ページ

金曜日, 12月 26, 2008

2008年11月27日早稲田講演

11月27日の早稲田大学柄谷行人講演は、以前の朝日センター及び札幌講演(「中間団体論」)を反復したものだが、「なぜデモをしないのか」というタイトルに相応しい盛り上がりを見せた。
といっても政治演説ではなく、学術的に丸山真男などをつかって、4つの交換図を日本の近代史に適応させ展開したものだった。
(デモがないのは)政治的敗北とそのトラウマによるものだから、社会学的分析は間違っている、という発言には衝撃を受けた。

ただし、感想として中間団体の重要性とアソシエーションの重要性は一義的には直結しないと思った(その点、個別団体という言い方の方が重要な気がする。個別化の根拠はライプニッツが探したものでもある*)。

全体として、モンテスキュー(選挙は貴族制であってくじ引きこそ民主制)をくじ引きの提唱者として例証する等、歴史家としての柄谷氏は成熟しつつあるのではないか(デモなどがなければ民主制ではないという意見は貴重だ)。

気になったのは、4つの交換図と丸山の図↓(全集9巻所収)が相似であることを多くの観衆(150人以上)が理解していないのではないかということだ。

4つの交換図:

国家    国民
    +
資本    アソシエーション    


丸山の図:

I自立化   D民主化
    +
P私化   Aアトム化

この図はDIPAと進むが、IとAをひっくり返せば4交換図そのものだ。
中間団体はあくまで一元化への抵抗だから、Iをそのままになうわけではないだろう。
中間団体を外へ開く新たなアソシエーションのありかたが、内と外両面から必要なのだ。その意味で講演の主催者はこの講演内容によって自らの課題を明確に出来たことを喜ぶべきだろう。

柄谷は、独裁者も専制君主もいないが現在の日本は専制主義だと言う。
テレビや新聞の統計調査や支持率(という名の専制君主)が一人歩きする社会で、代表制が空転している。デモやくじ引きを排除し、民主主義=選挙だと思ってしまっているかぎりそれは当然の帰結だ。
同時にネット上の匿名による中傷も相手にする必要がないと言う。
立場や発言の場が変わればどうせ意見を変えるだろうからだ。

結論として、 状況を変えるには中間団体を大事にするしか無い、それには顔見知りになる必要があると言う。
顔も知らないでアソシエーションなど不可能だと言う。
その発言のせいもあってか、ママキムチという韓国料理店で開かれたオフ会は盛況だった。


追記:

丸山の図は外周が円になっており、回転による移行を表現しやすくなっている。また原論文では矩形の変化で4つの要素の割合が個人個人で変わることを表現している。

(丸山が原論文で様々な可能性を示唆しているとはいえ、丸山が示した一般的順序とは逆回りに歴史は動いていると思う。明治維新及び民権運動D→強権による運動挫折A→私小説P→文芸協会や新しき村I。全共闘D→強権発動D→消費社会A→?と動いているからだ。)

さて、私見では4交換図はカントのカテゴリー論やマルクスの交換価値論にも対応する。


量  質
  +
関係 様相


拡大された形態    縮小された価値形態

        +

一般的等価形態      貨幣形態

あるいは、マルクス自身の章分けとは少し違うが、以下の解釈がわかりやすい。

等価形態         相対的価値形態
量=Y   Yb = xA    質=A
(→Y量の商品bと等価)  (x量の商品AはY量の‥→)

          +
一般的価値形態     貨幣形態
関係          様相
L=a,           a,=G
b,             b,
c,              c,
d,,,           d,,,      

参照:武市健人(『大論理学』下解説)

問題は貨幣形態にあたる部分だが、これはさらにパーソンズ流に分節化する必要があるだろう。ゲゼルの減価式への視界は貨幣形態の(技術的な部分での)分節化によって開けるであろうからだ。

カント自身は、理性的心理学(岩波文中p75)の命題を様相から量へ逆流させて考えている。
(あくまで量を起点にカントは考えている。**)

