アドルノと音楽→
http://nam-students.blogspot.jp/2010/06/blog-post.html
徳永(恂) ぼくは音楽はわからないんで、ちょっと伺いたいんですが、彼のジャズ論というの
は…(以下略)
浅田(彰) 率直に言って、偏見だと思いますね。もちろん、シンコペーションのような要素は
秩序を破壊するどころか逆に強化する予定された逸脱にすぎないとか、ジャズは黒人の音
楽ではなく白人か黒人の音楽と称して売り出した商品だとか、いろいろと鋭いことは言っ
ている。それに、そもそも戦前はビッグ・バンドのスウィング・ジャズくらいしかなかっ
た。しかし、戦後、ビーバップからフリーまで、チャーリー・パーカーやバド・パウエル
からオーネット・コールマンやセシル・テイラーまでのジャズの歴史というのは、モダン
・ジャズという名前の通り、否定に否定を重ねて先鋭化していくというモダニズムの運動
を、もっとも典型的に、しかも、きわめて急速に反復してみせたようなものですよ。それ
でも、アドルノは最後になるまでジャズをまったく認めないわけでしょう。それは、べー
トーヴェンからシェーンベルクに至る音楽をもって絶対の規準とするという姿勢から来る
バイアスです。しかし、その意味では、ジャズは大衆音楽だからいけないというのではな
くて、ストラヴィンスキーも同罪なんですよ。
(「批評空間」第12号、1997年1月、31頁)
チャーリー・パーカー(Now's the Time - Charlie Parker)
http://www.youtube.com/watch?v=YHobIUQMlSw
ヨーロッパ・ジャズの歴史 Bud Powell (バド・パウエル)
http://www.youtube.com/watch?v=RV672I7-ulM
クレオパトラの夢 byバド・パウエル(Bud Powell)
http://www.youtube.com/watch?v=jKVSmeI8bbQ
オーネット・コールマン(Ornette Coleman )
http://www.youtube.com/watch?v=pWgCXjtxxFI
Ornette Coleman - Lonely Woman
http://www.youtube.com/watch?v=DNbD1JIH344
Cecil Taylor
http://www.youtube.com/watch?v=cP5L8tjnB6w
Fragmento del documental de Ron Mann "Imagine the Sound" del año 1981. Ver tocar a Cecil Taylor es impresionante...
10 Comments:
http://blog.zaq.ne.jp/fortepianoyamamoto/article/44/
ピアノの起源 マックス・ウェーバー 音楽社会学からの引用
マックス・ウェーバー 音楽社会学
訳解 安藤 英治、池宮 英才、 角倉 一朗
創文者
p231
二九
近代に固有の第二の鍵盤楽器たるピアノは、技術的には非常に異なった二つの歴史的起源をもっている。一方にはクラヴィコードClavicord がある。 全西欧世界の合理的音測定の基礎となった初期中世の〝モノコード〟は、一本の弦と移動する駒を持った楽器であるが、クラヴィコードは、このモノコードの弦を増やしてでき上がったものであって、多分間違いなく修道僧の発明になるものであろう。 ~ 略 ~
十四世紀には二十二の全音階の音(hと並んでbも含め、Gからe´まで)を包括るするだけの音域
p232
を持っていたこの楽器は、アグリーコラの時代(十六世紀)にはすでに、Aからh"に及ぶ半音階的音階をもつまでになっていた。この楽器の音はすぐに消えるので、これが装飾的恩恵を生む刺激となり、かくてこの楽器はとりわけ厳密な意味での芸術音楽に使う楽器となっていた。この楽器は、弦の鳴っている部分を区切って沈黙させるタンジェントによって打鍵された。楽器の運命がもはや少数の音楽家や耳のこえた素人達(ディレッタント)の需要によっては決定されず、資本主義的になった楽器生産の市場の諸状況によって決定されるまでになるまでは、この楽器は、ハンマークラヴィーアHammerklavierとの競争に負けることはなかったが、それは、完成の域に達したこの楽器独特の音色の効果、つまりその特徴たる表現豊かな〝顫音〟Bebungenのおかげであった。
