――高句麗やさらに北満州には先程の北方の遊牧民系の扶余とか、さらには鮮卑とか、いろんな国がありましたよね。そのなかの一部のグループが北日本に移住してきた?
栗本:そうです。日本にやって来たのは鮮卑(シァンピ)ではなく、高句麗(コマ)や扶余の勢力だったでしょう。
――先ほど出たアジールについてもう一度伺いますが、大学の講義などでも、「日本列島にはすべての遺伝子が集まっている」とおっしゃっていますね?
実際、世界的にも珍しいY遺伝子のD系統がほぼ日本にのみ広く分布している、要はそれが縄文人であったことがわかってきています。
こうした事実が何を意味するのか……。
栗本:すべての遺伝子があるということは、共存しているということです。つまり、最果ての地で「これ以上争ってもしょうがないんじゃないか」という心理が働いた。
もう東には海しかありませんから、そういうふうになったとしか考えられない。「もう殺しはやめよう」とか「残しておいてやろう」とか。
――日本は「和の国」と呼ばれ、聖徳太子も「和をもって尊しとなす」と言っていますが、この和の精神は非常に日本的なものですよね。
こうした地理的な要因が、外国には見られない「話し合いで解決しよう」というメンタリティのベースになった可能性はあるんでしょうか?
栗本:絶対あったと思います。
――これに関連していると思いますが、もう一つお伺いしたいのは日本とパルティアとの関係です。先ほどのお話にもあったようにパルティアという国は一般的にはほとんど知られていませんが、じつは「アスカ」と呼ばれていたわけですよね?
栗本:そうです。
――ちょっと間違うと「トンデモ歴史」のように思われてしまうような話ですけど、これは事実としてハッキリ言えること?
栗本:間違いない。トンデモ歴史も確かにパルティアに注目しているけど、それも少しは正しい。パルティアが日本と関係あっても、全然おかしくないです。
栗本:…少なくともユーラシア大陸はずっと昔からつながっていました。
だから日本の飛鳥がパルティア(アスカ)とつながっているというのは、私は
トンデモ歴史だとは思わない。スペインとつながっているというと、トンデモ歴史ですが。
――文明の病というか、拡大発展病と先生も書かれているような病が、人類の歴史のなかで発症した。そうした病の延長上にキリスト教の発展があるということですね。
栗本:病が発症したのは、南シベリアです。それがメソポタミアに広がって、それがヨーロッパに、アジアに蔓延していったのです。
――キリスト教が病を広げたというのは……。
栗本:アタナシウス派が相手にしたのは、アリウス派という同じキリスト教徒で、しかもこっちの教義のほうがより根本的なんですが、これを異端扱いして「みんな殺しちゃえ」となったのです。
十字軍の時もそうでしたが、そうやって虐殺することで世界に広まっていったんです。だからキリスト教なんて、客観的に言えば人殺しの許可を与えている権威に過ぎません。
――それはいまの国際情勢の中にも明らかに影を落としていますよね。
栗本:そうですが、必ずしもうまくはいっていません。キリスト教はイスラム教虐殺の許可を出したわけですが、ここにユダヤ教が絡んでくるため構造は複雑化しています。
世界に広まっているのはキリスト教ですが、実際にはユダヤ教徒がかなり支配的な力を持っている。
――いつの間にか、本当のユダヤ人じゃない、いわゆるアシュケナージユダヤ人が……。
栗本:そう。僕がいま言っているのはアシュケナージユダヤ人のことです。本来のユダヤ人じゃない。もとはカザールの王族です。
――カザール帝国の王族が、ある時点でユダヤ教に改宗したということですよね。彼らはそれを隠して、ユダヤの末裔として正当化をしているという……。
栗本:多分、50年もすると彼らはそれもうまく取り込むでしょう。それぐらいの知恵はあります。
「我々はパレスチナにいなかったけど、神に言われてここに来たんだ」とか言うでしょう。そう予測しています。頭がいいんですよ、連中は。
――「なるほど」という感じにされちゃうんですかね。本当にゆがめられた地球文明の歴史そのものですね。
栗本:そうしないと彼らは生きられないから、そういうこともあるでしょう。
――はい。大元の司馬遷の『史記』に関しては、匈奴のように北方遊牧民の国をわざわざ差別語を使って貶めているところがありますよね。
後代の突厥や鮮卑などもそうだと思いますが、実はこうした漢民族によって貶められた国々のほうがはるかに強大で、イニシアティブを取ってきたのが実態だったという……。
栗本:そうです、それは間違いないです。彼らのほうがずっと強かった。漢民族のほうが従属していたんです。
そもそも、匈奴は「キォンヌ」で、突厥は「チュルク」というのが、本当は正しい発音です。今回の本では、読者が混乱しないように蔑称のほうも一応使ってはいますが、本当は使うべきじゃないんです。
――そのへんも、中国人が勝手に作ったものを無批判で使っているだけというか。
栗本:そう。一つ面白い話をすると、産経新聞に(歴史学者の)岡田英弘さんの書評を書いたんですが、彼は漢民族の歴史について相当批判をしている。
漢民族なんて本当は存在しなかった、政治的にそう名づけられたものに過ぎない。いわゆる民俗学的な、人類学の対象になるような民族じゃないんだぞと。
そこまでハッキリ言っておきながら、「匈奴」とか「突厥」という言葉は使っている。要するに、(司馬遷のような)中国の官製歴史家の言っていることをそのまま踏襲しているんです。だから、書評ではそれはおかしい、やめたほうがいいのではないですかと言ったんです。
――岡田さんはユーラシアの視点で歴史を捉えられている立場の方ですよね。にもかかわらず、まだそういう抜け出ていない部分もある?
