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木曜日, 12月 13, 2012

『千のプラトー 資本主義と分裂症』:目次

http://www.arsvi.com/b1900/8000dg.htm

『千のプラトー――資本主義と分裂症』     (→『差異と反復』『アンチ・オイディプス』

Deleuze, Gilles・Guattari, Félix 1980 Mille Plateaux : Capitalisme et schizophrénie, Éditions de Minuit. =19940920 宇野 邦一・小沢 秋広・田中 俊彦・ 豊崎 光一・宮林 寛・ 守中 高明,河出書房新社,656p.


■Deleuze, Gilles・Guattari, Félix 1980 Mille Plateaux : Capitalisme et schizophrénie, Éditions de Minuit. =19940920 宇野 邦一・小沢 秋広・田中 俊彦・ 豊崎 光一・宮林 寛・ 守中 高明,『千のプラトー――資本主義と分裂症』,河出書房新社,656p.

■内容
「千のプラトー」は大地や宇宙をつらぬき、非生命の次元にまでその讃歌をとどろかせている…。資本主義のダイナミズムを読み解き、管理社会に対抗するための実践を示唆する、われわれの時代の歴史的唯物論。


Twittering Machine (1922) - Paul Klee
パウル・クレー「さえずる機械」(第11章、口絵)

■目次
緒言

1 序――リゾーム
  根、側根、リゾーム
  本の諸問題
  〈一〉と〈多〉
  樹木とリゾーム
  地理的方向、東洋、西洋、アメリカ
  樹木の害
  プラトーとは何か

千のプラトー
1 序──リゾーム

われわれがモデルの二元論を用いるのは、ただあらゆるモデルを斥けるようなプロセスに到達するためである。われわれは二元論を作ろうと欲したわけではなく、それを通過するのにすぎない。そのたびに、もろもろの二元論を解体する頭脳的訂正装置を持たなければならない。われわれみんなが求めている〈多元論〉=〈一元論〉という魔術的等式に、敵であるすべての二元論を経由して到達すること。しかし敵といっても、これはまったく必要な敵、われわれがたえず移動させる調度なのだ。

M.P#1グレゴリー・ベイトソンは「プラトー」という語を、きわめて特殊なものを指すのに用いている。すなわち、さまざまな強度の連続する地帯、みずからの上に打ち震え、何かある頂点へ、あるいは外在的目標に向かうあらゆる方向づけを回避しつつ展開される地帯である。ベイトソンが実例として引いているのはバリ島文化であり、そこでは母子間の性的な戯れ、あるいは男同士の喧嘩はあの奇妙な強度の膠着状態を経由する。「一種の連続した強度のプラトーがオルガスムにとって代わっている」、戦争にあるいは頂点にとって代わっているのだ。西欧的精神の困った特徴は、もろもろの表現あるいは行為を、外在的または超越的諸目的に結びつけてしまうことだ──それらをそれ自体としての価値によって、一つの内在平面上で評価する代わりに(18)。例えば、一冊の本は章から構成されるかぎり、それなりの頂点、それなりの終着点をそなえている。
(18) Bateson, Vers une écologie de l'esprit, t. I, Ed. du Seuil, pp.125-126.〔ベイトソン『精神の生態学』佐伯泰樹・佐藤良明・高橋和久訳、思索社、1986、上181-182ページ〕「プラトー」という語が、古典的には、球根や、塊茎や、リゾームの研究において用いられていることに注意しよう。Dictionnaire de botanique de Baillon,《Bulbe》の項を参照。

ダブルバインド(Double bind)Bateson, G.1956http://nam-students.blogspot.jp/2017/02/double-bindbateson-g1956.html

2 一九一四年――狼はただ一匹か数匹か?
  神経症と精神病
  多様体の理論のために
  群れ
  無意識と分子的なもの

3 BC10000年――道徳の地質学(地球はおのれを何と心得るか)
  地層
  二重分節(切片性)
  地層の統一性を作り出すもの
  環境
  一つの地層の多様性。形式と実質、上位層と傍層
  内容と表現
  諸地層の多様性
  モル状と分子状
  抽象機械とアレンジメント。それらの状態の比較
  メタ地層

4 1923年11月20日――言語学の公準
  指令語
  間接話法
  指令語、行為、非身体的変形
  日付
  内容と表現。両者の場合の変数
  アレンジメントの側面
  定数、変数、連続変化
  音楽
  スタイル
[外国人であること、しかし、単に自国語ではない言語を話す誰かのようにではなく、自分自身の言語においてどもること。二国語あるいは多国語を用いるものであること。しかも地方語、あるいは方言とは関係なく、唯一の同じ国語において。私生児であり、混血児であるが、人種としては純粋であるというふうに。こうしてスタイルは言語となる。こんなふうにして言語活動は強度的となり、価値や強度の純粋な連続体になるのだ。こうして言語は秘密となるが、別に言語の中に秘密の下位システムを出現させるわけではなく、何も隠すことなどないのだ。]4:3:118-9頁
メジャーとマイナー
[チョムスキーは、マイナーな、方言的な、あるいはゲットーの言語でさえも、
そこから不変数を取り出し、「外的または混合的」変数を排除するという条件
なしには研究できない、というだろう。しかし、ラボフは一つの言語は、たとえ
メジャーで、スタンダードであっても、確かに混合的でも外的でもない「内属す
る」変化と切り離しては研究できないと答えるだろう。あなたがたが手にする
等質的システムは、必ず内在的、連続的な、調節された変化によってさらに影響
され、あるいは既に影響されている(なぜチョムスキーはこのことがわからない
ふりをしたのだろうか)。
 それゆえ二種類の言語があるのではなく、一つの言語について可能な二つの処
理法があるのだ。]
(『千のプラトー』4「言語学の公準」邦訳単行本122ー3頁)
生成変化
  死、逃走、形象、変身

5 BC587年、AD70年――いくつかの記号の体制について
  専制的なシニフィアン的体制
[解釈は無限に続き、解釈すべきものといっても、それ自体すでに解釈であるもの以外何にも出会わないのである。したがってシニフィエはたえずシニフィアンを与え、それを充填し生産するのである。形態はいつもシニフィアンからやってくる。最終的なシニフィエとは、それゆえ冗長性あるいは「過剰」となったシニフィアンにほかならない。シニフィアンの生産によって解釈や伝達が超えられると主張してもまったく無駄である。シニフィアンの再生産や生産をいつも助けるのは解釈が伝達されるからである。]5:136頁
http://pub.ne.jp/Sightsong/?entry_id=3326150
情念的な主体的体制
  二つの錯乱と精神医学の問題
  ユダヤの民の古代史
  逃走線と預言者
  顔、方向転換、裏切り
  〈書物〉
  主体性のシステム。意識、情念、<分身>
  夫婦喧嘩と事務室のいさかい
  冗長性
  脱領土化の形象
  抽象機械と図表
  発生的、変形的、図表的、機械状
[ラッセルの論理学からチョムスキーの文法にいたるまで、言語の超越化のあらゆる
方法、言語に普遍的特性を付与しようとするあらゆる方法は、これらがすでにあま
りにも抽象的であり、しかもまだ十分抽象的でない水準を承認しているという意味
で、最悪の抽象に陥ってしまうのである。]
(5「いくつかの記号の体制について」同169頁)
6 1947年11月28日――いかにして器官なき身体を獲得するか
  器官なき身体、波動、強度、
  卵
  マゾヒズム、宮廷愛、〈道(タオ)〉
  塗装と存立平面
  アントナン・アルトー
  慎重さのテクニック
  三つの<身体>の問題
  欲望、平面、選択、編成

7 零年――顔貌性
  ホワイト・ウォール〔白い壁〕、ブラック・ホール〔黒い穴〕
  顔貌性抽象機械
  身体、頭部、顔
  顔と風景
  宮廷愛小説
  脱領土化の定理
  顔の社会的機能
  顔とキリスト
  顔の二つの形象。正面、横顔、背け会い
  顔を解体する

8 1874年――ヌーヴェル3編、あるいは「何が起きたのか?」
  ヌーヴェルとコント。秘密 
  三本の線
  切断、亀裂、断絶
  対、分身、地下潜行者

9 1933年――ミクロ政治学と切片性
  未開および文明化の切片性
  モル状および分子状の切片性
  ファシズムと全体主義
  切片をもつ線、粒子をもつ流れ
  ガブリエル・タルド
  群集と階級
  抽象機械。突然変異と超コード化
  権力の中心とは何か
  三通りの線とそれぞれの危険
  恐怖、明晰者、権力、死

10 1730年――強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること
  生成変化
  魔術の三つの側面。多様体、変則者あるいは局外者、変換
  個体化と〈比性〉。夕べの5時・・・・・・
  経度、井戸、存立平面
  二つのプランあるいはプランについての二つの考え方
  女性への生成変化、子供への生成変化、動物への生成変化、分子状生成変化。近傍域
M.P#10  未開社会では、男性が女性に〈なる〉服装倒錯や仮装の儀礼が観察されるが、これらの儀礼は与えられた諸関係を照応させる社会的編成によっても、男性が女性になり、女性が男性になることを欲望するよう働きかける心的編成によっても説明されえない(49)。社会構造と心的同一化からは、あまりにも多くの特殊要因が抜け落ちてしまうからだ。 (49) 未開社会における服装倒錯については Bruno Bettelheim, Les blessures symboliques, Gallimard.〔ベッテルハイム『性の象徴的傷痕』岸田秀訳、せりか書房、1982〕を参照(同一視にもとづく心理学的解釈)。また、とりわけ参考になるのはベイトソンが分析した「ナベンの儀礼」だろう。Gregory Bateson, La cérémonie du Naven, Ed. de Minuit.(こちらは創意に満ちた構造論的解釈である)。
  知覚しえぬものへの生成変化
  分子状知覚
  秘密
  マジョリティ、マイノリティ、マイナー性
  生成変化のマイナー性と非対称性。二重の生成変化
  点と線、記憶と生成変化
  生成変化とブロック
  点状システムと多線状システムの対立
  音楽、絵画、生成変化
  リトルネロ
  脱領土化の定理、続き
  生成変化体模倣

11 1837年――リトルネロについて
  暗闇で、我が家で、世界へ向かって
[暗闇に幼な児がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ち止まる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。]
http://hideonakane.com/text/2004TraceXII.html
環境とリズム
  立て札と領土
  スタイルとしての表現。リズムの顔、メロディーの風景
  鳥の鳴き声
  領土製、アレンジメント、相互的アレンジメント
  領土と大地、〈生まれ故郷〉
  存立性の問題
  機械状アレンジメントと抽象機械
  古典主義と環境
  ロマン主義、領地、大地、民衆
  近代芸術と宇宙
  形象と実質、諸力と素材
  音楽とリトルネロ、大いなるリトルネロとささやかなリトルネロ

12 1227年――遊牧論あるいは戦争機械
  国家の二つの極
  戦争機械の外部性と還元不可能性
  戦士
  マイナーとメジャー。マイナー科学
  団体と団体精神
  思考、国家、遊牧論
  第一の側面。戦争機械と遊牧空間
  宗教
  東洋、西洋、国家
  第二の側面。戦争機械、人間の編成、遊牧数
  第三の側面。戦争機械と遊牧民の情動
  自由活動と労働 
  アレンジメントの性格。道具と記号、武器と装身具
  治金術、移動、遊牧生活
  機械状系統流と技術系統
  平滑空間、条理空間、多孔空間
  戦争機械と戦争。関係の複雑さ

13 BC7000年――補獲装置
  旧石器時代の国家
  原始的集団、都市、国家、世界的な組織
  先取りする、祓いのける
  「最後の」一言の意味(限界効用説)
  交換とストック
  捕獲。土地所有権(地代)、税制(税)、公共事業(利益)
  暴力の問題
  国家の形態と〈権利〉の三つの世代
  資本主義と国家
  服従と隷属

14 1440年――平滑と条里
  技術的モデル(繊維製品)
  音楽モデル
  海洋モデル
  数学モデル(多様体)
  物理学モデル
  美学モデル(遊牧民芸術)

15 結論――具体的規則と抽象機械




_________

下書き及びメモ:



    http://www.ne.jp/asahi/net/jpn/1000p/reports.html

    ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』:Deleuze & Guattari "Mille Plateaux"

    DELEUZE, G., & GUATTARI, F., 1980, Capitalisme et Schizophrénie, tome 2: Mille Plateaux. ●

    △ 総目次

    解題

    千のプラトー

    1. 序 ―― リゾーム
    pp.13~: 根,側根,重層的決定。。。
    pp.22~: anexact,意味の論理学。。。
    pp.28~: 書誌情報。。。

