以下、ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770- 1831)が1801年、大学で講義資格を得るための討論に際して事前に提出した12ヶ条からなる「討論テーゼ(Dissertationi philosophiae. De orbitis Planetarum decía en su segunda tesis)」(あるいはドイツ語で"Hegel's Habilitationsthesen")。ローゼンクランツが伝記で触れているが、残念ながら討論そのものの内容は残されていない(参考『ヘーゲル哲学の基本構造』中野肇308頁より)
参考サイト:
http://books.google.co.jp/books?id=uY4OAAAAQAAJ&pg=PA253&dq#v=onepage&q=&f=false
1. Contradictio est regula veri, non contradictio falsi.
2. Syllogismus est principium Idealismi.
3. Quadratum est lex naturae, triangulum mentis.
4. In Arithmetica vera nee additioni nisi unitatis ad dyadem, nee subtractioni nisi dyadis a triade neque triadi ut summae, neque unitati ut differentiae est locus.
5. Ut magnes est vectis naturalis, ita gravitas planetarum in solem pendulum naturale.
6. Idea est synthesis infiniti et finiti et philosophia omnis est in ideis.
7. philosophia critica caret ideis et imperfecta est Scepticismi forma.
8. Materia postulati rationis, quod philosophia critica exhibet, Cam ipsam philosophiam destruit, et principium est Spinozismi.
9. Status naturae non est injustus et eam ob causam, ex illo exeundum.
10. Principium scientiae moralis est reverentia fato habenda.
11. Virtus innocentiam tum agendi tum patiendi excludit.
12. Moralitas omnibus numeris absoluta virtuti repugnat.
1. 矛盾は真理の規則にして、非矛盾は虚偽の規則なり
2. 推論は観念論の原理なり
3. 四角形は自然の法則にして、三角形は精神の法則なり
4.真なる算術にては、一を二に加うるほかに加法はなく、三より二を引くほかに滅法はなし。また三は和と考うベからず、一は差と考うベからず
5. 磁石が自然の梃子であるように、太陽に向かう諸惑星の重力は自然の振り子である
6. 理念は有限と無限の総和にして、全哲学は理念のうちにあり
7. 批判哲学は理念を欠くがゆえに懐疑論の不完全なる形式なり
8. 批判哲学の樹立せる理性の要請なるものは、まさしくこの哲学そのものを破壊し、スピノザ主義の原則なり
9.自然状態は不義にあらず、さればこそこれより脱れ出でざるべからず
10. 道徳学の原理は運命に捧げられるべき畏敬なり
11. 徳は能動および受動いずれの無罪潔白をも排除す
12. すべてにおいて絶対的なる道徳は徳と矛盾す
和訳と対照しやすいように記述順をあらためると、
1. Contradictio est regula veri, non contradictio falsi.
1.矛盾は真理の規則にして、非矛盾は虚偽の規則なり
2. Syllogismus est principium Idealismi.
2.推論は観念論の原理なり
3. Quadratum est lex naturae, triangulum mentis.
3.四角形は自然の法則にして、三角形は精神の法則なり
4. In Arithmetica vera nee additioni nisi unitatis ad dyadem, nee subtractioni nisi dyadis a triade neque triadi ut summae, neque unitati ut differentiae est locus.
4.真なる算術にては、一を二に加うるほかに加法はなく、三より二を引くほかに滅法はなし。また三は和と考うベからず、一は差と考うベからず
5. Ut magnes est vectis naturalis, ita gravitas planetarum in solem pendulum naturale.
5.磁石が自然の梃子であるように、太陽に向かう諸惑星の重力は自然の振り子である
6. Idea est synthesis infiniti et finiti et philosophia omnis est in ideis.
6.理念は有限と無限の総和にして、全哲学は理念のうちにあり
7. Philosophia critica caret ideis et imperfecta est Scepticismi forma.
7.批判哲学は理念を欠くがゆえに懐疑論の不完全なる形式なり
8. Materia postulati rationis, quod philosophia critica exhibet, Cam ipsam philosophiam destruit, et principium est Spinozismi.
