(リンク::::::::::、柄谷行人、中国文明、本頁)
康有為
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%B7%E6%9C%89%E7%82%BA
Chen Huan-Chang 陳煥章 1881~1933(康有為の弟子らしい)
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/06/chen-huan-chang-18811933.html
康有為
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%B7%E6%9C%89%E7%82%BA
Chen Huan-Chang 陳煥章 1881~1933(康有為の弟子らしい)
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/06/chen-huan-chang-18811933.html
康有為 清末の政治家、学者。 公羊学派の儒者として知られ科挙に合格、官吏となる。 日清戦争の敗北、列強による中国分割という危機に直面し、1898年光緒帝に日本の明治維新を模範とした改革を提言、採用されて戊戌の変法を指導した。
常平倉1912
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/05/1912.html
ケインズと論語
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/06/1912-httpsfreeassociations2020.html
ーー
常平倉1912
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/05/1912.html
ケインズと論語
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/06/1912-httpsfreeassociations2020.html
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<…中国で、私の『世界史の構造』を読んだ人から、康有為の「大道世界」
に似ていると言われました。実は、それで急に興味を抱いたのです(笑)。
康有為は将来的に国家や民族が消滅するという理念をもっていた。孔子
から引き出した理念ですね。これはカント的な意味で「統整的理念」
であり、現実には、漸進主義的であった。まず清朝を立憲君主制にして、
そののちに君主を排していくという道筋を描いたわけですね。そこから
漸進的に大道世界へ向かう、という。これは清朝という帝国を生かそう
という考えだったと思います。>
柄谷行人×丸川哲史「帝国・儒教・東アジア」『現代思想』2014.03、42頁
_____
参考:
~~~~~~~~~~~~~
康有為(Kang Youwei。1858~1927年)
大同書 - Chinese Text Project Wiki
http://ctext.org/wiki.pl?if=en&res=306261
http://baike.baidu.com/view/43031.htm?fromtitle=%E3%80%8A%E5%A4%A7%E5%90%8C%E4%B9%A6%E3%80%8B&fromid=789438&type=syn
《大同书》全书共30卷,约20万字,分为10部,
甲部《入世界观众苦》,
乙部《去国界合大地》,
丙部《去级界平民族》,
丁部《去种界同人类》,
戊部《去形界保独立》,
己部《去家界为天民》,
庚部《去产界公生业》,
辛部《去乱界治太平》,
壬部《去类界爱众生》,
癸部《去苦界至极乐》。http://www.shachi.co.jp/jaas/10-01/10-01-01.pdf
http://d.hatena.ne.jp/name727/20081106/1225985218
0)世界に入って衆苦を観ず(否定すべき世界は九界に分かれるが、以降はそれら九項目に対置された九つのユートピア描写に移る)。
1) 国界を去って大地を合す(国境があるために戦争が起こる)。
2) 級界を去って民族を平らにす(身分差別を撤廃する)。
3) 種界を去って人類同じくす(人種差別を無くすために異人種同士を交配させ、一つの人種を作り上げる)。
4) 形界を去って独立を保つ(男女差別の撤退)。
5) 家界を去って天民となる(家族制度の撤廃)。
6) 産界を去って生行を公にす(私有財産制度の撤廃)。
7) 乱界を去って太平を治む(大同世界における具体的な行政制度の説明)。
8) 類界を去って衆生を愛す(殺生の禁止)
9) 苦界を去って極楽に至る(神仏の学が興り、人類は地球を出て、他の星に遊ぶことが可能になる)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%B7%E6%9C%89%E7%82%BA
大同三世説と『大同書』
上記の思想的特徴が化学反応して形成されたのが、康有為の代表的な思想、大同三世説である。大同三世説とは端的に言えば、歴史が「拠乱世」(野蛮な世の中)から順次発展して「升平世」へ、そして最後に「太平世」という理想社会に至ると説く歴史発展理論である。これは『礼記』礼運篇の小康・大同という理想社会観に、董仲舒や清代の今文公羊学者たちの唱える三世説を組み合わせ、さらに西欧の社会進化論やユートピア思想をも取り込み成立した思想である。
この思想は、まず発展史観をとっていることが特徴となっている。それまでの中国の伝統的歴史観は三代を理想としこの時代に立ち返ることを求める尚古史観か、あるいは治と乱が交互に循環するとした循環史観であった。時代を経るにつれ理想社会に近づくとする康有為の考えは全く新しいスタイルの歴史観であった。次に理想とされる社会「大同」は以下のような特徴を持つ。まず全人類が男女・民族・人種に関係なく自由平等となる。政治的には世界が統一された上、共和政体をとり、民主的選挙で選ばれた議員の合議制で運営される。経済的には全く不自由のない生活を営め、そして自動運転の車や船が活躍する。またあらゆる境界概念が消滅する。すなわち家族や国境という個々人を束縛するものは消滅し、婚姻もなくなる。このようにプリミティブな共産思想に未来技術を加味したような社会が「大同」とされた。
ただ、康有為の思想には社会進化論も強い影響もみられ、人種差別思想もみられる。たとえば黒人を劣等種と断定し、いずれ死滅するだろうとも述べていた。したがって康有為のいう理想の大同世界が、万人にとって理想であったとはいえない。
康有為は自身の生きる清末は未だ「拠乱世」であって、次の「升平世」へと進化するためには立憲君主制を取る必要があると認識していた。共和政体を取るフランスやアメリカはすでに「升平世」の中頃まで進んだ社会と考えていたようだ。康有為の立憲君主制への執念は、こうした発展史観に裏打ちされたものであった。しかしそれが強固であればあるほどフレキシビリティを欠き、辛亥革命が成就し皇帝という存在がなくなっても立憲君主制という理想を捨てきることができなかったのである。
さてこの大同三世説を詳述した書物こそ『大同書』である。しかし康有為の代表作とされながらも、それが生前に完全な形で刊行されることはなかった。このことが大同三世説を康有為がいつ着想を得たのか、という問題を惹起した。『大同書』はそのあまりに時代離れした内容から、康有為自身が公開をためらい刊行しようとしなかった。生前にはその一部が 1913年に冒頭の二章が『不忍雑誌』に掲載されたのみで、ようやく全体が刊行されたのは、死後の1935年になってからである。『我史』(『康有為自編年譜』)には、1884年に「『大同書』を著した」とあるが、『大同書』の記述内容や使用されている語彙から考えて、これはあり得ない。通説では1901年から翌年の間までにほぼ形が固まり、その後も小さい訂正・追加がなされたとなっている。
http://www.ritouki-aichi.com/chido_chugoku_235.html
『大同書』(康有為 華夏出版社 2002年)
著者の康有為(1859年から1927年)は、19世紀末から20世紀初頭に至る清朝末期における中国の政治と学問の世界で極めて大きな影響力を持ったことで知られる。政治の世界では一種の宮廷革命を画策。清朝帝室から保守派を一掃し、開明的な光緒帝を戴く近代的な政治体制の確立を目指した。だが、康を頂点とする保皇派による変法自疆と呼ばれる改革運動は西太后を中核とする保守派の頑迷固陋な堡塁を突破できずに失敗し、彼は命からがら日本に逃げ延びることになる。既得権益を守ろうとする保守派を甘く見すぎたということだろう。一方、学問の世界では「現代の孔子」と称されるほどの存在であり、『新学偽経考』『孔子改制考』などを著し、儒教の学統において大きな足跡を残した。
この本は、そんな康が長い歳月を掛けて書き上げたものだが、現在の中国の学界では、一般的に「この本は、主権独立国家から半植民地・半封建社会へと堕ち込んでゆく特殊な歴史の歩みの中で、伝統儒学と西欧近代の思潮とを結合させ格闘する著者の思考を反映したものである」(陳得媛・李伝印「《大同書》評介」)と評価されている。
清末の大学者たる著者は、いずれ将来、人類は民族・国家・性別・貧富・職業などの違いを超越し、心穏やかで対立も苦しみも痛みもない快適至極の極楽のようなユートピアに立ち至る――なんとも夢のような、見方によったらノー天気なゴ託宣を語ってくれる。
まあ、じつに有り難く夢のようなゴ高説だが、どうすれば実現可能なのか。はたまた「伝統儒学と西欧近代の思潮とを結合させ格闘する著者の思考を反映したものである」とまで持ち上げていいものかどうか。首を傾げたくなる。率直にいわせてもらえば学者の“暇つぶし”。とはいうものの、この本を儒教的ユートピア世界を描き出したものと見做すなら、それはそれで儒教に対する考えも“衝撃的”に変わろうというものだ。
たとえば「去家界為天民」と書かれた一章では、「家界」というから家族の縛りとでも訳せばいいのだろうか。いずれ人は家界を抜け出て「天民」になると説く。この章の最終部分の「考終院」の項をみると、未来社会では死もまた平等に公的管理されるようだ。人は死んだら考終院という役所に届け、遺体は帛で包むなり棺に納めるなりして考終院に安置する。考終院にはお別れのための一切の設備が整えてあり、葬儀の次第は死者の社会的地位や年齢によって事細かに規定されている。ここで興味深いのが死体処理方法だ。
孔子の弟子であることを自任する著者は孔子の考えに従って、「人の生気」は「魂知」に在り「体魄骨肉(にくたい)の中には在らず」とする。だから遺体は土葬でも火葬でもかまわないのだが、さすがに火葬は残酷で見るに忍びないと綴る。とはいうものの一転して、将来のハイテク科学技術を思い描く。千数百年後の「大同の世」になったらハイテク装置が完成する。それが熱風を起こしゴーッと唸りをあげた途端、「形骸骨肉(にくたい)」は消えてなくなってしまう。かくて「上(こころ)」は虚無の世界に還り、「下(いはい)」は山や谷に撒かれ時の流れの中で消えて行く、という。よくまあ、そこまで考えるものだ。
康が心血を注いで著した『大同書』と聞くと、さぞや難解な本のようだが、儒教的ユートピアを描いた“謹厳実直な未来小説”といったところ。ともあれユートピアでも死体処理に目配りが必要なほど、中国は膨大な人口に悩まされ続ける運命にあるのです。
南船北馬集 第三編
http://www.ircp.jp/enryo_senshu/text/INOUE12/12-04_nansenhokubashu03.txt
P550
哲学堂の由来
哲学堂は今より五年前、すなわち明治三十七年、哲学館の大学公称を文部省より許可せられたる紀念として一棟を建設したるに始まり、同三十九年一月、余が同大学を他人に一任し、これを己の退隠所と定めたるに起因すといえども、哲学堂中に奉崇せる四聖の由来につきては、遠く明治十八年に画工渡辺文三郎氏をして四聖の像をえがかしめ、中村敬宇先生に画賛を請い、学友四、五輩を招きて哲学祭を挙行せしに始まる。その画賛は左のごとし。
四聖像賛 文学博士 中村正直
孔釈之教拯溺救焚、
若微二聖人禽奚分、
欧洲之哲尤推瑣韓、
知大宗師固道徳根、
弱肉強食今尚不已、
卓美之世何時可待、
炳燭余光嗟我老矣、
継往開来望在俊士、
(孔子と釈迦の教えは人々を溺れたり焚かれたりする境地より救う。
もしこの二聖人がおられなかったならば、人類と鳥類のごとき動物とどのように区別しようか。
ヨーロッパの哲学者でもっとも推戴に価するのはソクラテスとカントである。
あおがれる師匠はもとより道徳の根本を知っている。
しかし、弱肉強食のありようは今もなおやむことなく、
すぐれた美しい世はいったいいつまで待つべきなのであろう。
かがやくともしびのあまりの光にわが老いたるをなげき、
過去を引き継ぎ未来を開く望みは才知すぐれた人にあるのである。)
《大同书》全书共30卷,约20万字,分为10部,
甲部《入世界观众苦》,
乙部《去国界合大地》,
丙部《去级界平民族》,
丁部《去种界同人类》,
戊部《去形界保独立》,
己部《去家界为天民》,
庚部《去产界公生业》,
辛部《去乱界治太平》,
壬部《去类界爱众生》,
癸部《去苦界至极乐》。http://www.shachi.co.jp/jaas/10-01/10-01-01.pdf
http://d.hatena.ne.jp/name727/20081106/1225985218
0)世界に入って衆苦を観ず(否定すべき世界は九界に分かれるが、以降はそれら九項目に対置された九つのユートピア描写に移る)。
1) 国界を去って大地を合す(国境があるために戦争が起こる)。
2) 級界を去って民族を平らにす(身分差別を撤廃する)。
3) 種界を去って人類同じくす(人種差別を無くすために異人種同士を交配させ、一つの人種を作り上げる)。
4) 形界を去って独立を保つ(男女差別の撤退)。
5) 家界を去って天民となる(家族制度の撤廃)。
6) 産界を去って生行を公にす(私有財産制度の撤廃)。
7) 乱界を去って太平を治む(大同世界における具体的な行政制度の説明)。
8) 類界を去って衆生を愛す(殺生の禁止)
9) 苦界を去って極楽に至る(神仏の学が興り、人類は地球を出て、他の星に遊ぶことが可能になる)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%B7%E6%9C%89%E7%82%BA
大同三世説と『大同書』
上記の思想的特徴が化学反応して形成されたのが、康有為の代表的な思想、大同三世説である。大同三世説とは端的に言えば、歴史が「拠乱世」(野蛮な世の中)から順次発展して「升平世」へ、そして最後に「太平世」という理想社会に至ると説く歴史発展理論である。これは『礼記』礼運篇の小康・大同という理想社会観に、董仲舒や清代の今文公羊学者たちの唱える三世説を組み合わせ、さらに西欧の社会進化論やユートピア思想をも取り込み成立した思想である。
この思想は、まず発展史観をとっていることが特徴となっている。それまでの中国の伝統的歴史観は三代を理想としこの時代に立ち返ることを求める尚古史観か、あるいは治と乱が交互に循環するとした循環史観であった。時代を経るにつれ理想社会に近づくとする康有為の考えは全く新しいスタイルの歴史観であった。次に理想とされる社会「大同」は以下のような特徴を持つ。まず全人類が男女・民族・人種に関係なく自由平等となる。政治的には世界が統一された上、共和政体をとり、民主的選挙で選ばれた議員の合議制で運営される。経済的には全く不自由のない生活を営め、そして自動運転の車や船が活躍する。またあらゆる境界概念が消滅する。すなわち家族や国境という個々人を束縛するものは消滅し、婚姻もなくなる。このようにプリミティブな共産思想に未来技術を加味したような社会が「大同」とされた。
ただ、康有為の思想には社会進化論も強い影響もみられ、人種差別思想もみられる。たとえば黒人を劣等種と断定し、いずれ死滅するだろうとも述べていた。したがって康有為のいう理想の大同世界が、万人にとって理想であったとはいえない。
康有為は自身の生きる清末は未だ「拠乱世」であって、次の「升平世」へと進化するためには立憲君主制を取る必要があると認識していた。共和政体を取るフランスやアメリカはすでに「升平世」の中頃まで進んだ社会と考えていたようだ。康有為の立憲君主制への執念は、こうした発展史観に裏打ちされたものであった。しかしそれが強固であればあるほどフレキシビリティを欠き、辛亥革命が成就し皇帝という存在がなくなっても立憲君主制という理想を捨てきることができなかったのである。
さてこの大同三世説を詳述した書物こそ『大同書』である。しかし康有為の代表作とされながらも、それが生前に完全な形で刊行されることはなかった。このことが大同三世説を康有為がいつ着想を得たのか、という問題を惹起した。『大同書』はそのあまりに時代離れした内容から、康有為自身が公開をためらい刊行しようとしなかった。生前にはその一部が 1913年に冒頭の二章が『不忍雑誌』に掲載されたのみで、ようやく全体が刊行されたのは、死後の1935年になってからである。『我史』(『康有為自編年譜』)には、1884年に「『大同書』を著した」とあるが、『大同書』の記述内容や使用されている語彙から考えて、これはあり得ない。通説では1901年から翌年の間までにほぼ形が固まり、その後も小さい訂正・追加がなされたとなっている。
http://www.ritouki-aichi.com/chido_chugoku_235.html
『大同書』(康有為 華夏出版社 2002年)
著者の康有為(1859年から1927年)は、19世紀末から20世紀初頭に至る清朝末期における中国の政治と学問の世界で極めて大きな影響力を持ったことで知られる。政治の世界では一種の宮廷革命を画策。清朝帝室から保守派を一掃し、開明的な光緒帝を戴く近代的な政治体制の確立を目指した。だが、康を頂点とする保皇派による変法自疆と呼ばれる改革運動は西太后を中核とする保守派の頑迷固陋な堡塁を突破できずに失敗し、彼は命からがら日本に逃げ延びることになる。既得権益を守ろうとする保守派を甘く見すぎたということだろう。一方、学問の世界では「現代の孔子」と称されるほどの存在であり、『新学偽経考』『孔子改制考』などを著し、儒教の学統において大きな足跡を残した。
この本は、そんな康が長い歳月を掛けて書き上げたものだが、現在の中国の学界では、一般的に「この本は、主権独立国家から半植民地・半封建社会へと堕ち込んでゆく特殊な歴史の歩みの中で、伝統儒学と西欧近代の思潮とを結合させ格闘する著者の思考を反映したものである」(陳得媛・李伝印「《大同書》評介」)と評価されている。
清末の大学者たる著者は、いずれ将来、人類は民族・国家・性別・貧富・職業などの違いを超越し、心穏やかで対立も苦しみも痛みもない快適至極の極楽のようなユートピアに立ち至る――なんとも夢のような、見方によったらノー天気なゴ託宣を語ってくれる。
まあ、じつに有り難く夢のようなゴ高説だが、どうすれば実現可能なのか。はたまた「伝統儒学と西欧近代の思潮とを結合させ格闘する著者の思考を反映したものである」とまで持ち上げていいものかどうか。首を傾げたくなる。率直にいわせてもらえば学者の“暇つぶし”。とはいうものの、この本を儒教的ユートピア世界を描き出したものと見做すなら、それはそれで儒教に対する考えも“衝撃的”に変わろうというものだ。
たとえば「去家界為天民」と書かれた一章では、「家界」というから家族の縛りとでも訳せばいいのだろうか。いずれ人は家界を抜け出て「天民」になると説く。この章の最終部分の「考終院」の項をみると、未来社会では死もまた平等に公的管理されるようだ。人は死んだら考終院という役所に届け、遺体は帛で包むなり棺に納めるなりして考終院に安置する。考終院にはお別れのための一切の設備が整えてあり、葬儀の次第は死者の社会的地位や年齢によって事細かに規定されている。ここで興味深いのが死体処理方法だ。
孔子の弟子であることを自任する著者は孔子の考えに従って、「人の生気」は「魂知」に在り「体魄骨肉(にくたい)の中には在らず」とする。だから遺体は土葬でも火葬でもかまわないのだが、さすがに火葬は残酷で見るに忍びないと綴る。とはいうものの一転して、将来のハイテク科学技術を思い描く。千数百年後の「大同の世」になったらハイテク装置が完成する。それが熱風を起こしゴーッと唸りをあげた途端、「形骸骨肉(にくたい)」は消えてなくなってしまう。かくて「上(こころ)」は虚無の世界に還り、「下(いはい)」は山や谷に撒かれ時の流れの中で消えて行く、という。よくまあ、そこまで考えるものだ。
康が心血を注いで著した『大同書』と聞くと、さぞや難解な本のようだが、儒教的ユートピアを描いた“謹厳実直な未来小説”といったところ。ともあれユートピアでも死体処理に目配りが必要なほど、中国は膨大な人口に悩まされ続ける運命にあるのです。
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SF的部分には井上円了(『星界想遊記』哲学書院1890)の影響があるという(『大同書』明徳出版、注より)。
参考:
井上円了に関してはカントの影響を受けており、柄谷行人も『遊動論』(52,74頁)や書評↓で触れている。
妖怪学の祖 井上圓了 [著]菊地章太 - 柄谷行人(哲学者) - 書評
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013031000005.html?guid=on
星界想遊記 - 井上円了 - Google ブックス
http://books.google.co.jp/books?id=XP0zmMO9LUEC南船北馬集 第三編
http://www.ircp.jp/enryo_senshu/text/INOUE12/12-04_nansenhokubashu03.txt
P550
哲学堂の由来
哲学堂は今より五年前、すなわち明治三十七年、哲学館の大学公称を文部省より許可せられたる紀念として一棟を建設したるに始まり、同三十九年一月、余が同大学を他人に一任し、これを己の退隠所と定めたるに起因すといえども、哲学堂中に奉崇せる四聖の由来につきては、遠く明治十八年に画工渡辺文三郎氏をして四聖の像をえがかしめ、中村敬宇先生に画賛を請い、学友四、五輩を招きて哲学祭を挙行せしに始まる。その画賛は左のごとし。
四聖像賛 文学博士 中村正直
孔釈之教拯溺救焚、
若微二聖人禽奚分、
欧洲之哲尤推瑣韓、
知大宗師固道徳根、
弱肉強食今尚不已、
卓美之世何時可待、
炳燭余光嗟我老矣、
継往開来望在俊士、
(孔子と釈迦の教えは人々を溺れたり焚かれたりする境地より救う。
もしこの二聖人がおられなかったならば、人類と鳥類のごとき動物とどのように区別しようか。
ヨーロッパの哲学者でもっとも推戴に価するのはソクラテスとカントである。
あおがれる師匠はもとより道徳の根本を知っている。
しかし、弱肉強食のありようは今もなおやむことなく、
すぐれた美しい世はいったいいつまで待つべきなのであろう。
かがやくともしびのあまりの光にわが老いたるをなげき、
過去を引き継ぎ未来を開く望みは才知すぐれた人にあるのである。)
四聖堂
[木造平屋建・方形・桟瓦葺・一重]
本堂に東洋哲学の孔子と釈迦、西洋哲学のソクラテスとカントの「四聖」を世界的四哲人として祀るために建立されました。
哲学の将来的発展を祈念し哲学祭を開催した圓了の意図が具現化された建物です。三間四面の小堂で四面とも正面。中央には哲学の起点、基礎となる二つの象徴として、心即ち精神は円形で光るものとして電球、物即ち物質は心を汚すものとして香炉がおかれています。これは、心が物欲で汚されても修養を積めば清浄な心は失われないことを表していて、内部、天井中央に装飾額があり、釈迦涅槃像(和田嘉平作)が堂内に安置してあります。堂内に南無絶対無限尊と刻んだ石柱、唱念塔(しょうねんとう)をおいています。四聖の像(橋本雅邦画)「孔釈瑣韓」の四字額(副島種臣書)があり11月の哲学堂祭に掲額されます。
