(経済学、マルクス、リンク::::::::::)
サイモン・クズネッツ関連:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/01/blog-post_2.html(本頁)
サイモン・スミス・クズネッツ(Simon Smith Kuznets, 1901年4月30日 - 1985年7月8日)は、1971年にアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞を受賞したアメリカ合衆国の経済学者・統計学者である。1954年アメリカ経済学会会長。
- クズネッツは1930年に刊行された『Secular Movements in Production and Prices(生産と価格の趨勢)』の中で、アメリカ合衆国の経済時系列データに15年から20年の周期的変動があることを示した(現在、クズネッツ循環として知られている)。
- 1941年に刊行された『National Income and Its Composition(国民所得とその構成)』や1971年に刊行された『Economic Growth of Nations: Total Output and Production Struct(諸国民の経済成長:総生産高と産業構造)』など、経済成長に関する一連の著書は、クズネッツの業績を知る上で最も重要な作品である。これらの本の中でクズネッツは、経済成長に伴い所得格差が増加するのに対し、先進国では経済成長に伴い所得格差が減少することを示した。
- コロンビア大学でフリードマンを指導した。
ジュグラー循環
約10年の周期の循環。中期波動とも呼ばれる。フランスの経済学者J・クレメンス・ジュグラーが1860年の著書の中でその存在を主張したため、シュンペーターの景気循環論から「ジュグラー循環」と呼ばれる。企業の設備投資に起因すると見られる。
クズネッツ循環
約20年の周期の循環。アメリカの経済学者サイモン・クズネッツが1930年にその存在を主張したことから、「クズネッツの波」と呼ばれる。約20年という周期は、住宅や商工業施設の建て替えまでの期間に相当することから、建設需要に起因するサイクルと考えられている。子が親になるまでの期間に近いことから人口の変化に起因するとする説もある。なお、クズネッツはシュンペーターの景気循環論に対して批判的だった。
コンドラチェフ循環
約50年の周期の循環。長期波動とも呼ばれる。ロシアの経済学者ニコライ・ドミートリエヴィチ・コンドラチエフによる1925年の研究でその存在が主張されたことから、シュンペーターの景気循環論によって「コンドラチェフの波」と呼ばれ、その要因としてシュンペーターは技術革新を挙げた。第1波の1780 - 1840年代は、紡績機、蒸気機関などの発明による産業革命、第2波の1840 - 1890年代は鉄道建設、1890年代以降の第3波は電気、化学、自動車の発達によると考えた。この循環の要因として、戦争の存在を挙げる説もある。
トマ・ピケティ - Wikipedia
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%B1%クズネッツ曲線批判
ピケティによる分析には、1950年に公刊されたサイモン・クズネッツの先駆的業績を批判する部分も含まれている[13]。クズネッツは経済成長と所得分配の関係について、所得における不平等の拡大は、長期的には逆U字の曲線(クズネッツ曲線)を成すもので、生産性の低い部門(農業)から高い部門(産業)へと労働力が移動することによって、産業革命の開始とともに拡大が進み、やがて縮小していくと考えていた。ピケティは、クズネッツが1950年の時点で観察した傾向は、重要な経済的要因(部門間移動、技術革新の効果)の帰結ではなかったと論じた。実際、相続資産の不平等は減少し、賃金の不平等はさほどでもないが、こうした動向はそれを進めたり逆行させる諸要素によって、特に所得税の創設によって、左右される。結局のところ、不平等の縮小が継続するという保証は何もなく、実際、米国では30年間にわたって不平等が拡大し、近年では1930年代の水準に達している。
◇クズネッツ・カーブへの挑戦
さて、先に触れた標準的・教科書的な経済成長論の端緒を開いたのは米経済学者のサイモン・クズネッツ(1901~85年)である。国民所得計算の生みの親でもあるクズネッツは、米経済学会会長だった55年、先進国と発展途上国の経済成長と所得分布のパターンを分析して、「経済発展の初期には貧富の格差が拡大するが、発展段階が進むと格差が縮小する」と主張する論文を発表した。発展段階の初期においては労働生産性の低い農業所得と高い工業所得が混在するが、発展段階が進むと後者の比率が大きくなり、また後者は技術革新による生産性の上昇を享受するからだ。
この、「発展段階の初期に格差が拡大して、その後格差が縮小する」というクズネッツの主張はクズネッツ・カーブと呼ばれる。ピケティ氏は、このクズネッツ・カーブについて「クズネッツは、1913~48年の米国のデータに基づいて推論を行ったので、こういう主張になったのであり、観測期間をさらに長く取ると私の主張になる。私の手法とクズネッツの手法は本質的に変わらない」と述べている。
第一次大戦前から第二次大戦後という期間を取ると、米国でも西欧(イギリス、フランス、ドイツ)でも貧富の格差が縮小しているのは、前述の二つの指標から明らかだ。クズネッツはこの現象を経済発展がもたらす自然な姿であると捉えたが、ピケティは「この期間に起きた現象が特殊なのであり、19世紀半ばから1910年まで、そして1970年から現在にいたる期間に見られる現象、つまり、富と所得の格差の拡大が資本主義・市場経済における経済発展の自然な姿である」と考える。
格差が縮小した期間に起きたことは、言うまでもなく、二つの世界大戦である。ピケティによれば、戦争が幾つかの回路で貧富の格差を是正した。第一に、戦争による物理的破壊で資本が毀損(きそん)され収益額を引き下げた。第二に、民間資本が国債購入という形で戦費調達に利用されたが、国債は戦後のインフレで毀損された。そして、累進税率を持つ所得税の導入である。
クズネッツ曲線(くずねっつきょくせん、クズネッツ・カーブ)は、アメリカの経済学者サイモン・クズネッツが提唱した曲線。資本主義経済の発展は社会の不平等を広げるが、その差はやがて自然に縮小され不平等が是正されるとする。X軸に経済発展、Y軸に社会の不平等をとり、中心が高くもりあがった逆U字型の曲線となる。
- クズネッツは計量経済学に大きな変革をもたらし、ケインジアンのマクロ経済理論の発展に大きく寄与した。
- クズネッツは1930年に刊行された『Secular Movements in Production and Prices(生産と価格の趨勢)』の中で、アメリカ合衆国の経済時系列データに15年から20年の周期的変動があることを示した(現在、クズネッツ循環として知られている)。
- 1941年に刊行された『National Income and Its Composition(国民所得とその構成)』や1971年に刊行された『Economic Growth of Nations: Total Output and Production Struct(諸国民の経済成長:総生産高と産業構造)』など、経済成長に関する一連の著書は、クズネッツの業績を知る上で最も重要な作品である。これらの本の中でクズネッツは、経済成長に伴い所得格差が増加するのに対し、先進国では経済成長に伴い所得格差が減少することを示した。
- クズネッツはこの他にも、世界各国の国民総生産やその構成要素の統計学的な分析を通じて、長期波動や産業構造の変化法則、平均貯蓄性向の長期的安定性、所得分配の平等度に関する逆U字型変動(逆U字仮説)など、多くの規則性を発見した。
- これらの「経済および社会の成長に関する構造および過程を深く洞察するための経済成長に関する理論を実証的手法を用いて構築した功績」が称えられ、1971年にクズネッツはアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞を受賞した。経済学者のマーク・ブローグは「1971年のクズネッツへのノーベル経済学賞授賞には、統計学データを収集して測定する、経済学のような主題の重要性を強調しようとする意図があった」と述べている。
Economic Growth and Income Inequality 1955
https://www.aeaweb.org/aer/top20/45.1.1-28.pdf- Economic Change: Selected essays in business cycles, national income and economic growth, 1953.
- S. Kuznets, Shares of Upper lncome Groitps inncome and Savings, NBER, New York, 1953.
- 「(所得と貯蓄における高所得グループの比率 )」(ピケティp13),(書評↓)
- Front matter, Shares of Shares of Upper Income Groupshttp://www.nber.org/chapters/c3054.pdf英語版要約
- "Economic Growth and Income Inequality", 1955, AER.
