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火曜日, 12月 12, 2017

坂口安吾 将棋の鬼 勝負師

坂口安吾 将棋の鬼 勝負師
20171205
【将棋】羽生善治永世七冠達成!震える指し手から終局の瞬間まで【竜王戦第5局、渡辺明】
https://youtu.be/8VK0YwuS4u8?t=10m30s
藤井猛『四間飛車上達法』
坂口安吾全集 【1999年筑摩書房版】 全巻構成
http://u2kobo.in.coocan.jp/ango_works03.htm
坂口安吾 升田幸三の陣屋事件について
http://shogikifu.web.fc2.com/essay/essay021.html
「先生をぶん殴ったりしてね」坂口安吾の肉声
坂口安吾 推理小説論

 クリスチー女史の華麗多彩な天分に至っては、驚嘆のほかはない。あれほどの濫作をして、一作毎に工夫があり、トリックにマンネリズムが殆どなく、常に軽快な転身は驚くばかりである。文章も軽快、簡潔であって、謎ときゲームの妙味に終始し、その解決に当って、不合理によって読者を失望させることが、先ず、すくない。ただクリスチー女史には、優雅な美人は絶対に犯人にならないという女らしい癖があって、この癖が分ると、謎ときがよほど楽になるのである。
 一般に「アクロイド殺し」をもって代表させているが、却々なかなかもって一作二作で片づけられるようなボンクラではなく、「スタイルズ荘」「三幕の悲劇」その他傑作は無数であるが、特に「吹雪の山荘」は意表をつくトリックによって、軽妙、抜群の発明品であり、推理小説のトリックに新天地をひらいたものとして、必読をおすすめしたい。
「吹雪の山荘」のトリックほど平凡なものはない。現実に最もありうることで、奇も変もないのであるが、恐らく全ての読者がトリックを見のがしてしまうのである。読者は解決に至って、あまりにも当然さにアッと驚き、あまりにも合理性の確実さに舌をまいて呆れはてるであろう。しかし、読みすすんで行くうちは、この悠々と露出しているトリックに、どうしても気附くことができないのである。このトリックの在り方は、推理作家が最大のお手本とすべきものであろう。

 横溝正史の雰囲気好みは性格的なものであるが、高木、島田両君はそうでないようだから、雰囲気はサラリとすてて、クリスチー女史の簡潔軽妙な筆を学んだ方がよい。クリスチーは私にとっても師匠なのである。

坂口安吾 将棋の鬼
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42828_26846.html

将棋の鬼

坂口安吾




 将棋界の通説に、升田は手のないところに手をつくる、という。理窟から考えても、こんなバカな言い方が成り立つ筈のものではない。
 手がないところには、手がないにきまっている。手があるから、見つけるのである。つまり、ほかの連中は手がないと思っている。升田は、見つける。つまり、升田は強いのである。
 だから、升田が手がないと思っているところに手を見つける者が現れゝば、その人は升田に勝つ、というだけのことだろう。
 将棋指しは、勝負は気合いだ、という。これもウソだ。勝負は気合いではない。勝負はたゞ確実でなければならぬ。
 確実ということは、石橋を叩いて渡る、ということではない。勝つ、という理にかなっている、ということである。だから、確実であれば、勝つ速力も最短距離、最も早いということでもある。
 升田はそういう勝負の本質をハッキリ知りぬいた男で、いわば、升田将棋というものは、勝負の本質を骨子にしている将棋だ。だから理づめの将棋である。
 升田を力将棋という人は、まだ勝負の本質を会得せず、理と云い、力というものゝ何たるかを知らざるものだ。
 升田は相当以上のハッタリ屋だ。それを見て、升田の将棋もハッタリだと思うのが、間違いの元である。

