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月曜日, 2月 09, 2015

Bob Dylan MusiCares Person Of The Year スピーチ全文 日本語&英語(転載)

《Sam Cooke said this when told he had a beautiful voice: He said, "Well that's very kind of you, but voices ought not to be measured by how pretty they are. Instead they matter only if they convince you that they are telling the truth." Think about that the next time you [inaudible].》


《サム・クックは声の美しさを褒められたときこう言ったという。「優しいお言葉をありがとう。でも声というものはその美しさで決められるものではないんだ。真実を歌っていると説得できることこそが大切なんだ」。次回歌を聴くときに考えて欲しい。》

2015年2月6日ボブ・ディランMusiCaresスピーチより





Bob Dylan: 2015 MusiCares Person Of The Year

http://youtu.be/scjD7h6v2Zc 3:50
               (ダイジェスト動画↑)


毎年恒例グラミーの前夜祭的に行なわれる「MusiCares Person Of The Year」授賞式。2015年、今年の受賞者はボブ・ディラン。3年ぶり通算36作目の新作『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』リリース直後のUS時間2月6日に、ロサンゼルスのコンヴェンション・センターにて授賞式典と豪華アーティストによるボブ・ディラン・トリビュート・コンサートが行なわれた。ディランにゆかりのあるブルース・スプリングスティーン、ニール・ヤング、ジャクソン・ブラウンをはじめ、BECK、ノラ・ジョーンズ、ジャック・ホワイトなどディランズ・チルドレン的な若手アーティストまで、総勢17組のボブ・ディランをリスペクトするスーパースター達が彼の数々の名曲を独自の解釈でパフォーマンスした。


738 :名盤さん:2015/02/09(月) 22:53:01.84 ID:1Fj6q9/n
ボブ・ディラン MusiCares Person Of The Year スピーチ全文 
http://www.sonymusic.co.jp/artist/BobDylan/info/450306?id=aep150209  (邦訳)
http://www.latimes.com/entertainment/music/posts/la-et-ms-grammys-2015-transcript-of-bob-dylans-musicares-person-of-year-speech-20150207-story.html#page=3 (原文)

・・何だか久々な気もする、御大の胸の内。 
一筋縄ではいかない老獪な方だが、意外と人様に感謝し、 
それを公言する素直な面を持つ、「食えない」一面が表れている。 
そんなディランが、やっぱり大好きだ(´・ω・`) 


(シナトラへの言及はない)

参考記事(文末に引用):

ボブ・ディラン”MusiCare Person Of The Year”受賞。豪華アーティスト集結トリビュート・コンサート開催! ディラン40分にも及ぶ伝説のスピーチ!自分の作品を取り上げてくれたアーティスト達へ謝辞。

2015.02.09

http://www.sonymusic.co.jp/artist/BobDylan/info/450294




ボブ・ディラン MusiCares Person Of The Year スピーチ全文

2015.02.09

ボブ・ディラン”MusiCare Person Of The Year”での40分にも及ぶ伝説のスピーチ訳掲載

 

グラミー賞を主催する全米レコード芸術科学アカデミーによって、アーティストとしての活動と慈善活動の両方に貢献したミュージシャンに贈られる「MusiCares Person Of The Year」。2015年2月6日LAのコンヴェンション・センターにて行なわれたトリビュート・ コンサートの中で、早くも「伝説のスピーチ」と呼ばれている、ボブ・ディランのスピーチのの日本語訳をいち早く掲載いたします。当初10分の予定だったものが大幅にオーバーして40分にも渡り、デビュー当時の恩人、自分の曲を取り上げてくれたミュージシャンへの謝辞、影響を受けた音楽、自分を揶揄してきた評論家への攻撃、そして自身の音楽についてなど、大変興味深い内容となっております(全てを網羅してはおりませんが、できるだけ訳して掲載致しました。追加事項ありしだいアップデイトしていきます)


 

この壮大なイベントを開催してもらい、感謝したい人々がいる。ニール・ポートノウ、デイナ・タマーキン、ロブ・ライト、ブライアン・グリーンバウム、ドン・ウォズ。そして、カーター(元)大統領、お越しいただき感謝します。今夜は長い宴だった。あまり長く話したくはないが、いくつか話をしようと思う。

 

私は自分の曲がこのような栄誉に預かったことを嬉しく思っている。でも、曲がひとりでにこうなった訳じゃない。長い道のりや沢山のことを経てきたんだ。私の曲は、シェイクスピアが少年時代に見て育った「神秘劇」(訳注: 15世紀中世ヨーロッパで発達した宗教劇)のようなものだ。私がやっていることはそこまで遡ることができると思う。当時も今も異端でね。ハードな立場に置かれてきたような音がする。

 

ここまでに至らせてくれた人々の名前を数人挙げたいと思う。ジョン・ハモンドは挙げるべきだね。コロンビア・レコーズ(米ソニー・ミュージック)の素晴らしいタレント・スカウトだ。彼は私が何者でもなかった頃に私をあのレーベルと契約してくれた。それには多くの信念が必要だったし、嘲りもされただろうけれど、彼は主体性と勇気があった。それには永遠に感謝している。彼が私の前に発掘したのはアレサ・フランクリンだった。その前はカウント・ベイシー、ビリー・ホリデイ、その他にも沢山の、売れていないアーティストと契約していたんだ。

 

ジョンはトレンドには関心がなかった。私はとても売れそうになかったけれど、彼は私と共にいてくれた。私の才能を信じてくれた、大切なのはそれだけだったんだ。彼には感謝してもしきれないね。ルー・レヴィーが経営するリーズ・ミュージックが私のごく初期の歌を出版しているけれど、あまり長い間そこには所属していなかった。

 

レヴィーとも古い付き合いだ。彼は私をあの会社と契約してくれて、私の曲を録音してくれた。テープ・レコーダーに吹き込んだんだ。彼は私に対して率直にこう言った。私のやっていることには先例がない。時代に先駆けているのか出遅れているかのどちらかだってね。私が「スターダスト」のような曲を持って行けば、古すぎるといって却下されたものだよ。

 

彼が言うには、彼自身いまひとつ確信が持てないものの、もし私が時代に先駆けているのであれば、世間が追いつくのに3年から5年はかかるだろうから、心の準備をしておけと。そして実際その通りになった。問題は、世間が実際に追いついたときには、私は既に3年から5年先を行っていたから、事情が複雑になっていたということだった。でも彼は励ましてくれたし、私のことを決め付けることもなかった。それはいつまでも忘れない。

 

彼の次に音楽出版契約してくれたのが、ウィットマーク・ミュージックのアーティ・モーガルだった。とにかく曲を書き続けろ、そうしたら何かしらモノになるかも知れないからと言われた。彼もまた私を支え、私が次に何を書くかをいつも心待ちにしてくれていた。私はそれまで自分のことをソングライターだなんて思ったことすらなかったのに。そういうスタンスでいてくれたことにも、彼にはいつまでも感謝するよ。

 

また、頼まれもしないのに、ごく、ごく、ごく初期の私の曲を録音してくれた、昔のアーティストの名前も挙げなければならないね。ピーター、ポール&マリーにお礼を言いたい。彼らのことは結成前から個別に知っていたんだ。私は他人が歌う曲を書く自分なんて考えもしなかったけれど、そういうことになりつつあった。これ以上素晴らしいグループとは実現しなかったと思う。

 

彼らは私のアルバムの中で埋もれていた昔の録音をヒット曲にしてくれた。私がやったであろう形ではなく、立ち直らせてくれたんだ。以来、何百万人もの人々がその曲を録音してくれたけれど、彼らがいなかったらそんなことは起こらなかっただろう。彼らが始めたことが私のためになったことは確かだ。

 

ザ・バーズ、ザ・タートルズ、ソニー&シェール。彼らは私の曲をトップ10ヒットにしてくれたけれど、私はポップス・ソングライターではなかった。なりたいと思ったことすらなかった。でもそういうことになったのはよかったよ。彼らのヴァージョンはコマーシャルみたいだったけど、私は特に気に留めなかった。50年経ったら、私の曲がコマーシャルに使われることになったんだから。それも良かったね。そういうことになってよかったし、彼らが取り上げてくれて嬉しかった。

 

パーヴィス・ステイプルズとステイプル・シンガーズ。彼らはスタックスの前はエピックに所属していて、ずっとお気に入りのグループの一つだったんだ。彼らに会ったのは’62年か’63年だったね。彼らが私の曲をライヴで聴いて、パーヴィスがそこから3、4曲を録音したいと言い出して、ステイプルズ・シンガーズとやった。彼らのようなアーティストに私の曲を録音して欲しかったんだ。

 

ニーナ・シモン。 彼女とはニューヨークのヴィレッジ・ゲートというナイトクラブですれ違っていたね。彼女を私は尊敬していたんだ。楽屋で彼女に直接歌って聞かせた私の曲をいくつか録音してくれた。素晴らしいアーティストであり、ピアニストであり、シンガーだった。とても強い女性で、歯に衣を着せない人だったね。彼女が私の曲を録音してくれたことで、私の存在意義がすべて証明されたんだ。

