フロイト「欲望転換、とくに肛門愛の欲望転換について」1916より
http://nam-students.blogspot.jp/2014/05/blog-post_27.html
NAMs出版プロジェクト: フロイトの性図式 : 転載
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/blog-post_24.html(本頁)
フロイトの性図式 :
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Freud, Biologist of the Mind: Beyond the Psychoanalytic Legend
著者: Frank J. Sulloway石澤誠一氏(『翻訳としての人間』)も言うようにフロイト初期の理論は単純だが奥深い(この他に記憶におけるニューロンの作用に言及した草稿はデリダや東浩紀にインスピレーションを与えた)。
上記のフロイトの描いた図(性図式)は、 縦横の軸をはさみ、
下が身体(神経系統含む) 、
上が心、
左が自己、
右が他者、を意味する。
神経=心
自己 他者
身体
四分表としては、
左上が意識/無意識の場所、右上が他者の場所、
左下が自己の身体、右下が理想化された他者である。
セクシャリティー(性的嗜好)の流れは時計回りに流れる。
右上の他者がなくなり、右下から矢印が引かれると自慰行為等を引き起こし、神経衰弱をもたらす。
冷感症/不感症/ヒステリーの違いは問題点の位置に起因する。
例えば、性的緊張の部分に不安があるとヒステリーの原因になる。 これは男女間で非対称的関係に作用する。
逆流した場合、この時期は緊張、神経症という症状にいたるが、これは後の死の欲動につながるのではないか?
リビドーの概念のまだない時期なのだが応用範囲の広い図である。
ラカンの欲動のグラフとも逆回転ながら一致する。
対象/自我理想の図や、「自我とエス」の無意識図とも重なる(それぞれ性図式の上部、左半分に対応)図と言える。
神経衰弱→神経症(ヒステリー/強迫神経症/パラノイア)→精神病
という進行状況にも対応している図である。
また、上記はラカンの4つのディスクールに対応するだろう。
ラカンによると、
動因(左上) 他者(右上)
真理(左下) 生産物 (右下)
において
(Sbarreは去勢された主体<barreは斜線を意味する> 、S1はイデオロギーなどのシニフィアン1、S2は知識などのシニフィアン2、a は剰余としての対象a。)
S1 S2
---- ----
S barre a
が主人の言説であり、
Sbarre S1
---- ----
a S2
がヒステリーの言説であり、
a Sbarre
---- ----
S2 S1
が分析家のディスクールであり、
S2 a
---- ----
S1 Sbarre
が大学のディスクールである。
「メランコリーの場合、穴は心的領域にある」とするならば、メランコリー及び神経衰弱は動因に穴である対象aを持つ
分析化のディスクール、
a Sbarre
---- ----
S2 S1
に相当するかもしれない(メランコリーにおける他者の不在を重視し、大学のディスクールとみなすこともできるが、、、、)。
これは分析家のディスクールを高く評価するラカンには反しているが、他者が欠けた場合の分析家の危うい一面をうまく表現している。
ここからひとつ退行するとヒステリーの言説、
Sbarre S1
---- ----
a S2
ということになる。
参照:
『フロイト フリースへの手紙—1887‐1904 』(誠信書房)
加藤弘一氏のサイト
http://www.horagai.com/www/salon/edit/ed2006l.htm
http://www.loc.gov/exhibits/freud/freud02a.html
