによって幸福に価する(少なくとも価しなくはない)
   ような--そのような活動的な善意志を自覚しているとしても、われわれは、この自覚の上に、このような
   幸福に価するという確かな希望をも建てることができるか。
  生徒 いいえ。それだけに頼るわけにはまいりません。というのは、幸福を手に入れるということは、必ずし
   も、われわれの能力のおよぶところではなく、そして自然の成り行きもまたおのずから功績にしたがって行
   なわれるわけではないからです。むしろ、人生の幸福(われわれのしあわせ一般)は、環境に左右されてお
   り、その環境は、なかなか必ずしもすべてが人カのおよぶところではないからです。それゆえ、われわれの
   幸福は、つねにただ願望にとどまって、なにか他の力が加わらなければ、この願望はついに希望にはなりえ
   ないことになります。

八、教官 このような幸福を人間の功罪によって分け与え、自然全体を支配し、そして、世界を最高の英知でもっ
   て統治する力が現実のものであると認めるという、すなわち神を信ずるというそれ自身の根拠を、理性はー
   体持っているか。
  生徒 はい。というのは、われわれに評価することのできる自然の営みにおいて、われわれに、世界創造者の
   いい表わし難いほど偉大な芸術によるという他に説明の仕様がないきわめて広く深い英知を見ているからで
   す。また、道徳的秩序についても、それが世界の最高の誉れを宿しているかぎり、われわれは、それに劣ら
   ぬ賢明な統治をこの創造者から期待してよい理由を実際に持っているのです。つまり、もし、われわれが自
   分の義務に背反することによって生ずる、幸福に価しないという事態に自分からたち到るのでなければ、わ
   れわれは事実また、幸福にあずかるようになることを期待できるからです。


上記問答法は脱力するくらいカント哲学のつまらなさを表現してはいるものの、カント哲学の全体像をうまく提示してはいる。
プラトンにまで劣る対話。
ドストエフスキーがいかに偉大かがわかる。
ドゥルーズの重要性も思い知らされる。




    スピノザ
プルードン    ヘーゲル
 マルクス 空海 カント
 坂本龍馬    ハイデガー
     柄谷 フロイト
ドゥルーズ    老子
 アドルノ    パーソンズ
 カレツキ ゲゼル
    ライプニッツ
 スポーツ    文学
     ガンジー
     ラカン
     ニーチェ
      孔子


______________










老子


マルクス



柄谷





_____________
















































202 件のコメント:

  1. http://www.systemicsarchive.com/ja/b/konstruktion.html

    「通俗的な人倫の世間智から人倫の形而上学へ」「人倫の形而上学から純粋実践理性の批判へ」(『人倫の
    形而上学の基礎付け』の第二章と第三章の表題)と《還元》したカントは、どのように目的の国を《構成》
    したのであろうか。カントは倫理学を純粋実践理性の目的の体系と定義したが、その際、当為となる「同時
    に義務でもある目的」とは何であるか。

    「それは自分の完全性と他人の幸福である。これをひっくり返して、一方で自分の幸福を、他方でそれ自体
    において他の人格の義務であるところのその他人の完全性を目的とすることはできない。」
    [Kant:『人倫の形而上学』 Metaphysik der Sitten,S.385]

    なぜなら、自分の幸福は全ての人が自然と傾向性にしたがって求めるものだから義務には成りえず、また他
    人の完全性を自分の義務とすると、その人は意志の他律に陥って完全ではなくなるので、これも義務とは成
    りえないからである。この二つの目的はただ図のような相互主体的関係において間接的にその実現が期待
    できるだけである。
          
    自分の完全性↑     ↑他人の完全性
          |\  /|
          | \/ |
          | /\ |
          |/  \|
     自分の幸福 ←  → 他人の幸福

    図:カントの徳論における徳福一致

    この図を説明すると、自分の道徳的完全性は結果として他人の幸福に資するが、幸福は完全性の物質的条件
    である(衣食足りて礼節を知る)ので、私の完全性は他者の完全性に間接的に貢献することになる。そして
    同じ論理で、他者の完全性から自分の幸福を期待することができる。

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  2. そもそも婚姻はどのように定義されるであろうか。
    カントによれば,婚姻は「性を異にする2人格が互いの性的特性を生涯にわたって互いに占有
    しあうための結合」(Ⅵ,277)であるが,種別的に言えば,性的共同態のなかでも自然的なものであ
    り,そのなかでも法則に従うものが婚姻である,とされる。

    人間性の権利は,「君の人格にある人間性を常に同時に目的として用い,決して単に手段としてだ
    けしか用いないことがないように行為せよ」という命令に表現される。これは定言命法であり,先
    の「人間性の法則」の命令だと考えられる。

    カントによれば,このように手段とされた人格の人間性を目的として回復することを可能にする
    唯一の条件は,「一方の人格が他方の人格によって物件のように取得されながら,この後者の人格が
    反対にまた前者の人格を物件のように取得する」(ibid.)という条件である。しかしこの条件によ
    ると,相互の物件である性器を互恵的に使用するという意味で,物権や契約における対人権で済む
    のではないであろうか。

    この問いについては,全人格の取得は婚姻という条件のもとでだけ可能である,とカントは答え
    ている。つまり婚姻以外の形態での自然的な性的共同態は,人格を単に物件としたり,債権の対象
    としたりするので,人格の絶対的統一性と矛盾する。この意味で,内縁関係も法的に有効な契約で
    はないとされる(vgl. 278f.)。
    定言命法によるカントの家社会論 ~物権的対人権について - 法政大学
    www.hosei.ac.jp/bungaku/museum/html/kiyo/.../sugasawa.pdf

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  3. 結婚とは、性器の使用を一方が他方に交互に許す権利の契約で ある。 --イマヌエル・カント

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  4. そもそも婚姻はどのように定義されるであろうか。
    カントによれば,婚姻は「性を異にする2人格が互いの性的特性を生涯にわたって互いに占有
    しあうための結合」*(Ⅵ,277)であるが,種別的に言えば,性的共同態のなかでも自然的なものであ
    り,そのなかでも法則に従うものが婚姻である,とされる。

    人間性の権利は,「君の人格にある人間性を常に同時に目的として用い,決して単に手段としてだ
    けしか用いないことがないように行為せよ」という命令に表現される。これは定言命法であり,先
    の「人間性の法則」の命令だと考えられる。

    カントによれば,このように手段とされた人格の人間性を目的として回復することを可能にする
    唯一の条件は,「一方の人格が他方の人格によって物件のように取得されながら,この後者の人格が
    反対にまた前者の人格を物件のように取得する」(ibid.)という条件である。しかしこの条件によ
    ると,相互の物件である性器を互恵的に使用するという意味で,物権や契約における対人権で済む
    のではないであろうか。

    この問いについては,全人格の取得は婚姻という条件のもとでだけ可能である,とカントは答え
    ている。つまり婚姻以外の形態での自然的な性的共同態は,人格を単に物件としたり,債権の対象
    としたりするので,人格の絶対的統一性と矛盾する。この意味で,内縁関係も法的に有効な契約で
    はないとされる(vgl. 278f.)。
    定言命法によるカントの家社会論 ~物権的対人権について - 法政大学
    www.hosei.ac.jp/bungaku/museum/html/kiyo/.../sugasawa.pdf


    「結婚とは、性器の使用を一方が他方に交互に許す権利の契約で ある。 」とも訳され得る。

    カントの著作からの引用はアカデミー版カント全集の巻数と頁数とを併記。

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  5. そもそも婚姻はどのように定義されるであろうか。
    カントによれば,婚姻は「性を異にする2人格が互いの性的特性を生涯にわたって互いに占有
    しあうための結合」*(Ⅵ,277)であるが,種別的に言えば,性的共同態のなかでも自然的なものであ
    り,そのなかでも法則に従うものが婚姻である,とされる。

    人間性の権利は,「君の人格にある人間性を常に同時に目的として用い,決して単に手段としてだ
    けしか用いないことがないように行為せよ」という命令に表現される。これは定言命法であり,先
    の「人間性の法則」の命令だと考えられる。

    カントによれば,このように手段とされた人格の人間性を目的として回復することを可能にする
    唯一の条件は,「一方の人格が他方の人格によって物件のように取得されながら,この後者の人格が
    反対にまた前者の人格を物件のように取得する」(ibid.)という条件である。しかしこの条件によ
    ると,相互の物件である性器を互恵的に使用するという意味で,物権や契約における対人権で済む
    のではないであろうか。

    この問いについては,全人格の取得は婚姻という条件のもとでだけ可能である,とカントは答え
    ている。つまり婚姻以外の形態での自然的な性的共同態は,人格を単に物件としたり,債権の対象
    としたりするので,人格の絶対的統一性と矛盾する。この意味で,内縁関係も法的に有効な契約で
    はないとされる(vgl. 278f.)。

    定言命法によるカントの家社会論 ~物権的対人権について
    http://www.hosei.ac.jp/bungaku/museum/html/kiyo/52/articles/sugasawa.pdf
    カントの著作からの引用はアカデミー版カント全集の巻数と頁数とを併記。


    「結婚とは、性器の使用を一方が他方に交互に許す権利の契約である。 」とも訳され得る。

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  6. そもそも婚姻はどのように定義されるであろうか。
    カントによれば,婚姻は「性を異にする2人格が互いの性的特性を生涯にわたって互いに占有
    しあうための結合」*(Ⅵ,277)であるが,種別的に言えば,性的共同態のなかでも自然的なものであ
    り,そのなかでも法則に従うものが婚姻である,とされる。

    人間性の権利は,「君の人格にある人間性を常に同時に目的として用い,決して単に手段としてだ
    けしか用いないことがないように行為せよ」**という命令に表現される。これは定言命法であり,先
    の「人間性の法則」の命令だと考えられる。

    カントによれば,このように手段とされた人格の人間性を目的として回復することを可能にする
    唯一の条件は,「一方の人格が他方の人格によって物件のように取得されながら,この後者の人格が
    反対にまた前者の人格を物件のように取得する」(ibid.)という条件である。しかしこの条件によ
    ると,相互の物件である性器を互恵的に使用するという意味で,物権や契約における対人権で済む
    のではないであろうか。

    この問いについては,全人格の取得は婚姻という条件のもとでだけ可能である,とカントは答え
    ている。つまり婚姻以外の形態での自然的な性的共同態は,人格を単に物件としたり,債権の対象
    としたりするので,人格の絶対的統一性と矛盾する。この意味で,内縁関係も法的に有効な契約で
    はないとされる(vgl. 278f.)。

    定言命法によるカントの家社会論 ~物権的対人権について
    http://www.hosei.ac.jp/bungaku/museum/html/kiyo/52/articles/sugasawa.pdf
    カント『人倫の形而上学』からの引用はアカデミー版カント全集の巻数と頁数とを併記。


    「結婚とは、性器の使用を一方が他方に交互に許す権利の契約である 」とも訳され得る。
    **
    『道徳形而上学原論』(『人倫の形而上学の基礎づけ』)より

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  7. http://www.cohes.org/shnsdn1672.html


    2011.04.06
    カントの教育論の端緒は、「人間とは教育されなければならない唯一の被造物である」(岩波書店『カント全集』17「教育学」217頁)という思想から始まる。動物は、生来の本能によって生き、その生活様式は多くの世代を通じて一定の特徴を保持しているが、未開の状態で生まれてくる人間は、教育をとおしてこそ人間のなかに備わっているさまざまな素質を発展させ、それによってはじめて人間になることができるのである。このことは、「人間は教育によってはじめて人間になることができる」(221頁)というカントの言葉に端的に表れている。したがって、われわれがなさねばならないことは、人間の自然に備わっている素質を調和的に発展させ、そのさまざまな萌芽から人間性を展開させるとともに、人間がその使命を達成するように仕向けるという教育なのである。

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  8. カント『人倫の形而上学』



    http://sociology.g.hatena.ne.jp/hidex7777/20060214/p1




    ■ [人格]カント『人倫の形而上学』
    行為が拘束性の法則の下にあり、したがってまた、その行為の主体が自分の選択意志の自由に基づいて考察されるかぎりで、その行為は作為と呼ばれる。行為者は、そうした行動を通して結果の【創始者】とみなされる。そしてその結果というものは、行為そのものとともに、行為者の【責任に帰せ】られうるが、それは、それらのことへ拘束性を課する法則があらかじめ知られている場合である。
    【人格】とは、その行為の【責任を帰すること】の可能な主体である。それゆえ、【道徳的】人格性とは、道徳法則の下にある理性的存在者の自由にほかならない(一方、心理学的人格性とは、自分の現存在の種々の状態において、自己自身の同一性を意識する能力にすぎない)。このことから次に、人格とは、その人格が(自分一人で、あるいは、少なくとも他人と一緒になって)自分自身に課する法則以外のいかなる法則にも服することはない、といったことが帰結する。
    【物件】とは、責任を帰することのできない事物である。それゆえに、自由な選択意志の客体で、それ自身は自由をもたないすべてのものは、物件(res corporalis)と呼ばれる。
    作為が義務に適っているか、あるいは義務に反しているか(factum lictum aut illicitium)に応じて、一般にそれは【正しい】か【不正】か(rectum aut minus rectum)であって、義務そのものがどのような種類の内容、もしくは起源であるのかは問わない。義務に反したそれは、【違反】(reatus)と呼ばれる。(Kant[1797=2002:39])



    第一部 法論の形而上学的定礎
    序文
    法論の区分表
    人倫の形而上学への序論
    I 人間の心の諸能力と人倫の法則との関係について
    II 人倫の形而上学の理念と必然性とについて
    III 人倫の形而上学の区分について
    IV 人倫の形而上学への予備概念
    法論への序論
    A 法論というもの
    B 法とは何か
    C 法の普遍的原理
    D 法は強制する権能と結びついている
    E 厳密な意味での法は、普遍的法則に従って万人の自由と調和する全般的相互的強制の可能性としても表象される
    法論への序論についての付論
    二義的な法について
    I 衡平
    II 緊急権
    法論の区分
    A 法の義務の一般的区分
    B 法の一般的区分
    生得の権利は唯一である
    人倫の形而上学一般の区分
    法論の第一部 私法
    第一編 外的ななにかを自分のものとしてもつ仕方について
    第二編 外的ななにかを取得する仕方について
    外的な私のもの・あなたのものの取得の区分
    第一章 物権について
    第二章 債権について
    第三章 物件に対する仕方で人格に対する権利について
    第一項 婚姻権
    第二項 親権
    第三項 家長権
    契約に基づいて取得されるすべての権利の教義的区分
    I 貨幣とは何か
    II 書籍とは何か
    挿入章 選択意志の外的対象の観念的取得について
    I 取得時効による取得の仕方
    II 相続
    III 死後に名声を遺すこと
    第三編 公的裁判の判決により主観的に制約された取得について
    A 贈与契約について
    B 使用貸借契約について
    C 遺失物の再請求(再先占)について
    D 宣誓による保証の取得について
    自然状態における私のもの・あなたのものから法的状態における私のもの・あなたのものへの移行一般
    法論の第二部 公法
    第一章 国家法
    国民の統合の本性から生じる法的効果に関する一般的注解
    祖国および外国に対する市民の法的関係について
    第二章 国際法
    第三章 世界市民法
    結語
    付論 『法論の形而上学的定礎』への注釈的覚書
    第二部 徳論の形而上学的定礎
    序文
    徳論への序論
    I 徳論の概念の論究
    II 同時に義務である目的の概念の論究
    III 同時に義務である目的を考える根拠について
    IV 同時に義務である目的とは何か
    V これら二つの概念の解明
    A 自己の完全性
    B 他人の幸福
    VI 倫理学は、行為に対して法則を与えるのではなく(法論がこれを行うのであるから)、ただ行為の格率に対してだけ法則を与える
    VII 倫理学的義務は広い拘束性にかかわるが、法の義務は狭い拘束性にかかわる
    VIII 広い義務としての徳の義務の解説
    一 同時に義務である目的としての自己の完全性
    二 同時に義務である目的としての他人の幸福
    IX 徳の義務とは何か
    X 法論の最上の原理は分析的であった、徳論のそれは総合的である
    XI 徳の義務の図式は先の原則に従って次のように表すことができる
    XII 義務概念一般に対する心の感受性の情感的予備概念
    a 道徳感情
    b 良心について
    c 人間愛について
    d 尊敬について
    XIII 純粋な徳論に関する人倫の形而上学の普遍的原則
    徳一般について
    XIV 徳論を法論から区別する原理について
    XV 徳にはまず自己自身の支配が必要とされる
    XVI 徳には無感動(強さとみられる)が必然的に前提される
    XVII 徳論の区分への予備概念
    XVIII 〔倫理学の区分〕
    I 倫理学的原理論
    第一部 自己自身に対する義務一般について
    序論
    第一巻 自己自身に対する完全義務について
    第一編 人間の、動物的存在者としての自己自身に対する義務
    第一条 自己殺害について
    第二条 情欲的自己冒瀆について
    第三条 飲食物等の摂取における不節制による自己喪心について
    第二編 人間の、単に道徳的存在者としての自己自身に対する義務
    I 嘘言について
    II 貧欲について
    III 卑屈について
    第一章 人間の、自己自身に関する生得的審判者としての自己自身に対する義務について
    第二章 自己自身に対するあらゆる義務の第一の命令について
    挿入章 道徳的反省概念の多義性、人間の自己自身に対する義務であるものを他のものに対する義務と考えるということ、について
    第二巻 人間の自己自身に対する(自己の目的に関する)不完全義務について
    第一章 自己の自然的完全性の発展と増進という、すなわち実用的意図における、自己自身に対する義務について
    第二章 自己の道徳的完全性を高めるという、すなわち単に人倫的な意図における、自己自身に対する義務について
    第二部 他人に対する徳の義務について
    第一編 単に人問としての他人に対する義務について
    第一章 他人に対する愛の義務について
    区分
    とくに愛の義務について
    愛の義務の区分
    A 親切の義務について
    B 感謝の義務について
    C 同情の感覚は一般に義務である
    人間愛とは正反対の人間憎悪の悪徳について
    第二章 他人に対する、かれらにふさわしい尊敬に基づく徳の義務について
    他人に対する尊敬の義務を毀損する悪徳について
    A 高慢
    B 陰口
    C 愚弄
    第二編 人間の状態に関する人間相互の倫理学的義務について
    原理論の結び 友情における愛と尊敬とのきわめて緊密な結合について
    補遺 社交の徳について
    II 倫理学的方法論
    第一章 倫理学的教授法
    注解 道徳的問答法の断編
    第二章 倫理学的修行法
    結び 宗教論は、神に対する義務の教説として、純粋な道徳哲学の限界外に存する
    倫理学の区分表

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  9. 婚姻とは法則に基づくものであり、「性を異にする二個の人格が自分たちのもろもろの性的固有性の生涯にわたる相互的占有のためにする結合である」(家族的社会の権利の第一項 婚姻権 24、理想社版全集第11巻123頁)。

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  10. 図の第一部と第二部の関係は以下を参照:
    http://yojiseki.exblog.jp/11547653/

    「公と私」

    高橋源一郎がtwitterでカントを引用している。
    最近の公務員によるリークにも関連する原理的な思考である。
    http://togetter.com/li/58305
    以下上記まとめサイトより引用。

    「公と私」・この問題について、おそらくもっとも優れたヒントになる一節が、カントの「啓蒙とは何か」という、短いパンフレットの中にある。それは「理性の公的な利用と私的な利用」という部分で、カントはこんな風に書いている。

    「どこでも自由は制約されている。しかし啓蒙を妨げているのはどのような制約だろうか。そしてどのような制約であれば、啓蒙を妨げることなく、むしろ促進することができるのだろうか。この問いにはこう答えよう。人間の理性の公的な利用はつねに自由でなければならない。理性の公的な利用だけが、人間に啓蒙をもたらすことができるのである。これに対して理性の私的な利用はきわめて厳しく制約されることもあるが、これを制約しても啓蒙の進展がとくに妨げられるわけではない。さて、理性の公的な利用とはどのようなものだろうか。それはある人が学者として、読者であるすべての公衆の前で、みずからの理性を行使することである。そして理性の私的な利用とは、ある人が市民としての地位または官職についている者として、理性を行使することである。公的な利害がかかわる多くの業務では、公務員がひたすら受動的にふるまう仕組みが必要なことが多い。それは政府のうちに人為的に意見を一致させて公共の目的を推進するか、少なくともこうした公共の目的の実現が妨げられないようにする必要があるからだ。この場合にはもちろん議論することは許されず、服従しなければならない」

    ここでカントはおそろしく変なことをいっている。カントが書いたものの中でも批判されることがもっとも多い箇所だ。要するに、カントによれば、「役人や政治家が語っている公的な事柄」は「私的」であり、学者が「私的」に書いている論文こそ「公的」だというのである。

    高橋氏の考察に付け加えることはないのだが、以下のような図を提示することができる。
    公と官は必ずしも一致しないということである。

        公
        |
    官___|___民
        |
        |
        私

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  11.  私法
    公法

    が2階

    徳が1階の

    二階建てZ方式とも考えられる

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  12. http://www.systemicsarchive.com/ja/b/konstruktion.html

    「通俗的な人倫の世間智から人倫の形而上学へ」「人倫の形而上学から純粋実践理性の批判へ」(『人倫の
    形而上学の基礎付け』の第二章と第三章の表題)と《還元》したカントは、どのように目的の国を《構成》
    したのであろうか。カントは倫理学を純粋実践理性の目的の体系と定義したが、その際、当為となる「同時
    に義務でもある目的」とは何であるか。

    「それは自分の完全性と他人の幸福である。これをひっくり返して、一方で自分の幸福を、他方でそれ自体
    において他の人格の義務であるところのその他人の完全性を目的とすることはできない。」
    [Kant:『人倫の形而上学』 Metaphysik der Sitten,S.385]

    なぜなら、自分の幸福は全ての人が自然と傾向性にしたがって求めるものだから義務には成りえず、また他
    人の完全性を自分の義務とすると、その人は意志の他律に陥って完全ではなくなるので、これも義務とは成
    りえないからである。この二つの目的はただ図のような相互主体的関係において間接的にその実現が期待
    できるだけである。
          
    他者の完全性↑     ↑自己の完全性
          |\  /|
          | \/ |
          | /\ |
          |/  \|
     他者の幸福 ←  → 自己の幸福

    図:カントの徳論における徳福一致

    この図を説明すると、自分の道徳的完全性は結果として他人の幸福に資するが、幸福は完全性の物質的条件
    である(衣食足りて礼節を知る)ので、私の完全性は他者の完全性に間接的に貢献することになる。そして
    同じ論理で、他者の完全性から自分の幸福を期待することができる。

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  13. http://www.systemicsarchive.com/ja/b/konstruktion.html

    「通俗的な人倫の世間智から人倫の形而上学へ」「人倫の形而上学から純粋実践理性の批判へ」(『人倫の
    形而上学の基礎付け』の第二章と第三章の表題)と《還元》したカントは、どのように目的の国を《構成》
    したのであろうか。カントは倫理学を純粋実践理性の目的の体系と定義したが、その際、当為となる「同時
    に義務でもある目的」とは何であるか。

    「それは自分の完全性と他人の幸福である。これをひっくり返して、一方で自分の幸福を、他方でそれ自体
    において他の人格の義務であるところのその他人の完全性を目的とすることはできない。」
    [Kant:『人倫の形而上学』 Metaphysik der Sitten,S.385]

    なぜなら、自分の幸福は全ての人が自然と傾向性にしたがって求めるものだから義務には成りえず、また他
    人の完全性を自分の義務とすると、その人は意志の他律に陥って完全ではなくなるので、これも義務とは成
    りえないからである。この二つの目的はただ図のような相互主体的関係において間接的にその実現が期待
    できるだけである。
          
    他者の完全性↑     ↑自己の完全性
          |\  /|
          | \/ |
          | /\ |
          |/  \|
     他者の幸福 ←  → 自己の幸福

    図:カントの徳論における徳福一致

    この図を説明すると、自分の道徳的完全性は結果として他人の幸福に資するが、幸福は完全性の物質的条件
    である(衣食足りて礼節を知る)ので、私の完全性は他者の完全性に間接的に貢献することになる。そして
    同じ論理で、他者の完全性から自分の幸福を期待することができる。

    返信削除


  14.  __________________カント『人倫の形而上学』_________________
    | 国民の統合の本性から|     |     |     |     |     |法論の区分表 ←
    |生じる法的効果に関する|     |     |     |     |     (義務、一般的)
    |      一般的注解|     |     |     |     |     序     |
    |____第一章____|_____|_____|第一編 外的ななにかを自分の  法論への序論 |
    |    国家法    |     |     |ものとしてもつ仕方について    A法論というもの
    |祖国および外国に対する|     |     |     |     |D 強制 |B法とは何か
    |市民の法的関係について|     |     |     |     |E相互的・|C法の普遍的原理
    |_______法論の第二部____|_____|_____|_法論の第一部____|_____|
    |     |    公 法    |     |     |    私 法    |     |
    |     |     |     |     | 第二章 | 第一章 |    第三編    |
    |   第二章     |    第三章    債権について|物権について  公的裁判の判決に |
    |___国際法_____|____世界市民法__|第二編 外的ななにか・|より主観的に制約された|
    |     |     |     |     | 第三章 | 挿入章 |     取得について|
    |     |     |     |     物件に対する|   時効|     |     |
    |     |     |     |    3家長権 2親権   相続|     |     |
    |_____|_____|_____|__4貨幣/書籍_1婚姻権__死後|_____|_____|
    |     |     |     |     |     |     |     |徳論への序論 ←
    |     |     |     | 1愛の義務     |     |     |     |
    |     |     |第一編 単に人問として|     |     |第一巻 自己自身に  |
    |_____|_____|_の他人に対する義務に|_____|_____|対する完全義務について|
    |     |     |     |  ついて|     |     |     |     |
    |     |     |2徳の義務|     |     |     |     |     |
    |     |     |     |  倫理学的原理論  |     |     |     |
    |_____|____第二部____|_____|_____|____第一部____|_____| 
    |    他人に対する徳の義務について/    |    自己自身に対する義務一般について   |
    |     |     |     | 第一章 |1実用的意図     |     |     |
    |第二編 人間の状態に関|    倫理学的教授法|第二巻 人間の自己自身|     |     |
    |する人間相互の倫理学的|__/倫理学的方法論_|に対する(自己の目的に|_____|_____|
    |     義務について|     結び 宗教論|関する)不完全義務について    |     |
    |原理論の結び     |第二章  |神に対する義務    |     |     |     |
    |補遺 社交の徳    |倫理学的 |道徳哲学の限界外  2人倫的な意図|     |     |
    |_____|_____|修行法__|_倫理学の区分表___|_____|_____|_____|

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  15.  __________________カント『人倫の形而上学』_________________
    | 国民の統合の本性から|     |     |     |     |     |法論の区分表 ←
    |生じる法的効果に関する|     |     |     |     |     (義務、一般的)
    |      一般的注解|     |     |     |     |     序     |
    |____第一章____|_____|_____|第一編 外的ななにかを自分の  法論への序論 |
    |    国家法    |     |     |ものとしてもつ仕方について    A法論というもの
    |祖国および外国に対する|     |     |     |     |D 強制 |B法とは何か
    |市民の法的関係について|     |     |     |     |E相互的・|C法の普遍的原理
    |_______法論の第二部____|_____|_____|_法論の第一部____|_____|
    |     |    公 法    |     |     |    私 法    |     |
    |     |     |     |     | 第二章 | 第一章 |    第三編    |
    |   第二章     |    第三章    債権について|物権について  公的裁判の判決に |
    |___国際法_____|____世界市民法__|第二編 外的ななにか・|より主観的に制約された|
    |     |     |     |     | 第三章 | 挿入章 |     取得について|
    |     |     |     |     物件に対する|   時効|     |     |
    |     |     |     |    3家長権 2親権   相続|     |     |
    |_____|_____|_____|__4貨幣/書籍_1婚姻権__死後|_____|_____|
    |     |     |     |     |     |     |     |徳論への序論 ←
    |     |     |     | 1愛の義務     |     |     |     |
    |     |     |第一編 単に人問として|     |     |第一巻 自己自身に  |
    |_____|_____|_の他人に対する義務に|_____|_____|対する完全義務について|
    |     |     |     |  ついて|     |     |     |     |
    |     |     |2徳の義務|     |     |     |     |     |
    |     |     |     |  倫理学的原理論  |     |     |     |
    |_____|____第二部____|_____|_____|____第一部____|_____| 
    |    他人に対する徳の義務について/    |    自己自身に対する義務一般について   |
    |     | 第一章 |     |     |1実用的意図     |     |     |
    |    倫理学的教授法|第二編 人間の状態に関|第二巻 人間の自己自身|     |     |
    |__/倫理学的方法論_|する人間相互の倫理学的/に対する(自己の目的に|_____|_____|
    |     義務について|     結び 宗教論|関する)不完全義務について    |     |
    |第二章  |神に対する義務   原理論の結び |     |     |     |     |
    |倫理学的 |道徳哲学の限界外  補遺 社交の徳|  2人倫的な意図  |     |     |
    |修行法__倫理学の区分表_____|_____|_____|_____|_____|_____|

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  16.  __________________カント『人倫の形而上学』_________________
    | 国民の統合の本性から|     |     |     |     |     |法論の区分表 ←
    |生じる法的効果に関する|     |     |     |     |     (義務、一般的)
    |      一般的注解|     |     |     |     |     序     |
    |____第一章____|_____|_____|第一編 外的ななにかを自分の  法論への序論 |
    |    国家法    |     |     |ものとしてもつ仕方について    A法論というもの
    |祖国および外国に対する|     |     |     |     |D 強制 |B法とは何か
    |市民の法的関係について|     |     |     |     |E相互的・|C法の普遍的原理
    |_______法論の第二部____|_____|_____|_法論の第一部____|_____|
    |     |    公 法    |     |     |    私 法    |     |
    |     |     |     |     | 第二章 | 第一章 |    第三編    |
    |   第二章     |    第三章    債権について|物権について  公的裁判の判決に |
    |___国際法_____|____世界市民法__|第二編 外的ななにか・|より主観的に制約された|
    |     |     |     |     | 第三章 | 挿入章 |     取得について|
    |     |     |     |     物件に対する|   時効|     |     |
    |     |     |     |    3家長権 2親権   相続|     |     |
    |_____|_____|_____|__4貨幣/書籍_1婚姻権__死後|_____|_____|
    |     |     |     |     |     |     |     |徳論への序論 ←
    |     |     |     | 1愛の義務     |     |     |     |
    |     |     |第一編 単に人問として|     |     |第一巻 自己自身に  |
    |_____|_____|_の他人に対する義務に|_____|_____|対する完全義務について|
    |     |     |     |  ついて|     |     |     |     |
    |     |     |2徳の義務|     |     |     |     |     |
    |     |     |     |  倫理学的原理論  |     |     |     |
    |_____|____第二部____|_____|_____|____第一部____|_____| 
    |    他人に対する徳の義務について     |    自己自身に対する義務一般について   |
    |     | 第一章 |     |     |1実用的意図     |     |     |
    |    倫理学的教授法|第二編 人間の状態に関|第二巻 人間の自己自身|     |     |
    |__/倫理学的方法論_|する人間相互の倫理学的|に対する(自己の目的に|_____|_____|
    |結び 宗教論     |     義務について|関する)不完全義務について    |     |
    |神に対する義務 第二章|    原理論の結び/|     |     |     |     |
    |道徳哲学の限界外 倫理学的   補遺 社交の徳|  2人倫的な意図  |     |     |
    倫理学の区分表___修行法_____|_____|_____|_____|_____|_____|

