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日曜日, 5月 04, 2014

マルクス経済表(付マルクス直筆経済表)

                     ( マルクスリンク::::::::::

NAMs出版プロジェクト: Karl August Wittfogel -ウィットフォーゲル

http://nam-students.blogspot.jp/2017/03/karl-august-wittfogel.html

基本文献として、マルクスのエンゲルス宛の手紙からの引用を載せます。(全集第30巻p289~292)
経済表に関しては、岩波文庫の旧版『資本論(十)』の扉に手書きのファクシミリ版が載っています。手に入らなければ、以下のサイトを参照していただきたいです。(注:その後、データ入手出来たので参考までに岩波文庫所収のマルクス直筆のファクシミリ版及び高木彰訳日本語版経済表を添付しておきます。'04.9/17記)
なお、身辺雑記の書かれた前段は略してあります。

http://www.marxists.org/archive/marx/works/1863/letters/63_07_06.htm
http://www.marxists.org/archive/marx/works/1863/letters/63_07_06.gif

後年の『資本論』の記述と比較すると、部類1が部類2に、部類2が部類1に、それぞれ入れ替わっているこ
とに注意が必要です(こちらは「再生産過程表式」と呼ばれている)。
かいつまんで書くと、
部類1(消費手段)
c(不変資本)+v(可変資本=労働力)+m(剰余価値)=p(生産)
部類2(生産手段)
c(不変資本)+v(可変資本=労働力)+m(剰余価値)=p(生産)
部類3(総生産)
c(不変資本)+v(可変資本=労働力)+m(剰余価値)=p(総生産)
1c+2c=3p
1v+2v=3v
1m+2m=3m
1p+2p=3p
1pは3v+3mへ、
2pは3cへとそれぞれ環流する。
単純再生産では1c=2v+2m
拡大再生産では1c<2v+2m
他の略称に関して書くと、
利潤は(p1=m-z-r)、利子は(z)、地代は(r)
労働手段は(Pm)、労働力は(A)
ここには書ききれないが、斜線部分はG- - - - -W-G'(あるいはG-W- - - - -G'?)と考えるとわかりやすいかも
知れません。
また上記、P(生産)及びP(総生産)はマルクスの表記に倣って、c+v+m=Wいうことで、大文字のW(商品価値)と表記すべきだったかも知れません(3:1,岩波文庫6.43頁参照)。

///////以下引用/////////////////////////////////////
「マルクスのエンゲルス宛ヘの手紙」(1863.07.06)より
(中略)
 同封の「経済表」は僕がケネの表の代わりに立てるものだが、もし君がこの暑さのなかでもできるなら、い
くらか念入りに見てくれたまえ。そして、なにか疑念があったら知らせてくれたまえ。これは総生産過程を包
括している。
 君も知るように、アダム・スミスは「自然価格」または「必要価格」を賃金と利潤(利子)と地代とから構
成している- したがって全体を収入に解消させている。この不合理はリカードにも伝えられている。といっ
ても、リカードは地代をたんに偶然的なものとしてカタログから除いてはいるのだが。ほとんどすべての経済
学者がこれをスミスから受け継いでいる。そして、これに反対する経済学者らはまた別の不条理に陥ってい
る。
 スミス自身も、社会にとっての総生産物をたんなる収入(年々消費されうるもの)に解消させることの不合
理は感じていて、他方で各個の生産部門については価格を(原料や機械など)と収入(労働、利潤、地代)と
に分解している。そうすると、社会は毎年新しく資本なしで始めなければならないことになるだろう。
 ところで、僕の表について言えば、これは僕の本の最後のうちの一章のなかに総括として載せるものだが、
そこでは理解のために次のことが必要だ。
 (1)数字はどうでもかまわない。何百万かを意味するものとしてもよい。
 (2)ここで生活手段というのは、消費財源の中に年々はいって行く(または、この表からは除外されてい
る蓄積がなければ消費財源のなかにはいりうるであろう)すべてのもののことだ。
 部類1(生活手段)では全生産物(七〇〇)が生活手段から成っており、したがって当然のこととして不変
資本(原料や機械やなど)のなかにははいっていかない。
 同様に部類2では全生産物が、不変資本を形成する諸商品から、すなわち原料や機械としてふたたび再生産
過程にはいっていく諸商品から、成っている。
(3)上昇線は点線になっており、下降線は直線になっている。
(4)不変資本は、原料や機械から成っている資本部分だ。
可変資本は、労働と交換される資本部分だ。
(5)たとえば農業などでは同じ生産物(たとえば小麦)の一部分は生産手段を形成するが、他の一部分(た
とえば小麦)はふたたびその現物形態のままで(たとえば種子として)原料として再生産にはいっていく。だ
が、これは少しも事柄を変えるものではない。というのは、このような生産部門は、一方の属性から見れは部
類2のなかに現われ、他方の属性から見れは部類1のなかに現われるからだ。
(6)そこで、全体の要点は次のようになる。
 部類1。生活手段。労働材料と機械(すなわち機械のうち損耗分として年間生産物のなかにはいって行く部
分。機械などの未消費部分は真のなかには全然現われていない)は例えば四〇〇ポンドに等しい。
労働と交換された可変資本=一〇〇は三〇〇として再生産される。というのは、労賃を生産物で補填し、二〇
○は剰余価値(不払剰余労働)を表わすからだ。生産物は七〇〇であって、そのうち四〇〇は不変資本の価値
を表わしているが、この不変資本は全部が生産物のなかに移っており、したがって補填されなければならな
い。
 可変資本と剰余価値との割合がこのようになっている場合には、労働者は労働日の三分の一では自分のため
に労働し、三分の二では彼の天成の目上(natural speriors)のために労働する、ということが仮定されている。
 つまり、一〇〇(可変資本)は、点線で示されているよぅに、労賃として貨幣で払い出される。労働者はこ
の一〇○をもって(下降線で示されているように)この部類の生産物すなわち生活手段を一〇〇だけを買う。
こうしてこの貨幣は資本家階級1に還流する。
 剰余価値二〇〇は一般的な形態では利潤だが、これは、産業利潤(商業利潤を含む)と、さらに、産業資本
家が貨幣で支払う利子と、彼がやはり貨幣で支払う地代とに分かれる。この産業利潤や利子や地代として支払
われた貨幣はそれをもって部類1の生産物が買われることによって、還流する(下降線で示されている)。こ
うして、部類1の内部で産業資本家によって投ぜられたすべての貨幣は、生産物七〇〇のうちの三〇〇が労働
者や企業家や金持ちや地主によって消費されるあいだに、彼のもとに還流する。部類1に残っているのは、生
産物の過剰分(生活手段での)四〇〇と不変資本の不足分四〇〇とだ。
 部類2。機械と原料。
この部類の全生産物は、生産物のうち不変資本を補填する部分だけではなく、労賃の等価と剰余価値とを表わ
す部分も、原料と機械とから成っているので、この部類の収入は、それ自身の生産物においてではなく、ただ
部類1の生産物でのみ実現されることができる。しかし、ここでなされているように蓄積を除外すれは、部類
1が部類2から買うことができるのは、ただ部類1がその不変資本の補填のために必要とするだけの量であ
り、他方、部類2はその生産物のうちただ労賃と剰余価値と(収入)を表わす部分だけを部類1の生産物に投
ずることができる。こうして、部類2の労働者たちはその貨幣=一三三1/3を部類1の生産物に投ずる。同じこ
とは部類2の剰余価値でも行なわれる。これは、部類1におけると同様に、産業利潤と利子と地代とに分かれ
る。こうして、貨幣での四〇〇が部類2から部類1の産業資本家のもとに流れて行き、そのかわりに部類1は
その生産物の残り=四〇〇を部類2に引き渡す。
 この貨幣四〇〇をもって、部類1はその不変資本=四〇〇の補填のために必要な物を部類2から買い、この
ようにして部類2には、労賃と消費(産業資本家自身や金持ちや地主の)に支出された貨幣がふたたび流れこ
んでいく。そこで、部類2にはその総生産物のうち五三三1/3が残っており、それをもって部類2はそれ自身の
損耗した不変資本を補填する。
 一部分は部類1の内部で行なわれ一部分は部類1と2とのあいだで行なわれる運動は、同時に、どのように
して両部類のそれぞれの産業資本家たちのもとに、彼らがふたたび新たに労賃や利子や地代を支払うための貨
幣が還流するか、ということを示している。
 部類3は総再生産を表わしている。
 部類2の総生産物はここでは全社会の不変資本として現われ、部類1の総生産物は、生産物のうちの、可
変資本(労賃の財源)および互いに剰余価値を分け合う諸階級の収入を補填する部分として、現われる。
 ケネの表をその下に置いておいた。これはこの次の手紙で簡単に説明しよう。
 失敬
                                   君の    K・M
 ついでに。エトガル・バウアーは職を得た - プロイセンの新聞局で。