 

ジミ・ヘンドリックスを忘れる訳にはいかない。私がジミの演奏を実際に観たのは、彼がジミー・ジェームズ・アンド・ザ・ブルー・フレームズとかいう名前のバンドにいた頃だった。ジミは歌ってすらいなかった。ただのギタリストだったんだ」とディランは言った。「彼は誰も全く注目していなかったような俺の些細な曲を上部成層圏の隅まで轟かせて、どれも名曲にしてくれた。ジミにも感謝しなければ。彼がここにいてくれたらと思う。

 

ジョニー・キャッシュもまた、初期に私の曲をいくつか録音してくれた。「彼に出会ったのは’63年辺り、彼が骨と皮ばかりに痩せこけていた頃だった。彼は長く過酷な道を行っていたけれど、私にとってはヒーローだった。彼の曲をたくさん聴いて育ってきたからね。自分の曲よりもよく知っていた。「ビッグ・リヴァー」、「アイ・ウォーク・ザ・ライン」、「ハウ・ハイズ・ザ・ウォーター・ママ」とかね。「イッツ・オールライト・マ(アイム・オンリー・ブリーディング)」は、あの曲が頭の中で鳴り響く中で書いたんだ。今でも”How high is the water, mama?”と口ずさんでいるよ。ジョニーは気性の激しい人だった。私がエレクトリック・ミュージックをやっていることを批判されているのを知った彼は、雑誌に「黙ってアイツを歌わせろ」と、彼らを叱る手紙を投稿したんだ。

 

ジョニー・キャッシュの生きていたハードコアな南部のドラマの世界では、そんなものは存在しなかった。誰も誰かに何を歌えとか、何を歌うなとか、指図したことなんてなかったんだ。どういう訳かそういうことはしなかった。 ジョニー・キャッシュにはそういう意味で一生感謝する。キャッシュは心の大きな、正義感の強い男性(man in black)だった(訳注:キャッシュの曲”Man In Black”に登場する、正義感の強い男性にかけている)。彼との友情は最期まで大切にするよ。

 

ああ、それから、 ジョーン・バエズの名前を出さなかったら私の怠慢になってしまうね。彼女は昔も今もフォーク・ミュージックの女王だった。私の曲を気に入ってくれて、コンサートで共演させてくれたんだ。そこでは何千人もの人々が、彼女の美貌と声に魅了されていたね。

 

「そこのみすぼらしくてむさ苦しい浮浪児をどうするっていうんだ?」と野次が飛んでも、彼女はいつもきっぱりこう言っていた。「お黙りなさい。歌を聴くのよ」何曲か一緒にプレイしたりもしたね。ジョーン・バエズはこの上なくタフな心の持ち主だったよ。しかも自由で独立心旺盛だった。彼女がやりたくないものは誰も彼女にやらせることはできなかった。彼女からは沢山のことを学んだよ。圧倒的に正直な人だったね。そして彼女のような愛情と献身は一生かかっても返しきれない。

 

これらの曲はどこからともなく生まれてきた訳じゃない。でっち上げた訳でもないんだ。ルー・レヴィーが言っていたのとは逆で、先立つものがあったんだ。伝統的なフォーク、ミュージック、伝統的なロックンロール、伝統的なビッグ・バンドのスウィング・オーケストラ・ミュージックからきている。

 

私はフォーク・ソングの歌詞を学んで、そこから歌詞の書き方を覚えた。それらを演奏もしたし、誰もやっていなかった頃にそれらをやっていたほかの人々とも出会った。フォーク・ソング以外は何も歌わなかったけど、彼らはすべてのものがすべての人のものだという考えで、すべてのコードを与えてくれたんだ。

 

3-4年くらいはフォークのスタンダード曲ばかり聴いていたね。フォーク・ソングを歌いながら床に就いていたよ。クラブ、パーティ、バー、喫茶店、野外、フェスティヴァル、どこに行ってもフォーク・ソングを歌っていた。そんな中で出会った、同じ生業のシンガーたちと、お互い曲を学びあったんだ。私は1回聴いただけで、1時間後には歌えるようになっていたね。

 

「ジョン・ヘンリー」(訳注:伝説上の、アフリカ系アメリカ人の労働者の英雄を歌った曲。ウッディ・ガスリーやブルース・スプリングスティーンが歌っている)という曲を私ほど沢山歌ったことがあるなら…-

‐-‐ "John Henry was a steel-‐driving man / Died with a hammer in his hand / John Henry said a man ain't nothin' but a man / Before I let that steam drill drive me down / I'll die with that hammer in my hand."

 (「ジョン・ヘンリー」をそらんじる)

 

この曲を私ほと沢山歌ったことがあるなら、あなたはきっと"How many roads must a man walk down?" (訳注:「風に吹かれて」の一節)と書いたことがあるだろう。

 

ビッグ・ビル・ブルーンジーの曲に「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」というのがある。

"I've got a key to the highway / I'm booked and I'm bound to go / Gonna leave here runnin' because walking is most too slow." (同曲をそらんじる)

…あれもよく歌ったね。あれを沢山歌うと、思わずこういう歌詞を書いてしまうものだ。

 

"Georgia Sam he had a bloody nose

Welfare Department they wouldn’t give him no Clothes

He asked poor Howard where can I go

Howard said there’s only one place

I know Sam said tell me quick man I got to run

Howard just pointed with his gun

And said that way down on Highway 61 "

 (「追憶のハイウェイ61」をそらんじる)

 

「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」を私ほど沢山歌ったことがあるなら、あなたもこういう曲を書いたことだろう。

 

"Ain't no use sit 'n cry / You'll be an angel by and by / Sail away, ladies, sail away." (訳注:ジョーン・バエズの「セイル・アウェイ・レディース」の一節)。

"I'm sailing away my own true love." (訳注:「スペイン革のブーツ」の一節)。

「スペイン革のブーツ」だね。今さっきシェリル・クロウが歌ってくれた。

 

"Roll the cotton down, aw, yeah, roll the cotton down / Ten dollars a day is a white man's pay / Roll the cotton down/A dollar a day is the black man's pay / Roll the cotton down." (労働者ソングの「ロール・ザ・コットン・ダウン」をそらんじる)

 

あの曲を私ほど沢山聴いたことがあるなら、あなたも"I ain't gonna work on Maggie's farm no more”(訳注:「マギーズ・ファーム」の一節)と歌ったことがあるだろう。

 

"If you’d had listened to the Robert Johnson singing, “Better come in my kitchen, ‘cause it’s gonna be raining out doors,” as many time as I listened to it, sometime later you just might write, “A Hard Rain’s a-‐Gonna Fall.”

 

 

 

私は「みんなおいで」的な曲を沢山歌ってきた。山ほどあるからね。数え切れないくらいだ。"Come along boys and listen to my tale / Tell you of my trouble on the old Chisholm Trail." (訳注:1870年代の労働者ソング「オールド・チソム・トレイル」の一節)とか、"Come all ye good people, listen while I tell / the fate of Floyd Collins a lad we all know well / The fate of Floyd Collins, a lad we all know well”(訳注:探検家のフロイド・コリンズのことを歌った曲「デス・オブ・フロイド・コリンズ」の一節)とか。

 

(引き続き「フロイド・コリンズ」をそらんじる)

"Come all ye fair and tender ladies / Take warning how you court your men / They're like a star on a summer morning / They first appear and then they're gone again." And then there’s this one, "Gather 'round, people / A story I will tell / 'Bout Pretty Boy Floyd, the outlaw / Oklahoma knew him well."

 

こういった「みんなおいで」的な曲ばかり歌っていると、(と「時代は変る」をそらんじる)

"Come gather 'round people where ever you roam, admit that the waters around you have grown / Accept that soon you'll be drenched to the bone / If your time to you is worth saving / And you better start swimming or you'll sink like a stone / The times they are a-‐ changing."

 

こういう歌詞も書いてしまうはずだ。何の秘密もない。無意識のうちにやってしまうんだ。それで十分だし、私はそういうのしか歌わなかったからね。私にとって大切なのはそういう曲だけだったんだ。そういう曲だけが私にとって意味が通っていた。

 

"When you go down to Deep Ellum keep your money in your socks / Women in Deep Ellum put you on the rocks."(トラディショナルな曲「ディープ・エルム・ブルース」の一節)あの曲をしばらく歌っていると、こういうフレーズを思いつくようになる。

 "When you're lost in the rain in Juarez and it's Easter time too / And your gravity’s down and negativity don't pull you through / Don’t put on any airs / When you’re down on Rue Morgue Avenue / They got some hungry women there / And they really make a mess outta you."