- 「(経済成長と所得格差)」 (同p15)
クズネッツの影響↓Amazon.co.jp: トマ・ピケティの新・資本論: トマ・ピケティ, 村井 章子: 本http://www.amazon.co.jp/dp/4822250725/本書は、数年にわたってリベラシオン紙に連載していた時評をまとめたものである。この小さな本が日本語に翻訳され、日本の読者がいささかなりとも興味と関心を持っていただけるなら、たいへんうれしい。
ここに収めたテクストは、グローバル金融危機直後からその余波が尾を引く状況の中、またユーロ圏が深刻な信頼の危機に襲われ、デフレと景気後退に直面する中で、社会科学の一研究者が公の議論に参画し、政治や経済にまつわる時事問題を読み解こうとする試みを形にしたものである。
おそらく賢明なる読者は、自国の置かれた状況がヨーロッパといくらか似ていると気づかれることだろう。日本もまた巨額の公的債務を抱えているし、個人資産が急激に増えている点でもヨーロッパと共通する。だから本書は、日本の読者にもなにがしか役に立つと信じる。
本書が日本において有意義な議論を喚起するきっかけになれば、著者としてこれにまさる喜びはない。
(トマ・ピケティの日本語版への序文)
サルトルが創刊した左翼系日刊紙リベラシオンにピケティが2004年から2011年まで毎月連載して出版した「ヨーロッパは救えるか?」をベースに、2012年以降、今年6月までの最新コラムを加えて再編集した時論集。先行販売される『21世紀の資本』が700ページの専門書であるのに対し、本書は「子どもの値段」「相続税の余地」「経済における男性優位」「付加価値税を社会保障に充てるのは誤り」「オバマとルーズベルトの比較」など幅広い問題を取り上げており、ピケティ入門書として格好の内容となっている。フランス大統領オランドや経済危機にもまとまらないEU首脳などへの舌鋒鋭い批判が見どころ。その一部を紹介するとーー
●「資本主義は所詮、世襲財産で成り立っている」
●「金融規制緩和の結果、差引金融収支の世界合計はマイナス。これはあり得ない。タックスヘイブンのせいだ」
●「ゲイツと比較すると、ジョブズの財産は6分の1。ゲイツはウィンドウズの上がりで食べている不労所得者」
●「ある水準以上になると、投資リターンにより資産は加速的に増大する。この不平等を食い止めるには、国際的な累進資産税を設けるべきだ」
2013年9月24日のコラム「経済成長はヨーロッパを救えるか?」では、『21世紀の資本』の主要テーマである、資本収益率(r)>経済成長率(g)を取り上げ。「この不等式から、過去に蓄積された桁外れの規模の資産が自動的に富裕層に集中していくことが読み取れる。(中略)アメリカはもちろん、ヨーロッパでも、さらには日本でも。主に人口要因に起因する成長率の低下により、所得に比して資産の重みがかつてなく高まっている」と分析している。ピケティ:各国の税制が辿ってきた長い道のりを振り返ると、ある一つの傾向が浮かび上がる。まず、単純な課税ベース(関税等貿易に対する間接税)から始めるということだ。より複雑で干渉的な税(所得税、法人税など)を導入し、効率的に徴収するためには、国家が行政能力と政治的正統性を確立する必要があり、これは一朝一夕にはいかないものである。企業の利益に対する共通新税を導入しさせすれば国際課税の新たな歴史が始まる、などという幻想を抱いてはいけない。まずは、足下のヨーロッパで法人税の擦り合わせを行わなければならないが、此れでさえ実現は容易ではない。(中略)あまりスマートではないが、より現実的な解決は、おそらく国際貿易への課税である。世界の貿易総額は年10兆ドルを上回っており、0.1%の課税で同じく100億ドルの税収を見込める。しかもこの税なら、すべての国が賛同しなくてもすぐに適用を開始できるというメリットがある。(本書、P.35)
ピケティ:ヨーロッパから見ると、日本の現状は摩訶不思議で理解不能である。政府債務残高がGDPの二倍、つまりGDP二年分にも達するというのに、日本では誰も心配していない様に見えるのは、どうしたことか。どんな事情で、あるいはどんな政治的決断に依って、借金がこれほど莫大になったのか。我々は、日本の政府債務をGDP比や絶対額で毎日の様に目にして驚いているのだが、これらは日本人にとって何の意味ももたないのか、それとも数字が発表されるたびに、みんな大急ぎで目を逸らしてしまうのだろうか。政府債務に就いて考える際に一番いいのは、国民経済計算を参照する事である。ほとんどの国がストック面のデータ(国民貸借対照表)を公表している。すなわち、家計、企業、産出と所得というフロー面だけでなく、政府部門が保有する資産(固定資産及び金融資産)と相互及び対外的な負債である。
ただし、この統計は、完璧ではない。例えば、グローバル・ベースで言うと、正味金融資産は世界全体でマイナスになっている。これは論理的にはあり得ないー地球の資産を火星が所有しているなら、話はべつだが。マイナスになるのはまずもって、確実に、金融資産のかなりの部分がタックス・ヘイブン(租税回避地)にあり、それを所有している非居住者がしかるべく申告していないからである。 経済学者のガブリエル・ズックマンがこのほど発表したように、ユーロ圏の金融資産では、公式統計とは逆に大幅なプラスのはずだという。ヨーロッパの金持ちには財産の一部を隠す理由が大いにあり、EUは、それを防ぐ為にすべきことやできる事を怠っている。だが、統計が不完全だからといってがっかりする必要はない。むしろ国民経済計算を徹底的に調べることによって、改善に貢献できる。経済学においては、最低限の所から始めるという原則を受け入れなければならない。それによってこの学問は興味深いものになるし、大きな進歩も可能になる。
調査や分析を怠れば、必ず最富裕層を利する事になる。それも、築き上げた財産よりも、棚ぼた式に手に入れた財産の持ち主を利することになりやすい。人間は、後者の方を何としても守ろうとするものだからである。
日本の話に戻ろう。政府債務を論じる時にまず注目するべきは、個人資産は常に一国の負債(政府部門+民間部門)を大幅に上回ることだ。日本も、ヨーロッパもアメリカも、家計部門の固定資産と金融資産の合計(負債差し引き後)は、おおむねGDPの500から600%になる。富裕国では、大雑把に言って国民一人当たりの所得が3万ユーロだとすれば、平均的な資産は一人当たり18万ユーロになる。つまり年収6年分である。
次に、日本政府はたしかにGDPの200%を上回る債務を抱えてはいるが、同時にGDPのおよそ100%相当の非金融資産(国有地、公共用資産)と、やはりGDP100%相当の金融資産(国営・公営企業の持ち分、郵便貯金など公的金融機関の資産等)を持っている。従って、資産と負債はほぼ釣り合っている。
ところが日本の政府部門の資産ポジションは、此処数年ややマイナスになっている。これはきわめて異常な事だ。しかも政府は、所有しているものを全て売るということはできないのである。比較の為に、フランスとドイツの政府部門を見てみよう。どちらも、グローバル金融資産危機の後でさえ、大幅にプラスになっている。例えば、フランスの場合、政府債務残高はGDPの100%に達しているが、政府の保有資産(非金融資産+金融資産)は同150%である。
この日本特有の状況は、同国(政府部門+民間部門)の保有する対外純資産が巨額に達していることを考えると、一段と衝撃的である。過去20年の間に、日本は国民所得1年分に相当する対外純資産を積み上げてきた。民間部門が金持ちで政府部門は借金まみれという不均衡は、東日本大震災の前から顕著だった。
この不均衡を解消するためには、民間部門(GDPに占める割合は30%程度)に重く課税する以外にない。
(本書、PP.251-254)さらに、2011年の「ウォール街占拠運動」への影響
ピケティが取り上げた、所得上位層の所得が総所得に占める比率の推移をめぐる研究は、2011年のウォール街を占拠せよ運動に、大きな影響を与えた。この運動の中では、所得最上位層1%の所得が総所得に占める比率の推移など、ピケティたちの研究の成果が広く紹介され、金融界批判の根拠とされた[6]。“編集委員が迫る 仏社会科学高等研究院教授 トマ・ピケティ氏”. 読売新聞(東京朝刊): p. 13. (2012年5月12日)第 II 部 資本/所得比率の動学3~6 第 I 部 所得と資本1~2 はじめに----------------+----------------------第 III 部 格差の構造7~12 第 IV 部 21世紀の資本規制13~16 おわりに21世紀の資本:みすず書房(21せいきのしほん、仏: Le Capital au XXIe siecle 、英: Capital in the Twenty-First Century)は、フランスの経済学者トマ・ピケティ(Thomas Piketty)の著書。2013年に フランス語で公刊され、2014年4月には英語訳版が発売。2014年12月日本語版発売。
目次
謝辞
はじめに 1
データなき論争?
マルサス、ヤング、フランス革命
リカード――希少性の原理
マルクス――無限蓄積の原理
マルクスからクズネッツへ、または終末論からおとぎ話へ
クズネッツ曲線――冷戦さなかのよい報せ
分配の問題を経済分析の核心に戻す
本書で使ったデータの出所
本研究の主要な結果
格差収斂の力、格差拡大の力
格差拡大の根本的な力――r>g
本研究の地理的、歴史的範囲
理論的・概念的な枠組み
本書の概要
第 I 部 所得と資本
■第1章 所得と産出 41
長期的に見た資本-労働の分配――実は不安定
国民所得の考え方
資本って何だろう?
資本と富
資本/所得比率
資本主義の第一基本法則――α=r×β
国民経済計算――進化する社会構築物
生産の世界的な分布
大陸ブロックから地域ブロックへ
世界の格差――月150ユーロから月3000ユーロまで
世界の所得分配は産出の分配よりもっと不平等
収斂に有利なのはどんな力?
■第2章 経済成長──幻想と現実 77
超長期で見た経済成長
累積成長の法則
人口増加の段階
マイナスの人口増加?
平等化要因としての人口増加
経済成長の段階
購買力の10倍増とはどういうことだろう?
経済成長――ライフスタイルの多様化
成長の終わり?
年率1パーセントの経済成長は大規模な社会変革をもたらす
戦後期の世代――大西洋をまたぐ運命の絡み合い
世界成長の二つの釣り鐘曲線
インフレの問題
18、19世紀の通貨大安定
古典文学に見るお金の意味
20世紀における金銭的な目安の喪失
第 II 部 資本/所得比率の動学
■第3章 資本の変化 119
富の性質――文学から現実へ
イギリスとフランスにおける資本の変化
外国資本の盛衰
所得と富――どの程度の規模か
公共財産、民間財産
歴史的観点から見た公共財産
イギリス――民間資本の強化と公的債務
公的債務で得をするのは誰か
リカードの等価定理の浮き沈み
フランス――戦後の資本家なき資本主義
■第4章 古いヨーロッパから新世界へ 147
ドイツ――ライン型資本主義と社会的所有
20世紀の資本が受けた打撃
米国の資本――ヨーロッパより安定
新世界と外国資本
カナダ――長きにわたる王国による所有
新世界と旧世界――奴隷制の重要性
奴隷資本と人的資本
■第5章 長期的に見た資本/所得比率 172
資本主義の第二基本法則――β=s/g
長期的法則
1970年代以降の富裕国における資本の復活
バブル以外のポイント――低成長、高貯蓄
民間貯蓄の構成要素二つ
耐久財と貴重品
可処分所得の年数で見た民間資本
財団などの資本保有者について
富裕国における富の民営化
資産価格の歴史的回復
富裕国の国民資本と純外国資産
21世紀の資本/所得比率はどうなるか?
地価の謎
■第6章 21世紀における資本と労働の分配 207
資本/所得比率から資本と労働の分配へ
フロー――ストックよりさらに推計が困難
純粋な資本収益という概念
歴史的に見た資本収益率
21世紀初期の資本収益率
実体資産と名目資産
資本は何に使われるか
資本の限界生産性という概念
過剰な資本は資本収益率を減らす
コブ=ダグラス型生産関数を超えて――資本と労働の分配率の安定性という問題
21世紀の資本と労働の代替――弾性値が1より大きい
伝統的農業社会――弾性値が1より小さい
人的資本はまぼろし?
資本と労働の分配の中期的変化
再びマルクスと利潤率の低下
「二つのケンブリッジ」を越えて
低成長レジームにおける資本の復権
技術の気まぐれ
第 III 部 格差の構造
■第7章 格差と集中──予備的な見通し 247
ヴォートランのお説教
重要な問題――労働か遺産か?
労働と資本の格差
資本――常に労働よりも分配が不平等
格差と集中の規模感
下流、中流、上流階級
階級闘争、あるいは百分位闘争?
労働の格差――ほどほどの格差?
