NAMs出版プロジェクト: プルードンの恋愛論
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http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/50800236.html以下、多田道太郎「プルードンの家庭論」『プルードン研究(河野健二編)』岩波書店1974.9、p312~314より引用です。
《決定的に相異なる両性の協力(これがまたプルードン思想の要であるわけだが)というのが、人間が「社会」を形成し、進化させてゆくための、基礎的な必要条件である。ちがった性がまず存在し、ついでそれらが協力してゆくということがなければ、社会の形成はありえないのである。主体が男女という二元に分れることが、じつは客観世界において動物性のほかに「社会」が形づくられてゆく基礎となる。(したがって、男女の性別を縮小化しようというさまざまの主張、傾向は、プルードンによってきびしく排斥される。こうした傾向はけっきょく「社会」の無化につながるものだからである。また、このプルードンの考えは、「社会」の基礎が生物学的、心理学的主体の条件のなかに横たわっているという信念をみちびきだす。)
結婚が生殖という生物学的レベルでの必要をみたすための制度であることはいうまでもないが、これを愛という人間学的レベルで考えればどういうことになるか。プルードンは言う。「生殖を目的とする両性の協力は、愛という特別の感情の影響下におこなわれる。(中略)『愛は死よりも強し』という有名なことばがある。その意味するところはこうだ。いったん愛を味わった存在は、もはや死について何を恐れることもない。なぜなら愛は死そのものなのだから。愛とは歓喜における死、安楽死(euthanasia)のことなのだから。」(プルードン『革命と教会における正義』4:19より)。愛はカオスをかきまわし、自然を生気づけ、こうして生を再生する。しかし同時に、愛はたがいの犠牲を求める。相手のうちにおのれを殺すことが犠牲の意味であって、すなわち、これは死を意味する。生のための死。死による生。
愛はこうして、プルードンによれば、所有や労働と同じく、アンチノミーの一形式である。生と死とのあいだにひきさかれたアンチノミーである。したがって、愛は均衡(equilibre)を自選的に(ということは、他者、第三者の介入なしに、ということである)求める。その均衡は、愛よりもより高次のシステムに属するはずである。
或る種の詩人、思想家、宗教家によって至高のものとみなされている愛が、プルードンのばあい、「結婚の素材」としてしか扱われていないことは注目に価する。結婚という制度のなかで、これは低い次元に属している。とはいうものの、愛はいかに低い次元においてであるにせよ、するどい矛盾を内包していることにも注意を向けざるをえない。矛盾をはらんでいるからこそ、愛は均衡の法則に服し、より高次の「総合」にいたりつくのである。》
多田道太郎「プルードンの家庭論」『プルードン研究(河野健ニ編)』岩波書店1974.9、p312~314より
////////////参考//////////////////////////
(感覚の段階) (イデアルの段階) (良心の段階)
イデアル_ ジュスチス
肉 _ 貞淑 /
理性/
上記は、多田氏によるプルードンの恋愛論の図示(同書p317より)。ここでも系列的弁証法(dialectique selliere)が見られる。プルードンのそれはヘーゲルと違って、第三者の介入がなくアンチノミーは解消されない(*注)。
*注「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところはここだ。アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな二項との間でバランスをとる」(プルードン『正義論』第二巻、原書の155頁)
斉藤悦則氏のサイト↓「矛盾と生きる」より
http://www.minc.ne.jp/~saito-/works.html
追記:
プルードン『革命と教会における正義』は未邦訳(2017年7月現在)。
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プルードン『所有とは何か』より
«Supprimez la propriété en conservant la possession; et, par cette seule modification dans le principe, vous
changerez tout dans les lois, le gouvernement, l'économie, les institutions : vous chassez le mal de la terre. »
《Suppress property while maintaining possession, and, by this simple modification of the principle,
you will revolutionize law, government, economy, and institutions; you will drive evil from the face of the earth.》
《所持を保全しながら所有を廃止せよ。ただそれだけの修正によって諸君は法律、政治、経済、
諸制度の一切を変えるだろう。諸君は地上の悪を除きさるのだ》
《所有を維持し乍ら財産を抑圧せよ。そして、此単純なる原理の變換に依り、諸君は法律、政治、経済
及び組織を革命し、地表から害悪を一掃するのである。》
《诸位先生,保全所持而除所有,仅靠这种修正就可以改変法律、政治、経済和一切制度。
就可以消除地上的所有罪悪。》
参照:
Qu'est-ce que la propriété?: Premier mémoire: Recherches sur le principe du ... - Pierre-Joseph Proudhon
http://books.google.co.jp/books?id=iWbn2Jy6czAC&pg=PA223
What is Property?, by P. J. Proudhon (1840) 5:2:3:1
http://www.gutenberg.org/files/360/360-h/360-h.htm#noteref-35
『所有とは何か』「ブルードン」長谷川進・江口幹訳、三一書房299頁(改訳)
柄谷行人『トランスクリティーク』現代文庫247頁、定本254頁