    2. 1914年 ―― 狼はただ一匹か数匹か?
    pp.41~

    3. BC10,000年 ―― 道徳の地質学(地球はおのれを何と心得るか)
    pp.59~: 存立平面,ラカン。。。
    pp.71~: 「結構」。。。
    pp.83~: 存立平面。。。
    pp.90~: 機械圏。。。

    4. 1923年11月20日 ―― 言語学の公準
    pp.106~: リゾーム・逃走線・アレンジメント
    pp.112~

    <チョムスキーは、マイナーな、方言的な、あるいはゲットーの言語でさえも、
    そこから不変数を取り出し、「外的または混合的」変数を排除するという条件
    なしには研究できない、というだろう。しかし、ラボフは一つの言語は、たとえ
    メジャーで、スタンダードであっても、確かに混合的でも外的でもない「内属す
    る」変化と切り離しては研究できないと答えるだろう。あなたがたが手にする
    等質的システムは、必ず内在的、連続的な、調節された変化によってさらに影響
    され、あるいは既に影響されている(なぜチョムスキーはこのことがわからない
    ふりをしたのだろうか)。
     それゆえ二種類の言語があるのではなく、一つの言語について可能な二つの処
    理法があるのだ。>
    (『千のプラトー』4「言語学の公準」邦訳単行本122ー3頁)

    5. BC587年,AD70年 ―― いくつかの記号の体制について
    pp.133~
    pp.146~

    <ラッセルの論理学からチョムスキーの文法にいたるまで、言語の超越化のあらゆる
    方法、言語に普遍的特性を付与しようとするあらゆる方法は、これらがすでにあま
    りにも抽象的であり、しかもまだ十分抽象的でない水準を承認しているという意味
    で、最悪の抽象に陥ってしまうのである。>
    (5「いくつかの記号の体制について」同169頁)

    6. 1947年11月28日 ―― いかにして器官なき身体を獲得するか
    pp.171~
    pp.181~

    7. 零年 ―― 顔貌性
    pp.193~

    8. 1874年 ―― ヌーヴェル三編,あるいは「何が起きたのか?」
    pp.219~

    9. 1933年 ―― ミクロ政治学と切片性
    pp.248~
    pp.258~

    10. 1730年 ―― 強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること
    pp.281~
    pp.291~
    pp.330~: 秘密の思い出・思い出と生成変化,点とブロック

    11. 1837年 ―― リトルネロについて
    pp.373~: リトルネロ
    pp.373~
    pp.388~: イロニーとユーモア 1
    pp.398~: イロニーとユーモア 2

    12. 1227年 ―― 遊牧論あるいは戦争機械
    pp.407~: 戦争機械は国家装置の外にある
    pp.412~: ホッブス・散逸構造・
    pp.418~: 概念を創造する
    pp.430~: 数える数
    pp.451~: 内射的・装飾・ファシズム・ドルガバ
    pp.459~: 此性-情動
    pp.464~: 物質-流れ,戦争機械
    pp.473~: ノモス,近代国家における暴力

    13. BC7000年 ―― 捕獲装置
    pp.481~: 原国家
    pp.488~: マルクス,ブローデル,アンティゴネ,ポランニー
    pp.500~: 捕獲,国家とその形態,コード,ゴダール,生物学
    pp.507~: 国家,公理系
    pp.514~: 「主体化」のはじまり,管理社会,利潤率の傾向的低下,全体主義,ネオ・リベラリズム
    pp.520~

    14. 平滑と条里
    pp.544~

    結論
    pp.559~
    10:47 午後  
Blogger yoji said...

    ■引用

    4 言語学の公準

    バンヴェニストは、蜜蜂が有機的なコード化機能を持ち、比喩さえ用いるにもかかわらず、言語を持っていることは否定する。蜜蜂は自分の見たことを伝えることはできるが、自分たちに伝えられたことをさらに伝えることはできないから言語をもたないのだ。蜜を見つけた蜜蜂は、それに気づかない仲間にメッセージを送ることができるが、蜜に気づかなかった蜜蜂がやはり蜜に気づかなかった他の蜂にメッセージを送ることはできないのだ。(98)

    10 1973年 強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること

    博物学は、動物相互の関係を二通りに考えているのである。そのうちの一つは系列であり、もう一つは構造だ。系列に従うなら、aはbに相似し、bはcに相似する、などといいあらわすことができるが、その場合の項はすべて、完全性の面でも、質の面でも、卓越した唯一の項に関連付けられ、この優越項が系列を動機づけるのである。これは、神学者が「比率にもとづく類似」と呼んだものにほかならない。構造にしたがうなら、aのbに対する関係は、cのdに対する関係に等しく、これらの関係性の一つ一つがそれなりに完全性を実現しているのだと言いあらわすことができる。…これは「比例関係にもとづく類似である」…こうした類似の二大形象は、神学者の思想でも、様々な形で平衡を保ちつつ、やはり共存し続けていた。なぜなら、系列の観点に立とうと構造の観点に立とうと、大自然そのものが巨大な「ミメーシス」とみなされているからだ。系列の観点からすると、大自然は全存在の連鎖として捉えられる。…構造の観点からすると、大自然は、もはや模倣すべきものを一切持たない合わせ鏡のようなとして捉えられる。(270-271)

    まず動物相互の関係は、科学の対象となるだけではなく、夢や象徴表現の対象にもなれば、芸術や詩、実践や実際的用途の対象にもなるからだ。「系列と構造」という二重の観念は、有る時点で一つの閾をこえて科学の水準に達したとはいえ、科学に由来するものではないし、科学にとどまるものでもない。別の学問領域に移っていくこともあり、たとえば人文科学を活気づけ、夢や神話や組織体の研究に役立つこともあるのだ。…観念の歴史は決して連続的であってはならず、相似にとらわれることのないように注意を払い、血統や系統を立てることのないように配慮すべきだろう(272)

    すべての系列とすべての項が、そしてとりわけ中間的位置を占める全ての動物が、この「自然-文化―自然」という転換のサイクルを支えているのだ。それが「類似的表象」としての原型である。  系列に沿った相似を成り立たせ、模倣によって系列全体を横切り、系列を究極の項にまで導き、ついにはこの最終項への同一化をおこなう――こうした想像力の魅惑を、構造主義があれほどまでに厳しく告発したのは、果たして偶然だろうか。(272-273)
     
     相似の系列化には差異の構造化、諸項の同一化には諸関係の対等性を、想像力のメタモルフォーゼには概念内部におけるメタファーを、自然と文化の大いなる連続には、自然と文化のあいだに相似なき照応関係を配分する深い断層を、さらに始原のモデルの模倣には、モデルを持たず、いわばそれ自体が始原であるかのようなミメーシスを、それぞれ置き換えたのだ。(273)
     
     われわれは、人間を突き抜け、引きさらっていくような、そして人間にも動物にも等しく作用を及ぼすような、きわめて特殊な〈動物への生成変化〉が存在すると信じている。…なぜなら、生成変化の存在を否定しないまでも、少なくともその価値を貶めるところに構造主義の本領があるのだ。諸項の照応では、生成変化は成り立たないのだから、それも当然だろう。…しかし、レヴィ=ストロースの場合も、その神話研究の過程では、人間が動物に〈なる〉のと同時に動物も何かに〈なる〉というすばやい行為にたえず遭遇していたはずだ。こうした生成変化のブロックを二つの相互の照応によって説明する試みも可能であるだろう。分類の枠組みとなる神話は、生成変化を受け止める能力をほぼ全面的に欠いているということを認め、生成変化はむしろコント[奇譚]の断片だと考えるべきではないのか?…一方には供犠と系列、もう一方にはトーテム制度と構造、この二つのモデルとは別に、秘密に包まれ、地下深く隠されていたものがあるようだ。それこそがつまり神話や儀礼を離れ、コントに自らの表現を見出す魔術師とその生成変化ではないのか?(274)
     
     人間が動物に〈なる〉ということは現実だが、人間が変化した結果それになる動物は現実ではないのだ。同時に、動物が別のものに〈なる〉ということも現実だが、この〈別のもの〉は現実ではないのだ。…
     生成変化の項は別の生成変化に取り込まれてその主体とならない限り存在し得ないのだし、第二の生成変化は第一の生成変化と共存し、ブロックを成すのだ。(275)
     
     生成変化は進化ではないということ、すくなくとも血統や系統にもとづく進化ではないということだけは明確にしておかなければならない。…生成変化は常に系統とは別の序列に属している。生成変化の序列は〈同盟〉なのである。進化にも真の生成変化が含まれるとしたら、それは等級と界を異にし、いかなる系統的なつながりも持たないさまざまな存在を巻き込む広大な共生の領域の話である。例えば、雀蜂と蘭をとらえる生成変化のブロックである。(275)

    三種類の動物を区別する事が必要になるだろう。まず最初に個体化され、飼い馴らされた、家族的感傷的な動物。……それから二番目の種類として、性格ないし属性を持つ動物を考えてみることができる。…そして最後に、悪魔的な面が強く、群れと情動をその特質とするのみならず、多様性や生成変化や個体群やコントをつくるい出す動物がいる。(278)

    宇宙は系統的に機能するのではない。私たちとしては次の点だけを強調しておこう。つまりすべての動物は群れであり、全ての群れは伝染によって形成され、発達し、変化していくのだということを。こうして、互いに異質な複数の項からなり、伝染によって連動する複数の多様性は、一定のアレンジメントに組み込まれる。そして人間が動物への生成変化を遂げる場は、まさにここにある。(280)



参考:

ダブルバインドの反復により発症する分裂症の症例の分類: 


1.言葉に表されていない意味にばかり偏執する(妄想型)
2.言葉の文字通りの意味にしか反応しなくなる(破瓜型)
3.コミュニケーションそのものから逃避する(緊張型)


浅田彰『ダブル・バインドを超えて』(1985)では、
1がジョイス、2がベケット、3がアルトーに対応するとされている(64,87頁)。

Joyce 妄想型 paranoid https://i.imgur.com/2biUldM.gif Ulysses
Beckett 破瓜(はか)型 hebephrenic https://i.imgur.com/9FIyMsE.gif Quad
Artaud 緊張型 catatonic https://i.imgur.com/rwKgu01.gif La coquille et la clergyman

《…ベイトソンは…バリへ行き、ともすれば暴力の突出

につながりがちなニューギニアの社会とは対極的な、エネルギーを小刻

みに高く保つ術にたけた柔軟な社会を、そこに見出します。で、それを

分析する途中、事実上ダブル・バインドに触れているんですね。一九四

九年に出た「バリ:定常状態の価値体系」という論文の中では、母親が

子供を愛撫し、子供が興奮して抱きついてくると急に冷たいそぶりを見

せる、という状況が描写されています。こうして適度のダブル・バイン

ドをくぐりぬけることにより柔軟な性格が形成される。それが、クライ

マックスの突出を避け、エネルギーを小刻みに高く保とうとする文化を

生み出す。おおよそ、こういうことになるでしょう。蛇足ながら、ベイ

トソンはそういう高エネルギー定常状態を「プラトー」と呼んでおり、

そこからドゥルーズとガタリの書物が『ミル・プラトー』と名付けられ

ることになります。》

(『ダブル・バインドを超えて』100~1頁)


参考:

http://nomadicartsfestival.com/wp-content/uploads/2015/02/Gregory-Bateson-Ecology-of-Mind.pdf

p.121~2,216~7

邦訳(『精神の生態学 』新思索社2000),178,299~300頁


64 件のコメント:


  1. 千のプラトー

    01リゾーム
    02狼はただ一匹か数匹か?
    03道徳の地質学
    04言語学の公準
    05いくつかの記号の体制について
    06いかにして器官なき身体を獲得するか
    07顔貌性
    08ヌーヴェル三編,あるいは「何が起きたのか?」
    09ミクロ政治学と切片性
    10強度になること、動物になること、知覚しえぬものに
    11リトルネロについて
    12遊牧論あるいは戦争機械
    13捕獲装置
    14平滑と条里
    15結論




    A
    03道徳の地質学
    04言語学の公準
    05いくつかの記号の体制について
    06いかにして器官なき身体を獲得するか
    07顔貌性

    B
    09ミクロ政治学と切片性
    12遊牧論あるいは戦争機械
    13捕獲装置
    14平滑と条里
    15結論

    C
    01リゾーム
    02狼はただ一匹か数匹か?
    08ヌーヴェル三編,あるいは「何が起きたのか?」

    D
    10強度になること、動物になること、知覚しえぬものに
    11リトルネロについて


    BA
    CD

    B以外は交換図の外側を模索する

    帰納

    演繹

    『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』

    23
    14

    第一章 欲望機械 (15)
    第二章 精神分析と家族主義 すなわち神聖家族 (99)
    第三章 未開人、野蛮人、文明人 (263)
    第四章 分裂分析への序章 (113)
       


    返信削除

  2. 『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』

    23
    14

    第一章 欲望機械 (15)
    第二章 精神分析と家族主義 すなわち神聖家族 (99)
    第三章 未開人、野蛮人、文明人 (263)
    第四章 分裂分析への序章 (113)
       