資本の格差――極端な格差
20世紀の大きなイノベーション――世襲型の中流階級
総所得の格差――二つの世界
総合指標の問題点
公式発表を覆う慎みのベール
「社会構成表」と政治算術に戻る
■第8章 二つの世界 281
単純な事例――20世紀フランスにおける格差の縮小
格差の歴史――混沌とした政治的な歴史
「不労所得生活者社会」から「経営者社会」へ
トップ十分位の各種世界
所得税申告の限界
両大戦間の混沌
一時性のショック
1980年代以降のフランスにおける格差の拡大
もっと複雑な事例――米国における格差の変容
1980年以降の米国の格差の爆発的拡大
格差の拡大が金融危機を引き起こしたのか?
超高額給与の台頭
トップ百分位内の共存
■第9章 労働所得の格差 316
賃金格差――教育と技術の競争か?
理論モデルの限界――制度の役割
賃金体系と最低賃金
米国での格差急増をどう説明するか?
スーパー経営者の台頭――アングロ・サクソン的現象
トップ千分位の世界
ヨーロッパ――1900-1910年には新世界よりも不平等
新興経済国の格差――米国よりも低い?
限界生産性という幻想
スーパー経営者の急上昇――格差拡大への強力な推進力
■第10章 資本所有の格差 350
極度に集中する富――ヨーロッパと米国
フランス――民間財産の観測所
世襲社会の変質
ベル・エポック期のヨーロッパの資本格差
世襲中流階級の出現
米国における富の不平等
富の分岐のメカニズム――歴史におけるrとg
なぜ資本収益率が成長率よりも高いのか?
時間選好の問題
均衡分布は存在するのか?
限嗣相続制と代襲相続制
民法典とフランス革命の幻想
パレートと格差安定という幻想
富の格差が過去の水準に戻っていない理由は?
いくつかの部分的説明――時間、税、成長
21世紀――19世紀よりも不平等?
■第11章 長期的に見た能力と相続 392
長期的な相続フロー
税務フローと経済フロー
三つの力――相続の終焉という幻想
長期的死亡率
人口とともに高齢化する富――μ×m効果
死者の富、生者の富
50代と80代――ベル・エポック期における年齢と富
戦争による富の若返り
21世紀には相続フローはどのように展開するか?
年間相続フローから相続財産ストックへ
再びヴォートランのお説教へ
ラスティニャックのジレンマ
不労所得生活者と経営者の基本計算
古典的世襲社会――バルザックとオースティンの世界
極端な富の格差は貧困社会における文明の条件なのか?
富裕社会における極端な能力主義
プチ不労所得生活者の社会
民主主義の敵、不労所得生活者
相続財産の復活――ヨーロッパだけの現象か、グローバルな現象か?
■第12章 21世紀における世界的な富の格差 446
資本収益率の格差
世界金持ちランキングの推移
億万長者ランキングから「世界資産報告」へ
資産ランキングに見る相続人たちと起業家たち
富の道徳的階層
大学基金の純粋な収益
インフレが資本収益の格差にもたらす影響とは
ソヴリン・ウェルス・ファンドの収益――資本と政治
ソヴリン・ウェルス・ファンドは世界を所有するか
中国は世界を所有するのか
国際的格差拡大、オリガルヒ的格差拡大
富裕国は本当は貧しいのか
第 IV 部 21世紀の資本規制
■第13章 21世紀の社会国家 489
2008年金融危機と国家の復活
20世紀における社会国家の成長
社会国家の形
現代の所得再分配――権利の論理
社会国家を解体するよりは現代化する
教育制度は社会的モビリティを促進するだろうか?
引退の将来――ペイゴーと低成長
貧困国と新興国における社会国家
■第14章 累進所得税再考 514
累進課税の問題
累進課税――限定的だが本質的な役割
20世紀における累進税制――とらえどころのない混沌の産物
フランス第三共和国における累進課税
過剰な所得に対する収奪的な課税――米国の発明
重役給与の爆発――課税の役割
最高限界税率の問題再考
■第15章 世界的な資本税 539
世界的な資本税――便利な空想
民主的、金融的な透明性
簡単な解決策――銀行情報の自動送信
資本税の狙いとは?
貢献の論理、インセンティブの論理
ヨーロッパ富裕税の設計図
歴史的に見た資本課税
別の形態の規制――保護主義と資本統制
中国での資本規制の謎
石油レントの再分配
移民による再分配
■第16章 公的債務の問題 567
公的債務削減――資本課税、インフレ、緊縮財政
インフレは富を再分配するか?
中央銀行は何をするのか?
お金の創造と国民資本
キプロス危機――資本税と銀行規制が力をあわせるとき
ユーロ――21世紀の国家なき通貨?
欧州統合の問題
21世紀における政府と資本蓄積
法律と政治
気候変動と公的資本
経済的透明性と資本の民主的なコントロール
■おわりに 601
資本主義の中心的な矛盾――r>g
政治歴史経済学に向けて
最も恵まれない人々の利益
索引、原注、図表一覧
////////////umedam @umedamピケティ第5章を読んでいるのだが,微妙な誤訳を発見(たぶん英語版のせい)。p190第3段落「道徳的人物の所有財産」はうまく意味が通らない。英語版ではp182のmoral persons. これはおそらく仏語persona moralの直訳で,仏語では法人のことをさすようだ。personne morale = Corporation/////////r = the rate of return on capital(資本収益率) la rentabilité du capital (r)g = the growth rate of economy(経済成長率)la croissance économique (g),(27~8頁)/////////フランス紀行―1787,1788&1789 (叢書・ウニベルシタス): アーサー・ヤング(Arthur Young), 宮崎 洋: 本 2012/09内容紹介
大革命下のフランス全土をくまなく歩き、自然景観、街や村の暮らしと風俗、政治情勢などをつぶさに記録したイギリスの農学者A・ヤング。その『フランス紀行』は第一級の旅行記として有名だが、本書は第1回と第3回のフランス視察の際に立ち寄った、スペインとイタリアに関する記録。ヤングならではの観察眼から、農業だけでなく、絵画芸術、名所、建築などの様子も描かれる。
内容(「BOOK」データベースより)
18世紀、イギリスの著名な農学者アーサー・ヤングは、農業視察を目的としてヨーロッパ大陸を3回訪れた。その鋭い観察眼がとらえた、スペイン・イタリアの自然景観、絵画芸術、建築物とはどのようなものだったか。(ピケティ4~5頁参照)////////////田舎から社会的栄達を夢見てパリに上ってきた貧しい青年貴族ウージェーヌ・ラスティニャックに近づき、ヴォートランはいう。「金と快楽」の情念が沸騰している大都市パリで成り上がり、上流の暮らしをするには先立つものが要る。どうやって金を手に入れるか? 法学部で学業を続けて法曹になり、妥協や譲歩を繰り返しながら地味に階段を上り続けるか、それとも、巨額遺産相続の見込みのある若い娘を欺いて、金目当ての結婚をするか。
三十になってもまだ法服を脱ぎすてていなかったら、年俸千二百フランの判事ってところかな。四十に手がとどくところになれば、製粉業者の娘あたりと結婚できるだろう。しかも年収六千フランの持参金つきでね。ありがたいことさね。後盾があれば、三十にして年俸三千フランの初審裁判所検事だ。そして町長の娘と結婚できるのさ。(……)政治上の卑劣行為をやってのけるなら、四十歳で検事長になり、そうしてあとあと代議士くらいにはなれえるだろう。(……)ご参考までに申しあげると、フランスに検事長はは二十人しかいないのに、検事長になりたがっている男は二万人もいる。この二万人のなかには一階級昇るためなら、家族のものだって売りかねない手合いだっているんだぜ。さてこの商売がきにくわないとなりゃあ、ひとつほかの商売を考えてみようか。ラスティニャック男爵どのは、弁護士になる気がおありかな? けっこうなご商売でさあね。十年間はまず粒々辛苦を重ねなければならんな。毎月千フランも金を使い、図書室やら事務室を設け、社交界に顔をだし、事件をよこしてもらうために代訴人の法服に接吻し、裁判所の床を舌で舐めまくるくらいのことはしなきゃならんぜ。もしこの商売で君が成功するものなら、わしはなにも言わん。しかし五十歳にして年収五万フランを超える弁護士が、いったいパリに五人でもいるのかね。
(5) バルザック、オノレ・ド『ゴリオ爺さん』上巻、高山鉄男訳、岩波文庫、二〇一頁〜二〇二頁。因みにピケティによれば、バルザックが作中人物ヴォートランに語らせたこれらの報酬額は、一九世紀前半のパリの相場に正確に一致しているという(PIKETTY, Thomas, op. cit., p. 380.)。邦訳ピケティ249~250頁(別訳)。《…三十にして年俸三千フランの初審裁判所検事だ。そして町長の娘をお嫁にもらえる。またもしも君が何かの政治的陋劣を、たとえば投要用紙のマニュエルをヴィレールと読みかえたりするようなことを、(もっとも韻は合うから、良心の苛責はないだろうが)やらかしさえすれば、四十にして君は検事長、そして末は代議士ぐらいにはなれるだろう。いいかい、君。良心にやましい思いをし、二十年も人知れぬ苦労と倦怠を重ね、妹たちには嫁入りの口もなく、二十五の年を越させねばならないんだぜ。そのうえだよ、ご注意までに申し上げるが、フランスはぜんぶで二十人の検事長しかないのに、その官職をねらっているのが、なんと二万人もいて、なかには一階級昇進するためなら、家族まで売ろうっていう不心得者までもあるんだ。そんな職業は願い下げだというんなら、ちとべつの方面を見てみようかね。ラスティニャック男爵には弁護士になるお望みはおありかな? こいつはいい。十年の間、ひどい目にあわされ、月々千フランも持出しで、図書室や事務室まで設けねばならんし、社交界に出入りして、事件をまわしてもらうためには、代訴人の法服には接吻し、舌で裁判所を舐め清めるまでのことをしなくちゃならん。こんな商売ででもうまく成功するんなら、べつに文句は言わんさ。けれど五十になって年々五万フラン以上稼げる弁護士が、パリに五人でもいたら、一つ教えてもらいたいね。冗談じゃない、そんなことで魂をすり減らすくらいなら、いっそ海賊にでもなったほうが気がきいてるよ。》(小西茂也訳)
rとg現代思想ピケティ堀茂樹論考よりあーるだいなりじい r>g日経新聞 経済学「ピケティ理論と日本、議論に熱」ーー「資本収益率r」>「経済成長率g」=格差拡大ーー - 息子たちに読んで欲しい日経記事
◆ピケティ氏による資本主義の基本法則
『第1法則』
資本分配率=資本収益率(r)×資本ストック÷国内総生産(GDP)
・・・資本分配率はGDPのうち資本に回る分
『第2法則』
資本ストック÷GDP=貯蓄率÷経済成長率(g)
・・・gが下がり、貯蓄率÷gが上昇すると資本ストック÷GDP(1単位の生産に必要な資本ストック)も上昇。
rが一定といった条件下では、第1法則に基づき資本分配率が上昇し、労働分配率は下落