以下、参考までに『フロイト フリースへの手紙』(誠信書房、p95)より「草稿G」(1895)の一部を引用する。
「しばしば使用される性図式を使って、今、心的性群(ps.S.)がその興奮量を失う諸条件が論じられる。ここでは二つの場合が明らかになる。
一、身体的性的興奮(s.S)の生産が低下するか途絶えるとき、
二、性的緊張が心的性群から別の方向に逸らされるとき。
第一の場合、身体的性的興奮の生産の中止は、多分、周期的に回帰する本物の真性重症メランコリーにおける、あるいは生産上昇の時期と生産中止の時期が交代して現れる循環性メランコリーにおける、特徴的なものである。さらに、過剰のマスターベーション-----これはそれについての理論によれば、終末器官(E)の過度の負荷軽減およびそれと同時に終末器官における低い刺激水準に行き着く-----は身体的性的興奮の生産に干渉し、身体的性的興奮の永続的な貧困化に、それと同時に心的性群の弱化に行き着く、と仮定することができる。これは神経衰弱性メランコリーである。
身体的性的興奮の生産は減少していないのに性的緊張が心的性群れから逸らされる第二の場合は、身体的興奮が他の場所で(境界で)使用されることを前提としている。しかし、これは不安の条件であり、それと同時にこれは不安メランコリーの、つまち不安神経症とメランコリーの混合形態の場合を覆っている。
それ故、この議論においてメランコリーの三つの形態(引用者注:冷感症/不感症/ヒステリー)が説明されるが、これらは実際区別されなければならないのである。」
引用以上。
この場合、メランコリーは単純に抑圧を意味する。
コカインを研究していたフロイトらしく、ケミカルな神経回路に精神分析の根拠を見ていいる点が興味深い。
ヒステリーも神経衰弱も他者の喪失である悲哀と構造的にパラレルであり、性的原因に起因するという点が画期的なのだが、これは後に撤回される。
後に残った自己と他者の二元論のみが画期的ということになる。
追記:
図のキーワードを日本語訳したものを以下に載せる。
性図式(アンダーライン)
<自我境界>
心的群 <特異的→> 外界
性対象
ps.S(心的群)
反応↓
<精神ー身体>
快感の伝道路↑ 性的緊張↑ 境界
脊髄中枢 <感覚>
E終末器官↑ ←有利な位置における性対象
反射的行為 ↓
s.S([身体的性的緊張]の生産障害) *
///////////////////
*注
s.S=メランコリーの原因
貧困化現象
追記2:
ところで、私見では、アドラー的解釈だが、この時期(初期)のフロイトを動かしたのはジャネに対する無意識の先取権争いという名誉欲であって、性欲ではない。
ただし、柄谷行人も指摘するように性への視点によってフロイトはロマン主義から脱するのは間違いない。フロイトによるジェンダーの固定化の弊害に関してはゴドリエのレヴィ・ストロース批判と同様である。
男性の不能(神経衰弱)が女性のヒステリーを引き起こすという指摘も関係の非対称性という視点から見たとき重要となるだろうし(p29) 、ヒステリーを表象機能の問題とした点、心身並行論及び自他の二元論を維持した点が今なお画期的だろう。
また、初期フロイトの率直な以下の言葉も興味深い。
「僕を煩わせている主要な患者は僕自身です」(邦訳『フリースへの手紙』p272 , 1897.8 .14)
左上が意識/無意識の場所、右上が他者の場所、
左下が自己の身体、右下が理想化された他者である。
セクシャリティー(性的嗜好)の流れは時計回りに流れる。
右上の他者がなくなり、右下から矢印が引かれると自慰行為等を引き起こし、神経衰弱をもたらす。
冷感症/不感症/ヒステリーの違いは問題点の位置に起因する。
例えば、性的緊張の部分に不安があるとヒステリーの原因になる。 これは男女間で非対称的関係に作用する。
逆流した場合、この時期は緊張、神経症という症状にいたるが、これは後の死の欲動につながるのではないか?