以下でも升田を論じている。

坂口流の将棋観

坂口安吾




 私は将棋は知らない。けれども棋書や解説書や棋士の言葉などから私流に判断して、日本には将棋はあったが、まだ本当の将棋の勝負がなかったのじゃないかと思う。
 勝負の鬼と云われた木村前名人でも、実際はまだ将棋であって、勝負じゃない。そして、はじめて本当の勝負というものをやりだしたのが升田八段と私は思う。升田八段は型だの定跡を放念して、常にたゞ、相手が一手さす、その一手だけが相手で、その一手に対して自分が一手勝ちすればよい、それが彼の将棋の原則なのだろうと私は思う。
 将棋の勝負が、いつによらず、相手のさした一手だけが当面の相手にきまっているようであるが、却々なかなかそういうものじゃなくて、両々お互に旧来の型とか将棋というものに馴れ合ってさしているもので、その魂、根性の全部をあげてたゞ当面の一手を相手に、それに一手勝ちすればよい、そういう勝負の根本の原則がハッキリ確立されてはおらなかった。これをはじめて升田八段がやったのだろうと私は思う。
 私の文学なども同じことで、谷崎潤一郎とか志賀直哉とか、文章はあったけれども、それはたゞ文章にすぎない。私のは、文章ではない。何を書くか、書き表わす「モノ」があるだけで、文章など在りはせぬ。私の「堕落論」というものも、要するにそれだけの原則をのべたにすぎないもので、物事すべて、実質が大切で、形式にとらわれてはならぬ。実質がおのずから形式を決定してくるもの、何事によらず、実質が心棒、根幹というものである。
 これは、悲しいほど、当りまえなことだ。三、四十年もたってみなさい。坂口安吾の「堕落論」なんて、なんのこったこんな当り前のこと言ってやがるにすぎないのか、こんなことは当然にきまってるじゃないか、バカ/\しい、そう言うにきまっている。そのあまりにも当然なことが、今までの日本に欠けていたのである。
 升田八段の将棋における新風がやっぱり原則は私と同じもので、たゞあまりにも当然な、勝負本来の原則にすぎないのである。然し、日本の各方面に於て、この敗戦によって、日本本来の欠点を知って、事物の当然な原則へ立直ったもの、つまり、ともかく、当然に新しい出発というものをはじめているのは、文学における私と、将棋における升田と、この二人しかおらぬ。
 政治界などは全然ダメだ、社会党、共産党といってもその政策の新味に拘らず、政治としては旧態依然たるもの、つまり政治というものは、政策の実施にあり、その政策を実施して失敗したらその欠点を直して、よりよい政策を自ら編みだして進歩して行かねばならぬ、要するに、それだけの原則にすぎないものである。ところが、彼等は昔ながらの、いわゆる政治をやっておるにすぎず政治家の手腕だなどとツマラヌことを今もって考えている。まことに救われがたい人種である。

          ★

 しからば升田は強いか。強いけれども、たいして強いわけはない、升田や私は当然すぎる出発者というだけのことで、本当の文学とか将棋というものは、こゝから始まるだけのこと、捨て石、踏み台にすぎない。
 谷崎、志賀の文章は、空虚な名文というものにすぎず、たゞ書き表わす対象にだけ主体のある私の文章にくらべて、ニセモノにすぎないものだ。けれども彼らは素質ある人々で、あの時代に生れたからあゝなっただけのこと、今の時代に青年であったら、私と同じ出発をはじめ、私などのおよびがたい新作品を書いているかも知れぬ。
 木村対升田の場合も同じこと、木村はあの時代に育って、あゝなった。今、三十の新進であったらたぶん、升田と同じ原則から新風を起したに相違ない人物であるけれども、いったん出来た型は却々破られぬ。ことに木村の場合の如くに、名人を十年もやっては、もう一つの完成に達して、この型をハミ出したり、くずしたり、新出発することはむつかしい。
 けれども、谷崎や志賀に、そのような新出発が先ずほとんど有り得ないのにくらべて、将棋の場合は、相対ずくの勝負であるから、相手次第で、新展開が行われないとは限らない。その可能性は有りうるものだ。年齢もまだ若い。科学には勝負はないが、将棋は勝負だから、その闘魂からくる新生、新出発、そういう展開はありうる筈だ。
 然し私は、木村にこの新生が行われぬ限り、目下のまゝでは升田に分のよいのが自然だと思う。なぜなら升田は、木村という型のもつ欠点を踏み台にして、そこの省察から新しく現れた美事な進歩だからで、問題は天分にあるのじゃなくて、心構えの新しさ正しさにあるのである。
 木村ほどの大豪のものが、自らの型を破って、勝負の当然な原則を自得するに至ったら、又、ひとまわり鋭くなるにきまっている。そして、その新生は不可能ではない。以上、坂口流の文学の原則から見た将棋観である。

(木村・升田戦の日の未明)