哲学の将来的発展を祈念し哲学祭を開催した圓了の意図が具現化された建物です。三間四面の小堂で四面とも正面。中央には哲学の起点、基礎となる二つの象徴として、心即ち精神は円形で光るものとして電球、物即ち物質は心を汚すものとして香炉がおかれています。これは、心が物欲で汚されても修養を積めば清浄な心は失われないことを表していて、内部、天井中央に装飾額があり、釈迦涅槃像(和田嘉平作)が堂内に安置してあります。堂内に南無絶対無限尊と刻んだ石柱、唱念塔(しょうねんとう)をおいています。四聖の像(橋本雅邦画)「孔釈瑣韓」の四字額(副島種臣書)があり11月の哲学堂祭に掲額されます。
http://ctext.org/wiki.pl?if=en&chapter=964583#p147
154
間或智士創新領賞,財富巨盛,亦只自創行屋,放浪於山嶺水涯,而無有為坐屋者矣。蓋太平之世,人好行游,不樂常住,其與古世百里雞狗相聞而老死不相往來,最有智愚之反也。夫草木至愚者,故系而不動,羊豕之愚勝於草木,能動而不能致遠者也,若夫大鵬、黃鵠,一舉千里。古世老死不出鄉者如草、木,中世游行如羊、豕,太平世則如大鵬、黃鵠矣。
154
間或智士創新領賞,財富巨盛,亦只自創行屋,放浪於山嶺水涯,而無有為坐屋者矣。蓋太平之世,人好行游,不樂常住,其與古世百里雞狗相聞而老死不相往來,最有智愚之反也。夫草木至愚者,故系而不動,羊豕之愚勝於草木,能動而不能致遠者也,若夫大鵬、黃鵠,一舉千里。古世老死不出鄉者如草、木,中世游行如羊、豕,太平世則如大鵬、黃鵠矣。
妖怪学の祖 井上圓了 [著]菊地章太 - 柄谷行人(哲学者) - 書評・コラムを読む - BOOK asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
返信削除http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013031000005.html?guid=on
妖怪学の祖 井上圓了 [著]菊地章太
2013年03月10日
柄谷行人(哲学者)
著者:菊地章太 出版社:KADOKAWA 価格:¥ 1,785
■妖怪で哲学を説いた啓蒙主義者
近年、井上圓了といえば、妖怪の研究者で、漫画家水木しげるの大先輩のような人だと考えられている。が、彼は明治初期、井上哲次郎と並ぶ哲学者であった。そして、彼が「妖怪学」という講座を開いたのは、哲学を民衆に説く方便として、である。妖怪といっても、今なら人が幻想と呼ぶものに相当する。たとえば、国家は共同幻想だというかわりに、国家は妖怪だというようなものだ。
とはいえ、圓了は文字通り、さまざまな妖怪現象を調査し、それが幻想であることを人々に説いてまわった。その意味で、彼は啓蒙(けいもう)主義者であった。したがって、妖怪について書いた民俗学者柳田国男は、先行世代の圓了を嫌った。ロマン主義的な柳田にとって、妖怪は消滅しつつあるフォークロア(民俗)の一種として重視すべきものであったから。しかし、実際には、圓了は柳田に劣らず全国を歩いて妖怪について調べ、それを文学的装飾なしに記録した。現在、日本の漫画・小説などで引用される妖怪はほとんど、圓了の著作にもとづいている。
しかも、彼の「啓蒙」はそれに尽きるのではない。妖怪にはいくつかの種類がある。いわゆる妖怪は仮象であり、自然科学によって真相を解明できる。しかし、そのような仮象が除かれたあとに、人は真の妖怪(真怪)に出会う。それは、この自然世界そのもの、カントでいえば物自体である。実は、圓了は、明治の浄土真宗派から出てきた宗教改革者だった。彼は仏教的認識を、哲学として、さらに、それを妖怪学として語ろうとしたのである。
彼は大学を出た後、どこにも属さず、自分で学校を創設した。型破りの人物である。本書は、いわば圓了自身の「妖怪」性を、ヴィヴィッドに伝えている。さすが圓了が創立した東洋大学で、現在「妖怪学」という講座を担当する著者ならでは、と思わせる本である。
◇
角川選書・1785円/きくち・のりたか 59年生まれ。東洋大教授(比較宗教史)。『悪魔という救い』など。
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《大同书》全书共30卷,约20万字,分为10部,
甲部《入世界观众苦》,
乙部《去国界合大地》,
丙部《去级界平民族》,
丁部《去种界同人类》,
戊部《去形界保独立》,
己部《去家界为天民》,
庚部《去产界公生业》,
辛部《去乱界治太平》,
壬部《去类界爱众生》,
癸部《去苦界至极乐》。
康氏以民主主义的平等精神和某些社会主义的空想,用他的彩笔,勾画出一幅人类未来社会的美景——大同世界的蓝图,它具有进步意义和深远的影响。梁启超在《清代学术概论》一书中将《大同书》的内容曾概括为如下几个方面:
1.无国家,全世界置一总政府,分若干区域。
2.总政府及区政府皆由民选。
3.无家族,男女同栖不得逾一年,届期须易人。
4.妇女有身者入胎教院,儿童出胎者入育婴院。
5.儿童按年入蒙养院及各级学校。
6.成年后由政府指派分任农工等生产事业。
7.病则入养病院,老则入养老院。
8.胎教、育婴、蒙养、养病、养老诸院,为各区最高之设备,入者得最高之享乐。
9.成年男女,例须以若干年服役于此诸院,若今世之兵役然。
10.设公共宿舍、公共食堂,有等差,各以其劳作所人自由享用。
11.警惰为最严之刑罚。
12.学术上有新发明者及在胎教等五院有特别劳绩者,得殊奖。
13.死则火葬,火葬场比邻为肥料工厂。
尽管《大同书》问世以来,学术界对其评价毁誉不一,智者见智,仁者见仁。但有几点是应该加以重视的。例如:
其一,他激烈反对"独尊",诅咒专制皇帝为"民贱屠伯"。康氏指出,在太平之世,人人平等,没有什么臣妾奴隶,也没有什么君主统领,更没有什么教主教皇,人人和睦相处,过着平等而富裕的美好生活,差别虽有,可是并不悬殊。
其二,重视发展生产。康氏在《大同书》中描述了一个具有较高物质文明和精神文明的社会。它主张废除私有制,建立财产公有制,然后全部实行机械化、自动化和电气化,生产力高度发展。
其三,特别重视教育。在康氏看来,大力发展学校教育是大同世界进步的巨大推动力。他说:"太平世以开人智为主,最重学校。自慈幼院之教至小学、中学、大学,人人皆自幼而学,人人皆学至二十岁,人人皆无家累,人人皆无恶习,图书器物既备,语言文字同一,日力既省,养生又备,道德一而教化同,其学人之进化过今不止千万倍矣。"(《大同书》)
其四,男女平等,婚姻自主。在《大同书》中所谓"专家界",就是实行男女平等、婚姻自主,打破封建家族宗法关系和纲常名教的束缚,实现资产阶级的人权、自由、平等、独立和个性解放。
其五,康氏主张废除国家,走向"去国界合大地"的盛世。他向往桃花源之世界:"大同无邦国故无有军法之重律,无君主则无有犯上作乱之悖事,无夫妇则无有色欲之争,奸淫之防,……无宗亲兄弟则无有望养、责善、争分之狱,无爵位则无有恃威、估力……佞谄之事,无私产则无有田宅、工商、产业之讼……"(《大同书》)
其六,在《大同书》中康氏把"人"摆在"天理"之上,充分肯定了人的价值。在中国封建社会末期,哲学上有所谓"理"、"欲"之争,其实质是人本主义和禁欲主义的争论。康氏在《大同书》中揭露了封建道德的虚伪性和残忍性,继承和发展了孔子"泛爱众"思想和佛家"慈悲"观念,举起了朴素的人本主义的旗帜。儒家"仁"的思想渗透在《大同书》的全部内容之中,康氏把"仁"与"人"糅合为一体,指出"人之所以为人者,仁也。""舍仁不得为人。"康氏的仁道主义是从反程朱理学的角度提出命题的,在《大同书》中他把"人"摆在"天理"之上,充分肯定了人的价值,这是十分可贵的。
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22 大同書目錄 序
23 甲部 入世界觀眾苦
24 緒言 人有不忍之心
25 第一章 人生之苦
26 第二章 天災之苦
27 第三章 人道之苦
28 第四章 人治之苦
29 第五章 人情之苦
30 乙部 去國界合大地
31 第一章 有國之害
32 第二章 欲去國害必自弭兵破國界始
33 第三章 初設公議政府為大同之始
34 第四章 立公政府以統各國為大同之中
35 丙部 去級界平民族
36 丁部 去種界同人類
37 戊部 去形界保獨立
38 第一章 婦女之苦總論
39 第二章 論婦女之苦古今無救者
40 第三章 女子最有功於人道
41 第四章 論男女貴賤不在身體腦度
42 第五章 原女子被屈之由本於繁衍人類之不得已
43 第六章 女為男私屬於是伸男抑女
44 第七章 抑女有害於立國傳種宜解禁變法升同男子乃合公理而益人種
45 第八章 女子升平獨立之制
46 第九章 男女聽立交好之約量定限期不得為夫婦
47 己部 去家界為天民
48 第一章 總論
49 第二章 人本院
50 第三章 育嬰院
51 第四章 小學院
52 第五章 中學院
53 第六章 大學院
54 第七章 恤貧院
55 第八章 醫疾院
56 第九章 養老院
57 第十章 考終院
58 庚部 去產界公生業
59 第一章 農不行大同則不能均產而有飢民
60 第二章 工不行大同則工黨業主爭將別成國亂
61 第三章 商不行大同則人種生詐性而多餘貨以殄物
62 第四章 獨農與公農之比
63 第五章 獨商與公商之比
64 第六章 獨工與公工之比
65 第七章 公農
66 第八章 公工
67 第九章 公商
68 第十章 總論欲行農工商之大同則在明男女人權始
69 辛部 去亂界治太平
70 第一章 分地為百度
71 第二章 全地通同
72 第三章 地方分治以度為界
73 第四章 全地大同公政府政體
74 第五章 各度政府政體
75 第六章 公通
76 第七章 公闢
77 第八章 地方自治
78 第九章 公金行
79 第十章 競美
80 第十一章 獎智
81 第十二章 獎仁
82 第十三章 學校
83 第十四章 刑措
84 第十五章 四禁
85 壬部 去類界愛眾生
86 癸部 去苦界至極樂
87 第一章 治教以去苦求樂
88 第二章 居處舟車飲食衣服及其它之樂
89 甲部 入世界觀眾苦
90 緒言 人有不忍之心
91 康有為生於大地之上,為英帝印度之歲[1858年,時英國宣布印度為英屬國],傳少農知縣府君諱達初,字植謀及勞太夫人名蓮枝之種體者,吾地二十六周於日有餘矣。當大地凝結百數十萬年之後,幸遠過大鳥大獸之期,際開闢文明之運,居於赤道北溫帶之地,國於昆崙西南、帶江河、臨太平海之中華,游學於南海濱之百粵都會曰羊城,鄉於西樵山之北曰銀塘,得氏於周文王之子曰康叔,為士人者十三世,蓋積中國羲、農、黃帝、堯、舜、禹、湯、文王、周公、孔子及漢、唐、宋、明五千年之文明而盡吸飲之。又當大地之交通,萬國之並會,薈東西諸哲之心肝精英而酣飫之,神游於諸天之外,想入於血輪[即血球]之中,於時登白雲山摩星嶺之巔,蕩蕩乎其鶩於八極也。
南船北馬集 第三編
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六席、聴衆十七万人となる。これ一カ年間の巡回の成蹟にして、余が事業の進行とするところなり。また、地方巡回の外に東京近在に新設せる哲学堂の工事も、大いにその歩を進め、本年中に六賢台、三学堂ともに外部はことごとく竣功するに至れり。 P550----------- 哲学堂の由来 哲学堂は今より五年前、すなわち明治三十七年、哲学館の大学公称を文部省より許可せられたる紀念として一棟を建設したるに始まり、同三十九年一月、余が同大学を他人に一任し、これを己の退隠所と定めたるに起因すといえども、哲学堂中に奉崇せる四聖の由来につきては、遠く明治十八年に画工渡辺文三郎氏をして四聖の像をえがかしめ、中村敬宇先生に画賛を請い、学友四、五輩を招きて哲学祭を挙行せしに始まる。その画賛は左のごとし。 四聖像賛 文学博士 中 村 正 直 孔釈之教拯溺救焚、若微二聖人禽奚分、欧洲之哲尤推瑣韓、知大宗師固道徳根、弱肉強食今尚不已、卓美之世何時可待、炳燭余光嗟我老矣、継往開来望在俊士、 (孔子と釈迦の教えは人々を溺れたり焚かれたりする境地より救う。もしこの二聖人がおられなかったならば、人類と鳥類のごとき動物とどのように区別しようか。ヨーロッパの哲学者でもっとも推戴に価するのはソクラテスとカントである。あおがれる師匠はもとより道徳の根本を知っている。しかし、弱肉強食のありようは今もなおやむことなく、すぐれた美しい世はいったいいつまで待つべきなのであろう。かがやくともしびのあまりの光にわが老いたるをなげき、過去を引き継ぎ未来を開く望みは才知すぐれた人にあるのである。) その後、毎年十月二十七日をもって四聖の影前に哲学祭を行いきたれり。明治二十五年度の祭日にその起因を記したる拙文あれば左に掲ぐ。 古来わが民間の習俗として医師は神農を祭り、学童は菅公を祭り、大工職人にいたるまで、あるいは聖徳太子を祭り、あるいは恵比須大黒を祭り、もってその余徳の今日に及ぶものを報謝せんと欲するなり。なかんずく宗教家にありては、各宗各派みなその祖師開山を祭りて報恩謝徳の意を表す。先年わが大学において加藤総長の故ありてひとたび職を辞せられたるに際し、学士学生相はかりて謝恩会なるものを設け、もってその恩に報謝したることありき。これ死後の霊を祭るものにあらずして生時の人を待するものなれば、以上挙げたるところのものと、もとより異なるところあるも、報恩の意にいたりては一なり。あるいは人より進物を贈られ、あるいは人の饗応を受け、あるいは人の引き立てにあずかりなどするときは、これに向かいて挨拶を述べ謝意を呈するがごときも、一として報恩の意に出でざるはなし。この生時の人に尽くすところの心をもってこれを死後の霊に及ぼすときは、そのいわゆる祭りなるもの起こる。今、余輩は哲学を専修するものなり。ただいま東西の哲学者中、その世に著名なるもののみを挙ぐるも百をもって数えざるを得ず、その学説、その著書、今日に存するもの幾万巻あるを知らず。余輩、不幸にして数百世の後に生まれ、幾千里の外に住して、その人に謁見することを得ずといえども、その著書につきてこれを講究するときは、あたかもその門下にありて教訓を受くると更に異なるを覚えず。余輩、これによりて知識を進め道理を明らかにし、無知世界の暗夜に立ちて恐れず、不徳社会の霧海を渡りて迷わず、その心、常に歓天楽地の中に安住するを得たり。果たしてしからば、余輩の先聖古賢の恩義をかたじけのうするや、実に深くしてかつ大なりというべし。これ、わが世間普通の習俗に考うるも報謝の意なかるべからざるゆえんにして、哲学祭の設ある誠にここに起因す。しかりしこうして、先聖古賢の多き、いちいちこれを祭るべからず。もし一人を祭りて他を祭らざるときは不公平の祭祀たるを免れず、不公平はすなわち不道理なり。道理を講究する哲学者にして不道理の祭祀をなす、あにその忍ぶところならんや。これにおいて余自ら古今東西一種無類の祭祀法を工夫し、東西両洋の哲学者中より四大家を選抜し、これを数百の哲学者を代表する者と定め、明治十八年十月二十七日、初めてその祭典を試みたり。その四大家を選定したるは決して私意に出ずるにあらず。当時哲学を大別して東洋哲学、西洋哲学の二類となし、東洋哲学をシナ哲学、インド哲学の二種となし、西洋哲学を古代哲学、近世哲学の二種となす。しかして、この四種の哲学はその発達の形式、あたかもさかさまにかけたる扇面様の外見を示し、扇柄の枢要〔かなめ〕に当たるものはシナにありて孔子、インドにありて釈尊、古代にありてソクラテス氏、近世にありてカント氏なり。この四氏はみな哲学の中興にして、その以前の哲学を統合しきたりて一大完全の組織を開き、もって後世の哲学の基礎を置きたる者なり。その以前の哲学は短かつ小にして、以後の哲学は長かつ大なり。その形、左のごとし。 甲は以前を表し、乙は四氏を表し、丙は以後を表す。これ、余がその図式、扇面をさかさまにかけたる形なりというゆえんなり。詩人必ず歌いていわん、「扇面倒懸哲学天」(扇面をさかさまにかけた形で示される哲学の歴史)と。まずシナにありては、孔子以前に哲学の諸説ありたれば孔子はこれを集めて大成し、そののち諸学派相分かれ、その辺幅、宋朝に至りていよいよ大なるに至れり。インドにありては、釈尊以前すでに諸派の哲学ありて互いに相争いたるをもって、釈尊また集めてこれを大成し新哲学を構成せしが、そののち異論内外に競起し、その末流いよいよ進みていよいよ大なるに至れり。古代哲学はソクラテス氏をもって中興とし、その前後をもって世期を分かてり。故にソクラテス氏は扇面の枢要〔かなめ〕の地に位し、その前よりその後のほう哲学の諸説大いに発達し、その面積数倍を加うるに至れり。近世哲学もまた前後二世紀に分かれ、カント氏をもって中興とす。カント氏が前世紀の諸説を総合概括して後世紀哲学の源を開きしより以来、諸学諸説の多岐多端に分かれたること前世紀の比にあらず。故に以上の四氏は扇面的哲学の枢要〔かなめ〕の点に当たれる人なり。余がこの四氏を選抜して古今東西の哲学者を代表せしめたるは、誠に道理に適合せりというべし。唯一の難点は紀年および祭日を定むるにあり。しかるに余また一案を工夫し、四氏の年寿を合算してこれを日に配し、もって祭日を定め、また四氏の年歴を平分して、もって祭日の紀年を定めたり。その表、左のごとし。
誕 生 入 滅 寿 明治十八年をへだつること 釈尊 紀元前一〇二七年 同 九四九年 七十八年 二千八百三十四年 孔子 紀元前 五五一年 同 四七九年 七十二年 二千三百六十四年 ソクラテス氏 紀元前 四六九年 同 三九九年 七十年 二千二百八十四年 カント氏 紀元後一七二四年 同一八〇四年 八十年 八十二年 寿数合計三百年、これを日に配して三百日となし、これを一年の上に追算するときは十月二十七日に当たる。 年歴合計七千五百六十四年、これを四等分すれば一千八百九十一年なり。すなわち明治十八年は一八九一年に当たる。 右は明治十八年の算定なれば、本年すなわち二十五年は一千八百九十八年に当たる。昨年十月二十七日夜、哲学館寄宿舎において舎生一同相会し、一八九七年度の哲学祭を挙行せり。そのとき朗読したる祭文、左のごとし。 後学円了等謹みて四聖の尊像を講堂に掲げ、『大学』『中庸』『論語』『易経』『法華経』『浄土三部経』『ソクラテス伝記』『純理批判哲学』各一部をその前に供し、仰ぎて尊容を拝し俯して遺教を思い、もって先聖釈迦、孔子、ソクラテス、カントの四大家を祭る。釈迦はインド哲学を代表し、孔子はシナ哲学を代表し、ソクラテスはギリシア哲学を代表し、カントは近世哲学を代表す。故に四聖その人を祭るの意は、哲学そのものを祭るにあるを知るべし。それ哲学は一種の別世界にして、その中に天地あり日月あり、風雨あり山海あり。釈迦の智はそのいわゆる日月なり、孔子の徳はそのいわゆる雨露なり、ソクラテスの識はそのいわゆる山岳なり、カントの学はそのいわゆる海洋なり。その智はわれを照らし、その徳はわれを潤し、その識はわれを護し、その学はわれを擁し、わが父となりわが母となり、君主となり師友となり、日夜われを愛育撫養せり。これをもって不肖円了等、幸いに哲学界の一人となるを得たり。我が輩、あに報謝せざるべけんや。四聖の順序は釈迦を第一に位しカントを最後に置くは、しばらく年代の前後に従うのみ。今ここに祭日を定めて祭典を挙ぐるは、その意四聖の余徳を追慕し師父の厚恩を感謝するにあるも、また他に期するところなきにあらず。我が輩すでに先聖の撫育によりて学界の一成童となるを得たれば、これよりわが先聖に対する義務として、更に後進の子弟を啓導してこの哲学界裏に誘入し、これをして別天地の風雲山海の間に逍遥浴詠せしめざるべからず。これ、不肖円了等が先年哲学祭を設けてその学の将来ますます振起発達せんことを祈るの微志にして、すなわち四聖その人を祭るは哲学そのものを祭るゆえんなり。 明治二十六、七年ごろ、更に橋本雅邦翁をして四聖の像をえがかしめ、副島伯に「孔釈瑣韓」の四字額の揮毫を請い、また明治三十五年、清人康有為氏に更に画讃をもとむ。その讃詞、左のごとし。 東西南北、地互為中、時各有宜、春夏秋冬、軌道之行雖異、本源之証則同、先後聖之揆一、千万里之心通、会諸哲心肝于一堂、鎔大地精英于一篭、藐茲丈室、与天穹窿、羹牆如見、夢寐相逢、諸星方寸、億劫且暮、待来者之折衷、 (東西南北のいかなる所もそれぞれ中核の地ともなり、四季はそれぞれまことにほどよく春夏秋冬とめぐる。万物の運行する姿は異なっていても、本源にある真実は同じである。いにしえも後世の聖人もおしはかり行う道はひとつであり、千万里も遠くはなれた心も通じ合う。もろもろの哲学者の真心を一堂に会合せしめ、地上の特にすぐれたものをこの内につつみ込み融合している。美しくしげる一丈の小室、高くゆみなりに曲がる天とともに、仰ぎみて慕うことまみゆるがごとく、夢のなかでもあいめぐり会うがごとし。もろもろの事象は方寸のうちにあり、無限の時はまさに暮れなずもうとする。未来におけるほどよく調整された、中を得た世界を待ちたい。) かくして明治三十六年に至り、哲学堂を建設して四聖を奉崇せんことに定め、工学士大沢三之助氏、同古宇田実氏、および山尾新三郎氏に設計を依頼し、地を東京府下豊多摩郡江古田和田山に卜し、三十七年四月に至りようやく落成し、八日をもって開堂式を挙行したり。そのときの拙作を左に記す。 維時明治甲辰春、哲学堂成結構新、室小雖無容膝地、高風好養我精神、 (これ時は明治三十七年甲辰の春、哲学堂の建築はここに新たに完成した。家室は小さくて膝を入れるほどの地もないとはいえ、高く吹く風はわが精神を養生するによい。) 目白行過一路長、椎名村外野方郷、老杉如踞喬松立、両樹迎君入我堂、 (所は目白を経て西に向かう一路は長く、椎名村をはずれて野方郷にある。老いた杉がうずくまるようにあり、高くそびえる松が立ち、この二本の樹がまず君を迎えてわが堂に案内するのである。) また、哲学堂の記は左のごとし。 哲学堂は釈迦、孔子、ソクラテス、カントの四聖を奉崇する所なり。それ堂宇は三間四面にして四方正面の建築なり。堂の中央に柱脚四箇の天井よりかかるありて、自然に天蓋の形をなせるは、これ宇宙の形象なり。その中心よりガラス体の球灯を垂れ、その四柱より方形の香炉を釣るあり。すなわち球灯の透明にして円体なるは心体を表し、香炉の不透明にして方形なるは物体を表するの意なり。しかして四柱は宇宙の四極をかたどる。四柱の内部は銀色ガラスを張り、その中心に金色円形のガラスをかけたるは、天地開闢の当時、混沌たること鶏子のごとしといえるにかたどる。しかして金色ガラスより球灯の垂れるは、宇宙の本体より心体を開発せるの意を寓するなり。天蓋の四方に扁額を掛け、その額面に「釈聖」「孔聖」「瑣聖」「韓聖」と題し、もって古今東西の哲学者を代表す。
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南船北馬集 第三編
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P550
哲学堂の由来
哲学堂は今より五年前、すなわち明治三十七年、哲学館の大学公称を文部省より許可せられたる紀念として一棟を建設したるに始まり、同三十九年一月、余が同大学を他人に一任し、これを己の退隠所と定めたるに起因すといえども、哲学堂中に奉崇せる四聖の由来につきては、遠く明治十八年に画工渡辺文三郎氏をして四聖の像をえがかしめ、中村敬宇先生に画賛を請い、学友四、五輩を招きて哲学祭を挙行せしに始まる。その画賛は左のごとし。
四聖像賛 文学博士 中村正直
孔釈之教拯溺救焚、
若微二聖人禽奚分、
欧洲之哲尤推瑣韓、
知大宗師固道徳根、
弱肉強食今尚不已、
卓美之世何時可待、
炳燭余光嗟我老矣、
継往開来望在俊士、
(孔子と釈迦の教えは人々を溺れたり焚かれたりする境地より救う。
もしこの二聖人がおられなかったならば、人類と鳥類のごとき動物とどのように区別しようか。
ヨーロッパの哲学者でもっとも推戴に価するのはソクラテスとカントである。
あおがれる師匠はもとより道徳の根本を知っている。
しかし、弱肉強食のありようは今もなおやむことなく、
すぐれた美しい世はいったいいつまで待つべきなのであろう。
かがやくともしびのあまりの光にわが老いたるをなげき、
過去を引き継ぎ未来を開く望みは才知すぐれた人にあるのである。)
黒澤明の見た哲学堂-gooブログ
返信削除http://blog.goo.ne.jp/t-tusin07/e/57bd359069f5643f136ddf6f64ecb3f5
「大系 黒澤明 第1巻」浜野保樹編という
ページのに段組みで
700頁ほどある本を開き、読み始めてみた。
この第4巻まである書籍は去年秋から刊行されていたが、
何分にもえらく分厚い。
どうやら、この偉大な監督が残した著述や発言を
記録的に載せた内容となっている。
ふーん。
そういう物が面白いんだろうか?
