『「小さきもの」の思想』書評及び目次
http://nam-students.blogspot.jp/2014/02/blog-post_20.html
観 念
:
普遍性
|
概 一 | 特
・・般ーーー十ーーー殊
念 性 | 性
|
単独性
(柄谷行人『探究2』文庫版150頁より)
<たとえば、ドゥルーズは、キルケゴールの反復にかんして、「反復は、単独なものの普遍性であり、 特殊なものの一般性としての一般性と対立する」といっている(『差異と反復』)。つまり、彼は特殊性 (個)ー一般性(類)の対と、単独性ー普遍性の対を対立させている(図参照)。だが、すでに明らかなように、 これはスピノザが概念と観念を区別したのとほとんど同じことである。>
(柄谷行人『探究2』文庫版150頁)
<…わたしたちは、個別的なものに関する一般性であるかぎりでの一般性と、 特異(サンギュリエ)な ものに関する普遍性としての反復を対立したものとみなす…>
http://blog.livedoor.jp/captainahab/archives/50551139.html
(序論『差異と反復』邦訳単行本20頁)*
(『トランスクリティーク』定本版単行本156頁)
126-459(上210-455)にバトラー関連記述↓。
http://www.p-renaissa.jp/borujiaya/?p=18
<サミュエル・バトラーによれば、習慣の連続性の他に連続性はなく、われわれを構成する千の習慣の連続性は、われわれの内部に、それと同じだけの観想する迷信的な自我、要求、満足を形成する。「なぜなら、小麦はおのれの存在にかかわるものへの迷信的な基盤の上に自分の信仰を基礎づけていて、大地と水を実りに変えるには、小麦自身が自分を実らせる熟達した技に対して抱いている傲慢なまでの自信、それなしには無力に陥ってしまう自己への信念が必要だからである(『生と習慣』life and habit 未邦訳)」。経験論者だけがこのような定式を巧みに口にできる。われわれが小麦と呼ぶ大地と水の縮約(contraction)が存在し、この縮約は観想(contemplation)であり、そしてその観想の自己充足である。反復の要素と事象によって生み出されない有機体というものがあるだろうか。有機体は、『エンネアデス』(プロティノス)第3篇にある至高のことばのもとで目覚める──すべてが観想である! このように言うことはたぶん「イロニー」であろう。しかし、そのイロニーは、またしても観想でしかありえない。プロティノス「ひとが自分のイマージュを決定したり、そのイマージュを享受したりするのは、自分がそこから生じてきたものを観想するために、それに再び向かい合うときだけである」。>(ドゥルーズ「差異と反復」第2章)
ヘルダーリン関連(第一章102頁、第二章146,151頁他参照): http://www.eleutheria.com/philo/autoaffection/deleuze/repetition.html
「永遠回帰が最高度の思想であるのは、換言すれば、もっとも強度の高い思想であるのは、永遠回帰の極限的な一貫性が、最高度の点において、思考する主体、思考される世界、さらに保証する神のそれぞれの一貫性を排除するからである。カント哲学には、或る明確な契機、人知れず閃光を放った契機があり、それはカントにおいてすら継続せず、カント以後の哲学にはなおのこと引き継がれていない―――ヘルダーリンにおける「定言的転回」という経験と理念にはおそらく引き継がれている―――のだが、わたしたちは、カント以前とカント以後の出来事(結局は同じ自体に帰着する出来事)にというよりも、むしろそうしたカント哲学そのものの契機にこそ関心を寄せなければならないのである。というのも、カントが理性的神学を批判するとき、同時に彼は、一種のアンバランス、裂け目、あるいは亀裂を、つまり権利上克服できない正当な疎外(精神異常)を、<私は考える>の純粋な<自我>のなかに導きいれるからである。すなわち主観は、自分自身の自発性を、もはや或る<他>なるものの自発性としてしか表象することができず、したがって結局のところ、主観自身の一貫性、世界の一貫性、および神の一貫性と相容れることのない神秘的な一貫性を援用するのである。崩潰した自我として、<私は思考する>。換言すれば、「私は考える」の<自我>は、その本質において、或る種の直感的受容性を、すなわち、<私>がそれと比較すればすでにひとつの他なるものであるといった当のそれである受容性を含んでいる。総合的同一性が、さらには実践理性の道徳性が、自我、世界、および神のそれぞれの完全さを回復し、カント以後の哲学の諸総合を準備するなどということは、どうでもよいことだ。以上のように、わたしたちがほんの少し立ち入って考えてみたのは、思考の最高度の力の特徴たる正当な精神分裂病である。これは、概念によるすべての媒介やすべての和解を一顧だにすることなく、<存在>をダイレクトに差異へと開かせるものである。」(『差異と反復』第一章、河出書房新社、P101~2)
「カントが理性的神学を批判するとき」、これが一体どこの個所を指しているのかわからない。が、ここで語られる直観的受容性の話は演繹論における超越論的統覚意識の話として見られることが可能であるといちおう前提しておく。
http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/bitstream/10236/3275/1/20091113-2-4.pdf
フィリップ・ラクー=ラバルト ――神話、供犠、自伝――上田和彦
<オイディプスの過ちは、知らずに犯した父殺しと不名誉な婚姻にはなく、人間的知の限界を侵犯しようとしたことにある。人間的知の限界 の侵犯とは、具体的には、デルポイの神託を「市民たちのよき秩序を維持せよ」 といった類の単なる声明とは受けとらず、自ら神官となって、国の危機的状況 を宗教的かつ供犠的に解釈するということだ。つまり、疾病や不作の原因をな す罪を、供儀によって浄めようとすることが、オイディプスの行き過ぎ、すな わち、「解釈の過剰」という過ちなのである。この「解釈の過剰」によって、 オイディプスという人間は神的なものと無際限に一体化しようとする――そし て、その極みにおいて、神が定言的に転回し、人間も大地へ向かって、すなわ ち人間的有限性への服従へ向かって反転し、彷徨を強いられる。上の引用で言われている「双曲線論理」とは、こうした人間と神との一体化の最中で起こる分離のことだ。この神と人間との一体化の最中で起こる分離の上演こそが、弁 証法的・供儀的プロセスの「完成を禁じ、それを内側から麻痺」させようとす るのだ。「無際限な一体化が無際限な分離によって浄められる*)」、とヘルダー リンは言う。>
*(「『オイディプス』への註解」、『ヘルダーリン全集』、第4巻、54頁、参照 )
http://members.jcom.home.ne.jp/nokato/data19.htm
≪時間は基軸的なものであることをやめて、順序的なものに、つまり、純粋な順序としての時間へと生成するのである。ヘルダーリンは、時間は「韻を踏む」のをやめる、なぜなら、時間は〔詩の〕始まりと終りがもはや一致しなくなるような「中間休止」の前半部と後半部に、おのれを不等に配分するからであると語っていた。そうなれば、〔詩の〕長かったり短かったりする過去〔前半部〕と、その過去に反比例する未来〔後半部〕が区別されるわけだが、ただし、その場合、そのような未来と過去は、時間の経験的あるいは動的な規定でなくなって、時間の静的な総合としてのア・プリオリな順序に由来する形式的かつ固定的な特徴になる。…中略…≪私≫の亀裂を構成するものは、まさに、中間休止であり、またその中間休止によって<これを最後に>順序づけられる<前>と<後>である。≫
(『差異と反復』ドゥルーズ著 財津理訳146,151頁、「『オイディプス』への註解」『ヘルダーリン全集』第4巻48頁、参照 )
http://www.takushoku-u.ac.jp/laboratory/files/linguistics_127.pdf
ヘルダーリンにおける死の観念 (田野武夫)
<詩作活動の最終期に位置するニュルティンゲン期 (1802~1804) に執筆された 『オイディプスへの注解』 と 『アンティゴネーへの注解』 において, ヘルダーリンは二つのギリシア悲劇の構造的特徴を分析し, 劇の進行を中 断させ, 場面を 「この世」 から 「あの世」 へと転回させる 「中間休止」Casurについて言及している。 この 「中間休止」 は, エムペドクレス悲劇 における 「死」 や 「滅びと生成」 における 「没落」, 「解体」 と同質の思考法に基づいている。
ヘルダーリンは, オイディプス悲劇の構造を異なる二つの次元の平衡関 係として捉える。 悲劇の進行はもともと 「空虚なものであり, 全く拘束を 受けないものである」 ため, 「詩の韻律において中間休止と呼ばれるもの, 純粋な言葉, 反リズム的中断が必要となる」。 「その結果, もはや表象の交 錯ではなく, 表象そのものが出現する」 と彼は主張する。
この 「中間休止」 とは本来, 詩の韻律において, 揚格衝突によるリズム の中断を指すものであるが, ヘルダーリンはこれを悲劇全体の構造に適 用している。 悲劇では冒頭部からさまざまな事項が展開するものの, その 途中で神的発言が生じ, 劇のリズムが中断される。 この中断から悲劇は全 く別の次元へと展開する。 つまり, 人間と神の領域もしくは地上的展開と 天上的展開の二つの領域が, 「中間休止」 を挟んで共存する。 このような 流れをヘルダーリンはギリシア悲劇の構造的イメージとして認識した。>
(『差異と反復』ドゥルーズ著 財津理訳146,151頁、「『オイディプス』への註解」『ヘルダーリン全集』第4巻48頁、参照 )
ヴィトラック(318)
ペギー(288,文庫下63)
62 七つの封印 Die sieben Siegel
第四部 75 「ましな人間」について Vom höheren Menschen
以上、単行本結論421-478,文庫下301-365頁。
27及び440頁以下(「環帰しないもの」)で永遠回帰が問われている2箇所が指摘される。
第三部 「幻影と謎」48,「快癒しつつある者」59
第四部
75 「ましな人間」について Vom höheren Menschen
(『差異と反復』結論文庫下301,単行本421-478)
82「微(しるし)」Das Zeichen
(『差異と反復』第二章文庫上255,単行本151)
二八九 隠遁者の哲学 『 善悪の彼岸』 (光文社古典新訳文庫) より
<…すべての洞窟の背後には、もっと深い洞窟が潜んでいるのではないか、潜んでいるに違いないのではないか──表面を越えた彼方には、もっと広々として、見慣れない豊かな世界があるのではないか、あらゆる〈土台〉の下に、あらゆる「根拠づけ」の下に、さらに深淵が潜んでいるのではないか…>
ドゥルーズ『意味の論理学』(法政版324頁)参照
アリストテレス関連:
『形而上学』62,63~,485
『トピカ』244,467
カント関連:
『プロレゴメナ』
序論
「自然的阻止」の三つの事例と反復――名目的諸概念、自然の諸概念、自由の諸概念
36,347
http://www.k-mogi46.info/index.php?
<カントは『プロレゴメナ』のなかで、次のような問いを立てている。「私の手、もしくは私の耳に似ていて、あらゆる点でこれに等しいものとしては、鏡におけるその映像以上のものがありうるであろうか? それでもなお、私は、鏡に見られるような手をその現物に位置に置くことはできない。なぜなら、この現物が右手であったとすると、鏡のなかの手は左手であるし、また、右耳の映像は左耳であって、この左耳は決して前者の代わりをすることはできないからである。…一方の手の手袋は、他方の手に使用することはできない。それではこれをどう解決するか?」(理想社 カント全集第六巻「プロレゴメナ」超越論的主題問題 第一篇 第十三節 p.243、岩波文庫 p.75~)>
ベルクソン関連:
『差異と反復』第四章におけるドゥルーズによる量-質-度(強度)の三幅対はヘーゲルを転用したもの。ヘーゲルは同一性をドゥルーズは潜在性を強化する(度の代わりに累乗の潜在力=微分というよりも積分?~316頁~が採用される)。プラトン、ライプニッツ、カント、ハイデガーへの言及ほど目立たないが、ヘーゲルこそがドゥルーズの第一の仮想敵なのだ。
ライプニッツ関連:
ライプニッツ:
予定調和説
最善説
/神\
/ \
無窓説 無窓説
/ 予定説 \
/ 微積分 \デカルト
思惟/汎心論①①①①①動力学\延長説
モナド
スピノザ
無=目的論的
エルドマン「モナドの神への依存性を本気にとるとすると、モナドの
実体性は消滅の危機に瀕し、ライプニッツはスピノチスムスに近づく」
(三宅剛一 『学の形成と自然的世界』 1941年 403頁より)
『ソピステス』103~
『ポリティコス』104~
『パイドロス』105~
『メノン』109
『国家』221,232,298-504(『哲学の起源』230参照)
『テアイテトス』231~(文庫上396~7)
『クラテュロス』295-503
『ティマイオス』349,350-506
『パルメニデス』278-502,298,350
『ヒッピアス』287
『ピポレス』354
『パイドン』222,438,365-507
「いうまでもなく,同一のものが,それの同一側面において,しかも同一の ものとの関係において,同時に,相反することをしたりされたりすることは できないだろう。したがって,もし問題となっているものの間に,そういう 事態が起るのをわれわれが見出すとすれば,それらは同一のものではなくて, 二つ以上のものであったことがわかるだろう」(436B-C)
「同じものが同じものについて同時に反対の判断をもつということは,不可 能である」(602E)
「同じものを,知っていて知っていないとか,知らないでいて知っていると かいうことは不可能である。」(プラトン『テアイテトス』188A)
地下に向かう洞窟がある。普通の人間は、洞窟のa-bと書かれた線上に座っている。そこに座っている人たちは、手足を縛りつけられ、頭も固定されていて動くことができない。頭は洞窟の底のほうに向けられている。c-dの面です。iのポイントには光点が設定されており、e-fというところにちょっとした通路があります。通路には低い塀が設置されており、そこを謎の影絵遣いたちが、頭上に様々な物を掲げながら通る。すると、iに照らされた物の影が、c-dの面に映る。a-bに座っている人は、c-dに映る影絵を見ることになるわけです。プラトンはこのモデルを使って、私たちの世界認識を説明します。つまり私たちは、世界を見ているのではなく、世界の影絵を、プロジェクションを見ているというのです。そして哲学をするとは、a-bに縛り付けられた私たちが頭の向きを変え、拘束具を外し、この洞窟の外へとでていくことにほかならない。
(太陽 善のイデア)
\|/
--〇--
/|\ (地上 イデア界)
__________________
\洞窟 \
\ \______________
\i光源 |
\☆ 人形 cd|
\ ef △_ ab 影絵▲
\通路_|塀|___囚人_____|
ドゥルーズ『差異と反復』目次、
はじめに:13~
序 論:反復と差異 19~
第1章:それ自身における差異 57~
第2章:それ自身へ向かう反復 119~
第3章:思考のイマージュ 203~
第4章:差異の理念的総合 259~
第5章:感覚されうるものの非対称的総合 333~
結 論:差異と反復 391~450
原注 451~478
訳注 479~508
http://nam-students.blogspot.jp/2014/02/blog-post_20.html
観 念
:
普遍性
|
概 一 | 特
・・般ーーー十ーーー殊
念 性 | 性
|
単独性
(柄谷行人『探究2』文庫版150頁より)
<たとえば、ドゥルーズは、キルケゴールの反復にかんして、「反復は、単独なものの普遍性であり、 特殊なものの一般性としての一般性と対立する」といっている(『差異と反復』)。つまり、彼は特殊性 (個)ー一般性(類)の対と、単独性ー普遍性の対を対立させている(図参照)。だが、すでに明らかなように、 これはスピノザが概念と観念を区別したのとほとんど同じことである。>
(柄谷行人『探究2』文庫版150頁)
<…わたしたちは、個別的なものに関する一般性であるかぎりでの一般性と、 特異(サンギュリエ)な ものに関する普遍性としての反復を対立したものとみなす…>
http://blog.livedoor.jp/captainahab/archives/50551139.html
(序論『差異と反復』邦訳単行本20頁)*
(『トランスクリティーク』定本版単行本156頁)
<ペギーは、出来事を見事に描写してみせたとき、一方は水平で、他方は垂直の二本の線を配置した…。…二つの線の交差するところにこそ、「有限な時間において永遠なる」もの--《理念(イデア)》と現実的なものとの紐帯、導火線--が結ばれ、わたしたちの有するより大きな支配力、わたしたちのいっそう大きな力(ピュイサンス)、すなわち諸問題に関わる力(ピュイサンス)が決定されるのである。>(『差異と反復』第四章288頁,文庫下63頁)
<潜在的なものにつくべきか可能的なものにつくべきかでためらうのは、また、《理念(イデア)》のレヴェルをとるべきか概念のレヴェルをとるべきかでためらうのは、破産を招くことでしかない。なぜなら、そのような迷いは、潜在的なものの実在性を廃棄するからである。>(『差異と反復』第四章321頁)
<潜在的なものは、ひとつの十全な客観的実在性をもっている。潜在的なものは、いささかも可能的なものと混じり合っていない。可能的なものは、実在性を欠いているからだ。したがってまさに、可能的なものは、表象=再現前化における概念の同一性の様態であり、他方、潜在的なものは、《理念(イデア)》のただなかにおける差異的=微分的なものの様相なのである。>(『差異と反復』結論415頁)
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/ktm3w/rays0110.html
可能世界は、むしろ、《今ここnowhere》の外にこそある。だから、ジル・ドゥルーズ
は、《今ここnowhere》をひっくり返して《エレホンerewhon》といったサミュエル・
バトラーを称賛したのだ。
参考:
ドゥルーズ『差異と反復』目次、
はじめに:
序 論:反復と差異
第1章:それ自身における差異
第2章:それ自身へ向かう反復
第3章:思考のイマージュ
第4章:差異の理念的総合
第5章:感覚されうるものの非対称的総合
結 論:差異と反復
はじめに:
序 論:反復と差異
第1章:それ自身における差異
第2章:それ自身へ向かう反復
第3章:思考のイマージュ
第4章:差異の理念的総合
第5章:感覚されうるものの非対称的総合
結 論:差異と反復
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別 反復=イデア|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー+ー殊 |
| アリストテレス| /キルケ| 性 | 性 |
| 類的差異、| ゴール_|__ 単独性 |
| カテゴリーと| 裸__|_空間 | |
| 種的差異 | 拍子 | 物質 留保(阻止)|
| | | 着 衣 |
一義性と差異 | 時間 リズム / +++++ |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | | 二:| ヒューム |
ニーチェ | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
| ライプニッツ |___時間の総合 デカルト |
|ヘーゲル、カント | カント |
|______| 現在__過去__円環 |
| マルクス | | | |
ハイデガー フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
プラトン『ソピステス』他 見せかけ |______|デカルト
| 理念 ベルクソン| カント
四:差異の理念的総合 =多様体 三:思考のイマージュ プラトン
カント|_________________|障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | /自然的or哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的◇現実的 他者 /良識、共通感覚 結論:差異と反復 存在=
実在的 ダーウィン ニーチェ 差異
個体化 個体的差異 強度の 一義性を永遠回帰における
強度的 巻き込み 特徴 反復として実現すること 449頁
種的差異アリストテレス63頁
類的差異
個体的差異ダーウィン371頁
習慣156頁
良識208,336,339頁
<‥…「私と同じようにやれ」と 言う者からは、何も学ぶことはない。わたしたちに
とっての唯一の教師は、わたしたちに 対して「私と共にやりなさい」と言う‥… >
(『差異と反復』単行本序論49頁より)
ヒューム(第二章冒頭119頁):メモ 『人間本性論(人性論)』1:3:14?
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_07.html
ザロモン・マイモン(第四章『差異と反復』単行本262~3頁参照)
「超越論的哲学についての試論」マイモン(Salomon Maimon: Versuch über die Transzendentalphilosophie)
http://ntaki.net/di/a3/Maimon/Versuch_1.html#2 (試論第二章参照)
<これらの本体は理性理念であって、これら理性理念は、客観的対象(Objekte)の成立を悟性の諸規則にしたがって説明するための、原理として役立つ。
例えば私が、「緑は赤とは異なっている」というとき、相違性という純粋悟性概念は、感性的な2つの質の関係としてではなく(なぜなら、そうした関係としてであれば、カントの言う権利問題が生じるからである)、カントの理論によるのであれば、アプリオリな形式としての2つの空間の関係として、あるいは私の理論では、アプリオリな理性理念である2つの微差態の関係として、考察されるのである。
悟性は客観的対象(Objekt)を(判断の諸形式以外の対象を――これら諸形式は、客観的対象とは言えないが)、ただ継続的に(fließend)しか考えられない。なぜなら、悟性の仕事は思考に他ならないのだから、すなわち多様なもののうちに単一性を生みだすことなのだから、悟性が対象をもちえるのは、ただ悟性が対象の成立の規則ないしは仕方を告げる(angeben)ことによってだからである。というのも、ただこのことによってのみ、対象における多様なものは規則の単一性へともたらされるのである [unter der Einheit の der は、die と解釈しました]。したがって悟性は、すでに生じたものとしてはいかなる対象も考えられないのであって、ただ生じつつあるものとして、すなわち継続的に(fließend)しか考えることができない。>
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別 反復=イデア|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー+ー殊 |
| アリストテレス| /キルケ| 性 | 性 |
| 類的差異、| ゴール_|__ 単独性 |
| カテゴリーと| 裸__|_空間 | |
| 種的差異 | 拍子 | 物質 留保(阻止)|
| | | 着 衣 |
一義性と差異 | 時間 リズム / +++++ |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | | 二:| ヒューム |
ニーチェ | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
| ライプニッツ |___時間の総合 デカルト |
|ヘーゲル、カント | カント |
|______| 現在__過去__円環 |
| マルクス | | | |
ハイデガー フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
プラトン『ソピステス』他 見せかけ |______|デカルト
| 理念 ベルクソン| カント
四:差異の理念的総合 =多様体 三:思考のイマージュ プラトン
カント|_________________|障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | /自然的or哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的◇現実的 他者 /良識、共通感覚 結論:差異と反復 存在=
実在的 ダーウィン ニーチェ 差異
個体化 個体的差異 強度の 一義性を永遠回帰における
強度的 巻き込み 特徴 反復として実現すること 449頁
種的差異アリストテレス63頁
類的差異
個体的差異ダーウィン371頁
習慣156頁
良識208,336,339頁
<‥…「私と同じようにやれ」と 言う者からは、何も学ぶことはない。わたしたちに
とっての唯一の教師は、わたしたちに 対して「私と共にやりなさい」と言う‥… >
(『差異と反復』単行本序論49頁より)
ヒューム(第二章冒頭119頁):メモ 『人間本性論(人性論)』1:3:14?
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_07.html
ザロモン・マイモン(第四章『差異と反復』単行本262~3頁参照)
「超越論的哲学についての試論」マイモン(Salomon Maimon: Versuch über die Transzendentalphilosophie)
http://ntaki.net/di/a3/Maimon/Versuch_1.html#2 (試論第二章参照)
<これらの本体は理性理念であって、これら理性理念は、客観的対象(Objekte)の成立を悟性の諸規則にしたがって説明するための、原理として役立つ。
例えば私が、「緑は赤とは異なっている」というとき、相違性という純粋悟性概念は、感性的な2つの質の関係としてではなく(なぜなら、そうした関係としてであれば、カントの言う権利問題が生じるからである)、カントの理論によるのであれば、アプリオリな形式としての2つの空間の関係として、あるいは私の理論では、アプリオリな理性理念である2つの微差態の関係として、考察されるのである。
悟性は客観的対象(Objekt)を(判断の諸形式以外の対象を――これら諸形式は、客観的対象とは言えないが)、ただ継続的に(fließend)しか考えられない。なぜなら、悟性の仕事は思考に他ならないのだから、すなわち多様なもののうちに単一性を生みだすことなのだから、悟性が対象をもちえるのは、ただ悟性が対象の成立の規則ないしは仕方を告げる(angeben)ことによってだからである。というのも、ただこのことによってのみ、対象における多様なものは規則の単一性へともたらされるのである [unter der Einheit の der は、die と解釈しました]。したがって悟性は、すでに生じたものとしてはいかなる対象も考えられないのであって、ただ生じつつあるものとして、すなわち継続的に(fließend)しか考えることができない。>
サミュエル・バトラー『エレホン』関連(「はじめに」単行本15~16頁,「結論」423,428頁参照):
エレホン
http://page.freett.com/rionag/butler/erewhon.html
エレホン
http://page.freett.com/rionag/butler/erewhon.html
バトラーの至りついた道は、次のようなものでした。
「この世のものならぬ、目に見えざる生活と目に見えざる<王国>とがあること、この世の英知は神にとっては愚かさにすぎないこと、この地上でわれわれが送っている生活は大した物ではあるが、同時に、この地上の生活にしても、もうひとつのより大なる生活、すなわち、われわれがこの地上にあって、それについてはほんのわずかしか知ることのできぬものの、われわれが一人残らずともに分かち持っているもう一つの生活、に比べれば取るに足りぬものであること、その<存在>の中に入り込むことは誰にもできないが、さりとてそれから逃れることもできない、ある偏在的<存在>―言語を絶する名辞矛盾―が存すること、最善なる者は常に無益なるしもべ(ルカ17章10節)であり、最賢の者は常に子供であることー正気の人間にして、しかも以上のことに疑いをさしはさむ者などいるでしょうか」(ブライト宛の書簡・バジル・ウィリー前掲書)
「この世のものならぬ、目に見えざる生活と目に見えざる<王国>とがあること、この世の英知は神にとっては愚かさにすぎないこと、この地上でわれわれが送っている生活は大した物ではあるが、同時に、この地上の生活にしても、もうひとつのより大なる生活、すなわち、われわれがこの地上にあって、それについてはほんのわずかしか知ることのできぬものの、われわれが一人残らずともに分かち持っているもう一つの生活、に比べれば取るに足りぬものであること、その<存在>の中に入り込むことは誰にもできないが、さりとてそれから逃れることもできない、ある偏在的<存在>―言語を絶する名辞矛盾―が存すること、最善なる者は常に無益なるしもべ(ルカ17章10節)であり、最賢の者は常に子供であることー正気の人間にして、しかも以上のことに疑いをさしはさむ者などいるでしょうか」(ブライト宛の書簡・バジル・ウィリー前掲書)
http://bunko.shueisha.co.jp/serial/kawabata/24_01.html
バトラーの開拓生活に十五少年に類似の精神を見付けることは容易だ。そして、それは間違いではない。
ところが、バトラーの場合それだけでは済まない。「エレホン」の内容を読めば分かる。作中では、「これあり得ないよ!」と言いたくなるような奇天烈な社会が描かれている。
エレホンでは70歳以下の者が病気になることは重罪とされる反面、盗みや詐欺などの犯罪は、我々の社会の「病気」と似た扱いを受け、周囲から同情されたり、治療をすすめられる。美しいことはそれ自体徳であり、醜いこともそれ自体罪悪である。「進歩」を敵視し、科学は禁止。機械類は徹底的に排斥されている。若者は「不合理大学」に通い、理屈に合わない変な議論を覚え込まされて、青春の日々を空転させる。「音楽銀行」という、現実社会ではまったく役に立たないが名誉とされる貨幣を扱う銀行と、通常の商行為に使われる貨幣を扱う銀行が並立している……などなど。
バトラーの開拓生活に十五少年に類似の精神を見付けることは容易だ。そして、それは間違いではない。
ところが、バトラーの場合それだけでは済まない。「エレホン」の内容を読めば分かる。作中では、「これあり得ないよ!」と言いたくなるような奇天烈な社会が描かれている。
エレホンでは70歳以下の者が病気になることは重罪とされる反面、盗みや詐欺などの犯罪は、我々の社会の「病気」と似た扱いを受け、周囲から同情されたり、治療をすすめられる。美しいことはそれ自体徳であり、醜いこともそれ自体罪悪である。「進歩」を敵視し、科学は禁止。機械類は徹底的に排斥されている。若者は「不合理大学」に通い、理屈に合わない変な議論を覚え込まされて、青春の日々を空転させる。「音楽銀行」という、現実社会ではまったく役に立たないが名誉とされる貨幣を扱う銀行と、通常の商行為に使われる貨幣を扱う銀行が並立している……などなど。
http://deleuze.web.fc2.com/DR-1.html
「しかし経験論は、概念をまさにある出会いの対象として<ここ?いま>としてあるいはエレホンとして取り扱う。」(p15)「私たちは起源的な『どこにもないもの』と置き換えられ、偽装され、変容され、常に再創造される『ここと今』を同時に意味するものとしてエレホンを発見するのである。もろもろの経験的な個別性でもなければ抽象的普遍でもないもの。崩潰した自我として<私は思考する>。私たちはどの個体化も非人称的であり、どの特異性も前個体的であるひとつの世界を信じる。<ひと(on)>それはなんと素晴らしいものであろうか。そこにこそ」「この書物が現前させるべきであったこと、それは以上からして神のものあるいは世界のものでもなければ、私たちのもの、すなわち人間のものでもないようなある一貫性へのアプローチである。」と述べる。ドゥルーズは我々の時代のある種の固定観念であるようなものと対比して「ポスト・ヒューマニズム」について述べようとしており、デカルト的コギトとは、別の場所に個体化の場を見出す。
「しかし経験論は、概念をまさにある出会いの対象として<ここ?いま>としてあるいはエレホンとして取り扱う。」(p15)「私たちは起源的な『どこにもないもの』と置き換えられ、偽装され、変容され、常に再創造される『ここと今』を同時に意味するものとしてエレホンを発見するのである。もろもろの経験的な個別性でもなければ抽象的普遍でもないもの。崩潰した自我として<私は思考する>。私たちはどの個体化も非人称的であり、どの特異性も前個体的であるひとつの世界を信じる。<ひと(on)>それはなんと素晴らしいものであろうか。そこにこそ」「この書物が現前させるべきであったこと、それは以上からして神のものあるいは世界のものでもなければ、私たちのもの、すなわち人間のものでもないようなある一貫性へのアプローチである。」と述べる。ドゥルーズは我々の時代のある種の固定観念であるようなものと対比して「ポスト・ヒューマニズム」について述べようとしており、デカルト的コギトとは、別の場所に個体化の場を見出す。
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/ktm3w/rays0110.html
可能世界は、むしろ、《今ここnowhere》の外にこそある。だから、ジル・ドゥルーズ
は、《今ここnowhere》をひっくり返して《エレホンerewhon》といったサミュエル・
バトラーを称賛したのだ。
<サミュエル・バトラーによれば、習慣の連続性の他に連続性はなく、われわれを構成する千の習慣の連続性は、われわれの内部に、それと同じだけの観想する迷信的な自我、要求、満足を形成する。「なぜなら、小麦はおのれの存在にかかわるものへの迷信的な基盤の上に自分の信仰を基礎づけていて、大地と水を実りに変えるには、小麦自身が自分を実らせる熟達した技に対して抱いている傲慢なまでの自信、それなしには無力に陥ってしまう自己への信念が必要だからである(『生と習慣』life and habit 未邦訳)」。経験論者だけがこのような定式を巧みに口にできる。われわれが小麦と呼ぶ大地と水の縮約(contraction)が存在し、この縮約は観想(contemplation)であり、そしてその観想の自己充足である。反復の要素と事象によって生み出されない有機体というものがあるだろうか。有機体は、『エンネアデス』(プロティノス)第3篇にある至高のことばのもとで目覚める──すべてが観想である! このように言うことはたぶん「イロニー」であろう。しかし、そのイロニーは、またしても観想でしかありえない。プロティノス「ひとが自分のイマージュを決定したり、そのイマージュを享受したりするのは、自分がそこから生じてきたものを観想するために、それに再び向かい合うときだけである」。>(ドゥルーズ「差異と反復」第2章)
ゲオルク・ビューヒナー 関連(序論28,上27):『ダントンの死』より
<時間が俺たちを無駄にする。まずシャツを着てそれからズボンを履く。夜になればベットにもぐりこみ、朝になるとはい出す。片方の足を別の足の前に出し、それをくりかえす。まったく変えようもない。悲しむ べきことだ。数百万人の人間が同じようにくりかえし、 これからも数百万人の人間が同じようにくりかえす。そのうえ、俺たちは左右半分ずつ でできていて、その両方が同じことをやっている。何もかもが二重だ。なんて悲しいんだ 。>(岩波文庫版179頁参照)
芸術における「究極の諸反復」の事例
存在論的な、第三の反復へ向かって
結論『差異と反復』単行本435頁より
参考:
ベルク『ヴォツェック』(アルバン・ベルク作曲の『ヴォイツェク』はビューヒナー原作)
Wozzeck - 1 Scene - Alban Berg after Georg B?chner - Claudio Abbado
http://youtu.be/dp4Q4SV_YL0
Claudio Abbado - Wozzeck's Interlude:
http://youtu.be/89jEn7dkZx4
アンディ・ウォーホル
(Andy Warhol) 作品の紹介・美術館リンク・ポスター
http://art.pro.tok2.com/W/Warhol/Warhhol.htm
ビュトール『心変わり(変容)』
http://www.amazon.co.jp/dp/4003750616
映画『去年マリエンバードで』(アラン・レネ)
Last Year at Marienbad (1961) re-release trailer with subtitles
http://youtu.be/M5km-4o3EAY
存在論的な、第三の反復へ向かって
結論『差異と反復』単行本435頁より
参考:
ベルク『ヴォツェック』(アルバン・ベルク作曲の『ヴォイツェク』はビューヒナー原作)
Wozzeck - 1 Scene - Alban Berg after Georg B?chner - Claudio Abbado
http://youtu.be/dp4Q4SV_YL0
Claudio Abbado - Wozzeck's Interlude:
http://youtu.be/89jEn7dkZx4
アンディ・ウォーホル
(Andy Warhol) 作品の紹介・美術館リンク・ポスター
http://art.pro.tok2.com/W/Warhol/Warhhol.htm
ビュトール『心変わり(変容)』
http://www.amazon.co.jp/dp/4003750616
映画『去年マリエンバードで』(アラン・レネ)
Last Year at Marienbad (1961) re-release trailer with subtitles
http://youtu.be/M5km-4o3EAY
ジャン・ヴァール関連:
1:101-457頁
http://blogs.yahoo.co.jp/chronosjapan/27141318.html
自然は本質的に、偶然で、過剰で、神秘的なもの。
同じものの還帰は、異なるものをもたらすのみ。
彫刻家のろくろの緩慢な回転は、
髪の毛一本の太さほどしか進まない。
けれども差異は、厳密には決して十全であることのない
曲線全体に配分されるのだ。
(ジャン・ヴァール)
http://blogs.yahoo.co.jp/chronosjapan/27141318.html
自然は本質的に、偶然で、過剰で、神秘的なもの。
同じものの還帰は、異なるものをもたらすのみ。
彫刻家のろくろの緩慢な回転は、
髪の毛一本の太さほどしか進まない。
けれども差異は、厳密には決して十全であることのない
曲線全体に配分されるのだ。
(ジャン・ヴァール)
1920年 Les philosophies pluralistes d'Angleterre et d'Amérique(英米多元論哲学), Paris : F. Alcan.
