亀﨑澄夫「ストックとフローの首尾一貫した資本の蓄積過程-Marxian stock-flow-consistent Model の構築-」2019/3
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ストック−フロー一貫モデルと従来の計量経済モデルの違い - himaginary’s diary himaginary.hatenablog.com/entry/20160905…[★] |
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20:
理論的なSFCモデルの場合、長期均衡とは、そこでストック-フロー比率が安定している状態と定義される。言い換えると、ストックとフローが同じ率で成長するのである。システムはシステムがこうした均衡へ向かうのは短期均衡が連続する状態で、したがってカレツキーの言葉でいう「長期トレンドとは、短期状況の連鎖の諸要素の緩慢な変化でしかない。つまり独立した状態ではないのである」(Kalecky 1971: 165)。
邦訳カレツキ1984:
第15章
趨勢と景気循環
[1968]
1. はじめに
資本主義経済の成長に関する今日の理論は,景気循環理論で用いられるのと
同様のアプローチをとるというよりはむしろ, この問題を移動均衡の見地から
考察する傾向にある。前者は2つの関係を設定することから成り立っている。
1つは,投資によって生み出された有効需要の, 利潤と国民所得に及ぼす影響
に基礎をおくものであり,いま1つは, 投資決意が, 大雑把にいって,経済活
動の水準とその変化率とによって決定されることを示すものである。最初の関
係にはいまではこれといって複雑な問題点も含まれていない。 2番のものは,
私の考えによれば, いまでもやはり経済学の中心論点(pièce de résistance)
たるを失わない。
このアプローチが長期的成長という問題を前にしてなぜ放棄されなければな
らないのか,私は理解に苦しむ。実際,長期的越勢というものは, 短期的状態
の連鎖のうちの変化がなだらかな構成部分にすぎないのであって,それは独立
の実体などなんらもたず, 上にあげた2つの基礎的関係も, 景気循環現象を伴
う趣勢を生み出すような形で定式化さるべきなのである。なるほどこの仕事は,
別の抽象化,すなわち「純粋景気循環」の場合に比べると比較にならぬほど
因難であり,このような探求の結果は, 以下みていくように, この場合ほど
「機械的」ではない。しかしだからといってこのようなアプローチを放棄して
もいいということにはならず, 私にはこれこそが資本主義経済の動態に関する
現実的分析の唯一の鍵となるように思われる。
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ストック−フロー一貫モデルと従来の計量経済モデルの違い - himaginary’s diary
https://himaginary.hatenablog.com/entry/20160905/SFC_modelストック−フロー一貫モデルと従来の計量経済モデルの違い
サイモン・レン−ルイスが、SFCモデル(Stock-Flow Consistent model)なるモデルをブログで批判的に取り上げている。
レン−ルイスがWikipediaから引用するところによれば、SFCモデルとは、「a family of macroeconomic models based on a rigorous accounting framework, which guarantees a correct and comprehensive integration of all the flows and the stocks of an economy(厳密な会計のフレームワークに基づくことにより、経済のすべてのフローとストックを正しく包括的に統合することが保証されたマクロ経済モデルの一群)」とのことである。
レン−ルイスは、英国のSFCモデルを提示したBOE論文から、SFCモデルをDSGEモデルと比べた場合の長所と短所を列挙した表を引用している。以下はその表の拙訳。
長所 | 短所 |
---|---|
通常、国民経済計算の制約を用いて枠組みを提供する | モデルの方程式が特定の主体の最適化問題に明示的に結び付いていない |
グロスのフローとバランスシートのポジションが部門別にモデル化できる | 枠組みがきちんと確立されておらず、他の研究から洞察を取り入れるのが困難 |
金融資産や債務のポジションから生産や支出の経路へのフィードバックをモデル化するのに使える | モデルは複雑であり、使われている主要な経済のメカニズムの働きを説明するのが困難 |
貨幣、信用、金融システムの重要な役割を取り込むことができる | データに持っていくのが大変:必要とされるデータが、より標準的なDSGEモデルに比べて多い |
主体の予想を様々に特定化する枠組みを提供できる | モデルのパラメータはルーカス批判を免れない:政策レジームの変化や、駆動過程の時系列特性の変化に影響される |
SFCは、おそらく間違いなく、ミクロ的基礎付けを持つ多くのモデルよりも行動の仮定が現実的である | モデルがあまり明確に経済理論と関連付けられていない |
