昭和文学大全集3 志賀直哉 「盲亀浮木」
クマ
「~帰ろうとすると下から二番目の娘が一匹の子犬の首に両手の間に挟んだまま、、しゃがんでなかなか立とうとしない。
『欲しいわ。この犬ほしいわ』と私の顔を見上げ、殊更、そういう表情をして承知させようとした。またその子犬もどういう気持か、尻尾を垂れ、い彩におとなしくしているのだが、そんなはずはないのだが、もらってもらえるか心配しているようにもみえるのだ。ムク犬で、如何にもゲテモノの犬だった。
~『東京まで連れて行く犬ではないから、引き揚げるとき誰かにもたってもらうんだ』 W、奈良在住13年。上京へ。
こんななことを何度も子供たちに確かめておいた。シェパード、エアデールあるいは日本犬など純粋な犬が良好している時、この雑種のだ権をいつまでも買っておく気はしなかった。それに、そういう犬の野良犬根性には梃子づッた事があり、~小品にも書いたが、駄犬には懲りていた。今はかわいいがいずれあんな犬になりそうと思われたので、予め子供たちにそういっておいた。
~
結局、熊の様だと云うのでクマとなずけた。
ココで男の子が学校にだした「熊」という作文の冒頭を映してみる。
『~熊は犬の名前である。熊と名前をもらいだけあって、長い毛がもじゃもじゃしている。唐獅子にも似ているし、熊にも似ているが、やはり犬である以上は犬にも似ている。』
確かに犬にも似ている犬である。
~
クマがまだ小さいころ、奈良公園を連れて歩いていると、奈良に遊びに来た女が眼に角を立てて『けったいな犬やなあ』と見下ろして行ったことがある。長い、白と濃い茶の毛が分かれ分かれでなく、ごちゃごちゃに密生しているのが、如何にも汚れているようで汚く見えた。それゆえクマの容貌には極端に卑下していたが、買っているうちに性質の良いことがだんだんはっきりしてくると、自分でもいがない名ほどこの犬が可愛くなった。賢く下品なところがない犬だった。見かけによらぬとはこのことだと想った。
~
W、買ってきた~家鴨(アヒル)庭の方に下げてくると匂いで知れるのか、クマは異常な好奇心で耳を前向きに立て、尻尾を上げ、それを固くして振りかざしながらついてきた。
~笑死が起こればやめるに違いがないという自信から、クマのいるところで、かまわず、家鴨を袋から出しみた。同時にクマは偉い勢いで飛びかかっていった。庭じゅう大変な騒ぎだ。子供らの悲鳴、私のどなる声、家鴨の驚いた鳴き声、そしてクマだけが黙ってそれを追いかけた。クマが加えて抜けた羽がその辺に飛び散る。しかし愚鈍のようでも家鴨は案外上手に逃げまわり、遂に身体をかまれることはなかった。
~私は男の子に家鴨を捕まえさせて来させ、クマの花に刷りつけるようにして、さんざん尻をなぐってやった。クマは地面に腹をすりつけ、哀しげな目つきをしていたが、それでクマにはこの鳥を追いかけてはならぬことが良くわかった。
~家鴨は群居している習性から、一羽になると酷くさびしがり、庭の中をクマの後ばかりついて歩いき、クマが寝転ぶと、その鼻先に来て自分腹を地面につけ、羽根の間に頭を埋め、寝るというふうで、クマの方はそれに喜ぶ様子もなかったが、家鴨の方はすっかりクマになれ、終始一緒にいるようになった。
~~
そして昨年の春、私たちが出てくるとき、クマも一緒に出てきたが、賢いようでも田舎者のことで、迷子になっては困ると想い、クマは10日間鎖につないでおいた。
~運動に連れて歩き、もう大丈夫だろうと思ったので、、10日目に私はクマを鎖から放してやった。
ところがそれから2,3にちしてクマはやはり迷子になってしまったのだ。
~奈良とと違い東京では佐賀市に出てみたところが、探し当てる見込みはなかった。それでも子供たちを連れ~射的場の山の上から四方を向いて、子供と一緒に大声でクマを呼んでみたりした。ひどく寒い風の吹く夕方であった。
近所の交番に私自身出かけて届けても、巡査はとても探すわけにはいかにと云い、2,3日して帰らなかったら、廃犬届けをする方がいい、その世話ならするという話だった。
賢い犬にしては似合わしからぬ事に想われた。電車など一度も見たことのない犬で、電車にはね飛ばされたかもしれず、また、よく自動車を追いかけたりする開けないない犬のことで、ソレにひかれて死んだかもしれぬなどと私たちは話し合った。