マルクス経済表(小)
マルクス経済表(日本語版)



追記:その後、別ブログ↓に補足説明を書かせていただきました。
(経済表の第一草稿が全体の1/10しか価値増殖過程に廻されないことを明記していることを指摘したものです。)
http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/51701157.html



_______

追記:

  • Wirtschaft und Gesellschaft Chinas, Versuch der wissenschaftlichen Analyse einer großen asiatischen Agrargesellschaft, Hirschfeld, Leipzig, 1931, XXIV, 767 P. (=Schriften des Instituts für Sozialforschung der Universität Frankfurt am Main, No. 3)



新訂・解体過程にある中国の経済と社会 下

 叢書名    ユーラシア叢書  ≪再検索≫

 著者名等   K.A.ウィットフォーゲル/著  ≪再検索≫

 著者名等   平野義太郎/監訳  ≪再検索≫

 出版者    原書房

 出版年    1977.9

 大きさ等   22cm 390,15p

 NDC分類  332.22

 件名     中国-経済-歴史  ≪再検索≫

 書誌番号   3-0190002732



上の続巻がオリエンタルデスポティズム




ウィットフォーゲル:中国の経済表(『中国の経済と社会』下(359頁)より)


            官人(M)

          //|||||\\

         // ||||| \\

        //  |||||  \\

       //   |||||   \\

    農民(Ba)__|||||___工業生産者(Ind)

       \\\\ |||||   ///

        \\\\|||||  ///

         \\\\|||| ///

          \\\\|||///

          商業ブルジョアジー(H)



Aは農業的価値的価値量、iは工業的交換価値量、Gは貨幣的交換価値量

(iは紛らわしいので小文字に変えた)


官人(政府)よりも商業資本を入れるのが新しい。大企業も製販分離するから正しい。

農工の価値の分割も正しい。

税金の線が多いことがわかる。


本来はもっと細かい。




ウィットフォーゲル:中国の経済表


            官人(M)

           出発点:~

           終結点:43A+2i

          //|||||\\

         ②/ ||||| \14

        /⑥  ③④|16|  ⑩\

       //   ||15|17   \\

   農民(Ba)___|||||_⑧_工業生産者(Ind)

出発点:100A    |||||    出発点:10i

終結点:30A+5i  |||||    終結点:3A+1i

       \\\\ |||||   ///

        \⑤\11|||||  ⑨12/

         ①\⑦\|||| //13

          \\\\|||///

          商業ブルジョアジー(H)

           出発点:30G

           終結点:30G+24A+2i


出発点:-

終結点:43A+2i


Ba

出発点:100A

終結点:30A+5i


Ind

出発点:10i

終結点:3A+1i


出発点:30G

終結点:30G+24A+2i

           


封建論争及び『日本資本主義分析』で有名な山田盛太郎が以下で上のウィットフォーゲルの中国の経済表に言及している。


山田盛太郎著作集 (岩波書店): 1985|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001725646-00

山田盛太郎著作集 別巻

小林賢斉 [ほか]編

 

詳細情報

タイトル 山田盛太郎著作集

著者 小林賢斉 [ほか]編

著者標目 山田, 盛太郎, 1897-1980

出版地(国名コード) JP

出版地 東京

出版社 岩波書店

出版年 1985

大きさ、容量等 305p ; 23cm

価格 6200円 (税込)

JP番号 85029780

巻次 別巻

部分タイトル 報告と講演(手控え・配布資料) 再生産表式と地代範疇-資本主義経済構造と農業形態.近世日本農業改革史論.近代社会形成の問題と地代範疇-ケネーの経済表(一七五八)とウィットフォーゲルの中国経済「表」(一九三一) 農政学者としての新渡戸博士-我国、産業資本確立期までの一〇年間(明治二三-三二年)における新渡戸博士の論著について.再生産構造と危機の理論.再生産構造と循環形態-土地制度史学会京都大会にあたって.戦後循環の性格規定.農業解体における土地所有形態の再検討-農業生産構造・再構成の方向.戦後再生産構造の基本構成.戦後日本の再生産構造の特質.戦後重化学工業段階の基礎的研究-特に鉄鋼業における技術革新並びに労働力編制との関連において. 講義(手控え・配布資料) 再生産演習参考資料 1 限定版 文献の一部(未定稿) Ricardo講読用参考表式(1) 終講の辞.資本主義構造論「再生産論」<断片> 経済政策総論<断片> 再生産論. 補録(講演・報告の記録) 再生産表式と地代範疇-資本主義の構造と農業形態.北満の大農経営について.満洲・中国農業の基礎問題について

出版年月日等 1985.1

件名(キーワード) マルクス学派 (経済学)

[上位語] => 経済学

[関連語] => 剰余価値

NDLC DA24

NDC(8版) 331.6

対象利用者 一般


続々・近況報告(2013,06,17 加筆): “ Festina lente ! ”

http://usagi-s.cocolog-nifty.com/webmemos/2013/06/post-e070.html
『解体期にある 支那の経済と社会』 上・下二巻
 ウィットフォーゲル著(平野義太郎監訳) 昭和9年1月3日初版、中央公論社発行
 この書物は戦後に刊行されたこともあるが、今回購入対象としたものは戦前のもの。 当書の下巻巻末には山田先生がよく話しておられたウィットフォーゲルの支那の経済表があり、どうしても何時かは手に入れたかった。 しかし、なかなか綺麗なものがなく、かつ高価でもあったため、いままで手が出なかったが、何時もお世話になっている書店から安く提供していただけた。 何故かこの二冊の書物には戦前の中国上海の古書店のシールが貼られていた。 私が今回購入できたのは共に昭和14年9月25日発行の第4版本。

『日本資本主義分析』
 山田盛太郎著 昭和9年3月5日付けの第二刷、岩波書店発行
 資料を作るために再び購入。出来れば初版が欲しかったが、この第二刷は同じ扱いだと聞いており、かつ安かったのでまた購入した。


立命館経済学(第十四巻・第五号)
最後に、小林賢斉氏は、再生産論の見地から問題を理論的に展開される。すなわち、戦後日本の農地改革の眼目は、「これを比愉的に云えば、ケネーの『経済表』とマルクスの『再生産表式』の関係が併存する関係」から「謂わばケネーの『経済表』の関係をマルクスの『再生産表式』の関係に帰一せしめること」にあったとされるが、この課題は、戦後日本資本主義の構造再編・創出の過程で、いかに果されて来たであろうか、と設問する。そして、マルクス「再生産表式」、レーニン「表式」、ケネーの「経済表範式」、ならびにウィットフォーゲルの「支那の経済表」の検討によって、分析の基準を設定する。その後、右の基準に照らして戦後日本資本主義の深化と農業危機の深化の実態を分析し、っぎのように述べる。 「本格的な戦後階梯の展開にあたって農業生産構造の変革も押し進められるのではなく、むしろ零細土地所有11零細農耕に釘付けしたままで、国際的水準の重化学工業が、旧来の軽工業段階の在来的水準から超絶的に強行聾立せしめられる。かかる『高度成長』の過程は、一方、農業の面では、内的メカニズムによる農民層の分解を含みながらも、農民をしてプロ以下的なものへと崩落せしめ、食糧飼料輸入を必然化し、他方資本プロバーの側においても特殊構造的な『大不況期』に逢着する。而して、この……深刻化は、跨大貧農大衆のいわぼ『正常な補足』たる農外所得を制限することによって、彼等が農業所得で農家消費(及び蓄積)を償えるような生産構造の確立(1-零細土地所有の制限の揚棄に通ずる)への客観的条件を成熟せしめるであろう」と。 


国立国会図書館デジタルコレクション - 解体過程にある支那の経済と社会. 上巻

国立国会図書館デジタルコレクション - 解体過程にある支那の経済と社会 : アジア的な一大農業社会に対する科学的分析の企図 特にその生産諸力・生産=流通過程. 下巻

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1882822


30 件のコメント:

  1. 参考:マルクス直筆経済表(全集第30巻p289~292参照)
    http://plaza.rakuten.co.jp/img/user/35/78/3663578/12.jpg
    邦訳 http://plaza.rakuten.co.jp/img/user/35/78/3663578/13.gif
    以下、マルクス経済表を改変(部門1と2を逆にしたが『資本論』再生産表式とは同じ):

