中野剛志「酸素吸入器付き資本主義」に導くコロナ危機 | コロナショックの大波紋 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
2020/04/21
https://toyokeizai.net/articles/amp/3445062020/04/21
「酸素吸入器付き資本主義」に導くコロナ危機
「戦時経済」「長期停滞」の先にある社会主義化
コロナ危機で、各国の経済政策は戦時統制経済のように変貌したが……
コロナ危機で各国政府は大規模な財政支出を行っている。今後は、どの国でも公的部門の役割がより大きい経済構造にならざるをえないことが予測される。このような事態の先に何があるのか。
著書『富国と強兵:地政経済学序説』で、今回の事態に先んじてポスト・グローバル化へ向かう政治・経済・軍事を縦横無尽に読み解いた中野剛志氏が論じる。
著書『富国と強兵:地政経済学序説』で、今回の事態に先んじてポスト・グローバル化へ向かう政治・経済・軍事を縦横無尽に読み解いた中野剛志氏が論じる。
「戦時経済」とは似て非なるものか
今回の新型コロナウイルス感染症のパンデミックが引き起こした危機(コロナ危機)により、各国の経済政策は、戦時統制経済のような姿に変貌した。
例えば、トランプ・アメリカ大統領は自らを「戦時下の大統領」と評し、マクロン・フランス大統領は「これは、戦争だ」と連呼した。
実際、各国では、軍が動員されているし、病院は野戦病院の様相を呈している。外出制限は、まるで戦時下の戒厳令のようだ。
アメリカ政府がGMに人工呼吸器の増産を命じた際の根拠法となったのは、朝鮮戦争時に制定された国防生産法である。
IMF(国際通貨基金)のブログは、4月1日、「戦時下では、軍備への莫大な投資が経済活動を刺激し、特例措置によってエッセンシャルサービスが確保される。今回の危機では事態はより複雑だが、公共部門の役割が増大するという点は同じである」と述べた。
今回のコロナ危機に対する経済政策は、戦時経済に非常に近いというのは間違いない。しかし、次の2点が大きく異なる。
第1に、戦時経済では、政府は国民を戦争や軍需工場へと動員する。そこに巨大な軍事需要が発生する一方で、物資や労働者の供給が不足するため、インフレ気味となり、失業率は下がる。
ところが、コロナ危機では、政府は経済活動を行わないように国民を動員する。したがって、一部の医療物資などでは供給不足による価格高騰がみられるものの、全体としては、消費や投資の激減による需要不足が、強力なデフレ圧力を発生させる。当然、失業率は増大する。
このように、需給バランスという観点からは、コロナ危機下の経済は、戦時経済というよりはむしろ、恐慌(デフレ不況)の様相を呈する。ゲオルギエバIMF専務理事が、コロナ危機を世界恐慌以来のマイナス成長となると述べたとおりである。
ただし、恐慌時には、雇用創出や休業補償・生活保障といった観点から、やはり国家の役割が大きくなるのであり、その意味では、戦時経済と同様ではある。
「酸素吸入器付き資本主義」に導くコロナ危機
「戦時経済」「長期停滞」の先にある社会主義化
コロナ危機と戦時との違いの第2は、敵の所在である。戦時の場合は、敵は他国であり、かつ明確である。これに対して、コロナ危機の場合は、敵は見えにくいウイルスであるうえ、同じ国民から感染する(攻撃を受ける)こととなる。とくにコロナウイルスについては、軽症や無症状の場合があるため、感染者が自覚しにくく、感染抑止のための協力行動をとりにくい。
つまり、共通の敵が明確な戦争の場合とは異なり、国民がコロナウイルスと戦うために自発的に一致団結することが、より難しくなるのである。
ただし、国民が自発的な感染抑止の行動をとりにくいのであれば、国民に行動変容を促し、場合によっては強制する国家の役割はなおさら重要となるのであり、その意味では、やはり戦時経済に似てくる。
シュンペーターが予言した「大転換」
このように、戦時経済とコロナ危機下の経済とでは、大きな違いがありながらも、IMFの指摘どおり、公的部門の役割が増大するという点では同じである。
パンデミックの収束は、現時点では見通せず、長期化の可能性も指摘されている。仮に、長期化すると、各国の経済システムはどうなるのであろうか。
結論から言えば、ジョセフ・A・シュンペーターが予言した大転換がついに起きる可能性があると私は考える。
その大転換とは、「資本主義から社会主義への移行」である。
「何をばかなことを」と一蹴する前に、まずは、シュンペーターの言う「資本主義」「社会主義」の意味を理解してもらいたい。