 (「親指トムのブルース」をそらんじる)

 

これらの曲はみんな繋がっているんだ。騙されちゃいけない。私は違う扉を違うやり方で開いただけなんだ。違うだけで、言っていることは同じだ。私は(自分の曲が)並外れたものだとは思わなかった。

 

まあ、自分では自然なことだと思っていただけで、私の曲は最初から何故か軋轢を招いてしまっていた。人々を対立させてしまってね、どうしてかは全く分からなかった。怒る者もいれば、とても気に入ってくれた者もいた。どうして賛否両論なのか分からなかった。自分の曲を投入するには不思議な環境だったけれど、それでも私はそうしたんだ。

 

私がどんな曲を書くかを誰が気にするかは、ほとんど考えたことがなかった。私はただ書いていただけなんだ。人と違うことをやっているという自覚はなかった。ただ(伝統からの)延長線を描いていただけだと思っていたんだ。多少常軌を逸していたかも知れないけれど、単に状況を詳しく書いていただけだった。つかみどころがなかったかも知れないけれど、だから何だ?他にもとらえどころのないやつらはいっぱいいる。やり過ごすだけだ。

 

(ジェリー・)リーバーと(マイク・)ストーラー(訳注:アメリカの作詞作曲コンビ)が私の曲をどう思うかなんて、特に気にもしなかった。

 

彼らには気に入ってもらえなかったけれど、ドク・ポーマス(訳注:ロックンロールの作詞家として有名)は気に入ってくれた。彼らが気に入らないのは別に構わない。私も彼らの曲を好きになったことなんてなかったしね。

"Yakety yak, don't talk back." "Charlie Brown is a clown," "Baby I'm a hog for you." (リーバー&ストーラーの歌詞を数曲そらんじる)

 

…目新しい曲だったけれど、何も深刻なことは言っていなかった。ドクの曲の方が良かった。「ディス・マジック・モーメント」、「ロンリー・アヴェニュー」、「ラスト・ダンスは私に (Save The Last Dance For Me)」…

 

ああいった曲には心が張り裂けそうになったよ。リーバー&ストーラーよりもドクの曲の承認を受けたいと思ったね。

 

アーメット・アーティガンは私の曲をあまり気に留めなかったけれど、サム・フィリップス(訳注:エルヴィス・プレスリーを発掘したことで知られる)は気にかけてくれた。アーメットはアトランティック・レコーズを創立した。レイ・チャールズ、ルース・ブラウン、ラヴァーン・ベイカーをはじめ、素晴らしいアルバムを沢山プロデュースした人だ。

 

(アトランティック・レコーズには)素晴らしいアルバムが沢山あったのは疑いもない。でもサム・フィリップス、彼はエルヴィス(・プレスリー)やジェリー・リー(・ルイス)、カール・パーキンス、ジョニー・キャッシュを録音した人だ。人類の真髄を揺るがした、先鋭的な着眼点の持ち主だ。スタイルにおいても視野においても革命的だった。骨の髄まで先鋭的だった。骨を切られるほどに先鋭的だった。すべての面で反逆的で、朽ちることのない、今も響き続ける曲を作った。そうだな、(リーバー&ストーラーよりは)サム・フィリップスに認められたいものだ。

 

マール・ハガードは私の曲をあまり気にも留めなかった。そう面と向かって言われたことはないけれど、分かるんだ。バック・オーウェンズは気に留めてくれたね。私の初期の曲をいくつか録音してくれたから。マール・ハガードは…「ママ・トライド」、「ザ・ボトル・レット・ミー・ダウン」、「悲しき逃亡者 (I’m a Lonesome Fugitive)」を歌っていたけれど、ウェイロン・ジェニングスが「ザ・ボトル・レット・ミー・ダウン」を歌うのは想像できないな。

「トゥゲザー・アゲイン」、あれはバック・オーウェンズだね。あれはベーカーズフィールド・サウンド(訳注:カリフォルニア州ベーカーズフィールドで発祥したカントリー・ミュージックの1ジャンル)から出てきたどんな曲よりも素晴らしい。バック・オーウェンズとマール・ハガードならどっちかって言うと、誰かに認められたいと思うなら…答えは自分で決めてくれ。私が言いたいのは、私の曲がどうやら人々を分裂させてしまうようだということだ。音楽コミュニティ内でさえもね。

 

ああ、そうだ。評論家たちはデビュー当初から私にきつく当たっていたね。私が歌えない、カエルみたいにゲロゲロ鳴いているんだって言っていた。同じことをトム・ウェイツに言わないのは何でだろうね?評論家たちは私の声がイカレているという。私に声なんてものはないってね。同じことをレナード・コーエンに言わないのは何でだろうね?どうして俺は特別扱いなんだろうね?評論家たちは私が1曲も歌い通せない、曲をトークしているって言う。そうかい?ルー・リードに対して同じことを言っているのは聞いたことがない。どうして彼は無罪放免なんだろうね?こんな風に特別な目で見られるなんて、私が何をしたって言うんだ?

主よ、なぜ私が?

 

声域がないって?ドクター・ジョンについてそう書かれているのを最後に読んだのはいつだっただろうね?ドクター・ジョンについてそんな記事は読んだこともないじゃないか。何で同じことを彼には言わないんだろうね?私の言葉をろれつが回っていない、洗練されていないと非難するけれど、そういう評論家たちがチャーリー・パットン、サン・ハウス、あるいはウルフなんかを一度でも聴いたことがあるのか疑問だね。ろれつが回っていない、洗練されていないといえば。でも彼らについてそういう話は全く出てこない。

 

「主よ、なぜ私が?」私ならそう言うね。

 

評論家たちは私がメロディをズタズタにしている、認識不可能な演奏の仕方をするという。そうかね?一言言わせてもらおう。数年前、フロイド・メイウェザーがプエルトリコ人の男と対決するボクシングの試合を観た。プエルトリコの国歌を誰かが歌っていたのが美しかった。心に訴えかけてくるものがあった。

 

その後、今度はアメリカ国歌の番になった。大人気の、ソウルを歌う女性歌手が歌うことになっていた。彼女は存在する音も存在しない音も歌っていたよ。メロディをズタズタにするという話でいえば、音節1つの単語を15分くらい引き伸ばしたらどうなる?その女性は空中ブランコみたいにヴォーカルの器械体操をやっているかのようだった。私にとっては面白くなかったけれどね。(あの時)評論家たちはどこにいたんだ?歌詞をズタズタにしていた?メロディをズタズタにしていた?宝物のような曲をズタズタにした?いや、責められるのは私だ。でも自分がそんなことをしているとは、どうも私には思えないね。私がそうしていると評論家たちが言っていると思うだけで。

 

サム・クックは声の美しさを褒められたときこう言ったという。「優しいお言葉をありがとう。でも声というものはその美しさで決められるものではないんだ。真実を歌っていると説得できることこそが大切なんだ」。次回歌を聴くときに考えて欲しい。

 

時代はいつでも変わるもの。本当だ。次にやってくる予期せぬものへの準備を常にしておかなければならない。ずっと昔、ナッシュヴィルでアルバムを作っていた頃、トム・T・ホール(訳注:カントリー・ミュージックの作曲家)のインタビューを読んだことがある。彼は最近の曲について文句を言っていた。意味が分からないってね。

 

いいかい、トムは当時、ナッシュヴィルで最も卓越したソングライターのひとりだったんだ。沢山の人が、彼自身も、彼の曲を録音していた。でも彼はジェームズ・テイラーの「カントリー・ロード」という曲にいちゃもんをつけていたんだ。「ジェームズはカントリー・ロード(田舎道)のことなど一言も歌っていない。田舎道で感じることを歌っているだけだ。私には理解できない」ってね。

 

いいかい、トムが素晴らしいソングライターだったという人もいる。それは私も疑いもしない。彼がそのインタビューを受けていたとき、私はラジオで彼の曲を聴いていたくらいだから。


 

「アイ・ラヴ」という曲だった。レコーディング・スタジオで聴いていたその曲は、彼が愛するものについての歌だった。人と繋がろうとする、ごく普通の曲だったね。彼も私も同じなんだなと思わせるような曲だった。みんな同じものが大好きで、みんな同じ立場だって。トムはアヒルの赤ちゃんや、ゆっくり走る列車や雨が大好きだ。古いピックアップ・トラックや、田舎の小川が好きだ。夢のない睡眠。グラスに入ったバーボン。カップに入ったコーヒー。つる付きトマト、それからタマネギも。

 

いいか、聴いてくれ、私はまたソングライターを糾弾する(ディスる)つもりはない。悪い曲だというつもりもないけれど、ちょっと作りこみすぎた曲かも知れないと言っているんだ。それでもその曲はトップ10入りを果たした。トムとその他数人のソングライターで、ナッシュヴィルのシーンは独占されていたんだ。自分の曲をトップ10入りさせたかったら、彼らに頼るしかなかった。

 

同じ頃、ウィリー・ネルソンが頭角を現して、テキサスに移住した。彼は今もテキサスに住んでいるね。すべてが順風満帆だった。…(クリス・)クリストファーソンが登場するまではね。彼は野良猫のようにナッシュヴィルに現れて、ヘリコプターでジョニー・キャッシュの裏庭に乗りつけたんだ。いわゆる普通のソングライターじゃなかったね。そうして書いたのが「サンデー・モーニング・カミング・ダウン」だった。

 

Well, I woke up Sunday morning

With no way to hold my head that didn't hurt.