(注)ピケティ氏は実証分析などに基づき、格差拡大を説明できる関係式として基本法則を示した
α=r×β (56頁,1章)β=s/g (173頁,5章)
資本/所得比率β、所得の中の資本シェアα、資本収益率r貯蓄率s、成長率g(例:所得の中の資本シェアα=30%,資本収益率r=5%,資本/所得率β=600%、57頁より)(例:「ある国が所得の12%を毎年貯金しており、当初の資本ストックが所得6年分とすると、資本ストックの成長率は年間2パーセントだ。つまり国民所得とまったく同じ比率であり、資本/所得率は安定状態を保つ。」178頁より)////////////
バルザック以外にも文学、映画への言及が多く、別途メモしておいた。
(小説)ナジーブ・マフフーズ『(作品名なし)』116頁
(小説)パムク『雪』116頁
タランティーノ『ジャンゴ』171頁
『風と共に去りぬ』251
キャメロン『タイタニック』304
(アニメ)『おしゃれキャット』380~1
(小説)オースティン『分別と多感』428
ワイラー『女相続人』430
ウェルズ『偉大なるアンバーソン家の人々』430
(テレビ)『ダメージ』他435
賛辞は飽きたので以下批判的なことを箇条書き的に述べると、
統計について:
本書はあくまでも経済学ではなく統計学の勝利だ(NHK白熱教室で使用したような図を
カラーにした改訂版が必要だろう)。歴史学でもない。繰り返すが、決して経済
学ではない。これでは経済学者を説得できない(『成長の限界』よりはいいが)。
例えば彼のビル・ゲイツ批判(462頁)を読めばピケティは資本の源泉について何も
わかっていないことがわかる。
ゲイツが無数のエンジニアから搾取しているとピケティが書く時、集合力こそが
資本の源泉だということが忘れられている(労働価値説を取らないのは仕方ない)。
また、クズネッツの統計にあった農工の区別は捨象すべきではない。そんなことを
すれば能動的に今後何もできなくなる。農工のどちらに力を入れるべきか、その
バランスをどうするかが第三世界、国内格差を見る時の鍵だからだ。(財務省だ
けで世界国家が運営できるはずがないのだ。)
人口が減少することで所得より資本がクローズアップされるとピケティは指摘する
が、本書もそうしたトレンドの一環にあるに過ぎない(242頁参照。これらは彼が軽視した資本主義の周期性に過ぎないかもしれないが〜資本主義が周期的なのは否定できないだろう〜)。
今後、統計学者同士の「労働組合」が本書を拡大し続けるだろうが、世界政府を
前提(したがって官僚を前提)とするような解決策案はジジェクが言うように楽観的
すぎる。新たなスーパー官僚を生み出すだけだろう。
統計の読み方について根本的な異論を述べるなら、成長率上昇の鈍化及び鋭角化を
周期的に捉えるのがやはり自然だと思う。
また、財産、資産の貨幣換算は今だに疑わしい(『現代思想』増刊号の伊藤誠の
批判は正しい。ピケティ書の180頁に関連図があるが、バブルピーク時、日本全体
の地価の合計は、アメリカ全体の地価の合計の4倍となったことなどは記憶に新しい。)
特に自然環境資本(環境クズネッツ曲線仮説なるものがある)の貨幣価値に関しては今後
検討の余地がある(イングランドなどは自国に森がなく特殊)。
前述したようにクズネッツは農業から工業への移行を統計上重視していたのに、
ピケティはこの課題を捨象するのが早すぎた。だからr>gのテーゼに意味がなくなっ
た。本書の100近い図表はもっと多角的に提示し得る。
マルクスについて:
この本によって今後歴史的にマルクスの亡霊から知識人は自由になるだろうし、
その意味で画期的だが、、、、
マルクスは資産の1/10ほどが交換過程に入ると書いたが、そうしたマルクスの試
行錯誤もピケティは知らない(ギッフェン、コルクホーンの統計をマルクスが利用
しなかったことが批判される(61,238,注38頁))。
サルトルがマルクス主義を批判したことも知らずにサルトルが創刊した雑誌に書
き、サルトルを批判するのは滑稽だ。
利子率の設定を論じる人には資本収益率r>自然成長率gはお馴染みだし、何も新し
くはない。
彼はそもそも貧富の差を論じても労働者の労働環境に興味はない。資本主義の第1,2
基本法則も労働環境とは関係ない(ちなみにマルクスの「資本の有機的構成」c/vに
おける不変資本cと可変資本vを、それぞれ資本と所得に見立てれば、ピケティの
第一基本法則(56頁)における資本/所得比率βがフラクタルに出来上がる。固定資本と
流動資本にも対応させ得るが、それだと労働の観点が消える)。
対案について:
本書冒頭でマルサスが批判的に言及されるが、やっていることはマルサスと同じで
結論が違うだけだ。
世界恐慌と世界大戦の影響を不純だと考える時点で楽観的な純粋主義だ。
また、レトリカルに金融政策を軽視するのも誤解の元だ(例えばゲゼルの減価マネー
は一見金融政策ではあるが資本全体に関わるものだからだ)。同じように教育の軽視も
間違いだ。教育がなければ統計も集められないからだ。
ピケティはまるで、偏差値がわからないと勉強できないと言っている受験生のようだ。
これは本書からは離れた議論になるが、ガンジーが実践したように、分配は生産の
現場でなされなければならないという原則がやはり見直されるべきだろう(累進課
税で得た税収はそうした組合支援へ回すべきだということでもある~労働者はその
ことを恥ずべきではない〜)。
本書を基礎に(共同研究のベースに本書はなり得る)将来の世界政府、世界連合が建設され
るべきだとさえ思うが(タックスへイヴンをはじめとする情報公開が鍵だ)、他にもやるべ
きことが、出来ることがある。
/////////
ジェームズ・ハミルトン「ピケティへの批判」 — 経済学101
http://econ101.jp/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%9F%E3%
ピケティ本の168ページにおいて、読者は「資本主義の第二基本法則」を紹介される。それによれば資本/所得比率をβ、貯蓄率をs、経済の全体成長率をgとした場合、β = s/gとなるという。この「法則」の興味深い帰結としては、経済が成長していない場合(g = 0)にはβは無限大とならなければならないという主張であることを頭に入れておこう。
こうした結論に達するために、ピケティは(174ページで)貯蓄率 s を純投資と純所得の比率と定義しており、ここでいう「純(net)」は減価償却控除後という意味でのの”純”だ。こうした定義の下で、なぜ彼の「第二基本法則」は成長の無い状況で無限の資本/所得比率を必要とするのかを見るために、ロバート・ソローがピケティ本への好意的な処方の中で示した数字の例を以下のように少々いじったものを考えてみよう。GDP=100ドル、減価償却率10%、純貯蓄率10%、資本ストックは100ドルという経済を考える。年間減価償却は10ドルで、これを100ドルのGDPから差し引くと純所得は90ドルとなる。経済はこの純所得の10%(あるいは9ドル)を貯蓄するとされており、総投資は19ドル、つまりGDPの19%となる。粗投資が減価償却を上回るため、他に生産性や人口の成長の源がない場合においても資本ストックは成長する。したがって100ドルの資本ストックは、この経済の定常状態と整合的になるためには低すぎるということだ。
これと同じ初期条件(100ドルのGDP、10%の貯蓄率と減価償却率)に、今回は500ドルの資本ストックを仮定してみよう。年間減価償却は50ドルとなり、純所得は残りの50ドル、ここから経済は再び10%、5ドルを貯蓄し、粗投資は55ドルでGDPの55%となる。しかし資本ストックに5ドルの純減価償却を加えたため、この初期条件の場合において資本ストックは依然として成長する。したがって500ドルはこの経済の資本ストックの数字としてはまだ低すぎるのだ。
GDP100ドルで10%の貯蓄率と減価償却率の経済にとって、定常状態の資本ストックは結局のところ1000ドルだ。この水準において減価償却は100ドルで、純所得がゼロとなるために誰もこれ以上の純投資を行えない。GDPの100%が粗投資へと向かうが、これは減価償却をちょうど賄うだけであるために資本ストックは1000ドル以上には上昇しない。残念なことに、資本家やそれ以外の誰にとっても100ドルのGDPから消費できるものは何も残っておらず、全員が飢えることになる。純所得を完全にゼロまで引き下げてしまったために、資本ストックと純所得の比率は無限大だ。
これこそ、ピケティの法則が定常状態における資本ストックの純所得に対する比率は無限大になると予測するメカニズムだ。成長率g=0であるとき、ピケティの言うところの資本家は純所得がゼロでとなり、今や無であるものの10%を律儀にもいまだ退蔵するところに至るまで、自らを極限状態に保つのだ2 。
これらの数字を考えることで、所得や資本ストックの水準に関わらず一定の純貯蓄率を仮定することは、現実世界の現実の人々がするだろう決定をうまく特徴づけたものとはならないということが理解できるはずだ。
より妥当で標準的な仮定(とは言っても貯蓄決定をある種の合理的計算の産物であると考えることによって、依然として容易に改良可能なもの)は、総貯蓄率 s* が一定であるというものだ。この代替的な仕様の下で定常状態を適切に表現すると β = s*/(g + d) となり、ここで d は減価償却率だ。例えば、 g = 0の時にGDPが100ドルでs* と d の両方が10%である場合、 経済は100ドルの資本ストックで定常状態となる。減価償却は年間10%で、粗投資は毎年の減価償却をちょうど賄い、経済は成長せず、どの変数も時とともに変化する理由は何もない。しかし嬉しいことに、人々には毎年持続的に90ドルが消費できるものとして残される。これはいささか退屈ではあるが、成長のない経済はどのようなものでありうるかということについてずっと妥当な考えである。
しかし財産蓄積の力学にとっての減価償却が意味するところをうまく特徴づけたものは、ピケティ本のように多くのコメンテーターの注意を引くことはなかっただろう。
- 訳注;ラインハート=ロゴフによるスプレッドシートの誤りを発見した論文の著者。 [↩]
- 訳注;毎年の減価償却=GDPとなるところまで資本ストックを積みまし、その過程で純所得は減っていき最終的にはゼロとなる。 [↩]
/////////
ピケティ本『21世紀の資本』は、この図11枚で理解できる | 高橋洋一「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社]
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41619?page=5
<所得税の最高限界相続税率(最高の相続財産に適用されるもの)は、米国では1980年に70%だったのが、1988 年には35 %まで下がった。>
クズネッツよりマディソンの方が重要かも知れない。
アンガス・マディソン、あるいは過去を予測した男 30頁他参照
