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水曜日, 8月 14, 2019

IRMA (Interest Rate Maintenance Account 、 利子率維持勘定・口座)



IRMA (Interest Rate Maintenance Account 、 利子率維持勘定・口座)


 
牙 龍一:脱財政再建!増税して通貨消滅やめろ! (@kiba_r)
MMTに関して、以下の3項目の概念は合意すべき濃い部分

OMF(明示的財政ファイナンス)
spending first(預金より政府支出が先)
IRMA(利子率維持勘定)

JGPは内容がハッキリしてないから、現時点での合意はムリだろう

https://twitter.com/kiba_r/status/1161877830814162944?s=21


The Nature of Government Finance in Brazil - Jstor

 

(Adobe PDF)

www.jstor.org/stable/40471051

Thus the government publicly held debt can be seen as an interest rate maintenance account (Mosler 1995, 1997-98;.


チャーネバ

http://moslereconomics.com/wp-content/uploads/2019/02/35433741-Critical-Review-of-Soft-Currency-Economics.pdf

^

 Mosler, Warren B . , Sep. 1995,  Soft Currency Economics 

West Palm Beach, Florida: III Finance. 



…II(2013,1996)

The federal debt is actually an interest rate maintenance account (IRMA). 

Fiscal policy determines the amount of new money directly created by the federal government. Briefly, deficit spending is the direct creation of new money. When the federal government spends and then borrows, a deposit in the form of a treasury security is created. The national debt is essentially equal to all of the new money directly created by fiscal policy. Options over spending, taxation, and borrowing, however, are not limited by the process itself but by the desirability of the economic outcomes. The amount and nature of federal spending as well as the structure of the tax code and interest rate maintenance (borrowing) have major economic ramifications. The decision of how much money to borrow and how much to tax can be based on the economic effect of varying the mix, and need not focus solely on the mix itself (such as balancing the budget).

 Finally, the conclusion will incorporate five additional discussions 

What if no one buys the debt?

Interest Rate Maintenance Account (IRMA)

  Over the course of time the total number of dollars that have been drained from the banking system to maintain the fed funds rate is called the federal debt. A more appropriate name would be the Interest Rate Maintenance Account (IRMA). The IRMA is simply an accounting of the total amount of securities issued to pay interest on untaxed money spent by the government. 

 Consider the rationale behind adjusting the maturities of government securities. Since the purpose of government securities is to drain reserves from the banking system and support an interest rate, the length, or maturity, of the securities is irrelevant for credit and rollover purposes. In fact, the IRMA could consist entirely of overnight deposits by member banks of the Fed, and the Fed could support the fed funds rate by paying interest on all excess reserves. One reason for selling long-term securities might be to support long-term interest rates.




こうして、失業者が自動的に政府部門に雇用されるようになれば、
民間企業部門では、容易に労務者を解雇できるし
失業者増加による需要減退や債務不履行の影響も
小さくできる。 企業も過剰労務者を解雇しやすくなり
(これは同時に、雇用しやすくなることも意味している)
費用圧縮しやすくなるので、過剰な負債を処理する速度が
早くなる。もちろん、銀行からの借入金の返済により
貨幣流通残高は減少することになり、ベースマネーは過剰になる。
この場合、政府が新たに国債を発行してもいいし、
中央銀行が売りオペをしてもいいし、
民間金融機関向けに利子つきの
タイムデポジットファシリティー(ただし、準備には組み込めない)
などを提供してもよい。
(最初に、「政府は新たに発行した貨幣で」と書いちゃったから
この場合は中央銀行による売りオペか、定期預金だな。)
こうして中央銀行(あるいは政府)が金融機関向けに
商品を販売することによって
インターバンクレートを下支えする。
なお、Mosler は、国債や利子付の超過準備勘定を
合わせて、Interest Rate Maintenance Account だから、
利子率維持勘定(口座)?と、呼んでいる。略して
IRMA だそうである。

そして、民間企業の過剰債務状態が緩和され、
企業に自律的な投資の機運が生まれ、
雇用が活発になれば、
民間賃金水準がおのずと上昇するであろう。
民間賃金水準がwを上回れば、
労務者は、政府による雇用から離れ
民間部門へと移るであろう。
民間企業の金利支払い意欲が強くなり、
中央銀行・政府の提供するファシリティーの金利をある程度
上回り始めれば、ファシリティーから
準備へと、ベースマネーが振替えられることになる。

