______________________________純_粋_理_性_批_判______
| 緒 言◯ | | |量 質|判断表
| | | | 緒言 |概念分析 |範疇表
| | 空間 | 時間 | |関係 様相|
| | (感 性 論) |__(論 理 学)_演繹◯
| | | | /分 析 論 |
| | | | 図式| 付録: |
| | | |原則分析 |反省概念 |
| |_原 理 論___|体系_根拠◯___(無)
| | (感性論と論理学)|独断|論争| |
| | 概 念 | 霊魂 |_訓練__| 規準 |
| | |誤謬推理◯|仮説|証明|目的、理想|
| |(論 理 学)推 理_|__|方 法 論__善| ◯=
| |/弁 証 論 存在論| (図式) |初版と
| 量 世界 質| 神 | 建築術 | 歴史 |第二版
| |二律背反 |宇 神学(体系) | |に異同
|_______________________関係__様相|宙論___|_____|_____|
| | |量 質| |量 質|量 質|
| 序 | 一原則 |二善悪の概念 | 崇高 | 美 |
| | |関係 様相| |関係 様相|関係 様相|
| 緒論 |___1分析論_自由の範疇表 序論 |___美学、分析論__|
| | | | | | |
| | 三動機 | | | 演繹 | (分類)|
| |道徳的法則=神聖性/義務 共通感覚 | |
|一、原 理 論__|_____|_____|___________|__天才論|_____|
| | | | | | | | | |
| |一理性一般| | | (イントロ)| |_分析論_|
| | の弁証論| | | | | | | |
|___2弁証論____|___二、方法論___|___美学、弁証論__|___目 的 論|__|
| 二最高善 | | | | | | | | |
|二律背反 | | 宇宙/道徳的法則 |二律背反 | |_弁証論_|_方法論_|
|徳と幸福 | | | |(概念/)| 二律背反 | |自由|
|_____|_神、自由|_究極目的:最高善__|_____|_____(機械論/)|__|__|
実 践 理 性 批 判 判 断 力 批 判
分 析
|
量 | 質
規____|____反
定 | 省
関係 | 様相
|
総 合
追記:
カント三批判書:Z状図解(付:スピノザ『エチカ』図解)
__________1実体_________________純_粋_理_性_批_判______
| /\ 緒 言◯ | | |量 質|判断表
| /無限\ | | | 緒言 |概念分析 |範疇表
| /_無限定_\ | 空間 | 時間 | |関係 様相|
|________/_2a属性__\_______| (感 性 論) |__(論 理 学)_演繹◯
|\知 抑制 / 小←/\→大 完全性 至福/ | | 分 析 論 |
| \ 悪/___2b様態\_____\善 /| | | 図式| 付録: |
| \ /\悲しみ_/\_喜び /\ / | | |原則分析 |反省概念 |
| \/ 憎しみ \努力/ 愛/ \/ |_原 理 論___|体系_根拠◯___(無)
| /\対象/物体_\/_観念\認識/\ | (感性論と論理学)|独断|論争| |
| /所産的自然_身体欲望精神__\/ \ | 概 念 | 霊魂 |_訓練__| 規準 |
| / 延長\ 受動3感情/能動 /思惟 \| |誤謬推理◯|仮説|証明|目的、理想|
神/______\___\/_第三種認識_能産的\(論 理 学)推 理_|__|方 法 論__善| ◯=
| \ 4理性 / 自然| 弁 証 論 存在論| (図式) |初版と
| \ / 量 世界 質| 神 | 建築術 | 歴史 |第二版
| \_徳_/ |二律背反 |宇 神学(体系) | |に異同
|__________5\/__________関係__様相|宙論___|_____|_____|
| (自由) |量 質| |量 質|量 質|
| 序 | 一原則|二善悪の概念 | 崇高 | 美 |
| | |関係 様相| |関係 様相|関係 様相|
| 緒論 |___1分析論_自由の範疇表 序論 |___美学、分析論__|
| | | | | | |
| | 三動機 | | | 演繹 | (分類)|
| |道徳的法則=神聖性/義務 共通感覚 | |
|一、原 理 論__|_____|_____|___________|__天才論|_____|
| | | | | | | | | |
| |一理性一般| | | | イントロ| |_分析論_|
| | の弁証論| | | | | | | |
|___2弁証論____|___二、方法論___|___美学、弁証論__|___目 的 論|__|
| 二最高善 | | | | | | | | |
|二律背反 | | 宇宙/道徳的法則 |二律背反 | |_弁証論_|_方法論_|
|徳と幸福 | | | |(概念/)| 二律背反 | |自由|
|_____|_神、自由|_究極目的:最高善__|_____|_____(機械論/)|__|__|
実 践 理 性 批 判 判 断 力 批 判