                          p1  追加的不変資本Mc
                        _産業利潤_追加的可変資本Mv
     _____             |      個人的消費Mk
    |第1部門 |           P|_利子z__単利__|
    |機械と原料|          利潤|      複利  |
    |_____|           /|_地代r__差額地代|
                     /        絶対地代|
     不変資本C 可変資本V 剰余価値M 生産物W       |
           _____\____  /          |
            上へ/  \下へ  /下へ         |下へ
     ____    /  労賃\  /    _産業利潤→  |
    |第2部門|  /      \/    |      | |
    |生活手段| /       /\ 利潤_|_利子→__| |
    |____ /   労賃→_/__\ / |      | |  
         /    /  /   \\  |_地代→__| |
        /    /  /    /\\      下へ| |
     不変資本  可変資本/ 剰余価値  生産物______/_/  
              /        /   
     ____    /        /下へ 
    |第3部門|  /        /              
    |総生産物| /        /          
    |____|/        /          
     ____/ _______/__                      
     不変資本  可変資本  剰余価値  生産物

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    レーニン全集3からの引用

    ウィットフォーゲルには言及なし

    返信削除
  3. ケインズ『一般理論』形成史  浅野栄一  日本評論社  1987.135~4頁より

    《…1933年末にはケインズが有効需要論を新しい理論体系の中心に据える
    ことを明示的に表明するに至ったことを確認しておこう。
    この章(1933年草稿#2)では,ケインズはさらに,有効需要問題を処理
    する際の彼の新しい分析視角のひとつを明確化している。それはこうである。
     この年アメリカの経済学者H.L.マクラッケンは,経済学説史に関する著
    書『価値論と景気循環』を出版したが,たぶんみずからの理論の想源を調べて
    いたケインズはただちにこれを読み,そのなかのマルクス理論の解説部分から
    ヒントを得て,草稿でつぎのように書いていた。「協同体経済と企業家経済の
    間の区別はカール・マルクスによってなされた意味深長な観察と若干の関係を
    もっている。」31)それによると,マルクスは,現実世界の生産の性格が,
    経済学者たちがしばしば想定しているようなC一M-C′(商品一貨幣一他の
    商品という交換)のケース――これは私的消費者の観点からのものである一一
    ではなく,M-C一M′(貨幣一商品一より多くの貨幣という交換)のケース
    ――これが事業の態度である――であることを指摘したが,この指摘はケイン
    ズの想定する企業家経済を分析する際の重要な視点を提供している,というの
    である。
     この商品と貨幣との交換過程に関する範式は,もともとマクラッケンが,剰
    余価値の源泉を流通過程ではなく生産過程に求めていったマルクスの説明を,
    『資本論』第1巻第2篇第4章「貨幣の資本への転化」の叙述に即しながら解
    説したものであり,マクラッケン自身はマルクスに忠実にこの範式を使用して
    いたのであるが,ケインズは,この範式に独自の解釈を施し,それにマクラッ
    ケンの著書では触れられていなかった『資本論』第2巻の三つの資本循環に関
    する分析の内容を盛り込んで,つぎのように主張する。それによれば,前者の
    範式は古典派理論の想定する経済像を表現したものであり,そこでは,「企業
    家の生産過程開始への意欲は,彼の取り分となると期待されるものの生産物表
    示での価値量に依存する,すなわち,彼に帰属するより多くの生産物への期待
    のみが彼にとっての雇用増大への誘因となる」と考えられている。しかし,「
    企業家経済の下では,これは企業打算の性格についての間違った分析である。
    企業家の関心は,彼の取り分となる生産物の量ではなく,貨幣の量にある。彼
    は,産出量を増加させることによってその貨幣利潤を増加させることができる
    と期待するならば,たとえこの利潤が以前よりも少ない生産物量を示すとして
    も,その産出量を増加させるであろう。」32)

    31)ケインズ全集・J.M.K Vol.XXIX(*ケインズ全集19は未邦訳),.,p. 81
    32)ケインズ全集・J.M.K Vol.XXIX,.,p. 82》

    返信削除
  4. wiki
    ボウルズは、長年の盟友となるハーバート・ギンタスと同様、もともと新古典派経済学を学んだが、
    1960年代から1970年代にかけての激動期を通じて、正統派経済学に対して根元的な懐疑を抱くようになり、
    マルクス経済学の概念的枠組みにつよく傾斜し、ラディカル・エコノミックスという新しい経済学の考え方を
    定式化し、発展させてきた。
    主な研究としては、教育を通じて不平等が是正されないメカニズムを精緻に分析した『アメリカ資本主義と学校教育』[1]、
    また現代アメリカの直面する経済的困難の原因を、アメリカ経済を支える広範な社会的・制度的構造にまで遡って
    えぐり出し打開策を提示した『アメリカ衰退の経済学』[2]などがある。
    また資本主義的労働過程に内在する権力関係の構造を分析するモデルとして抗争交換モデルを提示して[3]、
    労働現場への参加の決定権(採用/解雇の権限)を握る雇用者が、労働者による労働努力の発揮態度を自己に
    有利な方向に誘導することを示し、同じく雇い主−労働者の間の情報の非対称性の点から出発するが、
    交渉の参加主体の構成を所与と考える取引費用経済学やプリンシパル=エージェント理論とは異なる分析視座を提供した。
    抗争交換モデルは、労働市場だけでなく、借り手がどのような条件を提示しても資金を調達できない現象が生じる
    資本市場の分析にも用いられる。
    抗争交換モデルは、初出論文の副題「資本主義の政治経済学のための新しいミクロ的基礎」が示す通り、
    これまでマクロ・レベル(階級間レベル)でとらえられがちだった資本主義内の権力関係を、
    ミクロ・レベル(個人間レベル)から分析し得るツールである。
    現在でも不平等の原因とその帰結についての研究は、ボウルズの中心的関心の一つだが、最近ではそれに加えて、
    最新の行動経済学や進化心理学の成果を下にした「互恵的利他行動」の研究[4]にも力を注いでいる。

    返信削除
  5. 熊野純彦著『資本論の思考』『資本論の哲学』
    特に後者は入門書に珍しく再生産表式の原型である
    マルクス経済表を紹介していて評価出来る
    後者はアソシエーション論が補足されている

    返信削除
  6. 熊野純彦著『資本論の思考』『資本論の哲学』
    特に後者は入門書に珍しく再生産表式の原型である
    マルクス経済表を紹介していて評価出来る
    後者はアソシエーション論が補足されている
    人間マルクスを知りたければちくま新書の方がいいかも知れないが

    返信削除
  7. 熊野純彦著『資本論の思考』『資本論の哲学』
    特に後者は入門書に珍しく再生産表式の原型である
    マルクス経済表を紹介していて評価出来る
    後者はアソシエーション論が補足されている
    人間マルクスを知りたければちくま新書の方がいいかも知れないが

    https://lh6.googleusercontent.com/-tVWXJzHyywg/U2ZHujpJMbI/AAAAAAAAdw8/dfu6DzXbqVE/s640/blogger-image-2016139846.jpg

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  8. 熊野純彦著『資本論の思考』『資本論の哲学』
    特に後者は入門書に珍しく再生産表式の原型である
    マルクス経済表を紹介していて評価出来る
    後者はアソシエーション論が補足されている
    人間マルクスを知りたければちくま新書の方がいいかも知れないが

    参考:マルクス直筆経済表(全集第30巻p289~292参照)
    http://plaza.rakuten.co.jp/img/user/35/78/3663578/12.jpg
    邦訳 http://plaza.rakuten.co.jp/img/user/35/78/3663578/13.gif



    以下、マルクス経済表を改変(部門1と2を逆にしたが『資本論』再生産表式とは同じ):

                          p1  追加的不変資本Mc
                        _産業利潤_追加的可変資本Mv
     _____             |      個人的消費Mk
    |第1部門 |           P|_利子z__単利__|
    |機械と原料|          利潤|      複利  |
    |_____|           /|_地代r__差額地代|
                     /        絶対地代|
     不変資本C 可変資本V 剰余価値M 生産物W       |
           _____\____  /          |
            上へ/  \下へ  /下へ         |下へ
     ____    /  労賃\  /    _産業利潤→  |
    |第2部門|  /      \/    |      | |
    |生活手段| /       /\ 利潤_|_利子→__| |
    |____ /   労賃→_/__\ / |      | |  
         /    /  /   \\  |_地代→__| |
        /    /  /    /\\      下へ| |
     不変資本  可変資本/ 剰余価値  生産物______/_/  
              /        /   
     ____    /        /下へ 
    |第3部門|  /        /              
    |総生産物| /        /          
    |____|/        /          
     ____/ _______/__                      
     不変資本  可変資本  剰余価値  生産物