栗本:本当の意味では捉えられてないんですよ。(彼が専門とする)モンゴルに対して失礼じゃないか、というところから始まっている話なの。
確かにそれは失礼なんですよ。だけどモンゴルが西のほうに広がったり、西から影響を受けたりということについては、総合的にもうちょっと勉強すべきですよ。反中国史しか書けないという意味です。
――なるほど。まだ全体を捉えられていない?
栗本:そういう視点もないと思いますね。
(次回に続く……)
2ch栗本慎一郎スレッドより
キルギス ウルルン滞在記 - EC studio 社長ブログ
http://blog.ecstudio.jp/ec_studio_blog/081017trip_to_kyrgyz.html
前略
<キルギス豆知識>
キルギスはシルクロード上にある国で、昔キルギス人と日本人が同じ祖先で
肉が好きな人はキルギスへ、魚が好きな人は日本へ行ったという伝説があります。
嘘のようなホントの話ですが、顔がそっくりなだけでなくコマや凧揚げの
生まれているのです。ちなみに下の写真で私たち夫婦の両サイドはキルギス人です。
いかがでしょうか?!笑 しかもいきなり日本語で話しかけてくるのです。
「本当に日本人みたいに見えますね!」と言うと「私たちはあなた達が
キルギス人のように見えます。」と言われました。笑
※ロシア系もいますので欧米風の顔や中東っぽい顔もありますが
まるで日本人という人も少なくないです。
■キルギスニュース
写真左のインディラさんが日本語で書いているキルギスブログがこちら
これも見てもわかるように非常に日本語が堪能です。漢字の読み書きも。
そして似ているのは顔だけではありません。性格も謙虚で律儀で少しシャイで
日本人そっくりなのです。日本に憧れ日本文化について勉強している
キルギス人も多いのです。キルギス人に親しみを覚えずにはいられませんね?!
国自体は発展途上で道路事情やトイレの整備、停電、ネットのインフラなど
まだまだな部分も多いのですが、まるで昔の日本のようだと移住する日本人も
少なくないそうです。私は移住はしませんが、その気持ちは理解できました。
後略
もう一度、埴原の二重構造モデルを見てみよう
この図からわかるように、本土日本人は縄文人と渡来型弥生人の混血であり、一方、アイヌ人と琉球人は縄文人のほぼ直系である。このことは現在定説となっており、本論でもひとまず定説に沿って研究を進める。
まずアイヌ人と琉球諸島人とくに宮古人とは、非常に高い青のag遺伝子と、極端に低い赤のafb1b3遺伝子をもつという明らかな等質性が認められる。アイヌ人と琉球人が二重構造モデルにもあるように、縄文人の直接の子孫の可能性がGm遺伝子からも窺える。しかもそのGm遺伝子の頻度は、きわめて北方的であり、南方系の可能性はほとんどない。
一方、アイヌ、琉球人グループと日本列島人とは、南方系の赤のafb1b3遺伝子で2倍以上の頻度の違いが認められる。日本列島人のほうが2倍高い。
これは本土日本人には、南方のアジア人(おそらく弥生時代に水田耕作技術をもたらした江南の人々)の影響、あるいは縄文時代のいずれかの時期に、照葉樹林文化を伴って渡来した南方の人々の影響があった為であろうと思われる。
この図から明らかなように、列島の三民族、本土日本人、アイヌ民族、琉球人に見られる非常に少ない頻度のafb1b3遺伝子と、高い頻度で見られるab3st遺伝子の組合せは、チベット以南では急激に消滅している。東南アジアはもとより中国雲南省などの少数民族とも近似性は認められない。
すなわち、日本列島の三民族は、極めて北方的な民族ということが出来る。しかも、ab3st遺伝子を25%~26%以上という高い頻度で、現在も保持するという特性を持つ。
松本秀雄に言わせると、北方的な民族を象徴的に示すab3st遺伝子は、バイカル北部のブリアートを基点として四方に遺伝子の流れを作っているという。
そしてこの現在も保持し続ける特性に基づき、松本は、
--私は、「日本民族は北方型蒙古系民族に属するもので、その起源はシベリアのバイカル湖畔にある」と結論する。--
と述べている。
Gm遺伝子解析を支持する東アジアの旧石器文化
この松本のGm遺伝子解析からの結論を、「恐ろしいほどの一致といわざるを得ない。」と