And the beer I had for breakfast wasn't bad

So I had one more for dessert

Then I fumbled through my closet

Found my cleanest dirty shirt

Then I washed my face and combed my hair

And stumbled down the stairs to meet the day.

 (「サンデー・モーニング・カミング・ダウン」をそらんじる)

 

ナッシュヴィルのクリス登場前と登場後を見比べるといい。彼がすべてを変えたんだ。あの1曲がトム・T・ホールの世界をメチャメチャにした。そんなことになるとトムは思ってもみなかったんだ。あの曲は彼を精神科送りにしたかも知れないね。彼が私の歌を1曲でも聴いたらとんでもないことになるだろう。

 

You walk into the room

With your pencil in your hand

You see somebody naked

You say, “Who is that man?”

You try so hard

But you don’t understand

Just what you're gonna say

When you get home

But you don’t know what it is

Do you, Mister Jones?”

 (「やせっぽちのバラッド」をそらんじる)

 

「サンデー・モーニング・カミング・ダウン」がトムを怒らせて精神科送りにしたとしたら、私の曲なら間違いなく彼の脳みそを吹き飛ばしただろうね、精神科に一直線に。聴いていなかったことを願うよ。

 

最近スタンダード曲のアルバムを出したんだ。通常はマイケル・ブーブレ、ハリー・コニックJr.がやるような曲をね。ブライアン・ウィルソンやリンダ・ロンシュタットもやったことがあるかも知れない。でも彼らのアルバムのレヴューは、私のそれとは違うんだ。

 

彼らのレヴューでは誰も何も言わない。私のレヴューの場合はみんな何か言おうとしらみつぶしにネタを探すんだ。ソングライターの名前を全員挙げてね。まあ、それは別に構わない。つまるところみんな素晴らしいソングライターだし、スタンダード曲だからね。届いたレヴューを見たけど、レヴューの半分はソングライターの名前で埋まっている。誰もが知っているかのようにね。バディ・ケイ、サイ・コールマン、キャロリン・リーなど、今は誰も聞いたことがないような名前だけれど。

 

まあでも、彼らの名前が挙げられて私は嬉しいよ。彼らの名前が記事になったんだから。時間はかかったかも知れないけれど、やっと載ったんだ。どうしてこんなに時間がかかったのかと不思議に思うしかないけれど。唯一残念なのは、彼らの生きている間ではなかったことだね。

 

トラディショナルなロックンロールはリズムが命だ。ジョニー・キャッシュは「リズムだ。ブルースをやるときはリズムをモノにしろ」と最高の言い方をしていた。リズムのあるプレイをしているロックンロール・バンドは今非常に少ない。それが何だか分からないんだ。ロックンロールはブルースのコンビネーションだ。2つのパートが組み合わさってできた不思議なものなんだ。多くの人は気付いていないけれど、アメリカ音楽であるブルースは、みなさんが思っているようなものじゃない。アラビアのヴァイオリンとシュトラウスのワルツが組み合わさったものなんだ。本当のことだよ。

 

ロックンロールのもう片割れはヒルビリーしかあり得ない。これは蔑称とされているけれど、そういうことじゃない。デルモア・ブラザース、スタンレー・ブラザース、ロスコー・ホルコム、クラレンス・アシュリー…そういった輩を指す言葉だ。凶暴な酒類密造者。泥道を走る高速車。そういう組み合わせがロックンロールを作るんだ。科学の実験室やスタジオででっち上げられるものじゃない。

 

この手の音楽をやるには、正しいリズムがなければならない。フェイクすることはできるけど、本当の意味ではできないんだ。

 

評論家たちは、私が人々の期待を裏切り続けてきたことを非難することでキャリアを築いてきた。本当かって?私がやっているのはそれがすべてだからね。期待を裏切る、私はそう思っているんだ。

 

「あなたは何を生業としているのですか?」

「ああ、期待を裏切っているのですよ」

 

仕事の面接で「あなたは何をする人ですか?」と訊かれて「期待を裏切っています」と言ったら、「その職務は既に人員がいますので、また連絡してください。または私たちがいつか連絡しますよ」となるだろうね。期待を裏切る。それが何を意味するかって?「主よ、なぜ私が?私は彼らを裏切ったそうです。その方法を知らないのに」というところだね。

 

ブラックウッド・ブラザース(訳注:ゴスペル・グループ)は私に、一緒にアルバムを作らないかと誘ってくれている。そうなったら期待を裏切ることになるかも知れないけれど、そうなってはならないんだ。勿論ゴスペルのアルバムにあるだろう。私にとってはごく普通のことにしかならないだろうね。ブラックウッド・ブラザースの「スタンド・バイ・ミー」を歌おうかと考えているんだ。ポップ・ソングの「スタンド・バイ・ミー」じゃないよ。本物の「スタンド・バイ・ミー」だ。

 

When the storm of life is raging / Stand by me / When the storm of life is raging / Stand by me / When the world is tossing me / Like a ship upon the sea / Thou who rulest wind and water / Stand by me

 

In the midst of tribulation / Stand by me / In the midst of tribulation / Stand by me / When the hosts of hell assail / And my strength begins to fail / Thou whomever lost a battle / Stand by me

 

In the midst of faults and failures / Stand by me / In the midst of faults and failures / Stand by me / When I do the best I can / And my friends don't understand/ Thou who knowest all about me / Stand by me

 (ブラックウッド・ブラザースの「スタンド・バイ・ミー」をそらんじる)

 

こういう曲だ。私はポップ・ソングの方より好きだね。このタイトルの曲を1つ録音するとしたら、この曲になる。それから、あのアルバムではないけれど、「悲しき願い (Oh, Lord, Please Don’t Let Me Be Misunderstood)」も録音しようと考えているんだ。

 

ともあれ、主よ、どうして私が。私が何をしたというのでしょう?ということだ。

 

ともあれ、今晩MusiCaresに出席していることを誇りに、これほど沢山のアーティストが私の曲を歌ってくれたことを光栄に思っている。これほど素晴らしいことはない。素晴らしいアーティストたち(拍手にかき消されて声が聞こえず)。みんな真実を歌っていることが、彼らの声から分かるんだ。

 

私はMusicaresのことをよく考える。彼らは沢山の人々を手助けしてくれた。私たちのカルチャーに貢献してきた沢山のミュージシャン。個人的には、友人のビリー・リー・ライリーにしてくれたことに感謝の意を表したいと思う。Musicaresは彼が病気で働くことが出来なかった6年間、彼を手助けしてくれた。ビリーもまた、ロックンロールの申し子であることは言うまでもない。

 

彼は真のオリジナルだった。演奏も歌も作曲もできて。ジェリー・リーが登場しなければもっと大スターになっていただろうね。ああいう人が登場してしまうと、どうにも何の見込みもなくなってしまうものだから。

 

そうしてビリーはいわゆる一発屋になってしまった。でも時には、一発屋が、20曲や30曲ヒットを連発しているスターよりも強力なインパクトを残すことができるんだ。ビリーのヒット曲は「レッド・ホット」という曲で、本当にレッド・ホット(灼熱の)曲だった。頭がぶっ飛んでハッピーになって、人生が変わるくらいにね。

 

彼はそれをスタイリッシュに優雅にやってのけた。彼はロックンロールの殿堂にはいない。メタリカはいる。アバもいる。ママス&パパスもいるのは知っている。ジェファーソン・エアプレイン、アリス・クーパー、スティーリー・ダン…ソフト・ロック、ハード・ロック、サイケデリック・ポップ。彼らやそういう音楽に他意はないけれど、「ロックンロールの殿堂」という名前なのに。ビリー・リー・ライリーは「まだ」いないんだ。

 

彼とは年に数回会っていた。彼がロカビリー・フェスティヴァルの「あの人は今」的なものを回っているときなんかに、時々一緒になったんだ。そんなときはいつも一緒に過ごしていたよ。私のヒーローなんだ。「レッド・ホット」を聴いたとき、私は多分15、6歳だった。今も印象深い曲だよ。

 

あの曲は聴き飽きたことがない。ビリー・リーのパフォーマンスを見飽きたこともなかった。一緒にいるときは夜遅くまで喋ったりプレイしたりしていた。奥の深い、誠実な男だった。世知辛くも、ノスタルジックになることもなく、状況を受け入れていた。自分自身に満足していたんだね。

 

ところがある日彼は病気になってしまった。今日も真実を歌ってくれた友人のジョン・メレンキャンプが歌うように、「ある日病気になって治らなかった」んだ。ジョンの曲「ロンゲスト・デイズ」からの一節なんだけどね。ここ数年の中で最高の曲のひとつだよ。嘘じゃなくて。

 

MusiCaresが友人の医療費や住宅ローンを肩代わりしてくれて、彼の出費を手助けしてくれたのも嘘じゃない。彼の人生を、少なくとも最期まで快適で耐え得るものにしてくれたんだ。これは返すことのできないもの(恩)だと思う。そんなことをしてくれる団体のために私は祈らずにはいられない。

 

そろそろ終わりにしておいとましようと思う。恐らく沢山の人を挙げそびれて、一部の人のことは言い過ぎてしまっただろう。でもそれでいい。スピリチュアルの曲のように、「私もまだヨルダン川を渡っている途中」なのだから(訳注:黒人霊歌「深い河」に言及しているものと思われる。ヨルダン川の向こうには約束の聖地があるという内容)。またお会いできますように。いつの日か。そしてもしお会いできるのであれば、ハンク・ウィリアムスの歌っていたように、それは「主のよき思し召しによるもの」(訳注:ハンク・ウィリアムスの曲”If The Good Lord’s Willin” [And The Creeks Don’t Rise]”とかけている)ということでしょう。

 

(以上)

*注:そらんじる=歌詞を朗読、暗唱してるという意


http://www.latimes.com/entertainment/music/posts/la-et-ms-grammys-2015-transcript-of-bob-dylans-musicares-person-of-year-speech-20150207-story.html#page=3


Bob Dylan's MusiCares person of the year acceptance speech:


__


I'm glad for my songs to be honored like this. But you know, they didn't get here by themselves. It's been a long road and it's taken a lot of doing. These songs of mine, they're like mystery stories, the kind that Shakespeare saw when he was growing up. I think you could trace what I do back that far. They were on the fringes then, and I think they're on the fringes now. And they sound like they've been on the hard ground. 