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    マルクス

    マルクスの「経済表」:補足
    以前、mixiのマルクスコミュに以下のような書き込みをしましたが、その補足です。
    http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=15033923&comm_id=9227
    >『資本論』を読む前に方に、マルクスが当初『資本論』の巻末に挿入
    >を予定していた図(マルクス経済表)を紹介します。よかったら参考
    >にして下さい。『資本論』の再生産表式とは部門1と2が逆です。詳
    >詳細に関しては『資本論体系1』(有斐閣)が最新研究をまとめてい
    >て参考になります。利潤、利子、地代と言った記述は現行資本論と記
    >述順が同じですし、拡大再生産と単純再生産の違いもわかりやすくな
    >ります。 以下簡単な経済表の解説。
    >http://plaza.rakuten.co.jp/yojiseki/24000

    経済表の草稿は2つありますが、最初のもの(注*)は交換に廻されるのは全体の10分の1です。不変資本4,000のうち「価値増殖過程」に入らないのは3,600あります。
    *以下『再生産論の基本問題 』(1975年)- 小林 賢斎 より
    (クリックすると拡大します)
    マルクス経済表1サム






    価格論というより価値論になってしまいますが、これは客観的に見ても正しいと思います。
    マルクスは第2草稿から交換に廻されない部分を記述しなくなったので、ここからすべて資本主義経済に組み込まれているという錯覚がおこります。ブローデルの三層構造がやはり正しいと思います。

    また、資本論のように消費生産部門を真ん中に持って来た方が、図が実はすっきりするのです。
    図解経済学


















    (上記はあくまで貨幣原材料費を分析した参考図ですが、総生産分析も似たような図になります。:図解「社会経済学」大谷禎之介著櫻井書店より)
    まるで対角線論法のように斜めに剰余価値が移動する図になります。
    マルクスは工場労働を重視して部門を移したと思いますが、消費生産部門を家庭と考え、そこを真ん中に持ってくると考えればいいと思います。別に家庭に生産手段を持っていてもいいわけですし、、、
    これは家庭及び個人が経済手段(消費と労働)によって工場生産に介入し、政治的手段(選挙)によって総生産(国家予算、地方自治体予算)に介入するという二面性を使い分けるということを意味します。
    前者には『資本論』、後者には表象代理制批判をした『ブリュメール18日』が参考になるでしょう。


    (15:58)
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  10. 《経済学史の講義でマルクス経済学を教えるとき、初心者には退屈な「唯物史観」や「疎
    外された労働」などよりは、第二巻の「再生産表式」から教えてみるのも一つの方法では
    ないでしょうか。そこから、第1巻に立ち戻ると、労働生産力の発展を図るには、剰余価
    値を資本に再転化するという意味での「資本の蓄積」がおこなわれなければならないとい
    う件にぶつかりますが、これが「再生産表式」でいう「拡大再生産」であることはすぐに
    わかります。》
    入門経済学の歴史ちくま新書根井雅弘 2010
    38~9頁

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  11.  実際、スミスも、たとえ農業のみが「純生産物」を生み出すという重農主義の思想がや
    や偏狭だとしても、ケネーが「富=貴金属」と考える重商主義の誤謬を抉り出し、彼以前
    の誰よりも「経済学の真理」(簡単にいえば、富とは労働によって年々生産される消費財であ
    り、その再生産を円滑にするには自由競争や自由貿易が必要だと主張したことに近づいた功
    績を高く評価しているのです。それゆえ、私には、先に指摘した「先陣争い」よりは、二
    人の天才[アダム・スミスとケネー]がお互いをよく理解し合っていたことのほうがよほど注目すべき事実であるよう
    に思えます。

    『資本論』の再生産表式
     ケネーによる「経済循環の発見」は、マルクスの『資本論』(第1巻は一八六七年、第二
    巻と第三巻は、彼の死後、エンゲルスの編集によって、それぞれ一八八五年、 一八九四年に出版
    されました)における「再生産表式」(第二巻) へとつながっていきます。『資本論』(第一
    巻) のメインテーマである「資本主義崩壊の論理」については、のちに取り上げるつもり
    なので、ここでは、マルクスがケネーによる「経済循環の発見」というアイデアをどのよ
    うに発展させていったかに焦点を合わせることにしましょう。
     マルクスは、経済の年々の再生産が同じ規模で繰り返されることを「単純再生産」と呼
    びましたが、彼は、その経済が「生産財」と「消費財」を生産する二つの部門から構成さ
    れるものとして捉え、独自の「再生産表式」を考案しました。ここでは、生産財を生産す
    る部門を第1部門、消費財を生産する部門を第Ⅱ部門と呼びましょう。
     マルクスは、商品の価値Wは、「不変資本」C (「生産手段」、または「原料や補助材料や労
    働手段に転換される資本部分」のことで、「不変」とあるのは、「生産過程でその価値量を変えな
    い」からです) +「可変資本」V (「労働力に転換された資本部分」のことで、「可変」とある
    のは、「生産過程でその価値量を変えるからです) +「剰余価値」M(資本家が労働者からの
    「搾取」によって手に入れたもの)に等しいと考えましたが、生産財部門と消費財部門を区
    別するために、以下のように下付の添字をつけることにしましょう。

     I W1=C1+V1+M1
     II W1=C2+V2+M2

     さて、「単純再生産」が持続されるためには、第1部門である生産財の価値が、両部門
    の生産手段の合計に等しい (言い換えれば、生産手段の置換を超える「純投資」は存在しな
    い)という条件が満たされなければなりません。

     C1+V1+M1=C1+C2 (1)

     あるいは、見方を変えれば、第II部門である消費財の価値が、両部門の可変資本と剰余
    価値の合計(イメージがつかみにくいならば、この段階では、賃金と利潤の合計と考えても許
    されるでしょう)に等しくならなければならないということもできます。

     C2+V2+M2=V1+V2+M1+M2 (2)

     (1)式と(2)式を整理すると、どちらも

     V1+M1=C2   (3)

    となりますが、これが「単純再生産」の条件です。すなわち、第1部門の可変資本と剰余
    価値の合計が第1部門の不変資本に等しくならなければならないのです。これが、ケネー
    の『経済表』の世界を、マルクス独自の「再生産表式」によって描き直したものです。
     もし(3)式が等式ではない場合は、「単純再生産」は成り立ちませんが、具体的にどのよ
    うな場合なのかを、「拡大再生産」を例にとって説明しましょう。「拡大再生産」が実現す
    るには、第1部門で生産された生産財の価値が、C1+C2にすべて吸収されるのではなく
    資本設備を増加させ、生産を拡大する(「純投資」がプラスになる)ために用いられる部分
    が残されなければなりません。

      C1+V1+M1>C1+C2 (4)

     あるいは、見方を変えれば、第Ⅱ部門の消費財の価値は、両部門の可変資本と剰余価値
    の合計(前と同じく、賃金と利潤の合計と考えても、この段階ではよいでしょう)よりも小で
    なければなりません。というのは、可変資本と剰余価値のすべてが消費財に費やされてし
    まったら、資本設備の増加のために使う部分(もちろん、資本設備の増加に使われるのは
    資本家が労働者を「搾取」することによって獲得した剰余価値の一部ですが)がなくなるから
    です。

      C2+V2+M2<V1+V2+M1+M2 (5)

     (4)式と(5)式を整理すると、どちらも

     C2<V1+M2 (6)

    となりますが、これが「拡大再生産」の条件です。すなわち、第Ⅱ部門の不変資本は、
    1部門の可変資本と剰余価値の合計よりも小でなければならないのです。

    マルクスの剰余価値論
     経済学史の講義でマルクス経済学を教えるとき、初心者には退屈な「唯物史観」や「疎
    外された労働」などよりは、第二巻の「再生産表式」から教えてみるのも一つの方法では
    ないでしょうか。そこから、第一巻に立ち戻ると、労働生産力の発展を図るには、剰余価
    値を資本に再転化するという意味での「資本の蓄積」がおこなわれなければならないとい
    う件にぶつかりますが、これが「再生産表式」でいう「拡大再生産」であることはすぐに
    わかります。
     生産手段が私有されている「資本主義」の下では、資本家は「労働力」という商品を購
    入しますが、資本家の目的は、資本としての貨幣を増殖させることにあります。マルクス
    は、これをG-W-G'として簡潔に表現しました(ここで、Gは貨幣、Wは商品、G'=G+
    G△はより多くの貨幣を意味しています。英語の文献では、M-C-M'と表現されることが多い
    でしょう)。
     留意すべきは、商品としての労働力が、他の商品と同じように価値法則に従って交換さ
    れる(すなわち、その価値は、労働力を再生産するのに必要な労働時間によって決定される)と
    いうことです。しかし、労働力をその価値どおりに手に入れた資本家は、その労働を自由
    に処分することができるので、ここに「剰余価値」が生み出される鍵が隠されることにな
    ります。

