ソーントンとバジョットの中央銀行論:本文
経済学史学会関東部会 共通論題「ソーントン『紙券信用論』200年と貨幣経済学」2005.3.19
ソーントンとバジョットの中央銀行論
大黒弘慈
ここでは、ソーントンから地金論争、通貨論争をへてバジョットまでの期間を主に意識したうえで、各論者の主張を整理しながらソーントンの理論的貢献をあらためて浮き彫りにするという方法をとりたい。ただ理論的には、ヴィクセル、ケインズとのつながりよりは時代的により近いマルクスとの関係を重視し、さらに1939年に序文を付して『紙券信用論』をリプリント、さらにバジョットの『ロンバード街』を高く評価した「自由銀行主義者」ハイエクを相対的に強く念頭に置くことにしたい。
ところでハイエクが、バジョットの『ロンバード街』を自由銀行主義者の立場から高く評価したのとは裏腹に、ケインズもまた中央銀行の分析として同書を高く評価したのであった。ハイエクとケインズから同時に評価されるということ自体、バジョットが一筋縄では行かないことを予感させるが、ソーントンもまた、ハイエクからリカードの先駆者として通貨主義的に評価されると同時に、ヒックスからはケインズ、ロバートソンの先駆者として銀行主義的に評価される。こうした二面性は偉大な経済学者に通有のことかもしれないが、これを先駆者が蒙らざるをえなかった二面性として簡単に片付けるのではなく、その二面性を独自に折り合わせようとするところにその理論的特質を読み取とる努力は手放されるべきではない。
1.バジョットの「二重性」
1.1 自由銀行論と中央銀行論の「両論併記」
バジョットが『ロンバード街』で、自由銀行制度(多数準備制度)を評価すると同時に、そうした「革命」は実際には不可能で、中央銀行制度(単一準備制度)を前提に、その「緩和剤」を考案するしかないとしたことは注意を要する。ここにはイングランドの国家構造だけでなくイングランド銀行に対してもまた「最も不敬な帰依者」として振舞うバジョットの基本的な二重性を認めることができるのかもしれない。ただしそれ以前に、バジョットが分析の焦点にすえるイングランド銀行の銀行部支払準備金そのものに、ある種の「二重性」が刻まれていることが重要である。
1.2 銀行部支払準備金の「二重性」
バジョットは、1844年のピール条例以来ロンバード街はかなり変化したので、もっぱら「ピール後」に議論を限定し通貨論争には触れない旨説いている。しかし、これはイングランド銀行の二部局分割制をそのまま追認し、銀行券の発行につては視野の外に置き、銀行部の役割にのみ注目するということではない。
1844年に成立した二部局分割制をあくまで前提し、イングランド銀行の準備金を発券部の金準備に矮小化して、この準備をもっぱら兌換請求に対する準備として解釈するのが、通貨主義の考え方といえよう。通貨主義は、二部局分割制を提唱することで、実は発券レベルにおいては発券の集中=自動化、預金レベルにおいては自由競争化を促し、総体として発行額を調整する中央銀行としての責務を事実上放棄したといってよい(これは自由銀行主義者ハイエクが通貨主義に親近感を示すことを示唆するものでもある)。
それに対してピール条例以前の1830年代に現れたパーマールールは、まだ二部局に分割される前であったこともあり、金準備が、発券制度の準備と信用制度の準備にまたがってあることが理解されていたと思われる。兌換維持のためにはこの減少を容認するわけにはいかず、かといって信用制度の準備としてはこれを減少させてでも信用供与をしなければならない、という矛盾を調整する金融政策が必然的に指向される。
これに対してバジョットは、二部局分割制で発券業務が切り離されたからといって、銀行部からその性格がすぐさま消失するわけではない、と考えているように思われる。つまり銀行部の保有する銀行券はいまだ発行されざる「未発券」の銀行券であり、本質的には銀行部がその額だけ金を保有していると見ることもできる。いわば銀行券形態で保有されていても銀行部の準備金は、事実上「金準備」に等しいというわけである。バジョットは、銀行部の準備金にまで持ち越された準備金機能の二重性を指摘することによって、銀行支払準備金に固有の二重性を認識することができたともいえる(≒新しい本体の出現によってそれまでの本体が外形に転じても〈外形(威厳ある部分)/本体(機能する部分)〉という形式は維持され時代に適応していうという、国家論における「バジョットの法則」)。
