「終ってゆくことは、自分のうちに、その都度の現存在にとって全く代理できない、存在の様態を含んでいる」(三島由紀夫『絹と明察』講談社文庫297頁より孫引き)
「自分の死を回避しながら、終りへの日常的存在もまた、……死を確信しているのである。」(同)
以下は『存在と時間』の上記に該当する箇所の別訳(中公クラシックスより)。
第48節
《これまで死について論究されてきたことは、次のような三つのテーゼとして定式化される。すなわち、1 現存在には、現存在が存在しているかぎり、現存在がそれになるであろう或る未了──つまり不断の未済が、属している。2 そのつどまだ終わりに達していない未了の存在者がおのれの終わりに到達すること(未済を存在上除去すること)は、もはや現存在しないという性格をもつ。3 終わりに到達することは、そのときどきの現存在にとって絶対的に代理不可能な或る存在様態を、それ自身のうちに包含している。》
(三島が引用したのは最後のテーゼ(提言)の部分のみである)
第52節
《おのれの死から回避しながらも、それでも終わりへとかかわる日常的な存在でさえ、純粋に理論的な省察においてそれ自身が承認しようとしているのとは別様に、死を確実だとさとっている。》
このあと『ヘルダーリン詩の解明』(手塚富雄訳理想社1962、34~5頁)からも引用している。
「宝、故郷のもっとも固有なもの。『ドイツ的なもの』は、貯えられているのである。……詩人が、貯えられたものを 宝(発見物)と呼ぶのは、それが通常の悟性にとって近付き難いものであることを知っているからだ」(三島由紀夫『絹と明察』講談社文庫297頁より孫引き)
また、『絹と明察』冒頭ではハイデッガーの哲学の要約**に続いてハイデッガー思想と和泉式部の歌とを比較している。保田与重郎も同じ和泉式部の歌***を絶賛し、何度か論考している。影響があるかも知れない。
三島のハイデッガー解釈はバタイユを連想させて正確ではないかも知れない。ただ、西欧合理主義を内側から崩すものとしてうまく活用している。
*
新潮文庫、講談社文庫等で入手可能。なお創作ノートは残っていないが、制作意図を語ったインタビューがあり、新潮文庫あとがきで少し引用されている。
新潮文庫、講談社文庫等で入手可能。なお創作ノートは残っていないが、制作意図を語ったインタビューがあり、新潮文庫あとがきで少し引用されている。
**
《ハイデッガーのいはゆる「実存(エクジステンツ)」の本質は時間性にあり、それは本来
「脱自的」であつて、実存は時間性の「脱自(エクスターゼ)」の中にある、と説かれてゐるが、
エクスターゼは本来、ギリシア語のエクスタテイコン(自己から外へ出てゐる)に発し、
この概念こそ、実存の概念と見合ふものである。つまり実存は、自己から外へ漂ひ出して、
世界へひらかれて現実化され、そこの根源的時間性と一体化するのである。 》(三島由紀夫「絹と明察」より)
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1287085245/l50
***
「脱自的」であつて、実存は時間性の「脱自(エクスターゼ)」の中にある、と説かれてゐるが、
エクスターゼは本来、ギリシア語のエクスタテイコン(自己から外へ出てゐる)に発し、
この概念こそ、実存の概念と見合ふものである。つまり実存は、自己から外へ漂ひ出して、
世界へひらかれて現実化され、そこの根源的時間性と一体化するのである。 》(三島由紀夫「絹と明察」より)
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1287085245/l50
***
和泉式部「もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づるたまかとぞみる」
(『保田與重郎全集』http://binder.gozaru.jp/yasuda.htm 目次
第14巻「和泉式部私抄」第17巻「日本語録」他参照)
返信削除226 :吾輩は名無しである:2011/10/27(木) 10:26:52.23
『仏教といふのは妙なもんだ』と岡野は考へてゐた。『慈眼で見張れば、湖上の船も難から
救はれるといふ考へなんだ。こんな死んだ金いろの目で』
見るといふことは岡野にとつて、本来、残酷さの一部だつたが、
「遠くひろがる湖面には、
帆影に起る喜悦の波。
払暁の町はかなたに
今花ひらき明るみかける」
などといふ彼の好きなヘルダアリンの詩句も、この千体仏の暗い金の重圧、慈悲による、
見ることによる湖の支配の前に置かれては、たちまち力を喪ふやうに思はれた。
ハイデッガーのいはゆる「実存(エクジステンツ)」の本質は時間性にあり、それは本来
「脱自的」であつて、実存は時間性の「脱自(エクスターゼ)」の中にある、と説かれてゐるが、
エクスターゼは本来、ギリシア語のエクスタテイコン(自己から外へ出てゐる)に発し、
この概念こそ、実存の概念と見合ふものである。つまり実存は、自己から外へ漂ひ出して、
世界へひらかれて現実化され、そこの根源的時間性と一体化するのである。
三島由紀夫「絹と明察」より
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1287085245/l50
28 :(´・ω・`)(`ハ´ )さん@転載は禁止:2014/11/27(木) 00:59:23.97 ID:rhSwbp92
返信削除檄文抜粋 三島由紀夫
昭和四五年十一月二五日
われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、
本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、
敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、
日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。
われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。
しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、
御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、
道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、
もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。
アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。
あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。
われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。
もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。
しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。
日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。
生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。
それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。
これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。
もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、
一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。
返信削除Das Kapital『資本論』邦訳各種:@は第一巻のみ。☆は電子版あり。
1867年第一巻初版
1872年、J・ロア訳、マルクス自身の校閲によるフランス語訳
1887年英語版
高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他☆国会図書館DB
河上肇・宮川実訳、改造社、昭6 1931@未完
宮川実訳 研進社 1946
長谷部文雄訳、昭和39年(1964)初版、河出書房新社。☆
大内兵衛・細川嘉六(監訳) 岡崎次郎訳 大月書店 全集版 1965☆会員制DB
向坂逸郎訳、岩波文庫全9巻 1969年
岡崎次郎訳 平成3年(1972)第1刷、大月書店、国民文庫全9巻
鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著、全2巻、抄訳
岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976 年@
平井規之訳、新日本出版社、1982年、第一巻、新書全13巻
今村仁司、三島憲一、鈴木直訳『マルクス・コレクション 資本論 第一巻』(上下)筑摩書房、2005年@
的場昭弘(超訳、祥伝社2008年)全4巻、超抄訳
中山元訳、日経、第一部全4巻、2011年@
『資本主義的な生産様式が広まった社会の富というものは、「商品のものすごい集積」と いう形で出てくる。個別の商品は、その要素的な形として出てくるわけだ。だからわれわ れの検討も、商品の分析から始めよう。」
返信削除山形浩生訳2004年、ネット上無料公開@未完
http://cruel.org/books/kapital/kapitalband1.pdf#search='Das+Capital『資本論'
【社会】三島由紀夫の東京五輪取材ノート、全集未収録の全58ページ発見 取材記者としての意外な一面がうかがえる内容[03/23] ©2ch.net
返信削除1 :すらいむ ★ 転載ダメ©2ch.net:2015/03/23(月) 16:22:56.42 ID:???*
三島の東京五輪取材ノート=全集未収録の全58ページ発見
昭和期を代表する作家の三島由紀夫(1925~70年)が、64年の東京五輪を取材した
ノートが見つかり、23日までに発売された雑誌に内容が掲載された。選手のリアルな表情が
生き生きと具体的に描かれ、三島の取材記者としての意外な一面がうかがえる。
三島は朝日、毎日新聞などの特派記者として五輪を取材。寄稿記事は全集にも収録されたが、
ノートの全体像は分かっていなかった。
ノートには10月10日の開会式から各競技の模様、同24日の閉会式までを58ページに
わたり記録。重量挙げで金メダルを獲得した三宅義信選手については「上げる前に、両手を
つかへ天を仰ぎ、口をモグ※(※=くの字点)させる。更に上を仰ぎアウッと叫ぶ」と生々しく
描写されている。
三島由紀夫文学館を運営する山梨県山中湖村が遺族より入手した資料から発見。佐藤秀明
近畿大教授らが確認を進め、全文を研究誌「三島由紀夫研究(15)」に掲載した。実物は
24日から同館で展示する。
文芸評論家の松本徹同館館長は「三島に国粋主義的な態度が現れていた時期だが、それが
全く出てこない。日本を代表する作家として、国際的視野に立ち表現しようとした姿勢が
うかがえる」と話している。
時事通信 2015/03/23-15:46
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2015032300546
画像:作家の三島由紀夫が東京五輪を取材したノート(「三島由紀夫研究〔15〕」より)
http://www.jiji.com/news/kiji_photos/0150323at71_p.jpg
『柳田国男研究 』(筑摩書房1973年) [古書] 神島 二郎 (編集)
返信削除http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000J9FVFQ/
本書に所収された三島由紀夫の柳田国男に関するエッセイには吉本隆明への言及がある。
三島は死の直前、吉本と対談したがっていたそうだが、『共同幻想論』「他界論」における
死に関する記述*が三島の目に止まったのだということが分かる。
その他、折口信夫、吉本隆明、花田清輝、(及び中村哲)等、柄谷行人が『柳田国男論』(及び
『遊動論』)で引用した文献が並ぶ。目新しさはないがお得感がある。
*
以下、共同幻想論 by 吉本隆明より、
三島由紀夫が「名著再発見『遠野物語』」(1970年6月12日読売新聞)で引用した箇所。
「ここまできて、わたしたちは人間の〈死〉とはなにかを心的に規定してみせることができる。
人間の自己幻想(または対幻想)が極限のかたちで共同幻想に〈侵蝕〉された状態を〈死〉と
呼ぶというふうに。〈死〉の様式が文化空間のひとつの様式となってあらわれるのはそのため
である。」(『共同幻想論』文庫旧版122頁)
公開直後は日本のジャーナリズムの評価が低く、「ゲテモノ映画」「キワモノ映画」と酷評する向きが多勢で、特撮面では絶賛されたものの各新聞の論評でも、「人間ドラマの部分が余計」として、本多猪四郎監督の意図したものを汲んだ批評は見られなかったが、田中友幸によれば、三島のみが「原爆の恐怖がよく出ており、着想も素晴らしく面白い映画だ」として、ドラマ部分を含めた全てを絶賛してくれたとされる[460]。
返信削除引用閉じる[460] ^ 輝ける先輩達 第1回戦後大衆文化の旗手(NO.1) ゴジラ(神)を放った男 映画プロデューサー田中友幸(中32回)(大阪府立八尾高等学校同窓会公式サイト)
ゴジラ評
1938年 昭和13年
返信削除「酸模ー秋彦の幼き思ひ出」
三島由紀夫13歳の時の作品があります。
学習院の中等科1年在学中に
学習院の機関誌「輔仁会雑誌」
3月25日号に掲載されました
最初の短編小説です。
発表名:平岡公威(きみたけ) 本名です。
三島由紀夫氏による自作の解説より
《....脱獄囚の暗い心に童心がよびさます純潔な魂を酸模の花に象徴させたもので、「広辞林」を引いてありたけの秋の花・春の花を文中の野原の描写に使った。
しらない花の名前ばかり並んでゐて滑稽である》
(「四つの処女作」
《文学の世界》昭和23・12)
『三島由紀夫全集 決定版』
第15巻より 新潮社
上記の通り、確かに秋の七草すべてが1行に並べられています。
「酸模」(すかんぽう)の3年後に
「花ざかりの森」が完成します。1941年 昭和16年初夏の時です。
画像:エゾノギシギシです。
http://patriotto.exblog.jp/d2014-08-07/
た「広辞林」はたうとうポロポロに
返信削除なつて了つたが、捨てがたい。十二、三歳のころ、字引を読むのが趣味だつた一時期が
ある。その後小説家になつてからも、この字引はよく旅行へ連れて行つた。使ひいい点 ...