    演繹

    帰納



    千のプラトー

    01リゾーム
    02狼はただ一匹か数匹か?
    03道徳の地質学
    04言語学の公準
    05いくつかの記号の体制について
    06いかにして器官なき身体を獲得するか
    07顔貌性
    08ヌーヴェル三編,あるいは「何が起きたのか?」
    09ミクロ政治学と切片性
    10強度になること、動物になること、知覚しえぬものに
    11リトルネロについて
    12遊牧論あるいは戦争機械
    13捕獲装置
    14平滑と条里
    15結論

    以外は再構成:

    A
    03道徳の地質学
    04言語学の公準
    05いくつかの記号の体制について
    06いかにして器官なき身体を獲得するか
    07顔貌性

    B
    09ミクロ政治学と切片性
    12遊牧論あるいは戦争機械
    13捕獲装置
    14平滑と条里
    15結論

    C
    01リゾーム
    02狼はただ一匹か数匹か?
    08ヌーヴェル三編,あるいは「何が起きたのか?」

    D
    10強度になること、動物になること、知覚しえぬものに
    11リトルネロについて


    BA
    CD

    B以外は交換図の外側を模索する


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  3. http://ameblo.jp/plateaux/entry-10719097784.html
    ヘルツォークの映画の中には、素晴らしい言表がある。自分自身に向かって問いながら映画の人物は言う、「この答えにいったい誰が答えを与えるだろう?」実際、問いなど存在せず、われわれはいつも答えに答えるだけだ。


    ードゥルーズ、ガタリ著「千のプラトー」p228、単行本4:128頁

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  4. 5:147頁に『アギーレ』への言及がある

    4:126頁にパゾリーニの自由間接話法への言及がある

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  5. 6:186カスタネダ

    返信削除
  6. 7:210ポチョムキン
    ルル

    返信削除


  7. 8:237頁に「と」への言及がある

    返信削除


  8. 4:126頁にパゾリーニの自由間接話法への言及がある

    http://ameblo.jp/plateaux/entry-10719097784.html
    ヘルツォークの映画の中には、素晴らしい言表がある。自分自身に向かって問いながら映画の人物は言う、「この答えにいったい誰が答えを与えるだろう?」実際、問いなど存在せず、われわれはいつも答えに答えるだけだ。


    ードゥルーズ、ガタリ著「千のプラトー」p228、単行本4:128頁



    5:147頁に『アギーレ』への言及がある


    6:186カスタネダ

    7:210ポチョムキン
    ルル


    8:237頁に「と」への言及がある

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  9. 「外国人であること、しかし、単に自国語ではない言語を話す誰かのようにで
    はなく、自分自身の言語においてどもること。二国語あるいは多国語を用いる
    ものであること。しかも地方語、あるいは方言とは関係なく、唯一の同じ国語
    において。私生児であり、混血児であるが、人種としては純粋であるというふ
    うに。こうしてスタイルは言語となる。こんなふうにして言語活動は強度的と
    なり、価値や強度の純粋な連続体になるのだ。こうして言語は秘密となるが、
    別に言語の中に秘密の下位システムを出現させるわけではなく、何も隠すこと
    などないのだ。」(『千のプラトー』 118-9頁)

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  10. D・ヒューム「人間本性論(人性論)」詳細目次(ver. 0.1.3)-gooブログ
    http://blog.goo.ne.jp/celsius220/e/bb246ff8b53a680445c20f2022664ee3
    David Hume "A Treatise of Human Nature"

    第1巻 「知る」ということ
    イントロダクション
    第1部 観念──その起源・合成・結合・抽象
    1-01 観念の起源
    1-02 主題の区分[なぜ観念を先に論ずるか]
    1-03 記憶と想像
    1-04 観念の結合または連合
    1-05 関係
    1-06 本体(substance)とおまけ(mode)
    1-07 抽象的な観念
    第2部 時間と空間の観念
    2-01 空間と時間の観念の無限分割可能性について
    2-02 空間と時間の無限分割可能性について
    2-03 空間と時間の観念における諸性質
    2-04 反論への回答
    2-05 続き
    2-06 存在の観念と外的存在について
    第3部 知識(knowledge)と半知識(probability)
    3-01 知識
    3-02 半知識および因果の観念
    3-03 なぜ原因は常に必然的(necessary)なのか
    3-04 因果の推理(reasoning)の構成要素
    3-05 感覚と記憶の印象
    3-06 印象から観念への推論(inference)
    3-07 観念または信念の本性
    3-08 信念の原因
    3-09 因果関係以外の関係・習慣による結果
    3-10 信念の影響
    3-11 偶然の半知識
    3-12 複数の原因をもつ半知識
    3-13 哲学的ではない半知識
    3-14 必然的結合の観念
    3-15 原因と結果を判定するための規則
    3-16 動物の理性について
    第4部 懐疑論およびその他の哲学体系について
    4-01 理性についての懐疑論
    4-02 感覚についての懐疑論
    4-03 古代哲学
    4-04 近代哲学
    4-05 魂(soul)の非物質性
    4-06 人格の同一性(identity)
    4-07 第1巻の結論

    第2巻 感情
    第1部 誇りと卑下(humility)
    1-01 主題の区分
    1-02 誇りと卑下、その対象と原因
    1-03 対象と原因はどこからくるか
    1-04 印象と観念の関係
    1-05 誇りと卑下についてこの関係が及ぼす影響
    1-06 この体系の限界
    1-07 悪徳と徳(vice and virtue)
    1-08 美とブサイク(deformity)
    1-09 外的な長所(advantage)と短所(dis-)
    1-10 所有(property)と富裕(rich)
    1-11 愛と名声
    1-12 動物の誇りと謙遜について
    第2部 愛と憎しみ
    2-01 愛と憎しみの対象と原因
    2-02 この体系を確証するための実験
    2-03 難問の解決
    2-04 同胞の愛(love of relations)
    2-05 富者や権力者に対する尊敬(esteem)
    2-06 博愛(benevolence)と怒り(anger)
    2-07 同情(compassion)
    2-08 悪意(malice)と妬み(envy)
    2-09 「博愛と怒り」の「悪意と妬み」との混合
    2-10 尊敬と侮蔑
    2-11 恋愛感情、両性間の愛について
    2-12 動物の愛と憎しみ
    第3部 意志と直接感情
    3-01 自由と必然
    3-02 続き
    3-03 意志の、行為に影響する動機
    3-04 暴力的な感情の原因
    3-05 習慣の結果
    3-06 想像が感情に及ぼす影響
    3-07 時間・空間的な近接と距離
    3-08 続き
    3-09 直接感情(direct passions)
    3-10 好奇心と真理への愛

    第3巻 道徳
    第1部 徳と悪徳一般
    1-01 分別(distinction)は理性からはもたらされない
    1-02 分別は道徳感覚からもたらされる
    第2部 正義と不正義
    2-01 正義の徳は自然(natural)か人為(artificial)か
    2-02 正義と所有の起源
    2-03 所有を決定する規則
    2-04 同意による所有の移転(transference)
    2-05 約束の責務
    2-06 正義と不正義についてのさらなる考察
    2-07 政府(統治組織)の起源
    2-08 忠誠(allegiance)の源泉
    2-09 忠誠をはかる
    2-10 忠誠の対象
    2-11 国家間の法
    2-12 貞操(chastity)と慎み(modesty)
    第3部 その他の徳と悪徳
    3-01 自然の徳と悪徳の起源
    3-02 心の偉大さ
    3-03 善良さと博愛
    3-04 自然の能力(才能)
    3-05 自然の徳についてのさらなる考察
    3-06 第3巻の結論
    付録

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  11. 「俳優のデ・ニーロはある映画(引用者註*)の一場面でカニの「ような」歩き方をしてみせる。しかし、当人の説明によると、
    これはカニの模倣ではない。映像と、あるいは映像の速度と、カニにかかわる〈何か〉を組み合わせようというのである。
    そしてわれわれにとって重要な点はここにある。つまり人間が動物に〈なる〉のは、なんらかの手段と要素を使って、
    動物の微粒子に特有の運動と静止の関係に組み込まれるような微小粒子を放出する場合にかぎられる、あるいは、
    これも結局は同じことになるが、動物的分子の近傍域に組み込まれるような微小粒子を放出する場合にかぎられるということだ。
    動物に〈なる〉ためには自分自身も分子になるしかない。(以下略)」

    ──ジル・ドゥルーズ・エ・フェリックス・ガタリ『ミル・プラトー』「10章 一七三〇年──強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること……」河出文庫 中巻 238-239頁

    *タクシードライバー

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  12. >>230
    情報ありがとうございます。
    『批評と臨床』以来でしょうか?
    これを機に口絵がカラーになるといいのですが、、、、

    http://1.bp.blogspot.com/-QN9jae0t1kg/UyhBd4nbLiI/AAAAAAAAcoU/NKrKM5KP4-g/s3200/IMG_05864.jpg
    Twittering Machine (1922) - Paul Klee
    パウル・クレー「さえずる機械」(第11章、口絵)

    BaddieBeagle
    9時間前
    ドゥルーズ+ガタリ『千のプラトー』がkindle入り
    http://www.amazon.co.jp/dp/B00QQKCV3W/
    http://www.amazon.co.jp/dp/B00QQKCVMS/
    http://www.amazon.co.jp/dp/B00QQKCV50/
    http://www.amazon.co.jp/dp/B00QQKCV0A/ (合本版)

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  13. ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ 『千のプラトー 資本主義と分裂症』目次再送
    http://leonocusto.blog66.fc2.com/blog-entry-1665.html
    ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ 『千のプラトー 資本主義と分裂症』 (宇野邦一・他 訳)
    ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ 
    『千のプラトー 資本主義と分裂症』 
    宇野邦一・小沢秋広・田中敏彦・豊崎光一・宮林寛・守中高明 訳

    河出書房新社 1994年9月30日初版発行/同年10月20日再版発行
    656p 人名索引xii 
    A5判 丸背紙装上製本 カバー 定価6,900円(本体6,699円)
    装幀: 戸田ツトム・岡孝治
    Gilles Deleuze/Félix Guattari : Mille Plateaux, 1980

    返信削除
  14. 652.社会法則モナド論 ( その他社会学 ) - raccoon21jpのブログ - Yahoo!ブログ
    http://blogs.yahoo.co.jp/raccoon21jp/31757998.html

    『社会法則、モナド論と社会学』ガブリエル・タルド著

    河出書房新社、2008年12月、村沢真保呂他新訳、原書は1898,1895年。

    古い本である、1920年代には日本でも訳されているそうだ、当時の世紀末雰囲気、生命主義、さらには全体主義に繋がる要素もある。
    ライプニッツのモナド(単子)は独立性を強調し「窓がない」というが、タルドはこれを援用、独立性以上に多様性を強調し、窓がないのではなく相互に開かれ浸透しあうモナドを社会学の要素として主張した。

    トゥルーズの弟子達によってフランスで再評価、日本でも仏系社会学者が再紹介中、らしい。

    以下、ポイントのみ、rac関心要約文責、近代国家・近代政治・戦争などを否定し個人のグローバルな全体への直接的な係わり合いを主張する点で、超ポストモダンの書庫にいれる。

    モナド論

    ライプニッツは「閉じたモナド」:夫々のモナドを薄暗い部屋とみなし、その室内には他のモナドたちから成り立つ宇宙全体が縮小された形で特殊な角度から描かれている、互いに隔てあっている、と考えた。さらに(だから)「予定調和」を考えざるを得なかった。 一方タルドは、モナドたちは互いに開かれており、浸透しあっている、と考える。科学の進展は新しいモナド論を促している(として、当時のニュートン力学や原子論分子論の理解を引用するがその後の現代科学の知識もこれを支持しているとracは思う・・)(p160)

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  15. [解釈は無限に続き、解釈すべきものといっても、それ自体すでに解釈であるもの以外何にも出会わないのである。したがってシニフィエはたえずシニフ
    ィアンを与え、それを充填し生産するのである。形態はいつもシニフィアンからやってくる。最終的な
    シニフィエとは、それゆえ冗長性あるいは「過剰」となったシニフィアンにほかならない。シニフィアン
    の生産によって解釈や伝達が超えられると主張してもまったく無駄である。シニフィアンの再生産や
    生産をいつも助けるのは解釈が伝達されるからである。]千プラトー、136頁
    http://pub.ne.jp/Sightsong/?entry_id=3326150

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  16. [解釈は無限に続き、解釈すべきものといっても、それ自体すでに解釈であるもの以外何にも出会わない
    のである。したがってシニフィエはたえずシニフィアンを与え、それを充填し生産するのである。形態は
    いつもシニフィアンからやってくる。最終的なシニフィエとは、それゆえ冗長性あるいは「過剰」となっ
    たシニフィアンにほかならない。シニフィアンの生産によって解釈や伝達が超えられると主張してもま
    ったく無駄である。シニフィアンの再生産や生産をいつも助けるのは解釈が伝達されるからである。]
    千プラトー、136頁
    http://pub.ne.jp/Sightsong/?entry_id=3326150

