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日曜日, 12月 24, 2017

達磨 以心伝心、不立文字 No dependence upon words and letters (non-dependence upon words or letters)


                      (リンク:::::::::仏教

不立文字 No dependence upon words and letters (non-dependence upon words or letters)

http://nam-students.blogspot.jp/2017/12/dependence-upon-words-and-letters-non_24.html @

Four Sacred Verses of Bodhidharma 
(T2008.360a24-360c12 & 2008.364c9-364c24) 

達磨四聖句 dámó sì shèng jù [Daruma no Shiseiku]

教外別傳 jiào wài bié zhuàn [Kyōge betsuden]
不立文字 bú lì wén zì [Furyū monji]
直指人心 zhí zhĭ rén xīn [Jikishi ninshin] 
見性成佛 jiàn xìng chéng fó [Kenshō jōbutsu]


A special transmission outside the scriptures;
No dependence upon words and letters;
Direct pointing at the soul of man;
Seeing into one's nature and the attainment of Buddhahood. 

Translated by D. T. Suzuki 

Essays in Zen BuddhismKindle版 D.T. Suzuki (著)


鈴木大拙 日本的霊性 では、
Daisetz Teitaro Suzuki
Japanese Spirituality

non-dependence upon words or letters
p.101

不立文字
ことあげせぬ

不立文字〔悟りは文字ではなく、心から心へ伝える〕

角川ソフィア文庫


鈴木自身の英訳ではない

禅の法系図:

     釈迦牟尼仏 B.C.463(or593)~

       ┃

     (27代略)

       ┃

      菩提達磨 ?~528年 祖師

       ┃

      慧可大祖 487~593年 二祖

       ┃

      僧璨(そうさん)生年不詳(推定500年~505年頃) 禅宗の第三祖

       ┃

      道信 580~651年 四祖

       ┃
      弘忍 602~675年 五祖

       ┃

      慧能大観 638~713年 六祖


六祖壇経
慧能
その〈不立〉ということばがやはり文字であるのだ。…経典をそしってはならぬ…

Bodhidharma's Definition of Zen

Four Sacred Verses of Bodhidharma (Daruma no Shiseiku 達磨四聖句)

教外別伝      Kyõge betsuden        A special transmission outside the scriptures;

不立文字      Furyû monji               No dependence upon words and letters;

直指人心      Jikishi ninshin                        Direct pointing at the soul of man;

見性成仏      Kenshõ jõbutsu        Seeing into one's nature and the attainment of Buddhahood.

Bodhidharma (Essays in Zen Buddhism – First Series 176)



Essays in Zen BuddhismKindle版 D.T. Suzuki (著)

Introduction

Almost corresponding to the ‘Four Maxims’ of the Nichiren Sect, Zen has its own four statements:

 ‘A special transmission outside the Scriptures; 
No dependence upon words and letters; 
Direct pointing to the soul of man; 
Seeing into one’s nature and the attainment of Buddhahood.’ 2

 The history of Zen dates with the coming of Bodhidharma (Bodai-Daruma) from the west, A.D. 520. He came to China with a special message which is summed up in the following lines: 

‘A special transmission outside the scriptures; 
No dependence upon words and letters; 
Direct pointing at the soul of man; 
Seeing into one’s nature and the attainment of Buddhahood.’ 

 These four lines as describing the principles of Zen teaching as distinguished from other schools of Buddhism already in existence in China were formulated later and not by Dharma himself. We cannot exactly tell who was the real author, as we have no definite information on this subject. One historian, Tsung-chien 宗鑑, who compiled from the T‘ien-tai point of view a Buddhist history entitled The Rightful Lineage of the Śākya Doctrine 釈門正統 in 1257, ascribes it to Nansen Fu-gwan 南泉普願; probably the formula originated in those days when Baso (Ma-tsu), Hyakjo (Pai-chang), Ōbaku (Huang-po), Sekitō (Shih-tou), and Yakusan (Yüeh-shan) were flourishing in the ‘West of the River’ and in the ‘South of the Lake’. Since then they have been regarded as characteristically Zen, and it was Dharma that breathed this spirit into the minds of the Chinese Buddhists. The latter had more or less been given up, on the one hand, to philosophizing, and, on the other hand, to practising contemplation.