Transcritique: On Kant and Marx: Kojin Karatani, Sabu Kohso p.167(直接引用をしていない)
http://books.google.co.jp/books?id=mR1HIJVoy6wC&pg=PA167&lpg=PA167
『財産とは何ぞや』(新明正道訳、405頁、大正十年、1921年、発禁)
『跨越性批判一康德与马克思』中央编译出版社出版 127頁(『什么是所有权』蒲鲁东)
http://book.douban.com/subject/5920564/ 中国語版は内山書店で購入可能
>>179
返信削除> 以下、多田道太郎「プルードンの家庭論」『プルードン研究(河野健ニ編)』岩波書店1974.9、
> p312~314より引用です。
>
> 《決定的に相異なる両性の協力(これがまたプルードン思想の要であるわけだが)というのが、
> 人間が「社会」を形成し、進化させてゆくための、基礎的な必要条件である。ちがった性がまず
> 存在し、ついでそれらが協力してゆくということがなければ、社会の形成はありえないのである。
> 主体が男女という二元に分れることが、じつは客観世界において動物性のほかに「社会」が
> 形づくられてゆく基礎となる。(したがって、男女の性別を縮小化しようというさまざまの主張、傾
> 向は、ブルードンによってきびしく排斥される。こうした傾向はけっきょく「社会」の無化につな
> がるものだからである。また、このブルードンの考えは、「社会」の基礎が生物学的、心理学的
> 主体の条件のなかに横たわっているという信念をみちびきだす。)
> …
>
> 愛はこうして、プルードンによれば、所有や労働と同じく、アンチノミーの一形式である。生と死
> とのあいだにひきさかれたアンチノミーである。したがって、愛は均衡(equilibre)を自選的に(と
> いうことは、他者、第三者の介入なしに、ということである)求める。その均衡は、愛よりもより
> 高次のシステムに属するはずである。
>
> 或る種の詩人、思想家、宗教家によって至高のものとみなされている愛が、ブルードンの
> ばあい、「結婚の素材」としてしか扱われていないことは注目に価する。結婚という制度のなか
> で、これは低い次元に属している。とはいうものの、愛はいかに低い次元においてであるに
> せよ、するどい矛盾を内包していることにも注意を向けざるをえない。矛盾をはらんでいるから
> こそ、愛は均衡の法則に服し、より高次の「総合」にいたりつくのである。》
47『保育園落ちた日本死ね』の根源思想には“国家解体のマルクス主義”@無断転載は禁止2017/09/12(火) 00:16:38.78ID:fbL+mYBe0
返信削除>>38
★☆★『“保育園落ちた日本死ね”の目的は“女性の性的自立”による“家族の解体”』★☆★
“性解放”による道徳破壊は、『社会秩序の解体 = 国家の弱体化』と言っても過言ではない。
これら“性秩序の破壊”による『家族の解体』は、日本の社会基盤を“弱体化”させる。
かつて、ロシアで暴力革命を成功させた共産主義者は、西欧先進国での革命を試みたが、
彼らのいうところの「家父長的権威主義的な家族」と「キリスト教の性道徳」が障壁となった。
そこで、まず伝統的な “性道徳を破壊” し、近代的な “家族を解体” しようと考えた。
人類が築き上げてきた性道徳や性秩序を破壊すれば、権威主義的な家庭を解体でき、
資本主義国家を転覆でき、「性を解放する」ことが“社会革命”の根本であると訴えた。
これらの思想は健全な社会を破壊し革命を導くという思想であり、これが日本の中枢に入り込み、
現在の「女性の性的自立」推奨した“フェミニズム”思想の『男女共同参画』などを産み出した。
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20091023/1256254671
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エンゲルスは階級社会の原型は、「家庭における男が女を支配する男女差別」にあると考えた。
つまり、夫は搾取する側(ブルジョア)、妻は搾取される側(プロレタリアート)だと決めつけたのだ。
そこで、プロレタリア革命(共産主義革命)のために不可欠だと説いたのが『家族制度の解体』であり、
「家族制度の解体は国家の弱体化、延いて国家の解体へと連なり、共産主義社会を到来せしめる」と主張。
しかし、実際にこれを実践したレーニンが「家事育児の社会化」「性の自由化」などを導入した結果、
“離婚や堕胎の激増”、“少年犯罪激増”、“出生率激減”を招き、さしものスターリンも、
「このままではソ連が崩壊してしまう」と考えて、全面的に撤回するに至った政策でもある。
日本の左翼は、ソ連でさえも失敗して断念したるこのエンゲルスの「育児の社会化」や、
「性の自由化」などを、平成日本に復活させようとしているのだ。
『家族制度の解体』と表裏一体で進められているのが、異常な『性秩序の破壊』である。
これもやはりエンゲルスに端を発してのロシア革命におけるレーニン政策を復活させたものである。
ソ連共産党のイデオローグの一人であったA・コロンタイが、「セックスは何ものにも
とらわれない自由な活動である」として唱えた「一杯の水」理論がそのベースになっている。
「一杯の水」論とは、「私有財産を基礎とした古いブルジョア的男女関係が打破され、
共産主義社会では男女とも性欲を満たすのは一杯の水を飲んで喉の渇きを癒すのと同じことであり、
女性は性的プロレタリアから解放されてセックスを自由に楽しむべきである」という主旨のものである。
http://ochimusya.at.webry.info/201012/article_15.html (O2359)
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●杉田 水脈 認証済みアカウント https://twitter.com/miosugita/status/905603815654662144
実際に保育所や学童保育に子供を預けて不倫している方も多く、
そういう苦情を市職員時代、たくさん受けました。
返信削除《愛はこうして、プルードンによれば、所有や労働と同じく、アンチノミーの一形式である。生と死とのあいだにひきさかれたアンチノミーである。…その均衡[=結婚]は、愛よりもより高次のシステムに属するはずである。》多田道太郎「プルードンの家庭論」『プルードン研究(河野健二編)』岩波書店1974より