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土曜日, 8月 17, 2019

Interest rate and Fiscal Sustainability 原著者Scott Fullwilerによるワー キングペーパー




Scott Fullwiler の話③'

15/03/01 12:19

ええと、Fullwiler の論文の件なんだが、

内容の紹介をしていこう、という趣旨だったんだが、

めんどくさいんで、全文訳してどっかにアップしようかな、と思う。(われながら根性なくて

情けないです。。。)

で、とりあえず、今回はその役の進捗状況。(とりあえず、途中まで

訳したものを、見直しも誤字脱字のチェックもしないまま、そのまま

貼り付けた。アハハ。。。。)もともとは、ワードで作成しているのだが、

コピーしたら、数式エディタで入力した部分が消えてなくなってしまった。。。。

でも、まあ、先日すでにオリジナルの論文の入手先をリンクしておいたんだから、

知りたい人はそっちを見ればいいわけだから、そのままにしておく。

誤訳など、見つけた人がいたら、ご一報をお願いしたいんだけれど、

どうすればコンタクトが取れるのか、わからないので、、、、(泣

投稿したところ、字数制限で、投稿できなかった。。。。。

ん、、、、適当なところで、カットした。。。。

Interest rate and Fiscal Sustainability

原著者Scott Fullwilerによるワーキングペーパー

Wankonyankoricky による下訳

※本下訳稿はあくまでも個人的学習のために作成したものであり、現段階では、通常であれば、まだ公開されるべきではない。しかしながら、現状の日本国における憲法改正の議論などを踏まえ、多少なりとも関心を同じくする方がいれば、その方の(同時に小生自身の)個人的な学習に利するように、との考えの上で、公開するものである。かような事情であるので、論文の原著者にはこの下訳を公開することについての許諾を得ていない。本下訳を利用されることは、そのことを理解の上、法律の許す範囲内での、あくまでも、個人的な利用にとどめるという点については了承していただくものとする。

※上記のような次第であり、本下訳は今のところ未完成である。現時点では、最後まで訳出が終わっていないほか、訳語の統一、読み直しによる確認・誤訳の修正など、本来行われるべきことがまだできていない段階である。利用する方にはその旨を理解したうえ、利用者自身の責任で利用していただくこととなる。

※本下訳については、今の時点で役者自身は著作権などを主張する意図はないが、利用の際には、本下訳を下訳として参考とした程度のことは、一言書き添えてもらえたら、と思う。なお、いずれにしても、本下訳の利用によって、原著者の権利が侵害されることは無いようにご留意をお願いしたい。

P1:1 ベビーブーマー達が退職年齢に達すると同時に、社会保障給付プログラムに関連して財政支出の将来経路についての関心が、正統派経済学者の間で高まってきた。「世代間会計」文献(例えば、Kotlikoff, 1992)に結びついた研究家が、特に目を惹きつける。彼らは「財政不均衡」と呼ぶ方法を開発した――彼らによれば、これは現在の財政がどの程度持続不可能な経路に進んでいるのかを測定するものだそうである。合衆国の経路は、440億ドルほど「持続可能経路」から外れているのだそうである(Gokhale and Smetters, 2003 a)。このサークル内部では、他にも440億ドルの「財政不均衡がある」と、数々のオピニオン誌等で論じられている(Gokhale and Smetters, 2003 b; Kotlikoff and Saches, 2003; Ferguson and Kotlikoff, 2003; Kotlikoff and Burns, 2004)。基本的には同一の方法で、この不均衡を将来のGDPに対する比率で表示すると――「財政ギャップ」(例えば、Auerbach, 1994)――、約7%になることが示される(例えばAuerbach et al, 2003)。

