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月曜日, 3月 28, 2016

ハイデガーと老子,荘子:再掲


              (老子ハイデガーリンク:::::::::

NAMs出版プロジェクト: ハイデガーと老子、荘子:再掲

http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/blog-post_62.html

荘子

https://freeassociations2020.blogspot.com/2021/09/blog-post_14.html


老子・ハイデガー・ラカン:メモ : 別ブログ

http://yojiseki.exblog.jp/9852744/
ハイデガーは1946年に中国文学研究家のHsiao*と老子の翻訳を試み(芽野良男作成年譜より)、ラカンも1969年に中国語の女性?家庭教師(フランソワ・チェン)から老子を教わっている。

ハイデガーが興味を示したのは第1章と第15章、特に第15章の以下のラインに興味を示したと言う。
(http://www.thomehfang.com/suncrates3/9poetico.htm)

<濁りを静め、澄みきるように誰れができようか。
動かないところから生き生き成長させるところまで、誰れができようか。>

さて、ラカンが興味を示したのは第一章と第42章の冒頭。特に第一章の「道」が行為と発話(La Voie/voix,[The Voie/voix], [Way/voice])の二つの意味をもつ点に注目したらしく、以下の図を書いたそうだ。
("The later Lacan" p.43**及びhttp://www.lacanchine.com/L_Cheng-Lacan3.html

     le faire — sans nom — n'ayant désir
le Dao <
     le parler — le Nom — ayant désir

(翻訳すると)
   doing-nameless-not having desire
Tao/
  \speaking-the name- having desire


   行為-    無名- 無欲
 道/
  \道う(言う)-名前-  欲望を持つ       

これは、住所を書く順序の日本と西洋との違いといった比較文化論や、主体の喪失と享楽の出現といった問題体系に繋がるらしいが、邦訳がないためにはっきりしたことはわからない。

ちなみに第42章冒頭は以下の内容。

<道生一、一生二、二生三、三生萬物。 萬物負陰而抱陽、冲氣以爲和。>

<「道」から「一」が生み出される。
「一」から二つのものが生まれ、二つから三つのものが生まれ、
三つから万物が生み出される。
これらすべては肯定と否定の統一によって調和し、
あらゆるものによって包まれる。>


ラカンは、ハイデガーフリークだったので、老子への取り組みは、(いわゆる「東風」が状況的にあったとしても)その影響はあったかも知れない。ヘラクレイトス論のロゴス解釈との類似が指摘されているし、RSI理論をまとめるための「中間の空間」なる用語を42章から編み出しているという(『ジャック・ラカン伝』p380)。セミナール14、20、21で老子が触れられているそうだが(老子以前は孟子が参照されたりしている)、空虚な中心という概念(老子第11章)などが精神分析の構造化に寄与した、あるいは後押しをしたとも考えられなくもない。

ハイデガーとラカンに共通するのは、単なる東洋趣味で彼らは老子に興味を示したのではないということだ。「天」といった後期ハイデガーの神秘主義に通じる面はあるが、論理主義的な興味が彼らには一貫している(よく言われるユング的解釈とは一線を画す)。
特にラカンは分析家のディスクールを老子に見ていたと思われる。
資料が集まり次第、再考したい。


『中国哲学とヨーロッパの哲学者 下』(堀池信夫、p714)によると、パウル・シャオは蕭欣義という字を書き、台湾出身。同書ではハイデガーが老子に触れた講演「言葉の本質」(『言葉への途上』所収。「この「道」、すなわち、タオという語には、思考しつつ言うことの持つ、あらゆる秘密の中の最たる秘密は匿されているように思われます。」下p724)などが考察されている。
二人が使ったテクストは蒋锡昌『 老子校诂』(1937年、上海)だそうだ。
http://shop.kongfz.com/book/3240/61398596.html

** Later Lacan an Introduction pdf
http://www.scribd.com/doc/25977204/The-Later-Lacan-an-Introduction



参考:

"Heidegger and Asian Thought"p.102-103
(1947年8月9日ハイデガーからシャオ氏への手紙における老子の引用)
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<"Wer kann still sein und aus der
stille durch sie auf den Weg bringen
(bewegen)etwas so,dass es
zum ersheinen kommt?"