すでに中国に存在する仏教の他の学校とは区別されているような禅教育の原則を説明しているこれらの4つの行は、Dharma自身によってではなく、後で策定された。私たちは、この主題に関する明確な情報がないので、誰が本当の著者であるかを正確には知ることができません。ティエン・タイ天台?の観点から、1257年に「シャカ・ドクトリンの正当な系譜」と題された仏教の歴史をまとめたある歴史家のツァン・チエンは、それをナンセン・フ・グァンに帰します。おそらく、バソ(馬)、百済(パイク)、オバク(黄ポ)、セキトゥ(シフツ)、ヤクサン(ユエフシャン)が西の西川 "と"南の湖 "にあります。それ以来、彼らは特徴的に禅とみなされており、中国の仏教徒の心にこの精神を呼吸させたのはダルマでした。後者は、一方では哲学に、もう一方では熟考を実践するために、ある程度放棄されていた。

Lineage of the Śākya Doctrine in 1257
釈門正統

 『釈門正統』は書名通り、天台宗こそが釈門の正統であると主張した書物である。当時の最大勢力である禅宗に対する批判が、随処に見られる。

 巻三「弟子志」では、


 禅宗は菩提達磨が中国に伝えた当時、不立文字のような説がなく、ただ面壁して習禅するのみである。後に南泉普願が教外別伝・不立文字・見性成仏などの説を創った。また菩提達磨が慧可に四巻の『楞伽経』を渡し、教えに従い一家の宗旨を了知せよと明言したにもかかわらず、慧能以降の禅徒は払拳棒喝を貴ぶこととして重んじ、経論による理解を完全に捨てたのである。さらに禅宗の者にその所以を聞くと、禅宗は修無き証無くと答えるのみである。このような者には、当然天台六即の奧義を理解できない。禅の真意を体得できる者にしても、経論が述べた禅定の概念から離脱することがなく、天台が説いた定聖行の範囲に過ぎないのである。


 と言うように、禅宗の教えが論理一貫しない点を示した。


http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%97%E3%82%83%E3%81%8F%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%9B%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%86

釈門正統

宗鑑撰。八巻。続蔵第百三十冊。宋の1237年(嘉煕元)撰。

天台宗の記伝史である。釈門の正統が天台宗にあることを論述したもの。天台宗以外にも禅宗華厳宗法相宗律宗密教の相承についてもふれている。




南泉普願 748~834年

南泉普願 - Wikipedia

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B3%89%E6%99%AE%E9%A1%98

ja.wikipedia.org/wiki/南泉普願

南泉普願(なんせん ふがん、748年 - 835年)は、中国唐代の禅僧。俗姓は王氏、鄭州 新鄭(河南省新鄭市)の人である。 目次. [非表示]. 1 経歴; 2 公案. 2.1 南泉斬猫. 3 伝記資料; 4 脚注; 5 参考文献. 経歴[ソースを編集]. 757年(至徳2年)、10歳で新鄭に ある大隗山の大慧禅師に入門し、仏道修行に励んだ。777年(大暦12年)、30歳で中岳 嵩山に行き、具足戒を受け、会善寺の暠律師について四分律を学んだ。その後も学問を 続け、経は『楞伽経』や『華厳経』を学び、論は三論を学んだ。 後に、馬祖道一に入門し、 教学を ...


南泉斬猫編集

「南泉斬猫」は『碧巌録』『無門関』に採録されている有名な公案であり、禅画の画題ともされる。

一日、東西両堂、猫児を争う。 南泉見て提起して云く、道(い)い得ば即ち斬らじ。 衆、対(こたえ)無し。泉遂に猫児を斬って両段となす。

南泉 復た前話を挙して趙州に問う。 州すなわち草鞋を脱して頭上に戴いて出づ。 泉云く、子(なんじ)若し在りしかば、猫児を救い得てんに。

— 五燈会元鈔講話:中国禅界の巨匠たち、 117-118頁

伝記資料編集

脚注編集

  1. ^ 芳賀 1996, p. 112.

参考文献編集

  • 芳賀洞然 『五燈会元鈔講話:中国禅界の巨匠たち』 淡交社、1996年ISBN 4473014762

南泉普願禅師の話 - Biglobe

www7b.biglobe.ne.jp/~zuiun/163nansen-fugan.html

南泉普願禅師の話 南泉普願(なんせん・ふがん。七四八~八三四)禅師は、馬祖道一( ばそ・どういつ)禅師の法嗣であり、長沙景岑(ちょうさ・けいしん)禅師や趙州従しん( じょうしゅう・じゅうしん)禅師などの師である。猫を斬ったとして有名な和尚である。 南泉 禅師は河南省・新鄭(しんてい)の人で、俗姓は王氏、七五七年に大隗山(だいかいざん )の大慧禅師により受業(じゅごう。出家)し、三十歳のとき嵩岳(すうがく)で受戒した。 それから戒律を究め、楞伽経(りょうがきょう)と華厳経を習い、さらに中論・百論・十二門 論を ...