8.批判哲学の樹立せる理性の要請なるものは、まさしくこの哲学そのものを破壊し、スピノザ主義の原則なり
9. Status naturae non est injustus et eam ob causam, ex illo exeundum.
9.自然状態は不義にあらず、さればこそこれより脱れ出でざるべからず
10. Principium scientiae moralis est reverentia fato habenda.
10.道徳学の原理は運命に捧げられるべき畏敬なり
11. Virtus innocentiam tum agendi tum patiendi excludit.
11.徳は能動および受動いずれの無罪潔白をも排除す
12. Moralitas omnibus numeris absoluta virtuti repugnat.
12.すべてにおいて絶対的なる道徳は徳と矛盾す
これらは重要なヘーゲルの宣言文でもあるが、ある種のはったりでもあるので、評価が難しい(前半は神秘的な自然観に基づく論理学であり、後半は批判哲学批判と考えられる)。ただ、大学とは討論の場であったことが原点として確認出来ればいいだろう。ヘーゲル批判に関しては同時期の『惑星軌道論』などを見る必要があるが、その自然科学観(これは現在再評価される部分もある)よりも論理学に的を絞った方がわかりやすいだろう。例えば以下のような批判がある。
以下、山下正男『論理学史』(p225)より
「(ボルツァーノは)例えばヘーゲルの好む表現 "運動とは質点Mが同じ瞬間に同じ場所mにあり,そして,ないことである"(大論理学邦訳岩波中p79より)を論理学の自殺だときめつけ,運動はそうした矛盾律を犯さなくてもつぎのように正しく把握できると主張した. "質点Mが一定の時間Tに運動するとは,Mが同一の場所に静止するようなTの部分tは一つも存在しないということである".」
12 Comments:
五七五
初めに展開が進んで行くときの基礎になっているのはこの現われる作用なのである。この第一の現象を形成するのが推理である。この推理は出発点としての論理的なものを基礎とし、自然をその媒概念としており、この自然が論理的なものと精神を綜合するのである。論理的なものが自然となり自然が精神となる。精神とその本質(論理的なもの)の間にある自然は、精神と本質という両者を分離して有限な抽象化という両極とするのでもなければ、それら両者から離れて自立的なものとなるのでもない。この自立的なものは両者とは別のものとして自らとは別の両者を綜合するにすぎないものではない。なぜならば、推理は理念の中にあり、自然は本質的には通過点として否定的な契機として規定されているにすぎないし、自体的には理念であるからである。なるほどそうではあるが、概念の媒介は移行という外的形式をもっており、学は必然性の行程の学である。それゆえ概念の自由は、概念の自己自身との綜合として一方の極の中に措定されているにほかならない。
五七六
この現象は第二の推理において弁証法的に廃棄されている。がこのことは、この推理がすでに精神自身の立場に立っている限りのことである。精神はこの過程を媒介するものであり、自然を前提しており、自然と論理的なものを綜合する。これは、理念において精神が反省する〔自己に復帰する〕推理である。このとき学は主観的認識として現われるが、この認識の目的は自由であり、この認識そのものは自由を生み出す道程である。
五七七
第三の推理は哲学という理念である。これは自己を知る理性を、絶対的普遍者をその媒概念としている。この媒概念は精神と自然に分かれ、精神を理念の主観的はたらきの過程として前提し、自然を自体的に客観的に存在する理念の過程として普遍的な極とする。理念は二つの現象に自己を根源分割するが(第五七五、五七六節)、そのときこの二つの現象を理念の(自己を知る理性の)示顕として規定する。理念の中では、自ら運動を続け展開するのは事柄の本性であり、概念であるということと、また同じようにこの運動が認識のはたらきであるということ、すなわち、即且向自的に存在する永遠の理念は絶対精神として自らを永遠に活動させ、生み出し、享受するということが統一される。
アリストテレス形而上学十二の七より
思惟そのものはそれ自身最善のものに向かい、最高の思惟は最高の最善のものに向かう。…その上神には生命も属している。というのは、理性の現実態は生命であり、神はこの現実態だからである。しかも神の現実態そのものは最善で永遠な生命である。それゆえわれわれは、神が永遠で最善の生命あるものであり、恒常的で永遠の生命や永生が神のものであるという。というのはこのようなのが神であるからである。[完]
/\
/_哲学
/\絶対的\
芸術_\/_宗教
/\<精神哲学> /世界史
/__\ /__\
/\主観的\ /\客観的\
/__\/__\ /__\/__\
/\ /\
/__\ 『エンチクロペディー』/動物\
/\概念論\ /有機体学\
/__\/__\ 地質学\/植物\
/\ <論理学>/\ /\ <自然哲学>/\
/__\ /__\ /__\ /__\
/\有論/\ /\本質論\ /\力学/\ /\物理学\
/__\/__\/__\/__\ /__\/__\ /__\/__\
論理学区分、
予備概念
五七五
初めに展開が進んで行くときの基礎になっているのはこの現われる作用なのである。この第一の現象を形
成するのが推理である。この推理は出発点としての論理的なものを基礎とし、自然をその媒概念としてお
り、この自然が論理的なものと精神を綜合するのである。論理的なものが自然となり自然が精神となる。…
五七六
この現象は第二の推理において弁証法的に廃棄されている。がこのことは、この推理がすでに精神自身の立場に立っている限りのことである。精神はこの過程を媒介するものであり、自然を前提しており、自然と論理的なものを綜合する。これは、理念において精神が反省する〔自己に復帰する〕推理である。このとき学は主観的認識として現われるが、この認識の目的は自由であり、この認識そのものは自由を生み出す道程である。