性質は内包量なのだから当然なのだが、価値形態論の場合は質による交換、量をはかった等価交換と進むので、質から量へと進む。

また以下のような哲学史見取り図も可能だ。

量            質
ヘーゲル        スピノザ
ライプニッツ      ニーチェ 
プラトン
       +
関係           様相
デカルト        カント
マルクス        ハイデガー

主に実在論者が量/質、唯名論者が関係/様相に位置づけられる。
ドゥルーズは実在論者として質にも位置づけられるが、同時に、フーコーとともに様相の思想家でもあると思う。


ライプニッツはスアレスの以下の原理を採用した。「全ての個体は、その存在全体によって個体化される Omne individuum sua tota entitate individuatur 」

**「直観はすべて外延量である」(岩波文庫上p237)というのはカントの視覚中心主義の残余でしかないから、カント自身が『判断力批判』でおこなっているように質を直観を最初に置いても間違いではないと思う。

11 件のコメント:

  1. 価値形態論とカテゴリー論
    http://yojiseki.exblog.jp/4201320/

    ヘーゲルを媒介にした、
    価値形態論(マルクス)とカテゴリー論(カント)。以下メモ。

    [1]単純な価値形態

    <等価価値(貨幣)bと相対的価値形態(商品)a>

    商品の価値は他の商品の使用価値で表現される、

    W-G,G-W
    a=b

    「主語aの様子を述語bで表現する、質的判断」−
    カントの判断表、 
    質 →肯定的(〜である)
        否定的(〜でない)
        無限的(〜は非−である)

    肯定判断
    Px
    否定判断
    ¬(Px)
    無限判断
    (¬P)x  [u]

    [u] =“¬P”を一つの述語記号とする

    [2]拡張された価値形態

    W-G,G-W
    ax=b, a=c, a=d,...a=n

    「述語bの本質を主語aの量xで表現する、量的判断」+
    量 →全称的(すべての〜は−である)
        特称的(幾つかの〜は−である)
        単称的(一つの〜は−である)

    全称判断
    (∀x)Px
    特称判断
    (∃x)Px
    単称判断
    (∃x)(Px∧(∀y)(Py⇒x=y))

    [3]一般的価値形態

    <aが等価価値(貨幣)に、bが相対的価値形態(商品)に転換>

    b=a, c=a, d=a,...n=a
    a=b
    =c
    =d
    =...
    =n

    「本質(両者の関係)の展開」×
     関係→定言的(〜である)
        仮言的(〜ならば、−である)
        選言的(〜か−である)
    関係
    定言判断
    Px
    仮言判断
    Px⇒Qx
    選言判断
    Px∨Qx

    [4]貨幣形態

    b=a, c=a, d=a,...n=a
    a=b
    =c
    =d
    =...
    =n
    a=Gold(金)として定着、様相が固定化する。

    「個別としての普遍(=必然性)の概念の展開の度」÷

     様相→蓋然的(〜かもしれない)
        実全的(〜である)
        確定的(〜であるに違いない)
    様相
    蓋然判断
    ◇Px
    実然判断
    Px
    必然判断
    □Px

    結論:<貨幣による交換は、自由で対等な関係をもたらすが、
        等価価値(貨幣)bと相対的価値形態(商品)aという非対称な関係
        を伴う>