南泉斬猫
http://www.asahi-net.or.jp/~zu5k-okd/house.14/mumonkan/gate.7.htm
  ある時、東堂の僧たちと西堂の僧たちとが、一匹の猫について言い争っていた。
南泉は猫を提示して言った。
「僧たちよ、禅の一語を言い得るならば、この猫を助けよう。言い得ぬならば、斬り捨
てよう」
  誰一人答える者はなかった。南泉はついに猫を斬った。
  夕方、趙州が外出先から帰ってきた。南泉は彼に猫を斬った一件を話した。趙州
は履( くつ )を脱いで、それを自分の頭の上に載せて出て行った。南泉は言った。
「もしお前があの時おったならば、猫は救えていたのに...」

 

初祖・達磨 
  (あの、赤い置物のダルマさんのモデルです/釈尊と同じインド人といわれ、海路より中国に入っています...)

二祖・慧可(“無門関・第41則/達磨安心”)

         三祖・僧燦 (そうさん/燦は火のヘンではなく王のヘンですが、登用漢字からは入力不可...)

四祖・道信

   五祖・弘忍(ぐにん、こうにん/慧能を法嗣としたことで有名です...)

六祖・慧能(えのう...“無門関・第23則/第29即)

     (六祖以降は、このような呼び方はしないようです)



https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E7%A5%96%E7%B5%B1%E7%B4%80

仏祖統紀』(ぶっそとうき 繁体字佛祖統紀簡体字佛祖统纪)は、中国・南宋の僧志磐が、咸淳5年(1269年)に撰した仏教史書である。全54巻。天台宗仏教の正統に据える立場から編纂されている。

目次

概要編集

本書は、景遷による『宗源録』や宗鑑による『釈門正統』の基礎の上に編纂されたものである。宝祐6年(1258年)から咸淳5年(1269年)の間の12年間を費やして編纂された。


method of Zen which was to see straightway into the truth of Enlightenment and attain Buddhahood without going through so many stages of preparation prescribed by the scholars. Our knowledge of the life of Bodhidharma comes from two sources. One, which is the earliest record we have of him is by Tao-hsüan道宣in his Biographies of the High Priests 高僧伝 which was compiled early in the T‘ang dynasty, A.D. 645. The author was the founder of a Vinaya sect in China and a learned scholar, who, however, was living before the movement of the new school to be known as Zen came into maturity under Hui-nêng, the sixth patriarch, who was nine years old when Tao-hsüan wrote his Biographies. The other source is the Records of the Transmission of the Lamp景徳傳燈録, A.D. 1004, compiled by Tao-yüan道原early in the Sung dynasty. This was written by a Zen monk after Zen had received full recognition as a special branch of Buddhism, and contains sayings and doings of its masters. The author often refers to some earlier Zen histories as his authorities, which are, however, lost now, being known by the titles only. It is quite natural that these two accounts of the life of Bodhi-Dharma should vary at several points. The first was written when Zen was not yet fully established as a school, and the second by one of the Zen masters. In the first, Dharma, the founder of Zen, is treated as one of the many other Buddhist priests eminent in various fields as translators, commentators, scholars, Vinaya-followers, masters of meditation, possessors of miraculous virtues, etc., and Dharma could not naturally occupy in such a history any very prominent position distinguishing himself from the other ‘high priests’. He is described merely as one of those ‘masters of meditation’ whose conception of dhyana did not differ from the old traditional one as was practised by the Hinayana followers.


禅の方法は、啓蒙主義の真実を真っ直ぐ見て、仏教徒が定めた準備の段階を何度も経ることなく仏陀を達成することでした。 Bodhidharmaの私達の知識は2つの源から来ます。私たちが彼から最も古い記録であるものは、唐時代、AD645の初期に編纂された大僧祭の経歴で、Tao-hsuan道宣告によるものです。著者はVinaya宗派の創始者中国と禅学者として知られていた新学派が生まれる前に暮らしていた学習学者は、タオヒサンがバイオグラフィーを書いた9歳の慧能(ヒュンネン)のもとで成熟した。もう一つの資料は、宋初期のタオユアン道原で集められた「景徳傳簿」の送付記録である。これは、禅が仏教の特別支部として完全に認められ、師匠の言葉や行為を含んだ後、禅僧によって書かれたものです。著者はしばしば、彼の当局として以前の禅の歴史を参照していますが、今は失われており、タイトルだけで知られています。 Bodhi-Dharmaのこれらの2つの記述がいくつかの点で変わるはずです。最初は禅が学校としてまだ完全に確立されていないときに書かれ、禅のマスターの1人が2番目に書かれた。最初に、禅の創始者であるダルマは、翻訳者、解説者、学者、ヴィナヤ追随者、瞑想の巨匠、奇跡の所有者など様々な分野で著名な多くの仏教司祭の一人として扱われており、ダルマそのような歴史のなかで、他の「大祭司」とは区別される非常に顕著な位置を自然に占有することはできませんでした。彼はヒヤヤナの信者が実践していたように、ディアナの概念が旧来の伝統的な概念と異なることのない、「瞑想の主人」の1人としてしか記述されていない。


高僧伝 - Wikipedia

ja.wikipedia.org/wiki/続高僧伝

高僧伝』(ぞく こうそうでん)とは、梁の慧皎の「高僧伝」に続けて撰せられた中国の 高僧の伝記集である。唐の道宣撰、30巻、645年(貞観19年)の成立である。 目次. [非 表示]. 1 概要; 2 十科分類; 3 テキスト. 3.1 日本語訳. 4 参考文献. 概要[編集]. 梁の初め から唐の初めに至る約160年の間の僧伝を集めている。別名、「唐高僧伝(唐伝)」とも いう。成立の過程において、たびたび増補改訂が繰り返されており、自序では貞観19年 に至る144年の僧侶500名(正伝340名、附伝160名)を収録したと述べているが、現行 本に ...