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  17.   他者の幸福 ←  → 自己の幸福
           |\  /|
           | \/ |
           | /\ |
           |/  \|
    他者の完全性↓      ↓自己の完全性

    図:カントの徳論における徳福一致

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  18. 2他者の幸福 ←  → 自己の幸福1
          |\  /|
          | \/ |
          | /\ |
    4     |/  \|     3
    他者の完全性↓     ↓自己の完全性

    図:カントの徳論における徳福一致

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  19.  __________________カント『人倫の形而上学』_________________☆
    | 国民の統合の本性から|     |     |     |     |     |法論の区分表 ←
    |生じる法的効果に関する|     |     |     |     |     (義務、一般的)
    |      一般的注解|     |     |     |     |     序     |
    |____第一章____|_____|_____|第一編 外的ななにかを自分の  法論への序論 |
    |    国家法    |     |     |ものとしてもつ仕方について    A法論というもの
    |祖国および外国に対する|     |     |     |     |D 強制 |B法とは何か
    |市民の法的関係について|     |     |     |     |E相互的・|C法の普遍的原理
    |_______法論の第二部____|_____|_____|_法論の第一部____|_____|
    |     |    公 法    |     |     |    私 法    |     |
    |     |     |     |     | 第二章 | 第一章 |    第三編    |
    |   第二章     |    第三章    債権について|物権について  公的裁判の判決に |
    |___国際法_____|____世界市民法__|第二編 外的ななにか・|より主観的に制約された|
    |     |     |     |     | 第三章 | 挿入章 |     取得について|
    |     |     |     |     物件に対する|   時効|     |     |
    |     |     |     |    3家長権 2親権   相続|     |     |
    |_____|_____|_____|__4貨幣/書籍_1婚姻権__死後|_____|_____|
    |     |     |     |     |     |     |     |徳論への序論 ←
    |     |     |     | 1愛の義務     |     |     |     |
    |     |     |第一編 単に人問として|     |     |第一巻 自己自身に  |
    |_____|_____|_の他人に対する義務に|_____|_____|対する完全義務について|
    |     |     |     |  ついて|     |     |     |     |
    |     |     |2徳の義務|     |     |     |     |     |
    |     |     |     |  倫理学的原理論  |     |     |     |
    |_____|____第二部____|_____|_____|____第一部____|_____| 
    |    他人に対する徳の義務について     |    自己自身に対する義務一般について   |
    |     | 第一章 |     |     |1実用的意図     |     |     |
    |    倫理学的教授法|第二編 人間の状態に関|第二巻 人間の自己自身|     |     |
    |__/倫理学的方法論_|する人間相互の倫理学的|に対する(自己の目的に|_____|_____|
    |結び 宗教論     |     義務について|関する)不完全義務について    |     |
    |神に対する義務 第二章|    原理論の結び/|     |     |     |     |
    |道徳哲学の限界外 倫理学的   補遺 社交の徳|  2人倫的な意図  |     |     |
    倫理学の区分表___修行法_____|_____|_____|_____|_____|_____|
    ☆☆



    A 法則と義務の区分(理想社版全集第11巻p69より)


             分析的
            完全義務
             法 論  
    他         |        自
    者  二 2、7  | 一 1、5  分
    に  人間達の権利 | 人間性の   自
    対         | 内なる権利  身
    す_________|________に
    る  四   8  | 三   6  対        
    義  人間達の目的 | 人間性の   す
    務         | 内なる目的  る
              |        義
              |        務
             徳 論
            不完全義務
             総合的


    ☆☆
    B 徳の義務の図式(同p297より)

           徳の義務の実質
       二 4    | 一 3
       他者の目的  | 自己の目的 
       他者の幸福  | 私自身の完成   
     外________|________内
     的 四      | 三      的
       動機=目的  | 動機=法則   
       適法性    | 道徳性
           徳の義務の形式
      分析的←          →総合的
               
    この場合、道徳性は内的なもの、適法性(法則性ではない)は外的なものと定義し直され、Aのそれと(「分析的←→総合的」に関しては再考の余地がある)交差する。


    2他者の幸福 ←  → 自己の幸福1
          |\  /|
          | \/ |
          | /\ |
    4     |/  \|     3
    他者の完全性↓     ↓自己の完全性

    図:カントの徳論における徳福一致

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  20.  __________________カント『人倫の形而上学』_________________☆
    | 国民の統合の本性から|     |     |     |     |     |法論の区分表 ←
    |生じる法的効果に関する|     |     |     |     |     (義務、一般的)
    |      一般的注解|     |     |     |     |     序     |
    |____第一章____|_____|_____|第一編 外的ななにかを自分の  法論への序論 |
    |    国家法    |     |     |ものとしてもつ仕方について    A法論というもの
    |祖国および外国に対する|     |     |     |     |D 強制 |B法とは何か
    |市民の法的関係について|     |     |     |     |E相互的・|C法の普遍的原理
    |_______法論の第二部____|_____|_____|_法論の第一部____|_____|
    |     |    公 法    |     |     |    私 法    |     |
    |     |     |     |     | 第二章 | 第一章 |    第三編    |
    |   第二章     |    第三章    債権について|物権について  公的裁判の判決に |
    |___国際法_____|____世界市民法__|第二編 外的ななにか・|より主観的に制約された|
    |     |     |     |     | 第三章 | 挿入章 |     取得について|
    |     |     |     |     物件に対する|   時効|     |     |
    |     |     |     |    3家長権 2親権   相続|     |     |
    |_____|_____|_____|__4貨幣/書籍_1婚姻権__死後|_____|_____|
    |     |     |     |     |     |     |     |徳論への序論 ←
    |     |     |     | 1愛の義務     |     |     |     |
    |     |     |第一編 単に人問として|     |     |第一巻 自己自身に  |
    |_____|_____|_の他人に対する義務に|_____|_____|対する完全義務について|
    |     |     |     |  ついて|     |     |     |     |
    |     |     |2徳の義務|     |     |     |     |     |
    |     |     |   ☆☆|  倫理学的原理論  |     |     |     |
    |_____|____第二部____|_____|_____|____第一部____|_____| 
    |    他人に対する徳の義務について     |    自己自身に対する義務一般について   |
    |     | 第一章 |     |     |1実用的意図     |     |     |
    |    倫理学的教授法|第二編 人間の状態に関|第二巻 人間の自己自身|     |     |
    |__/倫理学的方法論_|する人間相互の倫理学的|に対する(自己の目的に|_____|_____|
    |結び 宗教論     |     義務について|関する)不完全義務について    |     |
    |神に対する義務 第二章|    原理論の結び/|     |     |     |     |
    |道徳哲学の限界外 倫理学的   補遺 社交の徳|  2人倫的な意図  |     |     |
    倫理学の区分表___修行法_____|_____|_____|_____|_____|_____|



    A 法則と義務の区分(理想社版全集第11巻p69より)


             分析的
            完全義務
             法 論  
    他         |        自
    者  二 2、7  | 一 1、5  分
    に  人間達の権利 | 人間性の   自
    対         | 内なる権利  身
    す_________|________に
    る  四   8  | 三   6  対        
    義  人間達の目的 | 人間性の   す
    務         | 内なる目的  る
              |        義
              |        務
             徳 論
            不完全義務
             総合的


    ☆☆
    B 徳の義務の図式(同p297より)

           徳の義務の実質
       二 4    | 一 3
       他者の目的  | 自己の目的 
       他者の幸福  | 私自身の完成   
     外________|________内
     的 四      | 三      的
       動機=目的  | 動機=法則   
       適法性    | 道徳性
           徳の義務の形式
      分析的←          →総合的
               
    この場合、道徳性は内的なもの、適法性(法則性ではない)は外的なものと定義し直され、Aのそれと(「分析的←→総合的」に関しては再考の余地がある)交差する。



    2他者の幸福 ←  → 自己の幸福1
          |\  /|
          | \/ |
          | /\ |
    4     |/  \|     3
    他者の完全性↓     ↓自己の完全性

    図:カントの徳論における徳福一致

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  21. 旧:


     __________________カント『人倫の形而上学』_________________
    | 国民の統合の本性から|     |     |     |     |     |法論の区分表
    |生じる法的効果に関する|     |     |     |     |     (義務、一般的)
    |      一般的注解|     |     |     |     |     序     |
    |____第一章____|_____|_____|第一編 外的ななにかを自分の  法論への序論 |
    |    国家法    |     |     |ものとしてもつ仕方について    A法論というもの
    |祖国および外国に対する|     |     |     |     |D 強制 |B法とは何か
    |市民の法的関係について|     |     |     |     |E相互的・|C法の普遍的原理
    |_______法論の第二部____|_____|_____|_法論の第一部____|_____|
    |     |    公 法    |     |     |    私 法    |     |
    |     |     |     |     | 第二章 | 第一章 |    第三編    |
    |   第二章     |    第三章    債権について|物権について  公的裁判の判決に |
    |___国際法_____|____世界市民法__|第二編 外的ななにか・|より主観的に制約された|
    |     |     |     |     | 第三章 | 挿入章 |     取得について|
    |     |     |     |     物件に対する|   時効|     |     |
    |     |     |     |    3家長権 2親権   相続|     |     |
    |_____|_____|_____|__4貨幣/書籍_1婚姻権__死後|_____|_____|
    |徳論への序論     |     |     |     |     |     |1愛の義務|
    |     |     |     |     |     |     |     |     |
    |     |     |第一巻 自己自身に  |     |     |第一編 単に人問として|
    |_____|_____|対する完全義務について|_____|_____|の他人に対する義務について
    |     |     |     |     |     |     |     |     |
    |     |     |     |     |     |     |2徳の義務|     |
    |     |     |     |  倫理学的原理論  |     |     |     |
    |_____|____第一部____|_____|_____|___第二部_____|_____| 
    |    自己自身に対する義務一般について   |    他人に対する徳の義務について/    |
    |1実用的意図     |     |     |     |     |     | 第一章 |
    |第二巻 人間の自己自身|     |     |第二編 人間の状態に関|     |倫理学的教授法
    |に対する(自己の目的に|_____|_____|する人間相互の倫理学的|__/倫理学的方法論_|
    |関する)不完全義務について    |     |     義務について|     | 結び 宗教論は、
    |     |     |     |     |原理論の結び     |第二章  |神に対する義務の教説として、
    |    2人倫的な意図|     |     |補遺 社交の徳    |倫理学的 |純粋な道徳哲学の限界外に存する
    |_____|_____|_____|_____|_____|_____|修行法__|_倫理学の区分表

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  22. カント『人倫の形而上学の基礎づけ』
    http://sociology.g.hatena.ne.jp/hidex7777/20060214/p2

    そこで実践的命法は次のようになるであろう。「汝の人格の中にも他のすべての人の人格の中にもある人間性を、汝がいつも同時に目的として用い、決してたんに手段としてのみ用いない、というようなふうに行為せよ」。(Kant[1785=2005:298])

    序言
    第1章 通常の道徳的理性認識から哲学的な道徳的理性認識への移り行き
    第2章 通俗的道徳哲学から人倫の形而上学への移り行き(←ココ)
        道徳の最高原理としての意志の自律
        道徳のあらゆる不純な原理としての意志の他律
        他律の根本概念を前提とするとき生じうるあらゆる道徳原理の区分
    第3章 人倫の形而上学から純粋実践理性批判への移り行き
        自由の概念は意志の自律の説明のための鍵である
        自由はあらゆる理性的存在者の意志の特質として前提されねばならない
        道徳の理念にともなう関心について
        定言的命法はいかにして可能であるか
        あらゆる実践哲学の最後の限界について
        結論

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  23. カントの「人間学」- カントの人相術もすこし 2012,1加筆修正版: こういちの人間学ブログ
    http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2011/11/--2011-8232.html



    これは、人間学研究所にある、カントの『人間学』の翻訳です。右の小さい本が岩波文庫版で今では貴重です。一番左が渋谷治美氏の最新岩波書店版です。

    カントの『実用的見地の人間学』の基本的な立場については、「こういちの人間学」ブログの2009,8,13日付の「l実用的人間学とは、カントの~人間学」に書きました。序文の自分の人間学はどのような立場であるかということです。ここでは、その「人間学」の中にどのようなことが書かれているか紹介します。

    ◎本は『人間学』 カント 坂田徳男訳 昭和27年(1952)岩波文庫版をもとにしています。

     『人間学』の第一部は人間学的教授学で、人間の外部や内部を認識する方法について書かれています。

    第一編は認識能力についてです。

     その第一に、人間が自我を持っているために、人格を持ち、意識の統一性を持っている、というところから始まります。

     利己について、自分自身の観察について、感性と悟性など、認識論の諸問題が書かれています。面白いのは、預言者的天賦という項目があリます。それには、預言(経験則による自然的なもの)占言(既知の経験則に反したもの)、霊的預言(超自然的なものにもとずく霊感)に分けられるという。自分は超自然的な洞察をすると言ったら、彼は占いをするものと言わなければならない。カントは占いの欺瞞について述べ否定をしています。理性、悟性を重視するカントらしい立場です。

     認識能力に関しての、心の弱さ、病気というところではいろいろな例が示されています。精神薄弱とか愚鈍とか精神病などについていろいろ書かれています。精神医学のもとになるような記述です。また逆にさまざまな才能についても書かれています。天才とは何かなども書かれています。

    第二編は 快・不快の感情についてです

     快には感性的快と知性的快があるという。 

     趣味とは何かについて、いろいろのべられています。理想的な趣味は道徳性の外的促進に向かう傾向を含むものであるという。趣味に対する人間学的注意ということに関して、具体的に流行趣味について、芸術趣味についてと書かれています。

     最後に贅沢についてで。贅沢とは、共同体において、趣味を持って営まれる社交的逸楽的生活の過度である。これはなくてすませる浪費であり、趣味を伴わない場合は耽溺という。耽溺は人を病的にする。 いろいろと言葉の定義と、具体例が多いのですが、訳が固いのでかなり難しく感じてしまいます。最近の全集の中の人間学の訳はもう少しわかりやすくなっています。

    ◎ 例 カント全集 15 「人間学」 渋谷治美訳 2003年11月27日 岩波書店

    第三篇 欲求能力について

     欲望とは、その結果として生じた、ある未来のものの表象によって主観の力が自らを規定することである。難しい表現ですね。理性で抑えられないことを激情と言います。どうするか決まらないが現在での快不快の感情は情緒という。情緒が多ければ激情は少ない。

     フランス人はその快活さによって、イタリア人やスペイン人、インド人中国人より気分が変わりやすい、しかし後者は深く恨みを抱き復讐を試みる、などと書いています。 他人を自分の思い通りにしたいという欲望な表れとして、名誉欲、支配欲、所有欲がある。

     善についても書かれています。善には自然的善、と道徳的善とがある。 交際において、逸楽と徳とを合致せしめるという心術が人間性である。真の人間性と、まだしももっともよく調和するように思われる逸楽生活は、よき会食者達と共にとる食事(サロン)である。~ただ一人で食事することはいやしくも哲学する学者にとっては、不健康である。

     カントは、親しい人たちと会食しながら会話することを何より楽しみにしていました。そのメンバーは学者だけではなく様々な人たちがふくまれていました。何か気難しそうに見えるカントは、じつは楽しく会食し、ユーモアにあふれた人だったのです。

    第二部 人間学的性格記述 (人間の内部を外部より認識する方法について) 

     分類 1.個人の性格 2、両性の性格 3、民族の性格 4、人類の性格

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  24. 第二部 人間学的性格記述 (人間の内部を外部より認識する方法について) 

     分類 1.個人の性格 2、両性の性格 3、民族の性格 4、人類の性格

    ①個人の性格では、気質について4つの基本型についてせつめいしています。気質や性格に関してのべていることはのちの心理学のもとになる考察をたくさん含んでいます。

     個人の性格のなかに「観相術について」という項目があリます。観相術とは、「ある人の可視的形態から、したがって外的なものからその人の内的なもの(心)を測定する技術である」と定義しています。人相術の好きな筆者にとって大変面白いと思ったところなので、ご紹介します。カントはいいます。「人相から人の性格をのべることはできるがこれは決して一つの科学となるものではない」と。これは概念的にのべられるものではなく、直感的にのべられることだからだと言っています。

     観相術の分類として、A顔立ち、B容貌、C習慣的な顔の表情に示された性格的なものについての三つがのべられています。

    いくつか書いてみます。 

    1、どこもかも、整った規則正しい顔は精神を欠いて、ごく平凡な人間であることを示す

     2、醜悪というのは、物を言うや否や陰険な笑いを浮かべる人、面と向かって相手の顔を覗き込み、自己に関する相手の判断などはものの数ともしない鉄面皮なそぶりをする人である。怪奇な恐ろしい顔をしている人でも、自分の顔について冗談を言えるほどの善良で快活な心を示していることがある。そういうのは決して醜いとは言わない顔である。また身体的に問題のある人を軽蔑することに、カントは怒りを覚えています。又、自国民以外の人たちの顔を、嘲笑する傾向がある。それをカントは非難しています。 

    3、表情とは活動している容貌である。情緒の印象はいかなる表情をもってしても隠しておくわけにはいかない。いかに苦心しても覆い隠すことができない。 その他いろいろ興味深い考察が書かれています。

    ②、両性の性格 男女の違い、特に女性に対しての考察がいろいろ書かれています   女性には、文化にとってなくてはならぬ繊細な感覚ーすなわち社交性と礼儀正しさに対する感覚を持っていること。男性は女性によりしつけよき礼儀をもつことになったと評価し、女性による社会の教化、および醇化という大きな役割を果たしていると評価しています

    ③ 民族の性格 各国国民の傾向について様ざまにのべています。民族学、人類学のもとにもなる考察です。

    ④ 人類の性格  人間は理性能力を与えられた動物として自己みずからを理性的動物たらしめる。人類が、教化によって文明化すること、人間は訓育並びに錬成(規律)に関して教育が可能であるし、又これを必要とする。                              人間は生来上善である。とはいえ、人間は悪をあえておかそうとする。人間の本分に関して実用的人間学が達した総括的結論と人間の完成過程に関する特性は、人間が自己の理性によって定められた本分は~芸術やもろもろの学問により文明化し道徳化するにある。~ゆえに人間は善に行くように教育されねばならぬ、しかるに人間を教育するものはこれまた人間である、すなわちいまだに生来の粗野な状態にありながらもしかも、彼自身の必要とするところのものを実現せねばならぬ人間なのである。

     そして最後に、人類の意欲は一般的には善であるが、その実現には世界公民的に結合せられた一つの組織としての人類において、又かかるものとしての人類足らんとして、進歩してゆく世界市民の有機的組織によってのみ可能である。

     この言葉が、「実用的人間学」の最後の言葉です。カントは認識論始め、いろいろ論及を続けた結果、最後には「人間とは何かと」いう「人間学」に帰結するとしとて最晩年にこの講義をし、本を書きました。カントの「人間学」は哲学界では俗的な軽いものであると大変低い評価を受けています。しかしそれは過ちであると思います。カントは単なる人間はこうこうであると、定義づけるとか、こうしなさいとかのべているのではありません。この世の中で人間としてよりよく生きるための世間知としてこの本を書きました。そして人間が理性的になるように教育され、人間をもっとも不幸にする戦争をなくすために、国々が連合し、今の国際連合のようなものを作るべきだと別の本(『恒久平和のために」その第三条で常備軍の廃止を説いています)で強調しています。残念ながら、現在も国際連合はあっても、カントの望んんだような平和な社会には到底なっていません。

    カントの流れをくんだ「実用的人間学」を主張する私の人間学も、当然カントの願いを継承していくものでなければなりません。

    ★渋谷治美氏の全集の「人間学」の解説 分かりやすい訳で

     よくまとめられているので掲載します。2011年11月追記

     実用的人間学とはどのようなものか P518

    (1)人間とは、文化(陶冶・洗練)を通して自己教育していく地上に生存する理性的生物であると認識すること(カントはこれを「世界知」としたー岩波文庫では世間知と呼び換えている)が実用的人間学の目標である。

    (2)「実用的な人間学」の特徴は、人間は自由の主体として自ら何を形成し何をすべきかの究明にあること

    (3)人間を「世界市民」とみなす視点にこそ実用的人間学の神髄があること

     が表明されている。(訳によっては「世界公民」としているものがあります)

    ★ 2012年1月 追記 訳の違いを見る

    1)坂田徳男訳  岩波カント著作集16 1937年 邦訳の始め

             世界公民  実用的見地と自然学的見地

    2)坂田徳男   岩波文庫版  1952年(上記を一部改訳)

             世界公民  実用的見地と自然的見地

    3)山下太郎   理想社 1966年 カント全集第14巻

             世界公民  実用的見地と生理学的見地

    4)清水 清    玉川大学出版部 1969年 世界教育宝典

             世界公民  実用的見地と生理的見地

    5)塚崎 智   河出書房新社 1983年 世界の大思想2

             世界公民  実際的見地と生理学的見地

    6)渋谷治美   岩波書店 2003年 カント全集15

             世界市民  実用的見地と自然学的見地

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  25.           __________________________________      
             /|               /|    人  (教育論/認識)/|オ
            / |              / |              / |
           /  |             /  |             /  |プ
          /___|____________間___|____________/   |
         /|   |           /|   |    (快、不快) /|   |ス
        / |   |          / |   |          / |   |
       / (欲求) |  学      / (性格論)|         /  |   |・
      /___|___|________/___|___|________/   |   |
     |    |   |       |    |   |       |    |   |ポ
     |永   |   |       |    |   |       |    |  論|
     |遠   |   |       |    |   |       |    |   |ス
     |平   |   |_______|____|___|_______|____|__理|
     |和   |  /|       |    |  /|       |    |  /|ト
     |の   | / |  自   然| の  |形/ |而   上  |学   | /学|
     |た   |/  |       |    |/  |       |    |/  |ゥ
     |め   |___|_______|____|___|_______|____|   |
     |に  /|   |     (徳|論) /|   |       |   /|   |ム
     |  / |人 倫|の      |  / |理性の限界内における |  / |   |
     | /(法学)  |形 而 上 学| /宗教(目的論)       | /  |   |ム
     |/___|___|_______|/___|___|_______|/   |   |
     |    |   |       |    |   |       |    |   |
     |    |   |       |    |   |       |    |   |
     |    |   |_______|____|___|_______|____|___|
     |    |  /        |    |  /(空間)(時間)|(数学)|  / 
     |    | /   純   粋 | 理  |性/  批   判  |    | /
     |    |/          |    |/(物理学)     |    |/
     |    |___________|____|___________|____/
     |   /         (倫理|学) /          (美|学) /
     |  / 実 践 理 性 批 判 |  /  判 断 力 批 判  |  /
     | /              | /(目的論)         | /
     |/_______________|/_______________|/


    http://nam-students.blogspot.jp/2012/11/blog-post_13.html
    フーコー

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  26. 人間学は第一と第二の間を第三が取り持つ構成

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  27. 『人間学』 カント 坂田徳男訳 昭和27年(1952)岩波文庫版

    第一部 人間学的教授学(人間の外部や内部を認識する方法について書かれています)

     第一編 認識能力について
     第二編 快・不快の感情について
     第三篇 欲求能力について

    第二部 人間学的性格記述 (人間の内部を外部より認識する方法について) 

     分類 1.個人の性格 2、両性の性格 3、民族の性格 4、人類の性格

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  28. http://penelope.uchicago.edu/Thayer/L/Roman/Texts/Gellius/13*.html#11

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  29. 11 Marcus Varro's opinion of the just and proper number of banqueters; his views about the dessert and about sweetmeats.

    1 That is a very charming book of Marcus Varro's, one of his Menippean Satires, entitled You know not what the Late Evening may Bring,27 in which he descants upon the proper number of guests at a dinner, and about the order and arrangement of the entertainment itself. 2 Now he says28 that the number of the guests ought to begin with that of the Graces and end with that of the Muses; that is, p439it should begin with three and stop at nine, so that when the guests are fewest, they should not be less than three, when they are most numerous, not more than nine. 3 "For it is disagreeable to have a great number, since a crowd is generally disorderly,29 and at Rome it stands,30 at Athens it sits, but nowhere does it recline. Now, the banquet itself," he continues, "has four features, and then only is it complete in all its parts: if a nice little group has been got together, if the place is well chosen, the time fit, and due preparation not neglected. Moreover, one should not," he says, "invite either too talkative or too silent guests, since eloquence is appropriate to the Forum and the courts, but silence to the bedchamber and not to a dinner." 4 He thinks, then, that the conversation at such a time ought not to be about anxious and perplexing affairs, but diverting and cheerful, combining profit with a certain interest and pleasure, such conversation as tends to make our character more refined and agreeable. 5 "This will surely follow," he says, "if we talk about matters which relate to the common experience of life, which we have no leisure to discuss in the Forum and amid the press of business. Furthermore, the host," he says, "ought rather to be free from meanness than over-elegant," and, he adds: "At a banquet not everything should be read,31 but such things as are at once edifying and enjoyable."

    p4416 And he does not omit to tell what the nature of the dessert should be. For he uses these words: "Those sweetmeats (bellaria) are sweetest which are not sweet;32 for harmony between delicacies and digestion is not to be counted upon."

    7 That no one may be puzzled by the word bellaria which Varro uses in this passage, let me say that it means all kinds of dessert. For what the Greeks call πέμματα or τραγήματα, our forefathers called bellaria.33 In the earlier comedies34 one may find this term applied also to the sweeter wines, which are called Liberi bellaria, or "sweetmeats of Bacchus."

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  30. <真の人間性と最もよく調和すると思われるような歓楽生活は、よき社交仲間(それもできれば交代する)のよき食事である。これについてチェスタフィールドは、「その仲間の優雅の女神の数[三人]より少なくてもならず、また芸術の女神の数[九人]より多くてもならぬ」といっている>
    (『人間学』第一部第三篇、理想社版全集第14巻255頁)

    本来の出典はゲリウス『アッティカの夜』13:11より。


    Kant bei seinem Mittagsmahl (1892) Emill Dörstling (1859-1939)

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  31. 11 マーカス ウァロの意見の公正かつ適切な数の banqueters;彼の見解、デザートおよび砂糖菓子について。

    マーカス ウァロのあなたは権利彼 Menippean 風刺の 1 つの非常に魅力的な本です 1 知っている何夜遅くをもたらすことができない、27 で彼は descants のゲストの数を適切に、ディナー、エンターテイメント自体の配置および順序について。2 ゲストの数美神のミューズの終わりで始まるべき今彼は says28;つまり、p439it すべき 3 つの開始、ゲストが少ない場合は、彼らが最も多く、9 以上のときは 3 未満、する必要がありますいないので、9 時に停止します。3"群衆は一般的に無秩序されて以来、偉大な番号が嫌です、29 とそれが立っているローマ 30 アテネで座ってがどこにもそれはリクライニングしません。今、そのパーティ自体は、"彼は続けて、"4 つの機能を持ち、その後のみでそのすべての部分が完了: 場所がよく、フィット、時を選択と放置期限の準備の場合素敵な小グループを一緒に持ってされているかどうか。「雄弁は適切なフォーラムと裁判所は、しかし沈黙せず、寝室の夕食にあるのでまた、1 つ必要はない、"彼は言う、自分がしゃべりすぎてまたはあまりにもサイレント ゲスト招待。」4 彼は、その後、そのような時の会話について不安と困惑の事務が転用、陽気な組み合わせた利益、特定の興味や喜び、我々 の性格をより洗練された、快いする傾向があるようにこのような会話をあるべきであることを考えます。5 は"我々 が我々 を議論するレジャー フォーラムやビジネスのプレスの中である生命の共通の経験に関連する事項について話す場合"これは確かに続く、"彼は、言う。さらに、ホスト、"彼は言う、むしろエレガント オーバーより卑しさから自由にする「はず」と、彼が追加されます:「晩餐 31 が、そのようなものとしては一度に啓発と楽しいはすべて読む必要があります、.」

    p4416 と彼はデザートの自然べきである何を伝える省略していません。彼はこれらの単語を使用します:「これらの砂糖菓子 (ベッラーリア) 甘いされていない甘いです; 32 珍味と消化の調和のです要はカウントされないことに」

    7 誰ウァロでこの一節を使用して word ベッラーリアによって困惑するかもしれないことは、デザートのすべての種類を意味することを言わせてください。何ギリシア πέμματα または τραγήματα、私たちの祖先の 1 つ、甘いワインにも適用この用語を見つける可能性があります以前の comedies34 bellaria.33 と呼ばれる呼び出すため、リーベリ ベッラーリアまたは「バッカスの砂糖菓子"と呼ばれます

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  32. ④ 人類の性格  人間は理性能力を与えられた動物として自己みずからを理性的動物たらしめる。人類が、教化によって文明化すること、人間は訓育並びに錬成(規律)に関して教育が可能であるし、又これを必要とする。                   


               人間は生来上善である。とはいえ、人間は悪をあえておかそうとする。人間の本分に関して実用的人間学が達した総括的結論と人間の完成過程に関する特性は、人間が自己の理性によって定められた本分は~芸術やもろもろの学問により文明化し道徳化するにある。~ゆえに人間は善に行くように教育されねばならぬ、しかるに人間を教育するものはこれまた人間である、すなわちいまだに生来の粗野な状態にありながらもしかも、彼自身の必要とするところのものを実現せねばならぬ人間なのである。

     そして最後に、人類の意欲は一般的には善であるが、その実現には世界公民的に結合せられた一つの組織としての人類において、又かかるものとしての人類足らんとして、進歩してゆく世界市民の有機的組織によってのみ可能である。


    『人間学』の最後の言葉。

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  33. http://syaosu.blog40.fc2.com/blog-entry-8.html
    「啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ」(P.10)という啓蒙の定義からはじまるカントの小論「啓蒙とは何か」は、民主主義社会に生きる市民の心得を説いた論文として読むこともできるでしょう。そして同時に、それはわれわれのある逃れられない宿命と方途とを、予兆するものでもあるのです。

    さて。啓蒙の定義に記されている「未成年の状態」とは、具体的にどういうことなのでしょうか?「未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである」(P.10)とカントは言います。ちなみに、カントはどの著作においても、理性のない人間は存在しないという前提から論を進めています。理性がないのではなく、たんに使い方がわからないか、あるいは、わかっているのに使っていないのです。

    ところで、理性の定義は種種多様で、詳細に論じていけばそれだけで一冊の本ができあがってしまうほどですが、ここでは単純に「自分で合理的に判断する能力」程度の、一般的な定義で考えていただければけっこうです。

    「未成年の状態」にある人間とは、子ども(そしてカントの時代においては女性も)のように理性の使い方がわからないという者ももちろんふくまれますが、カントがここで問題にしているのは「わかっているのに使っていない」者です。かれらは理性の使い方はわかっている。でも、自分の意志でそれを行使しないのです。どうしてか。「未成年の状態にとどまっているのは、なんとも楽なことだからだ」(P.11)

    自分であれこれ考えて、自分の判断で事を行うのは、とても面倒ですし結果の責任はすべて自分にのしかかってきます。ならば、他人が考えたことを、他人の指示で行った方が、手間が省けますし、何か不都合が起こってもその他人に責任を押し付ければいい。だから、自身の理性を行使するなんて〈危険〉なことは、だれもなかなかやりたがらないのです。

    親切を気取る人は、この〈危険〉から人々を遠ざけてあげようとします。しかし、それは人々を「愚か者にする」ことでもあります。〈危険〉から遠ざけるとは、人々に「自分で考えて、行動する」余地を与えないということなのですから。

    カントは、このように人々の理性を封じ込めるような試みを批判します。「人々をつねにこうした未成年の状態においておくために、さまざまな法規や決まりごとが設けられている。これらは自然が人間に与えた理性という能力を使用させるために(というよりも誤用させるために)用意された仕掛けであり、人間が自分の足で歩くのを妨げる足枷なのだ」(P.12)。

