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金曜日, 8月 23, 2019

ケインズ一般理論序文 keynes 1936-1939


ジョン・メイナード・ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』(1936)  おまけ:独仏版序文

フランス語版への序 (1939)

  百年かそれ以上にわたり、イギリスの政治経済学はある正統派教義に支配されていました。別に、まったく変わらないドクトリンが栄えていたということではありません。正反対です。このドクトリンは徐々に進化を遂げていきました。でもその想定するもの、その雰囲気、その手法は驚くほど変わらぬままで、変化の中にもすべて驚異的な連続性が観察されていたのです。その正統派教義、その連続的な推移の中で、私は育てられました。それを学び、教え、それについて書きました。外から見る人には、私がまだそこに属していると思えることでしょう。この教義に関する後世の史家は、本書が基本的に同じ伝統に属すると考えるでしょう。でも本書や、本書につながる他の近著を書く中で、私自身は自分がその正統派教義から離脱していくのを感じ、それに対する強い反発の中にいると感じたのです。何かから逃れて、解放を得ているように感じたのです。そしてこうした私の精神状態は、本書のいくつかの欠点の理由となっています。特にいくつかの部分でのケンカ腰や、ある特定の視点を持つ人々にばかり向けられているような雰囲気、そしてその他世界に対しての配慮があまりに少ないところなどです。私は自分自身のいる周辺の人々を説得しようとしており、外部の意見に対しては十分な直接性を持って語りかけませんでした。今や三年たって、新しい衣装にも馴染み、古い衣装の匂いすら忘れかけた私なら、これを一から書き直すとすれば、こうした欠点から己を解放して、もっと明確な形で自分の立場を述べようとすることでしょう。

  こんなことを申し上げるのは、一部はフランス読者に対する説明であり、一部は弁解です。というのもフランスでは、我が国のように現代の見解について同じくらいの権威を持つ、正統派の伝統は特になかったからです。アメリカでは、状況はイギリスとおおむね同じでした。でもフランスでは、ヨーロッパの他の部分と同じように、二十年前には絶頂期にあったフランスリベラル派経済学者の一派が絶滅してから(でも彼らは実に長生きして、影響力が失われたあとも存命だったので、私が『エコノミック・ジャーナル』の若き編集者となったときの初仕事は、その多くについての弔辞を書くことでした――レヴァスール、モリナーリ、ルロイ=ボリュー)、そのような支配的な学派はありませんでした。シャルル・ジイドがアルフレッド・マーシャルと同じくらいの影響力と権威を獲得していれば、あなたたちの立場は私たちともっと似ていたかもしれません。でも現状では、あなた方の経済学者たちは折衷的で、あまりに体系的な思考に深く根ざしていない(と私たちは時々思います)。おかげで、彼らは私の言いたいことをもっと受け容れやすいかもしれません。でも、一方で読者諸賢は、私がイギリスの評論家に言わせると誤った語法で「\ruby{古典派}{クラシカル}」学派だの「\ruby{古典派}{クラシカル}」経済学者だのの話をするとき1、何の話やら首をかしげる結果をもたらすかもしれません。ですから私が自分のアプローチの主要な差別化要因について、とても手短に述べるとフランスの読者には有用でしょう。

  私は自分の理論を一般理論と呼びました。その意味は、私が主に全体としての経済システムのふるまいに興味があるということです――総所得、総利潤、総産出、総雇用、総投資、総貯蓄などであって、特定の産業や企業、個人の所得、利潤、産出、雇用、投資、貯蓄などではありません。そして、一部について孤立したものとして扱ったときに正しく導かれた結論を、システム全体に拡張するときに重要な間違いが行われた、と私は論じています。

  どういうことか、例を挙げましょう。私は、システム全体として見た場合には、当期の消費に使われない分という意味での貯蓄は、必然的に純新規投資の量と等しいし、またそうならなくてはいけないと主張しています。これはパラドックスと思われ、広範な論争の的となってきました。なぜ論争になるかといえば、投資と貯蓄が等しいというのはシステム全体では必然的に成り立たざるを得ないのですが、それが特定の個人で見れば、まったく成り立っていないからなのは間違いありません。私が実施する新規投資が、私自身の貯蓄量といささかも関係すべき理由は何一つとしてありません。みんな、個人の所得はその人自身の消費や投資とはまったく無関係だと考えますし、それはきわめて正当なことです。でも指摘せねばなりませんが、だからといってある個人からの消費と投資により生じる需要あ、他の個人の所得の源だという事実を見過ごすことになってはいけません。ですから全体としての所得は、個人の支出と投資の傾向とは独立などではないのです。そして個人の支出や投資の意欲は所得に依存するので、総貯蓄と総投資にはある関係が導かれ、それはまともな反論の余地などまったくなしに、完全な必然的な等号関係だということが簡単に示されるのです。これは確かにつまらない結論です。でもこれは、もっと本質的な話が出てくる思考の流れの源となります。一般に言って、産出と雇用の実際の水準は生産容量や既存の所得水準で決まるのではなく、投機での生産の決断によるのであり、これはさらに投機および将来の消費見通しで決まるのです。さらに、消費性向と貯蓄性向(と私が呼ぶ物)がわかれば、つまり個人の心理的傾向の結果として生じる、ある所得をどう使うかという社会全体にとっての結果がわかれば、ある新規投資の水準と利潤均衡にある産出と雇用の水準も計算できます。そこから乗数のドクトリンが生まれます。あるいは貯蓄性向が上がれば、他の条件が同じなら所得と産出も縮小するのが明らかとなります。一方投資の誘因が増えればそれが拡大します。ですからこうして系全体としての所得と産出を決める要因が分析できます。この理由づけから出てくる結論は、公共財政や公共政策一般や事業サイクルにことさら関係が深いのです。