Amazon.co.jp: 経済統計で見る世界経済2000年史: アンガス・マディソン, 金森 久雄, 政治経済研究所: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4760126201
形式: 大型本
(以下、『現代思想』増刊号の伊藤誠論考より)
《…ピケティは、さきにみたように市場で取引できる各種資産をすべて
国民資本とみなし、それらの価値はそれらの取引価格によるものとみな
している。そしてその平均収益率は、古代以来四~五パーセン
卜であったとしている。その根拠や決定原理も明確でない。それはマ
ルクスからみれば、土地、建物などの不動産も、産業企業の資本も、金
融債権も、すべて市場でその収益が利子率で資本還元されて、一様に資
本として観念される物神化された資本観に依拠する分析といえるのでは
なかろうか。
そのような物神化された資本が社会の富ないし資産のすぺてとみなさ
れ、所得の帰属にも決定的意味を有するようになるのは、近代以降の資
本主義が、労働力の商品化を基礎として、経済生活の全体を市場経済化
して組織するなかで生じてきた特殊な歷史性を有する事象である。その
ような資本主義社会では、資本主義企業が賃金労働者の雇用関係をつう
じ、剰余労働を剩余価値として取得する社会関係が経済生活の中軸とな
り、そこから利潤、地代、利子などが体系的に獲得される体系的関連が
形成される。マルクスの「資本」の理論的分析には、こうした資本主義
社会の構造の歷史的特性が、人類史的視野において解明される内容があ
った。それにさきだつ諸社会では、支配階級の基礎としていた資産とし
ての土地も資本として扱われていたわけではなかった。
その意味では、ピケティの「資本」の取扱いは、資本主義市場経済の
内部に形成される物神的資本観を自然視する新古典派経済学の理論の通
弊をまぬがれていない。同じように歴史に関心をよせているようにみえ
ながら、ピケティには、マルクス学派からみれば、資本主義のもとでの
物神化された資本観の歴史性と意義を批判的に洞察しえない限界があ
る。》
バーンスタイン「豊かさの誕生」のネタ本であり、J.サックス「貧困の終焉」でもデータベースとして活用されていたことにインスパイアされて手にとりました。分厚さと表の多さに一瞬圧倒されますが、世界各地域の経済史を叙述した本文そのものは適量かつ読み易く、比較的速やかに読み終わったと思います。
本書のお勧めどころは、やはり「何となく」の思い込みを正確なデータでもって正している点でしょう。特に、従来1500年頃とされてきた西欧の経済成長カーブの急上昇についてこれを否定し、1000年頃から19世紀に至るまでほぼ同じ調子で緩やかな(黒死病や宗教戦争の影響も長期的には吸収できる程度の)成長を続けており成長率の分水嶺は1820年と推定できること、中国やインドの1人当たりのGDPが1800年頃西欧を上回っていたとするのは植民地化による搾取を強調したい論者による改竄であり、事実は1400年頃西欧が中国を凌駕していたと考えられること(日本による逆転は江戸時代中期と推定)などは、本書独自の主張と言え、新鮮です。日本に関しても特に江戸時代以降かなり頁を割いており、内容の正確さは日本発信の文献を相当渉猟したことを伺わしめます。ただ、'90年代以降の長期デフレ不況の原因をバブル崩壊に帰している点については思わず「それはちゃうちゃう」と半畳入れていまいました。
本書のお勧めどころは、やはり「何となく」の思い込みを正確なデータでもって正している点でしょう。特に、従来1500年頃とされてきた西欧の経済成長カーブの急上昇についてこれを否定し、1000年頃から19世紀に至るまでほぼ同じ調子で緩やかな(黒死病や宗教戦争の影響も長期的には吸収できる程度の)成長を続けており成長率の分水嶺は1820年と推定できること、中国やインドの1人当たりのGDPが1800年頃西欧を上回っていたとするのは植民地化による搾取を強調したい論者による改竄であり、事実は1400年頃西欧が中国を凌駕していたと考えられること(日本による逆転は江戸時代中期と推定)などは、本書独自の主張と言え、新鮮です。日本に関しても特に江戸時代以降かなり頁を割いており、内容の正確さは日本発信の文献を相当渉猟したことを伺わしめます。ただ、'90年代以降の長期デフレ不況の原因をバブル崩壊に帰している点については思わず「それはちゃうちゃう」と半畳入れていまいました。
Amazon.co.jp: The World Economy: A Millennial Perspective/ Historical Statistics (Development Centre Studies): Angus Maddison: 本
http://www.amazon.co.jp/The-World-Economy-Perspective-Development/dp/9264022619《…ピケティは、さきにみたように市場で取引できる各種資産をすべて
国民資本とみなし、それらの価値はそれらの取引価格によるものとみな
している。そしてその平均収益率は、古代以来四~五パーセン
卜であったとしている。その根拠や決定原理も明確でない。それはマ
ルクスからみれば、土地、建物などの不動産も、産業企業の資本も、金
融債権も、すべて市場でその収益が利子率で資本還元されて、一様に資
本として観念される物神化された資本観に依拠する分析といえるのでは
なかろうか。
そのような物神化された資本が社会の富ないし資産のすぺてとみなさ
れ、所得の帰属にも決定的意味を有するようになるのは、近代以降の資
本主義が、労働力の商品化を基礎として、経済生活の全体を市場経済化
して組織するなかで生じてきた特殊な歷史性を有する事象である。その
ような資本主義社会では、資本主義企業が賃金労働者の雇用関係をつう
じ、剰余労働を剩余価値として取得する社会関係が経済生活の中軸とな
り、そこから利潤、地代、利子などが体系的に獲得される体系的関連が
形成される。マルクスの「資本」の理論的分析には、こうした資本主義
社会の構造の歷史的特性が、人類史的視野において解明される内容があ
った。それにさきだつ諸社会では、支配階級の基礎としていた資産とし
ての土地も資本として扱われていたわけではなかった。
その意味では、ピケティの「資本」の取扱いは、資本主義市場経済の
内部に形成される物神的資本観を自然視する新古典派経済学の理論の通
弊をまぬがれていない。同じように歴史に関心をよせているようにみえ
ながら、ピケティには、マルクス学派からみれば、資本主義のもとでの
物神化された資本観の歴史性と意義を批判的に洞察しえない限界があ
る。》
Slavoj Žižek (2014) "Piketty is a Utopian!"
同ジジェク論考より 3:30~
《…私の主張はこうです。ピケティの提唱する措置が効果的に確立
された世界組織を想像してください。すでに問題は解決されています。
あなたはすでに全面的な政治的再組織化を手にしています。あなたは資
本を効果的に統制できる地球規模の力を手にしているのですから、私た
ちはすでに勝利しているわけです。
ですから私はその意味で、彼は虚偽を行っていると思います。真の問
題は、一見したところ慎ましやかな彼の措置が実現されるための諸条件
をつくりだすことです。ですから、くり返します、私は彼に反対してい
るのではありません。すばらしい案です。彼らに八〇パーセント課税し
ようではありませんか。あなたがこれを実行したら、すぐお気づきにな
るでしょう。この措置はさらに多くの変化をもたらすことを要請するだ
ろうと。これが私の主張です。ーつの措置を取るだけで、その他のこと
は何も変えなくてよいと想像するだけなら、これは文字通りの空想であ
って、へーゲルが抽象的思考という言葉で意味していたものです。もち
ろん今日の資本主義をそのあらゆる力動とともに捉えたのは偉業です。
〔ですが、〕たんに再配分の水準でのみ、あなたがそれを変えるという
のなら、それは空想主義でしょう。あなたにそれはできません。なぜな
ら再配分における変化ーつを取ってみても、この変化は生産様式に、資
本主義経済そのものに作用をおよぼすでしょうから。…》
1頁
フランス人権宣言(人および市民の諸権利の宣言) 1789年
http://www.emachi-nabari.jp/jinken/siryou/sengen/hp449/
第1条(自由・権利の平等)
人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。社会的差別は、共同の利益に基づくものでなければ、設けられない。
人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。社会的差別は、共同の利益に基づくものでなければ、設けられない。
参考:
'Capital in the Twenty-First Century' by Thomas Piketty, reviewed | The New Republic
http://honyaku.yahoofs.jp/url_result?ctw_=sT,een_ja,b
T,uaHR0cDovL3d3dy5uZXdyZXB1YmxpYy5jb20vYXJ0aWNsZS8xMTc0MjkvY2FwaXRhbC10d2
VudHktZmlyc3QtY2VudHVyeS10aG9tYXMtcGlrZXR0eS1yZXZpZXdlZA==,qfor=0
T,uaHR0cDovL3d3dy5uZXdyZXB1YmxpYy5jb20vYXJ0aWNsZS8xMTc0MjkvY2FwaXRhbC10d2
VudHktZmlyc3QtY2VudHVyeS10aG9tYXMtcGlrZXR0eS1yZXZpZXdlZA==,qfor=0
クズネッツは農業から工業への移行を統計上重視していたのに
ピケティはこの課題を捨象するのが早すぎた
だからr>gのテーゼに意味がなくなった
ピケティは農業からの離脱がrを高めたと考えているらしいが(邦訳『21世紀の資本』124~5頁)、
クズネッツは先進国は自国農業のrを高めたがゆえに先進国なのだと考えている(邦訳『戦後の
経済成長』8~9頁)。
Yes, r > g. So what? By N. Gregory Mankiw Harvard University November 24, 2014
Microsoft Word - Piketty Essay
https://www.aeaweb.org/aea/2015conference/program/retrieve.php?pdfid=520
以下が参考文献、 Phelps, Edmund S. 1961. "The Golden Rule of Capital Accumulation". American Economic Review 51: 638–643. Straub, Ludwig, and Iván Werning. 2014.