    カントが説くのは、この足枷から逃れることです。もちろん、それは非常な困難が予想されます。それまで安全な温室のなかで育ってきた人間が、いきなり無人島に放り込まれてしまうようなものです。しかし、カントはあえて、人間を「自由」な状態におくこと、つまり足枷から解き放つことを説きます。「公衆を啓蒙するには、自由がありさえすえればよいのだ。しかも自由のうちでもっとも無害な自由、すなわち自分の理性をあらゆるところで公的に使用する自由さえあればよいのだ」(P.14)

    ここで、カントの有名な「理性の公的な使用」という概念が出てきます。では、理性を公的に使用するとは、またその対となる、「理性の私的な使用」とは、どういうことなのでしょうか。「理性の公的な利用とはどのようなものだろうか。それはある人が学者として、読者であるすべての公衆の前で、みずからの理性を行使することである。そして理性の私的な利用とは、ある人が市民としての地位または官職についている者として、理性を行使することである」(P.15)

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  34. 1766年 - 『形而上学の夢によって解明された視霊者の夢』Träume eines Geistersehers, erläutert durch Träume der Metaphysik
    1768年 - 「空間における方位の区別の第一根拠」Von dem ersten Grunde des Unterschiedes der Gegenden im Raum
    1770年 - 『可感界と可想界の形式と原理』De mundi sensibilis atque intelligibilis forma et principiis
    1781年 - 『純粋理性批判』第一版 1. Auflage der Kritik der reinen Vernunft
    1782年 - 『学として現れるであろうあらゆる将来の形而上学のための序論』 Prolegomena zu einer jeden künftigen Metaphysik, die als Wissenschaft wird auftreten können
    1784年 - 『啓蒙とは何か』Beantwortung der Frage: Was ist Aufklärung
    1784年 - 「世界市民的見地における一般史の構想」Idee zu einer allgemeinen Geschichte in weltbürgerlicher Absicht
    1785年 - 『人倫の形而上学の基礎付け』Grundlegung zur Metaphysik der Sitten
    1786年 - 『自然科学の形而上学的原理』
    1786年 - 『人類史の憶測的起源』Mutmaßlicher Anfang der Menschengeschichte
    1787年 - 『純粋理性批判』第二版 2. Auflage der Kritik der reinen Vernunft
    1788年 - 『実践理性批判』 Kritik der praktischen Vernunft
    1790年 - 『判断力批判』 Kritik der Urteilskraft
    1791年09月 - 『弁神論の哲学的試みの失敗について』
    1792年04月 - 「根本悪について」
    1793年04月 - 『単なる理性の限界内での宗教』 Die Religion innerhalb der Grenzen der bloßen Vernunft
    1793年09月 - 「理論と実践に関する俗言について」
    1794年05月 - 「天候に及ぼす月の影響」
    1794年06月 - 「万物の終焉」Das Ende aller Dinge
    1795年 - 『永遠平和のために』 Zum ewigen Frieden. Ein philosophischer Entwurf  
    1797年 - 『人倫の形而上学』 Die Metaphysik der Sitten
    1798年 - 『学部の争い』Der Streit der Fakultäten
    1798年 - 『実用的見地における人間学』
    1800年9月 - 『論理学』 Logik
    1802年 - 『自然地理学』
    1803年 - 『教育学』
    1804年 - 「オプス・ポストムム」 遺稿
    岩波書店 - 新訳版『カント全集』 全22巻、2000年-2006年

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  35. http://syaosu.blog40.fc2.com/blog-entry-8.html
    永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 (光文社古典新訳文庫)
    (2006/09/07)
    カント


    「啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ」(P.10)

    「未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである」(P.10)

    「未成年の状態にとどまっているのは、なんとも楽なことだからだ」(P.11)

    「人々をつねにこうした未成年の状態においておくために、さまざまな法規や決まりごとが設けられている。これらは自然が人間に与えた理性という能力を使用させるために(というよりも誤用させるために)用意された仕掛けであり、人間が自分の足で歩くのを妨げる足枷なのだ」(P.12)

    「公衆を啓蒙するには、自由がありさえすえればよいのだ。しかも自由のうちでもっとも無害な自由、すなわち自分の理性をあらゆるところで公的に使用する自由さえあればよいのだ」(P.14)

    「理性の公的な利用とはどのようなものだろうか。それはある人が学者として、読者であるすべての公衆の前で、みずからの理性を行使することである。そして理性の私的な利用とは、ある人が市民としての地位または官職についている者として、理性を行使することである」(P.15)

    「教会の牧師も、キリスト教の教義を学んでいる者たちや教区の信徒には、自分が所属する教会の定めた信条にしたがって講和を行う責務がある。それを条件として雇われたからだ。しかしこの牧師が学者として、教会の信条に含まれる問題点について慎重に検討したすべての考えを、善意のもとで公衆に発表し、キリスト教の組織と教会を改善する提案を示すことは、まったく自由なことであるだけではなく、一つの任務(ベルーフ)でもある。良心が咎めるようなことではないのである」(P.17)。

    「だから教会から任命された牧師が、教区の信者たちを前にして理性を行使するのは、私的な利用にすぎない」(P.18)

    「理性を公的に利用する聖職者として行動しているのであり、みずからの理性を利用し、独自の人格として語りかける無制約の自由を享受しているのである」(P.18)

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  36. もちろん、これは社会の決まり事すべてに抵抗せよという意味ではありません。カントは「議論せよ、ただし服従せよ」というフリードリヒ大王の言葉を挙げていますが、やはり社会がスムーズに動くためには、どうしても決まりや法規への服従は必要となります。

    一方では議論・批判せよといわれ、もう一方では服従しなければならない、といわれてしまうと、じゃあ一体どうすればいいのかよくわからなくなってしまいます。では、具体的に理性の公的・私的な行使とはいかなるものなのか。ここでカントは将校と、税を納める市民と、牧師の3つの実例をあげていますが、このうちの牧師の例を取り上げてみましょう。

    「教会の牧師も、キリスト教の教義を学んでいる者たちや教区の信徒には、自分が所属する教会の定めた信条にしたがって講和を行う責務がある。それを条件として雇われたからだ。しかしこの牧師が学者として、教会の信条に含まれる問題点について慎重に検討したすべての考えを、善意のもとで公衆に発表し、キリスト教の組織と教会を改善する提案を示すことは、まったく自由なことであるだけではなく、一つの任務(ベルーフ)でもある。良心が咎めるようなことではないのである」(P.17)。

    教会の定めにしたがって、教会の仕事を遂行しなければならないとき、その牧師は自分の考えを自由に話すような権限はありません。この場合は、たとえ教会の教義に疑問をもっていたとしても、その教義をそのとおりにきちんと信者に語らねばなりません。その教会に自ら属し、雇われている以上、これはその牧師に課せられた義務なのです。

    私たちはこれを「公的な態度」と呼称することと思いますし、社会人として当然の責務とみなすことでしょう。しかし、カントはちがいます。「だから教会から任命された牧師が、教区の信者たちを前にして理性を行使するのは、私的な利用にすぎない」(P.18)つまり、かれからしてみれば、教会の決まりに従っている状態は「理性の私的な使用」に属するのです。

    カントからしてみれば、ある「決まり」によってまとまっている集団は、それがいかに大規模なものであっても「内輪の集まり」に過ぎません。社会に無数にある集団のなかのほんの一部分なのですから、ゆえに社会全体から見てみれば「私的」でしかないのです。この「私的集団」のなかでは、個人が自由に理性を行使することは許されません。「私的」であるがゆえに、つまり「決まり」によって成り立っているため、それを破ってしまえば集団が瓦解してしまうからです。けれど、その「決まり」に縛られている牧師といえども、学者として、つまり公衆に語りかける者として世界に向かって己の意見を表明するときには、かれは「理性を公的に利用する聖職者として行動しているのであり、みずからの理性を利用し、独自の人格として語りかける無制約の自由を享受しているのである」(P.18)。

    カントは「個人の自由」を主張しているのです。しかし、この自由とは、個人が社会の諸々の制約から逃れて、自分の好き勝手ふるまうことをゆるす、という性質のものではありません。カントのいう自由とは、己の社会的な位置を保ちつつ、社会の内側から、自分の属する諸領域への批判――それは一個の私的集団から、その集合体たる社会全体まで幅広く及びうるものです――を何者の制約も受けずに展開する自由なのであります。

    こうして、カントは人々の自由を、つまり己の理性を行使する場を、私的な領域に閉じこめるのではなく、むしろその人の理性に基づく批判に、多くの人が触れることのできる公的な領域にこそ求めました。人間の自由とは、理性とは、世界に向かって語りかけるときにこそ必要になるのであり、その発言は公的であるがゆえに、普遍性を有するのです。

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  37. F ・- チ ス ソ に お け る 利 己 心 の 位 置
    『『零
    F ・ハチスンにおける利己心の位置
    一 カソトからハチスソへ
    カソーは'個人の義務について' 一'自己への完 全義務 (-)
    二'自己への不完全義務 三'他者への完全義務
    四'他者 への不完全義務'の四つを区別している。
    右で'「完全」とは 「必ずそうせねは罰せられる」という意であり'「不完全」とは 「そうしたほうがよい'功
    績的となる」という意である。そしてそれぞれの典型例として、 一'自殺しないこと'二'自己の能力の開発 ・ 道 徳 感 情 の陶 冶 に努 め る こと ' 三 ' 偽 り の約 束 を し な い こと ' 四 ' 不幸 な 他 人 に援 助 を 惜 し ま な い こと ' が 挙 げ られ て いる。
    この義務論をカソーが'定言命法で基礎づけていること (特に'基本法式と呼ばれる 「君の格率が同時に普遍 的法則となることを'君がそれによって欲し得るところの格率に従 ってのみ行為せよ」と'かれのヒューマニズ ムを示す命法たる 「君自身の人格並びに他のすべての人格に例外なく存するところの人間性を常に同時に目的と
    して用い'決して単に手段としてのみ使用しないように行為せよ」とによって。)'及び'この区分が 『道徳形而

    http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10129/1783/1/igarashi_rinrishiso_21.pdf

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  38. そうした規定そのものにはな-、むしろ'利己心と利他心の関係をめぐるかれの考え方のうちに存すると思われるからである。かれの利己心についての言及は'かれが功利主義者を先取りして'道徳善の高さを算定するい-つかの演算式(5)を提示する際に現われる。この演算式は.簡単に言って次のようである.①公共善は'仁愛と能力の積である。M-BxA。(ここでM:Momentsofpubl icGood,B:Benevotenc e,A‥Abitityの意である。)②私的善は'利己心と能力の積である。]ISxA(ここで'Z:Interestproducedbysel f・I ove.S.'Self・to 26 veである。)③能力が等し-、環鏡が類似する場合、公共善は仁愛に比例する。M=Bxi④仁愛が等しく環境が類似する場合'公共善は能力琵例する。MIAxi@仁愛は,産みだされた公共善に比例し,能力に反比例する。BI鴎以上の①〜⑤までは'特に際立ったことを主張しているわけではない。ごく当然のことのようである。あえて

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  39. 等しい能力を想定した場合'私利への期待で鼓舞されているほうが'自己利害・自己閑心抜きに行為するほうよりも意気込みがちがうし'したがって成果も大なるものがあるにちがいないからである。だが'ハチスソのユニークさが発揮されるのは'それに続-後段である。そこには'次のようにある。もしも結果として産みだされた公共善が等しい場合には'その行為の道徳的高さは'その行為の動機にさかのぼって評価しなければならない。すなわち'純粋な仁愛に動機づけられ'自身にふりかかる困難と苦痛'不利と有害とを顧みずに為したのであれば、その行為の徳性はその分増大するし'逆に、仁愛もあるが付加的動機としての利己心も働いている場合には'その分減じて評価しなければならない'と.すなわち'前者にあっては、失った私益を公益に加えて'B I便幣となるし,後者にあっては,獲得した私益を公益から差し引いて,BI埴となる,というわけである。この間の議論は『体系』でも繰り返され'「賞讃は'行為者が苦難・危険・困難・苦痛をおかして為した場合(6)ほど大であり'行為者の現在のもし-は、将来の快が大なるほど減ずる」と明確に述べられている。ここでは演

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  40. 務は「自由な自己強制にのみ基づく」のである。では、このような徳の義務となりうる目的とはどういうものなのか。カントは、これを「自己の完全性」と「他人の幸福」であるして、この二つを入れかえて「自己の幸福」と「他人の完全性」とを義務とすることはできないと述べている。その理由は次のように説明される。まず、「自己の幸福」はすべての人間が必ず欲するものである。そして義務というのは「不承不承に採用された目的への強要」である。したがって「自己の幸福を義務づけられている」というのは自己矛盾に他ならない。また、「他人の完全性」を自己の目的とすることも矛盾している。何故なら「完全性」とは、義務について自分自身で目的を立てる能力があるということを意味する。だから「他人の完全性」とはその当人にしかできない。他人にしかできないことを「自己の目的」や「なすべき義務」とすることは自己矛盾でしかない(Kant1797=2002:249-250)。一体、ここで提示されたカントの「完全性

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  41. 幸福、すなわち、自分の状態にその永続を確信するかぎりで満足することを、希求するということは、人間の本性にとって避けえぬことである。しかもまさにそうであるから、幸福は、同時に義務である目的ではない。(Kant1797=2002:252)このように明言したカントはストア派哲学と同様に、個人の道徳的行為において幸福は度外視されるべきであると主張する(高田1986:71)。上の引用文につづいて道徳的幸福と物理的幸福をとりあげ、前者は「自分の人格と人格それ自身の人倫的行動に対する満足、それゆえひとの行いに対しての満足」、後者は「自然からの授かりものに対する満足、したがって自分以外のものからの贈り物として享受されるものに対しての満足」であるとして、道徳的幸福が完全性を把持していると説く。したがってカントによれば、自分の幸福ではなく「ひとの行いに対しての満足」たる他者の幸福が義務である目的となる。私の目的として実現に努めることが義務であるような幸福が問題となるならば、それはほかのひとたちの幸福でなければならない。(Kant1797=2002:252)カントにおいて、個人にとって目的となるのは「幸福」ではなく、その個人主体の「人倫性」である。これがカントの骨子であり、『人倫の形而上学』ではさらに「他人の福祉」が目的として提示されたのである。ところで、先にみた「同時に義務である目的」を、カントは「徳の義務」と呼んでいる。法の義務には外的強制が存在するが、徳の義


    カント倫理学における「幸福」 批判期以後の徳論から - 文教大学 (Adobe PDF) -htmlで見る
    道徳的幸福が完全性を把持していると説く。 したがってカントによれば、自分の幸福では . なく「ひとの行いに対しての満足」たる他者. の幸福が義務である目的となる。 私の目的 として実現に努めることが義務. であるような幸福が問題となるならば、そ. れはほかの ...
    www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/hum/h25/h2512.pdf

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  42. …徳の義務となりうる目的とはどういうものなのか。カントは、これを「自己の
    完全性」と「他人の幸福」であるして、この二つを入れかえて「自己の幸福」
    と「他人の完全性」とを義務とすることはできないと述べている。その理由は
    次のように説明される。まず、「自己の幸福」はすべての人間が必ず欲するも
    のである。そして義務というのは「不承不承に採用された目的への強要」であ
    る。したがって「自己の幸福を義務づけられている」というのは自己矛盾に他
    ならない。また、「他人の完全性」を自己の目的とすることも矛盾している。
    何故なら「完全性」とは、義務について自分自身で目的を立てる能力があると
    いうことを意味する。だから「他人の完全性」とはその当人にしかできない。
    他人にしかできないことを「自己の目的」や「なすべき義務」とすることは自
    己矛盾でしかない(Kant1797=2002:249-250、『人倫の形而上学』)。
    www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/hum/h25/h2512.pdf

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  43. |     |     |     |     |     |     |     |徳論への序論 ←
    |     |     |     | 1愛の義務     |    (食事、自殺)一動物的存在|
    |     |     |第一編 単に人問として|     |     |第一巻 自己自身に  |
    |_____|_____|_の他人に対する義務に|_____|_____|対する完全義務について|
    |     |     |     |  ついて|     |     |     |     |
    |     |     |2徳の義務|     |     |     |二道徳的存在     |
    |     |     | 図式☆☆|  倫理学的原理論  |     |     |     |
    |_____|____第二部____|_____|_____|____第一部____|_____| 
    |    他人に対する徳の義務について     |    自己自身に対する義務一般について   |
    |     | 第一章 |     |     |     1実用的意図|     |     |
    |    倫理学的教授法|第二編 人間の状態に関|第二巻 人間の自己自身|     |     |
    |__/倫理学的方法論_|する人間相互の倫理学的|に対する(自己の目的に|_____|_____|
    |結び 宗教論は、   |     義務について|関する)不完全義務について    |     |
    |神に対する義務 第二章|    原理論の結び/|     |     |     |     |
    |道徳哲学の限界外 倫理学的   補遺 社交の徳|2人倫的な意図    |     |     |
    倫理学の区分表___修行法_____|_____|_____|_____|_____|_____|




             分析的
            完全義務
             法 論  
    他         |        自
    者  二 2、7  | 一 1、5  分
    に  人間達の権利 | 人間性の   自
    対         | 内なる権利  身
    す_________|________に
    る  四   8  | 三   6  対        
    義  人間達の目的 | 人間性の   す
    務         | 内なる目的  る
              |        義
              |        務
             徳 論
            不完全義務
             総合的
    カントは'個人の義務について' 一'自己への完 全義務 (-)
    二'自己への不完全義務 三'他者への完全義務
    四'他者 への不完全義務'の四つを区別している。
    右で'「完全」とは 「必ずそうせねは罰せられる」という意であり'「不完全」とは 「そうしたほうがよい'功
    績的となる」という意である。そしてそれぞれの典型例として、 一'自殺しないこと'二'自己の能力の開発 ・ 道 徳 感 情 の陶 冶 に努 め る こと ' 三 ' 偽 り の約 束 を し な い こと ' 四 ' 不幸 な 他 人 に援 助 を 惜 し ま な い こと ' が 挙 げ られ て いる。

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  44.  __________________カント『人倫の形而上学』_________________☆
    | 国民の統合の本性から|     |     |     |     |     |法論の区分表 ←
    |生じる法的効果に関する|     |     |     |     |     (義務、一般的)
    |      一般的注解|     |     |     |     |     序     |
    |____第一章____|_____|_____|第一編 外的ななにかを自分の  法論への序論 |
    |    国家法    |     |     |ものとしてもつ仕方について    A法論というもの
    |祖国および外国に対する|     |     |     |     |D 強制 |B法とは何か
    |市民の法的関係について|     |     |     |     |E相互的・|C法の普遍的原理
    |_______法論の第二部____|_____|_____|_法論の第一部____|_____|
    |     |    公 法    |     |     |    私 法    |     |
    |     |     |     |     | 第二章 | 第一章 |    第三編    |
    |   第二章     |    第三章    債権について|物権について  公的裁判の判決に |
    |___国際法_____|____世界市民法__|第二編 外的ななにか・|より主観的に制約された|
    |     |     |     |     | 第三章 | 挿入章 |     取得について|
    |     |     |     |     人格に対する|   時効|     |     |
    |     |     |     |    3家長権 2親権   相続|     |     |
    |_____|_____|_____|__4貨幣/書籍_1婚姻権__死後|_____|_____|
    |     |     |     |     |     |     |     |徳論への序論 ←
    |     |     |     | 1愛の義務     |    (食事、自殺)一動物的存在|
    |     |     |第一編 単に人問として|     |     |第一巻 自己自身に  |
    |_____|_____|_の他人に対する義務に|_____|_____|対する完全義務について|
    |     |     |     |  ついて|     |     |     |     |
    |     |     |2徳の義務|     |     |     |二道徳的存在     |
    |     |     | 図式☆☆|  倫理学的原理論  |     |     |     |
    |_____|____第二部____|_____|_____|____第一部____|_____| 
    |    他人に対する徳の義務について     |    自己自身に対する義務一般について   |
    |     | 第一章 |     |     |     1実用的意図|     |     |
    |    倫理学的教授法|第二編 人間の状態に関|第二巻 人間の自己自身|     |     |
    |__/倫理学的方法論_|する人間相互の倫理学的|に対する(自己の目的に|_____|_____|
    |結び 宗教論は、   |     義務について|関する)不完全義務について    |     |
    |神に対する義務 第二章|    原理論の結び/|     |     |     |     |
    |道徳哲学の限界外 倫理学的   補遺 社交の徳|2人倫的な意図    |     |     |
    倫理学の区分表___修行法_____|_____|_____|_____|_____|_____|



    A 法則と義務の区分(理想社版全集第11巻p69より)


             分析的
            完全義務
             法 論  
    他         |        自
    者  二 2、7  | 一 1、5  分
    に  人間達の権利 | 人間性の   自
    対         | 内なる権利  身
    す_________|________に
    る  四   8  | 三   6  対        
    義  人間達の目的 | 人間性の   す
    務         | 内なる目的  る
              |        義
              |        務
             徳 論
            不完全義務
             総合的           →図

    図:カントの徳論における徳福一致

    2他者の幸福 ←  → 自己の幸福1
          |\  /|
          | \/ |
          | /\ |
    4     |/  \|     3
    他者の完全性↓     ↓自己の完全性

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  45.  __________________カント『人倫の形而上学』_________________☆
    | 国民の統合の本性から|     |     |     |     |     |法論の区分表 ←
    |生じる法的効果に関する|     |     |     |     |     (義務、一般的)
    |      一般的注解|     |     |     |     |     序     |
    |____第一章____|_____|_____|第一編 外的ななにかを自分の  法論への序論 |
    |    国家法    |     |     |ものとしてもつ仕方について    A法論というもの
    |祖国および外国に対する|     |     |     |     |D 強制 |B法とは何か
    |市民の法的関係について|     |     |     |     |E相互的・|C法の普遍的原理
    |_______法論の第二部____|_____|_____|_法論の第一部____|_____|
    |     |    公 法    |     |     |    私 法    |     |
    |     |     |     |     | 第二章 | 第一章 |    第三編    |
    |   第二章     |    第三章    債権について|物権について  公的裁判の判決に |
    |___国際法_____|____世界市民法__|第二編 外的ななにか・|より主観的に制約された|
    |     |     |     |     | 第三章 | 挿入章 |     取得について|
    |     |     |     |     人格に対する|   時効|     |     |
    |     |     |     |    3家長権 2親権   相続|     |     |
    |_____|_____|_____|__4貨幣/書籍_1婚姻権__死後|_____|_____|
    |     |     |     |     |     |     |     |徳論への序論 ←
    |     |     |     | 1愛の義務     |    (食事、自殺)一動物的存在|
    |     |     |第一編 単に人問として|     |     |第一巻 自己自身に  |
    |_____|_____|_の他人に対する義務に|_____|_____|対する完全義務について|
    |     |     |     |  ついて|     |     |     |     |
    |     |     |2徳の義務|     |     |     |二道徳的存在     |
    |     |     | 図式☆☆|  倫理学的原理論  |     |     |     |
    |_____|____第二部____|_____|_____|____第一部____|_____| 
    |    他人に対する徳の義務について     |    自己自身に対する義務一般について   |
    |     | 第一章 |     |     |     |     |     1実用的意図|
    |    倫理学的教授法|第二編 人間の状態に関|     |     |第二巻 人間の自己自身|
    |__/倫理学的方法論_|する人間相互の倫理学的|_____|_____|に対する(自己の目的に|
    |結び 宗教論は、   |     義務について|     |     |関する)不完全義務について
    |神に対する義務 第二章|    原理論の結び/|     |     |     |     |
    |道徳哲学の限界外 倫理学的   補遺 社交の徳|     |     |2人倫的な意図    |
    倫理学の区分表___修行法_____|_____|_____|_____|_____|_____|



    A 法則と義務の区分(理想社版全集第11巻p69より)


             分析的
            完全義務
             法 論  
    他         |        自
    者  二 2、7  | 一 1、5  分
    に  人間達の権利 | 人間性の   自
    対         | 内なる権利  身
    す_________|________に
    る  四   8  | 三   6  対        
    義  人間達の目的 | 人間性の   す
    務         | 内なる目的  る
              |        義
              |        務
             徳 論
            不完全義務
             総合的           →図

    図:カントの徳論における徳福一致

    2他者の幸福 ←  → 自己の幸福1
          |\  /|
          | \/ |
          | /\ |
    4     |/  \|     3
    他者の完全性↓     ↓自己の完全性

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  46.  __________________カント『人倫の形而上学』_________________☆
    | 国民の統合の本性から|     |     |     |     |     |法論の区分表
    |生じる法的効果に関する|     |     |     |     |     (義務、一般的)
    |      一般的注解|     |     |     |     |     序     |
    |____第一章____|_____|_____|第一編 外的ななにかを自分の  法論への序論 |
    |    国家法    |     |     |ものとしてもつ仕方について    A法論というもの
    |祖国および外国に対する|     |     |     |     |D 強制 |B法とは何か
    |市民の法的関係について|     |     |     |     |E相互的・|C法の普遍的原理
    |_______法論の第二部____|_____|_____|_法論の第一部____|_____|
    |     |    公 法    |     |     |    私 法    |     |
    |     |     |     |     | 第二章 | 第一章 |    第三編    |
    |   第二章     |    第三章    債権について|物権について  公的裁判の判決に |
    |___国際法_____|____世界市民法__|第二編 外的ななにか・|より主観的に制約された|
    |     |     |     |     | 第三章 | 挿入章 |     取得について|
    |     |     |     |     人格に対する|   時効|     |     |
    |     |     |     |    3家長権 2親権   相続|     |     |
    |_____|_____|_____|__4貨幣/書籍_1婚姻権__死後|_____|_____|
    |     |     |     |     |     |     |     |徳論への序論
    |     |     |     | 1愛の義務     |    (食事、自殺)一動物的存在|
    |     |     |第一編 単に人問として|     |     |第一巻 自己自身に  |
    |_____|_____|_の他人に対する義務に|_____|_____|対する完全義務について|
    |     |     |     |  ついて|     |     |     |     |
    |     |     |2徳の義務|     |     |     |二道徳的存在     |
    |     |     | 図式☆☆|  倫理学的原理論  |     |     |     |
    |_____|____第二部____|_____|_____|____第一部____|_____| 
    |    他人に対する徳の義務について     |    自己自身に対する義務一般について   |
    |     | 第一章 |     |     |     |     |     1実用的意図|
    |    倫理学的教授法|第二編 人間の状態に関|     |     |第二巻 人間の自己自身|
    |__/倫理学的方法論_|する人間相互の倫理学的|_____|_____|に対する(自己の目的に|
    |結び 宗教論は、   |     義務について|     |     |関する)不完全義務について
    |神に対する義務 第二章|    原理論の結び/|     |     |     |     |
    |道徳哲学の限界外 倫理学的   補遺 社交の徳|     |     |2人倫的な意図    |
    倫理学の区分表___修行法_____|_____|_____|_____|_____|_____|



    A 法則と義務の区分(理想社版全集第11巻p69より)


             分析的
            完全義務
             法 論  
    他         |        自
    者  二 2、7  | 一 1、5  分
    に  人間達の権利 | 人間性の   自
    対         | 内なる権利  身
    す_________|________に
    る  四   8  | 三   6  対        
    義  人間達の目的 | 人間性の   す
    務         | 内なる目的  る
              |        義
              |        務
             徳 論
            不完全義務
             総合的           →図

    図:カントの徳論における徳福一致

    2他者の幸福 ←  → 自己の幸福1
          |\  /|
          | \/ |
          | /\ |
    4     |/  \|     3
    他者の完全性↓     ↓自己の完全性

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  47.  __________________カント『人倫の形而上学』_________________☆
    | 国民の統合の本性から|     |     |     |     |     |法論の区分表←
    |生じる法的効果に関する|     |     |     |     |     (義務、一般的)
    |      一般的注解|     |     |     |     |     序     |
    |____第一章____|_____|_____|第一編 外的ななにかを自分の  法論への序論 |
    |    国家法    |     |     |ものとしてもつ仕方について    A法論というもの
    |祖国および外国に対する|     |     |     |     |D 強制 |B法とは何か
    |市民の法的関係について|     |     |     |     |E相互的・|C法の普遍的原理
    |_______法論の第二部____|_____|_____|_法論の第一部____|_____|
    |     |    公 法    |     |     |    私 法    |     |
    |     |     |     |     | 第二章 | 第一章 |    第三編    |
    |   第二章     |    第三章    債権について|物権について  公的裁判の判決に |
    |___国際法_____|____世界市民法__|第二編 外的ななにか・|より主観的に制約された|
    |     |     |     |     | 第三章 | 挿入章 |     取得について|
    |     |     |     |     人格に対する|   時効|     |     |
    |     |     |     |    3家長権 2親権   相続|     |     |
    |_____|_____|_____|__4貨幣/書籍_1婚姻権__死後|_____|_____|
    |     |     |     |     |     |     |     |徳論への序論←
    |     |     |     | 1愛の義務     |    (食事、自殺)一動物的存在|
    |     |     |第一編 単に人問として|     |     |第一巻 自己自身に  |
    |_____|_____|_の他人に対する義務に|_____|_____|対する完全義務について|
    |     |     |     |  ついて|     |     |     |     |
    |     |     |2徳の義務|     |     |     |二道徳的存在     |
    |     |     | 図式☆☆|  倫理学的原理論  |     |     |     |
    |_____|____第二部____|_____|_____|____第一部____|_____| 
    |    他人に対する徳の義務について     |    自己自身に対する義務一般について   |
    |     | 第一章 |     |     |     |     |     1実用的意図|
    |    倫理学的教授法|第二編 人間の状態に関|     |     |第二巻 人間の自己自身|
    |__/倫理学的方法論_|する人間相互の倫理学的|_____|_____|に対する(自己の目的に|
    |結び 宗教論は、   |     義務について|     |     |関する)不完全義務について
    |神に対する義務 第二章|    原理論の結び/|     |     |     |     |
    |道徳哲学の限界外 倫理学的   補遺 社交の徳|     |     |2人倫的な意図    |
    倫理学の区分表___修行法_____|_____|_____|_____|_____|_____|



    A 法則と義務の区分(理想社版全集第11巻p69より)


             分析的
            完全義務
             法 論  
    他         |        自
    者  二 2、7  | 一 1、5  分
    に  人間達の権利 | 人間性の   自
    対         | 内なる権利  身
    す_________|________に
    る  四   8  | 三   6  対        
    義  人間達の目的 | 人間性の   す
    務         | 内なる目的  る
              |        義
              |        務
             徳 論
            不完全義務
             総合的           →図

    図:カントの徳論における徳福一致

    2他者の幸福 ←  → 自己の幸福1
          |\  /|
          | \/ |
          | /\ |
    4     |/  \|     3
    他者の完全性↓     ↓自己の完全性

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  48. 左下第二部を下右にまとめてもよい
    方法論が拡大する

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  49. 右下はNを逆にたどる形になる

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  50. |_____|____第二部____|_____|_____|____第一部____|_____| 
    |    他人に対する徳の義務について     |    自己自身に対する義務一般について   |
    |     | 第一章 |     |     |     1実用的意図|     |     |
    |    倫理学的教授法|第二編 人間の状態に関|第二巻 人間の自己自身|     |     |
    |__/倫理学的方法論_|する人間相互の倫理学的|に対する(自己の目的に|_____|_____|
    |結び 宗教論は、   |     義務について|関する)不完全義務について    |     |
    |神に対する義務 第二章|    原理論の結び/|     |     |     |     |
    |道徳哲学の限界外 倫理学的   補遺 社交の徳|2人倫的な意図    |     |     |
    倫理学の区分表___修行法_____|_____|_____|_____|_____|_____|