ピアノの第二の源は、プサルテリウムPsalteriumに由来する〝クライヴィシムバル〟Clavicymbal、〝クラヴサン〟Clavecinまたは、〝チェンバロ〟Cembaloと、これと多くの点で異なったイギリスの〝ヴァージナル〟Virginalとである。これらの絃は、それぞれの音に一本ずつあって羽茎で掻き鳴らされたので、強弱や音色を調節する能力はないが、タッチTonanschlagは非常に自由であり、明確であった。前に述べたような短所はクラヴサンとオルガンに共通しており、ひとびとは同様の技術的手段をもってこの短所を匡正しようと努めた。十八世紀に入るまでオルガニストは正規のクラヴィーア製造家であり、したがってまたクラヴィーア作品の創始者でもあった。
~ 途中 略 ~
p234
ハンマークラヴィアは、一部はイタリアの土壌の上(クリストーフォリ)、一部はドイツの土壌の上に、種々の段階を経て発展して行った。しかしイタリアにおける諸発明は、最初そこでは実際上ほとんど利用されなかった。
イタリアの文化は、(実際、近代の戸口に至るまで)北方の音楽文化の室内空間的性格には無縁であった。ア・カペッラ歌唱A-capella-gesangとオペラは、そして特にオペラはそのアリアが、理解し易い、歌い易いメロディーを求める家庭需要を充たすように作られており、市民的な〝家庭〟ホーム文化がないという事実によって規定されたイタリア流の理想であった。こういう事情により、ピアノの生産とピアノのそれ以上の技術的発展との中心は、当時音楽的にもっとも良く―つまりこの場合、もっとも広汎に―組織されていた国、すなわちザクセンにおかれていた。
2008-06-25 | 記事へ | コメント(0) |
| 父の本棚から |
http://www.socius.jp/lec/18.html
ウェーバーの合理化論
音楽はあらゆる時代・あらゆる民族において発展した普遍的な営為だ。しかし、音楽に関して近代西欧においてのみ生じた特殊なことがある。それは独特の〈合理化〉である。
ウェーバーは『宗教社会学論集』の有名な「序言」のなかで、つぎのように問うている。要約すると「なぜヨーロッパ以外の地では、科学・芸術・国家・経済の発展が、西欧に特有の合理化の道をたどらなかったのか」-この「西欧に特有の合理化」のことをウェーバーが「呪術からの解放」とも呼んでいたことは前章でもふれた。ウェーバーは、この西欧に特有な合理化」の結果生まれたものとして、つぎのようなものをあげている▼2。
経済における資本主義的企業――形式的に自由な労働・合理的経営形態・家政と経営の分離・合理的な簿記
行政における官僚制組織
国家における議会制度・憲法・合理的法体系
学問における近代自然科学――数学的な表現と基礎づけ・実験による検証・組織的研究の場としての大学
芸術における市場向け生産物――文学出版物・雑誌・新聞・劇場・美術館
絵画における遠近法
音楽における和声音楽[対位法・和音和声法]
以上の諸現象は今日わたしたちにとって自明な――それゆえ普遍的にみえる――ものばかりだが、じつはいずれも近代西欧にのみ発生した、歴史的にみてきわめて特殊な現象なのである。そこには独特の〈合理化〉が一様にみられた。
西欧音楽の合理化
晩年のウェーバーの関心は、西欧近代社会がたどった合理化過程に集中しており、かれの未完の草稿「音楽の合理的社会学的基礎」(通称「音楽社会学」)もその視点につらぬかれている▼3。
さしあたりウェーバーの関心は西欧音楽独自の音組織にあった。具体的には、合理的和声と調性である。和声音楽はトニック・ドミナント・サブドミナントの三つの三和音の組み合わせによって構成される。これは近代西欧音楽独特のものである。これを可能にするのはオクターブ空間の均質的な構成である。つまり十二平均律である。これがあってはじめて自在な転調が可能になり、和声音楽の表現力は飛躍的に高まる。ところが、じつは自然に聞こえる和音にもとづいて調律すると、オクターブがあわないのである。音響物理学ではこれを「ピュタゴラス・コンマの問題」と呼ぶ。このさい近代西欧音楽は聴覚上の調和よりも十二音の間隔の均一化を選択する。つまり、よく響くが音楽的ダイナミズムに欠ける純正律ではなく、聴覚上若干の不協和があるが自在な音楽表現を保証する平均律を選ぶのである。J・S・バッハの「平均律クラヴィーア集」(第一集)は、その転換点を刻印する作品だった。