    参考:「」内は、ヘーゲル全集『大論理学(下)』武市健人訳注より。

    返信削除
  2.    絶対的
     時間 | 法則
    拡大__|__単純
     効率 | 総合
       相対的

    返信削除
  3. https://www.jmrlsi.co.jp/membership/mnext/d07/2002/ls3-1-3.html

    https://www.jmrlsi.co.jp/membership/mnext/d07/2002/1-03.gif

     1960年の夏、箱根で日米の学者によって、「日本における近代化」に関する箱根会議29)が開かれた。非西欧圏で成し遂げられた唯一とも言える近代化の成功事例として、日本を取り上げ、その成功要因を研究することに目的があった。会議の成果は別にして、このなかで、丸山眞男は、「個人析出のさまざまなパターン-近代日本をケースとして-」30)というユニークな報告をし、論文としてまとめられている。丸山の意図は、政治学の立場から、日本人が近代化に対してとった態度のパターン(個人析出のパターン)とその変動によって、明治以降の近代化を説明することを狙ったものである。
     丸山は、近代化によって生まれる個人(個人析出)を、権力(中央政府)に対する距離(遠心性-求心性)と他者への関わり(結社形成的-非結社形成的)という2軸によって構成し、個人を四つの個人析出のパターンに分類する。個人の析出、あるいは個人化の過程(individuation)は、極めて単純な仮説演繹的なモデルであるが丸山のオリジナルなものである。個人析出とは、伝統社会に埋もれた意識から個人意識が誕生するということであり、「この類型化の理論的前提は、『個人が政治的権威の中心に対して抱く距離の意識』の度合いと、『個々人がお互いの間に自発的にすすめる結社形成の度合い』とをそれぞれ横軸、縦軸にとり、権威に対する求心・遠心、結社形成に対する関心・無関心の傾向性を組み合わせることによって一般に個人析出の四つのパターンを仮定しうる」31)というものである。さらに、橋川によって、日本の土着的な個人主義を分析する上で、「この図式の有効性には疑問は少ないかもしれない」32)と評価されている。
     さらに、L.ローウェル33)の方法論を援用して、図式的なパターンとその相互作用を用いて、政治のダイナミズムをモデル化しようとする。その狙いは、ナショナリズムの偏頗とも言える「超国家主義」へと至る日本の政治過程を大衆の価値意識である個人主義の次元で分析し、アメリカ知識人に対して、個人主義のパターンとその比率によって、日本の近代化について解説を加えようとしたものである。同時に、「デモの夏」と言われた会議開催時の政治の流動状況(「60年安保闘争」)、すなわち、日本の民主主義の成熟度をも分析の視野に収めようとするところにあった。岸信介による日米安保条約改定や再軍備の動きのなかで、政治の「逆コース化」、「右傾化」と「反安保」の大衆運動の分析を狙ったものである。
     この問題意識は、グローバル化が世界の人々にどんな個人主義をもたらそうとしているのか、という課題と極めて近接的なものである。すなわち、「近代化」を「グローバル化」に置き換えればよい。グローバルなサイバー空間はどんな社会性を持っているのか。それを支える個人主義とはどのようなものなのか。それは、世界と日本がどこに向かおうとしているのかについて、社会の全体性を個人意識の行方から、また、反作用として、個人の意識を社会の全体性の変化から明らかにできることを意味している。
     独自の政治学と思想史の方法論を持つ丸山が、これを実証レベルで検証しようとする意図を持っていたとは思えない34)。また、丸山眞男へは、近年、「左右」から様々な批判が浴びせられる。「近代市民社会への思い入れ」による福沢諭吉の「歪んだ解釈」35)、「知識人エリート」の驕り36)、東京裁判の強引な解釈37)などが批判の俎上にあげられている。しかし、批判にさらされるほど、「日本の土着的な思考、組織秩序と政治」への「切れ味」は、「市民社会的な偏向」38)を考慮しても、なお鋭い。ここで紹介する丸山の方法論と図式的な個人主義の解釈(以下、丸山モデルと呼ぶ)も光彩を放っている。我々は、この方法論を実証することによって、丸山モデルと自らの問題意識を批判的に検討する。
     まず、丸山眞男の方法論を、個人析出のパターンの素描、析出軸の解釈、個人パターンと社会変動の理念モデル、日本の歴史での例証の順に解説し、我々の調査の方法論的出発点としたい。
     第一に、個人析出のパターンの素描である。丸山が析出した個人の態度には、四つのパターンがある。すなわち、「自立化」、(individualization)、「民主化」(democratization)、「私化」(privatization)、「原子化」(atomization)である。
    図表3 個人析出のパターン