全集31
2003
523頁
『決定版 三島由紀夫全集』(新潮社)各巻目次
返信削除http://uzmk.sakura.ne.jp/study/mishimatxt.htm#31
座右の辞書
返信削除http://reference.weblio.jp/details/試演する/R100000002I000001261100?title=三島由紀夫全集+30+(評論+6)
タイトル 三島由紀夫全集 30 (評論 6)
タイトルの読み ミシマ ユキオ ゼンシュウ
作成者(著者) 編纂: 佐伯彰一 [等]
作成者(著者)(NDL典拠形式) 三島, 由紀夫, 1925-1970
作成者(著者)(NDL典拠形式) 佐伯, 彰一, 1922-2016
作成者(著者)の読み(NDL典拠形式) ミシマ, ユキオ
作成者(著者)の読み(NDL典拠形式) サエキ, ショウイチ
公開者 新潮社
正式発行日 1975
正式発行日(W3CDTF形式) 1975
内容記述 武田泰淳氏-僧侶であること,春日井建氏の「未青年」の序文,伊東静雄全集推薦の辞,マドリッドの大晦日,純粋とは,プライヴァシィ,ニューヨーク,大統領選挙,アトリエ通信,夢の原料,口角の泡-「近代能楽集」ニューヨーク試演の記,座右の辞書,ピラミッドと麻薬,旅の夜,あとがき(「ス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%9C%81%E5%A0%82#.E5.9B.BD.E8.AA.9E.E8.BE.9E.E5.85.B8
返信削除三省堂 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%9C%81%E5%A0%82
作家の三島由紀夫は少年時代からずっと『廣辭林』を愛用し、ボロボロになるまで使っていた。新しい『広辞苑』には愛着がなく、『廣辭林』が一番使いよいと述べていた[2]。
^ 三島由紀夫『座右の辞書』(風景 1961年1月号に掲載)。『決定版 三島由紀夫全集第31巻・評論6』(新潮社、2003年)に所収。
『決定版 三島由紀夫全集』(新潮社)各巻目次
http://uzmk.sakura.ne.jp/study/mishimatxt.htm#31
座右の辞書
返信削除2017/01/12
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三島由紀夫の未発表テープ見つかる、命を絶つ9か月前の肉声
TBS系(JNN) 1/12(木) 5:42配信
作家・三島由紀夫が自ら命を絶つ9か月前に語った未発表の肉声テープが見つかりました。「死が肉体の外から中に入ってきた」などと死生観についてや、自らの小説の欠点などを語っています。
「僕の文学の欠点は、小説の構成が劇的すぎることだと思う。ドラマティックでありすぎる。どうしても自分でやむをえない衝動なんですね。大きな川の流れのような小説は、僕には書けないんです」(三島由紀夫の肉声テープ)
新たに見つかったのは、三島由紀夫がイギリス人の翻訳家に対し語った1時間20分にわたる未発表の肉声テープです。録音されたのは、三島が命を絶つ9か月前の1970年2月とみられ、死についても語っています。
「死の位置がね、肉体の外から中に入ってきた気がする」(三島由紀夫の肉声テープ)
テープは、TBSの社内から発見されました。特別に保管されていましたが、その存在はほとんど社内でも知られていませんでした。
「今回のものは行われたこと自体が知られていなかった。その意味でも貴重なもの。(小説の)欠点について、ああいうふうに語っているのはなかなかない」(三島由紀夫文学館特別研究員 山中剛史さん)
三島由紀夫の研究者は、「新たな見方を提供する一つになる」と話しています。(12日05:25)
三島由紀夫の未発表テープ見つかる、命を絶つ9か月前の肉声(TBS系(JNN)) - Yahoo!ニュース
返信削除http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20170112-00000014-jnn-soci
三島由紀夫の『暁の寺』は、唯識を題材にしている。
返信削除“その晩の三島は唯識説にすっかり熱中していて、口をひらけば阿頼耶識、阿頼耶識といっていた。
阿頼耶識の説明をするのに、やおらテーブルの上にあったお皿を二枚とりあげ、
一枚を水平に、もう一枚をその上に垂直に立てて、「要するに阿頼耶識というのはね、
時間軸と空間軸とが、こんなふうにぶっちがいに交叉している原点なのではないかね」というのである。
目をまん丸にして、両手にお皿をもって、夢中になって説明しているその様子があんまりおかしかったので、私は思わず、
「三島さん、そりゃアラヤシキではなくて、サラヤシキ(皿屋敷)でしょう」
同席していた高橋睦郎も、横尾忠則も、金子国義も、これでいっせいにげらげら笑い出してしまう始末だった。
さすがに三島も苦笑するほかなく、「まいった、まいった。もう申しますまい」”
― 澁澤龍彦「三島由紀夫をめぐる断章」『澁澤龍彦日本作家論集成(下)』(2009)
返信削除https://ja.m.wikipedia.org/wiki/浜松中納言物語
影響 編集
『無名草子』の記述によって藤原定家作とも伝えられる『松浦宮物語』に大きな影響を与えたと云われている[37]。またその他に『今とりかえばや』への影響が指摘されることもある[38]。
三島由紀夫は、学習院大学在学時代に本物語の代表的な研究者の一人である松尾聰からこの物語の講義を受け、その影響でのちに輪廻転生をテーマとした『豊饒の海』を執筆するに至った。三島自身による同作品第一巻「春の雪」の後注に「『豊饒の海』は『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語」であると記されている[39]。
ヘンリー・ミラー
返信削除*三島は高度の知性に恵まれていた。その三島ともあろう人が、大衆の心を変えようと試みても無駄だということを認識し
ていなかったのだろうか。それを問うているのだ。かつて大衆の意識変革に成功した人は一人もいない。アレキサンドロス
大王も、ナポレオンも、仏陀も、イエスも、ソクラテスも、マルキオンも、その他ぼくの知る限り誰一人として、それには
成功しなかった。人類の大多数は惰眠を貪っている。あらゆる歴史を通じて眠ってきたし、おそらく原子爆弾が人類を全滅
させるときもまだ眠ったままだろう。いや、大衆を丸太みたいにあちこち転がしたり、将棋の駒みたいに動かしたり、鞭を
当てて激しく興奮させたり、簡単に(特に正義の名を持ち出せば)殺戮に駆り立てたりすることはできる。しかし、彼らを
目覚めさせることはできない。大衆に向かって、知的に、平和的に、美しく生きよと命じても無駄に終わるだけだ*
三島由紀夫の死とは何だったのか② | 真正保守のための学術的考察
返信削除ameblo.jp/dentou-hosyu/entry-12192262699.html
三島由紀夫の死にふれて、週刊ポストに寄せたヘンリー・ミラーのコメントを引用します。 引用開始. *三島は高度の知性に恵まれていた。その三島ともあろう人が、大衆の心を変えようと試みても無駄だということを認識していなかったのだろうか。それを問うているのだ。かつて大衆の意識変革に成功した人は一人もいない。アレキサンドロス大王も、 ナポレオンも、仏陀も、イエスも、ソクラテスも、マルキオンも、その他ぼくの知る限り誰一人として、それには成功しなかった。人類の大多数は惰眠を貪っている ...
PANSE:三島由紀夫の死
panse.livedoor.biz/archives/52645458.html
どうして「俗に遊ぶ」という境地になれないものか、われとわが心を疑っている。」 (「 果たし得ていない約束」三島由紀夫) <三島由紀夫の死について> 「三島は高度の知性に恵まれていた。その三島ともあろう人が、大衆の心を変えようと試みても無駄だ ということを認識していなかったのだろうか。かって大衆の意識革命に成功した人はひとりもいない。」(ヘンリー・ミラー) <「豊饒の海」> 「いま書いている小説(豊饒の海) に自分のすべてを入れてしまったから、あとはもうなにもない、なにも残らない、 なにも ...