夜、犬の鳴き声がすると、クマの声に聞こえ、起きて、窓を開け、夜中、近所もはばからず大声で呼んでみたこともたびたびであった。
もしかすると、どうしても自家が分からず、奈良に変える気になったのではなかろうかという想像もした。
~『そんなこともあるまいが、とにかく、手紙を出しておく方がいいね』と私は家内に奈良へ手紙を出させた。
このころ、東海道を西へ向かって、食うものも食わずに歩いているクマの姿を考えると、不快な気持になった。
『もう幾日になるだろう』
『4日の晩のご飯は食べているのですからーー』などと、日を数えたりした。
ある日、私は男の子を連れ神田の本屋に子供の使う虎の巻を買に行くことにしていた。
~
結局出かけることにして、男の子とその下の女の子を連れて自家を出た。
~~~~~
このバスが江戸川橋の十字路を通る時、私は何気なく外を見ていたが、護国寺の方へ江戸川橋を渡って小走りに駆けていく犬が、遠目にクマに似ているような気がした。
~迷いつつ子供に『あれクマじゃないか?』というと、内で一番動物好きの女の子がたちあがり、興奮して
『クマだクマだ』とおきな声を出した。
バスはすでに十字路を超え、犬の姿は家に隠れて見えなかったが、私は子供に『次の停留所で待ってなさい』
といい、起っていくと、女車掌はとうせん坊をして
『どうぞ次の停留所でお降り願います』と云った。
『自家のはぐれ犬がいるんだ。一寸おろしてくれ』
『規則でございますから』
私は女車掌を押しのけてバスから飛び降りたが、運転手は何も言わず、私にために、危険のないだけ速度を緩めてくれた。
~私は見境もなく
『クマーークマ』と大声で呼んだが、犬は振り向こうともしない。私は犬より速く走って間の距離を縮めるより方法はない訳だが、情けないかな、一生懸命走るつもりで、ソレがさっぱり速くないのだ。走ることは得意な方だと想っていたが、、ソレは過去の記憶であって、現在の自分は身体がまるで云うことをきかなかった。
~~
ここで見逃せば再びクマに出会うことはないと想うと、見境構わず『クマーー、クマーー』私はどなった。
~そして私が弱るに従ってクマとの距離はだんだん遠くなっていくのが気が気でなかった。
~~~
『あの犬ですか』戦闘帽をかぶった職工風の若者が、すぐわきの自転車にまたがり、追いかけてくれた。~若者はその前から、犬を追いかけている私を見ていたに違いない。
~若者は間もなく追いついたが恐ろしいのかすぐ捕まえようとせず、自転車で唯、そのあとをついていくのは遠く見えた。
空の円タクが来たので止めて乗った。
『茶色の大きな犬でしょう?』彼方からきた円タクでクマを見ていたのは好都合だった。
護国寺の門の前でようやく捕まえることができた。自転車の若者に少しばかりの礼をしようとしたが、なk中受け取らないので無理に渡し、私はクマとともに自動車で~江戸川橋の上で待っていた子供をもせ、神田行きはやめにして~。
~
江戸川橋に来て、男の子と女の子がのってくると、クマは自分が救われたことを、ハッキリ意識したらしく、非常に喜んだ。そして腰かけている私の両肩に前足をかけ、いくらそれをはずし、座らそうとしても、またしても立って私の肩に両の前足をかけ、わたしの顔の前で長い舌を出し早い息使いをしていた。
あきらめていたところだったから、自家の者の喜びは非常だった。
牛乳をやり、バターをつけたパンをやり、シュークリームまで与える子供もあった。しかしクマは始めはガツガツ食っていたが、それよりもしばらく眠らしてほしいと云う風に、前足の間に首を入れ、薄眼を開いたり閉じたりしていた。
『偶然かもしれないが、偶然ばかりじゃない気もするね』
『よっぽど縁が深いのね。可愛がってやっていいわ』
『田中に頼んでおいたエアデル、どうするかな、断ろうか』
『そうね、二匹となると、いくらか情愛が薄くなったりするとかわいそうだから、お断りになったら』
~~~
それにしても偶然と云ってしまってもいいものかどうか、わからない気がした。
私は2,3日、腿の肉が痛み、歩行に不自由した。クマの方もやはり2,3日はすっかり弱っていて寝てばかりいたが、ソレを過ぎるとまた元気なクマに帰った。
~~~