民間で雇用される人が増えると同時に
政府が雇用する人が減り
G’が減り、Tが同じペースで減らなければ(そして、
同じーペースでは減らない、と想定されている)
Mとベースマネーの増加量も減る。
もしも、同時に中央銀行がファシリティーの金利を上げれば、
つまり、インターバンクレートも上昇することになり、
こちらからもベースマネーが減少するか
市場金利上昇圧力がかかる。


だから、MMTはマーケットメカニズムを否定してるわけではない。
ただ単に、金融機関が収益を得る金利(インターバンクレート)と
労務者の賃金に「床」を与えることが目的なのである。
金利がこの「床」より低くなってしまえば、
中央銀行がいくらでも、この「床」と等しい収益をもたらす
IRMAファシリティーを金融機関に提供し、
民間部門の雇用の賃金が、この「床」を下回った時には
この「床」と等しい賃金で、いくらでも雇用機会を提供する。
Job Guarantee Project によって、
貨幣とベースマネーが供給され、
time deposit facilities によって、
ベースマネーが過剰な時には、いくらでも中央銀行が
過剰なベースマネーを吸収する。
景気が過熱し賃金水準が上昇すれば、自動的に労働者が民間部門に
移動し、同時に、ベースマネーの供給が自動的に減少する。
(だから、wは、景気が少しでも良くなり
企業の求人が始まれば、すぐに労働者がそちらにひきつけられる程度に
十分に低い額でなければならない。)
同時に、企業業績がよくなれば納税が大きくなるので、
ベースマネーには徴税面からも減少圧力がかかる。

他方で、中央銀行がファシリティーの金利を引き上げない限り
市場で運用するほうが収益性がよくなれば、
ファシリティーからベースマネーへと振替が進み、
信用創造を通じてマネーストックは増加する。
しかし、中央銀行が景気の過熱を引き締めようとすれば
ファシリティーの金利を市場金利より高くすることになる。
(同時に、為替市場にも
景気変動を抑制するカウンターサイクル的な動きが
現れるとされているが、今回は省略。)

さて、ここまで説明すればわかると思うが、
IS=LM分析の枠組みでMMTの政策的効果を議論しようということ自体が
全く頓珍漢な試みなのだ。


MMTについて③ IS=LM分析とMMT。またはJob Guarantee Program またはIRMAについて。

14/04/08 22:43


クルグマンが、リーマンショックのしばらく後に
どこかで書いていたのだが、

「自分も含めマクロ経済学者は
現在(当時の意)の論争に関して
内心忸怩たる思いがあるだろう。
大学院以来、難しいモデルを必死になって勉強してきたのだが、
いざとなったら、これらのモデルは全く役に立たず、
結局、使える道具と言ったら
旧弊なIS=LMモデルでしかない。苦労して学習してきた
動学的均衡モデルなど、ほとんど何にも資することはない。」

と、いうような、かなり率直というのか
直截な物言いで、自分の気持ちを吐露していた。
確かにこういうものを読まされると、クルグマンという人は頭がいい人だ、と
感心せざるを得ない。同時に、ご自分に自信があるのだろう。
自分に自信がない人ほど、権威やはったりに固執する。
使えないことがはっきりしたモデルを振りかざして
こんな定理がある、あんな法則があると、
めんどくさい数式を駆使して言っている人も多いが、
自分がこれまでやってきたことに
(この件に関する限り)ほとんど何の価値もなかった、
ということを認めることができない人たちなのだろう。
それに代わる何かを求めて
自分自身で、自分の頭を働かそうということができない人たちは
多い。これまで自分が学習してきた
モデルに支配されてしまい、自分自身でものを考える力を
失った人たち。
で、そのあなたの優れたモデルは、
今回の危機を事前にどの程度、察知できたのですか。。。

クルグマンは、国際経済が専攻であって
マクロ経済理論というわけではないから、
その点、気楽にマクロダイナミズムなどを放棄すること(といったって、
「この問題を論じるにはふさわしくない」、ということであろうが)が
中には、自分が学んだモデルから、どうしても離れることができない人も
少なくないだろう。
そういう人たちだって、あれだけ難しいモデルを自家薬籠中の物にしたぐらいの
もんなんだから、おいらあたりよりは
よっぽど頭の回転も速く
優秀なはずなのだが、、、、、