これが一番最初の16才の黒澤明の随筆に驚いた。
もちろん、この本、解説にあるように京華中学校
の教師で国語の教本を出した先生から、
「京華中学はじまって以来の名文」として選ばれている
のもそうだけど、
この内容が、中野の哲学堂付近の風景にあることだ。
住んでいるここのこと。
一面の燃えるような真っ赤な蓮華に触れている。
ここは黒沢少年のお気に入りだったらしい。
外を見ても、わずかに痕跡を残すのは、
三井の墓所と哲学堂公園の地形、
名もなき川とされた妙正寺川の流れくらいか…。
既に消えて久しい
オリエンタル写真工場もまだなかった戦前のことだ。
随想や手紙には、落合の火葬場、この先に牧場があり牛がいた、
などともある。
その先きには… そうか、
これが書かれた1924年あたりと言えば、
佐伯祐三が一度目のパリから戻った時期で
あの下落合の赤土や電柱を油彩に残している。
1927年、昭和2年に二度目の渡仏で、その翌年
この画家の方は、精神を病んで他界した。
一方、黒沢明青年は、プロレタリア美術大展覧会
で迫力ある労働者の絵を描いていたわけだ。
これは、ゆっくり全巻読んでみようかと思う。
返信削除http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E5%A0%82%E5%85%AC%E5%9C%92
哲学堂公園(てつがくどうこうえん)は、東京都中野区にある中野区立の公園である。
東洋大学の創設者である哲学者の井上円了が、ソクラテス、カント、孔子、釈迦を祀った「四聖堂」を建設したのが、この公園のはじまりである。この四聖堂を当初哲学堂と称し、それがそのまま公園の名になった。
当初は当地に大学を造成する案もあったが、精神修養のための公園にすることになり、1909年-1912年の間に哲理門、六賢台、三学亭などの建築物が逐次整備された。当時の建築物は現在も公園内に現存しており、普段は外観しか見られないものの、毎年4月と10月に限り建築物の内部も一般に公開される。内部には、哲学者の像が祀られている。この他にも園内には到る所に哲学に由来するユニークな名前の坂や橋などが点在し、井上円了の思想と世界観を垣間見ることができる。
目次 [非表示]
1 歴史
2 施設名
3 哲学堂祭
4 関連書籍
5 アクセス
6 注
7 公園内の建築物のギャラリー
8 外部リンク
歴史[編集]
鎌倉時代 - 武将和田義盛の居城であったという伝承がある。
1904年(明治37年) -井上円了が四聖堂を建設する。
1909年(明治42年)-1912年(大正元年) - 哲理門、六賢台、三学亭などの建築物が逐次整備される。
1944年(昭和19年) - 井上円了の没後、本人の遺志で東京都に寄贈される。
1975年(昭和50年) - 中野区の管轄となる。
2006年(平成19年) - 4月より指定管理者「日本体育施設グループ」が管理運営を行っている。
2009年(平成21年) - 東京都の名勝に指定された。
施設名[編集]
公園の入口にある看板「七十七場名称案内」によれば、園内の施設名は以下のとおり。
1哲学関、2真理界、3鑽仰軒、4哲理門、5一元牆、 6常識門、7髑髏庵、8復活廊、9鬼神窟、10接神室、 11霊明閣、12百科叢、13時空岡、14四聖堂、15唱念塔、 16六賢台、17天狗松、18筆塚、19懐疑巷、20経験坂、 21感覚巒、22万有林、23三字壇・哲史塀、24三祖碑、25唯物園・哲史蹊、 26物字壇、27客観廬、28進化溝、29理化潭、30博物隄、 31数理江、32観象梁、33神秘洞、34狸燈、35後天沼、 36原子橋、37自然井、38造化澗、39二元衢、40学界津、 41独断峡、42唯心庭、43心字池、44倫理淵、45理性島、 46心理崖、47鬼燈、48概念橋、49先天泉、50主観亭、 51認識路、52直覚径、53論理域、54演繹観、55帰納場、 56意識駅、57絶対城、58聖哲碑、59観念脚、60観察境、 61紀念碑、62相対渓、63理想橋、64理外門、65幽霊梅、 66宇宙館、67皇国殿、68三学亭、69硯塚、70無尽蔵、71万象庫、72向上楼、73望遠橋、74星界洲、75半月台(76と77は、文献記録が欠けており不明)
このうち主要な施設は以下のとおり。
時空岡(じくうこう) - 哲学の時空間を表した場所。
四聖堂(哲学堂) - 東洋の釈迦と孔子、西洋のソクラテスとカントの四聖人が祀られている。公園の中心的な建物といえる。
六賢台 - 日本の聖徳太子、菅原道真、中国の荘子、朱子、インドの龍樹、迦毘羅[1]の東洋の六人の哲人が祀られている。
哲理門 - 哲学堂の正門にあたる。天狗と幽霊が傍らにあり、天狗は物質界、幽霊は精神界の象徴であるという。
三学亭 - 日本の古来からの神学、儒学、仏教学の各碵学、平田篤胤、林羅山、釈凝然を奉崇している。
三祖苑 - 思想史の始祖ともいえる、中国の黄帝、インドの足目仙人[2]、ギリシアのタレスの各人を刻んだ石碑がまつられている。
絶対城 - 当地における図書館のこと。絶対的な真理に到達せんと欲するならば、万巻の書物を読み尽くすことであるという教えから、絶対城と命名された。現在は、建物が遺構として残っているだけで、図書館としての機能はない。
宇宙館 - 当地における講義室。哲学は、宇宙における真理を追究する学問であるから、この名になった。
現在は北側に野球場2面、テニスコート6面、野球場地下に弓道場を有する運動施設も併設されている。哲学堂の名は公園周辺の地名の通称として店舗名、バス停留所などにも使われている。桜の名所として有名である。
哲学堂祭[編集]
井上円了の遺言に基づき、東洋大学が毎年11月に哲学堂祭を開催している。
毎年11月の第1土曜日に開催する。
哲学堂に祭られている四聖(孔子・釈迦・ソクラテス・カント)を順番に一人ずつ取り上げて講演を行い哲学の思想普及に努める 。
参加者には、甘茶・珈琲・紅茶を振る舞う。
関連書籍[編集]
「哲学堂案内」『妖怪玄談』竹村牧男〔監修〕所収(大東出版社、2011.1 ISBN 978-4-500-00745-5)
円了自身により哲学堂の各施設が解説されている。
アクセス[編集]
所在地:中野区松が丘一丁目34番。
西武新宿線新井薬師前駅より徒歩12分、または都営地下鉄大江戸線落合南長崎駅より徒歩12分。
中野駅・新井薬師前駅より関東バス・国際興業バス「池袋駅西口」行、関東バス「江古田駅」・「丸山営業所(新井薬師前駅経由)」行で『哲学堂公園入口』『哲学堂』、または「中村橋」・「江古田の森」・京王バス練馬駅行で『哲学堂下』下車。池袋駅西口・落合南長崎駅より関東バス・国際興業バス「中野駅」行、江古田駅より関東バス「中野駅」行で『哲学堂』下車。新宿駅・落合南長崎駅より関東バス「丸山営業所」行で『哲学堂東』下車。池袋駅東口・落合南長崎駅より都営バス「江古田駅二丁目」・「練馬車庫」行で『哲学堂』下車。中村橋より関東バス「中野駅」行で『哲学堂下』下車。
開園時間: 4月~9月 午前8時~午後6時、10月~3月 午前9時~午後5時
入園料: 無料
年末(12月29日~31日)を除き無休
注[編集]
^ サーンキヤ学派の伝説上の開祖とされるカピラのこと。
^ ニヤーヤ学派を興したガウタマ(アクシャパーダ)のこと。
公園内の建築物のギャラリー[編集]
六賢台
三祖苑
哲理門
理想橋
カント→井上円了→康有為
返信削除↓
柳田国男 黒澤明
カント→井上円了→康有為
返信削除↓
黒澤明
柳田国男
孔子→柳田国男
返信削除↓
カント→井上円了→康有為
↓
黒澤明
返信削除孔子→柳田国男
↓
カント→井上円了→康有為
ソクラテス ↓
釈尊 黒澤明
近代デジタルライブラリー - 星界想遊記
返信削除http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/752834
『星界想遊記』 井上円了 (明治23年)
SF的架空国漫遊譚
『星界想遊記』
>確かに、主人公が夢の中で地球外の星々を訪ねる話ではあるが、 平賀源内に源を発する架空国漫遊譚を、やや哲学的に処理したもので、 SF的に、またSF史的には価値はほとんどない。
康有為には360度を100度にする案があった。だから中国のサイト百度も多分大同思想が元にある。
返信削除心理新説序語釈 日本漢文の世界 kambun.jp
返信削除kambun.jp/kambun/inoue-shinri-go.htm
瑣克剌底ソクラテス・布拉多プラトー・亞里私特德アリストートル. 輩出はいしゆつ. 胚胎 はいたい. 夷狄いてき. 猖獗しやうけつ. 僧徒そうと. 倍根ベーコン. 垤加爾多デカルト. 論法ろんぱふ. 振撼しんかん. 韓圖カント. 費希的ヒフテ. 設林セルリン.
心理しんり新説しんせつ序じよ
井上哲次郎博士が、明治15年(1882年)に抄訳・刊行した、『倍因氏心理新説』(英国の心理学者Alexander Bain原著)の序文。
火船くわせん
汽船(steamer)のこと。中国では、「火輪船」、「火輪」と呼ぶが、「火船」は一般的ではない。
自鳴鐘じめいしよう
置時計のこと。中国にはマテオ・リッチ(利瑪竇1552-1610)が1601年(明の時代)にもたらし、時間が来たら鐘が鳴ることから、自鳴鐘の名で呼ばれた。
淺見せんけん
見解が浅薄なこと。
夫それ
発語の辞。「そもそも」とか「さて」という感じ。
科學くわがく
scienceの訳語で、当時は新語であった。
哲學てつがく
Philosophyの訳語。当時は「理学」と訳されることも多かったが、「哲学」の方が定着した。
根基こんき
基礎。
瑣克剌底ソクラテス・布拉多プラトー・亞里私特德アリストートル
ギリシアの三大哲学者。ちなみに中国では、ソクラテスは「蘇格拉底」、プラトンは「柏拉図」、アリストテレスは「亜里士多徳」とする。
輩出はいしゆつ
つぎつぎと出てくること。
胚胎はいたい
はじまること。「みごもる」というのが原義。
夷狄いてき
野蛮人。ここでは、ローマを滅ぼしたゲルマン人のこと。
猖獗しやうけつ
たけり狂うこと。
僧徒そうと
基督教の僧侶たち。彼らの伝えた哲学とは、いわゆるスコラ哲学のこと。
倍根ベーコン
フランシス・ベーコン(Francis Bacon 1561-1626)。今日の音訳では、「培根」。経験論哲学の祖。デカルトとともに近世哲学の創始者といわれる。
垤加爾多デカルト
ルネ・デカルト(Rene Descartes 1596-1650)。中国では「笛卡児」とする。ここでは観念論哲学の祖として紹介されている。「われ思う、ゆえにわれあり」という言葉(方法序説)は有名。数学の方面でも、解析幾何学の創始、代数式の考案など、著しい活躍をした。
論法ろんぱふ
議論の方法。論理学。
振撼しんかん
震撼。ゆりうごかすこと。
韓圖カント
イマヌエル・カント(Immanuel Kant 1724-1804)。中国では「康徳」。近代哲学の祖といわれる大哲学者。著書に「純粋理性批判」「実践理性批判」がある。カントの批判哲学を継承するドイツの観念論的哲学を「ドイツ観念論」と呼ぶ。
費希的ヒフテ
フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte 1762-1814)。中国では「費希特」。ナポレオン占領下のベルリンで「ドイツ国民に告ぐ」という講演をしたことで有名。
設林セルリン
シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling 1775-1854)。中国では「謝林」。彼の哲学は、美的観念論と言われる。
歇傑爾ヘーゲル
ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel 1770-1831)。中国では「黒格爾」。弁証法哲学の創始者。
洛克ロツク
ロック(John Locke 1632-1704)。中国でもこの音訳を用いる。イギリス認識論の創始者。
牛董ニウトン
ニュートン(Sir Isaac Newton 1643-1727)。中国では「牛頓」。ニュートンは、哲学者というより物理学者・数学者。物理学では、万有引力の法則を発見し、「ニュートン力学」を完成させ、数学ではライプニッツとともに微分・積分学の創始者とされる。
彌兒ミル
ミル(John Stuart Mill 1806-1873)。中国では「穆勒」。古典派経済学者として、 『経済学原理』の著書があるほか、人道主義的社会主義の立場から、「自由論」等の著作がある。
達兒尹ダルイン
ダーウィン(Charles Robert Darwin 1809-1882)。中国では「達爾文」。博物学者で、進化論の確立者として有名。主著『種の起原』は現在も読み継がれている。
蘇邊薩スペンセル
スペンサー(Herbert Spencer 1820-1903)。中国では「斯賓塞」。社会学に進化論を取り入れた。
紙鳶たこ
米国のフランクリンが1752年にフィラデルフィアで行った有名な凧の実験のこと。
鍋蓋なべぶた
英国のワットは少年のとき、湯が沸くと鍋のふたが動くのを見て、蒸気機関の原理を悟った。
懸燭けんしよく
ガリレイは、教会の吊灯(つりとう)がゆれるのを見て、振り子の等時性の原理を悟った。
尋常じんじやう
ふつう。
習見しふけん
いつも見なれていること。
尋究じんきう
研究すること。
推度すゐたく
推論すること。
富蘭克林フランクリン
フランクリン(Benjamin Franklin 1706-1790)。中国では「弗蘭克林」。アメリカの政治家、科学者。凧を用いて雷から電気を取り出した実験(フィラデルフィアの実験)は有名。
瓦德ワツト
ワット(James Watt 1736-1819)。中国では「瓦特」。蒸気機関の改良者。蒸気機関の発明者はニューコメンだが、彼の蒸気機関は非効率きわまるものであったので、これを改良し実用化したワットの方が有名になった。
加里列阿ガリレオ
ガリレイ(Galileo Galilei1564-1642)。中国では「伽利略」。ガリレイは近代科学の創始者といわれる。地動説を唱えたかどで羅馬教皇庁から有罪とされた。その「名誉回復」と教皇の謝罪は1983年(昭和58年)になってからであったことは、記憶に新しい。
端緒たんしよ
はじめの糸口。
東洋とうやう
返信削除わが国では、アジア東部の総称。中国では「東方」という。中国では、「東洋」は「アジア東部の海洋」で、清の時代には日本のことも「東洋」と言っていた。
繼起けいき
後を継いで盛り立てること。
創起さうき
創始すること。
支那しな
中国のこと。「支那」は決して蔑称ではなく、仏典に由来する由緒正しい呼称である。
周しうの末まつ
周は、古代中国の周王朝のことで、その終わり頃、つまり春秋戦国時代を指す。
孔子こうし
孔子(前551-前479)は儒学の祖。名は丘、字は仲尼。春秋時代に魯の国に生まれ、古典を集大成した。後世の人人は「聖人」として崇めている。言行録である『論語』は必読の古典。
愛他説あいたせつ
孔子の思想を一言で言えば「他人を愛する」ということに尽きるということ。「仁」を根本とする儒教道徳の井上博士による要約。
孟子まうし
孟子(前372-前289)は、名は軻、字は子輿、または子居、子車。彼の思想は「性善説」と呼ばれる。孔子思想のもっとも忠実な祖述者。『孟子』も必読の古典。
楊子やうし
楊子は、名は朱、字は子居。戦国時代の思想家。生没年不詳。著書も伝わらず、『孟子』や『列子』に名が出ているだけである。個人主義(為我説)を説いたとされる。
自愛説じあいせつ
自分を尊重することを重んじる説で、要するに個人主義である。この語は井上博士による要約で、ふつうは「為我説」と呼ばれる。
墨子ぼくし
墨子(前480?-前390?)は、名は翟(てき)。兼愛・非攻説を唱えた。『墨子』の書がある。孟子が排撃したので、漢時代以降は彼の説は廃れた。
兼愛説けんあいせつ
自分も他人も分け隔てなく平等に愛することを主張する説。一種の博愛主義。これを国家にまで及ぼすと戦争もなくなるという、平和主義をも説いている。
任他説にんたせつ
他にまかせる説、ということ。井上博士が老荘の無為自然説を要約した語。
老莊らうさう
老子と荘子(そうじ)。老子は、姓は李、名は耳(じ)、字は耼(たん)。楚の苦県(こけん)の人。生没年不詳。史記の孔子世家と老子韓非列伝に、孔子と会見したことが出ている。荘子は名を周という。戦国時代の蒙の人。生没年不詳。老子の祖述者。
干渉説かんせふせつ
申韓の学である「刑名の学」は一種の法治主義だから、このように要約した。
申韓しんかん
申不害と韓非。ともに戦国時代の人。申不害は生没年不詳。著書『申子』は一部分が伝わるだけである。韓非は生年不詳、没年は前233年頃。秦の李斯とともに荀子に学んだが、李斯の奸計にかかり殺された。著書『韓非子』は政治・法律を説いている。
功利説こうりせつ
功績と利益を重んじる説。功利主義。申・韓・管・商などの法家思想は功利主義ということもできる。
管商くわんしやう
管子と商子。『管子』は、管仲の作と伝えられる。管仲(?-前645)は名を夷吾といい、春秋時代の斉の人。牧民篇の富民論は有名。『商子』は、秦の商鞅(しょうおう)の作とされるが、実は後世の付託だといわれる。『商子』も富国強兵論を説いている。
儒家じゆか
孔子を祖とする儒教の学派。
天命説てんめいせつ
運命論(決定論)。ものごとは天命により決まっていて、人力をもってしては変えられないとする説。
墨ぼく
前出の墨子(の一派)。
非命説ひめいせつ
非決定論。天命説(前出)の逆の立場。
公孫子こうそんし
公孫龍(前320?-前250?)のこと。『公孫龍子』の略。『公孫龍子』は、「名家」に属する。一種の論理学である。
亢倉かうさう
『亢倉子』という道家の書物があり、周の時代のものといわれているが、今では唐人の偽撰とされる。亢倉子は老子の弟子。唐朝では道教を尊んだので、こうした偽経がたくさん作られた。
關尹くわんゐん
『関尹子』も道家の書で周代のものといわれていたが、これも唐人の偽撰である。関尹子は老子の同時代人である。
漢かん魏ぎ六朝りくてう
漢と三国の魏、南都建康に都をおいた六朝(三国の呉、東晋、宋、斉、梁、陳)。この時代、詩文が非常に栄えたので、このように総称している。
詞章ししやう
詩文の総称。
講かうず
きわめること。
息やむ
消えてしまう。やめてしまう。
趙宋てうそう
宋の時代。前出の六朝の宋と区別して、皇帝の姓「趙」をつけて呼ぶ。
周しう
周敦頤(しゅう・とんい 1017-1073)。字は茂叔。謚は元公。宋学の創始者。文章では「愛蓮説」が有名。程顥(てい・こう)、程頤(てい・い)は彼の弟子。
邵せう
邵雍(しょう・よう 1011-1077)。字は尭夫。謚は康節。宋学の初期の学者。
張ちやう
張載(ちょう・さい 1020-1077)。字は子厚。横渠(おうきょ)先生と呼ばれた。宋学の初期の学者。
陸りく
陸九淵(りく・きゅうえん 1139-1192)。字は子静、号は象山。宋学の学者。朱子とは対立した。
程てい
程顥(てい・こう)と程頤(てい・い)。程顥(1032-1085)は、字は伯淳。明道先生と呼ばれる。程頤(1033-1107)は、字は正叔。程顥の弟。伊川先生と呼ばれる。二人は二程子と呼ばれ、朱子とともに宋学の完成者である。
朱しゆ
朱熹(しゅき 1130-1200)。字は元晦、謚は文。宋学の完成者。二程子を祖述し、さらに発展させた。彼の学問は朱子学と呼ばれ、後世に大きな影響を与えた。
陸續りくぞく
絶え間無く続くこと。
往聖わうせいを紹つぐ
往聖とは、昔の聖人。尭・舜や孔子・孟子を指した。それらの聖人の後を継承するということ。
來哲らいてつを啓ひらく
来哲とは、後世の知者。後世の知者を啓蒙した、という意。たしかに宋学は日中韓の学問に大きな影響を与えている。
廢はいす
すたれる。
朱明しゆみん
明の時代。皇帝の姓が朱なので、こう呼ぶ。
王新建わうしんけん
王守仁(おう・しゅじん 1472-1528)。字は伯安、号は陽明、謚は文成。陽明学の祖。新建伯に封ぜられたので、王新建とも呼ぶ。
薛敬軒せつけいけん
薛瑄(せつ・せん 1392-1464)。字は徳温、号は敬軒、謚は文清。明代の朱子学者。
陳白沙ちんはくさ
陳継儒(ちん・けいじゅ 1558-1639)。字は仲醇。明代の儒学者・文人画家。画の方が有名。
胡敬齋こけいさい
胡居仁(こ・きょじん 1434-1484)。字は叔心、号は敬斎、謚は文敬。明代の儒学者。
楊升庵やうしようあん
楊慎(よう・しん 1488-1559)。字は用修、号は升庵。明代の儒学者。幅広く活躍し、雑劇などの作品もある。
落落らくらくたる晨星しんせい
「落落」は、まばらであることの形容。晨星は明け方の星で、夜が明けてゆくに従って、見える星もまばらになることから、ほとんどない意味を表す。
異書いしよ
めずらしい書籍。稀覯本。
抄譯せうやく
一部分を翻訳すること。
精核せいかく
細かいところまでしっかり究明していること。
憑信ひようしん
信頼すること。
純正じゆんせい哲學てつがく
「純正」とは、純粋で混じりけがないこと。ここでは純粋な哲学理論という意。
確當かくたう
正確。
浩瀚かうかん
(巻数が)たくさんあること。
童蒙どうもう
年が幼く、無知な子供というのが原義。ここでは哲学に無知な初学者のこと。
便びんならず
適当でないということ。
切要せつえう
非常に重要ということ。
取捨しゆしや折衷せつちゆう
取捨選択し、過不足を補うこと。
作爲さくゐ
つくること。
楷梯かいてい
「階梯」と同じ。ものごとを学ぶ道筋、順序。
該博がいはく
学識が深く広いこと。
屹きつ
高くそびえている様子。
鴻儒こうじゆ
大学者。
http://kambun.jp/kambun/inoue-shinri-go.htm
返信削除http://www.ircp.jp/enryo_senshu/text/INOUE12/12-04_nansenhokubashu03.txt
後学円了等謹みて四聖の尊像を講堂に掲げ、『大学』『中庸』『論語』『易経』『法華経』『浄土三部経』『ソクラテス伝記』『純理批判哲学』各一部をその前に供し、仰ぎて尊容を拝し俯して遺教を思い、もって先聖釈迦、孔子、ソクラテス、カントの四大家を祭る。釈迦はインド哲学を代表し、孔子はシナ哲学を代表し、ソクラテスはギリシア哲学を代表し、カントは近世哲学を代表す。故に四聖その人を祭るの意は、哲学そのものを祭るにあるを知るべし。それ哲学は一種の別世界にして、その中に天地あり日月あり、風雨あり山海あり。釈迦の智はそのいわゆる日月なり、孔子の徳はそのいわゆる雨露なり、ソクラテスの識はそのいわゆる山岳なり、カントの学はそのいわゆる海洋なり。その智はわれを照らし、その徳はわれを潤し、その識はわれを護し、その学はわれを擁し、わが父となりわが母となり、君主となり師友となり、日夜われを愛育撫養せり。これをもって不肖円了等、幸いに哲学界の一人となるを得たり。我が輩、あに報謝せざるべけんや。四聖の順序は釈迦を第一に位しカントを最後に置くは、しばらく年代の前後に従うのみ。今ここに祭日を定めて祭典を挙ぐるは、その意四聖の余徳を追慕し師父の厚恩を感謝するにあるも、また他に期するところなきにあらず。我が輩すでに先聖の撫育によりて学界の一成童となるを得たれば、これよりわが先聖に対する義務として、更に後進の子弟を啓導してこの哲学界裏に誘入し、これをして別天地の風雲山海の間に逍遥浴詠せしめざるべからず。これ、不肖円了等が先年哲学祭を設けてその学の将来ますます振起発達せんことを祈るの微志にして、すなわち四聖その人を祭るは哲学そのものを祭るゆえんなり。 明治二十六、七年ごろ、更に橋本雅邦翁をして四聖の像をえがかしめ、副島伯に「孔釈瑣韓」の四字額の揮毫を請い、また明治三十五年、清人康有為氏に更に画讃をもとむ。その讃詞、左のごとし。
東西南北、地互為中、時各有宜、春夏秋冬、軌道之行雖異、本源之証則同、先後聖之揆一、千万里之心通、会諸哲心肝于一堂、鎔大地精英于一篭、藐茲丈室、与天穹窿、羹牆如見、夢寐相逢、諸星方寸、億劫且暮、待来者之折衷、
(東西南北のいかなる所もそれぞれ中核の地ともなり、四季はそれぞれまことにほどよく春夏秋冬とめぐる。万物の運行する姿は異なっていても、本源にある真実は同じである。いにしえも後世の聖人もおしはかり行う道はひとつであり、千万里も遠くはなれた心も通じ合う。もろもろの哲学者の真心を一堂に会合せしめ、地上の特にすぐれたものをこの内につつみ込み融合している。美しくしげる一丈の小室、高くゆみなりに曲がる天とともに、仰ぎみて慕うことまみゆるがごとく、夢のなかでもあいめぐり会うがごとし。もろもろの事象は方寸のうちにあり、無限の時はまさに暮れなずもうとする。未来におけるほどよく調整された、中を得た世界を待ちたい。)
かくして明治三十六年に至り、哲学堂を建設して四聖を奉崇せんことに定め、工学士大沢三之助氏、同古宇田実氏、および山尾新三郎氏に設計を依頼し、地を東京府下豊多摩郡江古田和田山に卜し、三十七年四月に至りようやく落成し、八日をもって開堂式を挙行したり。そのときの拙作を左に記す。
維時明治甲辰春、哲学堂成結構新、室小雖無容膝地、高風好養我精神、
(これ時は明治三十七年甲辰の春、哲学堂の建築はここに新たに完成した。家室は小さくて膝を入れるほどの地もないとはいえ、高く吹く風はわが精神を養生するによい。) 目白行過一路長、椎名村外野方郷、老杉如踞喬松立、両樹迎君入我堂、
(所は目白を経て西に向かう一路は長く、椎名村をは
返信削除http://d.hatena.ne.jp/name727/20081106/1225985218
「人民は国家にたいして共産するだけではなく、すべてのものを共にすることができます」という箇所は、共産主義者毛沢東の発言ではなく、孫文の発言であることに注目すべきである。
また、孫文を国父と仰ぐ台湾の国歌は次のようである。
「三民主義は、我が党の指針。
これで民国を建設し、大同に進む。
ああ、あなた方多くの人々は、民に為の模範となって、
朝から夜まで怠けることなく、主義に従おう。
勤勉であれ、勇敢であれ、必ず信じ必ず忠実であれ、
心と美徳を一つにして、最後まで貫徹しよう。」
「大同」や「大同世界」とは何を意味しているのだろうか。「大同」という言葉が中国大陸で流行したのは、康有為による「大同書」の出版の後である。康有為は清朝の政治家であると同時に公羊学派の学者でもある。公羊学派とは孔子が著したとされている「春秋」を「公羊伝」に依りながら解釈する学派である。その大きな特徴として、孔子の抱いていたとされる理想の政治の世界を実際に実現しようとする理想主義的政治思想をもっていることが挙げられる。公羊学派の学者であり、政治家でもあった康有為が、自らの理想を描いたのが「大同書」である。「大同世界」とは、そこに描かれたユートピアに他ならない。
それでは、「大同書」のなかにいかなるユートピアが描かれているか。康有為は9項目を挙げみる。
1) 国界を去って大地を合す(国境があるために戦争が起こる)。
2) 級界を去って民族を平らにす(身分差別を撤廃する)。
3) 種界を去って人類同じくす(人種差別を無くすために異人種同士を交配させ、一つの人種を作り上げる)。
4) 形界を去って独立を保つ(男女差別の撤退)。
5) 家界を去って天民となる(家族制度の撤廃)。
6) 産界を去って生行を公にす(私有財産制度の撤廃)。
7) 乱界を去って太平を治む(大同世界における具体的な行政制度の説明)。
8) 類界を去って衆生を愛す(殺生の禁止)
9) 苦界を去って極楽に至る(神仏の学が興り、人類は地球を出て、他の星に遊ぶことが可能になる)。
実にマルクス主義に類似し、最後の地球を離れ、他の星への云々の段になると、マルクス主義を超えてカルト宗教に達していると言わざるをえない。これこそが康有為が説き、孫文が憧れてやまない「大同世界」なのである。