P1:2 「財政不均衡」は、現在の国民負債プラス将来支出の現在価値マイナス将来収入の現在価値として計算される。将来の支出と収入は、無限期間であると評価、あるいは仮定される(Gokhae and Smetters, 2003a; Auerbach et al., 2003)。広く引用されているJagadeesh Gokhale and Kent Smetters の2003年の研究は、もともと2002年に財務省長官ポール・オニールPaul O’Neill から委託されたものであり、当時、両著者はそれぞれ財務省の経済政策準アシスタント・セクレタリー(Smetters)およびコンサルタント(Gokhale)であった。ところがブッシュ政権は、2002年末及び2003年初頭には作成されていた本レポートの結果を軽視して、減税を進めた(Pespeignes, 2003)。いずれにせよ、統一された方法論に基づいて「財政不均衡」を測定する作業は、それ以降、予算管理局the Office of Management and The Budget (2005)や、財務省(例えば、、Fisher, 2003)、IMF(例えばMrihleisen and Towe, 2004)に属する人々によって推進されてきた。また、社会保障や医療保険の信託期間のプロジェクトに統合されもした。最後に挙げる例は、とくに注目に値する。2003年11月、民主党上院議員のジョセフ・ライバーマンJoseph Lieberman は「Honest Government Accounting Act (誠実政府会計法?)」を提出した。この規定によれば、「政府の財政を適切に査定する方法は、現行の政策の下での純資産を計算することだ。すべての予想可能な受領額の現在価値からすべての予想可能な支出の現在価値を差引して、そこからさらに市民が保有している公債の残高を差引する」とのことである。提出された法案は、特にGokhale and Semetters の研究に言及しており、そしてそれを「Honest Government Accounting」の例としている。もし同案が法律として可決されていたら、「長期債務と」連邦政府の「財政不均衡」を75年先あるいは無限期間に至るまで計算する「責任を負う委員会」が設置されることになっていた。もし「財政不均衡」が定められた期間のいずれかの年にあらかじめ定められた上限を超えると判断されると、大統領は不均衡を減らす計画を提出しなくてはならない。加えて、将来、支出を増やすか租税を減らすあらゆる提案は、75年先あるいは無限期間まで「財政の均衡を壊さない」ものであることが条件づけられることになっていた。

P2:1 これらの例は、正統派マクロ経済学の中核となるテーマに関する近年の最も影響のあった応用例である。多くの人は財政不均衡文献の中で提示された、財政的持続可能性の現実問題が、基本的には政府の異時点間予算「制約」という正統派の概念の応用であることに気が付くであろう。本論文の主旨は、何れか特定の「財政不均衡」論や、それにかかわる「世代会計」論を扱うことではない。あるいはさらに言うなら、本論文は、迫りくる(とされている)社会保障や医療保険の財政的「危機」を直接に扱っているわけでもない。本論文で直接に論じるのは、こうした文献や方法論の核となる信念や前提を見極め批判すること及び、代替的な観点を提供することである。財政的持続可能性は、「財政不均衡」文献にあるとおり、異時点における予算「制約」を通じて定義されると、その大きな部分が、国民債務national debt に対して支払われる金利の相対利率に関する仮定によって左右されてしまうのである。何人もの異端は経済学者によってこの事実は指摘されている(例えば、Arestis and Sawyer (2003)のようなポストケインジアン)。本稿では、この分野における異端派の研究を拡大するため、連邦準備局(以下Fed)が現に行っているオペレーションを参照し、彼ら自身が公表している研究や規制を詳述し、それがFedのバランスシート・オペレーションと整合したものであることを示す。要するに、正統派経済学者の財政的持続可能性の概念にはひびが入っているのである。カギとなる変数――国民債務national debt の利率――が、民間信用市場で決定されるという、いわゆる正統派の貸付基金説的前提のためである。反対に現代貨幣あるいは主権貨幣(Wray 2005, 2006)システムが変動相場制の下で作動している場合には、合衆国の国民債務の利子率は、政治経済的問題なのである(Fullwiler,2005, 2006)。これは貨幣政策と財政政策の間の適切な「混合比率」に関して重要な含意を持つ。特に完全雇用と財政的financial 安定性が、マクロ経済学の期目標と考えられる場合には。

P2 財政的持続可能性:正統派の視点

P2:2 上記のとおり、財政的持続可能性に対するオーソドックスな対応は、すでに大方の人々によって理解されている。とはいえ、ここである程度細かく議論しておくほうが、カギとなる諸概念がどのように組み合わさって財政的持続可能性に関する正統派の視点を形成しているのか、よりよく理解できるであろう。本節は、政府の予算「制約」を導き出すことから始めて、長期金利に関する正統派の最新研究に立ち戻ろう。次に、政府の予算「制約」と金利決定が組み合わさって、政府の各時点ごとの予算「制約」を設定する[ことを見る]。最後に、将来の期待赤字の「非伝統的」効果に関する最近の論点を概観する。また、本節全体を通じて、最近の財政不均衡文献との外観上の一貫性が注記され、参照される。

