Continental Drift
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The number in the lower right represents millions of years ago.
Cenozoic 新生代 ほぼこの6300万年から
Mesozoic 中生代 2億3000万年前から6300万年前まで
Paleozoic 古生代 5億4200万から2億5100万年前まで
Precambrian 先カンブリア時代 5 億4,200万年前以前の期間(約40億年)
http://www.ucmp.berkeley.edu/geology/anim4.html
参考:
恐竜のいたMesozoic、中生代(三畳紀→ジュラ紀→白亜紀)
講談社moveより
泳ぐことのできないと思われるリストロサウルス↓(中生代三畳紀前期)の化石がアフリカと南米から出土することがヴェーゲナーの大陸移動説の根拠のひとつとなった。
『動物進化図鑑』より(刺皮ではなく棘皮動物が正しい)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヒマラヤ山脈
返信削除プレートテクトニクス [編集]
インド大陸は6000㎞以上を移動し、4000万年から5000万年前にユーラシアプレートと衝突した
ヒマラヤ山脈は地球上で最も若い山脈の一つである。現代のプレートテクトニクス理論によると、ヒマラヤ山脈はインド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートの間の沈み込みで起きた大陸同士の衝突による造山運動から生じた。
衝突はおよそ7,000万年前後期白亜紀に始った。そのころ、インド・オーストラリアプレートは15 cm/年の速度で北上し、ユーラシアプレートと衝突した。
約5,000万年前、このインド・オーストラリアプレートの速い動きによって海底の堆積層が隆起し、周縁部には火山が発生してインド亜大陸とユーラシア大陸の間にあったテチス海を完全に閉ざした。 これらの堆積岩は軽かったので、プレートの下には沈まずにヒマラヤ山脈を形成した。 今もインド・オーストラリアプレートはチベット高地の下で水平に動いており、その動きは高地に更に押し上げている。 ミャンマーのアラカン山脈とベンガル湾のアンダマン・ニコバル諸島もこの衝突の結果として形成された。かつて海だった証拠として、高山地帯で貝などの化石が発見される。
今もインド・オーストラリアプレートは67 mm/年の速度で北上しており、今後1,000万年の間でアジア大陸に向って1,500 km移動するだろうと考えられている。 この動きのうち約20 mm/年の分は、ヒマラヤの南の正面を圧縮することによって吸収される。 結果として約5 mm/年の造山運動が発生し、ヒマラヤ山脈を地質学的に活発にしている。 このインド亜大陸の動きにより、この地域は地震の多発地帯となっている。
地質時代区分
返信削除顕
生
代 新
生
代 第四紀
新第三紀
古第三紀
中
生
代 白亜紀
ジュラ紀
三畳紀
古
生
代 ペルム紀
石炭紀
デボン紀
シルル紀
オルドビス紀
カンブリア紀
原生代
始生代
冥王代
中生代
返信削除白亜紀
ジュラ紀
三畳紀
返信削除http://www.kochinews.co.jp/09jishin/siten091115.htm
1880年、ベルリンに生まれたヴェーゲナーは、1899年にベルリン大学に入学した。寺田寅彦は1909年、東京帝国大学助教授になると同時にベルリン大学に留学し、物理学や地球物理学や地理学を学んだ。帰国した後、寺田寅彦は、東京地学協会総会で「アイソスタシーに就(つい)て」と題する講演を1915年に行い、その中でヴェーゲナーの大陸移動説を紹介したという。また、関東大震災の直前には、日本天文学会で大陸移動説について話したという記録がある。
ヴェーゲナーの『大陸と海洋の起源』の第1版が出たのは、1915年であり、その後、20年、22年と版を重ね、29年に第4版が出た。第4版の第1章は、この本が生まれた事情の説明から始まる。「大陸移動という観念を私がはじめて思いついたのは、1910年のことであった。それは世界地図を見て、大西洋の両岸の海岸線の凹凸がよく合致するのに気がついた時であった」とある。寺田寅彦のいたベルリン大学で、このヴェーゲナーの考えが教授たちの話題になっていたにちがいない。
日本語訳は、北田宏蔵訳『大陸漂移説解義』が1926年に古今書院から、仲瀬善太郎訳『大陸移動説』が1928年に岩波書店から出版された。
9:21 午後
yoji said...
