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土曜日, 4月 11, 2020

張作霖

目撃!にっぽん 2020/04/12(日)06:10 の放送内容 ページ1 | TVでた蔵
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目撃!にっぽん 「“大悪人”の孫と呼ばれて〜張作霖爆殺事件 92年目の思索〜」

桑田冨三子さん(82)は張作霖爆殺事件の首謀者、河本大作大佐の孫にあたる。同事件ではのちの軍部暴走のきっかけをつくったとされ、戦後、昭和天皇はこのときの対応を悔いたという。桑田さんは大悪人と呼ばれた祖父と向き合いながら、残された資料を渉猟している。
都内に住む桑田冨三子さん(82)さんは戦争に関する著作や資料を数多く保管している。母方の祖父は関東軍のNo.3だった河本大作で、父と死別していた桑田さんにとって、河本は父親のような存在だったという。戦後、祖父は中国に残った一方、桑田さんら家族は静岡にある親類の家に寄せていた。1946年に東京裁判が始まると、1人の元陸軍少将が張作霖爆殺事件の真相を暴露。河本大作が独断で計画し、満州制圧が目的の謀略だったが、河本は退役。これにより、事件は内々に処理されていた。桑田さんが16歳の時、祖父である河本大作は中国で死去。
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桑田冨三子さんは退職後、「ハロー・ディア・エネミー!」という絵本を翻訳。意見が異なる相手こそ、歩み寄り、話に耳を傾ける大切さが込められているという。12年前、張作霖爆殺事件から80年のシンポジウムが開かれ、桑田さんは親族代表として出席。1人の専門家から、「あなたの祖父は昔は英雄。いまは大悪人」と呼ばれた。それを裏付けるように、昭和天皇は「事件の関係者を厳罰にすれば良かった」と語っていたことが判明している。それから3年後、桑田さんは叔母から祖父に関する資料が収められたスーツケースを託された。叔母はシスターとして生涯を送り、密かに資料を収集していた。桑田さんは祖父を知る直接しる最後の世代として、事件に向き合うことが晩年の使命と考えていた。
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中国に残っていた河本大作は中国共産党から尋問を受け、800ページに及ぶ供述書は出版された。当時、河本が所属していた関東軍は権益、在留邦人を護ることが主な任務で、満州の軍閥との軍事衝突が懸念された。供述書には「軍隊の指揮系統を乱すため、軍閥のトップだった張作霖の暗殺を企図した」と記されている。さらに祖父の生家からは河本に充てた、陸軍幹部からの手紙が発見された。桑田さんは8年かけて祖父に関してリサーチし、1冊の本を自費出版した。爆殺事件は祖父の独断ではなく、陸軍の総意のもとで実行されたと結言できるだろうと記している。
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出版後、読者から多くの感想が寄せられたが、賛否両論だった。また、いとこの矢舩絧子さんはねぎらいの言葉をかけつつ、殺害に関与したことは許されるべきではないと桑田さんに語った。桑田さんは著作について、「客観性が少なかった。歴史みたいなことを論じる時には広く見ることが必要と感じた」といい、歴史の勉強会などに積極的に参加している。さらに早稲田大学の社会科学部で教授を務め、中国の近現代史を専門とする劉氏のもとを訪い、中国で出版された供述書の解説をお願いした。河本は民間人だったが、満州事変で軍に協力し、資金工作、軍と民間の橋渡しに関与していたという。そして、供述書によると、河本は満州制圧を侵略と認識していた。
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日本近現代史を専門とする筒井清忠教授は桑田さんが自費出版した著作を読み、批判的な意見を寄せていた。筒井氏は張作霖が殺害されたことで子息の張学良は対立していた国民党と手を結び、反日の攻勢は強まり、日中戦争に進展としたと指摘。桑田さんは祖父である河本大作が起こした事件は今を生きる自分に何を問いかけているのか、歴史と向き合う意味を思案している。
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