アーヴィング・フィッシャーの景気循環論(2)古川論考
「社会が過剰債務の状況にあるとき,債務の清算それ自体は実質債務を減少させるのではなくて,しばしばそれを増大させる。もちろん,名目的には清算は債務を減少させるが,実質的には(一国の貨幣価値を増大させることによって)未払いの債務残高を膨張させる」(Ibid.,p.25)。
好況と不況 未邦訳
[1932]Booms and Depressions,Some first princiI Ples,London,George AllenandUnwin.Fisher,Ⅰ.
When a whole community is in a state of over-indebtedness, the dollar reacts in such a way that the very act of liquida-tion may sometimes enlarge the real debts instead of re-ducing them!
p.25
有名な「負債デフレーション理論」(thetheoryofdebt-deflation)は,以上のようなフィッシャー自身の苦い経験を踏まえ,大恐慌の渦中に,『好況と不況』(Fisher[1932])の中で詳細に論じられた。そして,その嘗旨が『エコノメトリカ』第1巻に掲載された論文「大恐慌のデット・デフレーション理論」(Fisher[1933])にまとめられている。その基本的な考え方は,物価の下落が債務者の実質債務負担を増大させ,それを通じて経済活動に抑制的な効果を及ぼすというものである。フィッシャーの負債デフレーション論は,大恐慌の中で景気悪化のプロセスに重点が置かれているとはいえ,彼の従来の景気循環論の集大成ともいえるように思われる。以下では,景気循環の下降局面に焦点を絞って,負債デフレーション理論を要約することにしよう。
フィッシャーは,景気循環過程に介在する9つの要因,すなわち①過剰債務,②通貨量,③物価水準,④正味資産,①利潤,⑥生産・取引・雇用,⑦心理的要因-(楽観と悲観),⑧通貨の流通速度,⑨利子率に注目する2)。フィッシャーは以上の要因に関して,次のような因果関係を考える。(1)過剰な債務が原因となり,銀行借入の返済による債務の清算(debtliqui-
\と言う。一つは,「ドルのダンス」に基づくユ920年代の景気循環の分析と,深刻で長期にわたる不況の理論的解明との間のギャップを捜めることであり,それが『好況と不況』(Fisher[1932])および「大恐慌の負債デフレーション理論」(Fisher[1933])という輝かしい業績となって結実したことである.もう一つは,こうした業績とは正反対に,上述のようなフィッシャーの誤った株式市場の予測およびケインズによる『貨幣論』[ユ930]の出版やハイエクによる『価格と生産』[1931]の出版の影響などもあって,フィッシャーの影響力が急速に失われしまったことであるとしている(Ibl,d.)。またディマンドは,「フィッシャーの蔵も洞察力に満ちたマクロ経済学への貢献の一つ,負債デフレーション過程の分析が,同時代の人々からほとんど注目されなかったのは,学界のみならずフィッシャーの不幸でもある」(Ibid.,p.141)と述べている。2)これらの要因を取り上げた理由について,フィッシャーは『好況と不況』の序文において次のように述べている。「本書の取り上げる範囲は限られており,ほとんどは9つの主要な要因に限られる。それは,これらの要因がすべての[景気循環の]課題を網羅するからではなく,すべてではないにしても,他のほとんどの不況-影響はもちろん,現在の不況における顕著な影響であると思われる要因を含んでいるからである」(Fisher[1932]序文p.vii)
dation)と投げ売りが生じる。(2)債務の清算は預金通貨の収縮と流通速度の低下をもたらす。(3)預金通貨の収縮と流通速度の低下は,「ドルの膨張」(aswellingofthedollar),すなわち物価水準の下落を引き起こす。(4)物価水準の下落は,リフレーション政策などによって妨げられない限り,企業の正味資産価値の減少と破産を引き起こす。(5)同時に,物価の下落は企業の利潤を減少させ,赤字操業を行う企業も増大する。(6)その結果,産出量,取引量,雇用量の減少が生じる。(7)それに伴う損失,破産,失業の増大は将来に対する悲観および信頼の喪失をもたらす。(8)悲観と信頼の喪失は,通貨の保蔵および流通速度のいっそうの低下を招く。(9)以上の8つの変化は,名目利子率を低下させる一方,実質利子率を上昇させるという「利子率の複雑な撹乱」(Ibid"p.342)を引き起こす。
もちろん,フィッシャーは現実の景気循環過程においては,以上の「論理的なリスト」には存在しない多くの変数や相互依存関係が介在すると考えているし,また事態が上のような順序とは若干異なって生起する場合があるという留保条件も付けている。しかし,「論理的リストの最初と最後,すなわち債務とその利子を除けば,すべての変動は物価下落を通じて生じるということに注意すべきである」(Ibid.,p.344,傍点部分は原文ではイタリック)として,これまで同様,物価の変動,ここでは物価下落の経済活動に及ぼす影響を重視する3)。フィッシャーにとって,「デフレーションはほとんどすべての害悪の根源」(Fisher[1932]p.39)なのである。
3)フィッシャーが従来同様,物価の変動が企業利潤の変動を通じて経済活動に及ぼす経路を重視していることは,負債デフレーション理論においても一貫している。彼は,物価の下落に関して,「利潤は収入と費用の差額であり,前者は物価が下落する時に減少するが,後者は完全には固定されていないものの,物価ほどはデフレーションの攻撃に感応的ではない」(Zbid.,pp.29-30)と述べ,さらに次のように付け加える。「近代的な企業では,間接費用および固定的費用の比率がより大きくなるがゆえに,〔物価下落の〕困難がとりわけ感じられるということである。もし企業組織が,そうなりそうであるが,より多くの固定費用とより少ない運転費用への傾向を続けるとすれば,その利潤は物価水準の変動にますます敏感となるだろう」(Ibid.,p.30,fn.1)Oもちろん,こうした物価下落が企業の利潤に及ぼす直接的な経路とは別に,フィッシャーが『貨幣の購買力』において指摘したように,物価の下落が先行きの物価下落期待を通じて消費の減少を引き起こし,景気の悪化に拍車をかけるという経路も重要である。