大陸移動説前史 [編集]
ウェーゲナーは大陸移動を思いついたきっかけとして、大西洋両岸の大陸の形状(特にアフリカと南アメリカ)が一致することをあげているが、これについて言及している人物は、もっとも古くはフランドルの地図製作者アブラハム・オルテリウス (1596年)がいる[3]。フランシス・ベーコンも1620年に西アフリカと南アメリカの形状の一致について述べており[4]、セオドア・クリストフ・リリエンタール(Theodor Christoph Lilienthal、1756年)は大西洋にあったとされる大陸アトランティスの沈降と海水準の変動に絡めて考察している[3]。また、アレクサンダー・フォン・フンボルト(1801年, 1845年)は、「大西洋は一種の巨大な河底として誕生した。そしてその河川水がまわりの大陸の海岸線を削り取っていった」と述べており、その理由として南緯10度以北の海岸の並行性をあげている[5]。アントニオ・スナイダー=ペレグリニ(英語版)は1858年に『天地創造とそのあばかれた神秘』という本の中で南北アメリカをヨーロッパとアフリカに結合した図を載せている[5]。
具体的に証拠をあげて、かつて大陸同士がつながり超大陸を形成していたと述べたのはエドアルト・ジュース(1901年)で、ペルム紀に栄えた裸子植物グロッソプテリスの化石の分布から、南アメリカ、アフリカ、インドが一つの大陸だったと考え、ゴンドワナ大陸と名付けた。また、アルプスの山から海底堆積物や海生生物の化石が見つかることから、かつてそこは海の底であったと考え、地中海よりも広かったそれをテチス海と名付けている。しかし、彼は大陸自体が動いたとは考えておらず、当時の地球収縮説を使って説明している[6]。
また、ウィリアム・ヘンリー・ピッカリングは1907年に、かつて超大陸として1つだった南北アメリカとヨーロッパ、アフリカが、月が太平洋から分離したため分裂を始めたという考えを述べている。1909年にはロベルト・マントヴァーニ(英語版)が地球膨張説を提唱し、膨張により大陸間の相対距離が増大したとしている。さらに1910年にフランク・バーズリー・テイラー(英語版)が山脈の形成システムを述べた本の中で、大西洋中央海嶺があるため大西洋が広がって大陸が移動したという、後の海洋底拡大説に似た説を述べている。
9:33 午後
yoji said...
4
Keary, P; Vine, F. J. (1990). Global Tectonics. Oxford: Blackwell Scientific Publications. pp. 302.
9:34 午後
yoji said...
『起源』第2版について話している。恐らくこの談話会のことを聞いた天文学 会の関係者が,寺田に春季定会での講演を依頼したのであろう。
春季定会では『起源』第3版にも言及しながらウェゲナーの大陸移動説を次 のように肯定的に紹介している。
「独逸のアルフレッド・ウェゲナーと云ふ学者は地球の上の各大陸の位置は 一定不動のものではなく絶えず移動しているものであると云う説を唱へて, 世界中の学者の注意をひいて居る。...彼は地球上の総べての大陸は,池に浮 かぶ氷の様に,地球を包む粕い熔岩の上に浮かんで居て長い年月の間には段
々に動いて行くであらうと者へた。この考えによると,従来の学説では説明 の困難だった地質学や地球物理学等の色々な問題が容易く説明されるのであ る。...従来の学説では地球が段右に熱を失って縮って行き,縮むにつれて表 面に雛が出来,その高い所が陸で,凹だ所が海となったと考えて居た。所が 之では都合の悪いことが沢山出て来た。...併しウェグナーの説に依れば之等 の困難な問題も極めて都合よく説明される。」(20) 寺田が大陸移動説を積極的に紹介し始めたのは,それを以前から知っていた
としても,1922年になってからであり,やはり例のMJmγcの紹介記事を読ん でからであろう。勿論山崎と何らかの連絡を持っていたことは十分考えられ る。それにしてもラウエ斑点の解釈で先を越された寺田は,大陸移動説の受容 を巡ってもプラッグの後塵を拝したようである。
(20)Anon.,ウェグナーの大陸移動説(日本天文学会講演)理学博士寺田寅彦談,理 学界,1923,21825-28.