I should mention a few people along the way who brought this about. I know I should mention John Hammond, great talent scout for Columbia Records. He signed me to that label when I was nobody. It took a lot of faith to do that, and he took a lot of ridicule, but he was his own man and he was courageous. And for that, I'm eternally grateful. The last person he discovered before me was Aretha Franklin, and before that Count Basie, Billie Holiday and a whole lot of other artists. All noncommercial artists. 


Trends did not interest John, and I was very noncommercial but he stayed with me. He believed in my talent and that's all that mattered. I can't thank him enough for that.


Lou Levy runs Leeds Music, and they published my earliest songs, but I didn't stay there too long. Levy himself, he went back a long ways. He signed me to that company and recorded my songs and I sang them into a tape recorder. He told me outright, there was no precedent for what I was doing, that I was either before my time or behind it. And if I brought him a song like "Stardust," he'd turn it down because it would be too late. 


He told me that if I was before my time -- and he didn't really know that for sure -- but if it was happening and if it was true, the public would usually take three to five years to catch up -- so be prepared. And that did happen. The trouble was, when the public did catch up I was already three to five years beyond that, so it kind of complicated it. But he was encouraging, and he didn't judge me, and I'll always remember him for that. 


Artie Mogull at Witmark Music signed me next to his company, and he told me to just keep writing songs no matter what, that I might be on to something. Well, he too stood behind me, and he could never wait to see what I'd give him next. I didn't even think of myself as a songwriter before then. I'll always be grateful for him also for that attitude. 


I also have to mention some of the early artists who recorded my songs very, very early, without having to be asked. Just something they felt about them that was right for them. I've got to say thank you to Peter, Paul and Mary, who I knew all separately before they ever became a group. I didn't even think of myself as writing songs for others to sing but it was starting to happen and it couldn't have happened to, or with, a better group. 


They took a song of mine that had been recorded before that was buried on one of my records and turned it into a hit song. Not the way I would have done it -- they straightened it out. But since then hundreds of people have recorded it and I don't think that would have happened if it wasn't for them. They definitely started something for me. 


The Byrds, the Turtles, Sonny & Cher -- they made some of my songs Top 10 hits but I wasn't a pop songwriter and I really didn't want to be that, but it was good that it happened. Their versions of songs were like commercials, but I didn't really mind that because 50 years later my songs were being used in the commercials. So that was good too. I was glad it happened, and I was glad they'd done it. 


Pervis Staples and the Staple Singers -- long before they were on Stax they were on Epic and they were one of my favorite groups of all time. I met them all in '62 or '63. They heard my songs live and Pervis wanted to record three or four of them and he did with the Staples Singers. They were the type of artists that I wanted recording my songs. 


Nina Simone. I used to cross paths with her in New York City in the Village Gate nightclub. These were the artists I looked up to. She recorded some of my songs that she [inaudible] to me. She was an overwhelming artist, piano player and singer. Very strong woman, very outspoken. That she was recording my songs validated everything that I was about.


Oh, and can't forget Jimi Hendrix. I actually saw Jimi Hendrix perform when he was in a band called Jimmy James and the Blue Flames -- something like that. And Jimi didn't even sing. He was just the guitar player. He took some small songs of mine that nobody paid any attention to and pumped them up into the outer limits of the stratosphere and turned them all into classics. I have to thank Jimi, too. I wish he was here. 



Johnny Cash recorded some of my songs early on, too, up in about '63, when he was all skin and bones. He traveled long, he traveled hard, but he was a hero of mine. I heard many of his songs growing up. I knew them better than I knew my own. "Big River," "I Walk the Line." 


"How high's the water, Mama?" I wrote "It's Alright Ma (I'm Only Bleeding)" with that song reverberating inside my head. I still ask, "How high is the water, mama?" Johnny was an intense character. And he saw that people were putting me down playing electric music, and he posted letters to magazines scolding people, telling them to shut up and let him sing. 




In Johnny Cash's world -- hardcore Southern drama -- that kind of thing didn't exist. Nobody told anybody what to sing or what not to sing. They just didn't do that kind of thing. I'm always going to thank him for that. Johnny Cash was a giant of a man, the man in black. And I'll always cherish the friendship we had until the day there is no more days. 


Oh, and I'd be remiss if I didn't mention Joan Baez. She was the queen of folk music then and now. She took a liking to my songs and brought me with her to play concerts, where she had crowds of thousands of people enthralled with her beauty and voice. 


People would say, "What are you doing with that ragtag scrubby little waif?" And she'd tell everybody in no uncertain terms, "Now you better be quiet and listen to the songs." We even played a few of them together. Joan Baez is as tough-minded as they come. Love. And she's a free, independent spirit. Nobody can tell her what to do if she doesn't want to do it. I learned a lot of things from her. A woman with devastating honesty. And for her kind of love and devotion, I could never pay that back. 




The secret Sinatra past of Bob Dylan's new album

These songs didn't come out of thin air. I didn't just make them up out of whole cloth. Contrary to what Lou Levy said, there was a precedent. It all came out of traditional music: traditional folk music, traditional rock 'n' roll and traditional big-band swing orchestra music. 


I learned lyrics and how to write them from listening to folk songs. And I played them, and I met other people that played them back when nobody was doing it. Sang nothing but these folk songs, and they gave me the code for everything that's fair game, that everything belongs to everyone.


For three or four years all I listened to were folk standards. I went to sleep singing folk songs. I sang them everywhere, clubs, parties, bars, coffeehouses, fields, festivals. And I met other singers along the way who did the same thing and we just learned songs from each other. I could learn one  song and sing it next in an hour if I'd heard it just once.



If you sang "John Henry" as many times as me -- "John Henry was a steel-driving man / Died with a hammer in his hand / John Henry said a man ain't nothin' but a man / Before I let that steam drill drive me down / I'll die with that hammer in my hand." 


If you had sung that song as many times as I did, you'd have written "How many roads must a man walk down?" too. 


Big Bill Broonzy had a song called "Key to the Highway." "I've got a key to the highway / I'm booked and I'm bound to go / Gonna leave here runnin' because walking is most too slow." I sang that a lot. If you sing that a lot, you just might write, 


Georgia Sam he had a bloody nose


Welfare Department they wouldn’t give him no clothes


He asked poor Howard where can I go


Howard said there’s only one place I know


Sam said tell me quick man I got to run


Howard just pointed with his gun


And said that way down on Highway 61



You'd have written that too if you'd sang "Key to the Highway" as much as me. 


"Ain't no use sit 'n cry / You'll be an angel by and by / Sail away, ladies, sail away." "I'm sailing away my own true love." "Boots of Spanish Leather" -- Sheryl Crow just sung that.


"Roll the cotton down, aw, yeah, roll the cotton down / Ten dollars a day is a white man's pay / A dollar a day is the black man's pay / Roll the cotton down." If you sang that song as many times as me, you'd be writing "I ain't gonna work on Maggie's farm no more," too.



I sang a lot of "come all you" songs. There's plenty of them. There's way too  many to be counted. "Come along boys and listen to my tale / Tell you of my trouble on the old Chisholm Trail." Or, "Come all ye good people, listen while I tell / the fate of Floyd Collins a lad we all know well / The fate of Floyd Collins, a lad we all know well." 


"Come all ye fair and tender ladies / Take warning how you court your men / They're like a star on a summer morning / They first appear and then they're gone again." "If you'll gather 'round, people / A story I will tell /  'Bout Pretty Boy Floyd, an outlaw / Oklahoma knew him well."


If you sung all these "come all ye" songs all the time, you'd be writing, "Come gather 'round people where ever you roam, admit that the waters around you have grown / Accept that soon you'll be drenched to the bone / If your time to you is worth saving / And you better start swimming or you'll sink like a stone / The times they are a-changing."