根本的にずっこけているのだろうなあ。。。


ところが、そのクルグマンであるが
キーンとの論争では、やや馬脚を現した感もある。

なんせ、教科書にある信用創造のプロセスを
実際にそのようなことが行われているかのごとき前提で
LM曲線の話をしてしまったからである。
貨幣供給に関する信用創造プロセスについて、
教科書の説明には何の意味もないことは
FRBが公表している準備制度のマニュアルに目を通せば一目瞭然で
論争などするに及ばないのだが、


だいたい、そんなマニュアルなんか見なくたって、
学生はともかく、
社会人として実生活を送っていれば
(特に個人用の当座預金口座が発達しているアメリカなれば)
日常的に、現金なんかそんなに使われちゃいないことぐらい
見当つくだろう。
まさか、日常的な決済に現金を使うことはあまりないけれど、
銀行が融資を行うときだけは、現金を手渡ししているとでも
思ったのであろうか。それとも、預金口座に対応して
どこかに口座別の金庫か何かがあって、
普段は、その金庫にお金を置いているのだが、
信用創造をするときだけ、その金庫を銀行が勝手に
空にしちゃっている、とでも?

もしも、融資の際に現金を手渡ししているのではなく
口座間の資金移動で済ましているはずだ、ということに気が付けば
(と、いうか、一度お金を借りればわかるだろ)、
何回も何回も融資と預金を繰り返したりしなくたって
一度の振り込みだけで、
預金通貨を何倍にも増やすことができることぐらい
見当つくだろう。大学校の先生ともあろう人が
そんなことすら気が付かない、というようだと、
「経済学なんて、所詮は机上の空理空論だ」といわれるように
なっちゃうんだよね。。。
、と、なんだか情けなくなってくるのだが、


それはともかく、


MMTの理論をIS=LMモデルの枠組みで論じている書き物を
いくつか目にする機会があった。
クルグマンはMMTの理論を
LM曲線が水平になるモデルとして扱い、
流動性の罠がある状況ではMMTも通常のケインジアンも
同じモデルになってしまい、有効であるが、
それ以外の状態ではナンセンスだ、と論じたらしい。

だけど、普通に考えて、
MMTの議論をIS=LMの枠組みで論じることは、実は
全くばかばかしいというしかない。


市場金利(但し、MMTの場合はインターバンクレート)が外生的に決まる、
ということを以て、水平のLM曲線を描きだし
だから流動性の罠と同じ状況だ、
というのは、唯の形式論で
全く意味がない。


確かに、金利が外生的に決まり、国内所得との相関関係を持っていない、
という点では、主流派ケインジアンの流動性の罠と同じく
LM曲線を「描くとしたら」、水平線になることであろう。
だが、この図の意味は流動性の罠とは全く違う。
MMTの場合、単に、もともと金利(ただし、インターバンクレートであって、
企業の借入金利ではない)と
国内所得の間に、
どこぞの市場を均衡させる一定の組み合わせというようなものは
想定できない、と言っているに過ぎない。
要するに初めから縦軸に金利、横軸に国内所得を取ったところで
一定の結びつきなどありはしないのである。
同じことで、IS曲線が任意の国内所得で垂直になるとはいっても
その意味は、単に、金利(なんの?)と国内所得の間に
特定の関係は想定していない、と言っているだけの話で、
別に垂直になるかどうかは、関係ないのである。


そもそも、LM曲線とはなんであろうか。あるいは
テイラールール政策なりなんなりによって貨幣数量が決まる、
でも、なんでもいいけれど、
いずれにせよ、マネーストックおよび物価水準が
外生的に与えられれば、国内の貨幣需要によって
金利が決まる。国内の貨幣需要は
国内所得と一定の結びつきがある。
だから、金利と国内所得の間には、
一定の結びつきがある、という考え方である。


他方、IS曲線とはなんであろうか。
教科書的に言えば、
貯蓄と投資を一致させる国内所得と金利水準の組み合わせの軌跡である。
ここでは、貯蓄も投資も(そして、政府支出も消費も)
あくまでもフローのことを指し、
ストック市場、すなわち、貨幣市場とは関係ないとされる。
明らかなことだが、もうすでにこの前提からして
MMTとは全く異なった世界にいるのである。

C + S + T + IM(e) = C + I(r) + G + EX(e)

というのが標準的なISモデルである。

ところが、これら二つの曲線は、いや、こうして構成された
IS曲線、LM曲線自体が、MMTでは、意味を持たない。



MMTの場合、Gは⊿Mと、密接に関係している。
つまり、LM曲線といっても、Mは定数ではなく、
GやTの従属変数なのである。

なお、話はずれてしまうが、これにやや似ているのが
リチャード・クーのバランスシート不況論で、
クーの場合、バランスシート不況に陥った経済では
Sの増加がMの減少に結びついてしまう。それを補うために
政府が支出をすることでMを維持するべきだ、と言っているわけだから、