9:48 午後
yoji said...
山崎と矢部は1922年5月中旬にヨーロッパに旅立ち,会議に出席した後矢部 はその年の12月中旬に,山崎は翌年の1月中旬に相次いで帰国した。
実は山崎は1922年の出発直前の『学芸』5月号に,「地殻漂移説につきて」 と題する,非常に要領よくまとめられたウェゲナーの大陸移動説の紹介記事を
発表している。この中で彼は次のように言っている。 「地球の表面に大陸が横はってをり,其の上には又幾多の山脈が鋺挺として
走ってをる ゚これらの大陸山脈の成因を説明するには,従来地殻収縮説が金 科玉條視せられてゐた。
^ 日本に紹介したのは山崎直方が最初であるという調査もある。“GlobalTectonics論の形成と受容 (PDF)”. 谷本勉. 2012年7月15日閲覧。
http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/2604/1/kyoyo_76_tanimoto.pdf
テクトニクス。したがって、最も明白な、歴史的に大陸移動とプレートテクトニクスの最も初期の認識の参照は、南アメリカの東海岸とアフリカの西海岸との間の類似性であると思われる。しばしば1620(ノヴムオルガヌム)からの最初のサー·フランシス·ベーコン、この観察が起因している。 Kearyとバイン後(1990)、しかし、ベーコンは南米からアフリカから大西洋や太平洋ので、2西海岸に言及し、アフリカと南アメリカの同様の形状を説明した。おそらく、最初の2つの大西洋岸の類似性と、彼らはおそらくテオドールクリストフリリエンタール、ケーニヒスベルクでの神学の教授(1756)でしたが、近くに一緒に元あったと考えられて可能性を記述する。彼は一緒に聖書の破局でブレークをもたらした。 1801年と1845年、アレクサンダー·フォン·フンボルトはアメリカとアフリカの海岸の幾何学と地質学の類似性を説明した。彼はと推測
返信削除tektonik. Der wohl offensichtlichste und daher geschichtlich am frühesten erkannte Hinweis auf Kontinentaldrift und Plattentektonik dürfte die Ähnlichkeit zwischen der Ostküste Südamerikas und der Westküste Afrikas sein. Häufig wird diese Beobachtung als erstem Sir Francis Bacon aus dem Jahre 1620 (Novum Organum) zugeschrieben. Nach Keary und Vine (1990) bezog sich Bacon jedoch auf die beiden Westküsten, also die atlantische von Afrika und die pazifische von Südamerika, und beschrieb die ähnliche Form von Afrika und Südamerika. Der vielleicht erste, der die Ähnlichkeit der beiden atlantischen Küsten beschrieb und die Möglichkeit erwog, dass sie ursprüngliche nahe beieinander lagen, war wohl Theodor Christoph Lilienthal, Professor für Theologie in Königsberg (1756). Er brachte das Aufbrechen mit einer biblischen Katastrophe in Verbindung. 1801 und 1845 beschrieb Alexander von Humboldt die geometrische und geologische Ähnlichkeit der Küsten Amerikas und Afrikas. Er spekulierte, dass der
http://user.uni-frankfurt.de/~schmelin/skripte/Geodyn1-kap1-2-S1-S22-2004.pdf