坂口安吾全集 【ちくま文庫版】 全巻構成
http://u2kobo.in.coocan.jp/ango_works02.htm
17巻
◇囲碁修業 ◇相撲の放送 ◇島原一揆異聞 ◇講談先生 ◇坂口流の将棋観 ◇男女の交際について ◇観戦記 ◇将棋の鬼 ◇集団見合 ◇◆本因坊・呉清源十番碁観戦記 ◇呉清源論 ◇私の碁 ◇文人囲碁会 ◇碁にも名人戦つくれ
〈安吾巷談〉 ◇麻薬・自殺・宗教 ◇天光光女史の場合 ◇野坂中尉と中西伍長 ◇今日われ競輪す ◇湯の町エレジー ◇東京ジャングル探検 ◇熱海復興 ◇ストリップ罵倒 ◇田園ハレム ◇世界新記録病 ◇教祖展覧会 ◇巷談師退場
〈安吾史譚〉 ◇天草四郎 ◇道鏡童子 ◇柿本人麿 ◇直江山城守 ◇勝夢酔 ◇小西行長 ◇源頼朝
◇チャタレイ傍聴記 ◇見事な整理 ◇親が捨てられる世相 ◇世紀の死闘 ◇安吾武者修行 馬庭念流訪問記 ◆安吾下田外史
解説:島田雅彦・衛生学としての“安吾文学”/解題:関井光男

『勝負師』の題材
1949年名人戦第5局
気になる棋譜を見よう!その188(木村前名人 対 塚田名人)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm25034202?cp_webto=share_iosapp
メンメン第5譜1949年名人戦 木村義雄×塚田正夫
ニコニコの方が見やすい

木村 、四十九分考えて 、四五金 。ノ ータイムで 、同桂 、四四歩 。ここのあたりは控室の合計五十四段が先刻予想していた通りである 。木村 、二十二分考えて 、六三金 。以下ノ ータイムで 、四五歩 。六四金 。同銀 。ここのところも 、控室の予想の通り 。

木村が猛烈な力をこめてパチリと駒を叩きつけたのは 、ちようど一時半だった 。三七角 (二十四分 )これも控室の五十四段が見ていた手である 。この次の手が 、運命の一手であった。


五九角 (一分 )五四銀 (七分 )七四角ナル 。六二飛 。三七飛 。控室の一同が 、その指手を各自の手帖に書き終ったばかりの時である 。人が一人走ってきた 。 「勝負終り 。木村が勝ちました 」アッというヒマもない 。一同がひとかたまりに道場へ走りこんだ 。二年前に勝った時もそうであったが 、負けた塚田も 、表情には何の変化もなかった 。いつも同じショボショボした眼である 。あとの指手は 、六三銀 。八三馬 (一分 )八二歩 。三八馬 。四二飛 。三六歩 (一分 )同金 。三七歩 。同銀 (一分 )同角 。四六歩 。二四歩 (二分 )まで 。時に 、四時二分 。


菊池寛 将棋

  目次

将棋の話大正九年八月
碁より将棋の方が好きだ大正十年九月
将棋と機心大正十二年二月
勝負事と心境大正十三年六月
大正棋戦一瞥記大正十五年十月五日
将棋と麻雀昭和二年一月九日
東西八段争覇戦を観る昭和二年一月十九日、二十日
木村木見対局観戦総評昭和二年二月三日
二月雑記 将棋隆盛昭和二年二月二十三日、二十四日
将棋讃昭和二年五月
秋宵雑記 露店の詰将棋 将棋会館昭和三年十月十八日、十九日、二十一日
将棋と人生昭和四年一月
将棋のこと昭和四年六月
自分と各種ゲーム 将棋昭和五年五月
菊池寛氏縦横談 将棋で人物をねる昭和六年一月
将棋の話昭和九年一月十五日
駒に教へられる成功の道昭和九年七月
将棋昭和十年七月
指し過ぎ無理筋昭和十一年一月
将棋界の分裂昭和十一年三月
(将棋界合同)昭和十一年八月
坂田氏の棋力昭和十二年三月
倉島君の出征昭和十三年七月
坂田三吉氏のこと昭和十三年七月
(坂田三吉名人戦参加)昭和十三年七月
(坂田三吉名人戦経過)昭和十三年八月
(将棋大成会の企)昭和十四年四月
坂田三吉氏昭和十四年八月
将棋名人戦昭和十四年十月
坂田三吉昭和十五年二月
(坂田三吉隠退)
昭和十五年十月