    根井入門33~9頁

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  12. 参考:
    『わかる現代経済学』根井 雅弘【編著】朝日新書 2007
    『「ケインズ革命」の群像』根井 雅弘【著】中公新書 1991(2000年第4版が電子書籍化)

    両書にあるカレツキ関連の記述が貴重。上の方が初心者向け
    下はKoboなどで電子書籍版がある。kindle版はない


    以下#6「一般理論」同時発見? 奇妙な訪問者(根井『「ケインズ革命」…』中公新書147~8頁)より

    《…カレツキは、ケインズとは対照的に、マーシャルやピグーに代表
    のされる正統派経済学との対決を意識する必要は当初からなかったのである。その証拠に、カレツ
    キは、前に説明した利潤決定に関する命題(P=I+C)を、カール・マルクスの再生産表式を利
    用することによっていとも簡単に導き出した。
     いま、経済体系を投資財を生産する第1部門、資本家の消費財を生産する第2部門、および賃
    金財を生産する第3部門の三つに分割しよう(*p.154)。
     各部門の産出量の価値Vは、利潤Pと賃金Wの和に等しい。すなわち、
    Vi=Pi+Wi  (i=1,2,3)
    第3部門の産出量は、一部はそれを生産した労働者によって消費され、残りは他の部門におけ
    る労働者によって消費されるから、
     P3=W1+W2      (5)
    が成り立つ。
     ここで、第1部門と第2部門の産出量の価値を合計すると、
     V 1 + V2=P 1+ P2+ W 1+ W2   (6)
    となるが、(5)式を(6)式に代入すると、ただちに次の式が得られる。
     V 1+ V2=P 1+ P2 + P3         (7)
     (7)式は、経済全体の利潤が、投資財の産出量の価値と資本家の消費財の産出量の価値の和に等
    しいことを示している。利潤決定に関する命題は、こうして得られるわけである。》


    Shackelton and Gareth
    Twelve Contemporary Economists 1981


    カレツキ「国民所得の経済表」(tableau economique of the national income)
    ("The Marxian equations of reproduction and modern economics"「マルクスの再生産の方程式と近代経済学」1968,1991未邦訳より)

     ___________
    | 1  2  3|  |
    |________|__|
    |P1 P2 P3| P|
    |W1 W2 W3| W|
    |________|__|
    |I  Ck Cw| Y|
    |________|__|


    P1、P2、P3・・・粗利潤
    W1、W2、W3・・・賃金

    (栗田康之『資本主義経済の動態』116頁、参照)



    http://www.deepdyve.com/lp/sage/the-marxian-equations-of-reproduction-and-modern-economics-42VMtJ8FgO

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  13. 以下、『ケインズ『一般理論』形成史』浅野栄一、日本評論社 1987より

    《…1933年末にはケインズが有効需要論を新しい理論体系の中心に据えることを明示的に表明するに至ったことを確認しておこう。
    この章[1933年草稿#2]では,ケインズはさらに,有効需要問題を処理する際の彼の新しい分析視角のひとつを明確化している。それはこうである。
     この年アメリカの経済学者H.L.マクラッケンは,経済学説史に関する著書『価値論と景気循環』を出版したが,たぶんみずからの理論の想源を調べていたケインズはただちにこれを読み,そのなかのマルクス理論の解説部分からヒントを得て,草稿でつぎのように書いていた。「協同体経済と企業家経済の間の区別はカール・マルクスによってなされた意味深長な観察と若干の関係をもっている。」31)それによると,マルクスは,現実世界の生産の性格が,経済学者たちがしばしば想定しているようなC一M-C′(商品一貨幣一他の商品という交換)のケース――これは私的消費者の観点からのものである一一ではなく,M-C一M′(貨幣一商品一より多くの貨幣という交換)のケース――これが事業の態度である――であることを指摘したが,この指摘はケインズの想定する企業家経済を分析する際の重要な視点を提供している,というのである。
     この商品と貨幣との交換過程に関する範式は,もともとマクラッケンが,剰余価値の源泉を流通過程ではなく生産過程に求めていったマルクスの説明を,『資本論』第1巻第2篇第4章「貨幣の資本への転化」の叙述に即しながら解説したものであり,マクラッケン自身はマルクスに忠実にこの範式を使用していたのであるが,ケインズは,この範式に独自の解釈を施し,それにマクラッケンの著書では触れられていなかった『資本論』第2巻の三つの資本循環に関する分析の内容を盛り込んで,つぎのように主張する。それによれば,前者の範式は古典派理論の想定する経済像を表現したものであり,そこでは,「企業家の生産過程開始への意欲は,彼の取り分となると期待されるものの生産物表示での価値量に依存する,すなわち,彼に帰属するより多くの生産物への期待のみが彼にとっての雇用増大への誘因となる」と考えられている。しかし,「企業家経済の下では,これは企業打算の性格についての間違った分析である。企業家の関心は,彼の取り分となる生産物の量ではなく,貨幣の量にある。彼は,産出量を増加させることによってその貨幣利潤を増加させることができると期待するならば,たとえこの利潤が以前よりも少ない生産物量を示すとしても,その産出量を増加させるであろう。」32)

    31)ケインズ全集・J.M.K Vol.XXIX,.,p. 81
    32)ケインズ全集・J.M.K Vol.XXIX,.,p. 82》

    浅野栄一135~6頁

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  14. The Collected Writings of John Maynard Keynes, The General Theory and After: A Supplement, Vol. 29:

    John Maynard Keynes, Elizabeth Johnson, Donald Moggridge: 洋書
    https://www.amazon.co.jp/dp/1107634997/
    The Collected Writings of John Maynard Keynes, The General Theory and After: A Supplement, Vol. 29 (英語)ペーパーバック – 2012/11/8
    John Maynard Keynes (著)

    ケインズの有効需要理論発見におけるマルクスの影響

    『ケインズ「一般理論」形成史』(浅野栄一135~6頁)によると、1933年末には
    ケインズが有効需要論を新しい理論体系の中心に据えることを明示的に表明す
    るに至ったという。
     この全集第29巻に収められた[1933年『一般理論』草稿#2]では、
    ケインズはさらに、有効需要問題を処理する際の彼の新しい分析視角のひとつ
    を明確化している。
     1933年アメリカの経済学者H.L.マクラッケンは、経済学説史に関す
    る著書『価値論と景気循環』を出版したが、たぶんみずからの理論の想源を調
    べていたケインズはただちにこれを読み、そのなかのマルクス理論の解説部分
    からヒントを得て、草稿でつぎのように書いていた。

    《協同体経済と企業家経済の間の区別はカール・マルクスによってなされた意
    味深長な観察と若干の関係をもっている。》

    The distinction between a co-operative economy and an entrepreneur economy bears some relation to a pregnant observation made by Karl Marx,-

    それによると、マルクスは、現実世界の生産の性格が、経済学者たちがしばし
    ば想定しているようなC一M-C′(商品一貨幣一他の商品という交換)のケ
    ース――これは私的消費者の観点からのものである一一ではなく、M-C一M
    ′(貨幣一商品一より多くの貨幣という交換)のケース――これが事業の態度
    である――であることを指摘したが、この指摘はケインズの想定する企業家経
    済を分析する際の重要な視点を提供している、というのである。
     この商品と貨幣との交換過程に関する範式は、もともとマクラッケンが、剰
    余価値の源泉を流通過程ではなく生産過程に求めていったマルクスの説明を、
    『資本論』第1巻第2篇第4章「貨幣の資本への転化」の叙述に即しながら解
    説したものであり、マクラッケン自身はマルクスに忠実にこの範式を使用して
    いたのであるが、ケインズは、この範式に独自の解釈を施し、それにマクラッ
    ケンの著書では触れられていなかった『資本論』第2巻の三つの資本循環に関
    する分析の内容を盛り込んで、つぎのように主張する。それによれば、前者の
    範式は古典派理論の想定する経済像を表現したものであり、そこでは、

    《企業家の生産過程開始への意欲は、彼の取り分となると期待されるものの生
    産物表示での価値量に依存する、すなわち、彼に帰属するより多くの生産物へ
    の期待のみが彼にとっての雇用増大への誘因となる》

     (The classical theory supposes that ) the readiness of the entrepreneur to start up a productive process depends on the amount of value in terms of product which he expects to fall to his share; i.e. that only an expectation of more product for himself will induce him to offer more employment.