[Wer vermag es,stillend etwas
ins Sein zu bringen?
Des Himmels Tao. >

"Who can be still and out of stillness and through it move something on to the Way so that it coms to shine forth?"

[Who is able through making still to bring something into Being?
The tao of heaven.

孰能濁以靜之徐清。孰能安以動之徐生。

たれかよく濁りてもってこれを静かにして徐(おもむろ)に清からん。
たれかよく安んじてもってこれを動かして徐に生ぜん。

濁りを静め、澄みきるように誰れができようか。
動かないところから生き生き成長させるところまで、誰れができようか。

老子 道徳経 第15章
http://nam-students.blogspot.com/2009/10/blog-post_23.html#note15
http://books.google.co.jp/books?id=uOvIJSN5LEEC&printsec=frontcover&dq=heidegger+asian&as_brr=3&ei=tEdsS666BI3aNdDDrY4P&cd=1#v=onepage&q=tao%20hsiao&f=false
http://books.google.co.jp/books?id=uOvIJSN5LEEC&pg=PA102&img=1&zoom=3&hl=ja&sig=ACfU3U2HP6osFw-63zP_EbO2mT8WB48BSg&w=685
http://books.google.co.jp/books?id=uOvIJSN5LEEC&pg=PA103&img=1&zoom=3&hl=ja&sig=ACfU3U2YgQIBvewUeIvgItpgZAARHVleAw&w=685
http://ic.mixi.jp/p/eaea7f330846a48f586014559a7f564dcbf07d9c62/4b6c4c59/bbs/50283475_93.jpg



山小屋にて1947年8月9日 

親愛なるシャオ様

私は度々あなたを思い出します。またすぐにあなたとの会話を
再開できればうれしいです。
あなたが私に書いてくれた次の行を考えています。

<"Wer kann still sein und aus der
stille durch sie auf den Weg bringen
(bewegen)etwas so,dass es
zum ersheinen kommt?"

[Wer vermag es,stillend etwas
ins Sein zu bringen?
Des Himmels Tao. >

孰能濁以靜之徐清。孰能安以動之徐生。

濁りを静め、澄みきるように誰れができようか。
動かないところから生き生き成長させるところまで、誰れができようか。

道徳経(天の道)より

親愛なる情を持って 
あなたのマルティン・ハイデガーより 

_______

荘子とハイデガーの世界内存在(in-der-Welt-sein) : 別ブログ

http://yojiseki.exblog.jp/14401302/

以下、『茶の本』、「第三章 道教と禅道」(岡倉覚三・天心 村岡博訳)より

「しかしながら、道教がアジア人の生活に対してなしたおもな貢献は美学の領域であった。
シナの歴史家は道教のことを常に「処世術」と呼んでいる、というのは道教は現在を——われら自身を取り扱うものであるから。われらこそ神と自然の相会うところ、きのうとあすの分かれるところである。(略)人生の術はわれらの環境に対して絶えず安排するにある。道教は浮世をこんなものだとあきらめて、儒教徒や仏教徒とは異なって、この憂き世の中にも美を見いだそうと努めている。」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000238/files/1276_31472.html

このなかの「処世(術)」の英訳 (to be in the being of the world)がハイデガーの世界内存在(in-der-Welt-sein)に繋がったとされる。

荘子の「処世」は「世に処(お)る(In-Sein)」と「世に処する(Ver-walten)」の二つを兼ねる。

以下、今道友信「一哲学者が歩んだ道」(中央公論1999年1月号)より
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5022

