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MMTで、何をして何が利益を生むと想定しているのですか?
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2020/2/311:06:17
「経済をよくする」ということの意味なんですが、
例えばランダール・レイなどは「経済成長を目標とすることには
意味がない」といっています。これは経済成長自体に
意味がない、といっているわけではないですよ。
雇用が安定すれば、おのずと経済成長はします。
ですが、経済成長しているからといって、
雇用が安定し、国民生活が豊かになっているとは限りません。
ましてや目標として経済成長率を掲げることには
何の意味もない、ということです。
そもそも経済成長や景気回復を政府がなぜ目指すのか、
といえば、大きな理由の一つは雇用を安定させることです。
しかし、MMTの理屈に従うなら、
政府は、何も民間の雇用の拡大をしなくても
政府自身が、貨幣を生み出して、直接雇用をすれば
それでいいわけです。景気回復など
民間の企業部門に任せればいいわけです。
(ただし、「利潤の入れ物」とでもいうべき金融資産を
政府は提供することが必要になります。「利潤」とは
企業の収入と費用の差額ですが、これは何らかの
「金融資産」という形をとることが必要です――企業にとって
実物資産とは、費用の繰り延べにすぎないので――。そして
企業や家計の発行する金融資産(発行者自身にとっては
負債)は、その決済の性格上、必ず、上限があります。
ですから政府・中央銀行が債務(国債・ベースマネー)を
発行して、企業部門が利潤を獲得するための「形式」というのか
「入れ物」を提供することが必要になります。)
政府にとって必要なことは、実物面で言うと、
国民生活の安定に必要だけれど、民間の営利企業によっては
供給されない財やサービスを過不足なく提供することと
雇用を維持することです。常に完全雇用が維持されれば
家計支出も安定します。政府支出と家計支出を
安定させることで、企業の需要見通しも
明確になり、投資と、民間部門の雇用も
安定することでしょう。もちろん、営利企業は
常にイノベーションを行って利益拡大に努めています。
ですから、企業の投資が完全に安定することはあり得ませんし、
こうした企業の活動が世の中を進歩させている面があることも
否定できませんから、政府は企業のイノベーションを促進する
政策をある程度とることはあってもいいと思います。
ですが、注意しなければならないのは、
"too big to fail" 「大きすぎてつぶせない」といった
事態を招いてはならない、ということです。投資はリスクが
つきものです。過剰な投資をした企業は自己責任を
取らせるべきで、政府がいたずらに救済したり、
政府支出を拡大することで、需要を刺激するべきでは
ありません。むしろ、巨大企業であろうと何だろうと、
投資が失敗したら、そのリスクは自分でとらなければなりません。
その結果、大きな失業が発生したり
連鎖倒産が発生することもあり得るでしょう。これについては
政府が民間で失業した人をすべて直接雇用し、
後は累進税制や既存の繰延欠損制度で対応すべきであり、
いたずらに救済や景気刺激を図るべきではない、
というのがMMTの主張です。
もしもこうした事態を目の当たりにして、
政府が財政支出を急拡大して景気を刺激しようとすれば
まずは巨大企業は救われるかもしれませんし
最初は景気も維持できるかもしれませんが、
それは無駄な投資と支出を正当化することになり、
本来責任を取るべき経営者の
所得を守り(しかし経営が悪化した企業は、末端の労務者を
解雇することでしょう)、所得・資産格差を拡大し、
経営者のモラルハザードを促進し、次の過剰投資を
引き起こし、経済的資源・自然環境資源を
浪費することにつながるでしょう。
このような民間営利企業の過剰投資によって先導される
景気回復は、たとえ好況だとしても、
MMTにとって「よい経済」ではありません。
むしろ、安定した政府支出と、完全雇用によって裏打ちされた
安定した家計支出をベースに安定した投資を企業部門が
行うことで、景気の振幅が少ない経済を
MMTでは「よい経済」と考えています。
しかし、政府が民間部門で雇用されなかった人たちを
直接雇用する、と言っても、そうした人たちに
何をしてもらうべきでしょうか。
MMTでは、金を出すのは中央政府だが、
具体的な業務内容については、市町村レベルの
自治体、あるいはNPOが担うとしています。
結局のところ、地域で必要なパブリック・サービスを
提供する、ということになります。
これは、自分たちの住んでいる地域でどのような
パブリックサービスが必要なのか、を
その地域住民たちが自分たちで考えることを意味しています。
要するに、どのような経済が良いのか、
企業や一部の富裕層ばかりが豊かになる「経済成長」や
「国家の繁栄」などというスローガンではなく、
自分たちの生活は自分たちが守り、発展させてゆく、
そのためにはどうしたらいいのか、巨大企業や
巨大金融機関の気概に左右されるのではなく
地域社会の住民や、地域に根差した企業が、
自分たちで考え、行動する、
こうした自己決定を、身近な範囲から実現できる社会、
MMTerの代表的存在であるレイやティモワーニュの先生であった
故ハイマン・ミンスキーという人の言葉で言えば
「キャピタル・デベロップメント」を可能にする社会、
そうした社会を支えることのできる経済、
それがMMTにとっての「良い経済」になります。