P2  1. 政府の予算制約とマネタイゼーション

P2:3 Walsh(2003, pp136-137)に倣って、政府予算制約(以下GBCと略記)を3種類に分類するのが、いくつかの理由で有益といえる。第一に、同書は大学院レベルの政党は貨幣経済学の標準的教科書である。第二及び第三として、ここではGBCを、財務省および中央銀行のキャッシュフロー方程式と「政府部門」を結び付けることで分類しているが、両者のオペレーションの相互関係を理解することが、以下に提示するGBCに関する異端派の中心論点でもあるからだ。Walshe(前出)によると、分類はWalsh の言うところの「財務省ポートフォーリオ制約」(といっても、大部分のGBC同様、事実上、これはキャッシュフロー方程式と同一視されている――何やら企業会計におけるキャッシュフロー報告書のようなもの――。と、いうのは、これはバランスシート方程式と損益計算書方程式を結び付けたものだ、ということであるから)から始まる。下記(1)では、Gは金利以外の政府支出、Tは総税収、iBTotal は政府債務総残高に支払われる金利、そして、⊿BTotal は政府債務残高の増加ないし減少である。また、Walsh は中央銀行から財務省への納付[国庫納付金]をRCBであらわしている。当期の全変数は、

(1)  G + iBTotal = T + ⊿BTotal + RCB

財務省から中央銀行へ支払われた金利(iBGovt)のうち、財務省へ戻されない部分はごくわずかであると仮定する(Fedは、法律的に費用を超える利潤は国庫へ納付することが義務付けられているので)と、

(2)  RCB = iBGovt 

マネタリーベースの変化(⊿M)は、公開市場操作によって行われ、これは中央銀行の債権ポートフォーリオを変化させる(⊿BGvnt ただし、より正確には、中央銀行のバランスシートのどの部分が変化しても、マネタリーベースは変化し、逆は逆)と仮定すると、

(3)  ⊿BGovt = ⊿M

政府債務残高合計は、公開市場操作の結果、中央銀行が保有することとなった部分と民間部門によって保有される分(中央銀行保有部分を除いたこの部分をBnon-Govn と、表記)の合計に等しい。つまり、BTotal = Bnon-Govn 。これを(1)式に代入すると、

(4)  G + iBGovt iBnon-Govt = T + ⊿BGovt + ⊿Bnon-Govt + RCB

(2)、(3)を(4)に代入することで、次式を得る。

(5)  G +iBGovt + iBnon-Govt = T + ⊿M + ⊿Bnon-Govt +iBGovt

最後に、両辺から iBGovtを差し引きすると、

(6)  G + iBnon-Govt = T + ⊿Bnon-Govt + ⊿M

P3:1 かようにして、GBCは、利払以外の政府支出と非政府部門によって保有される国家債務に対する利払いが、徴税額、非政府部門によって保有される政府債権の残高の変化、そしてマネタリーベースの変化に等しくなることが命題化される。GBCはアカデミックな文献あるいは教科書において、政府支出とはもしマネタイゼーション(つまり、「札を刷る」)そしてそのマネタイゼーションの結果として想定されるインフレ圧力の爆発を避けようとする限り、税収か国債販売によって「資金調達」されなければならない、ということを示すものとして、ほぼ普遍的に掲載されている。したがって、GBCパラダイムの内部では、国民政府は民間企業や家計と同じ形では財政「制約」にぶつかることは無い、なんとなれば中央銀行によるマネタイゼーションというオプションがあるからだ、という点は十分認識されている。代わりに、(1)における「制約」とは、⊿Mが価格安定と矛盾しないようにGを選択する(最低でも低い安定したインフレ率)、ということである。すなわち、GBCの「制約」が意味しているのは、「札を刷る」ことによってG + iB を「ファイナンスする」ことは避けなければならない、ということと同義なのである。かように、正統派のGBC観の中心には、財政赤字(G + iBnon-Govt > T)が⊿M(例えば、⊿BGovt)によって「ファイナンス」される場合、⊿Bnon-Govt により「ファイナンス」されるよりもインフレ的である、という信念があるのだ。

P3:2 最後に。驚くことでもないが、この信念は、財政不均衡文献の核心となっている。いくつか引用すると、

支出に十分な収入がなければ、政府は貨幣を印刷するか、借入によって不足を埋め合わせなくてはならない。貨幣を印刷し続けることで財政赤字を埋め続ければ、物価インフレを加速させる可能性があり、これは経済を弱体化させる結果になりうる。(Auerbach et al., 2003 P110)

印刷機は、支出を経常収入によって、あるいは国債の新規発行によって埋め合わせることのできない政府にとっては、昔ながらの最終手段(ラストリゾート)である。もちろん、これはインフレを促し、場合によってはハイパーインフレへとつながるであろう。(Ferguson and Kotlikoff, 2003, P26)