「私の恩師の一人、伊藤吉之助は一九一八年、第一次世界大戦直後、ドイツに留学、そのときハイデガーを教師に雇いました。敗戦後のドイツはひどいインフレ で、連合国側の日本の留学生のポケットマネーはドイツの若い学者たちには魅力的でした。(中略)伊藤は帰国に際し、お礼の心づもりで『茶の本』の独 訳"Das Buch von tee"をハイデガーに手渡しました。それが一九一九年。そして一九二五年にハイデガーの名を高からしめた『存在と時間』が出版され、あの術語がことわり もなしに使われていたので、伊藤は驚くと同時に憤慨もしていました。それからはるか後年の一九四五年、「いやあ、世話にはなっだんだが、やづければよがっ だなあ」と庄内弁で私に述懐なさったことがあります。」
(後に『知の光を求めて―一哲学者の歩んだ道』今道友信  2000/3 に再録)

この説はハイデガーの老子への興味も説明出来るので十分信憑性がある。
とはいえ茶道にキリシタンの洗礼の儀式が影響を与えたという説もあるから、影響はどちらか一方からのものではなく相互的なものかも知れない。

資料:
"Das Buch vom Tee"
/ Okakura Kakuzo. Aus d. Engl. von Marguerite und Ulrich Steindorff
Person(en) Okakura, Kakuzō ; Steindorff, Marguerite ; Carrington, Ulrich Steindorff
Verleger Leipzig : Insel-Verl.
Erscheinungsjahr [1919]
Link zu diesem Datensatz
http://d-nb.info/361981058
http://www.worldcat.org/title/buch-vom-tee/oclc/646945959?referer=di&ht=edition
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上記書籍は1921年版だそうだが残念ながら奥付がない。
該当箇所は31頁。確かに"Kunst des In-der-Welt-Sein(s)"とある。


« Allein das wichtigste Gedanke des Taoismus an das
Leben Asians liegt auf dem Gebiete der Aesthetik. Die chi-
nesischen Historiker haben vom Taoismus stets als von 
der "Kunst des In-der-Welt-Sein” geredet, denn er handelt 
von der Gegenwart, von uns selbst. » 


« Allein der wichtigste Gedanke des Taoismus an das Leben Asians liegt auf dem Gebiete der Aesthetik. Die Chinesischen Historiker haben vom Taoismus stets als von der Kunst des “In-der-Welt-Sein” geredet, denn er handelt von der Gegenwart, von uns selbst. » 

"Chinesische Historiker haben vom Taoismus immer als von der .Kunst des In-der -Welt-Seins' gesprochen, denn er handelt von der Gegenwart - von uns selbst."
参考:大島淑子 Oshima Yoshiko "Leben als Phaenomen"

あるいは、

"Historiker haben vom Taoismus immer als von der >Kunst des In-der-Welt- Seins< gesprochen, denn er handelt von der…"
参考:"Identität als Unverborgenheit: Kant, Nishida, Heidegger" Yoshiaki Yamashita 
山下善明(明星大学)著『非覆蔵性としての同一性―カント、西田、ハイデガー―』(邦訳なし?)
追記:
荘子に処世、处世、處なる単語はない。
http://ctext.org/zhuangzi/zhs?searchu=%E8%99%95&page=6
また処世を超越せよというメッセージが荘子の一般的な読みだ。ただ以下のような指摘がある。
 《『荘子・天下篇』にある「獨與天地精神往来。而不敖倪於萬物。不譴是非。以與世俗處。」(独り天地の精神と往来して、万物に敖倪せず、是非を譴めず、以て世俗と処す)「天地自然の神妙なはたらきとともに世界を往来しながら、万物の上にたって驕りたかぶるようなことはない。また是非の区別をきびしく追求したりすることもなく、世俗のなかにたりまじっている」*281という金谷氏の解釈とも似た境地であるとも考えられよう。》
* 281 金谷治訳注『荘子 第四冊雑篇』岩波書店 1971年 P229 以下pdf141~2頁

本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ

 

(Adobe PDF)

次に、売茶翁の生涯や煎茶精神などについての研究は、川頭芳雄氏の『佐賀県郷土史 物語. 第一輯 脊振山と ...... 不敖倪於萬物。不譴是非。以與世. 俗處。」(独り天地の 精神往来して、万物敖倪せず、是非を譴めず、以て世俗と処す)「天.

