話題の「MMT」がトンデモ経済理論と言えないこれだけの理由 安達 誠司
最近、「MMT(現代貨幣理論)」という新しい経済理論が内外で話題になっている。
MMTとは、簡単にいえば、「自国通貨建てで政府債務を拡大させれば、物理的な生産力の上限まで経済を拡大させることができる」という考え方である。つまり、MMTは「国通貨建てで財政赤字を拡大させれば政府は簡単に経済の長期停滞から脱出できる」と主張して世間の注目を集めているのである。
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当然のように、主流の経済学者のほとんどがMMTを強く批判している。特に、ブランシャール、クルーグマン、ロゴフ、サマーズといった主流派経済学の重鎮たちは、執拗にMMT批判を展開している。
ところで、彼らの批判は大きく分けて2つである。1つは、財政支出の拡大によって金利が急騰し、民間投資が阻害されてしまう懸念(クラウディングアウト)である。そして、2つめは、財政支出を無限に拡大させることによる(ハイパー)インフレ懸念である。
このような批判に対し、MMTを主張する人たち(「MMTer」といわれているらしい)は、以下のように反論している。
1つめのクラウディングアウト懸念に対しては、「中央銀行が固定(ゼロ)金利政策を採用し、財政赤字をそのままファイナンスすれば、財政赤字の増加分、そのまま資金供給が増加するので、民間投資が押し出されることはない(また、中央銀行がゼロ金利政策を長期間維持することが予想できれば、将来の政策金利の予想で決まる長期金利も低位安定するはずである)。むしろ政府が自らの負債である国債や通貨の発行量を増やしてこなかったことが世の中の“金回り”を悪くし、その結果として長期的な景気低迷が続いている」というのがMMTからの反論である。
ほぼ財政再建一辺倒の主流派経済学とは一線を画し、政府の負債拡大が通貨の流通速度を上げ、それが民間部門にも新たな需要を生み出すとした点がこれまでの主流派経済学にはない新しい主張なのだというのがMMTの言い分である。
2つめのインフレ懸念に対しては、「インフレという現象はある特定のセクターの資金需給バランスが崩れることによって起こる」と主張している(「Sectorial Balance Equation」の議論)。
例えば、リーマンショックは住宅市場に資金が集中したために住宅価格が高騰し、それが過度の金融引締めを誘発したために発生したとしている。そして、このような、ある特定セクターの資金需給バランスの崩れから発生するインフレを予防する方法としては、他のセクターにも幅広く影響を及ぼす金融政策ではなく、税制改正(この場合は不動産取引に対する増税措置)で対処すべきだと反論としている。
1つめの反論に関しては、いわゆる「信用創造」の考え方をもとにしたものであり、主流派経済学にも同様の議論がある。また、最近は主流派も財政拡張の必要性を認識しつつあるという経緯から、この点に関しての主流派による再反論はほとんど聞かれなくなっている。
問題は、2つめの反論に関してである。
理論としてのMMTの最大の問題点は、物価水準全体の決定メカニズムがあやふやな点であると考える。MMTの解説本(例えば、L. Randall Wrayの「Modern Money Theory; A Primer on Macroeconomics for Sovereign Monetary Systems」)を読んでみても、主流派経済学の「フィリップス曲線」のような明快な物価決定メカニズムが展開されていない。
筆者も以前はMMTにはモデル式の記述がないことが問題だと言及してきたが、考えてみれば具体的な式がないこと自体は必ずしも問題ではない(なので、MMTの正しさを主張する人はMMTのモデルを構築してみればよい。ケインズ経済学もケインズが記述した文章を、数式を用いてモデル化することによって発展し、経済学の主流になってきた)。だが、文章だけにしても物価決定メカニズムに関する説明がほとんどない点は問題であろう。
話題の「MMT」がトンデモ経済理論と言えないこれだけの理由
筆者は経済学者ではないので厳密なモデル化をする能力も気力も余裕もないので、「FTPL(物価の財政理論)」という一見MMTと似たような理論をもとに、このFTPLのモデルを修正して筆者なりにMMTを解釈してみたいと思う(これはコラムなのでモデル化の概要はいちいち説明しない)。