さらに1844年以来ロンバード街の国際的環境の変化を背景に、国内パニックと金の対外流出に際していかに正貨を補給するかということを考察することによって、別の角度から準備金の二重性を指摘することも忘れない。バジョットの視線は、イングランド銀行銀行部の支払準備金の上に折り重なった発券制度の準備と預金制度の準備との両機能の矛盾にこそ注がれており、さらに国際的環境の変化を背景に国際支払準備機能もまたそこに折り込まれることで準備金機能の輻輳性の認識にいたる。バジョットの次の言葉をやはり忘れるべきではない。
「われわれは…一般に紙幣と現在これを規制する1844年の条例とに言及することなくしては、ロンバード街の構造をもほとんど考察することができないことになっているのであって、その点では今なおかの論争[通貨論争]の残滓の中にいるわけである」(訳92頁)。
2.ソーントンの「二重性」
2.1 矛盾する評価
ソーントンもまた、マルクスからリカードの『地金高価格論』の未熟な形態と見なされると同時に、ハイエク・リストからはリカードを凌ぐ古典派信用論の貢献者と評価され、さらには、シュムペーター・ブローグから自然利子率と市場利子率との乖離から生じる不均衡累積過程を説いたヴィクセルの先駆とされると同時に、ヒックスからは、ケインズに先駆けて短期及び短期と長期との関連を探った人物という評価を受けるというように、相互に矛盾した評価がなされているように見える。
またスミスとの関係では、ソーントン自ら「スミスの原理」(真正手形原理)を否定し、「還流法則」を軽視し、「流通必要量法則」概念を批判していることから、スミスを銀行主義の先駆と認識することの裏面として、ソーントンは通貨主義の先駆(地金主義)と規定されやすい。しかしソーントンは、金・中央銀行券のみならず、地方銀行券あるいは商業手形の独自の流通領域を踏まえることで通貨主義に収まらない射程の広さをもっている。少なくともソーントンをスミスからリカードにいたる古典派信用論の「狭隘化」を決定づける「媒介環」(玉野井)として両者の間に埋没させてはならず、信用貨幣の価値表象流通とは異なる点を認識しえていた点を正当に評価する必要がある。またソーントンは、信用貨幣の意義を実体から乖離させることなく、流通と生産との作用-反作用を探ることのうちに、市場の自動調整作用によって適性貨幣量は自然に達成されるのではなく、イングランド銀行のそのつどの調整を介さざるを得ないとの認識を引き出していると思われる。
2.2 真正手形原理の否定(商業手形と銀行券)
ソーントンは商業手形を、流通手段(紙券信用)としては銀行券と同格と見なした上で、もっぱら債務保証力の高低という視点から両者を区別している。商業手形の保有は貨幣性(流動性)の消失のためになされるはずだが、ソーントンにおいては、貨幣性(流動性)を保持したまま利子取得のためになされるということになってしまう。流通速度の遅速という程度上の差異に両者は還元されてしまうわけである。しかし商業手形は、より信用の確実な銀行券に対して割り引かれるという「便益」を根拠に「過剰に」保有されることを認め、空手形(融通手形)もまた割引による資金調達を目的とし「割り引かれる物」という性格を持つことにおいては真正手形と異ならないとして、真正手形原理を疑問視する点は重要である。
しかしスミスもまた、真正手形原理を単純に受容していたわけではないように思われる。たとえばグラスナーによれば、スミスは真正手形原理に基づいて事前的に流通必要量に銀行券を留めようとする試みが失敗するにもかかわらず、還流法則によって事後的には必ず流通必要量内に収まるという「予定調和」を主張したかったわけではない。還流法則がよういに破られるにもかかわらず、いやそうであるが故に、事前的には、手元現金(レディマネー)に該当する部分に限り真正手形を割り引くという短期金融原理(doctrine≠law)を採用せざるを得ない、ということを言おうとしたのである。
しかし、スミスの場合には、手形取引・銀行券が手元現金を超える可能性が踏まえられておらず、また準備金の複雑な性格を押さえていないために、もっぱら個別銀行の立場から経営上の指針が説かれるだけで、準備金の諸種の機能の間の調整を通すことによって、適正貨幣量の調整を果たす中央銀行本来の機能は積極的に展開されないように思われる。ソーントンがなぜスミスの「真正手形原理」を取りえなかったのか、なぜ「還流法則」を取らずに銀行券量の時宜に応じた裁量的調整に意を用いたのかが思い合わされる。
2.3 発券拡張と発券収縮との「矛盾」