17 件のコメント:

  1. 老子には発生論があるが仏教にはない
    唯物論的だから前者が
    ハイデガーに近い

    講談社新書『東洋の合理思想』参照

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  2. 道教は
    発生論がありながら身近な思考だ

    そこが現象学につながる

    現存在にもつながる

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  3. the "art of being in the world,"

    処世

    T.N.FOULIS Edinburgh & London 1919

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  4. ハイデガー読書 [無断転載禁止] https://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1468066379/ https://itun.es/i6Dm5F9 #2tch

    >>178
    > 世界ー内ー存在として現存在の側からのゾルゲ慮
    > 用具的なものには配慮
    > 内世界的にあう他者には顧慮

     「現存在の側からの」という形容詞がどうしてつくのだろう。

     配慮と顧慮の根源にゾルゲがあると言ってるんでしょう、だからゾルゲを中心にして、

     そこからベゾルゲンとフュアゾルゲへという視線の動きが語源的にある。


    > 現存在はおのれの存在においてこの存在そのものに関わらせられている存在である

     「関わらせられて」という受け身が登場するのはなぜ?


    > 細谷訳
    > おのれ自身である存在可能へと望んでいる存在としてなのである。
    > この本質的な「……に関わらせられている」という存在構造を、われわれは現存在のdas sich-vorweg-seinとしてとらえる。

     基本的に、この「己に先立つ」というのはゾルゲの中の一部分である企投の側に設定されている、それは了解の側と言ってもいい。

     了解を解釈して、時間的に「己に先立って」とした。

     しかし、たいていの日本語訳にあるこの「己に先立って」はなんのことだか分からない訳となっている。

     なぜ己に先立つと言う必要があるのか。

     中山元はどう訳すかな。
    ハイデガー読書 [無断転載禁止] https://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1468066379/ https://itun.es/i6Dm5F9 #2tch

    世界の名著『ハイデガー』昭55 原佑

     P.333 

     「おのれに先んじて存在するということは」

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  5. 【今日頭条】お茶の起源は中国なのに! なぜ茶道となると日本を連想するのか[4/23] [無断転載禁止]©2ch.net

    1 : ダース・シコリアン卿 ★@無断転載は禁止2017/04/23(日) 19:02:16.60 ID:CAP_USER
    「道」という言葉には、人や車などが往来するために整備された所という意味のほかに、芸術・技芸などのそれぞれの分野、また、その精神真髄という意味がある。そのため剣道・柔道・空手道など「道」という言葉がつく武術では、実際の技術や身体の鍛錬よりも、精神面における修養をさらに重要なことと見る。

    日本には武術以外にも道という言葉が付く芸術・技芸が存在するが、中国メディアの今日頭条が18日付で掲載した記事は、お茶そのものの起源は中国にあるにもかかわらず、「茶道」となると、なぜ世界の人びとは日本を思い浮かべるのかと疑問を投げかけている。

    記事は「お茶を飲むこと自体はすでに重要なことではない」と指摘し、重要なのはお茶を飲む形式であると指摘。茶道においては、お茶の色、香り、味、水質、火加減、また、茶道具のほかに、お茶をたてる動作、姿勢、表情などすべてに厳格な規定があると説明した。

    さらに茶室では腕時計をすることは禁じられているうえに時計も存在せず、また、金銭、性、ビジネスを話題にすることは許されておらず、その話題は自然や芸術に限られていると紹介した。