さらにフィッシャーは次のように続ける。「過剰債務それ自体だけでは,すなわち過剰債務が物価の下落を招かないような場合は,結果として生じる景気循環ははるかに穏やかで規則的なものである。同様に,デフレーションが過剰債務以外の要因から生じる場合は,結果としての害悪はずっと小さい。壊滅的影響を及ぼすのは両者の組合せ,すなわち負債の病(thedebtdisease)が最初に生じ,次いでドルの病(thedollardisease)に陥る場合である」(Fisher[1933]p.344)。重要な点は,この「債務の病」と「ドルの病」という2つの柄,つまり過剰債務の存在と物価の下落とは,前者が後者を導き,後者が前者を導くという相互依存の関係にあることである。フイッシャ←の言葉を用いれば,「われわれは誰でも,小さな病気が大きな病気を導くことを知っている。悪性の風邪が肺炎を招くのとまったく同様に,過剰債務がデフレーションを招く。そして逆も成り立ち,債務によって引き起こされたデフレーションは債務に反作用する」(Ibl'd.)のである。こうして「債務の病」と「ドルの病」が重なりあって景気の「螺旋的な悪循環」(theviciousspiraldownward)(Fisher[1932]p.25)を生じさせる4)。
以上の過剰債務と物価下落の関係について,フィッシャーはより具体的に次のように説明する。「社会が過剰債務の状況にあるとき,債務の清算それ自体は実質債務を減少させるのではなくて,しばしばそれを増大させる。もちろん,名目的には清算は債務を減少させるが,実質的には(一国の貨幣価値を増大させることによって)未払いの債務残高を膨張させる」(Ibid.,p.25)。すなわち,債務を返済しようとする過程(清算の過程)において,銀行組織全体の預金は減少し,この預金通貨を含む貨幣量の減少は物価の下落を引き起こす。そして債務の返済は物価下落に追いつかず,かえって借り手の実質債務は増大すると
4)債務の病(債務病)と物価の病(物価病)という2つの病気が相乗作用を起こして深刻な不況を導くという点について,フィッシャーは次のようにも表現している。「病理学者はいまや,一一一線の病気は,そのどちらか一方,あるいは2つの病気をただ足し合わせるよりもしばしば身体に悪いことを発見している。そして誰でも,小さな病気は大きな病気を招くということを知っている。ちょうど悪い風邪が肺炎をもたらすように,過剰債務はデフレーションをもたらすのである」(Fisher[1933]p.344)a
H.G.,EdwardElgar.Fisher,I.[1896]AppreciationandInterest,NewYork,AugustusM.Kelley,1965.[1907]TheRateofInterest:ItsNature,Dete7・minationandRelationtoEconomicPhenomena,NewYork,Macmillan.[1911]ThePurchasingPowerofMoney,Thedeterminationandrelatz-07,Itocreditandcrisis,NewYork,Macmillan.[1912]ElementaryPrinciplesofEconomics,NewYork,Macmillan.[1920]StabilizingtheDollar,NewYork,Macmillan.[1923]"TheBusinessCyclesLargelya'DanceofDollar',"JournalofAmericanStat2'sticalAssociation,18,December.[1925]"OurUnstableDollarandtheSo-calledBusinessCycles,"JournalofAmericanStatisticalAssociation,20,June.[1930a]TheTheor3,0fInterest,Asdete77ninedbyimpatiencetospendin-comeandopportunitytoinvestit,NewYork,Macmillan.(気賀勘重・気賀健三訳『利子論』日本経済評論社,1980年)0〔1930b]TheStockMarketCrashandAfter:,NewYork,Macmillan.
[1932]Booms and Depressions,Somefllr:stprinciI Ples,London,George
AllenandUnwin.Fisher,Ⅰ.
[1933]"TheDebt-DeflationTheoryofGreatDepressions,"Econometrica,1,October.[1935]100%Money,Desz'gnedtokeepcheckingbankslOO%liquid,~topreveniinflationanddePation,・largelytocureorpreventdepressions,・andwipeoutmuchoftheNationalDebt,NewYork,AnAdelphiPublication.
好況と不況 未邦訳
[1932]Booms and Depressions,Some first princiI Ples,London,George AllenandUnwin.Fisher,Ⅰ.
When a whole community is in a state of over-indebtedness, the dollar reacts in such a way that the very act of liquida-tion may sometimes enlarge the real debts instead of re-ducing them!
p.25
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