驚きをもって支持したのは、東アジアの旧石器文化に詳しい、考古学の加藤晋平である。
加藤晋平は自著「日本人はどこから来たか」のなかで(p.171)、
12000~13000年前に東日本を覆った、クサビ型細石核と荒屋型彫器を伴った、細石刃文化
を担った人類集団の技術伝統は、バイカル湖周辺から拡散してきたものである。
バイカル湖周辺から東方への拡散の動機は、サケ・マス漁撈の発達と漁場の追求であったらしい。日本におけるクサビ形細石器文化圏と、サケ・マス類の主要遡上河川の分布域とはよく一致している。--としている。
加藤は、この考古学からの仮説と、松本秀雄博士の意見は全く同じ結果を示している。恐ろしいほどの一致だと言うのである。
(加藤の説は、下図によれば、シベリア東方型細石刃石器群の分布地域の青線で示したとこ
ろ。)
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/08gmidennsi-1/1higasi_ajia_no_kyuusekki.jpg
松本秀雄の、日本人バイカル湖畔起源説は、その一元的方法論と断定的結論もあっていろいろな批判にさらされている。しかし、筆者はなかなか魅力的な学説の一つではないかと思っている。
ただ、筆者は最初に記したように、いろんな研究分野を統合した整合性のある結論を得たいと考えているので、Gm遺伝子からの仮説もその一つと考えている。
筆者の一応の結論は、第4部09.「日本人の成立モデルを考える」で纏めているので、ご一読願いたい。
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① 約2万年前、東南アジア(スンダランド)にいた古モンゴロイドがナイフ型石器を持って北上し、日本列島に渡来した(ナイフ型石器の分布より 竹内均氏による)。
② 約1万4千年前、バイカル湖畔にいた新モンゴロイド的特徴を持った古モンゴロイドが、湧別技法による細石刃を携えサハリン経由で北海道に渡来した(細石刃の分布より 竹内均氏による)。
③ ②の人たちと同起源でバイカル湖畔に定住しなかった人たちが朝鮮半島まで南下し、そこでしばらく定住した後、1万2千年前頃から一部の人たちが日本列島(北海道を除く)に渡来するようになった。これが縄文人(アイヌ、琉球人の祖先を含む)である。
約1万4千年前サハリン経由で北海道に入ってきた人たちは細石刃文化を持っていた。しかし縄文文化の中には細石刃の伝統は残らなかったというから、縄文人は細石刃を持った人たちの直系の子孫とは考えられない。縄文人となった人たちの多くは、サハリン-北海道経由以外のルートで渡来したものと考えられる。分子人類学の尾本惠市氏は、縄文時代の考古学的資料のほとんどは日本列島への北方からのヒトの移住を示している、という。これらのことを総合すると、縄文人は初めのうちは朝鮮半島から渡来した北方系の人たちがほとんどだった、ということになる。
④ ③で朝鮮半島に南下してきた人たちのうち、日本に渡来した集団は少なくとも三つあった(この縄文人は北方起源である)。一つは旧石器時代人と混血あるいは旧石器時代人を吸収した集団であり、一つはアイヌの祖先となった集団であり、一つは琉球人の祖先となった集団である。
安本美典氏はアイヌ語と朝鮮語との関係は日本語と朝鮮語との関係よりも近いという。またアイヌ語が朝鮮語と分離した時期は1万年前から5千年前までの間だという。一方宝来聰氏の遺伝子の研究からは、アイヌと琉球人は1万2千年前に分かれたことがわかっており、これらのことからアイヌと琉球人は日本列島に渡る前からすでに別々の集団として存在していたことがわかる。
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古代朝鮮、古代中国という呼称を使うべきだろう。現在のエベンキ族や漢民族と区別すべきだからだ。
アイヌに関してはロシア系アイヌが存在として前提として重要だ。地政学的範疇を超えはしないが。
血縁関係と言語学的類似性はズレる。
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