  本書できわめて特徴的な別の点としては、金利の理論があります。近年では多くの経済学者が、当期の貯蓄量が自由な資本の供給を決め、当期の投資がそれに対する需要を決め、金利はいわば、貯蓄による供給曲線と投資による需要曲線との交点で決まる、均衡価格要素なのだと認めています。でも総貯蓄が必然的にあらゆる状況で総投資に等しいなら、この説明は明らかに崩壊します。解決策は別のところに見いだす必要があります。私が見いだしたその解決は、金利というのは新資本財の需給均衡を決めるのではなく、お金の需給の均衡を決めるのだ、という発想でした。つまりそれは、流動性の需要とその需要を満たす手法とを均衡させるのです。ここで私は、古い十九世紀以前の経済学者のドクトリンに回帰しています。たとえばモンテスキューは、この真実をかなりはっきり見通していました2――モンテスキューは真にフランス版アダム・スミスであり、あなたたちの経済学者の最高峰であり、その鋭さ、明晰さ、バランス感覚(どれも経済学者に必須の性質です)の点で重農主義者たち3から大きく突出しています。でもこれがすべてどう展開するかを詳細に示すのは、本文に譲らなければなりません。

  本書を私は『雇用、利子、お金の一般理論』と呼びました。そしてご注目いただきたい第三の特徴は、お金と物価の扱いです。本書の分析は、一時は私を絡め取っていた貨幣数量説の混乱から、ついに私が脱出を果たした記録でもあります。私は全体としての物価水準が、まさに個々の価格を決めるのとまったく同じ形で決まるものと考えています。つまり需要と供給で決まるということです。技術条件、賃金水準、設備や労働の未使用容量の規模は、個別の製品でも経済全体でも、供給の水準を決めます。個々の生産者の所得を決める事業者の決断、そしてその所得の使い道を決める個人の決断が需要条件を決めます。そして物価は――個別価格も全体としての物価水準も――この二つの要因の結果として生じます。話の流れのこの段階では、お金やお金の量は直接の影響を持ちません。お金の量は流動リソースの供給を決め、つまり金利を決め、そして他の要因(特に安心)とあわさって投資誘因を決め、それがこんどは所得、産出、雇用、(そしてそれぞれの段階で他の条件とあわさって)そのように決まった需給の影響を通じて物価水準を決めるのです。

  最近までの経済学はどこでも、実際に理解されているよりも遙かにJ・B・セイという名前と連想されるドクトリンに支配されてきたと私は信じています。確かに彼の「市場の法則」はとっくの昔にほとんどの経済学者が見捨てました。でも彼らは、セイの基本的な想定からは逃れえていないのです。特に、需要は供給によって作られるという誤謬からは逃れていません。セイは暗黙のうちに、経済システムは常に容量いっぱいで動いているものと想定し、新しい活動は常に他の活動に代替されるもので、決して追加はされないのだと考えていました。その後のほぼあらゆる経済理論は、これがなければ成立しないという意味で、この想定に依存していました。でもそんな基盤の理論は明らかに、失業と事業サイクルの問題に取り組む能力を持ちません。たぶんフランスの読者に対して本書の主張をできるだけうまく表現するなら、それはJ・B・セイのドクトリンからの最終的な決別であって、そして金利の理論においてそれはモンテスキューのドクトリンへの回帰なのです。

J. M. ケインズ
1939年2月20日
キングスカレッジ、ケンブリッジ


  1. 訳注:正しい英語でいえばクラシカルは変で、クラシックにすべきなのだ。

  2. 特に念頭に置いているのは、『法の精神』第22巻第19章です。

  3. 訳注:経済表で有名なケネーを親玉とする一派。農業こそ富の源泉として、当時の農業に関連した規制や課税の撤廃を狙って自由放任主義に傾倒。

<-- 独語序文  目次

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ジョン・メイナード・ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』(1936)  おまけ:独仏版序文