http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/1344_22315.html

将棋

菊池寛




 将棋はとにかく愉快である。盤面の上で、この人生とは違つた別な生活と事業がやれるからである。一手一手が新しい創造である。冒険をやつて見ようか、堅実にやつて見ようかと、いろ/\自分の思ひ通りやつて見られる。しかも、その結果が直ちに盤面に現はれる。その上、遊戯とは思はれぬ位、ムキになれる。昔、インドに好戦の国があつて、戦争ばかりしたがるので、侍臣が困つて、王の気持を転換させるために発明したのが、将棋だと云ふが、そんなウソの話が起る位、将棋は面白い。金の無い人が、その余生の道楽として、充分楽しめるほど面白いものだと思ふ。
 将棋の上達方法は、誰人だれも聴きたいところであらうと思ふが、結局盤数ばんかずを指すのが一番だと思ふ。ことに、自分より二枚位強い人に、二枚から指し、飛香ひきやう、飛、角、香と上つて行くのが、一番たしかな上達方法だと思ふ。


長生きするおたく 「雁木」はいつから「雁木」か
http://tochigiyama.blog.fc2.com/blog-entry-41.html
「将棋世界」11月号の鈴木宏彦「雁木、その不思議な呼び名の由来」は、昭和11年の花田―木村戦の観戦記(菊池寛)、昭和15年の金子―木村戦の観戦記(菅谷北斗星)には、雁木の駒組みの局面になっても雁木という言葉が出てこないと記している。

多分全集未収録

中央公論社版は、「全集」とはいうものの代表作を収めた選集として刊行されたもので、刊行が平凡社版より後だが、収録作品数は多くない。判型が菊判で平凡社版の四六判より大きい。しかし、活字が大きいので読みやすい組体裁になっている。造本や用紙も中央公論社版のほうが平凡社版より良好だ。その点で、平凡社版は、読みづらさを感じさせないこともない。

以前、30万円前後もしていた高松市・武蔵野書房版の全集も10万円台まで値崩れしてきたが、補巻のうち2以降の4冊の発行部数が400部と少ないので、さらに下がる可能性は低いのではないか。

菊池寛、井伏鱒二が主宰した昭和時代の「文壇将棋」と将棋を愛好した作家たち

大正時代に「文藝春秋」社を創業した作家の菊池寛は、熱心な将棋愛好家でした。孤独な日々を送っていた大学時代に寂しさを紛らわしてくれたのが将棋で、それ以来、将棋にすっかり引かれました。作家として自立して文壇の大御所になってからも、将棋熱はますます高まっていきました。社長室には立派な盤がでんと置かれ、将棋好きの来客があると、どんなに多忙でもまず1局と指しました。菊池は社員にも将棋を奨励し、勤務時間内での将棋を許可したそうです。菊池の影響を受けて、周囲の作家や編集者はこぞって将棋を指し、将棋を知らない編集者は菊池から原稿をもらえないこともありました。そんな菊池が好んだ言葉は「人生は一番勝負なり、指し直し能わず」でした。
昭和時代初期のある週刊誌には「文壇将棋天狗番付」というコラムがあり、10人ほどの作家たちが似顔絵で登場しました。菊池寛と幸田露伴が将棋を指し、久米正雄、山本有三、佐佐木茂索、広津和郎らが盤側で観戦する絵柄でした。前列の対局者、中列・後列の観戦者と、各人の座る位置で作家たちの棋力を格付けしたようです。当時の文壇では菊池と露伴がとくに強く、露伴は時の名人の関根金次郎(十三世名人)から四段の免状を贈呈されました。
菊池寛を中心とした将棋会とは別に、主に東京の中央線沿線に住んでいた作家たちが集まったのが「阿佐ヶ谷将棋会」でした。主宰者は井伏鱒二で、尾崎一雄、滝井孝作、三好達治、中野好夫、亀井勝一郎、火野葦平、太宰治、宇野千代らが参加しました。井伏の棋力は5、6級程度でしたが、指し始めると徹夜で20局も指すほど将棋が大好きでした。なお、太宰の将棋は攻め一本槍だったそうです。
昭和30年代のころには、文藝春秋社の主催で「文壇王将戦」が定期的に開かれました。前記の井伏鱒二、尾崎一雄、滝井孝作らのほかに、永井龍男、有馬頼義、梅崎春生、豊田三郎、五味康祐、柴田錬三郎らが参加しました。
このように昭和初期から中期にかけて、多くの作家たちが将棋を愛好して「文壇将棋」が形成されました。また、作家が名人戦などの観戦記を担当することがよくあり、大岡昇平、坂口安吾、藤沢桓夫、小島政二郎、井伏鱒二、永井龍男、五味康祐らが書きました。
中でも坂口安吾の観戦記がとても面白いです。安吾は終局まで盤側にずっと座り込んで対局者の一挙一動を克明に取材したので、戦いの臨場感がよく表れていました。五味康祐は「自分の剣豪小説みたいに、盤上に血の雨を降らせる」という意気込みで臨みましたが、担当した名人戦の将棋が一方的な内容だったので、思うように書けなかったようです。
ミステリー小説と将棋は、犯人探し・犯行の手口などの謎解きをする過程が、玉を詰め上げることに似ていて共通点があります。そのためかミステリー作家にも将棋愛好家が多く、江戸川乱歩、横溝正史、松本清張らの大御所も将棋を指しました。
菊池寛は1935年(昭和10年)に「新進作家を世に送り出したい」という趣旨で芥川賞と直木賞を創設しました。それ以来、今年の第144回まで綿々と続いています。両賞の受賞者の中には将棋愛好家が数多くいます。次回は、その作家たちを紹介します。