592頁参照
The Golden Rule of Accumulation: A Fable for Growthmen
http://www.columbia.edu/~esp2/Golden%20Rule%20Essay.pdf
フェルプス原文「資本蓄積の黄金則(黄金律)」r=g (ピケティ592頁)
Golden Rule Growth
http://cruel.org/econthought/essays/growth/optimal/goldengr.html
Amazon.co.jp: Golden Rules of Economic Growth: Studies of Efficient and Optimal Investment: Edmund S. Phelps: 洋書
http://www.amazon.co.jp/dp/0393330567/
なか見!検索あり
/////////
文藝春秋SPECIAL 2014年秋号 [雑誌] eBook: 文藝春秋: Kindleストア
http://www.amazon.co.jp/dp/B00N0J2ACE
エマニュエル・トッドによるピケティ賛辞はここで邦訳が読める。
▼緊急寄稿 世界的な歴史人口学者が絶賛 ピケティ 鮮やかな「歴史家」の誕生(エマニュエル・トッド)《ピケティは、20世紀の危機が資本を制御したことを解き明かしたが、なぜナショナリズムが昂揚したのか、なぜ戦争が起きたのか、なぜ年金生活者は自殺に追い込まれたのか、といった問題は提起しなかった。心性(マンタリテ)の力学はブラックボックスのままだ。それによって偶然にしか見えない出来事や、ピケティが提案した改革の非現実的な性格がおそらく持っている道理が解き明かされるだろう。とはいえ、ピケティが比較に基づく厳密な社会経済的な枠組みを通じて、現代史を描き出したことは確かである。そして、歴史家たちにこの枠組みをわがものとし、残された疑問を解明してみろと挑発している。この傑作を読み終えると、まだ解かれていない問いや謎で頭が一杯になり、マルク・ブロックが『歴史のための弁明』に記した一節を想起せずにはいられない。〈それぞれの学問分野は分割されてしまっているが、往々にして隣の分野からの脱走者が、学問に成功をもたらす最高の立役者となる。生物学を刷新したパストゥールは生物学者ではなかった。デュルケームとヴィダル・ド・ラ・ブラーシュは20世紀初頭の歴史研究にどんな専門家も及ばない比類のない足跡を残したが、デュルケームは社会学に移行した哲学者であり、ド・ラ・ブラーシュは地理学者であった。二人とも、いわゆる歴史学者とはみなされていなかった〉》 (翻訳・西泰志) Emmanuel Todd
>>726自分ならウォーラーステインとブローデルを勧めるが経済学部の教授からは馬鹿にされるかも知れない図書館でめくってみてくださいブローデルには図版が興味深い本が(高価だが)数冊あります『物質文明~』の「市場(いちば)」の絵とか、、、、数式は嫌でも見るようになるだろうし、、、、経済学史ならシュンペーターか?A・マディソンの統計類も持っていて損はない。
//////////
2009年05月12日資本主義の"中心都市"と日本の歴史映画
ジャック・アタリ(『21世紀の歴史』)はジェノヴァを主張するアリギ(『長い20世紀』)と違い、資本主義の中心都市の最初にブルージュを挙げている。
ジャック・アタリ 資本主義の中心都市
(1200-1350)14世紀ブルージュ→
(1350-1500)14世紀後半ヴェネツィア(アジアとの交易)→
(1500-1560)アントワープ(活版印刷)→
(1560-1620)ジェノヴァ(複式簿記)→
(1620-1788)アムステ ルダム(大型船)→1788オランダ銀行倒産
(1788-1890)18世紀末ロンドン(蒸気機関)→
(1890-1929)19世紀後半アメリカボストン(自動車)→
(1929-1980)20世紀ニューヨーク(電力)→
(1980- ? )80年代ロサンゼルス(IT)→ ?
ジャック・アタリ 資本主義の中心都市
(1200-1350)14世紀ブルージュ→
(1350-1500)14世紀後半ヴェネツィア(アジアとの交易)→
(1500-1560)アントワープ(活版印刷)→
(1560-1620)ジェノヴァ(複式簿記)→
(1620-1788)アムステ ルダム(大型船)→1788オランダ銀行倒産
(1788-1890)18世紀末ロンドン(蒸気機関)→
(1890-1929)19世紀後半アメリカボストン(自動車)→
(1929-1980)20世紀ニューヨーク(電力)→
(1980- ? )80年代ロサンゼルス(IT)→ ?
ピケティ氏の処方箋「執行面で難しい」と首相 : 政治 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
安倍首相は28日の参院本会議で、「資本を持つ者と持たない者の貧富の格差は開くばかりだ」と説くフランスの経済学者トマ・ピケティ氏の主張に否定的な見方を示した。
日本を元気にする会の松田公太氏の質問に答えた。
ピケティ氏は世界的ベストセラー「21世紀の資本」の著者として知られる。
首相は、ピケティ氏が格差解消の処方箋として挙げる富裕層に対する世界的な資産課税強化について、「執行面でなかなか難しい面もある」と述べた。
一方、松田氏が「ピケティ氏は首相の金融緩和政策に否定的な見方をしている」と指摘すると、
首相は「日銀による金融緩和は固定化したデフレマインドを一掃し、持続的な経済成長の実現を目指すものだ」と反論した。
/////////
この図は重要だ。
とはいえ、先進国は自国農業を大事にしていることは、図からわからない。
ピケティは何もわかっていない
返信削除この本で歴史的にマルクスの亡霊から知識人は自由になるだろう。その意味で画期的だが、本書はあくまでも経済学ではなく統計学の勝利だ。
ピケティは経済学については何もわかっていない。古典派の知識もない。
例えばビル・ゲイツ批判を読めばピケティは資本の源泉について何もわかっていないことがわかる。
ゲイツが無数のエンジニアから搾取していると書く時、集合力こそが資本の源泉だということが忘れられている。
また、クズネッツの統計にあった農工の区別は捨象すべきではない。それだと能動的に今後何もできなくなる。農工のどちらに力を入れるべきか、そのバランスをどうするかが第三世界、国内格差を見る時の鍵だからだ。(財務省だけで世界国家が運営できるはずがない。)
マルクスは資産の1/10ほどが交換過程に入ると書いたが、そうしたマルクスの試行錯誤をピケティは知らない。
サルトルがマルクス主義を批判したことも知らずにサルトルが創刊した雑誌に書き、サルトルを批判するのは滑稽だ。
また、レトリカルに金融政策を軽視するのも間違いだ。例えばゲゼルの減価マネーは一見金融政策ではあるが資本全体に関わるものだからだ。
人口が減少することで所得より資本がクローズアップされるとピケティは指摘するが、本書もそうしたトレンドの一環にあるに過ぎない。今後、統計学者同士の「組合」が本書を拡大し続けるだろうが、世界政府を前提とするような解決策案はジジェクが言うように楽観的すぎる。
新たなスーパー官僚を生み出すだけだろう。
この本で歴史的にマルクス*の亡霊から知識人は自由になるだろう。その意味で画期的だが、本書はあくまでも経済学ではなく統計学の勝利だ。
返信削除ピケティは経済学については何もわかっていない。古典派の知識もない。
例えば彼のビル・ゲイツ批判を読めばピケティは資本の源泉について何もわかっていないことがわかる。
ゲイツが無数のエンジニアから搾取しているとピケティが書く時、集合力こそが資本の源泉だということが忘れられている。
また、クズネッツの統計にあった農工の区別は捨象すべきではない。そんなことをすれば能動的に今後何もできなくなる。農工のどちらに力を入れるべきか、そのバランスをどうするかが第三世界、国内格差を見る時の鍵だからだ。(財務省だけで世界国家が運営できるはずがないのだ。)
マルクスは資産の1/10ほどが交換過程に入ると書いたが、そうしたマルクスの試行錯誤もピケティは知らない。
サルトルがマルクス主義を批判したことも知らずにサルトルが創刊した雑誌に書き、サルトルを批判するのは滑稽だ。
また、レトリカルに金融政策を軽視するのも間違いだ(例えばゲゼルの減価マネーは一見金融政策ではあるが資本全体に関わるものだからだ)。
人口が減少することで所得より資本がクローズアップされるとピケティは指摘するが、本書もそうしたトレンドの一環にあるに過ぎない(これらは彼が軽視した資本主義の周期性に過ぎないかもしれないが、資本主義が周期的なのは否定できない)。今後、統計学者同士の「労働組合」が本書を拡大し続けるだろうが、世界政府を前提とするような解決策案はジジェクが言うように楽観的すぎる。
本書からは離れた議論になるが、ガンジーが実践したように、分配は生産の現場でなされなければならないという原則がやはり見直されるべきだろう(累進課税で得た税収はそうした組合支援へ回すべきだということでもある~労働者はそのことを恥ずべきではない!~)。
*ちなみにヘーゲルから自由になったのは近年の柄谷行人『世界史の構造』によってだ。
返信削除田舎から社会的栄達を夢見てパリに上ってきた貧しい青年貴族ウージェーヌ・ラスティニャックに近づき、ヴォートランはいう。「金と快楽」の情念が沸騰している大都市パリで成り上がり、上流の暮らしをするには先立つものが要る。どうやって金を手に入れるか? 法学部で学業を続けて法曹になり、妥協や譲歩を繰り返しながら地味に階段を上り続けるか、それとも、巨額遺産相続の見込みのある若い娘を欺いて、金目当ての結婚をするか。
三十になってもまだ法服を脱ぎすてていなかったら、年俸千二百フランの判事ってところかな。四十に手がとどくところになれば、製粉業者の娘あたりと結婚できるだろう。しかも年収六千フランの持参金つきでね。ありがたいことさね。後盾があれば、三十にして年俸三千フランの初審裁判所検事だ。そして町長の娘と結婚できるのさ。(……)政治上の卑劣行為をやってのけるなら、四十歳で検事長になり、そうしてあとあと代議士くらいにはなれえるだろう。(……)ご参考までに申しあげると、フランスに検事長はは二十人しかいないのに、検事長になりたがっている男は二万人もいる。この二万人のなかには一階級昇るためなら、家族のものだって売りかねない手合いだっているんだぜ。さてこの商売がきにくわないとなりゃあ、ひとつほかの商売を考えてみようか。ラスティニャック男爵どのは、弁護士になる気がおありかな? けっこうなご商売でさあね。十年間はまず粒々辛苦を重ねなければならんな。毎月千フランも金を使い、図書室やら事務室を設け、社交界に顔をだし、事件をよこしてもらうために代訴人の法服に接吻し、裁判所の床を舌で舐めまくるくらいのことはしなきゃならんぜ。もしこの商売で君が成功するものなら、わしはなにも言わん。しかし五十歳にして年収五万フランを超える弁護士が、いったいパリに五人でもいるのかね。