ソーントンは、兌換が起こる時は常に銀行券は過剰に流通しているというスミスを批判し、兌換に際してイングランド銀行の採るべき措置が同銀行券の縮小に限られるべきではなく、場合によってはイングランド銀行券を余計に放出する措置さえ必要であるという。この一見逆説的な主張は1793年と1797年の二度の恐慌に基礎にしている。これらの事実が示すことは、金流出は銀行券の過剰発行からだけでなく、凶作や戦費調達といった偶発的事情によっても起こるし、また国際的取り付けだけでなく、銀行券不信によるギニー貨の国内需要増大つまり国内的取り付けによっても起こりうるということである。
したがって1797年銀行制限条例発令後の兌換免除による増発は、(イングランド銀行券に十全なる「貨幣性」が認められる以上は)ギニー貨の流出ないし退蔵を埋め合わせる機能を果たしていると見うるのであり、銀行券発行高の増大は金流出の原因ではなく、むしろ結果であると解釈できるのである。
ところが、『紙券信用論』の8章から、ソーントンは以上の見解とは全く逆の主張を展開しているように見える。すなわち、地金の高い価格と為替下落とは銀行券の過大な発行を摘発し抑制するための徴標をなす(訳275-277頁、以下頁数のみ)というのである。これは『紙券信用論』のあと地金論争に際して、ソーントンが地金委員会の一員として、過剰発行の弊害と兌換再開の緊急性を説く側に回るという事実とはたしかに符合する。
しかし、ここでソーントンは、銀行券を単に流通手段と見なし、鋳貨および政府紙幣と同一視していると解釈してよいのか(①)。また、それ以前に、為替下落を一時的な貿易収支の悪化に求め発券拡張の緊急性を説く前半と、為替下落の原因を発券過剰に求め発券収縮の緊急性を説く後半の、この二つの主張を単なる矛盾と捉えてよいのか(②)。
②については、執筆期間が長きにわたり、前半と後半が、兌換停止前と後に分かれているという事情に由来していると解釈することもできる。しかしソーントンは全体にわたって首尾一貫した思想を持ち続け、つねにそれに言及することを忘れない点が看取できる。すなわち、兌換停止法更新を正当化する第5章で、同じ為替相場下落でも、一時的なもの(戦費支出や穀物不作)と長期的なもの(過剰発行)があるのだから、両者の区別を見ずに、一律に発券の収縮・拡張を主張することには限界があると説くのである(147)。「金の払底は、それ自身一つの害悪ではあるが、より重大な害悪を阻止しうるし、一定の事情では利益をもたらすこともありうる」(148)ので、一時的な貿易収支の悪化から生じた為替相場下落に際しては、金を海外に流出させ収支改善をはかることで、為替と通貨価値のそれ以上の下落を阻止した方がよい。埋め合わせは紙券発行の増加で補える。
2.4 イングランド銀行券と政府紙幣アシニア(還流法則の否定)
また①については、一方で銀行券と政府紙幣との混同を積極的に認めながら、他方でアシニア紙幣とイングランド銀行券との相違点を問題にしていることが注目される。ソーントンによれば、アシニアは、究極的には価値の高低を数量増減に帰することができるのに対して、イングランド銀行券の場合は、その価格こそ数量によって変動を被るが、その真の価値は数量によっては変わらず、高い信頼によってつねに良好である(255)。この区別があればこそ、イングランド銀行券は必要以上の量は決して保有されないと指摘しえたのだと考えられる。
しかし究極のところでアシニア紙幣との区別を示さず、曖昧に両者を「紙券」と括ってその過剰発行の起こりやすさと、価格騰貴をはじめとする諸種の悪影響についてソーントンは論じるのだが、それにはそれなりの理由があると思われる。
イングランド銀行券は、正貨支払を停止された不換制のもとでもその支払手段(債務性)としての本質を喪失するわけではないが、所得流通においては流通手段(通貨性)として政府紙幣とその命運を共にする。ことに不換制においてはその傾向は著しいと考えてよい。だから政府紙幣の過剰発行によって価値下落が生じた際には、それにともなってイングランド銀行券も、いわば連帯して価値下落せざるをえない。このときイングランド銀行券の特殊性のみを見て、貸付-返済による順調な「還流法則」に信頼を寄せることは、かえって過剰発行による物価騰貴を煽ることにさえなりかねない。ここにこそ、ソーントンが信用貨幣を画する「還流法則」に触れず、イングランド銀行の準備金を通したそのつどの発券調整にあえて信頼を寄せた理由があると思われる。銀行制限時代において銀行券はいよいよ不換政府紙幣に本質転化しかねず、物価騰貴が恒常的に進行しかねない。こう考えると、ソーントンがなぜ不換制あるいは「純粋紙幣本位制」の存続を認めることができず、兌換再開に最終的には傾いたのかが見えてくるのではないだろうか。