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将棋世界2014/11(命名以前の)雁木史で参照されたのは、

菊池寛全集 補巻 第3
22~
26~27頁



(解説の土居氏によれば)
きも現れ、味方の八段が寄って種々研究したが、そのとき
の結論はこの防戦策は先手に飛角銀桂で攻勢をとられるだ
けに防戦困難で、たとひ防戦出来ても駒組が乱れ指しに
くゝなるといふことに決定した。両君もそのときゐたので
これは十分知ってゐるはずであるが、木村君がワザとこの
形を用ひた意中を推測するに従来の場合は先手2六飛の浮
飛車である。であるにかゝはらず、本局では2八飛で「そ
こに少し変ったものがある。木村君としては敵が2六飛と

菊池は次の作品で入学試験への抽籤の導入を主張している。43頁


大阪毎日新聞初出


しつこいようですが、


坂口安吾 勝負師
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43166_23712.html

とてつもなく面白い
文体が気になる人は縦書きで読んでほしい(文庫版全集#7)
坂口安吾が『勝負師』後半で題材にした対局は以下、

第5譜1949年名人戦 木村義雄×塚田正夫

ニコニコでは、
気になる棋譜を見よう!その188(木村前名人 対 塚田名人)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm25034202?cp_webto=share_iosapp

(ニコニコの方が見やすい)

羽生以前にここまで的確に升田幸三を理解していたのは坂口安吾だけだ
ただし題名の勝負師とは大山康晴のこと


《 三二金[#6]、七七角、三四歩、七(8)八銀、七七角成、仝銀、二二銀、四八銀、三三銀、七八金、六二銀、六八王、六四歩、四六歩、七四歩、四七銀、
 ここまではノータイム。塚田はじめて、三分考へた。袴の中へ両手をつッこんでキチンと上体を直立させてゐる。はじめから終盤のやうに神経質である。徹夜で指しきる将棋は夜が更けて終盤近くなると、対局者は充血してマッカになり、コメカミに静脈が曲りくねつて盛りあがるものだ。木村も塚田もさうである。木村が名人位を失つた二年前の対局では、その盛りあがつて曲りくねつた二人の静脈が、今も私の目にしみてゐるのである。ところが、この対局の塚田は、盤に坐つたはじめから、すでに終盤のやうに神経質で、充血し、コメカミに静脈がもりあがつてゐたのだ。彼の心はコチコチかたまつて、なんの余裕もないやうに見えた。
 六三銀(三分)、三六歩、四二王、一六歩[#25]。