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  17. 大概の共同体批判は共同体の存在を暗黙のうちに前提にしており、
    その意味で共同体に依拠している
    そのことに無自覚な共同体批判は無効だ
    プルードンは集合力を重視したが、その交換銀行は共同体ではない
    そうした共同体なき共同性、は柄谷の言葉で言えば、
    孤立を求めて連帯を恐れず、ということになるだろう
    議論の前提が違うのである

    今、柄谷の探究1に補助線を引くなら
    ウィトゲンシュタインは仮想敵としてのショーペンハウアーと応答(意見の交換を)
    していたということだ
    独我論という交換不可能性を突き詰めることで交換が見えてくる

    ちなみに「家族的類似性」も元はショーペンハウアーの言葉だ。

    返信削除
  18. Amazon.co.jp| 傷と出来事| ジョー・ブスケ, 谷口 清彦, 右崎 有希| 河出 ...
    www.amazon.co.jp>...>外国のエッセー・随筆>フランス

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    hallucinyan.hatenablog.com/entry/2013/10/23/154908
    傷と出来事 作者: ジョー・ブスケ,谷口清彦,右崎有希 出版社/メーカー: 河出書房新社 発売日: 2013/07/20 メディア: 単行本 この商品を含むブログ (1件) を見る とても美しい 本だったのでひさしぶりにブログを書きます。内容的にももちろんです ...
    ジョー・ブスケ『傷と出来事』 - つじこの
    tsujiko692.blog.fc2.com/blog-entry-85.html
    2014年6月19日 ... 少し前から読んでいたジョー・ブスケ(Joë Bousquet, 1897-1950)の『傷と出来事』( 谷口清彦・右崎有希訳、河出書房新社、2013年)の読了が間近いので、日日日論に でも役立ちそうなくだりをいくつか抜き書きしておくことにする。なおブスケの ...

    http://www.arsvi.com/b1900/6900dg2.htm
    >HOME >BOOK
    『意味の論理学 上』

    Deleuze, Gilles 1969 Logique du sens,Les Editions de Minuit
    =20070120 小泉 義之,河出文庫,307p.

    Last Update:20101010
    このHP経由で購入すると寄付されます

    ■Deleuze, Gilles 1969 Logique du sens,Les Editions de Minuit =20070120 小泉 義之 『意味の論理学 上』,河出文庫,307p. ISBN-10:4309462855 ISBN-13:978-4309462851 \1050 [amazon]/[kinokuniya] ※

    ■内容

    内容(「BOOK」データベースより)
    ルイス・キャロルからストア派へ、パラドックスの考察にはじまり、意味と無意味、表面と深層、アイオーンとクロノス、そして「出来事」とはなにかを問うかつてなかった哲学。『差異と反復』から『アンチ・オイディプス』への飛躍を画し、核心的主題にあふれたドゥルーズの代表作を、気鋭の哲学者が新訳。

    著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
    ドゥルーズ,ジル
    1925年生まれ。哲学者。1995年、自ら死を選ぶ

    小泉 義之
    1954年生まれ。立命館大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

    ■目次

    序文 ルイス・キャロルからストア派へ

    第1セリー 純粋生成のパラドックス
     計測される事物と狂気
     生成のプラトン的区別
     無限同一性
     アリスの冒険、あるいは「出来事」
    第2セリー 表面効果のパラドックス
     物体・事物の状態と非物体的効果・出来事のストア派の区別
     因果関係の割れ目
     表面へ上昇させること……
     ルイス・キャロルにおける表面の発見
    第3セリー 命題
     指示、表出、意義:三者の関係と循環性
     命題の第四次元はあるか
     意味、表現、出来事
     意味の二重の本性:命題の表現可能なものと事物の状態の属性、存立と外
     存在
    第4セリー 二元性
     物体
     言葉、食べること、話すこと
     二種類の語
     命題の二つの次元:指示と表現、消費と意味
     二つのセリー
    第5セリー 意味
     無際限な増殖
     不毛な複製化
     中立性、あるいは、本質の第三身分
     不条理、あるいは、不可解な対象
    第6セリー セリー化
     セリー形態と異質なセリー
     異質なセリーの構成
     セリーは何に収束するのか
     ラカンのパラドックス:奇妙な要素(空虚な位置、あるいは、位置なき占有者)
     雌羊の店
    第7セリー 秘教的な語
     セリー上の縮約の総合(連結)
     二つのセリーの調整の総合(連結)
     分離の総合、あるいは、セリーの分岐の総合:カバン
     語の問題
    第8セリー 構造
     レヴィ=ストロースのパラドックス
     構造の条件
     特異性の役割
    第9セリー 問題性
     特異性と出来事
     問題と出来事
     楽しい数学
     無作為抽出点と特異点
    第10セリー 理念的なゲーム
     通常のゲームの規則
     異常なゲーム
     時間の2つの読み方:アイオーンとクロノス
     マラルメ
    第11セリー 無‐意味
     パラドックス的要素の特徴
     無‐意味とは:無
     意味の二つの変形
     無‐意味から派生する不条理(意義なし)の二つの形態
     無‐意味と意味の余現前
     「効果」としての意味
    第12セリー パラドックス
     良識の本性とパラドックス
     常識の本性とパラドックス
     無‐意味、意味、言葉のいわば第二次組織
    第13セリー 分裂病者と少女
     アントナン・アルトーとルイス・キャロル
     食べること‐話すこと、分裂病的な言葉
     分裂病と表面の破綻
     語‐受動と破裂する文字の価値、語‐能動と分節しない音調の価値
     深層の無
     意味と表面の無
     意味の区別、言葉の第一次秩序と言葉の第二次組織の区別
    第14セリー 二重の原因性
     非物体的な出来事‐効果、原因と準‐原因
     非常と発生
     フッサールの理論
     真の発生の条件:(我)なき、固体化の中心なき、超越論的な場
    第15セリー 特異性
     戦争
     超越論的な場が意識の形態を守ることはありえない
     非人称的で前‐個体的な特異性
     超越論的場と表面
     個体の言説、人格の言説、底なき言説:第四の言説はあるか
    第16セリー 存在論的な静的発生
     個体の発生:ライプニッツ
     世界の「共可能性」の条件、あるいは、セリーの収束性の条件(連続性)
     出来事の述語への変換
     個体から人格へ
     人格、特性とクラス
    第17セリー 論理学的な静的発生
     命題の次元への移行
     意味と命題
     意味の中立性
     表面と裏地
    第18セリー 哲学者の三つのイマージュ
     科学と高所
     科学と深層
     哲学者の新たなタイプ:ストア派
     ヘラクレスと表面
    第19セリー ユーモア
     意義から指示へ
     ストア派と禅
     古典的言説と個体、ロマン的言説と人格:イロニー
     底なしの言説
     特異性の言説:ユーモア、あるいは、「単独者の第四人称」
    第20セリー ストア派のモラル問題
     モラルの二つの極:事物の物理的占いと表象の論理的使用
     表象、使用と表現
     出来事を把握すること・意志すること・表象すること
    第21セリー 出来事
     出来事の永遠真理
     実現と反‐実現
     出来事としての死の二つの面
     出来事を意志することとは
    第22セリー 磁器と火山
     『裂け目(崩壊)』(フィッツジェラルド)
     二つの過程とその区別の問題
     アルコリスム、躁鬱
     サイテゲリアに献げる
    第23セリー アイオーン
     クロノスの特徴と深層の生成によるクロノスの転覆
     アイオーンと表面
     アイオーンから派生する組織、アイオーンとクロノスの差異
    第24セリー 出来事の交流
     非論理的な共立不可能性の問題
     ライプニッツ
     肯定的隔たりと分離の肯定的総合
     永遠回帰、アイオーンと直線:最も怖ろしい迷宮

    ■引用

    ■書評・紹介

    ■言及



    *作成:樋口也寸志 
    UP:20101010 REV:
    ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK 
     
    TOP HOME(http://www.arsvi.com)◇

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  19. http://www.arsvi.com/b1900/6900dg.htm
    >HOME >BOOK
    『意味の論理学(上)(下)』

    Deleuze, Gilles  1969 Logique du sens ,Minuit,319p.
    =20070106 小泉 義之,河出書房新社,307p
    [Korean]

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    ■Deleuze, Gilles 1969 Logique du sens,Minuit,319p. =20070106 小泉 義之 『意味の論理学(上)』,河出書房新社,307p ISBN-10:4309462855 ISBN-13:9784309462851 \1050 [amazon]/[kinokuniya] =20070106  小泉 義之 『意味の論理学(下)』,河出書房新社,286p ISBN-10:4309462863 ISBN-13:9784309462868 \1050 [amazon]/[kinokuniya]


    ■内容
    ドゥルーズの思考の核心をしめす名著、渇望の新訳。下巻では永遠回帰は純粋な出来事の理論であり、すべての存在はただひとつの声であるという「一義性」論から言葉、性、幻影、セリーへと、アリスとアルトーと伴走する思考の冒険は驚くべき展開を見せる。ルクレティウス論、トゥルニエ論などの重要テクストも収録。


    ■目次
    上巻
        純粋生成のパラドックス
        表面効果のパラドックス
        命題
        二元性
        意味
        セリー化
        秘教的な語
        構造
        問題性
        理念的なゲーム
        無-意味
        パラドックス
          分裂病者と少女
        二重の原因性
        特異性
        存在論的な静的発生
        論理学的な静的発生
        哲学者の三つのイマージュ
        ユーモア
        ストア派のモラル問題
        出来事
        磁器と火山
        アイオーン
        出来事の交流

      下巻
        一義性
        言葉
        口唇性
        性
        善意は当然にも罰せられる
        幻影
        思考
        セリーの種類
           アリスの冒険
        第一次秩序と第二次組織

        付録
          シミュラクルと古代哲学
          幻影と現代文学

    ■引用

    ■書評・紹介

    ■言及



    *作成:本岡 大和 
    UP:20100214
    ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK 
     
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  20. http://www.arsvi.com/b1900/6900dg3.htm
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    『意味の論理学 下』

    Deleuze, Gilles 1969 Logique du sens,Les Editions de Minuit
    =20070120 小泉 義之,河出文庫,286p.

    Last Update:20101010
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    ■Deleuze, Gilles 1969 Logique du sens,Les Editions de Minuit=20070120 小泉 義之 『意味の論理学 下』,河出文庫,286p. ISBN-10:4309462863 ISBN-13:978-4309462868 \1050 [amazon]/[kinokuniya] ※

    ■内容

    内容(「BOOK」データベースより)
    ドゥルーズの思考の核心をしめす名著、渇望の新訳。下巻では永遠回帰は純粋な出来事の理論であり、すべての存在はただひとつの声であるという「一義性」論から言葉、性、幻影、セリーへと、アリスとアルトーと伴走する思考の冒険は驚くべき展開を見せる。ルクレティウス論、トゥルニエ論などの重要テクストも収録。

    著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
    ドゥルーズ,ジル
    1925年生まれ。哲学者。1995年、自ら死を選ぶ

    小泉 義之
    1954年生まれ。立命館大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

    ■目次

    第25セリー 一義性
     個体と出来事
     永遠回帰再論
     一犠牲の三つの意義
    第26セリー 言葉
     言葉を可能にするもの
     言葉の組織の要約
     動詞と不定法
    第27セリー 口唇性
     動的発生の問題:深層から表面へ
     メラニー・クラインによる「態勢」
     分裂病と抑鬱、深層と高所、シミュラクルとイドラ
     第一段階:雑音から声へ
    第28セリー 性
     性感帯
     動的発生の第二段階:諸表面の形成と諸表面の接続
     イマージュ
     オイディプス・コンプレックスの本性、性器帯の役割
    第29セリー 善意は当然にも罰せられる
     表面の構成との関係におけるオイディプスの企画
     修復することと帰還させること
     去勢
     カテゴリーとしての意図
     発生の第三段階:物理的表面から形而上学的表現へ(二重のスクリーン)
    第30セリー 幻影
     幻影と出来事
     幻影、自我と特異性
     幻影、動詞と言葉
    第31セリー 思考
     幻影、移行と開始
     夫妻と思考
     形而上学的表面
     心的生活の方角決定、口と脳
    第32セリー セリーの種類
     セリーと性:結合的セリーと性感帯、総合的セリーと接続
     性的セリーの第三形態、分離と発散
     幻影と共鳴
     性と言葉:3つのタイプのセリーと対応する語
     声から話し言葉へ
    第33セリー アリスの冒険
     ルイス・キャロルにおける三種の秘教的な語の再考
     『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』の比較概要
     精神分析と文学、神経症的な家族小説と芸術の小説
     作品
    第34セリー 第一次秩序と第二次組織
     幻影の振子構造:共鳴と共生運動
     話し言葉から動詞へ
     動的発生の終わり
     抑圧、一次と二次の
     風刺、イロニー、ユーモア