P3  2. 国債利率および貸付基金市場金利

P3:3 政府は経済システム内のその他すべての機関同様、貸付基金説の枠組みにおける需要と供給という「市場諸力」によって課される信用条件を受け入れなくてはならない。この命題は、正統派によって圧倒的に――普遍的に、とまでは言わないが――受け入れられている。近年の下院予算局が発表したブリーフbrief でも、「信用に対する需要の増加とともに、連邦準備局は金利を引き上げる傾向がある」(2005、P3)と認めている。赤字が大きくなるほど、利子率も高くなる、と信じられているのである。というのは、政府が民間の貸手に、自分たちの貯蓄と引き換えに政府のIOUを受け入れるように促すためのインセンティヴや、デフォルト・リスクや、――あるいはもっと悪いことには――将来、資金不足を「返済」するため、マネタイゼーションを行うリスクに対するプレミアムを提供しなければならないからである。もちろん、一つだけ例外があって、「しかるべき時に」行われる財政赤字は「短期的」には国民生産を上昇させることで、民間貯蓄を増やすこともあり得る。この場合には、金利の上昇という結果にはならない(例えば、Bernheim, 1989)。このよく知られたケインズ派/短期 対 新古典派/長期 という二分法は、現在の「慣例的な見方」(これは、Elmendorf and Mankiw, 1999 で使われた表現)から、一時的/長期的赤字というレンズを通して物事を考えているわけである。こうして、Rubin et al.(2004)により主張された広範な合意が形成される。すなわち、「一時的には、赤字予算は、短期的なマクロ経済的刺激を与えることで利益になりうるが、それは経済が弱く、資本と労力にかなりの遊休資源がある場合である。…経済が弱いときの短期的財政政策に関して決定が行われるときは常に、目標を、景気循環が終わった時点での財政均衡とするべきである。」(強調は原著者)景気循環を全体として、あるいは、いくつかの景気循環を均して考察すると、資本と労働は完全雇用になるはずだから、それ以上の長期的あるいは恒常的な赤字は国民貯蓄を必然的に低下させ、金利を引き上げることになるであろう。

P4:1  Gale and Orszag(2004) は、リカード等価定理および小国オープンマクロモデルという両条件下では、こうした「慣例的な見方」は当てはまらないことを示唆している。というのは、これらの場合、財政赤字は貯蓄にも金利にも影響しないからだ。ところがそれにもかかわらず、この両アプローチはいずれも貸付基金説が前提とされており、主権政府も民間投資家の信用条件に従うこととされているのである。よく知られている通り、リカードの等価定理では、財政赤字でも金利は上昇しない。というのは、各経済主体は現在の赤字穴埋めのため、将来増税されることを予想し、実質貯蓄を引き上げるからである。小国の開放経済でも似たような話になるわけで、外国貯蓄が流入してくれば、金利は上昇しないであろうが、この場合には、信用条件とは外国投資家の提示するものであって、国内投資家のそれではない。合衆国財務省は、ブッシュ政権下ではこうした開放経済観に立脚していくら赤字を出すかを決めていたが、それにより金利が上昇する、ということは無かった(合衆国財務省、2004)。2006年2月、財務省長官John Snow は、こう繰り返した。「疑問の余地なく、合衆国には層の厚い流動的な資本市場が存在しているのであり、今後も我々[つまり、連邦政府のこと]は、世界中の投資家から資本を惹きつけ続けるであろう。」(CNN Money, 2006)

P4:2 貸付基金アプローチからすれば、「実質経済諸力」(つまり貯蓄や資本)が「実質」利子率を決定し、名目利子率の方は期待インフレ率によって説明される(フィッシャー効果)。正統派による財政赤字リサーチは、一般に、「定常状態」均衡の下で、所得に占める資本収入や、所得-資本比率に依存して実質利子率が決定されるものとされ、そして資本収入や所得-資本比率自体は貸付基金市場で形成される、というアプローチをとる。Engen and Hubbard(2004)の説明の通り、「政府債務の変化により金利がどのような影響を受ける可能性があるのかを理解し測定するための標準的なベンチマークは、その政府債務によって置き換えられる、あるいは「押しのけられる」物理的生産資本を含んだ経済の集計的生産関数に基づいた標準的モデルである」(p4)。(注2

P4:3 正統派経済学者のあいだでこうした「標準的」アプローチが合意されているとしても、GDPに対する政府債務の比率が変化することによるストック効果と、財政赤字の比率が変化することによるフロー効果のどちらが利子率により影響するのか、という点では不一致がある。Elmendorf and Mankiw(1999)の示唆では、どのような消費者行動モデルが想定されるかによって、ストック効果が検定されているのかフロー効果が検定されているのかが決まる。Engen and Hubbard(2004)は、コブ=ダグラス型集計生産関数から、GDPに対して国債の意率が高い場合の影響を導出したが、それは総生産に対する資本の比率を三分の一に固定したうえでの計算である。こうした分析によると、合衆国国債のGDPに対する比率が、1%増加すると実質利子率(資本の限界生産力とされる)が3ベーシスポイント上昇する。こうした結論は、Elmendor and Mankiw(1999)と一致するものだ。Engen and Hubbard(2004)は、こう論じる。このごくわずかなストック効果の方が金利にはより関連性がある。というのは、これが実質利子率は資本ストックの水準によって決定されるという標準的な正統派モデルと最も整合性があるからである。彼らによるならIS=LMアプローチのようなフロー効果モデルはほとんど使うことができない。