具体的なものへ|月曜社
http://getsuyosha.jp/kikan/versleconcret.html
著者:ジャン・ヴァール(Jean Wahl)
フランスの哲学者。1888年5月25日にマルセイユで生まれ、1974年6月19日にパリで没す。1936 年から1967 年までソルボンヌ大学教授。その間、ユダヤ人強制収容所を体験し、アメリカにも亡命している。ヘーゲル、キルケゴール、英米多元論哲学、ドイツ実存哲学など、他国の思想を積極的にフランスへ導入した先駆者であり、市民に開かれた哲学の場「コレージュ・フィロゾフィック」を設立した教育者であり、詩人でもある。マルセル、バタイユ、サルトル、レヴィナスなど、20世紀フランスでの広義の実存主義に連なる一人。著書に、1946年『フランス哲学小史』(紺田千登史訳、ミネルヴァ書房、1974年)、1949年『実存主義的人間』(永戸多喜雄訳、人文書院、1953年)、1954年『実存主義入門』(松浪信三郎・高橋允昭訳、理想社、1962年)、1964年『形而上学的経験』(久重忠夫訳、理想社、1977年)などがある。ジャン・ヴァールwikipedia
http://getsuyosha.jp/kikan/versleconcret.html
著者:ジャン・ヴァール(Jean Wahl)
フランスの哲学者。1888年5月25日にマルセイユで生まれ、1974年6月19日にパリで没す。1936 年から1967 年までソルボンヌ大学教授。その間、ユダヤ人強制収容所を体験し、アメリカにも亡命している。ヘーゲル、キルケゴール、英米多元論哲学、ドイツ実存哲学など、他国の思想を積極的にフランスへ導入した先駆者であり、市民に開かれた哲学の場「コレージュ・フィロゾフィック」を設立した教育者であり、詩人でもある。マルセル、バタイユ、サルトル、レヴィナスなど、20世紀フランスでの広義の実存主義に連なる一人。著書に、1946年『フランス哲学小史』(紺田千登史訳、ミネルヴァ書房、1974年)、1949年『実存主義的人間』(永戸多喜雄訳、人文書院、1953年)、1954年『実存主義入門』(松浪信三郎・高橋允昭訳、理想社、1962年)、1964年『形而上学的経験』(久重忠夫訳、理想社、1977年)などがある。ジャン・ヴァールwikipedia
ヘルダーリン関連(第一章102頁、第二章146,151頁他参照): http://www.eleutheria.com/philo/autoaffection/deleuze/repetition.html
「永遠回帰が最高度の思想であるのは、換言すれば、もっとも強度の高い思想であるのは、永遠回帰の極限的な一貫性が、最高度の点において、思考する主体、思考される世界、さらに保証する神のそれぞれの一貫性を排除するからである。カント哲学には、或る明確な契機、人知れず閃光を放った契機があり、それはカントにおいてすら継続せず、カント以後の哲学にはなおのこと引き継がれていない―――ヘルダーリンにおける「定言的転回」という経験と理念にはおそらく引き継がれている―――のだが、わたしたちは、カント以前とカント以後の出来事(結局は同じ自体に帰着する出来事)にというよりも、むしろそうしたカント哲学そのものの契機にこそ関心を寄せなければならないのである。というのも、カントが理性的神学を批判するとき、同時に彼は、一種のアンバランス、裂け目、あるいは亀裂を、つまり権利上克服できない正当な疎外(精神異常)を、<私は考える>の純粋な<自我>のなかに導きいれるからである。すなわち主観は、自分自身の自発性を、もはや或る<他>なるものの自発性としてしか表象することができず、したがって結局のところ、主観自身の一貫性、世界の一貫性、および神の一貫性と相容れることのない神秘的な一貫性を援用するのである。崩潰した自我として、<私は思考する>。換言すれば、「私は考える」の<自我>は、その本質において、或る種の直感的受容性を、すなわち、<私>がそれと比較すればすでにひとつの他なるものであるといった当のそれである受容性を含んでいる。総合的同一性が、さらには実践理性の道徳性が、自我、世界、および神のそれぞれの完全さを回復し、カント以後の哲学の諸総合を準備するなどということは、どうでもよいことだ。以上のように、わたしたちがほんの少し立ち入って考えてみたのは、思考の最高度の力の特徴たる正当な精神分裂病である。これは、概念によるすべての媒介やすべての和解を一顧だにすることなく、<存在>をダイレクトに差異へと開かせるものである。」(『差異と反復』第一章、河出書房新社、P101~2)
「カントが理性的神学を批判するとき」、これが一体どこの個所を指しているのかわからない。が、ここで語られる直観的受容性の話は演繹論における超越論的統覚意識の話として見られることが可能であるといちおう前提しておく。
http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/bitstream/10236/3275/1/20091113-2-4.pdf
フィリップ・ラクー=ラバルト ――神話、供犠、自伝――上田和彦
<オイディプスの過ちは、知らずに犯した父殺しと不名誉な婚姻にはなく、人間的知の限界を侵犯しようとしたことにある。人間的知の限界 の侵犯とは、具体的には、デルポイの神託を「市民たちのよき秩序を維持せよ」 といった類の単なる声明とは受けとらず、自ら神官となって、国の危機的状況 を宗教的かつ供犠的に解釈するということだ。つまり、疾病や不作の原因をな す罪を、供儀によって浄めようとすることが、オイディプスの行き過ぎ、すな わち、「解釈の過剰」という過ちなのである。この「解釈の過剰」によって、 オイディプスという人間は神的なものと無際限に一体化しようとする――そし て、その極みにおいて、神が定言的に転回し、人間も大地へ向かって、すなわ ち人間的有限性への服従へ向かって反転し、彷徨を強いられる。上の引用で言われている「双曲線論理」とは、こうした人間と神との一体化の最中で起こる分離のことだ。この神と人間との一体化の最中で起こる分離の上演こそが、弁 証法的・供儀的プロセスの「完成を禁じ、それを内側から麻痺」させようとす るのだ。「無際限な一体化が無際限な分離によって浄められる*)」、とヘルダー リンは言う。>
*(「『オイディプス』への註解」、『ヘルダーリン全集』、第4巻、54頁、参照 )
http://members.jcom.home.ne.jp/nokato/data19.htm
≪時間は基軸的なものであることをやめて、順序的なものに、つまり、純粋な順序としての時間へと生成するのである。ヘルダーリンは、時間は「韻を踏む」のをやめる、なぜなら、時間は〔詩の〕始まりと終りがもはや一致しなくなるような「中間休止」の前半部と後半部に、おのれを不等に配分するからであると語っていた。そうなれば、〔詩の〕長かったり短かったりする過去〔前半部〕と、その過去に反比例する未来〔後半部〕が区別されるわけだが、ただし、その場合、そのような未来と過去は、時間の経験的あるいは動的な規定でなくなって、時間の静的な総合としてのア・プリオリな順序に由来する形式的かつ固定的な特徴になる。…中略…≪私≫の亀裂を構成するものは、まさに、中間休止であり、またその中間休止によって<これを最後に>順序づけられる<前>と<後>である。≫
(『差異と反復』ドゥルーズ著 財津理訳146,151頁、「『オイディプス』への註解」『ヘルダーリン全集』第4巻48頁、参照 )
http://www.takushoku-u.ac.jp/laboratory/files/linguistics_127.pdf
ヘルダーリンにおける死の観念 (田野武夫)
<詩作活動の最終期に位置するニュルティンゲン期 (1802~1804) に執筆された 『オイディプスへの注解』 と 『アンティゴネーへの注解』 において, ヘルダーリンは二つのギリシア悲劇の構造的特徴を分析し, 劇の進行を中 断させ, 場面を 「この世」 から 「あの世」 へと転回させる 「中間休止」Casurについて言及している。 この 「中間休止」 は, エムペドクレス悲劇 における 「死」 や 「滅びと生成」 における 「没落」, 「解体」 と同質の思考法に基づいている。
ヘルダーリンは, オイディプス悲劇の構造を異なる二つの次元の平衡関 係として捉える。 悲劇の進行はもともと 「空虚なものであり, 全く拘束を 受けないものである」 ため, 「詩の韻律において中間休止と呼ばれるもの, 純粋な言葉, 反リズム的中断が必要となる」。 「その結果, もはや表象の交 錯ではなく, 表象そのものが出現する」 と彼は主張する。
この 「中間休止」 とは本来, 詩の韻律において, 揚格衝突によるリズム の中断を指すものであるが, ヘルダーリンはこれを悲劇全体の構造に適 用している。 悲劇では冒頭部からさまざまな事項が展開するものの, その 途中で神的発言が生じ, 劇のリズムが中断される。 この中断から悲劇は全 く別の次元へと展開する。 つまり, 人間と神の領域もしくは地上的展開と 天上的展開の二つの領域が, 「中間休止」 を挟んで共存する。 このような 流れをヘルダーリンはギリシア悲劇の構造的イメージとして認識した。>
(『差異と反復』ドゥルーズ著 財津理訳146,151頁、「『オイディプス』への註解」『ヘルダーリン全集』第4巻48頁、参照 )
ヴィトラック(318)
ペギー(288,文庫下63)
ブランショ関連:
第二章178~9-463,文庫上303
二つの死
評論集《文学空間L'espace littéraire》(1955)
意味の論理学21セリー、参照
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20070731
「第一次大戦」という大きな暴力によって受けた傷があくまで「私のためのもの」であるのと対照的に、「個人の小さな偶発事故」によって受けた「傷」は、あらゆる「大きな暴力」による傷と同等なものとされる。ドゥルーズは書く。《すべての暴力、すべての抑圧は、このただひとつのできごとにおいて統合される。そのただひとつのできごとが、ひとつの暴力もしくは抑圧をあばくことによって、すべての暴力もしくは抑圧をあばく》。第一次大戦によって受けたある人の傷も、街でチンピラと喧嘩して受けた別の人の傷も、「できごと」としての「傷」という「ただひとつのもの」のあらわれであり、あらゆる暴力は、ただひとつの「(できごととしての)暴力」を表現する。そこで人は、傷の固有性を超えた、非身体的な「傷のできごと性」を生きることになる。それは《私とは関係のない現在を欠いた時間》(ブランショ)からやってくるものであり、身体的な死ではない、できごととしての「死」もまた、そこからやってくる。そこでは、《死が死に対抗し、死ぬことが死の廃棄になり、死ぬことの非人称性が、(略)死がそれ自体のなかで滅びる瞬間を示し》もする、と。
http://d.hatena.ne.jp/mokohei/20121031/1351687187
二つの死
評論集《文学空間L'espace littéraire》(1955)
意味の論理学21セリー、参照
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20070731
「第一次大戦」という大きな暴力によって受けた傷があくまで「私のためのもの」であるのと対照的に、「個人の小さな偶発事故」によって受けた「傷」は、あらゆる「大きな暴力」による傷と同等なものとされる。ドゥルーズは書く。《すべての暴力、すべての抑圧は、このただひとつのできごとにおいて統合される。そのただひとつのできごとが、ひとつの暴力もしくは抑圧をあばくことによって、すべての暴力もしくは抑圧をあばく》。第一次大戦によって受けたある人の傷も、街でチンピラと喧嘩して受けた別の人の傷も、「できごと」としての「傷」という「ただひとつのもの」のあらわれであり、あらゆる暴力は、ただひとつの「(できごととしての)暴力」を表現する。そこで人は、傷の固有性を超えた、非身体的な「傷のできごと性」を生きることになる。それは《私とは関係のない現在を欠いた時間》(ブランショ)からやってくるものであり、身体的な死ではない、できごととしての「死」もまた、そこからやってくる。そこでは、《死が死に対抗し、死ぬことが死の廃棄になり、死ぬことの非人称性が、(略)死がそれ自体のなかで滅びる瞬間を示し》もする、と。
http://d.hatena.ne.jp/mokohei/20121031/1351687187
…ブランショは…まず簡潔に身体的なものと非身体的なものの両義性として扱われ、「現前せず、過去と未来から切り離せない出来事としての死」と「最も辛い現在に到来して実現される人称的な死」という二つの死である(アイオーン的な死とクロノス的な死と読み替え可能なようにも思える)。
そしてこの二つの死の解釈からは裂け目が生まれるという。
そしてこの二つの死の解釈からは裂け目が生まれるという。
http://www.sal.tohoku.ac.jp/French/accueil/doctrat-hirate.html
文学空間第3章
言語観と共にマラルメから受け取った「非人称」という概念を用いて、ブランショは作家の変質を語る。例えばカフカが作家になったのは、「私はJe」では なく、非人称の代名詞でもある「彼はIl」を使うことによってであることを語る。なるほど、このこと自体は、特権性を紡ぎ出すもののようにすら見える(超 越的存在)。だがブランショは、主体を否定するこの形象を、一般的な人を指す「人はOn」という語によっても指示するのである(「私が死ぬのではなく、人 が死ぬのだ」)。こうした表現においては、特権的な存在となるために主体性を放棄するという意味を越えて、その成立自体が拒絶されているのではないか、と 考えられるのである。個を越えた本質への運動が、個を越えた「全ての人」を到来させることになる。この「全ての人」の次元に、ブランショが語りだす、他者 との共同体の可能性が萌芽することになろう。
文学空間第3章
言語観と共にマラルメから受け取った「非人称」という概念を用いて、ブランショは作家の変質を語る。例えばカフカが作家になったのは、「私はJe」では なく、非人称の代名詞でもある「彼はIl」を使うことによってであることを語る。なるほど、このこと自体は、特権性を紡ぎ出すもののようにすら見える(超 越的存在)。だがブランショは、主体を否定するこの形象を、一般的な人を指す「人はOn」という語によっても指示するのである(「私が死ぬのではなく、人 が死ぬのだ」)。こうした表現においては、特権的な存在となるために主体性を放棄するという意味を越えて、その成立自体が拒絶されているのではないか、と 考えられるのである。個を越えた本質への運動が、個を越えた「全ての人」を到来させることになる。この「全ての人」の次元に、ブランショが語りだす、他者 との共同体の可能性が萌芽することになろう。
「そして」,〈私〉とはひとりの他者のことなのだ.個別的な死と一般的な死が,一体化して層をなしている.──雨が降るように彼女が死ぬ,とブランショ=ドゥルーズはいう.ある者は,それだけのことだ,と訳知り顔でつけ加える.それだけのことに過ぎないのではなく,それほどまでのことに他ならない.
「失ってしまった何かを,自らのうちに留める」ことは,失われるものとして何かを自らのうちに留めることでもある.私はいずれ失われる,しかし〈私〉は自分の死を死ぬことができない.それは失われるのではなく「一つの回帰」なのである.「喪失の喪失として,もはや失うことすらできないものとして」.
雨が降るように〈ひと〉が死に,〈喪〉が開始する.それはいつのまにか始まっているが完了する保証はどこにもない.七年前のブランショ追悼に際し,廣瀬純は「ブランショにおける〈死〉の肯定は,ドゥルーズにおける〈生〉の肯定へとリレーされる」(『ブランショの死とドゥルーズの生』)と書いている.
われわれの救いは死である,しかし〈この〉死ではない. — フランツ・カフカ『夢・アフォリズム・詩』
死とは現在を欠いた時間であり,私はこの現在を欠いた時間に何の関わりも持っていない.私には死に向かって身を投じることはできない.なぜなら,死においては,〈私〉が死ぬのではなく,〈私〉は死ぬ能力を失っているからだ.すなわち,死においては,〈ひと〉が死ぬのであり,〈ひと〉が死に続けるのである. — モーリス・ブランショ『文学空間』
雨が降るように〈ひと〉が死に,〈喪〉が開始する.それはいつのまにか始まっているが完了する保証はどこにもない.七年前のブランショ追悼に際し,廣瀬純は「ブランショにおける〈死〉の肯定は,ドゥルーズにおける〈生〉の肯定へとリレーされる」(『ブランショの死とドゥルーズの生』)と書いている.
プルースト(第二章191,第四章298他):
『失われた時を求めて』
プラトンとニーチェ:
○ 現代哲学の責務は「プラトン哲学の転倒」として定義された。ところが、プラトン哲学の転倒には、数多くのプラトン哲学の特徴が保存されているのであって、これは、たんに避けることができないというだけでなく、望ましい事態でもある。」(p102)「イデアはまだ世界を表象=再現前化に服従させるようなひとつの対象概念ではなく、むしろ、或る野生の現前なのであって、それは、諸事物のうちにある「表象=再現前化されうる」ことのないものに応じてしか、世界のなかに呼び出されえないものなのである。」「差異のディアレクティックには、それ固有の方法がそなわっているのだが、この分割は、媒介なしに、媒概念あるいは理由なしに働き、こうして概念一般の諸要請というよりはむしろ、<イデア>の霊感を頼みにしているようである。」「その(分割という)方法は<イデア>の観点からすればまさにそのイデアの観点からすれば、まさにそのイデアの威力ではないだろうか。」(p103)「分割は差異をつくることが可能な根拠としての神話を要請し、逆に、神話は根拠づけられるべきものにおける差異の状態としての分割を要請するのである。分割は、弁証法と神話体系との、土台としての神話と分割の理法としてのロゴスとの真の統一である。根拠のそのような役割がまったき明瞭さをもって現れてくるのは分有についてのプラトン的な考え方においてである。」「ひとり<正義(というイデア、つまり根拠)>のみが正しい、とプラトンは言う。」(P107)「つまり様々な度で(正しさを)分有するもの、それが必然的に要求者なのである。」「そうした要求は、他の諸現象とならぶひとつの現象なのではなく、あらゆる現象の本性なのである。根拠とは、要求の対象(正しさ)を分有する可能性をより多くあるいはより少なく、要求者に与えるひとつのテストである。まさにこうした意味で根拠は、真価の測定を行い、差異をつくる(差をつける)のである。」(p108)「ところで根拠によるテストの本質的な内容は正確にはどのようなものであろうか。神話が、その答えをわたしたちに教えてくれる。すなわち、それはつねに、果たさなければならぬ責務、解かなければならない謎である、と。神託にたずねてみても、神託の答は、それ時自体、ひとつの問題なのである。(プラトンにおける)弁証法(問答法)はイロニーであるのだが、このイロニーは、問題および問いに関する技術である。」(p109)「問題と問いは認識における不十分さの契機を示すような欠如的、主観的な規定ではない。問題的な構造は諸対象の側に属しており、その構造のおかげで諸対象をしるし(シーニュ)として捉えることができる。」「問題あるいは問いそのものの本質に「照応している」のはまさに存在である。」「いわば「開在性」「開口」存在論的な「襞」があり、これが存在と問いを相互に関係させている。こうした関係においては、存在は<差異>それ自身である。存在はなるほど非―存在でもあるが、しかし非―存在は否定的なものの存在なのではな異のであって、むしろ問題的なものの存在、問題と問いの存在なのである。」(p110)
ハイデガーについてのドゥルーズの立場が以下述べられる。 「わたしたちは、差異と問いとの、すなわち存在論的差異と問いの存在との」「照応を根本的なものとみなしている。」(p113)
○「プラトン的弁証法の四つの形態はしたがって、差異の選別、円環的神話の創設、土台の設定、<問い一問題>という複合体の定立、ということになる。しかし差異は、それらの形態を通じて、またもや<同じ>ものあるいは<一>に帰着させられてしまう。」(p113)「プラトン哲学の転倒の意味は、コピーに対するオリジナルの優位を否認すること、影象(イマージュ)に対する範型(モデル)の優位を否認することである。」「永遠回帰はそれが存在させ(そして還帰させるもの)を見せかけであるもの(エタン シミュラクル)として性格づける。永遠回帰が<存在> (非定型なもの)の力であるとき、見せかけ(シミュラクル )は存在するもの―「存在者」―の真の特徴あるいは形式になる。」「永遠回帰は、わたしたちを普遍的な「脱根拠化」に直面させるのだ。脱根拠化という言葉によって理解しなければならないのは、まさに永遠回帰を構成する媒介されていない基底の自由であり、他のあらゆる基底の背後に控える或る一つの基底の発見であり無底と根拠づけられていないものとの関係であり、非定型なものおよび最高の形相に関する直接的な反省である。」(p114)「プラトンは最初にプラトンを転倒させるもの」であり、ソピステスにおいて「見せかけを深く究めることによってその見せかけがオリジナルあるいは範型から区別できないということを証明している。」「差異のそれぞれの契機は、おのれの真の形態すなわち選別、反復、脱根拠化、<問い―問題>という複合を発見しなければならない。」「エステティックがもはや他へは還元できない二つの領域に分裂するのも、なんら驚くべきことではない。すなわち、その一方は現実的なものに関して可能な経験に合致するものしか保持しえないよような感覚されうるものについての感性論(エステティック)であり、他方は現実的なものの現実性をそれが反映する限りにおいて取り込むような、美についての理論としての美学である。だが条件づけられるものよりはゆるくはなく、そしてそれらのカテゴリーとは本性上異なっている現実的な経験の諸条件をわたしたちが規定するとき、事態はすべてかわるのだ。」(p116)「さて以上のような方向でこそ、もはや可能な経験の諸条件ではなく、現実的な経験(選別、反復、等々)の諸条件を探究しなければならない。」(p117)
http://tetsugaku.tripod.com/philosophe/heidegger.html
Gesamtausgabe Band 7, Vortäge und Aufsätze (1936-1953)
第7巻『講演と論文』「形而上学の超克」(未邦訳)
Gesamtausgabe Band 43, Nietzsche, der Wille zur Macht als Kunst
第43巻『ニーチェ、芸術としての力への意志』(薗田宗人+セバスティアンウンジン訳、1992/03)
『ニーチェ1』(細谷貞雄監訳平凡社ライブラリー214頁参照。上記43講義録に手を加えたもの)
ハイデガーについてのドゥルーズの立場が以下述べられる。 「わたしたちは、差異と問いとの、すなわち存在論的差異と問いの存在との」「照応を根本的なものとみなしている。」(p113)
○「プラトン的弁証法の四つの形態はしたがって、差異の選別、円環的神話の創設、土台の設定、<問い一問題>という複合体の定立、ということになる。しかし差異は、それらの形態を通じて、またもや<同じ>ものあるいは<一>に帰着させられてしまう。」(p113)「プラトン哲学の転倒の意味は、コピーに対するオリジナルの優位を否認すること、影象(イマージュ)に対する範型(モデル)の優位を否認することである。」「永遠回帰はそれが存在させ(そして還帰させるもの)を見せかけであるもの(エタン シミュラクル)として性格づける。永遠回帰が<存在> (非定型なもの)の力であるとき、見せかけ(シミュラクル )は存在するもの―「存在者」―の真の特徴あるいは形式になる。」「永遠回帰は、わたしたちを普遍的な「脱根拠化」に直面させるのだ。脱根拠化という言葉によって理解しなければならないのは、まさに永遠回帰を構成する媒介されていない基底の自由であり、他のあらゆる基底の背後に控える或る一つの基底の発見であり無底と根拠づけられていないものとの関係であり、非定型なものおよび最高の形相に関する直接的な反省である。」(p114)「プラトンは最初にプラトンを転倒させるもの」であり、ソピステスにおいて「見せかけを深く究めることによってその見せかけがオリジナルあるいは範型から区別できないということを証明している。」「差異のそれぞれの契機は、おのれの真の形態すなわち選別、反復、脱根拠化、<問い―問題>という複合を発見しなければならない。」「エステティックがもはや他へは還元できない二つの領域に分裂するのも、なんら驚くべきことではない。すなわち、その一方は現実的なものに関して可能な経験に合致するものしか保持しえないよような感覚されうるものについての感性論(エステティック)であり、他方は現実的なものの現実性をそれが反映する限りにおいて取り込むような、美についての理論としての美学である。だが条件づけられるものよりはゆるくはなく、そしてそれらのカテゴリーとは本性上異なっている現実的な経験の諸条件をわたしたちが規定するとき、事態はすべてかわるのだ。」(p116)「さて以上のような方向でこそ、もはや可能な経験の諸条件ではなく、現実的な経験(選別、反復、等々)の諸条件を探究しなければならない。」(p117)
http://tetsugaku.tripod.com/philosophe/heidegger.html
Gesamtausgabe Band 7, Vortäge und Aufsätze (1936-1953)
第7巻『講演と論文』「形而上学の超克」(未邦訳)
Gesamtausgabe Band 43, Nietzsche, der Wille zur Macht als Kunst
第43巻『ニーチェ、芸術としての力への意志』(薗田宗人+セバスティアンウンジン訳、1992/03)
『ニーチェ1』(細谷貞雄監訳平凡社ライブラリー214頁参照。上記43講義録に手を加えたもの)
"Meine Philosophie umgedrehter Platonismus: je weiter ab vom wahrhaft Seienden, um so reiner schöner besser ist es. Das Leben im Schein als Ziel." (N I, S. 180)
7[一五六]私の哲学は逆転したプラトン主義。真に存在するものから遠ざかれば遠ざかるほど、より純粋に、より美しく、より良くなってゆく。仮象のうちなる生が目的。1870年末-1871年4月(「遺された断想」『ニーチェ全集』第1期第1巻白水社267頁より)
ドゥルーズ『差異と反復』邦訳文庫版上169,487頁、単行本102,490頁参照『意味の論理学』付論1冒頭参照
__________
エチカ2:49注解
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note2p49n
…そこで第一の点から始めるとして、私は読者に、観念あるいは精神の概念と、我々が表象する事物の表象像とを、正確に区別すべきことを注意する。それから観念と、我々が事物を表現する言葉とを、区別することが必要である。
(柄谷行人『探究2』文庫版149頁参照別訳)
論語子罕第九 9:13
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0913
子貢曰、有美玉於斯、韜*匱*而藏諸、求善賈而沽諸、子曰、沽之哉、沽之哉、我待賈者也、
子貢が曰わく、斯こに美玉あり、匱*(ひつ)に韜(おさめ)て諸(こ)れを蔵ぜんか、善賈(ぜんこ)を求めて諸れを沽(う)らんか。子の曰わく、これを沽らんかな、これを沽らんかな。我れは賈(こ)を待つ者なり。
子貢が言った、「ここに美しい玉があるとします。箱に入れてしまい込んでおきましょうか、よい買い手を探して売りましょうか。」先生は言われた、「売ろうよ、売ろうよ。私は買い手を待っているのだ。」
(別訳 柄谷行人『探究2』文庫版322頁参照)
<フロイトがいったように、この女への固執は、幼年期における母への固執の再現(想起)である。次々と相手を変えながら、そのつどこの女と思い込むようなタイプは、フロイトがいう「反復強迫」である。実は、反復強迫は、キルケゴールのいう反復ではなくて想起であり、同一的なものの再現なのである。ここには、この他者は存在しない。たんに、法則的(構造的)な再現(表象)があるだけだ。>
(柄谷行人『探究2』文庫版15頁)
http://blog.livedoor.jp/captainahab/archives/50551139.html
*
反復と一般性の区別の三つのレベル
行動、新エロイーズ(ルソー)
法、 ニーチェ、キルケゴール
概念、カント →概念の阻止へ エピクロス1/カント∞
概念の「阻止」(bloquer、固定、凍結)は以下のように横軸が
条理化されることを意味するだろう。
観 念
:
普遍性
(法) |(反復)
概 一 | 特
・・般十十十十十十十殊
念 性 | 性
(概念)|(行動)
単独性
カントも参照される権利上の概念の問題は、動的概念、
さらには図の縦軸に当たる観念=イデアを準備する。
NAMs出版プロジェクト: ドゥルーズ『差異と反復』:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_20.html?m=0#_0000
差異、所与の起源=x(336頁)
チャート図:『差異と反復』>>14
_______|_________
| |同一性と
差異__|__反復 |対立の哲学
_|_ | |ハイデガー
| | 0序論>>4 |
一それ自身における差異| _|_ |
|>>5| | | |
ショーペンハウアー | | 反復と一般性の区別>>111|
| | | _|_ >>696|
| アリストテレス| | | | |
| | | 行動、法、概念 |
一義性と差異 | | _|_ |
| | | _|_ | |
スコトゥス、 | | | | 固定(阻止) |
スピノザ、 | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
ニーチェ | | |
| |二それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
| ライプニッツ | >>8 |
| | 時間の総合 |
| | ___|___ |
| ヘーゲル | | | |
| | 現在 過去 永劫回帰 |
| | | 潜在的無意識|ニーチェ |
| | | フロイト | |
|______| |___|___| |
| |__________|
プラトン |
| 三思考のイマージュ>>9
四差異の理念的総合 |ベルクソン
>>10カント|_________________|
>>11 |
五感覚されうるものの非対称的総合 >>12
共通感覚 | 強度の特徴 個体化 ライプニッツ
|
結論:差異と反復 >>13 ニーチェ
はじめに
序 論:反復と差異 >>4
第1章:それ自身における差異 >>5
第2章:それ自身へ向かう反復 >>7 >>8
第3章:思考のイマージュ >>9
第4章:差異の理念的総合 >>10 >>11
第5章:感覚されうるものの非対称的総合 >>12
結 論:差異と反復 >>13
Gilles Deleuze, Différence et répétition, Paris, PUF, 1968.