    個人析出とは、伝統社会に埋もれていた無意識から、外的衝撃によって個人意識として浮上し確立することと解釈できる。江戸時代、藩の主君への忠誠意識しか持たぬ武士層が、「日本」という国を再発見し、同時に「個人」を自覚したのは、まさに、ペリー来航の開国要求の衝撃によってであった。さらに、これが伝統社会から近代社会への移行過程での後進国における個人主義の包括的な類型化であることは言うまでもない。この四類型の軸は、先に述べた通り、「結社形成的―非結社形成的」の軸と権力に対する「遠心性と求心性」の二軸である。丸山に基本的に従って我々の再解釈も踏まえながらこの四類型について素描していくことにする(図表3)39)。
     「自立化」(I)とは、権力に対して遠心的で、結社形成的態度を持つ個人である。「自由独立で自立心に富む」イギリスの「ヨーマンリ-」から転化した上昇期ブルジョアジー40)、植民地を独立に導いたアメリカのピューリタンなどのエートスであり、D.リースマンの分析との対比で言えば、「内面指向型」(Inner-directed)である。石川啄木が典型的な事例としてあげられる。明治期では、丸山が晩年に取り上げた福沢諭吉が含まれるのかもしれない。
     「原子化」(A)は、「自立化」と全面対立する個人の態度である。「このタイプの人間は、社会的な根無し草状態の現実もしくはその幻影に悩まされ、行動の規範の喪失(アノミー)に苦しんでおり、生活環境の急激な変化に対する孤独・不安・恐怖・挫折の感情がその心理を特徴づける。原子化した個人は、ふつう公共の問題に対して無関心であるが、往々ほかならぬこの無関心が突如としてファナティックな政治参加に転化することがある。孤独と不安を逃れようと焦るまさにそのゆえに、このタイプは権威主義的リーダーシップに全面的に帰依し、また、国民共同体・人種文化の永遠不滅性といった観念に表現される神秘的「全体」のうちに没入する傾向をもつのである」41)。丸山の指摘にはないが、この原子化が、D.リースマンの「外面指向型」(Outer-directed)を体現するものであろう。
     「民主化」(D)は、権力に対して求心的で結社結成的な志向を持つ個人である。平等の理想を持ち、合理的な判断を行い、政治参加の基盤を拡大することをめざし、大衆運動を志向する。また、中央政府を通じた改革を志向し、自発的な集団や組織を形成する傾向を持つ。
     「私化」(P)は、権力に対して遠心的で、非結社形成的である。個人の私的生活にのみ関心があり、隣人や他者と政治的に結ぶのを嫌う。しかし、原子化個人のように、不安や孤独にさいなまれることはなく心理的安定を保っている。言わば、社会的実践からの隠遁者である。ここで丸山が想定しているのは、「日露戦争後、文学の支配的潮流となったいわゆる『自然主義』小説」42)であり、田山花袋の小説「蒲団」で描かれた「世間に幻滅し四畳半にひっ息して、爛れた愛欲生活に沈溺する」43)主人公や、夏目漱石の「それから」や「草枕」の主人公である。具体的には、急速に変貌する都市東京に集中的に現れた「大衆現象」を生み出す層であった。
     第二に、丸山は、個人析出をパターン化した上で、ふたつの析出軸から、政治及び社会の安定性とダイナミック性を分析する視座を提供する。
    図表4 求心性-遠心性軸

     権力への距離(遠心性-求心性)軸(水平)は、自立化(I)と私化(P)の合計である(IP)と民主化(D)と原子化(A)の合計である(DA)との比率によって、近代化の受け入れ度合いによる変革のダイナミズムの条件として解釈される(図表4)。これは、民主主義の成熟度合いと捉えることができる。近代化は、発展途上国では「上」から求心的に行われる。その結果、個人析出としては(DA)の比重優位から始まることになり、近代化の成熟に従って(IP)が増大することになる。
     すなわち、民主化タイプ(D)と原子化タイプ(A)の個人の比率の高さ、すなわち(DA)が、近代化に伴うナショナリズム運動や民主化要求などの大衆運動によるダイナミックな変革が起こりやすい条件とされ、逆に、自立化タイプ(I)と私化タイプ(P)の比率の大きさ、すなわち(IP)は、近代化が内発的にゆっくり受け入れられる条件と解釈される。前者の事例として、伝統的な農村社会が、急激な都市化・産業化にさらされた発展途上国での激変する政治的状況がイメージされ、後者は、先進国における穏やかな改革や急激な変革の収束期が想定されている。