    さらに客人には茶室に入る前に「茶庭」で心を浄めることが求められていると紹介、茶庭に存在する石の1つ1つ、木の1本1本は「和敬清寂(わけいせいじゃく)」の精神を客人に感じさせるものであり、これによって茶会の雰囲気を清浄に保つのだと指摘。

    お茶そのものの起源は中国にあるにもかかわらず、「茶道」となると、世界の人びとが日本を連想するのは、「茶を飲む」という行為を体系的に発展させ、「道」の1つに昇華させたのが日本だからだと論じた。

    和敬清寂の「和」は平和な関係、「敬」は互いに敬いあうこと、「清」は見た目も心も清い状態、「寂」は動じない精神を表すと説明しており、この4つの文字には茶道の心が表現されているとされる。

    茶道が世界的に有名であるのは、茶道が体現するこうした精神が国境や民族の違いを超えて人びとの心を打つからなのかも知れない。

    サーチナ(編集担当:村山健二)
    http://news.searchina.net/id/1634224?page=1

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  6. ハイデガーの老子 『道徳経』 第11箴言

    “三十の輻(や)が車輪中心の轂(こしき)に当たっている。
     だが然し、それらの輻の中の空隙が、車輪の有を許し与えているのだ。〈略〉

     有るものは、有用性を生ぜしめる。
     有らざるものが、有を許し与えるのだ。”

    ― 『ハイデッガー全集 75 ヘルダーリンに寄せて』p47-48

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  7. 以下参考までに、『茶の本』「第三章 道教と禅道」(岡倉覚三・天心 村岡博訳)より
    「しかしながら、道教がアジア人の生活に対してなしたおもな貢献は美学の領域であった。
    シナの歴史家は道教のことを常に「処世術」と呼んでいる、というのは道教は現在を——わ
    れら自身を取り扱うものであるから。われらこそ神と自然の相会うところ、きのうとあすの
    分かれるところである。(略)人生の術はわれらの環境に対して絶えず安排するにある。
    道教は浮世をこんなものだとあきらめて、儒教徒や仏教徒とは異なって、この憂き世の中
    にも美を見いだそうと努めている。」
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000238/files/1276_31472.html

    このなかの「処世(術)」の英訳 (to be in the being of the world)がハイデガーの世界内存在
    (in-der-Welt-sein)に繋がったとされる。

    荘子の「処世」は「世に処(お)る(In-Sein)」と「世に処する(Ver-walten)」の二つを兼ねる。
    (処世は荘子自身の用語ではない。荘子はむしろ処世を超越せよと説く)

    以下、今道友信「一哲学者が歩んだ道」(中央公論1999年1月号)より
    http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5022
    「私の恩師の一人、伊藤吉之助は一九一八年、第一次世界大戦直後、ドイツに留学、その
    ときハイデガーを教師に雇いました。敗戦後のドイツはひどいインフレ で、連合国側の日本の
    留学生のポケットマネーはドイツの若い学者たちには魅力的でした。(中略)伊藤は帰国に際し、
    お礼の心づもりで『茶の本』の独 訳"Das Buch von tee"をハイデガーに手渡しました。それが
    一九一九年。そして一九二五年にハイデガーの名を高からしめた『存在と時間』が出版され、
    あの術語がことわり もなしに使われていたので、伊藤は驚くと同時に憤慨もしていました。
    それからはるか後年の一九四五年、「いやあ、世話にはなっだんだが、やづければよがっ
    だなあ」と庄内弁で私に述懐なさったことがあります。」
    (後に『知の光を求めて―一哲学者の歩んだ道』今道友信  2000/3 に再録)

    この説はハイデガーの老子への興味も説明出来るので十分信憑性がある。

    返信削除
  8. 茶の本のバックボーンは道教
    仏教にはない発生論がそこにはある


    参考:
    "Heidegger and Asian Thought"p.102-103
    (1947年8月9日ハイデガーからシャオ氏への手紙における老子#15の引用)
    http://books.google.co.jp/books?id=uOvIJSN5LEEC&pg=PA102&img=1&zoom=3&hl=ja&sig=ACfU3U2HP6osFw-63zP_EbO2mT8WB48BSg&w=685
    https://i.gyazo.com/1e66ad00efeccd36287cd4dbff241036.jpg
    山小屋にて1947年8月9日 