Avant-propos p.1 (下記pdf頁数)
Introduction : répétition et différence p.2
Chapitre premier : La différence en elle-même p.7
Chapitre II. : La répétition pour elle-même p.16
Chapitre III. : L'image de la pensée p.27
Chapitre IV. : Synthèse idéelle de la différence p.36
Chapitre V. : Synthèse asymétrique du sensible p.52
Conclusion. : Différence et répétition p.67
(Index p.81)
>「差異と反復」講義目録。
>http://www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf/deleuze_dr.pdf
ちなみに、差異と反復の関係は以下のように考えられる。
反 復
差 一
+ 般
異 性
一義性
追記:
『差異と反復』序論、概念の「阻止」(bloquer、固定、凍結)は以下のように横軸が
条理化されることを意味するだろう。
観 念
:
普遍性
(法) |(反復)
概 一 | 特
・・般十十十十十十十殊
念 性 | 性
(概念)|(行動)
単独性
カントも参照される権利上の概念の問題は、動的概念、
さらには図の縦軸に当たる観念=イデアを準備する。
*
序論における概念の「阻止」(bloquer、固定、凍結)が横軸の条理化なら、
第三章 思考のイマージュにおける公準は縦軸の条理化であろう。
観 念
:
普遍性
(法) 十(反復) 思考
十 共通感覚
十 再認
概 特 十 一 表象
・・殊ーーー十ーーー般
念 性 十 性 誤謬
十 指示
十 解
(概念)十(行動) 知
単独性
第三章 思考のイマージュ
哲学における前提の問題 (ヘーゲル、デカルト)
◯第一の公準――普遍的本性タル《思考》の権利 (ニーチェ)
◯第二の公準――常識〔共通感覚〕の理想
◯第三の公準――再認というモデル
思考とドクサ (ベルクソン、カント)
カントにおける《批判》の両義性
◯第四の公準――表象=再現前化のエレメント
諸能力の差異=微分的理論
諸能力の不調和的使用――暴力とそれぞれの能力の限界
プラトン哲学の両義性 (プラトン『国家』)
思考するということ――思考におけるその発生 (ハイデガー、アルトー)
◯第五の公準――誤謬という「否定的」なもの (プラトン『テアイテトス』)
愚劣の問題 (ショーペンハウアー、フローベール『ブヴァールとペキュシェ』)
◯第六の公準――指示の特権 (ラッセル)
意味と命題 (アルトー、デカルト、フローベール、ルイス・キャロル)
意味のパラドックス (ルイス・キャロル)
意味と問題
◯第七の公準――解の様相
新理論における解の錯覚
問題というカテゴリーの存在論的重要性と認識論的重要性 (プロクロス)
「学ぶ」ということは何を意味するのか
◯第八の公準――知という結果
差異と反復の哲学に対する障害としての諸公準の要約 (ニーチェ、プラトン『メノン』)
1 |5☆
|
____|____
2、3|6、7
4 | 8
(公準6、7、8を起点にして最初から回転させれば本書全体と同じ構造である。)
NAMs出版プロジェクト: ドゥルーズ『差異と反復』:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_20.html?m=0#_3
かなり昔に読んだが、最近哲学史の知識を頭に入れて読み返したら、ドゥルーズ本人の最高作というよりはハイデガー『存在と時間』を超える20世紀を代表する圧倒的著作ではないかと思うようになった。
文庫で読める最近の若者が羨ましい。
ただ本書は「コラージュ」というより、マーブルチョコの混じったウェディングケーキのように構成されていて、哲学史の知識とともに全体像を把握してから読まないと、面白さがわからないかもしれない。
多少恣意的だが、大体の全体像は以下のようになっている。
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別 反復=イデア|
ショーペンハウアー | | ___|___ |
| | |行動 法/キル 概念 |
| アリストテレス| ケゴール__|__留保、阻止|
|種異、類差、範疇| 裸___|___着衣 |
一義性と差異 | | | |
スコトゥス、スピノザ| | 二:| ヒューム |
ニーチェ | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
| ライプニッツ |___時間の総合 デカルト |
| ヘーゲル | カント |
|______| 現在__過去__円環 |
| マルクス | | | |
ハイデガー フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
プラトン『ソピステス』 見せかけ |______|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ プラトン
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 /良識、共通感覚 結論:差異と反復 存在=
現働的 ダーウィン ニーチェ 差異
個体化 個体的差異 強度の特徴 永遠回帰における反復
欠点としてはマルクスの名前があるのにプルードンの名前がないことだ。系列の思想家として彼は不可欠な存在だ。潜在的なものの実在化は歴史的には政治革命から社会革命への転換に対応する。
サミュエル・バトラー『エレホン』関連:
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/ktm3w/rays0110.html
ドゥルーズは、《今ここnowhere》をひっくり返して《エレホンerewhon》といった
サミュエル・バトラーを称賛した…
http://deleuze.web.fc2.com/DR-1.html
「しかし経験論は、概念をまさにある出会いの対象として<ここ-いま>としてあるいは
エレホンとして取り扱う。」
「私たちは起源的な『どこにもないもの』と置き換えられ、偽装され、変容され、常に再
創造される『ここと今』を同時に意味するものとしてエレホンを発見するのである。」
(『差異と反復』「はじめに」単行本15~16頁)
http://urag.exblog.jp/15902022/
「ユートピアは無限運動から切り離しえない。ユートピアは、語源からして〔「どこに
もない場所」を意味し〕、絶対的脱領土化を指すのだが、ただしつねに臨界点において
――すなわち絶対的脱領土化が、現前している相対的な中間=環境と連結し、とりわけ
そうした中間=環境のなかで窒息した諸力を連結するようになる臨界点において――絶
対的脱領土化を指す。ユートピア論者サミュエル・バトラーが用いた言葉「エレホン
Erewhon」は、たんに《No-where》つまり「どこにもない」だけでなく、《Now-here》
つまり「いま-ここ」をも指し示している。重要なのは、いわゆる空想的社会主義と科学
的社会主義との区別ではなく、むしろ、様々なタイプのユートピアなのであって、革命は
そのひとつである」(『哲学とは何か』文庫版172頁)。
『エレホン』本文邦訳(途中まで?)
http://page.freett.com/rionag/butler/erewhon.html
エチカ2:49注解
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note2p49n
…そこで第一の点から始めるとして、私は読者に、観念あるいは精神の概念と、我々が表象する事物の表象像とを、正確に区別すべきことを注意する。それから観念と、我々が事物を表現する言葉とを、区別することが必要である。
(柄谷行人『探究2』文庫版149頁参照別訳)
論語子罕第九 9:13
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0913
子貢曰、有美玉於斯、韜*匱*而藏諸、求善賈而沽諸、子曰、沽之哉、沽之哉、我待賈者也、
子貢が曰わく、斯こに美玉あり、匱*(ひつ)に韜(おさめ)て諸(こ)れを蔵ぜんか、善賈(ぜんこ)を求めて諸れを沽(う)らんか。子の曰わく、これを沽らんかな、これを沽らんかな。我れは賈(こ)を待つ者なり。
子貢が言った、「ここに美しい玉があるとします。箱に入れてしまい込んでおきましょうか、よい買い手を探して売りましょうか。」先生は言われた、「売ろうよ、売ろうよ。私は買い手を待っているのだ。」
(別訳 柄谷行人『探究2』文庫版322頁参照)
<フロイトがいったように、この女への固執は、幼年期における母への固執の再現(想起)である。次々と相手を変えながら、そのつどこの女と思い込むようなタイプは、フロイトがいう「反復強迫」である。実は、反復強迫は、キルケゴールのいう反復ではなくて想起であり、同一的なものの再現なのである。ここには、この他者は存在しない。たんに、法則的(構造的)な再現(表象)があるだけだ。>
(柄谷行人『探究2』文庫版15頁)
http://blog.livedoor.jp/captainahab/archives/50551139.html
*
反復と一般性の区別の三つのレベル
行動、新エロイーズ(ルソー)
法、 ニーチェ、キルケゴール
概念、カント →概念の阻止へ エピクロス1/カント∞
概念の「阻止」(bloquer、固定、凍結)は以下のように横軸が
条理化されることを意味するだろう。
観 念
:
普遍性
(法) |(反復)
概 一 | 特
・・般十十十十十十十殊
念 性 | 性
(概念)|(行動)
単独性
カントも参照される権利上の概念の問題は、動的概念、
さらには図の縦軸に当たる観念=イデアを準備する。
NAMs出版プロジェクト: ドゥルーズ『差異と反復』:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_20.html?m=0#_0000
差異、所与の起源=x(336頁)
チャート図:『差異と反復』>>14
_______|_________
| |同一性と
差異__|__反復 |対立の哲学
_|_ | |ハイデガー
| | 0序論>>4 |
一それ自身における差異| _|_ |
|>>5| | | |
ショーペンハウアー | | 反復と一般性の区別>>111|
| | | _|_ >>696|
| アリストテレス| | | | |
| | | 行動、法、概念 |
一義性と差異 | | _|_ |
| | | _|_ | |
スコトゥス、 | | | | 固定(阻止) |
スピノザ、 | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
ニーチェ | | |
| |二それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
| ライプニッツ | >>8 |
| | 時間の総合 |
| | ___|___ |
| ヘーゲル | | | |
| | 現在 過去 永劫回帰 |
| | | 潜在的無意識|ニーチェ |
| | | フロイト | |
|______| |___|___| |
| |__________|
プラトン |
| 三思考のイマージュ>>9
四差異の理念的総合 |ベルクソン
>>10カント|_________________|
>>11 |
五感覚されうるものの非対称的総合 >>12
共通感覚 | 強度の特徴 個体化 ライプニッツ
|
結論:差異と反復 >>13 ニーチェ
はじめに
序 論:反復と差異 >>4
第1章:それ自身における差異 >>5
第2章:それ自身へ向かう反復 >>7 >>8
第3章:思考のイマージュ >>9
第4章:差異の理念的総合 >>10 >>11
第5章:感覚されうるものの非対称的総合 >>12
結 論:差異と反復 >>13
Gilles Deleuze, Différence et répétition, Paris, PUF, 1968.
Avant-propos p.1 (下記pdf頁数)
Introduction : répétition et différence p.2
Chapitre premier : La différence en elle-même p.7
Chapitre II. : La répétition pour elle-même p.16
Chapitre III. : L'image de la pensée p.27
Chapitre IV. : Synthèse idéelle de la différence p.36
Chapitre V. : Synthèse asymétrique du sensible p.52
Conclusion. : Différence et répétition p.67
(Index p.81)
>「差異と反復」講義目録。
>http://www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf/deleuze_dr.pdf
ちなみに、差異と反復の関係は以下のように考えられる。
反 復
差 一
+ 般
異 性
一義性
追記:
『差異と反復』序論、概念の「阻止」(bloquer、固定、凍結)は以下のように横軸が
条理化されることを意味するだろう。
観 念
:
普遍性
(法) |(反復)
概 一 | 特
・・般十十十十十十十殊
念 性 | 性
(概念)|(行動)
単独性
カントも参照される権利上の概念の問題は、動的概念、
さらには図の縦軸に当たる観念=イデアを準備する。
*
序論における概念の「阻止」(bloquer、固定、凍結)が横軸の条理化なら、
第三章 思考のイマージュにおける公準は縦軸の条理化であろう。
観 念
:
普遍性
(法) 十(反復) 思考
十 共通感覚
十 再認
概 特 十 一 表象
・・殊ーーー十ーーー般
念 性 十 性 誤謬
十 指示
十 解
(概念)十(行動) 知
単独性
第三章 思考のイマージュ
哲学における前提の問題 (ヘーゲル、デカルト)
◯第一の公準――普遍的本性タル《思考》の権利 (ニーチェ)
◯第二の公準――常識〔共通感覚〕の理想
◯第三の公準――再認というモデル
思考とドクサ (ベルクソン、カント)
カントにおける《批判》の両義性
◯第四の公準――表象=再現前化のエレメント
諸能力の差異=微分的理論
諸能力の不調和的使用――暴力とそれぞれの能力の限界
プラトン哲学の両義性 (プラトン『国家』)
思考するということ――思考におけるその発生 (ハイデガー、アルトー)
◯第五の公準――誤謬という「否定的」なもの (プラトン『テアイテトス』)
愚劣の問題 (ショーペンハウアー、フローベール『ブヴァールとペキュシェ』)
◯第六の公準――指示の特権 (ラッセル)
意味と命題 (アルトー、デカルト、フローベール、ルイス・キャロル)
意味のパラドックス (ルイス・キャロル)
意味と問題
◯第七の公準――解の様相
新理論における解の錯覚
問題というカテゴリーの存在論的重要性と認識論的重要性 (プロクロス)
「学ぶ」ということは何を意味するのか
◯第八の公準――知という結果
差異と反復の哲学に対する障害としての諸公準の要約 (ニーチェ、プラトン『メノン』)
1 |5☆
|
____|____
2、3|6、7
4 | 8
(公準6、7、8を起点にして最初から回転させれば本書全体と同じ構造である。)
NAMs出版プロジェクト: ドゥルーズ『差異と反復』:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_20.html?m=0#_3
かなり昔に読んだが、最近哲学史の知識を頭に入れて読み返したら、ドゥルーズ本人の最高作というよりはハイデガー『存在と時間』を超える20世紀を代表する圧倒的著作ではないかと思うようになった。
文庫で読める最近の若者が羨ましい。
ただ本書は「コラージュ」というより、マーブルチョコの混じったウェディングケーキのように構成されていて、哲学史の知識とともに全体像を把握してから読まないと、面白さがわからないかもしれない。
多少恣意的だが、大体の全体像は以下のようになっている。
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別 反復=イデア|
ショーペンハウアー | | ___|___ |
| | |行動 法/キル 概念 |
| アリストテレス| ケゴール__|__留保、阻止|
|種異、類差、範疇| 裸___|___着衣 |
一義性と差異 | | | |
スコトゥス、スピノザ| | 二:| ヒューム |
ニーチェ | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
| ライプニッツ |___時間の総合 デカルト |
| ヘーゲル | カント |
|______| 現在__過去__円環 |
| マルクス | | | |
ハイデガー フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
プラトン『ソピステス』 見せかけ |______|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ プラトン
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 /良識、共通感覚 結論:差異と反復 存在=
現働的 ダーウィン ニーチェ 差異
個体化 個体的差異 強度の特徴 永遠回帰における反復
欠点としてはマルクスの名前があるのにプルードンの名前がないことだ。系列の思想家として彼は不可欠な存在だ。潜在的なものの実在化は歴史的には政治革命から社会革命への転換に対応する。
サミュエル・バトラー『エレホン』関連:
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/ktm3w/rays0110.html
ドゥルーズは、《今ここnowhere》をひっくり返して《エレホンerewhon》といった
サミュエル・バトラーを称賛した…
http://deleuze.web.fc2.com/DR-1.html
「しかし経験論は、概念をまさにある出会いの対象として<ここ-いま>としてあるいは
エレホンとして取り扱う。」
「私たちは起源的な『どこにもないもの』と置き換えられ、偽装され、変容され、常に再
創造される『ここと今』を同時に意味するものとしてエレホンを発見するのである。」
(『差異と反復』「はじめに」単行本15~16頁)
http://urag.exblog.jp/15902022/
「ユートピアは無限運動から切り離しえない。ユートピアは、語源からして〔「どこに
もない場所」を意味し〕、絶対的脱領土化を指すのだが、ただしつねに臨界点において
――すなわち絶対的脱領土化が、現前している相対的な中間=環境と連結し、とりわけ
そうした中間=環境のなかで窒息した諸力を連結するようになる臨界点において――絶
対的脱領土化を指す。ユートピア論者サミュエル・バトラーが用いた言葉「エレホン
Erewhon」は、たんに《No-where》つまり「どこにもない」だけでなく、《Now-here》
つまり「いま-ここ」をも指し示している。重要なのは、いわゆる空想的社会主義と科学
的社会主義との区別ではなく、むしろ、様々なタイプのユートピアなのであって、革命は
そのひとつである」(『哲学とは何か』文庫版172頁)。
『エレホン』本文邦訳(途中まで?)
http://page.freett.com/rionag/butler/erewhon.html
タルド関連(上81,214-455,456,下356頁他):
開かれたモナド。存在=所有に目を向けた相互主義。
ショーペンハウアーの意志を「信念と欲望」の二元論、精神の一元論に分けた。『模倣の法則』、『社会法則』。「あらゆる事物は社会であり、あらゆる現象は社会的事実である」(『モナドロジーと社会学』邦訳163頁)
「モナドには、そこを通って何かが出たり入ったりする窓はない」(Leibniz, 1840: La monadologie, Delagrave, 1995. 清水富雄他訳『ライプニッツ:モナドロジー、形而上学』、中央公論社、2005年, p.144)。ライプニッツのよく知られた記述である。後にタルドはこれに 修正を加えて、「モナドが開いていて、相互に浸透し合っていると考えること で」ライプニッツのモナドが抱えた神秘主義的な謎を解決できるとした(Tarde, G., 1895: Monadologie et sociologie, Institut Synthélabo, 1999.p.56, 村澤真保呂・ 信友建志訳『社会法則/モナド論と社会学』、河出書房新社、2008年, 160~161頁)。タルドのネオ・モナドロジーにおいては、ライプニッツ のような、予定調和を可能にする超越的審級は存在しない。 ただし、ライプニッツのこの言葉には注意が必要である。「モナドは無窓で あるどころかモナドそのものが全面的に窓である。...<モナドに窓がない>と いう箇所は、<ものが出はいりする>窓がないというだけの、きわめて軽い意味で言われているにすぎない」(下村寅太郎、2005:「来るべき時代の設計者」、清水富雄他訳『ライプニッツ:モナドロジー、形而上学』、中央公論社、2005年所収、72-72頁)。
マルクス関連(第四章他):
差異と反復〈下〉 (文庫) 感想 ジル ドゥルーズ - http://book.akahoshitakuya.com/b/4309462979
「経済とは、社会的弁証法そのものであり、(略)既定の社会について立てられる諸問題の総体、あるいは既定の社会についての総合的かつ問題提起的な場である」(56ページ)。そして、「社会問題は、経済的な問題としてしか存在しない」(57ページ)284
『ブリュメール十八日』(第二章150頁)
『資本論』(第四章283,313頁)
『経済学批判』(第四章284,503頁)
「人間が立ちむかうのはいつも自分が解決できる問題だけである」(『ベルクソンの哲学』邦訳6頁参照)
『資本論』(第四章283,313頁)
『経済学批判』(第四章284,503頁)
「人間が立ちむかうのはいつも自分が解決できる問題だけである」(『ベルクソンの哲学』邦訳6頁参照)
補足:
ハイデガー関連:
『形而上学とは何か』111
『思惟とは何の謂いか』225,226-466
『カントと形而上学の問題』305-471
『存在と時間』466
アルトー関連(思考するということ230-467):
アルトー全集序言より(邦訳全集6~8頁参照)
http://barrel.ih.otaru-uc.ac.jp/bitstream/10252/746/1/RLA_98_111-132.pdf
<…我こそは存在する人間だ,先天的に存在する人間だと信じている馬鹿者どもがいる。かく言う私は,存在せんがためには生得のものを鞭打たざるをえない人間なのだ。生まれついて一個の存在たるべく運命づけられた者,すなわちあのけちな犬小屋,おお,不可能性の雌犬どもを詰め込んだけちな犬小屋を鞭打たねばならぬ人間なのだ。
… 文法の下に,思考があるが,こいつは文法以上に頑強でやっつけにくい恥知らずな奴であり,これが人間に生まれついての事実だと思い込んだら,もう乗り越えるのも困難な気難しくて取りつく島のない処女なのだ。 なぜなら,思考は立派な年増女だが,いつでもそこにいたわけではないからだ。…>
ニーチェ関連:
ツァラトゥストラ、ドゥルーズ引用箇所、
ハイデガー関連:
『形而上学とは何か』111
『思惟とは何の謂いか』225,226-466
『カントと形而上学の問題』305-471
『存在と時間』466
アルトー関連(思考するということ230-467):
アルトー全集序言より(邦訳全集6~8頁参照)
http://barrel.ih.otaru-uc.ac.jp/bitstream/10252/746/1/RLA_98_111-132.pdf
<…我こそは存在する人間だ,先天的に存在する人間だと信じている馬鹿者どもがいる。かく言う私は,存在せんがためには生得のものを鞭打たざるをえない人間なのだ。生まれついて一個の存在たるべく運命づけられた者,すなわちあのけちな犬小屋,おお,不可能性の雌犬どもを詰め込んだけちな犬小屋を鞭打たねばならぬ人間なのだ。
… 文法の下に,思考があるが,こいつは文法以上に頑強でやっつけにくい恥知らずな奴であり,これが人間に生まれついての事実だと思い込んだら,もう乗り越えるのも困難な気難しくて取りつく島のない処女なのだ。 なぜなら,思考は立派な年増女だが,いつでもそこにいたわけではないからだ。…>
ニーチェ関連:
ツァラトゥストラ、ドゥルーズ引用箇所、
『ツァラトゥストラはこう言った 』第二部
46 最も静かな時
Die stillste Stunde
(『差異と反復』第二章文庫上255,単行本151。第四部82「微(きざし)」にも言及あり)
46 最も静かな時
Die stillste Stunde
(『差異と反復』第二章文庫上255,単行本151。第四部82「微(きざし)」にも言及あり)
『ツァラトゥストラはこう言った 上』
そして、声なき声は、最後にこう言った。「おお、ツァラトゥストラよ、あなたの育てた果実は熟れているのです。熟れていないのは、あなた自身のほうです!
だから、あなたはふたたびあなたの孤独にもどりなさい。あなたはさらに熟れなければならないのです。」岩波文庫上257頁
第三部 50 日の出前 Vor Sonnen-Aufgang *そして、声なき声は、最後にこう言った。「おお、ツァラトゥストラよ、あなたの育てた果実は熟れているのです。熟れていないのは、あなた自身のほうです!
だから、あなたはふたたびあなたの孤独にもどりなさい。あなたはさらに熟れなければならないのです。」岩波文庫上257頁
62 七つの封印 Die sieben Siegel
第四部 75 「ましな人間」について Vom höheren Menschen
以上、単行本結論421-478,文庫下301-365頁。
27及び440頁以下(「環帰しないもの」)で永遠回帰が問われている2箇所が指摘される。
第三部 「幻影と謎」48,「快癒しつつある者」59
「まぼろしと謎について」(ツァラトゥストラ 下 第3部 光文社古典新訳文庫 ニーチェ):
<「直線はみんな噓つきだ」と、軽蔑したように小人がつぶやいた。「真理はみんな曲線だ。時間だって円だろう」
「おい、重さの霊!」と、俺は怒って言った。「そう簡単に言うな! お前なんか、しゃがんだまま、置き去りにしてやろうか、足萎えよ。──こんな高いところにまで運んでやったのは、俺なんだぞ!
よく見るんだ」と、俺はしゃべりつづけた。「この瞬間を! 瞬間という名のこの門道から、永遠に長い道が後ろ向きにつづいている。後ろにあるのは永遠だ。 >
「回復しかかっている者」(ツァラトゥストラ 下 第3部 光文社古典新訳文庫 ニーチェ):
<──あの怪獣の蛇が這ってきて俺の喉に入りこみ、俺の息を詰まらせた! だが俺はその頭を嚙み切って、吐き出した。
するとお前たちは、──もう、そのことを手回しオルガンの歌にしたのか? それなのに俺はまだ横になっている。嚙み切って吐き出したことで疲れ、自分を救ったことで病気になっている。
しかしお前たちは一部始終を見物していたのか? おお、鷲と蛇よ、お前たちも残酷なのか? 俺の大きな痛みを、お前たちは、人間たちが見物するように見物していたのか? 人間は、もっとも残酷な動物だからな。>
(以上『差異と反復』序論27頁、文庫34頁参照)
<「直線はみんな噓つきだ」と、軽蔑したように小人がつぶやいた。「真理はみんな曲線だ。時間だって円だろう」
「おい、重さの霊!」と、俺は怒って言った。「そう簡単に言うな! お前なんか、しゃがんだまま、置き去りにしてやろうか、足萎えよ。──こんな高いところにまで運んでやったのは、俺なんだぞ!
よく見るんだ」と、俺はしゃべりつづけた。「この瞬間を! 瞬間という名のこの門道から、永遠に長い道が後ろ向きにつづいている。後ろにあるのは永遠だ。 >
「回復しかかっている者」(ツァラトゥストラ 下 第3部 光文社古典新訳文庫 ニーチェ):
<──あの怪獣の蛇が這ってきて俺の喉に入りこみ、俺の息を詰まらせた! だが俺はその頭を嚙み切って、吐き出した。
するとお前たちは、──もう、そのことを手回しオルガンの歌にしたのか? それなのに俺はまだ横になっている。嚙み切って吐き出したことで疲れ、自分を救ったことで病気になっている。
しかしお前たちは一部始終を見物していたのか? おお、鷲と蛇よ、お前たちも残酷なのか? 俺の大きな痛みを、お前たちは、人間たちが見物するように見物していたのか? 人間は、もっとも残酷な動物だからな。>
(以上『差異と反復』序論27頁、文庫34頁参照)
第三部59 快癒に向かう者 Der Genesende
「手回しオルガン(手まわし風琴)」序論27頁,文庫上34、第二章146,文庫上251
第四部
75 「ましな人間」について Vom höheren Menschen
(『差異と反復』結論文庫下301,単行本421-478)
82「微(しるし)」Das Zeichen
(『差異と反復』第二章文庫上255,単行本151)
*
日の出前、50、第三部:
おお、頭上の空よ、あなたは清らかだ! 深い! 光の深淵だ! あなたを見ていると、俺は神のような欲望にかられて身ぶるいする。
あなたの高さのなかへ俺を投げあげること──それが、俺の深さだ! あなたの清らかさのなかに俺が避難すること──それが、俺の無邪気さだ!
神をおおい隠しているのは、神の美しさだ。
7つの封印、62、第三部:
創造の息が俺に吹きかけられたとき。偶然たちに星の輪舞を無理やり踊らせる、あの天国の必然の息が俺に吹きかけられたとき。
俺が、創造の稲妻のように笑ったとき。実行役の長い雷鳴は、ゴロゴロ言いながら、しかし従順に、いつも稲妻のあとを追いかけるのだが。
俺が、この地上の神々のテーブルで、神々とサイコロで遊んで、地面が震えて破れ、火流を噴き上げたとき。──
──なにしろ神々のテーブルはこの地上なのであり、創造の新しい言葉や神々の投げたサイコロで震えるのだから。──
そんなとき、おお、俺は永遠を激しく求めているはずだ。指輪のなかの指輪である結婚指輪を──回帰の輪を激しく求めているはずだ!
…
ほんのちょっとだけ理性を混入することは、たしかに可能だ。どんなものごとにおいても確実に可能なのだと、俺は幸せにも気がついた。どんなものごとも、どちらかというと偶然のステップを踏んで──ダンスしているのだ。
おお、頭上の空よ、あなたは清らかだ! 高い! あなたが清らかなのは、永遠の理性という蜘蛛がなく、その蜘蛛の巣もないからだ。──
あなたが、神の偶然のダンス・フロアになっているからだ。あなたが、神のサイコロ遊びのため、神のテーブルになっているからだ!
高級な人間について、75、第四部:
14
おずおずと、恥ずかしそうに、ぎこちなく、まるで跳びそこなったトラみたいに、君たちが、高級な人間よ、そっと姿を消すのを、俺はしばしば見てきた。いい目が出なかったのだ。
しかし、サイコロ賭博師である君たちにとって、それがどうした! 賭博をしたら、運を嘲笑する必要があるのだが、君たちはそれを学ばなかったのだ! 俺たちはいつも、賭博と嘲笑の大きなテーブルについているのではないか?
そして君たちが大きなことに失敗したからといって、君たち自身が──失敗作なのだろうか? そして君たち自身が失敗作だったからといって、人間というものが──失敗作だろうか? 人間というものが失敗作だったとしても、ふん! 気にするな!
日の出前、50、第三部:
おお、頭上の空よ、あなたは清らかだ! 深い! 光の深淵だ! あなたを見ていると、俺は神のような欲望にかられて身ぶるいする。
あなたの高さのなかへ俺を投げあげること──それが、俺の深さだ! あなたの清らかさのなかに俺が避難すること──それが、俺の無邪気さだ!
神をおおい隠しているのは、神の美しさだ。
7つの封印、62、第三部:
創造の息が俺に吹きかけられたとき。偶然たちに星の輪舞を無理やり踊らせる、あの天国の必然の息が俺に吹きかけられたとき。
俺が、創造の稲妻のように笑ったとき。実行役の長い雷鳴は、ゴロゴロ言いながら、しかし従順に、いつも稲妻のあとを追いかけるのだが。
俺が、この地上の神々のテーブルで、神々とサイコロで遊んで、地面が震えて破れ、火流を噴き上げたとき。──
──なにしろ神々のテーブルはこの地上なのであり、創造の新しい言葉や神々の投げたサイコロで震えるのだから。──
そんなとき、おお、俺は永遠を激しく求めているはずだ。指輪のなかの指輪である結婚指輪を──回帰の輪を激しく求めているはずだ!
…
ほんのちょっとだけ理性を混入することは、たしかに可能だ。どんなものごとにおいても確実に可能なのだと、俺は幸せにも気がついた。どんなものごとも、どちらかというと偶然のステップを踏んで──ダンスしているのだ。
おお、頭上の空よ、あなたは清らかだ! 高い! あなたが清らかなのは、永遠の理性という蜘蛛がなく、その蜘蛛の巣もないからだ。──
あなたが、神の偶然のダンス・フロアになっているからだ。あなたが、神のサイコロ遊びのため、神のテーブルになっているからだ!
高級な人間について、75、第四部:
14
おずおずと、恥ずかしそうに、ぎこちなく、まるで跳びそこなったトラみたいに、君たちが、高級な人間よ、そっと姿を消すのを、俺はしばしば見てきた。いい目が出なかったのだ。
しかし、サイコロ賭博師である君たちにとって、それがどうした! 賭博をしたら、運を嘲笑する必要があるのだが、君たちはそれを学ばなかったのだ! 俺たちはいつも、賭博と嘲笑の大きなテーブルについているのではないか?
そして君たちが大きなことに失敗したからといって、君たち自身が──失敗作なのだろうか? そして君たち自身が失敗作だったからといって、人間というものが──失敗作だろうか? 人間というものが失敗作だったとしても、ふん! 気にするな!
(以上、単行本結論421-478,文庫下301-365頁)
二八九 隠遁者の哲学 『 善悪の彼岸』 (光文社古典新訳文庫) より
<…すべての洞窟の背後には、もっと深い洞窟が潜んでいるのではないか、潜んでいるに違いないのではないか──表面を越えた彼方には、もっと広々として、見慣れない豊かな世界があるのではないか、あらゆる〈土台〉の下に、あらゆる「根拠づけ」の下に、さらに深淵が潜んでいるのではないか…>
ドゥルーズ『意味の論理学』(法政版324頁)参照
アリストテレス関連:
『形而上学』62,63~,485
『トピカ』244,467
カント関連:
『プロレゴメナ』
序論
「自然的阻止」の三つの事例と反復――名目的諸概念、自然の諸概念、自由の諸概念
36,347
http://www.k-mogi46.info/index.php?