    返信削除


  4. 【附 注】
    29) この会議の成果は、M.B.ジャンセン編(1971)に集約されている。
    30) この論文は、M.B.ジャンセン編(1971)に収められているが一部の図表に誤植があり、丸山眞男(1995)で修正されている。
    31) 橋川文三(1993)
    32) 橋川文三(1993)での丸山の析出パターンの評価。
    33) A.L.Lowell(1923)。丸山は個人析出のパターンで、ローウェルの文献を引用し、「本稿の図式や用語の前提をなす動機は、ローウェルのそれと必ずしも同じではない」という注をしている。しかし、実際は、「図形」としての図式は同じでも軸や分類は「必ずしも同じではない」どころか「全く異なる」丸山の独創的なものである。他方で、丸山(1998)ではローウェルの理解内容が議事録として残されているが、この記録から丸山がローウェルの文献を正確に理解していたということがうかがえる。したがってなぜ、「必ずしも同じではない」という「同じ部分もあるという」ニュアンスの注を入れたのか、何よりも個人析出という発想、その発想に基づく分類軸と分類カテゴリーという重要な分析の切り口が、どのような理論的背景で生み出されているのかは推理するしかない。ただ、丸山の個人、社会、国家についての全体的な認識から生まれ、その後の分析カテゴリーとなっていることは確かである。丸山の個人と社会についての認識について、詳細に文献トレースしているものに笹倉秀夫(1990)がある。
    34) 丸山が実証を意図したとは思えないのは、実証研究は、統計的な「方法的個人主義」に立脚するものであり、丸山の思想史的方法論とは異なるからである。現に、個人析出の分類枠組みを提示する丸山前掲論文での論証は、思想史的方法によって行われている。
    35) 西部邁(1999)
    36) 竹内洋(1999)
    37) 牛村圭(2000)
    38) 土着の分析に優れていることと、土着への態度とは関連がない。丸山は、「私は土着的とか日本的とかいう言葉にはほとんどアレルギー的反応を起こすんです」(「日本の近代化と土着」丸山(1995)所収)と述べている。
    39) 二軸及び四類型については何も解説されていない。特に、この四類型が丸山の個人と社会を分析する一貫したカテゴリーであった。別の角度から丸山研究を行った笹倉秀夫(1990)が丸山の個人と社会の捉え方を跡付けている。
    40) 丸山前掲論文。丸山が、イギリス資本主義の発展における「ヨーマンリー」を強調する言説を示しているのは、明らかに「大塚史学」の影響を受けていたとみることができる。現在では、「ジェントリー」説が有力である。大塚史学との関わりでイギリス史の日本での研究の動向についての回想に角山栄(2001)がある。

