望月慎(望月夜) (@motidukinoyoru) | |
『本当に貯蓄不足・投資過剰かどうかは、経常収支・ISバランスではわからないので、インフレ率や金利などのほかのマクロ指標も見て、貯蓄・投資・所得の関係を考慮しながら判断するべきである。』
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経常収支とISバランス及び不況 -ISバランスにおける過剰貯蓄と不況論の過剰貯蓄の違い- 望月慎2013-12-28
https://ameblo.jp/nakedcds/entry-11737829560.html
経常収支とISバランス及び不況 -ISバランスにおける過剰貯蓄と不況論の過剰貯蓄の違い-
noteにて、「経済学・経済論」執筆中!「雇用増加の下でも賃金が停滞する理由」
「なぜ異次元緩和は失敗に終わったのか」
「「お金」「通貨」はどこからやってくるのか?」
「なぜ日本は財政破綻しないのか?」などなど……
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内容的には、前記事の続きになる。
経常収支に関して、思想のまったく異なる二つのグループが、似たようなナイーブな間違いをしてしまっている。このことについて述べよう。
まず、現代日本において財政出動を必要と考える派閥についてである。(その総本山は、たぶんここ)
かの派閥では、財政リスクが低い理由のひとつ(あくまでひとつ)として、経常収支黒字により、国内貯蓄>国内投資が成り立っていることを挙げている。(これは、一時期の財務省の公式見解でもあり、それを踏襲した形になっている)
次に、現代日本において緊縮財政を必要と考える派閥についてである。(想定しているのは、だいたいこいつ)
最近になって現代日本が経常収支赤字に近づいてきたので、前者の派閥の主張の逆手を取る形で、経常収支赤字すなわち国内貯蓄<国内投資から、財政リスクが高まると主張している。
結論から言って、両者は間違っているし、しかも間違い方がよく似ている。(しかも厄介なことに、この考え方が間違いにならないシチュエーションもある。それについては後々述べる)
確かに、"国内"投資と"国内"貯蓄のバランス・インバランスは、経常収支で量ることができる。しかし、それでは、実際の財政リスクを量ることは出来ない。
両者の間違いの原因には、おおまかに分けて二つのことが挙げられると思う。
①経済全体では、常に貯蓄=投資が成り立つ、ということを忘れている。
ちょっとマクロ経済学をかじった人なら、貯蓄=投資なんてたいしたことない普通の恒等式に見えるだろうけれど、そうじゃない普通の妥当かつまっとうな人々は、なんのこっちゃ、と思うかもしれない。特にこの恒等式を、過剰貯蓄、貯蓄不足がうんたらかんたらとほざいている私が急に示せばなおさらである。
ケインズの『雇用、利子及び貨幣の一般理論』の第6章「所得、貯蓄、投資の定義」(山形氏訳)を参考にしていただきたい。(なお、目次から要約に行くことも出来るのでそちらもお勧めする)
支出を、当期の財を消費する支出(消費)と資本財を積む支出(投資)の二種類に区分すると、所得=支出から、所得=消費+投資と言える。
一方、貯蓄を単純に「所得のうち、消費に使わなかった分」と定義すれば、所得-消費=貯蓄として良い。
結果として、貯蓄=投資が常に成り立つわけである。この意味は、人々が貯蓄に回さず消費ばかりしてたら、投資財(資本)にお金が回ってこないし、逆に投資が少ないのに貯蓄しようとしても、貯蓄できるだけのお金が回ってこなくなる、という双方向のメカニズムに依る。
ケインズ以前の時代は、まだこういう考え方が受け入れられがたく、『雇用、利子及び貨幣の一般理論』の第七章「貯蓄、投資の意味をもっと考える」(山形氏訳)の中でケインズがくさしているように、色々な珍妙な定義(及び無定義)によって貯蓄・投資論が混乱してきたが、今はおおよそ私が述べたような意味で貯蓄と投資は考えられている。
とすれば、国内投資と国内貯蓄のインバランスはいったいどういう事態なのか?答えは単純で、海外投資と海外貯蓄のインバランスに由来するわけである。要はこういうことだ。
国内貯蓄+海外過剰貯蓄=国内投資
逆に
海外貯蓄=海外投資+国内投資過剰(国内貯蓄不足)
要するに、何らかの要因(エネルギー資源の過剰購入や、世界経済失速による輸出不振)によって、海外貯蓄が流入する構造になっているわけである。(前記事で、対外的な支払いのために海外通貨買取(国内通貨売却)をするという話をしたはずだ。ここで売却された国内通貨は、当然海外ではなく国内で運用される。これが海外貯蓄流入の実際の形式になる)
これを押さえた上で、次の間違いについて考えよう。
②貯蓄と投資がそれぞれ独立に決まると思ってしまっている。
これも、『雇用、利子及び貨幣の一般理論』の第七章「貯蓄、投資の意味をもっと考える」(山形氏訳)で解説された問題である。(実に70年以上前にとっくに終わってしまっている議論だと考えるとなかなか感慨深い)
投資を減らせば投資不足(貯蓄過剰)になるはず、と思ってしまうのはわかるが、問題は、投資が所得を通じて貯蓄に影響を与えてしまうという事実があることだ。しかもこの場合、影響を与えるのは海外貯蓄の流入水準よりも、国内貯蓄の生成水準である。経常収支が赤字のまま、所得だけ減少するという馬鹿げた話になりかねない。