1実体
/\
/無限\
/_無限定_\
________/_2a属性__\________
\知 抑制 / 小←/\→大 完全性 至福/
\ 悪/___2b様態\_____\善 /
\ /\悲しみ_/\_喜び /\ /
\/ 憎しみ \努力/ 愛/ \/
/\対象/物体_\/_観念\認識/\
/所産的自然_身体欲望精神__\/ \
/ 延長\ 受動3感情/能動 /思惟 \能産的
神/______\___\/_第三種認識____\自然
\ 4理性 /
\ /
\_徳_/
\/
5自由
スピノザ『エチカ』図解
______純_粋_理_性_批_判______
緒 言◯ | | | 手引き=判断表
| | | 緒言 |概念分析 |範疇表
| 空間 | 時間 | |演繹◯ |
| (感 性 論) |__(論 理 学)__|
| | | /分 析 論 |
| | | 図式| 付録: |
| | |原則分析 |反省概念 |
|_原 理 論___|体系_根拠◯___(無)
| (感性論と論理学)|独断|論争| |
| 概 念 | 霊魂 |_訓練__| 規準 |
| |誤謬推理◯|仮説|証明|目的、理想|
|(論 理 学)推 理_|__|方 法 論__善|
|/弁 証 論 存在論| (図式) |
量 世界 質| 神 | 建築術 | 歴史 |
|二律背反 |宇 神学(体系) | |
関係__様相|宙論___|_____|_____|
◯=初版と第二版に異同がある。
______実 践 理 性 批 判______
| | |量 質|
| 序 | 一原則 |二善悪の概念
| | |関係 様相|
| 緒論 |___1分析論_自由の範疇表
| | | |
| | 三動機 | |
| |道徳的法則=神聖性/義務
|一、原 理 論__|_____|_____|
| | | | |
| |一理性一般| | |
| | の弁証論| | |
|___2弁証論____|___二、方法論___|
| 二最高善 | | |
|二律背反 | | 宇宙/道徳的法則 |
|徳と幸福 | | | |
|_____|_神、自由|_究極目的:最高善__|
_______判 断 力 批 判_______
| |量 質|量 質|
| | 崇高 | 美 |
| |関係 様相|関係 様相|
| 序論 |___美学、分析論__|
| | | |
| | 演繹 | (分類)|
| 共通感覚 | |
|___________|__天才論|_____|
| | | | | |
| | イントロ| |_分析論_|
| | | | | |
|___美学、弁証論__|___目 的 論|__|
| | | | | | |
|二律背反 | |_弁証論_|_方法論_|
|(概念/)| 二律背反 | |自由|
|_____|_____(機械論/)|__|__|
980夜『グレン・グールド著作集』グレン・グールド|松岡正剛の千夜千冊
返信削除http://1000ya.isis.ne.jp/0980.html
フォーリーはフランシスコ・ザビエル大学で化学を教えていた教授で、カナダ人。このフォーリーが『草枕』の話をした。グールドはそれが気にいって自分の鞄からストコフスキーと共演したベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第5番』のレコードを進呈した。その返礼に英訳『草枕』があとから送られてきた。
アラン・ターニーの翻訳で、“The Three-Cornered World”(三角の世界)というタイトルになっていた。例の、「四角な世界から常識と名のつく一角を摩滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう」から採ったタイトルだ。
返信削除http://www.glorychrist.com/?p=5638
バッハとパスカル
J・セバスチャン・バッハは晩年、失明の危機を迎えましたが、それでも夜遅くまでローソクを灯して創作を続けました。「私は目が見えるかぎり書かなければならない」と言い、ローソクが燃え尽きると「ローソク。ローソク」と妻のマグダレーナに叫んでいたそうです。手術がうまくいかず、ついに失明が決定的になった夜、彼は動揺した様子もなく妻に聖書からキリスト生誕の箇所を読むように頼みました。妻が読み終わると、彼は静かに語りました。「私たちは苦しみを悲しんではならないのだ。この苦しみは、私たちの苦しみをすべて背負われた主イエス・キリストに近づくためのものなのだ。」
フランスのパスカルは天才的な数学者であり、また「パンセ」という不朽の名作を残したクリスチャン哲学者でもありました。彼は三十代、病気と貧困に苦しみ、短い生涯を閉じます。晩年はどんな労働もできない体になりましたが、それでも杖にすがり、あるいは人の手を借りて、毎日のようにパリの教会を巡り歩いたといいます。彼はこう言っています。「どうか私をかわいそうだと思わないでください。・・・・病はクリスチャン本来の状態です。」パスカルにとっても、病気の苦しみはキリストに近づく道だったのでしょう。
返信削除http://www.geocities.co.jp/MusicHall/9088/gakusya/bach/1.html