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AF%E5%BE%B3%E5%82%B3%E7%87%88%E9%8C%B2

景徳傳燈録(けいとくでんとうろく、新字表記:景徳伝灯録、全30巻)は、中国北宋代に道原によって編纂された禅宗を代表する燈史である。

過去七仏から天台徳韶門下に至る禅その他僧侶の伝記を収録している。多くの禅僧の伝記を収録しているため、俗に「1,700人の公案」と呼ばれているが、実際に伝のあるものは965人である。 1004年景徳元年)に道原が朝廷に上呈し、楊億等の校正を経て1011年続蔵に入蔵を許されて天下に流布するようになったため、年号をとって、景徳傳燈録と呼ばれるようになった。これ以降、中国禅宗では燈史の刊行が相次ぎ、それはやがて公案へと発展した。 現在もなお、景徳傳燈録は禅宗を研究する上で代表的な資料であり、必ず学ぶべきものとされるが、内容は必ずしも史実とは限らない部分もある。

なお、撰者に関しては、元々は拱辰が編集したが、朝廷に提出する旅の途中で道原に横取りされて提出されてしまったとの説があるが、中国の仏教学者陳垣によって否定されている。

目次

内容編集

全30巻の内容は次の通りである。

  1. 釈迦を含む過去七仏から西天14祖の龍樹まで
  2. 西天15祖の迦那提婆から西天27祖の般若多羅まで
  3. 菩提達磨から東土五祖の弘忍まで
  4. 四祖道信傍流の牛頭宗及び、北宗神秀など南宗以外の僧
  5. 六祖慧能門下。荷沢神会南嶽懐譲青原行思慧忠国師など
  6. 南嶽門下。馬祖道一など。及び、馬祖門下。百丈懐海など
  7. 馬祖門下の続き。西堂智蔵塩官斉安帰宗智常など
  8. 馬祖門下の続き。南泉普願など
  9. 百丈門下。潙山霊祐黄檗希運福州大安など
  10. 南泉門下。趙州従諗など。及び、白居易など
  11. 潙山門下。仰山慧寂香厳智閑王敬初など
  12. 黄檗門下。臨済義玄裴休など。及び、仰山門下
  13. 南嶽系統。風穴延沼首山省念など
  14. 青原門下。石頭希遷。及び、石頭門下。天皇道悟丹霞天然雲巌曇晟投子大同など
  15. 青原三世。徳山宣鑑石霜慶諸洞山良价夾山善会など
  16. 徳山門下。巌頭全豁雪峰義存など。及び、石霜門下。九峰道虔など
  17. 洞山門下。雲居道膺曹山本寂など
  18. 雪峰門下。玄沙師備長慶慧稜鏡清道怤など
  19. 雪峰門下の続き。保福従展雲門文偃など
  20. 雲居門下。及び、曹山門下。育王弘通など
  21. 玄沙門下。羅漢桂琛など
  22. 雪峰三世。
  23. 雲門門下。
  24. 羅漢門下。法眼文益など
  25. 法眼門下。天台徳韶など
  26. 法眼門下の続き
  27. 禅宗以外の参禅者。宝誌傅大士南嶽慧思智顗僧伽萬迴豊干寒山拾得布袋。及び、短い問答
  28. 長い問答
  29. 偈頌
  30. 銘・歌・書

テキスト編集

上記のように、テキストには諸版あり、その校訂だけでも1つの研究分野を為し得、これまでに数多くの研究成果が公表されている。

関連項目編集

参考文献編集

外部リンク編集



Bodhidharma's Definition of Zen

Four Sacred Verses of Bodhidharma (Daruma no Shiseiku 達磨四聖句)

教外別傳      Kyõge betsuden        A special transmission outside the scriptures;

不立文字      Furyû monji               No dependence upon words and letters;

直指人心      Jikishi ninshin                        Direct pointing at the soul of man;

見性成佛      Kenshõ jõbutsu        Seeing into one's nature and the attainment of Buddhahood.