    親愛なるシャオ様

    私は度々あなたを思い出します。またすぐにあなたとの会話を
    再開できればうれしいです。
    あなたが私に書いてくれた次の行を考えています。

    孰能濁以靜之徐清。孰能安以動之徐生。

    濁りを静め、澄みきるように誰れができようか。
    動かないところから生き生き成長させるところまで、誰れができようか。

    道徳経(天の道)より

    親愛なる情を持って 
    あなたのマルティン・ハイデガーより

    返信削除
  9. 一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語。茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する[1]。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と戒める言葉。

    一生に一度だけの機会そのものを指す語としても用いられる[2]。

    語源と精神
    編集
    元は千利休の言葉とされる。利休は自著を残していないが、弟子の山上宗二は著書『山上宗二記』の中の「茶湯者覚悟十躰」に、利休の言葉として「路地ヘ入ルヨリ出ヅルマデ、一期ニ一度ノ会ノヤウニ、亭主ヲ敬ヒ畏(かしこまる)ベシ」という一文を残している。「一期」はもと仏教語であり、人が生まれてから死ぬまでの間、すなわち一生を指す[2]。

    利休の茶の様式であるわび茶においては、茶事の進行に火の強さと湯の煮え具合が相応し、自然な茶事の流れにより亭主と客の息遣いの調和が生まれることが重要視された[3]。古来利休の秘伝書とされてきた『南方録』は、近年では江戸時代の偽書であるとの説が有力だが、それでもなおこの書中には、

    一座一會ノ心、只コノ火相・湯相ノミナリ

    として「一座一会」の語のもと、関係する精神が継承されている。

    さらに、江戸時代末期になって、大老・井伊直弼が茶道の一番の心得として、著書『茶湯一会集』巻頭に「一期一会」と表現したことにより、同じく茶道の重要な精神とされる「独座観念」とともに四字熟語の形で広まった[1]。『茶湯一会集』では下記のように述べられている[4]。

    抑(そもそも)茶湯の交會(こうかい)は一期一會といひて、たとへば、幾度おなじ主客交會するとも、今日の會ににふたゝびかへらざる事を思へば、実に我(わが)一世一度の會(え)なり。さるにより、主人は萬事に心を配り、聊(いささか)も麁末(そまつ)なきやう、深切(しんせつ)實意(じつい)を盡(つく)し、客にも此會に又逢ひがたき事を辨(わきま)へ、亭主の趣向何一つもおろかならぬを感心し、實意を以て交るべきなり。是を一期一會といふ。

    ただし、「一期一会」ならびに対となる「独座観念」は草稿段階で見られず、これに直弼の茶湯思想の変遷が現れているとする観点もある[5]。

    出典
    編集
    ^ a b 「一期一会」『茶の湯用語集』 表千家不審菴、2005年、2015年1月3日閲覧
    ^ a b 『スーパー大辞林』三省堂、2013年
    ^ 竹鼻 圭子「観光と茶の湯に見られる非日常の洗練と成熟 : 希求される『もう一つの日常』」『観光学』和歌山大学、2009年、2巻、23-33頁、NAID 110007568990
    ^ 活字は奥田正造編『茶湯一会集』1936年、NDLJP:1185983に従い、ルビは適宜省略し、ルビのみ現代仮名遣いに改めた
    ^ 母利 美和「井伊直弼の著述活動と片桐宗猿 : 石州流相伝の師系をめぐって」『史窓』2005年、62巻、1-44頁、NAID 110004475962
    関連項目
    編集

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  10. 2 1[] 2019/10/23(水) 05:34:24.87 ID:0
    ブレーメン講演『有ると言えるものの観入』より