P5:1 他方ではGale and Orszag(2004)が示すように、修正ソロー成長モデルを用いると、GDPの1%、政府赤字が持続的に増加する場合、利子率(資本の限界生産力のこと)は40~73ベーシスポイント上昇する(PP120-122)。彼らは財政赤字のフロー効果を用いる方を好んだ。と、いうのは、継続的に財政赤字が1%増加し続けると想定することで、長期的にはGDPに対する債務の比率は10から20パーセント引き上げられることになるからである(ただし、実際にいくら増加するのかは、もともとの債務対GDP比率、GDPに対する赤字の比率、GDPの成長率に依存するであろう)。彼らの修正ソロー成長モデルの例をほんの少し変更してコブ=ダグラス生産関数の代わりにすれば(両モデルの違いは、主として減価償却の取り扱いである)財政赤字-GDP比率が継続的に1%ずつ上昇し続けた場合、国債-GDP比率も上昇し、長期的には定常状態における長期実質利子率(これまた資本の限界効率で定義されるわけだが)50~80ベーシスポイント引き上げられる(P123)。これは上記のフロー効果で報告されたのと似たような範囲である。

P5:2 もちろん、多くの人が理解する通り、この種の理論的効果はさほど確実なものではない。というのは「利子率に影響するほかの要素が一定ではない」のであり、そして「政府債務の変化に影響するものには、外生的要素内生的要素もある」(Engen and Hubbard, 2004 P9)からである。したがって、研究者は経験的証拠に立ち戻ることになる。ところがGale and Orszag が述べるとおり、「財政政策の金利に対する効果を統計的に指し示すことは難しいことが知られている」(P147)。というのは、「先行する分析によって財政赤字の利子率に対する効果については全くバラバラな結論が示されている」からである(Gale and Orszag, 2004, P147)。本文献については下院予算局のレヴューでもこう記している。「[経験的研究]全体によって、連邦赤字の金利に対する影響は小さい、ということが示された。これらの研究では、広範な推計が行われたのだが…。」(2005、P4) しかし、Engen and Hubbard (2004)による要約(PP16-25)では、「本書ではこう書かれているが、普遍的なコンセンサスは形成されたわけではない」(P16)ことが確認された。こんな調子で、Gale and Orszag(2004)は、当期の(事後的な)実質利子率を当期の財政的諸変数に回帰させたが、ここでもやはり「財政的諸変数は、こうした回帰分析によっては一般的に統計的に有意と認めることができず、通常の利子率が使われる限り、有意ではない」(P168)。同様に、Engen and Hubbard(2004)は、諸効果が統計的に有意でないことを報告している(PP36-37)。

P5:3 これらの結論は、とりわけ正統派経済学者にとって驚くべきことであった。というのは、これらの回帰方法や諸変数の選択は貸付基金説の枠組みからとられたものであり、彼らにとっては確かに「腑に落ちない」(Elmendorf and Mankiw, 1999)[※この辺、文献の時代的流れがめちゃくちゃだ。。。]ものであった。貸付基金説を救い出すためには「期待が全く考慮されていないか、ベクトル自動回帰性を通じて間接的にしか考慮されていないものでは有意な効果は合われないことを発見する研究」を実現する必要性がある(Gale and Orszag, 2004, P149)。フェルドシュタイン(1986)は影響力のある論文で、反対にこう論じている。理論的には赤字の利子率に対する効果はどれだけ赤字が継続すると期待されているかに依存する。

金融市場は将来志向foward-looking 的であるため、期待を排除して考えると金利と赤字の間には何の関係もない、という方向へバイアスがかかる。過去20年間にわたり、多くの研究が、将来の赤字継続期待についてより正確な情報を取り込んでいる。これらの研究は経済的にかつ統計的に、期待赤字と現在の利子率の間に有意な結びつきを発見する傾向にある。赤字期待のタイムリーな情報を取り込んだ19件の研究のうち、13件では、大幅に正の相関関係、有意な効果を見出しており、5件では混合、1件のみ効果なしとされた。…かように、文献全体を額面どおりに受け止めるなら、様々な結果があるとはいえ、期待赤字の効果に焦点を当てた分析では、利子率に対し正の有意な影響を見いだせる傾向にある。(Gale and Orszag, 2004, pp148-149)