⊿M = α(G - βS - T)

というような形になる。
ここでβはパラメーターではあるが、
国内企業のバランスシートのポジションの関数(さらに、
そのポジションを評価する企業経営者の心理状態の関数)
である。バランスシートの有利子負債が十分に圧縮されるか、
一定のポジションの下、経営者の心理状態がそのポジションを
受け入れるほど強気になるまでの間、
Sの増加は、借入金の返済、すなわち預金通貨残高の減少という形で
実行される。これは、短期的にも中期的にも長期的(論理的時間の話ではなく、
歴史的時間)にも
全く安定していない。長期的には、
たとえば、高度成長期と現在を比べれば
かつての大蔵省指導の下での護送船団方式に支えられ、
資金面でのメインバンク制・サプライチェーン面での系列制が確立しており、
オーバーローン・オーバーボロウィングが当たり前だった時代の
有利子負債残高に対する意識と、
固定キャッシュアウトを最小化や
株主利益の最大化が重視されるようになった現在とでは
有利子負債に対する考え方はまったく異なるであろう。

そして、実際に有利子負債残高が減るか、経営者や投資家の意識が変わるかして
有利子負債に対する減少圧力が減ったところで
βは0になる。貯蓄フローの増加は
どのような形で貯蓄に向けられるのかはわからないが、
貨幣数量の減少を伴う必然性はなくなる。



まあ、クーのバランスシート不況論の話はともかくとして
MMTでもM(というよりH(ハイパワード・マネー、、、というか
ベースマネー)およびそれと同額のM)は、
Gにより生み出されTにより破棄される債務証書である。
Mは、安定しているどころではない。G-Tによって、まず、
G-Tと同額のM(およびH)が生み出され、
さらに、もしも「信用乗数」が機能しているのなら
Hの増加に応じて、インターバンクレートが
所定の水準にあり、失業がある限り、
預金準備率の逆数倍を上限に、増加するかもしれない。

さらに、MMTには、
Yについて、主流派が考えるような関係を想定しない理由がある。

主流派によればYはNの関数である。(あるいはNはYの関数。)
これは、(現実的かどうかはともかく)営利企業が中心の世界では
資源は常に最適に、最大限効率的に利用される、という前提がある。
だから、Y = F(N)あるいはN = Φ(Y)という関係を描くことも
無意味とまでは言えない。
しかし、MMTの場合は、そもそもそのような関係を想定していない。
今、どのようなYにあろうと、
そこで失業者がいればGが拡大され、それによってNが増加する。
Nの増加がどのようにYに影響するかは
あまり考えられていない。
まあ、Nが増えれば消費支出なりなんなりを通じてYも
増えるであろうが、Gの増加自体は、極端なケースでは
Mの増加を引き起こすだけで、Yとは関係ないことすら
ありうる。
これは、Job Guarantee Project の基本的発想であり、
これこそ、MMTの中核にある概念だ。(※1)

政府は失業者がいる限り、
あるいは現在の民間での雇用条件が悪すぎる、と判断する労務者がいる限り
社会的に最低限と定められた賃金水準wで、
希望する労務者をいくらでも雇い入れる。(※2)
このwが、実質的に最低賃金水準を決めることになる。
世の中の景気が悪化し、民間部門の雇用が減少し続けるときには
政府が新しく生み出した貨幣で雇用を増やす。
別に国債を発行したっていいのだけれど、
ここでは論点を明確にするため、
中央銀行が政府の指示で政府預金の残高を増やして
同額の資産勘定を増やす、つまり実質的な国債の
直接引き受けをしていることにしよう。

Job Guarantee Program で
支出される金額を、一般的な政府の支出と区別するため
G' とし、同プログラムで雇用される人数を
N'とするなら
G' = wN'
となる。このwN'が、新たな貨幣発行によって
雇用される人々である。

政府によって生み出された貨幣は、労務者に支払われる際には
預金通貨となるが、それと同額のベースマネーを生み出す。
つまり、wN' = ⊿M = ⊿H だ。
つまり、マネーストックやベースマネーの増加は
民間部門で失業した人の数の関数となる。
言うまでもないが、
ここではM/H = m という周知の信用乗数を語ることには何の意味もない。
Mの増加に伴う所要準備の増加を上回るHの増加は、
純粋に超過準備になる。

