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初代エイヴベリー男爵ジョン・ラボック(John Lubbock, 1st Baron Avebury, 1834年4月30日 - 1913年5月28日 )第4代エイヴベリー準男爵、初代エイヴベリー男爵は、イギリスの銀行家、政治家、生物学者、考古学者。準男爵ジョン・ウィリアム・ラボックの息子。
ラボックはイートン校で1845年から教育を受けた。卒業後、父の銀行に勤め(後にその銀行はクーツ銀行に合併された)、22歳で共同経営者となった。1865年に父が死去すると準男爵位を相続した。1870年と1874年にメイドストーン選挙区から自由党の下院議員に当選した。1880年に議席を失ったが、1872年以来彼が副学長を務めていたロンドン大学の支持者が当選した。彼は1871年の銀行休日法や1882年の古代モニュメント法を含む多数の法律の制定に関わった。1886年に自由党がアイルランド統治法のために紛糾すると、分裂した自由統一党に参加した。
ラボックは1879年の銀行家協会(Institute of Bankers)の初代理事長となった。1881年にはイギリス学術協会の会長、1881年から1886年までロンドン・リンネ学会の会長を務めた。1883年に銀行員孤児院(the Bank Clerks Orphanage)を設立した。1986年にそれは銀行員と元銀行員、および彼らの家族のための慈善団体、銀行員慈善財団:Bankers Benevolent Fundとなった。1884年に、のちに選挙改革協会となる比例代表制協会を設立した。
1865年にラボックはおそらく19世紀にもっとも影響力を持った考古学のテキスト『前史時代:古代遺跡と、現代の未開人のマナーと習慣による描写(Pre-historic Times, as Illustrated by Ancient Remains, and the Manners and Customs of Modern Savages)』を執筆した。また石器時代を大きく二つにわけ、旧石器時代(Palaeolithic)と新石器時代(Neolithic)という用語を提案した。ラボックはいくつかの分野でアマチュアの生物学者であり、膜翅目に関する本『アリ、ミツバチとスズメバチ:社会的膜翅目の習性の観察記録』(1884)を書いている。また昆虫の感覚器とその発達について、動物の知性について、他の自然史のいくつかの話題についても本を書いた。彼はトマス・ヘンリー・ハクスリーのXクラブの9人の会員の一人でもあった。
ラボックはチャールズ・ダーウィンと幅広く交流した。ラボックの生家はケント州ダウンにあり、広大な敷地の隣にはダーウィンの住まいがあった。彼らはラボックがチスルハーストにいた1861-1865年を除いて隣人同士だった。ラボックは幼い頃からダーウィンと親しく、科学的思考や自然の探求の方法を学んだ。有名なサンドウォークを産出する土地をダーウィンに最初は貸し、後に売った。1882年にダーウィンが死去するとXクラブのメンバーはウェストミンスター寺院に埋葬するために奔走したが、ラボックは国会と経済界に働きかけた。
ラボックはオックスフォード大学、ケンブリッジ大学(そこで1886年に特別講義を行った)、エジンバラ大学、ダブリン大学、ヴュルツブルク大学から名誉学位を授与された。1878年に大英博物館の理事に選ばれた。1888年から1892年までロンドン商工会議所の理事長、1889年から1890年までロンドン市議会の副議長、それから1892年まで議長を務めた。
1890年に彼は英国枢密院の委員に任命された[1]。1891年に新硬貨デザイン委員会の委員長を務めた。1900年1月に初代エイヴベリー男爵に叙され貴族となった。
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