山本さんがどの程度その辺のことを理解しているのか
分りませんが、MMTというのは、そうした含意を持っている
議論だ、ということです。
例えばランダール・レイなどは「経済成長を目標とすることには
意味がない」といっています。これは経済成長自体に
意味がない、といっているわけではないですよ。
雇用が安定すれば、おのずと経済成長はします。
ですが、経済成長しているからといって、
雇用が安定し、国民生活が豊かになっているとは限りません。
ましてや目標として経済成長率を掲げることには
何の意味もない、ということです。
そもそも経済成長や景気回復を政府がなぜ目指すのか、
といえば、大きな理由の一つは雇用を安定させることです。
しかし、MMTの理屈に従うなら、
政府は、何も民間の雇用の拡大をしなくても
政府自身が、貨幣を生み出して、直接雇用をすれば
それでいいわけです。景気回復など
民間の企業部門に任せればいいわけです。
(ただし、「利潤の入れ物」とでもいうべき金融資産を
政府は提供することが必要になります。「利潤」とは
企業の収入と費用の差額ですが、これは何らかの
「金融資産」という形をとることが必要です――企業にとって
実物資産とは、費用の繰り延べにすぎないので――。そして
企業や家計の発行する金融資産(発行者自身にとっては
負債)は、その決済の性格上、必ず、上限があります。
ですから政府・中央銀行が債務(国債・ベースマネー)を
発行して、企業部門が利潤を獲得するための「形式」というのか
「入れ物」を提供することが必要になります。)
政府にとって必要なことは、実物面で言うと、
国民生活の安定に必要だけれど、民間の営利企業によっては
供給されない財やサービスを過不足なく提供することと
雇用を維持することです。常に完全雇用が維持されれば
家計支出も安定します。政府支出と家計支出を
安定させることで、企業の需要見通しも
明確になり、投資と、民間部門の雇用も
安定することでしょう。もちろん、営利企業は
常にイノベーションを行って利益拡大に努めています。
ですから、企業の投資が完全に安定することはあり得ませんし、
こうした企業の活動が世の中を進歩させている面があることも
否定できませんから、政府は企業のイノベーションを促進する
政策をある程度とることはあってもいいと思います。
ですが、注意しなければならないのは、
"too big to fail" 「大きすぎてつぶせない」といった
事態を招いてはならない、ということです。投資はリスクが
つきものです。過剰な投資をした企業は自己責任を
取らせるべきで、政府がいたずらに救済したり、
政府支出を拡大することで、需要を刺激するべきでは
ありません。むしろ、巨大企業であろうと何だろうと、
投資が失敗したら、そのリスクは自分でとらなければなりません。
その結果、大きな失業が発生したり
連鎖倒産が発生することもあり得るでしょう。これについては
政府が民間で失業した人をすべて直接雇用し、
後は累進税制や既存の繰延欠損制度で対応すべきであり、
いたずらに救済や景気刺激を図るべきではない、
というのがMMTの主張です。
もしもこうした事態を目の当たりにして、
政府が財政支出を急拡大して景気を刺激しようとすれば
まずは巨大企業は救われるかもしれませんし
最初は景気も維持できるかもしれませんが、
それは無駄な投資と支出を正当化することになり、
本来責任を取るべき経営者の
所得を守り(しかし経営が悪化した企業は、末端の労務者を
解雇することでしょう)、所得・資産格差を拡大し、
経営者のモラルハザードを促進し、次の過剰投資を
引き起こし、経済的資源・自然環境資源を
浪費することにつながるでしょう。
このような民間営利企業の過剰投資によって先導される
景気回復は、たとえ好況だとしても、
MMTにとって「よい経済」ではありません。
むしろ、安定した政府支出と、完全雇用によって裏打ちされた
安定した家計支出をベースに安定した投資を企業部門が
行うことで、景気の振幅が少ない経済を
MMTでは「よい経済」と考えています。
しかし、政府が民間部門で雇用されなかった人たちを
直接雇用する、と言っても、そうした人たちに
何をしてもらうべきでしょうか。
MMTでは、金を出すのは中央政府だが、
具体的な業務内容については、市町村レベルの
自治体、あるいはNPOが担うとしています。
結局のところ、地域で必要なパブリック・サービスを
提供する、ということになります。
これは、自分たちの住んでいる地域でどのような
パブリックサービスが必要なのか、を
その地域住民たちが自分たちで考えることを意味しています。
要するに、どのような経済が良いのか、
企業や一部の富裕層ばかりが豊かになる「経済成長」や
「国家の繁栄」などというスローガンではなく、
自分たちの生活は自分たちが守り、発展させてゆく、
そのためにはどうしたらいいのか、巨大企業や
巨大金融機関の気概に左右されるのではなく
地域社会の住民や、地域に根差した企業が、
自分たちで考え、行動する、
こうした自己決定を、身近な範囲から実現できる社会、
MMTerの代表的存在であるレイやティモワーニュの先生であった
故ハイマン・ミンスキーという人の言葉で言えば
「キャピタル・デベロップメント」を可能にする社会、
そうした社会を支えることのできる経済、
それがMMTにとっての「良い経済」になります。
山本さんがどの程度その辺のことを理解しているのか
分りませんが、MMTというのは、そうした含意を持っている
議論だ、ということです。
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