FTPLでは、現時点の債務残高と将来にわたっての財政政策の予想(将来にわたってのプライマリーバランスの予想値、及び、財政赤字を中央銀行がファイナンスすることによる通貨発行益の予想値の合計値)から物価水準が決定されるが、物価水準を決める際に重要な条件として、「政府が無限に負債の発行を続けることによって政府支出を無限に増やすことができない」という制約条件をつけている(No Ponzi Game)。
この制約条件が存在するからこそ、FTPLでは物価水準が決定されるのだが、MMTでは、この制約条件が課されていない可能性がある。ちなみにこの制約条件をはずすと、政府支出を拡大すればするほど経済は拡大していくことになる(これは、国内経済だけのモデルであれば、「自国通貨建ての政府債務はいくら発行してもデフォルトしないので、それによって財政拡大すれば経済は拡大する」というMMTの主張に合致するのではないかと考える)。
次に、このとき、物価水準がどのように決まるかだが、前述のMMTの解説論文を読んでみると、物価は、賃金水準によって決まるとされており、政府が最低賃金を設定することによって物価は制御可能であるという主張がなされている。
実は、MMTの重要な主張の一つに「政府が雇用保証を行う」点がある(「Job Guarantee Program(JGP)」と呼ばれている)。
これは、民間で職を得られなかった人に対して、政府は、自らが設定した「最低賃金」で職を直接提供することを意味している。そして、「民間の賃金は政府の定める最低賃金から大きく逸脱することはないだろうから、最低賃金を通じて全体の物価は制御可能である」というのがMMTの主張である。
以上より、物価水準が政府による最低賃金の設定によって外から与えられるとすると、MMTのモデルでは、最後に決まるのは将来の財政政策(プライマリーバランス、政府支出と税収の差)ということになる。つまり、(あくまでも筆者のモデリングだが)MMTでは、最低賃金から先に決まる物価水準にあわせて、政府支出と税収が決まるということになる。
したがって、経済拡大という目標のために政府支出の規模を政府が先に決めるのであれば、もし、最低賃金の水準から決まる物価水準を逸脱するような物価上昇圧力がかかれば、増税が物価上昇圧力を鎮めるように課されることになる。これは、「インフレ上昇圧力がかかった場合には増税によって鎮静化すればよい」というMMTの主張と一致するのではないかと考える。
以上のように、MMTは、政府が負債を増やして自ら事業を創出し、最低賃金で雇用を増やすと同時に増税で物価をコントロールしながら景気拡大をいつまでも続けることができるという主張になっていると考えられる。
もし、これが極限まで行くとなると、財政支出拡大と増税がともにとめどなく増加していくことになるので、最終的には政府が経済全体をコントロールすることと等しくなりはしないだろうか。
そう考えると、米国で社会主義的なスタンスをとるサンダース上院議員やオカシオ・コルテス下院議員がMMTを支持するのはわかる気がするし、自由主義を標榜する主流派経済学者が血相を変えて反対する理由もわかるような気がする。
話題の「MMT」がトンデモ経済理論と言えないこれだけの理由
このように、MMTを「トンデモ理論」と一蹴するのは簡単である。だが、一部で熱狂的に支持される理由もわからないでもない。なぜならば、主流派経済学の主張が正しいかといえば必ずしもそうではないからだ。
いや、むしろ、主流派経済学の現状分析がことごとく外れていることがMMTの支持者を勇気づけている側面が強い。
この最も卑近な例は、失業率が歴史的な低水準まで下がりながらインフレ率が一向に上昇せず、単純な形での「フィリップス曲線」は当てはまらなくなっている。また、いつかインフレ率は上がるはずだとする主流派経済学の処方箋に従って急いで利上げを実施したら株価が暴落し、逆に景気後退の危機に陥りそうになっている現実も主流派経済学の信頼性を著しく損ねているだろう。
さらにいえば、米国では、リーマンショック後に急低下した労働参加率がいまだに上昇していない。これは求職活動すらまともにできていない「無業者」が依然として多く存在することを意味するが、MMTは、政府自らが職を作り出して「無業者」を最低賃金で雇うことができると主張しているので、「無業者」で雇用を得る見込みがない低所得者にとってみれば、MMTを採用してもらったほうが都合がよい。
実際の生活がかかっている者たちからみれば、モデルがないトンデモ理論かどうかなどという点は関係ないのである。従って、将来の経済状況次第では、MMTが有権者に支持されることが全くありえないこともない。これは国民の選択の問題になるのではなかろうか。