Bodhidharma (Essays in Zen Buddhism – First Series 176)



Zen masters say "Don't seek the truth - just drop your opinions

www.sacred-texts.com/bud/zen/sayings.htm

Four Sacred Verses of Bodhidharma (Daruma no Shiseiku 達磨四聖句). 教外別傳 Kyõge betsuden A special transmission outside the scriptures;. 不立文字 Furyû monji No dependence upon words and letters;. 直指人心 Jikishi ninshin Direct pointing at the soul of man;. 見性成佛 Kenshõ jõbutsu Seeing into one's nature and the attainment of Buddhahood. Bodhidharma (Essays in Zen Buddhism – First Series 176). Accomplishing Beforehand. "When the task is done beforehand , then it is ...

達磨四聖句

教外別傳
不立文字
直指人心
 見性成佛

Bodhidharma (Bodai-Daruma)

No dependence upon words and letters; 
Direct pointing at the soul of man; 
Seeing into one’s nature and the attainment of Buddhahood.’ 

 These four lines as describing the principles of Zen


Zen - New World Encyclopedia

www.newworldencyclopedia.org/entry/Zen

An important (and related) concept for all Zen sects in East Asia is the notion of Dharma transmission, the claim of a line of authority that goes back to the Buddha via the teachings of each successive master to each successive student. This concept relates to Bodhidharma's original depiction of Zen: A special transmission outside the scriptures; (教外別傳): No dependence upon words and letters; (不立文字): Direct pointing to the human mind; (直指人心): Seeing into one's own nature ...



鈴木大拙 日本的霊性
Daisetz Teitaro Suzuki
Japanese Spirituality

non-dependence upon words or letters
p.101

不立文字
ことあげせぬ

不立文字〔悟りは文字ではなく、心から心へ伝える〕

角川ソフィア文庫




鈴木自身の英訳ではない









Zengo: Furyū monji.
Translation: Not dependent upon words and letters. Source: Bodhidharma.

Zen has certain characteristics and teachings that are well expressed in eight phrases (called the Hakku-gi, or, “Eight Principles”).

1. The True Dharma Eye Treasury.
2. The Marvellous Mind of Nirvāṇa.
3. The True Form of the Formless.
4. The subtle Dharma Gate.
5. Not dependent upon words and letters (furyū monji). 6. A special transmission outside of the scriptures.
7. Direct pointing to the heart of man.
8. Seeing one’s Nature and becoming a Buddha.

Furyū monji, along with the following three expressions in particular, best characterize the purport of the Zen sect. It is said that these four, four-character phrases were recited by the First Patriarch, Great Master Bodhidharma, but their origin was probably ascribed to the Great Master in the Tang and Song dynasties.

In the Zen school, the phrase “not dependent upon words and letters” is not read [in the Japanese style as] monji o tatasezu, but is read from the top [beginning] of the phrase as fu-ry-mon-ji. Needless to say, “not dependent upon words and letters” is not to set-up words and letters. This means that the Buddhist teachings and the mind-and-heart (kokoro) of the Buddha do not rely upon letters and words alone, but rather a mind-to- mind transmission (ishin denshin). That was apparent in the transfer of the Great Dharma from Bodhidharma to the Second Patriarch Huike (487-593, who is said to have severed his own arm in his quest for the Dharma), and was most emphasized in the Sixth Patriarch Huineng’s Southern Zen school. What’s more, tracing it back, the beginning of the transmission from mind to mind was in the “holding up a flower” (nenge) and “smiling” (mish) that transpired between Śākyamuni Buddha and the Venerable Kāśyapa. “Not dependent upon words and letters” and “a special transmission outside of the scriptures” also originated therein.

There is a limit to what can be sufficiently or satisfactorily expressed by the written or spoken word, and it is impossible to sufficiently and satisfactorily express 


oneself with written and spoken words alone. Even were one to try to completely express the essence or perfection of some thing, it would be extremely difficult to be exhaustive in that regard. Written and spoken words are merely instruments (tedate), and not the sole good. The Buddha Mind or Buddha-nature cannot be grasped by, nor explained with, letters and words. That is the “method” (tedate) of wordy explanations cut off, and the absolute realm where they don’t go. It is also called “the way of words cut off” (gengo ddan: beyond description), “the path of words severed” (gonryo rozetsu), “words destroyed, thought extinguished” (bgon zetsuryo), or “beyond the reach of

words” (gonsen fugy). It is not possible to attain the Buddha Mind except through the mind. This is non-dependence on words and letters and the transmission from mind to mind. It is a face to face confrontation between mind and Mind, human-nature and Human-nature, that transcends words and letters. What is necessary is living, personal experience, beyond the reach of words. Words must have the support of personal experience. Words like that flash with power, life and truth.

It is said that the Buddhist layman Vimalakīrti’s Silence (ichimoku) was like thunder (Zengo 5). Not muteness, it was the great sound of Silence which roars like thunder. That very Silence was the eloquence of wordlessness (mugon) and a proclamation of Truth itself. It was to “silently know each other’s minds” (mokushiki shints), and a mind-to-mind transmission.