以上の西欧独特の音組織は、他のさまざまな要素と連動していた。第一にあげなければならないのは記譜法の成立である。西欧以外の伝統的音楽はいずれも精密な楽譜を発達させなかった。五線符に音楽をく書く記譜法は、もっぱら〈演奏する〉活動だった音楽を「書く芸術」に変化させた。ここではじめて作曲家と演奏家が分離し、〈音楽を書く人〉としての「作曲家」が誕生することになる。第二に、楽器とくにピアノにいたる鍵盤楽器の発達が関係する。鍵盤楽器が他の諸楽器と異なるのは、調律を固定しなければならないことである。とりわけピアノは純正律から平均律への転換に大きな役割を果たした。
もちろん、宗教をはじめとするあらゆる文化現象がそうであるように、音楽現象も、非合理的で神秘的な性質をもつ。じっさい、いわゆる民族音楽としてわたしたちが知っている多様な音楽のほとんどは、もともと非合理的で神秘的な性質をもっている。しかし、近代西欧音楽は、しだいに非合理性と神秘性を溶解させ、独特の合理化を果たすのである。ウェーバーの歴史社会学は、その合理化が、ひとり音楽のみならずあらゆる社会領域において浸透していった壮大な潮流のひとつの支流であることを教えてくれる。
▼1 ブレヒトの「歴史化」については2-2参照。
▼2 「宗教社会学論集序言」マックス・ヴェーバー、大塚久雄・生松敬三訳『宗教社会学論選』(みすず書房一九七二年)。なお、ユルゲン・ハーバーマス、河上倫逸・フーブリヒト・平井俊彦訳『コミュニケイション的行為の理論(上)』(未来社一九八一年)第二章およびディルク・ケスラー、森岡弘通訳『マックス・ウェーバー――その思想と全体像』(三一書房一九八一年)一五九ページ以下参照。
▼3 マックス・ウェーバー、安藤英治・池宮英才・角倉一朗訳『音楽社会学』(創文社一九六七年)。くわしい解説が訳注として付された親切な訳本だが、本文前半に音響物理学を利用した非常に難解な部分があり、直接これを読んで理解できるのは、そうとう音楽理論と数学の得意な人ではなかろうか。そこでこの本に付せられた安藤英治の解説「マックス・ウェーバーと音楽」をはじめとして以下の解説を参照した。ディルク・ケスラー、前掲訳書。R・コリンズ、寺田篤弘・中西茂行訳『マックス・ウェーバーを解く』(新泉社一九八八年)。吉崎道夫「ウェーバーと芸術」徳永恂編『マックス・ウェーバー――著作と思想』(有斐閣新書一九七九年)。吉崎道夫「非合理と合理の接点にあるもの――ウェーバーの『音楽社会学』を廻って」『現代思想』一九七五年二月号。勝又正直「M・ヴェーバーの『音楽社会学』をめぐって」『社会学史研究』第九号(一九八七年)。ウェーバーの音楽社会学はウェーバー研究の文脈では年々その重要性が評価されているようだが、一般には社会学として継承されていない。このあたりの事情については、アルノルト・ツィンゲルレ、井上博二・大鐘武・岡澤憲一郎・栗原淑江・野村一夫訳『マックス・ウェーバー-影響と受容』(恒星社厚生閣一九八五年)参照。
http://monyabetter.dtiblog.com/?mode=m&menu=cno&cno=2&page=2
最新の記事
・ ウェーバー『音楽社会学』(その1) 画像
02月21日
和声的に合理化された音楽は、すべてオクターブ(振動数比1:2)を出発点とし、このオクターヴを5度(2:3)と4度(3:4)という二つの音程に分割する。つまりn/n+1という式で表わされる二つの分数――いわゆる過分数――によって分割するわけで、この過分数はまた、5度より小さい西欧のすべての音程の基礎でもある。ところが、いま或る開始音から出発して、まず最初はオクターヴで、次に5度、4度、あるいは過分数によって規定された他の何らかの〔音程〕関係で、「圏」状に上行または下行すると、この手続きをたとえどこまで続けても、これらの分数の累乗が同一の音に出くわすことはけっしてありえない。例えば、(2/3)12にあたる第十二番目の純正5度は、(1/2)7にあたる第七番目の8度よりも、ビュタゴラス・コンマの差だけ大きいのである。このいかんとも成し難い事態と、さらには、オクターヴを過分数によって分ければそこに生ずる二つの音程は必ず大きさの違うものになるという事情が、あらゆる音楽合理化の根本をなす事実である。この基本的事実から見るとき近代の音楽がいかなる姿を呈しているか、われれれはまず最初にそれを思い起こしてみよう。――M.ウェーバー『音楽社会学』創文社:3頁.