    付録
    Ⅰ シミュラクルと古代哲学
     Ⅰプラトンとシミュラクル
      プラトンの弁証論:役割の意義
      請求者の選別
      コピーとシミュラクル
      シミュラクルの特徴
      表象の歴史
      プラトニズムを転倒すること:現代芸術作品とシミュラクルの報復
      永遠回帰の顕示内容と潜伏内容(プラトンに対抗するニーチェ)
      永遠回帰とシミュレーション
      モデルニア
     Ⅱルクレティウスとシミュラクル
      雑多なもの
      自然と全体化不可能な緩和
      〈存在〉・〈一〉・〈全〉の批判
      因果原理の異なる相
      方法の二つの姿形
      クリナメンと時間理論
      真の無限と偽の無限
      魂のトラブル
      深層からの流出、表面からのシミュラクル、神学的・夢幻的・官能的な幻影
      時間と方法の統一性
      偽の無限の起源と魂のトラブル
      自然主義と神話批判
    Ⅱ 幻影と現代文学
     Ⅰクロソウスキー、あるいは、身体‐言葉
      身体の観点と言葉の観点からの選言三段論法
      ポルノグラフィーと神学
      見ることと話すこと
      反射像、共鳴、シミュラクル
      破棄通告
      身体と言葉の屈折
      交換と反復
      反復とシミュラクル
      停滞の場面の役割
      両刀論法:身体‐言葉
      神と反キリスト:二つの秩序
      選言三段論法のカント理論
      神の役割
      クロソウスキーにおけるカント理論の変形
      反キリストの秩序
      意図:強度と志向性
      幻影としての永遠回帰
     Ⅱミシェル・トゥルニエと他者なき世界
      ロビンソン、元素と目的
      倒錯の問題
      知覚における他者の効果
      ア・プリオリな構造としての他者
      時間における他者の効果
      他者の不在
      分身と元素
      他者喪失の三つの意味
      シミュラクルから幻影へ
      他者と倒錯
     Ⅲゾラと裂け目
      裂け目と遺伝
      本能と本能の対象
      二つの遺伝
      死の本能と本能
      人間の獣
      幻影化される対象
      悲劇と叙事詩

    訳者後書
    人名・学派名索引

    ■引用

    ■書評・紹介

    ■言及



    *作成:樋口也寸志 
    UP:20101010 REV:
    ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK 
     
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  21. 以下千のプラトー 序リゾームより
    《…リゾームは記号論的鎖の輪や、権力の諸組織や、芸術、学問、社会的闘争にかかわる
    出来事などをたえず連結し続けてやまないであろう。…
    …ある強度の特性がみずから作用しはじめ、幻覚的知覚、共感覚、倒錯的な突然変異、
    イマージュの戯れなどが突出すると、シニフィアンの覇権は疑問に付されることになる。
    身振り的、黙劇的、遊戯的といった記号作用が子供において自由を取り戻し、「複写」
    から、つまり教師の言語の支配的能力から身をもぎ離す──一つの極微な出来事が局地
    的権力の均衡を覆すのだ。》

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  22. 以下『記号と事件』「哲学について 」より
    《そして国家のこちら側では、管理の手を逃れた生成変化が芽生え、さまざまなマイノリティが
    何度もよみがえっては反抗をくりかえす。…六八年五月は歴史のなかにひとつの生成変化がな
    だれこんできた特異な出来事であり、だからこそ、歴史学にはこれがさっぱり理解できなかっ
    たし、歴史にしばられた社会はこれを自分のものにすることがまったくできなかったのです。》


    以下『記号と事件』「管理と生成変化 」より
    《…〈事件〉の出現は一瞬の出来事です。重要なのは事件が出現する瞬間だし、とらえな
    ければならないのはその機会なのです。…私たちは完全に世界を見失ってしまった。世界
    を奪われてしまった。世界の存在を信じるとは、小さなものでもいいから、とにかく管理
    の手を逃れる〈事件〉をひきおこしたり、あるいは面積や体積が小さくてもかまわないか
    ら、とにかく新しい時空間を発生させたりすることでもある。…抵抗する能力はどれだけ
    のものか、あるいは逆に管理への服従はどのようなものなのかということは、各人がここ
    ろみた具体的な行動のレベルで判断される。創造〈と〉人民の両方が必要なのです。
        「前未来」創刊号、一九九〇年春     聞き手──トニ・ネグリ 》

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  23. 以下『記号と事件』「『千プラトー』を語る」より
    《言語学は初期段階では音韻論が支配的で、それが統辞論と意味論に移行していったわけですが、やがて
    プラグマティクス(語用論)の性格を強めていった。状況や出来事や行為をあつかうプラグマティクスは、
    長いあいだ言語学の「はきだめ」と考えられてきました。ところが現在ではこのプラグマティクスが日増
    しに重要になってきた。体系言語が現働態に置かれたことによって、言語一般の抽象的単位や常数のよう
    なものがその重要性を減じてきたからです。》

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  24. フランス図書 @frbooks1 7時間7時間前
    ドゥルーズの新刊。フーコー、クロソウスキー、ガタリ等に宛てた書簡集。若きドゥルーズによるデッサンやエッセー等も収録。11月刊行。
    Deleuze, Gilles - Lettres : et autres textes. [Minuit]. EUR19.00

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  25. 11 一八三七年──リトルネロについて
     暗闇に幼な児がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ち止まる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものだ。子供は歌うと同時に跳躍するかもしれないし、歩く速度を速めたり、緩めたりするかもしれない。だが、歌それ自体がすでに跳躍なのだ。歌はカオスから跳び出してカオスの中に秩序を作りはじめる。しかし、歌には、いつ分解してしまうかもしれぬという危険もあるのだ。アリアドネの糸はいつも一つの音色を響かせている。オルペウスの歌も同じだ。
     Ⅱ 逆に、今度はわが家にいる。もっとも、あらかじめわが家が存在するわけではない。わが家を得るには、もろくて不確実な中心を囲んで輪を描き、境界のはっきりした空間を整えなければならないからである。あらゆる種類の目印や符号など、きわめて多様な成分が介入してくる。これは第一の場合についても当てはまることだ。けれども、ここで問題になる成分は、一つの空間を整えることを目指しているのであり、もはや一時的に中心を定めることを目指しているのではない。こうして、カオスの諸力ができるかぎり外部に引きとめられ、内側の空間が、果たすべき務めの、あるいはなすべき事業の胚種となる諸力を保護するにいたる。ここでは選別、排除、抽出の活動がくりひろげられ、それによって大地の内密な諸力、大地の内部にある諸力が、埋没することなく抵抗し、さらに、成立した空間のフィルターやふるいでカオスを選別して、カオスから何かを取り入れることもできるようになる。声と音の成分は特に重要だ。それは音の壁であり、少なくとも壁の一部は音響的なものである。一人の子供が、学校の宿題をこなすため、力を集中しようとして小声で歌う。一人の主婦が鼻歌を口ずさんだり、ラジオをつけたりする。そうすることで自分の仕事に、カオスに対抗する力をもたせているのだ。ラジオやテレビは、個々の家庭にとっていわば音の壁であり、テリトリーを標示している(だから、音が大きすぎると近所から苦情が来るのだ)。都市の建造とか、ゴーレムの製造といった崇高な事業を起こすときにも、やはり輪が描かれる。だが、とりわけ重要なのは、子供が輪になって踊るのと同じように、輪の周囲を歩き、子音や母音を組み合わせてリズムをとり、それを内に秘められた創造の力や、有機体の分化した部分に対応させるということである。速度やリズムやハーモニーに関する過失は破局をもたらすはずだ。それはカオスの諸力を回復させ、創造者も被造物も破壊することになるからである。
     Ⅲ さて、今度は輪を半開きにして開放し、誰かを中に入れ、誰かに呼びかける。あるいは、自分が外に出ていき、駆け出す。輪を開く場所は、カオス本来の力が押し寄せてくる側にではなく、輪そのものによって作られたもう一つの領域にある。それはあたかも輪そのものが、みずからの内部に収容した活動状態の力と連動して、未来に向けて自分を開こうとしているかのようだ。そして、いま目的となっているのは未来の力や宇宙的な力に合流することなのである。身を投げ出し、あえて即興を試みる。だが、即興することは、世界に合流し、世界と渾然一体になることなのだ。ささやかな歌に身をまかせて、わが家の外に出てみる。ふだん子供がたどっている道筋をあらわした運動や動作や音響の線に、「放浪の線」が接ぎ木され、芽をふきはじめ、それまでと違う輪と結び目が、速度と運動が、動作と音響があらわれる(1)。
    http://hideonakane.com/text/2004TraceXII.html
    リュイエが言うように、生得性はいってみれば行為の先にあり、行為の下流に位置するのである。

     われわれは、地層化した環境から始めて、領土化したアレンジメントに到達した。同時に、カオスの諸力が環境によって振り分けられ、コード化され、コード変換を受けたところから始めて、大地の諸力がアレンジメントの中に集められるところまでたどりついた。次に領土的アレンジメントから相互的アレンジメントへと進み、脱領土化の線に沿ったアレンジメントの開放に到達した。それと同時に、集められた大地の諸力から、脱領土化した、あるいはむしろ脱領土化する宇宙の諸力にたどりついた。この最後の運動は、大地の「様相」であることをやめ、宇宙への「抜け道」になっている。パウル・クレーはそれをどのように描いているだろうか。そして、精密であるはずの操作を語るにあたって宇宙という大げさな言葉が使われるのはどうしてなのか。クレーは言う。「人は大地から飛び立とうとして衝動的に試みをくりかえす」、そして「重力に打ち勝つ遠心力の支配下に入ると、実際に大地から舞い上がっていくのだ」と。さらに言う。芸術家はまず自分の周囲を見つめ、あらゆる環境を見つめるが、それは被造物の中に残った創造の痕跡をとらえ、所産的自然の中に残った能産的自然の痕跡をとらえるためだ。そして芸術家は「大地の境界」に腰をすえ、顕微鏡や結晶に、分子や原子や微粒子に関心をもつが、彼は科学的整合性を求めているわけではない。運動を求めているからそうするのだ。内在的運動だけを求めるのである。芸術家は心に思う。この世界は昔、今とは違う光景を呈していたし、これから先も、また違った光景を呈することだろう、それに、別の惑星に行けば、もっと違った光景が見られるのだ、と。芸術家は宇宙に向けておのれを開き、「作品」に宇宙の諸力を注ぎ入れようとする(さもなければ宇宙に向けての開放は単なる夢想にとどまり、大地の境界を広げるなど望むべくもない)。そのような作品を目指すなら、簡素で純粋このうえない、そしてほとんど児戯に近い手段が必要になる。だが、それと同時に民衆の力も必要だ。そしてこれこそまさに、いまもって欠けているものにほかならない。「われわれにはこの力が欠けている。われわれは民衆の支えを求めているのだ。われわれはバウハウスでそれを始めた。それ以上のことはできないのだ……(38)。」

    (1) Cf. Fernand Deligny,《Voix et voir》, Cahiers de I'immuable. 自閉症児の場合、「流浪の線」が通常の道筋を離れて「振動」し、「身震い」を起こし、「急に針路をそれる」。
    (38) Paul Klee, Théorie de l'art moderne, pp.27-33.〔『造形思考』上145-151ページ〕

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  26. 10 1730年――強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること

    (29) 固有名の問題(固有名は分類の限界を逸脱し、分類とは異なる性質をおびるのか、それとも分類のリミットに位置し、いまだ分類の一部をなすものなのか?)についてはガーディナーを参照(Gardiner, The Theory of Proper Names, Londres.)。また、レヴィストロース『野生の思考』第七章も参照。

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  27. #13
    捕獲装置
    命題十二──捕獲
     ストック、労働、商品という考え方に頼ることなく、互いに未知である原始人集団のあいだにおける「交換」を考えられるだろうか。限界効用説を手直しすれば、一つの仮説が得られるようにみえる。限界効用説は経済理論としてはきわめて脆弱だが、そのすぐれた論理的力能はジュヴォンズを、ほとんど経済学のルイス・キャロルにしている。抽象的な集団を二つ想定しよう。集団Aは種子を提供し、斧を受け取る。…

    …限界効用よりもむしろ「最適限界」について語るとき、パレートはこうした方向に進んでいた。アレンジメントを構成するものとしての欲求可能性が問題なのだ。


    ジュヴォンズ×
    ジェヴォンズ○

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  28. ドゥルーズはむろん資本主義に否定的だが、なぜか近代経済学(死語?主流派経済学と呼ぶべきか) と相性がいい。その欲望の哲学は功利主義ではなく枠組みの延命を許さない種類のそれだ。資本主義を徹底することで資本主義を超える。

