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金曜日, 3月 22, 2019

宮沢賢治とラムステット

宮沢賢治研究annual (2)

雑誌 

宮沢賢治学会イーハトーブセンター編集委員会 編. 宮沢賢治学会イーハトーブセンター <Z13-4331>

記事・論文名
フィンランド初代駐日公使・ラムステットに賢治が贈った初版本--『注文の多い料理店』と『春と修羅』
著者名
佐藤泰平
巻号、ページ
p218~228
備考(その他の指定)
表紙 / 目次 / 奥付 / 文字、写真が不鮮明になることを了承


一225一


また、彼が紙片や書き込みの字をラムステットの筆跡だと鑑

定してくれたのも、さらなる好運といえる。その意味で第一

の証言者はハレン氏である。


 四、もう一人の証言者


 私が帰国してから1ヶ月後の十一月、日本フィンランド協

会専務理事·早川治子氏が『日本フィンランド協会ニュース』

のバックナンバーを送って下さった。それで初めて知ったの

だが、その『ニュース』の№ 24·25·26·28·29 (一九八九

年八月から~一九九一年一月)には、市河かよ子氏の随筆「ラム

ステッド博士のこと-フィンランドの思い出-」(随筆集

『白樺を焚く』岡倉書房,昭和十六年六月より)が五回に

わたり連載されていたのである。

 著者の市河氏は、元駐フィンランド公使·市河彦太郎の夫

人で今年九一才。一九三二年から三年間、夫君と共にヘルシ

ンキに滞在中、以前から親交のあるラムステットとさらに深

い交わりを続けられた方である。

 その連載の第三回に、賢治の童話集淫文の多い料理店』

がラムステットの愛読書であったことを書いておられたのに

は驚かされた。少し長い引用になるが、ぜひ紹介しておきた

い。十月なかばの話で、博士が入院していると聞いた市河夫

妻がお見舞いに行かれたときのことである。





 病室が清潔で、設備のゆきとどいているのに驚いた。浴

室もついているし、電燈も、卓上スタンド、天井の電燈、

夜間用の暗い紫色の電燈もあって、ベッドについているス

イッチで,病人が自由に、消したりつけたりできるように

なっていた。

 博士は、そのスイッチをにぎって、あちこちの電燈を得

意気につけたり消したりしながら、

ー-あんまり便利なので、つい勉強してしまいます」と,

弱々しい声で言われた。

 御病気中に、何を勉強していらっしゃるのですかと私た

ちが質問すると、

--え、日本語の勉強を少しばかり……」

 と答えながら、枕の下から、小さな日本語の文法書をと

り出した。そのはずみに、何か、もう一冊の本が、枕の下

から、床の上にすべり落ちた。私は、拾ってあげるつもり

で、何気なく手にとると、それは、日本語の本であった。

--字引をいきながら、少しづつ読んでいます。とても、

おもしろい本です」

 私は、その本をひらいてみた、方言のたくさん使ってあ

る本であった。私は、その本と、著者の名を、手帳にかき

とめておきたいとおもったが、あいにく手帳を忘れてきた

ので,手提のなかにはいっていた、電車の切符の裏へ、急

いで書きつけておいた。

 ずっとあとになって、その切符の裏をみると、宮澤賢治。

大正十五(ママ)年。注文の多い料理店。と書いてある。果して

「注文の多い料理店」というのが、その本の名前であった

かどうか、私ははっきり思い出せなぃ。

(連載第三回より)


日本から遠く離れたフィンランドの病院で闘病生活を続け

ながら、無名の青年·宮沢賢治から贈られた童話集を病室に

持ち込み、熱心に読んでいるラムステットの姿が目に浮かぶ。

真の文学作品はいかに人に作用するものであるかを、改めて

感じさせるエピソードではないだろうか。



おわりに





白樺を焚く : 北欧日記
著者
市河かよ子 著
出版者
岡倉書房
出版年月日
昭和16


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