<カントは『プロレゴメナ』のなかで、次のような問いを立てている。「私の手、もしくは私の耳に似ていて、あらゆる点でこれに等しいものとしては、鏡におけるその映像以上のものがありうるであろうか? それでもなお、私は、鏡に見られるような手をその現物に位置に置くことはできない。なぜなら、この現物が右手であったとすると、鏡のなかの手は左手であるし、また、右耳の映像は左耳であって、この左耳は決して前者の代わりをすることはできないからである。…一方の手の手袋は、他方の手に使用することはできない。それではこれをどう解決するか?」(理想社 カント全集第六巻「プロレゴメナ」超越論的主題問題 第一篇 第十三節 p.243、岩波文庫 p.75~)>
カントの基本図式は以下。
ショーペンハウアーによる四つの根拠律、さらには柄谷の冒頭図及び交換図と比較すべきだ。
分 析
|
量 | 質
規____|____反
定 | 省
関係 | 様相
|
総 合
ヒューム関連(第二章冒頭119頁):
http://blog.livedoor.jp/iwantobelieve/archives/67915918.html
<必然性はつねに原因と結果に帰せられているので、そういう因果の関係にあるとされている二つの対象に目を向けて、それらが置かれている自体の全てにわたって、これらの対象を吟味してみる。二つの対象が時間的、場所的に近接していること、また、原因とよばれる対象の方が結果とよばれるもう一つの対象よりも先行することに気づく。さらに視野を広げて、いくつかの実例をひっくるめると似かよった近接と継起の関係にあることに気づく。反復作用はすべての点で同じというのではなく、新しい印象を生み、さらにそれによって、いま吟味している観念を生むことを見出すのである。なぜなら、たびたび反復してゆくと、対象の一方が現れれば、心は習慣によって規定されて、それにいつも伴っているものを考えるように、それも初めの対象との関係のゆえに、はるかに強い明るさで考えるようになるのがわかるからである。そうすると、必然性の観念を与えるのは、この印象、いいかえるとこの規定なのである。>
(中公クラシックス『人性論』、岩波文庫『人性論』1:3:14,第一巻241頁参照)
|
量 | 質
規____|____反
定 | 省
関係 | 様相
|
総 合
ヒューム関連(第二章冒頭119頁):
http://blog.livedoor.jp/iwantobelieve/archives/67915918.html
<必然性はつねに原因と結果に帰せられているので、そういう因果の関係にあるとされている二つの対象に目を向けて、それらが置かれている自体の全てにわたって、これらの対象を吟味してみる。二つの対象が時間的、場所的に近接していること、また、原因とよばれる対象の方が結果とよばれるもう一つの対象よりも先行することに気づく。さらに視野を広げて、いくつかの実例をひっくるめると似かよった近接と継起の関係にあることに気づく。反復作用はすべての点で同じというのではなく、新しい印象を生み、さらにそれによって、いま吟味している観念を生むことを見出すのである。なぜなら、たびたび反復してゆくと、対象の一方が現れれば、心は習慣によって規定されて、それにいつも伴っているものを考えるように、それも初めの対象との関係のゆえに、はるかに強い明るさで考えるようになるのがわかるからである。そうすると、必然性の観念を与えるのは、この印象、いいかえるとこの規定なのである。>
(中公クラシックス『人性論』、岩波文庫『人性論』1:3:14,第一巻241頁参照)
ヒュームの知性論:
知覚(perception)=意識
/ \単純
印象(impression)__観念(idea)__複合
直接、複数 |再現、反省 観念
想像 (実体*、
/ \ 様相、
連想能力 比較する原理=関係1~7)
/ \/ \
b/ *c/\a \
接近、7因果、1類似_4量_5質_6反対_
| | __3時空_2同一性 |
| | | (源泉) |
| (蓋然性) | (数学的、確実性)
|________|
知覚(perception)=意識
/ \単純
印象(impression)__観念(idea)__複合
直接、複数 |再現、反省 観念
想像 (実体*、
/ \ 様相、
連想能力 比較する原理=関係1~7)
/ \/ \
b/ *c/\a \
接近、7因果、1類似_4量_5質_6反対_
| | __3時空_2同一性 |
| | | (源泉) |
| (蓋然性) | (数学的、確実性)
|________|
連想の性質である接近と関係の性質である時空は後者が前者の源泉であり実質同じ。
ここから、連想は蓋然的であり因果と同一性を除く関係性は確実的であるという結論になる。
ここから、連想は蓋然的であり因果と同一性を除く関係性は確実的であるという結論になる。
(『人性論』1:1:4~6より)
実体もまた単純観念の集まりで、様相に比べて因果性があるだけだとされる。
実体を後回しに定義するあたりが帰納法的を駆使する経験論らしい。
実体を後回しに定義するあたりが帰納法的を駆使する経験論らしい。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/m/pages/82.html
ヒュームは人間の「知覚(perception)」を、「印象(impression)」と「観念(idea)」に分ける。印象とは直接的に与えられた知覚であり、そうした印象が組み合わされたり、また後に記憶や想像によって再現されたものが観念である。つまりヒュームは「知覚」という語を「意識」とほぼ同じ意味で用いている。
ヒュームは知覚の重要な原則として、われわれの別個な知覚はすべて別個の存在であること、そしてその別個の存在の真の結合をわれわれは何も知覚しないこと、という二つを挙げ、その二つの原則は両立しない矛盾したものと考えていた。
ヒュームは「想像」を、観念どうしを結びつける連想能力として、「類似」「接近」「因果」の三つの原理に分ける。また、観念を比較する原理として、「類似」「量」「質」「反対」「同一性」「時空」「因果」の七つを想定した。それらのうち「類似」「量」「質」「反対」は、比較される観念にのみ依存する数学的性質をもち、確実性があるとした。それに対して「同一性」「時空」「因果」は、経験に依存し、蓋然性をもつとした。
ヒュームはどんなに高度で複雑な観念(複合観念)でも、それは構成要素としての個々の観念に分解されるのだと考えた。そしてそれらの観念は必ずそれに対応する印象を背後にもっている。したがって、どんなに抽象的な観念も、それ自体においては個体的な要素を中に含んでいる。たとえば我々が人間という観念を持つ場合、我々は個別の人間を離れた普遍――抽象観念としての人間を表象するわけではなく、自分がこれまでに見てきた多くの具体的な人間を束にして表象しているに過ぎない。
ヒュームは人間の「知覚(perception)」を、「印象(impression)」と「観念(idea)」に分ける。印象とは直接的に与えられた知覚であり、そうした印象が組み合わされたり、また後に記憶や想像によって再現されたものが観念である。つまりヒュームは「知覚」という語を「意識」とほぼ同じ意味で用いている。
ヒュームは知覚の重要な原則として、われわれの別個な知覚はすべて別個の存在であること、そしてその別個の存在の真の結合をわれわれは何も知覚しないこと、という二つを挙げ、その二つの原則は両立しない矛盾したものと考えていた。
ヒュームは「想像」を、観念どうしを結びつける連想能力として、「類似」「接近」「因果」の三つの原理に分ける。また、観念を比較する原理として、「類似」「量」「質」「反対」「同一性」「時空」「因果」の七つを想定した。それらのうち「類似」「量」「質」「反対」は、比較される観念にのみ依存する数学的性質をもち、確実性があるとした。それに対して「同一性」「時空」「因果」は、経験に依存し、蓋然性をもつとした。
ヒュームはどんなに高度で複雑な観念(複合観念)でも、それは構成要素としての個々の観念に分解されるのだと考えた。そしてそれらの観念は必ずそれに対応する印象を背後にもっている。したがって、どんなに抽象的な観念も、それ自体においては個体的な要素を中に含んでいる。たとえば我々が人間という観念を持つ場合、我々は個別の人間を離れた普遍――抽象観念としての人間を表象するわけではなく、自分がこれまでに見てきた多くの具体的な人間を束にして表象しているに過ぎない。
ショーペンハウアー関連:
第一章「差異は一つの形式においてすなわち有機的な表象=再現前化の首尾一貫したエレメントにおいて、規定作用そのものを他の諸規定に関係させることができるのではないだろうか(と思われている)。」充足理由の4つのアスペクトは媒介の四つの諸形式である、「同一 性と対立、類比と類似という四重の根に首尾よく差異を服従させてしまうかぎり、人は差異は表象=再現前化において媒介されているというだろう。」
「してみると、問題は、差異がいわば概念と和解している幸福な契機一をギリシャ的な幸福な契機一を規定することにある。」(p59)
同一性| 類似
ーーー十ーーー
対立 | 類比
ーーー十ーーー
対立 | 類比
生成行為
存在認識
ベルクソン関連:
★ベルクソンの「生命」は「植物」「動物」。
ベルクソンの生命の捉え方を「差異化の概略的シェーマ」(『創造的進化』第二章)としてジル・ドゥルーズ(1995)が示している(『ベルクソンの哲学』邦訳p114)。ドゥルーズは、「生命」とは、「動物」と「植物」であり、「物質」を除いているのである。
差異化の概略的シェーマ(『創造的進化』第二章)
物質 __|さまざまな世界。そしてそれぞれの世界に物質のもろもろのタイプがあり、
(弛緩) |それは、生命が回避すべき外的・内的な障害として出現する。
/
記憶-持続 植物:葉緑素の作用(連続的にエネルギー|/炭素同化作用
\ / を蓄積し、爆薬を貯蔵する。) |\窒素同化作用
生命
(収縮) 非中心化した神経系:本能
\動物:神経系(非連続的にエネ| / 物質の外在化と支配
ルギーを消費し、爆薬を| \中心化した神経/
爆発させる。) | \生命の転換と包括(直観)
| 系:知性
ベルクソンの生命の捉え方を「差異化の概略的シェーマ」(『創造的進化』第二章)としてジル・ドゥルーズ(1995)が示している(『ベルクソンの哲学』邦訳p114)。ドゥルーズは、「生命」とは、「動物」と「植物」であり、「物質」を除いているのである。
差異化の概略的シェーマ(『創造的進化』第二章)
物質 __|さまざまな世界。そしてそれぞれの世界に物質のもろもろのタイプがあり、
(弛緩) |それは、生命が回避すべき外的・内的な障害として出現する。
/
記憶-持続 植物:葉緑素の作用(連続的にエネルギー|/炭素同化作用
\ / を蓄積し、爆薬を貯蔵する。) |\窒素同化作用
生命
(収縮) 非中心化した神経系:本能
\動物:神経系(非連続的にエネ| / 物質の外在化と支配
ルギーを消費し、爆薬を| \中心化した神経/
爆発させる。) | \生命の転換と包括(直観)
| 系:知性
参考:
小林秀雄について(ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』ヘの書き込み):メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/04/blog-post_12.html
ヘーゲル関連(序論53~4-484,第一章81-456,82-487):
小林秀雄について(ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』ヘの書き込み):メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/04/blog-post_12.html
ヘーゲル関連(序論53~4-484,第一章81-456,82-487):
ヘーゲル「改訳 大論理学 中巻」『ヘーゲル全集7』(武市健人訳、岩波書店、66頁、81~2頁参照)
<差異一般はすでに即自的な矛盾である。>
http://blog.goo.ne.jp/maxikon2006/e/2069b0e8aeef9c25d868701daad7fe9c
08、区別一般はすでに潜在的に矛盾である。というのは、区別は、両規定が一体ではない限りでのみ存在する・そのような両規定の統一であり、──また同一の関係のうちで分離されている規定としてのみ存在する・そのような両規定の分離であるからである。だが肯定的なものと否定的なものとは、否定的統一としてのそれらがみずから自分自身を定立する運動でありながら・この同じ観点において〔両者の〕おのおのが自分を揚棄しておのれの反対のものを定立する運動であるのだから、定立された矛盾である。──両者は排除する反省として規定的反省をなしている。排除する運動は一つの区別する運動であって、区別されたもののおのおのが排除するもの自身として全体的な排除する運動なのであるから、おのおのはそれ自身のうちで自己を排除しているのである。(大論理学第2巻49頁、寺澤恒信訳)
08、区別一般はすでに潜在的に矛盾である。というのは、区別は、両規定が一体ではない限りでのみ存在する・そのような両規定の統一であり、──また同一の関係のうちで分離されている規定としてのみ存在する・そのような両規定の分離であるからである。だが肯定的なものと否定的なものとは、否定的統一としてのそれらがみずから自分自身を定立する運動でありながら・この同じ観点において〔両者の〕おのおのが自分を揚棄しておのれの反対のものを定立する運動であるのだから、定立された矛盾である。──両者は排除する反省として規定的反省をなしている。排除する運動は一つの区別する運動であって、区別されたもののおのおのが排除するもの自身として全体的な排除する運動なのであるから、おのおのはそれ自身のうちで自己を排除しているのである。(大論理学第2巻49頁、寺澤恒信訳)
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~irie/ronbunlist/papers/PAPER1.HTM
知と対象は、さしあたり、互いに無関心な(gleichgueltig)なもので、独立のものである。このような区別は、ヘーゲルの論理学では、差異性(Verschiedenheit)と呼ばれている。彼によれば、「それ(外面的区別=差異性)は、比較において、比較するものに帰属している否定性である。比較するものは……両者の否定的統一である。」そして、「その互いに無関心な側面が、またそのまま全くただ一つの否定的統一の契機にすぎないような差異性は、対立である。」更に、「区別一般は、すでに即自的な矛盾である。というのは、区別は、一つのものでない限りでのみ存在する(二つの一ものの統一であると共に、またその同じ関係において分離されたものとしてのみ存在するそのような(二つの)ものの分離でもあるからである。」そして、この「矛盾は、あらゆる運動と生命性の根本(dei Wurzel)である。」おそらく、このような論理が、知と対象の区別から、必然的に両者の不対応が結果することの背後に考えられているのだろう。それ故に、次のように語られる。「意識の内で、自我とその対象である実体との間に生じる不等性は、それら(両者)の区別であり、否定的なもの一般である。この否定的なものは、両者の欠陥と見なされうるが、しかし、それらの魂ないしそれらを動かすものである。」(S.32 傍点引用者)
知と対象は、さしあたり、互いに無関心な(gleichgueltig)なもので、独立のものである。このような区別は、ヘーゲルの論理学では、差異性(Verschiedenheit)と呼ばれている。彼によれば、「それ(外面的区別=差異性)は、比較において、比較するものに帰属している否定性である。比較するものは……両者の否定的統一である。」そして、「その互いに無関心な側面が、またそのまま全くただ一つの否定的統一の契機にすぎないような差異性は、対立である。」更に、「区別一般は、すでに即自的な矛盾である。というのは、区別は、一つのものでない限りでのみ存在する(二つの一ものの統一であると共に、またその同じ関係において分離されたものとしてのみ存在するそのような(二つの)ものの分離でもあるからである。」そして、この「矛盾は、あらゆる運動と生命性の根本(dei Wurzel)である。」おそらく、このような論理が、知と対象の区別から、必然的に両者の不対応が結果することの背後に考えられているのだろう。それ故に、次のように語られる。「意識の内で、自我とその対象である実体との間に生じる不等性は、それら(両者)の区別であり、否定的なもの一般である。この否定的なものは、両者の欠陥と見なされうるが、しかし、それらの魂ないしそれらを動かすものである。」(S.32 傍点引用者)
『精神現象学』(『差異と反復』第三章255,第四章291)
『フィヒテとシェリングの哲学体系の差異』(第五章336)「良識とは…」
『差異と反復』第四章におけるドゥルーズによる量-質-度(強度)の三幅対はヘーゲルを転用したもの。ヘーゲルは同一性をドゥルーズは潜在性を強化する(度の代わりに累乗の潜在力=微分というよりも積分?~316頁~が採用される)。プラトン、ライプニッツ、カント、ハイデガーへの言及ほど目立たないが、ヘーゲルこそがドゥルーズの第一の仮想敵なのだ。
ライプニッツ関連:
ライプニッツ:
予定調和説
最善説
/神\
/ \
無窓説 無窓説
/ 予定説 \
/ 微積分 \デカルト
思惟/汎心論①①①①①動力学\延長説
モナド
スピノザ
無=目的論的
エルドマン「モナドの神への依存性を本気にとるとすると、モナドの
実体性は消滅の危機に瀕し、ライプニッツはスピノチスムスに近づく」
(三宅剛一 『学の形成と自然的世界』 1941年 403頁より)
デカルト関連(第三章冒頭他):
デカルト『哲学原理』(岩波文庫、1964年)
http://kazumin.de-blog.jp/blog/2011/08/1964_6d4e.html
http://fr.wikipedia.org/wiki/Th%C3%A9ories_scientifiques_de_Descartes
(仏訳者への書簡より)
「哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から
出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します、すな
わち医学、機械学および道徳、ただし私の言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする究極
の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。」(p. 29)
« Ainsi toute la philosophie est comme un arbre, dont les racines sont la métaphysique, le tronc est la physique et les branches qui sortent de ce tronc sont toutes les autres sciences qui se réduisent à trois principales, à savoir la médecine, la mécanique et la morale, j'entends la plus haute et la plus parfaite morale, qui, présupposant une entière connaissance des autres sciences, est le dernier degré de la sagesse. »
Les Principes de la philosophie, lettre-préface de l'auteur
デカルト、哲学の木。
道徳が「知恵の最後の段階」にくる。
道徳学
|◯ 機械学
医学 | /◯ ◯果実→公衆へ
\◯| /
\||/ 枝、諸々のその他の学問
||
|| 幹、自然学 第二の部分 哲学原理2~4/4
-ーー||ーー-
/\/\ 根、形而上学 第一の部分
方法序説*、省察**、哲学原理1/4
参考:中公世界の名著325頁
この前段の学問に、日常道徳、数学を含む論理学がある。
http://3f.img.v4.skyrock.net/3215/74513215/pics/3117005059_2_3_tSvffL9U.jpg
http://real-illusion.skyrock.com/3117005059-L-Arbre-de-Descartes.html
http://kazumin.de-blog.jp/blog/2011/08/1964_6d4e.html
http://fr.wikipedia.org/wiki/Th%C3%A9ories_scientifiques_de_Descartes
(仏訳者への書簡より)
「哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から
出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します、すな
わち医学、機械学および道徳、ただし私の言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする究極
の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。」(p. 29)
« Ainsi toute la philosophie est comme un arbre, dont les racines sont la métaphysique, le tronc est la physique et les branches qui sortent de ce tronc sont toutes les autres sciences qui se réduisent à trois principales, à savoir la médecine, la mécanique et la morale, j'entends la plus haute et la plus parfaite morale, qui, présupposant une entière connaissance des autres sciences, est le dernier degré de la sagesse. »
Les Principes de la philosophie, lettre-préface de l'auteur
デカルト、哲学の木。
道徳が「知恵の最後の段階」にくる。
道徳学
|◯ 機械学
医学 | /◯ ◯果実→公衆へ
\◯| /
\||/ 枝、諸々のその他の学問
||
|| 幹、自然学 第二の部分 哲学原理2~4/4
-ーー||ーー-
/\/\ 根、形而上学 第一の部分
方法序説*、省察**、哲学原理1/4
参考:中公世界の名著325頁
この前段の学問に、日常道徳、数学を含む論理学がある。
http://3f.img.v4.skyrock.net/3215/74513215/pics/3117005059_2_3_tSvffL9U.jpg
http://real-illusion.skyrock.com/3117005059-L-Arbre-de-Descartes.html
「良識(bon sens)はこの世で最も公平に配分されているものである」(初めての哲学書『方法序説』*冒頭より)
*1637年『みずからの理性を正しく導き、もろもろの学問において真理を探究するための方法についての序説およびこの方法の試論(屈折光学・気象学・幾何学)』Discours de la méthode pour bien conduire sa raison, et chercher la verité dans les sciences(La Dioptrique,Les Météores,La Géométrie)
- 試論(屈折光学・気象学・幾何学)を除いて序説単体で読まれるときは、『方法序説』Discours de la méthodeと略す。
**1641年『省察』Meditationes de prima philosophia
欺く神 (Dieu trompeur)・ 悪い霊(genius malignus)を否定し、誠実な神を見出すために、デカルトは神の存在証明を行う。
第一証明 - 意識の中における神の観念の無限な表現的実在性(観念の表現する実在性)は、対応する形相的実在性(現実的実在性)を必然的に導く。我々の知は常に有限であって間違いを犯すが、この「有限」であるということを知るためには、まさに「無限」の観念があらかじめ与えられていなければならない。
第二証明 - 継続して存在するためには、その存在を保持する力が必要であり、それは神をおいて他にない。
第三証明 - 完全な神の観念は、そのうちに存在を含む。(アンセルムス以来の証明)
悪い霊という仮定は神の完全性・無限性から否定され誠実な神が見出される。誠実な神が人間を欺くということはないために、ここに至って、方法的懐疑によって退けられていた自己の認識能力は改めて信頼を取り戻すことになる。
欺く神 (Dieu trompeur)・ 悪い霊(genius malignus)を否定し、誠実な神を見出すために、デカルトは神の存在証明を行う。
第一証明 - 意識の中における神の観念の無限な表現的実在性(観念の表現する実在性)は、対応する形相的実在性(現実的実在性)を必然的に導く。我々の知は常に有限であって間違いを犯すが、この「有限」であるということを知るためには、まさに「無限」の観念があらかじめ与えられていなければならない。
第二証明 - 継続して存在するためには、その存在を保持する力が必要であり、それは神をおいて他にない。
第三証明 - 完全な神の観念は、そのうちに存在を含む。(アンセルムス以来の証明)
悪い霊という仮定は神の完全性・無限性から否定され誠実な神が見出される。誠実な神が人間を欺くということはないために、ここに至って、方法的懐疑によって退けられていた自己の認識能力は改めて信頼を取り戻すことになる。
「それゆえ理念は三つの契機を提示している。その対象において未規定であ ること、経験の諸対象との関連で規定可能であること、悟性概念との関連 で無限な規定作用の理想を担うこと。ここで理念がコギトの三つの局面を 反復しているのは明らかである。つまり、未規定な存在としての「私は存在する」、この存在がそのもとで規定される形式としての「時間」、規定作用としての「私は思考する」。」(DR: p.220、単行本第四章261別訳,文庫下15)
分析
規 我思う我疑う 反
定 ゆえに我あり 省
総合
規 我思う我疑う 反
定 ゆえに我あり 省
総合
デカルト、ドゥルーズ:
分 析
我 思 う
量 | 質
規____|____反
定 | 省
関係 | 様相
| 我あり
|故に
総 合
スピノザ:
分 析
|
量 | 質
規_ある_|思いつつ_反
定 | 省
関係 | 様相
|
総 合
我 思 う
量 | 質
規____|____反
定 | 省
関係 | 様相
| 我あり
|故に
総 合
スピノザ:
分 析
|
量 | 質
規_ある_|思いつつ_反
定 | 省
関係 | 様相
|
総 合
デカルト Renati Descartes 三木清訳 省察 MEDITATIONES 神の存在、及び人間の霊魂と肉体との区別を論証する、第一哲学についての DE PRIMA PHILOSOPHIA, IN QUIBUS DEI EXISTENTIA, ET ANIMAE HUMANAE A CORPORE DISTINCTIO, DEMONSTRANTUR.
五
…
<そしてここに最も注目すべきことと私の考えるのは、たとい私の外にたぶんどこにも存在しないにしても、無であるとは言われ得ない或るものの無数の観念をば私が私のところで発見するということである。かかるものは、たとい私によって或る意味で随意に思惟せられるとはいえ、私によって構像せられるのではなく、かえって自己の真にして不変なる本性を有しているのである。かくて、例えば、私が三角形を想像するとき、たぶんかような形体は私の思惟の外に世界のうちどこにも存在せず、またかつて存在しなかったにしても、それには確かにそれの或る限定せられた本性、すなわち本質、すなわち形相があるのであって、これは不変にして永遠であり、私によって構像せられたものではなく、また私の精神に依存するものでもない。このことは、この三角形について種々の固有性が、すなわち、その三つの角は二直角に等しいということ、その最も大きな角に最も大きな辺が対するということ、及びこれに類することが、論証せられ得ることから明かである。これらの固有性は、たとい以前に私が三角形を想像したときには決して思惟しなかったにしても、今は欲するにせよ欲しないにせよ私の明晰に認知するところであり、従って私によって構像せられたものではない。>
(デカルト『省察』より。『差異と反復』第三章217,上371参照)
プラトン関連:
『ポリティコス』104~
『パイドロス』105~
『メノン』109
『国家』221,232,298-504(『哲学の起源』230参照)
『テアイテトス』231~(文庫上396~7)
『クラテュロス』295-503
『ティマイオス』349,350-506
『パルメニデス』278-502,298,350
『ヒッピアス』287
『ピポレス』354
『パイドン』222,438,365-507
http://nam-students.blogspot.jp/2012/11/test_18.html
http://homepage2.nifty.com/eleutherion/lecture/politeia2004/node11.html
『国家』(第4巻12章)で哲学史上初めて「矛盾律」というものが明確に表明される。
http://homepage2.nifty.com/eleutherion/lecture/politeia2004/node11.html
『国家』(第4巻12章)で哲学史上初めて「矛盾律」というものが明確に表明される。
「いうまでもなく,同一のものが,それの同一側面において,しかも同一の ものとの関係において,同時に,相反することをしたりされたりすることは できないだろう。したがって,もし問題となっているものの間に,そういう 事態が起るのをわれわれが見出すとすれば,それらは同一のものではなくて, 二つ以上のものであったことがわかるだろう」(436B-C)
「同じものが同じものについて同時に反対の判断をもつということは,不可 能である」(602E)
「同じものを,知っていて知っていないとか,知らないでいて知っていると かいうことは不可能である。」(プラトン『テアイテトス』188A)
地下に向かう洞窟がある。普通の人間は、洞窟のa-bと書かれた線上に座っている。そこに座っている人たちは、手足を縛りつけられ、頭も固定されていて動くことができない。頭は洞窟の底のほうに向けられている。c-dの面です。iのポイントには光点が設定されており、e-fというところにちょっとした通路があります。通路には低い塀が設置されており、そこを謎の影絵遣いたちが、頭上に様々な物を掲げながら通る。すると、iに照らされた物の影が、c-dの面に映る。a-bに座っている人は、c-dに映る影絵を見ることになるわけです。プラトンはこのモデルを使って、私たちの世界認識を説明します。つまり私たちは、世界を見ているのではなく、世界の影絵を、プロジェクションを見ているというのです。そして哲学をするとは、a-bに縛り付けられた私たちが頭の向きを変え、拘束具を外し、この洞窟の外へとでていくことにほかならない。
(太陽 善のイデア)
\|/
--〇--
/|\ (地上 イデア界)
__________________
\洞窟 \
\ \______________
\i光源 |
\☆ 人形 cd|
\ ef △_ ab 影絵▲
\通路_|塀|___囚人_____|
ドゥルーズ『差異と反復』目次、
はじめに:13~
序 論:反復と差異 19~
第1章:それ自身における差異 57~
第2章:それ自身へ向かう反復 119~
第3章:思考のイマージュ 203~
第4章:差異の理念的総合 259~
第5章:感覚されうるものの非対称的総合 333~
結 論:差異と反復 391~450
原注 451~478
訳注 479~508
返信削除<観 念>
:
普遍性
へ I
概 一 I 特
…般ーー十ーー殊
念 性 I 性
V I
単独性
(p)http://3.bp.blogspot.com/-USYylEMx12o/TyNS1ue7j0I/AAAAAAAAFig/6O7dT3SOsAk/s1600/a0024841_1351018.jpg
柄谷行人『探究2』より
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに
差異__|__反復 |
_|_ 0:序論>>4 差異の哲学|同一性の哲学
| | | ハイデガー|ヘーゲル
一: >>5| | _|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
スコトゥス、 | 二: |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| | デカルト
プラトン |__________|
| 三: |>>9
四:差異の理念的総合 微分 多様体 思考のイマージュ
>>10カント|_________________|ベルクソン
>>11 | >>12
五:感覚されうるものの非対称的総合___ ニーチェ >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ |_結論:差異と反復
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに
差異__|__反復 |
_|_ 0:序論>>4 差異の哲学|同一性の哲学
| | | ハイデガー|ヘーゲル
一: >>5| | _|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
スコトゥス、 | 二: |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| | デカルト
プラトン |__________|
| 三: |>>9
四:差異の理念的総合 微分 多様体 思考のイマージュ
>>10カント|_________________|ベルクソン
>>11 | >>12
五:感覚されうるものの非対称的総合___ ニーチェ >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ |_結論:差異と反復
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに
差異__|__反復 |
_|_ 0:序論>>4 差異の哲学|同一性の哲学
| | | ハイデガー|ヘーゲル
一: >>5| | _|_反復と |
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ショーペンハウアー | | | | | |
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| アリストテレス| _|_ |
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一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
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スコトゥス、 | 二: |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
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四:差異の理念的総合 微分 多様体 思考のイマージュ
>>10カント|_________________|ベルクソン
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五:感覚されうるものの非対称的総合___ ニーチェ >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ |_結論:差異と反復
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに
差異__|__反復 |
_|_ 0:序論>>4 差異の哲学|同一性の哲学
| | | ハイデガー|ヘーゲル
一: >>5| | _|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
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ショーペンハウアー | | | | | |
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| アリストテレス| _|_ |
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スコトゥス、 | 二: |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
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| ライプニッツ 時間の総合 |
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| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
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四:差異の理念的総合 微分 多様体 思考のイマージュ
>>10カント|_________________|ベルクソン
>>11 | >>12
五:感覚されうるものの非対称的総合___ ニーチェ >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ |_結論:差異と反復
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_______|________はじめに
差異__|__反復 差異 |同一性
_|_ 0:序論>>4 の哲学|の哲学
| | | ハイデガー|ヘーゲル
一: >>5| | _|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
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ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
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一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
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スコトゥス、 | 二: |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
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| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
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プラトン |__________|
| 三: |>>9 デカルト
四:差異の理念的総合 微分 多様体 思考のイマージュ
>>10カント|_________________|ベルクソン
>>11 | >>12
五:感覚されうるものの非対称的総合___ ニーチェ >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ |_結論:差異と反復
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに
差異__|__反復 差異 |同一性
_|_ 0:序論>>4 の哲学|の哲学
| | | ハイデガー|ヘーゲル
一: >>5| | _|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
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ショーペンハウアー | | | | | |
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| アリストテレス| _|_ |
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一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
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スコトゥス、 | 二: |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
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| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
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| 三: |>>9 デカルト
四:差異の理念的総合 微分 多様体 思考のイマージュ
>>10カント|_________________|ベルクソン
>>11 | >>12
五:感覚されうるものの非対称的総合___ ニーチェ >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ |_結論:差異と反復
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
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差異__|__反復 差異 |同一性
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| | | ハイデガー|ヘーゲル
一: >>5| | _|_反復と |
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スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
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| 三: |>>9 デカルト
四:差異の理念的総合 微分 多様体 思考のイマージュ
>>10カント|_________________|ベルクソン
>>11 | >>12
五:感覚されうるものの非対称的総合___ ニーチェ >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ |_結論:差異と反復
返信削除Begin forwarded message:
差出人: 関本 洋司
日時: 2014年2月12日 2:17:40 JST
宛先: 関本洋司
件名: d
チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに
差異__|__反復 差異 |同一性
_|_ 0:序論>>4 の哲学|の哲学
| | | ハイデガー|ヘーゲル
一: >>5| | _|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
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| アリストテレス| _|_ |
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スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
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| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
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| |____|____| |
プラトン |__________|
| 三: |>>9 デカルト
四:差異の理念的総合 微分 多様体 思考のイマージュ
>>10カント|_________________|ベルクソン
>>11 |>>12
五:感覚されうるものの非対称的総合___ニーチェ >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ |_結論:差異と反復
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに
差異__|__反復 差異 |同一性
_|_ 0:序論>>4 の哲学|の哲学
| | | ハイデガー|ヘーゲル
一: >>5| | _|_反復と差異 |
それ自身における差異| |反復と一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
スコトゥス、 | 二: \ / |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| |
プラトン |__________|
| 三: |>>9 デカルト
四:差異の理念的総合 微分 多様体 思考のイマージュ
>>10カント|_________________|ベルクソン
>>11 |>>12
五:感覚されうるものの非対称的総合___ニーチェ >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ |_結論:差異と反復
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに
差異__|__反復 差異 |同一性
_|_ 0:序論>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: >>5| | _|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
スコトゥス、 | 二: \ / |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| |
プラトン |__________|
| 三: |>>9 デカルト
四:差異の理念的総合 微分 多様体 思考のイマージュ
>>10カント|_________________|ベルクソン
>>11 |>>12
五:感覚されうるものの非対称的総合___ニーチェ >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ |_結論:差異と反復
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: >>5 | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
スコトゥス、 | 二: |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| |
プラトン |__________|
| 三: |>>9 デカルト
四:差異の理念的総合 微分 多様体 思考のイマージュ
>>10カント|_________________|ベルクソン
>>11 |>>12
五:感覚されうるものの非対称的総合___ニーチェ >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ |_結論:差異と反復
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: >>5 | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
| | | |___| |
スコトゥス、 | 二: | |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| |
プラトン |__________|
| 三: |>>9 デカルト
四:差異の理念的総合 微分 多様体 思考のイマージュ
>>10カント|_________________|ベルクソン
>>11 |>>12
五:感覚されうるものの非対称的総合___ニーチェ >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ |_結論:差異と反復
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
| | | |___| |
スコトゥス、 | 二: | |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| |
プラトン |__________|
| 三: |>>9 デカルト
四:差異の理念的総合 微分 多様体 思考のイマージュ
>>10カント|_________________|ベルクソン
>>11 |>>12
五:感覚されうるものの非対称的総合___ニーチェ >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ |_結論:差異と反復
返信削除チャート式『差異と反復』>>14
_______|_________はじめに
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 0序論>>4 の哲学|の哲学
| | | ハイデガー|ヘーゲル
| >>5| _|__ |
一それ自身における差異| | 反復と一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696|
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
スコトゥス、 | | |
スピノザ、 |二それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| |デカルト
プラトン |__________|
| |>>9ベルクソン
四差異の理念的総合 三思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12 >>13
五感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
返信削除チャート式『差異と反復』>>14
_______|_________はじめに
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 0序論>>4 の哲学|の哲学
| | | ハイデガー|ヘーゲル
| >>5| _|__ |
一それ自身における差異| | 反復と一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696|
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
| | | |___| |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 |二それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| |デカルト
プラトン |__________|
| |>>9ベルクソン
四差異の理念的総合 三思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12 >>13
五感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|_________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|___ 0:序論>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
| >>5| _|__ |
一:それ自身における差異| | 反復と一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696|
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
| | | |___| |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 |二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|_______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| |デカルト
プラトン |__________|
| |>>9ベルクソン
四:差異の理念的総合 三:思考のイマージュ
>>10カント|__________________|
>>11 | >>12 >>13
五:感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
______|_________はじめに:
差異___|__反復 差異 |同一性
___|___ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
| >>5| __|_ |
一:それ自身における差異| | 反復と一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696|
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
| | | |___| |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 |二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|_______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| |デカルト
プラトン |__________|
| |>>9ベルクソン
四:差異の理念的総合 三:思考のイマージュ
>>10カント|__________________|
>>11 | >>12 >>13
五:感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
| | | |___| |
スコトゥス、 | 二: | |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| |デカルト
プラトン |__________|
| |>>9ベルクソン
四:差異の理念的総合 三:思考のイマージュ
>>10カント|__________________|
>>11 | >>12 >>13
五:感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
| | | |___| |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| |デカルト
プラトン |__________|
| |>>9ベルクソン
四:差異の理念的総合 三:思考のイマージュ
>>10カント|__________________|
>>11 | >>12 >>13
五:感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
| | | |___| |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| |デカルト
プラトン |__________|
| 微分 | >>9ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|__________________|
>>11 | >>12 >>13
五:感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
| | | |___| |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| |デカルト
プラトン |__________|
| 微分 | >>9ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|__________________|
>>11 | >>12 >>13
五:感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
| | | |___| |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| |デカルト
プラトン |__________|
| 微分 | >>9ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|__________________|
>>11 | >>12 >>13
五:感覚されうるものの_____結論:差異と反復
非対称的総合 ニーチェ
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
| | | |___| |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| |デカルト
プラトン |__________|
| 微分 | >>9ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|__________________|
>>11 | >>12 >>13
五:感覚されうるものの____結論:差異と反復
非対称的総合 ニーチェ
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
| | | |___| |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
| | | >>8 |
| | 時間の総合 |
| | ____|____ |
| | | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |デカルト
プラトン |__________|
| 微分 ライプニッツ >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12 >>13
五:感覚されうるものの____結論:差異と反復
非対称的総合 ニーチェ
共通感覚 強度の特徴 個体化
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
| | | |___| |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |デカルト
プラトン |__________|
| 微分 ライプニッツ >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 | >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
| | | |___| |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
プラトン |__________|デカルト
| 微分 ライプニッツ >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 | >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動 法 概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
| | | |___| |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
プラトン |__________|デカルト
| 微分 ライプニッツ >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 | >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | __|__ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | |行動 法 概念 |
| | | キルケ | |
| アリストテレス| ゴール _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
| | | |___| |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
プラトン |__________|デカルト
| 微分 ライプニッツ >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 | >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | __|__ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | |行動 法 概念 |
| | | キルケ | |
| アリストテレス| ゴール _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
| | | |___| |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
プラトン |__________|デカルト
| >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11ライプニッツ | >>12
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 | >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | __|__ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | |行動 法 概念 |
| | | キルケ | |
| アリストテレス| ゴール _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 留保(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
| | | |___| |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
プラトン |__________|デカルト
| >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11ライプニッツ | >>12
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 | >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | __|__ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | |行動 法 概念 |
| | | キルケ | |
| アリストテレス| ゴール _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 留保(阻止) |
| | | 裸 着衣 |
| | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
プラトン |__________|デカルト
| >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11ライプニッツ | >>12
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 | >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | __|__ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | |行動 法 概念 |
| | | vs | |
| アリストテレス|キルケゴール_|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 留保(阻止) |
| | | 裸 着衣 |
| | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
プラトン |__________|デカルト
| >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11ライプニッツ | >>12
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 | >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | __|__ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | |行動 法 概念 |
| | | vs | |
| | |キルケゴール_|_ |
| アリストテレス| _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 着衣 |
| | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
プラトン |__________|デカルト
| >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11ライプニッツ | >>12
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 | >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | __|__ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | |行動 法 概念 |
| | | vs | |
| | |キルケゴール_|_ |
| アリストテレス| _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 着衣 |
| | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |デカルト
プラトン |__________|プラトン
| >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11ライプニッツ | >>12
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 | >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | __|__ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | |行動 法 概念 |
| | | vs | |
| | |キルケゴール_|_ |
| アリストテレス| _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 着衣 |
| | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン |__________|デカルト
| >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11ライプニッツ | >>12
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 | >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | __|__ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | |行動 法 概念 |
| | | vs | |
| | |キルケゴール_|_ |
| アリストテレス| _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 着衣 |
| | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン |__________|デカルト
| >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11ライプニッツ | >>12
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 | >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 他者 結論:差異と反復
ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | __|__ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | |行動 法 概念 |
| | | vs | |
| | |キルケゴール_|_ |
| アリストテレス| _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 着衣 |
| | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン |__________|デカルト
| >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________| 障害としての諸公準
>>11ライプニッツ | >>12 自然的/哲学的
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 | >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 他者 結論:差異と反復
ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | __|__ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | |行動 法 概念 |
| | | vs | |
| | |キルケゴール_|_ |
| アリストテレス| _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン |__________|デカルト
| >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________| 障害としての諸公準
>>11ライプニッツ | >>12 自然的/哲学的
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 | >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 他者 結論:差異と反復
ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学|の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | __|__ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | |行動 法 概念 |
| | | vs | |
| | |キルケゴール_|_ |
| アリストテレス| _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン |__________|デカルト
| >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________| 障害としての諸公準
>>11ライプニッツ | >>12 自然的/哲学的
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 | >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
他者 ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | __|__ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | |行動 法 概念 |
| | | vs | |
| | |キルケゴール_|_ |
| アリストテレス| _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン |__________|デカルト
| >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________| 障害としての諸公準
>>11ライプニッツ | >>12 自然的/哲学的
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 | >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
他者 ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|_______はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | __|__ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | |行動 法 概念 |
| | | vs | |
| | |キルケゴール_|_ |
| アリストテレス| _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン |__________|デカルト
| >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________| 障害としての諸公準
>>11ライプニッツ | >>12 自然的/哲学的
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 | >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
他者 ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|_______はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | __|__ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | |行動 法 概念 |
| | | vs | |
| | |キルケゴール_|_ |
| アリストテレス| _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン |__________|デカルト
| >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________| 障害としての諸公準
>>11ライプニッツ | >>12 自然的/哲学的
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 | >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
他者 ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|_______はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | __|__ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | |行動 法 概念 |
| | | / | |
| | |キルケゴール_|_ |
| アリストテレス| _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 | | | ヒューム |
スピノザ、 | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン |__________|デカルト
| >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________| 障害としての諸公準
>>11ライプニッツ | >>12 自然的/哲学的
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 | >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
他者 ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|_______はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:|>>4 の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | >>5| __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |/は対立
| | | __|__ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| / | |行動 法 概念 |
| / | | / | |
| / | |キルケゴール_|_ |
| アリストテレス| _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 / | | | ヒューム |
スピノザ、 / | 二:それ自身へ向かう反復>>7 |
ニーチェ / | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン |__________|デカルト
| >>9|ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________| 障害としての諸公準
>>11ライプニッツ | >>12 自然的/哲学的
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 | >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
他者 ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』 /は対立
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別 |
| | | __|__ |
ショーペンハウアー | | | | | |
| / | |行動 法 概念 |
| / | | / | |
| / | |キルケゴール_|_ |
| アリストテレス| _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 / | | | ヒューム |
スピノザ、 / | 二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ / | | |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン |__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 |
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
他者 ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』 /は対立
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別 |
| | | __|__ |
ショーペンハウアー | | | | | |
| / | |行動 法 概念 |
| / | | / | |
| / | |キルケゴール_|_ |
| アリストテレス| _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 / | | | ヒューム |
スピノザ、 / | 二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ / | | |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 |
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
他者 ニーチェ
マルクス『ブリュメール十八日』150頁,『資本論』283,313頁
http://www.amazon.co.jp/dp/4062902206/
返信削除柄谷行人インタヴューズ1977―2001 (講談社文芸文庫)
割高だが、ド・マンについて文芸家協会脱会について、カント、マルクスについて…
どれも執筆原稿よりわかりやすい。なかでも「翻訳の世界」に載った英語教育論が
面白いし珍しい。大学で英語を教えた体験から来ているので具体的だ。
「"こと"として見るには、SVから始めなければいけないんです。その次にSVOです。
"もの"として世界をとらえる言語は最後に来るべきです。」(26頁)
蓮實批判は続編に入る?
