弥勒は現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる。それまでは兜率天で修行(あるいは説法)しているといわれ、中国・朝鮮半島・日本では、弥勒菩薩の兜率天に往生しようと願う信仰(上生信仰)が流行した。
前述のように弥勒の下生は56億7千万年後とされているが、この気の遠くなる年数は、弥勒の兜率天での寿命が4000年であり、兜率天の1日は地上の400年に匹敵するという説から、下生までに4000×400×12×30=5億7600万年かかるという計算に由来する。そして、後代になって5億7600万年が56億7000万年に入れ替わったと考えられている。
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■紀元前7~8世紀に現在のイラクに実在していた古代アッシリアの首都ニネヴェの図書館の
遺跡から発掘されたシュメールの粘土板には、聖書のノア伝説の元ネタになったギルガメッシュ
叙事詩などと共に、謎の数値が多数刻み残されているが、ほとんどの科学者はその意味を見出せ
ずに放置しておいた。
■これらの粘土板群の中から、モーリス・シャトランがこのニネヴェ定数と名付けられた195兆9552億と
いう数の意味を解読した。太陽系の惑星・衛星・彗星などの諸天体からシリウスなどの恒星までも含む公転
周期・会合周期の整数倍であり、それら全てが同一の出発点に回帰する超大循環周期だったのだ。
■この70×607でもある195兆9552億を1日の秒数( 86400秒)で割った数が2,268,000,000(22億6800万)
であり、さらに1年の日数(365.2422日)で割った数が6,209,578.19224(620万9578.19224)である。
つまり太陽系の全天体は22億6800万日(約620万年)の周期で元の配置に戻るということなのだ。(※1)
■195,955,200,000,000を太陽系の惑星や彗星や衛星の諸周期で割っても、秒単位で現代科学のデータと
ぴったり一致する。日常感覚ではイメージし難い大きな数だが、私たちの通常感覚がおかしいのだろうか。
それともおかしいのは古代人の方だろうか。どちらもおかしいのか、どちらもまともなのだろうか。
(※1)ニネヴェ定数は360日で1年の暦では630万年となる。またこのシュメールで発掘された数値の10
進法ホロンは、古代メキシコの遺跡テオティワカンの宗教センターの建築基準単位にもなっている。
この事実は古代に共通の知的体系が存在した可能性を示唆しているのだろうか。もしくは優れた思考法は
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http://metatron.la.coocan.jp/zone-62/numb030.htm
■太陽系の全惑星が天空の一角に集中してから、再度集中するまでの周期は179年である。このようにほぼ同じ辺りに集中するのは占星術などで扱われるが、もっと近くで重なる周期もある。4627年ごとに木星・土星・天王星・海王星は太陽とほぼ一列に並ぶ。そして183043年ごとにはさらにきれいに整列する。
■この周期は木星と土星の9217会合周期・土星と天王星の4035会合周期・天王星と海王星の1068会合周期が一致する。この4惑星が太陽の同じ側で完全に整列するのは620万9578年=22億6800万日ごとだ。計算によれば最後に整列したのが現在の暦で-433万3793年であり、次に整列するのは187万5785年である。
■紀元前7~8世紀に現在のイラクに実在していた古代アッシリアの首都ニネヴェの図書館の遺跡から発掘されたシュメールの粘土板には、聖書のノア伝説の元ネタになったギルガメッシュ叙事詩などと共に、謎の数値が多数刻み残されているが、ほとんどの科学者はその意味を見出せずに放置しておいた。
■これらの粘土板群の中から、モーリス・シャトランがこのニネヴェ定数と名付けられた195兆9552億という数の意味を解読した。太陽系の惑星・衛星・彗星などの諸天体からシリウスなどの恒星までも含む公転周期・会合周期の整数倍であり、それら全てが同一の出発点に回帰する超大循環周期だったのだ。
■この70×607でもある195兆9552億を1日の秒数( 86400秒)で割った数が2,268,000,000(22億6800万)であり、さらに1年の日数(365.2422日)で割った数が6,209,578.19224(620万9578.19224)である。つまり太陽系の全天体は22億6800万日(約620万年)の周期で元の配置に戻るということなのだ。(※1)
■195,955,200,000,000を太陽系の惑星や彗星や衛星の諸周期で割っても、秒単位で現代科学のデータとぴったり一致する。日常感覚ではイメージし難い大きな数だが、私たちの通常感覚がおかしいのだろうか。それともおかしいのは古代人の方だろうか。どちらもおかしいのか、どちらもまともなのだろうか。