You'd have written them too. There's nothing secret about it. You just do it subliminally and unconsciously, because that's all enough, and that's all I sang. That was all that was dear to me. They were the only kinds of songs that made sense. 



"When you go down to Deep Ellum keep your money in your socks / Women in Deep Ellum put you on the rocks." Sing that song for a while and you just might come up with, "When you're lost in the rain in Juarez and it's Easter time too / And your gravity fails and negativity don't pull you through / Don’t put on any airs / When you’re down on Rue Morgue Avenue / They got some hungry women there / And they really make a mess outta you."


All these songs are connected. Don't be fooled. I just opened up a different door in a different kind of way. It's just different, saying the same thing. I didn't think it was anything out of the ordinary. 



Surprisingly candid Bob Dylan, AARP magazine cover boy

Well you know, I just thought I was doing something natural, but right from the start, my songs were divisive for some reason. They divided people. I never knew why. Some got angered, others loved them. Didn't know why my songs had detractors and supporters. A strange environment to have to throw your songs into, but I did it anyway. 


Last thing I thought of was who cared about what song I was writing. I was just writing them. I didn't think I was doing anything different. I thought I was just extending the line. Maybe a little bit unruly, but I was just elaborating on situations. Maybe hard to pin down, but so what? A lot of people are hard to pin down. You've just got to bear it. I didn't really care what Lieber and Stoller thought of my songs. 


They didn't like 'em, but Doc Pomus did. That was all right that they didn't like 'em, because I never liked their songs either. "Yakety yak, don't talk back." "Charlie Brown is a clown," "Baby I'm a hog for you." Novelty songs. They weren't saying anything serious. Doc's songs, they were better. "This Magic Moment." "Lonely Avenue." Save the Last Dance for Me. 


Those songs broke my heart. I figured I'd rather have his blessings any day than theirs. 


Ahmet Ertegun didn't think much of my songs, but Sam Phillips did. Ahmet founded Atlantic Records. He produced some great records: Ray Charles, Ray Brown, just to name a few. 


There were some great records in there, no question about it. But Sam Phillips, he recorded Elvis and Jerry Lee, Carl Perkins and Johnny Cash. Radical eyes that shook the very essence of humanity. Revolution in style and scope. Heavy shape and color. Radical to the bone. Songs that cut you to the bone. Renegades in all degrees, doing songs that would never decay, and still resound to this day. Oh, yeah, I'd rather have Sam Phillips' blessing any day. 


Bob Dylan, the 2015 MusiCares Person of the Year, speaks of his life and music to the crowd. (Gina Ferazzi / Los Angeles Times)

Merle Haggard didn't even think much of my songs. I know he didn't. He didn't say that to me, but I know [inaudible]. Buck Owens did, and he recorded some of my early songs. Merle Haggard -- "Mama Tried," "The Bottle Let Me Down," "I'm a Lonesome Fugitive." I can't imagine Waylon Jennings singing "The Bottle Let Me Down." 


"Together Again"? That's Buck Owens, and that trumps anything coming out of Bakersfield. Buck Owens and Merle Haggard? If you have to have somebody's blessing -- you figure it out. 


Oh, yeah. Critics have been giving me a hard time since Day One. Critics say I can't sing. I croak. Sound like a frog. Why don't critics say that same thing about Tom Waits? Critics say my voice is shot. That I have no voice. What don't they say those things about Leonard Cohen? Why do I get special treatment? Critics say I can't carry a tune and I talk my way through a song. Really? I've never heard that said about Lou Reed. Why does he get to go scot-free? 


What have I done to deserve this special attention? No vocal range? When's the last time you heard Dr. John? Why don't you say that about him? Slur my words, got no diction. Have you people ever listened to Charley Patton or Robert Johnson, Muddy Waters. Talk about slurred words and no diction. [Inaudible] doesn't even matter.


"Why me, Lord?" I would say that to myself.


Critics say I mangle my melodies, render my songs unrecognizable. Oh, really? Let me tell you something. I was at a boxing match a few years ago seeing Floyd Mayweather fight a Puerto Rican guy. And the Puerto Rican national anthem, somebody sang it and it was beautiful. It was heartfelt and it was moving. 



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After that it was time for our national anthem. And a very popular soul-singing sister was chosen to sing. She sang every note -- that exists, and some that don't exist. Talk about mangling a melody. You take a one-syllable word and make it last for 15 minutes? She was doing vocal gymnastics like she was on a trapeze act. But to me it was not funny. 


Where were the critics? Mangling lyrics? Mangling a melody? Mangling a treasured song? No, I get the blame. But I don't really think I do that. I just think critics say I do. 


Sam Cooke said this when told he had a beautiful voice: He said, "Well that's very kind of you, but voices ought not to be measured by how pretty they are. Instead they matter only if they convince you that they are telling the truth." Think about that the next time you [inaudible].


Times always change. They really do. And you have to always be ready for something that's coming along and you never expected it. Way back when, I was in Nashville making some records and I read this article, a Tom T. Hall interview. Tom T. Hall, he was bitching about some kind of new song, and he couldn't understand what these new kinds of songs that were coming in were about. 


Now Tom, he was one of the most preeminent songwriters of the time in Nashville. A lot of people were recording his songs and he himself even did it. But he was all in a fuss about James Taylor, a song James had called "Country Road." Tom was going off in this  interview -- "But James don't say nothing about a country road. He's just says how you can feel it on the country road. I don't understand that."


Now some might say Tom is a great songwriter. I'm not going to doubt that. At the time he was doing this interview I was actually listening to a song of his on the radio.


It was called "I Love." I was listening to it in a recording studio, and he was talking about all the things he loves, an everyman kind of song, trying to connect with people. Trying to make you think that he's just like you and you're just like him. We all love the same things, and we're all in this together. Tom loves little baby ducks, slow-moving trains and rain. He loves old pickup trucks and little country streams. Sleeping without dreams. Bourbon in a glass. Coffee in a cup. Tomatoes on the vine, and onions.



Now listen, I'm not ever going to disparage another songwriter. I'm not going to do that. I'm not saying it's a bad song. I'm just saying it might be a little overcooked. But, you know, it was in the top 10 anyway. Tom and a few other writers had the whole Nashville scene sewed up in a box. If you wanted to record a song and get it in the top 10 you had to go to them, and Tom was one of the top guys. They were all very comfortable, doing their thing.


This was about the time that Willie Nelson picked up and moved to Texas. About the same time. He's still in Texas. Everything was very copacetic. Everything was all right until -- until -- Kristofferson came to town. Oh, they ain't seen anybody like him. He came into town like a wildcat, flew his helicopter into Johnny Cash's backyard like a typical songwriter. And he went for the throat. "Sunday Morning Coming Down."  


Well, I woke up Sunday morning


With no way to hold my head that didn't hurt.


And the beer I had for breakfast wasn't bad


So I had one more for dessert


Then I fumbled through my closet 


Found my cleanest dirty shirt


Then I washed my face and combed my hair


And stumbled down the stairs to meet the day.


You can look at Nashville pre-Kris and post-Kris, because he changed everything. That one song ruined Tom T. Hall's poker parties. It might have sent him to the crazy house. God forbid he ever heard any of my songs. 


You walk into the room


With your pencil in your hand


You see somebody naked


You say, “Who is that man?”


You try so hard


But you don’t understand


Just what you're gonna say


When you get home


You know something is happening here


But you don’t know what it is


Do you, Mister Jones?



If "Sunday Morning Coming Down" rattled Tom's cage, sent him into the looney bin, my song surely would have made him blow his brains out, right there in the minivan. Hopefully he didn't hear it. 


I just released an album of standards, all the songs usually done by Michael Buble, Harry Connick Jr., maybe Brian Wilson's done a couple, Linda Ronstadt done 'em. But the reviews of their records are different than the reviews of my record. 


In their reviews no one says anything. In my reviews, [inaudible] they've got to look under every stone when it comes to me. They've got to mention all the songwriters' names. Well that's OK with me. After all, they're great songwriters and these are standards. I've seen the reviews come in, and they'll mention all the songwriters in half the review, as if everybody knows them. Nobody's heard of them, not in this time, anyway. Buddy Kaye, Cy Coleman, Carolyn Leigh, to name a few. 


But, you know, I'm glad they mention their names, and you know what? I'm glad they got their names in the press. It might have taken some time to do it, but they're finally there. I can only wonder why it took so long. My only regret is that they're not here to see it. 


Traditional rock 'n' roll, we're talking about that. It's all about rhythm. Johnny Cash said it best: "Get rhythm. Get rhythm when you get the blues." Very few rock 'n' roll bands today play with rhythm. They don't know what it is. Rock 'n' roll is a combination of blues, and it's a strange thing made up of two parts. A lot of people don't know this, but the blues, which is an American music, is not what you think it is. It's a combination of Arabic violins and Strauss waltzes working it out. But it's true. 


The other half of rock 'n' roll has got to be hillbilly. And that's a derogatory term, but it ought not to be. That's a term that includes the Delmore Bros., Stanley Bros., Roscoe Holcomb, Clarence Ashley ... groups like that. Moonshiners gone berserk. Fast cars on dirt roads. That's the kind of combination that makes up rock 'n' roll, and it can't be cooked up in a science laboratory or a studio. 