バッハ(1685~1750) ライプニッツ(1646~1716)・・ライプチィヒ生まれの数学者(微積分の発見者)哲学者。正統派プロテスタント というわけで、バッハが31歳の時まで活躍していたライプニッツについての本を読むにつけ、 私が想像していたバッハ像は実はライプニッツの事だったのではないかと思うくらい重なる部分が多い。 (プラトンを継承しルネッサンスの思想家達を学び、ドイツ神秘主義を受け継いだプロテスタンティズムに身を置く。 そして正統派プロテスタントでありながら、カルヴァン派やカトリックとの接近、調和を目指した。) マルティン・ゲック著「ヨハン・セバスティアン・バッハ第Ⅲ巻 器楽曲/様々なる地平」p146以降に そのライプニッツに関する文が出てくる。 [個々のモナドは全世界を表す。 これは振動の体系とと定義付ける事ができる。 そしてその体系が世界の振動の体系に編入される。 「最高度の段階において、モナドは完全な長調の和音を発する。」 -フランスの構造主義哲学者ジル・ドゥルーズは、ライプニッツのイメージをこのような言葉で再現している。 そして彼は音楽から借用されたあるイメージを追及する。 それはライプニッツが1687年4月30日付けのアルノー宛の手紙の中で、 何ゆえ個々のモナドがー互いにそうとは知らずしてー世界の調和の中で共鳴しあうかを説明する際に持ち出したものである。 個々のモナドは音楽の歌い手たちに匹敵する。歌い手は他のパートを知らないまま 自分のパートを歌う。それでも作曲家が定めたものに従って、全体が調和するのである。]
ヤコービ『スピノザ書簡』からの引用
返信削除http://ntaki.net/di/In/goya_8.htm
私たちが「スピノザ論争」について知ろうとするとき、まずは次の2論文に目を通すこととおもいます:
a) 伊坂青司氏「有限と無限――あるいはヤコービとヘーゲル」の第2節「ヤコービと『汎神論論争』」(『叢書ドイツ観念論との対話 第5巻』所収、ミネルヴァ書房、1994年)
b) 栗原隆氏「IV ヤコービ/ヘルダー」(『哲学の歴史 第7巻 理性の劇場』所収、中央公論新社、2007年)
けれども、これら論文での引用箇所の文意は、すこし分かりにくいようなので、それらを前後の文章を含めて訳出することにしました。両論文中の訳と拙訳は、多くの場合多かれ少なかれ、内容的に齟齬をきたす結果になっています。しかし、原文を引用しながら拙訳になった理由を説明することは、煩雑になりすぎるのでしませんでした。読者より、ご質問やご異論があれば、その箇所についてご説明したいと思います。
なお、訳出箇所の拙稿での掲載の順番は、下記マイナー社の哲学文庫シリーズ中のÜber die Lehre des Spinoza に添うようにしました。
ヤコービがスピノザ哲学をどのように理解したかについては、拙稿『ヤコービによるスピノザ哲学の要約_1』ならびにその『2』を、参観下さい。
また、誤訳問題についての誤解を避けるために、<はじめに>をご一読願えればと思います。
平凡社ライブラリー『純粋理性批判』の誤訳
返信削除http://ntaki.net/di/In/goya_3.htm
・本訳書では、aber がほとんどの場合「しかし」と訳されています。けれども多くの場合、原文の aber には前文に対する否定的な意味はなく、「単に接続を示」しています(小学館『独和大辞典』第2版)。つまり読者に、<前文を受けつつ、主張の進展をはかりますよ>と、注意をうながしているのです。
しかしこのような個所は多いため、265-266 ページ下段の改訳でこのことを取りあげた以外は、aber 単独で問題にすることは、省略しました。
・また本訳書では、「それ」などの代名詞が後に出てくる言葉をさすことが、たびたびあります。本来の日本語にはない用法で、しかも句読点なども打たれていないため、読者は前の言葉をさすものと受けとりがちです。
しかしこのような個所は多いため、300 ページ下段の改訳でこのことを取りあげた以外は、単独で問題にすることは、省略しました。
ただし、「特定の」とすれば日本語としては意味が強すぎるので、訳出しない方がいいかもしれません。
返信削除(初出 2007.7.6, v. 1.0)
・平凡社ライブラリー『純粋理性批判』上、255 ページ下段
★ 元の訳では以下のようになっています:
それは、この統覚は自己意識であって、そのような自己意識は、あらゆる他の諸表象にも伴いえなければならず、だからすべての意識において同一のものであるところの、我思考すという表象を産みだすゆえ、いかなるものによってもそれ以上伴われえないからである。
◆ 原文は:
. . . weil sie dasjenige Selbstbewusstsein ist, was, indem es die Vorstellung Ich denke hervorbringt, die alle anderen muss begleiten können, und in allem Bewusstsein ein und dasselbe ist, von keiner weiter begleitet werden kann.