P5:4 いずれにしても、期待財政赤字を取り込んだ研究の多くは、短期的なイールドカーブに対する短期的な景気循環の影響として一般的に想定されているものをコントロール変数として取り扱っていない。Much of the research incorporating expected deficits does not control for the widely assumed influence of the current business cycle on the current yield curve.それゆえ、Laubach(2003) が重要な先行者として期待財政赤字の効果として考慮されているものに対する近年の一連の研究の端緒を開いた。彼のアプローチでは、下院予算局および行政管理予算局Office of Management and Budget がそれぞれ公表している今後5年の平均財政赤字予想を財政変数として用い、さらに、5年先の(つまり5年先物の)実質長期財務省証券利率を測定値として用いている。両者とも現在の景気循環の状態にはあまり影響されないものと考えられている。両機関による予測はしばしばかなり的外れであったので、Laubach (2003, P.5)によると、頻繁に「関連なし」という結論となった。That projections of both agencies are frequently well off the mark is “irrelevant” according to Laubach(2003, P5). むしろ、「唯一の関連性のある問題は、各機関の予測値が、その予測が行われた時点における市場の期待を正確に反映しているのかどうか」であり、そして、「議論の余地はあるものの、これら機関の予測は、それぞれの時点で利用可能な将来の財政赤字と国債に関する情報の多くを利用している」(前出P5)。彼の回帰分析では――貸付基金説的枠組みに沿うものだが――操作変数として、株式プレミアムと予想潜在GDPを用いている。彼の主要結論は、5年先の予想赤字/GDP比が1%上昇するごとに、5年物の長期財務省証券の利率が、おおざっぱに言って20ないし40ベーシスポイント(モデルによって異なる)上昇する、ということである。そして債務/GDP比率が1%上昇すると、4~5ベーシスポイント上昇する。Engen and Hubbard(2004)は、基本的にはLaubachの研究の焼き直しではあるが、これに石油価格、連邦準備局による国債購入、軍備増強の可能性をダミー変数として加えた。赤字比、債務比それぞれ、25~38ベーシスポイント及び2~5ベーシスポイントの範囲であった。

P6:1 実務的には、これら最近の3研究の結論は、かなり狭い範囲に落ち着いており、経済学的にはともかく有意な値(18~38ベーシスポイント)である。それ故、これらの研究は、継続的な政府赤字が金利を引き上げることを示す最も優れた経験的証拠として報告されている(例えば、下院予算委員会 2005 a, Mühleisen and Towe, 2004)。Engen and Hubbard で好んで取り上げられた債務比縮小の効果については、ほとんど言及されなかったが、それはどうやら多くの人々にとって、赤字が継続した際のストック効果対フロー効果に対するGale and Orszag の見方は賛同できるものであったためらしい。ところが、この結論は、おそらくはこの研究の複雑さゆえ、一部で誤解されている。例えば、下院予算委員会(2005 a)は、経験的研究では昔から金利に対する赤字の影響を信頼できる程度に数量化することは難しい、と注記した後で、これら近年の研究によって、「連邦財政赤字が継続的に1%ずつ上昇すれば、金利は大雑把にいって20~60ベーシスポイント上昇する…現実の証拠は約30ベーシスポインである」(P4)。実際には、これらの研究は、現在の赤字による現在の利子率の影響については統計的に有意なものは何も発見していない。これら3つの研究が発見したと主張しているものといえば、期待財政赤字が先物実質利子率に与える影響である。これが何を意味しているのか、必ずしも明瞭ではない。と、言うのは、これらの研究では、同時にその同じ期待財政赤字が現在の実質(あるいは名目)利子率(そのなかには先物利子率が埋め込まれている)に与える影響については、さまざまな結論が混ざっていることを示しているからである。

P6  3. 異時点間の政府予算赤字制約

P6:2 先の二つの節にあるとおり、異時点間の政府赤字「制約」(以下IGBC)については多くの人に知られることとなった。そしてBlanchard et al.(1990)による離散時間による枠組みでの研究が派生した。IGBCを構築しているブロックは、前2節にある。民間信用市場では金利によって政府債務の需要供給が一致する、という仮定である。Blanchard et al. (1990)が他と違うのは、以下の点である。第一に、当年度においては非政府部門が保有している政府債務の名目価値の変化(以下⊿B) は、当期の基礎的収支赤字(G-T)プラス非政府部門によって保有されている名目債務に対する金利支払(以下iB)によって決まる。これを等式化すると