    と考えられている。しかし、

    《企業家経済の下では、これは企業打算の性格についての間違った分析である
    。企業家の関心は、彼の取り分となる生産物の量ではなく、貨幣の量にある。
    彼は、産出量を増加させることによってその貨幣利潤を増加させることができ
    ると期待するならば、たとえこの利潤が以前よりも少ない生産物量を示すとし
    ても、その産出量を増加させるであろう。》

    But in an entrepreneur economy this is a wrong analysis of the nature of business calculation. An entrepreneur is interested, not in the amount of product, but in the amount of money which will fall to his share. He will increase his output if by so doing he expects to increase his money profit, even though this profit represents a smaller quantity of product than before.

    The classical theory supposes thaj the readiness of the (参照:ケインズ全集・J.M.K Vol.XXIX,p. 81~2)

    マルクスのケインズへの影響はカレツキと似ている。バーナード・ショーへの
    手紙におけるマルクス批判(邦訳ケインズ全集28巻)などは擬態だったということ
    になる。全集残り約3分の1。邦訳が待たれる。

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  15.  重農主義の思想によれば、農業に従事する階級は「生産階級」、製造業・商業・サービス業に従事する階級は「不生産階級」に分類されますが、それに加えて、主権者を合む「地主階級」が存在します。表1では、中央に地主階級、左に生産階級、右に不生産階級が配されていますが、留意すべきは、地主階級がその収入を生産階級と不生産階級に対してそれぞれ半分を支出すると仮定されていることです(地主階級の生産階級への支出性向λが二分の一だといっても同じです)。
     かつて菱山泉(一九二三~二〇〇七)が数学モデルを使って解き明かしたように、λが二分の一の場合は、年々歳々、同じ規模の再生産が繰り返されるような世界が実現されます。このような世界は、 マルクスが「単純再生産」、シュンペーターが「静態」と呼んだものですが、「農業王国」では、このような国民経済の再生産の客観的な法則が貫通しているのです。繰り返しになりますが、ケネー以前に、このような客観的な法則を見抜き、一つの表のなかに描写した者は誰もいませんでした。シュンペーターは、このような意味での「経済循環の発見」をケネーの最大の業績としてきゎめて高く評価しました。彼は次のように言っています。

    「フィジオクラット(重農主義者)になって始めてこの国民経済の体躯が、生理的および解剖学的に、統一的生活過程ならびに生活条件を持っている一個の有機体として把握され、われわれにその生活過程の最初の分析が残されるようになった。彼ら以前にはこれについて単なる常識視があったに過ぎず、彼らになって始めて社会的な財貨の流動の内面的なるものとその不断の自己更新過程とに対する洞察が成し遂げられたのである。」*

    根井入門経済学の歴史ちくま新書29~30

    J・A・シュンペーター『経済学史』中山伊知郎・東畑精一訳(岩波文庫、一九八〇年)六九ページ。( )内は引用者が補いました。



    https://lh3.googleusercontent.com/-eMdXiakaKN4/Wzyo06z4xqI/AAAAAAABc70/ZfZgCLTd9ow5NRyFTcb4tjlo_EaOW3tyQCHMYCw/s640/blogger-image-748207780.jpg


    農民       地主         生産業
    生産的支出    収入の支出      不生産的支出
              600
             _-_
          _- ̄    ̄-_
       _- ̄          ̄-_
    _- ̄                ̄-_
    300                  300
      ̄-_              _- ̄
         ̄-_        _- ̄
            ̄-_  _- ̄
             _- ̄
          _- ̄    ̄-_
       _- ̄          ̄-_
    _- ̄                ̄-_
    150                  150
      ̄-_              _- ̄
         ̄-_        _- ̄
            ̄-_  _- ̄
             _- ̄
          _- ̄    ̄-_
       _- ̄          ̄-_
    _- ̄                ̄-_
    75                   75


    https://lh3.googleusercontent.com/-NBWe-9UurtA/WzyxjNGNR9I/AAAAAAABc8I/FNDoZO4lkVMxzdjwtToVugWVgUXlDUGdACHMYCw/s640/blogger-image--134848273.jpg


    https://lh3.googleusercontent.com/-Nt-Mov197B4/WzyxfCNxJ8I/AAAAAAABc8A/zc76dnwXOJY5uMPhbF5AU1CUJS-vQBFPwCHMYCw/s640/blogger-image--1393099833.jpg



    https://lh3.googleusercontent.com/-ooc1o-l1ans/WzyxhMF_ToI/AAAAAAABc8E/usIO5zEMkaQG_fZzwRwIIo8jcwbfqqWjgCHMYCw/s640/blogger-image--563504544.jpg

    経済学の歴史講談社より

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  16. Kalecki, Michal, "A Theory of the BusinessCycle." Review of Economic Studies, Vol. 4, No.2, February 1937, pp. 77-97, revised and reprintedin [14], pp. 116-49.
    http://crecimientoeconomico-asiain.weebly.com/uploads/1/2/9/0/1290958/kalecki_1937_-_a_theory_of_the_business_cycle.pdf

    45°線分析を始めたのは1935年ジャンセンと言われるが、1937年カレツキは一般理論の解説論文でもある景気循環論で45°線分析を使っている。1939年以降ジャンセンの英訳、サミュエルソンの啓蒙活動で使われて行くことになる。
    ジャンセンのデンマーク語版(未確認)が1935年(12月?)で英語版が1939年だから、カレツキの45度線使用(1937年2月)はかなり早い。英語圏初だろう。



               45度
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  17. ケネー、マルクスは循環図より会計概念を重視している

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  18. 『ケインズ「一般理論」形成史』(浅野栄一135~6頁)によると、1933年末には
    ケインズが有効需要論を新しい理論体系の中心に据えることを明示的に表明す
    るに至ったという。
     この全集第29巻に収められた[1933年『一般理論』草稿#2]では、
    ケインズはさらに、有効需要問題を処理する際の彼の新しい分析視角のひとつ
    を明確化している。
     1933年アメリカの経済学者H.L.マクラッケンは、経済学説史に関す
    る著書『価値論と景気循環』を出版したが、たぶんみずからの理論の想源を調
    べていたケインズはただちにこれを読み、そのなかのマルクス理論の解説部分
    からヒントを得て、草稿でつぎのように書いていた。

    《協同体経済と企業家経済の間の区別はカール・マルクスによってなされた意
    味深長な観察と若干の関係をもっている。》

    それによると、マルクスは、現実世界の生産の性格が、経済学者たちがしばし
    ば想定しているようなC一M-C′(商品一貨幣一他の商品という交換)のケ
    ース――これは私的消費者の観点からのものである一一ではなく、M-C一M
    ′(貨幣一商品一より多くの貨幣という交換)のケース――これが事業の態度
    である――であることを指摘したが、この指摘はケインズの想定する企業家経
    済を分析する際の重要な視点を提供している、というのである。
     この商品と貨幣との交換過程に関する範式は、もともとマクラッケンが、剰
    余価値の源泉を流通過程ではなく生産過程に求めていったマルクスの説明を、
    『資本論』第1巻第2篇第4章「貨幣の資本への転化」の叙述に即しながら解
    説したものであり、マクラッケン自身はマルクスに忠実にこの範式を使用して
    いたのであるが、ケインズは、この範式に独自の解釈を施し、それにマクラッ
    ケンの著書では触れられていなかった『資本論』第2巻の三つの資本循環に関
    する分析の内容を盛り込んで、つぎのように主張する。それによれば、前者の
    範式は古典派理論の想定する経済像を表現したものであり、そこでは、

    《企業家の生産過程開始への意欲は、彼の取り分となると期待されるものの生
    産物表示での価値量に依存する、すなわち、彼に帰属するより多くの生産物へ
    の期待のみが彼にとっての雇用増大への誘因となる》

    と考えられている。しかし、

    《企業家経済の下では、これは企業打算の性格についての間違った分析である
    。企業家の関心は、彼の取り分となる生産物の量ではなく、貨幣の量にある。
    彼は、産出量を増加させることによってその貨幣利潤を増加させることができ
    ると期待するならば、たとえこの利潤が以前よりも少ない生産物量を示すとし
    ても、その産出量を増加させるであろう。》

    (参照:ケインズ全集・J.M.K Vol.XXIX,p. 81~2)

    マルクスのケインズへの影響はカレツキと似ている。バーナード・ショーへの
    手紙におけるマルクス批判(邦訳ケインズ全集28巻)などは擬態だったということ
    になる。
    邦訳が出れば日本人経済学徒のケインズ観は一変するかも知れない。
    2018年現在、全集の3分の2が邦訳されているが、残り1/3の中でも本巻が最重要であろう。

    邦訳が待たれる。

    追記:
    そもそも一般理論#3にマルクスの名前がある

    《マルサスが格闘した有効需要の大いなるは経済学の文献から姿を消した。古典派理論に最も
    完成した表現を与えたマーシャル、エッジワース、ピグー教授のあらゆる著作をくまなく捜し
    てみても、有効需要については一言の言及さえないことに気づくだろう。わずかに、カール・
    マルクス、シルヴィオ・ゲゼル、ダグラス少佐という地下世界で、表面下、ひっそりと生き延びる
    ことができただけである。》一般理論#3