In the Essentials of the Transmission of Mind, the eminent Tang dynasty Zen Master Huangbo Xiyun admonished that the “spiritually enlightening nature (reikakush) cannot be captured with words. Students of the Way, once and for all just silently unite (mokkei) with it without mind (mushin ni shite).” Wang Yangming too said that “the Four Books and Five Classics do not go beyond an explanation of this substance of the
mind” (Instructions for Practical Living), and the Song dynasty Confucian scholar Lu Xiangshan (1139-1191) said, “the Six Classics are my footnotes” (The Complete Works of [Lu] Xiangshan), i.e. that the literature was no more than a mere explanatory footnote of the Original Mind, or Original Nature.

Just as Wang Yangming’s academic style was called both Yangming’s Mind-and- Heart School, and Yangming Chan (Zen), it involved the study and practice of dhyna- meditation, and was Zen-like in its idealism. His thought came to Japan to form the Yō- mei Studies (Ymeigaku) movement that produced a succession of great men and scholars. Lu Xiangshan’s teachings are also very Zen-like, and since Wang Yangming was his successor, their school is also called Lu and Wang’s Mind-and-Heart School.

Words can play a role in guiding one to Mind, but they do not reveal the Mind, nor do they reveal Truth. What is required is a renewed cognizance of the fact that there is a world not dependent upon words and letters, where words and letters have been cut off.





The essentials of Zen Buddhism, selected from the writings of Daisetz T. Suzuki

p.170
following lines: A special transmission outside the scriptures;

 No dependence upon words and letters

Direct pointing at the soul of man; Seeing into one's nature and the attainment of Buddhahood

Zen Buddhism, selected writings : SuzukiDaisetz Teitaro, 1870 ...

archive.org/details/zenbuddhismselec00suzu

The sense of Zen -- Zen in relation to Buddhism generally -- The history of Zen -- Satori, or, Enlightenment -- Practical methods of Zen instruction -- The reason of unreason : the koan exercise -- The Zen doctrine of no-mind -- The role of nature in Zen Buddhism -- Existentialism, pragmatism and Zen -- Painting, swordsmanship, tea ceremony. Boxid IA105801. Camera Canon 5D. Donor recycledrecords. Identifier zenbuddhismselec00suzu. Identifier-ark ark:/13960/ t2k651q0d.

Zen: The Reason Of Unreason by Timothy Hugh Barrett - Goodreads


https://books.google.co.jp/books?isbn...
Yixuan, Thomas Y?h? Kirchner - 2009 - プレビュー - 他の版
Distancing itself from the aristocratic and scholastic tendencies of the older, established sects, the Chan tradition proclaimed itself based on “the transmission of mind by mind,” with “no dependence upon words and letters.”5 In this the Chan tradition saw itself as a return to the spirit of Śākyamuni Buddha, who had taught his disciples a practical path to liberation from suffering and the realization of nirvana. Despite its teaching ...



https://books.google.co.jp/books?isbn...
Daisetz Teitaro Suzuki. 'A special transmission outside the Scriptures ; No dependence upon words and letters ; Direct pointing to the soul of man ; Seeing into one's nature and the attainment of Buddhahood.'1 This sums up all that is claimed by Zen as religion. Of course we must not forget that there is a historical background to this bold pronunciamento. At the time of the introduction of Zen into China, most of the Buddhists ...


Four Sacred Verses of Bodhidharma 
(T2008.360a24-360c12 & 2008.364c9-364c24) 

達磨四聖句 dámó sì shèng jù [Daruma no Shiseiku]

教外別傳 jiào wài bié zhuàn [Kyōge betsuden]
不立文字 bú lì wén zì [Furyū monji]
直指人心 zhí zhĭ rén xīn [Jikishi ninshin] 
見性成佛 jiàn xìng chéng fó [Kenshō jōbutsu]


A special transmission outside the scriptures;
No dependence upon words and letters;
Direct pointing at the soul of man;
Seeing into one's nature and the attainment of Buddhahood. 

Translated by D. T. Suzuki 


A special [separate] transmission outside the teachings, 
do not depend on written words,
directly point to the human mind,
see one‘s nature and become Buddha.

Translated by Piya Tan


Separate transmission outside the teachings (mind to mind transmission), 
not posit the letters, 
direct to the mind, 
penetrate the self-nature and attain the Buddhahood. 

Translated by Sing Song Liu 劉興松

No postulation of any thesis in words--- 
Transmission outside the scriptures--- 
Point straight at the mind of man--- 
See your nature and be enlightened. 

Translated by Whalen Lai



慧能

2 件のコメント:


  1. 岩波書店, 1971 - 542 ページ
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    鈴木大拙隨聞記 - 261 ページ
    https://books.google.co.jp/books?id...