現に、このMMTは全くの「机上の空論」かといえば、そうではない。実は歴史上、MMTの主張に極めて似た政策が実際に採用されたことがある。米国を例にとると、1930年代終盤から1940年代にかけて実施された「ニューディール政策」である。
その具体的な政策はあまりに有名だが、1)財政支出の拡大(国債の大量発行に加え、同時に色々な種類の増税も実施された点に注意)と政府事業による雇用創出、2)ゼロ金利・量的緩和政策(1942年からは「Bond Price Peg」という事実上の国債利回りの固定化も実施)による財政ファイナンス、そして、3)物価統制が実施された。
同様の政策は、1936年の「2.26事件」以降の日本でも採用された。「2.26事件」で凶弾に倒れた高橋是清蔵相による「高橋財政」では、デフレ脱却後の出口政策があらかじめ想定されており、ほぼデフレ脱却を実現させた1935年以降は、国債発行を減額すると同時に財政支出も削減するなど、財政政策も平時に戻そうとしていた。
だが、結局、出口政策は実現せず、高橋蔵相は暗殺されてしまった。そして、高橋財政に続く、「馬場財政」、「結城財政」では、ほぼ無制限の財政支出拡大と増税が実施された(国債増発も)。そして、その後まもなくして、政府は、物価統制によってインフレの制御を試みるようになった。これらの政策メニューをみると、基本的な仕組みはMMTと同じである。
話題の「MMT」がトンデモ経済理論と言えないこれだけの理由
それでは、なぜ、このような経済政策が採用されたのであろうか。
当時は世界大恐慌後の回復期であったが、経済成長率は大恐慌期前に比べればかなりの低水準であった。すなわち、現在と同様の長期停滞期であった。この長期停滞期の最中の1937年に、米国の政策当局は拙速な出口政策(金融引締めへの転換と増税)を実施し、再デフレを誘発させてしまった(1937年大不況)。
一方、日本は、数字上はデフレ脱却に成功したものの、経済の行き詰まり感を払拭することができなかった(その上、戦争が一種の「景気づけ」となった)。
米国は、一旦は金融緩和をメインにしたリフレーション政策でデフレから抜け出したかにみえたが、最後の最後で詰めを誤り、深刻な再デフレを誘発させてしまった。一方、日本は、第一次世界大戦直後にバブル景気がはじけて以降、20年近い長期デフレを経験していた。その長期デフレの最中に、金本位制への復帰(しかもデフレ促進的な円高水準での)を急ぎ、それがより深刻なデフレをもたらしていた(昭和恐慌)。
このように、当時の政策当局によるリフレーション政策の失敗(米国)、及び実施の遅れがMMT的な統制経済への期待感を高めたと考えられる。
そして特筆すべきは、その中で、いち早く大恐慌からの脱却を実現させていたのがナチスドイツであった。そして、そのナチスドイツが採用していたのがMMTに近い政策であった(「アウトバーン」に代表される政府支出の拡大と雇用創出、「メフォ手形」発行による財政ファイナンスなど)。
なんとか長期的な経済停滞からの脱却をはかりたい各国政府はデフレ脱却にいち早く成功していたナチスドイツの政策を研究し、こぞってそれに追随していった。
このようなMMT的な経済政策の採用によって大恐慌の克服に成功したかにみえた世界経済だったが、最終的には「生産能力(具体的にいえば原材料等の資源)の壁」に当たってしまい、インフレを制御できなくなってしまった。
そのため、主要国間で新たな資源の確保のために天然資源が豊富なアジア・アフリカ地域の領土を巡る争いが勃発(その中心的な存在が日本とドイツであった)、やがて、これが第二次世界大戦という悲劇につながった。
すなわち、あれほど悲惨な結果を迎えた第一次世界大戦終結からすぐに再び第二次世界大戦に突入していったのはこのような経済的な背景があったのだろうと推測される。
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以上のような歴史的な経緯を考えると、リフレーション政策の限界がみえつつある現在、今後、MMTが実際の政策として採用される確率はゼロではないだろう。特に、最近のマクロ経済政策論は、次第に財政政策の活用に移りつつある。
筆者は、この歴史的教訓から学ぶとすれば、例えば、中央銀行と財政当局の間のアコードによって、明確に「インフレ目標」にコミットする形で財政出動を行う必要があると考えるが、MMTにその仕組みがビルトインされているかどうかはよくわからない。
安達 誠司
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