(書評)『メタヒストリー 一九世紀ヨーロッパにおける歴史的想像力』 ヘイドン・ホワイト〈著〉:朝日新聞デジタル
2017/11/12
http://digital.asahi.com/articles/DA3S13224969.html?rm=150メタヒストリー――一九世紀ヨーロッパにおける歴史的想像力 単行本 – 2017/9/29
商品の説明
内容紹介
歴史学に衝撃をもたらした“伝説の名著“
翻訳不可能と言われた問題作が
43年を経て、遂に邦訳完成!
「本書を読まずして、歴史を語るなかれ」
本書は、ヘイドン・ホワイトが1974年に発表し、歴史学に衝撃をもたらした、あまりにも有名な名著である。世界では「メタヒストリーを読まずして、歴史を語るなかれ」とまで言われる。しかし、あまりの難解さゆえに、日本では何人もの翻訳者が挫折し、すでに原著刊行から43年が経つが、「翻訳が成されえない最後の名著」として伝説化されてきた。
本書は、10年の歳月をかけて実現した待望の初訳であり、さらに多数の訳注を付し、日本語版序文、解説などを収録した決定版である。
ホワイト日本語版序文
「ようやく! そして、メタヒストリーを再考する意味について」
■監訳者「日本語版解説」より■
本書は、歴史学に言語論的転回をもたらし、人文諸学の多様な領域に、大きな刺激と影響を与えてきた。日本でも伝説的な名著として知られながらも、永く翻訳がない大作の筆頭に、常に挙げられてきた作品である。
本書では、ヘーゲル、ミシュレ、ランケ、トクヴィル、ブルクハルト、マルクス、ニーチェ、クローチェなど、19世紀の歴史学と歴史哲学の事例を吟味することを通じて、歴史叙述において暗黙のうちに働く語りの形式性が掘り下げられていく。歴史叙述とは、けっして客観的実在や痕跡をさまざまな立場から記述する過程ではない。言い換えれば歴史学は、誰もがどんな場合にも不変なものとして想定できる、何らかの所与に依拠して成り立つ知ではない。人間の存在様態としての歴史性とは、常にまるごと言語によって媒介されており、本書には、そうした歴史的な語りがどのような形式的特性をもって立ち現れてくるのかを、反省的に解明するための仮説的な筋道とその実践が示されている。
著者について
ヘイドン・ホワイト(Hayden White)
世界的に著名な米国の歴史家。カリフォルニア大学ロスアンジェルス校、同大学サンタ・クルーズ校、スタンフォード大学の教授を歴任。現在、カリフォルニア大学サンタ・クルーズ校名誉教授、アメリカ芸術・科学アカデミー会員。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ホワイト,ヘイドン
アメリカの歴史家、批評家。現在、カリフォルニア大学サンタ・クルーズ校名誉教授。1928年生まれ。1951年にウェイン州立大学を卒業後、1956年にミシガン大学大学院で博士号を取得。ロチェスター大学、カリフォルニア大学ロスアンジェルス校の歴史学部で教鞭を執り、1973年、同校の人文学センター長に就任。1976年、ウェズリアン大学で歴史・文学教授を務めたのち、1978年、カリフォルニア大学サンタ・クルーズ校人文科学部に新設された「意識の歴史(History of Consciousness)」コースの教授に就任。1995年から2014年まで、スタンフォード大学で比較文学・ドイツ研究のコンサルティング・プロフェッサーを務めた。1991年、アメリカ芸術・科学アカデミーの会員に選出された
岩崎/稔
東京外国語大学総合国際学研究院教授。専攻:哲学/政治思想。1956年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程単位取得退学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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(書評)『メタヒストリー 一九世紀ヨーロッパにおける歴史的想像力』 ヘイドン・ホワイト〈著〉:朝日新聞デジタル
2017/11/12
http://digital.asahi.com/articles/DA3S13224969.html?rm=150■歴史を「言語」から見直す企て
著者ヘイドン・ホワイトは、歴史学を、「物語性をもった散文的言説という形式をとる言語的構築物」としてみる。一般に人々は、出来事や観念が存在したあとで歴史が書かれると考えているが、それらは書かれ構成されることによってのみ存在する。その書き方を見るべきなのだ。『メタヒストリー』は、歴史学が見てこなかった「言語」を見ようとする企てである。ここでそれを詳しく説明することはできないのだが、主として19世紀西欧における歴史学と歴史哲学の言説を、比喩の4形態(隠喩・換喩・提喩・アイロニー)という観点から見直すものである。ある意味で、これは歴史学・歴史哲学の「文学批評」である。実際、彼はケネス・バークやノースロップ・フライのような批評家の仕事に依拠している。
このような企てを「言語論的転回」と呼ぶなら、それは目新しいものではない。20世紀の哲学における顕著な傾向は、観念や対象から、その陰に隠されてきた言語に向かう、「言語論的転回」にあるといえるからだ。そして、それが分析哲学だけではなく、さまざまな領域においてあらわれたのが1960年代である。たとえば、フランスで構造主義と呼ばれた著作がそうであった。最初に歴史学において転回をもたらしたのは、社会の歴史を「言説」の次元において見たフーコーの『言葉と物』であろう。一方、北米では、歴史学の領域において、フランスのそれと平行しかつ影響を受けながらも、独自の仕事がなされた。それが本書である。
この時期に流行した著作がほぼ日本に翻訳・紹介されたのに、この大著が残されたのは、奇妙な気がする。それを考えていると、私は、この時期そのものが今や「歴史」の対象だということに気づいた。本書が刊行されたころ、私はエール大学で教えはじめたので、当時の北米の言説を身近に知った。その時に気づいたのは、北米では、哲学・歴史学・社会科学などがまったく分離されていること、そして、文学批評がそれらを分離することなく根本的に考える「理論」としてあったということである。もう一つは、アメリカの知識人の間でマルクス主義が弱かったということである。「言語論的転回」は、マルクス主義の強い所では、それに対する批判となるのだが、北米ではむしろ、新たな形でマルクス主義を導入することを意味した。
本書はフレドリック・ジェイムソンの『言語の牢獄』と並んで、そのような役割を果たした。日本に本書が紹介されなかったのも、そのためだろう。しかし、逆に、今日の状況は、本書に新たな意味を見いだすことを可能にするものだといえる。
評・柄谷行人(哲学者)
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『メタヒストリー 一九世紀ヨーロッパにおける歴史的想像力』 ヘイドン・ホワイト〈著〉 岩崎稔監訳 大澤俊朗ほか訳 作品社 7344円
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Hayden White 28年、米国生まれ。歴史家、批評家。カリフォルニア大学サンタ・クルーズ校名誉教授。本書の原書は73年刊。他に『歴史の喩法 ホワイト主要論文集成』『実用的な過去』など。
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