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  51. NAMs出版プロジェクト: カント体系
    http://nam-students.blogspot.jp/2010/09/blog-post_5252.html?m=1#98





    道徳形而上学原論
     _______________________________________________
    |           |           |           |           |
    |           |           |           |           |
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    |           |           |           |           |
    |           |           |           |           |
    |           |           |           |           |
    |__________第一章__________|___________|___________|
    |           |           |           |           |
    |           |           |           |           |
    |           |           |           |           |
    |  普通の道徳から  |    哲学へ    |           |           |
    |           |           |           |           |
    |           |           |           |           |
    |           |           |           |           |
    |___________|___________|___________|___________|
    |           |           |           |           |
    |           |           |           |           |
    |           |           |           |           |
    |           |           |           |   仮言的命法   |
    |           |           |           |   蓋然的     |
    |           |           |           |           |
    |           |           |           |           |
    |__________第三章__________|__________第二章__________|
    |           |           |           |           |
    |           |           |           |           |
    |           |           |           |           |
    |  実践理性批判へ  |  道徳形而上学から |    仮言的命法  |   定言的命法   |
    |  自由       |  自律       |    実然的    |   画然的     |
    |           |           |           |           |
    |           |           |           |           |
    |___________|___________|___________|___________|

    (カント自身が明言するように、批判書とは論理展開が逆である。)

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  52. A 親切の義務について
    B 感謝の義務について
    C 同情の感覚は一般に義務である

      親切
    感謝同情


    人間愛とは正反対の人間憎悪の悪徳について
    第二章 他人に対する、かれらにふさわしい尊敬に基づく徳の義務について
    他人に対する尊敬の義務を毀損する悪徳について
    A 高慢
    B 陰口
    C 愚弄

      高慢
    陰口愚弄

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  53. 第一編 単に人問としての他人に対する義務について
    第一章 他人に対する愛の義務について
    区分
    とくに愛の義務について
    愛の義務の区分A 親切の義務について
    B 感謝の義務について
    C 同情の感覚は一般に義務である

      親切
    感謝同情


    人間愛とは正反対の人間憎悪の悪徳について
    第二章 他人に対する、かれらにふさわしい尊敬に基づく徳の義務について
    他人に対する尊敬の義務を毀損する悪徳について
    A 高慢
    B 陰口
    C 愚弄

      高慢
    陰口愚弄

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  54. 「君の人格にも、他の全ての人の人格にもある人間性を、単に手段としてのみではなく、常に、同時に目的として扱うように行為せよ」
    http://deztec.jp/z/dw/j/note06.html


    「汝の人格においても、あらゆる他者の人格においても、人間性を単なる手段としてでなく、常に同時に目的として扱うように行為せよ」第二公式 http://d.hatena.ne.jp/rue_sea/comment?date=20120714

    「君の人格ならびにすべての他者の人格における人間性を、けっしてたんに手段としてのみ用いるのみならず、つねに同時に目的[=自由な主体]として用いるように行為せよ」
    (岩波文庫103頁、定本『トランスクリティーク』181頁)

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  55. 参考:

    「<規則に従う>ということは一つの実践である。そして、規則に従っていると信じていることは、規則に従っていることではない。だから、人は規則に<私的に>従うことができない。さもなければ、規則に従っていると信じていることが、規則に従っていることと同じことになってしまうだろうから。」

    ウィトゲンシュタイン著、藤本隆志訳(1953/1976)『哲学探究』大修館書館、202節。
    http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/ZZT00001/CaseleResBull_22_277.pdf

    ウィトゲンシュタインは直接ここでカントを批判したわけではないが、柄谷はこれをカント批判に転用している(定本トラクリ178頁)。

    ボルツァーノと似たような批判だ。
    カント全体的、総合的な規則を自明視している。

    返信削除
  56. 1785年 - 『人倫の形而上学の基礎付け』Grundlegung zur Metaphysik der Sitten

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  57. 1766年 - 『形而上学の夢によって解明された視霊者の夢』Träume eines Geistersehers, erläutert durch Träume der Metaphysik
    1768年 - 「空間における方位の区別の第一根拠」Von dem ersten Grunde des Unterschiedes der Gegenden im Raum
    1770年 - 『可感界と可想界の形式と原理』De mundi sensibilis atque intelligibilis forma et principiis
    1781年 - 『純粋理性批判』第一版 1. Auflage der Kritik der reinen Vernunft
    1782年 - 『学として現れるであろうあらゆる将来の形而上学のための序論』 Prolegomena zu einer jeden künftigen Metaphysik, die als Wissenschaft wird auftreten können
    1784年 - 『啓蒙とは何か』Beantwortung der Frage: Was ist Aufklärung
    1784年 - 「世界市民的見地における一般史の構想」Idee zu einer allgemeinen Geschichte in weltbürgerlicher Absicht
    1785年 - 『人倫の形而上学の基礎付け』Grundlegung zur Metaphysik der Sitten
    1786年 - 『自然科学の形而上学的原理』
    1786年 - 『人類史の憶測的起源』Mutmaßlicher Anfang der Menschengeschichte
    1787年 - 『純粋理性批判』第二版 2. Auflage der Kritik der reinen Vernunft
    1788年 - 『実践理性批判』 Kritik der praktischen Vernunft
    1790年 - 『判断力批判』 Kritik der Urteilskraft
    1791年09月 - 『弁神論の哲学的試みの失敗について』
    1792年04月 - 「根本悪について」
    1793年04月 - 『単なる理性の限界内での宗教』 Die Religion innerhalb der Grenzen der bloßen Vernunft
    1793年09月 - 「理論と実践に関する俗言について」
    1794年05月 - 「天候に及ぼす月の影響」
    1794年06月 - 「万物の終焉」Das Ende aller Dinge
    1795年 - 『永遠平和のために』 Zum ewigen Frieden. Ein philosophischer Entwurf  
    1797年 - 『人倫の形而上学』 Die Metaphysik der Sitten
    1798年 - 『学部の争い』Der Streit der Fakultäten
    1798年 - 『実用的見地における人間学』
    1800年9月 - 『論理学』 Logik
    1802年 - 『自然地理学』
    1803年 - 『教育学』
    1804年 - 「オプス・ポストムム」 遺稿
    岩波書店 - 新訳版『カント全集』 全22巻、2000年-2006年

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  58. 本来法論が後にくるべき

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  59. 参考:

    「<規則に従う>ということは一つの実践である。そして、規則に従っていると信じていることは、規則に従っていることではない。だから、人は規則に<私的に>従うことができない。さもなければ、規則に従っていると信じていることが、規則に従っていることと同じことになってしまうだろうから。」

    ウィトゲンシュタイン著、藤本隆志訳(1953/1976)『哲学探究』大修館書館、202節。
    http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/ZZT00001/CaseleResBull_22_277.pdf

    ウィトゲンシュタインは直接ここでカントを批判したわけではないが、柄谷はこれをカント批判に転用している(定本トラクリ178頁)。

    ボルツァーノと似たような批判だ。
    カント全体的、総合的な規則を自明視している。


    ラッセルのライプニッツ論にも似た指摘があった

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  60. http://russell-j.com/cool//03T-POST.HTM
    ラッセル(著),細川董(訳)『ライプニッツの哲学』あとがき - バートランド・ラッセルのページ

    「真理の一般的な条件が何であるかとか、命題の性質は何であるかという問題と、いかにし
    て我々は何等かの真理を認識するに到るか、即ち出来事としての認識の起源は何であるかと
    いう問題とは峻別されねばならぬ、この二つの問題は、とかく、デカルト以来混同されて来
    ている。というのも、もし人がそれを知らないと仮定すれぱ、その真理は真理でなくなり、
    知られて始めて真理となると人々は考えているからである。」



    ラッセル『ライプニッツの哲学』一章訳出 - 微空間 ―森 元斎の部屋―
    http://d.hatena.ne.jp/bossadelic/20080209/1202495991
    ラッセル(著),細川董(訳)『ライプニッツの哲学』あとがき - バートランド・ラッセルのページ(分館)
    http://russell-j.com/cool//03T-POST.HTM

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  61. 第1部 
    法論 序文/序論(区分)
     1部 私法
        1章(所有?)1〜9
        2章(物件/債権)10〜35
        3章(契約)36〜42
     2部 公法
        1節 国家法43〜51
        2節 国際法53〜61
        3節 世界公民法62,補遺〜8

    第2部 
    徳論 序文/序論(区分)
    第1篇 原理論
        1部 自分自身へ
           1巻 完全義務1〜18
           2巻 不完全義務19〜22
        2部 他人へ23〜48
    第2篇 方法論(教授論)49〜53

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  62. http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf03/3-20-2002-Fukatu.pdf
    『人倫の形而上学』における「道徳的問答教示法の断片」における教官が、生徒に対して他者の幸福を促進する義務について、

    「汝は一体怠け者に柔らかい枕をあてがって、その者が何もせずにいい気になって彼の一生を浪費させるであろうか。あるいは酔いどれに対して酒やその他の酔わせるものを欠かせないようにしてやるだろうか・・・・・・」

    と、他者の幸福を促進する場合の留意点の示唆からも理解されるように、幸福を促進するに値する他者にのみに限って、幸福を促進するための支援をすることが真の義務といえるであろう。自己の幸福についても、他者の幸福を促進する義務違反への誘惑に負けない程度の幸福、つまり自己の状態もしくは現存に安んじうることができる程度の幸福を得ることに限定する配慮をすべきであることは当然である。

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  63. http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5181010.html
    カント「人倫の形而上学」の第2部 徳論 の第49節・50節に詳細が書いてあります。

    テーマは、「倫理的弁証法」
    人間学(今風に言えば、ソーシャルエンジニアリング)を元に開発されるべき「質疑の学」の代表としてこのふたつが上げられています。

    自由を重視するという立場をとりながら、人が経験を学によって啓発し開発うるとすると、学ぶものが自己実現をするには、師弟の交流形態として、まず、二つあるそうです。しかしながら、徳論自体は、教義的側面を持つとされます(ご注意ください)。

    ストア派の言葉をかりながら、義務・徳目のハンドブック化によって個人の啓発が行われないものであり(主意)、(徳論の場合はとくに)実体験を含む実践で養われていくべきであると語られます。

    (ちょっと長くなりました。あとはお読みください)

    ええっと
    端的に言うと・・・

    質疑哲学的には、
    カテキスム的発問は(機械的に之まで教義的に習ってきた)知識を問うこと、ソクラテス的発問は、良心を揺り動かすように定式化せず問うということです。

    たとえば、友人を殺そうと殺意を持つものが、その当該友人と雪山登山し、偶然事故(支えるべき手を誤って離してしまう)でその友人を失ったと仮定する場合。

    法学の学生に
    法的解釈の可能性を設問もしくは、定義を含め論理学的に殺人といえるのかどうかを発問するのが、カテキズム的発問(単に知識を問う)。

    カテゴリー不問で
    事故になって生き残ったものの気持ちを想像させ、同じような気持ちになったことがあるか質問する、また、自分にひきつけて、そのときどう行動したか、またはするかを体系的に議論するのが、ソクラテス的発問です。

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  64. 理想社416頁から

     注  道徳的問答教示法の断片
      教官は、自分の生徒の理性に対して、自分が生徒に教えようと思うことを問い質す。そして、万一生徒がその質
    問に答えられないような場合には、教官はその質問を生走に(彼の理性を指導しながら)言い含めてやる。

    一 教官 汝の人生における最大の、いやそれどころか全き要求はなにか。 
      生徒 (黙して答えず)
      教官 万事がつねに汝の望みのままになることである。



    五、教官 それでは分かるであろう。たとえ、汝があらゆる幸福を汝の手中に納め、それに加うるに最善の意志を
       所有しているとしても、やはり汝は、その幸福を躊躇せずに手を伸ばすものにはだれにで心ゆだねてしまう
       ことなく、まずそれぞれのひとがどの程度まで幸福に価するであろうかを調べるであろう。ーーしかしなが
       ら、汝自身としては汝は、やはり自からの幸福の内に算え入れるあらゆるものを、まず備えることにいささ
       かの躊躇もしないであろうが。 
      生徒 はい 
      教官 しかしながら、そこで汝が実際に自から幸福に価するであろうかという疑問を思い浮かべることはない
       か。
      生徒 もちろん思い浮かべます。 
      教官 ところで、汝の内にあってただ幸福のみを追求するところのものは、傾向性である。しかしながら、汝
       の傾向性を、あらかじめこの幸福に価するという条件によって制約するところのものは、汝の理性である。
       そして、汝が自分の理性によって自分の傾向性を制約し、克服できるということこそ汝の意志の自由であ
       る。

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  65. 理想社416頁から

     注  道徳的問答教示法の断片
      教官は、自分の生徒の理性に対して、自分が生徒に教えようと思うことを問い質す。そして、万一生徒がその質
    問に答えられないような場合には、教官はその質問を生走に(彼の理性を指導しながら)言い含めてやる。

    一、教官 汝の人生における最大の、いやそれどころか全き要求はなにか。 
      生徒 (黙して答えず)
      教官 万事がつねに汝の望みのままになることである。



    五、教官 それでは分かるであろう。たとえ、汝があらゆる幸福を汝の手中に納め、それに加うるに最善の意志を
       所有しているとしても、やはり汝は、その幸福を躊躇せずに手を伸ばすものにはだれにで心ゆだねてしまう
       ことなく、まずそれぞれのひとがどの程度まで幸福に価するであろうかを調べるであろう。ーーしかしなが
       ら、汝自身としては汝は、やはり自からの幸福の内に算え入れるあらゆるものを、まず備えることにいささ
       かの躊躇もしないであろうが。 
      生徒 はい。 
      教官 しかしながら、そこで汝が実際に自から幸福に価するであろうかという疑問を思い浮かべることはない
       か。
      生徒 もちろん思い浮かべます。 
      教官 ところで、汝の内にあってただ幸福のみを追求するところのものは、傾向性である。しかしながら、汝
       の傾向性を、あらかじめこの幸福に価するという条件によって制約するところのものは、汝の理性である。
       そして、汝が自分の理性によって自分の傾向性を制約し、克服できるということこそ汝の意志の自由であ
       る。



    八、教官 このような幸福を人間の功罪によって分け与え、自然全体を支配し、そして、世界を最高の英知でもっ
       て統治する力が現実のものであると認めるという、すなわち神を信ずるというそれ自身の根拠を、理性はー
       体持っているか。
      生徒 はい。というのは、われわれに評価することのできる自然の営みにおいて、われわれに、世界創造者の
       いい表わし難いほど偉大な芸術によるという他に説明の仕様がないきわめて広く深い英知を見ているからで
       す。また、道徳的秩序についても、それが世界の最高の誉れを宿しているかぎり、われわれは、それに劣ら
       ぬ賢明な統治をこの創造者から期待してよい理由を実際に持っているのです。つまり、もし、われわれが自
       分の義務に背反することによって生ずる、幸福に価しないという事態に自分からたち到るのでなければ、わ
       れわれは事実また、幸福にあずかるようになることを期待できるからです。

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  66.  (理想社版全集第11巻416−420頁より)

    注  道徳的問答教示法の断片
     教官は、自分の生徒の理性に対して、自分が生徒に教えようと思うことを問い質す。そして、万一生徒がその質
    問に答えられないような場合には、教官はその質問を生走に(彼の理性を指導しながら)言い含めてやる。

    一、教官 汝の人生における最大の、いやそれどころか全き要求はなにか。 
      生徒 (黙して答えず)
      教官 万事がつねに汝の望みのままになることである。
       
    二、教官 このような状態は、なんとよばれるか。 
      生徒 (黙して答えず)
      教官 それは幸福(不断のしあわせ、満ち足りた生活、自分の状態に全面的に満足しきっていること)とよば
       れる。

    三、教官 では、汝が(この世において可能であるかぎりの)あらゆる幸福を手中に納めているとしたら、汝はそ
         をすべて自分のために手離さずにおくか、あるいはまたそれを汝の隣人にも分け与えるか。 
      生徒 私は、それを分け与え、他のひとびとをも幸福にし、満足もさせるでしょう。 

    四、教官 では、それはたしかに、汝が可なりとはいえ、よき衷心の持ち主でゐることを証明してはいる。だがし
       かし、汝がその際によき分別をも示しているかどうかを見せよ。ーー汝は、一体怠け者に柔らかい枕をあて
       がって、その者がなにもせずにいい気になって自分の一生を浪費させるであろうか、あるいは、酔いどれに
       対して酒やその他の酔わせるものを欠かせないようにしてやり、詐欺師に対しては、他人を騙すようにひと
       好きのするような姿や態度をさせ、また、乱暴者に対しては他人を征服することができるように大胆さと鉄
       拳とを与えるようなことがあるであろうか。これらは、それぞれの者が自分なりの仕方で幸福になるために
       望むほどの手段でぱあるが。 
      生徒 いいえ、そんなことにいたしません。 

    五、教官 それでは分かるであろう。たとえ、汝があらゆる幸福を汝の手中に納め、それに加うるに最善の意志を
       所有しているとしても、やはり汝は、その幸福を躊躇せずに手を伸ばすものにはだれにで心ゆだねてしまう
       ことなく、まずそれぞれのひとがどの程度まで幸福に価するであろうかを調べるであろう。ーーしかしなが
       ら、汝自身としては汝は、やはり自からの幸福の内に算え入れるあらゆるものを、まず備えることにいささ
       かの躊躇もしないであろうが。 
      生徒 はい。
      教官 しかしながら、そこで汝が実際に自から幸福に価するであろうかという疑問を思い浮かべることはない
       か。
      生徒 もちろん思い浮かべます。 
      教官 ところで、汝の内にあってただ幸福のみを追求するところのものは、傾向性である。しかしながら、汝
       の傾向性を、あらかじめこの幸福に価するという条件によって制約するところのものは、汝の理性である。
       そして、汝が自分の理性によって自分の傾向性を制約し、克服できるということこそ汝の意志の自由であ
       る。

    六、教官 さて、汝が幸福にあずかりながら、しかもまたそれに価するものであるためには、どうすればよいかを
       知るための規則や指示は、全くひとり汝の理性の内にのみある。このことは、汝が、このような汝の振舞の
       規則を経験により、あるいは他人により、その指導を通じて学びとる必要はないというほどのことを意味し
       ている。すなわち、汝自身の理性が汝に対して、まさに汝がなにをなすべきかを教え、そして命ずるのであ
       る。たとえば、もし汝が、絶妙な虚言を思いつき、それによれば汝あるいは汝の友人に莫大な利益を与える
       ことができ、しかもなおそのためにだれも他のひとに害をおよぼさないというような場合に遭遇したとすれ
       ば、汝の理性は、それに対してなんというか。
      生徒 その利益が私や私の友人にとっていかほど大きなものであっても、私は嘘をつくべきではありません。
       嘘をつくということは、卑劣なことで、人間を幸福に価しないものにしてしまします。ーーここに、私のし
       たがわなくてはならない理性の命令(あるいは禁令)による無条件的強制があります。これに対しては、私
       の傾向性のすべてに沈黙しなければなりません。
      教官 このような理性によって直接的に人間に課せられたーー理性の法則にしたがって行為せよというーー必
        要性をなんとよぶか。
      生徒 それは義務といいます。
      教官 それだから、人聞にとっては、自分の義務を遵奉することが、幸福に価するための普遍的で、しかも唯
       一の条件であり、これとそれとは、同じことなのである。

    七、教官 しかしながら、たとえわれわれが、ーーそれあるによって幸福に価する(少なくとも価しなくはない)
       ようなーーそのような活動的な善意志を自覚しているとしても、われわれは、この自覚の上に、このような
       幸福に価するという確かな希望をも建てることができるか。
      生徒 いいえ。それだけに頼るわけにはまいりません。というのは、幸福を手に入れるということは、必ずし
       も、われわれの能力のおよぶところではなく、そして自然の成り行きもまたおのずから功績にしたがって行
       なわれるわけではないからです。むしろ、人生の幸福(われわれのしあわせ一般)は、環境に左右されてお
       り、その環境は、なかなか必ずしもすべてが人カのおよぶところではないからです。それゆえ、われわれの
       幸福は、つねにただ願望にとどまって、なにか他の力が加わらなければ、この願望はついに希望にはなりえ
       ないことになります。

    八、教官 このような幸福を人間の功罪によって分け与え、自然全体を支配し、そして、世界を最高の英知でもっ
       て統治する力が現実のものであると認めるという、すなわち神を信ずるというそれ自身の根拠を、理性はー
       体持っているか。
      生徒 はい。というのは、われわれに評価することのできる自然の営みにおいて、われわれに、世界創造者の
       いい表わし難いほど偉大な芸術によるという他に説明の仕様がないきわめて広く深い英知を見ているからで
       す。また、道徳的秩序についても、それが世界の最高の誉れを宿しているかぎり、われわれは、それに劣ら
       ぬ賢明な統治をこの創造者から期待してよい理由を実際に持っているのです。つまり、もし、われわれが自
       分の義務に背反することによって生ずる、幸福に価しないという事態に自分からたち到るのでなければ、わ
       れわれは事実また、幸福にあずかるようになることを期待できるからです。


    上記問答法は脱力するくらいカント哲学のつまらなさを表現してはいるものの、カント哲学の全体像をうまく提示してはいる。
    プラトンにまで劣る対話。
    ドストエフスキーがいかに偉大かがわかる。
    ドゥルーズの重要性も思い知らされる。

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  67. 理想社416頁から

    注  道徳的問答教示法の断片
    教官は、自分の生徒の理性に対して、自分が生徒に教えようと思うことを問い質す。そして、万一生徒がその質
    問に答えられないような場合には、教官はその質問を生走に(彼の理性を指導しながら)言い含めてやる。

    一教官 汝の人生における最大の、いやそれどころか全き要求はなにか。 
     生徒 (黙して答えず)
     教官 万事がつねに汝の望みのままになることである。



    五教官 それでは分かるであろう。たとえ、汝があらゆる幸福を汝の手中に納め、それに加うるに最善の意志を
      所有しているとしても、やはり汝は、その幸福を躊躇せずに手を伸ばすものにはだれにで心ゆだねてしまう
      ことなく、まずそれぞれのひとがどの程度まで幸福に価するであろうかを調べるであろう。ーーしかしなが
      ら、汝自身としては汝は、やはり自からの幸福の内に算え入れるあらゆるものを、まず備えることにいささ
      かの躊躇もしないであろうが。 
     生徒 はい。 
     教官 しかしながら、そこで汝が実際に自から幸福に価するであろうかという疑問を思い浮かべることはない
       か。
     生徒 もちろん思い浮かべます。 
     教官 ところで、汝の内にあってただ幸福のみを追求するところのものは、傾向性である。しかしながら、汝
      の傾向性を、あらかじめこの幸福に価するという条件によって制約するところのものは、汝の理性である。
      そして、汝が自分の理性によって自分の傾向性を制約し、克服できるということこそ汝の意志の自由であ
      る。



    八教官 このような幸福を人間の功罪によって分け与え、自然全体を支配し、そして、世界を最高の英知でもっ
      て統治する力が現実のものであると認めるという、すなわち神を信ずるというそれ自身の根拠を、理性はー
      体持っているか。
     生徒 はい。というのは、われわれに評価することのできる自然の営みにおいて、われわれに、世界創造者の
      いい表わし難いほど偉大な芸術によるという他に説明の仕様がないきわめて広く深い英知を見ているからで
      す。また、道徳的秩序についても、それが世界の最高の誉れを宿しているかぎり、われわれは、それに劣ら
      ぬ賢明な統治をこの創造者から期待してよい理由を実際に持っているのです。つまり、もし、われわれが自
      分の義務に背反することによって生ずる、幸福に価しないという事態に自分からたち到るのでなければ、わ
      れわれは事実また、幸福にあずかるようになることを期待できるからです。

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  68. 徳論は1803



    http://books.google.co.jp/books?id=BrwIAAAAQAAJ&hl=ja&source=gbs_book_other_versions

    Metaphysische Anfangsgründe der Tugendlehre (Google eブックス)


    Immanuel Kant
    0 レビュー
    1803

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  69. カントにおいては徳が法になる
    公と私が逆転する

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  70. http://nam-students.blogspot.jp/2010/09/blog-post_5795.html?m=0#notee3


    ヘーゲル法の哲学
                                   /\
                                  /ゲルマン
                                 /\世界史\
                                /東洋\/ギリシア、ローマ
                               /対外主権   /\
                              立法権\ 国家 /__\   
                             /\国内法\  /\国際法\
                            君主権\/統治権/__\/__\
                           /\              /\
                          /__\            /__\  
                        教育と解体/\ <倫理=共同世界>/福祉行政と職業団体
                        /__\/__\       社会政策\/職業団体
                       /\      /\      /\      /\
                      /__\ 家族 /__\    /財産\ 市民 /裁判\
                     /\婚姻/\  /\資産/\  /\欲求/\  /\司法/\
                    /__\/__\/__\/__\/満足\/労働\/正義\/現実性     
                   /\                              /\
                  /  \                            /__\
                 /強制と犯罪                          /共同体精神
                /______\                        /__\/__\
               /\      /\                      /\      /\
              / 不法に対する法  \       <客観的精神>      /__\善と良心/__\
            無邪気な不法\  / 詐欺 \                  /\善、主観  /\良心/\
            /______\/______\                /__\/__\/__\/__\
           /\              /\        アンティゴネー\              /\ 
          /  \            /  \       オイディプス__\            /__\
         / 譲渡 \   <法>    / 交換 \          /\結果/\   <道徳>   /\自由/\
        /______\        /______\        /__\/__\        /__\/__\
       /\      /\      /\      /\      /\      /\      /\      /\
      /  \ 財産 /  \    /  \ 契約 /  \    /__\企図と責任  \    /__\意図と福祉__\
     / 所有 \  /物の使用\  /わがまま\  / 贈与 \  /\関心/\  /\行動/\  /\一般/\  /\特殊/\
    /______\/______\/______\/______\/__\/__\/__\/__\/__人格__\/__法/__\ 

    カントと違い、ヘーゲルは人倫という共同体の習俗を普遍的な命題と捉えて固定化した。

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  71. http://nam-students.blogspot.jp/2010/09/blog-post_5795.html?m=0#notee3


    ヘーゲル法の哲学
                                   /\
                                  /ゲルマン
                                 /\世界史\
                                /東洋\/ギリシア、ローマ
                               /対外主権   /\
                              立法権\ 国家 /__\   
                             /\国内法\  /\国際法\
                            君主権\/統治権/__\/__\
                           /\              /\
                          /__\            /__\  
                        教育と解体/\ <倫理=共同世界>/福祉行政と職業団体
                        /__\/__\       社会政策\/職業団体
                       /\      /\      /\      /\
                      /__\ 家族 /__\    /財産\ 市民 /裁判\
                     /\婚姻/\  /\資産/\  /\欲求/\  /\司法/\
                    /__\/__\/__\/__\/満足\/労働\/正義\/現実性     
                   /\                              /\
                  /  \                            /__\
                 /強制と犯罪                          /共同体精神
                /______\                        /__\/__\
               /\      /\                      /\      /\
              / 不法に対する法  \       <客観的精神>      /__\善と良心/__
            無邪気な不法\  / 詐欺 \                  /\善、主観  /\良心
            /______\/______\                /__\/__\/__\/
           /\              /\        アンティゴネー\         
          /  \            /  \       オイディプス__\           
         / 譲渡 \   <法>    / 交換 \          /\結果/\   <道徳>  
        /______\        /______\        /__\/__\        /
       /\      /\      /\      /\      /\      /\      /\
      /  \ 財産 /  \    /  \ 契約 /  \    /__\企図と責任  \    /__
     / 所有 \  /物の使用\  /わがまま\  / 贈与 \  /\関心/\  /\行動/\  /\一般
    /______\/______\/______\/______\/__\/__\/__\/__\/__人格

    カントと違い、ヘーゲルは人倫という共同体の習俗を普遍的な命題と捉えて固定化した。

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  72. 婚姻
    債権物権
    教育が
    ヘーゲルでは
    人倫に対応する

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  73. http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/957/1/erar-v21n1p33-45.pdf#search='自由の秩序%3A+カントの法および国家の哲学'

    木村靖比古

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  74. ヘーゲルの法哲学についての一考察 木村靖比古
    Observations on the Legal Philosophy of Hegel YASUHIKO KIMURA

    http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/899/1/erar-v18n1p35-46.pdf#search='木村靖比古'

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  75. へ-ゲルは抽象法は定立(dieThese),道徳ほ反立(die Antithese)そして人倫は綜合(die Synthese)という方法で,客観的精神の世界を論述して個人主義的な自然法もカント的な個人主義 道徳も真の社会生活の確固たる基礎となることはできず,法と道徳の2つは,1つの一層高次なも
    の,すなわち人倫的な全体に止揚されなければならぬという見解を示したのである.25) 10)すでに述べたようにヘーゲルの哲学は論理学,自然哲学及び精神哲学の三部に分たれ

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  76. 滝川幸辰博士は2人の刑法諭を比較して次のように述べられている.「刑罰が社会進化の過程と して考えられるとき,それほカントの如く犯罪あれば,心ず反動がなければならないという類のも のであってほならない.刑罰は,それが社会秩序の恢複に必要なとき,はじめて要求せられる.こ
    の意味において,ヘーゲルの刑法諭は,カントのそれが犯罪という悪のために刑罰という意を以て 報いねばならないというのに対して,別の意味を有つ.文化的ヘーゲルが理論的カントに対し,刑 法論において優れているという理由は,この点にある.」40)
    (3)国家に関する見解や戦争と平和に関する思想において

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  77. 1)「法哲学綱要」の邦訳には次の2種がある. 速水,岡田訳(岩波書店刊行),高峯訳(創元文庫). 著書としては次のようなものがある. 金子武蔵著「ヘーゲルの国家観」,田村実著「ヘーゲルの法律哲学」・
    2)FriedrichBiilow,Hegel:Recht.Staat.Geschichte.(以下Biilowと略記する)ss・1 ̅2・

    23)BilloVIr,S.51.
    24) ク S.52.
    25) ク S.52.
    26)Hegel,Grundlinien ss.207-211.
    岩波哲学小辞典所載「ヘーゲル」社会科学の名著所載「法哲学綱要」参照.. 27)哲学名著解題所載「法曹学綱要」参照.. 28)速水,岡田訳「法の哲学」453貢.
    29)B揖ow,S.9.
    30)船田享二著「法律思想史)311-319貢. 31)尾高朝雄著「法哲学」81頁. 32)Kant,MetaphysikderSitten(PhilosBiI))ss・205-208・
    33) ク ク ∫∫.33-35. 34)Biilow,SS.101-103.. 35)ダントレーヴ著,久保正幡訳「自然法」109貢-113頁. 36)恒藤恭著「法の基本問題」293貢. 37)高山岩男著「ヘーゲル」241真一242頁. 38)阿南成一著「現代の法哲学」31貢. 39)Hegel,Grundlinienss.90貢-99頁. 40)滝川幸辰著「刑法講義」(現代法学全集所載)27頁-28貢・ 41)Paulsen,ImmanuelKant.s.341.