2億年前の巨大隕石、日本に衝突の証拠見つかる 生物大絶滅の引き金か
返信削除産経新聞 12月3日(火)8時0分配信
約2億年前に地球に衝突した巨大隕石(いんせき)の証拠が日本で見つかった。大規模な環境変化が起き、多くの生物が死滅した可能性がある。恐竜を絶滅させた隕石衝突のはるか以前にも、大事件が生き物たちを襲っていた。(長内洋介)
■直径8キロ
カナダ東部のケベック州に直径100キロに及ぶ巨大クレーターがある。中生代三畳紀後期の2億1500万年前、隕石の衝突で形成された「マニクアガンクレーター」だ。
熊本大の尾上哲治准教授(地質学)らは、この隕石から放出された物質を岐阜県と大分県の地層で発見。元素分析の結果、隕石は最大で直径約8キロ、重さ5千億トンの巨大サイズだったことを突き止め、9月に論文を発表した。
巨大隕石は衝突時のエネルギーで高温になり、蒸発して雲が発生。温度が下がると、水蒸気が冷えて雨粒ができるように、隕石の成分が凝固して球状の微粒子ができ、地球全体の大気中に拡散した。
やがて微粒子は降下して海底に堆積した。海底のプレート(岩板)は、地下深部から上昇するマントルの影響でゆっくりと移動し、日本列島に到着。海溝から列島の下に沈み込む際、表面の堆積物がはぎ取られて陸側に貼り付き、地表まで押し上げられた。
■海洋生物が激減
地球に衝突した隕石は、恐竜を絶滅させた最大直径14キロの巨大隕石が有名だ。白亜紀末の6500万年前、メキシコのユカタン半島に落ちた。
今回の隕石はこれに迫る大きさで、秒速20キロで落下したと仮定すると、そのエネルギーは広島型原爆の30億倍に相当する。隕石から放出された硫黄によって硫酸の雲ができて寒冷化したり、二酸化炭素の増加で温暖化するなどの急激な環境変化が地球規模で起きた可能性が高い。
地球の歴史を振り返ると、多くの種類の生物が一斉に死滅する大量絶滅が5回起きている。今回の隕石が落ちた時代はこれまで、大量絶滅はなかったとされてきた。
しかし、研究チームが岐阜県の地層に含まれる化石を調べたところ、この時代に放散虫という海洋プランクトンが大規模に絶滅したらしいことが分かった。
尾上氏は「この時代はあまり研究されておらずノーマークだったが、大量絶滅が起きていた可能性は十分にある」と話す。今後は欧州など世界各地で同じ時代の地層を調べ、さまざまな生物の絶滅の度合いや環境変動を詳しく解明する計画だ。
■進化の加速装置
生物の大量絶滅の原因は隕石だけでなく、多くの学説がある。研究が盛んなのはペルム紀末の2億5200万年前に起きた史上最大の絶滅だ。三葉虫など海の無脊椎動物の約9割の種が死滅した。
当時の地球はマントルの大規模な上昇流で超大陸パンゲアが分裂を開始し、現在の5大陸に分かれ始めたころ。火山活動が異常に激化し、シベリアで溶岩が洪水のように流れ出たことが絶滅の原因として有力視されている。
一方、東大の磯崎行雄教授(生命史)は、地球磁場の変動が本質的な原因とみる。マントルの下降流で地球の核内の対流パターンが変化して磁場が弱まり、降り注ぐ宇宙放射線が増えて大気の分子が電気を帯び、雲が増えて寒冷化したとの仮説だ。
ただ、こうした環境変化が絶滅につながった直接の証拠はなく、大量絶滅の原因やメカニズムはまだ不明な点が多い。隕石による気候変動も、隕石の成分や落下場所によって影響は異なるという。
大量絶滅は生物にとって危機的な出来事だが、逆にチャンスでもある。運良く生き残った生物が爆発的な進化を遂げ、新たな繁栄を築く契機になるからだ。恐竜が今も地上を歩き回っていたら、人類は誕生しなかっただろう。
磯崎氏は「大量絶滅は進化の加速装置だ。人類を含む地球生命の将来を予測したり、われわれがなぜ存在しているのかを見つめ直す視点を与えてくれる」と話す。
直径10キロの隕石が地球に落ちる頻度は約1億年に1回。今の大陸が集合して新たな超大陸ができるのは約2億年後という。栄枯盛衰を繰り返してきた生物は、次の大事件をどう乗り越えるのだろうか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131203-00000501-san-sctch
【化学】粘土鉱物の“呼吸”現象を発見/若手国際研究センター
返信削除1 :伊勢うどんφ ★:2013/12/08(日) 18:33:33.56 ID:???