逆に、投資を増やせば投資過剰(貯蓄不足)になるというのも短絡的な見方だ。投資が増えれば所得が増え、所得が増えれば貯蓄が増え、バランスに向かうからである。
ここをもっと厳密に考えよう。政府支出増加分をG、限界消費性向(所得の増加分のうち、どれだけ消費に回すかの割合)をcとする。(この場合、限界貯蓄性向は1-cになる)
このとき、所得はG+cG+c・cG+c・c・cG+・・・=G/(1-c)となる(無限等比級数の和)
一方で貯蓄は(1-c)G+(1-c)cG+(1-c)c・cG+(1-c)c・c・cG+・・・=(1-c)G/(1-c)=Gとなり、見事政府支出増分Gと相殺するのである。
(見事、なんてほざくのは、実際のところはかなりアホらしい。なぜなら、貯蓄=投資となるような貯蓄・投資・所得の定義をした以上、貯蓄=投資になるよう収束するのは当たり前で、それを限界消費性向を絡めて回りくどく説明したに過ぎないからだ)
以上のことから、記事冒頭に挙げた二派閥の考え方は、相当問題含みであることがおわかりいただけたと思う。経常収支の赤黒が、適正な貯蓄投資水準について決定的な意味を持つとは限らないのである。
しかし、多少デフレ不況論に耳を傾けたことのある読者は少し疑問に思うかもしれない。「不況の原因(総需要不足の原因)は、お金のためこみすぎのはず。でも、過剰貯蓄が起きないなら、"お金のためこみすぎ"というのはどういう意味なんだ?」
しごくまっとうな疑問であるが、これも70年以上前にケインズが考え終わった話だ。(またしても『雇用、利子及び貨幣の一般理論』の第七章「貯蓄、投資の意味をもっと考える」(山形氏訳))
貯蓄と投資の均衡メカニズムをもう一度よく考えてみよう。
投資が増える場合、所得の増加を経由する形で貯蓄が増えて、投資と貯蓄が均衡するという話はすでにした。
逆に投資が減ると、所得が減る形で貯蓄が減ってしまい、投資と貯蓄が均衡する。
上記に共通するのは、投資と貯蓄の均衡が、所得の増減で齎されるという点である。
限界消費性向が決まっている場合、完全雇用を実現するような総所得(総需要)における貯蓄の水準はただひとつに定まっている。もしこの貯蓄の水準より投資の水準が低かったら? 当然、総所得はおさえられて、経済は不完全雇用のままだ。つまり、完全雇用を達成するために人々が要求する総貯蓄が、実際の総投資よりも大きいのである。これを不況論では、「過剰貯蓄」と呼んでいるのだ。(クルーグマンはこのことを、計画された貯蓄が投資より大きい、という風に説明している)
こういう考え方に立脚すると、現投資と現貯蓄のインバランスを考えるなんていうのはナンセンスだ。(そもそもそんなものは存在しないからである)
もし、経済において貯蓄が不足しているときがあるとすれば、それは経常収支の如何ではなく、完全雇用かどうかで量るべきだ、ということになる。完全雇用、それを超えてインフレが亢進するようなら、貯蓄不足(過剰投資)によって総需要が増えすぎているということになる。ここでは、投資を減らす政策(緊縮財政や利上げ)は正当化される。(こういう場合では、インフレを招いて経済を混乱させてしまうという意味で、財政リスクは存在している。変動為替相場を導入した独自通貨国において、自国通貨建て債務による財政リスクとはほとんどそのままインフレのリスクのことなのだ。ちなみに、為替相場を固定しようとすると前記事で説明したように別種の財政リスクが発生する)
さて、ここまで両派閥をコテンパンにしておいて何だが、実際には両者の見方が正しいシチュエーションもあるという示唆もした。それは、経済が十分なインフレ率を示し、金利がゼロ下限に直面していない状態である。(要するに、不況ではない状態)
そういう経済では、財政支出を実質的に(インフレによる物価上昇以上に)増やしても、それに呼応して所得が実質的に増加することはない。これは国内貯蓄が実質的に増えないというのと同義である。ここで海外貯蓄が流入できれば(資本移動の自由があれば)、国内投資に対する国内貯蓄の不足を補うことが出来るが、それは一方で海外への支払い過剰(経常収支赤字)を増やす。
こういう風に、不況でなく、かつ資本移動に一定の自由があれば、構造的な財政赤字と構造的な経常収支赤字は関係を持つ。(いわゆる双子の赤字)
逆もまたしかりである。
この点に関しては、両派閥の意見は双方とも間違いとは言えないのである。
しかし、インフレ率が著しく低く、金利がゼロ下限にある日本に、同様の議論が通用するかといえば、その可能性はほぼないと言えるだろう。
まとめると、本当に貯蓄不足・投資過剰かどうかは、経常収支・ISバランスではわからないので、インフレ率や金利などのほかのマクロ指標も見て、貯蓄・投資・所得の関係を考慮しながら判断するべきである。
P.S.(2013 12/31)
クルーグマンが、貯蓄・投資・所得の関係について(ならびに、貯蓄と投資及び金利決定に関する社会一般の誤解について)、ケインズに関する論説の中で触れている。
クルーグマン「ケインズ氏と現代人」
分かりやすいグラフと合わせて書いてくれているので、ぜひご一読を。
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