シュンペーターによれば、「資本主義」とは「生産手段の私有」「私的な利益と私的損害責任」「民間銀行による決済手段(銀行手形や預金)の創造」を特徴とする。とくに重要なのは、「民間銀行による決済手段の創造」であり、これが欠けた社会は「商業社会」ではあっても、「資本主義社会」ではない。
他方、「社会主義」について、シュンペーターは単に「何らかの公的権威が生産プロセスの管理を行う制度」といった程度にしか定義していない。それは、私有財産の否定とか計画経済とかいった、かつてのソ連のような社会主義体制だけを指しているのではない。公的部門による関与が大きい経済システムのことを指して、広く「社会主義」と呼んでいるのである。
そのシュンペーターは、第2次世界大戦後の変化を見て、社会主義への移行が進むと診断した。確かに、戦後の経済システムは、それを「社会主義」と呼ぶかは別にして、ケインズ主義的なマクロ経済運営、労働規制の強化、福祉国家など、国家の経済管理が戦前とは比べものにならないほどに強化された。
なぜ、第2次世界大戦を契機として、国家の経済管理が格段に強まったのか。それは、戦時経済の名残である。
総力戦においては、国家は、国民や資源を戦争のために総動員するため、国家による経済管理が格段に強まる。問題は、その経済管理が戦後も残存するということだ。
「酸素吸入器付き資本主義」に導くコロナ危機
「戦時経済」「長期停滞」の先にある社会主義化
例えば、財政の規模は、戦時中、軍事費の膨張により肥大化する。ところが、戦後、軍事費は縮小しても、財政規模全体は戦前の水準には戻らないのである。この現象を「置換効果」と言う。実際、1929年時点の英仏独のGDP比中央政府支出は15%程度、アメリカはわずか3%であったが、戦争を挟んで、1962年時点では英仏が約25%、独が約20%、アメリカに至っては約18%とおよそ6倍になったのである。
さて、今回のコロナ危機では、各国とも、戦時経済の様相を呈している。もし「置換効果」が働くならば、コロナ危機が去った後も、国家の経済管理は、コロナ発生以前の水準には戻らないということになろう。
しかも、欧州では政府支出がGDPの40%以上を占める国が少なくなく、フランスなどは55%を超えていた。ちなみにアメリカは約35%、日本は約37%である。コロナ危機では、これに加えてさらにGDPの1~2割の規模の経済対策が行われている。ここで「置換効果」が働くなら、GDPの半分かそれ以上を政府支出が支えるような経済が出現することになる。そのような経済は、シュンペーターに言わせれば、ほぼ「社会主義」であろう。
財政政策なしに機能しなくなった資本主義
コロナ危機に加えて、もう1つ、社会主義化へと向かう重要かつ長期的なトレンドがある。21世紀の各国経済は、ローレンス・サマーズの言う「長期停滞」に陥っている。「長期停滞」とは、投資機会が不足し、低金利と低成長が持続する状態である。これに加えて、コロナ危機がデフレ圧力を発生させているから、世界経済の停滞は、より深刻かつ長期化するであろう。
さて、低金利やディスインフレ・デフレに陥ると、民間銀行による信用創造は困難になる。ここで、シュンペーターが、資本主義の決定的な要素は「民間銀行による決済手段の創造」にあるとしていたことを想起されたい。その「民間銀行による決済手段の創造」が低金利やデフレによって阻害されるということは、経済システムが資本主義ではなくなるということだ。
サマーズは、長期停滞下においては、政府が積極的な財政出動を行わなければならないと主張している。さらに、コロナ危機下では、大規模な財政支出がなければ経済を維持できないことは、誰もが認めるところである。
このように、財政政策が支えなければ機能しなくなった資本主義を、シュンペーターは「酸素吸入器付きの資本主義」と呼んでいた。「酸素吸入器付きの資本主義」とは、社会主義への道の途上にある、瀕死の資本主義の姿である。コロナ危機によって、資本主義にも酸素吸入器が必要となったのである。
最後に、誤解を避けるために付言しておくと、私は、資本主義より社会主義のほうが優れていると考えているのではない。
ただ、コロナ危機下の戦時経済と、それ以前からの傾向である長期停滞の2つを踏まえれば、今後は、公的部門の役割がより大きい経済構造にならざるをえないだろうと予測しているだけである。本稿は、シュンペーターの議論と同様、イデオロギーではなく、経済の構造や特徴を論じているにすぎないのである。
したがって、イデオロギー上の理由から、社会主義を拒否して、公的部門の役割をあえて縮小するという選択肢をとることを否定はしない。ただ、酸素吸入器なしで資本主義が機能し続けるかは、保証の限りではないというだけである。
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