物質・材料研究機構は、「ハイドロタルサイト」と呼ばれる粘土鉱物が、
空気中の二酸化炭素を吸ったり、吐いたりしている“呼吸”現象を発見したと発表した。
従来の地球規模での炭素循環に対する考え方を変える可能もあるという。
ハイドロタルサイトは、天然に産出する粘土鉱物の一種で、マグネシウムと
アルミニウム、炭素、水素などの元素からなる層状化合物で、層間に陰イオンを取り込む性質がある。
その性質から胃酸を中和する制酸剤や、塩化ビニールの安定剤などに利用されている。
同機構・国際ナノアーキテクトニクス研究拠点「若手国際研究センター」の石原伸輔研究員と
井伊伸夫特別研究員らは、炭素元素の放射性同位体をマーカーにして、ハイドロタルサイト層間の炭酸イオンについて調べた。
その結果、炭酸イオンが空気中の二酸化炭素と、数日から1週間程度で入れ替わっていることが分かった。
さらにガス吸着の実験から、ハイドロタルサイトの層間には、空気中の二酸化炭素だけを1グラムあたり
約4ccの量だけ吸着し、二酸化炭素よりも分子径の小さい窒素ガスは取り込まなかった。
こうした層間での炭酸イオンと二酸化炭素の交換は繰り返され、あたかも粘土鉱物が“呼吸”をしているような新現象だという。
ハイドロタルサイトの構造を変えることで、二酸化炭素の吸着量や交換速度を向上させ、
効率的な二酸化炭素の分離膜や還元触媒などの次世代材料の開発が期待できる。
地球全体の炭素循環や、炭素年代測定法のより正確な理解にもつながるという。
研究論文“Dynamic Breathing of CO2 by Hydrotalcite”は、米国化学会誌
「Journal of the American Chemical Society」に掲載された。
NatinOnal Geographic December 8, 2013
http://www.nationalgeographic.co.jp/smp/news/news_article.php?file_id=00020131206003
Journal of the American Chemical Society
Dynamic Breathing of CO2 by Hydrotalcite
http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/ja4099752
大陸移動は詳述出来ないが生命進化に大きく関連する
返信削除http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1434943784
なおNHKの「地球大進化」で紹介されている全球凍結の原因とされている、光合成バクテリアによる温暖化ガス減少という現象は最後の(最も最近の)全球凍結についての有力な説であるだけで、他の全休凍結の原因にはあてはまりません。
仮にこれから全球凍結がやってきたらおっしゃるとおりリセットになります。(現在の人間ならうまくすれば宇宙移住とか地下都市で生き残れるかもしれませんが、1000年前の人類なら無理ですね)
http://nihon.matsu.net/seimei/10.rikujou_he.html
活発なプレートの活動によって大陸同士はぶつかり合い何度も成長・分裂を繰り返していました。
約4億年前にも2つの大陸がぶつかり大きな山脈が出来ました。そこにはヒマラヤ級の山脈ができ、そこで降った雨は大きな河川を作り、海以外の新たな生育環境をつくりだしました。
2.植物の地上への進出
陸の上は、海に比べ、植物にとってもより生育には厳しい環境でした。海の中では単純な構造で海の上を漂っていれば生きていることが出来ました。陸上ではそうはいきません。重力に耐えられるだけの強靱さと、水分を吸収し輸送する仕組み、etcが必要です。植物は自分の体の構造を適応させながら、河川沿いに陸地に進入していきます。
この頃にはいくつかの藻類が現れていました。それぞれが持つ色素の色によって緑藻類、褐藻類、紅藻類、・・などいくつかの種に分かれます。色素の色の違いは光合成で活用する光の種類の違いです。
緑藻類が持つ色素(クロロフィル)は広い波長の範囲の光を利用することができるため、水面近くで生活します。紅藻類の持つ色素(フィコビリン)は水面近くで吸収された残りの波長の光を使って光合成を行うため、緑藻類よりも水深の深いところで生活をします。