リビドーの概念のまだない時期なのだが応用範囲の広い図である。
ラカンの欲動のグラフとも逆回転ながら一致する。
対象/自我理想の図や、「自我とエス」の無意識図とも重なる(それぞれ性図式の上部、左半分に対応)図と言える。
神経衰弱→神経症(ヒステリー/強迫神経症/パラノイア)→精神病
という進行状況にも対応している図である。
また、上記はラカンの4つのディスクールに対応するだろう。
ラカンによると、
動因(左上) 他者(右上)
真理(左下) 生産物 (右下)
において
(Sbarreは去勢された主体<barreは斜線を意味する> 、S1はイデオロギーなどのシニフィアン1、S2は知識などのシニフィアン2、a は剰余としての対象a。)
S1 S2
---- ----
S barre a
が主人の言説であり、
Sbarre S1
---- ----
a S2
がヒステリーの言説であり、
a Sbarre
---- ----
S2 S1
が分析家のディスクールであり、
S2 a
---- ----
S1 Sbarre
が大学のディスクールである。
「メランコリーの場合、穴は心的領域にある」とするならば、メランコリー及び神経衰弱は動因に穴である対象aを持つ
分析化のディスクール、
a Sbarre
---- ----
S2 S1
に相当するかもしれない(メランコリーにおける他者の不在を重視し、大学のディスクールとみなすこともできるが、、、、)。
これは分析家のディスクールを高く評価するラカンには反しているが、他者が欠けた場合の分析家の危うい一面をうまく表現している。
ここからひとつ退行するとヒステリーの言説、
Sbarre S1
---- ----
a S2
ということになる。
参照:
『フロイト フリースへの手紙—1887‐1904 』(誠信書房)
加藤弘一氏のサイト
http://www.horagai.com/www/salon/edit/ed2006l.htm
http://www.loc.gov/exhibits/freud/freud02a.html
以下、参考までに『フロイト フリースへの手紙』(誠信書房、p95)より「草稿G」(1895)の一部を引用する。
「しばしば使用される性図式を使って、今、心的性群(ps.S.)がその興奮量を失う諸条件が論じられる。ここでは二つの場合が明らかになる。
一、身体的性的興奮(s.S)の生産が低下するか途絶えるとき、
二、性的緊張が心的性群から別の方向に逸らされるとき。
第一の場合、身体的性的興奮の生産の中止は、多分、周期的に回帰する本物の真性重症メランコリーにおける、あるいは生産上昇の時期と生産中止の時期が交代して現れる循環性メランコリーにおける、特徴的なものである。さらに、過剰のマスターベーション-----これはそれについての理論によれば、終末器官(E)の過度の負荷軽減およびそれと同時に終末器官における低い刺激水準に行き着く-----は身体的性的興奮の生産に干渉し、身体的性的興奮の永続的な貧困化に、それと同時に心的性群の弱化に行き着く、と仮定することができる。これは神経衰弱性メランコリーである。
身体的性的興奮の生産は減少していないのに性的緊張が心的性群れから逸らされる第二の場合は、身体的興奮が他の場所で(境界で)使用されることを前提としている。しかし、これは不安の条件であり、それと同時にこれは不安メランコリーの、つまち不安神経症とメランコリーの混合形態の場合を覆っている。
それ故、この議論においてメランコリーの三つの形態(引用者注:冷感症/不感症/ヒステリー)が説明されるが、これらは実際区別されなければならないのである。」
引用以上。
この場合、メランコリーは単純に抑圧を意味する。
コカインを研究していたフロイトらしく、ケミカルな神経回路に精神分析の根拠を見ていいる点が興味深い。
ヒステリーも神経衰弱も他者の喪失である悲哀と構造的にパラレルであり、性的原因に起因するという点が画期的なのだが、これは後に撤回される。
後に残った自己と他者の二元論のみが画期的ということになる。
追記:
図のキーワードを日本語訳したものを以下に載せる。
性図式(アンダーライン)
<自我境界>
心的群 <特異的→> 外界
性対象
ps.S(心的群)
反応↓
<精神ー身体>
快感の伝道路↑ 性的緊張↑ 境界
脊髄中枢 <感覚>
E終末器官↑ ←有利な位置における性対象
反射的行為 ↓
s.S([身体的性的緊張]の生産障害) *
///////////////////
*注
s.S=メランコリーの原因
貧困化現象
追記2:
ところで、私見では、アドラー的解釈だが、この時期(初期)のフロイトを動かしたのはジャネに対する無意識の先取権争いという名誉欲であって、性欲ではない。
ただし、柄谷行人も指摘するように性への視点によってフロイトはロマン主義から脱するのは間違いない。フロイトによるジェンダーの固定化の弊害に関してはゴドリエのレヴィ・ストロース批判と同様である。
男性の不能(神経衰弱)が女性のヒステリーを引き起こすという指摘も関係の非対称性という視点から見たとき重要となるだろうし(p29) 、ヒステリーを表象機能の問題とした点、心身並行論及び自他の二元論を維持した点が今なお画期的だろう。
また、初期フロイトの率直な以下の言葉も興味深い。
「僕を煩わせている主要な患者は僕自身です」(邦訳『フリースへの手紙』p272 , 1897.8 .14)
以下、ドゥルーズAOより
補遺 欲望機械のための総括とプログラム
第二節 欲望機械とオイディプス装置、つまり抑制-退行に抵抗する反復
《ダドゥンは次のことを指摘している。『夢判断』〔一九〇〇年〕とともに、いかにフロイトは『科学的心理学草稿』〔一八九五年〕の頃にはまだ可能であった方向を放棄して、その後、精神分析を袋小路の中に追いやることになるかを。》
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by yojisekimoto | 2007-06-02 18:36 | フロイト | Comments(5)
Commented by ようじ at 2007-06-14 13:21 x
フロイトは初期の神経学的論考『失語論』の中で人間の認識機能を対象連合と語連合とに分けている(平凡社p131に「語表象の心理学的図式」が掲載されている)。
対象連合はいわゆる五感すべてを含み、他の感覚へも開かれている。ここでは視覚が一番強い。
語連合は言語機能全般を含み、閉じたシステムである。ここでは音声が優位となっている。
両連合は末端において触れ合っているということだが、これは実践の中で使い分けられているということだろう。
ここで対象連合は右脳、語連合は左脳、ということも出来るだろう。
ドゥルーズは対象連合の中で線を引き、デリダは語連合の中で音声中心主義に逆らったということも言えるのではないか?