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三島由紀夫の死
Miller, Henry
飛田, 茂雄
トビタ, シゲオ
書誌事項
三島由紀夫の死
ヘンリー・ミラー著 ; 飛田茂雄訳
久保貞次郎, 1992.6
タイトル読み
ミシマ ユキオ ノ シ
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注記
あとがき記載: このパンフレットは、1971年10月26日発行の「週刊ポスト」に5週にわたって連載された「三島由紀夫の死」(飛田茂雄氏訳)を福井県勝山市の原田勇君がヘンリー・ミラー論文集として、翌年1月15日づけで刊行したものを再発行したものである。
詳細情報
NII書誌ID(NCID)
BB0715334X
出版国コード
ja
タイトル言語コード
jpn
本文言語コード
jpn
原本言語コード
eng
出版地
東京
ページ数/冊数
62p
大きさ
19cm
分類
NDC9 : 910.268
件名
NDLSH : Miller, Henry(1891~1980)
NDLSH : 三島, 由紀夫(1925〜1970)
書き出し
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ヘンリー・ミラー・コレクション 15 三島由紀夫の死
返信削除著者名等 ヘンリー・ミラー/〔著〕 ≪再検索≫
出版者 水声社
出版年 2017.12
大きさ等 20cm 246p
NDC分類 938
要旨 ブニュエルを称賛する「黄金時代」、ブラッサイを語る「パリの眼」、三島由紀夫自決の
翌年に発表された出色の日本人論といえる「三島由紀夫の死」をはじめ10編のエッセイ
を収録。
目次 自己を語る;生の哲学;映像の領域;友人との対話;同時代の文学・芸術運動との対決;
アラブ・極東への眼差し
内容 ブニュエルを称賛する「黄金時代」、ブラッサイを語る「パリの眼」、三島由紀夫自決の
翌年に発表された出色の日本人論といえる「三島由紀夫の死」をはじめ10編のエッセイ
を収録する。
内容 内容:自伝的覚書 松田憲次郎訳. ブルックリン橋 小林美智代訳. 心の知恵 萩埜
亮訳. 黄金時代 萩埜亮訳. パリの眼 松田憲次郎訳. ハムレット 萩埜亮訳.
若きベトナム詩人への手紙 野平宗弘訳. いたるところにいるシュルレアリストへの公
開状 松田憲次郎訳. アルベール・コスリーの小説 野平宗弘訳. 三島由紀夫の死
小林美智代訳
ヘンリー・ミラー・コレクション 6 セクサス
返信削除著者名等 ヘンリー・ミラー/著 ≪再検索≫
著者名等 飛田茂雄/編 ≪再検索≫
著者名等 本田康典/編 ≪再検索≫
著者名等 松田憲次郎/編 ≪再検索≫
出版者 水声社
出版年 2010.2
大きさ等 20cm 599p
NDC分類 938
要旨 「芸術家の女神」との運命的な出会い。延々と繰り拡げられる性の狂宴。新訳で贈る自伝
的長編三部作、完訳版、ついに刊行。
内容 「芸術家の女神」との運命的な出会い。延々と繰り拡げられる性の狂宴…。ポルノグラフ
ィティーか、アヴァンギャルドか。「薔薇色の十字架刑」という総題をもつヘンリー・ミ
ラーの自伝的長編3部作・第1弾。
ISBN等 4-89176-771-5
ISBN等 978-4-89176-771-6
三島由紀夫の死 (ヘンリー・ミラー・コレクション15) 単行本 – 2017/12/1
返信削除ヘンリー ミラー (著), Henry Miller (原著), 松田 憲次郎 (翻訳), 小林 美智代 (翻訳), 萩埜 亮 (翻訳), 野平 宗弘 (翻訳)
Reflections on the Death of Mishima: Henry Miller:
返信削除https://www.scribd.com/document/120305331/Henry-MIller-Reflexiones-sobre-la-muerte-de-Mishima-Reflexiones-sobre-el-caso-Maurizius
スペイン語
https://www.amazon.com/Reflections-Death-Mishima-Henry-Miller/dp/0912264381
返信削除Reflections on the Death of Mishima Paperback – 1972
by Henry Miller (Author)
47p
ヘンリー・ミラー「三島由紀夫の死」(飛田茂雄氏訳)
返信削除1971年10月26日発行の「週刊ポスト」に5週にわたって連載された
三島由紀夫の死 (ヘンリー・ミラー・コレクション15) 単行本 – 2017/12/1
ヘンリー ミラー (著), Henry Miller (原著), 松田 憲次郎 (翻訳), 小林 美智代 (翻訳), 萩埜 亮 (翻訳), 野平 宗弘 (翻訳)
Reflections on the Death of Mishima: Henry Miller:
https://www.scribd.com/document/120305331/Henry-MIller-Reflexiones-sobre-la-muerte-de-Mishima-Reflexiones-sobre-el-caso-Maurizius
スペイン語
https://www.amazon.com/Reflections-Death-Mishima-Henry-Miller/dp/0912264381
Reflections on the Death of Mishima Paperback – 1972
by Henry Miller (Author)
p47
三島由紀夫は楯の会の森田必勝と一緒に心中したのだ。
返信削除政治的な事象=レトリックの陰に、セクシュアリティーが隠蔽されていることになる。ちょうど自ら
の『春の雪』と『奔馬』を止揚したのが三島の「実践」だったのだ。
三島は自らの「内なる不合理(当時としては)=同性愛」を隠蔽するために論理的整合性を求めた。
そしてその整合性の証明は、(ヘンリー・ミラーをも騙せたのだから)対世間的には成功したと言える。
三島の論理は明快で、今日の国防論争などは三島が提示したラインをなぞっているだけだ。天皇を
(京都ではなく)日本の王としたこと以外は三島の意見に傾聴すべきところは多々あると思う。
三島由紀夫は楯の会の森田必勝と一緒に心中したのだ。
返信削除政治的な事象=レトリックの陰に、セクシュアリティーが隠蔽されていることになる。ちょうど自ら
の『春の雪』と『奔馬』を止揚したのが三島の「実践」だったのだ。
三島は自らの「内なる不合理(当時としては)=同性愛」を隠蔽するために論理的整合性を求めた。
そしてその整合性の証明は、(ヘンリー・ミラーをも騙せたのだから)対世間的には成功したと言える。
三島の論理は明快で、今日の国防論争などは三島が提示したラインをなぞっているだけだ。天皇を
(京都ではなく)日本の王としたこと以外は三島の意見に傾聴すべきところは多々あると思う。
浅田彰、
パゾリーニ、
三島由紀夫、
ここら辺の性同一性障害者による論理的思考の探究を甘く見てはいけない
安保国会終盤で再注目される三島由紀夫の「自衛隊二分論」とは?
