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日曜日, 7月 30, 2017

二重の意味で自由な労働者 Freie Arbeiter in dem Doppelsinn


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二重の意味で自由な労働者 Freie Arbeiter in dem Doppelsinn

http://nam-students.blogspot.jp/2017/07/freie-arbeiter-in-dem-doppelsinn.html

《産業資本の剰余価値は根本的に、労働者を奴隷的に働かせることによって得られるようなものではない。

もしすべての資本が労働者を奴隷的に働かせるならば、その生産物を買う者がいなくなり、総体として、

資本の剰余価値は実現されないことになります。産業資本の剰余価値は、あくまで労働者が作ったもの

を買い戻すことによって得られるのです。》


柄谷行人『世界共和国へ』より

G-W-G'という資本の自己増殖システム(再生産システム)の歴史性を柄谷は強調している

ただし奴隷制もまた歴史的なものと言っている


ピケティはストック全体の統計を使えと言っているが(そこからタックスヘイヴンが露呈した)

マルクスはフローを分析した


柄谷の解は協同組合と世界共和国だが

後者にはケインズのバンコール世界通貨案が不可欠だと思う

国家も独自の生存意志で動くからそれを制御する代案が必要だろう


742頁

自由な労働者とは、奴隷や農奴などのように彼ら自身が直接に生産手段の一部分に属する
のでもなければ、自営農民などの場合のように生産手段が彼らに属さず、彼らはむしろ生産
手段から自由である、すなわち引き離されてもいるという二重の意味でそうなのである。


Freie Arbeiter in dem Doppelsinn, daß weder sie selbst unmittelbar zu den Produktionsmitteln 
gehören, wie Sklaven, Leibeigne usw., noch auch die Produktionsmittel ihnen gehören, 
wie beim selbstwirtschaftenden Bauer usw., sie davon vielmehr frei, los und ledig sind.


二重の意味で自由な労働者
Freie Arbeiter in dem Doppelsinn,  

Das Kapital Band 1

http://www.marx-forum.de/das_kapital/kapital_1/1.789.html
 Kapital 1.: 789 - 802 (Ende)
24. Kapitel: Die sogenannte ursprüngliche Akkumulation:

„Geld und Ware sind nicht von vornherein Kapital, sowenig wie Produktions- und Lebensmittel. Sie bedürfen der Verwandlung in Kapital. Diese Verwandlung selbst aber kann nur unter bestimmten Umständen vorgehen, die sich dahin zusammenspitzen:
Zweierlei sehr verschiedene Sorten von Warenbesitzern müssen sich gegenüber und in Kontakt treten, einerseits Eigner von Geld, Produktions- und Lebensmitteln, denen es gilt, die von ihnen besessene Wertsumme zu verwerten durch Ankauf fremder Arbeitskraft;
andererseits freie Arbeiter, Verkäufer der eigenen Arbeitskraft und daher Verkäufer von Arbeit. Freie Arbeiter in dem Doppelsinn, dass sie weder selbst unmittelbar zu den Produktionsmitteln gehören, wie Sklaven, Leibeigene usw., noch auch die Produktionsmittel ihnen gehören, wie beim selbstwirtschaftenden Bauern usw., sie davon vielmehr frei, los und ledig sind.



24:1

自由な労働者とは、──彼じしんは奴隷や農奴などのように直接に生産手段に属するのでもなければ、自営農民などの場合のように生産手段が彼に属しているのでもなく、むしろ彼が生産手段から自由である、すなわち引離されている、という二重の意味においてである。


4:3参照

だから、貨幣を資本に転化するためには、貨幣所有者は自由な労働者を商品市場に見いださねばならぬのであって、ここに自由というのは、自由な人格として自分の労働力を自分の商品として処分するという、また他方では、売るべき他の商品をもたず、自分の労働力の実現に必要ないっさいの物象から引離されている・自由である・という、二重の意味においてである。



(ウーマンリブ運動における女性の立場をイメージするとわかりやすい)


2 件のコメント:

  1. マルクス『資本論』BOT (@Marx_Kapital)
    2014/04/01 21:10
    この必然性の国の向こう岸で、人間の能力の発展それ自体を自己目的とする真の自由の国が始まる。しかし、それは、必然性の国を基礎として、その上でのみ開花することができる。その根本条件は労働日の短縮である。(資本論第3部第48章)

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  2. 3:48:3
    必然の領域の彼岸において、自己目的として行なわれる人間の力の発展が、真の自由の領域が、──といっても、かの必然の領域を基礎としてのみ開花しうる自由の領域が、──はじまる。〔874〕労働日の短縮は根本的条件である。

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