クマがいなくなって、1週間、私たちの心は何となく晴れなかったし、クマの方はおそらく必死になって私たちを探していただろう。そういう両者にとって十字路での3秒のチャンスは偶然すぎる。
***
『邦子』発表の頃の直哉と飼い犬クマ 奈良上高畑にて (昭和2年)
W。志賀直哉が描写している「クマ」の容貌とこの写真の「クマ」とはあまりにも違うので驚いた。イギリスのセッター種の血筋の濃い堂々たる見栄えの良い犬である。子犬のころとは云え、容貌において極端に卑下するような犬ではない。多分、物凄く特徴のある可愛い子犬だったと想う。志賀もそれを感じていたから、引き取ったが、その辺をストレートに出ず、話に広がりを持たせるのが、志賀直哉のテクニックである。
W。これまでのクマに纏わる想い、行動は志賀直哉らしいが、ココから先、いきなり数字の計算を持ち出して、妙な例かもしれないがと断りつつ、偶然の重なったとき、を1円玉の数に例え、中途半端な宗教的解釈に留めていくところに、志賀直哉的思考パターンの典型を見る。
「私の頭の中では、その何かとは一体何だろうと想うだけで、、それ以上は考えられない。」のではなくて、その方面ついて考えることは「暗夜行路」の完結によって自己完了しているのである。
***
>わたしは次のように計算してみた。
一日が60万4800秒。
ソレを私たちがクマを発見に費やした3秒で割ってみると20万1600。
つまりそれは20万1600の1のチャンスだったわけである。
妙な例かもしれないが、
1円玉を20万1600個置いて、それから、その一つを選び出せ、と云われてもそれは全く不可能だろう。
ところがそういうことが実際に起こったのだ。
私は昔禅をやっていた叔父から「盲亀浮木」という言葉について聴いたことがあるが、コレは単に盲目の亀が浮き木に巡り合ったというだけのことではなく、100年に一度しか海面に首を出さないという盲目の亀が西に東に、南に北に、太陽を漂っている浮き木を求めて、100年目に海面に首を出したら、浮き木に一つしかない穴のところから首をだしたという、あり得べからざることの実現する寓話だというのだ。
クマの場合は現世で起こったもっともそれに近い場合だったような気がする。私が何十年か前に愛読したメーテルチンクの**謄本に書かれている運命の善意と云う考えも思い浮かんだ。そういうものかもしれない。
また仮に偶然としてもただ偶然だけではなく、それに何かの力の加わったものであることは確かだと想うのだ。
>しかし、私の頭の中では、その何かとは一体何だろうと想うだけで、、それ以上は考えられない。
心境小説 長編 「暗夜行路」はDVD化されていないと想う。ビデオで見たが、シーン進行のテンポが遅すぎるし
時任謙作=池辺良の設定を違和感があった。
一回目に見たときは途中でやめた。小説家の内面を画面に表現するのは難しい。主役の俳優の存在感の問題もある。ミスキャストとすぐ直感した。主人公が全編のシーンを引っ張る映画ではコレは厳しい。
二回目もチャレンジしたはずである。時任謙作が大山に登山していくシーンだけ覚えているが、途中経過は完全空白である。
小説「暗夜行路」も大山のシーンだけしか記憶にない。
結局、あのようなディテールを続けて、煩悶するところに無理があるのではないか。しかし、志賀直哉と当時の読者は、「暗夜行路」に納得した。志賀直哉の文章力によるところが大である。全てと云って良いほどかもしれない。
「事実は小説よりも奇なり」だが、二つの不幸を一人の人間に続けたところに無理があり、ソレで煩悶する設定には疑問がる。
文芸映画には定評のある監督
新劇畑の演技に定評のあるの役者を揃えた豪華きわまるキャスト
個々の役者の演技ぶりを見ても、楽しめたはずはずなのに、全く記憶にない。
スタッフ
監督:豊田四郎
製作:滝村和男、佐藤一郎
脚色:八住利雄
撮影:安本淳
音楽:芥川也寸志
キャスト
時任謙作:池部良
直子:山本富士子←このヒトの演技力にも問題が
お栄:淡島千景←「夫婦善哉」織田作之助原作の演技は、はまり役とは思うが、あれでも森繁久弥はOKだが、淡島は如何にも過ぎて、ウソっぽい。最初から最後まで納得できなかった。
時任信行:千秋実←黒澤の『七人の侍」など、田舎芝居的演技をなんで評価されたのか分からない。才能?