孫文の思想に従うのなら、次のごとくとなる。
漢民族の使命とは、未だに中華化されていない野蛮な民族たちを中華化し、大同世界の実現を目指す。大同世界が、共産主義社会であるということを考えれば、孫文の思想とは、漢民族が他の民族を侵略し、共産主義社会を建設することとほとんど変わりがないことになる。そう考えてみると、孫文が中共において国父
0)世界に入って衆苦を観ず
返信削除http://baike.baidu.com/view/43031.htm?fromtitle=%E3%80%8A%E5%A4%A7%E5%90%8C%E4%B9%A6%E3%80%8B&fromid=789438&type=syn
《大同书》全书共30卷,约20万字,分为10部,
甲部《入世界观众苦》,
乙部《去国界合大地》,
丙部《去级界平民族》,
丁部《去种界同人类》,
戊部《去形界保独立》,
己部《去家界为天民》,
庚部《去产界公生业》,
辛部《去乱界治太平》,
壬部《去类界爱众生》,
癸部《去苦界至极乐》。
0)世界に入って衆苦を観ず(否定すべき世界は九界に分かれるが、以降はユートピアに移る)。
1) 国界を去って大地を合す(国境があるために戦争が起こる)。
2) 級界を去って民族を平らにす(身分差別を撤廃する)。
3) 種界を去って人類同じくす(人種差別を無くすために異人種同士を交配させ、一つの人種を作り上げる)。
4) 形界を去って独立を保つ(男女差別の撤退)。
5) 家界を去って天民となる(家族制度の撤廃)。
6) 産界を去って生行を公にす(私有財産制度の撤廃)。
7) 乱界を去って太平を治む(大同世界における具体的な行政制度の説明)。
8) 類界を去って衆生を愛す(殺生の禁止)
9) 苦界を去って極楽に至る(神仏の学が興り、人類は地球を出て、他の星に遊ぶことが可能になる)。
返信削除http://baike.baidu.com/view/43031.htm?fromtitle=%E3%80%8A%E5%A4%A7%E5%90%8C%E4%B9%A6%E3%80%8B&fromid=789438&type=syn
《大同书》全书共30卷,约20万字,分为10部,
甲部《入世界观众苦》,
乙部《去国界合大地》,
丙部《去级界平民族》,
丁部《去种界同人类》,
戊部《去形界保独立》,
己部《去家界为天民》,
庚部《去产界公生业》,
辛部《去乱界治太平》,
壬部《去类界爱众生》,
癸部《去苦界至极乐》。
0)世界に入って衆苦を観ず(否定すべき世界は九界に分かれるが、以降は九項目のユートピアに移る)。
1) 国界を去って大地を合す(国境があるために戦争が起こる)。
2) 級界を去って民族を平らにす(身分差別を撤廃する)。
3) 種界を去って人類同じくす(人種差別を無くすために異人種同士を交配させ、一つの人種を作り上げる)。
4) 形界を去って独立を保つ(男女差別の撤退)。
5) 家界を去って天民となる(家族制度の撤廃)。
6) 産界を去って生行を公にす(私有財産制度の撤廃)。
7) 乱界を去って太平を治む(大同世界における具体的な行政制度の説明)。
8) 類界を去って衆生を愛す(殺生の禁止)
9) 苦界を去って極楽に至る(神仏の学が興り、人類は地球を出て、他の星に遊ぶことが可能になる)。
返信削除http://baike.baidu.com/view/43031.htm?fromtitle=%E3%80%8A%E5%A4%A7%E5%90%8C%E4%B9%A6%E3%80%8B&fromid=789438&type=syn
《大同书》全书共30卷,约20万字,分为10部,
甲部《入世界观众苦》,
乙部《去国界合大地》,
丙部《去级界平民族》,
丁部《去种界同人类》,
戊部《去形界保独立》,
己部《去家界为天民》,
庚部《去产界公生业》,
辛部《去乱界治太平》,
壬部《去类界爱众生》,
癸部《去苦界至极乐》。
0)世界に入って衆苦を観ず(否定すべき世界は九界に分かれるが、以降はそれら九項目に対置された九つのユートピア描写に移る)。
1) 国界を去って大地を合す(国境があるために戦争が起こる)。
2) 級界を去って民族を平らにす(身分差別を撤廃する)。
3) 種界を去って人類同じくす(人種差別を無くすために異人種同士を交配させ、一つの人種を作り上げる)。
4) 形界を去って独立を保つ(男女差別の撤退)。
5) 家界を去って天民となる(家族制度の撤廃)。
6) 産界を去って生行を公にす(私有財産制度の撤廃)。
7) 乱界を去って太平を治む(大同世界における具体的な行政制度の説明)。
8) 類界を去って衆生を愛す(殺生の禁止)
9) 苦界を去って極楽に至る(神仏の学が興り、人類は地球を出て、他の星に遊ぶことが可能になる)。
返信削除http://baike.baidu.com/view/43031.htm?fromtitle=%E3%80%8A%E5%A4%A7%E5%90%8C%E4%B9%A6%E3%80%8B&fromid=789438&type=syn
《大同书》全书共30卷,约20万字,分为10部,
甲部《入世界观众苦》,
乙部《去国界合大地》,
丙部《去级界平民族》,
丁部《去种界同人类》,
戊部《去形界保独立》,
己部《去家界为天民》,
庚部《去产界公生业》,
辛部《去乱界治太平》,
壬部《去类界爱众生》,
癸部《去苦界至极乐》。
http://d.hatena.ne.jp/name727/20081106/1225985218
0)世界に入って衆苦を観ず(否定すべき世界は九界に分かれるが、以降はそれら九項目に対置された九つのユートピア描写に移る)。
1) 国界を去って大地を合す(国境があるために戦争が起こる)。
2) 級界を去って民族を平らにす(身分差別を撤廃する)。
3) 種界を去って人類同じくす(人種差別を無くすために異人種同士を交配させ、一つの人種を作り上げる)。
4) 形界を去って独立を保つ(男女差別の撤退)。
5) 家界を去って天民となる(家族制度の撤廃)。
6) 産界を去って生行を公にす(私有財産制度の撤廃)。
7) 乱界を去って太平を治む(大同世界における具体的な行政制度の説明)。
8) 類界を去って衆生を愛す(殺生の禁止)
9) 苦界を去って極楽に至る(神仏の学が興り、人類は地球を出て、他の星に遊ぶことが可能になる)。
最終章で老子の小国~が批判されるが、そこは疑問に思う
返信削除康有為の未来社会は移動を強いられるだけではないか
柄谷はレッセフェールも中国起源だとする
返信削除wiki
ケネー
中国の影響[編集]
中国の思想と概念がケネーに与えた影響を忘れるべきではない。生前彼はヨーロッパの孔子として知られていた。[10]レッセフェールの教義とその名 前さえもが中国の無為の概念に啓発されたものかもしれない。[11][12]
脚注[編集]
^ FORERUNNERS OF HENRY GEORGE by Samuel Milliken, Online source
返信削除^ "Wu-Wei in Europe" by Christian Gerlach
^ "The Eastern Origins of Western Civilization", John M. Hobson, p.196
http://eprints.lse.ac.uk/22479/
返信削除Wu-Wei in Europe. A study of Eurasian economic thought
Gerlach, Christian (2005) Wu-Wei in Europe. A study of Eurasian economic thought. Working Papers of the Global Economic History Network (GEHN), 12/05. Department of Economic History, London School of Economics and Political Science, London, UK.
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Abstract
This present paper focuses on the diffusion of wu-wei (an ancient Chinese concept of political economy) throughout Europe, between 1648 and 1848. It argues that at the core of this diffusion process were three major developments; firstly the importation and active transmission of wu-wei by the Low Countries, during the seventeenth century. It is revealed that the details of Chinese expertise entered Europe via the textual diffusion of Jesuit texts and the visual diffusion of million of so-called minben-images, during the ceramic boom of the seventeenth and eighteenth centuries. Thus, the hypothesis is advanced that the diffusion of wu-wei, co-evolved with the inner-European laissez-faire principle, the Libaniusian model. In the second part it is shown that the intellectual foundation of Europe’s first economic school, Physiocracy, is a direct replica of the imported Chinese economic, agrarian craftsmanship of wu-wei; subsequently it is denied that the indigenous European Libaniusian ideology can be considered the intellectual master-model of Physiocracy and his founder Quesnay. Thirdly, it is argued that Switzerland can be identified as the first European paradigm state of wu-wei. The crystallization process of wu-wei inside Europe ultimately ended with the economic-political reorganization of the new Eidgenossenschaft in 1848, in which Chinese agrarian wu-wei was institutionally combined with the traditional Swiss “commercial wu-wei”. In due course, this alpine paradigm enabled the endogenous Libaniusian model to verify and reflect upon its own theory of commercial society. Additionally, this third focus also demonstrates that the later development of Europe’s laissez-faire doctrine has to be seen as a Eurasian co-production – without wu-wei, Europe’s pro-commercial ideology might never have matured.
レッセフェール(仏:laissez-faire)とは、フランス語で「なすに任せよ」の意。経済学で頻繁に用いられており、その場合は「政府が企業や個人の経済活動に干渉せず市場のはたらきに任せること」を指す。自由放任主義(じゆうほうにんしゅぎ)と一般には訳される。
返信削除
返信削除http://d-arch.ide.go.jp/idedp/KKC/KKC019600_004.pdf
Nuyen, A. T. 1999. “Chinese Philosophy and Western Capitalism.” Asian Philosophy
Mar. 99, Vol. 9 Issue 1.
10 アジアの資本主義が西欧のそれと「異質」であるとすることには,この異 質性の定義も含めてさらに検討する余地はあろう。Nuyen(19)は,フラ ンスの資本主義哲学の創始者とされる重農主義者ケネーが熱烈な儒教の信奉 者であり,またその自由主義の表現であるレッセ・フェール本文ではレッセ・ フェールとなっている“laissez faire”という語自体が,中国語の“wu-wei”
(無為)の仏訳であることを紹介している。
返信削除http://hsozkult.geschichte.hu-berlin.de/daten/2005/gerlach_christian_wu-wei.pdf
72 See also his paper on the non-existing link between Adam Smith and wu-wei: Ken McCormick, The Tao of Laissez-Faire, in: Eastern Economic Journal, Vol. 25, No. 3, Summer 1999, pp. 331- 341.
返信削除『現代思想』2014.03で柄谷行人も言及していたが、フラ ンスの資本主義哲学の創始者とされる重農主義者ケネーが熱烈な儒教の信奉 者であり,またその自由主義の表現であるレッセ・フェール本文ではレッセ・ フェールとなっている“laissez faire”という語自体が,中国語の“wu-wei”(無為)の仏訳であるらしい。
返信削除『現代思想』2014.03で柄谷行人も言及していたが、フラ ンスの資本主義哲学の創始者とされる重農主義者ケネーが熱烈な儒教の信奉 者であり,またその自由主義の表現であるレッセ・フェール“laissez faire”という語自体が,中国語の“wu-wei”(無為)の仏訳であるらしい。
返信削除https://toyo.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=5612&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=17
ケネー
シナノデスポティズム
Orientalism and China[edit]
返信削除Quesnay is known for his writings on Chinese politics and society. His book Le Despotisme de la Chine, written in 1767, describes his views of the Chinese imperial system.[3] He was supportive of the meritocratic concept of giving scholars political power, without the cumbersome aristocracy that characterized French politics, and the importance of agriculture to the welfare of a nation. The phrase laissez-faire, coined by fellow Physiocrat Vincent de Gournay, is postulated to have come from Quesnay's writings on China.[3] Gregory Blue writes that Quesnay "praised China as a constitutional despotism and openly advocated the adoption of Chinese institutions, including a stardardized system of taxation and universal education." Blue speculates that this may have influenced the 1793 establishment of the Permanent Settlement in Bengal by the British Empire.[8] Quesnay's interests in Orientalism has also been a source of criticism. Carol Blum, in her book Strength in Numbers on 18th century France, labels Quesnay an "apologist for Oriental despotism."[9]
Because of his admiration of Confucianism, Quesnay followers bestowed him with the title "Confucius of Europe."[10] Quesnay's infatuation for Chinese culture, as described by Jesuits, led him to persuade the son of Louis XV to mirror the "plowing of sacred land" by the Chinese emperor to symbolize the link between government and agriculture.[11]
^ Jump up to: a b c Ina Baghdiantz McCabe (15 July 2008). Orientalism in Early Modern France: Eurasian Trade, Exoticism and the Ancien Regime. Berg Publishers. pp. 271–272. ISBN 978-1-84520-374-0.
Jump up ^ "Nouvelles Ephemerides, Économiques, Seconde Partie, Analyses, Et Critiques Raisonnées. N° Premier. Éloge Historique De M. Quesnay, Contenant L'Analyse De Ses Ouvrages, Par M. Le Cte D'A***". Taieb.net. Retrieved 2012-08-16.
^ Jump up to: a b Smith, Adam, 1937, The Wealth of Nations, N. Y.: Random House, p. 643; first published 1776.
Jump up ^ Phillip Anthony O'Hara (1999). Encyclopedia of Political Economy. Psychology Press. p. 848. ISBN 978-0-415-18718-3. Retrieved 21 July 2012.
Jump up ^ Kafker, Frank A.: Notices sur les auteurs des 17 volumes de « discours » de l'Encyclopédie (suite et fin). Recherches sur Diderot et sur l'Encyclopédie Année (1990) Volume 8 Numéro 8 p. 112
Jump up ^ E. S. Shaffer (30 November 2000). Comparative Criticism: Volume 22, East and West: Comparative Perspectives. Cambridge University Press. pp. 239–240. ISBN 978-0-521-79072-7.
Jump up ^ Carol Blum (5 February 2002). Strength in Numbers: Population, Reproduction, and Power in Eighteenth-Century France. JHU Press. p. 16. ISBN 978-0-8018-6810-8.
Jump up ^ Murray N. Rothbard (2006). Economic Thought Before Adam Smith. Ludwig von Mises Institute. p. 366. ISBN 978-0-945466-48-2.
Jump up ^ Geoffrey C. Gunn (2003). First Globalization: The Eurasian Exchange, 1500 to 1800. Rowman & Littlefield. p. 148. ISBN 978-0-7425-2662-4.
The laissez faire slogan was popularized by Vincent de Gournay, a French Physiocrat and intendant of commerce in the 1750s, who is said to have adopted the term from François Quesnay's writings on China.[5] It was Quesnay who coined the term laissez-faire, laissez-passer,[6][7] laissez-faire being a translation of the Chinese term 無為 wu wei.[8] Gournay was an ardent proponent of the removal of restrictions on trade and the deregulation of industry in France. Gournay was delighted by the Colbert-LeGendre anecdote,[9] and forged it into a larger maxim all his own: "Laissez faire et laissez passer" ('Let do and let pass'). His motto has also been identified as the longer "Laissez faire et laissez passer, le monde va de lui même!" ("Let do and let pass, the world goes on by itself!"). Although Gournay left no written tracts on his economic policy ideas, he had immense personal influence on his contemporaries, notably his fellow Physiocrats, who credit both the laissez-faire slogan and the doctrine to Gournay.[10]
返信削除Jump up ^ Baghdiantz McCabe, Ina (2008). Orientalism in Early Modern France: Eurasian Trade Exoticism and the Ancien Regime. Berg Publishers. pp. 271–272. ISBN 978-1-84520-374-0.
Jump up ^ "Library of Economics and Liberty". Liberty Fund, Inc. Retrieved 22 September 2013.
Jump up ^ "Encyclopedia Britannica". Encyclopedia Britannica, Inc.
Jump up ^ Clarke, J.J. (1997). Oriental Enlightenment: The Encounter Between Asian and Western Thought. Routledge. p. 50. ISBN 978-0415133760.
Jump up ^ According to J. Turgot's "Eloge de Vincent de Gournay," Mercure, August, 1759 (repr. in Oeuvres of Turgot, vol. 1 p.288.
Jump up ^ Gournay was credited with the phrase by Jacques Turgot ("Eloge a Gournay", Mercure 1759), the Marquis de Mirabeau (Philosophie rurale 1763 and Ephémérides du Citoyen, 1767.), the Comte d'Albon (,"Éloge Historique de M. Quesnay", Nouvelles Ephémérides Économiques, May, 1775, p.136-7. ) and DuPont de Nemours (Introduction to Oeuvres de Jacques Turgot, 1808–11, Vol. I, p.257 and p.259 (Daire ed.)) among others
^ フランスの経済学者・財政家のヴァンサン・ド・グルネー(Vincent de Gournay、1712年〜1759年)など。
返信削除8
返信削除Jump up ^ Clarke, J.J. (1997). Oriental Enlightenment: The Encounter Between Asian and Western Thought. Routledge. p. 50. ISBN 978-0415133760.