http://www.amazon.co.jp/dp/4062902206/
返信削除柄谷行人インタヴューズ1977―2001 (講談社文芸文庫)
割高だが、ド・マンについて、文芸家協会退会について、カント、マルクスについて…
どれも執筆原稿よりわかりやすい。なかでも「翻訳の世界」に載った英語教育論が
面白いし珍しい。大学で英語を教えた体験から来ているので具体的だ。
「"こと"として見るには、SVから始めなければいけないんです。その次にSVOです。
"もの"として世界をとらえる言語は最後に来るべきです。」(26頁)
蓮實批判は続編に入る?
マルクスは資本主義を分析はしたが打開策は出さなかった。
返信削除プルードン、ゲゼルと違って貨幣を固定なものとして捉えた。
「初期化」出来るとは夢にも考えなかった。
(ミヨシマサオも柄谷も、営利化した大学に期待していなかった。
STAP細胞も理研だからよかった。)
さらに比喩的に述べるなら、
iPSのように四つの交換原理という遺伝子を駆使するより、
遊動性を持つ方が革命にはより手っ取り早いということではないか?
ES細胞研究は吉本隆明の仕事に対応するだろう。
ちなみに柄谷は新旧柳田論を吉本批判から始めているが、これを
吉本の全否定と捉えるのはフェアではない。
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』 /は対立
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別 |
| | | __|__ |
ショーペンハウアー | | | | | |
| / | |行動 法 概念 |
| / | | / | |
| / | |キルケゴール_|_ |
| アリストテレス| _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 / | | | |
スピノザ、 / | 二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ / | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
五:感覚されうるものの___
非対称的総合 |
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
他者 ニーチェ
マルクス『ブリュメール十八日』150頁,『資本論』283,313頁
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』 /は対立
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別 |
| | | __|__ |
ショーペンハウアー | | | | | |
| / | |行動 法 概念 |
| / | | / | |
| / | |キルケゴール_|_ |
| アリストテレス| _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 / | | | |
スピノザ、 / | 二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ / | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| 理念= |ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
非対称的総合 |
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
他者 ニーチェ
マルクス『ブリュメール十八日』150頁,『資本論』283,313頁
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』 /は対立
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別 |
| | | __|__ |
ショーペンハウアー | | | | | |
| / | |行動 法 概念 |
| / | | / | |
| / | |キルケゴール_|_ |
| アリストテレス| _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 / | | | |
スピノザ、 / | 二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ / | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
非対称的総合 |
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
他者 ニーチェ
マルクス『ブリュメール十八日』150頁,『資本論』283,313頁
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』 /は対立
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別 |
| | | __|__ |
ショーペンハウアー | | | | | |
| / | |行動 法 概念 |
| / | | / | |
| / | |キルケゴール_|_ |
| アリストテレス| _|_ | |
| | | | /| 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 / | | | |
スピノザ、 / | 二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ / | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
非対称的総合 |
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
他者 ニーチェ
マルクス『ブリュメール十八日』150頁,『資本論』283,313頁
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』 /は対立
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別 |
| | | __|__ |
ショーペンハウアー | | | | | |
| / | |行動 法 概念 |
| / | | / | |
| / | |キルケゴール_|_ |
| アリストテレス| _|_ | |
| | | | /| 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| / | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 / | | | |
スピノザ、 / | 二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ / | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
非対称的総合 |
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
他者 ニーチェ
マルクス『ブリュメール十八日』150頁,『資本論』283,313頁
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』 /は対立
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別 |
| | | __|__ |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | |行動 法 概念 |
|アリストテレス | / | |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ |
| 類的差異 | | _|_ | |
| | | | /| 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| / | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 / | | | |
スピノザ、 / | 二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ / | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
非対称的総合 |
共通感覚 強度の特徴 個体化 結論:差異と反復
他者 ニーチェ
マルクス『ブリュメール十八日』150頁,『資本論』283,313頁
観 念
返信削除:
普遍性
|
概 一 | 特
・・般ーーー十ーーー殊
念 性 | 性
|
単独性
『探究2』150頁
潜在的⚪︎
返信削除l
可能的---+---実在的⚪︎
l
現働的
半身のそれぞれがもつ二つのアスペクト
四:差異の理念的総合『差異と反復』318~9頁
ガタリはこれを展開している。
観 念
返信削除:
普遍性
概 一 | 特
・・般ーー十ーー殊
念 性 | 性
単独性
観 念
返信削除:
普遍性
概 一 | 特
・・般ー十ー殊
念 性 | 性
単独性
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』 /は対立
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | / | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異 | | _|_ | |
| | | | /| 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| / | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 / | | | |
スピノザ、 / | 二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ / | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
微分 ライプニッツ | 自然的/哲学的
五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 |
可能的+実在的 共通感覚 強度の特徴 結論:差異と反復
現働的 個体化 他者 ニーチェ
マルクス『ブリュメール十八日』150頁,『資本論』283,313頁
観 念
:
普遍性
概 一 | 特
・・般ー十ー殊
念 性 | 性
単独性
潜在的⚪︎
可能的+実在的⚪︎
現働的
半身のそれぞれがもつ二つのアスペクト
四:差異の理念的総合『差異と反復』318~9頁
ガタリはこれを展開している。
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』 /は対立
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | / | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異 | | _|_ | |
| | | | /| 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| / | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 / | | | |
スピノザ、 / | 二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ / | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 |
可能的+実在的 共通感覚 強度の特徴 結論:差異と反復
現働的 個体化 他者 ニーチェ
マルクス『ブリュメール十八日』150頁,『資本論』283,313頁
観 念
:
普遍性
概 一 | 特
・・般ー十ー殊
念 性 | 性
単独性
潜在的⚪︎
可能的+実在的⚪︎
現働的
半身のそれぞれがもつ二つのアスペクト
四:差異の理念的総合『差異と反復』318~9頁
ガタリはこれを展開している。
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』 /は対立
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | / | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異 | | _|_ | |
| | | | /| 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| / | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 / | | | |
スピノザ、 / | 二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ / | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 |
可能的+実在的 共通感覚 強度の特徴 結論:差異と反復
現働的 個体化 他者 ニーチェ
マルクス『ブリュメール十八日』150頁,『資本論』283,313頁
観 念
:
普遍性
概 一 | 特
・・般ー十ー殊
念 性 | 性
単独性
柄谷行人『探究2』150頁
潜在的⚪︎
可能的+実在的⚪︎
現働的
半身のそれぞれがもつ二つのアスペクト
四:差異の理念的総合『差異と反復』318~9頁
ガタリはこれを展開している。
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』 /は対立
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | / | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異 | | _|_ | |
| | | | /| 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| / | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 / | | | |
スピノザ、 / | 二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ / | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 |
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ
マルクス『ブリュメール十八日』150頁,『資本論』283,313頁
観 念
:
普遍性
概 一 | 特
・・般ー十ー殊
念 性 | 性
単独性
柄谷行人『探究2』150頁
潜在的⚪︎
可能的+実在的⚪︎
現働的
半身のそれぞれがもつ二つのアスペクト
四:差異の理念的総合『差異と反復』318~9頁
ガタリはこれを展開している。
一義性を永遠回帰における反復として実現すること
返信削除449頁
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』 /は対立
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | / | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異 | | _|_ | |
| | | | /| 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| / | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 / | | | |
スピノザ、 / | 二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ / | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 |
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ
一義性を永遠回帰における
反復として実現すること
表象批判 芸術 存在=差異
マルクス『ブリュメール十八日』150頁,『資本論』283,313頁
観 念
:
普遍性
概 一 | 特
・・般ー十ー殊
念 性 | 性
単独性
柄谷行人『探究2』150頁
潜在的⚪︎
可能的+実在的⚪︎
現働的
半身のそれぞれがもつ二つのアスペクト
四:差異の理念的総合『差異と反復』318~9頁
ガタリはこれを展開している。
一義性を永遠回帰における反復として実現すること
449頁
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』 /は対立
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | / | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異 | | _|_ | |
| | | | /| 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸 / 着衣 |
| / | | (拍子)_(リズム) |
スコトゥス、 / | | | |
スピノザ、 / | 二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ / | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 |
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ
一義性を永遠回帰における
反復として実現すること
表象批判 芸術 存在=差異
マルクス『ブリュメール十八日』150頁,『資本論』283,313頁
観 念
:
普遍性
概 一 | 特
・・般ー十ー殊
念 性 | 性
単独性
柄谷行人『探究2』150頁
潜在的⚪︎
可能的+実在的⚪︎
現働的
半身のそれぞれがもつ二つのアスペクト
四:差異の理念的総合『差異と反復』318~9頁
ガタリはこれを展開している。
一義性を永遠回帰における反復として実現すること
449頁
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異 | | _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸___着衣 |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |__二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 |
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|__ 単独性 |
| 類的差異 | | | | |
一義性と差異 | | 裸_|_着衣 留保(阻止)|
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |__二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 フロ 永遠回帰 |
| |____|_イト_| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 |
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
返信削除______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|__ 単独性 |
| 類的差異 | | | | |
一義性と差異 | | 裸_|_着衣 留保(阻止)|
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |__二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ ライプニッツ 時間の総合 ヒューム |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 フロ 永遠回帰 |
| |____|_イト_| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 |
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|__ 単独性 |
| 類的差異 | | | | |
一義性と差異 | | 裸_|_着衣 留保(阻止)|
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |__二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ ライプニッツ 時間の総合 ヒューム |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 フロ 永遠回帰 |
| |____|_イト_| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復 存在
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ =差異
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|__ 単独性 |
| 類的差異 | | | | |
一義性と差異 | | 裸_|_着衣 留保(阻止)|
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |__二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ ライプニッツ 時間の総合 ヒューム |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 フロ 永遠回帰 |
| |____|_イト_| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復 存在
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ =差異
一義性を永遠回帰における
反復として実現すること
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|__ 単独性 |
| 類的差異 | | 拍子|リズム | |
一義性と差異 | | 裸_|_着衣 留保(阻止)|
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |__二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ ライプニッツ 時間の総合 ヒューム |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 フロ 永遠回帰 |
| |____|_イト_| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復 存在
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ =差異
一義性を永遠回帰における
反復として実現すること
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|__ 単独性 |
| 類的差異 | | | | |
一義性と差異 | | 裸_|_着衣 留保(阻止)|
スコトゥス、 | | 拍子|リズム |
スピノザ、 | |__二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ ライプニッツ 時間の総合 ヒューム |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 フロ 永遠回帰 |
| |____|_イト_| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復 存在
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ =差異
一義性を永遠回帰における
反復として実現すること
返信削除>「差異と反復」講義目録。
>http://www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf/deleuze_dr.pdf
Gilles Deleuze, Différence et répétition, Paris, PUF, 1968.
Avant-propos p.1 (上記pdf頁数)
Introduction : répétition et différence p.2
Chapitre premier : La différence en elle-même p.7
Chapitre II. : La répétition pour elle-même p.16
Chapitre III. : L'image de la pensée p.27
Chapitre IV. : Synthèse idéelle de la différence p.36
Chapitre V. : Synthèse asymétrique du sensible p.52
Conclusion. : Différence et répétition p.67
(Index p.81)
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|__ 単独性 |
| 類的差異 | | | | |
一義性と差異 | | 裸_|_着衣 留保(阻止)|
スコトゥス、 | | 拍子|リズム |
スピノザ、 | |__二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ ライプニッツ 時間の総合 ヒューム |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 フロ 永遠回帰 |
| |____|_イト_| |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
一義性を永遠回帰における
反復として実現すること
反 復
返信削除l
概念+差異
l
観 念
反 復
返信削除l
差異-+-概念
l
理 念
反 復
返信削除l
差異-+-概念
l
イデア
反 復
返信削除l
差異-+-一般性
l
一義性
反 復
返信削除l 一
差異-+-般
l 性
一義性
反 復
返信削除差 l 一
-+-般
異 l 性
一義性
反 復
返信削除差異-+-一般性
一義性
反 復
返信削除差異+一般性
一義性
反 復
差 異-+-一般性
一義性
反 復
返信削除差 一
+ 般
異 性
一義性
反 復
返信削除差 異 + 一般性
一義性
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異 | | _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸___着衣 |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |__二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
| 習慣 |
| 潜在形式 |
| 死の本能 |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復 存在
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ =差異
一義性を永遠回帰における
反復として実現すること
返信削除チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異 | | _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
一義性と差異 | | 裸___着衣 |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |__二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
| 習慣 |
| 潜在形式 |
| 死の本能 |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
一義性を永遠回帰における
反復として実現すること
反 復
返信削除差 異 + 一般性
一義性
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異 | | _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |__二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト| |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
| 習慣 |
| 潜在形式 |
| 死の本能 |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
一義性を永遠回帰における
反復として実現すること
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|__ 単独性 |
| 類的差異 | | | | |
一義性と差異 | | 裸_|_着衣 留保(阻止)|
スコトゥス、 | | 拍子|リズム |
スピノザ、 | |__二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ ライプニッツ 時間の総合 ヒューム |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 フロ 永遠回帰 |
| |____|_イト_| |
| 習慣、潜在、死の本能 |プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
一義性を永遠回帰における
反復として実現する
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|__ 単独性 |
| 類的差異 | | | | |
一義性と差異 | | 裸_|_着衣 留保(阻止)|
スコトゥス、 | | 拍子|リズム |
スピノザ、 | |__二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ ライプニッツ 時間の総合 ヒューム |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
| フロイト、習慣、潜在、死の本能|プラトン
プラトン マルクス|__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
一義性を永遠回帰における
反復として実現すること
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異 | | _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |__二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
| マルクス、フロイト(習慣、潜在、死の本能)|プラトン
プラトン |__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
一義性を永遠回帰における
反復として実現すること
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 差異 |/同一性
___|__ 序論:| の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異 | | _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |__二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
| マルクス、フロイト(習慣、潜在、死の本能)|プラトン
プラトン |__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
一義性を永遠回帰における
反復として実現すること
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ 序論:| 差異の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異 | | _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |__二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
| マルクス、フロイト(習慣、潜在、死の本能)|プラトン
プラトン |__________|デカルト
| |ベルクソン
四:差異の理念的総合 理念=多様体 三:思考のイマージュ
カント|_________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
一義性を永遠回帰における
反復として実現すること
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学/ の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異 | | _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
| マルクス、フロイト(習慣、潜在、死の本能)|プラトン
プラトン |__________|デカルト
| 理念= |ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
一義性を永遠回帰における
反復として実現すること
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異 | | _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
| マルクス フロイト(習慣、潜在、死の本能)|プラトン
プラトン |__________|デカルト
| 理念= |ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
一義性を永遠回帰における
反復として実現すること
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異 | | _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
| フロイト(習慣、潜在、死の本能)|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念= |ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
一義性を永遠回帰における
反復として実現すること
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異 | | _|_ | |
| | | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
『ソピステス』 フロイト(習慣、潜在、死の本能)|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念= |ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
一義性を永遠回帰における
反復として実現すること
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
『ソピステス』 フロイト(習慣、潜在、死の本能)|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念= |ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
一義性を永遠回帰における
反復として実現すること
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
『ソピステス』 フロイト(習慣、潜在、死の本能)|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念 |ベルクソン
四:差異の理念的総合 =多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
一義性を永遠回帰における
反復として実現すること
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
返信削除______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
『ソピステス』 フロイト(習慣、潜在、死の本能)|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念 |ベルクソン
四:差異の理念的総合 =多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
ダーウィン371頁
種的差異アリストテレス63頁
返信削除類的差異
個体的差異ダーウィン371頁
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
『ソピステス』 フロイト(習慣、潜在、死の本能)|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念 |ベルクソン
四:差異の理念的総合 =多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
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一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
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プラトン マルクス |__________|デカルト
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ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
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スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
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『ソピステス』 フロイト(習慣、潜在、死の本能)|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
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微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
習慣156頁
返信削除良識336,339頁
種的差異アリストテレス63頁
返信削除類的差異
個体的差異ダーウィン371頁
習慣156頁
良識336,339頁
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
返信削除______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
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『ソピステス』 (習慣、潜在、死の本能)フロイト|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念 |ベルクソン
四:差異の理念的総合 =多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
B. D. SPINOZA OPERA Tom. W Epist. LVIII ad Schuller. P195
返信削除スピノザ往復書簡集、書簡58 269頁
op. cit. PP195-'6.スピノザ往復書
彼は更にその書簡の中で有名な「石」の例も取り上げて、自由を説明している。 飛んでいる石は、飛んでいることを意識しているが、自分の意志で飛んでいると 思い、 「自分は完全に自由だ」とうぬぼれる。スピノザは言う、 -「これは同 時に人間の自由でもある。すべての人は、自由を持つことを誇るが、その自由は 単に、人々が自分の欲求を意識しているが、自分をそれへ決定する諸原因は知ら
l帥 ないという点にのみある」 0
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5つ星のうち 4.0 独自の目次と索引つき 2012/9/3
By yojisekimoto
「スピノザは、石がある衝撃によって空中を飛ぶとき、石に意識があれば、自分自身の意志で飛んでいるのだと考えるだろう、と言っている[書簡六十二]。わたしはこれにさらにつけ加えて、石の考えていることは正しいとだけ言っておく。」「意志と表象としての世界」第24節より
Spinoza sagt (epist. 62), da' der durch einen Sto' in die Luft fliegende Stein, wenn er Bewu'tsein h'tte, meinen w'rde, aus seinem eigenen Willen zu fliegen. Ich setze nur noch hinzu, da' der Stein Recht h'tte.
Die Welt als Wille und Vorstellung §24
ショーペンハウアー
備考 物は我々によって二様の仕方で現実として考えられる。すなわち我々は物を一定の時間および場所に関係して存在するとして考えるか、それとも物を神の中に含まれ、神の本性の必然性から生するとして考えるかそのどちらかである。ところでこの第二の仕方で真あるいは実在として考えられるすべての物を我々は永遠の相のもとに考えているのであり、そしてそうした物の観念の中には、第二部定理四五で示したように(なおその備考も見よ)、神の永遠・無限なる本質が含まれているのである。
返信削除http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note5p29n
5:29備考
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/
10069/15150/1/kyoyoJ23_01_01_t.pdf
「或る衝撃によって石が空中を飛ぶとき、もし石に意識があれば、自分自身の意志で
返信削除飛んでいるのだろうと考えるだろう」とスピノザは言っている(書簡五十八)
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
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一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 円環=永遠回帰 |
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『ソピステス』 フロイト(習慣、潜在、死の本能)|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念= |ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること 449頁
種的差異アリストテレス63頁
類的差異
個体的差異ダーウィン371頁
習慣156頁
良識208,336,339頁
マルクス『ブリュメール十八日』150頁,『資本論』283,313頁
__________
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 円環=永遠回帰 |
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『ソピステス』 (習慣 潜在 死の本能)フロイト|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念= |ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること 449頁
参考:
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
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スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
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『ソピステス』 習慣 潜在 死の本能、フロイト|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念= |ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること 449頁
種的差異アリストテレス63頁
類的差異
個体的差異ダーウィン371頁
習慣156頁
良識208,336,339頁
マルクス『ブリュメール十八日』150頁,『資本論』283,313頁
__________
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
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スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
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『ソピステス』 (習慣 潜在 死の本能)フロイト|プラトン
プラトン マルクス プラトン|__________|デカルト
| 理念= |ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること 449頁
ソピステス
返信削除3:161頁
神的制作l人間的制作
・実物のl・実物の
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神的制作l人間的制作
・影像のl・影像の
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 円環=永遠回帰?|
| |____|____| |デカルト
『ソピステス』 (習慣 潜在 死の本能)フロイト|想起『メノン』
プラトン マルクス プラトン|__________|『テアイテトス』
| 理念= |ベルクソン プラトン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること 449頁
NAMs出版プロジェクト: 『哲学の起源』:索引&目次(作業中)
返信削除http://nam-students.blogspot.jp/2012/11/blog-post_5870.html?m=0#refha
プラトン,129,203(-とピタゴラス),
-、イタリアへ渡る(前388年),210,
『クリトン』,203,
『国家』,68,141,178,179@,(230@),207-8@,209-210@,211@,214@
『ゴルギアス』,176,178,
『ソクラテスの弁明』,184@,184-5@,193@,197-8@,203@,203@,
『ソピステス』,59,205-6@,
『第七書簡』,208@,208-9@,209@,
『ティマイオス』,206,
『パイドロス』,115,149,
『パイドン』,19,116,203,204,
『プロタゴラス』,177(ヒッピアス)@,
『ポリティコス(政治家)』,178,214,215@↓,215@,215@,217@↓,
『メノン』,116,207(想起),
法遵守 法軽視
単独者支配 王政 僣主政
少数者支配 貴族政 寡頭政
多数者支配 良民政 民主政 ,215
不平等⇦ ⇨平等
_____________
専|僣主政 | 哲人王 |
制| | |
⇧|______|______|
⇩|デモクラシー| イソノミア|
自| | |
由|______|______| ,217
NAMs出版プロジェクト: 『哲学の起源』:索引&目次(作業中)
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プラトン,129,203(-とピタゴラス),
-、イタリアへ渡る(前388年),210,
『クリトン』,203,
『国家』,68,141,178,179@,(230@),207-8@,209-210@,211@,214@
『ゴルギアス』,176,178,
『ソクラテスの弁明』,184@,184-5@,193@,197-8@,203@,203@,
『ソピステス』,59,205-6@@,
『第七書簡』,208@,208-9@,209@,
『ティマイオス』,206,
『パイドロス』,115,149,
『パイドン』,19,116,203,204,
『プロタゴラス』,177(ヒッピアス)@,
『ポリティコス(政治家)』,178,214,215@↓,215@,215@,217@↓,
『メノン』,116,207(想起),
法遵守 法軽視
単独者支配 王政 僣主政
少数者支配 貴族政 寡頭政
多数者支配 良民政 民主政 ,215
不平等⇦ ⇨平等
_____________
専|僣主政 | 哲人王 |
制| | |
⇧|______|______|
⇩|デモクラシー| イソノミア|
自| | |
由|______|______| ,217
ソピステス
返信削除3:161頁
神的制作|人間的制作
・実物の|・実物の
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神的制作|人間的制作
・影像の|・影像の
ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 二|哲学カフェ
返信削除http://kokorotoha.com/tetugaku/?p=9
はじめに:
そして、ドゥルーズは、この『差異と反復』で語られる主題には四つあり、それを一つづつ上げています。
(1)ハイデガーが、存在論的《差異》の哲学をますます強く定位していること
(2)構造主義の活動が、或る共存の空間における差異的=微分的(ディフェランシェル){英訳ではDifference}――つまり、このディフェランシェルとは、日常用語で言えば、単なる違いとも捉える事が可能です――な諸特徴の配分に基づいていること
(3)現代小説という芸術が、抽象的な省察ばかりでなく、実際的な技法においても差異と反復を巡って動いていること
(4)無意識の、言語の、そして芸術の力でもあるような、反復の本来の力(ピュイサンス)が、あらゆる種類の分野において発見されること
そして、これら四つの事は、ドゥルーズは、しるし(シーニエ)と表現していますが、このしるしは、或る一般化した反ヘーゲル主義に数え入れる事が出来る、と言います。
つまり、ドルーズは、差異と反復が、同一的なものと否定的なものに、同一性と矛盾らに取って代わったと述べています。
確かに、映像一つとっても、何度も同じ映像を垂れ流すテレビと言うメディア一つとっても反復する事で、無理やりそこに差異を見出して視聴率争いをしているに過ぎないように思えます。
また、アンディ・ウォーホールではありませんが、芸術も、ポップカルチャーに変容すると、「広告」が反復を繰り返し、それが、芸術として成立すると言う何とも逆立ちしたような不文律が世の中に出来上がっているように思います。
http://kokorotoha.com/tetugaku/?p=59
返信削除『差異と反復』はじめに
「……。哲学史は、絵画におけるコラージュの役割にかなり似た役割を演じるべき
だと、わたしたちは思われる。哲学史とは、まさに哲学の再生産である。哲学史に
おける報告は、正真正銘の分身として作用しなければならず、その分身本来の最高
度の変容を包含しなければならないだろう(口髭をはやしたモナ・リザと同じ意味
で、哲学的にひげをはやしたヘーゲル、哲学的に髭をそったマルクスを想像してみ
よう)。」
参考:
Duchamp - L.H.O.O.Q. (2)
http://boijmans.cultuurwijs.nl/onderw/thema/imitatio/imi6b.htm
http://boijmans.cultuurwijs.nl/onderw/thema/graphim/b95007.jpg
「究極の諸反復」の事例
返信削除結論『差異と反復』単行本435頁
ベルク『ヴォツェック』
アンディ・ウォーホル
ビュトール『心変わり(変容)』
映画『去年マリエンバード』(アラン・レネ)
「究極の諸反復」の事例
返信削除結論『差異と反復』単行本435頁
ベルク『ヴォツェック』
Wozzeck - 1 Scene - Alban Berg after Georg Büchner - Claudio Abbado
http://youtu.be/dp4Q4SV_YL0
Claudio Abbado - Wozzeck's Interlude:
http://youtu.be/89jEn7dkZx4
アンディ・ウォーホル
アンディ・ウォーホル (Andy Warhol) 作品の紹介・美術館リンク・ポスター
http://art.pro.tok2.com/W/Warhol/Warhhol.htm
ビュトール『心変わり(変容)』
映画『去年マリエンバード』(アラン・レネ)
「究極の諸反復」の事例
返信削除存在論的な、第三の反復へ向かって
結論『差異と反復』単行本435頁
ベルク『ヴォツェック』
Wozzeck - 1 Scene - Alban Berg after Georg Büchner - Claudio Abbado
http://youtu.be/dp4Q4SV_YL0
Claudio Abbado - Wozzeck's Interlude:
http://youtu.be/89jEn7dkZx4
アンディ・ウォーホル
(Andy Warhol) 作品の紹介・美術館リンク・ポスター
http://art.pro.tok2.com/W/Warhol/Warhhol.htm
ビュトール『心変わり(変容)』
映画『去年マリエンバードで』(アラン・レネ)
Last Year at Marienbad (1961) re-release trailer with subtitles
http://youtu.be/M5km-4o3EAY
「究極の諸反復」の事例
返信削除存在論的な、第三の反復へ向かって
結論『差異と反復』単行本435頁
ベルク『ヴォツェック』
Wozzeck - 1 Scene - Alban Berg after Georg Büchner - Claudio Abbado
http://youtu.be/dp4Q4SV_YL0
Claudio Abbado - Wozzeck's Interlude:
http://youtu.be/89jEn7dkZx4
アンディ・ウォーホル
(Andy Warhol) 作品の紹介・美術館リンク・ポスター
http://art.pro.tok2.com/W/Warhol/Warhhol.htm
ビュトール『心変わり(変容)』
http://www.amazon.co.jp/dp/4003750616
映画『去年マリエンバードで』(アラン・レネ)
Last Year at Marienbad (1961) re-release trailer with subtitles
http://youtu.be/M5km-4o3EAY
「究極の諸反復」の事例
返信削除存在論的な、第三の反復へ向かって
結論『差異と反復』単行本435頁より
参考:
ベルク『ヴォツェック』
Wozzeck - 1 Scene - Alban Berg after Georg Büchner - Claudio Abbado
http://youtu.be/dp4Q4SV_YL0
Claudio Abbado - Wozzeck's Interlude:
http://youtu.be/89jEn7dkZx4
アンディ・ウォーホル
(Andy Warhol) 作品の紹介・美術館リンク・ポスター
http://art.pro.tok2.com/W/Warhol/Warhhol.htm
ビュトール『心変わり(変容)』
http://www.amazon.co.jp/dp/4003750616
映画『去年マリエンバードで』(アラン・レネ)
Last Year at Marienbad (1961) re-release trailer with subtitles
http://youtu.be/M5km-4o3EAY
芸術における「究極の諸反復」の事例
返信削除存在論的な、第三の反復へ向かって
結論『差異と反復』単行本435頁より
参考:
ベルク『ヴォツェック』
Wozzeck - 1 Scene - Alban Berg after Georg Büchner - Claudio Abbado
http://youtu.be/dp4Q4SV_YL0
Claudio Abbado - Wozzeck's Interlude:
http://youtu.be/89jEn7dkZx4
アンディ・ウォーホル
(Andy Warhol) 作品の紹介・美術館リンク・ポスター
http://art.pro.tok2.com/W/Warhol/Warhhol.htm
ビュトール『心変わり(変容)』
http://www.amazon.co.jp/dp/4003750616
映画『去年マリエンバードで』(アラン・レネ)
Last Year at Marienbad (1961) re-release trailer with subtitles
http://youtu.be/M5km-4o3EAY
返信削除スピノザ『エチカ』
2:35備考
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note2p35n
例えば人間が自らを自由であると思っているのは、(すなわち彼らか自分は自由意志を
もってあることをなしあるいはなさざることができると思っているのは、)誤っている。
そしてそうした誤った意見は、彼らがただ彼らの行動は意識するが彼らをそれへ決定する
諸原因はこれを知らないということにのみ存するのである。だから彼らの自由の観念なる
ものは彼らが自らの行動の原因を知らないということにあるのである。なぜなら、彼ら
が、人間の行動は意志を原因とすると言ったところで、それは単なる言葉であって、その
言葉について彼らは何の理解も有しないのである。
探究2文庫180頁参照
返信削除36 :試作 :sage :14/02/11 22:22
哲学 / ■ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 15 ■ - 情報
チャート図:『差異と反復』>>14
_______|_________
差異__|__反復 |同一性と
_|_ 0序論>>4 |対立の哲学
| | | |ハイデガー
>>5| | _|__ |
一それ自身における差異| | 反復と一般性の区別>>111|
ショーペンハウアー | | _|_ >>696|
| アリストテレス| | | | |
| | | 行動、法、概念 |
一義性と差異 | | _|_ |
| | | _|_ | |
スコトゥス、 | | | | 固定(阻止) |
スピノザ、 | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
ニーチェ | | |
| |二それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
| ライプニッツ | >>8 |
| | 時間の総合 |
| ヘーゲル ____|____ |
| | | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| |
プラトン |__________|
| |>>9ベルクソン
四差異の理念的総合 三思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12
五感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復 >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
返信削除36 :試作 :sage :14/02/11 22:22
哲学 / ■ジル・ドゥルーズ Gilles Deleuze 15 ■ - 情報
チャート図:『差異と反復』>>14
_______|_________
差異__|__反復 |同一性と
_|_ 0序論>>4 |対立の哲学
| | | |ハイデガー
>>5| | _|__ |
一それ自身における差異| | 反復と一般性の区別>>21 |
ショーペンハウアー | | _|_ >>696|
| アリストテレス| | | | |
| | | 行動、法、概念 |
一義性と差異 | | _|_ |
| | | _|_ | |
スコトゥス、 | | | | 固定(阻止) |
スピノザ、 | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
ニーチェ | | |
| |二それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
| ライプニッツ | >>8 |
| | 時間の総合 |
| ヘーゲル ____|____ |
| | | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| |
プラトン |__________|
| |>>9ベルクソン
四差異の理念的総合 三思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12
五感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復 >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
http://ebooks.adelaide.edu.au/h/hume/david/h92t/B1.3.14.html
返信削除Sect. xiv. Of the Idea of Necessary Connexion.