おまけ:独仏版序文


ドイツ語版への序 (1936)

  アルフレッド・マーシャル『経済学原理』は現代のイギリス経済学者がみんな勉強に使った本ですが、そのマーシャルは自分とリカードとの思想的連続性を強調しようとして、ずいぶん苦労していたものです。その作業はもっぱら、限界原理と代替原理をリカードの伝統に接ぎ木しようというものでした。そして、ある決まった産出の生産と分配はきちんと考えたのですが、社会全体の産出や消費に関する理論は独立に検討しませんでした。マーシャル自身がそうした理論の必要性を感じていたか、私にはわかりません。でもその弟子や後継者たちは、まちがいなくそんな理論なしですませてきたし、どうやらそれが必要だとも思っていません。私はこういう雰囲気の中で育ってきました。自分でもそうした教義を教えたし、それが不十分だと意識するようになったのも、過去十年ほどのことでしかありません。だから私自身の思考と発展の中では、この本は反動の結果で、イギリス古典派(あるいは正統派)の伝統から離れるための変転を示すものです。以下のページではこの点と、そして教えを受けた教義からの逸脱点が強調されていますが、それはイギリスの一部では、無用にケンカ腰だと言われています。でもイギリスの経済学正統教義で育ってきた人物、いやそれどころか、一時はその信仰の司祭だった人物としては、プロテスタントに初めてなろうとする時に多少のケンカ腰の強調は避けられますまい。でもたぶん、これはドイツの読者諸賢にはいささかちがった受け取られ方をするのではないかと愚考します。十九世紀イギリスを席巻した正統派の伝統は、ドイツの思考をそこまでがっちりとは捕らえなかったからです。古典派の理論が現代の出来事を分析するにあたり十分かどうかを強く論難した経済学者の学派が、ドイツにはずっと存在していました。マンチェスター学派とマルクス主義は、どちらも最終的にはリカードから派生したものです――この結論が意外に思えるのは、皮相的な見方でしかありません。でもドイツには常に、このどれにも帰属しない大きな見解の一群が存在してきたのです。

  でもこの学派が、正統派に比肩する理論的構築物を造り上げたとはとても言えません。いや、それを試みたとさえ言えないでしょう。それは懐疑的で現実主義的で、歴史的、経験的な手法や結果で事足れりとして、定式化された分析を排除しました。理論面で最も重要な非正統派の議論は、ヴィクセルによるものでした。彼の著書はドイツ語では手に入りました(最近まで英語では手に入らなかったのです)。実際、彼の最も重要な著書の一つはドイツ語で書かれたものです。でもその信奉者たちは、主にスウェーデン人とオーストリア人でした。そしてオーストリア人たちはヴィクセルの思想をはっきりしたオーストリア学派理論と結びつけて、それを復活させて古典派の伝統と対決させようとしました。ですからドイツは、ほとんどの学問分野での習慣とは裏腹に、支配的で一般的に受け容れられた定式化された経済学理論まったくなしで、丸一世紀も手をこまねいていたのです。

  ですからドイツ人からは、正統派の伝統から重要な形で逸脱するような、全体としての雇用と産出の理論を提示しても、イギリス人ほどの反発は出ないかもしれません。ではドイツの経済学的不可知論は克服できると期待してよいでしょうか? ドイツ人経済学者たちに、現代の事象解釈や現代の政策構築にあたって定式化分析だって何か重要な貢献ができると納得してもらえるでしょうか? というのも、理論を愛するのはドイツ的なことだからです。長年理論なしで暮らしてきたドイツ人たちは、どれほど飢えて渇いていることでしょうか! 私が試みる価値は十分にあるはずです。そしてドイツ人経済学者たちが、ドイツ固有の条件を満たすフルコースの理論を用意するにあたり、私がちょっとしたかけらでもあれこれ提供できるなら、私はそれで満足です。というのも告白いたしますと、以下の本はアングロサクソン諸国に存在する条件を参照しつつ、例示展開されているのですから。

  それでも、本書が提示しようとするのは経済全体としての産出の理論です。これは自由競争とかなりの自由放任主義の下で生産された、一定の産出の生産と分配の理論に比べれば、全体主義国の条件にずっと適合しやすいものです。消費と貯蓄に関する心理法則、借り入れ支出が物価や実質賃金に与える影響、金利の果たす役割――これらは私たちの思考方式でも、不可欠な要素として残っています。

  この場を借りて、我が翻訳者ヴェーゲル氏(彼による本書巻末の用語集が、目先の目的を超えて役に立つことを願っています)のすばらしい作業に敬意を表します。さらに出版社ダンカー&フムブロットにも感謝します。同社は十六年前に拙著『平和の経済的帰結』を刊行したときから、私がドイツの読者と接触を保てるようにし続けてくれたのでした。

J. M. ケインズ
1936年9月7日 <-- 24章  目次  フランス語版序文 -->

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