木村 、四十九分考えて 、四五金 [#58]。ノ ータイムで 、同桂 、四四歩[#60] 。ここのあたりは控室の合計五十四段が先刻予想していた通りである 。木村 、二十二分考えて 、六三金 。以下ノ ータイムで 、四五歩 。六四金 。同銀 。ここのところも 、控室の予想の通り 。
木村が猛烈な力をこめてパチリと駒を叩きつけたのは 、ちようど一時半だった 。三七角 (二十四分 )[#65]これも控室の五十四段が見ていた手である 。この次の手が 、運命の一手であった。
 二時十分であつた。運命の手の報らせが来たのは。
 塚田、五二桂(三十九分) [#66]*
 棋士たちが、アッといふ声をあげた。
「エ? ナニ、ナニ?」
 大声をあげて、人をかきわけたのは升田であつた。
「五二桂? ホウ。そんな手があつたか」
 誰一人、予想しない手であつた。升田の目が、かゞやいた。妙手か悪手かわからないが、人々の意表をついたこの一手に、彼は先づ感嘆を現した。
 意表をつかれた棋士一同は、にわかに熱心に駒をうごかしはじめた。
「無筋の手や」と、升田。
「無筋ですな」と、金子。
 どういふ意味だか、私には分らない。私は金子八段にきいた。
「無筋の手ッて、どういふことですか」
「つまりですな。相手の読む筈がない手です。手を読むといふのは、要するに、筋を読んでゐるんです。こんな手は、決して相手が読む筈のない手なんですよ」
「時間ぎれを狙うてるんや」
 と、升田がズバリと云つた。その時、木村の時間は、あますところ四十四分であつた。木村の読む筈のない手を指した。木村あますところ四十四分といふ時間を相手にしての塚田の賭博なのである。全然読まない手であるから、木村は面食ふ。そして改めて考へはじめなければならない。今まで木村が考へてゐた色々の場合が、みんな当てが外れたわけで、何百何十分かがムダに費されたわけである。そして、あますところ四十四分で、このむつかしい局面を改めて考へ直さなければならないのである。あます時間が少いので、木村はその負担だけでも混乱する。そして思考がまとまらぬ。時間は容赦なく過る。木村はあせる。塚田は、そこを狙つたのだ。


五九角 (一分 )五四銀 (七分 )七四角ナル [#79]。六二飛 。三七飛 。控室の一同が 、その指手を各自の手帖に書き終ったばかりの時である 。人が一人走ってきた 。 「勝負終り 。木村が勝ちました 」アッというヒマもない 。一同がひとかたまりに道場へ走りこんだ 。二年前に勝った時もそうであったが 、負けた塚田も 、表情には何の変化もなかった 。いつも同じショボショボした眼である 。あとの指手は 、六三銀 。八三馬 (一分 )八二歩 。三八馬 。四二飛 。三六歩 (一分 )同金 。三七歩 。同銀 (一分 )同角 。四六歩 。二四歩 (二分 )[#93]まで 。時に 、四時二分 。
…》

後手52桂は敗着。というより次の先手48金が凄い。以下のソフト評価と一致。






#7

日本ルールの目的=地の囲い合い
中国ルールの目的=石の生存権
純碁の目的=石の数
荒らしの目的=スレの混乱


雁木関連:

将棋世界2017月11月号の増田雁木講座(全10頁)で参照、参考にされたのは、

将棋 棋譜並べ ▲読み太 vs △Ponanza Chainer 第27回世界コンピュータ将棋選手権 二次予選 4回戦 「浮かむ瀬」の棋譜解析 ...

増田康宏 vs. 高見泰地 新人王戦 - 無料の棋譜サービス 将棋DB2
https://shogidb2.com/games/a8bcb82e11ab65fba5bb40ada8900e6447bbbde7

以下も増田は触れている

将棋 棋譜並べ ▲大平 武洋六段 vs △増田 康宏四段 第76期順位戦C級2組2回戦 「技巧2」の棋譜解析 No.241

増田はソフトの評価を常に参照しているようだ


_____
陣屋事件関連:

坂口安吾 升田幸三の陣屋事件について
http://shogikifu.web.fc2.com/essay/essay021.html

升田幸三の陣屋事件について

坂口安吾


 要するに、升田の落手というものは、規定にある通り、不戦負の判定だけがレンメイの権限内の適当な処置であったであろう。升田の傲慢無礼なところは、世間が批判すべき性質のものだ。そして、それだけですめば、世間の批判をうける升田が困るだけで、小さな一場の茶番ですむべきものであった。

1999年全集にのみ所収

坂口安吾全集 【1999年筑摩書房版】 全巻構成
http://u2kobo.in.coocan.jp/ango_works03.htm


陣屋事件(じんやじけん)は、旅館「陣屋」(神奈川県鶴巻温泉)で1952年昭和27年)2月18日19日に対局予定だった第1期王将戦第6局で[1]升田幸三・八段[注釈 1]木村義雄名人との対局を拒否した事件(棋士の段位・称号は当時、以下同じ)。

3月4日に開かれた棋士総会では「『陣屋事件』の解決については、木村義雄名人に一任する」という結論となり、3月15日に改めて開かれた臨時棋士総会で、木村の裁定が発表された。[19]
一、升田八段は今回の対局拒否につき遺憾の意を表する。
二、理事会は行きすぎのあったことにつき遺憾の意を表する。
三、升田八段の会員待遇停止処分(一字不明)十五日をもって解除する。
四、理事の提出した辞表は受理しない。 
— 木村名人の裁定について報じた、毎日新聞の記事(昭和27年3月15日夕刊)から引用、[20]
理事、臨時棋士総会に出席した棋士たちは、木村の裁定を了承した。なお、升田は「帰郷中」で3月15日の臨時棋士総会を欠席した。[20]