Having thus explained the manner, in which we reason beyond our immediate impressions, and conclude that such particular causes must have such particular effects; we must now return upon our footsteps to examine that question, which [Sect. 2.] first occured to us, and which we dropt in our way, viz. What is our idea of necessity, when we say that two objects are necessarily connected together. Upon this head I repeat what I have often had occasion to observe, that as we have no idea, that is not derived from an impression, we must find some impression, that gives rise to this idea of necessity, if we assert we have really such an idea. In order to this I consider, in what objects necessity is commonly supposed to lie; and finding that it is always ascribed to causes and effects, I turn my eye to two objects supposed to be placed in that relation; and examine them in all the situations, of which they are susceptible. I immediately perceive, that they are contiguous in time and place, and that the object we call cause precedes the other we call effect. In no one instance can I go any farther, nor is it possible for me to discover any third relation betwixt these objects. I therefore enlarge my view to comprehend several instances; where I find like objects always existing in like relations of contiguity and succession. At first sight this seems to serve but little to my purpose. The reflection on several instances only repeats the same objects; and therefore can never give rise to a new idea. But upon farther enquiry I find, that the repetition is not in every particular the same, but produces a new impression, and by that means the idea, which I at present examine. For after a frequent repetition, I find, that upon the appearance of one of the objects, the mind is determined by custom to consider its usual attendant, and to consider it in a stronger light upon account of its relation to the first object. It is this impression, then, or determination, which affords me the idea of necessity.
Difference and Repetition - 90 ページ
books.google.co.jp/books?isbn... - このページを訳す
Gilles Deleuze - 2004 - プレビュー - 他の版
Repetition changes nothing in the object repeated, but does change something in the mind which contemplates it. Hume's famous thesis takes us to the heart of a problem: since it implies, in principle, a perfect independence on the part of ...
1:3:14
返信削除ヒューム
The repetition of perfectly similar instances can never alone give rise to an original idea, different from what is to be found in any particular instance…Since therefore the idea of power is a new original idea, not to be found in any one instance…it follows, that the repetition alone has not that effect, but must discover or produce something new, which is the source of that idea (Treatise 163).
返信削除The repetition of AB in-itself does not produce a new original idea, but the observation of the resemblance between As does produce, Hume claims, "a new impression in the mind." (T 165) And from here we're off to the races and Hume offers his well know account of the belief in causal necessity.
http://www.newappsblog.com/2012/06/repetition.html
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
返信削除______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 * リズム |
スコトゥス、 | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| ヘーゲル *____|____ |
|______| 現在 過去 円環=永遠回帰?| 「第二省察」
| |____|____| | デカルト
『ソピステス』 (習慣 潜在 死の本能)フロイト|想起『メノン』
プラトン マルクス プラトン|__________|『テアイテトス』
| 理念= |ベルクソン プラトン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること 449頁
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
返信削除______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 * リズム |
スコトゥス、 | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 ベルクソン|
| ヘーゲル *____|____ |
|______| 現在 過去 円環=永遠回帰?| 「第二省察」
| |____|____| | デカルト
『ソピステス』 (習慣 潜在 死の本能)フロイト|想起『メノン』
プラトン マルクス プラトン|__________|『テアイテトス』
| 理念= |ベルクソン プラトン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること 449頁
時間と自由
返信削除四時の鐘
121頁
ちくま文庫101
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
返信削除______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 * リズム |
スコトゥス、 | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| ヘーゲル *____|____ |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
『ソピステス』 フロイト(習慣、潜在、死の本能)|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念 |ベルクソン
四:差異の理念的総合 =多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
返信削除______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 * リズム |
スコトゥス、 | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 ベルクソン|
| ヘーゲル *____|____ |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|____| |
『ソピステス』 フロイト(習慣、潜在、死の本能)|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念 |ベルクソン
四:差異の理念的総合 =多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
返信削除______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 * リズム |
スコトゥス、 | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 ベルクソン|
| ヘーゲル *____|____ |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|*___| |
『ソピステス』 フロイト(習慣、潜在、死の本能)|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念 |ベルクソン
四:差異の理念的総合 =多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 * | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
返信削除______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 * リズム |
スコトゥス、 | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 ベルクソン|
| ヘーゲル *____|____ |
|______| 現在 過去 永遠回帰 |
| |____|*___| |
『ソピステス』 フロイト(習慣、潜在、死の本能)|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念 |ベルクソン
四:差異の理念的総合 =多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識* 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
返信削除______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 * リズム |
スコトゥス、 | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 ベルクソン|
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 過去 現在* 永遠回帰 |
| |____|*___| |
『ソピステス』 フロイト(習慣、潜在、死の本能)|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念 |ベルクソン
四:差異の理念的総合 =多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 * | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
返信削除______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 * リズム |
スコトゥス、 | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 ベルクソン|
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 過去 現在* 永遠回帰 |
| |___*|____| |
『ソピステス』 (潜在、 習慣、死の本能)フロイト|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念 |ベルクソン
四:差異の理念的総合 =多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 * | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
返信削除______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 * リズム |
スコトゥス、 | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 ベルクソン|
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 過去 現在* 永遠回帰 |
| |____|____| |
『ソピステス』 (潜在、*習慣、死の本能)フロイト|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念 |ベルクソン
四:差異の理念的総合 =多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 * | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
返信削除______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 * リズム |
スコトゥス、 | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 ベルクソン|
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 過去 *現在 永遠回帰 |
| |____|____| |
『ソピステス』 (潜在、*習慣、死の本能)フロイト|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念 |ベルクソン
四:差異の理念的総合 =多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 * | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
返信削除______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 * リズム |
スコトゥス、 | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 ベルクソン|
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 過去 *現在 永遠回帰 |
| |____|____| |
『ソピステス』 (潜在、*習慣、死の本能)フロイト|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念= |ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 * | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
返信削除______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 * リズム |
スコトゥス、 | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 ベルクソン|
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 過去 *現在 永遠回帰 |
| |____|____| |
『ソピステス』 (潜在、*習慣、死の本能)フロイト|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念= |ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化/*良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
返信削除______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 * リズム |
スコトゥス、 | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 ベルクソン|
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 過去 *現在 永遠回帰 |
| |____|____| |
『ソピステス』 (潜在、*習慣、死の本能)フロイト|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念= |ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化/*良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
返信削除______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 * リズム |
スコトゥス、 | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 ベルクソン|
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 過去 *現在 永遠回帰 |
| |____|____| |
『ソピステス』 (潜在、*習慣、死の本能)フロイト|プラトン
プラトン マルクス |__________|デカルト
| 理念= |ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識* 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
返信削除参考:
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
スコトゥス、 | | |____ |
スピノザ、 | |___二: |ヒューム |
ニーチェ | それ自身へ向かう反復|ベルクソン|
| ライプニッツ __時間の総合 |
| ヘーゲル | |
|______| 現在__過去__円環 |
| | | | |
『ソピステス』 フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
プラトン マルクス プラトン |______|デカルト
| 理念= |ベルクソン プラトン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること 449頁
参考:
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
スコトゥス、 | | |____ |
スピノザ、 | |___二: |ヒューム |
ニーチェ | それ自身へ向かう反復|ベルクソン|
| ライプニッツ __時間の総合 |
| ヘーゲル | |
|______| 現在__過去__円環 |
| | | | |
『ソピステス』 フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
プラトン マルクス プラトン |______|デカルト
| 理念= |ベルクソン プラトン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
参考:
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | | 二:| ヒューム |
ニーチェ | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
| ライプニッツ |___時間の総合 |
| ヘーゲル | |
|______| 現在__過去__円環 |
| | | | |
『ソピステス』 フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
プラトン マルクス プラトン |______|デカルト
| 理念= |ベルクソン プラトン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
参考:
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別 反復=イデア|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 |時間 拍子 | リズム 空間 |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | | 二:| ヒューム |
ニーチェ | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
| ライプニッツ |___時間の総合 |
| ヘーゲル | |
|______| 現在__過去__円環 |
| | | | |
『ソピステス』 フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
プラトン マルクス プラトン |______|デカルト
| 理念= |ベルクソン プラトン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
参考:
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別 反復=イデア|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 |(時間) 拍子|リズム (空間) |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | | 二:| ヒューム |
ニーチェ | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
| ライプニッツ |___時間の総合 |
| ヘーゲル | |
|______| 現在__過去__円環 |
| | | | |
『ソピステス』 フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
プラトン マルクス プラトン |______|デカルト
| 理念= |ベルクソン プラトン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
参考:
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別 反復=イデア|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | / | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 |(時間) 拍子|リズム (空間) |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | | 二:| ヒューム |
ニーチェ | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
| ライプニッツ |___時間の総合 |
| ヘーゲル | |
|______| 現在__過去__円環 |
| | | | |
『ソピステス』 フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
プラトン マルクス プラトン |______|デカルト
| 理念= |ベルクソン プラトン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別(反復=観念)|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | vs | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 | | 拍子 | リズム |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | |___二:それ自身へ向かう反復 |
ニーチェ | | ヒューム |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| ヘーゲル ____|____ |
|______| 現在 過去 円環=永遠回帰?| 「第二省察」
| |____|____| | デカルト
『ソピステス』 (習慣 潜在 死の本能)フロイト|想起『メノン』
プラトン マルクス プラトン|__________|『テアイテトス』
| 理念= |ベルクソン プラトン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること 449頁
参考:
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別 反復=イデア|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | / | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 |(時間) 拍子|リズム (空間) |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | | 二:| ヒューム |
ニーチェ | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
| ライプニッツ |___時間の総合 |
| ヘーゲル | フロイト |
|______| 現在__過去__円環 |
| | | | |
『ソピステス』 プラトン 習慣__潜在_死の本能 |
プラトン マルクス 見せかけ |______|デカルト
| 理念= |ベルクソン プラトン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること 449頁
参考:
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別 反復=イデア|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | / | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 |(時間) 拍子|リズム (空間) |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | | 二:| ヒューム |
ニーチェ | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
| ライプニッツ |___時間の総合 |
| ヘーゲル | |
|______| 現在__過去__円環 |
| | | | |
『ソピステス』 フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
プラトン マルクス プラトン |______|デカルト
| 理念= |ベルクソン プラトン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること 449頁
参考:
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別 反復=イデア|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | / | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 |(時間) 拍子|リズム (空間) |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | | 二:| ヒューム |
ニーチェ | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
| ライプニッツ |___時間の総合 |
| ヘーゲル | |
|______| 現在__過去__円環 |
| マルクス | | | |
『ソピステス』 フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
プラトン 見せかけ |______|デカルト
| 理念= |ベルクソン プラトン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること 449頁
あるいは、
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別 反復=イデア|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | / | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 |(時間) 拍子|リズム (空間) |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | | 二:| ヒューム |
ニーチェ | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
| ライプニッツ |___時間の総合 |
| ヘーゲル | プラトン |
|______| 現在__過去__円環 |
| | | | |
『ソピステス』 フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
プラトン マルクス |______|デカルト
| 理念= |ベルクソン プラトン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 強度の特徴 共通感覚 ニーチェ 差異
ダーウィン、 一義性を永遠回帰における
個体的差異 反復として実現すること 449頁
種的差異アリストテレス63頁
類的差異
個体的差異ダーウィン371頁
習慣156頁
良識208,336,339頁
マルクス『ブリュメール十八日』150頁,『資本論』283,313頁
__________
返信削除*
反復と一般性の区別の三つのレベル
行動、新エロイーズ(ルソー)
法、 ニーチェ、キルケゴール
概念、カント →概念の阻止へ
概念の「阻止」(bloquer、固定、凍結)は以下のように横軸が
条理化されることを意味するだろう。
観 念
:
普遍性
(法) |(反復)
概 一 | 特
・・般十十十十十十十殊
念 性 | 性
(概念)|(行動)
単独性
カントも参照される権利上の概念の問題は、動的概念、
さらには図の縦軸に当たる観念=イデアを準備する。
NAMs出版プロジェクト: ドゥルーズ『差異と反復』:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_20.html?m=0#_0000
*
序論における概念の「阻止」(bloquer、固定、凍結)が横軸の条理化なら、
第三章 思考のイマージュにおける公準は縦軸の条理化であろう。
観 念
:
普遍性
(法) 十(反復) 思考
十 共通感覚
十 再認
概 一 十 特 表象
・・般ーーー十ーーー殊
念 性 十 性 誤謬
十 指示
十 解
(概念)十(行動) 知
単独性
第三章 思考のイマージュ
哲学における前提の問題 (ヘーゲル、デカルト)
◯第一の公準――普遍的本性タル《思考》の権利 (ニーチェ)
◯第二の公準――常識〔共通感覚〕の理想
◯第三の公準――再認というモデル
思考とドクサ (ベルクソン、カント)
カントにおける《批判》の両義性
◯第四の公準――表象=再現前化のエレメント
諸能力の差異=微分的理論
諸能力の不調和的使用――暴力とそれぞれの能力の限界
プラトン哲学の両義性 (プラトン『国家』)
思考するということ――思考におけるその発生 (ハイデガー、アルトー)
◯第五の公準――誤謬という「否定的」なもの (プラトン『テアイテトス』)
愚劣の問題 (ショーペンハウアー、フローベール『ブヴァールとペキュシェ』)
◯第六の公準――指示の特権 (ラッセル)
意味と命題 (アルトー、デカルト、フローベール、ルイス・キャロル)
意味のパラドックス (ルイス・キャロル)
意味と問題
◯第七の公準――解の様相
新理論における解の錯覚
問題というカテゴリーの存在論的重要性と認識論的重要性 (プロクロス)
「学ぶ」ということは何を意味するのか
◯第八の公準――知という結果
差異と反復の哲学に対する障害としての諸公準の要約 (ニーチェ、プラトン『メノン』)
1 |5☆
|
____|____
2、3|6、7
4 | 8
(公準6、7、8を起点にして最初から回転させれば本書全体と同じ構造である。)
http://homepage.mac.com/berdyaev/kierkegaard/kierkegaard_1/kierkegaard2.html
http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/cat_50027458.html
ドゥルーズにおける差異と反復の関係は以下のように考えられる。
返信削除反 復
差 一
+ 般
異 性
一義性
『差異と反復』序論、概念の「阻止」(bloquer、固定、凍結)は以下のように横軸が
条理化されることを意味するだろう。
観 念
:
普遍性
(法) |(反復)
概 一 | 特
・・般十十十十十十十殊
念 性 | 性
(概念)|(行動)
単独性
カントも参照される権利上の概念の問題は、動的概念、さらには図の縦軸に
当たる観念=イデアを準備する。
6 2/16(日)00:25 P↓
序論における概念の「阻止」(bloquer、固定、凍結)が横軸の条理化なら、
第三章 思考のイマージュにおける公準は縦軸の条理化であろう。
観 念
:
普遍性
(法) 十(反復) 思考
十 共通感覚
十 再認
概 一 十 特 表象
・・般ーーー十ーーー殊
念 性 十 性 誤謬
十 指示
十 解
(概念)十(行動) 知
単独性
観 念
返信削除:
普遍性
(法) 十(反復) 知
十 解
十 指示
概 特 十 一 誤謬
・・殊ーーー十ーーー般
念 性 十 性 表象
十 再認
十 共通感覚
(概念)十(行動) 思考
単独性
返信削除法遵守 法軽視
単独者支配 王政 僣主政
少数者支配 貴族政 寡頭政
多数者支配 良民政 民主政
「ポリティコス」346頁
『哲学の起源』215頁参照
9:56 午前
yoji さんは書きました...
http://kokorotoha.com/tetugaku/?p=59
『差異と反復』はじめに
「……。哲学史は、絵画におけるコラージュの役割にかなり似た役割を演じるべき
だと、わたしたちには思われる。哲学史とは、まさに哲学の再生産である。哲学史
における報告は、正真正銘の分身として作用しなければならず、その分身本来の最
高度の変容を包含しなければならないだろう(口髭をはやしたモナ・リザと同じ意味
で、哲学的にひげをはやしたヘーゲル、哲学的に髭をそったマルクスを想像してみ
よう)。」
参考:
Duchamp - L.H.O.O.Q. (2)
http://boijmans.cultuurwijs.nl/onderw/thema/imitatio/imi6b.htm
http://boijmans.cultuurwijs.nl/onderw/thema/graphim/b95007.jpg
11:52 午前
yoji さんは書きました...
世界の個物存在が、我々によって「二重の仕方で」 (duobus modis) 、即ち持 続的存在と永遠な本質的存在として考えられうる(V. prop. 29 schol.)のに対 応して、個物存在の因果性にも、二重の因果性、即ち水平的因果性(物理的因果
性)と垂直的因果性(神的因果性)が考えられた。 今やこの二重の因果性に対応して、スピノザの決定論にも、二重の性格を読み
取ることが可能になる。
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/
10069/15150/1/kyoyoJ23_01_01_t.pdf
参考:
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別 反復=イデア|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | / | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 |(時間) 拍子|リズム (空間) |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | | 二:| ヒューム |
ニーチェ | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
| ライプニッツ |___時間の総合 デカルト |
| ヘーゲル | カント |
|______| 現在__過去__円環 |
| マルクス | | | |
ハイデガー フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
プラトン『ソピステス』 見せかけ |______|デカルト
| 理念= |ベルクソン プラトン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 /良識、共通感覚 結論:差異と反復 存在=
現働的 ダーウィン、 ニーチェ 差異
個体化 個体的差異 強度の特徴 一義性を永遠回帰における
反復として実現すること 449頁
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別 反復=イデア|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | / | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | _|_ | |
| カテゴリー| | | | 留保(阻止) |
| | | 裸___着衣 |
一義性と差異 |(時間) 拍子|リズム (空間) |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | | 二:| ヒューム |
ニーチェ | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
| ライプニッツ |___時間の総合 デカルト |
| ヘーゲル | カント |
|______| 現在__過去__円環 |
| マルクス | | | |
ハイデガー フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
プラトン『ソピステス』 見せかけ |______|デカルト
| 理念= |ベルクソン プラトン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ
カント|________________| 障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 個体化 /良識 結論:差異と反復 存在=
現働的 ダーウィン、 共通感覚/ ニーチェ 差異
個体的差異 強度の特徴 一義性を永遠回帰における
反復として実現すること 449頁
種的差異アリストテレス63頁
類的差異
個体的差異ダーウィン371頁
習慣156頁
良識208,336,339頁
マルクス『ブリュメール十八日』150頁,『資本論』283,313頁
__________
1:3:14
返信削除ヒューム
4:11 午前
yoji said...
The repetition of perfectly similar instances can never alone give rise to an original idea, different from what is to be found in any particular instance…Since therefore the idea of power is a new original idea, not to be found in any one instance…it follows, that the repetition alone has not that effect, but must discover or produce something new, which is the source of that idea (Treatise 163).
The repetition of AB in-itself does not produce a new original idea, but the observation of the resemblance between As does produce, Hume claims, "a new impression in the mind." (T 165) And from here we're off to the races and Hume offers his well know account of the belief in causal necessity.
http://www.newappsblog.com/2012/06/repetition.html
D・ヒューム「人間本性論(人性論)」詳細目次(ver. 0.1.3)-gooブログ
http://blog.goo.ne.jp/celsius220/e/bb246ff8b53a680445c20f2022664ee3
David Hume "A Treatise of Human Nature"
第1巻 「知る」ということ
イントロダクション
第1部 観念──その起源・合成・結合・抽象
1-01 観念の起源
1-02 主題の区分[なぜ観念を先に論ずるか]
1-03 記憶と想像
1-04 観念の結合または連合
1-05 関係
1-06 本体(substance)とおまけ(mode)
1-07 抽象的な観念
第2部 時間と空間の観念
2-01 空間と時間の観念の無限分割可能性について
2-02 空間と時間の無限分割可能性について
2-03 空間と時間の観念における諸性質
2-04 反論への回答
2-05 続き
2-06 存在の観念と外的存在について
第3部 知識(knowledge)と半知識(probability)
3-01 知識
3-02 半知識および因果の観念
3-03 なぜ原因は常に必然的(necessary)なのか
3-04 因果の推理(reasoning)の構成要素
3-05 感覚と記憶の印象
3-06 印象から観念への推論(inference)
3-07 観念または信念の本性
3-08 信念の原因
3-09 因果関係以外の関係・習慣による結果
3-10 信念の影響
3-11 偶然の半知識
3-12 複数の原因をもつ半知識
3-13 哲学的ではない半知識
3-14 必然的結合の観念
3-15 原因と結果を判定するための規則
3-16 動物の理性について
第4部 懐疑論およびその他の哲学体系について
4-01 理性についての懐疑論
4-02 感覚についての懐疑論
4-03 古代哲学
4-04 近代哲学
4-05 魂(soul)の非物質性
4-06 人格の同一性(identity)
4-07 第1巻の結論
第2巻 感情
第1部 誇りと卑下(humility)
1-01 主題の区分
1-02 誇りと卑下、その対象と原因
1-03 対象と原因はどこからくるか
1-04 印象と観念の関係
1-05 誇りと卑下についてこの関係が及ぼす影響
1-06 この体系の限界
1-07 悪徳と徳(vice and virtue)
1-08 美とブサイク(deformity)
1-09 外的な長所(advantage)と短所(dis-)
1-10 所有(property)と富裕(rich)
1-11 愛と名声
1-12 動物の誇りと謙遜について
第2部 愛と憎しみ
2-01 愛と憎しみの対象と原因
2-02 この体系を確証するための実験
2-03 難問の解決
2-04 同胞の愛(love of relations)
2-05 富者や権力者に対する尊敬(esteem)
2-06 博愛(benevolence)と怒り(anger)
2-07 同情(compassion)
2-08 悪意(malice)と妬み(envy)
2-09 「博愛と怒り」の「悪意と妬み」との混合
2-10 尊敬と侮蔑
2-11 恋愛感情、両性間の愛について
2-12 動物の愛と憎しみ
第3部 意志と直接感情
3-01 自由と必然
3-02 続き
3-03 意志の、行為に影響する動機
3-04 暴力的な感情の原因
3-05 習慣の結果
3-06 想像が感情に及ぼす影響
3-07 時間・空間的な近接と距離
3-08 続き
3-09 直接感情(direct passions)
3-10 好奇心と真理への愛
第3巻 道徳
第1部 徳と悪徳一般
1-01 分別(distinction)は理性からはもたらされない
1-02 分別は道徳感覚からもたらされる
第2部 正義と不正義
2-01 正義の徳は自然(natural)か人為(artificial)か
2-02 正義と所有の起源
2-03 所有を決定する規則
2-04 同意による所有の移転(transference)
2-05 約束の責務
2-06 正義と不正義についてのさらなる考察
2-07 政府(統治組織)の起源
2-08 忠誠(allegiance)の源泉
2-09 忠誠をはかる
2-10 忠誠の対象
2-11 国家間の法
2-12 貞操(chastity)と慎み(modesty)
第3部 その他の徳と悪徳
3-01 自然の徳と悪徳の起源
3-02 心の偉大さ
3-03 善良さと博愛
3-04 自然の能力(才能)
3-05 自然の徳についてのさらなる考察
3-06 第3巻の結論
付録
返信削除<観 念>
:
普遍性
へ I
概 一 I 特
…般ーー十ーー殊
念 性 I 性
V I
単独性
(p)http://3.bp.blogspot.com/-USYylEMx12o/TyNS1ue7j0I/AAAAAAAAFig/6O7dT3SOsAk/s1600/a0024841_1351018.jpg
柄谷行人『探究2』より
9:08 午後
yoji さんは書きました...
観 念
:
普遍性
|
概 一 | 特
・・般___|___殊
念 性 | 性
|
単独性
(柄谷行人『探究2』文庫版150頁より)
9:19 午後
yoji さんは書きました...
観 念
:
普遍性
(法) |(反復)
概 一 | 特
・・般十十十十十十十殊
念 性 | 性
(概念)|(行動)
単独性
12:44 午前
yoji さんは書きました...