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  78. なお,ここで,カントの,政治権力の思想を政治権力の正当性の問題に関するマックス・ヴェ ーバニ(1864~1920)の有名な分析と関連させて考察しておきたい。マックス・ヴェーバーほ, 政治権力の正当性の根拠として三つの類型を設定した。第一の類型は伝統的支配であって,これ は政治権力の支配が長い伝統,慣習に基づいている場合にほ,長い歴史的伝統に対する信鯨が権 力の支配に正当性の根拠を与えるのである。第二の類型ほ合法的支配であって,これほ政治権力 の支配が人間の悪意によらないで,客観的な合理的な法規範またほ自然法に基づいている場合に は,その支配ほ正当とされるのである。そして,第三の類型はカリスマ的支配であって,これは 君主や指導者の天賦の資質,英知,能力などが被治者の信鮫を得て,彼らの支配に正当性が与え
    られる場合である。15)

    http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/1069/1/erar-v29n1-2p19-31.pdf#search='木村靖比古'

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  79. カントの法哲学の現代的意義木村靖比古ThePresent Significance ofKant's Philosophy YASUHIKO KIMURA第一序言

    い。 (4)嬉姻の性質 カントは婿姻を個人主義の立場から考察した。彼によれば婚姻ほ「性を異にする二人格老の, 彼らの性的特長の生涯にわたる交互的占有への結合」16)である。そして彼は,占有関係が相互 的であるかぎり,決して人格の概念に矛盾しないものと考えている。従って婿姻ほ相互的な 「物的様相をもつ人格的権利」すなわち物権に類似した他人の人格に対する権利の認められる 関係であって,この権利が同時に物的様相を持つということほ「もし夫婦の一方がのがれ去り 又は他人の占有に身を委ねるならば,他方ほ常にかつ拒絶されることなしに,あたかも物件の ように自分の実力内に持ち還る権限を与えられているという点にその基礎をもつ」17)のである。 こうしてカントは婚姻ほ性的衝動を満足するための契約と考え,全く財産的な契約と同視した のであるが,このような契約説ほ,「近代市民社会において私法自治の原則が封建的橿結から 個人を解放するに役立ったように,個人を教会法の支配から解放し,夫婦の法的平等及び婚姻 の解消可能性を実現するに大きな功績があったことほ認められなければない。」(松坂佐一「婿 姻の性質」〕したがってカントの婿姻に関する見解ほ近代市民社会が成立した当時における婚 姻法の特質を示しているということができ,時代的には大きな意義を持っていたのである。 しかしカントの見解は全く婿姻の倫理的性格を無視するものとして多くの学者から非難され て来た。ヘーゲルほカントの婚姻観を批判してつぎのように述べている。「契約の概念に婚姻 12)M.d.S.S.90. 13)M.d.S.S.91. 14〕Cf.M.R Cohen,Reason and Law pp.120 ′〉121. 15)Hegel,Grundlinien der

    カントの法哲学の現代的意義 ほ包摂され得ない。これを包摂せしめるなどほ一言うも恥ずべきことと言わざるを得ないが カントによってなされた。」1巨)「婿姻を単に市民的契約として理解すること,これはカントに おいてもなお見られる見解であるが,これも同様に粗雑な俗見である。」19) かくして現在においては,多くの学者は婿姻の締結と契約との差異を認めている。契約の対 象は人格から区別せられた物であり,また婚姻は個々の給付や財貨の交換を目的とするもので はないからである。現代において婚姻の締結は契約には非ずして終生の共同生活を目的をとす る一男一女の協同体を創設する行為であって,協同体を創設する行為は契約とは異なる合同行 為的性質を有するものとせられている。(松坂佐一「婚姻の性質」参照)。以上に述べたとこ ろによって明らかなように,カントの契約的婚姻観は現代においてほこれを認めることを得な いのである。 (5)個人的人格権の尊重

    18)Hegel,a.a.0,S.80. 21)M・d・S,SS,164~165. 19)ヘーゲル著,高峯息訳「法の哲学」(下)22京。 22)M・d・S,S・137. 39 20〕M.R.Cohen,Reason and Law,p.121

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  80. Kant and Hegel - Comparative Considerations on the Philosophy of Law -
    木村, 靖比古
    岩手大学学芸学部研究年報
    24 ( 1 ) , pp.1 - 15 , 1965-03 , 岩手大学学芸学部
    NII書誌ID(NCID):AN00017918
    本文を読む
    http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/988/4/erar-v24n1p1-15.pdf

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  81. 一 法の概念

    カソ ト は法を定義 し て 「 法は一人の 意欲が他人の意欲 と自由の普遍的法則に し たが っ て調和

    し 得 る ための諸条件 の総体 セあ る 」 とし た. この定義に よ れば,法は社会生活におけ る 各人の

    自由の共存を保障す る ための条件 の全体であ る .蓋 しカソ T t においては, 自由 と は,人間が理

    性的な存在 とし ての 自 己 自 身に課す るところの,道徳的に責任を もって行動すべ Lと い う 課題

    であ る が,人間は悪 であ る ために悪意的に行動す るので,各人 の悪意を普遍的な 自由の 法則に

    よって制限 しこ れに よって悪意 と 窓意 と の衝突を防止 し て,共 同生活におけ る自由な活動を保

    障 し 道徳法則を実現す る ための条件が必要であ る 。 カソ ト は この条件を もって法であ ると 考 え

    た のであ る 。 .

    そ し て法には強制力 があ り , こ れに よって各人の 自 然的衝動に駆 ら れて 動 く窓意を 制限 し

    て,道徳的 自由 ・ 人間の実践理性の本質を確立せ し め よ うとし たのであ る 。か くし て カソ ト に

    おいては,法 の本質は 自由若 しく は 自 律 の法則であ り , この意味において法 と 道徳 と は板抵を

    一つにす るのであ るO

    以上に述べた如 く , カソ ト は法 の本質を論ず る に当 り 法 の根低に 自由を置いたのであ る が,

    このこと は法思想史上 き わめて重大な意義を持つ こ と であって,「 法 の 板低に 自由を 置いた 点

    において法律思想史は彼において一転回をな し ,社会性 ・ 自 己保存 ・ 幸福 ・ 快楽な どの自 然的

    欲望を基礎 とし て法 の本質を論ず る 従来 の自 然主義的 または功利主義的 ・ 自 然法学派 の立場 と

    全 く 異った形式的方 向に赴いた」 1 2 ) のであ り ,また カソ ト の法 の定義は,「 法一般の 本旨を 明

    ら かに し てい ると い う よ り も,近代市民法 の特色を明確に とら えた もの とし て, とく に適切で

    あ る 」 1 3 ) と 言 う こと が出来 るのであ る .

    このよ う に カソ t ' の法 の定義は,法思想史の上に画期的な転回を も た らし た ものであ り ,普

    た新興市民階級 の 封建的権 力 との斗争におけ る自由の保障な ら びに資本主義の成長期におけ る

    経済活動の自由の保障に役立ったのであ って, こ れ ら の点において, カソ ト の法の定義の歴史

    的価値を認め ること がで きる 。

    し か し ,上に挙げた カソ ト の法 の定義は,現代の法学において一般に認め ら れてい る 法 の概

    念か ら 見れば,十分な もの と 言 う こと が出来ない.法は,一般的に言えば社会生活上 の 意思の

    規律であ る が,意思の規律 と い って もそれは単に各人 の意思の 自由を制限す ることのみを 目 的

    とす るものではな く ,すす んで個人や国家 ・ 社会 の利益を増進す ること を 目 的 と す るものであ

    るo し か る に, カソ ト の法の定義は意思の 自由を 制限す るもの とし ての 法 のみを 意味 し てい

    るo L たが って カソ ト の法 の定義は法 の半面を示 し たに とどまって,現代におけ る 法一般 の本

    質を明 ら かに し た ものではない 。 この意味において, カソ ト の法 の定義 の現代的意義は乏 し い

    と 言わねばな ら ない1 4 ) 0

    --ゲルにおいては,法は彼 の精神哲学 と 弁証法の論理に基づいて考察されてい る .彼に よ

    1 2 ) 田中新太郎 「 法律学概論」( 現代法学全集所載)2 2 7 貢。 1 3 ) 尾高朝雄 「 民主主義の法理念」 ( 民主主義の 法律原理所載)3 貢。 1 4 ) 拙稿 「 カント の法哲学の 現代的意義」岩手大学学芸学部研究年報2 1 巻所載)参照。

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  82. 木村, 靖比古 -
    dc.contributor.alternative KIMURA, YASUHIKO -
    dc.date.accessioned 2008-02-24T01:13:10Z -
    dc.date.available 2008-02-24T01:13:10Z -
    dc.date.issued 1965-03 -
    dc.identifier.citation 岩手大学学芸学部研究年報, 第24巻第1部, 1964, pp. 1 - 15 ja_JP
    dc.identifier.uri http://hdl.handle.net/10140/988 -
    dc.language.iso ja ja_JP
    dc.publisher 岩手大学学芸学部 ja_JP
    dc.subject カント ja_JP
    dc.subject ヘーゲル ja_JP
    dc.subject 法哲学 ja_JP
    dc.subject ドイツ観念論 ja_JP
    dc.subject 綜合的な比較研究 ja_JP
    dc.subject.ndc 370 ja_JP
    dc.title カントとヘーゲル - 法哲学の比較考察 - ja_JP
    dc.title.alternative Kant and Hegel - Comparative Considerations on the Philosophy of Law - en
    dc.type Bulletin ja_JP
    dc.type.nii Departmental Bulletin Paper ja_JP
    dc.citation.ncid AN00017918 ja_JP
    dc.citation.jtitle 岩手大学学芸学部研究年報 ja_JP
    dc.citation.volume 24

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  83. http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/simple-search?query=著者%3A+%09木村%2C+靖比古+&submit=検索


    発行日 タイトル 著者
    Jan-1969 カントとヘーゲル(2) - 国家哲学の比較考察 - 木村, 靖比古
    Dec-1969 カントの政治哲学における二,三の問題 木村, 靖比古
    Dec-1966 カントの法哲学に関する現代欧米学者の評論 木村, 靖比古
    Jun-1963 カントの法哲学の現代的意義 木村, 靖比古; KIMURA, YASUHIKO
    Dec-1970 カントの自然法思想の特色についての考察 木村, 靖比古; KIMURA, YASUHIKO
    Dec-1967 カントの公法理論の特色 - 社会契約説と応報刑論 - 木村, 靖比古
    Jun-1961 ヘーゲルの法哲学についての一考察 木村, 靖比古; KIMURA, YASUHIKO
    Jul-1960 カントの三篇の法律論 木村, 靖比古; KIMURA, YASUHIKO
    Mar-1965 カントとヘーゲル - 法哲学の比較考察 -

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  84.  ________純_____粋_____理_____性_____批_____判________
    緒 言         |           |           |  |  |0 |一般|
    1〜7(初版1、2)  |           |  (空虚/盲目)  |__|__|_手引き_|
    |           |           |           |  |  判断表|範疇表
    |   空間      |  時間       |    緒言     |_一、概 念 分 析_|
    |           |           |           | 演繹一般|  |  |
    |           |           |           |_演 繹_|__|__|
    |           |           |           先験的演繹(初版、+構想力)
    |________(感 性 論)________|_______(論 理 学)|要約|__|__|
    |           |           |     |   分 析 論   |同一/相違|
    |           |           |     |     |   (対概念)一致/反対
    |           |           |     | 図式論 | 付録: |内的/外的|
    |           |           |_二、原 則 分 析_|_反省概念の_規定/被規定
    |           |           |原則の体系|     | 二義性 | a  b| 
    |           |           |0_|分析|現象と可想|(対ライプ|:注(無)|
    |           |           | aーd、|根拠(初版| ニッツ)| c  d|
    原   理   論(感性論と論理学)______|総合|体系|、◯直観)|_____|_____|
    緒言、1仮象|     |0(主観X)     緒言    |二、論争的|     |     |
    2A理性一般| 一   | 同一  |  単純 |一、独断的| /懐疑論|     |     |
    |B論理的使用 理念一般| a量4 | b質3 |数学/哲学|(ヒューム)     |     |
    |C純粋_一、概 念__|_1、誤謬推理(霊魂)|*__1訓 練____|___2規 準____|*
    |     |     (第二版☆)(定言)  | 三、  2単一   |  目的 | 理想  |数学
    |二    | 三   | c関係2|d様相1 | 対仮説 |四、理性の証明 (不死|(最高善、|+ −
    |超越論的理念 体系  | 実体  |  精神=|(蓋然的)3直接、1根拠 自由、神|3つの問い)× ÷
    |_____|(論 理 学)二、推 理 論_コギト____x間接_方  法  論__信(蓋然的)|
    |     |   弁 証 論   |     |           |           |
    |限界   |  部分 |     | 存在論 |      (図式) |           |    
    | 量   |  質  |  3、理想 sein|           |           |
    |_2、二律背反(世界)|__(神、三つの証明)|  3建 築 術   |   4歴 史    | 
    |     (仮言)  |     (選言)  |  (全体系計画)  |           |
    | 関係  | 様相  |宇宙論  | 自然神学|(体系)       |           |付録: 
    |自由   |  必然 |ライプニッツ     |           |       (概念の演繹論)
    |_____|_____|_____|_____|___________|_____(☆初版:誤謬推理
                      付 録(目的論)                     cbad)
                      理念の統整的使用
                      自然弁証法の究極意図



     ______純_粋_理_性_批_判______
    緒 言◯  |     |     |  手引き=判断表
    |     |     |  緒言 |概念分析 |範疇表
    | 空間  |  時間 |     |演繹◯  |
    |  (感 性 論)  |__(論 理 学)__|
    |     |     |  /分 析 論   |  
    |     |     |   図式| 付録: |
    |     |     |原則分析 |反省概念 |
    |_原  理  論___|体系_根拠◯___(無)
    |  (感性論と論理学)|独断|論争|     |
    | 概 念 |  霊魂 |_訓練__| 規準  |
    |     |誤謬推理◯|仮説|証明|目的、理想|
    |(論 理 学)推 理_|__|方 法 論__善|
    |/弁 証 論  存在論|  (図式)     | 
    量 世界 質|  神  | 建築術 | 歴史  |
    |二律背反 |宇  神学(体系)  |     |
    関係__様相|宙論___|_____|_____|

    ◯=初版と第二版に異同がある。


         分 析
          |
       量  |  質
    規定____|____反省
          |
       関係 | 様相
          |
         総 合

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  85.  「君の意志の格律が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」(第一の道徳法則、『実践理性批判』)

     格律とは主観的な「傾向」のことである。

     つまり自分の望む行動がいついかなるときも、そして誰にも適応できることを考えろということだ。

     それをいつも自分に問わねばならない、それが哲学者であれ教育を受けてないものであれ誰でも。

     よく人間は批判することを好むが、それが「普遍的立法の原理」に適っているかと問われれば、否というしかない。

     本当に物事を批判するためには、何らかの形で責任を負わねばならない。

     周りが批判者を見つめたときに、「おまえに何が言える」と思われてしまうようでは意味を成さない。

     これは「共感」というキーワードにもつながるだろう。

     恣意的な行動が周りにどのような影響を及ぼし、結局まわりまわって自分にどんな影響があるのかを考えられるかどうか。

     例えば自分が嘘をつき、周りも嘘をついてしまうこと。

     そこまでの思慮があってこそ、ようやく集団としての社会が成立する。



     「君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、

     いつでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し決して単なる手段として使用してならない」(第二の道徳法則)

     カントは「目的の国」を目指していた。

     それはプロセスの価値の尊重であり、いくら結果が良かろうと、目的において善でないものを評価しない。

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  86. http://www.geocities.jp/nymuse1984/doutokukeizizyougakugenron.html

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  87. 書評のサイトDATALIBRARY 『道徳形而上学原論』カント
    http://www.geocities.jp/nymuse1984/doutokukeizizyougakugenron.html

     「君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、
     いつでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し決して単なる手段として使
    用してならない」(第二の道徳法則)

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  88. http://www.let.osaka-u.ac.jp/~irie/kougi/tokusyu/1998/9804jiyuu.htm
    §6 定言命法の採用根拠をめぐって

    <定言的命法>
    『基礎付け』にある定言命法の5つの方式は、次の通りである。

      ① "handle nur nach derjenigen Maxime, durch die du zugleich wollen kannst, da@ sie      ein allgemeines Gesetz werde."
        「汝の格律が普遍的法則となることを汝が同時にその格律によって意志しうる場合に     のみ、その格律に従って行為せよ」A52
         さてこの唯一の命法を原理としてそこから、義務の命法のすべてが導き出されうる      。」(265)

    ② "handle so, als ob die Maxime deiner Handlung durch deinen Willen zum   
          allgemeinen Naturgesetze werden sollte."
         「汝の行為の格律を汝の意志によって普遍的自然法則とならしめよう
          とするかのように行為せよ」(A52)(266)

    ③ "Handle so, da@ du die Menschheit, sowohl in deiner Person, als
      in der Person eines jeden andern, jederzeit zugleich als Zweck,
      niemals blo@ als Mitte brauchest."
        「汝の人格の中にも他の全ての人の人格の中にもある人間性を、汝がい
         つも同時に目的として用い、決して単に手段としてのみ用いない、と
         いうようなふうに行為せよ」(A67)(274)

    ④ "da@ der Wille durch seine Maxime sich selbst zugleich als
      allgemein gesetzgebend betrachten k{nne."
        「意志がその格律によって自己自身を同時に普遍的立法者ともみなし得
         るような仕方でのみ行為すること」(A76)(280)

    ⑤ "Demnach mu@ ein jedes vern{nftige Wesen so handeln, als ob es
       durch seine Maximen jederzeit ein gesetzgebendes Glied im
      allgemeinen Reiche der Zwecke w{re."
    「すべての理性的存在者は、みずからが、その格律によって常に、普    
          遍的な目的の国の立法者であるかの如くに、行為せねばならない。」
    (A83)(284)

    次に、定言命法がどのようにして、証明されているのかを確認しておこう。

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  89. <『基礎付け』での定言命法の証明>
     証明のプロセスはつぎのように整理できる。
    (1)道徳法則は、普遍性・必然性をもつべきである。ゆえに、道徳法則は、アプリオリに
       純粋な実践的な理性から生まれるもの
    「われわれが道徳の概念に対して、真理性をすなわち何等かの可能な対象への関係を、全く拒もうとするのでなければ、われわれは、道徳法則がきわめてひろい意味を持ち、単に人間に妥当するのみでなく、あらゆる理性的存在者一般に対し、しかも単に偶然的条件の下で例外をゆるしてではなくて、全く必然的に妥当せねばならぬ、ということを拒むわけにはゆかない。」(251)
    「もしわれわれの意志を限定する法則が単に経験的なものであって、全くアプリオリに純粋なかつ実践的な理性から生まれたものでないのならば、そういう法則を、理性的存在者一般の意志を限定する法則――とみとめることが、どうして許されるのか。」訳251

    (2)道徳法則は、命法となる。
    「しかし、もし理性がそれだけでは意志を充分に限定せず、意志は理性以外になお主観的条件(一定の動機Triebfeder)にも従っており、かつこの主観的条件は必ずしも客観的条件と一致しないとすれば、すなわち一言で言って、意志はそれ自身では必ずしも全面的に理性に従わないとすれば(人間ではまさにそうである)、客観的に必然的と認めれらる行為が主観的には偶然的であることになり、客観的法則に従ってそういう意志を限定することは強制N{tigungである。・・・ 
     客観的原理の表象は、それが意志にとって強制的なものである限りで、命令Gebotと呼ばれる。命令の形式は、命法Imperativである。」(A37)(256)

    (3)定言命法のみが、実践的法則になりうる。
    「全ての命法は、仮言的に命令するか、定言的に命令するかである」257
    「仮言的命法は、行為が可能的または現実的な何らかの意図のために善であること、をのみ示すのである。そしてそれが可能的意図に関する第一の場合、命法は蓋然的な実践的原理であり、現実的意図に関する第二の場合、それは実然的な実践的原理である。しかし定言命法は、行為を、何らかの意図へ関係させることなしに、すなわち何か他の目的がなくとも、それだけで客観的必然的である、と告げるものであって、必然的な実践的原理と認められる。」(258)
         {命法の区別を整理するとこうなる。
            仮言命法   熟練の命法(仮言的) 分析的
                   利口の命法(実然的) 分析的
            定言命法   道徳の命法(必然的) アプリオリで綜合的}

    「定言的命法のみが実践的法則と呼ばれるのであり、他の命法はすべて意志の原理とはよばれても、法則とは呼ばれ得ない、ということである。なぜなら、ただ何らかの意図の達成のためにのみ必然的になさねばならぬことは、(そういう意図とは独立に)それ自体としては偶然と見られることができ、したがってわれわれがその意図を放棄すればいつでもその指図(命法)から自由になりうるが、これに反して、無条件な命法は、意志が勝手に反対のことをする自由を全くゆるさないのであって、したがってこの命法のみが、法則というものに当然要求される必然性を備えているのだからである。」264

    (3)定言命法の内容は、必然的に・・・となる。
    「私が定言的命法のことを考えるときには、それが何を内容として含むかを直ちに知るのである。なぜなら、定言的命法は、その内容として、法則の他には、格律がこの法則に合致せねばならぬという必然性をのみ含むのであり、かつ法則は何らかの条件に限られるものではなく、したがって法則はそういう条件を内容として含むことはないから、行為の格律が合致せねばならぬものとしては、法則一般のもつ普遍性しかなく、もともと定言的命法は、そういう普遍性との合致のみを、必然的なものとして示すのである。
     それゆえ、定言命法はただひとつしかなく、それは次のごとくである。
          汝の格律が普遍的法則となることを汝が同時にその格律によって意志
          しうる場合にのみ、その格律に従って行為せよ」A52、訳265
           
    <『第二批判』での証明>

    定理1「欲求能力の客観(実質)を意志の規定根拠として前提するような実践的
         原理は、すべて経験的原理であって、実践的法則にはなりえない。」52
    定理2「およそ実質的な実践的原理は、がんらい実質的なものとして、すべて同
         一種類に属し、自愛あるいは自分の幸福という普遍的原理のもとに総括
         される。」54
    定理3「理性的存在者が、彼の格律を普遍的な実践的法則とみなしてよいのは、 
         彼がその格律を、実質に関してでなく形式に関してのみ、意志の規定根   
         拠を含むような原理と見なし得る場合に限られる。」64
    「純粋実践理性の根本法則」
       「君の意志の格律が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当するよ 
        うに行為せよ。」72

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  90. フーコー入門 (ちくま新書) (Japanese Edition) by 中山元
    フーコーは後にカントの『人間学』を翻訳し、その詳しい注釈を書いているが、カントは『人倫の形而上学』において、同性愛の〈反自然性〉について次のように語っていた。

    「 [婚姻という]性的共同態とは、一対の人間が相手の人間の生殖器および性的能力を相互に使用することであり、この使用には自然的な使用と不自然な使用がある。不自然な使用には、同性の人格に対して行われるものと、人類以外の動物に対して行われるものがある。これらは…口に出すのも憚られるような反自然的な悖徳であり、われわれの人格の内なる人間性を侵害するものであり、なんらの制限や例外もなく、全面的な断罪に値する。 」

     カントの偉大さとは別に、カント哲学には人間の欲望の一つの形態を「不自然なもの」であり、「人間性の侵害」であるとして断罪する思想があったのはたしかである。

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  91. http://ja.wikipedia.org/wiki/ローレンツ・フォン・シュタイン
    ローレンツ・フォン・シュタイン


    ローレンツ・フォン・シュタイン
    ローレンツ・フォン・シュタイン(Lorenz von Stein、1815年11月18日 - 1890年9月23日)は、ドイツの法学者・思想家。フランス初期社会主義・共産主義思想、並びにプロレタリアート概念をドイツにおいて、初めて学術的にまとまった形で紹介した。
    目次 [非表示]
    1 略歴
    2 思想・影響
    3 著作
    4 外部リンク
    5 関連項目
    略歴[編集]
    シュタインはキールにおいてヘーゲル法哲学、歴史法学を学び、イェーナ、ベルリンで学んだ後、1841年10月から1843年3月までパリに留学し、フランス法制史を学びつつ、そこでコンシデラン、プルードン、ブラン、カベといった社会主義者・共産主義者らと交わり、そこで得た知識を元に1842年に『今日のフランスにおける社会主義と共産主義』を著した。また、国法学・行政学の立場からはパングステン法学によって統一法体系を作ろうとしたプロイセン(ドイツ帝国)の法政策を批判した。
    キール大学在職中、シュレースヴィヒ=ホルシュタインのデンマークからの独立運動に参加。ドイツ海軍設立委員として活躍する。しかし運動敗北後、彼は大学を追放された。その後、シュタインはウィーンにおいて職を得て、国法学者・行政学者・財政学者として名声を博した。更にシュタインはジャーナリズムにも関わり、多くの新聞や雑誌に学術論文や時事論文を掲載している。
    思想・影響[編集]
    伊藤博文にドイツ式の立憲体制を薦めて、大日本帝国憲法制定のきっかけを与えた人物としても知られている。1882年に憲法事情研究のためにヨーロッパを訪れていた伊藤博文は、ウィーンのシュタインを訪問して2ヶ月間にわたってシュタイン宅で国家学の講義を受けた。その際、日本が採るべき立憲体制について尋ねたところ、プロイセン(ドイツ)式の憲法を薦めた(なお、この際に伊藤は日本政府の法律顧問として招聘したいと懇願しているが、高齢を理由に辞退して代わりになる候補者を推薦している)。ただ、シュタイン自身はドイツの体制には批判的であり、日本の国情・歴史を分析した上で敢えてドイツ憲法を薦めている。また、実際に制定された大日本帝国憲法の内容にはシュタイン学説の影響は少ない。これには伊藤とともに憲法草案を執筆した井上毅がシュタインに批判的であったことが大きな要因であるものの、伊藤にドイツ式を選択させた背景にはシュタインの存在が大きい。
    また、カール・マルクスは1842年のシュタインの著作『今日のフランスにおける社会主義と共産主義』から社会主義・共産主義思想を学び、私淑しながらも自らの思索を深めていった。しかしシュタインは、同時代人としての弟子マルクスを数多い著作において一貫して無視しつづけている。

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  92. http://ja.wikipedia.org/wiki/井上毅

    明治14年(1881年)、有栖川宮熾仁親王の求めに応じ大隈重信と矢野文雄が憲法意見書を提出した際、岩倉から意見を求められるやいなや、福澤諭吉の『民情一新』を添えて大隈の意見書との類似を指摘、英国に範をとる憲法制度に反対した。同年6月に外務省雇の法律顧問、ロエスレルの協力を得て、『欽定憲法考』、『憲法意見第一』、『憲法綱領』などの調査書類を提出。漸進主義とプロイセン型国家構想を主張した。6月30日、伊藤博文を訪ね大隈排斥を提案するが説得できず、その後も書を送って憲法草案の大任にあたるよう懇請、伊藤の決心を促すため、この大事が他人の手に渡るならば自分は熊本に帰るまで、と述べる。その後、大隈排斥の多数派工作のため、宮島で療養中の井上馨を訪ね、彼を大隈排斥とプロイセン型憲法の早期制定論者へと豹変させ、伊藤への説得を依頼する。続いて薩摩閥の松方正義の説得に成功、黒田清隆・西郷従道ら薩摩派への工作を依頼する。この間、7月5日には岩倉の名で井上の憲法意見書が上奏されている。開拓使官有物払い下げ事件が報道されると、大隈・福澤らを政府内から排撃するため、大隈陰謀説の流布に加担し、結果として大隈と彼に属する官僚の罷免につながる(明治十四年の政変)。9月には伊藤博文から内閣制度改革案の起草され関係を修復した。

    評価[編集]
    保守的で中央集権国家の確立に尽力して政党政治に強く反対した井上ではあったが、法治国家・立憲主義の原則を重んじて、その原則で保障された国民の権利は国家といえども正当な法的根拠がない限り奪うことが出来ないと考えていた。そのため、これらを否定するような反動的な主張に対しては毅然とした態度で立ち向かったという。また、超然主義に対しても行き過ぎた議会軽視であると批判的であり、法制局長官としては議会に有利な判断を下すことも多かったとされている。
    中江兆民は遺著「一年有半」の中で井上と白根専一を「真面目で横着ではなく、ずうずうしいところのない」と評して敵対者ながらその人物を高く評価している。
    伊藤博文と井上毅[編集]
    伊藤博文は徳大寺実則あての書簡で井上を「忠実無二の者」と評し、宮中保守派との対決のために自ら宮内卿を兼ねた際にも自分の側近から井上だけを図書頭として宮内省入りさせるなど能力を高く買い信頼もしていた。
    だが一方で自分の信念に忠実な余り過激な振る舞いに出ることがあり、明治十四年の政変の際には井上が勝手に岩倉具視に対してドイツ式の国家建設を説いてこれを政府の方針として決定させようとした事を知った伊藤は井上に向かって「書記官輩之関係不可然」と罵倒(1881年7月5日付岩倉具視宛井上書簡)している。
    また後年、井上馨の条約改正案に反対していた井上がボアソナードによる反対意見書を各方面の反対派に伝えて条約改正反対運動を煽ったために第1次伊藤内閣そのものが危機に晒されるなど、伊藤は井上によるスタンドプレーに悩まされることもあった。
    教育勅語への関与[編集]

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  93. …徳の義務となりうる目的とはどういうものなのか。カントは、これを「自己の
    完全性」と「他人の幸福」であるしとして、この二つを入れかえて「自己の幸福」
    と「他人の完全性」とを義務とすることはできないと述べている。その理由は
    次のように説明される。まず、「自己の幸福」はすべての人間が必ず欲するも
    のである。そして義務というのは「不承不承に採用された目的への強要」であ
    る。したがって「自己の幸福を義務づけられている」というのは自己矛盾に他
    ならない。また、「他人の完全性」を自己の目的とすることも矛盾している。
    何故なら「完全性」とは、義務について自分自身で目的を立てる能力があると
    いうことを意味する。だから「他人の完全性」とはその当人にしかできない。
    他人にしかできないことを「自己の目的」や「なすべき義務」とすることは自
    己矛盾でしかない(Kant1797=2002:249-250、『人倫の形而上学』)。
    www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/hum/h25/h2512.pdf


    http://www.systemicsarchive.com/ja/b/konstruktion.html

    「通俗的な人倫の世間智から人倫の形而上学へ」「人倫の形而上学から純粋実践理性の批判へ」(『人倫の
    形而上学の基礎付け』の第二章と第三章の表題)と《還元》したカントは、どのように目的の国を《構成》
    したのであろうか。カントは倫理学を純粋実践理性の目的の体系と定義したが、その際、当為となる「同時
    に義務でもある目的」とは何であるか。

    「それは自分の完全性と他人の幸福である。これをひっくり返して、一方で自分の幸福を、他方でそれ自体
    において他の人格の義務であるところのその他人の完全性を目的とすることはできない。」
    [Kant:『人倫の形而上学』 Metaphysik der Sitten,S.385]

    なぜなら、自分の幸福は全ての人が自然と傾向性にしたがって求めるものだから義務には成りえず、また他
    人の完全性を自分の義務とすると、その人は意志の他律に陥って完全ではなくなるので、これも義務とは成
    りえないからである。この二つの目的はただ図のような相互主体的関係において間接的にその実現が期待
    できるだけである。
          
    他者の完全性↑     ↑自己の完全性
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     他者の幸福 ←  → 自己の幸福

    図:カントの徳論における徳福一致

    この図を説明すると、自分の道徳的完全性は結果として他人の幸福に資するが、幸福は完全性の物質的条件
    である(衣食足りて礼節を知る)ので、私の完全性は他者の完全性に間接的に貢献することになる。そして
    同じ論理で、他者の完全性から自分の幸福を期待することができる。