    41) 丸山眞男(1995)
    42) 丸山前掲書。
    43) 丸山前掲書。
    44) 超国家主義については、丸山(2000)を参照。

    返信削除
  5. 世界と日本の個人と社会のゆくえ
    -グローバル比較調査による世界地図
    代表 松田久一

    https://www.jmrlsi.co.jp/membership/mnext/d07/2002/1-03.gif

     1960年の夏、箱根で日米の学者によって、「日本における近代化」に関する箱根会議29)が開かれた。非西欧圏で成し遂げられた唯一とも言える近代化の成功事例として、日本を取り上げ、その成功要因を研究することに目的があった。会議の成果は別にして、このなかで、丸山眞男は、「個人析出のさまざまなパターン-近代日本をケースとして-」30)というユニークな報告をし、論文としてまとめられている。丸山の意図は、政治学の立場から、日本人が近代化に対してとった態度のパターン(個人析出のパターン)とその変動によって、明治以降の近代化を説明することを狙ったものである。
     丸山は、近代化によって生まれる個人(個人析出)を、権力(中央政府)に対する距離(遠心性-求心性)と他者への関わり(結社形成的-非結社形成的)という2軸によって構成し、個人を四つの個人析出のパターンに分類する。個人の析出、あるいは個人化の過程(individuation)は、極めて単純な仮説演繹的なモデルであるが丸山のオリジナルなものである。個人析出とは、伝統社会に埋もれた意識から個人意識が誕生するということであり、「この類型化の理論的前提は、『個人が政治的権威の中心に対して抱く距離の意識』の度合いと、『個々人がお互いの間に自発的にすすめる結社形成の度合い』とをそれぞれ横軸、縦軸にとり、権威に対する求心・遠心、結社形成に対する関心・無関心の傾向性を組み合わせることによって一般に個人析出の四つのパターンを仮定しうる」31)というものである。さらに、橋川によって、日本の土着的な個人主義を分析する上で、「この図式の有効性には疑問は少ないかもしれない」32)と評価されている。
     さらに、L.ローウェル33)の方法論を援用して、図式的なパターンとその相互作用を用いて、政治のダイナミズムをモデル化しようとする。その狙いは、ナショナリズムの偏頗とも言える「超国家主義」へと至る日本の政治過程を大衆の価値意識である個人主義の次元で分析し、アメリカ知識人に対して、個人主義のパターンとその比率によって、日本の近代化について解説を加えようとしたものである。同時に、「デモの夏」と言われた会議開催時の政治の流動状況(「60年安保闘争」)、すなわち、日本の民主主義の成熟度をも分析の視野に収めようとするところにあった。岸信介による日米安保条約改定や再軍備の動きのなかで、政治の「逆コース化」、「右傾化」と「反安保」の大衆運動の分析を狙ったものである。
     この問題意識は、グローバル化が世界の人々にどんな個人主義をもたらそうとしているのか、という課題と極めて近接的なものである。すなわち、「近代化」を「グローバル化」に置き換えればよい。グローバルなサイバー空間はどんな社会性を持っているのか。それを支える個人主義とはどのようなものなのか。それは、世界と日本がどこに向かおうとしているのかについて、社会の全体性を個人意識の行方から、また、反作用として、個人の意識を社会の全体性の変化から明らかにできることを意味している。
     独自の政治学と思想史の方法論を持つ丸山が、これを実証レベルで検証しようとする意図を持っていたとは思えない34)。また、丸山眞男へは、近年、「左右」から様々な批判が浴びせられる。「近代市民社会への思い入れ」による福沢諭吉の「歪んだ解釈」35)、「知識人エリート」の驕り36)、東京裁判の強引な解釈37)などが批判の俎上にあげられている。しかし、批判にさらされるほど、「日本の土着的な思考、組織秩序と政治」への「切れ味」は、「市民社会的な偏向」38)を考慮しても、なお鋭い。ここで紹介する丸山の方法論と図式的な個人主義の解釈(以下、丸山モデルと呼ぶ)も光彩を放っている。我々は、この方法論を実証することによって、丸山モデルと自らの問題意識を批判的に検討する。
     まず、丸山眞男の方法論を、個人析出のパターンの素描、析出軸の解釈、個人パターンと社会変動の理念モデル、日本の歴史での例証の順に解説し、我々の調査の方法論的出発点としたい。
     第一に、個人析出のパターンの素描である。丸山が析出した個人の態度には、四つのパターンがある。すなわち、「自立化」、(individualization)、「民主化」(democratization)、「私化」(privatization)、「原子化」(atomization)である。
    図表3 個人析出のパターン