謙作の母:文野朋子
謙作の父:中村伸郎←手堅い演技。本物。
本郷の婆や:荒木道子
愛子の母:長岡輝子←うまいな。腰が据わっている。
石本:仲谷昇←役柄限定の役者
高井:北村和夫←千秋実と似ているところがある。
…
人間として生まれ難いのは...『雑阿含経』の中には、有名な盲亀浮木の譬... - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1286618987?__ysp=6ZuR6Zi%2F5ZCr57WMIOebsuS6gOa1ruacqA%3D%3D人間として生まれ難いのは...
『雑阿含経』の中には、有名な盲亀浮木の譬喩が説かれています。
ある時、釈尊が
「たとえば、大海の底に一匹の盲亀がいて、百年に一度、海上に浮かび上がるのだ。
その海には、一本の浮木が流れていて、浮木の真ん中に、一つの穴がある。
盲亀が百年に一度浮かび上がった際に、その浮木の穴へ、ちょうど、頭を突っ込む
ことがあるだろうか」と尋ねられた。
阿難という弟子が、「そんなことは、毛頭、考えられません」と答えると釈尊は、
「誰でも、そんなことはありえないと思うだろう。だが、何億兆年よりも永い間には
絶対にないとは、誰も言い切れないであろう。人間に生まれるということは、この例え
よりもありえない有り難いことなのだよ」
と言われたそうですが、これは生物学的にひとつの卵子と何億という精子の中の
わずか1匹との結びつきを意味していると思いますか?
それとも心霊的な生まれ難さを意味していると思いますか?
この「神々との対話」は、仏典「サンユッタ・ニカーヤ」の前半部で、後半は同じく岩波文庫「悪魔との対話」です。
[26,239頁に四肢を引っ込める亀を肯定的に見た別の比喩あり]
5 Comments:
(以下「映画についての雑談」は『大系黒澤明』第4巻(2010年)に再録された。)
映画についての雑談 黒澤明
映画とは何か?
これを、的確に定義づけることはむずかしい。
昔、志賀直哉さんがこれは近ごろの名文であるといって、お孫さんの書いた文章をどこかの雑誌に発表したことがある。[注:志賀直哉「盲亀浮木」]
それは、「私の犬」という題だが、こんなふうに書いてある。
私の犬は熊に似ている、狸にも似ている、狐にも似ている……と、その大の特徴をあげて、その点が似ている他の動物の名前を沢山ならべ、そしておしまいに、しかし、犬だから一番犬に似ている、 と書いてある。
僕は、それを読んで思わず吹き出してしまったのを覚えている。今、こんな話を持ち出したのは、映画というものは、他のいろいろな芸術に似ているからで、映画には、大変文学的なところもあれば、演劇的なところもあるし、哲学的な面も、美術的、音楽的な要素もある。
しかし、映画はあくまで映画だ、 と言いたい。
映画を見ていて、映画美というか映画でなければそういう感動もないし、映画以外にはこういうことは表現出来ない、しかもそれが大変うまくいっている、そんな時には見ていて何かゾクゾクッとするような感動がある。 そういうものにひかれてお客さんも見に来るんだと思うし作っている人もそういうことをやりたいからやっている。
つまり、そこに映画があるんだ、 と僕は考えているだけだ。
では、そういうものをどんなふうに表現するかというと、僕の場合は、いつの場合でも、プロデューサーなり会社なりの出してきた企画はやったことがない。自分は今こういうことを言いたい、というのが作品になっていく。この自分が言いたいというものが映画の根になる企画だ。それを育てて一本の本にしていくのが脚本だ。その本に花を咲かせ、果実を実らせるのが演出だ。 そして、 その演出の仕事の中には、俳優の演技の指導、撮影、録音、美術、音楽、編集、ダビングという仕事がある訳だが、一応はそう分類しても、僕としてはその全部が一かたまりに溶け合って、 その一つ一つを切り離しては考えられない。
プロデューサーが持ってきた企画をやる、 そして、 それをあるシナリオライターが書いて、演出だけを引き受けるという人もいるけれど、僕の場合は、最初からおしまいまで全部自分でやっているわけです。