こうして、失業者が自動的に政府部門に雇用されるようになれば、
民間企業部門では、容易に労務者を解雇できるし
失業者増加による需要減退や債務不履行の影響も
小さくできる。 企業も過剰労務者を解雇しやすくなり
(これは同時に、雇用しやすくなることも意味している)
費用圧縮しやすくなるので、過剰な負債を処理する速度が
早くなる。もちろん、銀行からの借入金の返済により
貨幣流通残高は減少することになり、ベースマネーは過剰になる。
この場合、政府が新たに国債を発行してもいいし、
中央銀行が売りオペをしてもいいし、
民間金融機関向けに利子つきの
タイムデポジットファシリティー(ただし、準備には組み込めない)
などを提供してもよい。
(最初に、「政府は新たに発行した貨幣で」と書いちゃったから
この場合は中央銀行による売りオペか、定期預金だな。)
こうして中央銀行(あるいは政府)が金融機関向けに
商品を販売することによって
インターバンクレートを下支えする。
なお、Mosler は、国債や利子付の超過準備勘定を
合わせて、Interest Rate Maintenance Account だから、
利子率維持勘定(口座)?と、呼んでいる。略して
IRMA だそうである。

そして、民間企業の過剰債務状態が緩和され、
企業に自律的な投資の機運が生まれ、
雇用が活発になれば、
民間賃金水準がおのずと上昇するであろう。
民間賃金水準がwを上回れば、
労務者は、政府による雇用から離れ
民間部門へと移るであろう。
民間企業の金利支払い意欲が強くなり、
中央銀行・政府の提供するファシリティーの金利をある程度
上回り始めれば、ファシリティーから
準備へと、ベースマネーが振替えられることになる。

民間で雇用される人が増えると同時に
政府が雇用する人が減り
G’が減り、Tが同じペースで減らなければ(そして、
同じーペースでは減らない、と想定されている)
Mとベースマネーの増加量も減る。
もしも、同時に中央銀行がファシリティーの金利を上げれば、
つまり、インターバンクレートも上昇することになり、
こちらからもベースマネーが減少するか
市場金利上昇圧力がかかる。


だから、MMTはマーケットメカニズムを否定してるわけではない。
ただ単に、金融機関が収益を得る金利(インターバンクレート)と
労務者の賃金に「床」を与えることが目的なのである。
金利がこの「床」より低くなってしまえば、
中央銀行がいくらでも、この「床」と等しい収益をもたらす
IRMAファシリティーを金融機関に提供し、
民間部門の雇用の賃金が、この「床」を下回った時には
この「床」と等しい賃金で、いくらでも雇用機会を提供する。
Job Guarantee Project によって、
貨幣とベースマネーが供給され、
time deposit facilities によって、
ベースマネーが過剰な時には、いくらでも中央銀行が
過剰なベースマネーを吸収する。
景気が過熱し賃金水準が上昇すれば、自動的に労働者が民間部門に
移動し、同時に、ベースマネーの供給が自動的に減少する。
(だから、wは、景気が少しでも良くなり
企業の求人が始まれば、すぐに労働者がそちらにひきつけられる程度に
十分に低い額でなければならない。)
同時に、企業業績がよくなれば納税が大きくなるので、
ベースマネーには徴税面からも減少圧力がかかる。

他方で、中央銀行がファシリティーの金利を引き上げない限り
市場で運用するほうが収益性がよくなれば、
ファシリティーからベースマネーへと振替が進み、
信用創造を通じてマネーストックは増加する。
しかし、中央銀行が景気の過熱を引き締めようとすれば
ファシリティーの金利を市場金利より高くすることになる。
(同時に、為替市場にも
景気変動を抑制するカウンターサイクル的な動きが
現れるとされているが、今回は省略。)

さて、ここまで説明すればわかると思うが、
IS=LM分析の枠組みでMMTの政策的効果を議論しようということ自体が
全く頓珍漢な試みなのだ。

IS=LM分析の枠組み、すなわち、
実物フローは貨幣ストックに影響を与えない、
Mは外生的に、一定とされる、
雇用は国内所得の関数である、
こうしたことは、MMTの枠組みでは全く当てはまらない。