さてこのように見てくると、ソーントンは決してイングランド銀行券を流通手段機能に押し込めて政府紙幣とただ混同していたわけではないことがわかる。というのもイングランド銀行券は、兌換停止下ではことに、流通手段としてある一定の「流通必要量」(⇔過剰)を超える傾向があるから、これに対しては、イングランド銀行が責任をもって発券制限の任に当たり、紙券価値低下の防止に努めなければならない。他方、イングランド銀行券は、支払手段としてはその下限としての「流通必要量」(⇔不足)をもっており、その大幅な収縮はかえって紙券価値低下をもたらすことにもなりかねないから、これに対しては「流通必要量」を割り込まないように意を用いなければならない。ソーントンはこの両者に目を配っているからであるが、しかも両者をイングランド銀行は時期に応じてこもごも使い分ければよいといっているだけではなく、つねに両面に気をつけなければならないというのである。
「われわれは最近二つの危険の間におかれている。すなわち、一方の側には価値の低落した紙券通貨という危険があり、他方の側にはわが国の紙券通貨の梗塞、ひいてはわが貿易と製造工業の停頓という危険があって、その間に挟まれているのである」(247)。
ソーントンは、イングランド銀行券の流通手段と支払手段への分岐、またロンドン流通と地方流通への分岐という、機能ならびに流通領域をめぐる政府紙幣との相違を検討することの結果として、イングランド銀行券が諸種の「流通必要量」のはざ間で適正に調整される必要があるという認識を引き出し(通貨の過剰と資金の不足)、その権限と責任をイングランド銀行に求めたとも解釈できるのである。もとよりソーントン自身に「流通必要量」という明確な概念規定はないのであるが。
3.準備金を巡るソーントン、マルクス、バジョット
3.1 「ソーントンの教訓」
ヒックスは、「ソーントンの教訓」がバジョットにも見出されるとして次のように言う。「バジョットは明示的に言っている。『パニックに対する最善の緩和剤は、適切な銀行準備額とその準備の効率的な使用の信頼である。』これは、疑いなく、ソーントンが述べたのとほとんど同じことを意味している。ソーントンが関心を持っている銀行機構が単純であるために、彼がその教訓の基礎に置いている原理はバジョットよりも明らかに現れる、と私には思われる」(『貨幣と市場経済』訳119頁)。少なくとも明示的には準備金に関して多くを語らないソーントンであるが、ヒックスの上の言葉をいかに理解すべきであろうか。
3.2 「全資本制信用の軸点」(マルクス)
ところでマルクスは、金属による制限の廃棄の努力と、それにもかかわらず繰り返しこの制限に頭をぶつけざるを得ないこととの間に存する資本制の「矛盾と背理」を、ことに中央銀行の準備金のあり方のうちに求めたのであった。この金準備こそが中央銀行の、そして全資本制信用制度の「軸点」をなすと同時に、相互に相反する「使命」を併せ持つからである。マルクスによれば準備金の「使命」は三重であり、また相反する二重の「作用」をもつ。第①にそれは「国際的支払準備金」という形態をとる。それは不意の不利な貿易差額を抹消するために機能し、一般的には「拡張」の要請を受ける。第②にそれは「鋳貨準備金」という形態をとる。それは国内の支払手段ないし流通手段のための規則的な準備金として機能し、一般的には最低限度へのできるかぎりの「収縮」の要請を受ける。第③にそれは「預金払戻・兌換準備金」という形態をとる。それは不意の異常な金の国内需要に応じるために機能し、一般的には「拡張」の要請を受ける(『資本論』3巻5編35章)。
マルクスは、こうした諸種の機能がただ一つの準備金に負わされることによって複雑さがその度を重ね、ここに資本制に不可避の「矛盾と背理」が集約的に現れることを指摘したのであった。たとえば①と②③との間には国際金融と国内金融の矛盾が、②と③①の間には長期と短期との矛盾が、③と①②の間には信用と貨幣との矛盾が存在するというように。しかも各カテゴリーは必ずしも相覆う関係には無い。こうしたことが準備金の使命が三重でありながら、相互に相反する二重の機能を持つということの意味であろうと思われる。これはバジョットによって認識されたイングランド銀行銀行部の準備金の複雑さとほとんど等しい