    MP#13は、ジェヴォンズの限界効用説に触れ、マルクスの地代論に言及する。
    #13:12捕獲《限界効用説は経済理論としてはきわめて脆弱だが、そのすぐれた論理的力能はジュヴォンズを、ほとんど経済学のルイス・キャロルにしている。》《地代は、「資本と労働という二つの等しい量を用いて得られた差異を」捕獲する。》
    原註(24)より《限界効用説における評価と手探りの理論の重要性については、フラダンの批判的な論 Les fondements logiques de la théorie néoclassique de l'échange, Maspero 参照。…エンゲルスは、「ジグザグの近似計算、数々の暗中模索のプロセス」を援用しているが、これは多かれ少なかれ、「それぞれがコスト内に収まる必要度」に応じて決められるものである(引用部の後半は一種の限界効用説的ではないだろうか)。『資本論』第三巻へのエンゲルスの序文 Ed. Sociales, pp.32-34 参照。》
    #13:14:7《すべての闘争は、公理系による接合に対して、革命的な連結を構築するのである。》

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  29. http://tsujiko692.blog.fc2.com/blog-date-201406.html
     結局、CsOに関する偉大な書物は、『エチカ』ではなかろうか。属性attributとはCsOのタイプ、あるいは種類であり、実体にして力、生産的な母体としての強度ゼロである。様態modeとは、生起するすべての事柄、つまり波と波動、移動、閾と勾配、一定の実体的なタイプのもとで、ある母体から産み出される強度である。属性または実体の種類としてマゾヒストの身体があり、身体を縫うことから、つまり零度から始まって、強度が、つまり責苦的な様態が産み出される。麻薬中毒者の身体はさらに他の属性であり、〈絶対寒冷〉=0から始まって、特異な強度を生産する。〔中略〕あらゆる実体にとって同一の実体があるか、あらゆる属性にとって唯一の実体があるか、という問いは、あらゆるCsOから成る一つの総体が存在するだろうか、という問いに言い換えられる。しかし、CsOがすでに一つの極限であるなら、あらゆるCsOの総体についていったい何を言うべきなのだろう。問題は一と多ではない。一と多の対立をまったく超えてしまう融合状態の多様体こそが問題なのだ。実体的属性の形相的な多様性は、このようなものとして実体の存在論的な統一を達成する。同一の実体のもとにあるあらゆる属性の、またはあらゆる種類の強度の連続体。そして同一タイプまたは同一の属性のもとにある、一定種類の強度の連続体。あらゆる実体の、強度における連続体、さらにあらゆる強度の、実体における連続体。CsOの、中断のない連続体。CsO、内在性、内在的な極限。麻薬中毒者、マゾヒスト、分裂病者、恋人たちなど、すべてのCsOはスピノザをたたえる。CsOは、欲望の内在野champ d'immanenceであり、欲望に固有の存立平面plan de consistanceである(そこで欲望はあくまで生産の過程として定義されるのであって、それに空虚をうがつ欠如、これを満たしにくる快楽などの、どんな外的契機とも無縁である)。(注57)
    (57)ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー 上』#6(前掲書)315-316頁。

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  30. MPにおいて器官なき身体(CsO)は道教のイメージで提示されていた。

    《欲望を内的な欠如として受けとめるのではなく、一種の外化可能な剰余価値を産み出すために快楽を遅ら
    せるのでもなく、逆に強度の器官なき身体、〈道〉Tao、内在野を形成することが問題になっている。》(MP#6)

    通俗的には以下のイメージ、
    https://4.bp.blogspot.com/-VViUbso8vc4/VsbZBTGudCI/AAAAAAAA6es/NiICAPVLjU4/s320/tao1.gif
    これは、重力波発生のイメージと似ている。
    https://4.bp.blogspot.com/-TpV0P_YWWQk/VsSpg_F4p1I/AAAAAAAA6a0/307nJqJMoGs/s1600/%25E9%2587%258D%25E5%258A%259B%25E6%25B3%25A20.gif

    一方、欲望する諸機械は宮崎駿の映画に近いのではないか? 宮崎駿のイメージは資本主義を射程に捉えている。
    そこがディズニーとの最大の違いだ。
    ハウルの動く城はノルシュテインのアニメを意識しているが、ドゥルーズの引用したティンゲリー*に似ている。

    http://pin.anime.com/wp-content/uploads/2015/07/studio-ghibli-movies-directed-by-hayao-miyazaki-album-on-imgur-1438021868nk84g.gif
    http://img.gifmagazine.net/gifmagazine/images/19552/original.gif?1409586439
    http://pin.anime.com/wp-content/uploads/2015/07/Howls-Moving-Castle-animated-gif-%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8F%E5%9F%8E-2.gif


    AO補遺より
    《ティンゲリの〈ロトザザ〉のように、機械が組織的にそれ自身の対象を破壊することもある。》
    Tinguely Rotozaza
    http://youtu.be/f80SLYonPO4
    https://1.bp.blogspot.com/-hMCzhtmC8Gg/VsbofxWciUI/AAAAAAAA6fk/fMMKg2rCGXI/s1600/Tinguely-Rotozaza.gif

    返信削除
  31. 『リゾームになり根にはなるな、決して種を植えるな!蒔くな、突き刺せ!一にも多にもなるな、多様体であれ!線を作れ、決して点を作るな!スピードは点を線に変容させる!速くあれ、たとえ場を動かぬときでも!幸運の線、ヒップの線、逃走線。 「序 リゾーム」 』

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  32. >>198 は千葉雅也『動いけ』本文では18頁の浅田彰評と共に以下のチャート図とも呼応するだろう。
    これだと東は「ジャンキーの動きすぎ」になってしまう?

    「動きすぎてはいけない」の二方向
     A 知識人=代表者の動きすぎ
       ↓ 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       ↑ 節約B(=切断B:リゾームの切断)
     B ジャンキーの動きすぎ

    (千葉雅也『動きすぎてはいけない』52頁より)

     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス  |( i i i )
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|( i i )
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |( i )
    |________|______|

    <こうして、三層の図を示すことができるだろう。すなわち、( i )バラバラの部分対象の乱立
    〜〜東の言う「複数的な超越性」〜〜が、( i i i )超越論的シニフィアン(ファルス)によって集
    約され〜〜構造主義的ホーリズム〜〜、否定神学化される途'中'において、( i i )器官なき身体と
    しての個体が、イマジネールに肯定される。
    ( i )はヒューム主義に、( i i i )はベルクソン主義 → 構造主義〜〜時間の第二の総合から第三の
    総合へ〜〜に対応し、( i i )は、ヒューム主義とベルクソン主義に通底するイマジネーションの
    形而上学に対応する。
    ドゥルーズ哲学に対する精神分析を擬するならば、( i )は〈ドゥルーズ哲学の幼年期〉であり、
    ( i i i )は〈ドゥルーズ哲学の青年期〉であり、( i i )は〈ドゥルーズ哲学の少年期〉である。>

    (『動きすぎてはいけない』188頁より。図に記号を追加した。)

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  33. ハーゲンダッツの「華もち きなこ黒みつ」ってまったくハーゲンでもダッツでもない感じだな。


      【ハーゲン】
     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅【華もち きなこ黒みつ】
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ
      【ダッツ】

    『動きすぎてはいけない』52頁より 【】を加筆


    以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より 図に番号を追加

              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)


    (1)       (3)           (2) 
    (A)       (C)           (D) 

    これらを以下の柄谷の交換図に変換する、

      _______________________
    |           |           |
    |           |           | 
    |           |           | 
    |   国家      | ネーション     |  
    |   B       | A         |           
    |           |           |     
    |           |           |平
    |___________|___________|
    |           |           |等   
    |           |           |          
    |           |           |       
    |   資本      | アソシエーション  |          
    |   C       | D   X     |          
    |           |           |          
    |           |           |          
    |___________|___________|
               自 由

    (『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照)

    すると以下になる。

    エリート|パラノ
    ----+---
     スキゾ|アスペ

    Bが空くのでとりあえずエリートと命名した。

    返信削除
  34. 以下、「動きすぎてはいけない」の二方向(千葉雅也『動きすぎてはいけない』52頁より)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

    これらは演繹と帰納に対応する。

     A 知識人           B ジャンキーの動きすぎ
      =代表者の動きすぎ    


     演繹(deduction)        帰納( induction)
             普 遍 法 則
             ↓(大前提)
    deduction  /|\  induction
        演 繹 法 / | \↑帰 納 法
             /__|__\
          (事実)  ←  (事実)
             真 の 推 理 

    (「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)


    AのベルクソンとBのヒュームを総合したドゥルーズは偉大だ。

    返信削除
  35. 以下、「動きすぎてはいけない」の二方向(千葉雅也『動きすぎてはいけない』52頁より)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ


    AのベルクソンとBのヒュームを総合したドゥルーズは偉大だ。

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  36. MPより

    13 BC七〇〇〇年──捕獲装置

    三つの頭をもつ捕獲装置、マルクスの定式から派生した(三つはマルクスと同じ仕方で配分さ
    れてはいないが)「三位一体の定式」は次のようになる。

            土地(領土とは区別されるものとして)|

         (a)各土地の直接比較、差異地代      >地代
    ス    (b)土地の独占的所有、絶対地代     |〈所有者〉

    ト       労働(活動とは区別されるものとして)|
         (a)活動の直接比較、労働         >利益
    ッ    (b)労働の独占的所有、余剩労働     |〈事業主〉

    ク       貨幣(交換とは区別されるものとして)|
         (a)交換物の直接比較、商品        > 税
         (b)比較方法の独占的所有、貨幣の発行  |〈銀行家〉
    _____

    マルクス三位一体の定式の一つ「資本-利潤」をドゥルーズは「貨幣-税」としている。
    (ガタリの功績かもしれないが、税に着目してマルクスを改定しているところは流石である。)
    ドゥルーズは、国家が資本の中に折りたたまれた構造を提示している。

    返信削除
  37. MPより
    《13 BC七〇〇〇年──捕獲装置

    三つの頭をもつ捕獲装置、マルクスの定式から派生した(三つはマルクスと同じ仕方で配分さ
    れてはいないが)「三位一体の定式」は次のようになる。

            土地(領土とは区別されるものとして)|
         (a)各土地の直接比較、差異地代      >地代
    ス    (b)土地の独占的所有、絶対地代     |〈所有者〉

    ト       労働(活動とは区別されるものとして)|
         (a)活動の直接比較、労働         >利益
    ッ    (b)労働の独占的所有、余剩労働     |〈事業主〉

    ク       貨幣(交換とは区別されるものとして)|
         (a)交換物の直接比較、商品        > 税
         (b)比較方法の独占的所有、貨幣の発行  |〈銀行家〉》
    _____

    マルクス三位一体の定式の一つ「資本-利潤」をドゥルーズは「貨幣-税」としている。
    (ガタリの功績かもしれないが、税に着目してマルクスを改定しているところは流石である。)
    ドゥルーズは、国家が資本の中に折りたたまれた構造を提示している。


    返信削除


  38. MPより
    《13 BC七〇〇〇年──捕獲装置

    三つの頭をもつ捕獲装置、マルクスの定式から派生した(三つはマルクスと同じ仕方で配分さ
    れてはいないが)「三位一体の定式」は次のようになる。

            土地(領土とは区別されるものとして)|
         (a)各土地の直接比較、差額地代      >地代
    ス    (b)土地の独占的所有、絶対地代     |〈所有者〉

    ト       労働(活動とは区別されるものとして)|
         (a)活動の直接比較、労働         >利益
    ッ    (b)労働の独占的所有、余剩労働     |〈事業主〉

    ク       貨幣(交換とは区別されるものとして)|
         (a)交換物の直接比較、商品        > 税
         (b)比較方法の独占的所有、貨幣の発行  |〈銀行家〉》
    _____

    マルクス三位一体の定式の一つ「資本-利潤」をドゥルーズは「貨幣-税」としている。
    (ガタリの功績かもしれないが、税に着目してマルクスを改定しているところは流石である。)
    ドゥルーズは、国家が資本の中に折りたたまれた構造を提示している。

    返信削除
  39. 差異地代を差額地代に訳し直した。

    返信削除


  40. MPより
    《13 BC七〇〇〇年──捕獲装置

    三つの頭をもつ捕獲装置、マルクスの定式から派生した(三つはマルクスと同じ仕方で配分さ
    れてはいないが)「三位一体の定式」は次のようになる。

            土地(領土とは区別されるものとして)|
         (a)各土地の直接比較、差額地代      >地代
    ス    (b)土地の独占的所有、絶対地代     |〈所有者〉

    ト       労働(活動とは区別されるものとして)|
         (a)活動の直接比較、労働         >利益
    ッ    (b)労働の独占的所有、余剩労働     |〈事業主〉

    ク       貨幣(交換とは区別されるものとして)|
         (a)交換物の直接比較、商品        > 税
         (b)比較方法の独占的所有、貨幣の発行  |〈銀行家〉》
    _____