    志村武 - 1967 - スニペット表示 - 他の版
    志村武. 三、東洋思想研究のメッカ大拙先生は、漢文の独自な妙趣をじゅうぶんに心得えていただけに、そして,禅の思想を表現するのには漢文が最適の言語であることを実感していただけに、日本人の漢文読解力の低下傾向を深く憂い、ここに心を残しつつ黄泉へ去っていったのである。たしかに、掸を文字として表現するのには漢文が最もふさわしい。「教外別伝、不立文字、直指人心、見性成仏」禅宗の本質を端的に表明するこの四句も、英訳すれば次のようになってしまう。"レ 81 - 001&111 . 9.119 ョ 199101106 ^ 0 ^ 0 ...


    新編東洋的な見方 - 99 ページ
    https://books.google.co.jp/books?id...

    鈴木大拙, 上田閑照 - 2002 - スニペット表示
    日本人はこれらの人々の事蹟と言語を忘れてはならぬのだ。原文はいくらか読みやすくしておいた。)二九六三年二月『心』)〈一〉「人の心そのものを直指し、その心性を洞見せしめて仏と成らしめる」という語義。その際、見即ち性、性即ち見というように強調される。「不立文字、教外別伝」と組み合わされて禅の宗義をあらわす代表的な言葉として伝えられて来た。(二)「妙好と云うのは、もと蓮華の美わしさを歎称しての言葉であるが、それを人間に移して、その信仰の美わしさに喩えたものである」(『鈴木大拙全集』第一〇巻一三 ...


    禅と京都哲学 - 第 31 巻 - 101 ページ
    https://books.google.co.jp/books?id...

    上田閑照, 北野裕通, 森哲郎 - 2006 - スニペット表示
    大拙は不立文字教外別伝の禅に対して「文字も亦道」と唱え出で、禅史上で始めて「禅思想」というものを打ち建て、言語道断の界を普遍的理知の界へ向けて開示した。しかしこの場合の「文字」、この ... を、以下に少し詳しく見てみる。一一「文字も亦道」の宣揚「 文字も亦道」という言葉は、現在では、『鈴木大拙全集』(岩波書店刊)第十八巻所収の「 禅の第一義」第一篇第一の「緒言」に出ている言葉である。「文字も亦道」という言葉、 少なくともこの言葉に よつて表わされる言詮の道についての . 01 第一部禅と京都哲学鈴木大拙.

    續鈴木大拙選集 - 第 7 巻 - 108 ページ
    https://books.google.co.jp/books?id...

    鈴木大拙貞太郎 - スニペット表示 - 他の版
    鈴木大拙貞太郎 思ふ形跡がある。不立文字、教外別傳などいふことが唱へられて、 頓悟の說が盛んに行はれて來禪が唐代に勃興した頃は、看經叉は穀鋅などいふものが禪寺では大分輕視せられたでないかと百醜千拙つお經禮佛〕これは一寸の思ひっき故、 もう少し硏究してみねばなるまい。中^底を行くもの。にもある。が、^理の外に禪^とでもいふべき^ :ぬもあり得る如くである。卽ち穉境と禪理との卽佛』、『心外無 1 一別佛 I 佛外無二別心-』、『森雜离象一法之所"印』等は、禪理といふ方がよいやう.が、さてまた少し考へ ...


    Off the Job Training: わもんな言葉4-不立文字
    https://sanotomo3.blogspot.com › 2012/06
    2012/06/08 · 鈴木大拙さんがどこかで「『不立文字』といいながら、禅には多くの言葉がある」といった意味のことをおっしゃって(書いて)いましたが、伝達の手段として言葉は ... ついでながら、禅には四聖句というものが ...

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  2. 南泉斬猫
    http://www.asahi-net.or.jp/~zu5k-okd/house.14/mumonkan/gate.7.htm
      ある時、東堂の僧たちと西堂の僧たちとが、一匹の猫について言い争っていた。
    南泉は猫を提示して言った。
    「僧たちよ、禅の一語を言い得るならば、この猫を助けよう。言い得ぬならば、斬り捨
    てよう」
      誰一人答える者はなかった。南泉はついに猫を斬った。
      夕方、趙州が外出先から帰ってきた。南泉は彼に猫を斬った一件を話した。趙州
    は履( くつ )を脱いで、それを自分の頭の上に載せて出て行った。南泉は言った。
    「もしお前があの時おったならば、猫は救えていたのに...」

     

     

      さあ、“南泉斬猫”です。これも風変わりな公案で、昔から非常に有名なものです。

    ここには、南泉と趙州という名前が出てきます。趙州とはもちろん、“無門関第1則

    ・趙州狗子”に登場する趙州禅師のことです。つまりこの公案は、趙州が南泉禅師

    のもとで修行をしていた頃の話です。時代はまさに唐の末期、中国における禅宗の

    大隆盛期の出来事です。

      ちなみに、小猫を斬った南泉禅師の師は、馬祖道一です。また、その師は南岳

    懐譲、そしてその師は六祖・慧能となります。この慧能はなぜ六祖なのかといえば、

    中国における禅宗の初祖・菩提達磨(ボダイダルマ)から数えて、六代目の法嗣(ほっす

    /法を継ぐ者)ということです。

     

    初祖・達磨 

      (あの、赤い置物のダルマさんのモデルです/釈尊と同じインド人といわれ、海路より中国に入っています...)