    全集29の一般理論草稿p81~2にマルクスの名ははっきり刻まれている

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  19. 第7章
    利潤の決定要因
    資に関する過去に形成された資本家の決意によって決定されるのである。
     以上で考察した問題を理解するために,いままで述べたことを若干異なった
    視角から示しておくことは有益である。マルクスの「再生産表式」(schemes of
    reproduction)に従って,経済全体を3つの部門に細分割するものとしよう。第
    I 部門は投資財生産部門であり,第I部門は資本家用消費財生産部門であり,
    第Ⅲ部門は労働者用消費財生産部門である。第Ⅲ部門の資本家は, 自らの部門
    の労働者に賃金に相当する額の消費財を売った後になお,自らの部門の利潤に
    等しい額の余剰消費財を手元に残すであろう。これらの財は第I部門と第II部
    門の労働者に売られるであろうが,労働者は貯蓄をしないから,それは彼らの
    所得に等しいであろう。かくして,総利潤は,第I部門の利潤,第Ⅱ部門の利
    潤およびこれら2つの部門の賃金の合計に等しいであろう。あるいは,総利潤
    はこれら2つの部門の生産物価値に,換言すれば,投資財と資本家用消費財の
    生産物価値に等しいであろう。
     もしすべての部門で利潤と賃金の間の分配が与えられているならば,第I部
    門と第Ⅱ部門の生産が第Ⅲ部門の生産をも決定するであろう。第Ⅲ部門の生産
    水準は,その生産によって得られる利潤が第I部門と第Ⅱ部門の賃金に等しく
    なる点にまで拡張されるであろう。あるいは,別の言い方をすれば,第Ⅲ部門
    の雇用量と生産量は, この部門の生産量から同一部門の労働者が賃金で購入す
    る部分を差し引いた残余が第1部門と第II部門の賃金に等しくなる点まで拡張
    されるであろう。
     上述の議論は,利潤理論における「分配要因」,すなわち(独占度のような)所
    得分配を決定する要因の役割を明らかにする。利潤が資本家の消費と投資によ
    って決定されるものとすれば,「分配要因」によって決定されるのは, (ここで
    は労働者の消費に等しい)労働者の所得である。このようにして,資本家の消
    費と投資は「分配要因」と共同して労働者の消費を決定し,その結果国民産出
    量と雇用を決定する。国民産出量は,「分配要因」に従ってそのうちから切り
    出される利潤が資本家の消費と投資に等しくなる点まで拡張されるであろう1).

    1)
    上述の議論は,
    供給が弾力的であるという第1部で設けられた仮定に基づいている。しかしながら…

    資本主義経済の動態理論81頁日本経済評論社1984年

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  20. マルクス再生産表式にかんしては
    邦訳1958,47頁利潤の決定要因でカレツキ自身が触れている
    この新評論社版は訳注54頁もある

    《 いま考察している問題の理解のために,いくらか異なった視角から,上述
    したところを示してみるのも無意義でないだろう.マルクスの「再生産表式」
    にしたがって,全経済を3部門に分割するものとしよう.第Ⅰ部門は投資財
    を生産し,第Ⅱ部門は資本家用消費財を生産し,第Ⅲ部門は労働者用消費財
    を生産する第Ⅲ部門の資本家は,労働者たちにその賃金相当額の消費財を
    売却してもなお,みずからの利潤に等しい額の消費財の剰余部分を手許にの
    こすだろう.これらの財は,第Ⅰ部門と第Ⅱ部門の労働者に売られるが,か
    れらは貯蓄をしないから,それはかれらの所得に等しいだろう.かくして利
    潤の総額は,第Ⅰ部門の利潤と第Ⅱ部門の利潤と,そしてこれら両部門の賃
    金との総和に等しいであろう·すなわち,利潤の総額は両部門の生産物の価
    値,換言すれば,投資財生産と資本家用消費財生産の価値に等しいだろう. (a)☆
    もし,全部門にわたって利潤と賃金の間の分配がきまっていると,第Ⅰ部
    門の生産と第Ⅱ部門の生産は第Ⅲ部門の生産をも決定するであろう.第Ⅲ部
    門の生産費は, この部門の生産から得られる利潤が第Ⅰ部門と第Ⅱ部門の賃
    金に等しくなる点まで拡張されるであろう.あるいは,別の表現をとれば,
    第Ⅱ部門の雇用量と生産量は, この部門の生産量からこの部門の労働者が
    の賃金で辟入する量を差し引いた残額を,第Ⅰ・第Ⅱ部門の賃金に等置する
    点まで,拡張されるであろう.》
    (47頁)


    《第3章の訳者注
    (a)この関係をマルクス流に不変資本(ただし仮定により減価償却費部分のみ
    からなり,原料費部分は含まない)cと可変資本vと剰余価値mであらわす
    とつぎのようになる.
      第Ⅰ 部門=c1+v1+m1
      第Ⅱ部門=c2+v2+m2
      第Ⅲ部門 =c3+v3+m3
    仮定により労働者の所得総計は労働者用消費財生産に等しいから
       v1+v2+v3=c3+v3+m3     (i)
    したがって,粗利潤の総計(純利潤プラス減価償却費)は第Ⅰ部門と第Ⅱ部門
    の生産物の価値合計に等しくなる.
    なせならば(i)式によって
       v1+v2=c3+m3
    だからである.》
    (54頁)

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  21. 資本論 第1部
    第3章 貨幣または商品流通
    第二節 流通手段  
    a 商品の変態
     商品の交換過程は、矛盾したお互いに排除し合う関係を含んでいることを知った。商品の発達は、
    これらの矛盾を止揚しないで、それが運動しうる形態を作り出している。これがとりもなおさず、
    一般に現実の矛盾が解決される方法である。例えば、ある物体が不断に他の物体に落下しながら、
    同じく不断にこれから飛び去るというのは、一つの矛盾である。楕円は、その中でこの矛盾が解決され、
    また実現されてもいる運動形態の一つである。

    岩波文庫より

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  22. 資本論 第1部
    第3章 貨幣または商品流通
    第二節 流通手段  
    a 商品の変態
     商品の交換過程は、矛盾したお互いに排除し合う関係を含んでいることを知った。商品の発達は、これらの矛盾を
    止揚しないで、それが運動しうる形態を作り出している。これがとりもなおさず、一般に現実の矛盾が解決される方法
    である。例えば、ある物体が不断に他の物体に落下しながら、同じく不断にこれから飛び去るというのは、一つの矛盾
    である。楕円は、その中でこの矛盾が解決され、また実現されてもいる運動形態の一つである。

    岩波文庫より

    >資本論 第1部
    >第3章 貨幣または商品流通
    >第二節 流通手段  
    >a 商品の変態…
    >楕円は、その中でこの矛盾が解決され、また実現されてもいる運動形態の一つである。

    マルクスは資本論第2部19章3,4でもスミス関連の記述(v+mのドグマ批判19:2の直後)で
    楕円の比喩を使う。

    19:3
    《A・スミスは、みずから自説をのちに放棄しながら、しかも、自分のもろもろの矛盾を
    意識していない。だが、これらの矛盾の源は、まさに彼の科学的出発点に求めるべきである。》

    19:4
    《.…商品のこの価値部分[労賃]の本性または大いさを変化させないのは、生産手段が資本価値
    として機能することが、生産手段の価値を変化させないのと同じであり、また、一直線が三角
    形の底辺または楕円形の直径として機能することが、この直線の本性および大いさを変化させ
    ないのと同じである。労働力の価値は、かの生産手段の価値と同じように独立的に規定されている。》


    ただし第3部で楕円の比喩は使わない

    3:48:3
    《とはいえ、古典派経済学の最もすぐれた代弁者たちでさえ、──ブルジョア的立場からは
    そうあらざるをえないのだが、──依然として多かれ少なかれ、彼らによって批判的に分解
    された仮象の世界にとらわれており、したがって、すべてが多かれ少なかれ、もろもろの
    前後撞着、中途半端、および、未解決の矛盾におちいっている。ところが、他面、現実の
    生産当事者たちが、資本──利子、土地──地代、労働──労賃、というこれらの疎外された
    不合理な諸形態においてすっかり気安さを感ずることも、同じように自然である。というのは、
    これこそは、まさに、彼らがその中で運動し、それと日々かかりあわねばならぬ仮象の諸姿容
    だからである。》

