ページ

金曜日, 11月 22, 2019

ガリオア・エロア基金

【Front Japan 桜】均衡財政期の不都合な真実 / MMT VS 財務省[桜R1/5/10]

この図の背後に隠されている財務省のトリックが言及されるべきかも知れません
戦後の我が国財政の変遷と今後の課題 - 財務省 (Adobe PDF) 2015年


繰り返しになりますが財務省のこのグラフは意図的にガリオア・エロア基金(ドル建て
借金)を省略し、戦後日本が均衡財政の下、[自力で]経済復興したストーリーにしています

以下も同種の図
戦後1973年までのドル建て債務の存在が隠蔽されると共に
意図的に現在の日本が対外債権国であることが隠蔽されている

https://twitter.com/nak_jpn/status/1198377794285129728?s=21

戦前の日本は内需を大事にしなかったので開戦へ追い詰められた
平和裡に完全雇用を達成しないと戦争でそれを達成しようと資本家はする
MMTが必要なのだ
MMT(=平和裡の完全雇用)がないと戦争(=偽りの完全雇用)へと資本家が国民を追い立てやすくなる




ガリオア・エロア基金 がりおあえろあききん GARIOA FundEROA Fund

ガリオア基金Government and Relief in Occupied Areas Fundは、第二次世界大戦中からマーシャル・プラン実施までの時期に、アメリカが占領地(西ドイツ、オーストリア、イタリア、日本)と南朝鮮に行った援助のための基金。この援助では、占領地の統治と救済のために、飢餓、疾病および不安を防止するのに必要な消費物資が供給された。エロア基金Economic Rehabilitation in Occupied Areas Fundは、冷戦を背景に、アメリカの援助政策が資本主義諸国の経済復興と強化を目ざすようになったのに伴い、1948年から日本と南朝鮮に実施された援助のための基金。日本に対しては機械、原料などが供給された。両基金はアメリカの予算では区別されておらず、実施においてもその区別はかならずしも明確ではなかった。これらの援助の性格については争いがあったが、結局、有償ということになり、1961年(昭和36)返済交渉が妥結し、翌年に返済協定が締結された。返済総額は4億9000万ドル。[佐分晴夫]





ガリオア資金

ガリオア資金(ガリオアしきん)とは、 GARIOA (Government Appropriation for Relief in Occupied Area) 、占領地域救済政府資金のこと。
第二次世界大戦が終わると、アメリカ軍占領地の疾病や飢餓による社会不安を防止し、占領行政の円滑を図るためアメリカ政府がオーストリア等の占領地、そして旧敵国の占領地である日本と西側ドイツに対して陸軍省の軍事予算から支出した援助資金である。例外として朝鮮にも割り当てている。
この資金は、1947年度からは正式に陸軍省予算から計上され、1951年度まで続いた。一般的に、食糧肥料石油医薬品など生活必要物資の緊急輸入という形で行われ、これらが国内で転売換金されることで資金としての性格を持った。
なお、1946年7月よりSCAPINによる陸軍救済計画として実施された支出については、後にプレ・ガリオア資金と呼称され、返済等についてガリオア資金と同等の扱いをうけた。


西ドイツでは、1948年7月のアメリカとの協定で見返り資金[1]として利用することを義務付けられた。特にガリオア資金の場合、別勘定とすることは資金を被援助国の債務として保全する意味も持った。一方日本では、当初は貿易資金特別会計[2]に繰り入れられ、貿易の補助金として日本政府の裁量で運用されていたが、1949年からはドッジ・ラインの枠組みの中で西ドイツと同様に見返り資金としての計上を義務付けられた。
対日援助額は、1946年度から1951年度までの累計で16億ドル弱であり、占領地域経済復興資金 (EROA, Economic Rehabilitation in Occupied Area) と合わせて18億ドルである。
西ドイツは、1953年に33.178%の返済率のもとで資金返済に関してアメリカと協定を調印した。日本は、アメリカとの断続的な交渉の上で、1962年に西ドイツの返済率にならって約5億ドルの返済協定を調印した。

脚注編集

  1. ^ 独立の勘定として計上され、利用にはアメリカ政府の承認が必要とされる資金
  2. ^ 貿易庁が設置した特別会計

参考文献編集





https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%82%A2%E8%B3%87%E9%87%91
エロア資金(エロアしきん)とは、占領地域経済復興資金 (EROA Fund:Economic Rehabilitation in Occupied Area Fund) のことである。
救済的政策を付与されたガリオア資金と共に、第二次世界大戦終結後、アメリカ合衆国政府の軍事予算より拠出された。経済復興を目的としたため、石炭鉄鉱石、工業機械など生産物資の供給のために充当された。

内容編集

エロア資金は、1949アメリカ会計年度から日本韓国琉球などに適用された。日本においては綿花羊毛などの原料購入に充てられた。政府はこれらの原料を国内業者に売却し、その代金は見返り資金として蓄積。通貨安定などのために用いられた。
サンフランシスコ講和条約の成立に伴い、1951アメリカ会計年度をもって資金の供給は終了。援助総額は、ガリオア資金と合わせて18億ドル以上(当時の為替レートは1ドル=360円)とされる。援助開始時には無償とされたが、1948年1月、アメリカは突如として日本に対し返済を要求した。日本はこれに反発し、1954年以来、日米間で交渉が行われた。しかしアメリカは西ドイツと同じ返済方式(債務総額の37.5%を返済)を採ることを主張し、両者の議論は平行線上を辿った。
交渉開始から7年後の1961年6月、返済額4億9000万ドル、返済期間15年、年利2.5%の条件で妥協案が成立。翌1962年1月9日、外相小坂善太郎と駐日大使エドウィン・O・ライシャワーとの間で返済協定が調印された。この債務は、1973年に前倒しで完済。返済金の一部は日米教育文化交流計画に、大部分は低開発地域援助に充てられた。

関連項目編集

外部リンク編集

4 件のコメント:

  1. ‪ガリオア資金は最終的に見返り資金として独立の勘定として計上…‬
    ‪https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%82%A2%E8%B3%87%E9%87%91‬
    ‪エロア資金は、1973年に完済。返済金の大部分は低開発地域援助に充てられた…‬
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%82%A2%E8%B3%87%E9%87%91
    ‪日米両政府の資金繰りは別会計かつODA?に転化したので政府も日銀も(つまり統合政府は)共に無自覚でこの時期の均衡財政神話が完成しました

    返信削除
  2. ‪ガリオア資金は見返り資金という独立の勘定として計上…‬
    ‪https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%82%A2%E8%B3%87%E9%87%91‬
    ‪エロア資金は1973年に完済、返済金の大部分は低開発地域援助へ…‬
    ‪https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%82%A2%E8%B3%87%E9%87%91‬
    ‪日米両政府の協定は別会計かつODA?に転化したので今の政府も日銀も(=統合政府)共に無自覚でこの時期の均衡財政神話が完成する

    返信削除
  3. 要するに戦後日本が借金で成長したことがなかったことにされている
    朝鮮戦争のおかげとはよく言われるが

    返信削除
  4. ‪要するに元手がなければ経済成長は出来ず、その元手は今もなお「借金」だということです‬
    ‪国際的に過大な賠償金がナチスを生んでしまったことへの反省がこの時期はまだ生きていた‬
    ‪財務省のグラフではそうした歴史的事実が隠蔽されてしまう‬

    返信削除