*
反復と一般性の区別の三つのレベル
行動、新エロイーズ(ルソー)
法、 ニーチェ、キルケゴール
概念、カント →概念の阻止へ
概念の「阻止」(bloquer、固定、凍結)は以下のように横軸が
条理化されることを意味するだろう。
観 念
:
普遍性
(法) |(反復)
概 一 | 特
・・般十十十十十十十殊
念 性 | 性
(概念)|(行動)
単独性
カントも参照される権利上の概念の問題は、動的概念、
さらには図の縦軸に当たる観念=イデアを準備する。
NAMs出版プロジェクト: ドゥルーズ『差異と反復』:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_20.html?m=0#_0000
http://tsujiko692.blog.fc2.com/blog-entry-79.html
返信削除「
私の未規定な存在は、ひとつの現象の存在として、すなわち、時間のなかで現われる受動的あるいは受容的な現象的主観として、時間のなかでしか規定されることができないのであり、したがって、私が〈私が思考する〉において意識する自発性は、実体的かつ自発的な存在者の属性としては理解されることができず、ただ、ひとつの受動的な自我における触発としてだけ理解されうるのであって、その受動的な自我は、おのれ自身の思考、すなわち、おのれ自身の知性、すなわちおのれがそれによって《私》と言える当のものが、その受動的自我によっては活動せず、ただその自我においてかつその自我に対して活動する、ということを感知するのである。〔中略〕思考の能動性が、受容的な存在者へと、つまり受動的な主観へと振り向けられるので、この受動的な主観は、その能動性を働かせるというよりは、むしろそれをおのれに表象=再現前化するのであり、その能動性の主導権を手に入れるというよりは、それの効果を感じるのであって、結局、その能動性を、おのれのうちにおいてひとつの《他》なるものとして生きるのである。「私は思考する」と「私は存在する」に、「受動的、受容的な」自我を、すなわち受動的な位置(カントが直観の受容性と呼ぶもの)を付け加えなければならない。言い換えるなら、規定作用と未規定なものに、規定されうるものの形式を、すなわち時間を付け加えなければならないのである。とはいえ、「付け加える」というのは、まずい言い方である。なぜなら、むしろ差異をつくる〔差をつける〕ことが、そして差異を存在と思考のなかに内化することが問題だからである。《私なるもの》には、一方の端から他方の端まで、言わば亀裂が入っている。《私》は、時間の純粋で空虚な形式によってひび割れている。この形式のもとで、《私》は、時間のなかで現われる受動的な自我の相関項になっている。《私》のなかの或る裂け目、亀裂、そして自我における或る受動性こそ、時間が意味するものなのである。こうして、受動的な自我とひび割れた《私》との相関関係が、超越論的なものの発見を、あるいはコペルニクス的転回の境地を構成するのである。(注2)
」
思考そのものに時間の形式を持ち込むこと、これがもたらす成果とは、ドゥルーズによれば神の死、ひび割れた「私」、受動的な自我であり、それらの帰結を追求したのはカントその人ではなくて、詩人ヘルダーリンだったのだという。もっとも、先に検討した第二の時間、すなわち記憶が、一方では純粋過去として表象(再現前化)の根拠でありながら、他方ではそれ自身が根拠づける相手であるはずの表象(再現前化)に相関的でもあるほかないということ、すなわち記憶の領域では依然として、見本の側の同一性と、それの影像の側の類似性とが支配しており、その結果として根拠は円環を形成してしまい、思考に運動を導入するのではなくて心に周期的な運動を導入するにとどまるということ、このような記憶の弱点を克服したのは、まぎれもなくカントの功績である。こうなると時間は、循環や周期性からも、またいかなる内容からも解放されて、空虚な形式としての純粋な順序と化す。いわば歴史哲学への詩学の応用の試みとでも形容できそうなヘルダーリンの批評―とりわけ『オイディプスへの注解』―における卓抜な表現を借用するなら、それはツェズーア(Cäsur)、すなわち区切りもしくは「中間休止」によって前後に分断される、直線的な時間である。そのような「前」と「後」は互いに不等であり、非対称的であり、したがって何人にも後戻りを許さないのである。
「
時間の空虚な形式あるいは第三の総合とは、何を意味するのだろうか。デンマークの王子〔ハムレット〕は、「時間はその蝶番から外れてしまった」と語る。〔中略〕蝶番、カルドーcardoとは、時間によって測定される周期的な運動が通過するまさに機軸的(カルディナル)な点に、その時間が従属しているということを、保証するものである(その時間は、宇宙にも魂にも同様に必要な時間、すなわち運動の数である)。反対に、おのれの蝶番から外れてしまった時間は、発狂した時間を意味している。発狂した時間とは、神が時間に与えた曲率の外に出て、おのれの単純すぎる循環的な形態から自由になり、おのれの内容をつくってくれたもろもろの出来事から解放され、おのれと運動との関係を覆してしまうような、そうした時間であって、要するに、おのれを空虚で純粋な形式として発見する時間なのである。事物は(円環という単純すぎる形態に即して)時間のなかで繰り広げられるのだが、それに反して時間は、それ自身が繰り広げられる(すなわち、円環であることを公然とやめるのである)。時間は、機軸的(カルディナル)なものであることをやめて、順序的(オルディナル)なものに、つまり、純粋な順序としての時間へと生成するのである。ヘルダーリンは、時間は「韻を踏む」のをやめる、なぜなら、時間は、〔詩の〕始まりと終りがもはや一致しなくなるような「中間休止」の前半部と後半部に、おのれを不等に配分するからであると語っていた。わたしたちは、時間の順序を、以上のような中間休止に応じた不等なものの純粋に形式的な配分として定義することができる。そうなれば、〔詩の〕長かったり短かったりする過去〔前半部〕と、その過去に反比例する未来〔後半部〕が区別されるわけだが、ただし、その場合、そのような未来と過去は、時間の経験的あるいは動的な規定ではなくなって、時間の静的な総合としてのア・プリオリな順序に由来する形式的かつ固定的な特徴になる。その場合、時間はもはや運動に従属していないがゆえに、そうした総合は必然的に静的なものである。もっとも根本的な変化の形式〔順序〕があるわけだが、この変化の形式は変化しないのである。《私》の亀裂を構成するものは、まさに、中間休止であり、またその中間休止によって〈これを最後に〉順序づけられる〈前〉と〈後〉である(中間休止は、まさしく亀裂が誕生する点なのである)。(注3)」
それではなぜ、円環状ではなくて直線状の、空虚な形式としてのこの第三の時間が、ドゥルーズにとって大切なのか。この問いに答えるためには、不等な諸部分としての時間の総体(すなわち「前」と「後」)を包摂する、行動の映像(イマージュ)に注目しなくてはならない。彼はこれを象徴とも呼んでおり、中間休止はその中で決定されるのである。この観点から、第三の時間そのものにおける三つの局面―「前‐中間休止‐後」、あるいは「過去‐現在‐未来」―を論じるなら、以下のようになる。
http://tsujiko692.blog.fc2.com/blog-entry-79.html
返信削除「
クロソウスキーの言うように、永遠回帰とは、私自身の一貫性も、私自身の同一性も、自我の、世界の、神の同一性も、すべて排除することによってはじめて定立される秘密の一貫性である。永遠回帰が還帰させるものは、〈平民〉、すなわち〈名もなき人〉である。永遠回帰は、おのれの円環のなかで、死んだ神とひび割れた自我を招き寄せる。永遠回帰は、太陽を還帰させはしない。なぜなら、永遠回帰は太陽の炸裂を前提にしているからだ。永遠回帰は、星雲にしか関与せず、星雲と混じり合っており、星雲のためにしか運動しないのである。〔中略〕順序としての時間が《同じ》ものの円環を打ち砕き、時間を系列に変えるのは、系列の終りに《他》なるものの円環を再形成するためでしかない。順序の「これを最後に」が現にあるのは、ただひたすら秘教的な最後の円環〔永遠回帰〕の「その都度」のためである。形式としての時間が現にあるのは、ただひたすら、永遠回帰における非定形なものの啓示のためである。極限的な形式性が現にあるのは、ただひたすら、過度に非定形なもの(ヘルダーリンにおける無形なものUnförmliche)のためである。こうして、根拠は、無底(サン・フォン)に向かって、すなわち、それ自身において回転し、そして〈将‐来〉しか還帰させない普遍的な脱根拠化に向かって、越えられてしまったのである。(注6)」
ここで注意すべきは、同一性や循環性を排除するということは、決して単なる破壊に終わることなく、以下の著者自身による簡明なまとめの一節からもうかがえるように、作者の消去に伴う作品の独立という肯定的な成果を必ずもたらすという点であろう。だからこそ、先にも触れたように、この時間論の要となるのは過去でも現在でもなく、未来ではなくてはならないのである。
「
さてこうなると、現在と過去は、以上のような時間の第三の総合においてはもはや、未来の二つの次元でしかないのである。すなわち、条件としての過去、そして作用者としての現在。習慣の総合たる第一の総合は、過去と未来が依存している受動的な土台において、生ける現在としての時間を構成していた。さらに、記憶の総合たる第二の総合は、現在を過ぎ去らせ別の現在を到来させる根拠という観点から、純粋過去としての時間を構成していた。しかし、第三の総合においては、現在はもはや、消去されるべく予定された当事者、作者、作用者でしかない。過去はと言えば、それはもはや、欠如によってことにあたる条件でしかないのである。所産がその条件に対して無条件的な性格をもっていること、および、作品がその作者もしくは当事者に対して独立していることを、或る未来が同時に肯定するのだが、こうした未来を、時間の第三の総合が構成するのである。現在、過去、未来が、三つの総合を通じてそれぞれ《反復》として開示されるのだが、ただしこの開示は、きわめて異なった様態でなされるのである。現在は反復者であり、過去は反復そのものであるが、しかし未来は反復されるものである。ところで、その総体において把握された反復の秘密は、反復されるもの、すなわち〔過去と現在によって〕二度〈意味される(シニフィエ)〉ものにある。最高の反復、それは、他の二つの反復をおのれに従属させ、それらから自律性を剝奪する未来という反復である。なぜなら、第一の総合は、内容と土台としての時間にしか関わらず、第二の総合は、根拠としての時間にしか関わらないのだが、第三の総合はそれらを越えて、時間の順序、総体、系列、および究極目標に関わっているからである。(注7)」
http://tsujiko692.blog.fc2.com/blog-entry-79.html
返信削除「
クロソウスキーの言うように、永遠回帰とは、私自身の一貫性も、私自身の同一性も、自我の、世界の、神の同一性も、すべて排除することによってはじめて定立される秘密の一貫性である。永遠回帰が還帰させるものは、〈平民〉、すなわち〈名もなき人〉である。永遠回帰は、おのれの円環のなかで、死んだ神とひび割れた自我を招き寄せる。永遠回帰は、太陽を還帰させはしない。なぜなら、永遠回帰は太陽の炸裂を前提にしているからだ。永遠回帰は、星雲にしか関与せず、星雲と混じり合っており、星雲のためにしか運動しないのである。〔中略〕順序としての時間が《同じ》ものの円環を打ち砕き、時間を系列に変えるのは、系列の終りに《他》なるものの円環を再形成するためでしかない。順序の「これを最後に」が現にあるのは、ただひたすら秘教的な最後の円環〔永遠回帰〕の「その都度」のためである。形式としての時間が現にあるのは、ただひたすら、永遠回帰における非定形なものの啓示のためである。極限的な形式性が現にあるのは、ただひたすら、過度に非定形なもの(ヘルダーリンにおける無形なものUnförmliche)のためである。こうして、根拠は、無底(サン・フォン)に向かって、すなわち、それ自身において回転し、そして〈将‐来〉しか還帰させない普遍的な脱根拠化に向かって、越えられてしまったのである。(注6)」
yoji さんは書きました...
返信削除差異と反復
_______|_________
| |
| |同一性と
差異__|__反復 |対立の哲学
_|_ | |
| | 0序論 |
1それ自身における差異| | |
| | _|_ |
| | | | |
| | | 反復と一般性の区別 |
| | | _|_ |
| | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| | | _|_ |
| | | | | |
| | | _|_ 固定(阻止) |
| | | | | |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
| | | |
| |2それ自身へ向かう反復 |
| | | |
| | 無意識 |
| | |_______________|
|___| |
| 3思考のイマージュ
4差異の理念的総合 |
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5感覚されうるものの非対称的総合
|
結論:差異と反復
序 論:反復と差異
1=第1章:それ自身における差異
2=第2章:それ自身へ向かう反復
3=第3章:思考のイマージュ
4=第4章:差異の理念的総合
5=第5章:感覚されうるものの非対称的総合
6=結 論:差異と反復
3:11 午前
yoji さんは書きました...
『差異と反復』>>14:チャート図
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| |同一性と
差異__|__反復 |対立の哲学
_|_ | |
| | 0序論>>4 |
1それ自身における差異| | |
>>5 | | _|_ |
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| | | 反復と一般性の区別>>111|
| | | _|_ >>696|
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| | | 行動、法、概念 |
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| | | _|_ 固定(阻止) |
| | | | | |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
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| |2それ自身へ向かう反復>>7 |
| | | >>8 |
| | 無意識 |
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| 3思考のイマージュ>>9
4差異の理念的総合>>10 |
| >>11 |
|_______________|
|
5感覚されうるものの非対称的総合 >>12
|
結論:差異と反復 >>13
はじめに
序 論:反復と差異 >>4
第1章:それ自身における差異 >>5
第2章:それ自身へ向かう反復 >>7 >>8
第3章:思考のイマージュ >>9
第4章:差異の理念的総合 >>10 >>11
第5章:感覚されうるものの非対称的総合 >>12
結 論:差異と反復 >>13
3:23 午前
yoji さんは書きました...
『差異と反復』>>14:チャート図
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| |同一性と
差異__|__反復 |対立の哲学
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| | 0序論>>4 |
1それ自身における差異| | |
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ショーペンハウアー | | 反復と一般性の区別>>111|
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| アリストテレス| | | | |
| | | 行動、法、概念 |
一義勢と差異 | | _|_ |
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スコトゥス、 | | _|_ 固定(阻止) |
スピノザ、 | | | | |
ニーチェ | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
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| |2それ自身へ向かう反復>>7 |
| | | | >>8 |
| ライプニッツ| 時間の総合 |
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| ヘーゲル || | | |
| | |現在 過去 永劫回帰 |
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|______| 無意識 |
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プラトン |
| 3思考のイマージュ>>9
4差異の理念的総合>>10 |
| >>11 |
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5感覚されうるものの非対称的総合 >>12
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結論:差異と反復 >>13
はじめに
序 論:反復と差異 >>4
第1章:それ自身における差異 >>5
第2章:それ自身へ向かう反復 >>7 >>8
第3章:思考のイマージュ >>9
第4章:差異の理念的総合 >>10 >>11
第5章:感覚されうるものの非対称的総合 >>12
結 論:差異と反復 >>13
返信削除「クロソウスキーの言うように、永遠回帰とは、私自身の一貫性も、私自身の同一性も、自我の、世界の、神の同一性も、すべて排除することによってはじめて定立される秘密の一貫性である。永遠回帰が還帰させるものは、〈平民〉、すなわち〈名もなき人〉である。永遠回帰は、おのれの円環のなかで、死んだ神とひび割れた自我を招き寄せる。永遠回帰は、太陽を還帰させはしない。なぜなら、永遠回帰は太陽の炸裂を前提にしているからだ。永遠回帰は、星雲にしか関与せず、星雲と混じり合っており、星雲のためにしか運動しないのである。〔中略〕順序としての時間が《同じ》ものの円環を打ち砕き、時間を系列に変えるのは、系列の終りに《他》なるものの円環を再形成するためでしかない。順序の「これを最後に」が現にあるのは、ただひたすら秘教的な最後の円環〔永遠回帰〕の「その都度」のためである。形式としての時間が現にあるのは、ただひたすら、永遠回帰における非定形なものの啓示のためである。極限的な形式性が現にあるのは、ただひたすら、過度に非定形なもの(ヘルダーリンにおける無形なものUnförmliche)のためである。こうして、根拠は、無底(サン・フォン)に向かって、すなわち、それ自身において回転し、そして〈将‐来〉しか還帰させない普遍的な脱根拠化に向かって、越えられてしまったのである。(注6)
」
ここで注意すべきは、同一性や循環性を排除するということは、決して単なる破壊に終わることなく、以下の著者自身による簡明なまとめの一節からもうかがえるように、作者の消去に伴う作品の独立という肯定的な成果を必ずもたらすという点であろう。だからこそ、先にも触れたように、この時間論の要となるのは過去でも現在でもなく、未来ではなくてはならないのである。
「
さてこうなると、現在と過去は、以上のような時間の第三の総合においてはもはや、未来の二つの次元でしかないのである。すなわち、条件としての過去、そして作用者としての現在。習慣の総合たる第一の総合は、過去と未来が依存している受動的な土台において、生ける現在としての時間を構成していた。さらに、記憶の総合たる第二の総合は、現在を過ぎ去らせ別の現在を到来させる根拠という観点から、純粋過去としての時間を構成していた。しかし、第三の総合においては、現在はもはや、消去されるべく予定された当事者、作者、作用者でしかない。過去はと言えば、それはもはや、欠如によってことにあたる条件でしかないのである。所産がその条件に対して無条件的な性格をもっていること、および、作品がその作者もしくは当事者に対して独立していることを、或る未来が同時に肯定するのだが、こうした未来を、時間の第三の総合が構成するのである。現在、過去、未来が、三つの総合を通じてそれぞれ《反復》として開示されるのだが、ただしこの開示は、きわめて異なった様態でなされるのである。現在は反復者であり、過去は反復そのものであるが、しかし未来は反復されるものである。ところで、その総体において把握された反復の秘密は、反復されるもの、すなわち〔過去と現在によって〕二度〈意味される(シニフィエ)〉ものにある。最高の反復、それは、他の二つの反復をおのれに従属させ、それらから自律性を剝奪する未来という反復である。なぜなら、第一の総合は、内容と土台としての時間にしか関わらず、第二の総合は、根拠としての時間にしか関わらないのだが、第三の総合はそれらを越えて、時間の順序、総体、系列、および究極目標に関わっているからである。(注7)」
注
(1)ジル・ドゥルーズ『差異と反復 上』(財津理訳、河出文庫、2007年)235-236頁。ただし引用に際して、訳文中の「コンブレ」を「コンブレー」に、「アクチュアル」を「現働的」に、「エレメント」を「境地」に改め、また傍点が付してある箇所を太字の表記に改めた。
(2)同書238-240頁。ただし引用に際して、訳文中の「先験的」を「超越論的」に、「エレメント」を「境地」に改めた。
(3)同書245-246頁。
(4)同書247-249頁。ただし引用に際して、訳文中の「イマージュ」を「映像」に、「セリー」を「系列」に、「イデア的な自我」(原語は« un moi idéal »である)を「理想自我」に改めた。
(5)同書250-251頁。ただし引用に際して、訳文中の「セリー」を「系列」に改めた。
(6)同書251-252頁。ただし引用に際して、訳文中の「セリー」を「系列」に改めた。
(7)同書257-258頁。ただし引用に際して、訳文中の「セリー」を「系列」に、「最終目的」(原語は« le but final »である)を「究極目標」に改めた。
返信削除『差異と反復』>>14:チャート図
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| |同一性と
差異__|__反復 |対立の哲学
_|_ | |
| | 0序論>>4 |
1それ自身における差異| | |
>>5 | | _|_ |
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ショーペンハウアー | | 反復と一般性の区別>>111|
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| アリストテレス| | | | |
| | | 行動、法、概念 |
一義性と差異 | | _|_ |
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スコトゥス、 | | _|_ 固定(阻止) |
スピノザ、 | | | | |
ニーチェ | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
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| |2それ自身へ向かう反復>>7 |
| | | | >>8 |
| ライプニッツ| 時間の総合 |
| | | __|__ |
| ヘーゲル || | | |
| | |現在 過去 永劫回帰 |
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|______| 無意識 |
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プラトン |
| 3思考のイマージュ>>9
4差異の理念的総合>>10 ベルクソン
カント >>11 |
|________________|
|
5感覚されうるものの非対称的総合 >>12
強度の特徴 | ライプニッツ
結論:差異と反復 >>13 ニーチェ
はじめに
序 論:反復と差異 >>4
第1章:それ自身における差異 >>5
第2章:それ自身へ向かう反復 >>7 >>8
第3章:思考のイマージュ >>9
第4章:差異の理念的総合 >>10 >>11
第5章:感覚されうるものの非対称的総合 >>12
結 論:差異と反復 >>13
3:42 午前 削除
Blogger yoji さんは書きました...
『差異と反復』>>14:チャート図
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| |同一性と
差異__|__反復 |対立の哲学
_|_ | |
| | 0序論>>4 |
1それ自身における差異| | |
>>5 | | _|_ |
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ショーペンハウアー | | 反復と一般性の区別>>111|
| | | _|_ >>696|
| アリストテレス| | | | |
| | | 行動、法、概念 |
一義性と差異 | | _|_ |
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スコトゥス、 | | _|_ 固定(阻止) |
スピノザ、 | | | | |
ニーチェ | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
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| |2それ自身へ向かう反復>>7 |
| | | | >>8 |
| ライプニッツ| 時間の総合 |
| | | __|__ |
| ヘーゲル || | | |
| | |現在 過去 永劫回帰 |
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|______| 無意識 |
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プラトン |
| 3思考のイマージュ>>9
4差異の理念的総合>>10 ベルクソン
カント >>11 |
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5感覚されうるものの非対称的総合 >>12
共通感覚 | 強度の特徴 固体化 ライプニッツ
|
結論:差異と反復 >>13 ニーチェ
はじめに
序 論:反復と差異 >>4
第1章:それ自身における差異 >>5
第2章:それ自身へ向かう反復 >>7 >>8
第3章:思考のイマージュ >>9
第4章:差異の理念的総合 >>10 >>11
第5章:感覚されうるものの非対称的総合 >>12
結 論:差異と反復 >>13
返信削除チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別 反復=イデア|
ショーペンハウアー | | __|__ |
| | |行動 法/ 概念 |
| アリストテレス|キルケゴール_|__留保(阻止)|
|種異、類差、範疇| 裸__|__着衣 |
一義性と差異 | | | |
スコトゥス、スピノザ| | 二:| ヒューム |
ニーチェ | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
| ライプニッツ |___時間の総合 デカルト |
| ヘーゲル | カント |
|______| 現在__過去__円環 |
| マルクス | | | |
ハイデガー フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
プラトン『ソピステス』 見せかけ |______|デカルト
| 理念= |ベルクソン
四:差異の理念的総合 多様体 三:思考のイマージュ プラトン
カント|________________| 障害としての諸公準
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的+実在的 他者 /良識、共通感覚 結論:差異と反復 存在=
現働的 ダーウィン ニーチェ 差異
個体化 個体的差異 強度の特徴 永遠回帰における反復
返信削除『差異と反復』>>14:チャート図
_______|_________
| |同一性と
差異__|__反復 |対立の哲学
_|_ | |
| | 0序論>>4 |
1それ自身における差異| _|_ |
|>>5| | | |
ショーペンハウアー | | 反復と一般性の区別>>111|
| | | _|_ >>696|
| アリストテレス| | | | |
| | | 行動、法、概念 |
一義性と差異 | | _|_ |
| | | _|_ | |
スコトゥス、 | | | | 固定(阻止) |
スピノザ、 | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
ニーチェ | | | | |
| |2それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
| | | | >>8 |
| ライプニッツ | 時間の総合 |
| | | __|__ |
| ヘーゲル || | | |
| | |現在 過去 永劫回帰 |
| | ||__|__| |
|______| 無意識 | |
| |___| |
| |___________|
プラトン |
| 3思考のイマージュ>>9
4差異の理念的総合>>10 ベルクソン
カント >>11 |
|________________|
|
5感覚されうるものの非対称的総合 >>12
共通感覚 | 強度の特徴 個体化 ライプニッツ
|
結論:差異と反復 >>13 ニーチェ
4:17 午前
yoji さんは書きました...
『差異と反復』>>14:チャート図
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| |同一性と
差異__|__反復 |対立の哲学
_|_ | |
| | 0序論>>4 |
1それ自身における差異| _|_ |
|>>5| | | |
ショーペンハウアー | | 反復と一般性の区別>>111|
| | | _|_ >>696|
| アリストテレス| | | | |
| | | 行動、法、概念 |
一義性と差異 | | _|_ |
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スコトゥス、 | | | | 固定(阻止) |
スピノザ、 | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
ニーチェ | | | | |
| |2それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
| | | | >>8 |
| ライプニッツ | 時間の総合 |
| | | __|__ |
| ヘーゲル || | | |
| | |現在 過去 永劫回帰 |
| | ||__|__| |
|______| 無意識 | |
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プラトン |___________|
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|>>10カント 3思考のイマージュ>>9 ベルクソン
4差異の理念的総合>>11 |
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5感覚されうるものの非対称的総合 >>12
共通感覚 | 強度の特徴 個体化 ライプニッツ
|
結論:差異と反復 >>13 ニーチェ
4:20 午前
yoji さんは書きました...
『差異と反復』>>14:チャート図
_______|_________
| |同一性と
差異__|__反復 |対立の哲学
_|_ | |
| | 0序論>>4 |
1それ自身における差異| _|_ |
|>>5| | | |
ショーペンハウアー | | 反復と一般性の区別>>111|
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| アリストテレス| | | | |
| | | 行動、法、概念 |
一義性と差異 | | _|_ |
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スコトゥス、 | | | | 固定(阻止) |
スピノザ、 | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
ニーチェ | | | | |
| |2それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
| | _|_ >>8 |
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| ライプニッツ | 時間の総合 |
| | | __|__ |
| ヘーゲル || | | |
| | |現在 過去 永劫回帰 |
| | ||__|__| |
|______| 無意識 | |
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プラトン |___________|
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|>>10カント 3思考のイマージュ>>9 ベルクソン
4差異の理念的総合>>11 |
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|
5感覚されうるものの非対称的総合 >>12
共通感覚 | 強度の特徴 個体化 ライプニッツ
|
結論:差異と反復 >>13 ニーチェ
4:23 午前
yoji さんは書きました...
『差異と反復』>>14:チャート図
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| |同一性と
差異__|__反復 |対立の哲学
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| | 0序論>>4 |
1それ自身における差異| _|_ |
|>>5| | | |
ショーペンハウアー | | 反復と一般性の区別>>111|
| | | _|_ >>696|
| アリストテレス| | | | |
| | | 行動、法、概念 |
一義性と差異 | | _|_ |
http://www.eleutheria.com/philo/autoaffection/deleuze/repetition.html
返信削除少々長くなるが、最初の文を第一章から全文引用したい。
「永遠回帰が最高度の思想であるのは、換言すれば、もっとも強度の高い思想であるのは、永遠回帰の極限的な一貫性が、最高度の点において、思考する主体、思考される世界、さらに保証する神のそれぞれの一貫性を排除するからである。カント哲学には、或る明確な契機、人知れず閃光を放った契機があり、それはカントにおいてすら継続せず、カント以後の哲学にはなおのこと引き継がれていない―――ヘルダーリンにおける「定言的転回」という経験と理念にはおそらく引き継がれている―――のだが、わたしたちは、カント以前とカント以後の出来事(結局は同じ自体に帰着する出来事)にというよりも、むしろそうしたカント哲学そのものの契機にこそ関心を寄せなければならないのである。というのも、カントが理性的神学を批判するとき、同時に彼は、一種のアンバランス、裂け目、あるいは亀裂を、つまり権利上克服できない正当な疎外(精神異常)を、<私は考える>の純粋な<自我>のなかに導きいれるからである。すなわち主観は、自分自身の自発性を、もはや或る<他>なるものの自発性としてしか表象することができず、したがって結局のところ、主観自身の一貫性、世界の一貫性、および神の一貫性と相容れることのない神秘的な一貫性を援用するのである。崩潰した自我として、<私は思考する>。換言すれば、「私は考える」の<自我>は、その本質において、或る種の直感的受容性を、すなわち、<私>がそれと比較すればすでにひとつの他なるものであるといった当のそれである受容性を含んでいる。総合的同一性が、さらには実践理性の道徳性が、自我、世界、および神のそれぞれの完全さを回復し、カント以後の哲学の諸総合を準備するなどということは、どうでもよいことだ。以上のように、わたしたちがほんの少し立ち入って考えてみたのは、思考の最高度の力の特徴たる正当な精神分裂病である。これは、概念によるすべての媒介やすべての和解を一顧だにすることなく、<存在>をダイレクトに差異へと開かせるものである。」(『差異と反復』、河出書房新社、P102。以下の引用はすべてこの訳から。)
「カントが理性的神学を批判するとき」、これが一体どこの個所を指しているのかわからない。が、ここで語られる直観的受容性の話は演繹論における超越論的統覚意識の話として見られることが可能であるといちおう前提しておく。
本日搬入:ドゥルーズ=ガタリ『哲学とは何か』ついに文庫化 : ウラゲツ☆ブログ
返信削除http://urag.exblog.jp/15902022/
★二人はこう書きます。「哲学は、資本の相対的脱領土化を絶対的なものへと到達させる。哲学は、資本を、無限なものの運動としての内在平面のうえに移行させ、資本を、内的な限界としてのかぎりにおいて消去し、新たな大地に、新たな民衆に訴えかけるために、資本をそれ自身に反抗させるのである。しかしそうすることで、哲学は、概念の非命題的形式に、すなわち、コミュニケーション、交換、コンセンサス、そしてオピニオンこそがそこで絶滅する当の形式に到達する。したがってそれは、アドルノが「否定弁証法」と呼んだものに、またフランクフルト学派が「ユートピア」として指し示したものにかなり近いのである。実際、ユートピアこそが、哲学とその時代との、すなわちヨーロッパ資本主義との、しかしすでにまたギリシアの都市国家との接合をつくるのである。そのつどユートピアを携えてこそ、哲学は政治的なものに生成し、おのれの時代に対する批判をこのうえなく激しく遂行する」(171-172頁)。
★さらに続けてこう書きます。「ユートピアは無限運動から切り離しえない。ユートピアは、語源からして〔「どこにもない場所」を意味し〕、絶対的脱領土化を指すのだが、ただしつねに臨界点において――すなわち絶対的脱領土化が、現前している相対的な中間=環境と連結し、とりわけそうした中間=環境のなかで窒息した諸力を連結するようになる臨界点において――絶対的脱領土化を指す。ユートピア論者サミュエル・バトラーが用いた言葉「エレホン Erewhon」は、たんに《No-where》つまり「どこにもない」だけでなく、《Now-here》つまり「いま-ここ」をも指し示している。重要なのは、いわゆる空想的社会主義と科学的社会主義との区別ではなく、むしろ、様々なタイプのユートピアなのであって、革命はそのひとつである」(172頁)。
★さらにさらに続けて。「ユートピアという観念には(哲学においてもそうであるが)、つねに、超越を復活させてしまうおそれが、そしてときには、超越を尊大に肯定する態勢が存在する。したがって、権威主義的あるいは超越的ユートピアと、絶対自由主義的、革命的、内在的ユートピアを区別しなければならない。しかしまさにその点に関して言うなら、革命はそれ自身内在的ユートピアであると主張することは、革命はひとつの夢、何か実現されないものの、あるいは実現されれば必ず裏切られてしまうものであると主張することにはならないのだ。反対に、そう主張することは、革命を、内在平面、無限運動、絶対的俯瞰として定立することである。ただし、そうできるのは、これら〔三つ〕の特性が、資本主義に対する戦いのなかで、いまここに存在する現実的なものと連結するかぎりにおいてであり、また、それらの特性が、その戦いが裏切られるたびごとに新たな戦いを再開するかぎりにおいてである。ユートピアという言葉は、したがって、哲学あるいは概念と、現前している中間=環境との、以上のような接続を、すなわち政治哲学を意味している(とはいうものの、オピニオンによって与えられたゆがんだ意味からすれば、「ユートピア」はおそらく最良の言葉ではない)」(172-173頁)。
返信削除『差異と反復』>>14:チャート図
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| |同一性と
差異__|__反復 |対立の哲学
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1それ自身における差異| _|_ |
|>>5| | | |
ショーペンハウアー | | 反復と一般性の区別>>111|
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| アリストテレス| | | | |
| | | 行動、法、概念 |
一義性と差異 | | _|_ |
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スコトゥス、 | | | | 固定(阻止) |
スピノザ、 | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
ニーチェ | | |
| |2それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
| ライプニッツ | >>8 |
| | 時間の総合 |
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|>>10カント 3思考のイマージュ>>9 ベルクソン
4差異の理念的総合>>11 |
|________________|
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5感覚されうるものの非対称的総合 >>12
共通感覚 | 強度の特徴 個体化 ライプニッツ
|
結論:差異と反復 >>13 ニーチェ
4:35 午前
yoji said...
『差異と反復』>>14:チャート図
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| |同一性と
差異__|__反復 |対立の哲学
_|_ | |
| | 0序論>>4 |
一それ自身における差異| _|_ |
|>>5| | | |
ショーペンハウアー | | 反復と一般性の区別>>111|
| | | _|_ >>696|
| アリストテレス| | | | |
| | | 行動、法、概念 |
一義性と差異 | | _|_ |
| | | _|_ | |
スコトゥス、 | | | | 固定(阻止) |
スピノザ、 | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
ニーチェ | | |
| |二それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
| ライプニッツ | >>8 |
| | 時間の総合 |
| | ___|___ |
| ヘーゲル | | | |
| | 現在 過去 永劫回帰 |
| | | 潜在的無意識|ニーチェ |
| | | フロイト | |
|______| |___|___| |
| | |
プラトン |__________|
| |
|>>10カント 三思考のイマージュ>>9 ベルクソン
四差異の理念的総合>>11 |
|________________|
|
五感覚されうるものの非対称的総合 >>12
共通感覚 | 強度の特徴 個体化 ライプニッツ
|
結論:差異と反復 >>13 ニーチェ
4:37 午前
yoji said...
『差異と反復』>>14:チャート図
_______|_________
| |同一性と
差異__|__反復 |対立の哲学
_|_ | |
| | 0序論>>4 |
一それ自身における差異| _|_ |
|>>5| | | |
ショーペンハウアー | | 反復と一般性の区別>>111|
| | | _|_ >>696|
| アリストテレス| | | | |
| | | 行動、法、概念 |
一義性と差異 | | _|_ |
| | | _|_ | |
スコトゥス、 | | | | 固定(阻止) |
スピノザ、 | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
ニーチェ | | |
| |二それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
| ライプニッツ | >>8 |
| | 時間の総合 |
| | ___|___ |
| ヘーゲル | | | |
| | 現在 過去 永劫回帰 |
| | | 潜在的無意識|ニーチェ |
| | | フロイト | |
|______| |___|___| |
| |__________|
プラトン |
|>>10カント 三思考のイマージュ>>9 ベルクソン
四差異の理念的総合>>11 |
|________________|
|
五感覚されうるものの非対称的総合 >>12
共通感覚 | 強度の特徴 個体化 ライプニッツ
|
結論:差異と反復 >>13 ニーチェ
4:44 午前
yoji said...
『差異と反復』>>14:チャート図
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| |同一性と
差異__|__反復 |対立の哲学
_|_ | |
| | 0序論>>4 |
一それ自身における差異| _|_ |
|>>5| | | |
ショーペンハウアー | | 反復と一般性の区別>>111|
| | | _|_ >>696|
| アリストテレス| | | | |
http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/bitstream/10236/3275/1/20091113-2-4.pdf
返信削除フィリップ・ラクー=ラバルト ――神話、供犠、自伝――上田和彦
オイディプスの過ちは、知らずに犯した父殺しと不名誉な婚 姻にはなく、人間的知の限界を侵犯しようとしたことにある。人間的知の限界 の侵犯とは、具体的には、デルポイの神託を「市民たちのよき秩序を維持せよ」 といった類の単なる声明とは受けとらず、自ら神官となって、国の危機的状況 を宗教的かつ供犠的に解釈するということだ。つまり、疾病や不作の原因をな す罪を、供儀によって浄めようとすることが、オイディプスの行き過ぎ、すな わち、「解釈の過剰」という過ちなのである。この「解釈の過剰」によって、 オイディプスという人間は神的なものと無際限に一体化しようとする――そし て、その極みにおいて、神が定言的に転回し、人間も大地へ向かって、すなわ ち人間的有限性への服従へ向かって反転し、彷徨を強いられる。上の引用で言われている「双曲線論理」とは、こうした人間と神との一体化の最中で起こる分離のことだ。この神と人間との一体化の最中で起こる分離の上演こそが、弁 証法的・供儀的プロセスの「完成を禁じ、それを内側から麻痺」させようとす るのだ。「無際限な一体化が無際限な分離によって浄められる*)」、とヘルダー リンは言う。
「『オイディプス』への註解」、『ヘルダーリン全集』、第4巻、54頁、参照
目指すのは魂の救済
返信削除ドゥルーズのいう潜在的かつ実在的なものは魂に他ならない
自分のそれだとは言わないが
批判哲学では魂の救済は出来ないし、身体の復権もない
『差異と反復』>>14:チャート図
返信削除_______|_________
| |同一性と
差異__|__反復 |対立の哲学
_|_ | |
| | 0序論>>4 |
一それ自身における差異| _|_ |
|>>5| | | |
ショーペンハウアー | | 反復と一般性の区別>>111|
| | | _|_ >>696|
| アリストテレス| | | | |
| | | 行動、法、概念 |
一義性と差異 | | _|_ |
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スコトゥス、 | | | | 固定(阻止) |
スピノザ、 | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
ニーチェ | | |
| |二それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
| ライプニッツ | >>8 |
| | 時間の総合 |
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| ヘーゲル | | | |
| | 現在 過去 永劫回帰 |
| | | 潜在的無意識|ニーチェ |
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| |__________|
プラトン |
| >>10カント 三思考のイマージュ>>9 ベルクソン
四差異の理念的総合>>11 |
|__________________|
|
五感覚されうるものの非対称的総合 >>12
共通感覚 | 強度の特徴 個体化 ライプニッツ
|
結論:差異と反復 >>13 ニーチェ
4:45 午前
yoji said...