    「資本──利子、土地──地代、労働──労賃」と中心が三つの楕円?になったのではなく
    三つの諸矛盾(contradictions)、楕円があると考えられる。楕円の比喩は有効だろう。

    https://qiita.com/momosetkn/items/7cf471e60d7c473858f9

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  23. >>
    >資本論 第1部
    >第3章 貨幣または商品流通
    >第二節 流通手段  
    >a 商品の変態…
    >楕円は、その中でこの矛盾が解決され、また実現されてもいる運動形態の一つである。

    マルクスは資本論第2部19章3,4でもスミス関連の記述(v+mのドグマ批判19:2の直後)で
    楕円の比喩を使う。

    19:3
    《A・スミスは、みずから自説をのちに放棄しながら、しかも、自分のもろもろの矛盾を
    意識していない。だが、これらの矛盾の源は、まさに彼の科学的出発点に求めるべきである。》

    19:4
    《.…商品のこの価値部分[労賃]の本性または大いさを変化させないのは、生産手段が資本価値
    として機能することが、生産手段の価値を変化させないのと同じであり、また、一直線が三角
    形の底辺または楕円形の直径として機能することが、この直線の本性および大いさを変化させ
    ないのと同じである。》

    ただし第3部で楕円の比喩は使わない

    3:48:3
    《…すべてが多かれ少なかれ、もろもろの
    前後撞着、中途半端、および、未解決の矛盾におちいっている。ところが、他面、現実の
    生産当事者たちが、資本──利子、土地──地代、労働──労賃、というこれらの疎外された
    不合理な諸形態においてすっかり気安さを感ずることも、同じように自然である。というのは、
    これこそは、まさに、彼らがその中で運動し、それと日々かかりあわねばならぬ仮象の諸姿容
    だからである。》河出書房新社訳

    「資本──利子、土地──地代、労働──労賃」と中心が三つの楕円?になったのではなく
    三つの諸矛盾(contradictions)、楕円があると考えられる。楕円の比喩は有効だろう。

    https://qiita.com/momosetkn/items/7cf471e60d7c473858f9

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  24. >>
    >楕円は、その中でこの矛盾が解決され、また実現されてもいる運動形態の一つである。

    マルクスは資本論第2部19章3,4でもスミス関連の記述(v+mのドグマ批判19:2の直後)で
    楕円の比喩を使う。

    19:3
    《A・スミスは、みずから自説をのちに放棄しながら、しかも、自分のもろもろの矛盾を
    意識していない。だが、これらの矛盾の源は、まさに彼の科学的出発点に求めるべきである。》

    19:4
    《.…商品のこの価値部分[労賃]の本性または大いさを変化させないのは、生産手段が資本価値
    として機能することが、生産手段の価値を変化させないのと同じであり、また、一直線が三角
    形の底辺または楕円形の直径として機能することが、この直線の本性および大いさを変化させ
    ないのと同じである。》

    ただし第3部で楕円の比喩は使わない

    3:48:3
    《…すべてが多かれ少なかれ、もろもろの
    前後撞着、中途半端、および、未解決の矛盾におちいっている。ところが、他面、現実の
    生産当事者たちが、資本──利子、土地──地代、労働──労賃、というこれらの疎外された
    不合理な諸形態においてすっかり気安さを感ずることも、同じように自然である。というのは、
    これこそは、まさに、彼らがその中で運動し、それと日々かかりあわねばならぬ仮象の諸姿容
    だからである。》河出書房新社訳

    「資本──利子、土地──地代、労働──労賃」と中心が三つの楕円?になったのではなく
    三つの諸矛盾(contradictions)、楕円があると考えられる。楕円の比喩は有効だろう。

    https://qiita.com/momosetkn/items/7cf471e60d7c473858f9

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  25. 疎外は集合力の対義語
    肝心の時、政権奪取した後のヴィジョンがないのは
    集合力の使い方を普段から考えていないから

    返信削除
  26. 大谷禎之介「図解 社会経済学」は名著だが
    以下のようなマルクス自身の図解(マルクス経済表)には及ばないし
    カレツキの有効需要の原理発見のような発展性もない

    むしろ貨幣=商品に立ち戻る必要がある

    これはイデオロギーだというのもイデオロギーに過ぎない


    参考:マルクス直筆経済表(全集第30巻p289〜292参照)
    http://plaza.rakuten.co.jp/img/user/35/78/3663578/12.jpg
    邦訳 http://plaza.rakuten.co.jp/img/user/35/78/3663578/13.gif
    再生産表式と部門1と2が逆

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  27. マルクス経済表直筆は旧岩波文庫資本論10扉にある

    河出書房新社解説には低画質版がある

    高画質は岩波文庫だけ

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  28. 『資本論』の新しい読み方―21世紀のマルクス入門
    ミヒャエル・ハインリッヒ 明石英人 (翻訳), 佐々木隆治 (翻訳)他

    資本論全三巻プラス国家論を一冊306頁(#1-12)にまとめている。特に第二巻は#6一章だけ
    で済ませている。横書きなので表式の説明☆などは読みやすい。


    《...
     部門I cI+vI+mI
     部門 II cII+c II+m II

     部門1の生産物は素材的には生産手段からなっている。単純再生産が可能であるためには、
    この生産物は両部門で用いられる生産手段を補填しなくてはならない。したがって以下のような
    価値比率となる。

     (1)cI+vI+mI=cI+c II

     また、部門IIの生産物は消費手段からなっている。それは両部門の労働者と資本家の使用
    をカバーしなければならない。そのためには、次の式になる。

     (2)c II+v II+m II=vI+v II+mI+m II

     両等式はどちらも以下のようになる(等式の両辺の同じ項を引くことによって)。

     (3)c II=vI+mI

     つまり、部門IIで用いられる不変資本の価値は、部門Iの可変資本の価値と剰余価値に等し
    くなくてはならない。》

    c不変資本、v可変資本、m剰余価値

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  29. 『資本主義経済の動態理論』M・カレツキ 日本経済新聞評論社 1984年
    M.カレツキ (著), 浅田統一郎 間宮 陽介

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  30. マルクス再生産表式にかんしては
    カレツキが邦訳『経済変動の理論』1958,47頁「利潤の決定要因」のなかで触れている
    この新評論社版は訳注の解説(54頁)もある。カレツキはマルクスから有効需要の原理を導き出した

    《 いま考察している問題の理解のために,いくらか異なった視角から,上述
    したところを示してみるのも無意義でないだろう.マルクスの「再生産表式」
    にしたがって,全経済を3部門に分割するものとしよう.第Ⅰ部門は投資財
    を生産し,第Ⅱ部門は資本家用消費財を生産し,第Ⅲ部門は労働者用消費財
    を生産する第Ⅲ部門の資本家は,労働者たちにその賃金相当額の消費財を
    売却してもなお,みずからの利潤に等しい額の消費財の剰余部分を手許にの
    こすだろう.これらの財は,第Ⅰ部門と第Ⅱ部門の労働者に売られるが,か
    れらは貯蓄をしないから,それはかれらの所得に等しいだろう.かくして利
    潤の総額は,第Ⅰ部門の利潤と第Ⅱ部門の利潤と,そしてこれら両部門の賃
    金との総和に等しいであろう·すなわち,利潤の総額は両部門の生産物の価
    値,換言すれば,投資財生産と資本家用消費財生産の価値に等しいだろう. (a)☆
    もし,全部門にわたって利潤と賃金の間の分配がきまっていると,第Ⅰ部
    門の生産と第Ⅱ部門の生産は第Ⅲ部門の生産をも決定するであろう.第Ⅲ部
    門の生産費は, この部門の生産から得られる利潤が第Ⅰ部門と第Ⅱ部門の賃
    金に等しくなる点まで拡張されるであろう.あるいは,別の表現をとれば,
    第Ⅱ部門の雇用量と生産量は, この部門の生産量からこの部門の労働者が
    の賃金で辟入する量を差し引いた残額を,第Ⅰ・第Ⅱ部門の賃金に等置する
    点まで,拡張されるであろう.》
    (47頁)


    《第3章の訳者注
    (a)この関係をマルクス流に不変資本(ただし仮定により減価償却費部分のみ
    からなり,原料費部分は含まない)cと可変資本vと剰余価値mであらわす
    とつぎのようになる.
      第Ⅰ 部門=c1+v1+m1
      第Ⅱ部門=c2+v2+m2
      第Ⅲ部門 =c3+v3+m3
    仮定により労働者の所得総計は労働者用消費財生産に等しいから
       v1+v2+v3=c3+v3+m3     (i)
    したがって,粗利潤の総計(純利潤プラス減価償却費)は第Ⅰ部門と第Ⅱ部門
    の生産物の価値合計に等しくなる.
    なせならば(i)式によって
       v1+v2=c3+m3
    だからである.》
    (54頁)

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