LM曲線やIS曲線が水平や垂直になってしまうのは、こうした
全く異なった枠組みで議論をしているためであって、
単純に外生的に決まるから、というわけではない。

実際、MMTでは、単にインターバンクレートの最下限が
ファシリティーによって決められるだけだから、
企業活動が活発になりYが増加すれば
企業が銀行から借り入れる金利rは上昇する必然性がある。
企業が雇用を増やし、GがTを下回ればHも減るのだから
この圧力は、当然発生する。
しかし、そこに関数によってrとYの関係を表現できるようなモデルを作成することには
あまり意味がないだろう。(※3)

逆に言えば、箒のように単純なIS=LMモデルは、
そりゃ、動学的最適化や
マクロダイナミズムのモデルといった電気掃除機に比べれば、
はるかに使えるかもしれないとはいえ、
やはり、サブプライム危機のようなことを議論するには
不適切なのだ。箒は箒であって、はたきにはならない。
クーのバランスシート理論もそうであるように、
民間・政府の実物経済活動は、
マネーストックやベースマネーの「残高」に大きく影響を与える。
MMTが正しいか誤っているかを論じるまでもなく、
このような、所得フローの動きとマネーストックの動きの間を
分断できると想定しているモデルはまったく無意味である。
しかも、そのモデルを使って、MMTやバランスシート不況論を論じようというのでは、
IS=LMモデルに遊ばれてしまっている、と、言われても
仕方ないであろう。



※1 MMTは、Gの増加がYに結びつかないこともある。しかし、
多くの場合、何らかの形で結びつけることを
想定しているようである。ただいずれにしても
国内所得と雇用水準を結びつけるものは何もない。
集計的生産関数(というものが、そもそも何かはこの際ともかく)
のようなものは、想定されていないし、想定できないし、
する必要もない。

※2 逆に言えば、これは法律の問題だが、
Job Guarantee Program によって、
企業が、人員を今よりはるかに簡単に解雇できるように労働立法を
定めることも可能になる――少なくとも、解雇条件を緩和することを
難しくしている問題の一つは、解決される。
また、Job Guarantee Program によって、
失業給付が必要なくなるほか
最低賃金法も必要なくなる。

※3 主流派経済学ではN=φ(Y) と考えることがある。
したがって、IS=LMモデルの横軸をYではなくNに置き換えることも
それほど無理なくできる。ただし、失業者(MMTの枠組みでいえば
政府部門の雇用者)が十分にいて、民間部門はwをほんのわずか
引き上げるだけでいくらでも労働者を調達でき、
かつ、遊休生産力がありYを増やしてもほとんど生産力に影響がない、
つまり、Yが増えてもw=wも、Pも全く影響を受けない範囲のことであるが。
その場合、
Nは確かに完全雇用水準で一定になり、外生的に決まる。
しかし、Nの内訳は政府部門に雇用されるNg と民間に雇用されるNpとに分かれるだろう。
そして、Yに関数的な関係があるのはNp だけであり、Ngが増えても
Yには直接的な関係はないものとする。Ngが増えれば、その消費支出によって
Yが増えるかもしれないが、それはNgの消費支出によって減少した棚卸残高が
即座に新規生産によって埋め合わされる場合であり、
その場合にはNfが増加していることであろう。Yの増加はNfの増加によって
もたらされるのであり、Ngの消費支出によってもたらされるわけではない。
ここではめんどくさいので Ng の Y に対する影響は
ゼロである、と仮定する。まあ、実際にはそんなことはあるまいが
似たようなもんじゃないか。。。(そんなことないか???)

さて、その場合、N = αN + ( 1-α)N としてαN = Nf とすると
αが大きくなればYも大きくなる。
さて、どのような場合にαが大きくなるかを考えれば
民間経済活動が活発になっているときである。
民間経済活動が活発になっていれば
当然、金利が上昇していると考えられる。
というのは、一方で政府に雇用される労務者数が減るので
⊿Mに減少圧力がかかり、
他方で、企業の収益が上昇していればTが増えることで
Mに減少圧力がかかり、
さらに投資が活発になれば、IRMAファシリティーの金利が
一定のもと、市場金利には上昇圧力がかかるからである。

と、いうわけで、閉鎖体系を前提とすれば、
Yとrの間には、右上がりの関係を、とりあえず想定することができる。
しかし、
いったいこの関係のことを何と呼んだらいいのか、
あるいは、わざわざ名前を付けるような価値のあることなのかどうか
おいらにはわからない。

民間の雇用が増え
賃金や物価が上昇するようなケースでどうなるかは、
皆さんで考えてみてください。

最近の「欧米の国家貨幣論の潮流」カテゴリー

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