返信削除山崎元
1991年に起きた湾岸戦争は、日本の安全保障政策を語るうえで大きな転機となった。130億ドルもの財政支援を行ったにもかからず、国際社会から「汗を流さない国」と突き放されたことで、日本の国際貢献の在り方がさかんに議論されるようになったからだ。
三島由紀夫
1969年に日本教文社から刊行されときは『若きサムラヒのために』のタイトルだったが、現在は、文藝春秋から『若きサムライのために』と改題されて売られている
翌年の「PKO(国連平和維持活動)国会」は荒れに荒れ、当時の野党・社会党は「牛歩戦術」を繰り出すなど、本会議の採決を5泊6日で徹底抗戦。PKOへの参加は、自衛隊とは別組織の「文民」に限定するといった代案を出したものの、当時の与党・自民党は最終的に公明・民社の賛同を取り付け、数の論理で押し切るかたちで収まった。
このとき、にわかに再注目されたのが作家・三島由紀夫が提唱した「自衛隊二分論」だ。1969年に論壇誌『20世紀』4月号で発表したこの論文は、現憲法下の自衛隊員のうち、陸自の9割、海自の4割、空自の1割を「国土防衛軍」として残し、それ以外の隊員は「国連警察予備軍」の名の下、国連軍に派遣するというもの。かねてから、憲法第9条の2つの条項を「敗戦国日本の戦勝国への詫証文(わびしょうもん)」と揶揄し、一刻も早く憲法改正し自衛隊を正規軍に再編すべきと訴えていた三島にとって、この自衛隊二分論で語った「国連警察予備軍」は、あくまで日米安保に忠実な部隊として、憲法の枠組みのなかでも十分運用可能な“打開策”と考えていた節がある。
安保関連法案を巡っては、政府与党が来週中の衆院通過を目指すなか、ここにきて、維新の党と民主党が対案を提出するなどせわしなくなってきたが、果たして、46年前に三島が唱えた「自衛隊二分論」とは何だったのか?
三島が自決を遂げた1970年11月25日の盾の会事件を契機に創設され、戦後のアメリカ従属体制打破を目指している一水会代表・木村三浩氏が説明する。
「三島先生は『自衛隊二分論』を、京大名誉教授で防衛大学校の校長も務めた猪木正道さんとの対談(1969年7月に『若きサムラヒのための』に収録)でさらに深く掘り下げています。当時、世界は冷戦時代の真っ只中だったわけですが、日本の国内に目を向けると、70年安保の混沌と大阪万博の狂騒に浮かれている時代。防衛は国の最重要課題であり、これを抜きにして国家を語ることなどできないと考えていた三島先生は、敗戦後に不名誉な十字架を背負わされ、国の防人であるにもかかわらず、その存在そのものが憲法違反だ! と名誉を貶められ続けていた自衛隊員を慮っていた。だからこそ、その曖昧な存在意義を再定義させるうえで、侵略、ならびに間接的侵略があった際に、国内の治安を守る『国土防衛軍』と、国際的な要請に応えられる『国連警察予備軍』の2つの部隊に再編成することで、自衛隊員にもっとも必要な名誉と存在意義や価値を付与させようとしたのです」
現在、自衛隊員の身分は、あくまで「特別職の国家公務員」という肩書だが、この『国連警察予備軍』がPKOで派遣されるような場合、国連事務局における日本人職員に準ずる身分で参加させるという。この場合、派遣された隊員(国連職員)は兵力に当たらないので「武器使用」も「武力行使」も制限なく行える……という方法論のようだが、憲法改正ができなければ、核兵器を持つことはおろか、海外派兵すらままならないことへの忸怩たる思いから、三島なりに捻り出した苦肉の策とも言えるだろう。ただ当時、この自衛隊二分論は「一考の価値はあるものの、政治的な場で議論がなされるほどの盛り上がりには至らなかった」(木村氏)ともいう。木村氏が続ける。
「三島先生は、安全保障を祖国防衛の崇高な使命と考えており、一刻も早い自衛隊の『国軍化』を考えていた。だが、日本には憲法第9条という制約があるため、個別的自衛権の枠組みの中で『国土防衛軍』を運用する一方、国際的な要請があった際には、一部の自衛隊員を、あくまで国連職員として紛争地に派遣し、国連軍の指揮監督の下で活動に参加させるべきという結論に達したわけです。現在、国会で繰り広げられている安保法制関連法案の議論、特に『存立危機事態』を巡る与野党の攻防が続いていますが、実は、極めて基本的な論点がひとつ抜け落ちている。それは、自衛隊は軍隊ではないため軍法会議が存在しないという点です。軍事機密の保持という理由から、本来、軍法会議の審理はどこの国でも非公開で行われている。つまり、軍法会議もない今の状況で、安倍政権が想定している米軍との連携を行うとなると、任務不履行が起きたときに対応できない。なぜなら、日本では自衛隊員の裁判も原則公開となっているため、共同で任務に当たっている米軍の機密に触れることになり、裁判が成り立たない可能性が出てくる。隊員が敵前逃亡したときの罰則規定もないようでは、軍の規律が徹底しているとは言い難く、混乱を極める紛争地に派遣されてもリスクが大きくなるだけ。やはり、先に憲法改正を行った上で、自衛隊を国軍化する必要があるのです」
7月8日、維新の党は安保法案の対案を国会に提出した。「領域警備法案」については民主党との共同提出となったが、政府の「存立危機事態」に基づく集団的自衛権は認めず、日本を周辺で守る他国軍が武力攻撃を受けた場合、日本への攻撃と見なして自衛権行使ができるということが法案の柱となっている。
「維新の党が出した対案は、集団的自衛権は違憲という前提に立って、個別的自衛権の範囲内で米軍との連携を確保するというものだが、これも、三島先生が提起した自衛隊二分論に比べると単なる弥縫策にすぎず、強力な対案とはなっていない。そもそも今回の安保法制は、『有事の際、アメリカは日本を助けてくれるのに、アメリカに何かあったとき、日本にはそれができない』という日米安保条約の『片務性』を正したい安倍総理の思惑があってのもの。しかし、憲法の“最高呪縛”となっている日米安保そのものを見直すべき! という発想がなければ、政府案に対抗できる対案の意味がないわけです。集団的自衛権の行使を可能にさせるということは、日米安保条約を『変質』させるという意味であり、それがしたいなら、憲法61条の規定で国会の承認を経なければならない。こういった根本的な議論を置き去りにしているからなのでしょう……。国民に安保法制の議論が十分伝わっていないとのお批判の声があるのは、これからの日米安保の在り方そのものが今の国会で議論されていないからに他ならない」(木村氏)
野党が対案を提出したこともあり、安保法制の議論がより深まってほしいところだが、三島は、草葉の陰から何を思って見ているだろうか。 <取材・文・撮影/山崎 元(本誌)>
山崎元
https://nikkan-spa.jp/890461
自衛隊を二つに分割せよ~三島由紀夫~
返信削除2012-04-08
テーマ:政治
三島
「私は日本の防衛について、自衛隊二分論という考えをもっているんですよ。
つまり、陸上自衛隊の9割、海上自衛隊の4割、航空自衛隊の1割を国土防衛軍にして、革命勢力の浸透のような間接侵略に対処させる。