    個人析出とは、伝統社会に埋もれていた無意識から、外的衝撃によって個人意識として浮上し確立することと解釈できる。江戸時代、藩の主君への忠誠意識しか持たぬ武士層が、「日本」という国を再発見し、同時に「個人」を自覚したのは、まさに、ペリー来航の開国要求の衝撃によってであった。さらに、これが伝統社会から近代社会への移行過程での後進国における個人主義の包括的な類型化であることは言うまでもない。この四類型の軸は、先に述べた通り、「結社形成的―非結社形成的」の軸と権力に対する「遠心性と求心性」の二軸である。丸山に基本的に従って我々の再解釈も踏まえながらこの四類型について素描していくことにする(図表3)39)。
     「自立化」(I)とは、権力に対して遠心的で、結社形成的態度を持つ個人である。「自由独立で自立心に富む」イギリスの「ヨーマンリ-」から転化した上昇期ブルジョアジー40)、植民地を独立に導いたアメリカのピューリタンなどのエートスであり、D.リースマンの分析との対比で言えば、「内面指向型」(Inner-directed)である。石川啄木が典型的な事例としてあげられる。明治期では、丸山が晩年に取り上げた福沢諭吉が含まれるのかもしれない。
     「原子化」(A)は、「自立化」と全面対立する個人の態度である。「このタイプの人間は、社会的な根無し草状態の現実もしくはその幻影に悩まされ、行動の規範の喪失(アノミー)に苦しんでおり、生活環境の急激な変化に対する孤独・不安・恐怖・挫折の感情がその心理を特徴づける。原子化した個人は、ふつう公共の問題に対して無関心であるが、往々ほかならぬこの無関心が突如としてファナティックな政治参加に転化することがある。孤独と不安を逃れようと焦るまさにそのゆえに、このタイプは権威主義的リーダーシップに全面的に帰依し、また、国民共同体・人種文化の永遠不滅性といった観念に表現される神秘的「全体」のうちに没入する傾向をもつのである」41)。丸山の指摘にはないが、この原子化が、D.リースマンの「外面指向型」(Outer-directed)を体現するものであろう。
     「民主化」(D)は、権力に対して求心的で結社結成的な志向を持つ個人である。平等の理想を持ち、合理的な判断を行い、政治参加の基盤を拡大することをめざし、大衆運動を志向する。また、中央政府を通じた改革を志向し、自発的な集団や組織を形成する傾向を持つ。
     「私化」(P)は、権力に対して遠心的で、非結社形成的である。個人の私的生活にのみ関心があり、隣人や他者と政治的に結ぶのを嫌う。しかし、原子化個人のように、不安や孤独にさいなまれることはなく心理的安定を保っている。言わば、社会的実践からの隠遁者である。ここで丸山が想定しているのは、「日露戦争後、文学の支配的潮流となったいわゆる『自然主義』小説」42)であり、田山花袋の小説「蒲団」で描かれた「世間に幻滅し四畳半にひっ息して、爛れた愛欲生活に沈溺する」43)主人公や、夏目漱石の「それから」や「草枕」の主人公である。具体的には、急速に変貌する都市東京に集中的に現れた「大衆現象」を生み出す層であった。
     第二に、丸山は、個人析出をパターン化した上で、ふたつの析出軸から、政治及び社会の安定性とダイナミック性を分析する視座を提供する。
    図表4 求心性-遠心性軸

     権力への距離(遠心性-求心性)軸(水平)は、自立化(I)と私化(P)の合計である(IP)と民主化(D)と原子化(A)の合計である(DA)との比率によって、近代化の受け入れ度合いによる変革のダイナミズムの条件として解釈される(図表4)。これは、民主主義の成熟度合いと捉えることができる。近代化は、発展途上国では「上」から求心的に行われる。その結果、個人析出としては(DA)の比重優位から始まることになり、近代化の成熟に従って(IP)が増大することになる。
     すなわち、民主化タイプ(D)と原子化タイプ(A)の個人の比率の高さ、すなわち(DA)が、近代化に伴うナショナリズム運動や民主化要求などの大衆運動によるダイナミックな変革が起こりやすい条件とされ、逆に、自立化タイプ(I)と私化タイプ(P)の比率の大きさ、すなわち(IP)は、近代化が内発的にゆっくり受け入れられる条件と解釈される。前者の事例として、伝統的な農村社会が、急激な都市化・産業化にさらされた発展途上国での激変する政治的状況がイメージされ、後者は、先進国における穏やかな改革や急激な変革の収束期が想定されている。

    返信削除
  6. 参考:
    https://www.jmrlsi.co.jp/membership/mnext/d07/2002/ls3-1-3.html
    https://www.jmrlsi.co.jp/membership/mnext/d07/2002/1-03.gif
    丸山眞男「個人析出のさまざまなパターン」全集第9巻所収 - martingale & Brownian motion
    http://d.hatena.ne.jp/martbm/20151012/1444646864
    要約すれば、自立化は遠心的・結社形成的、民主化は結社形成的・求心的、私化は遠心的・非結社形成的、
    原子化は非結社形成的・求心的、である。これらが、ホール教授が先の章で要約した、近代化とともに進行
    する合理化・機械化・官僚制化といった諸側面に対する個人の反応の、理念型としてあげられたにすぎない
    ことは、言うまでもないであろう。