返信削除http://eprints.lse.ac.uk/22479/1/wp12.pdf#search='The+Encounter+Between+Asian+and+Western+Thought+laissez'
2005
返信削除Working Paper No. 12/05
Wu-Wei in Europe. A Study of Eurasian Economic Thought
Christian Gerlach
中国の専制政治 1767
返信削除ケネー
シナノデスポティズム
イエズス会は西洋の数学と天文学の業績を中国語に翻訳し、中国人学者の関心を喚起した。マテオ・リッチは、儒教の教義を本部に報告し、イントルチェッタ神父は儒教の日常と業績を1687年にラテン語で出版した[31]。この仕事はこの時代のヨーロッパの知識人にとり大変重要であったとみられる。ことに理神論者や啓蒙主義者は儒教の倫理体系とキリスト教倫理の統合に関心を払った[32][33]。
返信削除アダム・スミスの先達で近代経済学を確立したフランスの重農主義者フランソワ・ケネーは『ヨーロッパの儒家』とよばれた[34]。その思想と自由放任 Laissez-faire という主義の名称も、中国の『無為』に想を得たものとみられる[35][36]。ゲーテは『ワイマールの儒家』とよばれた[37]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/中国の科学技術史#.E8.84.9A.E6.B3.A8
返信削除^ "Windows into China", John Parker, p.25
^ "Windows into China", John Parker, p.25, ISBN 0890730504
^ "The Eastern origins of Western civilization", John Hobson, p194-195, ISBN 0521547245
^ FORERUNNERS OF HENRY GEORGE by Samuel Milliken, Online source
^ 1 Source
^ "The Eastern Origins of Western Civilization", John M. Hobson, p.196
返信削除http://ctext.org/wiki.pl?if=en&chapter=964583#p147
154
間或智士創新領賞,財富巨盛,亦只自創行屋,放浪於山嶺水涯,而無有為坐屋者矣。蓋太平之世,人好行游,不樂常住,其與古世百里雞狗相聞而老死不相往來,最有智愚之反也。夫草木至愚者,故系而不動,羊豕之愚勝於草木,能動而不能致遠者也,若夫大鵬、黃鵠,一舉千里。古世老死不出鄉者如草、木,中世游行如羊、豕,太平世則如大鵬、黃鵠矣。
155 凡公所、客舍、私屋,制造形式皆以合於衛生為宜,必經醫生許可。凡公所、旅舍,夏時皆置機器,激水生風,涼氣砭骨,冬時皆通熱電,不置火爐,暖氣襲人,令氣候皆得養生之宜焉。其四壁及天蓋地板,綺交繡錯,花卉人物,日月能變,皆如生者,中皆藏樂,撫機即作,以怡神魂而暢心靈焉。
156 舟車之樂:大同之世,水有自行之舟,陸有自行之車。今自行之車已盛矣,異日或有坐臥從容,攜挾品物,不須費力,大加速率之妙。其速率比於今者或百千倍焉,其可增坐人數者或十百焉,或借電力,或煉新質,飄飄如御風焉。人人挾一自行車,幾可無遠不屈,瞬息百數十里,自非遠途,鐵路或只以載重焉。其牛馬之車,但資近地載物之用,且新電車可以
大同書
返信削除ラストに老子批判
返信削除法家 帝国主義的
道家 自由主義的
儒家 帝国主義的
「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」
康有為は老子のユートピア観に批判的
返信削除法家 帝国主義的 毛沢東
道家 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 帝国主義的 康有為
「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」
返信削除法家 帝国主義的 毛沢東
道家 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 帝国主義的 康有為
柄谷「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」
返信削除法家 帝国主義的 毛沢東
道家 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 帝国主義的 康有為?
柄谷「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」
康有為『大同書』ラストのSF的部分には井上円了(『星界想遊記』哲学書院1890)の影響があるという
返信削除(『大同書』明徳出版、注より)。
参考:
https://toyo.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=2828&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1&page_id=13&block_id=17
近代日本のユートピア思想と愛国主義 : 井上円了『星界想遊記』を読む
岡田正彦
井上円了に関してはカントの影響を受けており、柄谷行人も『遊動論』や書評で触れている。
妖怪学の祖 井上圓了 [著]菊地章太 - 柄谷行人(哲学者) - 書評
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013031000005.html?guid=on
星界想遊記 - 井上円了 - Google ブックス
http://books.google.co.jp/books?id=XP0zmMO9LUEC
南船北馬集 第三編 井上円了
http://www.ircp.jp/enryo_senshu/text/INOUE12/12-04_nansenhokubashu03.txt
四聖像賛 文学博士 中村正直
孔釈之教拯溺救焚、
若微二聖人禽奚分、
欧洲之哲尤推瑣韓、
知大宗師固道徳根、
弱肉強食今尚不已、
卓美之世何時可待、
炳燭余光嗟我老矣、
継往開来望在俊士、
(孔子と釈迦の教えは人々を溺れたり焚かれたりする境地より救う。
もしこの二聖人がおられなかったならば、人類と鳥類のごとき動物とどのように区別しようか。
ヨーロッパの哲学者でもっとも推戴に価するのはソクラテスとカントである。
あおがれる師匠はもとより道徳の根本を知っている。
しかし、弱肉強食のありようは今もなおやむことなく、
すぐれた美しい世はいったいいつまで待つべきなのであろう。
かがやくともしびのあまりの光にわが老いたるをなげき、
過去を引き継ぎ未来を開く望みは才知すぐれた人にあるのである。)
康有為『大同書』ラストのSF的部分には井上円了(『星界想遊記』哲学書院1890)の影響があるという
返信削除(『大同書』明徳出版、注より)。
参考:
https://toyo.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=2828&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1&page_id=13&block_id=17
近代日本のユートピア思想と愛国主義 : 井上円了『星界想遊記』を読む
岡田正彦
井上円了に関してはカントの影響を受けており、柄谷行人も『遊動論』や書評で触れている。
妖怪学の祖 井上圓了 [著]菊地章太 - 柄谷行人(哲学者) - 書評
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013031000005.html?guid=on
星界想遊記 - 井上円了 - Google ブックス
http://books.google.co.jp/books?id=XP0zmMO9LUEC
南船北馬集 第三編 井上円了
http://www.ircp.jp/enryo_senshu/text/INOUE12/12-04_nansenhokubashu03.txt
四聖像賛 文学博士 中村正直
孔釈之教拯溺救焚、
若微二聖人禽奚分、
欧洲之哲尤推瑣韓、
知大宗師固道徳根、
弱肉強食今尚不已、
卓美之世何時可待、
炳燭余光嗟我老矣、
継往開来望在俊士、
(孔子と釈迦の教えは人々を溺れたり焚かれたりする境地より救う。
もしこの二聖人がおられなかったならば、人類と鳥類のごとき動物とどのように区別しようか。
ヨーロッパの哲学者でもっとも推戴に価するのはソクラテスとカントである。
あおがれる師匠はもとより道徳の根本を知っている。
しかし、弱肉強食のありようは今もなおやむことなく、
すぐれた美しい世はいったいいつまで待つべきなのであろう。
かがやくともしびのあまりの光にわが老いたるをなげき、
過去を引き継ぎ未来を開く望みは才知すぐれた人にあるのである。)
http://jump.2ch.net/?lh3.googleusercontent.com/-G66Oe4DSIuo/UyMtNiY95VI/AAAAAAAAckU/b1COMiuHdbo/s640/blogger-image-2130155798.jpg
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康有為『大同書』ラストのSF的部分には井上円了(『星界想遊記』哲学書院1890)の影響があるという
返信削除(『大同書』明徳出版、注より)。
参考:
https://toyo.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=2828&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1&page_id=13&block_id=17
近代日本のユートピア思想と愛国主義 : 井上円了『星界想遊記』を読む
岡田正彦
井上円了に関してはカントの影響を受けており、柄谷行人も『遊動論』や書評で触れている。
妖怪学の祖 井上圓了 [著]菊地章太 - 柄谷行人(哲学者) - 書評
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013031000005.html?guid=on
星界想遊記 - 井上円了 - Google ブックス
http://books.google.co.jp/books?id=XP0zmMO9LUEC
南船北馬集 第三編 井上円了
http://www.ircp.jp/enryo_senshu/text/INOUE12/12-04_nansenhokubashu03.txt
四聖像賛 文学博士 中村正直
孔釈之教拯溺救焚、
若微二聖人禽奚分、
欧洲之哲尤推瑣韓、
知大宗師固道徳根、
弱肉強食今尚不已、
卓美之世何時可待、
炳燭余光嗟我老矣、
継往開来望在俊士、
(孔子と釈迦の教えは人々を溺れたり焚かれたりする境地より救う。
もしこの二聖人がおられなかったならば、人類と鳥類のごとき動物とどのように区別しようか。
ヨーロッパの哲学者でもっとも推戴に価するのはソクラテスとカントである。
あおがれる師匠はもとより道徳の根本を知っている。
しかし、弱肉強食のありようは今もなおやむことなく、
すぐれた美しい世はいったいいつまで待つべきなのであろう。
かがやくともしびのあまりの光にわが老いたるをなげき、
過去を引き継ぎ未来を開く望みは才知すぐれた人にあるのである。)
http://?lh3.googleusercontent.com/-G66Oe4DSIuo/UyMtNiY95VI/AAAAAAAAckU/b1COMiuHdbo/s640/blogger-image-2130155798.jpg
http://?lh5.googleusercontent.com/-Lt1AlZjyZL0/UyMsdaacYZI/AAAAAAAAckM/nQodrQkzJIk/s640/blogger-image--396934227.jpg
康有為『大同書』ラストのSF的部分には井上円了(『星界想遊記』哲学書院1890)の影響があるという
返信削除(『大同書』明徳出版、注より)。
井上円了に関してはカントの影響を受けており、柄谷行人も『遊動論』や書評で触れている。
妖怪学の祖 井上圓了 [著]菊地章太 - 柄谷行人(哲学者) - 書評
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013031000005.html?guid=on
近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/752834
『星界想遊記』井上円了 (明治23年)
南船北馬集 第三編 井上円了
http://www.ircp.jp/enryo_senshu/text/INOUE12/12-04_nansenhokubashu03.txt
四聖像賛 文学博士 中村正直
孔釈之教拯溺救焚、
若微二聖人禽奚分、
欧洲之哲尤推瑣韓、
知大宗師固道徳根、
弱肉強食今尚不已、
卓美之世何時可待、
炳燭余光嗟我老矣、
継往開来望在俊士、
(孔子と釈迦の教えは人々を溺れたり焚かれたりする境地より救う。
もしこの二聖人がおられなかったならば、人類と鳥類のごとき動物とどのように区別しようか。
ヨーロッパの哲学者でもっとも推戴に価するのはソクラテスとカントである。
あおがれる師匠はもとより道徳の根本を知っている。
しかし、弱肉強食のありようは今もなおやむことなく、
すぐれた美しい世はいったいいつまで待つべきなのであろう。
かがやくともしびのあまりの光にわが老いたるをなげき、
過去を引き継ぎ未来を開く望みは才知すぐれた人にあるのである。)
http://?lh3.googleusercontent.com/-G66Oe4DSIuo/UyMtNiY95VI/AAAAAAAAckU/b1COMiuHdbo/s640/blogger-image-2130155798.jpg
返信削除http://blog.goo.ne.jp/jchz/e/54ddb9f40c94b15d5bc7c0835354c5b9
ソルニットの著書『災害ユートピア』について、私は荻上チキ『検証 東日本大震災の流言・デマ』(光文社新書、2011)で知った。「不幸のどん底にある人々は、なぜか助け合う」という肯定的な側面でとらえていたのだが、柄谷先生の話を聞くと「国家の介入がない状態ではユートピアが生まれる。しかし、国家が介入したところでは暴動が起きる」という趣旨のことが書かれているらしい。これは読んでみたい。さて、東日本大震災でユートピアは出現しなかった。それは、あらかじめ原発という国家の暴力が存在していたからではないかという。ユートピアは起きなかったが、デモは起きた。日本は「デモをする社会」に変わった(変わりかけた)。
ここから、丸山真男の「個人析出の4パターン」について説明があった。
2 自立化 1 民主化
3 私化 4 原子化
1 民主化:集団的政治に参加する個人
2 自立化:個人主義的であるが、政治参加を拒否しない個人
3 私化:政治参加に無関心な個人
4 原子化:「私」の核もなく、大衆社会の流れのままに動く個人。政治に無関心かと思えば、突如ファナティックな政治参加をする。権威に帰依しやすい。
ひとつの社会が1〜4タイプのいずれか単独で占められることはないし、ひとりの人間も1〜4のタイプを変化する。ということを前提とした上で、西洋社会は1や2が多く、日本社会は3や4が圧倒的に多いという話をされ(ちなみに同じ東アジアでも韓国や中国の傾向は異なるとも)、背景として、日本に中間団体(アソシエーション)の伝統が希薄であることを指摘された。
西洋では、ギルドに加えて、宗教(教会)が中間団体の役割を果たしてきた。近代日本では、大学が一種の中間団体(国家から独立したアソシエーション)だったという説は面白かったな。しかし民営化(法人化)とともに大学の自立性は奪われてしまった。90年代以降、日本社会の「原子化」は甚だしい。
544 :考える名無しさん:2014/03/17(月) 18:26:14.24 0
返信削除フォーラムin札幌時計台(柄谷行人、佐藤優、山口二郎) http://blog.goo.ne.jp/jchz/e/54ddb9f40c94b15d5bc7c0835354c5b9 …
(坂本) 柄谷行人さんの言っている答え知ってます?「ドイツは2回負けたから」って。
http://www.taji-so.com/my_tajiso/article.php?all=107
返信削除法家 帝国主義的 毛沢東
道家 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 帝国主義的 康有為?
柄谷「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)
_________________________________________
|1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜
|1810 |1870 |1930 |1990 |
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世界資本主義|後期重商主義|自由主義 |帝国主義 |後期資本主義|新自由主義
______|______|______|______|______|______
覇権国家 | | イギリス | アメリカ
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経済政策 |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
______|______|_______\_____|_______\_____
資本 |商人資本 |産業資本 |金融資本 |国家独占資本|多国籍資本
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世界商品 |繊維産業 |軽工業 | |耐久消費財 |情報
& |(マニュファ|(機械生産)|重工業 |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)| | | ズム |ーディズム)
______|______|______|______|______|______
国家 |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家 |地域主義
______|______|______|______|______|______
対抗運動 |分散的 |集積的 \分散的 |集積的 \分散的
______|______|__1848_\_____|__1968_\_____
宇野経済学 | 段階論 ☆| 現状分析
ロシア革命
国際連盟
商業資本、商人資本(G―W―G')
高利貸資本、金融資本(G…G')
生産資本、産業資本(G - W ... P ... W' - G')
資本主義の循環的、反復的交互性を示す。対抗運動及び宇野弘蔵関連を補足及び改変(彩色)。
現代の集積的対抗運動の先駆はロシア革命。それ以後に関する考察を宇野は現状分析とした。
ただし1920年の国際連盟発足を柄谷はより高く評価する。
柄谷は、原理論とは区別したが、段階論と現状分析(状況論)は一つにした。
宇野の場合、循環は別途に恐慌論として原理論的に展開される。
康有為の言う三世はもっとスパンが長い。
返信削除法家 秦 帝国主義的 毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的 康有為?
柄谷「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)
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世界資本主義|後期重商主義|自由主義 |帝国主義 |後期資本主義|新自由主義
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覇権国家 | | イギリス | アメリカ
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経済政策 |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
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資本 |商人資本 |産業資本 |金融資本 |国家独占資本|多国籍資本
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世界商品 |繊維産業 |軽工業 | |耐久消費財 |情報
& |(マニュファ|(機械生産)|重工業 |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)| | | ズム |ーディズム)
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国家 |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家 |地域主義
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対抗運動 |分散的 |集積的 \分散的 |集積的 \分散的
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宇野経済学 | 段階論 ☆| 現状分析
ロシア革命
国際連盟
商業資本、商人資本(G―W―G')
高利貸資本、金融資本(G…G')
生産資本、産業資本(G - W ... P ... W' - G')
資本主義の循環的、反復的交互性を示す。対抗運動及び宇野弘蔵関連を補足及び改変(彩色)。
現代の集積的対抗運動の先駆はロシア革命。それ以後に関する考察を宇野は現状分析とした。
ただし1920年の国際連盟発足を柄谷はより高く評価する。
柄谷は、原理論とは区別したが、段階論と現状分析(状況論)は一つにした。
宇野の場合、循環は別途に恐慌論として原理論的に展開される。
康有為の言う三世はもっとスパンが長い。
返信削除法家 秦 帝国主義的 康有為?、毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的
柄谷「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)
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世界資本主義|後期重商主義|自由主義 |帝国主義 |後期資本主義|新自由主義
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覇権国家 | | イギリス | アメリカ
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経済政策 |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
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資本 |商人資本 |産業資本 |金融資本 |国家独占資本|多国籍資本
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世界商品 |繊維産業 |軽工業 | |耐久消費財 |情報
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(生産形態)| クチャー)| | | ズム |ーディズム)
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国家 |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家 |地域主義
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対抗運動 |分散的 |集積的 \分散的 |集積的 \分散的
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宇野経済学 | 段階論 ☆| 現状分析
ロシア革命
国際連盟
商業資本、商人資本(G―W―G')
高利貸資本、金融資本(G…G')
生産資本、産業資本(G - W ... P ... W' - G')
資本主義の循環的、反復的交互性を示す。対抗運動及び宇野弘蔵関連を補足及び改変(彩色)。
現代の集積的対抗運動の先駆はロシア革命。それ以後に関する考察を宇野は現状分析とした。
ただし1920年の国際連盟発足を柄谷はより高く評価する。
柄谷は、原理論とは区別したが、段階論と現状分析(状況論)は一つにした。
宇野の場合、循環は別途に恐慌論として原理論的に展開される。
康有為の言う三世はもっとスパンが長い。
返信削除法家 秦 帝国主義的 康有為?、毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的
柄谷「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)
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世界資本主義|後期重商主義|自由主義 |帝国主義 |後期資本主義|新自由主義
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覇権国家 | | イギリス | アメリカ
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経済政策 |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
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資本 |商人資本 |産業資本 |金融資本 |国家独占資本|多国籍資本
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世界商品 |繊維産業 |軽工業 | |耐久消費財 |情報
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(生産形態)| クチャー)| | | ズム |ーディズム)
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国家 |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家 |地域主義
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対抗運動 |分散的 |集積的 \分散的 |集積的 \分散的
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宇野経済学 | 段階論 ☆| 現状分析
ロシア革命
国際連盟
商業資本、商人資本(G―W―G')
高利貸資本、金融資本(G…G')
生産資本、産業資本(G - W ... P ... W' - G')
資本主義の循環的、反復的交互性を示す。対抗運動及び宇野弘蔵関連を補足及び改変(彩色)。
現代の集積的対抗運動の先駆はロシア革命。それ以後に関する考察を宇野は現状分析とした。
ただし1920年の国際連盟発足を柄谷はより高く評価する。
柄谷は、原理論とは区別したが、段階論と現状分析(状況論)は一つにした。
宇野の場合、循環は別途に恐慌論として原理論的に展開される。
康有為の言う三世はもっとスパンが長い。ちなみに康有為は老子の小国ユートピア観に批判的で高速長距離移動が未来の姿だという。
返信削除法家 秦 帝国主義的 康有為?、毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的
柄谷「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)
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|1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜
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世界資本主義|後期重商主義|自由主義 |帝国主義 |後期資本主義|新自由主義
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覇権国家 | | イギリス | アメリカ
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経済政策 |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
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資本 |商人資本 |産業資本 |金融資本 |国家独占資本|多国籍資本
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世界商品 |繊維産業 |軽工業 | |耐久消費財 |情報
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(生産形態)| クチャー)| | | ズム |ーディズム)
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国家 |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家 |地域主義
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対抗運動 |分散的 |集積的 \分散的 |集積的 \分散的
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宇野経済学 | 段階論 ☆| 現状分析
ロシア革命
国際連盟
商業資本、商人資本(G―W―G')
高利貸資本、金融資本(G…G')
生産資本、産業資本(G - W ... P ... W' - G')
資本主義の循環的、反復的交互性を示す。対抗運動及び宇野弘蔵関連を補足及び改変(彩色)。
現代の集積的対抗運動の先駆はロシア革命。それ以後に関する考察を宇野は現状分析とした。
ただし1920年の国際連盟発足を柄谷はより高く評価する。
柄谷は、原理論とは区別したが、段階論と現状分析(状況論)は一つにした。
宇野の場合、循環は別途に恐慌論として原理論的に展開される。
康有為の言う三世はもっとスパンが長い。ちなみに康有為は老子の小国ユートピア観に批判的で高速長距離移動が未来の姿だという。
返信削除法家 秦 帝国主義的 康有為?、毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的
柄谷「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)
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世界資本主義|後期重商主義|自由主義 |帝国主義 |後期資本主義|新自由主義
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覇権国家 | | イギリス | アメリカ
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経済政策 |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
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資本 |商人資本 |産業資本 |金融資本 |国家独占資本|多国籍資本
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世界商品 |繊維産業 |軽工業 | |耐久消費財 |情報
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(生産形態)| クチャー)| | | ズム |ーディズム)
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国家 |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家 |地域主義
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対抗運動 |分散的 |集積的 \分散的 |集積的 \分散的
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宇野経済学 | 段階論 ☆| 現状分析
ロシア革命
国際連盟
康有為の言う三世はもっとスパンが長い。
ちなみに康有為は老子の小国ユートピア観に批判的で高速長距離移動が未来の姿だという。
返信削除法家 秦 帝国主義的 康有為?、毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的
柄谷「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」現代思想2014.3,p.35
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)
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世界資本主義|後期重商主義|自由主義 |帝国主義 |後期資本主義|新自由主義
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覇権国家 | | イギリス | アメリカ
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経済政策 |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
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資本 |商人資本 |産業資本 |金融資本 |国家独占資本|多国籍資本
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世界商品 |繊維産業 |軽工業 | |耐久消費財 |情報
& |(マニュファ|(機械生産)|重工業 |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)| | | ズム |ーディズム)
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国家 |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家 |地域主義
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対抗運動 |分散的 |集積的 \分散的 |集積的 \分散的
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宇野経済学 | 段階論 ☆| 現状分析
ロシア革命
国際連盟
康有為の言う三世はもっとスパンが長い。
ちなみに康有為は老子の小国ユートピア観に批判的で高速長距離移動が未来の姿だという。
返信削除法家 秦 帝国主義的 康有為?、毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的
柄谷「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」(『現代思想』2014.3,p.35)
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)
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|1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜
|1810 |1870 |1930 |1990 |
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世界資本主義|後期重商主義|自由主義 |帝国主義 |後期資本主義|新自由主義
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覇権国家 | | イギリス | アメリカ
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経済政策 |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
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資本 |商人資本 |産業資本 |金融資本 |国家独占資本|多国籍資本
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世界商品 |繊維産業 |軽工業 | |耐久消費財 |情報
& |(マニュファ|(機械生産)|重工業 |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)| | | ズム |ーディズム)
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国家 |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家 |地域主義
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対抗運動 |分散的 |集積的 \分散的 |集積的 \分散的
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宇野経済学 | 段階論 ☆| 現状分析
ロシア革命
国際連盟
康有為の言う三世はもっとスパンが長い。
ちなみに康有為は老子の小国ユートピア観に批判的で高速長距離移動が未来の姿だという。
康有為『大同書』ラストのSF的部分には井上円了(『星界想遊記』哲学書院1890)の影響があるという
返信削除(『大同書』明徳出版、注より)。
井上円了に関してはカントの影響を受けており、柄谷行人も『遊動論』や書評で触れている。
妖怪学の祖 井上圓了 [著]菊地章太 - 柄谷行人(哲学者) - 書評
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013031000005.html?guid=on
近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/752834
『星界想遊記』井上円了 (明治23年)
南船北馬集 第三編 井上円了
http://www.ircp.jp/enryo_senshu/text/INOUE12/12-04_nansenhokubashu03.txt
四聖像賛
(孔子と釈迦の教えは人々を溺れたり焚かれたりする境地より救う。
もしこの二聖人がおられなかったならば、人類と鳥類のごとき動物とどのように区別しようか。
ヨーロッパの哲学者でもっとも推戴に価するのはソクラテスとカントである。
あおがれる師匠はもとより道徳の根本を知っている。
しかし、弱肉強食のありようは今もなおやむことなく、
すぐれた美しい世はいったいいつまで待つべきなのであろう。
かがやくともしびのあまりの光にわが老いたるをなげき、
過去を引き継ぎ未来を開く望みは才知すぐれた人にあるのである。)
http://?lh3.googleusercontent.com/-G66Oe4DSIuo/UyMtNiY95VI/AAAAAAAAckU/b1COMiuHdbo/s640/blogger-image-2130155798.jpg
康有為『大同書』ラストのSF的部分には井上円了(『星界想遊記』哲学書院1890)の影響があるという
返信削除(『大同書』明徳出版、注より)。
井上円了に関してはカントの影響を受けており、柄谷行人も『遊動論』や書評↓で触れている。
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013031000005.html?guid=on
参考:
近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/752834
『星界想遊記』井上円了 (明治23年)
南船北馬集 第三編 井上円了
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四聖像賛
(孔子と釈迦の教えは人々を溺れたり焚かれたりする境地より救う。
もしこの二聖人がおられなかったならば、人類と鳥類のごとき動物とどのように区別しようか。
ヨーロッパの哲学者でもっとも推戴に価するのはソクラテスとカントである。
あおがれる師匠はもとより道徳の根本を知っている。
しかし、弱肉強食のありようは今もなおやむことなく、
すぐれた美しい世はいったいいつまで待つべきなのであろう。
かがやくともしびのあまりの光にわが老いたるをなげき、
過去を引き継ぎ未来を開く望みは才知すぐれた人にあるのである。)
http://?lh3.googleusercontent.com/-G66Oe4DSIuo/UyMtNiY95VI/AAAAAAAAckU/b1COMiuHdbo/s640/blogger-image-2130155798.jpg
康有為『大同書』ラストのSF的部分には井上円了(『星界想遊記』哲学書院1890)の影響があるという
返信削除(『大同書』明徳出版、注より)。
井上円了に関してはカントの影響を受けており、柄谷行人も『遊動論』や書評↓で触れている。
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013031000005.html?guid=on
参考:
近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/752834
『星界想遊記』井上円了 (明治23年)
南船北馬集 第三編 井上円了
http://www.ircp.jp/enryo_senshu/text/INOUE12/12-04_nansenhokubashu03.txt
四聖像賛
(孔子と釈迦の教えは人々を溺れたり焚かれたりする境地より救う。
もしこの二聖人がおられなかったならば、人類と鳥類のごとき動物とどのように区別しようか。
ヨーロッパの哲学者でもっとも推戴に価するのはソクラテスとカントである。
あおがれる師匠はもとより道徳の根本を知っている。
しかし、弱肉強食のありようは今もなおやむことなく、
すぐれた美しい世はいったいいつまで待つべきなのであろう。
かがやくともしびのあまりの光にわが老いたるをなげき、
過去を引き継ぎ未来を開く望みは才知すぐれた人にあるのである。)
http://?lh3.googleusercontent.com/-G66Oe4DSIuo/UyMtNiY95VI/AAAAAAAAckU/b1COMiuHdbo/s640/blogger-image-2130155798.jpg
(『星界想遊記』巻頭口絵)
こういう図式になる?