    マルクス三位一体の定式の一つ「資本-利潤」をドゥルーズは「貨幣-税」としている。
    (ガタリの功績かもしれないが、税に着目してマルクスを改定しているところは流石である。)
    ドゥルーズは、国家が資本の中に折りたたまれた構造を提示している。

    (差異地代をより一般的な差額地代に訳語を変えた。)

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  41. 貨幣 土地
      十
    労働

    税  地代
      十
    利益

    銀行家 所有者
       十
    事業主

    それぞれに単純再生産(a)、拡大再生産(b)がある。


    返信削除


  42. 貨幣 土地
      十
    労働

    税  地代
      十
    利益

    銀行家 所有者
       十
    事業主

    それぞれに単純再生産(a)、拡大再生産(b)がある。

    交換 領土
      十 
    活動

    返信削除

  43. 交換 領土
      十 
    活動


    それぞれに単純再生産(a)、拡大再生産(b)がある。


    貨幣 土地
      十
    労働

    税  地代
      十
    利益

    銀行家 所有者
       十
    事業主

    返信削除
  44. 土地 労働
      十
    貨幣 
      
    この並びもあり得る
    ラカンの構造のように回転し得る

    返信削除

  45. 領土 活動
      十 
    交換 


    それぞれに単純再生産(a)、拡大再生産(b)がある。


    土地 労働
      十
    貨幣 

    地代 利益
      十
    税  

    所有者 事業主
       十
    銀行家

    労働は右下足り得る

    返信削除
  46. |<地代>






     マルクス『資本論』 絶対的5〜9、   商品と
     __________相対的10〜13__貨幣〜3
    |資本の変態|(資本の |剰余|資本|拡大|単純|
    |  と循環| 循環過程)価値|へ4|価値形態論1
    | 1〜6 |1、2、3| 〜16 一般的|貨幣|
    |_二資本の流通過程__|_一資本の生産過程__|
    |     |拡大|単純|時間|  | 資本の |
    |資本の回転|再生産 ・|_労 賃_|蓄積過程 |
    |7〜17 社会的総資本|17〜20|21〜25| 
    |_____|18〜21|出来高__|_____|
    |     |     生産過程49|資本|労働|
    |  利潤 |     | 競争の |_三位一体48
    | 1〜20|     | 外観50|土地|  |
    |____三資本主義的生産の総過程への転化|__|
    |     絶対・|差額|     資本家|労働者
    |  利子 |_地代_・| 生産51|_諸階級52
    |21〜36|37〜47| 分配と |地主|  |
    |複利24_資本主義的・|_____|__|__|


    ____________


    交換 活動
      十 
    領土  

    それぞれに単純再生産(a)、拡大再生産(b)がある。

    貨幣 労働
      十
    土地  

    税  利益
      十
    地代  

    銀行家 事業主
       十
    所有者

    労働は右下足り得る

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  47. 千プラトー
    11 一八三七年──リトルネロについて

     われわれは、地層化した環境から始めて、領土化したアレンジメントに到達した。同時に、
    カオスの諸力が環境によって振り分けられ、コード化され、コード変換を受けたところから始
    めて、大地の諸力がアレンジメントの中に集められるところまでたどりついた。次に領土的ア
    レンジメントから相互的アレンジメントへと進み、脱領土化の線に沿ったアレンジメントの開
    放に到達した。それと同時に、集められた大地の諸力から、脱領土化した、あるいはむしろ脱
    領土化する宇宙の諸力にたどりついた。この最後の運動は、大地の「様相」であることをやめ、
    宇宙への「抜け道」になっている。パウル・クレーはそれをどのように描いているだろうか。
    そして、精密であるはずの操作を語るにあたって宇宙という大げさな言葉が使われるのはどう
    してなのか。クレーは言う。「人は大地から飛び立とうとして衝動的に試みをくりかえす」、
    そして「重力に打ち勝つ遠心力の支配下に入ると、実際に大地から舞い上がっていくのだ」と。
    さらに言う。芸術家はまず自分の周囲を見つめ、あらゆる環境を見つめるが、それは被造物の
    中に残った創造の痕跡をとらえ、所産的自然の中に残った能産的自然の痕跡をとらえるためだ。
    そして芸術家は「大地の境界」に腰をすえ、顕微鏡や結晶に、分子や原子や微粒子に関心を
    もつが、彼は科学的整合性を求めているわけではない。運動を求めているからそうするのだ。
    内在的運動だけを求めるのである。芸術家は心に思う。この世界は昔、今とは違う光景を呈し
    ていたし、これから先も、また違った光景を呈することだろう、それに、別の惑星に行けば、
    もっと違った光景が見られるのだ、と。芸術家は宇宙に向けておのれを開き、「作品」に宇宙
    の諸力を注ぎ入れようとする(さもなければ宇宙に向けての開放は単なる夢想にとどまり、
    大地の境界を広げるなど望むべくもない)。そのような作品を目指すなら、簡素で純粋この
    うえない、そしてほとんど児戯に近い手段が必要になる。だが、それと同時に民衆の力も
    必要だ。そしてこれこそまさに、いまもって欠けているものにほかならない。「われわれには
    この力が欠けている。われわれは民衆の支えを求めているのだ。われわれはバウハウスでそれ
    を始めた。それ以上のことはできないのだ……(38)。」
    (38) Paul Klee, Théorie de l'art moderne, pp.27-33.〔『造形思考』上145-151ページ〕


    ―――――――――――――――――――――――――――――

    デザイン・アート関係者必読の書。パウル・クレーの講義ノート『造形思考』が復刊!
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     『デザイン、アート関係の人は必読。なんども学校の図書館で読んだが、
    是非とも復刻してほしい。時代を超えてもっと多くの人に読んでみて
    ほしい。』

     『美術での貴重な資料だと思います。このような本が絶版なのはもったい
    ない。』

     『形式、内容、方法、主題… 貴重な本です。文庫本にはできないと思い
    ますが、紙の質を変更すれば手の届きやすい値段にはなると思います。
    ぜひとも、復刊してほしいと思います。』
                     


    ■『造形思考 上』(最終得票数 31 票)
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    ―――――――――――――――――――――――――――――
    【著者】パウル・クレー 著 / 土方定一 菊盛英夫 坂崎乙郎 訳
    【発行】筑摩書房
    【予価】1,728円(税込み)※予価の為、価格が変更する場合がございます。
    【発送時期】2016/05/中旬

    クレーの遺した膨大なスケッチ、草稿のなかからバウハウス時代のものを
    集成。独創的な作品はいかにして生まれたのか、その全容を明らかにする。


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  48. 必要だ。そしてこれこそまさに、いまもって欠けているものにほかならない。「われわれには
    この力が欠けている。われわれは民衆の支えを求めているのだ。われわれはバウハウスでそれ
    を始めた。それ以上のことはできないのだ……(38)。」
    (38) Paul Klee, Théorie de l'art moderne, pp.27-33.〔『造形思考』上145-151ページ〕


    ―――――――――――――――――――――――――――――

    デザイン・アート関係者必読の書。パウル・クレーの講義ノート『造形思考』が復刊!
    ▼『造形思考 上・下』(最終得票数 31票)に寄せられた復刊リクエスト

    ちくま文庫

    造形論の概念ラスト
    202頁

    返信削除

  49.  何も急ぐことはありません。生長を待たなくてはなりませ
    ん。じっくり育ってゆかせなくてはなりません。やがていつか
    その時が来たら、立派な作品ができるというのなら、それに越
    したことはありません。
     わたしたちは探求してみなくてはなりません。そのために、
    部分は発見されたのですが,まだ全体を見出すまでにはいたっ
    ていません。わたしたちにはまだ、この最後の力が欠けており
    ます。わたしたちを支えてくれる人々がないからです。しか
    し、わたしたちは、仲間になる人々を求めております。わたし
    たちはバウハウスでそれを始めたのであります。わたしたち
    たちは、わたしたちがもっているすべてのものを捧げる連帯の
    意識をもって始めたのです。
     それ以上のことはわたしたちにはできません。

    造形思考ちくま文庫上202頁

    返信削除

  50.  何も急ぐことはありません。生長を待たなくてはなりませ
    ん。じっくり育ってゆかせなくてはなりません。やがていつか
    その時が来たら、立派な作品ができるというのなら、それに越
    したことはありません。
     わたしたちは探求してみなくてはなりません。そのために、
    部分は発見されたのですが、まだ全体を見出すまでにはいたっ
    ていません。わたしたちにはまだ、この最後の力が欠けており
    ます。わたしたちを支えてくれる人々がないからです。しか
    し、わたしたちは、仲間になる人々を求めております。わたし
    たちはバウハウスでそれを始めたのであります。わたしたち
    たちは、わたしたちがもっているすべてのものを捧げる連帯の
    意識をもって始めたのです。
     それ以上のことはわたしたちにはできません。

    クレー「11.造形手段の領域における展望と位置決定、および造形手段の空間的秩序」
    (イエーナ芸術協会における展覧会での講演、1924年1月26日)
    「造形論の概念」『造形思考』ちくま文庫上202頁
    原著は1945年に『現代芸術について』という表題で出版された。

    返信削除


  51. _____________
      A   B   C    →時間の経過 
      |\  |\  |
      | \ | \ |  _
    __|__\|__\___ | 
      |  A・  B・   |_時間の序列
      |   |\  |   |
      |   | \ |   |
    __|___|__\|__ |
      |   |  A・・ _|
      |   |   |
     
    『千のプラトー』邦訳単行本604頁
    フッサール『内的時間意識の現象学』旧邦訳122頁参照

    経済学でティンバーゲンが使った図と同じ

    また、上の軸を中心にろくろのように回転させればベルクソンの図と相似だ。
    ただ身体の位置づけが甘いし、時空図のように過去の把握が二重化されていない。
    記憶量が永遠に増える前提だろうが、記憶力には限界がある。


    新邦訳:
    内的時間意識の現象学 (ちくま学芸文庫) | エトムント フッサール, Edmund Husserl, 谷 徹 |本 | 通販 | Amazon
    2016
    https://www.amazon.co.jp/内的時間意識の現象学-ちくま学芸文庫-フ-21-5-エトムント-フッサール/dp/4480097686/
    トップカスタマーレビュー

    5つ星のうち 5.0初心者へ向けて歩み寄った新訳
    投稿者 乳仙人 投稿日 2016/12/18
    訳者の言葉を引用すれば、「時間意識のなかには何が含まれているか、そして、そこからいかにして客観的な時間が構成されてくるか、を明らかに」した一冊。サルトルもデリダもレヴィナスも、本書に言及している。訳者曰く、「フッサールを批判し、新たな独自の現象学を展開するためにも、本書は、基礎文献あるいは必須文献だったのである」。その重要な一冊を、できるだけ初心者にもわかりやすいように訳した力作。訳者に乾杯。面倒だが、注にしっかり目を通しながら通読してほしい。解説にも是非目を通してほしい。今までフッサールを読んできて「いまいちわからん」「ついていけない」と思っていた人は、「前よりついていけるかも」と感じることができるだろう。
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  52. #14
    数学モデル


    平滑空間に対して、きわめて一般的な数学上の定義を与えることができるだろうか。ブノワ・マンデルブロートの「オブジェ・フラクタル」は、これに適しているように見える。オブジェ・フラクタルとは、次元数が分数または非整数の集合、または次元数が整数でも方向が連続変化する集合のことである。たとえば、線分を三等分し、中央部をその長さを一辺とする正三角形の二辺で置き換える、次にこうしてできた四つの線分に対して同じ操を繰り返す……相似関係を保ちながらこれを無限に繰り返す──こうしてできた線分は、次元数が1より大きいが平面の次元数2よりは小さい無限の線または曲線となるだろう。三角形の「岬」を加えていく代わりに、一つ円に「開口部」を作り、穴をあけることによっても、同じような結果が得られる。相似の原理にしたがって穴をあけた立方体も、同じように、立体以下で平面以上というものになる(これは自由空間と多孔空間の親近性を数学的に表わしている)。さらにはもっと他の形態をもつが、ブラウン運動、乱流、天空もこのような「オブジェ・フラクタル」といえる(19)。ファジー集合を定義する新しい方法が、こうして得られるかもしれない。

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  53. シルヴァーノ・ブソッティ『デヴィッド・チューダーのための五つのピアノ作品
    ylvano Bussotti - Five Piano Pieces for David Tudor No.3

    https://www.youtube.com/watch?v=PoNxYI8JrOo

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  54. シルヴァーノ・ブソッティ『デヴィッド・チューダーのための五つのピアノ作品
    Sylvano Bussotti - Five Piano Pieces for David Tudor No.3

    https://www.youtube.com/watch?v=PoNxYI8JrOo

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  55. http://predmet.fa.uni-lj.si/siwinds/s2/u4/su4/img/s2_u4_su4_p4_03.gif



    シルヴァーノ・ブソッティ『デヴィッド・チューダーのための五つのピアノ作品
    Sylvano Bussotti - Five Piano Pieces for David Tudor No.4