☆ 拙・改訳では:
というのは、この根源的な統覚は自己意識であって、そのような自己意識は、「我思考す」という表象を――すなわち、他のすべての表象に伴うことができなければならず、またすべての意識のうちで同一のものであるところの「我思考す」という表象を――産出することによって、他の表象によって伴われるということはないからである。
◇ 改訳の個所は:
1) 元の訳では、「あらゆる他の諸表象にも伴いえなければなら」ないものは、直前の「自己意識」と理解されかねません。(ちなみに、「あらゆる他の諸表象に伴う」のは、「我思考す」だということは、この第16項の冒頭に出てきています)。
2) weiter は、「それ以上」と訳出すべきかもしれませんが、そのように訳出すると、今の段階でも或る程度は「他の表象によって伴われている」かのように、日本語としては理解されてしまいます。そこで、訳出しなくても文意に変化はきたさないので、省略しました。
(初出 2007.7.6, v. 1.0)
・平凡社ライブラリー『純粋理性批判』上、253 ページ下段
http://ntaki.net/di/In/goya_3.htm
返信削除・この岩波書店『カント全集 4』では、Bedingung を「制約」と訳出しています。しかしほとんどの場合、「条件」と訳した方がいいと思われましたが、238 ぺーじと 240 ページ以外は、煩雑になることをおそれて指摘しませんでした。
返信削除・この『カント全集 4』では、「AのCとBのC」を表現したいときに、「AとBとのCは」と訳出しています。しかし、「AとBとのCは」という表現は、ふつう「A-B間に存するC」を表すときに使われますので、適切な訳だとは思われません。
例えば、「東京と大阪との距離」と言えば、東京-大阪間の距離です。また、「兄と弟との車」は、「兄と弟が共有している車」のことであって、「兄の車と弟の車の計2台」を意味しはしません。
このことも煩雑さを避けて、246 ページの個所で指摘した以外は、言及しませんでした。
http://ntaki.net/di/In/goya_4.htm#chuui
レンズ、スピノザ
返信削除交差、デカルト
視差、カント
スピノザの言う思惟と延長に対してそれ以外の未確認の属性
返信削除この二分法を取ればカントの批判哲学と繋げられるはず
ただカント体系は記述順に負いすぎる
思索の経験論として偉大だし嘘はないが
誰もピラミッドをスケッチするときひとつひとつの石から描き始めない
フィードバック装置としてはわかりにくい
よりリテラルにはスピノザに多々言及している
カントの遺稿を読むべきだろう
(岩波全集には収録されなかったので中公哲学の歴史シリーズを読む必要がある)
返信削除スピノザの言う思惟と延長に対してそれ以外の未確認の属性
この二分法を取ればカントの批判哲学と繋げられるはず
ただカント体系は記述順に負いすぎる
思索の経験論として偉大だし嘘はないが
誰もピラミッドをスケッチするときひとつひとつの石から描き始めないのに…
原理論と方法論の区別が先だ
フィードバック装置としてはわかりにくい
よりリテラルにはスピノザに多々言及している
カントの遺稿を読むべきだろう
(カントの遺稿は岩波全集には収録されなかったので中公哲学の歴史シリーズ*を読む必要がある)
*
哲学の歴史 07 理性の劇場』 加藤尚武編 (中央公論新社). 理性の劇場
にコンパクトな福谷茂によるカント遺稿関連の論考が載っている
返信削除スピノザの言う思惟と延長に対してそれ以外の未確認の属性
この二分法を取ればカントの批判哲学と繋げられるはず
ただカント体系は記述順に負いすぎる
思索の経験論として偉大だし嘘はないが
誰もピラミッドをスケッチするときひとつひとつの石から描き始めないのに…
原理論と方法論の区別が先だ
フィードバック装置としてはわかりにくい
よりリテラルにはスピノザに多々言及している
カントの遺稿を読むべきだろう
(カントの遺稿は岩波全集には収録されなかったので中公哲学の歴史シリーズ*を読む必要がある)
*
哲学の歴史 07 理性の劇場』 加藤尚武編 (中央公論新社). 理性の劇場
にコンパクトな福谷茂によるカント遺稿関連の論考が載っている
英訳を読む方がはやいかも