You have to have the right kind of rhythm to play this kind of music. If you can't hardly play the blues, how do you [inaudible] those other two kinds of music in there? You can fake it, but you can't really do it. 


Critics have made a career out of accusing me of having a career of confounding expectations. Really? Because that's all I do. That's how I think about it. Confounding expectations. 


"What do you do for a living, man?"


"Oh, I confound expectations."


You're going to get a job, the man says, "What do you do?" "Oh, confound expectations.: And the man says, "Well, we already have that spot filled. Call us back. Or don't call us, we'll call you." Confounding expectations. What does that mean? 'Why me, Lord? I'd confound them, but I don't know how to do it.' 


The Blackwood Bros. have been talking to me about making a record together. That might confound expectations, but it shouldn't. Of course it would be a gospel album. I don't think it would be anything out of the ordinary for me. Not a bit. One of the songs I'm thinking about singing is "Stand By Me" by the Blackwood Brothers. Not "Stand By Me" the pop song. No. The real "Stand By Me." 


 The real one goes like this:


When the storm of life is raging / Stand by me / When the storm of life is raging / Stand by me / When the world is tossing me / Like a ship upon the sea / Thou who rulest wind and water / Stand by me


 In the midst of tribulation / Stand by me / In the midst of tribulation / Stand by me / When the hosts of hell assail / And my strength begins to fail / Thou who never lost a battle / Stand by me


In the midst of faults and failures / Stand by me / In the midst of faults and failures / Stand by me / When I do the best I can / And my friends don't understand / Thou who knowest all about  me / Stand by me


That's the song. I like it better than the pop song. If I record one by that name, that's going to be the one. I'm also thinking of recording a song, not on that album, though: "Oh Lord, Please Don't Let Me Be Misunderstood." 


Anyway, why me, Lord. What did I do? 


Anyway, I'm proud to be here tonight for MusiCares. I'm honored to have all these artists singing my songs. There's nothing like that. Great artists. [applause, inaudible]. They're all singing the truth, and you can hear it in their voices.


I'm proud to be here tonight for MusiCares. I think a lot of this organization. They've helped many people. Many musicians who have contributed a lot to our culture. I'd like to personally thank them for what they did for a friend of mine, Billy Lee Riley. A friend of mine who they helped for six years when he was down and couldn't work. Billy was a son of rock 'n' roll, obviously.



He was a true original. He did it all: He played, he sang, he wrote. He would have been a bigger star but Jerry Lee came along. And you know what happens when someone like that comes along. You just don't stand a chance.


So Billy became what is known in the industry -- a condescending term, by the way -- as a one-hit wonder. But sometimes, just sometimes, once in a while, a one-hit wonder can make a more powerful impact than a recording star who's got 20 or 30 hits behind him. And Billy's hit song was called "Red Hot," and it was red hot. It could blast you out of your skull and make you feel happy about it. Change your life. 


He did it with style and grace. You won't find him in the Rock and Roll Hall of Fame. He's not there. Metallica is. Abba is. Mamas and the Papas -- I know they're in there. Jefferson Airplane, Alice Cooper, Steely Dan -- I've got nothing against them. Soft rock, hard rock, psychedelic pop. I got nothing against any of that stuff, but after all, it is called the Rock and Roll Hall of Fame. Billy Lee Riley is not there. Yet. 


I'd see him a couple times a year and we'd always spent time together and he was on a rockabilly festival nostalgia circuit, and we'd cross paths now and again. We'd always spend time together. He was a hero of mine. I'd heard "Red Hot." I must have been only 15 or 16 when I did and it's impressed me to this day.


I never grow tired of listening to it. Never got tired of watching Billy Lee perform, either. We spent time together just talking and playing into the night. He was a deep, truthful man. He wasn't bitter or nostalgic. He just accepted it. He knew where he had come from and he was content with who he was. 


And then one day he got sick. And like my friend John Mellencamp would sing -- because John sang some truth today -- one day you get sick and you don't get better. That's from a song of his called "Life is Short Even on Its Longest Days." It's one of the better songs of the last few years, actually. I ain't lying. 


And I ain't lying when I tell you that MusiCares paid for my friend's doctor bills, and helped him to get spending money. They were able to at least make his life comfortable, tolerable to the end. That is something that can't be repaid. Any organization that would do that would have to have my blessing. 


I'm going to get out of here now. I'm going to put an egg in my shoe and beat it. I probably left out a lot of people and said too much about some. But that's OK. Like the spiritual song, 'I'm still just crossing over Jordan too.' Let's hope we meet again. Sometime. And we will, if, like Hank Williams said, "the good Lord willing and the creek don't rise."


FULL COVERAGE 2015 GRAMMYS:


Grammys 2015: Complete list of winners and nominees


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ボブ・ディラン”MusiCare Person Of The Year”受賞。豪華アーティスト集結トリビュート・コンサート開催! ディラン40分にも及ぶ伝説のスピーチ!自分の作品を取り上げてくれたアーティスト達へ謝辞。

2015.02.09


毎年恒例グラミーの前夜祭的に行なわれる「MusiCares Person Of The Year」授賞式。2015年、今年の受賞者はボブ・ディラン。3年ぶり通算36作目の新作『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』リリース直後のUS時間2月6日に、ロサンゼルスのコンヴェンション・センターにて授賞式典と豪華アーティストによるボブ・ディラン・トリビュート・コンサートが行なわれた。ディランにゆかりのあるブルース・スプリングスティーン、ニール・ヤング、ジャクソン・ブラウンをはじめ、BECK、ノラ・ジョーンズ、ジャック・ホワイトなどディランズ・チルドレン的な若手アーティストまで、総勢17組のボブ・ディランをリスペクトするスーパースター達が彼の数々の名曲を独自の解釈でパフォーマンスした。

 

ブルース・スプリングスティーンが「天国への扉」を演奏した後、元米大統領ジミー・カーター氏が登壇し、ボブ・ディランを紹介。今夜の主役であるボブ・ディランが登場し、受賞スピーチを行なったが、当初10分の予定だったところ、過去例をみない40分にも及ぶものとなり、普段ほとんどインタビューを受けることがないボブ・ディランの「伝説のスピーチ」として今後語り継がれるものになった。その中でも多くを割いたのが、自分の作品をとりあげてくれたピーター、ポール&マリー、ザ・バーズ、ザ・タートルズ、ソニー&シェール、パーヴィス・ステイプルズ、ステイプルズ・シンガーズ、ニーナ・シモン、ジミ・ヘンドリックス、ジョニー・キャッシュ、ジョーン・バエズへの感謝の言葉。

 

ザ・バーズ、ザ・タートルズ、ソニー&シェールへは「彼らは僕の曲をトップ10ヒットにしてくれたけれど、わたしはポップ・ソングライターではなかった。なりたいと思ったことすらなかった。でもそういうことになったのはよかったよ。彼らのヴァージョンはコマーシャルみたいだったけど、わたしは特に気に留めなかった。50年経ったら、わたしの曲がコマーシャルに使われることになったんだから。それもよかったね。そういうことになってよかった」。

 

ジミ・ヘンドリックスへは「ジミ・ヘンドリックスを忘れる訳にはいかない。わたしがジミの演奏を実際に観たのは、彼がジミー・ジェームズ・アンド・ザ・ブルー・フレームズとかいう名前のバンドにいた頃だった。ジミは歌ってすらいなかった。ただのギタリストだったんだ。彼は、誰も全く注目していなかったようなわたしの些細な曲を、成層圏の隅まで轟かせて、どれも名曲にしてくれた。ジミにも感謝しなければ。彼がここにいてくれたらと思う」。

 

またジョニー・キャッシュへは「わたしにとって彼はヒーローだ。ジョニーは気性の激しい人だった。わたしがエレクトリック・ミュージックをやっていることを批判されているのを知った彼は、雑誌に〝黙ってアイツを歌わせろ“と、彼らを叱る手紙を投稿したんだ。ジョニー・キャッシュの生きていたハードコアな南部のドラマの世界では、そんなものは存在しなかった。誰も誰かに何を歌えとか、何を歌うなとか、指図したことなんてなかったんだ」。

 

60年代初期、プロテスト・ソングを共に歌った盟友ジョーン・バエズへは「今も昔もフォーク・ミュージックの女王だった」と称賛。ディランはまた、自身の歌声を酷評する評論家たちを揶揄し、ちょっと皮肉も込めた攻撃も忘れなかった。「彼らが同じことをレナード・コーエンに言わないのは何でだろうね?。どうして俺は特別扱いなんだろうね?」

 

そして、「わたしの曲に対してこのような評価を与えてもらって光栄だ。ここまでの道のりは長く、厳しく、努力もした。わたしが作った曲はシェークスピアが若い時に見た歌劇のようなものかもしれない。当時も的外れだし、今も的外れだ。わたしは今もなお、もがき続けている。いつかまた会うことを願っている」と語り、ボブ・ディランはステージを後にした。

 