20世紀初頭に活躍したドイツの社会学者、マックス・ウェーバーの『音楽社会学』の冒頭の1段落目。ウェーバーは、平均律における「異名同音」および「5度循環」システムもの持つ矛盾を指摘するところから議論を始め、以下のような指摘を行う。
旋律法の非合理性によって誘発されたかかる緊張がなかったならば、いかなる近代音楽も存在しえないであろう。なぜならこのような緊張こそ、近代音楽のもっとも重要な表現手段のひとつだからである。それがどのように用いられるか、それはもはやここで論ずべき問題ではない。というのも、ここでは〔音楽の〕もっとも単純な諸事実に基づいて、次のことを思い出すだけで十分だからである。すなわち、音楽の和音的合理化は、旋律上の諸事実との絶えざる緊張関係のうちに身を置き、旋律上諸事実を完全に自分の中に同化することはけっしてできないということ。しかもそれだけではなく、音楽の和音的合理化は、それ自体のうちにも非合理的な要素を内蔵しているということである。それは7度が、――間隔的に見ると――非相称的な位置を占めていることの結果であって、そのような非合理性は、前述した短音階の構造の避け難い和声的多義性のうちに、もっとも素朴な形で表れている。――同上:21-22頁
ウェーバーは、西洋近代音楽における和声理論の内法する、旋律と和音との非整合性(非合理性)を、「緊張関係」として析出し、これを西洋近代音楽を駆動する原理、ひいては西洋近代における「合理化」の根本原理として捉えようとした。
冒頭の20頁程度でポピュラーミュージックの依拠しているシステムの根幹をつかみだすこの剛腕ぶりたるやもう。「緊張関係」ってのはかなり重要なキーワードだと思う。
※時間がないので今日は難しい本からの引用で時間稼ぎ。書誌情報は後ほどあらためて。
コメント:0 | -
<>
HOME
カテゴリ
5つ星のうち 4.0 音楽の社会学的基礎 2003/7/14
By yayoilab
原書のタイトルは「音楽の合理的・社会学的基礎」。和声の調和分割原理(本書では、和声的分割)と旋律の間隔原理という二つの理念型で世界の音楽史を読み解いていく実にスリリングな本です。百年程前に書かれたとは思えないほど、今読んでもヴェーバーのセンスの良さには驚かされます。
http://toshihiroide.wordpress.com/2012/10/31/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%A8%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6/
コンテンツへ移動
ホーム
紹介
← 川越まつりの「いき」植田伸子へのHommage →
マックス・ウェーバーと音楽社会学
投稿日: 2012年10月31日
音楽社会学
近代知の巨人といわれるマックス・ウェーバーの生涯は西欧近代の本質を考え続けたことであった。――本質とは要因であり、担い手であり、果実である。これらは分化しつつ相互に影響して、場合によって統合される。彼の関心は多岐に亘る—それ故に巨人と称せられるのである—が、私が音楽社会学というカテゴリーに気づいたのは比較的新しい。一般に『音楽社会学』といわれる文献は「音楽の合理的かつ社会学的基礎(Die rationale und soziologische Grundlagen der Musik)」であって、まだ読破してはいない。も読みこなせるかどうかも疑問なので、世の中に流布しているウェーバーの解説書を基にしての話をすすめる。
ウェーバーは西欧音楽を「他の諸地域の歌唱や演奏がヨーロッパより優れている例はいくらでも挙げることが可能だが、和声音楽の分野では西欧近代音楽の優位性は揺るぐことがなく、他地域ではこの分野を構築することができなかった」といったように位置づけている。音楽は近代西欧が創りあげたと言っているに等しい。
西欧の文化が世界に一般化されて近代文明となったことの例証はたやすい。「経済における資本主義生産様式」であり「国家体制としての憲法と三権分立の法治」である。「官僚制行政組織」に「自然科学の学問的探求と大学の設立」もそうだ。「芸術の市場商品化」も進展した。それによって絵画に遠近法が共有され、また音楽に和声音楽が確立された。芸術としての絵画や音楽が人類の到達した高みとして定立されたのである。