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  94. …徳の義務となりうる目的とはどういうものなのか。カントは、これを「自己の
    完全性」と「他人の幸福」であるしとして、この二つを入れかえて「自己の幸福」
    と「他人の完全性」とを義務とすることはできないと述べている。その理由は
    次のように説明される。まず、「自己の幸福」はすべての人間が必ず欲するも
    のである。そして義務というのは「不承不承に採用された目的への強要」であ
    る。したがって「自己の幸福を義務づけられている」というのは自己矛盾に他
    ならない。また、「他人の完全性」を自己の目的とすることも矛盾している。
    何故なら「完全性」とは、義務について自分自身で目的を立てる能力があると
    いうことを意味する。だから「他人の完全性」とはその当人にしかできない。
    他人にしかできないことを「自己の目的」や「なすべき義務」とすることは自
    己矛盾でしかない(Kant1797=2002:249-250、『人倫の形而上学』)。
    www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/hum/h25/h2512.pdf

    他者の完全性↑     ↑自己の完全性
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     他者の幸福 ←  → 自己の幸福

    図:カントの徳論における徳福一致

    この図を説明すると、自分の道徳的完全性は結果として他人の幸福に資するが、
    幸福は完全性の物質的条件である(衣食足りて礼節を知る)ので、私の完全性は
    他者の完全性に間接的に貢献することになる。そして
    同じ論理で、他者の完全性
    から自分の幸福を期待することができる。
    http://www.systemicsarchive.com/ja/b/konstruktion.html

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  95. …徳の義務となりうる目的とはどういうものなのか。カントは、これを「自己の
    完全性」と「他人の幸福」であるしとして、この二つを入れかえて「自己の幸福」
    と「他人の完全性」とを義務とすることはできないと述べている。その理由は
    次のように説明される。まず、「自己の幸福」はすべての人間が必ず欲するも
    のである。そして義務というのは「不承不承に採用された目的への強要」であ
    る。したがって「自己の幸福を義務づけられている」というのは自己矛盾に他
    ならない。また、「他人の完全性」を自己の目的とすることも矛盾している。
    何故なら「完全性」とは、義務について自分自身で目的を立てる能力があると
    いうことを意味する。だから「他人の完全性」とはその当人にしかできない。
    他人にしかできないことを「自己の目的」や「なすべき義務」とすることは自
    己矛盾でしかない(Kant1797=2002:249-250、『人倫の形而上学』)。
    www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/hum/h25/h2512.pdf

    他者の完全性↑     ↑自己の完全性
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     他者の幸福 ←  → 自己の幸福

    図:カントの徳論における徳福一致

    この図を説明すると、自分の道徳的完全性は結果として他人の幸福に資するが、
    幸福は完全性の物質的条件である(衣食足りて礼節を知る)ので、私の完全性は
    他者の完全性に間接的に貢献することになる。そして同じ論理で、他者の完全性
    から自分の幸福を期待することができる。
    http://www.systemicsarchive.com/ja/b/konstruktion.html

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  96. …徳の義務となりうる目的とはどういうものなのか。カントは、これを「自己の
    完全性」と「他人の幸福」であるとして、この二つを入れかえて「自己の幸福」
    と「他人の完全性」とを義務とすることはできないと述べている。その理由は
    次のように説明される。まず、「自己の幸福」はすべての人間が必ず欲するも
    のである。そして義務というのは「不承不承に採用された目的への強要」であ
    る。したがって「自己の幸福を義務づけられている」というのは自己矛盾に他
    ならない。また、「他人の完全性」を自己の目的とすることも矛盾している。
    何故なら「完全性」とは、義務について自分自身で目的を立てる能力があると
    いうことを意味する。だから「他人の完全性」とはその当人にしかできない。
    他人にしかできないことを「自己の目的」や「なすべき義務」とすることは自
    己矛盾でしかない(Kant1797=2002:249-250、『人倫の形而上学』)。
    www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/hum/h25/h2512.pdf

    他者の完全性↑     ↑自己の完全性
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     他者の幸福 ←  → 自己の幸福

    図:カントの徳論における徳福一致

    この図を説明すると、自分の道徳的完全性は結果として他人の幸福に資するが、
    幸福は完全性の物質的条件である(衣食足りて礼節を知る)ので、私の完全性は
    他者の完全性に間接的に貢献することになる。そして同じ論理で、他者の完全性
    から自分の幸福を期待することができる。
    http://www.systemicsarchive.com/ja/b/konstruktion.html

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  97. カントとヘーゲルの比較は以下が参考になる
    タイトル: カントとヘーゲル - 法哲学の比較考察 -
    その他のタイトル: Kant and Hegel - Comparative Considerations on the Philosophy of Law -
    著者: 木村, 靖比古
    KIMURA, YASUHIKO
    1,2
    http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/handle/10140/988
    http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/handle/10140/1052

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  98. カントとヘーゲルの比較は以下が参考になる
    カントとヘーゲル - 法哲学の比較考察 -1,2
    Kant and Hegel - Comparative Considerations on the Philosophy of Law -
    著者: 木村, 靖比古 KIMURA, YASUHIKO
    http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/handle/10140/988
    http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/handle/10140/1052

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  99. …徳の義務となりうる目的とはどういうものなのか。カントは、これを「自己の
    完全性」○と「他人の幸福」○であるとして、この二つを入れかえて「自己の幸福」×
    と「他人の完全性」×とを義務とすることはできないと述べている。その理由は
    次のように説明される。まず、「自己の幸福」はすべての人間が必ず欲するも
    のである。そして義務というのは「不承不承に採用された目的への強要」であ
    る。したがって「自己の幸福を義務づけられている」というのは自己矛盾に他
    ならない。また、「他人の完全性」を自己の目的とすることも矛盾している。
    何故なら「完全性」とは、義務について自分自身で目的を立てる能力があると
    いうことを意味する。だから「他人の完全性」とはその当人にしかできない。
    他人にしかできないことを「自己の目的」や「なすべき義務」とすることは自
    己矛盾でしかない(Kant1797=2002:249-250、『人倫の形而上学』)。
    www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/hum/h25/h2512.pdf
    ×他者の完全性↑     ↑自己の完全性○
           |\  /|
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     ○他者の幸福 ←  → 自己の幸福×

    図:カントの徳論における徳福一致

    この図を説明すると、自分の道徳的完全性は結果として他人の幸福に資するが、
    幸福は完全性の物質的条件である(衣食足りて礼節を知る)ので、私の完全性は
    他者の完全性に間接的に貢献することになる。そして同じ論理で、他者の完全性
    から自分の幸福を期待することができる。
    http://www.systemicsarchive.com/ja/b/konstruktion.html

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  100. …徳の義務となりうる目的とはどういうものなのか。カントは、これを「自己の
    完全性」○と「他人の幸福」○であるとして、この二つを入れかえて「自己の幸福」×
    と「他人の完全性」×とを義務とすることはできないと述べている。その理由は
    次のように説明される。まず、「自己の幸福」はすべての人間が必ず欲するも
    のである。そして義務というのは「不承不承に採用された目的への強要」であ
    る。したがって「自己の幸福を義務づけられている」というのは自己矛盾に他
    ならない。また、「他人の完全性」を自己の目的とすることも矛盾している。
    何故なら「完全性」とは、義務について自分自身で目的を立てる能力があると
    いうことを意味する。だから「他人の完全性」とはその当人にしかできない。
    他人にしかできないことを「自己の目的」や「なすべき義務」とすることは自
    己矛盾でしかない(Kant1797=2002:249-250、『人倫の形而上学』)。
    www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/hum/h25/h2512.pdf

    ×他者の完全性↑     ↑自己の完全性○
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     ○他者の幸福 ←  → 自己の幸福×

    図:カントの徳論における徳福一致

    この図を説明すると、自分の道徳的完全性は結果として他人の幸福に資するが、
    幸福は完全性の物質的条件である(衣食足りて礼節を知る)ので、私の完全性は
    他者の完全性に間接的に貢献することになる。そして同じ論理で、他者の完全性
    から自分の幸福を期待することができる。
    http://www.systemicsarchive.com/ja/b/konstruktion.html

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  101. …徳の義務となりうる目的とはどういうものなのか。カントは、これを「自己の
    完全性」○と「他人の幸福」○であるとして、この二つを入れかえて「自己の幸福」
    と「他人の完全性」とを義務とすることはできないと述べている。その理由は
    次のように説明される。まず、「自己の幸福」はすべての人間が必ず欲するも
    のである。そして義務というのは「不承不承に採用された目的への強要」であ
    る。したがって「自己の幸福を義務づけられている」というのは自己矛盾に他
    ならない。また、「他人の完全性」を自己の目的とすることも矛盾している。
    何故なら「完全性」とは、義務について自分自身で目的を立てる能力があると
    いうことを意味する。だから「他人の完全性」とはその当人にしかできない。
    他人にしかできないことを「自己の目的」や「なすべき義務」とすることは自
    己矛盾でしかない(Kant1797=2002:249-250、『人倫の形而上学』)。
    www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/hum/h25/h2512.pdf

    ×他者の完全性↑     ↑自己の完全性○
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     ○他者の幸福 ←  → 自己の幸福×

    図:カントの徳論における徳福一致

    この図を説明すると、自分の道徳的完全性は結果として他人の幸福に資するが、
    幸福は完全性の物質的条件である(衣食足りて礼節を知る)ので、私の完全性は
    他者の完全性に間接的に貢献することになる。そして同じ論理で、他者の完全性
    から自分の幸福を期待することができる。
    http://www.systemicsarchive.com/ja/b/konstruktion.html

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  102. 伊藤博文も井上毅も山縣有朋もニュアンスは違えどドイツを手本にした。
    伊藤の学んだ有名なシュタインはもともとヘーゲル流派である。
    日本人としての彼らは立場的に王を殺して革命を遂行したフランスに学ぶわけにはいかなかった。イギリスは同じ島国だが覇権国家としてレベルが違いすぎた。

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  103. ヘーゲル学派とローレンツ・シュ タイン (Adobe PDF) -htmlで見る
    m-repo.lib.meiji.ac.jp/.../1/seikeironso_50_5-6_29.pdf
    シュタイン. へ~ゲル学派とローレンツ. ヘーゲルの学徒のなかで、 L ・ フォイエ ルバ ッ ハ が、 理論内容上で落最大の業績を残した哲学者で .... ォイェ ルバ ッ ハゃB ニハウアー のヘーゲル左派を媒介としながら、 無政府主義に到達したことを確認するだけに止めよ.


    Lorenz von Stein and Japan
    http://www2.nsysu.edu.tw/lorenzvonstein/steinjapan.html

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  104. http://www.liberalism.jp/j/meiji/meiji.html#A03
    日本の要人である陸奥宗光が、シュタインの講義を記録したノートに、シュタインの自由に対する考え方を見ることができます。(このノートは、シュタイン自身の校閲を受けているとされています)

    (C)行政の限界
    (1)〔第一に、〕どの個人も自己の独立の仕事について自由である。
    (2)第二に、国家の活動が、自由な個人の活動に取って代わることは決してできない。
    (3)しかし、行政のなすべきことの限界は、次の点に存する。すなわち、行政はその権力でもって個人の能力の代わりとなることを決してしてはならず、それは個人が自分たちの力では手にすることの出来ない発展の条件を彼らに提供することにのみ用いられなければならない。―したがって、この原理によって、行政の各部はその適切な限界を、そして各個人は自己の義務を見出す。―精神的、経済的などの私的な義務はいずれも、このようにして公的な義務となる。【欄外の書込み‥それ故、行政は決して富を与えてはならない。それが与えなければならないのは、そのための一般的条件のみである】…瀧井一博編・シュタイン国家学ノート 一三四頁

    権利は、人間の最たる本質のうちに根ざしており、その実現は個人の発展の最も根本的な条件である。もし人が他人の行為に対して守られていないならば、その人が自分のためになしうることのすべては、その時々の生存に限られることとなろう。そのような状況下では、何の発展もありえない。個人の権利の実現、特に生命と財産の権利の実現は、国家の誕生と同時に存在する行政の第一の必要条件である。これが故に司法部門がある。…瀧井一博編・シュタイン国家学ノート 一四一頁

    全体の中の一部なので、即断することは避けますが、少なくとも自由主義の要件に合致する次の点が数えられると思われます。

    ・個人の自由な活動を尊重すること
    ・個人の自由な活動が、他人によって妨げられてはならないこと
    ・国家の個人の自由に対する干渉は制限されなければならないこと
    ・個人の財産権の保障

    また、シュタインの『平等』に関する次の指摘も見られます。

    …つまるところ事物の本性上、平等なるものなど存在しない。他の何かと完全に同一であるものなど何もない。平等とは原理にしか過ぎず、事実ではない。…瀧井一博編・シュタイン国家学ノート 六頁

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  105. 自由の条件

    ハイエクは『自由の条件』に、次のように書いています。

     すなわち、ドイツでの実績は実践よりは理論において顕著なものがあった。しかしその意義は低く評価されてはならない。ドイツ人は自由主義の潮が訪れた最後の国民であった。その後、その潮は引きはじめた。しかし、かれらは西欧の経験のすべてをもっとも組織的に探求し消化し、かつ近代の行政国家の諸問題にたいしてその教訓を慎重に適用した国民であった。かれらが展開した法治国家の概念は法の支配の古き理念の直接の成果であり、その下では君主や立法府よりはむしろ精巧な行政装置が抑制さるべき主要な機関であった。かれらが展開した新しい概念は決してしっかりと根をおろさなかったけれども、ある面では継続的発展の最終段階をあらわしており、そして古い制度の多くのものよりはわれわれの時代の問題にはおそらくはよりよく適合している。現在、個人的自由にとっての主要な脅威は専門行政官の権力であるから、行政官を抑える目的をもってドイツで発展した制度はこれまで加えられてきた以上に注意深い検討に値する。(ハイエク『自由の条件』第二部一〇〇頁 気賀健三・古賀勝次郎訳)

    ヨーロッパと全く異なった歴史と文化を持った日本において、自由憲法を完成させた憲法学者たちの指導の下、全く新しく一から作り出された憲法は、まさに注目に値するものと言ってよいでしょう。

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  106. …徳の義務となりうる目的とはどういうものなのか。カントは、これを「自己の
    完全性」○と「他人の幸福」○であるとして、この二つを入れかえて「自己の幸福」
    と「他人の完全性」とを義務とすることはできないと述べている。その理由は
    次のように説明される。まず、「自己の幸福」はすべての人間が必ず欲するも
    のである。そして義務というのは「不承不承に採用された目的への強要」であ
    る。したがって「自己の幸福を義務づけられている」というのは自己矛盾に他
    ならない。また、「他人の完全性」を自己の目的とすることも矛盾している。
    何故なら「完全性」とは、義務について自分自身で目的を立てる能力があると
    いうことを意味する。だから「他人の完全性」とはその当人にしかできない。
    他人にしかできないことを「自己の目的」や「なすべき義務」とすることは自
    己矛盾でしかない(Kant1797=2002:249-250、『人倫の形而上学』)。
    www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/hum/h25/h2512.pdf

    3他者の完全性↑     ↑自己の完全性○1
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    2○他者の幸福 ←  → 自己の幸福4

    図:カントの徳論における徳福一致

    この図を説明すると、自分の道徳的完全性1は結果として他人の幸福に資するが、2
    幸福は完全性の物質的条件である(衣食足りて礼節を知る)ので、私の完全性は
    他者の完全性3に間接的に貢献することになる。そして同じ論理で、他者の完全性
    から自分の幸福4を期待することができる。
    http://www.systemicsarchive.com/ja/b/konstruktion.html

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  107. …徳の義務となりうる目的とはどういうものなのか。カントは、これを「自己の
    完全性」1と「他人の幸福」2であるとして、この二つを入れかえて「自己の幸福」4
    と「他人の完全性」3とを義務とすることはできないと述べている。その理由は
    次のように説明される。まず、「自己の幸福」はすべての人間が必ず欲するも
    のである。そして義務というのは「不承不承に採用された目的への強要」であ
    る。したがって「自己の幸福を義務づけられている」というのは自己矛盾に他
    ならない。また、「他人の完全性」を自己の目的とすることも矛盾している。
    何故なら「完全性」とは、義務について自分自身で目的を立てる能力があると
    いうことを意味する。だから「他人の完全性」とはその当人にしかできない。
    他人にしかできないことを「自己の目的」や「なすべき義務」とすることは自
    己矛盾でしかない(Kant1797=2002:249-250、『人倫の形而上学』)。
    www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/hum/h25/h2512.pdf

    3他者の完全性↑     ↑自己の完全性1
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     2他者の幸福 ←  → 自己の幸福4

    図:カントの徳論における徳福一致

    この図を説明すると、自分の道徳的完全性1は結果として他人の幸福2に資するが、
    幸福は完全性の物質的条件である(衣食足りて礼節を知る)ので、私の完全性は
    他者の完全性3に間接的に貢献することになる。そして同じ論理で、他者の完全性
    から自分の幸福4を期待することができる。
    http://www.systemicsarchive.com/ja/b/konstruktion.html

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  108. …徳の義務となりうる目的とはどういうものなのか。カントは、これを「自己の
    完全性」(1)と「他人の幸福」(2)であるとして、この二つを入れかえて「自己の幸福」(4)
    と「他人の完全性」(3)とを義務とすることはできないと述べている。その理由は
    次のように説明される。まず、「自己の幸福」はすべての人間が必ず欲するも
    のである。そして義務というのは「不承不承に採用された目的への強要」であ
    る。したがって「自己の幸福を義務づけられている」というのは自己矛盾に他
    ならない。また、「他人の完全性」を自己の目的とすることも矛盾している。
    何故なら「完全性」とは、義務について自分自身で目的を立てる能力があると
    いうことを意味する。だから「他人の完全性」とはその当人にしかできない。
    他人にしかできないことを「自己の目的」や「なすべき義務」とすることは自
    己矛盾でしかない(Kant1797=2002:249-250、『人倫の形而上学』)。
    www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/hum/h25/h2512.pdf

    3他者の完全性↑     ↑自己の完全性1
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     2他者の幸福 ←  → 自己の幸福4

    図:カントの徳論における徳福一致

    この図を説明すると、自分の道徳的完全性(1)は結果として他人の幸福(2)に資するが、
    幸福は完全性の物質的条件である(衣食足りて礼節を知る)ので、私の完全性は
    他者の完全性(3)に間接的に貢献することになる。そして同じ論理で、他者の完全性
    から自分の幸福(4)を期待することができる。
    http://www.systemicsarchive.com/ja/b/konstruktion.html

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  109. このようにカントには非対称性の認識があり、そこがカント哲学を現代的なものにしている。

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  110. …徳の義務となりうる目的とはどういうものなのか。カントは、これを「自己の
    完全性」(1)と「他人の幸福」(2)であるとして、この二つを入れかえて「自己の幸福」(4)
    と「他人の完全性」(3)とを義務とすることはできないと述べている。その理由は
    次のように説明される。まず、「自己の幸福」はすべての人間が必ず欲するも
    のである。そして義務というのは「不承不承に採用された目的への強要」であ
    る。したがって「自己の幸福を義務づけられている」というのは自己矛盾に他
    ならない。また、「他人の完全性」を自己の目的とすることも矛盾している。
    何故なら「完全性」とは、義務について自分自身で目的を立てる能力があると
    いうことを意味する。だから「他人の完全性」とはその当人にしかできない。
    他人にしかできないことを「自己の目的」や「なすべき義務」とすることは自
    己矛盾でしかない(Kant1797=2002:249-250、『人倫の形而上学』)。
    www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/hum/h25/h2512.pdf

    3他者の完全性↑     ↑自己の完全性1
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     2他者の幸福 ←  → 自己の幸福4

    図:カントの徳論における徳福一致

    この図を説明すると、自分の道徳的完全性(1)は結果として他人の幸福(2)に資するが、
    幸福は完全性の物質的条件である(衣食足りて礼節を知る)ので、私の完全性は
    他者の完全性(3)に間接的に貢献することになる。そして同じ論理で、他者の完全性
    から自分の幸福(4)を期待することができる。
    http://www.systemicsarchive.com/ja/b/konstruktion.html

    このようにカントには非対称性の認識があり、そこがカント哲学を現代的なものにしている。

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  111. …徳の義務となりうる目的とはどういうものなのか。カントは、これを「自己の
    完全性」(1)と「他人の幸福」(2)であるとして、この二つを入れかえて「自己の幸福」(4)
    と「他人の完全性」(3)とを義務とすることはできないと述べている。その理由は
    次のように説明される。まず、「自己の幸福」はすべての人間が必ず欲するも
    のである。そして義務というのは「不承不承に採用された目的への強要」であ
    る。したがって「自己の幸福を義務づけられている」というのは自己矛盾に他
    ならない。また、「他人の完全性」を自己の目的とすることも矛盾している。
    何故なら「完全性」とは、義務について自分自身で目的を立てる能力があると
    いうことを意味する。だから「他人の完全性」とはその当人にしかできない。
    他人にしかできないことを「自己の目的」や「なすべき義務」とすることは自
    己矛盾でしかない(Kant1797=2002:249-250、『人倫の形而上学』)。
    http://www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/hum/h25/h2512.pdf

    3他者の完全性↑     ↑自己の完全性1
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     2他者の幸福 ←  → 自己の幸福4

    図:カントの徳論における徳福一致

    この図を説明すると、自分の道徳的完全性(1)は結果として他人の幸福(2)に資するが、
    幸福は完全性の物質的条件である(衣食足りて礼節を知る)ので、私の完全性は
    他者の完全性(3)に間接的に貢献することになる。そして同じ論理で、他者の完全性
    から自分の幸福(4)を期待することができる。
    http://www.systemicsarchive.com/ja/b/konstruktion.html

    このようにカントには非対称性の認識があり、そこがカント哲学を現代的なものにしている。

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  112. カント倫理学における「幸福」──批判期以後の徳論から── 
    大竹 信行・堀口 久五郎
    http://www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/hum/h25/h2512.pdf

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  113. A 法則と義務の区分(理想社版全集第11巻p69より)


             分析的
            完全義務
             法 論  
    他         |        自
    者  二 2、7  | 一 1、5  分
    に  人間達の権利 | 人間性の   自
    対         | 内なる権利  身
    す_________|________に
    る  四   8  | 三   6  対        
    義  人間達の目的 | 人間性の   す
    務         | 内なる目的  る
              |        義
              |        務
             徳 論
            不完全義務
             総合的           →図

    図:カントの徳論における徳福一致

    2他者の幸福 ←  → 自己の幸福1
          |\  /|
          | \/ |
          | /\ |
    4     |/  \|     3
    他者の完全性↓     ↓自己の完全性

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  114. 図:カントの徳論における徳福一致

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
          |\  /|
          | \/ |
          | /\ |
    4     |/  \|↓    3
    他者の完全性      自己の完全性



    図:カントの徳論における徳福一致

    2他者の幸福 ←    自己の幸福4
          |\  /|
          | \/ |
          | /\ |
    3     |/  \|↓    1
    他者の完全性      自己の完全性

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  115. 2他者の幸福 ←    自己の幸福1D
    B     |\  /|
          | \/ |
          | /\ |
    4     |/  \|↓    3
    他者の完全性C→    自己の完全性A

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  116. 2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
          | \/ |
          | /\ |
    4     |/  \|↓    3
    他者の完全性C     自己の完全性A

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  117. 2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
          | \/ |
          | /\ |
    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

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  118. 道徳的問答教示法の断片は、自己の幸福から遡行し、自己の完全性の必要性の認識、すなわち義務の自覚に至る。

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  119. B2他者の幸福 ←    自己の幸福A
    2     |\  /|     4
          | \/ |
          | /\ |
    3     |/  \|↓    1
    D他者の完全性     自己の完全性C

    道徳的問答教示法の断片は、自己の幸福から遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

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  120. B他者の幸福 ←    自己の幸福A
    2     |\  /|     4
          | \/ |
          | /\ |
    3     |/  \|↓    1
    D他者の完全性     自己の完全性C

    道徳的問答教示法の断片は、自己の幸福から遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

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  121. 2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
          | \/ |
          | /\ |
    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

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  122. カントが晩年にコンスタンとの論争において著した著作『人間愛から嘘をつくという,誤って権利だ と思われるものについて』(1797 年,『虚言権』論文(1)と略記)では,嘘をついてはならないという厳格 な義務の主張がなされている。この主張はよく知られており,友人を救うという親切の義務における人 間愛よりも虚言禁止の義務の方が優先されている,として一般的には問題視され,受け入れがたく考え られている(2)。そして,この『虚言権』論文をめぐっては,研究史上にも近年に至るまで多くの論考が ある(3)。そうしたなかで,カントの考え方では,不完全義務より完全義務を優先するのだから,カント は,嘘をついてはならない,と厳格に主張したのだと理解されることが多い。このような理解には,そ れなりの理由があると思われる(4)。

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  123. (1)カントのこの著作は『嘘論文』というように略記されることが多い。これは,mendacium や Lüge を嘘, falsiloquium を虚言というように訳し分けるならば,厳密な略記だと言える。そうではあるが,この略記では 論文が嘘であるという意味にもとれなくはない。だから論者はかつて『虚言論』と略記したこともある。しか し,カントのこの論文はコンスタンとの論争でもあり,徳論における虚言の禁止にまで論究されていないので,
    『虚言論』と言うのでは範囲が広すぎるとも思える。そこで注目されるのは,次注(2)の滝浦静雄が,「虚言 権」論文というように略記していることである。これはカントの本論文の表題にある権利の語を生かしており, しかも権利にかかわる義務が問題の中心にあることを示す意味でよい表現だと思われる。本論稿ではこの表現 を採用することにして『虚言権』論文と略記する。なお「誤って権利だと思われるもの」は vermeintes Recht の訳語。岩波版のカント全集第 13 巻での谷田信一訳では「権利と称されるもの」,理想社版のカント全 集第十六巻での尾渡達雄訳では「誤った権利」というように訳されていて,vermeinen という原語の意味から の苦心の訳語だと思うが,ここではあえて「誤って~と思われる」というように訳してみた。
    (2)比較的最近では滝浦静雄『道徳の経験――カントからの離陸』南窓社,2004 年。とくに「4.「虚言権」論文 について」(36-44 頁)参照。

    カントの『虚言権』論文の問題 ―― 道徳的義務の両立について――
    菅沢龍文

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  124. たとえば、カントはこんな例をあげる。友人を狙う刺客に友人が家にいるか聞かれて、正直に「いる」といっても、たまたま友人はそっと家を抜け出して殺されずに済む可能性がある。また、刺客に対して友人は家にいないと言ったとしても、実際に友人は家にいないかもしれないが、たまたま友人が外出していて刺客と出くわし、殺されてしまうかもしれない。正直に言うか、うそをつくかはその結果とは因果関係にないのだから、誠実にうそをつかないことが正しい(「人間愛のために嘘をつく誤った権利について」(『カント全集』理想社第16巻「人類愛からの虚言」pp.215-224))。1797年

    http://home.kiui.ac.jp/~ootani/052103keio.htm


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  125. ハーバード白熱教室弟7回「嘘をつかない練習」Lecture13「嘘」の教訓 -gooブログ
    http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/2491e3ce071f999e5b03f9f3e06309a1

     この論点を別な方法で説明しよう。カントはこの説明で、『人倫の形而上学の基礎づけ』を締め括(くく)ったが、道徳性は、経験的なものではない、ということだ。
     
    この世界で何を見ようが、科学を通して何を発見しようが、道徳的な問題を判断をすることができない。道徳性は経験主義的なこの世界から、一定の距離を置いて存在している。

     それが科学が道徳的真理を導き出せない理由なのだ。

    ではカントの道徳理論をカントが提起した最も難しい状況で考えてみよう。

    人殺しが来たらどうするかだ。


    カントは嘘はいけないと言う。その理由については、話し合ってきたが、嘘をつくことは定言命法とは相入れないからだ。

     フランスの哲学者ベンジャミン・コンスタンは、『人倫の形而上学の基礎づけ』に対し論文を書き、

    「嘘をつくことを完全に禁止するのは間違っている。それれが正しいはずがない。」

    と述べた。もし殺人犯が、君の家に隠れている友達を捜して玄関に現れたらどうする。殺人犯から、単刀直入に「友達は家にいるのか?」と聞かれたら、どうする。

     哲学者コンスタンは、そんな場合であっても道徳的に正しいのは、真実を告げることだというのはおかしい、と述べた。コンスタンは、殺人犯は真実を告げられるには値しない、と主張した。

     それに対してカントはこう答えた。カントは、「嘘をつくのは間違っている。」という原則を譲らなかった。

     例え家にやってきた殺人犯に対しては、そしてそれが間違っている理由は、
    帰結を考慮に入れはじめると定言命法に例外を設けなければならなくなり、道徳の枠全体をあきらめることになってしまうからだ、と述べた。

     そうなれば帰結主義者か規則功利主義者になってしまう。しかし君たちの多く、そしてカントの読者の多くは、この答えには納得できないのではないかと思う。

     この点について私は、カントを弁護してみたい。そして君たちが、私の弁護を聞いて納得するかどうかをみてみたい。

     私はカントの弁護を、カント自身の道徳性の説明の精神の範囲内で、行ってみたい。

     さて、殺人犯が君の家の玄関にやって来て、「友だちはいるか?」と聞く。 君は、友だちをかくまっている。嘘をつかずに、かつ友達を売り渡さないで済む方法はあるだろうか?

     誰かいいアイディアがある人は? 君。

    女子学生 私だったら、かくまっている友達と前もって打ち合わせをしておいて、もし殺人犯が来たら「あなたがここにいる」て言っちゃうけれど、「逃げてね」と言っておきます。(会場笑い)でも選択肢の一つでしょう。

    サンデル教授 カントはその選択肢を選ぶかな。それはやはり嘘だ。

    女子学生 いいえ。友だちはまだ家にいます。後で出て行くけど。(会場笑い)

    サンデル教授 あ、そうか。よろしい。もう一人聞いてみよう。

    ジョン 友達がどこに居るか知らないと言ったらどうでしょう。友だちはクローゼットから出て行ったかも知れないから、どこにいるかわからない。

    サンデル教授 だから知らないと言ってもいいわけだ。君はその瞬間、クローゼットの中を覗いてはいないわけだから、それは嘘にはならない。

    ジョン そうです。

    サンデル教授 だから厳密に言えば真実だ。(会場笑い)

    ジョン はい。

    サンデル教授 だが、人を欺くような、誤解を招く言い方だよね?