(5) バルザック、オノレ・ド『ゴリオ爺さん』上巻、高山鉄男訳、岩波文庫、二〇一頁〜二〇二頁。因みにピケティによれば、バルザックが作中人物ヴォートランに語らせたこれらの報酬額は、一九世紀前半のパリの相場に正確に一致しているという(PIKETTY, Thomas, op. cit., p. 380.)。
3 minutes ago
邦訳ピケティ249~250頁(別訳)。
返信削除現代思想ピケティ堀茂樹論考より
返信削除
返信削除バルザック以外にも文学、映画への言及が多く、別途メモしておいた。
タランティーノ『ジャンゴ』171頁
キャメロン『タイタニック』304
オースティン『分別と多感』(小説)428
ワイラー『女相続人』430
ウェルズ『偉大なるアンバーソン家の人々』430
批判的か大して読んでないかどちらかだろうが、(住居が近かったはずの)ドゥルーズをどう思うか聞いてみたい、、、。
賛辞は飽きたので以下批判的なことを箇条書き的に述べると、
この本によって今後歴史的にマルクスの亡霊から知識人は自由になるだろうし、
その意味で画期的だが、本書はあくまでも経済学ではなく統計学の勝利だ。
(図をカラーにした改訂版が必要だが。)
ピケティは経済学については何もわかっていない。古典派の知識もない。
例えば彼のビル・ゲイツ批判(462頁)を読めばピケティは資本の源泉について何も
わかっていないことがわかる。
ゲイツが無数のエンジニアから搾取しているとピケティが書く時、集合力こそが
資本の源泉だということが忘れられている(労働価値説を取らないのは仕方ない)。
また、クズネッツの統計にあった農工の区別は捨象すべきではない。そんなことを
すれば能動的に今後何もできなくなる。農工のどちらに力を入れるべきか、その
バランスをどうするかが第三世界、国内格差を見る時の鍵だからだ。(財務省だ
けで世界国家が運営できるはずがないのだ。)
マルクスは資産の1/10ほどが交換過程に入ると書いたが、そうしたマルクスの試
行錯誤もピケティは知らない。
サルトルがマルクス主義を批判したことも知らずにサルトルが創刊した雑誌に書
き、サルトルを批判するのは滑稽だ。
また、レトリカルに金融政策を軽視するのも誤解の元だ(例えばゲゼルの減価マネー
は一見金融政策ではあるが資本全体に関わるものだからだ)。同じように教育の軽視も
間違いだ。教育がなければ統計も集められないからだ。
利子率の設定を論じる人には資本収益率r>自然成長率gはお馴染みだし、何も新しくは
ない。
人口が減少することで所得より資本がクローズアップされるとピケティは指摘する
が、本書もそうしたトレンドの一環にあるに過ぎない(これらは彼が軽視した資本
主義の周期性に過ぎないかもしれないが、資本主義が周期的なのは否定できない)。
今後、統計学者同士の「労働組合」が本書を拡大し続けるだろうが、世界政府を
前提(したがって官僚を前提)とするような解決策案はジジェクが言うように楽観的
すぎる。新たなスーパー官僚を生み出すだけだろう。
本書冒頭でマルサスが批判的に言及されるが、やっていることはマルサスと同じで
結論が違うだけだ。
ピケティはまるで、偏差値がわからないと勉強できないと言っている受験生のようだ。
彼はそもそも貧富の差を論じても労働者の労働環境に興味はない。資本主義の第1,2
基本法則も労働環境とは関係ない(ちなみにマルクスの「資本の有機的構成」c/vに
おける不変資本cと可変資本vを、それぞれ資本と所得に見立てれば、ピケティの
第一基本法則(56頁)における資本/所得比率βがフラクタルに出来上がる)。
これは本書からは離れた議論になるが、ガンジーが実践したように、分配は生産の
現場でなされなければならないという原則がやはり見直されるべきだろう(累進課
税で得た税収はそうした組合支援へ回すべきだということでもある~労働者はその
ことを恥ずべきではない〜)。
この書を基礎に将来の世界政府、世界連合が建設されるべきだが、他にもすること、
出来ること、やるべきことがある、と言いたい。
◆ピケティ氏による資本主義の基本法則
返信削除『第1法則』
資本分配率=資本収益率(r)×資本ストック÷国内総生産(GDP)
・・・資本分配率はGDPのうち資本に回る分
『第2法則』
資本ストック÷GDP=貯蓄率÷経済成長率(g)
・・・gが下がり、貯蓄率÷gが上昇すると資本ストック÷GDP(1単位の生産に必要な資本ストック)も上昇。
rが一定といった条件下では、第1法則に基づき資本分配率が上昇し、労働分配率は下落
(注)ピケティ氏は実証分析などに基づき、格差拡大を説明できる関係式として基本法則を示した
α=r×β (56頁,1章)
β=s/g (173頁,5章)
資本/所得比率β、所得の中の資本シェアα、資本収益率r
貯蓄率s、成長率g
(例:所得の中の資本シェアα=30%,資本収益率r=5%,資本/所得率β=600%、57頁より)
(例:「ある国が所得の12%を毎年貯金しており、当初の資本ストックが所得6年分とすると、資本ストックの成長率は年間2パーセントだ。つまり国民所得とまったく同じ比率であり、資本/所得率は安定状態を保つ。」178頁より)
経済成長理論 - Wikipedia
返信削除http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E6%B8%88%E6%88%90%E9%95%B7%E7%90%86%E8%AB%96
主要な経済成長理論[編集]
ハロッド・ドーマーモデル[編集]
ロイ・ハロッドとエブセイ・ドーマーにより1930年代から40年代にかけて発表されたモデル。経済の自律的な安定を確保する難しさを例示するなど、ケインズ理論の影響を強く受けた経済成長モデルである。いわゆる動学理論とよばれるものである。
このモデルの一番の特徴は、投資の生み出す供給能力と、需要それぞれの増加量とが安定的に調和するような保証経済成長率 (資本の増加率)が、完全雇用をもたらすような自然経済成長率 (労働力の増加率)と別個に規定され、その関係が自律的に均衡に向かわないと仮定することにある。両者の不均衡は慢性的な経済の停滞やインフレを導くもとと結論づけられた。安定的な成長率の実現は非常に困難で、ナイフ・エッジの均衡とも呼ばれる。また、保証成長率は貯蓄率に影響するものと定義された。
ハロッド・ドーマーモデルは、前提が硬直的であるために、ソロー・スワンモデルと同様、成長理論の雛型として教科書で登場する他は、そのまま議論の道具として用いられることは現在では少ない。
尚、保証経済成長率=貯蓄率X資本の生産性(生産1単位を増やすのに必要な資本の量をあらわす資本係数の逆数)となる(ハロッド・ドーマーの基本方程式)。
ソロー・スワンモデル[編集]
ロバート・ソロー、トレイヴァー・スワンが1956年に提唱した成長モデルの1つ、生産関数の考え方、その導き出す結論が新古典派の思想に共通することから、新古典派成長モデルとも呼ばれる。
基本的なアイディアは、資本の増加が人口増加を上回った際に、資本1単位あたりの生産効率がだんだん下がる(資本量が2倍になっても生産は2倍にはならず、1-2倍の範囲内に収まる)ために、資本の増加量が鈍化し、人口増加率に追いつき、逆に人口増加が資本の増加を上回った場合には資本1単位あたりの生産効率が上昇するために資本増加率は人口増加率に追いつくというものである。一時的なショックにより資本と人口の増加率が乖離しても、長期的な資本の増加は人口増加率に収束し、資本をより効率的に使えるような新技術の登場がない限りは一人当たりの国民所得は増加しないという結論を導いた。
成長理論の雛型として教科書に登場する非常に簡単なモデルであるにも関わらず、依然として経済成長の分析に多用されている。最も良くみられる分析は、経済成長の要因を資本、労働、技術進歩の各要因に分解することである。こうした分析は、アラモビッツやソローによって始められた、成長会計と呼ばれる手法である。技術進歩率は経済成長を資本と労働の寄与で説明した残りとして求められるため、ソロー残差と呼ばれることもある。
このモデルの欠点は、技術進歩と貯蓄率が外生的に与えられていることで、これを改善するために次に示すようなモデルの展開を導いた。
フォン・ノイマンの多部門成長モデル[編集]
フォン・ノイマンが1937年に発表した経済成長モデル。新古典派成長モデルの基となったラムゼイのモデルが1部門の経済成長モデルであるのに対し、各種の財の生産、投資がなされる現実の経済に即したモデルの構築が行われた。
多部門モデルは、第二次世界大戦後、サミュエルソン、森嶋らの努力によって改良が加えられた。サミュエルソンの見出したターンパイク定理はとりわけ有名な発見である。
内生的成長モデル[編集]
1980年代ころから盛んに研究が行われるようになったモデルで、従来の成長モデルが技術進歩の要因を説明できなかったのに対し、技術進歩を経済活動の成果として取り込んだ事が大きな特徴である。1986年にポール・ローマーが発表した論文「increasing return and long-run growth[1]」が契機となり、内生的成長理論が発展していった。
環境経済学や医療経済学、教育経済学の成果である拡張された資本理論を取り入れつつ、発展を続けている。
近代経済学における成長理論 - Wikibooks
返信削除http://ja.m.wikibooks.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%B5%8C%E6%B8%88%
E5%AD%A6%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%88%90%E9%
95%B7%E7%90%86%E8%AB%96
マクロ経済学初中級 > 近代経済学における成長理論
(1)経済成長会計
経済成長会計とは、付加価値の要素を資本と労働だと考え、それぞれの変化が生産量の変化に及ぼした影響を計測するものである。
コブ・ダグラス型関数
所得をコブダグラス型関数と呼ばれるものとする。 Y=A・K^α ・L^(1-α) A:技術水準 K:資本 L:労働 両辺の対数をとると
LogY=logA+αlogK+(1-α)logL
経済成長率=技術水準+α×資本の成長率+(1-α)×労働の成長率
となる。
(2)新古典派経済成長理論(ソローモデル)
仮定1:Y=F(K,L)、ただしコブダグラス型関数を前提とする
仮定2:Y=cY+I
(平均貯蓄性向=s(0<s<1)、平均消費性向c=1-sとし、sとcは一定とする。つまり所得に対する消費と貯蓄の割合は一定。)
①一人当たりの生産関数
労働者一人当たりの所得と資本を求めるために