    二祖・慧可(“無門関・第41則/達磨安心”)

             三祖・僧燦 (そうさん/燦は火のヘンではなく王のヘンですが、登用漢字からは入力不可...)

    四祖・道信

       五祖・弘忍(ぐにん、こうにん/慧能を法嗣としたことで有名です...)

    六祖・慧能(えのう...“無門関・第23則/第29即)

         (六祖以降は、このような呼び方はしないようです)

     

      この“南泉斬猫の公案”は、動物愛護の人々や西洋人からは、小猫を殺すという

    ことで問題にされたりもしているようです。しかし、動物愛護はまた別の次元の話で

    す。“シュレーディンガーの猫(量子力学)”も、こんな目にあっているわけですから。

      さて、この公案自体は、非常に難解なものであり、単に哲学的に理解するのは不

    可能と言われます。むろん、南泉が小猫を斬ったことを非難したり、そこに趙州がい

    なかったことを残念がっていたのでは、話しになりません。

      禅の書では繰り返し述べていることですが、“公案”は倫理や一般的な常識論とは

    別次元の領域で展開しています。つまり、実際に禅修業を積んだ者が、禅眼を開い

    てこそ、うなづき得るものだということです。この公案によれば...

     

      “ある時、東堂の僧たちと西堂の僧たちとが、一匹の猫について言い争っていた”

     

      ...と言います。一体何について言い争っていたのかは、この公案からは何も分

    かりません。つまり、ここでは、その争いの内容は問題ではないということです。 

      しかし...ここは少し脱線し、当時の僧たちは一体どんな議論に熱中していたの

    かを考察してみます。“無門関・第二十九則/非風非幡”で、二人の僧がこれと似た

    ような議論をしています。

      場所は...広州の法性寺(ほっしょうじ)。五祖・弘忍から衣鉢を受けて六祖となった

    慧能は、“無門関・第二十三則/不思善悪”の後、15年間ほど、中国の禅宗史の

    表舞台から遠ざかっています。まだ僧侶の身分にもなっていない行者(あんじゃ/在俗

    の修行者)が法嗣/六祖となったことで、禅宗界が大揺れになった大事件以後です。

      その15年間...慧能は身分を隠して山中で修行を重ね、禅の境涯を深めてい

    たと推測されます。そして、まさに六祖として名乗り出たのが、この“無門関・第二

    十九則”となった広州の法性寺での出来事だったのです。

      儀鳳(ぎほう)元年(西暦676年)のことであり、慧能は行者の身分のまま、法性寺印

    宗のもとで、涅槃経(ねはんきょう)の講義を聞いていたといいます。

     

      さて、この“無門関・第二十九則”で、僧たちが何を議論していたかということで

    すが、寺の境内の幡(ばん/はた・・・高い竿の上から垂れ流す布)についてでした。

      涅槃経の講義を聴いているうちに外も暗くなり、少し風が出てきました。その風で、

    寺の幡がハタハタと音をたて始めます...

    「幡が動いたぞ...」後ろの方で講義を聞いていた僧のひとりが、ポツリと言います。

    「いや...それは違う...風が動いたのだ...」隣の僧が、ささやき返します。

      すると、この話に回りの僧たちも加わり、ガヤガヤとしだいに騒ぎが大きくなって

    行きます。講義をしている印宗も、どうも後ろの方が騒がしいと気付いています。

      そこで...そのそばでこの議論を聞いていた慧能が...ついに言いました。

    「幡が動いた、風が動いたと、馬鹿なことを言う...それは、幡が動いたのでも、風

    が動いたのでもない...君たちの心が動いたのだ...」

     

      うーむ...この“無門関・第二十九則/非風非幡”の解説は、その折にじっくりと

    考察することにします。今ここでは、その当時の僧たちは、こんなことを議論してい

    たということだけを記しておきます。当時も今も、若い僧たちが議論している内容は、

    それほど違いはないようです。

      したがって...一匹の小猫のことで東堂と西堂の僧たちが言い争いをしていたと

    いうのも、おそらくこんな類の話だったと推測できます。しかし南泉のもとには、常時

    数百人の修行僧がいたと言われます。こうした巨大な禅道場という背景を考えれば、

    やはり生半可な場景ではなかったと思います。

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