返信削除法家 秦 帝国主義的 康有為?、毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的
柄谷「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」(『現代思想』2014.3,p.35)
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメ参照。一部加筆)
_________________________________________
|1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜
|1810 |1870 |1930 |1990 |
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世界資本主義|後期重商主義|自由主義 |帝国主義 |後期資本主義|新自由主義
______|______|______|______|______|______
覇権国家 | | イギリス | アメリカ
______|______|_____________|_____________
経済政策 |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
______|______|_______\_____|_______\_____
資本 |商人資本 |産業資本 |金融資本 |国家独占資本|多国籍資本
______|______|______|______|______|______
世界商品 |繊維産業 |軽工業 | |耐久消費財 |情報
& |(マニュファ|(機械生産)|重工業 |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)| | | ズム |ーディズム)
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国家 |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家 |地域主義
______|______|______|______|______|______
対抗運動 |分散的 |集積的 \分散的 |集積的 \分散的
______|______|__1848_\_____|__1968_\_____
宇野経済学 | 段階論 ☆| 現状分析
ロシア革命
国際連盟
康有為の言う三世はもっとスパンが長い。
ちなみに康有為は老子の小国ユートピア観に批判的で高速長距離移動が未来の姿だという。
こういう図式になる?
返信削除法家 秦 帝国主義的 康有為?、毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的
法家|儒家
--+--
道家|
柄谷「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」(『現代思想』2014.3,p.35)
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演資料。一部加筆)
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|1810 |1870 |1930 |1990 |
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世界資本主義|後期重商主義|自由主義 |帝国主義 |後期資本主義|新自由主義
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覇権国家 | | イギリス | アメリカ
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経済政策 |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
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資本 |商人資本 |産業資本 |金融資本 |国家独占資本|多国籍資本
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世界商品 |繊維産業 |軽工業 | |耐久消費財 |情報
& |(マニュファ|(機械生産)|重工業 |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)| | | ズム |ーディズム)
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国家 |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家 |地域主義
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対抗運動 |分散的 |集積的 \分散的 |集積的 \分散的
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宇野経済学 | 段階論 ☆| 現状分析
ロシア革命
国際連盟
康有為の言う三世はもっとスパンが長い。
ちなみに康有為は老子の小国ユートピア観に批判的で高速長距離移動が未来の姿だという。
康有為『大同書』ラストのSF的部分には井上円了(『星界想遊記』哲学書院1890)の影響があるという
返信削除(『大同書』明徳出版、注より)。
井上円了に関してはカントの影響を受けており、柄谷行人も『遊動論』や書評↓で触れている。
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013031000005.html?guid=on
参考:
近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/752834
『星界想遊記』井上円了 (明治23年)
南船北馬集 第三編 井上円了
http://www.ircp.jp/enryo_senshu/text/INOUE12/12-04_nansenhokubashu03.txt
四聖像賛
(孔子と釈迦の教えは人々を溺れたり焚かれたりする境地より救う。
もしこの二聖人がおられなかったならば、人類と鳥類のごとき動物とどのように区別しようか。
ヨーロッパの哲学者でもっとも推戴に価するのはソクラテスとカントである。
あおがれる師匠はもとより道徳の根本を知っている。
しかし、弱肉強食のありようは今もなおやむことなく、
すぐれた美しい世はいったいいつまで待つべきなのであろう。
かがやくともしびのあまりの光にわが老いたるをなげき、
過去を引き継ぎ未来を開く望みは才知すぐれた人にあるのである。)
http://lh3.googleusercontent.com/-G66Oe4DSIuo/UyMtNiY95VI/AAAAAAAAckU/b1COMiuHdbo/s640/blogger-image-2130155798.jpg
(『星界想遊記』巻頭口絵)
康有為『大同書』ラストのSF的部分には井上円了(『星界想遊記』哲学書院1890)の影響があるという
返信削除(『大同書』明徳出版、注より)。
井上円了に関してはカントの影響を受けており、柄谷行人も『遊動論』74頁や書評↓で触れている。
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013031000005.html?guid=on
参考:
近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/752834
『星界想遊記』井上円了 (明治23年)
南船北馬集 第三編 井上円了
http://www.ircp.jp/enryo_senshu/text/INOUE12/12-04_nansenhokubashu03.txt
四聖像賛
(孔子と釈迦の教えは人々を溺れたり焚かれたりする境地より救う。
もしこの二聖人がおられなかったならば、人類と鳥類のごとき動物とどのように区別しようか。
ヨーロッパの哲学者でもっとも推戴に価するのはソクラテスとカントである。
あおがれる師匠はもとより道徳の根本を知っている。
しかし、弱肉強食のありようは今もなおやむことなく、
すぐれた美しい世はいったいいつまで待つべきなのであろう。
かがやくともしびのあまりの光にわが老いたるをなげき、
過去を引き継ぎ未来を開く望みは才知すぐれた人にあるのである。)
http://lh3.googleusercontent.com/-G66Oe4DSIuo/UyMtNiY95VI/AAAAAAAAckU/b1COMiuHdbo/s640/blogger-image-2130155798.jpg
(『星界想遊記』巻頭口絵)
法家|儒家
返信削除--+--
道家|
厳密には、
法家|儒家
--+-- 老子1
道家|
老子2
------+------
老子3
となるだろう。
また、柳田国男の父も儒家で井上円了と儒家の両面を分け合っている。
法家|儒家
返信削除--+--
道家|
厳密には、
法家|儒家 |
--+-- | 老子1
道家| |
老子2 |
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老子3 |
となるだろう。
また、柳田国男の父も儒家で井上円了と儒家の両面を分け合っている。
どーか誰にも見つかりませんようにブログ:妖怪の帰するところ~井上円了賛 - livedoor Blog(ブログ)
返信削除http://blog.livedoor.jp/ussyassya/archives/51877436.html
不思議こそ妖怪也。妖怪には4種類あり、虚言で形成されている偽怪(ぎかい)と、誤解によって形成されている誤怪(ごかい)と、自然的現象による仮怪(かかい)と、超理的妖怪を真怪(しんかい)という。つまり、本当に囁かれているような天狗が居るのであれば、それは真怪だという事になるが、そのようなものは居ないと弁証法的な手法で導くワケです。常に、そう導くのであれば、頭の回る物書きだという評価で済むのですが、先に挙げたコックリさんのケースになると、予期意向と不覚筋道が引き起こす怪奇現象だったのだから、それは怪奇現象に他ならないというのが本意となりますよね。そこには人間の無意識、それが筋肉を動かしてしまうというカラクリがあったのであり、「誰かが意図的に動かしているのだ」や「電気のようなもので筋肉が動いている」のような思考が誤まりであると実証してしまっている。
空を見上げたとき、そこに流れる雲の理を語りつくせるであろうか。視界に入る木々の理を語りつくせるであろうかと考えたとき、思いの他、人は己の無知を思い知らされる。ソクラテスの「無知の知」的な論理構成で、妖怪学が打ち立てられている。
また、霊魂不滅論は後半では、ちゃっかりと「諸君は西洋哲学を学ぶとよろしい」と展開していたり、「ヒトの性質とは、知性と悟性と理性である」と述べているなど、カントという人名を挙げずにカントも引用されていたりする。変な話、最初から井上円了の妖怪学を学問の入口だとしていたとしても、そこには基本的な西洋哲学が基本的な心理学のエッセンスが噛み砕いて展開されているのに驚かされる。それに加えて、東洋哲学なのだから一般教養レベルからすると、充分なレベルで、それでいて既に非常に完成度が高いように感じます。
民俗学の大家の柳田國男が井上円了の迷信退治には批判的で、各地の迷信を民間信仰の一部なのだからと擁護する立場にあったという。「柳田國男」というのは現在でも影響力の大きなビッグネームだし、民俗学という分野に限定すれば尚更でしょう。ですが、両者を立場というのも興味深いものと感じます。それでいて並び立つものだと思います。迷信を討ち払ってしまおうとした井上円了ですが、それでありながら帰結させたのは「宇宙そのものが霊体である」というものだった事になる。そのアプローチは、そんなに批判されるものでもないでしょう。
柳田國男さんのアプローチが集積による学術的論考と或る種の文学的ファンタジーであったのに対し、井上円了の論考はファンタジーを打ち砕いてしまうものであったのは確かですが、それを突き詰めたときに宇宙の法則に帰結させている事は物凄い功績にも思えるんですね。そういうところに着地する話なので、井上円了こそが天狗ではないか、妖怪ではないかという比喩的な事も展開されることになる。すが、勿論、それは最後の最後に真理の追究の仮定で、仮説としてファンタジーと真理との融合を指したという話にもなってくる。おそらく、民間信仰は民間信仰で、文学作品としての「遠野物語」を楽しめばいいじゃないかという考え方だったら、到達しえない境地に思える。
康有為『大同書』ラストのSF的部分には井上円了(『星界想遊記』哲学書院1890)の影響があるという
返信削除(『大同書』明徳出版、注より)。
井上円了に関してはカントの影響を受けており、柄谷行人も『遊動論』74頁や書評↓で触れている。
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013031000005.html?guid=on
参考:
近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/752834
『星界想遊記』井上円了 (明治23年)
南船北馬集 第三編 井上円了
http://www.ircp.jp/enryo_senshu/text/INOUE12/12-04_nansenhokubashu03.txt
四聖像賛
(孔子と釈迦の教えは人々を溺れたり焚かれたりする境地より救う。
もしこの二聖人がおられなかったならば、人類と鳥類のごとき動物とどのように区別しようか。
ヨーロッパの哲学者でもっとも推戴に価するのはソクラテスとカントである。
あおがれる師匠はもとより道徳の根本を知っている。
しかし、弱肉強食のありようは今もなおやむことなく、
すぐれた美しい世はいったいいつまで待つべきなのであろう。
かがやくともしびのあまりの光にわが老いたるをなげき、
過去を引き継ぎ未来を開く望みは才知すぐれた人にあるのである。)
http://lh3.googleusercontent.com/-G66Oe4DSIuo/UyMtNiY95VI/AAAAAAAAckU/b1COMiuHdbo/s640/blogger-image-2130155798.jpg
(『星界想遊記』巻頭口絵)
ちなみに柳田国男は「幽冥談」で井上を批判しているおり、柄谷編『「小さきもの」の思想』にも再録されている。
康有為『大同書』ラストのSF的部分には井上円了(『星界想遊記』哲学書院1890)の影響があるという
返信削除(『大同書』明徳出版、注より)。
井上円了に関してはカントの影響を受けており、柄谷行人も『遊動論』74頁や書評↓で触れている。
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013031000005.html?guid=on
参考:
近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/752834
『星界想遊記』井上円了 (明治23年)
南船北馬集 第三編 井上円了
http://www.ircp.jp/enryo_senshu/text/INOUE12/12-04_nansenhokubashu03.txt
四聖像賛
(孔子と釈迦の教えは人々を溺れたり焚かれたりする境地より救う。
もしこの二聖人がおられなかったならば、人類と鳥類のごとき動物とどのように区別しようか。
ヨーロッパの哲学者でもっとも推戴に価するのはソクラテスとカントである。
あおがれる師匠はもとより道徳の根本を知っている。
しかし、弱肉強食のありようは今もなおやむことなく、
すぐれた美しい世はいったいいつまで待つべきなのであろう。
かがやくともしびのあまりの光にわが老いたるをなげき、
過去を引き継ぎ未来を開く望みは才知すぐれた人にあるのである。)
http://lh3.googleusercontent.com/-G66Oe4DSIuo/UyMtNiY95VI/AAAAAAAAckU/b1COMiuHdbo/s640/blogger-image-2130155798.jpg
(『星界想遊記』巻頭口絵)
ちなみに柳田国男は「幽冥談」で井上を批判している。これは柄谷編『「小さきもの」の思想』にも再録されている。
こういう図になる?
返信削除法家 秦 帝国主義的 毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的 井上円了、康有為?
法家|儒家
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道家|
柳田国男の父も儒家で井上円了と儒家の両面を分け合っている。
厳密には、
法家|儒家 |
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道家| |
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となるだろう。
柄谷「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」(『現代思想』2014.3,p.35)
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演資料。一部加筆)
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|1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜
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世界資本主義|後期重商主義|自由主義 |帝国主義 |後期資本主義|新自由主義
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経済政策 |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
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世界商品 |繊維産業 |軽工業 | |耐久消費財 |情報
& |(マニュファ|(機械生産)|重工業 |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)| | | ズム |ーディズム)
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国家 |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家 |地域主義
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対抗運動 |分散的 |集積的 \分散的 |集積的 \分散的
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宇野経済学 | 段階論 ☆| 現状分析
ロシア革命
国際連盟
康有為の言う三世はもっとスパンが長い。
ちなみに康有為は老子の小国ユートピア観に批判的で高速長距離移動が未来の姿だという。
返信削除http://ctext.org/wiki.pl?if=en&chapter=964583#p147
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間或智士創新領賞,財富巨盛,亦只自創行屋,放浪於山嶺水涯,而無有為坐屋者矣。蓋太平之世,人好行游,不樂常住,其與古世百里雞狗相聞而老死不相往來,最有智愚之反也。夫草木至愚者,故系而不動,羊豕之愚勝於草木,能動而不能致遠者也,若夫大鵬、黃鵠,一舉千里。古世老死不出鄉者如草、木,中世游行如羊、豕,太平世則如大鵬、黃鵠矣。
返信削除http://books.google.co.jp/books?id=uu-zUWGfp24C&pg=PA28&dq=laissez+faire+wei&hl=ja&sa=X&ei=zLYnU8G5JMPMkwXr8oCQDA&ved=0CCwQ6AEwAA#v=onepage&q=laissez%20faire%20wei&f=false
Thoughts on Economic Development in China (Google eブックス)
Ma Ying, Hans-Michael Trautwein
Routledge, 2013/03/05 - 352 ページ
0 レビュー
This book is about mutual influences of thinking about economic development in China and in the West, from the 18th century until the present. Its chapters are contributed by development economists and historians of thought from China and other parts of the world.
下記論集内のでヤコブセンは無為=レッセフェール説には明確な証拠はないと言う。
返信削除ただヤコブセンはグルネーを調べてない。
ウェーバーも『儒教と道教』で無為の訳語にレッセフェールを採用しているから、無為の訳語がレッセフェールだというのは確かだ。
だからグルネーがどういう回路でレッセフェールを使用したかが問題になる。
ただ津田内匠が研究してはいるがグルネーはテクストをあまり残していないらしい。
2014/03/18 12:01、yojisekimoto のメッセージ:
http://books.google.co.jp/books?id=uu-zUWGfp24C&pg=PA28&dq=laissez+faire+wei&hl=ja&sa=X&ei=zLYnU8G5JMPMkwXr8oCQDA&ved=0CCwQ6AEwAA#v=onepage&q=laissez%20faire%20wei&f=false
Thoughts on Economic Development in China (Google eブックス)
Ma Ying, Hans-Michael Trautwein
Routledge, 2013/03/05 - 352 ページ
0 レビュー
This book is about mutual influences of thinking about economic development in China and in the West, from the 18th century until the present. Its chapters are contributed by development economists and historians of thought from China and other parts of the world.
農本主義と自由放任が合致するのは古代中国にしかないというのはもっともらしく聞こえる。
返信削除
返信削除http://languagelog.ldc.upenn.edu/nll/?p=1219
language hat said,
March 12, 2009 @ 5:55 pm
A commenter on my post about this made the important point that the characters above the imperial throne would be followed by "the implicit érzhì而治 'and rule' that completes the four-character phrase : wúwèi érzhì 無為而治 'Do nothing and rule', a quotation from the Analects of Confucius," which makes a lot more sense for a Confucian regime than a Laoist allusion.
返信削除http://nam21.sakura.ne.jp/tao/#note57
第五十七章
以正治國。以奇用兵、以無事取天下。吾何以知其然哉。以此。 天下多忌諱、而民彌貧。民多利器、國家滋昏。人多智慧、邪事滋起。法令滋彰、盗賊多有。 故聖人云、我無爲而民自化、我好靜而民自正、我無事而民自富、我無欲而民自樸。
正を以って国を治め、奇を以って兵を用い、無事を以って天下を取る。吾れ何を以って其の然るを知るや、此れを以ってなり。 夫れ天下に忌諱(きき)多くして、民彌々(いよいよ)貧しく、民に利器多くして、国家滋々(ますます)昏(み)だれ、民に智慧多くして邪事滋々(ますます)起こり、法令滋々(ますます)彰(あきら)かにして、盗賊多く有り。 故に聖人は云う。我れ無為にして民自ら化し、我れ静を好みて民自ら正しく、我れ無事にして民自ら富み、我れ無欲にして民自ら樸なりと。
静けさによって国を指導せよ。 めずらしい作戦で戦争を行え。 何もしないで天下を勝ち取れ。 どうしてそれがわかるかといえば、 拘束と制限が多くなればなるほど、人々はますます貧しくなる。 人々が武器を多くもてばもつほど、国はますます混乱する。 こざかしいぺてん師が多くなればなるほど、奇妙なものはますます生じる。 法令と命令の押しつけが厳しくなればなるほど、盗賊と悪漢はますます多くなる。 だから、賢人はいう。 「私は行動しない。 そうすると、人々はおのずから教化される。 静寂にしていると、人々はおのずから落ち着いてくる。 何も干渉しなければ、人々はおのずから富み栄える。 私が欲望をなくしておれば、人々はおのずから本来の簡潔さに戻る。」
57. Conquer with Inaction
Do not control the people with laws, Nor violence nor espionage, But conquer them with inaction.
For:
The more morals and taboos there are, The more cruelty afflicts people; The more guns and knives there are, The more factions divide people; The more arts and skills there are, The more change obsoletes people; The more laws and taxes there are, The more theft corrupts people.
Yet take no action, and the people nurture eachother; Make no laws, and the people deal fairly with eachother; Own no interest, and the people cooperate with eachother; Express no desire, and the people harmonize with eachother.
返信削除http://nam21.sakura.ne.jp/tao/#note3
不尚賢、使民不爭。不貴難得之貨、使民不爲盜。不見可欲、使心不亂。
是以聖人之治、虚其心、實其腹、弱其志、強其骨。常使民無知無欲、使夫知者不敢爲也。
爲無爲、則無不治。
賢を尚(たっと)ばざれば、民をして争わざしむ。得難きの貨を貴ばざれば、民をして盗みを為さざしむ。欲すべきを見(しめ)さざれば、民の心をして乱れざらしむ。
是(ここ)を以って聖人の治は、其の心を虚しくして、其の腹を実(み)たし、其の志(のぞみ)を弱くして、其の骨を強くす。常に民をして無知無欲ならしめ、夫(そ)の知者をして敢えて為さざらしむ。
無為を為せば、則ち治まらざる無し。
賢者を尊重する者がいなければ、人は競争をしないだろう。
貴重なるものに価値をおくことをやめれば、人は不法の利益をもつことはないだろう。
欲望を刺激するものを見る者がなければ、心は混乱しないだろう。
だから、賢者は人々の心をくつろがせ、腹をしっかり固めさせ、志を弱めてやり、身体と強くさせて人々を導く。
彼は人々を知識も欲望もない状態にする。
これは、知識をもつ賢者はあえて行動しないということを意味する。
彼の無為によって、教養をもたない者がいないわけではない。
3. Without Action
Not praising the worthy prevents contention, Not esteeming the valuable prevents theft, Not displaying the beautiful prevents desire.
In this manner the sage governs people: Emptying their minds, Filling their bellies, Weakening their ambitions, And strengthening their bones.
If people lack knowledge and desire Then they can not act; If no action is taken Harmony remains.
大上下知有之。其次親而譽之。其次畏之。其次侮之。 信不足、焉有不信。 焉兮其貴言、功成事遂、百姓皆謂我自然。
返信削除大上(だいじょう)は下(しも)これ有るを知るのみ。其の次は親しみてこれを誉(ほ)む。其の次はこれを畏る。其の次はこれを侮る。 信(しん)足らざれば、すなわち信ざらざれる有り。 悠(ゆう)として其れ言を貴(おも)くすれば、功は成り事は遂げられて、百姓は皆我は自然なりと謂わん。
最上の指導者は誰れも知らない。 その次の指導者は人々に親近感があり、ほめたたえられる。 その次の者は人々に畏れられる。 最下等の指導者は人々に軽蔑される。 指導者が充分に誠実を示さないと、人々の信頼は得られない。 気をつけて、言葉の価値を高めよ。 仕事が行われ、事業が成しとげられたとき、それはひとりでにそうなったのだと人々はいうだろう。
17. Rulers
The best rulers are scarcely known by their subjects; The next best are loved and praised; The next are feared; The next despised: They have no faith in their people, And their people become unfaithful to them.
When the best rulers achieve their purpose Their subjects claim the achievement as their own.
返信削除第二十九章
將欲取天下而爲之、吾見不得已。天下神器。不可爲也。爲者敗之、執者失之。故物或行或隨、或呴或吹。或強或羸、或載或隳。是以聖人、去甚、去奢、去泰。
まさに天下を取らんと欲してこれをなせば、われその得ざるを見るのみ。天下は神器なり。なすべからず。なす者はこれを敗り、執(と)る者はこれを失う。故に物あるいは行きあるいは随(したが)う。あるいは呴(く)しあるいは吹(ふ)く。あるいは強めあるいは羸(よわ)む。あるいは載せあるいは隳(おと)す。ここをもって聖人は、甚(じん)を去り、奢(しゃ)を去り、泰(たい)を去る。
天下を治めようとするものたちが、どうにもできないことを私は知っている。 天下は神聖な器で、どうにもしようがないものだ。 それを扱うと失敗し、それに固執すると失ってしまう。 ものの性質は変化し、一方が行えば他方がまねをする。 一方がゆるやかに息をすれば、他方は激しく息づく。 一方は精力的であり、他方はおとなしい。 一方は背負い、他方は損なう。 だから、賢者は過度な行いを避け、わがままでなく、極端になることを避ける。
29. Ambition
Those who wish to change the world According with their desire Cannot succeed.