この夜、ボブ・ディラン自身のパフォーマンスは行なわれなかったが、このスピーチのあとニール・ヤングが「風に吹かれて」を感動的に披露。トリビュート・コンサートのラストを飾り、歴史に残る、夢のような奇跡の夜は幕を閉じた。

 

ボブ・ディランは、これまでにグラミー賞を10度受賞、アカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞、ロックの殿堂、ソングライターの殿堂、ピューリッツァー賞特別賞、アメリカ合衆国文民に贈られる最高位の勲章「大統領自由勲章」受章他、数々の栄誉を受賞。ここ10数年はノーベル文学賞候補として毎年取りざたされている。今回のMusicCares Person Of The Yearの受賞でまた一つ輝かしい栄誉を獲得した。ボブ・ディランの全世界トータル・アルバム・セールスは1億2500万枚以上。

 

新作『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』はアメリカン・クラシックの名曲を独自の解釈でカバーしたもので、米ローリング・ストーン誌では「本作で大いに衝撃的なのが、ディランの歌である。これは甘い囁きなどではない。サスペンスなのだ」と称賛され、歴史的傑作の記しでもある5つ星を獲得。LAタイムズ紙「深遠で、テーマ的には痛烈でもある」、テレグラフ紙「類稀なアルバム」など、全世界中から大絶賛のレビューが寄せられている。

 

日本では超レアお宝必至!正真正銘「ディラン直筆サイン入りLPジャケット」を日本で1名様にプレゼントするキャンペーンも実施中。

 


MusicCares Person Of The Year 2015のセットリストはこちら。

 

【MusicCares Person Of The Year 2015 Set List】

1.Beck "Leopard-Skin Pill-Box Hat"
ベック「ヒョウ皮のふちなし帽」(1966『ブロンド・オン・ブロンド』収録曲)
2.Aaron Neville "Shooting Star"
アーロン・ネヴィル「シューティング・スター」(1989年『オー・マーシー』収録曲)
3.Alanis Morissette "Subterranean Homesick Blues"
アラニス・モリセット「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」(1965年『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』収録曲)
4.Los Lobos "On A Night Like This"
ロス・ロボス「こんな夜に」(1974年『プラネット・ウェイヴス』収録曲)
5.Willie Nelson "Señor (Tales Of Yankee Power)"
ウィリー・ネルソン「セニョール (ヤンキー・パワーの話)」(1978年『ストリート・リーガル』収録曲)
6.Jackson Browne "Blind Willie McTell"
ジャクソン・ブラウン「ブラインド・ウィリー・マクテル」(1991年『ブートレッグ・シリーズ第一集』収録曲)
7.John Mellencamp "Highway 61 Revisited"
ジョン・メレンキャンプ「追憶のハイウェイ61」(1965年『追憶のハイウェイ61』収録曲)
8.Jack White "One More Cup Of Coffee"
ジャック・ホワイト「コーヒーもう一杯」(1976年『欲望』収録曲)
9.Tom Jones "What Good Am I?"
トム・ジョーンズ「ホワット・グッド・アム・アイ?」(1989年『オー・マーシー』収録曲)
10.Norah Jones "I'll Be Your Baby Tonight"
ノラ・ジョーンズ「アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト」(1967年『ジョン・ウェズリー・ハーディング』収録曲)
11.Dereck Trucks And Susan Tedeschi "Million Miles"
デレク・トラックス&スーザン・テデスキ「ミリオン・マイルズ」(1997年『タイム・アウト・オブ・マインド 』収録曲)
12.John Doe "Pressing On"
ジョン・ドー「プレッシング・オン」(1980年『セイヴド』収録曲)
13.Crosby, Stills & Nash "Girl From The North County"
クロスビー・スティルス&ナッシュ「北国の少女」(1963年『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』収録曲)
14.Bonnie Raitt "Standing In The Doorway"
ボニー・レイット「スタンディング・イン・ザ・ドアウェイ」(1997年『タイム・アウト・オブ・マインド 』収録曲)
15.Sheryl Crow "Boots Of Spanish Leather"
シェリル・クロウ「スペイン革のブーツ」(1963年『時代は変る』収録曲)
16.Bruce Springsteen "Knockin' On Heaven's Door"
ブルース・スプリングスティーン「天国への扉」(1973年『パット・ギャレット&ビリー・ザ・キッド』収録曲)
  
―The 39th President of the United States Jimmy Carter introduces Bob Dylan―
 
17.Neil Young Blowin' In The Wind"
二―ル・ヤング「風に吹かれて」(1963年『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』収録曲)


開演前のレッド・カーペットではレディー・ガガ&トニー・ベネット、アークティック・モンキーズ、リッチー・サンボラ&オリアンティ、ジョシュ・グローバン、トム・モレロ、ジェフ・ブリッジス、ダーニ・ハリスン(元ビートルズ・ジョージ・ハリスンの息子)、デヴィッド・フォスター、ポール・ウィリアムス、ラン・ラン、リック・オケイセック(The Cars)、ドン・ウォズ、アル・ゴア他錚々たる面々が登場。会場には元ビートルズのリンゴ・スターの姿もあった。

 

【MusiCare Person Of The Yearについて】

詳しくはこちら


 




3 件のコメント:

  1. Sam Cooke said this when told he had a beautiful voice: He said, "Well that's very kind of you,
    but voices ought not to be measured by how pretty they are. Instead they matter only if they
    convince you that they are telling the truth." Think about that the next time you [inaudible].

    サム・クックは声の美しさを褒められたときこう言ったという。「優しいお言葉をありがとう。
    でも声というものはその美しさで決められるものではないんだ。真実を歌っていると説得できる
    ことこそが大切なんだ」。次回歌を聴くときに考えて欲しい。

    Bob Dylan: 2015 MusiCares Person Of The Year
    http://youtu.be/scjD7h6v2Zc 3:50
             (ダイジェスト動画↑)
    >>738 の原文
    http://www.latimes.com/entertainment/music/posts/la-et-ms-grammys-2015-transcript-of-bob-dylans-musicares-person-of-year-speech-20150207-story.html#page=3
    http://www.sonymusic.co.jp/artist/BobDylan/info/450306?id=aep150209 (邦訳)
    http://www.latimes.com/entertainment/music/posts/la-et-ms-grammys-2015-transcript-of-bob-dylans-musicares-person-of-year-speech-20150207-story.html#page=3 (原文)

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  2. 上記のスピーチでシナトラへの言及はない。生前、そこまで交流はなかった?

    "Restless Farewell," Bob Dylan, High-Quality (Frank Sinatra's 80th Birthday Tribute, 1995)
    http://youtu.be/F44DBpIyAh0

    返信削除
  3. ボブ・ディラン、やっとノーベル賞の受賞講演「でも、歌と文学は違う」
    http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/05/bob-dylan_n_16962408.html
    ボブ・ディラン、やっとノーベル賞の受賞講演「でも、歌と文学は違う」
    HuffPost Japan | 執筆者: 南 麻理江
    メール
    投稿日: 2017年06月06日 12時07分 JST 更新: 2017年06月06日 12時08分 JST
    BOB DYLAN
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    2016年のノーベル文学賞を受賞したミュージシャンのボブ・ディランさんの受賞記念講演を、6月5日、ノーベル財団が公開した。



    ディランさんは2016年10月の受賞発表後、一時期連絡が取れなくなるなどして大きな話題を呼んだ。12月の受賞式も「先約のため」欠席していたため、「業績にまつわる講演」を発表するかどうかの動向が注目されていた。

    受賞の賞金800万クローナ(約1億円)を受け取るためには、受賞式の6カ月後の6月10日までに講演しなければならないというルールがあるのだという。

    講演は27分程度で音声のみ、映像はない。4日にロサンゼルスで収録されたという。

    ディランさんの講演は、「ノーベル文学賞を受賞した時、最初はなぜ、私の歌が文学に関係あるのか戸惑ったが、それについてじっくりと考え、文学と私の歌がどう繋がっているのか理解したいと思った。そして今からその答えについてお話をしようと思う」と始まる。

    音楽との出会い、作曲を始めるに至る経緯などを語っている。古代ギリシャのホメロスの叙事詩「オデュッセイア」、メルビルの「白鯨」、レマルクの「西部戦線異状なし」などの世界的に有名な文学作品に触れ、文学も音楽も「意味そのものよりも人を感動させることがすべて」だ、と語った。

    最後に、歌と文学のつながりについて、という講演のテーマについて、以下のように締めくくった。

    (文学も)歌も、常にうつろうこの世界で生きている。でも、歌と文学は違う。歌は読まれるのではなく、歌われることを意図してつくられている。シェイクスピアの言葉はステージで演じられることを意図されている。それはちょうど歌が、ページの上で読まれることではなく歌われることを想定しているのと同じように。

    歌を意図されたままに聴いてみてほしい。コンサートでもレコードでも、人々が歌を聴く時に最近使う方法でも、どんな手段でもいいから。私は今一度、ホメロスに戻っていく。「ミューズ(芸術の女神)よ、私の中に入って、物語を語ってくれ」と言ったホメロスに。

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