ヒュームらイギリス経験主義の流れにあるミルの論理学の影響を受けた初期フロイトの可能性は隠されたままだと思う。
追記:
自由連想(free association)という方法は、それなりの理論的バックボーンが会ったからこそ出来る治療法だと言うことができる。
対象連合はいわゆる五感すべてを含み、他の感覚へも開かれている。ここでは視覚が一番強い。
語連合は言語機能全般を含み、閉じたシステムである。ここでは音声が優位となっている。
両連合は末端において触れ合っているということだが、これは実践の中で使い分けられているということだろう。
ここで対象連合は右脳、語連合は左脳、ということも出来るだろう。
ドゥルーズは対象連合の中で線を引き、デリダは語連合の中で音声中心主義に逆らったということも言えるのではないか?
ヒュームらイギリス経験主義の流れにあるミルの論理学の影響を受けた初期フロイトの可能性は隠されたままだと思う。
追記:
自由連想(free association)という方法は、それなりの理論的バックボーンが会ったからこそ出来る治療法だと言うことができる。
Commented by yoji at 2010-03-09 03:50 x
実はラカンはジャネの人格主義を分母にして思考しているから、
フロイト流の汎性欲説の部分(分子)でいくら間違えても
痛くも痒くもない。
だからあれだけ変節を重ねることができた。
後世の人が合理的かつ緻密にフロイトを読んでもラカンを乗り越
えられないのはあたりまえだ。
最初からラカンはフロイトを相対化(脱フロイト)しており、
なおかつそれは隠蔽されているから。
Commented by yojisekimoto at 2010-03-13 04:11
誤解のないように言っておくとジャネの人格主義はPTSDなど、いわば分母の欠損を前提に
しているのであってラガーシュの言うような人格の構造とは違う。
主体の問題をスピノザ的に援用する際のラカンは、自身が否定したはずのジャネの
人格主義の構造(構造的人格主義と言うべきか)を無意識に反復している。
しているのであってラガーシュの言うような人格の構造とは違う。
主体の問題をスピノザ的に援用する際のラカンは、自身が否定したはずのジャネの
人格主義の構造(構造的人格主義と言うべきか)を無意識に反復している。
"http://pds.exblog.jp/pds/1/200701/31/28/a0084028_21442678.jpg"
S → S1 → S2 → a
A
無意識の主体 ファロス 知 究極の対象
4つの言説 quatre discours:
主人 ヒステリー 分析家 大学
s1→s2 s → s1 a → s s2→ a
↑ ↓ ↑ ↓ ↑ ↓ ↑ ↓
s ← a a ← s2 s2 ← s1 s1← s
動因 → 対象(他者)
↑ ↓
抑圧(真理)← 産物(生産)
Commented by yoji at 2010-04-30 07:30 x
主人|ヒステリー
__|___
大学|分析家
s1の一に着目
__|___
大学|分析家
s1の一に着目
追記:血液循環図→経済循環図→性図式、という影響関係が考えられなくもない。それは他者(の欲望)が導入される過程だ。
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