The world is shaped by the Way; It cannot be shaped by the self. Trying to change it, you damage it; Trying to possess it, you lose it.
So some will lead, while others follow. Some will be warm, others cold Some will be strong, others weak. Some will get where they are going While others fall by the side of the road.
So the sage will be neither wasteful nor violent.
こういう図式になるだろう。
返信削除法家 秦 帝国主義的 毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的 井上円了、康有為?
法家|儒家
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道家|
ただし、
柄谷「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」(『現代思想』2014.3,p.35)
以下、資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演資料。一部加筆)
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覇権国家 | | イギリス | アメリカ
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経済政策 |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
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資本 |商人資本 |産業資本 |金融資本 |国家独占資本|多国籍資本
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世界商品 |繊維産業 |軽工業 | |耐久消費財 |情報
& |(マニュファ|(機械生産)|重工業 |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)| | | ズム |ーディズム)
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国家 |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家 |地域主義
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対抗運動 |分散的 |集積的 \分散的 |集積的 \分散的
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宇野経済学 | 段階論 ☆| 現状分析
ロシア革命
国際連盟
康有為の言う三世はもっとスパンが長い。のかもしれない。
ちなみに康有為は老子の小国ユートピア観に批判的で高速長距離移動が未来の姿だという。
こういう図式になるだろう。
返信削除法家 秦 帝国主義的 毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的 井上円了、康有為?
法家|儒家
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道家|
ただし、
柄谷「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」(『現代思想』2014.3,p.35)
以下、資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演資料。一部加筆)
_________________________________________
|1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜
|1810 |1870 |1930 |1990 |
______|______|______|______|______|______
世界資本主義|後期重商主義|自由主義 |帝国主義 |後期資本主義|新自由主義
______|______|______|______|______|______
覇権国家 | | イギリス | アメリカ
______|______|_____________|_____________
経済政策 |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
______|______|_______\_____|_______\_____
資本 |商人資本 |産業資本 |金融資本 |国家独占資本|多国籍資本
______|______|______|______|______|______
世界商品 |繊維産業 |軽工業 | |耐久消費財 |情報
& |(マニュファ|(機械生産)|重工業 |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)| | | ズム |ーディズム)
______|______|______|______|______|______
国家 |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家 |地域主義
______|______|______|______|______|______
対抗運動 |分散的 |集積的 \分散的 |集積的 \分散的
______|______|__1848_\_____|__1968_\_____
宇野経済学 | 段階論 ☆| 現状分析
ロシア革命
国際連盟
ちなみに次の覇権国家候補は同じ英語圏ということから継承され易いインドだそうだ(2013年11月23日の講演より)。
康有為の言う三世はもっとスパンが長いのかも知れない。
ちなみに康有為は老子の小国ユートピア観に批判的で高速長距離移動が未来の姿だという。
こういう図式になるだろう。
返信削除法家 秦 帝国主義的 毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的 井上円了、康有為?
法家|儒家
--+--
道家|華厳経?
ただし、
柄谷「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」(『現代思想』2014.3,p.35)
ライプニッツに哲学に総合の可能性があるのか?
以下参考までに、
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演資料。一部加筆)
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|1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜
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世界資本主義|後期重商主義|自由主義 |帝国主義 |後期資本主義|新自由主義
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覇権国家 | | イギリス | アメリカ
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経済政策 |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
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資本 |商人資本 |産業資本 |金融資本 |国家独占資本|多国籍資本
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世界商品 |繊維産業 |軽工業 | |耐久消費財 |情報
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(生産形態)| クチャー)| | | ズム |ーディズム)
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国家 |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家 |地域主義
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対抗運動 |分散的 |集積的 \分散的 |集積的 \分散的
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宇野経済学 | 段階論 ☆| 現状分析
ロシア革命
国際連盟
ちなみに次の覇権国家候補は同じ英語圏ということから継承され易いインドだそうだ(2013年11月23日の講演より)。
康有為の言う三世はもっとスパンが長いのかも知れない。
ちなみに康有為は老子の小国ユートピア観に批判的で高速長距離移動が未来の姿だという。
こういう図式になるだろう。
返信削除法家 秦 帝国主義的 毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的 井上円了、康有為?
法家|儒家
--+--
道家|華厳経?
ただし、
柄谷「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」(『現代思想』2014.3,p.35)
華厳経=ライプニッツに哲学に総合の可能性があるのか?
(ライプニッツと華厳経の類似は末木剛博が講談社現代新書『東洋の合理思想』で指摘していた。)
以下参考までに、
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演資料。一部加筆)
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世界資本主義|後期重商主義|自由主義 |帝国主義 |後期資本主義|新自由主義
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覇権国家 | | イギリス | アメリカ
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経済政策 |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
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資本 |商人資本 |産業資本 |金融資本 |国家独占資本|多国籍資本
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世界商品 |繊維産業 |軽工業 | |耐久消費財 |情報
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(生産形態)| クチャー)| | | ズム |ーディズム)
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国家 |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家 |地域主義
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対抗運動 |分散的 |集積的 \分散的 |集積的 \分散的
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宇野経済学 | 段階論 ☆| 現状分析
ロシア革命
国際連盟
ちなみに次の覇権国家候補は同じ英語圏ということから継承され易いインドだそうだ(2013年11月23日の講演より)。
康有為の言う三世はもっとスパンが長いのかも知れない。
ちなみに康有為は老子の小国ユートピア観に批判的で高速長距離移動が未来の姿だという。
こういう図式になるだろう。
返信削除法家 秦 帝国主義的 毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的 井上円了、康有為?
法家|儒家
--+--
道家|華厳経?
ただし、
柄谷「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」(『現代思想』2014.3,p.35)
華厳経=ライプニッツに哲学に総合の可能性があるのか?
(ライプニッツと華厳経の類似は末木剛博が講談社現代新書『東洋の合理思想』でも指摘していた。)
以下参考までに、
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演資料。一部加筆)
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|1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜
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世界資本主義|後期重商主義|自由主義 |帝国主義 |後期資本主義|新自由主義
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覇権国家 | | イギリス | アメリカ
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経済政策 |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
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資本 |商人資本 |産業資本 |金融資本 |国家独占資本|多国籍資本
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世界商品 |繊維産業 |軽工業 | |耐久消費財 |情報
& |(マニュファ|(機械生産)|重工業 |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)| | | ズム |ーディズム)
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国家 |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家 |地域主義
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対抗運動 |分散的 |集積的 \分散的 |集積的 \分散的
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宇野経済学 | 段階論 ☆| 現状分析
ロシア革命
国際連盟
ちなみに次の覇権国家候補は同じ英語圏ということから継承され易いインドだそうだ(2013年11月23日の講演より)。
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演資料。一部加筆)
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覇権国家 | | イギリス | アメリカ
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経済政策 |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
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資本 |商人資本 |産業資本 |金融資本 |国家独占資本|多国籍資本
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世界商品 |繊維産業 |軽工業 | |耐久消費財 |情報
& |(マニュファ|(機械生産)|重工業 |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)| | | ズム |ーディズム)
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国家 |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家 |地域主義
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宇野経済学 | 段階論 | 現状分析
557 :556:2014/03/19(水) 02:30:14.98 0
ちなみに次の覇権国家候補は同じ英語圏ということから継承され易いインドだそうだ(2013年11月23日の講演より)。
こういう図式になるだろう。
返信削除法家 秦 帝国主義的 毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的 井上円了、康有為?
法家|儒家
--+--
道家|華厳経?
ただし、
柄谷「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」(『現代思想』2014.3,p.35)
華厳経=ライプニッツの哲学に総合の可能性があるのか?
(ライプニッツと華厳経の類似は末木剛博が講談社現代新書『東洋の合理思想』でも指摘していた。)
以下参考までに、
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演資料。一部加筆)
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|1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜
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経済政策 |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
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資本 |商人資本 |産業資本 |金融資本 |国家独占資本|多国籍資本
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世界商品 |繊維産業 |軽工業 | |耐久消費財 |情報
& |(マニュファ|(機械生産)|重工業 |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)| | | ズム |ーディズム)
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国家 |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家 |地域主義
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対抗運動 |分散的 |集積的 \分散的 |集積的 \分散的
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宇野経済学 | 段階論 ☆| 現状分析
ロシア革命
国際連盟
ちなみに次の覇権国家候補は同じ英語圏ということから継承され易いインドだそうだ(2013年11月23日の講演より)。
こういう図になる?
返信削除法家 秦 帝国主義的 毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的 井上円了、康有為?
法家|儒家
--+--
道家|
柳田国男の父も儒家で井上円了と儒家の両面を分け合っている。
厳密には、
------+------
|
|
老子3 |
となるだろう。
帝国主義
帝国
という区分を再考すれば以下が正しい。
|
老子2 | 老子1
|
|
------+------
法家|儒家 |
--+-- |
道家| |
老子3 |
こういう図になる?
返信削除法家 秦 帝国主義的 毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的 井上円了、康有為?
法家|儒家
--+--
道家|
柳田国男の父も儒家で井上円了と儒家の両面を分け合っている。
厳密には、
法家|儒家 |
--+-- | 老子1
道家| |
老子2 |
------+------
|
|
老子3 |
となるだろう。
帝国主義
帝国
さらに、という区分を再考するならば以下が正しい。
|
老子2 | 老子1
|
|
------+------
法家|儒家 |
--+-- |
道家| |
老子3 |
こういう図式になるだろう。
返信削除法家 秦 帝国主義的 毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的 井上円了、康有為?
法家|儒家
--+--
道家|
柳田国男の父も儒家で井上円了と儒家の両面を分け合っている。
厳密には、
法家|儒家 |
--+-- | 老子1
道家| |
老子2 |
------+------
|
|
老子3 |
となるだろう。さらに、
帝国主義
帝国
という区分を再考するならば以下が正しい。
|
老子2 | 老子1
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|
------+------
法家|儒家 |
--+-- |
道家| |
老子3 |
歴史的に老子1に遡行することも十分あり得る。
返信削除柳田と井上の関係は
返信削除ヒュームとカントの関係というよりは
ミルとマルクスの関係だ
井上圓了 柳田國男
返信削除http://yojiseki.exblog.jp/10263714/
演繹(deduction) 帰納( induction)
演繹法 | 帰納法
(帰納的推理の記録の解釈)|(既知の事例より未知の事例へ)
事実の検証 | 事実の発見(観察・実験・説明)
三段論法の法則 | 自然の類似
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\/ | \ ||
法 / | \ 帰
繹 則 三|普 \ 納
O 演 /法 段|遍 自\ 法 O
諸 の 論|的 然\ 諸
事 /法 法|自 の\ 事 自 因
物 O 論 の|然 類\ O 物 然 果
・ /段 大|法 似\ ・ の←の
意 三 前|則 \ 意 斉 法
識 O/_________提|__________\O 識 一 則
現 ← 真 の | 推 理 現
象 | 象
の O | O の
事 | 事
実 | 実
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
返信削除柳田と井上の関係は
返信削除ヒュームとカントの関係というよりは
ミルとマルクスの関係だ
井上圓了 柳田國男
演繹(deduction) 帰納( induction)
演繹法 | 帰納法
(帰納的推理の記録の解釈)|(既知の事例より未知の事例へ)
事実の検証 | 事実の発見(観察・実験・説明)
三段論法の法則 | 自然の類似
// /|\ __
\__ | \ l\\
法 / | \ 帰
繹 則 三|普 \ 納
O 演 /法 段|遍 自\ 法 O
諸 の 論|的 然\ 諸
事 /法 法|自 の\ 事 自 因
物 O 論 の|然 類\ O 物 然 果
・ /段 大|法 似\ ・ の←の
意 三 前|則 \ 意 斉 法
識 O/_________提|__________\O 識 一 則
現 ← 真 の | 推 理 現
象 | 象
の O | O の
事 | 事
実 | 実
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
柳田と井上の関係は、ヒュームとカントの関係というよりは、ミルとマルクスの関係だ。
返信削除井上圓了 柳田國男
演繹(deduction) 帰納( induction)
演繹法 | 帰納法
(帰納的推理の記録の解釈)|(既知の事例より未知の事例へ)
事実の検証 | 事実の発見(観察・実験・説明)
三段論法の法則 | 自然の類似
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法 / | \ 帰
繹 則 三|普 \ 納
O 演 /法 段|遍 自\ 法 O
諸 の 論|的 然\ 諸
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・ /段 大|法 似\ ・ の←の
意 三 前|則 \ 意 斉 法
識 O/_________提|__________\O 識 一 則
現 ← 真 の | 推 理 現
象 | 象
の O | O の
事 | 事
実 | 実
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
柄谷は左側の演繹の人だが、その言動から見ると右の帰納方の人に惹きつけられているようだ。
返信削除自分は批評家ではなく小説家を育てたと言っていた。
柳田と井上の関係は、ヒュームとカントの関係というよりは、ミルとマルクスの関係だ。
返信削除井上圓了 柳田國男
演繹(deduction) 帰納( induction)
演繹法 | 帰納法
(帰納的推理の記録の解釈)|(既知の事例より未知の事例へ)
事実の検証 | 事実の発見(観察・実験・説明)
三段論法の法則 | 自然の類似
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法 / | \ 帰
繹 則 三|普 \ 納
O 演 /法 段|遍 自\ 法 O
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・ /段 大|法 似\ ・ の←の
意 三 前|則 \ 意 斉 法
識 O/_________提|__________\O 識 一 則
現 ← 真 の | 推 理 現
象 | 象
の O | O の
事 | 事
実 | 実
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
柄谷は左側の演繹法の人だが、その言動から見ると右の帰納法の人に惹きつけられているようだ。
自分は批評家ではなく小説家を育てたと言っていた。
柳田と井上の関係は、ヒュームとカントの関係というよりは、ミルとマルクスの関係だ。
返信削除井上圓了 柳田國男
演繹(deduction) 帰納( induction)
演繹法 | 帰納法
(帰納的推理の記録の解釈)|(既知の事例より未知の事例へ)
事実の検証 | 事実の発見(観察・実験・説明)
三段論法の法則 | 自然の類似
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\__ | \ l\\
法 / | \ 帰
繹 則 三|普 \ 納
O 演 /法 段|遍 自\ 法 O
諸 の 論|的 然\ 諸
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・ /段 大|法 似\ ・ の←の
意 三 前|則 \ 意 斉 法
識 O/_________提|__________\O 識 一 則
現 ← 真 の | 推 理 現
象 | 象
の O | O の
事 | 事
実 | 実
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
柄谷は左側の演繹法の人だが、その言動から見ると右の帰納法の人に惹きつけられているようだ。
自分は、批評家ではなく小説家を育てたと言っていた。
こういう図式になるだろう。
返信削除法家 秦 帝国主義的 毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的 井上円了、康有為?
法家|儒家
--+--
道家|
柳田国男の父も儒家で井上円了と儒家の両面を分け合っている。
厳密には、
法家|儒家 |
---+-- | 老子1
道家| |
老子2| |
-------+------
|
老子3 |
|
となるだろう。さらに、
帝国主義
帝国
という区分を再考するならば以下が正しい。
|
老子2 | 老子1
|
|
-------+------
法家|儒家 |
---+---|
道家| |
老子3| |
歴史的に老子1に遡行することはあり得る。
返信削除こういう図式になるだろう。
返信削除法家 秦 帝国主義的 毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的 井上円了、康有為?
法家|儒家
--+--
道家|
柳田国男の父も儒家で井上円了と儒家の両面を分け合っている。
厳密には、
法家|儒家 |
---+-- | 老子1
道家=| |
老子2| |
-------+------
|
老子3 |
|
となるだろう。さらに、
帝国主義
帝国
という区分を再考するならば以下が正しい。
|
老子2 | 老子1
|
|
-------+------
法家|儒家 |
---+---|
道家=| |
老子3| |
歴史的に老子1に遡行することはあり得る。
柳田国男の父も儒家で井上円了と儒家の両面を分け合っている。
返信削除柳田と井上の関係は、ヒュームとカントの関係というよりは、ミルとマルクスの関係だ。
井上圓了 柳田國男
演繹(deduction) 帰納( induction)
演繹法 | 帰納法
(帰納的推理の記録の解釈)|(既知の事例より未知の事例へ)
事実の検証 | 事実の発見(観察・実験・説明)
三段論法の法則 | 自然の類似
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法 / | \ 帰
繹 則 三|普 \ 納
O 演 /法 段|遍 自\ 法 O
諸 の 論|的 然\ 諸
事 /法 法|自 の\ 事 自 因
物 O 論 の|然 類\ O 物 然 果
・ /段 大|法 似\ ・ の←の
意 三 前|則 \ 意 斉 法
識 O/_________提|__________\O 識 一 則
現 ← 真 の | 推 理 現
象 | 象
の O | O の
事 | 事
実 | 実
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
柄谷は左側の演繹法の人だが、その言動から見ると右の帰納法の人に惹きつけられているようだ。
自分は、批評家ではなく小説家を育てたと言っていた。
柳田国男の父も儒家で、井上円了と儒家の両面を分け合っている。
返信削除柳田と井上の関係は、ヒュームとカントの関係というよりは、ミルとマルクスの関係だ。
井上圓了 柳田國男
演繹(deduction) 帰納( induction)
演繹法 | 帰納法
(帰納的推理の記録の解釈)|(既知の事例より未知の事例へ)
事実の検証 | 事実の発見(観察・実験・説明)
三段論法の法則 | 自然の類似
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法 / | \ 帰
繹 則 三|普 \ 納
O 演 /法 段|遍 自\ 法 O
諸 の 論|的 然\ 諸
事 /法 法|自 の\ 事 自 因
物 O 論 の|然 類\ O 物 然 果
・ /段 大|法 似\ ・ の←の
意 三 前|則 \ 意 斉 法