自衛隊は現在でも、おもな任務は間接侵略への対処ですし、もともと間接侵略は安保条約とは関係のない、まったくの自主防衛の領域だから、そのくらいは国土防衛にとっていいのじゃないか。
残りは国連警察予備軍という形で、編成から制服まで別にする。
新憲法のもとでは海外派兵もできず、核兵器も持てないけれども、あくまでも安保条約に忠実な警察予備軍にする。そういう考え方です」
猪木
「自衛隊をアメリカの傭兵のように考えている人がいるでしょう。
発足当時はお仕着せの武器でやっていたし、今もなにかモヤモヤした印象を与えがちだ。そこのところを形の上でスパッとはっきさせる、という点では、いいアイデアだと思います」
三島
「どうしてそういう考え方を持つにいたったかは、長くなるからはぶきますが、要するに今となっては、われわれのナショナリズムというか、国民の独立、自立への要求が、単なる安保条約支持ではすまなくなってきている。
その具体的解決策は自衛隊を二分するしか考えられないんです。
国土防衛軍のほうは、いかなる外国軍隊とも条約を結ばない。
われわれの独立軍隊ですから、治安出動する場合はわれわれが自分たちの秩序を守るために出す、ということになります。
いまの状態では、アメリカの差し金で日本人のナショナリズムを弾圧するために出動するのではないか、という口実を敵方に与えるおそれがあるわけですけれども。
ただ、その場合に、われわれが間接侵略に対処するのは、武器によってではない。
われわれの魂によってです。
魂がなければ、どんな武器を持とうが、もぬけの殻だ。
スイスの民兵制度のように、市民が一定の期間訓練を受けて、いつでも立ち上がれる用意をする。
そういう制度をつくれという声が、国民の間から起こってくるようでなければだめです。
インテリが口先で防衛論争をやるだけではなくて、国民1人1人国を守るという気概を持たなければ、現実に侵略に対処できないのです」
猪木
「佐藤首相が67年にジョンソン大統領と会って帰ってから、安保堅持ということを大きな声でいうと同時に、自分の国は自分で守らなきゃいけない、といった。これはたいへんな矛盾であって、しかもいったご本人はそれに気づいていない」
三島
「そうなんです。あれは大きな間違いです」
猪木
「安保こそ、自分の国を自分で守ろうという気概を抑えている最大の要因の一つだと私は思うのです。
これは、日本は国家であるかどうか、という問題と関連するけれども、国民が自分の国を直接・間接の侵略から防衛しようと決意することがまず第一です。
そういう決意があってはじめて日本人は日本国民であり、日本は国家たりうるわけで、防衛の意思を持たない人間の集団なんて、国家じゃないですね。
国家の最低限度の条件は治安と防衛です。
自分の国を自分で守ろうというのは、ただ国土を守るというだけでなく、我々の生活を、生活様式を守ろう、ということまで含まれると思うんです」
三島
「結局、文化ですね」
猪木
「ええ、根本はそうなると思います。
なぜ日本人が国家存立の条件という肝腎な点について、いい加減でお茶を濁になったのか、考え直さなくてはならない時期にきているんじゃないでしょうか。
日本はひどい負け方をしたわけで、世界の歴史にもないような惨酷な敗戦です。
第一次大戦に敗れたドイツでさえ、ベルサイユ条約を受諾するかどうか、選択に余地を残されていました。
1918年の11月の休戦の半年後に、これ以上戦争を続けても勝てそうにないから、というので自由意思で条約をのんでいるんです。
ところが日本は、たちまち全土を占領されて、サンフランシスコ講和条約を強制された。
これは前代未聞の条約で、「強迫にもとづく意思表示は無効だ」という法律の原則からいえば法的に無効といえます。
そういう、国家としては存在していないような状況と、絶望的な戦争の反動との中で、自分のほうさえ無防備であれば平和を保てる、という奇妙な迷信のようなものができたんですね。
これを私は空想的平和主義、と呼んでいるんですが、そういう空気のもとに憲法も制定され、戦争放棄の第9条ができた。
敗戦後、国際的に完全に孤立した日本が国際的に受け入れられるようにするには、無条件の戦争放棄をうたわなくてはならない、という客観的条件もあったんです。
ただ、無条件で軍備を持たないということになるとあとで困るから、「前項の目的を達成するために」というものを第二項の頭に入れたわけです。
これがあれば、自衛のために持てる、ということにもなります。
京都大学の佐々木惣一という有名な憲法学者は、憲法発効の翌年の23年に、すでにそれを指摘して、日本は将来自衛の軍備を持てる、と強調している。
政府が一貫してこの解釈をとっていれば、いまの混乱は防げたはずないんです。
だから私は、この憲法は、ちっとも間違いだとは思わない。
自明の理なんだ。
自衛権のない国家なんて、存在しない」
☆彡 ★彡 ☆彡 ★彡
https://ameblo.jp/ryobalo/entry-11215943437.html
7 名無しさん@恐縮です[] 2019/03/25(月) 12:39:48.53 ID:dLojmYC50
返信削除劇画や漫画の作者がどんな思想を持たうと自由であるが、啓蒙家や教育者や図式的風刺家になつたら、
その時点でもうおしまひである。
かつて颯爽たる「鉄腕アトム」を想像した手塚治虫も、「火の鳥」では日教組の御用漫画家になり果て、
「宇宙虫」ですばらしいニヒリズムを見せた水木しげるも「ガロ」の「こどもの国」や「武蔵」連作では
見るもむざんな政治主義に堕してゐる。
一体、今の若者は、図式化されたかういふ浅墓な政治主義の劇画・漫画を喜ぶのであらうか。
「もーれつア太郎」のスラップスティックスを喜ぶ精神と、それは相反するではないか。
ヤングベ平連の高校生と話したとき、「もーれつア太郎」の話になつて、その少年が、
「あれは本当に心から笑へますね」と大人びた口調で言つた言葉が、いつまでも耳を離れない。
大人はたとへ「ア太郎」を愛読してゐてもかうまで含羞のない素直な賛辞を呈することはできぬだらう。
赤塚不二夫は世にも幸福な作者である。
三島由紀夫「劇画における若者論」より
返信削除https://blog.goo.ne.jp/koukiseijyu/e/470d05496f9cb1c245712a1991b53b39
ラストシーンから始まる人生:計画家・三島由紀夫
2006年10月28日
紅旗征戎
05/08/15 08:39
ポケットをさぐると、小刀と手巾に包んだカルチモンの瓶とが出て来た。それを谷底めがけて投げ捨てた。別のポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫んだ。一仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。(『金閣寺』)