『藤十郎の恋』(山本嘉次郎監督・昭和13年)の時、完成が近づくころはもう何日も眠っていない。衣裳部屋へ行くと、おばさんが見かねて布団を延べてくれてちょっと眠りなさいって言ってくれる。でも、そうはしていられない。ただ、一度たまらなくなって1時間ぐらいその布団につんのめるようにして眠ってしまった。そうしたら、その間に、照明さんが荷重(ライトを支える吊り板)から落ちる事故があって……。
その後セットヘ入って行った僕を山さんが珍しくきつい眼で見て「黒さん、何処へ行ってたの?」と言われたI時は、本当に穴があったら入りたかった。 それからは荷重(にじゅう)の上の照明部は腰を太綱でしばって、落っこちでも大丈夫なようにして……とにかく忙しくて大変だった。
ある時、徹夜が続いたあと、やっと仕事が終わって表へ出た時の照明部の会話を今でもおぼえている。
「おい、きれいな夕暁けだなあ!」
「ばか、あれは朝けだぜ!」
盲亀浮木(もうきふぼく):
志賀直哉の小説の題名にもなった、その確率論的世界観…
「有り難う」の語源とされる
【仏教入門】盲亀浮木のたとえ話
https://youtu.be/hwzWlCSUtwE
[四肢を引っ込める亀を肯定的に見た別の比喩は仏教以前にあった]
____浮木(穴が空いている)
~~~/_〇__/I~~~~~
~~~~~~I~~~~I~~~~
+__ +_
+/♯#\ /×_)
(ソ♯#♯#Y+/ 盲亀(100年に一度浮かび上がる)
(_)――-(_)′
____海底____
参考:
『雑阿含経』 『法華経#27』
“ありがとう”は仏教から生まれた言葉|ぴょんたのひまわり日記
http://ameblo.jp/go-go-pyonta/entry-10214506442.html
【ライフ】今話題の「汚部屋」、家事代行サービスのプロが見た放置した人々の末路 モノに埋もれた老後の大変すぎる実態
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1みつを ★2018/01/03(水) 04:05:07.02ID:CAP_USER9>>20
http://toyokeizai.net/articles/-/202542?display=b
2018年01月01日
古堅 純子 : 幸せ住空間セラピスト
近年、テレビや雑誌でたびたび取り上げられている「ゴミ屋敷」や「汚部屋」問題。片づけのビフォー・アフターの番組も視聴率が高いと聞きます。
ハウスキーピング協会が主催している「整理収納アドバイザー」の資格講座には、キャンセル待ちが出るほど申し込みが殺到。私の講演会への参加者も、かつては掃除や片づけのプロを目指す人が多かったのですが、今では主婦やサラリーマン、定年後の一般男女が中心です。これほど「片づけ」が注目されている背景には、「うちもいつかゴミ屋敷になってしまうのでは」という、潜在的な不安があるのではないでしょうか。
私が家事代行サービスの仕事を始めた1990年代の終わりごろ、お客様は一部の富裕層に限られていました。それも、きれい好きの家庭がきれいな状態を「維持」するために、掃除のプロを入れるというケースが多かったように思います。ところがここ十数年は、家を片づけてほしいという「レスキュー」の依頼が増え、丸々1軒がゴミ屋敷と化しているケースも珍しくなくなってきました。
「生前整理」をやらなかった人の悲しい実態
「片づけられない人」は昔からいましたが、その存在が顕在化し、驚くべき勢いで急増し、内容もどんどんエスカレートしているというのが、業界に長く携わってきた私の実感です。私が提唱する「生前整理」は、「高齢者宅の片づけ」についての講座をきっかけに作った造語ですが、今となってはいろいろな意味で、高齢になってからでは遅いと感じています。その体験は、拙著『定年前にはじめる生前整理』にも詳しく書いています。
「そのうち片づけよう」と言いながら年を取り、片づける体力やモチベ
ーション、判断力や遂行力も低下して、人生の後半をモノに煩わされながら、やがて切なくこの世を去る人たちを、たくさん目にしてきました。