識 O/_________提|__________\O 識 一 則
現 ← 真 の | 推 理 現
象 | 象
の O | O の
事 | 事
実 | 実
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
柄谷は左側の演繹法の人だが、その言動から見ると右の帰納法の人に惹きつけられているようだ。
自分は、批評家ではなく小説家を育てたと言っていた。
帰納、演繹は、
返信削除好景気、不景気、
ロマン主義、自然主義、
四象限図時計回り、反時計回り、
に対応するだろう。
柳田国男の父も儒家で、井上円了と儒家の両面を分け合っている。
返信削除柳田と井上の関係は、ヒュームとカントの関係というよりは、ミルとマルクスの関係だ。
井上圓了 柳田國男
演繹(deduction) 帰納( induction)
演繹法 | 帰納法
(帰納的推理の記録の解釈)|(既知の事例より未知の事例へ)
事実の検証 | 事実の発見(観察・実験・説明)
三段論法の法則 | 自然の類似
// /|\ __
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法 / | \ 帰
繹 則 三|普 \ 納
O 演 /法 段|遍 自\ 法 O
諸 の 論|的 然\ 諸
事 /法 法|自 の\ 事 自 因
物 O 論 の|然 類\ O 物 然 果
・ /段 大|法 似\ ・ の←の
意 三 前|則 \ 意 斉 法
識 O/_________提|__________\O 識 一 則
現 ← 真 の | 推 理 現
象 | 象
の O | O の
事 | 事
実 | 実
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
柄谷は左側の演繹法の人だが、その言動から見ると右の帰納法の人に惹きつけられているようだ。
自分は、批評家ではなく小説家を育てたと言っていた。
帰納、演繹は、
好景気、不景気、
ロマン主義、自然主義(平野謙説)、
四象限図時計回り、反時計回り、
に対応するだろう。
柳田国男の父も儒家で、井上円了と儒家の両面を分け合っている。
返信削除柳田と井上の関係は、ヒュームとカントの関係というよりは、ミルとマルクスの関係だ。
井上圓了 柳田國男
演繹(deduction) 帰納( induction)
演繹法 | 帰納法
(帰納的推理の記録の解釈)|(既知の事例より未知の事例へ)
事実の検証 | 事実の発見(観察・実験・説明)
三段論法の法則 | 自然の類似
// /|\ __
\__ | \ l\\
法 / | \ 帰
繹 則 三|普 \ 納
O 演 /法 段|遍 自\ 法 O
諸 の 論|的 然\ 諸
事 /法 法|自 の\ 事 自 因
物 O 論 の|然 類\ O 物 然 果
・ /段 大|法 似\ ・ の←の
意 三 前|則 \ 意 斉 法
識 O/_________提|__________\O 識 一 則
現 ← 真 の | 推 理 現
象 | 象
の O | O の
事 | 事
実 | 実
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
柄谷は左側の演繹法の人だが、その言動から見ると右の帰納法の人に惹きつけられているようだ。
自分は、批評家ではなく小説家を育てたと言っていた。
帰納/演繹は、好景気/不景気、ロマン主義/自然主義(平野謙説)、
四象限図時計回り/反時計回り、
に対応するだろう。
返信削除柳田国男の父も儒家で、井上円了と儒家の両面を分け合っている。
柳田と井上の関係は、ヒュームとカントの関係というよりは、ミルとマルクスの関係だ。
井上圓了 柳田國男
演繹(deduction) 帰納( induction)
演繹法 | 帰納法
(帰納的推理の記録の解釈)|(既知の事例より未知の事例へ)
事実の検証 | 事実の発見(観察・実験・説明)
三段論法の法則 | 自然の類似
// /|\ __
\__ | \ l\\
法 / | \ 帰
繹 則 三|普 \ 納
O 演 /法 段|遍 自\ 法 O
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現 ← 真 の | 推 理 現
象 | 象
の O | O の
事 | 事
実 | 実
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
柄谷は左側の演繹法の人だが、その言動から見ると右の帰納法の人に惹きつけられているようだ。
自分は、批評家ではなく小説家を育てたと言っていた。
帰納/演繹は、
好景気/不景気、ロマン主義/自然主義(平野謙説)、
普 遍 法 則
返信削除(大前提)
deduction /|\ induction
演 繹 法 / | \↑帰 納 法
/__|__\
(事実) ← (事実)
真 の 推 理
普 遍 法 則
返信削除(大前提)
deduction /|\ induction
演 繹 法 / | \↑帰 納 法
/__|__\
(事実) ← (事実)
真 の 推 理
普 遍 法 則
返信削除(大前提)
deduction /|\ induction
演 繹 法 / | \↑帰 納 法
/__|__\
(事実) ← (事実)
真 の 推 理
柳田国男の父も儒家で、井上円了と儒家の両面を分け合っている。
返信削除柳田と井上の関係は、ヒュームとカントの関係というよりは、ミルとマルクスの関係だ。
井上圓了 柳田國男
演繹(deduction) 帰納( induction)
普 遍 法 則
↓(大前提)
deduction /|\ induction
演 繹 法 / | \↑帰 納 法
/__|__\
(事実) ← (事実)
真 の 推 理
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
柄谷は左側の演繹法の人だが、その言動から見ると右の帰納法の人に惹きつけられているようだ。
自分は、批評家ではなく小説家を育てたと言っていた。
帰納/演繹は、
好景気/不景気、ロマン主義/自然主義(平野謙説)、
柳田国男の父も儒家で、井上円了と儒家の両面を分け合っている。
返信削除柳田と井上の関係は、ヒュームとカントの関係というよりは、ミルとマルクスの関係だ。
井上圓了 柳田國男
演繹(deduction) 帰納( induction)
普 遍 法 則
↓(大前提)
deduction /|\ induction
演 繹 法 / | \↑帰 納 法
/__|__\
(事実) ← (事実)
真 の 推 理
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
柄谷は左側の演繹法の人だが、その言動から見ると右の帰納法の人に惹きつけられているようだ。
自分は、批評家ではなく小説家を育てたと言っていた。
帰納/演繹は、
好景気/不景気、ロマン主義/自然主義(平野謙説)、
四象限図時計回り/反時計回り、
に対応するだろう。
柳田国男の父も儒家で、井上円了と儒家の両面を分け合っている。
返信削除柳田と井上の関係は、ヒュームとカントの関係というよりは、ミルとマルクスの関係だ。
井上圓了 柳田國男
演繹(deduction) 帰納( induction)
普 遍 法 則
↓(大前提)
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演 繹 法 / | \↑帰 納 法
/__|__\
(事実) ← (事実)
真 の 推 理
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
柄谷は左側の演繹法の人だが、その言動から見ると右の帰納法の人に惹きつけられているようだ。
自分は、批評家ではなく小説家を育てたと言っていた。
帰納/演繹は、
好景気/不景気、ロマン主義/自然主義(平野謙説)、
四象限図反時計回り/時計回り、
に対応するだろう。
柳田国男の父も儒家で、井上円了と儒家の両面を分け合っている。
返信削除柳田と井上の関係は、ヒュームとカントの関係というよりは、ミルとマルクスの関係だ。
井上圓了 柳田國男
演繹(deduction) 帰納( induction)
普 遍 法 則
↓(大前提)
deduction /|\ induction
演 繹 法 / | \↑帰 納 法
/__|__\
(事実) ← (事実)
真 の 推 理
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
柄谷は左側の演繹法の人だが、その言動から見ると右の帰納法の人に惹きつけられているようだ。
自分は、批評家ではなく小説家を育てたと言っていた。
帰納/演繹は、
好景気/不景気、
ロマン主義/自然主義(平野謙説)、
四象限図反時計回り/時計回り、
に対応するだろう。
返信削除柳田国男の父も儒家で、井上円了と儒家の両面を分け合っている。
柳田と井上の関係は、ヒュームとカントの関係というよりは、ミルとマルクスの関係だ。
井上圓了 柳田國男
演繹(deduction) 帰納( induction)
普 遍 法 則
↓(大前提)
deduction /|\ induction
演 繹 法 / | \↑帰 納 法
/__|__\
(事実) ← (事実)
真 の 推 理
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
柄谷は左側の演繹法の人だが、その言動から見ると右の帰納法の人に惹きつけられているようだ。
自分は、批評家ではなく小説家を育てたと言っていた。
帰納/演繹は、
好景気/不景気、
ロマン主義/自然主義(平野謙説)、
象限図反時計回り/時計回り、
返信削除柳田国男の父も儒家で、井上円了と儒家の両面を分け合っている。
柳田と井上の関係は、ヒュームとカントの関係というよりは、ミルとマルクスの関係だ。
井上圓了 柳田國男
演繹(deduction) 帰納( induction)
普 遍 法 則
↓(大前提)
deduction /|\ induction
演 繹 法 / | \↑帰 納 法
/__|__\
(事実) ← (事実)
真 の 推 理
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
柄谷は左側の演繹法の人だが、その言動から見ると右の帰納法の人に惹きつけられているようだ。
自分は、批評家ではなく小説家を育てたと言っていた。
帰納/演繹は、
好景気/不景気、
ロマン主義/自然主義(平野謙説)、
4象限図反時計回り/時計回り、
返信削除柳田国男の父も儒家で、井上円了と儒家の両面を分け合っている。
柳田と井上の関係は、ヒュームとカントの関係というよりは、ミルとマルクスの関係だ。
井上圓了 柳田國男
演繹(deduction) 帰納( induction)
普 遍 法 則
↓(大前提)
deduction /|\ induction
演 繹 法 / | \↑帰 納 法
/__|__\
(事実) ← (事実)
真 の 推 理
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
柄谷は左側の演繹法の人だが、その言動から見ると右の帰納法の人に惹きつけられているようだ。
自分は、批評家ではなく小説家を育てたと言っていた。
帰納/演繹は、
好景気/不景気、
ロマン主義/自然主義(平野謙説)、
交換図反時計回り/時計回り、
返信削除柳田国男の父も儒家で、井上円了と儒家の両面を分け合っている。
柳田と井上の関係は、ヒュームとカントの関係というよりは、ミルとマルクスの関係だ。
井上圓了 柳田國男
演繹(deduction) 帰納( induction)
普 遍 法 則
↓(大前提)
deduction /|\ induction
演 繹 法 / | \↑帰 納 法
/__|__\
(事実) ← (事実)
真 の 推 理
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
柄谷は左側の演繹法の人だが、その言動から見ると右の帰納法の人に惹きつけられているようだ。
自分は、批評家ではなく小説家を育てたと言っていた。
帰納/演繹は、
好景気/不景気、
ロマン主義/自然主義(平野謙説)、
交換図反時計回り/時計回り、
に対応するだろう。
返信削除柳田国男の父も儒家で、井上円了と儒家の両面を分け合っている。
柳田と井上の関係は、ヒュームとカントの関係というよりは、ミルとマルクスの関係だ。
井上圓了 柳田國男
演繹(deduction) 帰納( induction)
普 遍 法 則
↓(大前提)
deduction /|\ induction
演 繹 法 / | \↑帰 納 法
/__|__\
(事実) ← (事実)
真 の 推 理
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
柄谷は左側の演繹法の人だが、その言動から見ると右の帰納法の人に惹きつけられているようだ。
自分は、批評家ではなく小説家を育てたと語っていた。
帰納/演繹は、
好景気/不景気、
ロマン主義/自然主義(平野謙説)、
交換図反時計回り/時計回り、
に対応するだろう。
返信削除柳田国男の父も儒家で、井上円了と儒家の両面を分け合っている。
柳田と井上の関係は、ヒュームとカントの関係というよりは、ミルとマルクスの関係だ。
井上圓了 柳田國男
演繹(deduction) 帰納( induction)
普 遍 法 則
↓(大前提)
deduction /|\ induction
演 繹 法 / | \↑帰 納 法
/__|__\
(事実) ← (事実)
真 の 推 理
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
柄谷は左側の演繹法の人だが、その言動から見ると右の帰納法の人に惹きつけられているようだ。
自分は、批評家ではなく小説家を育てた、と語っていた。
帰納/演繹は、
好景気/不景気、
ロマン主義/自然主義(平野謙説)、
交換図反時計回り/時計回り、
に対応するだろう。
返信削除柳田国男の父も儒家で、井上円了と儒家の両面を分け合っている。
柳田と井上の関係は、ヒュームとカントの関係というよりは、ミルとマルクスの関係だ。
井上圓了 柳田國男
演繹(deduction) 帰納( induction)
普 遍 法 則
↓(大前提)
deduction /|\ induction
演 繹 法 / | \↑帰 納 法
/__|__\
(事実) ← (事実)
真 の 推 理
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
柄谷は左側の演繹法の人だが、その言動から見ると右の帰納法の人に惹きつけられているようだ。
自分は、批評家ではなく小説家を育てた、と語っていた。
帰納/演繹は、
好景気/不景気、
ロマン主義/自然主義(平野謙説)、
交換図反時計回り/時計回り、
に対応するだろう。
返信削除国家 |
遊牧民 | 遊動民
帝国|
____|____
帝国主義|
自由主義|
資本 |
帝国主義はBへの退行だから帝国と帝国主義との位置は逆になる。
国家 |
遊牧民 | 遊動民
帝国主義|
____|____
帝国|
自由主義|
資本 |
返信削除http://38870660.at.webry.info/201404/article_9.html
柄谷行人氏の発言 (現代思想2014年 3月号、討議;柄谷+丸川 より抜粋)
(4) マルクス主義の話がありましたが、マルクスやエンゲルスは、本当の意味で民族問題を考えたことがなかった。西ヨーロッパにいたからです。
マルクス主義のなかでその問題にぶつかったのは、オーストリア帝国、そしてロシア帝国のマルクス主義者です。中国の場合、もっと古い帝国の伝統があります。
たとえば、毛沢東は農民・農村革命を主張した。しかし、どこでもマルクス主義者は、農民を革命の主体と見なすことはなかったのです。中国でも、陳独秀はプロレタリアート中心を唱えた。だから、毛は一貫して共産党指導部から排除されました。毛沢東が農民による革命を考えたのは、たんに現実に貧農が圧倒的多数の存在だったからではありません。その点なら、ロシアでも同じです。毛沢東が考えたのは、中国の社会的政治的構造と歴史に通じていたからだと思います。王朝の交代期には、必ず農民・流民の反乱があった。それらに支持され、また、土地改革(均田制)を掲げることによって、新たな皇帝が出てきた。毛沢東の政権も同様です.孫文や陳独秀らが西洋モデルで考えていたのに対して、毛沢東は帝国の経験に立脚したと言えます。
それだけでなく、帝国は、諸国家がいかに連合していくかという問題に対して、歴史的な教訓を与えるものです。ホッブス以来の近代国家論を超える道は、帝国から出発して国家間の関係を考えた思想にあると思います。
西洋でも、それはライプニッツやカントにあります。イギリス、オランダ、フランスといった西ヨーロッパからは、近代国家を超える発想は生まれてこなかった。つまり、西ヨーロッパ・モデルで考えているとわからない問題なのです。だから帝国の経験は、マルクス主義であろうとなかろうと、けっして見逃すことができないものです。
中国でそのような思想をもっていたのは、清朝末期の康有為でしょうね。中国で、私の「世界史の構造」を読んだ人から、康有為の「大同世界」と似ていると言われました。実は、それで急に興味を持ったのです。(笑)。康有為は将来的に国家や民族が消滅するという理念をもっていた。孔子から引き出した理念ですね。これはカント的な意味で「統整的理念」であり、現実には、漸進主義的であった。まず清朝を立憲君主制にして、そののちに君主を排していくという道筋を描いたわけですね。そこから、漸進的に大同世界へ向かう、という。これは清朝という帝国を生かそうという考えだったと思います。
(5) 近年の中国で、清朝末期の思想家に対する注目の大きさには、私も驚かされました。たくさんの思想家がいましたが、そのなかでも康有為と章()とは対照的で興味深いですね。儒学においても近文と古文という違いがありますし、中国思想史全体をアレンジしながら対立していたと思います。それがまた、一つの儒教史をかたちづくっている。
妖怪学の祖 井上圓了 (角川選書)
返信削除菊地 章太 (著)
「真怪」「仮怪」
124頁
講義録より
返信削除『現代思想』2014.03で柄谷行人も言及していたが、フランスの資本主義哲学の創始者とされる重農主義者ケネーが熱烈な儒教の信奉者であり,またその自由(放任)主義の表現であるレッセ・フェール“laissez faire”という語自体が,中国語の“wu-wei”(無為)の仏訳であるらしい。
西欧自由主義者にとって前漢の自由経済と後漢の緊縮財政(自由主義の枠内とみなされる)が、その理論的根拠だった。
こういう図式になるだろう。
法家 秦 帝国主義的 毛沢東
道家 前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家 後漢 帝国主義的 康有為?
法家|儒家
--+--
道家|X
歴史はXを飛び越え循環する。Xは多くの場合民衆の反乱という形を取る。
柄谷行人及びウォーラーステインによれば、帝国主義と自由主義は交互に続く。
ただし、
「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」(柄谷行人『現代思想』2014.3,p.35)
帝国主義期はストックが、自由主義期はフローが重視される。儒教は全体としては帝国主義的ストック重視の思想と言える。
ピケティはこうした循環を重視しないが、ピケティの唱える政策はこうした循環を意識的に可能にする方法だろう。
漢代の社会経済と漢朝の滅亡・新 : 東洋史
http://hisorient.exblog.jp/page/5/
武帝は董仲舒の意見を採用して儒学を漢の統治理念とし、法家主義と官僚制に基づく支配体制を作り上げた。しかし、長期にわたる対外戦争や王室の奢侈などによって財政難に陥ったため、塩・鉄・酒の専売や、政府が物資の買い上げ・転売をおこなう均輸、物価調節のための平準、貨幣の改鋳、営業税の課税などの政策をとったが成功せず、重税・徭役・兵役は商工業者や農民の生活を苦しめた。
武帝に続く照帝、宣帝も緊縮財政をとったが、武帝の死後、外戚や宦官が権力を奪って、外戚の王氏が実権を握るようになり、紀元8年王莽が帝位を奪って新を建てた。王莽は儒学を信奉し、周の社会を理想として、奴婢の売買の禁止、国営商業の強化、土地の国有化など実情に合わない改革を進めたため社会の混乱をまねき、各地で豪族らの反乱がおこりまもなく滅んだ。
後漢帝国の政治 : 東洋史
http://hisorient.exblog.jp/8730359/
新朝に対する反乱の中で勢力をのばした漢の一族の劉秀(光武帝)は、25年漢を復興した。光武帝は都を洛陽に移し、子の明帝、孫の章帝の3代にわたって漢王朝の再興につとめたが、帝権は弱く、王莽の復古主義にも農民の蜂起にも対立する立場にある豪族らの支持によって成り立つ政権であった。章帝以後は幼少の皇帝が多く、外戚と宦官が権力をめぐって対立し、専権をふるう宦官を非難した官僚や学者が弾圧される事件(党錮の禁)も起こった。
このような政界の混乱に加え、飢饉・水害が起こり社会不安が強まる中で、農民を中心に黄巾の乱が起こった。これは太平道という宗教団体の主唱者であった張角によって指導された反乱である。その後、五斗米道の反乱もあり、後漢は治安維持のため地方長官に権限を与えて鎮定にあたらせたが、長官が公然と軍隊をもつようになり、農民・流民を支配下に入れた豪族と結びつくなどして、かえって群雄割拠の傾向が強まり、220年後漢は崩壊した。
東文研・GJS共催ワークショップ「東京学派の研究(第2回):中国哲学 ...
返信削除www.ioc.u-tokyo.ac.jp/news/news.php?id...
井上円了の『星界想遊記』が康有為の『大同書』に影響を与えたという新しい論点も出していただきました。小島毅先生(東京大学) ...
中村 聡 - 研究者 - researchmap
星界想遊記』哲学書院1890)の影響があるという(『大同書』明徳出版、注より
返信削除本資料のご利用にあたって(詳細は「利用条件」をご覧ください) - 東京大学 (Adobe PDF) -htmlで見る
ocw.u-tokyo.ac.jp/.../01yoshizawa20141006final.pdf
社会の中の対立. 民族紛争 ... 大同書』は孔子の大同説とキリスト教・仏. 教の「平等」 ... 円了『星界想遊記』といったユートピア物語を ... 坂出祥伸訳『大同書』(中国古典新書、 明徳出版社、1976年).
論文 】 井上円了著作の中国語訳及び近代中国の思想啓蒙に対する影響 李立業
返信削除井上円了著作の中国語訳及び近代中国の思想啓蒙に対する ... - 東洋大学 (Adobe PDF)
www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/117398.pdf
井上円了著作の中国語訳及び近代中国の思想啓蒙に対する影響 ..... 康有為の「須弥雪亭詩集」に次のように記載している8。
http://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/117398.pdf
2.近代中国の思想啓蒙に対する影響 (1)康有為康有為(1858-1927年)は清末民初にかけての思想家、政治家であり、「戊戌変法」の担い手である。幼児から儒学の正統な教育を受けていたが、1879年に香港を遊覧し、欧米の文明や思想に触れ、これは彼が中学から西学へ転向する始まりとなった。次いで上海に出て、さらに欧米諸国の訳書を渉猟し、西洋文明の先進性に感心して政治改革の緊急性を認識した。1888年から1898年まで、相次いで七回光緒帝に変法を行うよう上奏を行い、1898年6月、ついに光緒帝が康氏の変法主張を取り入れ、幅広い分野で改革を行った。ところが改革は西太后を頂点とする保守派の反発に遭い、僅か百日あまりで西太后のクーデターにあって失敗に終わり、康氏は日本に亡命した。 康有為は1897年に編んだ『日本書目志』の中で、『哲学要領』、『哲学一夕話』、『仏教活論』、『倫理通論』など多くの円了の著書を紹介した人物であるが、両者が実際に面談したのは1902年のことである。『南海康先生年譜続編』によれば、康氏は香港とシンガポール経由で1901年に印度へ向かい、10月に到着してダージリンに泊まり、1903 年4月に印度を離れた7。また、円了は『西航日録』によれば、明治35年(1902年)11 月に西航の途に就き、12 月 19 日ダージリンに到着して、翌日に康有為を訪い、円了は詩を一首作って康有為に示し、康氏もその詩に和したことを記載している。康有為の「須弥雪亭詩集」に次のように記載している8。
日本井上円了博士、哲学第一名家也。訪余于金剛宝土、留之下榻、贈詩索和。万死奔亡救国危,余生身世入須弥,偶从空谷聞鸞嘯,了尽人天更不疑9。 (日本の井上円了博士は第一の哲学名家であり、余を金剛宝土に訪い、詩を贈って唱和を求めた。死を覚悟の上で奔亡して国家の危難を救おうとし、わが経験した一生のことを以て妙高の地に入ろうとする。まれに空谷に鸞鳥の嘯くを聞かん。人事と天命とを尽くしてさらに疑わず。)
また、康有為は四聖堂に画賛を作った。
日本哲学博士井上円了来館談玄甚歓,索題四聖堂 以孔子、佛索、格低、康徳為四聖。 東西南北,地互為中。時各有宜,春夏秋冬。軌道之行雖異,本源之証則同先後聖之撥異,千万里之心通。藐茲一堂,捧経質从。羹牆如見,夢寐相逢。化星方寸,与天穹窿。億劫旦暮,以俟来者之折衷10。 (日本の哲学博士井上円了が訪れて歓談し、四聖堂の画賛を求めた。 孔子、釈迦、ソクラテス、カントを四聖とする。 東西南北のいかなる所もそれぞれ中核の地ともなり、四季はそれぞれ誠にほどよく春夏秋冬とめぐる。万物の運行する姿は異なっていても、本源にある真実は同じである。古や後世の聖人が治める道は異なっていても、千万里も遠く離れた心も通じ合う。美しくしげる一堂、経典を捧げて質問を持って従う。仰ぎみて慕うことまみえるごとく、夢のなかでもあいめぐり会うごとし。もろもろの事象は方寸のうちにあり、天とともに高くゆみなりに曲がる。無限の時はまさに朝晩のごとく、未来におけるほどよく調整された、中を得た世界を待ちたい。)
円了の『西航日録』にも漢字での記載があり、文字上の異同はあるが、この記載によって、円了が印度のダージリンで康有為と会見し、互いに詩を贈り、両者は旧知のように意気投合していることが確認できた。
5井上円了『妖怪百談:通俗絵入』四聖堂、1898年を参照。 6井上円了『妖怪百談:通俗絵入続』哲学書院、1900年を参照。 7康同璧「南海康先生年譜続編」(楼宇烈編『康南海自編年譜』中華書局、1992年)を参照。 8井上円了『西航日録』(東洋大学井上円了記念学術センター編『井上円了選集』第23卷、2003年)を参照。 9康有為『万木草堂詩集』上海人民出版社、1996年、p.164。 10 同上、p.165。
比類なき哲学世界の建物群~東洋大学創立者が造った「哲学堂公園」~ | 百年名家~築100年の家を訪ねる旅~ | BS朝日
返信削除https://www.bs-asahi.co.jp/100nen/lineup/prg_221/
比類なき哲学世界の建物群 ~東洋大学創立者が造った「哲学堂公園」~
2020年5月17日(日)
#221
取材先情報
・哲学堂公園
〒165-0024 東京都中野区松が丘1-34-28
TEL:03-3951-2515
開園時間:3月1日~9月30日は午前8時~午後6時
10月1日~11月30日は午前8時~午後5時
12月1日~2月末は午前9時~午後5時
古建築物公開:四聖堂・六賢台・無尽蔵・宇宙館・絶対城を、春期・秋期・
月例公開しています。
※四聖堂は建物保全のためご入場になれません。
・春期公開【4月29日~ 5月5日】(年によって変更あり)
午前9時~午後5時
・秋期公開【10月1日~ 10月30日】(土日祝日のみ)
午前9時~午後4時
・月例公開【毎月第1日曜】(変更の場合あり)
午前10時~午後3時
駐車場:・平日のみ12台まで駐車可
(※満車の場合は近隣駐車場をご利用下さい)
・土日祝休日は駐車場は自動二輪専用となります。
※なお、障害をお持ちの方については、
障害者手帳をご提示いただければ駐車可能です。
駐車される場合は、事前に管理事務所にご連絡いただくか、
駐車場整理員へ障害者手帳のご提示をお願いします。
交通:西武新宿線「新井薬師前駅」から徒歩12分
都営大江戸線「落合南長崎駅」から徒歩13分
哲学堂公園 - Wikipedia
返信削除ja.wikipedia.org/wiki/哲学堂公園
-キャッシュ
哲学堂公園(てつがくどうこうえん)は、東京都中野区にある中野区立の公園 ... 1909年(明治42年)~1912年(大正元年) - 哲理門、六賢台、三学亭などの建築物が逐次整備される。 1944年(昭和19年) - 井上円了の ...
歴史-施設名-哲学堂祭-アクセス
哲学堂公園 | 中野区公式観光サイト まるっと中野
www.visit.city-tokyo-nakano.jp/tetsugakudo/
-キャッシュ
六賢台 写真. 六賢台. 哲学堂のランドマーク的存在。東洋の賢人として、聖徳太子、 菅原道真、荘子、朱子、龍樹、迦毘羅の6人 ...
迦毘羅仙(読み)カビラセン
デジタル大辞泉の解説
《〈梵〉Kapilamahāṛṣiの漢名》前300年ころのインドの哲学者。六派哲学の一、サーンキヤ学派の開祖とされる。「サーンキヤスートラ」の著者といわれるがこの書は実際には後世の作。カピラ。生没年未詳。
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
大辞林 第三版の解説
〔Kapilamahārsi〕 紀元前300年頃のインドの思想家。サーンキヤ(数論)学派の創始者といわれ、「サーンキヤ━スートラ」の著者と伝えられる。生没年未詳。迦毗羅仙。カピラ。
出典 三省堂大辞林 第三版について 情報
関連語をあわせて調べる
迦毘羅外道
迦毘羅
哲学堂の三学亭 - 私立PDD図書館
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右の写真は三学亭で、神道の平田篤胤(あつたね)・儒教の林羅山(はやし・らざん)・仏教の釈擬然(しゃく・ぎょうねん)の三碩学( ...
八宗綱要 (講談社学術文庫) | 凝然 大徳, 鎌田 茂雄 |本 | 通販 | Amazon
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仏教の教理を本格的に知ろうとする人のために、もっとも適切な案内書は鎌倉時代の擬 然の『八宗綱要』である。八宗(倶舎宗・ ...
凝 然 の 仏 教 の 研 究 序 説 - J-Stage(Adobe PDF)
www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/20/2/20_2.../_pdf
するもの 「法相宗に関するもの &八宗一般に関するもの. い。彼はとの戒壇院の復興 ... 擬然の仏教の研究序説 (小林). る。即ち、.
八 宗 綱 要 - 徳勝寺(Adobe PDF)
www.daigo.or.jp/documents/8shuKoyo.pdf
八宗綱要』では、①倶舎宗、②成実宗、③律宗、④法相宗、⑤三論宗、⑥天台宗、⑦ 華厳宗、. ⑧真言宗の八宗の教理を順次に ...
黒澤明 - Wikipedia
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黒澤 明(くろさわ あきら、新字体:黒沢、1910年(明治43年)3月23日 - 1998 ... また、 学友会誌に作文「蓮華の舞踏」と「或る手紙」を載せ、国語教師の小倉要逸に「創立以来の名文」と絶賛 ... マドンナをどう思うか?
未指定:哲学
哲学堂附近の丘の上に、僕は夢みるようにねころんでいた。
全集黒澤明1
返信削除339頁