(7)  ⊿B = G – T + iB

注意したいが、Blanchard et al. (1990)では、⊿Mは現れてこない。これは普通とは違う。これは、GBCの基本的な想定、つまり、「貨幣創造」によって「ファイナンス」された財政赤字は、たとえ「ハイパー」インフレ的なものでなくともインフレ的なものであり、そうである以上、許容されるべきではない、という考え方に合わせている。政府の財政が異時点にわたって持続手可能であるためには、したがって、将来の支出、課税、そして金利支払いが(7)の通り、「債務の貨幣化」を避ける経路をとらねばならない、と仮定されているわけである。

P7:1 以下は(7)式を実質値(インフレ調整後)及び実質GDPに対するパーセンテージに書き直したものだ。これは所与のIGBCの下でGBCの動的進化を理解する手掛かりとなる。b はGDPに対する国債の比率、gおよびtはGDPに対する利払いを除きた政府支出及び租税のパーセンテージである。ΘはGDPの実質成長率、rは政府債務の事後的な実質金利である。

(8)  ⊿b = g – t + (r - Θ)b

P7:2 (8)について異時点間で考えるために、今日からn年間にわたる債務/GDP比率bn は、当期の債務/GDP比率 b0に複利計算をn年分加算し、同時にn年間の元金の増加とそれに対する複利の加算を合計したもの、とする。

(9)  bn =b0 + (1 + r - Θ)n  +

P7:3 (9)式の両辺を現在のイールドで除すると、

(10)     

(10)式で明らかなとおり、将来のある時点までにわたる国債/GDP比率の現在価値は、現在の国債/GDP比率に期待将来基礎的収支赤字/GDPの現在割引価値を加算したものに等しい。GBCとGIBC[※IGBCの書き間違え?]は、単純に恒等関係である。

P7:4 上で論じたGBC同様、正統派によれば、財政が持続的なものであるためには条件が追加される。国債/GDP比率の現在割引価値は、nを大きくしていったときに、ゼロに近づく。言い換えると、bnは割引因子より早く増加することはできない。これは数学的には、nが無限に近づいた時の(10)式の左辺の極限をとることで表現される。

(11)       

そして、(11)式を(10)式に挿入することによって、次式を得る。

(12)       

整理すると

(13)       

P8:1  b0 は現在の国債/GDP比率であるから、Blanchard et al. では(13)式にこう注記されている。「持続可能な財政支出とは、最終的には国債/[GDP]比率がその初期水準であるb0へ収束する政策である」(前出P11)。したがって、ここで定義された持続可能財政策とは政府が直ちに、あるいは最終的に国債をゼロにしなければいけないわけではない。ただし、注意してほしいが、最終的にb0に収束するということが何を意味しているか、といえば、「財政政策が持続可能であるのなら、未償還の国債を持つ政府は遅かれ早かれ…[(13)]式を満たす程度に…基礎的収支黒字になることが予想されていなければならない」(前出P12)。すなわち、期待将来基礎的収支黒字の割引累積現在価値が、現在の未償還国債残高と等しくなっているはずである。「この条件を除いてしまうと、いつかは政府は国債を償還できなくなる。実際に償還拒絶をするか、あるいはインフレーションを通じて償還するかはともかくとして」(前出P12)。先にGBCについて論じたのと同じである。

P8:2 Gokhale and Smetters (2003 a)で導出された財政的不均衡は、直接(11)式、(12)式、(13)式(n = ∞ のケース)をベースにしている。例えば、「政府の財政政策が均衡していると考えられるのは、現在市中で保有されている国債と、利払いを除く予想支出額の現在価値との合計額が、予想される政府の収入の現在価値と等しい場合である」(前出P7)。この命題は――GDPに対するパーセンテージよりは絶対水準で考えている、という点を別にすれば――(12)式あるいは(13)式を(14)式に書き換えれることで得られる。

(14)       

財政不均衡の判定自体は、要するに(12)式(再び、n = ∞)で得られる。「政府の政策が全体として持続可能であるためには、財政不均衡がゼロでなければならない。政府は収入として受け取るであろう金額の現在価値を上回る支出も借り入れもできない。」(前出P8)

