訂正:
3:56備考
備考 きわめて多様であるべき感情の種類(前定理により)の中でも特に著しいのは美味欲、飲酒欲、情欲、食欲および名誉欲である。これらは愛もしくは欲望の感情の本性をその関係する対象によって説明する概念にほかならない。なぜなら、我々は美味欲、飲酒欲、情欲、食欲および名誉欲を美食、飲酒、性交、富および名誉への過度の愛もしくは欲望としか解しないからである。なおこれらの感情は、単にその関係する対象のみによって相互に区別される限り、反対感情を有しない。なぜなら、通常我々が美味欲に対立させる節制、飲酒欲に対立させる禁酒、最後に情欲に対立させる貞操は、感情あるいは受動ではなくて、それらの感情を制御する精神の能力を表示するものだからである。
3感情の諸定義
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note3k48
四四 名誉欲とは名誉に対する過度の欲望である。
説明 名誉欲はすべての感情をはぐくみかつ強化する欲望である(この部の定理二七および三一により)。したがってこの感情は、ほとんど征服できないものである。なぜなら、人間は何らかの感情に囚われている間は必ず同時に名誉欲に囚われているからである。キケロは言う、「最もすぐれた人々も特に名誉欲には支配される。哲学者は名誉の軽蔑すべきことを記した書物にすら自己の名を署する云々」。
四五 美味欲とは美味に対する過度の欲望あるいは愛である。
四六 飲酒欲とは飲酒に対する過度の欲望および愛である。
四七 貪欲とは富に対する過度の欲望および愛である。
四八 情欲とは性交に対する欲望および愛である。 252
説明 性交に対するこの欲望は適度であっても適度でなくても情欲と呼ばれるのが常である。
なおこれら五つの感情は(この部の定理五六の備考で注意したように)反対感情を有しない。なぜなら礼譲〔鄭重〕は名誉欲の一種であるし(これについてはこの部の定義二九の備考を見よ)、また節制、禁酒および貞操が精神の能力を示すものであって受動を示すものでないことはこれまたすでに注意したところである。もちろん貪欲な人間、名誉欲の強い人間、あるいは臆病な人間が、食事、飲酒および性交の過度を供しむということは有りうるにしても、それだからといって食欲、名誉欲および臆病が美味欲、飲酒欲、もしくは情欲の反対ではない。なぜなら食欲者は一般に、他人のところでなら飲食をむさぼることを願っている。また名誉欲の強い者〔すなわち人々に賞讃されようとのみしている者〕は露見しないという望みさえあればどんなことにも節制を守らないであろうし、またもし彼が飲酒家たちや好色家たちの間に生活するならば、まさに人の気に入ろうとのみするその性情のゆえに、ますます多くこの同じ悪行に傾くであろう。最後に臆病者は、もともと自らの欲しないことをなすものである。たとえ彼が死を逃れるために自己の財宝を海中に投じようとも、彼の食欲家たることには変りがないし、また好色家〔としての彼〕がその情欲をほしいままにすることができないのを悲しむとしても、彼はそのゆえに好色家たることを失いはしないのである。一般的に言えば、これらの感情は美味、飲酒などに対する個々の行為に関係するよりはそれへの衝動そのもの、それへの愛そのものに関係する。したがってこれらの感情に対置されうるものは、我々がのちに述べるであろう寛仁と勇気のみである。
四四 名誉欲とは名誉に対する過度の欲望である。
説明 名誉欲はすべての感情をはぐくみかつ強化する欲望である(この部の定理二七および三一により)。したがってこの感情は、ほとんど征服できないものである。なぜなら、人間は何らかの感情に囚われている間は必ず同時に名誉欲に囚われているからである。キケロは言う、「最もすぐれた人々も特に名誉欲には支配される。哲学者は名誉の軽蔑すべきことを記した書物にすら自己の名を署する云々」。
四五 美味欲とは美味に対する過度の欲望あるいは愛である。
四六 飲酒欲とは飲酒に対する過度の欲望および愛である。
四七 貪欲とは富に対する過度の欲望および愛である。
四八 情欲とは性交に対する欲望および愛である。 252
説明 性交に対するこの欲望は適度であっても適度でなくても情欲と呼ばれるのが常である。
なおこれら五つの感情は(この部の定理五六の備考で注意したように)反対感情を有しない。なぜなら礼譲〔鄭重〕は名誉欲の一種であるし(これについてはこの部の定義二九の備考を見よ)、また節制、禁酒および貞操が精神の能力を示すものであって受動を示すものでないことはこれまたすでに注意したところである。もちろん貪欲な人間、名誉欲の強い人間、あるいは臆病な人間が、食事、飲酒および性交の過度を供しむということは有りうるにしても、それだからといって食欲、名誉欲および臆病が美味欲、飲酒欲、もしくは情欲の反対ではない。なぜなら食欲者は一般に、他人のところでなら飲食をむさぼることを願っている。また名誉欲の強い者〔すなわち人々に賞讃されようとのみしている者〕は露見しないという望みさえあればどんなことにも節制を守らないであろうし、またもし彼が飲酒家たちや好色家たちの間に生活するならば、まさに人の気に入ろうとのみするその性情のゆえに、ますます多くこの同じ悪行に傾くであろう。最後に臆病者は、もともと自らの欲しないことをなすものである。たとえ彼が死を逃れるために自己の財宝を海中に投じようとも、彼の食欲家たることには変りがないし、また好色家〔としての彼〕がその情欲をほしいままにすることができないのを悲しむとしても、彼はそのゆえに好色家たることを失いはしないのである。一般的に言えば、これらの感情は美味、飲酒などに対する個々の行為に関係するよりはそれへの衝動そのもの、それへの愛そのものに関係する。したがってこれらの感情に対置されうるものは、我々がのちに述べるであろう寛仁と勇気のみである。
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