この表についてレン−ルイスは以下のような指摘を行っている。
- 短所1はほぼ定義そのもの。DSGEモデルはミクロ的基礎付けを持つが、SFCモデルはマクロベースの関係を出発点とする。ただ、このことはSFCモデルに限った話ではなく、従来の計量経済モデルも同様。
- 短所3と短所4も、多くの大型の計量経済モデルと共通した話。また、短所5は短所1から直に出て来る話。
- レン−ルイスに言わせれば、短所6こそが、他の計量経済モデルに比べた場合のSFCモデルの特徴。他の計量経済モデルでは、使用する関係性の理論的起源にこだわるのが一般的だが、BOE論文を見る限り、SFCモデルはそうではない。
- 長所に目を転じると、他の計量経済モデルへの目配りが欠けていることが一層明らかとなる。長所1と長所2は、DSGEを含め、どのモデルにも当てはまる話である。長所3は非常に重要ではあるものの、やはり多くの計量経済モデルと、DSGEモデルの一部に当てはまる。
- 長所4もDSGEを含めたどのモデルにも当てはまる話。長所5も、予想変数が明示的に特定化されていれば、どの計量経済モデルにも当てはまる。
- 長所6も、ほぼ必然的にどの計量経済モデルにも当てはまる話。というのは、マクロベースから出発して理論と折り合いを付けようとすれば(かつ、内的整合性を暗黙裡に断念すれば)、DSGEに比べてデータの当てはまりは良くなる。
レンールイスは以下のようにエントリを結んでいる。
To summarise, if you were to ask how this model compares to other aggregate (non-microfounded) models, the answer would probably be that it takes theory less seriously and it has a rather elaborate financial side.
The New Classical counter revolution had many good and bad consequences, but one of the undesirable consequences was, it seems, to define the equivalent of a year zero in macroeconomics, where nothing that was not in the New Classical tradition created before (or even after) this revolution is deemed to exist. The same should not be true for heterodox economists. If you are going to effectively return to a pre-DSGE tradition, please do not pretend that tradition did not exist.
...One of the big dangers with any kind of elaborate aggregate model is that you can get bizarre model properties from not thinking enough about the theory, or imposing enough because of the theory. Knowing some of the authors I doubt that has happened in this case. But it would be a mistake for others to believe that the properties of their model show the importance of accounting rather than the theory they have used.
(拙訳)
まとめると、このモデルが他のマクロ(ミクロ的基礎付けを持たない)モデルと比較してどう違うのか、と問うた場合、その答えは、理論をそれほど真剣に捉えていない半面、金融面を丁寧に作り込んでいる、というものになろう。
新しい古典派の反革命は、善悪両面の帰結を数多くもたらしたが、望ましくない帰結の一つは、マクロ経済学における零年に相当するものを定義したように思われる点である。即ち、この革命以前に(あるいは以後でも)創造されたもので新しい古典派の伝統に則っていないものは、存在していないものと見做される。異端派の経済学者はそのような態度をとるべきではない。DSGE以前の伝統に正式に回帰したいのであれば、そうした伝統が存在しなかった振りはお止め頂きたい。
・・・いかなる種類の精密なマクロモデルにおいても大きな落とし穴が存在するが、その一つは、理論のことを十分に考えないため、もしくは、理論の制約を十分に掛けないため、奇妙なモデル特性を得てしまう、というものである。論文の著者の中には知人もいるので、ここでそうしたことが起きたとは思わない。しかし、彼らのモデルが、彼らの使用した理論よりも会計の重要性を示した、と考えるのは間違いである。
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