あまり露骨な哀訴の調子が言外にきかれたものか、彼女は一瞬おどろいたように黙った。顔から血の気の引いてゆくのを気取らぬように、あらん限りの努力を私は払っていた。別れの時刻が待たれた。時間を卑俗なブルースがこね回していた。私たちは拡声器から来る感傷的な歌声のなかで身動ぎもしなかった。私と園子はほとんど同時に腕時計を見た - 時刻だった- 。 私は立上るとき、もう一度日向の椅子のほうをぬすみ見た。一団は踊りに行ったと見え、空っぽな椅子が照りつく日差しの中に置かれ、卓の上にこぼれている何かの飲物が、ぎらぎらと凄まじい反射をあげた。(『仮面の告白』)
誠はこれを見ているうちに、その緑いろの鉛筆に見覚えがあるような心地がした。その日光の加減で光っている金文字にも記憶が滞っている。彼は思い出そうと試みた。そしてこの記憶の中に夢と現実との甚だあいまいな情景が現れ、そこから響いてくる声が、彼の耳の奥底に瞬時にひびいてすぎ去って行くように思われた。それはこう言っていた。「誠や、あれは売り物ではありません」その時日が翳ってきて、向こうの窓はたちまち光を失ったので、この声は掻き消えた光と一緒に彼の脳裏から飛び去った。(『青の時代』)
引用が長くなったが、「最後の一行が決まるまで書けない」と語っていただけあって、三島由紀夫の小説のラストシーンはいずれも唸るほど計算されつくしたうまさがある。吃音にコンプレクスをもつ若い修行僧が自分を束縛し続けた美の象徴・金閣寺を放火するまでの経緯を描いた、有名な『金閣寺』だが、放火を決行するまでの緊迫した精神状態、苦悩の描き方ももちろん素晴らしいが、放火した後に精神的に解放されて、ナイフや薬による自殺ではなく、煙草を選んで「生きよう」と思う。この一行があるだけで、ただの破滅的耽美小説で終わらず、普遍的な青春小説になっている気がして最初に読んだ時に感銘を受けた。
『仮面の告白』は、三島の自伝的小説で、その同性愛的な感情と同性愛であるがゆえに初恋の女性・園子へ失恋したことを語った小説だが、三島好きだった大学の後輩は「普通の(異性愛の)恋愛小説として読みました」と語っていたのを思い出す。そうとも読める書き方になっているので、まさに二重の意味で「仮面」の告白なのである。
ここで引用したエンディングは、結婚した園子と「私」が再会してダンスホールで食事をしている場面だが、「私」は園子の存在を忘れて、思わずダンサーの男性を夢中になって眺めている。同席しているが関心の向かう方向がまったく違ってしまっている。そのズレと悲哀を巧みに描いている。
「韓国の現代詩人金芝河が、三島由紀夫の自刃に抗議して書いた詩の一節が、ここ数年来私の導きの糸となっている。(中略)三島の詩が含んでいるあらゆる意味、政治的なものであれ、芸術的なものであれ、いっさいの社会的な意味に対して反対しつつ書いた『アジュッカリ神風』という詩の冒頭の言葉がそれである。
返信削除どうってこたあねえよ
朝鮮野郎の血を吸って咲く菊の花さ
かっぱらっていった鉄の器を溶かして鍛えあげた日本刀さ
この『どうってこたあねえよ』という言葉によって、伝統的な日本文化の数々がものの見事に相対化される。(中略)ここには長い時の経過のうちに積もりつもった付加価値をこそぎ落として、その上ですべてを捉え直そうとの過激な、しかしぎりぎりの自己定位の覚悟が表現されている、と見たい。伝統とは、学問とは、歴史とは何なのだろうか。もちろんこのようにすべてを白紙に還元し、絶対零度の地点に立つことは、すべての価値をただ否定するだけではない。言うなればそれはオルテガの言う『戦術的退却』なのだ。すべてを裸の目で見ることによって、真に価値あるものを捉え直すための否定である」
http://monodialogos.fuji-teivo.com/archives/8018/comment-page-1
9:38 午前
Blogger yoji said...
どうってこたあねえよ
朝鮮野郎の血を吸って咲く菊の花さ
かっぱらっていった鉄の器を溶かして鍛えあげた日本刀さ
金芝河「アジュッカリ神風― ―三島由紀夫に」
9:45 午前
Blogger yoji said...
아주까리 神風
-三島由紀夫에게
김지하
별것 아니여
조선놈 피 먹고 피는 국화꽃이여
빼앗아 간 쇠그릇 녹여 벼린 일본도란 말이여
뭐가 대단해 너 몰랐더냐
비장처절하고 아암 처절하고말고 처절비장하고
처절한 神風도 별것 아니여
조선놈 아주까리 미친 듯이 퍼먹고 미쳐버린
바람이지, 미쳐버린
네 죽음은 식민지에
주리고 병들고 묶인 채 외치며 불타는 식민지의
죽음들 위에 내리는 비여
역사의 죽음 부르는
옛 군가여 별것 아니여
벌거벗은 女軍이 벌거벗은 갈보들 틈에 우뚝서
제멋대로 불러대는 미친 미친 군가여.
ここに□□したい文章を入力してください。 入力言語は自動判定されます。 アズカリ 神風
- 三島由紀夫に
金芝河
何もないです
ゾソンノム血食べて伸ばす菊の花よ
奪ったスェッグルッとかして鍛えた日本刀と言う言葉よ
何がすごくてお前モルラッドか
悲壮悽絶してアアム悽絶してしまって悽絶悲壮して
悽絶な 神風も何もないです
ゾソンノムアズカリ狂ったようによそって食べて狂ってしまった
風であって, 狂ってしまった
君の死は植民地に
飢えて病んで縛られたまま叫びながら燃える植民地の
死たちの上に降りる空くよ
歴史の死呼ぶ
昔の軍歌で何もないです
裸になった 女軍が裸になったガルボドル振るにぐんと立って
自分勝手にブルロデは及んだ及んだ軍歌なの.
返信削除どうってこたあねえよ
朝鮮野郎の血を吸って咲く菊の花さ
かっぱらっていった鉄の器を溶かして鍛えあげた日本刀さ
…
金芝河「アジュッカリ神風― ―三島由紀夫に」
아주까리 神風
-三島由紀夫에게
김지하
별것 아니여
조선놈 피 먹고 피는 국화꽃이여
빼앗아 간 쇠그릇 녹여 벼린 일본도란 말이여
…
ヘンリー・ミラー
返信削除《三島は高度の知性に恵まれていた。その三島ともあろう人が、大衆の心を変えようと試みても
無駄だということを認識していなかったのだろうか。それを問うているのだ。かつて大衆の意識
変革に成功した人は一人もいない。アレキサンドロス大王も、ナポレオンも、仏陀も、イエスも、
ソクラテスも、マルキオンも、その他ぼくの知る限り誰一人として、それには成功しなかった。
人類の大多数は惰眠を貪っている。あらゆる歴史を通じて眠ってきたし、おそらく原子爆弾が
人類を全滅させるときもまだ眠ったままだろう。いや、大衆を丸太みたいにあちこち転がしたり、
将棋の駒みたいに動かしたり、鞭を当てて激しく興奮させたり、簡単に(特に正義の名を持ち出せ
ば)殺戮に駆り立てたりすることはできる。しかし、彼らを目覚めさせることはできない。大衆に
向かって、知的に、平和的に、美しく生きよと命じても無駄に終わるだけだ。》
ヘンリー・ミラーコレクション15 「三島由紀夫の死 」より
255 a[sage] 2020/01/29(水) 23:39:11.02 ID:NsoWBfGc0
返信削除安保国会終盤で再注目される三島由紀夫の「自衛隊二分論」とは?