お客様のAさん(80代女性)の自宅は、亡くなったご主人の仏壇までたどりつけないほど、モノがあふれていました。やがて彼女も亡くなりましたが、ご主人の仏壇の周りにはモノが多すぎて線香をあげることもできず、彼女の遺影とお骨は、隣の部屋の質素なテーブルの上に置かれていたのです。その光景を見た私は、涙があふれて止まりませんでした。
(リンク先に続きあり、夫の退職金を食いつぶす、物欲が止まらない妻)
「一眼の亀」(イチゲンノカメ)という仏教説話が収載された仏典を探している。宗教関係の話で聞いた。
回答
(Answer)
仏教の比喩「一眼亀(いちげんのかめ)」について記述のあった次の資料を紹介した。
『広説佛教語大辞典 上』(中村元著 東京書籍 2001)
p50〈一眼亀(いちげんのかめ)〉の項に、「きわめてまれなことを表すたとえ。一つしか目のない亀が、大海に浮いている一本の木にある穴の中に首をつっこむほどまれなこと」とあり。
『日蓮聖人全集 2 宗義2』(日蓮〔著〕 春秋社 1996)
「開目抄」p185上段に、「一眼の亀の浮木に値うなるべし」との記述があり、下段の現代語訳に「その法華経の行者に出会うことは(法華経妙荘厳王本事品に説かれるように)一方の眼しか残っていない亀がたまたま浮木の孔に出会うようなものである。」とあり。
備考に追記あり。(2015/03/25)
回答プロセス
(Answering process)
インターネットで概要を調べた後、仏教用語の辞典や仏典を調査した。
調査済み資料は次のとおり。
仏教用語の辞典
『仏教比喩例話辞典』(森章司編 東京堂出版 1987)
p27〈一仏・他仏〉(いちぶつ・たぶつ)の項中「(前略)無量劫の寿命を持つ一匹の盲亀が、百年に一度海面に頭を出し、(中略)〈盲亀浮木の喩〉で表現されることもある。」(法華経七・八、心地観経一など)
仏典
「雑阿含経 巻十五」(『国訳一切経 印度撰述部 阿含部2』 大東出版社 1992 所収)
p350-351「盲亀経」あり。ただし、〈一眼〉という表現は見られない。
「開目抄」(『日蓮聖人全集 2 宗義』日蓮〔著〕 渡辺宝陽編 春秋社 1996 所収)
p185上段訓読文に「一眼の亀の浮木に値うなるべし」とある。
p185-186下段 現代語訳に「その法華経の行者に出会うことは(法華経妙荘厳王本事品に説かれるように)一方の眼しか残っていない亀がたまたま浮木の孔に出会うようなものである。」とある。
「妙荘厳王本事品」(『法華経大講座 9』小林一郎著 久保田正文増補 日新出版 1978 所収)
p301原文・読み下し文・解説あり。
「妙荘厳王本事品第二十七」(『法華経 梵漢和対照・現代語訳 下』植木雅俊訳 岩波書店 2008)
p536大蔵経 p537読み下し p551解説あり
「『雑阿含経』、『涅槃経』、『大智度論』などにも、アレンジ版が見られ、鳩摩羅什訳では「一眼の亀」となっている。対応する原文は「盲眼」とも、「一眼」とも断ることなく、ただ「亀」となっている。」とあり。
読み下し文 「是に二子、父母に白して言さく、善哉父母、願わくは時に雲雷音宿王華智仏の所に往詣して、親覲し供養したまえ。所以は何ん、仏には値いたてまつること得難し、優曇波羅華の如く、又一眼の亀の浮木の孔に値えるが如し。」
「妙荘厳王本事品」(『法華経 下(ワイド版岩波文庫43)』坂本幸男訳注 岩本裕訳注 岩波書店 1991 所収)
p298 上段に原文、下段に読み下し文あり。
p381(注)「一眼の亀 大海に一孔を有する浮木の漂えるあり、海底に百年に一回浮上する一眼の盲亀あり、この盲亀が一浮木の孔に出逢うことは殆んど不可能と云ってよい程困難であるが、愚痴の凡夫は五道に流転して人身を復することはそれよりも困難であるという(雑阿含経15巻大正蔵2巻108頁下)。今は仏に値い難きことを譬えるなり。」
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000108064
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