従って、陸上へ進出する植物は緑色の色素を持つ緑藻類から現れることになりました。現在の森が緑色をしているのは、緑藻類から陸上植物の祖先が現れたことの結果です。
紅藻類から地上進出が行われていたとしたら、もしかしたら、現在の森林は赤い色をしていたかも知れません。
約5億年前頃からコケ植物、続いてシダ植物が水際に沿って陸上に進出します。
2億5千万年前の生物大絶滅
返信削除http://higusumi.world.coocan.jp/japanisch/koramu/daizetsumetsu.html
2億5千万年前、地球上の動植物の95%が死滅する大破局が起こったのですが、その詳細がようやく最近の研究から判明してきた。これは恐竜が誕生するよ り2千万年前の出来事であり、その恐竜を滅ぼした小惑星衝突とは比較にならない、大破局だった。シベリアで超巨大噴火が起こったのですが、それはふつうの 噴火ではなかった。その痕跡は日本の10倍もの面積に広がり(西シベリアから中央シベリア)、厚さ最大4キロという途方もない溶岩として残っている。これ は地球の地下2900キロにある核から直接吹き上げてきた、とてつもなく大きな火の玉のような溶岩+ガスが爆発したのです。スーパープルームという直径1 千キロの火の玉状のものが、せりあがってきて爆発。つまり地球の中心が生み出す巨大なエネルギーが関わった大破局だったのです。この噴火で富士山が過去1 万年間に噴出した総量の10万倍もの量の物質が噴出。最初の噴火で溶岩は2、3キロの高さに吹き上がった。これは人類が観測した最大の噴火の時の10倍の 高さ。この溶岩たまりは幅100キロ、長さ1500キロの割れ目として地下に残っている。
しかしこの噴火だけで生物の大絶滅が起こったのではない。酸素を作る植物が絶滅し、メタンが増えたせいで、低酸素状態となった。噴火前は、動物が海から 陸に進出して1億年がたって、哺乳類の先祖である哺乳類型爬虫類の全盛期であり、後に恐竜に進化するトカゲの双弓類はまだ目立たない存在だった。多くの植 物が生い茂り、酸素濃度はなんと過去最高の30%にまでなっていた。これが、この超巨大噴火のせいで、10%にまで落ち込み、しかも、その低酸素状態は、 この後1億年も続く。
このような地球の大激変を起こした大噴火が、普通の噴火とは違い、地球内部の核から噴出したものだったという点に注目したい。これは地球の内部に、生物 大絶滅のしくみが元々含まれていたということだ。
噴火と低酸素の環境を合わせた大打撃で、95%の動植物が絶滅。恐竜になる爬虫類は、肺を効率のよい気嚢システムに変えて、適応していく。これはエネル ギー効率が哺乳類の3倍も 優れていて、恐竜の滅んだあとも、このシステムの肺を鳥類が引き継いでいる。だからこそ、低酸素の8000メートルのヒマラヤ越えをする鶴の渡りがありえ るわけだ。
恐竜は気嚢システム(新鮮な吸気と、汚れた呼気を別々に処理する肺)のお陰で、低酸素の地上に君臨できたのだった(これは2003年秋、アメリカ地質学 会でワシントン大学のピーター・ウォード博士は発表した説)。
一方、大絶滅後、哺乳類の祖先であるトリナクソドンは、キャビネット状に体を覆う骨のうち、肋骨以外を退化させて、腹の部分を授乳に向いた柔らかさに変 えた。また横隔膜を発達させて呼吸を深くし、低酸素に対応していく。これが胎生への進化を促し、恐竜全盛の時代(1億2千5百万年前)、エオマイアという 最初の胎生動物が生まれた。しかし、これら哺乳類は、常に恐竜を恐れて暮らさないといけなかった。恐竜が絶滅しない限り、地上を支配する時はこなかったの だ。こうして、6千5百万年前に、その使命を帯びた小惑星が地球目指して飛んでくるのである。地球外からの摂理の一撃。
こうして哺乳類がわが世を謳歌する時代がやってきて、人類進化の基盤が作られるのである。
進化の歩みの要所に起こる大破局が、たんなる偶然ではなく、人類を生み出すための高次の摂理だったということを言いたかったわけです。人類が、歴史から 何も学んでいないかのように愚行を繰り返していると、そのうち、その人類を淘汰するための「天誅」がやってきてしまうかもしれません。シュタイナーの進化 の考え方でも、大破局が時代 を区切っています。一人一人が、自己中心の心を改め、少しでも人のために行動し、穏やかに死を迎えるようにならないと、そうした破局は早まるかもしれな い。