音楽の3要素といわれるものは旋律melodyと律動rhythm及び和声harmonyである。和声音楽とは和音和声chord harmonyであり、自由な転調や移調を可能とした均質なオクターブを保障した12平均律に基づく。12平均律とは1オクターブを12等分する音律をいう。隣り合う半音の周波数比は一定である。楽譜が生まれ記譜がなされ、生まれた曲をwrite downすることで作曲が可能になった。ひいては近代産業資本の勃興にも資することとなったのである、と。
12平均律が今ある楽譜を生み出して芸術の市場化に与ったのは理解できる。だが一挙に産業資本の勃興まで論じられては少し鼻白む。西洋音楽が地球の覇権を握ったことは諒解できる。たとえ世界No.1の国が中国になったとしてもチャルメラがトランペットに代わることはありえない。メロディーとリズムはあってもハーモニーがないエスニック音楽では(たとえば勇気といった)感情を表現するのは不十分である。
「君が代」の作曲は原曲を英国公使館軍楽隊長のジョン・ウィリアム・フェントンが作り、宮内省雅楽部の林廣守が改作した演奏を同僚の奥好義が曲に起こし、お雇い外国人音楽教師だったドイツ人フランツ・エッケルトが西欧的和声をつけて編曲したものである。和声がなくては国家の荘重が表現されなかったのであろう。
合理的な和声音楽と、自由な転調や移調によって豊かな感情を表現する調性音楽の完成は、「産業資本の勃興に与った」というテーゼも牽強付会ではない気がしてくる。明治新政府が西洋文化の“なんでも猿真似”に狂奔したのも、強ち税金の無駄遣いではないのかもしれない。富国強兵を実現するのは軍楽隊のマーチが不可欠だったのである。
平均律を択った意味
音としての和音和声が西欧以外の他の諸地域、東洋やインドなどの人々が無知だったわけではない。古代黄河文明ではすでに12音程の知覚があり、江戸期の和算でも音程の差を12乗根で開く方法を会得している。となると、むしろ平均律への冒険を敢えて行った西欧文化の「勇気」を賞賛するべきかもしれない。
楽音とはヒトが快いと感ずる音であって、文字通り音楽に使われる音である。共鳴という概念は固有周波数による音の増幅といっていいが、これによって音楽は鈴鈴と鳴り響いて強く大きくなる。その音を楽音は掬いとる。
平均律は1オクターブの音を12音程に等分したが、それは経験値による音程数を数学的に平均した結果である。平均律の反対概念を純正律という。純正律は経験値によって和音が濁らない音程でつくられた音階である。平均律が「1オクターブの周波数比は2」で「隣り合う音程の周波数比は12√2:1」であること、純正律とは「和音の周波数比が整数になる」ことが定義となったのは科学的後追いである。1オクターブを12分する科学的根拠はなく、純正律和音の調和も説明できない。すべてはヒトの感性の賜としかいいようがない。
平均律の音程と周波数は対数曲線で表される。対数の解はほとんどが無限小数であるようにanalogueであるに対し、純正律の解である整数はいわばdigitalである。アナログ楽器である弦楽器の場合、演奏者の耳と腕によって和音の音程を調和させることができる。しかしデジタル楽器であるピアノの調律は難しい。マックス・ウェーバーは『音楽社会学』のなかでピアノの起源に言及していが、「ピアノによる音感訓練は微妙な聴覚を鈍らせる」とも述べている。そもそもピアニストはコンサートホールにMy pianoを持ち込めない。
12平均律は音の美しさを犠牲にして音楽表現の多彩な可能性を選択したということもできる。その結果主題が確固としていた調性音楽は、さらに自由な感情表現をもたらす無調整音楽に取って代わられた。絵画が具象の覊束を脱して印象派から絢爛たる抽象へと自由に手足を伸ばすようになったように、芸術の様々の分野においてタイトルに束縛されない「芸術のための芸術」が花開いてきたのである。
ウェーバーの限界性
近代西欧音楽が産業資本の勃興にどう与ったのか、ウェーバーも精緻な論証によって解明したわけではない。『音楽社会学』は彼の死の翌年に未完のままで発表された。
さらに言及すれば、ウェーバーの論じた西欧近代の本質の前提であった「西欧の優位」が破綻したことのなかに彼の洞察力の限界を思うのである。破綻とはEUの経済的な揺らぎといったことではなく、資本主義生産様式が近代的合理主義の確立—国家体制の法治や行政官僚機構及び高等教育機関を軸とする自然科学の進展など—がなくとも容易に成功できるようになったことである。