編集

事情はともあれ、「陣屋」に迷惑をかけたことを気にしていた升田は、第1期王将戦が決着した後、友人と共に「陣屋」を訪ねた。「陣屋」の主は升田を快く迎えてくれ、わだかまりは消えた。升田は、主の求めに応じて、即興の俳句を色紙に記した。[21]
強がりが 雪に転んで まわり見る — 升田幸三、[21]
2010年現在、この色紙は「陣屋」の館内に展示されている[23]




11 件のコメント:

  1. 坂口安吾 勝負師
    http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43166_23712.html

    とてつもなく面白い
    文体が気になる人は縦書きで読んでほしい(文庫版全集#7)
    坂口安吾が『勝負師』後半で題材にした対局は以下、

    第5譜1949年名人戦 木村義雄×塚田正夫

    返信削除
  2. 後手52桂(66手目)は敗着。次の先手48金で先手有利。以下のソフト評価と一致。
    https://youtu.be/Z_ghEZGhWWY

    返信削除
  3. 坂口安吾 勝負師
    http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43166_23712.html

    文体が気になる人は縦書きで読んでほしい(文庫版全集#7)
    最後になぜか大山が出てくる。表題の勝負師とは大山のこと…(ネタバレ)
    坂口安吾が『勝負師』後半で題材にした対局は以下、

    第5譜1949年名人戦 木村義雄×塚田正夫
    https://youtu.be/Z_ghEZGhWWY

    後手52桂(66手目)は敗着。次の先手48金で先手有利。以下のソフト評価と一致。

    返信削除
  4. 《二時十分であつた。運命の手の報らせが来たのは。
     塚田、五二桂(三十九分)
     棋士たちが、アッといふ声をあげた。
    「エ? ナニ、ナニ?」
     大声をあげて、人をかきわけたのは升田であつた。
    「五二桂? ホウ。そんな手があつたか」
     誰一人、予想しない手であつた。升田の目が、かゞやいた。妙手か悪手かわからないが、人々の意表をついた
    この一手に、彼は先づ感嘆を現した。
     意表をつかれた棋士一同は、にわかに熱心に駒をうごかしはじめた。
    「無筋の手や」と、升田。
    「無筋ですな」と、金子。
     どういふ意味だか、私には分らない。私は金子八段にきいた。
    「無筋の手ッて、どういふことですか」
    「つまりですな。相手の読む筈がない手です。手を読むといふのは、要するに、筋を読んでゐるんです。こんな手は、
    決して相手が読む筈のない手なんですよ」
    「時間ぎれを狙うてるんや」
     と、升田がズバリと云つた。…》

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  5. 坂口安吾 勝負師
    http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43166_23712.html
    《二時十分であつた。運命の手の報らせが来たのは。
     塚田、五二桂(三十九分)
     棋士たちが、アッといふ声をあげた。
    「エ? ナニ、ナニ?」
     大声をあげて、人をかきわけたのは升田であつた。
    「五二桂? ホウ。そんな手があつたか」
     誰一人、予想しない手であつた。升田の目が、かゞやいた。妙手か悪手かわからないが、人々の意表をついた
    この一手に、彼は先づ感嘆を現した。
     意表をつかれた棋士一同は、にわかに熱心に駒をうごかしはじめた。
    「無筋の手や」と、升田。
    「無筋ですな」と、金子。
     どういふ意味だか、私には分らない。私は金子八段にきいた。
    「無筋の手ッて、どういふことですか」
    「つまりですな。相手の読む筈がない手です。手を読むといふのは、要するに、筋を読んでゐるんです。こんな手は、
    決して相手が読む筈のない手なんですよ」
    「時間ぎれを狙うてるんや」
     と、升田がズバリと云つた。…》

    文体が気になる人は縦書きで読んでほしい(文庫版全集#7)
    最後になぜか大山が出てくる。表題の勝負師とは大山のこと…(ネタバレ)
    坂口安吾が『勝負師』後半で題材にした対局は以下、