https://4.bp.blogspot.com/-ADDBbLGk69U/UXIcHY49RTI/AAAAAAAAUlQ/vtJ7b9wjwi8/s320/IMG_03285.gif 旧版
返信削除https://4.bp.blogspot.com/-tyK-M0IFb7w/VxNp7eD8jsI/AAAAAAAA9Oo/bTgNDUcVXNws1YzX8X4vuXEXqCQlY0wZwCLcB/s1600/c-drift.gif
返信削除【研究】大噴火で最初の大量絶滅か 4億4千万年前、地層分析 [無断転載禁止]©2ch.net
1 : ばーど ★2017/05/10(水) 22:40:53.02 ID:CAP_USER9
4億4千万年前ごろに起きた最初の生物の大量絶滅は、火山の巨大噴火によって引き起こされた寒冷化が原因だったとする研究成果を、東北大大学院などのチームが10日、発表した。
地球では多種類の生物絶滅が5回発生。1回目はサンゴ礁や三葉虫など海にいた生物の種の約8割が絶滅したが、原因はよく分かっていなかった。
3、4回目の大量絶滅時にも大噴火があったとされ、東北大大学院の海保邦夫教授(生命環境史学)は「大量絶滅の大部分は火山噴火が原因であることが、よく分かってきた。
隕石衝突で恐竜が絶滅した5回目は非常に特殊な例だ」と話している。
大量絶滅の原因となった1回目の噴火があった時代の生物の化石
https://nordot-res.cloudinary.com/ch/images/234991928681317885/origin_1.jpg
配信 2017/5/10 19:54
共同通信
https://this.kiji.is/234978463129011705?c=39546741839462401
映画日本沈没1973冒頭及び途中で図解説明がある
返信削除田所教授が新聞紙で説明
【地学】大半の日本人が知らない……「福井県の水月湖」が世界の研究に決定的な影響を及ぼした理由 7万年の年縞が1年刻みで残る [すらいむ★]
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1すらいむ ★2020/09/13(日) 16:02:12.46ID:CAP_USER
大半の日本人が知らない……「福井県の水月湖」が世界の研究に決定的な影響を及ぼした理由
地学の仕事に「過去の時間を正確に測る」という大事な作業がある。
日常生活で時間を計るのは時計であり、年月日や時分という単位が用いられる。
そして地球が刻んだ時間を決めるのは地質学の仕事だ。
それも地球科学者は10年や100年ではなく何千年あるいは何万年という時間を可能な限り正確に測定したい。
よく知られているように、樹木に見られる「年輪」では縞(しま)の1本が1年に相当し、年輪を数えれば木の年齢が分かる。
夏は年輪の幅が広く冬は狭いので、その年の気候を知ることも可能だ。
また年輪の枚数を数えることで、樹木の経てきた過去まで時を追いかけることもできる。
化石や遺物の年代を調べるには、それらに含まれる放射性炭素(14C)を測定する方法があるが、大きな誤差が伴う。
そこで、年代を正確にさかのぼれる年輪の14Cと照らし合わせることで、化石や遺物の年代の特定につなげる方法が考案された。
ヨーロッパでは年輪を用いて、約1万4700年前まで1年ごとの「標準時計」が作られた。
しかし、それ以前は氷河期によって年代を測れる樹木がないため、こうした時計は存在しなかった。
この標準時計を一気に伸ばしたのが、福井県の三方五湖の一つ、水月湖(すいげつこ)である。
環境考古学者の安田喜憲氏が率いる研究者たちが1990年代以降、水月湖を基盤まで掘削し、地層を精密に解読して過去5万年にわたる1年ごとの世界標準を確立した。
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
サンデー毎日×週刊エコノミストOnline 9/8(火) 10:06
https://news.yahoo.co.jp/articles/a354a613adc25faf41ccbf117e07ddacdcf3fded