    丸山の図:

    I自立化   D民主化
        +
    P私化   Aアトム化

    返信削除
  7. この図はDAPIと進むが、IとAをひっくり返せば4交換図そのものだ。

    Pに私小説が位置する

    北村透谷はDの挫折からPヘ移行する

    返信削除
  8. 参考:
    https://www.jmrlsi.co.jp/membership/mnext/d07/2002/ls3-1-3.html
    https://www.jmrlsi.co.jp/membership/mnext/d07/2002/1-03.gif
    丸山眞男「個人析出のさまざまなパターン」全集第9巻所収 - martingale & Brownian motion
    http://d.hatena.ne.jp/martbm/20151012/1444646864
    要約すれば、自立化は遠心的・結社形成的、民主化は結社形成的・求心的、私化は遠心的・非結社形成的、
    原子化は非結社形成的・求心的、である。これらが、ホール教授が先の章で要約した、近代化とともに進行
    する合理化・機械化・官僚制化といった諸側面に対する個人の反応の、理念型としてあげられたにすぎない
    ことは、言うまでもないであろう。


    丸山の図:
      (結社形成的)
    I自立化   D民主化
        +     (求心的)
    P私化   Aアトム化

    この図はDAPIと進むが、IとAをひっくり返せば柄谷交換図そのものだ。

    Pに私小説が位置する

    北村透谷はDの挫折からPヘ移行する

    返信削除
  9. 思想的地震
    日本人はなぜデモをしないのか 参照

    返信削除
  10. 参考:
    https://www.jmrlsi.co.jp/membership/mnext/d07/2002/ls3-1-3.html
    https://www.jmrlsi.co.jp/membership/mnext/d07/2002/1-03.gif
    丸山眞男「個人析出のさまざまなパターン」全集第9巻所収 - martingale & Brownian motion
    http://d.hatena.ne.jp/martbm/20151012/1444646864
    要約すれば、自立化は遠心的・結社形成的、民主化は結社形成的・求心的、私化は遠心的・非結社形成的、
    原子化は非結社形成的・求心的、である。これらが、ホール教授が先の章で要約した、近代化とともに進行
    する合理化・機械化・官僚制化といった諸側面に対する個人の反応の、理念型としてあげられたにすぎない
    ことは、言うまでもないであろう。


    丸山の図:
      (結社形成的)
    I自立化   D民主化
        +     (求心的)
    P私化   Aアトム化

    この図はDAPI(柄谷の見立てではDIPA)と進むが、IとAをひっくり返せば柄谷交換図そのものだ。

    Pに私小説が位置する

    北村透谷はDの挫折からPヘ移行する

    思想的地震
    日本人はなぜデモをしないのか 参照


    返信削除
  11. 参考:
    https://www.jmrlsi.co.jp/membership/mnext/d07/2002/ls3-1-3.html
    https://www.jmrlsi.co.jp/membership/mnext/d07/2002/1-03.gif
    丸山眞男「個人析出のさまざまなパターン」全集第9巻所収 - martingale & Brownian motion
    http://d.hatena.ne.jp/martbm/20151012/1444646864
    要約すれば、自立化は遠心的・結社形成的、民主化は結社形成的・求心的、私化は遠心的・非結社形成的、
    原子化は非結社形成的・求心的、である。これらが、ホール教授が先の章で要約した、近代化とともに進行
    する合理化・機械化・官僚制化といった諸側面に対する個人の反応の、理念型としてあげられたにすぎない
    ことは、言うまでもないであろう。


    丸山の図:
      (結社形成的)
    I自立化   D民主化
        +     (求心的)
    P私化   Aアトム化

    この図はDAPI(柄谷の見立てではDIPA)と進むが、IとAをひっくり返せば柄谷交換図そのものだ。

    Pに私小説が位置する

    北村透谷はDの挫折からPヘ移行する
    (IかAどちらかの過程にいるが評価が分かれる)

    思想的地震
    日本人はなぜデモをしないのか 参照

    返信削除