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  56. 1,3
    生命の論理 単行本 – 1977/11/18
    フランソワ・ジャコブ (著), 島原 武 (翻訳), 松井 喜三 (翻訳)
    https://www.amazon.co.jp/dp/4622024357

    1,
    P・ブーレーズ『意志と偶然』法政大学出版局、店村新次訳、1977、10ページ〕──「それをどこか腐植土に植えてみると、突然雑草さながらに繁殖し始める……。」また、その先で、音楽的繁殖については、八九ページ〔103ページ〕に──「……浮遊する音楽、その書法自体によって楽器演奏者が、拍をもつ時間との一致を保つことが不可能になるような音楽。

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  57. 49:

    ダブルバインドを否定的に捉えたのがA.O、肯定的に捉えたのがM.Pである。

    deleuze A.O#2:4
    《ベイトソンは、たがいに矛盾する二つの秩序のメッセージを同時に発信することをダブル・
    バインド〔二重拘束〕と呼んでいる(例えば、父が息子に、さあ、私を批判してみろ、と
    いう。ところが父は、あらゆるほんとうの批判、少なくともある種の批判は歓迎されない
    ことを強力にほのめかす)。ベイトソンは、ここに、とりわけ分裂症をひき起す状況を認
    めて、ラッセルの階梯理論の見地から、この状況をひとつの「ナンセンス」として解釈し
    ている。私たちにはむしろ、このダブル・バインドつまり、二重の袋小路はありふ
    れたものであって、とりわけオイディプス化的な日常状況であるように思われる。》

    #2:4
    《…ダブル・バインドを深く洞察した最初の分析の実例は、マルクスの『ユダヤ人問題に
    ついて』の中に見いだされるかもしれない。それは家族と〈国家〉の間の──家族的権威の
    オイディプスと社会的権威のオイディプスとの間のダブル・バインドである。》

    M.P#1
    《グレゴリー・ベイトソンは「プラトー」という語を、きわめて特殊なものを指すの
    に用いている。すなわち、さまざまな強度の連続する地帯、みずからの上に打ち
    震え、何かある頂点へ、あるいは外在的目標に向かうあらゆる方向づけを回避し
    つつ展開される地帯である。ベイトソンが実例として引いているのはバリ島文化
    であり、そこでは母子間の性的な戯れ、あるいは男同士の喧嘩はあの奇妙な強度
    の膠着状態を経由する。「一種の連続した強度のプラトーがオルガスムにとって代
    わっている」、戦争にあるいは頂点にとって代わっているのだ。》

    (「バリ―定常型社会の価値体系」及び「精神分裂症の理論化に向けて」参照。
    共に『精神の生態学 』新思索社所収)

    参考:Learning to Dance io Bali
    https://i.imgur.com/g8XsVOc.gif

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  58. ドゥルーズ千のプラトーより

    ヴァージニア・ウルフは「女性として」書くと考えただけで身の毛のよだつ思いだと答えている。
    それよりもむしろ、エクリチュールが女性への生成変化を産み出すこと、一つの社会的領野を隈
    なく貫いて浸透し、男性にも伝染して、男性を女性への生成変化に取り込むに足るだけの力をもっ
    た女性性の原子を産み出すことが必要なのだ。



    n個の性
    AO
    http://ameblo.jp/2h-3716/entry-11513664365.html
    「ひとつの性が存在するのでもなければ、二つの性が存在するのでもない。
    そうではなくてn…個の性が存在する。」

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  59. ドゥルーズ千のプラトーより

    ヴァージニア・ウルフは「女性として」書くと考えただけで身の毛のよだつ思いだと答えている。
    それよりもむしろ、エクリチュールが女性への生成変化を産み出すこと、一つの社会的領野を隈
    なく貫いて浸透し、男性にも伝染して、男性を女性への生成変化に取り込むに足るだけの力をもっ
    た女性性の原子を産み出すことが必要なのだ。
    MP#10



    n個の性
    http://ameblo.jp/2h-3716/entry-11513664365.html
    「ひとつの性が存在するのでもなければ、二つの性が存在するのでもない。
    そうではなくてn…個の性が存在する。」AO#4:2

    ケインズの闘い - 本と奇妙な煙
    http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20081117
    1922年のヴァージニア・ウルフによるブルームズベリー・グループ回想

    突然ドアが開いたかと思うと、長身で意地悪そうな姿のリットン・ストレイチー氏が入口に立っていた。彼は、ヴァネッサの白いドレスについたシミを指さした。そして彼は、「ザーメンか」と言った。
     何てことを言うのだろう、と私は思った。そして私たちはどっと笑った。その一言で、寡黙と遠慮という壁が崩れた。聖なる液体の洪水が私たちを圧倒したかのように思われた。性が私たちの会話に浸透した。男色者という言葉さえも、私たちは口にするようになった。善の性質について議論したときと同じような興奮と率直さをもって、私たちは性交について議論した


    THE BLUE HEARTS 手紙
    http://j-lyric.net/artist/a00734c/l013bc8.html
    作詞:真島 昌利
    作曲:真島 昌利
    ヴァージニア・ウルフのメノウのボタン
    セロハンのバスのシートに揺れている

    ジャングルジムの上 ひろがる海に
    ぬれている君と 淡い月明り

    ねじれた夜に 鈴をつければ
    月に雪が降る

    水平線の見える場所は もう春だ

    背骨で聴いてる ハチミツの雨
    ヒマワリ畑で ラジオが歌うよ

    手紙を書いたなら 空に飛ばすんだ
    風が運ぶだろう 君のところまで

    青空の下 怪獣退治
    ギターを片手に

    輝いている夜明け前は もう夏だ

    ろうせきの道 走り抜けてく
    ギターを片手に

    輝いている夜明け前は もう夏だ


    ジル・ドゥルーズ『ジル・ドゥルーズのアベセデール』N(神経科学) - Fleur Aux Questions
    http://rose-ex.hatenablog.com/entry/2017/01/19/021002
    2017-01-19
    ジル・ドゥルーズ『ジル・ドゥルーズのアベセデール』N(神経科学)
    哲学






    …そのことについてはこう考えることにしている。私は確信するのだが、同じものにも多様な読み方がありうる。もちろん「哲学」からしてそうだ。 哲学書を読むのに哲学者である必要はない。哲学書は二通りの仕方で読むことが可能だ。いや必要だ。非哲学的に読むことが絶対に必要なんだ。さもなければ哲学に「美」はない。専門家でない読者が哲学書を読むことは…哲学書の非哲学的読解は何も欠けるものがない。それだけで完結している。一つの読みとしてね。
    とはいえ哲学にもよる。例えばカント哲学を非哲学的に読むのは難しい。スピノザなら大丈夫だ。農民がスピノザを読むことは十分あり得る。商売人も読むだろう。ニーチェももちろんそうだ。私が好きな哲学者はみな同様だ。…

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  60. 《何も急ぐことはありません。生長を待たなくてはなりませ
    ん。じっくり育ってゆかせなくてはなりません。やがていつか
    その時が来たら、立派な作品ができるというのなら、それに越
    したことはありません。
     わたしたちは探求してみなくてはなりません。そのために、
    部分は発見されたのですが,まだ全体を見出すまでにはいたっ
    ていません。わたしたちにはまだ、この最後の力が欠けており
    ます。わたしたちを支えてくれる人々がないからです。しか
    し、わたしたちは、仲間になる人々を求めております。わたし
    たちはバウハウスでそれを始めたのであります。わたしたち
    たちは、わたしたちがもっているすべてのものを捧げる連帯の
    意識をもって始めたのです。
     それ以上のことはわたしたちにはできません。》

    ポール・クレー『造形思考』ちくま文庫上202頁より
    最終部がMP#11「リトルネロについて」で引用された。

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  61. 《何も急ぐことはありません。生長を待たなくてはなりませ
    ん。じっくり育ってゆかせなくてはなりません。やがていつか
    その時が来たら、立派な作品ができるというのなら、それに越
    したことはありません。
     わたしたちは探求してみなくてはなりません。そのために、
    部分は発見されたのですが,まだ全体を見出すまでにはいたっ
    ていません。わたしたちにはまだ、この最後の力が欠けており
    ます。わたしたちを支えてくれる人々がないからです。しか
    し、わたしたちは、仲間になる人々を求めております。わたし
    たちはバウハウスでそれを始めたのであります。わたし
    たちは、わたしたちがもっているすべてのものを捧げる連帯の
    意識をもって始めたのです。
     それ以上のことはわたしたちにはできません。》

    ポール・クレー『造形思考』ちくま文庫上202頁より
    最終部がMP#11「リトルネロについて」で引用された。

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  62. 《何も急ぐことはありません。生長を待たなくてはなりませ
    ん。じっくり育ってゆかせなくてはなりません。やがていつか
    その時が来たら、立派な作品ができるというのなら、それに越
    したことはありません。
     わたしたちは探求してみなくてはなりません。そのために、
    部分は発見されたのですが,まだ全体を見出すまでにはいたっ
    ていません。わたしたちにはまだ、この最後の力が欠けており
    ます。わたしたちを支えてくれる人々がないからです。しか
    し、わたしたちは、仲間になる人々を求めております。わたし
    たちはバウハウスでそれを始めたのであります。わたし
    たちは、わたしたちがもっているすべてのものを捧げる連帯の
    意識をもって始めたのです。
     それ以上のことはわたしたちにはできません。》

    パウル・クレー『造形思考』ちくま文庫上202頁より
    最終部がMP#11「リトルネロについて」で引用された。

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  63. 92 考える名無しさん[sage] 2022/01/07(金) 22:14:27.28 ID:0
    《…芸術家は宇宙に向けておのれを開き、「作品」に宇宙
    の諸力を注ぎ入れようとする(さ
    もなければ宇宙に向けての開放は単なる夢想にとどまり、
    大地の境界を広げるなど望むべ
    くもない)。そのような作品を目指すなら、簡素で純粋この
    うえない、そしてほとんど児戯
    に近い手段が必要になる。だが、それと同時に民衆の力も
    必要だ。そしてこれこそまさに、
    いまもって欠けているものにほかならない。「われわれには
    この力が欠けている。われわれは
    民衆の支えを求めているのだ。われわれはバウハウスでそれ
    を始めた。それ以上のことは
    できないのだ……(38)。」》

    (38) Paul Klee, Theorie de l'art moderne, pp.27-33.〔『造形思考』上145-151ページ〕

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  64. 千プラトー
    11 一八三七年──リトルネロについて

     われわれは、地層化した環境から始めて、領土化したアレンジメントに到達した。同時に、
    カオスの諸力が環境によって振り分けられ、コード化され、コード変換を受けたところから始
    めて、大地の諸力がアレンジメントの中に集められるところまでたどりついた。次に領土的ア
    レンジメントから相互的アレンジメントへと進み、脱領土化の線に沿ったアレンジメントの開
    放に到達した。それと同時に、集められた大地の諸力から、脱領土化した、あるいはむしろ脱
    領土化する宇宙の諸力にたどりついた。この最後の運動は、大地の「様相」であることをやめ、
    宇宙への「抜け道」になっている。パウル・クレーはそれをどのように描いているだろうか。
    そして、精密であるはずの操作を語るにあたって宇宙という大げさな言葉が使われるのはどう
    してなのか。クレーは言う。「人は大地から飛び立とうとして衝動的に試みをくりかえす」、
    そして「重力に打ち勝つ遠心力の支配下に入ると、実際に大地から舞い上がっていくのだ」と。
    さらに言う。芸術家はまず自分の周囲を見つめ、あらゆる環境を見つめるが、それは被造物の
    中に残った創造の痕跡をとらえ、所産的自然の中に残った能産的自然の痕跡をとらえるためだ。
    そして芸術家は「大地の境界」に腰をすえ、顕微鏡や結晶に、分子や原子や微粒子に関心を
    もつが、彼は科学的整合性を求めているわけではない。運動を求めているからそうするのだ。
    内在的運動だけを求めるのである。芸術家は心に思う。この世界は昔、今とは違う光景を呈し
    ていたし、これから先も、また違った光景を呈することだろう、それに、別の惑星に行けば、
    もっと違った光景が見られるのだ、と。芸術家は宇宙に向けておのれを開き、「作品」に宇宙
    の諸力を注ぎ入れようとする(さもなければ宇宙に向けての開放は単なる夢想にとどまり、
    大地の境界を広げるなど望むべくもない)。そのような作品を目指すなら、簡素で純粋この
    うえない、そしてほとんど児戯に近い手段が必要になる。だが、それと同時に民衆の力も
    必要だ。そしてこれこそまさに、いまもって欠けているものにほかならない。「われわれには
    この力が欠けている。われわれは民衆の支えを求めているのだ。われわれはバウハウスでそれ
    を始めた。それ以上のことはできないのだ……(38)。」
    (38) Paul Klee, Théorie de l'art moderne, pp.27-33.〔『造形思考』上145-151ページ〕

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