    第5譜1949年名人戦 木村義雄×塚田正夫
    https://youtu.be/Z_ghEZGhWWY

    後手52桂(66手目)は敗着。次の先手48金で先手有利。以下のソフト評価と一致。

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  6. 坂口安吾 「勝負師」(1949年)
    http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43166_23712.html
    《二時十分であつた。運命の手の報らせが来たのは。
     塚田、五二桂(三十九分)
     棋士たちが、アッといふ声をあげた。
    「エ? ナニ、ナニ?」
     大声をあげて、人をかきわけたのは升田であつた。
    「五二桂? ホウ。そんな手があつたか」
     誰一人、予想しない手であつた。升田の目が、かゞやいた。妙手か悪手かわからないが、
    人々の意表をついたこの一手に、彼は先づ感嘆を現した。
     意表をつかれた棋士一同は、にわかに熱心に駒をうごかしはじめた。
    「無筋の手や」と、升田。
    「無筋ですな」と、金子。
     どういふ意味だか、私には分らない。私は金子八段にきいた。
    「無筋の手ッて、どういふことですか」
    「つまりですな。相手の読む筈がない手です。手を読むといふのは、要するに、筋を読んで
    ゐるんです。こんな手は、決して相手が読む筈のない手なんですよ」
    「時間ぎれを狙うてるんや」
     と、升田がズバリと云つた。…》

    文体が気になる人は縦書きで読んでほしい(文庫版全集#7)
    最後になぜか大山が出てくる。表題の勝負師とは大山のこと…(ネタバレ)
    坂口安吾が『勝負師』後半で題材にした対局は以下、

    第5譜1949年名人戦 木村義雄×塚田正夫
    https://youtu.be/Z_ghEZGhWWY

    後手52桂(66手目)は敗着。次の先手48金で先手有利。以下のソフト評価と一致。

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  7. 参考:
    坂口安吾 「勝負師」(1949年)
    http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43166_23712.html
    《二時十分であつた。運命の手の報らせが来たのは。
     塚田、五二桂(三十九分)
     棋士たちが、アッといふ声をあげた。
    「エ? ナニ、ナニ?」
     大声をあげて、人をかきわけたのは升田であつた。
    「五二桂? ホウ。そんな手があつたか」
     誰一人、予想しない手であつた。升田の目が、かゞやいた。妙手か悪手かわからないが、
    人々の意表をついたこの一手に、彼は先づ感嘆を現した。
     意表をつかれた棋士一同は、にわかに熱心に駒をうごかしはじめた。
    「無筋の手や」と、升田。
    「無筋ですな」と、金子。
     どういふ意味だか、私には分らない。私は金子八段にきいた。
    「無筋の手ッて、どういふことですか」
    「つまりですな。相手の読む筈がない手です。手を読むといふのは、要するに、筋を読んで
    ゐるんです。こんな手は、決して相手が読む筈のない手なんですよ」
    「時間ぎれを狙うてるんや」
     と、升田がズバリと云つた。…》

    文体が気になる人は縦書きで読んでほしい(文庫版全集#7)
    最後になぜか大山が出てくる。表題の勝負師とは大山のこと…(ネタバレ)
    坂口安吾が『勝負師』後半で題材にした対局は以下、

    第5譜1949年名人戦 木村義雄×塚田正夫
    https://youtu.be/Z_ghEZGhWWY
    後手52桂(66手目)は敗着。次の先手48金で先手有利。上のソフト評価と一致

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  8. 16 名無し名人[] 2019/01/23(水) 00:33:00.64 ID:TjjLKYj6
    >>15
    雁木=古い言葉で階段のこと
    6九から2五まで駒が階段状に並んでるだろ?
    そこに7九角と引いた瞬間に階段を角が駆け上がるように攻めが決まる
    これが本来の雁木戦法なんだそうだ
    だけど雁木戦法の名前ばかり独り歩きして戦法自体を廃れてしまったので300年後に考案者の檜垣さんが相居飛車で使ってた銀を並べるのが雁木だと誤解した棋士がいてそこから本当は違うけどあれも雁木囲いとよばれるようになっ

    17 名無し名人[sage] 2019/01/23(水) 04:25:39.52 ID:hrGGbMiq
    お城の内側にある石垣の上に登れるように階段になっているところを雁木という
    だから階段上の要素がないと雁木じゃないから雁木囲いに雁木の要素はないんだよ
    こういうもんだと考えるしかない
    ウグイスパンの餡はウグイス色じゃないのと同じようなもんだ

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  9. 命 こ あ
    が ち ち
    け ら ら





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  10. 命 こ あ
    が ち ち
    け ら ら


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  11. https://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_image_sp_entry/v1/user_image/2f/d9/92ddda067c2bf9e4ef6ada549f3864c4.jpg

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