P8: 3 Gokhale and Smetters (前出)の前提、すなわち、初期の国債残高(B0)が51.37億ドル、そして、初期の実質GDPが107億ドルから出発して、上記の公式がいかなる意味を持つのか、実際に数値例で検討してみよう。ちなみにこの数値例では、初期の国債/GDP比率b0は48%ということになる。(注4) 彼らは実質利子率について3.6%と仮定している。表1では、財政が持続的なケース(つまり、(11)式のように、財政的不均衡=0)と持続不可能なケース(つまり、財政的不均衡>0 あるいは、(11)式の右辺>0)の財政的諸変数にとっての含意を示している。実質GDPの成長率(Θ)が2%の場合と3%の場合のそれぞれについて、その含意が示されている。金額は10億ドル単位である。この論文のイントロ部分で注記したとおり、Gokhale and Smettersは、財政不均衡を442.14億ドルになると計算し、それゆえ、これは表1の持続不可能シナリオとなった。単純に言えば、表1は政府が毎年基礎的収支黒字/赤字のGDPに対する比率を同一規模に維持する、というものだ(注5)。

P8:4 最初の列はΘ=3%での持続可能な財政を示している。ここでは、基礎的収支黒字が、毎年0.28%である。つまり、この黒字が永続した場合の累積現在価値は、-51.37億ドルであり、これがB0と等しくなる。(12)式、(13)式で含意されていた通り、あるいはBlanschard et al.(1990)で論じられていた通り、これでb0=b30=b75=48%を得る。注意したいが、政府はGDPの1.4%に等しい財政赤字を継続し、GDPの1.68%に等しい金利支払いを続ける。別の言い方をすれば、b0>0のとき、政府は一定額の赤字(利払も含む)を永遠に続けることができるのであり、(12)式、(13)式で示されている通り、それでも持続可能な財政政策となるのである――基礎的財政黒字の累積現在価値がb0と、等しくなるまでは。表1の3列目は同じシナリオをΘ=2%で示したものである。これはGokhale and Smetters (前出)で仮定されていた値である(注6)。ここでは基礎的財政黒字が毎年、対GDP比率で0.75%でなければb0=bn=48%にはならない。

P9:1 第2列と第4列はGokhale and Smetters (前出)で見積もられた442.14億ドルと等しい財政不均衡の含意を示している。この場合、基礎的財政赤字はそれぞれ、2.13%および、5.73%であり、後者はGokhale and Smetters およびAuerbach et al.(2003)において計算された将来基礎的収支赤字の平均値に非常に近い。30年後および75年後、国債/GDP比率は、それぞれ第2列にあるとおり126.7%および273.6%へと上昇する。そして第4列ではそれぞれ293.6%、962.6%へと上昇する。GDPに対する金利のパーセントは、表1ではこうした財政経路の何が「持続不可能」なのかを教えてくれる。というのは、75年後には、列2、列4で、それぞれ金利支払いがGDP比で9.43%、および33.25%になるからである。明らかに、これは、(11)式に違反して際限なしに国債/GDP比率を引き上げれば、金利もまた上限無く成長する、という意味である。

P9:2 さらに特定して言えば、(7)式、(8)式に従うと、金利が上昇すれば増税が必要となる。これが経済成長にネガティヴなインパクトを与えた。あるいは借り入れを増やせば――前節で論じたことだが――金利が上昇すると想定され、それゆえさらなる利払額の増加が生じ、これが資本蓄積[率]と成長[率]の低下を結果する(というのは、政府の借り入れ増加によって、国内貯蓄が減少し、それが貯蓄を減少させ、金利を引き上げることで、資本蓄積[率]を低下させるからである)。代替策としては、政府がこうした金利支払いのために「マネタイゼーションを行う」というやり方がある。こうした「マネタイゼーション」によって、金利支払いを発生させることなく、国債を発行することが可能になる。しかしこれは、インフレ率を引き上げる(何もハイパーインフレになるとまで言う必要はない)結果になると想定されている。かように、上でも記したが、(12)式が侵されると、最終的には残存国債の償還拒絶かインフレによる間接的拒絶が行われるのである。

P9:3 Kotolikoff and Burns(2004) では、こうして財政不均衡経路はどちらを選んでも破綻への道だ、とする。

歴史は、国家が支払い請求に応じることができないと何が起こるのかの例に満ちている。そうした諸国家は法外な税を課し、あるいは明示的あるいは暗黙の債務を履行せず、好き勝手にお金を刷り始める。これがインフレーションの引き金を引き、金利を、天井を突き抜けるまで上昇させ、外国為替レートは地下鉄の下に潜り込ませる。事業は倒産が続き、銀行はドアを閉める。結果は、財政的、経済的メルトダウンだ。(P.xvii)

彼らあるいはそれ以外でも、財政不均衡論の文献に従うと、解決策は前方指向型の方法、つまり、無限期間にわたる経路について持続可能なものと不均衡なものとを識別し――上記の(12)式及び、同じことだが(13)式によって判断できる――、政府は、こうした問題が発生する前に、持続可能な財政経路へと導くのである。

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