逆説的にいえば、音楽や絵などの文化的な近代西欧化がなされなくともいい。そうした「国家としてのハビトゥス」は不必要なのだとなると、本気で「西欧の没落」がやってきたとすら思える。—これについては「ハビトゥスの妖怪」(1)~(4)(2011/06/24~06/30)を参照してほしい。—
だれもが「資本主義の精神とは節制と禁欲である」との彼の“箴言”を信じなくなっている。資本主義がその瑞々しい精神が蘇生させることができるかどうかが問われているのである。
1920年と今日の音楽情況はまるで異なる。音楽社会学が意味するものは現代こそ大きくなっているようだ。
http://toshihiroide.files.wordpress.com/2012/10/baion.jpg
クラシカル・ギターを止められない:So-netブログ
http://classical-guitar.blog.so-net.ne.jp/archive/201101-1
これは,長3度純正が旗印です。そのために5度をs.c.基準で狭めます。その代償として広過ぎて使えない5度(ウルフ)を発生します。図のものはEs型と呼ばれるものですが,ウルフの位置は必要に応じてずらすようです。しかし,この約+41セントのウルフすら使い様によっては面白く,平均律が広まるまでの永い期間の鍵盤楽曲を豊かにしてきた側面があるようです。
次は5度も長3度も純正にとる純正律です。前回取り上げた15音のオイラー純正律から,12音を拾い上げたのが以下のものです。拾い上げ方には3通りほどあるようですが,これはその一例です。
http://meantone.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301172129-1
0716ヒントの解答補足(三連休特別企画w)バンの「完全鍵盤」を解明する [純正律(Just Intonation)]
純正律論がヒートアップしていることもあり、折角なので、ここらで一つ「純正律用」分割鍵盤論などを。
先日書いたように、「古楽の音律(東川清一編、春秋社)」によれば、鍵盤楽器の世界では、(ミーントーンでなく)「純正律で演奏するための」分割鍵盤を付けた楽器が16,17世紀に色々制作されていた、ということでした(67頁)。
で、その中でも、ヨハン・アルベルト・バン(Joan Albert Ban, 1597/1568-1644)が考案したといわれる分割鍵盤(の仕組み)が、現在の音律関係資料として有名、というか(おそらく)我々が書籍を通じて知ることのできる唯一のもの、と思われます。
J.A.バンは、ハーレム生まれの聖職者で、音楽理論家、作曲家でもあり、自ら考案した下記図(クリックで拡大可能)による特製チェンバロの鍵盤を「完全鍵盤」と呼んでいた、とのことです。
https://twitter.com/Kren2rideauxUFO/status/406391982907326464/photo/1
逃走論と切断論
パラノ スキゾ アスペ
インテグレーション ディファレンシエーション アイソレーション
蓄積 ギャンブル 節約
定住 逃走 仮住まい
セントラル マージナル パーシャル
メジャー マイナー メジャーとマイナーの混乱
ドメスティック ワイルド ワイルズ
〈内〉の思考 〈外〉の思考 〈傍〉の思考
トータリティ インフィニティ フィニチュード
ヘテロ ゲイ クィア
ウェット ドライ クリスプ(?)
ピュアブレッド ハイブリッド クローン(分身)
Les rideaux cland @Kren2rideauxUFO
千葉雅也 浅田彰 逃走論と切断論 おもしろかった けど、、 pic.twitter.com/LmlCpZJh7F
8:59 PM - 29 Nov 2013
https://twitter.com/Kren2rideauxUFO/status/406391982907326464/photo/1
逃走論と切断論
パラノ スキゾ アスペ
インテグレーション ディファレンシエーション アイソレーション
蓄積 ギャンブル 節約
定住 逃走 仮住まい
セントラル マージナル パーシャル
メジャー マイナー メジャーとマイナーの混乱
ドメスティック ワイルド ワイルズ
〈内〉の思考 〈外〉の思考 〈傍〉の思考
トータリティ インフィニティ フィニチュード
ヘテロ ゲイ クィア
ウェット ドライ クリスプ(?)
ピュアブレッド ハイブリッド クローン(分身)
コメントを投稿
<< Home