■このような長い周期について考えることは、観念的で無意味なことだろうか。しかし様々な地域の祖先もまた長い時間について言及している。シュメール人は600万年について、マヤ人は9300万年と4億300万年について、ヒンドゥー人は3億800万年について、エジプト人は26億5000万年について言及している。
■「鶴は千年、亀は万年」という表現が字義通りの事実であるならば、それを確かめる人間は千年・万年生きなければならないが、それはもちろん不可能である。このニネヴェ定数やマヤその他の莫大な数は、単に抽象的で神話的な象徴の数なのだろうか。それとも私たちの未知未量なる真実の数なのだろうか。
■現在の私たちの科学的世界観によれば、銀河系は2億2680万年で一巡りすると考えられている。また私たちの太陽系は、恒星シリウス周辺を中心にして80万年かけて公転している。そしてさらにその公転の中心もまた、銀河の中心に対してこの2億2680万年という長い周期で公転していると計算されている。
■この私たちの銀河の回転周期はニネヴェ定数のぴったり36倍である。またこの銀河の1回転の間にシリウス周期78万7500年はちょうど288回収まっており、地球の惑星歳差運動周期25920年は8750回繰り返す。これは誰かが作った数字合わせの冗談なのだろうか。それとも未知なる意味が潜んでいるのだろうか。
226800000年=銀河系の1回転
=36ニネヴェ定数周期(6300000×36)
=288シリウス周期(787500×288)
=8750惑星歳差運動周期(25920×8750)
■なおディヴィッド・ウィルコックはこの銀河周期を、7京0543兆8720億0(=0.7×609)であると独自に算出した。彼はこれにさらに1年の日数などを掛けて銀河の調和的年数の2億2354万4814.9201年を算出した。この数値は銀河の1回転に要する年数2億2680万年に1年の秒数を掛けた数値に近似している。
■さらに彼は6,209,578.19224、すなわちニネヴェ定数を1年間の秒数で割った数値でこれを割り、36という綺麗な整数を導き出したのである。銀河が1周する間に太陽系の惑星は36回最初のスタート位置に戻る。またこの周期の間に歳差運動周期はぴったり8640回になる。8640は1日の秒数の1/10でもある。
■彼はこれに1年の日数などを掛けて銀河の調和的年数223,544,814.9201(2億2354万4814.9201)年を算出した。そしてニネヴェ定数を1年間の秒数で割った数値、すなわち6,209,578.19224でこれを割り、36という綺麗な整数を導き出したのである。(2,235,448,149,201,000,000÷6,209,578.19224=36)
2,235,448,149,201,000,000÷6,209,578.19224=36
■ところで25920年は9467077.824日である。これをツォルキン260で割ると36411.83778でほぼ364×102であり、266で割ると35590.51814でほぼ355×102である。ここからもツォルキンの260日と太陽太陰暦の364日の関係、及びドゴン族に言い伝えられている266日周期と355日の太陰暦の関係が想起される。
■非常に大きな周期の間に数的整合性があることはインパクトがある。しかしただ圧倒されるだけでなく、時には「偶然や想像の産物ではありえないこのニネヴェ定数をシュメール人はなぜ知っていたのだろう?」と考えてみるのもよい。それにしても極端な大数ははたしてどこまでが人間の数なのだろう。
--------------------------------------------------------------------(※1)ニネヴェ定数は360日で1年の暦では630万年となる。またこのシュメールで発掘された数値の10進法ホロンは、古代メキシコの遺跡テオティワカンの宗教センターの建築基準単位にもなっている。この事実は古代に共通の知的体系が存在した可能性を示唆しているのだろうか。もしくは優れた思考法は現実として捉えられている空間をいとも容易く超えて存在しうるものなのかも知れない。
ニネヴェ定数2268000000 195,955,200,000,000。
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空海「即身成仏義」
六大
識
+
空┈┈┈┈_┈┈┈┈┈頭上┈青
風┈┈_( )_┈┈┈眉間┈黒
火┈( )┈┈┈胸┈赤
水┈_\ z /_┈┈┈臍┈白
地(__\_/__)┈尿道┈黄
「真言者、円壇をまず自体に置け」
(真言の行者よ、自分自身をマンダラとせよ)http://goo.gl/jKBmf
「五輪成身観」(『密教のすべて』花山勝友75頁参照)
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