    この論文はまず「近さ」についての考察から始まり、近さの例として物とは何かと言うテーマが打ち立てられ、物の例として瓶(かめ)を手掛かりに思索が進み、瓶を構成している四方界が考察され、柔和さが物を物たらしめ「近さ」が生じるとする。

    7 1[] 2019/10/23(水) 19:58:05.03 ID:0
    『有ると言えるものの観入』の中で「柔和さ」と言う言葉は幾分唐突に感じる。
    私の直観的には、(ハイデガーは)老子の「柔らかさが天下を統べる」と言うような思想を意識していたのではないかと思う。

    返信削除
  11. 第79巻 ブレーメン講演とフライブルク講演。森一郎、ハルトムート・ブフナー 訳。
    1949年の「ブレーメン連続講演 有るといえるものへの観入」と1957年の「フライブルク連続講演 思考の根本命題」。

    返信削除
  12. ハイデッガー全集 第79巻(第3部門 未完論文 「講演-思い」) ブレーメン講演とフライブルク講演
    著者名等 
    ハイデッガー/〔著〕  ≪再検索≫
    著者名等 
    辻村公一/〔ほか〕編  ≪再検索≫
    出版者  
    創文社
    出版年  
    2003.2
    大きさ等 
    22cm 238,17p
    注記   
    Bremer und Freiburger Vortra¨ge./の翻訳
    NDC分類
    134.9
    要旨   
    未刊論文の中から、講演原稿2編を収録。
    目次   
    有るといえるものへの観入(物;総かり立て体制;危機;転回);思考の根本命題

    返信削除
  13. 荘子に処世、处世、處世なる単語はない。
    http://ctext.org/zhuangzi/zhs?searchu=%E8%99%95&page=6
    また処世を超越せよというメッセージが荘子の一般的な読みだ。ただ以下のような指摘がある。

    《『荘子・天下篇』にある
    「獨與天地精神往来。而不敖倪於萬物。不譴是非。以與世俗處。」
    (独り天地の精神と往来して、万物に敖倪せず、是非を譴めず、以て世俗と処す)
    「天地自然の神妙なはたらきとともに世界を往来しながら、万物の上にたって驕りたかぶるようなことはない。
    また是非の区別をきびしく追求したりすることもなく、世俗のなかにたりまじっている」
    *という金谷氏の解釈とも似た境地であるとも考えられよう。》

    金谷治訳注『荘子 第四冊雑篇』岩波書店 1971年 P229 以下pdf141~2頁

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  14. 荘子に処世、处世、處世なる単語はない。
    http://ctext.org/zhuangzi/zhs?searchu=%E8%99%95&page=6
    また処世を超越せよというメッセージが荘子の一般的な読みだ。ただ以下のような指摘がある。

    《『荘子・天下篇』にある
    「獨與天地精神往来。而不敖倪於萬物。不譴是非。以與世俗處。」
    (独り天地の精神と往来して、万物に敖倪せず、是非を譴めず、以て世俗と処す)
    「天地自然の神妙なはたらきとともに世界を往来しながら、万物の上にたって驕りたかぶるようなことはない。
    また是非の区別をきびしく追求したりすることもなく、世俗のなかにたりまじっている」
    *という金谷氏の解釈とも似た境地であるとも考えられよう。》

    金谷治訳注『荘子 第四冊雑篇』岩波書店 1971年 P229 以下pdf141~2頁


    http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/35210/1/SKK9_Ma.pdf

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  15. 馬論考
    https://nagasaki-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=4097&item_no=1&attribute_id=70&file_no=1
    141-2
    281金谷治訳注『荘子 第四冊雑篇』岩波書店 1971年 P229

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  16. 荘子
    https://twitter.com/_luminous_woman/status/1437581736624345090?s=21

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  17. 訂正

    荘子
    https://twitter.com/_luminous_woman/status/1437583243155369988?s=21

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