3.3 「クッション」としての準備金
翻って、ソーントンの場合はここに次のような事情を読み取ったのではないか。たとえば、最初凶作による海外からの穀物輸入によって、イングランド銀行は金準備から多量の支払に応じなければならなかったが(①>②③)、その後、国内ギニー貨の枯渇にも遭遇し、さらに大量の兌換準備の流出に対応しなければならなかった(③>②)。こうした認識の背後にあるのは、はじめにいかなるカテゴリーに準拠して両者の調整を図ろうとしても(例えば国際金融①/国内金融②③)、事後的に必ず二次的な問題が出てきてしまい(例えば長期②/短期③①)、調整があとからあとから数珠繋ぎ的に要請されるという分析であろう。
もちろん準備金の複雑さを明確に認識していたバジョットと違い、ソーントンの時代は
イングランド銀行の金準備は僅かしかなかったかもしれないし、ソーントン自身も「十分な金蓄積はイングランド銀行によっていまだかつて準備されたことはなかったし、またありえないだろう」(90)と述べている。だからソーントンの場合は、流通速度の変化に応じて受動的に準備金が増減することに主眼があり、金融危機に対処するための準備金をめぐる詳細な展開に乏しいということもできる。しかし、鋳貨需要上の変動に対する準備金だけでなく、不意な貿易差額の結果を抹消するための準備金、何らかの異常な内国需要を充たすための準備金としての機能をも果たすべく、イングランド銀行は大量の金の貯蔵所として機能しなければならないと他方で明確に述べる(91)。
このように見てくると、ソーントンは発券調整に関する直接的な分析だけでなく、その背後に、準備金を通したイングランド銀行の裁量的な調整ないし管理の可能性を潜在的に探ろうとしていたとも思えるのである。
1825年の最初の循環性恐慌以前の制度的にまだ未熟な時代、確固たる制度によって保証される定型的な産業循環と金融政策をまだ知りうる以前に、ソーントンは、不測の事態に対処しうる市場を調整する金融制度を、準備金のうちに見出そうとしていたのかもしれない。しかし、準備金が諸種の外的な衝撃を吸収し、衝撃の二次的波及を最小限に食い止める「クッション」(ヒックス)の役割を果たすということは、逆にいえば、準備金をかなめに据える出力系が入力系ほど弾力的ではないということである。こうした目的―手段系列の跛行性を認識していたからこそまた、ヒックスは「自動的に円滑に機能を果たすクッション」はなく、「せいぜい適切な時には使い、不適切な時には使わないという勇気と技量をもつ人々」(『貨幣理論』257-258)の存在が必要だと、付け加えることを忘れなかったのだとはいえないか。ヒックスがソーントンに即して語った、この準備金をめぐる金融政策主体の分析は、「愚鈍性」「活力ある中庸」(アリストテレス)を強調するバジョットにこそ似つかわしいというべきかもしれない。しかし「ソーントンの教訓」の明晰さによって、バジョットの準備金分析の複雑さを決して犠牲にしてはならず、むしろソーントンはそれを未熟な形で先取りしていたと評するべきだろう。むしろバジョットも警鐘を鳴らすように、準備金をフラットに捉え、すべてを市場の自動作用に任せる自由銀行主義(通貨主義)の陥穽をこそ注意すべきであろう。
まとめ -市場と生産の相互作用-
ソーントンは、流通必要量を満たさない間は、短期的な信用増加が物価騰貴をもたらすことなく、実物的拡張を促進することを指摘する(97-105)とともに(通貨主義批判)、借り手の「節度と自制」をこえた過剰発行の危険性にも警鐘を鳴らす(銀行主義批判)。割引率(高金利法により当時は5%以下)が正常利潤率を下回るかぎり、借入需要が止まないことによって、いかに実需を反映した信用とはいえ、その自動的拡張は内在的歯止めをもたないからである。もとより機械的ルールに頼るわけにはいかないが、かといってあらゆる時に銀行券量を思うように制限できるわけでもない(289-290)。というのも、貸付額の変化と紙券量の変化とはつねに食い違いが生じてしまうからだが、これに対してソーントンは、ある程度の変動を認めたうえでの規定金額に限定した上で、調節を「週ごとに」行なうことこそが有効だという。そうしてこそ、由々しき事態が起こる前に、「不可避の不完全さ」を修正する機会が提供されるからである。管理が全面的ではなく、裁量的でなければならない所以であろう。
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