    ジョン でも真実です。(会場笑い)

    サンデル教授 ジョン、結構。ジョンはいいところに気がついたかもしれない。ジョン。君は、賢く言い逃れるオプションを提示してくれた。それは厳密に言えば真実だ。

     ここでひとつ疑問が生じる。あからさまな嘘と、誤解を招くような言い方で述べられた真実との間に、道徳的な違いは、あるのかないのかという、疑問だ。

     カントの考え方からすると、嘘と誤解を招くように言い方で述べられた真実の間には、大きな違いがある。それはなぜか。両方とも同じ結果を生むかもしれないのに、なぜ違うのか。
     
     ここで思い出して欲しいのは、カントは道徳性の基礎を結果には置かない、ということだ。カントは、道徳性の基礎を道徳法則の形式的な遵守に置いている。

     さて、日常生活の中で私たちは嘘をついてはいけないという、ルールに、嘘も方便という例外を設けることがある。

     例えば、人の気持ちを傷つけないためにつく嘘は、嘘ではあるが、結果によって正当化されると私たちは考えるのだ。カントは嘘も方便には賛成はできないが、誤解を招くような真実には賛成できるかもしれない。

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  126. 《徳の定言命法》の体系


    小野原

    1 『徳論』における「定言命法」概念
    本研究は,カントの『人倫の形而上学』第二部 『徳論』を,《徳の定言命法》の体系として読み解 いていくことを目的とする。『徳論』についてバ ンハムは,「2 世紀のあいだずっと無視されてき たあげく,近年になってやっと批判的注目を集め るようになってきた」と述べている(1)。たしかに 欧米においても日本においても,『人倫の形而上
    学の基礎づけ』や『実践理性批判』ばかりでなく, 『徳論』に即してカント倫理学の本来の姿を捉え
    ようとする研究が散見されるようになってきた(2)。 例えばヒルは,『基礎づけ』や『実践理性批判』 は原理的な問題を確立するために例示的に規範を 示していたにすぎず,『徳論』によって初めてカ ントの規範的倫理学の全貌が明らかにされたのだ と言う(3)。 ただし,最新の諸研究においても『徳論』その ものを《徳の定言命法》の体系として解釈しよう とする試みは見出されない。研究者によって相違 はあるものの,『徳論』を語る際に「定言命法」 という語がそもそもそれほど使用されていない。 それはゆえなきことではない。というのも,カン ト自身,『徳論』において「定言命法」という概 念をほとんど使っていないからである。はっきり と「定言命法」という言い方で用いられているの は著作中たった 7 箇所だけである(4)。しかもそれ らはすべて「徳論の序文」と「徳論への序論」に 集中していて,『徳論』本論においては一度も使 用されていないのである。しかも,『徳論』固有 の定言命法の意味で使われているものとなると, さらにその数は限定されることになる。『法論』 を《法の定言命法》の体系として読み解くことが 難しかったのと同様,カントの直接の言明に従う
    小野原 雅 夫
    ならば,『徳論』もまた《徳の定言命法》の体系 として読み解くこと



    徳的完全性が毀損されることを防いでいるのであ
    る(Vgl. VI420)。このような完全義務が遵守され
    た上で,次節で論じるような道徳的完成への道が
    開けてくるのである。
    以上のような,自然的完全性ならびに道徳的完
    全性の保持を命ずる 2 種類の自己自身に対する完
    全義務は,『徳論』本論の冒頭に置かれることに
    なった。いずれも完全なる遵守が要求される消極
    的義務,不作為義務であるので,実行に当たって
    配慮すべき問題が生じてくるということは本来で
    あれば考えにくいはずである。しかしながら,カ
    ントはこの完全義務の各項目に「決疑論的問題
    kasuistische Fragen」を付加した。これは,カント
    自身の立場からするならば逸脱にも思われるが(14),
    事柄自体に即していえば慧眼であったと言えるだ
    ろう。義務の衝突の問題は完全義務と不完全義務
    を区別することによっても解消されえないし,ま
    た,たとえ(完全義務としての)定言命法が与え
    られたとしても,現実の場面でどう行為したらい
    いかは一義的に決定されえないのである。カント
    が『徳論』において論じた「決疑論的問題」は, (VI392)である。これは《批判倫理学》がずっと
    自然的諸力(精神の,魂の,肉体の力)をあらゆ
    る可能な目的に対する手段として育成すること (開発 cultura)」(VI444)である。精神と魂と肉
    体の力というのはわかりにくい言い方であるが, カントの例示から察するに,理性的な知性の力, 経験によって獲得される様々な知識,道具を使い こなす身体能力を指すものと思われる(VI445)。 これらの能力を鍛え,「実用的な見地において自 分の生存目的にふさわしい人間となること」が「道 徳的実践理性の命令」である(ibid.)。これは, それが私たちにもたらす利益とは関係なく,した がって「条件つきの(実用的)命法」ではなく「無 条件的な(道徳的)命法」である(VI391)。カン トはこの義務を次のような命法の形で示してい る。「君が出会いうるあらゆる目的に対して役立 つよう,君の心身の諸能力を開発せよ」(VI392)。 これに対して,道徳的完成とは,たんに義務に 適っているばかりでなく,義務にもとづいて義務 を遵守する心情や動機の純粋性をめざすことであ る。言い換えれば「私たちの内なる道徳性の開発」


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  127. 「無 条件的な(道徳的)命法」である(VI391)。カン トはこの義務を次のような命法の形で示してい る。

    「君が出会いうるあらゆる目的に対して役立つよう,君の心身の諸能力を開発せよ」(VI392)。

    これに対して,道徳的完成とは,たんに義務に 適っているばかりでなく,義務にもとづいて義務 を遵守する心情や動機の純粋性をめざすことであ る。言い換えれば「私たちの内な

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  128. Kants Abhandlung:
    Über ein vermeintes Recht aus Menschenliebe zu lügen

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  129. http://www.zeno.org/Philosophie/M/Kant,+Immanuel/%C3%9Cber+ein+vermeintes+Recht+aus+Menschenliebe+zu+l%C3%BCgen

    Immanuel Kant

    Über ein vermeintes Recht aus Menschenliebe zu lügen

    In der Schrift: Frankreich im Jahr 1797, Sechstes Stück, Nr. I: Von den politischen Gegenwirkungen, von Benjamin Constant, ist Folgendes S. 123 enthalten.
    »Der sittliche Grundsatz: es sei eine Pflicht, die Wahrheit zu sagen, würde, wenn man ihn unbedingt und vereinzelt nähme, jede Gesellschaft zur Unmöglichkeit machen. Den Beweis davon haben wir in den sehr unmittelbaren Folgerungen, die ein deutscher Philosoph aus diesem Grundsatze gezogen hat, der so weit geht zu behaupten: daß die Lüge gegen einen Mörder, der uns fragte, ob unser von ihm verfolgter Freund sich nicht in unser Haus geflüchtet, ein Verbrechen sein würde.1«


    Der französische Philosoph widerlegt S. 12

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  130. http://gakumonjo.blogspot.jp/2012/12/blog-post.html

    君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、いつでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し決して単なる手段として使用してはならない。(『道徳形而上学原論』篠田英雄訳 岩波文庫p.103)



    このくだりは、「他人を手段として利用するのではなく目的として敬意をもって接せよ」というような内容として読まれることが多い。私もまあ、どちらかといえばそんな風に思っていた。だが柄谷によればこの読み方は誤りなのだ。カントは「手段として使用するな」とは言っていないのである。「手段として使用する」のと同時に「目的としても使用せよ」と言っているのだ。よくよく読み返すと、確かにそう書いてあるではないか。だから誤訳というわけではない。だが、やっぱり「手段として使用してはならない」という部分が目立っている。



    この部分、原文ではこうである。(ドイツ版wikipedia “Kant“の項より。コピペですみません。)



    Menschheitszweckformel: „Handle so, daß du die Menschheit sowohl in deiner Person, als in der Person eines jeden andern jederzeit zugleich als Zweck, niemals bloß als Mittel brauchst.“ (Immanuel Kant: AA IV, 429)



    主な単語の意味を記しておく。 die Menschheit:人類、人間性、sowohl...als...:…も…も、jederzeit:いつでも、常に、zugleich:同時に、der Zweck:目的、niemals:決して~ない、bloß:ただ~だけ、das Mittel:手段、brauchen:必要とする、用いる。



    折角だから直訳してみる。



    人間性目的公式:「かくの如く振舞え。君は、君の人格においても、他のいかなる人の人格においても、人間性を、決して単に手段としてではなく、常に同時に目的として、用いるように。」



    『トランスクリティーク』で採用されている訳はこうなっている。



    君の人格ならびにすべての他者の人格における人間性を、けっしてたんに手段としてのみ用いるのみならず、つねに同時に目的として用いるように行為せよ。(『トランスクリティーク』p189より)



    柄谷は、このくだりにカントとマルクスとの接合点を見出す。本書の中でも印象深い一節だ。



    (略)ヘルマン・コーエンが注意したように、カントがここで「のみならず」といっていることが重要である。

    カントは生産と生産関係を前提している。(中略)カント的倫理学が軽蔑されがちなのは、「のみならず」を「でなく」と読んできたからである。(中略)コミュニズムは、他者を手段としながら、なお且つ他者を目的として扱うような社会でなければならない。(中略)カントの言葉をもじっていえば、経済的基盤をもたないコミュニズムは空疎であり、道徳的基盤をもたないコミュニズムは盲目である。(pp.189-190)

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  131. 「汝の人格の中にも他のすべての人の人格の中にもある人間性を、汝がいつも同時に目的として用い、決して単に手段としてのみ用いない、というようなふうに行為せよ」。

    中公訳

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  132. 君は、みずからの人格と他のすべての人格のうちに存在する人間性を、いつでも、同時に目的として使用しなければならず、いかなる場合にもたんに手段として使用してはならない。

    中山訳

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  133. 『道徳形而上学の基礎づけ』 解説 
    目次

    序論 哲学の分類/本書の課題/純粋な道徳哲学のための条件/純粋な原理の必要性/『道徳形而上学の基礎づけ』の位置/本書の構成

    第一章 道徳にかんする普通の理性認識から、哲学的な理性認識へと進む道程
     第一節 善い意志の概念 善とは/善い意志/善の定義と善い意志/最高善
     第二節 理性と善 目的論から見た理性の役割/理性の真の役割
     第三節 義務の概念 義務の概念の必要性/義務に適った行為と義務に基づいた行為の実例による区別/義務が適用される理性的な存在者/義務に基づいた行動の四つの実例/自殺の否定──自分自身への完全義務/他者への親切──他者への不完全義務/自己の幸福の追求──自分自身への不完全義務/隣人愛──他者への完全義務の変形として
     第四節 道徳性と行動原理 義務と意志についての第二命題/行為の結果の無視/行動原理の概念/法則と原理の違い/第三の命題/尊敬について/尊敬に値するもの/法則の三つの特徴/道徳性の法則の命題/虚偽の約束の実例/羅針盤としての原理

    第二章 通俗的な道徳哲学から道徳形而上学へと進む道程
     第一節 実践哲学の必要性 弁証論の発生/道徳形而上学の必要性/経験的な実例の不十分さ/道徳法則の普遍性と必然性/通俗的な道徳哲学と道徳形而徳形而上学の違い
     第二節 行為の客観的な原理としての命法とその分類 実践理性とは/命法とは/仮言命法と定言命法/仮言命法の分類/定言命法
     第三節 三つの命法の可能性の予備的な考察 熟練の命法の可能性/抜け目のなさの命法の可能性/定言命法の可能性
     第四節 定言命法の表現方式 定言命法の表現方式/五つの定言命法
      第一項 第一の定式 第一の定言命法/他者の立場になって考える/第二の表現方式/目的論的な自然/義務の分類/自殺の実例──自分自身への完全義務/虚偽の約束の実例──他者への完全義務/才能を放置する人の実例──自分自身への不完全義務/他人への援助の否定の実例──他者への不完全義務/二つの基準/第一定式の形式的な表現方式の重要性
      第二項 第二の定式 第三の表現方式への移行/四つの義務の実例
      第三項 第三の定式 第三の定式/第四の表現方式/自律と他律/第五の表現方式/目的の国とは/目的の国に参加する資格/定言命法の統合/自然の国/道徳性と幸福の逆説
      第四項 自律と他律 自律の原理/他律の原理

    第三章 道徳の形而上学から純粋な実践理性の批判へと進む道程
     第一節 自由と自律 自由の概念
     第二節 自由と道徳性 すべての理性的な存在者の特性である自由/三つの難問/自由の循環論法
     第三節 叡智界の概念 二世界論/自律と他律の区別/循環論の解消  第四節 残された課題 定言命法の可能性/理性の弁証論/弁証論の解決/悪人の窮地/「ほんらいの自己」と自由/理性の越権/残された課題



    光文社中山解説目次

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  134. http://nam-students.blogspot.jp/2010/09/blog-post_5252.html?m=1#98


    道徳形而上学原論
    (1785年 - 『人倫の形而上学の基礎付け』Grundlegung zur Metaphysik der Sitten)
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    |__________第一章__________|___________|___________|
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    |           |           |           |           |
    |           |           |           |           |
    |  普通の道徳から  |    哲学へ    |           |           |
    |           |           |           |           |
    |           |           |           |           |
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    |           |           |           |           |
    |           |           |           |   仮言的命法   |
    |           |           |           |   蓋然的     |
    |           |           |           |           |
    |           |           |           |           |
    |__________第三章__________|__________第二章__________|
    |           |           |           |           |
    |           |           |           |           |
    |           |           |           |           |
    |  実践理性批判へ  |  道徳形而上学から |    仮言的命法  |   定言的命法   |
    |  自由       |  自律       |    実然的    |   画然的☆    |
    |           |           |           |           |
    |           |           |           |           |
    |___________|___________|___________|___________|

    (カント自身が明言するように、批判書とは論理展開が逆である。)


    「君の人格ならびにすべての他者の人格における人間性を、けっしてたんに手段としてのみ用いるのみならず、つねに同時に目的[=自由な主体]として用いるように行為せよ」
    (岩波文庫103頁、定本『トランスクリティーク』181頁)

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  135. 人倫の
    中公目次

    目  次
    序言
    第一章 通常の道徳的理性認識から哲学的な道徳的理性認識への移り行き
    第二章 通俗的道徳哲学から人倫の形而上学への移り行き
    道徳の最高原理としての意志の自律
    道徳のあらゆる不純な原理の源泉としての意志の他律
    他律の根本概念を前提するとき生じうるあらゆる道徳原理の区分
    第三章 人倫の形而上学から純粋実践理性批判への移り行き
    自由の概念は意志の自律の説明のための鍵である
    自由はあらゆる理性的存在者の意志の特質として前提されねばならない
    道徳の理念にともなう関心について
    定言的命法はいかにして可能であるか
    あらゆる実践哲学の最後の限界について

    結論

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  136. 人倫の
    中公目次

    目  次

    序言

    第一章 通常の道徳的理性認識から哲学的な道徳的理性認識への移り行き

    第二章 通俗的道徳哲学から人倫の形而上学への移り行き
    道徳の最高原理としての意志の自律
    道徳のあらゆる不純な原理の源泉としての意志の他律
    他律の根本概念を前提するとき生じうるあらゆる道徳原理の区分

    第三章 人倫の形而上学から純粋実践理性批判への移り行き
    自由の概念は意志の自律の説明のための鍵である
    自由はあらゆる理性的存在者の意志の特質として前提されねばならない
    道徳の理念にともなう関心について
    定言的命法はいかにして可能であるか
    あらゆる実践哲学の最後の限界について

    結論

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  137. 人倫の
    中公目次

    目  次

    序言

    第一章 通常の道徳的理性認識から哲学的な道徳的理性認識への移り行き

    第二章 通俗的道徳哲学から人倫の形而上学への移り行き
     道徳の最高原理としての意志の自律
     道徳のあらゆる不純な原理の源泉としての意志の他律
     他律の根本概念を前提するとき生じうるあらゆる道徳原理の区分

    第三章 人倫の形而上学から純粋実践理性批判への移り行き
     自由の概念は意志の自律の説明のための鍵である
     自由はあらゆる理性的存在者の意志の特質として前提されねばならない
     道徳の理念にともなう関心について
     定言的命法はいかにして可能であるか
     あらゆる実践哲学の最後の限界について

    結論

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  138. 人倫の形而上学の基礎づけ
    野田又夫訳
    中公目次

    目  次

    序言

    第一章 通常の道徳的理性認識から哲学的な道徳的理性認識への移り行き

    第二章 通俗的道徳哲学から人倫の形而上学への移り行き
      道徳の最高原理としての意志の自律
      道徳のあらゆる不純な原理の源泉としての意志の他律
      他律の根本概念を前提するとき生じうるあらゆる道徳原理の区分

    第三章 人倫の形而上学から純粋実践理性批判への移り行き
      自由の概念は意志の自律の説明のための鍵である
      自由はあらゆる理性的存在者の意志の特質として前提されねばならない
      道徳の理念にともなう関心について
      定言的命法はいかにして可能であるか
      あらゆる実践哲学の最後の限界について

      結論

    返信削除

  139. http://yebisu38.blog25.fc2.com/blog-entry-150.html
    ☆ カントの自由の概念
    自由に行動すること
     = 自律的に行動すること
     = 自分自身で与える法則に従って行動すること

    自由に行動することは、与えられた目的のために行動することはなく、
    目的自体のために、目的を選ぶことである。

    人を目的そのものとして尊重せず、手段として使う功利主義は間違っている。

    自由に行動する能力が、人間の生命に特別な尊厳を与えている。



    何が行動に道徳的価値を与えるのか。

    行動を道徳的に価値のあるものにするには、
    動機、意思の質、そして、行為がなされる意図である。

    ☆ カントの道徳性の概念
    行為の道徳性価値は動機に基づく
    (正しい行いを正しい理由のためにする)

    善意はその結果や成果のために善いものになるのではない。それ自体が善いものだ。
    最高の努力をもってしても、何も達成しない場合でも
    善意はそれ自体が全き価値を持つものとして、宝石のように光り輝く

    行為に道徳的価値を与える唯一の動機は、「義務の動機」である。

    何らかの道徳法則に従うには、インセンティブが必要である。



    何に基づいて行動するのか

    ☆ カントの3つの対比
    「道徳性」 動機 : 義務 VS 傾向性 (本能的な衝動や欲望)
    「自由」   意志の決定 : 自律的 VS 他律的 (欲望に従って行動すること)
    「理性」   命法 : 定言命法 VS 仮言命法

    もし行為が単に別の何かのための手段としてのみ善いのであれば、命法は仮言的である。
    行為がそれ自体において善いと示され、
    それゆえそれが理性と一致している意思のために必要であるなら、命法は定言的である。

    定言命法
    1.普遍的法則の定式
      同時に、普遍的法則となることを意思しうるような格率に従ってのみ行為せよ
      格率…人がそれに従って行動する原則、原理

    2.目的としての人間性の定式
      存在そのものが絶対的な価値を持つもの、

    返信削除

  140. http://yojiseki.exblog.jp/11924399/
    正義の女神 テミス
    日本でも勝利の女神は一般的だが、、、


    ダブリンにある正義の女神テミス像 Lady Justice at Dublin Castle.

    テミス(Θέμις、Themis)は、ギリシア神話の法・掟の女神である。ヘーシオドスによれば、ウーラノス(天)とガイア(大地)の娘で、ティーターンの一人である。テミスとは古代ギリシア語で「不変なる掟」の意味であり、この名の擬人神である。
    (以上wikiより)


    ギリシア時代には剣と目隠しはなく、特に目隠しするのは16世紀以降のようである(タロットの図像も起源は中世以降で比較的新しいそうだ)。
    剣がいつ頃から追加されたのか興味があるところだ(考えてみれば右手に剣を持って正確に測量できるわけがない??)。





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    Commented by Yoji at 2011-02-28 18:11 x

    カントは人倫の形而上学で正義の女神をもちだし、死刑を肯定している。

    刑罰の種類とその重さを決定する為に、公共の正義が原理と基準にするものは何でしょうか?それは正義の女神が持つ天秤のように、傾くことがない平等(相等性)という原理以外にはありません。




    ただし、名誉を動機とする殺人には、立法側に課題があるとする。

    この難問は次のように解決するべきです。つまり刑罰の正義の定言命法(法に反して他の人を殺害すれば、死刑に処さなければならない)はそのままとします。しかし名誉という動機は社会が意図する「殺人は死刑」という処置と釣り合っているとは言えそうにありません。つまり国家が求める公的正義は、社会に由来する正義から見れば不当であるということになります。この不一致の責任は、社会に野蛮で啓発されないところが残されているかぎり、立法が負うことになるのです。


    参考:
    ttp://blog.livedoor.jp/aphros67/lite/archives/51239489.html
    名前 :
    URL :



    デリダは秤をテクスト内部に持つ

    返信削除
  141. だから脱構築は正義なのだ

    返信削除
  142. 法の力

    方の内と外が脱構築される

    返信削除
  143. プルードンの場合、
    正義は二種類ある
    教会/革命

    の正義

    後者は双務的
    会計上のものでもある

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  144. カント
    人倫の形而上学第一部二章三節 婚姻権
    性的共同態はある人間が他の人間の生殖器及び性的能力についてなす
    相互的な使用であって、それは自然的な使用[これによって、
    同人と類似なものが産出される]か不自然な使用であるかのいずれかであり…

    返信削除


  145. 「自由[他人の強制的な選択意志からの独立性]こそは、それが普遍的法則に従ってあらゆる他人の自由と調和しうるものである限りにおいて、その人間性のゆえに、万人に帰属する、この唯一の根源的な権利である。」363


    1979b:加藤新平/三島淑臣訳「人倫の形而上学第一部法論の形而上学的基礎論」,前掲『世界の名著39カント』。363頁


    ツガン=パラノフスキー唯物史観の改造末尾で引用
    邦訳は出典を言論にしているが間違い

    返信削除



  146. 「自由[他人の強制的な選択意志からの独立性]こそは、それが普遍的法則に従ってあらゆる他人の自由と調和しうるものである限りにおいて、その人間性のゆえに、万人に帰属する、この唯一の根源的な権利である。」363


    「生得の権利は唯一である」冒頭
    (目次参照)

    1979b:加藤新平/三島淑臣訳「人倫の形而上学第一部法論の形而上学的基礎論」,前掲『世界の名著39カント』。363頁


    ツガン=パラノフスキー唯物史観の改造末尾で引用
    邦訳は出典を言論にしているが間違い

    返信削除

  147. > 第三手稿
    > 〔ヘーゲルの弁証法と哲学一般の批判〕
    >  一例をあげよう。ヘーゲルの『法の哲学』においては、
    揚棄された私有財産は道徳にひとしく、
    揚棄された道徳は家族にひとしく、
    揚棄された家族は
    > 市民社会にひとしく、
    揚棄された市民社会は国家にひとしく、
    揚棄された国
    > 家は世界史にひとしい(58)。現実においては私法・道徳・家族・市民社
    > 会・国家等々はあいかわらず存続している。ちがった点といえば、それらが
    > 契機になったということにあるにすぎない。すなわち、孤立させたら妥当性
    > を欠いてしまい、たがいに他を解体したり産出したりする人間の現存態ない
    > し存在様式に、それらがされたというこの点にとどまる。運動の契機。
    >
    > 58 以上は『法の哲学』に登場する主要なカテゴリーを、その順序のまま
    > に書きしるしたものである。

     『法の哲学』
                   /世界史
                  /__\
                 /\国家/国際法
                国内法\/__\
               /<倫理=共同世界>       
             教育と解体   福祉行政と職業団体
             /\家族/\   /\市民/\
            /婚姻\/資産\ /欲求\/司法\
           /\               /\
          /__\   <客観的精神>   /__\
         不法に対する           /\善と良心 
        /__\/__\         /__\/__\
       /\ <法>  /\       /\  <道徳> /\
      /__\    /__\     /__\     /__\
     /\所有/\  /\契約/\   /企図と責任   /\意図と福祉 
    /(私有財産)\/__\/__\ /__\/__\ /__\/__\
                 

    返信削除

  148. http://makorin.blog.jp/archives/52113500.html
    2017年07月05日
    マルクス「経済学—哲学手稿」

    マルクス「経済学—哲学手稿(1)」
    『世界の大思想2—4 マルクス 経済学・哲学論集』(三浦和男訳、河出書房)

    1 『一八四四年の経済学―哲学手稿』マルクスのこの労作は三つの手稿というかたちでわれわれにのこされている。そしてそれらのおのおのにはそれぞれ独自のページづけが(ローマ数字で)ほどこされている。第二手稿のばあいは、わずかに最後の四(XL—XLIII)ページが保存されているにすぎない。第一手稿の二七ページのおのおのは二本のたて棒によって三つの欄(コラム)にわかたれ、各ページのおのおのの欄のうえには、題目「労働賃金」「資本利潤」「地代」が冠されている。一七ページ以降はもっぱら「地代」と冠された欄にだけテキストが記入されている。そして二二ページ以降、第一手稿の最後にいたるまで、マルクスは前部にだされた題目など眼中になく、三つの欄いっぱいに書いている。この版においては(本訳書のばあいも同様)、これら六ページのテキスト(XXII—XXVII)は、編者による題目「疎外された労働」のもとにかかげられている。第三手稿のうちには、マルクス自身によりページづけをほどこされ、二つの欄にしきられた大判の四三ページがふくまれている。第三手稿の最後の部分(XXXIX—XL)に序文が書かれている。これはこの版(本訳書もおなじ)においては、第一手稿のテキストにさきだつ最前部におかれた。
     マルクスの労作の表題および〔……〕におさめられた手稿各部の題目は、マルクス・レーニン主義研究所の手になるものである。手稿の各


     マルクスの労作の表題および〔……〕におさめられた手稿各部の題目は、マルクス・レーニン主義研究所の手になるものである。手稿の各部分の配列は、前部におかれた序文と、序文におけるマルクスの指示にしたがって末尾におかれた一章「ヘーゲルの弁証法と哲学一般の批判」とをのぞいては、マルクスが書きおろした順序にしたがっている。〔ロシア語版注〕

    第三手稿
    〔ヘーゲルの弁証法と哲学一般の批判〕
     一例をあげよう。ヘーゲルの『法の哲学』においては、揚棄された私有財産は道徳にひとしく、揚棄された道徳は家族にひとしく、揚棄された家族は市民社会にひとしく、揚棄された市民社会は国家にひとしく、揚棄された国家は世界史にひとしい(58)。現実においては私法・道徳・家族・市民社会・国家等々はあいかわらず存続している。ちがった点といえば、それらが契機になったということにあるにすぎない。すなわち、孤立させたら妥当性を欠いてしまい、たがいに他を解体したり産出したりする人間の現存態ないし存在様式に、それらがされたというこの点にとどまる。運動の契機。

    58 以上は『法の哲学』に登場する主要なカテゴリーを、その順序のままに書きしるしたものである。

    返信削除
  149. マルクス全集40
    1837年11月の父への手紙に
    カント法学を勉強して間違えたとある
    学生時代
    マルクスはカント哲学と近かった

    返信削除
  150. 岩波文庫
    道徳哲学は

    徳論のみ?

    返信削除
  151. 岩波全集250頁
    V 227
    C 196
    Vこれら二つの概念の解明
    A 自己の完全性
     完全性という言葉は、多くの誤解にさらされている。時にこの言葉は、超越論的哲学 に属する概念として、まとめられ一つの事物を構成する多様なるものの全体性と理解され、〜〜しかしまた、目的論に属する概念として、ある事物の性質がある目的に一致していることを意味するとも理解されている。第一の意味での完全性を量的(実質的)完全性、第二の意味での完全性を質的(形式的)完全性と名づけることができよう。量的完全性はただ一つしかありえない(なぜなら、一つの事物に属するものの全体は唯一であるから)。しかし質的完全性については、一つの事物に多数ありうるし、そして本来ここで論じられるのも、後者の完全性についてである。
     人間一般(本来は人間性) に属する完全性について、これを自分の目的とすることは、それ自身における義務であ
    るといわれる場合、この完全性は、人間の行為 の結果でありうるものに求められねばならず、単に自然の賜物にす
    ぎぬものに求められてはならない。なぜなら、そうしないと完全性は義務ではないことになってしまうからである。
    それゆえその完全性とは、自己の能力(あるいは自然素質) の開発にほかならない。そしてこの能力の中では、概念
    の能力であり、したがって義務にかかわる概念の能力でもある悟性が、最上のものである。しかもその完全性は同
    時に、すべての義務一般を満足するという自己の意志(人倫的心情) の開発でもある。H 人間の粗野な本性、すな
    わち動物性(quoad actum 行為に関しての)を脱し、人間だけがそれによって自分で目的を立てることの できる人 研
    間性にまで、向上するようよりいっそう努め、また、自分の無知を教育によって補い、自分の誤りを正すというり
    ..
    と、これは人間にとっての義務である。そしてこの ことは、人間!