Y=F(K,L)に(1/L)
を両辺にかける 。
Y/L=F(K/L,L/L)
Y/L=F(K/L,1)
一人当たりの所得Y/Lをyとおき、F(K/L,1)をf(k)とする 。
y=f(k)
また、仮定2から
Y=cY+I
(1-c)Y=I
I=sY
I=Sより これを代入すると
S=sY
また、ΔK=I=sY なので一人当たりに直すと
ΔK/L=I/L=sY/L
Δk=i=sy
i=sf(k)
②減価償却費をモデルに組み込む
ⅰ.仮定:Δk=i-δk(ただし、δは減価償却費)
ⅰ=sf(k)なので
Δk=s・f(k)-δk
δkの意味は、資本ストックが大きいほど、減価償却費も比例して大きくなる 。 Δk=s・f(k)-δk =0のとき、定常状態。
ⅱ.資本蓄積の黄金律
y=c+i
c=y-i
c=f(k)-s・f(k) ①
また、Δk=i-δk=0のとき定常状態なので
i=δk
また、ⅰ=sf(k)なので
s・f(k)=δk ②
①に②を代入すると
c=f(k)-δk
つまりMPK=δのとき、cは最大 。
(3).ラムゼーモデル
ソローモデルでは所得に対する貯蓄・消費の割合 s、(1-s)は一定と仮定した。 この一定の仮定をはずし、貯蓄の割合を変化させたらどのように資本水準が変化するかを検討するのがラムゼーモデルと考えると分かりやすい。 資本収益率は資本水準が高ければ低下するし、逆に資本水準が低ければ資本収益率は高いだろう。 次に、経済学では貯蓄は将来の消費であり、消費は現在の消費と考える。 投資利回りが高ければ、貯蓄の割合を増やし、現在の消費を控える。 逆に投資利回りが低ければ、貯蓄の割合を減らし、現在の消費を増やす行動になるだろう。 つまり、投資と貯蓄の割合は投資利回り(資本収益率)に影響される。 資本水準、資本収益率、貯蓄と投資の割合という3つのファクターを考えるのがラムゼーモデルともいえる。
Δk(t+1)
=k(t+1)-k(t)
=f(k)t-c(t)-δk(t) ①
f(k)t-c(t)は資本の積み増しに当たる部分である。 閉鎖経済では国内貯蓄に相当する。 δk(t)は固定資本減耗である。 ⊿k=0のとき、定常状態となることから
c(t)=f(k)-δk ②
となる
c(t)=f(k)-δk
これの消費水準を最大化するための極大化条件
f'(kg)=δ③
競争的な貸借市場においては、(実質利子率r)と資本の限界生産性から固定資本減耗率を差し引いたものに対応する。
r>f'(k)-δ
であれば資本水準を縮小し、 逆に r<f'(k)-δ であれば資本水準を積み増す。 よって
r=f'(k)-δ ④
となる。
ケインズラムゼイルールより
u'(c[t])=(1+r[t])/(1+ρ)・u'(c[t+1]) (15-5)式
この (15-5)式に
効用関数u(c)={c^(1-1/σ)}/(1-1/σ)
を代入すると
[{c[t]^(1-1/σ)}/(1-1/σ)]'={(1+r[t])/(1+ρ)}・[{c[t+1]^(1-1/σ)}/(1-1/σ)]'
c[t]^(-1/σ)=(1+rt)/(1+ρ)c[t+1]^(-1/σ) 両辺に対数すると
ln c[t+1]-ln c[t]=σ{ln(1+r[t])-ln(1+ρ)}
近似式
ln(c[t+1])-lnct≒Δct+1/Δct
ln(1+r[t])≒r[t]
ln(1+ρ)≒ρより
簡便化したオイラー方程式
Δc[t+1]/Δc[t]=σ(r[t]-ρ)
が導出できる
ハロッドドーマー
返信削除240頁
β=s/g
コブ・ダグラス
返信削除226頁~
592頁
返信削除r=g
資本蓄積の黄金則
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%
E3%83%89%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7
%E3%83%AB%E3%83%97%E3%82%B9
エドマンド・ストロザー・フェルプス(Edmund Strother Phelps、1933年7月26日 - )は、アメリカ合衆国の経済学者。
コロンビア大学経済学部教授。イリノイ州エヴァンストン出身。2006年、アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞(ノーベル経済学賞)を単独授与された。
目次 [非表示]
1 来歴
2 業績
3 博士号など
4 著作
5 関連事項
6 外部リンク
来歴[編集]
1933年:イリノイ州エヴァンストンで生まれた。
6歳のとき、ニューヨーク州のHasting-on-Hudsonへ転居。
1955年:アマースト大学卒業(BA)。
1957年:イェール大学からMAを取得。
1959年:イェール大学で経済学博士号(Ph.D.)取得。
1959年-1960年:RAND Corporationに入るが、興味のあるマクロ経済学の仕事が出来ないため学界に戻る。
1960年-1966年:イェール大学に属するコール財団に入り、イェール大学で経済学助教授として教える。
1961年:'Golden Rule saving rate'についてAER誌に載せる。
1962年-1963年:マサチューセッツ工科大学(MIT)で教える。
1963年-1966年:イェール大学で教える。
1966年-1971年:ペンシルベニア大学経済学科教授
1971年:コロンビア大学経済学教授就任。
1974年:米国上院の社会保障制度の顧問となる。
1976年-1978年:アメリカ経済学会の執行委員を務める。
1978年-1979年:ニューヨーク大学で教える。
1979年:再びコロンビア大学に移り、教鞭をとる。
1981年:米国科学アカデミー会員。
1982年:McVickar Professor of Political Economy 就任。
2000年:アメリカ経済学会の Distinguished Fellow に選ばれる。
2001年:Center on Capitalism and Society (Earth Institute) 所長。
業績[編集]
ミルトン・フリードマンとほぼ同時に自然率仮説を独自に考案していたといわれる。
フェルプスにとって、自然率仮説は失業の唯一の構成要素ではないが主要なものとして、ジョブサーチ(仕事探し)の概念と結びつけた。失業者は高い支払いをする最良な仕事を探し、失業期間が長引くにつれて自分の望み徐々に下げていく。その上、仕事を探すことは時間がかかるので、彼らが現在の職を辞めることすらあるかもしれない。フェルプスたちは、1960年代の辞職や一時解雇のパターンと自然失業率の上昇傾向を説明しようとして、ジョブサーチ・モデル(仕事探しモデル)に含まれた意味を明らかにした。
70年代以降は、現在ではごく当たり前の「スタグフレーション」、すなわちインフレションと失業の同時発生の問題に関する研究を行っている。
フェルプスは、初期には成長理論に関する研究をやっていた。成長理論やマクロ経済学に関する数多くの論文は2巻物の『マクロ経済理論研究』(1979年、1980年)に収録されている。
Phelps, Edmund S. (1961). "The Golden Rule of Capital Accumulation". American Economic Review 51: 638-643.
返信削除Phelps, Edmund S. (1966). Golden Rules of Economic Growth.
Phelps, Edmund S. (1966). "Models of Technical Progress and the Golden Rule of Research". Review of Economic Studies 33: 133-146.
Phelps, Edmund S. (1968). "Money-Wage Dynamics and Labor Market Equilibrium". Journal of Political Economy 76: 678-711.
Phelps, Edmund S. (1984). Individual Forecasting and Aggregate Outcomes.
Phelps, Edmund S. (1990). Seven Schools of Macroeconomic Thought: The Arne Ryde Lectures, Oxford.
Phelps, Edmund S. (2003). Designing Inclusion.
「マクロ経済思想―七つの学派」 E.S.フェルプス,平山 朝治訳 新世社 (1991)
α=r×β (56頁,1章)
返信削除β=s/g (173頁,5章)
α=r×β (56頁,1章) α/β =r
β=s/g (173頁,5章) s/β=g
(α/β =)r > (s/β=)g
α > s
資本/所得比率β、
所得の中の資本シェアα、
資本収益率r
貯蓄率s、
成長率g
拡大再生産と同じことだ
返信削除農業と工業の区別は重要では?
返信削除先進国は農業を切り捨てたのではなく、其の生産性を高めたというのがクズネッツの意見。政府は農業を切り捨てようとしているが。
ゲゼルの減価マネーをどう思うか?ローカルな金融政策の一貫でしかないか?
ドゥルーズに会ったことは?パリのクリシーで家は近かったのでは?タルドを評価した人だから意見は正反対だと思うが。
質問は3つ
返信削除1/3
今後統計を取る上で、農業と工業の区別は重要では?
先進国は農業を切り捨てたのではなく、その生産性を高めたというのがクズネッツの意見でしょう。日本政府は農業を切り捨てようとしています。
2/3
ゲゼルの減価マネーをどう思いますか?ローカルな金融政策の一貫でしかないと思いますか?
3/2
ドゥルーズに会ったことはありますか?パリのクリシーで家は近かったのでは?タルドを評価した人だから意見は正反対だと思いますが。
フリードマン
返信削除ハンガリー東部(現在はウクライナの一部となっているザカルパッチャ州Berehove)からのユダヤ系移民の子としてニューヨークで生まれる。父親は工場経営者・資本家で、ナオミ・クラインは絶望工場的な場所だったと指摘している[3]。
奨学金を得て、15歳で高校を卒業した。ラトガーズ大学で学士を取得後、数学と経済学のどちらに進もうか悩んだ結果、世界恐慌の惨状を目にしたこともあって、シカゴ大学で経済を専攻し、修士を取得した。さらに、コロンビア大学でサイモン・クズネッツ(1971年ノーベル経済学賞受賞)の指導を受け博士号を取得した。コロンビア大学と連邦政府で働き、後にシカゴ大学の教授となる。また、アーロン・ディレクターの妹であるローズ・ディレクターと結婚し、一男(デヴィッド・フリードマン)一女をもうけた。