山崎元
1991年に起きた湾岸戦争は、日本の安全保障政策を語るうえで大きな転機となった。130億ドルもの
財政支援を行ったにもかからず、国際社会から「汗を流さない国」と突き放されたことで、日本の
国際貢献の在り方がさかんに議論されるようになったからだ。
1969年に日本教文社から刊行されときは『若きサムラヒのために』のタイトルだったが、現在は、
文藝春秋から『若きサムライのために』と改題されて売られている
翌年の「PKO(国連平和維持活動)国会」は荒れに荒れ、当時の野党・社会党は「牛歩戦術」を
繰り出すなど、本会議の採決を5泊6日で徹底抗戦。PKOへの参加は、自衛隊とは別組織の「文民」に
限定するといった代案を出したものの、当時の与党・自民党は最終的に公明・民社の賛同を取り付け、
数の論理で押し切るかたちで収まった。
このとき、にわかに再注目されたのが作家・三島由紀夫が提唱した「自衛隊二分論」だ。1969年に
論壇誌『20世紀』4月号で発表したこの論文は、現憲法下の自衛隊員のうち、陸自の9割、海自の4割、
空自の1割を「国土防衛軍」として残し、それ以外の隊員は「国連警察予備軍」の名の下、国連軍に
派遣するというもの。かねてから、憲法第9条の2つの条項を「敗戦国日本の戦勝国への詫証文(わび
しょうもん)」と揶揄し、一刻も早く憲法改正し自衛隊を正規軍に再編すべきと訴えていた三島に
とって、この自衛隊二分論で語った「国連警察予備軍」は、あくまで日米安保に忠実な部隊として、
憲法の枠組みのなかでも十分運用可能な“打開策”と考えていた節がある。
…
1 フォーエバー ★[] 2020/03/13(金) 22:29:40.89 ID:rxpNvbHW9
返信削除爆笑問題の太田光が13日放送のTBS系「爆報!THEフライデー」で、50年前の1970年に割腹自殺した作家の三島由紀夫についてピース・又吉直樹と語り合った。
2人は三島と東大全共闘との討論の映像を見ながらトーク。「最初から国籍はない」と主張する相手に対して「僕はね、国籍を持って日本人であること、自分では抜けられない。これは僕、自分の宿命であると信じている」と反論する三島に、太田は共感した。
「一番笑っちゃうのは、外国人のマネしてさ、ここ(側頭部)にこういうマイク付けてさ、今回の商品はってやるじゃない、ジョブズっぽい感じで。それをさ、みんなやるじゃない、最近のITのやつらなんて。バカだなと思うよ」と、米国人のマネをする日本人を痛烈に批判。
「そんな気持ちを三島はあの学生たちに持ってたんじゃないかなって気がするね。国境も言葉もない、グローバルだって言ったって、似合わないことはできないだろう。それ(日本文化)は何千年も続いてきちゃったもので、続いてきたものこそ力があって、俺たちはそこから逃れられるわけないだろうって、そう思ってた気がするんだよね」と、三島の真意を推察した。
挑発的な相手に、丁寧な言葉で向かっていく三島の心中を、太田は「分かり合う手段としては、言葉で行くしかないと思うんだよね。学生たちの方はなんとかやっつけてやろうって思ってるやつもいっぱいいたと思うんだけど、三島由紀夫はさらさらそれはなかったと思うね。あそこに行く時に、分かり合いたいってことが一番重要だったんだと思うんだね」と推しはかった。
太田の話は「今のSNSってのはやっつけたいなんだよね、相手を。そのために言葉を使い、傷付けたいとか言い負かしたい。論破ってよく言うじゃん、ネットの奴らね」と、ネット上の言論にも及んだ。
三島は「その言葉を、言霊を私はこの場に残してここを去って行く」と、討論の最後に述べたが、太田は三島の言う言霊について、ネットに結びつけて持論を展開。
「死ねって人に向かって言っちゃダメなんだよね。だって面と向かっては言わないじゃないですか。今名前も顔も出ないから平気で言うでしょ。でも言霊って俺は、実は重要なことで、誰もそいつがそのことを言ったことは知らないよ。一生バレることはないかもしれないが、誰かに向かって死ねって言ったことは、自分の中には絶対残ると思うんだよね。それは、自分がそういうことをした人間だって、いずれ、そこに苦しめられるような、俺は気がしてる。それが言霊なんじゃないか」と述べていた。
3/13(金) 20:54配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200313-00000135-dal-ent
ギリシアへの回帰と
返信削除天皇への回帰がクロスする
返信削除https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1658307895/100-n
338ニューノーマルの名無しさん2022/07/20(水) 18:23:08.43ID:WIjI2hVN0>>378>>484
三島由紀夫が生きていたら、山上を泣いて絶賛したことであろう
三島由紀夫
「私は民主主義と暗殺はつきもので、共産主義と粛清はつきものだと思っております。
共産主義の粛清のほうが数が多いだけ、始末が悪い。
たとえば暗殺が全然なかったら、政治家はどんなに不真面目になるか、殺される心配がなかったら、いくらでも嘘がつける」
学生とのティーチイン
一水会
@issuikai_jp
今日は教育勅語渙発記念日。ところで三島烈士は「日本文学小史」の中で、「古事記の神々や人々は、父母に孝ならず、兄弟垣にせめぎ、夫婦相和せず、朋友相信ぜず、あるいは驕慢であり、自分本位であり、勉強ぎらひで、法を破り、大声で泣き、大声で笑つてゐた」と述べている。率直な日本人論の一つだ。
2022/10/30 21:27
https://twitter.com/issuikai_jp/status/1586696365299884032?s=61&t=W23kl4YiFrSu7lrOozSenw
返信削除https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1658307895/100-n
338ニューノーマルの名無しさん2022/07/20(水) 18:23:08.43ID:WIjI2hVN0>>378>>484
三島由紀夫が生きていたら、山上を泣いて絶賛したことであろう
三島由紀夫
「私は民主主義と暗殺はつきもので、共産主義と粛清はつきものだと思っております。
共産主義の粛清のほうが数が多いだけ、始末が悪い。
たとえば暗殺が全然なかったら、政治家はどんなに不真面目になるか、殺される心配がなかったら、いくらでも嘘がつける」
学生とのティーチイン
一橋大講演は音声販売なし