    返信削除

  152. 『人倫の形而上学』は、理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古い。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
          | \/ |
          | /\ |
    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。



    ヘーゲルの法の哲学と比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。

    返信削除

  153. …徳の義務となりうる目的とはどういうものなのか。カントは、これを「自己の
    完全性」(1)と「他人の幸福」(2)であるとして、この二つを入れかえて「自己の幸福」(4)
    と「他人の完全性」(3)とを義務とすることはできないと述べている。その理由は
    次のように説明される。まず、「自己の幸福」はすべての人間が必ず欲するも
    のである。そして義務というのは「不承不承に採用された目的への強要」であ
    る。したがって「自己の幸福を義務づけられている」というのは自己矛盾に他
    ならない。また、「他人の完全性」を自己の目的とすることも矛盾している。
    何故なら「完全性」とは、義務について自分自身で目的を立てる能力があると
    いうことを意味する。だから「他人の完全性」とはその当人にしかできない。
    他人にしかできないことを「自己の目的」や「なすべき義務」とすることは自
    己矛盾でしかない(Kant1797=2002:249-250、『人倫の形而上学』)。
    http://www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/hum/h25/h2512.pdf

    3他者の完全性↑     ↑自己の完全性1
           |\  /|
           | \/ |
           | /\ |
           |/  \|
     2他者の幸福 ←  → 自己の幸福4

    図:カントの徳論における徳福一致

    この図を説明すると、自分の道徳的完全性(1)は結果として他人の幸福(2)に資するが、
    幸福は完全性の物質的条件である(衣食足りて礼節を知る)ので、私の完全性は
    他者の完全性(3)に間接的に貢献することになる。そして同じ論理で、他者の完全性
    から自分の幸福(4)を期待することができる。
    http://www.systemicsarchive.com/ja/b/konstruktion.html

    このようにカントには非対称性の認識があり、そこがカント哲学を現代的なものにしている。

    返信削除

  154. カントによれば、目的は実質的、義務は形式的なものである。

             実 質
             目 的
              |        
       他者の幸福  | 
              | 
              |
    他_________|________自
    者         |        己
              |    
              | 自己の完全性  
              |        
              |        
             義 務
             形 式

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。追記:ゲーム理論ではまず出てこない利得表。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。

    返信削除


  155. 『人倫の形而上学』は、理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古い。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
          | \/ |
          | /\ |
    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。


    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。ゲーム理論ではまず出てこない利得表だ。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。



    ヘーゲルの法の哲学と比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。

    返信削除
  156.                (カント:インデックス、→リンク:::::::)
    カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)→目次、図

    『人倫の形而上学』は、理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古い。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    岩波全集250頁:
     V これら二つの概念の解明
    A 自己の完全性
     完全性という言葉は、多くの誤解にさらされている。時にこの言葉は、超越論的哲学 に属する概念として、まとめられ一つの事物を構成する多様なるものの全体性と理解され、〜〜しかしまた、目的論に属する概念として、ある事物の性質がある目的に一致していることを意味するとも理解されている。第一の意味での完全性を量的(実質的)完全性、第二の意味での完全性を質的(形式的)完全性と名づけることができよう。量的完全性はただ一つしかありえない(なぜなら、一つの事物に属するものの全体は唯一であるから)。しかし質的完全性については、一つの事物に多数ありうるし、そして本来ここで論じられるのも、後者の完全性についてである。

    B 他人の幸福


    図解としては、
    1法(権利、量)→2徳(目的、質)
    が正しい。

    第1部 
    法論 序文/序論(区分)
     1部 私法
        1章(所有?)
        2章(物件/債権)
        3章(契約)
     2部 公法
        1節 国家法
        2節 国際法
        3節 世界公民法

    第2部 
    徳論 序文/序論(区分)
    第1篇 原理論
        1部 自分自身へ
           1巻 完全義務
           2巻 不完全義務
        2部 他人へ
    第2篇 方法論(教授論)
     ___________
    |     |     |     
    |     法     |     
    | 人倫  |     |     
    |_____|_____|
    |     |     |
    |     徳     |    
    |     |     |     
    |_____|_____|
    あるいは、

     ___________
    |     |     |     
    | 1法  | 2徳  |     
    |     |     |     
    |_人倫__|_____|
    |     |     |
    |     |     |    
    |     |     |     
    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)
    あるいは、

     ___________
    |     |     |     
    | 2徳  | 1法  |     
    |   目的|   権利|     
    |_人倫__|_____|
    |     |     |
    |     |     |    
    |     |     |     
    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)


    参考:
    ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)

    第1部 抽象的な権利ないし法(自分のものとしての所有;契約;不法)
    第2部 道徳
      企図と責任
      意図と福祉
      善と良心
    第3部 人倫態
    1家族 
      婚姻
      家族の資産
      子供の教育と家族の解消
    2市民社会
      欲求の体系
      司法
      ポリツァイとコルポラツィーオーン)
    3国家 
      国内法 
      国際法
      世界史)

           /\
          /  \
         / 人倫 \
        /______\
       /\      /\
      /  \    /  \
     / 法  \  / 道徳 \
    /______\/______\


    カントと違い、ヘーゲルは人倫という共同体の習俗を普遍的な命題と捉えて固定化した。
    →ネット上で公開されている木村靖比古の諸論考が参考になる。

    返信削除
  157. カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)は、理想社全集#11、岩波全集200#11、
    中公世界の名著#32に所収。岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古い。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
          | \/ |
          | /\ |
    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。ゲーム理論ではまず出てこない利得表だ。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。



     ___________
    |     |     |     
    | 1法  | 2徳  |     
    | 人倫  |     |     
    |____カント____|
    |     |     |
    |     |     |    
    |     |     |     
    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)

    ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)と比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。



           /\
          /  \
         / 人倫 \
        /______\
       /\      /\
      /  \ヘーゲル/  \
     / 法  \  / 道徳 \
    /______\/______\

    返信削除
  158. https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hnnj2l&view=1up&seq=333

    返信削除
  159. https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hnnj2l&view=1up&seq=68

    返信削除
  160. https://catalog.hathitrust.org/Record/009708634
    Die metaphysik der sitten.
    Description
    Tools

    Cite this
    Export citation file
    Main Author: Kant, Immanuel, 1724-1804.
    Language(s): German
    Published: Königsberg, F. Nicolovius, 1803.
    Physical Description: 2 vol. nar.8vo
    Locate a Print Version: Find in a library
    Viewability
    Item Link Original Source
    Full view v.1-2 Harvard Univ

    返信削除
  161. https://onlinebooks.library.upenn.edu/webbin/book/lookupname?key=Kant%2C%20Immanuel%2C%201724%2D1804


    [X-Info] Kant, Immanuel, 1724-1804: Die metaphysik der sitten. (Königsberg, F. Nicolovius, 1803) (page images at HathiTrust)

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  162. カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)は、理想社全集#11、岩波全集200#11、
    中公世界の名著#32に所収。岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古い。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
          | \/ |
          | /\ |
    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法(記憶に訴える。教義的だと一方通行。理性を使うのは対話的)の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。ゲーム理論ではまず出てこない利得表だ。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。



     ___________
    |     |     |     
    | 1法  | 2徳  |     
    | 人倫  |     |     
    |____カント____|
    |     |     |
    |     |     |    
    |     |     |     
    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)
    内的立法もあり得る。カントはそちらを想定している

    ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)と比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。

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  163. カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)は、理想社全集#11、岩波全集200#11、
    中公世界の名著#32に所収。岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。 
    岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古いがポケットに入るのは有り難い。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
          | \/ |
          | /\ |
    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法(記憶に訴える。教義的だと一方通行。理性を使うのは対話的)の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。ゲーム理論ではまず出てこない利得表だ。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。



     ___________
    |     |     |     
    | 1法  | 2徳  |     
    | 人倫  |     |     
    |____カント____|
    |     |     |
    |     |     |    
    |     |     |     
    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)
    内的立法もあり得る。カントはそちらを想定している

    ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)と
    比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。
           /\
          /  \
         / 人倫 \
        /______\
       /\      /\
      /  \ヘーゲル/  \
     / 法  \  / 道徳 \
    /______\/______\

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  164. カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)は、
    理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。
    岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。 
    岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古いがポケットに入るのは有り難い。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
          | \/ |
          | /\ |
    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法(記憶に訴える。教義的だと一方通行。理性を使うのは対話的)の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。ゲーム理論ではまず出てこない利得表だ。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。
     ___________
    |     |     |     
    | 1法  | 2徳  |     
    | 人倫  |     |     
    |____カント____|
    |     |     |
    |     |     |    
    |     |     |     
    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)
    内的立法もあり得る。カントはそちらを想定している

    ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)と
    比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。
           /\
          /  \
         / 人倫 \
        /______\
       /\      /\
      /  \ヘーゲル/  \
     / 法  \  / 道徳 \
    /______\/______\

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  165. 前編以上に原理的な体系的記述だが、自殺や飲酒はこちらで考察される。

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  166. カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)は、
    理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。
    岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。 
    徳論は前編以上に原理的で体系的記述だが、自殺や飲酒はこちらで考察される。
    岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古いがポケットに入るのは有り難い。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
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    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法(記憶に訴える。教義的だと一方通行。理性を使うのは対話的)の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。ゲーム理論ではまず出てこない利得表だ。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。
     ___________
    |     |     |     
    | 1法  | 2徳  |     
    | 人倫  |     |     
    |____カント____|
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    |     |     |     
    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)
    内的立法もあり得る。カントはそちらを想定している

    ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)と
    比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。
           /\
          /  \
         / 人倫 \
        /______\
       /\      /\
      /  \ヘーゲル/  \
     / 法  \  / 道徳 \
    /______\/______\

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  167. カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)は、
    理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。
    岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。 
    徳論は前編(世界史的永遠平和の目的が最後に考察された)以上に原理的で体系的記述だが、
    自殺や飲酒などピンポイントで身近な主題はこちらで考察される。
    岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古いがポケットに入るのは有り難い。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
          | \/ |
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    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法(記憶に訴える。教義的だと一方通行。理性を使うのは対話的)の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。ゲーム理論ではまず出てこない利得表だ。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。
     ___________
    |     |     |     
    | 1法  | 2徳  |     
    | 人倫  |     |     
    |____カント____|
    |     |     |
    |     |     |    
    |     |     |     
    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)
    内的立法もあり得る。カントはそちらを想定している

    ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)と
    比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。
           /\
          /  \
         / 人倫 \
        /______\
       /\      /\
      /  \ヘーゲル/  \
     / 法  \  / 道徳 \
    /______\/______\

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  168.  ___________
    |     |     |     
    |     法     |     
    | 人倫  |     |     
    |_____|_____|
    |     |     |
    |     徳     |    
    |     |     |     
    |_____|_____|
    あるいは、

     ___________
    |     |     |     
    | 1法  | 2徳  |     
    |     |     |     
    |_人倫__|_____|
    |     |     |
    |     |     |    
    |     |     |     
    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)

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  169. カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)は、
    理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。
    岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。 
    徳論は前編以上に原理的で体系的記述だが、自殺や飲酒はこちらで考察される。
    岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古いがポケットに入るのは有り難い。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
          | \/ |
          | /\ |
    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法(記憶に訴える。教義的だと一方通行。理性を使うのは対話的)の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。ゲーム理論ではまず出てこない利得表だ。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。
     ___________
    |     |     |     
    | 1法  | 2徳  |     
    | 人倫  |     |     
    |____カント____|
    |     |     |
    |     |     |    
    |     |     |     
    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)
    内的立法もあり得る。カントはそちらを想定している

    ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)
    と比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。
    カント法論の後半部が第3部に回されている。
           /\
          /  \
         / 人倫 \
        /______\
       /\      /\
      /  \ヘーゲル/  \
     / 法  \  / 道徳 \
    /______\/______\

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  170. カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)は、
    理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。
    岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。 
    徳論は前編以上に原理的で体系的記述だが、自殺や飲酒はこちらで考察される。
    岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古いがポケットに入るのは有り難い。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
          | \/ |
          | /\ |
    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法(記憶に訴える。教義的だと一方通行。理性を使うのは対話的)の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。ゲーム理論ではまず出てこない利得表だ。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。


     ___________
    |     |     |     
    |    1法     |     
    |     |  人倫 |     
    |_____|_____|
    |     |     |
    |    2徳     |    
    |     | 方法論 |     
    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)
    内的立法もあり得る。カントはそちらを想定している

    ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)
    と比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。
    カント法論の後半部が第3部に回されている。
           /\
          /  \
         / 人倫 \
        /______\
       /\      /\
      /  \ヘーゲル/  \
     / 法  \  / 道徳 \
    /______\/______\

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  171. カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)は、
    理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。
    岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。 
    徳論は前編以上に原理的で体系的記述だが、自殺や飲酒はこちらで考察される。
    岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古いがポケットに入るのは有り難い。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
          | \/ |
          | /\ |
    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法(記憶に訴える。教義的だと一方通行。理性を使うのは対話的)の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。ゲーム理論ではまず出てこない利得表だ。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。
     ___________
    |     |     |     
    |    1法     |     
    |     |  人倫 |     
    |_____|_____|
    |     |     |
    |    2徳     |    
    |     | 方法論 |     
    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)
    内的立法もあり得る。カントはそちらを想定している

    ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)
    と比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。
    カント法論の後半部が第3部に回されている。
           /\
          /  \
         / 人倫 \
        /______\
       /\      /\
      /  \ヘーゲル/  \
     / 法  \  / 道徳 \
    /______\/______\

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  172. カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)は、
    理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。
    岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。 
    徳論は前編以上に原理的で体系的記述だが、自殺や飲酒はこちらで考察される。
    岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古いがポケットに入るのは有り難い。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
          | \/ |
          | /\ |
    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法(記憶に訴える。教義的だと一方通行。理性を使うのは対話的)の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。ゲーム理論ではまず出てこない利得表だ。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。
     ___________
    |     |     |     
    |    1法     |     
    |     |  人倫 |     
    |_____|_____|
    |     |     |
    |    2徳     |    
    |     | 方法論 |     
    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)
    内的立法もあり得る。カントはそちらを想定している

    ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)
    と比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。
    カント法論の後半部が第3部に回されている。
           /\
          /  \
         / 人倫 \
        /______\
       /\      /\
      /  \ヘーゲル/  \
     / 法  \  / 道徳 \
    /______\/______\

    人倫の頂点に世界史が君臨する。

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  173. カント人倫(道徳)の形而上学内「徳論の形而上学的基礎原理」=岩波文庫『道徳哲学』

    カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)は、
    理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。
    岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。 
    徳論は前編以上に原理的で体系的記述だが、自殺や飲酒はこちらで考察される。
    岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古いがポケットに入るのは有り難い。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
          | \/ |
          | /\ |
    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法(記憶に訴える。教義的だと一方通行。理性を使うのは対話的)の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。ゲーム理論ではまず出てこない利得表だ。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。
     ___________
    |     |     |     
    |    1法     |     
    |     |  人倫 |     
    |_____|_____|
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    |    2徳     |    
    |     | 方法論 |     
    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)
    内的立法もあり得る。カントはそちらを想定している

    ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)
    と比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。
    カント法論の後半部婚姻以降が第3部に回されている。
           /\
          /  \
         / 人倫 \
        /______\
       /\      /\
      /  \ヘーゲル/  \
     / 法  \  / 道徳 \
    /______\/______\

    人倫の頂点に世界史が君臨する。

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  174. カント『人倫(道徳)の形而上学』第二部「徳論の形而上学的基礎原理」=岩波文庫『道徳哲学』

    カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)は、
    理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。
    岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。 
    徳論は前編以上に原理的で体系的記述だが、自殺や飲酒はこちらで考察される。
    岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古いがポケットに入るのは有り難い。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
          | \/ |
          | /\ |
    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法(記憶に訴える。教義的だと一方通行。理性を使うのは対話的)の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。ゲーム理論ではまず出てこない利得表だ。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。
     ___________
    |     |     |     
    |    1法     |     
    |     |  人倫 |     
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    |    2徳     |    
    |     | 方法論 |     
    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)
    内的立法もあり得る。カントはそちらを想定している

    ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)
    と比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。
    カント法論の後半部婚姻以降が第3部に回されている。
           /\
          /  \
         / 人倫 \
        /______\
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      /  \ヘーゲル/  \
     / 法  \  / 道徳 \
    /______\/______\

    人倫の頂点に世界史が君臨する。

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  175. カント『人倫(道徳)の形而上学』第二部「徳論の形而上学的基礎原理」=岩波文庫『道徳哲学』

    カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)は、
    理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。
    岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。 
    徳論は前編以上に原理的で体系的記述だが、自殺や飲酒はこちらで考察される。
    岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古い。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
          | \/ |
          | /\ |
    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法(記憶に訴える。教義的だと一方通行。理性を使うのは対話的)の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。ゲーム理論ではまず出てこない利得表だ。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。
     ___________
    |     |     |     
    |    1法     |     
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    |     | 方法論 |     
    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)
    内的立法もあり得る。カントはそちらを想定している

    ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)
    と比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。
    カント法論の後半部婚姻以降が第3部に回されている。
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         / 人倫 \
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     / 法  \  / 道徳 \
    /______\/______\

    人倫の頂点に世界史が君臨する。
    本来なら岩波書店新訳全集版が文庫化されるべきだがポケットに入る本書も捨てがたい。

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  176. カント『人倫(道徳)の形而上学』第二部「徳論の形而上学的基礎原理」=岩波文庫『道徳哲学』

    カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)は、
    理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。
    岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。 
    徳論は前編以上に原理的で体系的記述だが、自殺や飲酒はこちらで考察される。
    岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古い。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
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    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法(記憶に訴える。教義的だと一方通行。理性を使うのは対話的)の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。ゲーム理論ではまず出てこない利得表だ。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。
     ___________
    |     |     |     
    |    1法     |     
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    |     | 方法論 |     
    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)
    内的立法もあり得る。カントはそちらを想定している

    ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)
    と比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。
    カント法論の後半部婚姻以降が第3部に回されている。
           /\
          /  \
         / 人倫 \
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    人倫の頂点に世界史が君臨する。
    ヘーゲルは新版が文庫化された。本来ならカントこそ岩波書店新訳全集版が文庫化されるべきだがポケットに入る本書も捨てがたい。

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  177. カント『人倫(道徳)の形而上学』第二部「徳論の形而上学的基礎原理」=岩波文庫『道徳哲学』

    カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)は、
    理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。
    岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。 
    徳論は前編以上に原理的で体系的記述だが、自殺や飲酒はこちらで考察される。
    岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古い。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
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    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法(記憶に訴える。教義的だと一方通行。理性を使うのは対話的)の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。ゲーム理論ではまず出てこない利得表だ。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。
     ___________
    |     |     |     
    |    1法     |     
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    |    2徳     |    
    |     | 方法論 |     
    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)
    内的立法もあり得る。カントはそちらを想定している

    ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)
    と比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。
    カント法論の後半部婚姻以降が第3部に回されている。
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          /  \
         /3人倫 \
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     / 1法 \  /2道徳 \
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    人倫の頂点に世界史が君臨する。
    ヘーゲルは新版が文庫化された。本来ならカントこそ岩波書店新訳全集版が文庫化されるべきだがポケットに入る本書も捨てがたい。

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  178. カント『人倫(道徳)の形而上学』第二部「徳論の形而上学的基礎原理」=岩波文庫『道徳哲学』

    カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)は、
    理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。
    岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。 
    徳論は前編(世界史的永遠平和の目的が最後に考察された)以上に原理的で体系的記述だが、
    自殺や飲酒などピンポイントで身近な主題はこちらで考察される。

    岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古い。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
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    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法(記憶に訴える。教義的だと一方通行。理性を使うのは対話的)の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。ゲーム理論ではまず出てこない利得表だ。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。
     ___________
    |     |     |     
    |    1法     |     
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    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)
    内的立法もあり得る。カントはそちらを想定している

    ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)
    と比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。
    カント法論の後半部婚姻以降が第3部に回されている。
           /\
          /  \
         /3人倫 \
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    人倫の頂点に世界史が君臨する。
    ヘーゲルは新版が文庫化された。本来ならカントこそ岩波書店新訳全集版が文庫化されるべきだがポケットに入る本書も捨てがたい。

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  179. カント『人倫(道徳)の形而上学』第二部「徳論の形而上学的基礎原理」=岩波文庫『道徳哲学』

    カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)は、
    理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。
    岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。 
    徳論は前編(世界史的永遠平和の目的が最後に考察された)以上に原理的で体系的記述だが、
    自殺や飲酒などピンポイントで身近な主題はこちらで考察される。
    完全性、幸福、愛、尊敬等の簡潔な定義が含まれる。

    岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古い。例えば徳に付随する無感動は没情と訳される。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
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    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法(記憶に訴える。教義的だと一方通行。理性を使うのは対話的)の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系だけで十分ということになる。ゲーム理論ではまず出てこない利得表だ。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。
     ___________
    |     |     |     
    |    1法     |     
    |     |  人倫 |     
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    |     | 方法論 |     
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     (1法=権利→2徳=目的)
    内的立法もあり得る。カントはそちらを想定している

    ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)
    と比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。
    カント法論の後半部婚姻以降が第3部に回されている。
           /\
          /  \
         /3人倫 \
        /______\
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      /  \ヘーゲル/  \
     / 1法 \  /2道徳 \
    /______\/______\

    人倫の頂点に世界史が君臨する。
    ヘーゲルは新版が文庫化された。本来ならカントこそ岩波書店新訳全集版が文庫化されるべきだがポケットに入る本書も捨てがたい。

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  180. 13頁
    哲学=概念からの理性認識の体系
    形而上学=純粋なあらゆる直観の制約から独立な理性概念の体系

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  181. 文庫はドイツ語付き事項索引が便利
    没情もApathieとわかる

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  182. 岩波全集版にもあるがこちらの方がコンパクト

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  183. 中公は本文に組み込まれている。

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  184. A 法則と義務の区分(理想社版全集第11巻p69より)


             分析的
            完全義務
             法 論  
    自         |        他
    分  一 1、5  | 二 2、7  者
    自  人間性の   |人間達の権利  に
    身  内なる権利  |        対
    に_________|________す
    対  三   6  | 四   8  る
    す  人間性の   | 人間達の目的 義
    る  内なる目的  |        務
    義         |        
    務         |        
             徳 論
            不完全義務
             総合的

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  185. B 徳の義務の図式(同p297より)

           徳の義務の実質
       一 3    | 二 4
       自己の目的  | 他者の目的
       私自身の完成 | 他者の幸福
     内________|________外
     的 三      | 四      的
       動機=法則  | 動機=目的   
       道徳性    | 適法性
           徳の義務の形式
      分析的←          →総合的

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  186. 解説によればカントは内的立法を考えている。

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  187. 人間対人間の関係が道徳だとカントは結語で述べている。

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  188. カント『人倫(道徳)の形而上学』第二部「徳論の形而上学的基礎原理」=岩波文庫『道徳哲学』

    カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)は、
    理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。
    岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。 
    徳論は前編(世界史的永遠平和の目的が最後に考察された)以上に原理的で体系的記述だが、
    自殺や飲酒などピンポイントで身近な主題はこちらで考察される。
    完全性、幸福、愛、尊敬等の簡潔な定義が含まれる。

    岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古い。例えば徳に付随する無感動は没情と訳される。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
          | \/ |
          | /\ |
    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法(記憶に訴える。教義的だと一方通行。理性を使うのは対話的)の断片は、自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系(エチカ#3~に対応)だけで十分ということになる。ゲーム理論ではまず出てこない利得表だ。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。
     ___________
    |     |     |     
    |    1法     |     
    |     |  人倫 |     
    |_____|_____|
    |     |     |
    |    2徳     |    
    |     | 方法論 |     
    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)
    内的立法もあり得る。カントはそちらを想定している

    ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)
    と比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。
    カント法論の後半部婚姻以降が第3部に回されている。
           /\
          /  \
         /3人倫 \
        /______\
       /\      /\
      /  \ヘーゲル/  \
     / 1法 \  /2道徳 \
    /______\/______\

    人倫の頂点に世界史が君臨する。
    ヘーゲルは新版が文庫化された。本来ならカントこそ岩波書店新訳全集版が文庫化されるべきだがポケットに入る本書も捨てがたい。

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  189. カント『人倫(道徳)の形而上学』第二部「徳論の形而上学的基礎原理」=岩波文庫『道徳哲学』

    カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)は、
    理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。
    岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。 
    徳論は前編(世界史的永遠平和の目的が最後に考察された)以上に原理的で体系的記述だが、
    自殺や飲酒、不品行の者との交際などピンポイントで身近な主題はこちらで考察される。
    完全性、幸福、愛、尊敬等の簡潔な定義が含まれる。

    岩波文庫版は岩波#11の235~390頁の箇所。訳は古い。例えば徳に付随する無感動は没情と訳される。嘘は虚言。

    道徳の形而上学
     法論の形而上学的基礎原理
     徳論の形而上学的基礎原理(岩波文庫『道徳哲学』)

    2他者の幸福 ←    自己の幸福1
    B     |\  /|     D
          | \/ |
          | /\ |
    C     |/  \|↓    A
    4他者の完全性     自己の完全性3

    道徳的問答教示法(記憶に訴える。教義的だと一方通行。理性を使うのは対話的)の断片は、
    自己の幸福Dから遡行し、自己の完全性が必要であるとの認識、すなわち義務の自覚に至る。

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    これを無視するならスピノザ体系(エチカ#3~に対応)だけで十分ということになる。ゲーム理論ではまず出てこない利得表だ。
    ルソーはゲーム理論に収まるがカントは超えてしまう。義務の定義、自殺の主体においての考察にあるように自己が分裂するのだ。
     ___________
    |     |     |     
    |    1法     |     
    |     |  人倫 |     
    |_____|_____|
    |     |     |
    |    2徳     |    
    |     | 方法論 |     
    |_____|_____|
     (1法=権利→2徳=目的)
    内的立法もあり得る。カントはそちらを想定している

    ヘーゲル『法の哲学』(Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821)
    と比較するといい。ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。
    カント法論の後半部婚姻以降が第3部に回されている。
           /\
          /  \
         /3人倫 \
        /______\
       /\      /\
      /  \ヘーゲル/  \
     / 1法 \  /2道徳 \
    /______\/______\

    人倫の頂点に世界史が君臨する。
    ヘーゲルは新版が文庫化された。本来ならカントこそ岩波書店新訳全集版が文庫化されるべきだがポケットに入る本書も捨てがたい。

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  190. 『法の哲学』はカント『人倫の形而上学』と比較するのがおすすめ

    カント『人倫の形而上学』(Metaphysik der Sitten, 1797,1803)は、
    理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。
    岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。 
    徳論は前編(世界史的永遠平和の目的が最後に考察された)以上に原理的で体系的記述だが、
    自殺や飲酒、不品行の者との交際などピンポイントで身近な主題もこちらで考察される。
    完全性、幸福、愛、尊敬等の簡潔な定義が含まれる。

    岩波文庫版徳論の訳は古い。例えば徳に付随する無感動は没情と訳される。嘘は虚言。

    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    このアンチノミーをヘーゲルは揚棄出来ないはずだ。
     ___________
    |     |     |     
    |    1法     |     
    |     | +人倫 |     
    |_____|_____|
    |     |     |
    |    2徳     |    
    |     | +方法論|     
    |_____|_____|

    ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。
    カント法論の後半部婚姻以降が第3部に回されている。
           /\
          /  \
         /3人倫 \
        /______\
       /\      /\
      /  \ヘーゲル/  \
     / 1法 \  /2道徳 \
    /______\/______\

    https://ja.hegel.net/j32.htm#tri3

    人倫の頂点に世界史が君臨する。
    最終的頂点は哲学だが。


    ヘーゲルスレがなくね? [無断転載禁止]©2ch.net
    https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1470588160/

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  191. 884 考える名無しさん[sage] 2021/05/01(土) 22:12:44.60 ID:0
    『法の哲学』1821はカント『人倫の形而上学』1797と比較するのがおすすめ
    理想社全集#11、岩波全集200#11、中公世界の名著#32に所収。
    岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。 
    徳論は前編(世界史的永遠平和の目的が最後に考察された)以上に原理的で体系的記述だが、
    自殺や飲酒、不品行の者との交際などピンポイントで身近な主題もこちらで考察される。
    完全性、幸福、愛、尊敬等の簡潔な定義が含まれる。
    岩波文庫版徳論の訳は古い。例えば徳に付随する無感動は没情と訳される。嘘は虚言。
    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    このアンチノミーをヘーゲルは揚棄出来ないはずだ。
     ___________
    |     |     |     
    |    1法     |     
    |     | +人倫 |     
    |_____|_____|
    |     |     |
    |    2徳     |    
    |     | +方法論|     
    |_____|_____|

    ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。
    カント法論の後半部婚姻以降が第3部に回されている。
           /\
          /  \
         /3人倫 \
        /______\
       /\      /\
      /  \ヘーゲル/  \
     / 1法 \  /2道徳 \
    /______\/______\
    https://ja.hegel.net/j32.htm#tri3
    人倫の頂点に世界史が君臨する。
    最終的頂点は哲学だが。

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  192. 884 考える名無しさん[sage] 2021/05/01(土) 22:12:44.60 ID:0
    『法の哲学』1821はカント『人倫の形而上学』1797と比較するのがおすすめ
    理想社全集#11、岩波全集2000#11、中公世界の名著#32に所収。
    岩波文庫『道徳哲学』1954は第二部徳論のみ。 
    徳論は前編(世界史的永遠平和の目的が最後に考察された)以上に原理的で体系的記述だが、
    自殺や飲酒、不品行の者との交際などピンポイントで身近な主題もこちらで考察される。
    完全性、幸福、愛、尊敬等の簡潔な定義が含まれる。
    岩波文庫版徳論の訳は古い。例えば徳に付随する無感動は没情と訳される。嘘は虚言。
    他者の幸福、自己の完全性を義務と考えた部分が、存在の非対称性を訴えたカントの重要性のすべてである。
    このアンチノミーをヘーゲルは揚棄出来ないはずだ。
     ___________
    |     |     |     
    |    1法     |     
    |     | +人倫 |     
    |_____|_____|
    |     |     |
    |    2徳     |    
    |     | +方法論|     
    |_____|_____|

    ヘーゲルは習俗である人倫を絶対化した。
    カント法論の後半部婚姻以降が第3部に回されている。
           /\
          /  \
         /3人倫 \
        /______\
       /\      /\
      /  \ヘーゲル/  \
     / 1法 \  /2道徳 \
    /______\/______\
    https://ja.hegel.net/j32.htm#tri3
    人倫の頂点に世界史が君臨する。
    最終的頂点は哲学だが。

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  193. カント
    人倫の形而上学図解
     ___________
    |     |     |     
    |     |     |
    |     |     |     
    規_1法__|_2徳__反
    定     |     省
    |     |     |
    | +人倫 | +方法論|     
    |_____|_____|
    こちらの方がしっくり来る

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  194. カント
    人倫の形而上学図解
     ____分 析____
    |     |     |     
    |     |     |
    |     |     |     
    規_1法__|_2徳__反
    定     |     省
    |     |     |
    | +人倫 | +方法論|     
    |____総 合____|
    こちらの方がしっくり来る

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  195. 道徳形而上学言論 岩波文庫 篠田英雄訳 1960,1967
    目次
    序 言
    第一章 道徳に関する普通の理性認識から哲学的な理性認識への移り行き

    第二章 通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き ☆
         道徳性の最高原理としての意志の自律
         道徳性のあらゆる偽の原理の源泉としての意志の他律
         他律を道徳性の根本概念と想定した場合にこの概念から 生じ得るすべての原理の分類

    第三章 道徳形而上学から純粋実践理性批判への移り行き
         自由の概念は意志の自律を解明する鍵である
         自由はすべての理性的存在者の意志の特性として前提さ れねばならない
         道徳性の諸理念に付帯する関心について
         定言的命法はどうして可能か
         すべての実践哲学の究極の限界について
         結 び
    訳者後記
    索 引


    中公#32は人倫の形而上学の基礎づけも所収

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  196. カント人倫の形而上学の基礎づけと人倫の形而上学図解
     ___________
    |   基礎づけ    |     
    |     |     |
    |     |     |     
    規_____|_____反
    定     |     省
    | 1法  | 2徳  |
    | +人倫 | +方法論|     
    |_____|_____|
    こちらの方がしっくり来る

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  197. NAMs出版プロジェクト: カント『道徳形而上学原論』『人倫の形而上学の基礎づけ』
    http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_11.html(本頁)
    NAMs出版プロジェクト: カント 定言命法『人倫の形而上学の基礎づけ』より
    http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_9.html
    NAMs出版プロジェクト: 人倫の形而上学:付リンク(付原論)
    http://nam-students.blogspot.jp/2012/08/blog-post_2934.html?m=0#ref4

    道徳形而上学言論 岩波文庫 篠田英雄訳 1960,1967
    目次
    序 言
    第一章 道徳に関する普通の理性認識から哲学的な理性認識への移り行き

    第二章 通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行き ☆
         道徳性の最高原理としての意志の自律
         道徳性のあらゆる偽の原理の源泉としての意志の他律
         他律を道徳性の根本概念と想定した場合にこの概念から 生じ得るすべての原理の分類

    第三章 道徳形而上学から純粋実践理性批判への移り行き
         自由の概念は意志の自律を解明する鍵である
         自由はすべての理性的存在者の意志の特性として前提さ れねばならない
         道徳性の諸理念に付帯する関心について
         定言的命法はどうして可能か
         すべての実践哲学の究極の限界について
         結 び
    訳者後記
    索 引


    中公#32は人倫の形而上学の基礎づけも所収

    カント人倫の形而上学の基礎づけと人倫の形而上学図解
     ___________
    |   基礎づけ    |     
    |     |     |
    |     |     |     
    規_____|_____反
    定     |     省
    | 1法  | 2徳  |
    | +人倫 | +方法論|     
    |_____|_____|
    こちらの方がしっくり来る

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  198.            _________________________________    
             /|               /|     人         /|オ
            / |              / |              / |
           / 視|             /  |  (教育論:認識)   /  |プ
          /________________間________________/   |  
         /|  霊|           /| (:快、不快)       /|   |ス
        / |   |          / |   |          / |   |
       /(:欲求)者|  学      /  |   |         /  |   |・
      /________________/_________(性格論:)_/   |   |
     |    |  の|       |    |   |       |    |   |ポ
     |永  歴|   |       |    |   |       | 地理学|  論|
     |遠  史|  夢|       |    |   |       |    |   |ス
     |平  学|   |_______|____|___|_______|____|__理|
     |和   |  /|       |    |  /|       |    |  /|ト
     |の   | / | 自   然 | の  |形/ |而   上  |学   | /学|
     |た   |/  |       |    |/  |       | 科学 |/  |ゥ
     |め   |___________|____|___________|____|   |
     |に  /|   |     (徳|論) /|   |       |   /|   |ム
     |  / |人 倫|の      |  / |理性の限界内における |  / |   |
     | /(法|論) |形 而 上 学| /  |   |   宗教  | /  |   |ム
     |/___________(原論)|/_______________|/   |   |
     |    |   |       |    |   |       |    |   |
     |    |啓 蒙|と は 何 か|    |   |       |    |   |  
          |   |_______|____|___|_______|_☆__|___|
     |    |  /(テリックシステ|ム)  |  /(空間)(時間)|(数学)|  / 
     |    | /☆  純   粋 | 理  |性/  批   判  |カテゴリ|ー/
     |    |/(ス ピ ノ ザ )|    |/(物理学)     |    |/
     |    |___________|____アンチノミー______|____/
     |   /            |   /    (美 学)   |   /
     |  / 実 践 理 性 批 判 |  /  判 断 力 批 判  |  /
     | /(倫理学/徳or幸福)   | /              | /
     |/_______________|/__________(目的論)|/

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