チャート式『差異と反復』>>14
_______|_________
差異__|__反復 |同一性と
_|_ 0序論>>4 |対立の哲学
| | | |ハイデガー
>>5| | _|__ |
一それ自身における差異| | 反復と一般性の区別>>111|
| | | _|_ >>696|
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
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一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
スコトゥス、 | | |
スピノザ、 |二それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| |
プラトン |__________|
| |>>9ベルクソン
四差異の理念的総合 三思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12
五感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復 >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
5:29 午前
yoji said...
チャート式、ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|_________
差異__|__反復 |同一性と
_|_ 0序論>>4 |対立の哲学
| | | |ハイデガー
>>5| | _|__反復と |
一それ自身における差異| | 一般性の区別>>24 |
| | | _|_ >>696|
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
スコトゥス、 | | |
スピノザ、 |二それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
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プラトン |__________|
| |>>9ベルクソン
四差異の理念的総合 三思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12
五感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復 >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
5:29 午前
目次
返信削除はじめに:
序 論:反復と差異
第1章:それ自身における差異
第2章:それ自身へ向かう反復
第3章:思考のイマージュ
第4章:差異の理念的総合
第5章:感覚されうるものの非対称的総合
結 論:差異と反復
目次、
はじめに:
序 論:反復と差異
第1章:それ自身における差異
第2章:それ自身へ向かう反復
第3章:思考のイマージュ
第4章:差異の理念的総合
第5章:感覚されうるものの非対称的総合
結 論:差異と反復
http://www.takushoku-u.ac.jp/laboratory/files/linguistics_127.pdf
返信削除ヘルダーリンにおける死の観念 (田野) ― 149 ―
4 2 ギリシア悲劇論における 「死」 の観念
詩作活動の最終期に位置するニュルティンゲン期 (1802 1804) に執筆 された 『オイディプスへの注解』 と 『アンティゴネーへの注解』 において, ヘルダーリンは二つのギリシア悲劇の構造的特徴を分析し, 劇の進行を中 断させ, 場面を 「この世」 から 「あの世」 へと転回させる 「中間休止」C asurについて言及している。 この 「中間休止」 は, エムペドクレス悲劇 における 「死」 や 「滅びと生成」 における 「没落」, 「解体」 と同質の思考 法に基づいている。
ヘルダーリンは, オイディプス悲劇の構造を異なる二つの次元の平衡関 係として捉える。 悲劇の進行はもともと 「空虚なものであり, 全く拘束を 受けないものである」 ため, 「詩の韻律において中間休止と呼ばれるもの, 純粋な言葉, 反リズム的中断が必要となる」。 「その結果, もはや表象の交 錯ではなく, 表象そのものが出現する」 と彼は主張する(35)。
この 「中間休止」 とは本来, 詩の韻律において, 揚格衝突によるリズム の中断を指すものであるが(36), ヘルダーリンはこれを悲劇全体の構造に適 用している。 悲劇では冒頭部からさまざまな事項が展開するものの, その 途中で神的発言が生じ, 劇のリズムが中断される。 この中断から悲劇は全 く別の次元へと展開する。 つまり, 人間と神の領域もしくは地上的展開と 天上的展開の二つの領域が, 「中間休止」 を挟んで共存する。 このような 流れをヘルダーリンはギリシア悲劇の構造的イメージとして認識した。 「計測されえない生きた意味が, 計測可能な法則と関係を持つに至る」(37) 悲劇の構造は, ギリシア人 (ここではソフォクレス) 固有の宗教的感情に 起因するとヘルダーリンは主張する。 ホンブルク期の論文草稿 『宗教につ いて』 の中で彼は, 人間と元素の高次の関係が 『オイディプスの注解』 に おける中間休止的と同じく, 「現実的な生の瞬間的な停止」(38) において生 じる, と述べている。 現世的生から神的領域への休止を伴う移行という点 で, ヘルダーリンが悲劇と宗教の本質を同一のものとして捉えている事実 が伺えよう。
『オイディプス』, 『アンティゴネー』 の両作品において具体的に 「中間 休止」 を形成しているのは, テイレシアスのことばであるとヘルダーリン は主張する(39)。 両作品におけるこの老預言者の役割は, オイディプス及び クレオン王に対し, 彼らの意志に反した運命を告げることである。 テイレ
(35) Vgl. StA 5, S. 196.
返信削除(36) Vel. Binder, Wolfgang “H olderlins Verskunst”, in : Hjb 23, 1982/1983, S.
20ff.
(37) Ebd., S. 195.
(38) StA 4, S. 275.
(39) Vgl. StA 5, S. 197.
http://www.takushoku-u.ac.jp/laboratory/files/linguistics_127.pdf
返信削除ヘルダーリンにおける死の観念 (田野武夫) ― 149 ―
4 2 ギリシア悲劇論における 「死」 の観念
詩作活動の最終期に位置するニュルティンゲン期 (1802 1804) に執筆 された 『オイディプスへの注解』 と 『アンティゴネーへの注解』 において, ヘルダーリンは二つのギリシア悲劇の構造的特徴を分析し, 劇の進行を中 断させ, 場面を 「この世」 から 「あの世」 へと転回させる 「中間休止」C asurについて言及している。 この 「中間休止」 は, エムペドクレス悲劇 における 「死」 や 「滅びと生成」 における 「没落」, 「解体」 と同質の思考 法に基づいている。
ヘルダーリンは, オイディプス悲劇の構造を異なる二つの次元の平衡関 係として捉える。 悲劇の進行はもともと 「空虚なものであり, 全く拘束を 受けないものである」 ため, 「詩の韻律において中間休止と呼ばれるもの, 純粋な言葉, 反リズム的中断が必要となる」。 「その結果, もはや表象の交 錯ではなく, 表象そのものが出現する」 と彼は主張する(35)。
この 「中間休止」 とは本来, 詩の韻律において, 揚格衝突によるリズム の中断を指すものであるが(36), ヘルダーリンはこれを悲劇全体の構造に適 用している。 悲劇では冒頭部からさまざまな事項が展開するものの, その 途中で神的発言が生じ, 劇のリズムが中断される。 この中断から悲劇は全 く別の次元へと展開する。 つまり, 人間と神の領域もしくは地上的展開と 天上的展開の二つの領域が, 「中間休止」 を挟んで共存する。 このような 流れをヘルダーリンはギリシア悲劇の構造的イメージとして認識した。 「計測されえない生きた意味が, 計測可能な法則と関係を持つに至る」(37) 悲劇の構造は, ギリシア人 (ここではソフォクレス) 固有の宗教的感情に 起因するとヘルダーリンは主張する。 ホンブルク期の論文草稿 『宗教につ いて』 の中で彼は, 人間と元素の高次の関係が 『オイディプスの注解』 に おける中間休止的と同じく, 「現実的な生の瞬間的な停止」(38) において生 じる, と述べている。 現世的生から神的領域への休止を伴う移行という点 で, ヘルダーリンが悲劇と宗教の本質を同一のものとして捉えている事実 が伺えよう。
『オイディプス』, 『アンティゴネー』 の両作品において具体的に 「中間 休止」 を形成しているのは, テイレシアスのことばであるとヘルダーリン は主張する(39)。 両作品におけるこの老預言者の役割は, オイディプス及び クレオン王に対し, 彼らの意志に反した運命を告げることである。
(35) Vgl. StA 5, S. 196.
(36) Vel. Binder, Wolfgang “H olderlins Verskunst”, in : Hjb 23, 1982/1983, S.
20ff.
(37) Ebd., S. 195.
(38) StA 4, S. 275.
(39) Vgl. StA 5, S. 197.
yoji さんは書きました...
返信削除チャート式、ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|_________
差異__|__反復 |同一性と
_|_ 0序論>>4 |対立の哲学
| | | |ハイデガー
>>5| | _|__反復と |
一それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
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一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
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スコトゥス、 | | |
スピノザ、 |二それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
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| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
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プラトン |__________|
| |>>9ベルクソン
四差異の理念的総合 三思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12
五感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復 >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
5:29 午前
5:50 午前
yoji さんは書きました...
チャート式、ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
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差異__|__反復 |同一性と
_|_ 0序論>>4 |対立の哲学
| | | |ハイデガー
>>5| | _|_反復と |
一それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
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一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
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スピノザ、 |二それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
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| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
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| |>>9ベルクソン
四差異の理念的総合 三思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12
五感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復 >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
5:29 午前
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yoji さんは書きました...
チャート式、ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
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差異__|__反復 |同一性と
_|_ 0序論>>4 |対立の哲学
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>>5| | _|_反復と |
一それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
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ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
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一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
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スピノザ、 |二それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
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| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
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四差異の理念的総合 微分 三思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12
五感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復 >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
5:29 午前
7:41 午前
yoji さんは書きました...
チャート式、ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
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差異__|__反復 |同一性と
_|_ 0:序論>>4 |対立の哲学
| | | |ハイデガー
一: >>5| | _|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
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| アリストテレス| _|_ |
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一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
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スコトゥス、 | 二: |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
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| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
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プラトン |__________|
| |>>9ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三、思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12
五:感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復 >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
差異と反復
返信削除498,(466,225)
http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=02431
コスタス・アクセロス著/高橋 允昭 訳
遊星的思考へ
税込価格 : 5565円 (本体価格5300円)
ISBN : 978-4-560-02431-7
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(書物復権)
ジャンル : 哲学・思想
体裁 : 四六判 上製 525頁
刊行年月 : 2002-06
内容 : マルクスとハイデッガーを同時に超出することによって哲学を超出すべく、世界の歴史と思考の歴史の内部から〈遊星的思考〉を展開する。デリダによる形而上学の脱構築の先駆をなす論集。
プラトン関連:
返信削除『ソピステス』103~
『ポリティコス』104~
『パイドロス』105~
『メノン』109
『国家』221,232
『テアイテトス』231~
『ピポレス』354
『パイドン』222,438
ハイデガー関連:
『形而上学とは何か』111
ドゥルーズ『差異と反復』目次、
はじめに:13~
序 論:反復と差異 19~
第1章:それ自身における差異 57~
第2章:それ自身へ向かう反復 119~
第3章:思考のイマージュ 203~
第4章:差異の理念的総合 259~
第5章:感覚されうるものの非対称的総合 333~
結 論:差異と反復 391~450
原注 451~478
訳注 479~508
潜在的
返信削除l
実在的---+---可能的
l
現働的
四:差異の理念的総合『差異と反復』318~9頁
2:21 午前
yoji said...
潜在的
l
実在的---+---可能的
l
現働的
半身のそれぞれがもつ二つのアスペクト
四:差異の理念的総合『差異と反復』318~9頁
2:23 午前
yoji said...
潜在的⚪︎
l
実在的---+---可能的⚪︎
l
現働的
半身のそれぞれがもつ二つのアスペクト
四:差異の理念的総合『差異と反復』318~9頁
2:23 午前
yoji said...
潜在的⚪︎
l
実在的---+---可能的⚪︎
l
現働的
半身のそれぞれがもつ二つのアスペクト
四:差異の理念的総合『差異と反復』318~9頁
ガタリはこれを展開している。
2:24 午前
yoji said...
観 念
:
普遍性
|
概 一 | 特
・・般ーーー十ーーー殊
念 性 | 性
|
単独性
『探究2』150頁
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20110808
返信削除《過去とは決別した新しい時間を生きている---そうした極めて近代的な印象を与えるものとはいったい何だろう。(…)時間の不可逆的な進行という印象は、私たちの日常宇宙を作り出す要素を一括りにしたときに初めてそこから生じてくる。それは要素の系統的な結合の効果である。またこの系統的な結合を、それにつづいて起こる同じく系統だった他の結合と入れ替えることで、過ぎ行く時間の印象、過去から未来へと途切れなく続く流れの印象が生じてくる。それがペギーの言う「脚立」である。事物に歩調を揃えさせることで、それらすべてを同時代に所属させるというわけだ。(…)近代の時間性は事物に課せられた「再教育」の賜物なのである。厳格な規律で縛り上げなければ、さまざまな時代に属し、多様な存在論的身分を持つものが林立してしまう。》
《近代人が、ハイブリッドに関わる詳細な事実をことごとく削除するのと平行して実践するのが、再配置した異なる種類のものを一括し、それを全体として理解することなのである。現代と定義される要素のすべてがカレンダーに沿うように同時代に所属して初めて、近代化は確かに進行しているという印象が生まれる。》
《私は電気ドリルを使うが、金槌も使う。電気ドリルは三五年前に、金槌は数十万年前に開発された。読者はそんな私を、異なる時代に属する手作業を混在させるという意味で、「対照的な道具を使う」DIY上級者と見なすだろうか。私は、民俗学者の興味を掻き立てる対象だろうか。そうではないだろう。近代の立場からみて「同質」と判断できる活動を一つでも挙げてみてほしい。私の遺伝子は、その起源が五億年前のもの、三〇〇万年前のもの、あるいは一〇万年前のものとさまざまである。私の習慣は作られてから二、三日のものから何千年経過したものまである。ペギーの『クリオ』が主張するように、はたまたミシェル・セールが繰り返し述懐するように、「私たちは時間の交換局、時間の醸造人なのである」。まさに時間の交換が私たちに輪郭を与えているのであって、近代人が作り出した暦や時間の流れが輪郭を与えているのではない。》
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
返信削除______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別 反復=イデア|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | / | 性 | 性 |
| 種的差異と| |キルケゴール_|_ 単独性 |
| 類的差異、| | 裸_|_ | |
| カテゴリー| | 拍子 | 留保(阻止) |
| | | 着 衣 |
一義性と差異 |(時間) リズム (空間) |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | | 二:| ヒューム |
ニーチェ | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
| ライプニッツ |___時間の総合 デカルト |
|ヘーゲル、カント | カント |
|______| 現在__過去__円環 |
| マルクス | | | |
ハイデガー フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
プラトン『ソピステス』 見せかけ |______|デカルト
| 理念 ベルクソン| カント
四:差異の理念的総合 =多様体 三:思考のイマージュ プラトン
カント|_________________|障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的◇現実的 他者 /良識、共通感覚 結論:差異と反復 存在=
実在的 ダーウィン ニーチェ 差異
個体化 個体的差異 強度の 一義性を永遠回帰における
強度的 巻き込み 特徴 反復として実現すること 449頁
種的差異アリストテレス63頁
類的差異
個体的差異ダーウィン371頁
習慣156頁
良識208,336,339頁
<‥…「私と同じようにやれ」と 言う者からは、何も学ぶことはない。わたしたちに
とっての唯一の教師は、わたしたちに 対して「私と共にやりなさい」と言う‥… >
(『差異と反復』単行本序論49頁より)
ヒューム(第二章冒頭119頁):メモ 『人間本性論(人性論)』1:3:14?
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_07.html
マルクス『ブリュメール十八日』(第二章150頁),『資本論』(第四章283,313頁)
ザロモン・マイモン(第四章『差異と反復』単行本262~3頁参照)
「超越論的哲学についての試論」マイモン(Salomon Maimon: Versuch über die Transzendentalphilosophie)
http://ntaki.net/di/a3/Maimon/Versuch_1.html#2 (試論第二章参照)
<これらの本体は理性理念であって、これら理性理念は、客観的対象(Objekte)の成立を悟性の諸規則にしたがって説明するための、原理として役立つ。
例えば私が、「緑は赤とは異なっている」というとき、相違性という純粋悟性概念は、感性的な2つの質の関係としてではなく(なぜなら、そうした関係としてであれば、カントの言う権利問題が生じるからである)、カントの理論によるのであれば、アプリオリな形式としての2つの空間の関係として、あるいは私の理論では、アプリオリな理性理念である2つの微差態の関係として、考察されるのである。
悟性は客観的対象(Objekt)を(判断の諸形式以外の対象を――これら諸形式は、客観的対象とは言えないが)、ただ継続的に(fließend)しか考えられない。なぜなら、悟性の仕事は思考に他ならないのだから、すなわち多様なもののうちに単一性を生みだすことなのだから、悟性が対象をもちえるのは、ただ悟性が対象の成立の規則ないしは仕方を告げる(angeben)ことによってだからである。というのも、ただこのことによってのみ、対象における多様なものは規則の単一性へともたらされるのである [unter der Einheit の der は、die と解釈しました]。したがって悟性は、すでに生じたものとしてはいかなる対象も考えられないのであって、ただ生じつつあるものとして、すなわち継続的に(fließend)しか考えることができない。>
ドゥルーズ『差異と反復』目次、
返信削除はじめに:
序 論:反復と差異
第1章:それ自身における差異
第2章:それ自身へ向かう反復
第3章:思考のイマージュ
第4章:差異の理念的総合
第5章:感覚されうるものの非対称的総合
結 論:差異と反復
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別 反復=イデア|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法/ 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | キルケ | 性 | 性 |
| 種的差異と| | ゴール_|__ 単独性 |
| 類的差異、| | 裸__|_空間 | |
| カテゴリー| | 拍子 | 留保(阻止) |
| | | 着 衣 (空間) |
一義性と差異 |(時間) リズム |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | | 二:| ヒューム |
ニーチェ | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
| ライプニッツ |___時間の総合 デカルト |
|ヘーゲル、カント | カント |
|______| 現在__過去__円環 |
| マルクス | | | |
ハイデガー フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
プラトン『ソピステス』 見せかけ |______|デカルト
| 理念 ベルクソン| カント
四:差異の理念的総合 =多様体 三:思考のイマージュ プラトン
カント|_________________|障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的◇現実的 他者 /良識、共通感覚 結論:差異と反復 存在=
実在的 ダーウィン ニーチェ 差異
個体化 個体的差異 強度の 一義性を永遠回帰における
強度的 巻き込み 特徴 反復として実現すること 449頁
種的差異アリストテレス63頁
類的差異
個体的差異ダーウィン371頁
習慣156頁
良識208,336,339頁
<‥…「私と同じようにやれ」と 言う者からは、何も学ぶことはない。わたしたちに
とっての唯一の教師は、わたしたちに 対して「私と共にやりなさい」と言う‥… >
(『差異と反復』単行本序論49頁より)
ヒューム(第二章冒頭119頁):メモ 『人間本性論(人性論)』1:3:14?
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_07.html
マルクス『ブリュメール十八日』(第二章150頁),『資本論』(第四章283,313頁)
ザロモン・マイモン(第四章『差異と反復』単行本262~3頁参照)
「超越論的哲学についての試論」マイモン(Salomon Maimon: Versuch über die Transzendentalphilosophie)
http://ntaki.net/di/a3/Maimon/Versuch_1.html#2 (試論第二章参照)
<これらの本体は理性理念であって、これら理性理念は、客観的対象(Objekte)の成立を悟性の諸規則にしたがって説明するための、原理として役立つ。
例えば私が、「緑は赤とは異なっている」というとき、相違性という純粋悟性概念は、感性的な2つの質の関係としてではなく(なぜなら、そうした関係としてであれば、カントの言う権利問題が生じるからである)、カントの理論によるのであれば、アプリオリな形式としての2つの空間の関係として、あるいは私の理論では、アプリオリな理性理念である2つの微差態の関係として、考察されるのである。
悟性は客観的対象(Objekt)を(判断の諸形式以外の対象を――これら諸形式は、客観的対象とは言えないが)、ただ継続的に(fließend)しか考えられない。なぜなら、悟性の仕事は思考に他ならないのだから、すなわち多様なもののうちに単一性を生みだすことなのだから、悟性が対象をもちえるのは、ただ悟性が対象の成立の規則ないしは仕方を告げる(angeben)ことによってだからである。というのも、ただこのことによってのみ、対象における多様なものは規則の単一性へともたらされるのである [unter der Einheit の der は、die と解釈しました]。したがって悟性は、すでに生じたものとしてはいかなる対象も考えられないのであって、ただ生じつつあるものとして、すなわち継続的に(fließend)しか考えることができない。>
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
返信削除______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別 反復=イデア|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法/ 概念 般ー十ー殊 |
|アリストテレス | キルケ | 性 | 性 |
| 種的差異と| | ゴール_|__ 単独性 |
| 類的差異、| | 裸__|_空間 | |
| カテゴリー| | 拍子 | 留保(阻止) |
| | | 着 衣 |
一義性と差異 | 時間 リズム / +++++ |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | | 二:| ヒューム |
ニーチェ | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
| ライプニッツ |___時間の総合 デカルト |
|ヘーゲル、カント | カント |
|______| 現在__過去__円環 |
| マルクス | | | |
ハイデガー フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
プラトン『ソピステス』 見せかけ |______|デカルト
| 理念 ベルクソン| カント
四:差異の理念的総合 =多様体 三:思考のイマージュ プラトン
カント|_________________|障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的◇現実的 他者 /良識、共通感覚 結論:差異と反復 存在=
実在的 ダーウィン ニーチェ 差異
個体化 個体的差異 強度の 一義性を永遠回帰における
強度的 巻き込み 特徴 反復として実現すること 449頁
種的差異アリストテレス63頁
類的差異
個体的差異ダーウィン371頁
習慣156頁
良識208,336,339頁
<‥…「私と同じようにやれ」と 言う者からは、何も学ぶことはない。わたしたちに
とっての唯一の教師は、わたしたちに 対して「私と共にやりなさい」と言う‥… >
(『差異と反復』単行本序論49頁より)
ヒューム(第二章冒頭119頁):メモ 『人間本性論(人性論)』1:3:14?
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_07.html
マルクス『ブリュメール十八日』(第二章150頁),『資本論』(第四章283,313頁)
ザロモン・マイモン(第四章『差異と反復』単行本262~3頁参照)
「超越論的哲学についての試論」マイモン(Salomon Maimon: Versuch über die Transzendentalphilosophie)
http://ntaki.net/di/a3/Maimon/Versuch_1.html#2 (試論第二章参照)
<これらの本体は理性理念であって、これら理性理念は、客観的対象(Objekte)の成立を悟性の諸規則にしたがって説明するための、原理として役立つ。
例えば私が、「緑は赤とは異なっている」というとき、相違性という純粋悟性概念は、感性的な2つの質の関係としてではなく(なぜなら、そうした関係としてであれば、カントの言う権利問題が生じるからである)、カントの理論によるのであれば、アプリオリな形式としての2つの空間の関係として、あるいは私の理論では、アプリオリな理性理念である2つの微差態の関係として、考察されるのである。
悟性は客観的対象(Objekt)を(判断の諸形式以外の対象を――これら諸形式は、客観的対象とは言えないが)、ただ継続的に(fließend)しか考えられない。なぜなら、悟性の仕事は思考に他ならないのだから、すなわち多様なもののうちに単一性を生みだすことなのだから、悟性が対象をもちえるのは、ただ悟性が対象の成立の規則ないしは仕方を告げる(angeben)ことによってだからである。というのも、ただこのことによってのみ、対象における多様なものは規則の単一性へともたらされるのである [unter der Einheit の der は、die と解釈しました]。したがって悟性は、すでに生じたものとしてはいかなる対象も考えられないのであって、ただ生じつつあるものとして、すなわち継続的に(fließend)しか考えることができない。>
返信削除チャート式、ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|_________
差異__|__反復 |同一性と
_|_ 0:序論>>4 差異の哲学|対立の哲学
| | | ハイデガー|ヘーゲル
一: >>5| | _|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
スコトゥス、 | 二: |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| |
プラトン |__________|
| |>>9ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12
五:感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復 >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
7:48 午前
yoji said...
チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|_________
差異__|__反復 |同一性と
_|_ 0:序論>>4 差異の哲学|対立の哲学
| | | ハイデガー|ヘーゲル
一: >>5| | _|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
スコトゥス、 | 二: |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| |
プラトン |__________|
| |>>9ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12
五:感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復 >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
7:48 午前
yoji said...
チャート式、ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|_________
差異__|__反復 |同一性と
_|_ 0:序論>>4 差異の哲学|対立の哲学
| | | ハイデガー|ヘーゲル
一: >>5| | _|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
スコトゥス、 | 二: |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| | デカルト
プラトン |__________|
| |>>9ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12
五:感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復 >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
7:53 午前
yoji said...
チャート式、ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|_______はじめに
差異__|__反復 |同一性と
_|_ 0:序論>>4 差異の哲学|対立の哲学
| | | ハイデガー|ヘーゲル
一: >>5| | _|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
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一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
スコトゥス、 | 二: |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
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| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
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| |>>9ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12
五:感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復 >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
7:56 午前
返信削除チャート式、ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|_______はじめに
差異__|__反復 |
_|_ 0:序論>>4 差異の哲学|同一性の哲学
| | | ハイデガー|ヘーゲル
一: >>5| | _|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
スコトゥス、 | 二: |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
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プラトン |__________|
| |>>9ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 三:思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12
五:感覚されうるものの非対称的総合_____結論:差異と反復 >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ ニーチェ
7:57 午前
yoji said...
チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|_______はじめに
差異__|__反復 |
_|_ 0:序論>>4 差異の哲学|同一性の哲学
| | | ハイデガー|ヘーゲル
一: >>5| | _|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
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一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
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スコトゥス、 | 二: |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
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|______| 現在 過去 永劫回帰 |
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| 三: |>>9ベルクソン
四:差異の理念的総合 微分 多様体 思考のイマージュ
>>10カント|_________________|
>>11 | >>12
五:感覚されうるものの非対称的総合___ ニーチェ >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ |_結論:差異と反復
8:03 午前
yoji said...
チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|_______はじめに
差異__|__反復 |
_|_ 0:序論>>4 差異の哲学|同一性の哲学
| | | ハイデガー|ヘーゲル
一: >>5| | _|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
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ショーペンハウアー | | | | | |
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スコトゥス、 | 二: |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
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| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
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プラトン |__________|
| 三: |>>9
四:差異の理念的総合 微分 多様体 思考のイマージュ
>>10カント|_________________|ベルクソン
>>11 | >>12
五:感覚されうるものの非対称的総合___ ニーチェ >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ |_結論:差異と反復
8:04 午前
yoji said...
チャート式:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』>>14
_______|________はじめに
差異__|__反復 |
_|_ 0:序論>>4 差異の哲学|同一性の哲学
| | | ハイデガー|ヘーゲル
一: >>5| | _|_反復と |
それ自身における差異| | 一般性の区別>>21 |
| | | _|_ >>696 |
ショーペンハウアー | | | | | |
| | | 行動、法、概念 |
| アリストテレス| _|_ |
| | | _|_ | |
一義性と差異 | | | | 固定(阻止) |
| | | 裸(拍子) 着衣(リズム) |
スコトゥス、 | 二: |
スピノザ、 | それ自身へ向かう反復>>7ヒューム|
ニーチェ | | >>8 |
| ライプニッツ 時間の総合 |
| | ____|____ |
| ヘーゲル | |フロイト|ニーチェ |
|______| 現在 過去 永劫回帰 |
| |____|____| | デカルト
プラトン |__________|
| 三: |>>9
四:差異の理念的総合 微分 多様体 思考のイマージュ
>>10カント|_________________|ベルクソン
>>11 | >>12
五:感覚されうるものの非対称的総合___ ニーチェ >>13
共通感覚 強度の特徴 個体化 ライプニッツ |_結論:差異と反復
8:05 午前
aristotle 発見的認知 アリストテレス 詩学 Heuristic
返信削除差異と反復
39
アリストテレス17:43頁
チャート図:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』
返信削除______|________はじめに:
差異__|__反復 |/同一性
___|__ |序論: 差異の哲学 / の哲学
| | 反復と差異 ハイデガー/|ヘーゲル
一: | | __|_反復と |美しき魂
それ自身における差異| | 一般性の区別 反復=イデア|
| | | __|__ 普遍性 |
ショーペンハウアー | | | | | 一 | 特 |
| | |行動 法 概念 般ー+ー殊 |
|アリストテレス | /キルケ| 性 | 性 |
| 類的差異、| | ゴール_|__ 単独性 |
| カテゴリー| | 裸__|_空間 | |
| と種的差異| | 拍子 | 物質 留保(阻止)|
| | | 着 衣 |
一義性と差異 | 時間 リズム / +++++ |
スコトゥス、 | | | |
スピノザ、 | | 二:| ヒューム |
ニーチェ | |それ自身へ向かう反復 ベルクソン|
| ライプニッツ |___時間の総合 デカルト |
|ヘーゲル、カント | カント |
|______| 現在__過去__円環 |
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ハイデガー フロイト(習慣__潜在_死の本能)|
プラトン『ソピステス』 見せかけ |______|デカルト
| 理念 ベルクソン| カント
四:差異の理念的総合 =多様体 三:思考のイマージュ プラトン
カント|_________________|障害としての諸公準 256頁
ライプニッツ | 自然的/哲学的
微分 五:感覚されうるものの___
潜在的 非対称的総合 | 表象批判
可能的◇現実的 他者 /良識、共通感覚 結論:差異と反復 存在=
実在的 ダーウィン ニーチェ 差異
個体化 個体的差異 強度の 一義性を永遠回帰における
強度的 巻き込み 特徴 反復として実現すること 449頁
★ベルクソンの「生命」は「植物」「動物」。
返信削除ベルクソンの生命の捉え方を「差異化の概略的シェーマ」(『創造的進化』第二章)としてジル・ドゥルーズ(1995)が示している(『ベルクソンの哲学』邦訳p114)。ドゥルーズは、「生命」とは、「動物」と「植物」であり、「物質」を除いているのである。
差異化の概略的シェーマ(『創造的進化』第二章)
物質 __|さまざまな世界。そしてそれぞれの世界に物質のもろもろのタイプがあり、
(弛緩) |それは、生命が回避すべき外的・内的な障害として出現する。
/
記憶-持続 植物:葉緑素の作用(連続的にエネルギー|/炭素同化作用
\ / を蓄積し、爆薬を貯蔵する。) |\窒素同化作用
生命
(収縮) 非中心化した神経系:本能
\動物:神経系(非連続的にエネ| / 物質の外在化と支配
ルギーを消費し、爆薬を| \中心化した神経/
爆発させる。) | \生命の転換と包括(直観)
| 系:知性
7[一五六]
返信削除私の哲学は逆転したプラトン主義。真に存在するものから遠ざかれば遠ざかるほど、
より純粋に、より美しく、より良くなってゆく。仮象のうちなる生が目的。
http://www.capurro.de/platonismus.htm
"Meine Philosophie umgedrehter Platonismus: je weiter ab vom wahrhaft Seienden,
um so reiner sch?ner besser ist es. Das Leben im Schein als Ziel." (N I, S. 180)
1870年末-1871年4月
(ニーチェ「遺された断想」『ニーチェ全集』第1期第1巻白水社267頁より)
ハイデガー『ニーチェ1』(細谷貞雄監訳平凡社ライブラリー214頁、
ドゥルーズ『差異と反復』邦訳文庫版上169,487頁、単行本102,490頁参照)
http://deleuze.web.fc2.com/DR-1.html
<現代哲学の責務は「プラトン哲学の転倒」として定義された。ところが、
プラトン哲学の転倒には、数多くのプラトン哲学の特徴が保存されている
のであって、これは、たんに避けることができないというだけでなく、望
ましい事態でもある。>(ドゥルーズ『差異と反復』邦訳単行本p102)
…
「(プラトンにおける)弁証法(問答法)はイロニーであるのだが、この
イロニーは、問題および問いに関する技術である。」(p109)
…
(p114)「プラトンは最初にプラトンを転倒させるもの」であり、ソピ
ステスにおいて「見せかけを深く究めることによってその見せかけがオリ
ジナルあるいは範型から区別できないということを証明している。