五七七
第三の推理は哲学という理念である。これは自己を知る理性を、絶対的普遍者をその媒概念としている。
この媒概念は精神と自然に分かれ、精神を理念の主観的はたらきの過程として前提し、自然を自体的に客観
的に存在する理念の過程として普遍的な極とする。…
アリストテレス形而上学十二の七より
思惟そのものはそれ自身最善のものに向かい、最高の思惟は最高の最善のものに向かう。…その上神には
生命も属している。というのは、理性の現実態は生命であり、神はこの現実態だからである。しかも神の現
実態そのものは最善で永遠な生命である。それゆえわれわれは、神が永遠で最善の生命あるものであり、恒
常的で永遠の生命や永生が神のものであるという。というのはこのようなのが神であるからである。[完]
/\
/_哲学
/\絶対的\
芸術_\/_宗教
/\<精神哲学> /世界史
/__\ /__\
/\主観的\ /\客観的\
/__\/__\ /__\/__\
/\ /\
/__\ 『エンチクロペディー』/動物\
/\概念論\ /有機体学\
/__\/__\ 地質学\/植物\
/\ <論理学>/\ /\ <自然哲学>/\
/__\ /__\ /__\ /__\
/\有論/\ /\本質論\ /\力学/\ /\物理学\
/__\/__\/__\/__\ /__\/__\ /__\/__\
論理学区分、
予備概念
初めに展開が進んで行くときの基礎になっているのはこの現われる作用なのである。この第一の現象を形
成するのが推理である。この推理は出発点としての論理的なものを基礎とし、自然をその媒概念としてお
り、この自然が論理的なものと精神を綜合するのである。論理的なものが自然となり自然が精神となる。…
五七六
この現象は第二の推理において弁証法的に廃棄されている。がこのことは、この推理がすでに精神自身の
立場に立っている限りのことである。精神はこの過程を媒介するものであり、自然を前提しており、自然と
論理的なものを綜合する。これは、理念において精神が反省する〔自己に復帰する〕推理である。このとき
学は主観的認識として現われるが、この認識の目的は自由であり、この認識そのものは自由を生み出す道程
である。…
五七七
第三の推理は哲学という理念である。これは自己を知る理性を、絶対的普遍者をその媒概念としている。
この媒概念は精神と自然に分かれ、精神を理念の主観的はたらきの過程として前提し、自然を自体的に客観
的に存在する理念の過程として普遍的な極とする。…
アリストテレス形而上学十二の七より
思惟そのものはそれ自身最善のものに向かい、最高の思惟は最高の最善のものに向かう。…その上神には
生命も属している。というのは、理性の現実態は生命であり、神はこの現実態だからである。しかも神の現
実態そのものは最善で永遠な生命である。それゆえわれわれは、神が永遠で最善の生命あるものであり、恒
常的で永遠の生命や永生が神のものであるという。というのはこのようなのが神であるからである。[完]
C哲学
…
五七五
初めに展開が進んで行くときの基礎になっているのはこの現われる作用なのである。この第一の現象を形
成するのが推理である。この推理は出発点としての論理的なものを基礎とし、自然をその媒概念としてお
り、この自然が論理的なものと精神を綜合するのである。論理的なものが自然となり自然が精神となる。…
五七六
この現象は第二の推理において弁証法的に廃棄されている。がこのことは、この推理がすでに精神自身の
立場に立っている限りのことである。精神はこの過程を媒介するものであり、自然を前提しており、自然と
論理的なものを綜合する。これは、理念において精神が反省する〔自己に復帰する〕推理である。このとき
学は主観的認識として現われるが、この認識の目的は自由であり、この認識そのものは自由を生み出す道程
である。…
五七七
第三の推理は哲学という理念である。これは自己を知る理性を、絶対的普遍者をその媒概念としている。
この媒概念は精神と自然に分かれ、精神を理念の主観的はたらきの過程として前提し、自然を自体的に客観
的に存在する理念の過程として普遍的な極とする。…
アリストテレス形而上学十二の七より
思惟そのものはそれ自身最善のものに向かい、最高の思惟は最高の最善のものに向かう。…その上神には
生命も属している。というのは、理性の現実態は生命であり、神はこの現実態だからである。しかも神の現
実態そのものは最善で永遠な生命である。それゆえわれわれは、神が永遠で最善の生命あるものであり、恒
常的で永遠の生命や永生が神のものであるという。というのはこのようなのが神であるからである。[完]
http://books.google.co.jp/books?id=oA1NDDirneQC&pg=PA11&lpg=PA11&dq=Bernard
+Bolzano+hegel+Theory+of+Science&source=bl&ots=
BGSfMUjkQl&sig=KPbhTJfPfOqYdASfxWSSdL22540&hl=ja&sa=X&ei=ptxyUI_6OOyhmQXFnoHwBg&ved=
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Bernard Bolzano hegel Theory of Science
Theory of Science: Attempt at a Detailed and in the
Main Novel Exposition of ... - Bernard Bolzano - Google ブックス
C
哲学
五七二
芸術の直観様式は形式上では外的であり、芸術の創作活動は主観的であり、実体的内容は多くの自立的な
形態に分裂している。また宗教は表象の中で展開されるとき、離れ離れになる作用や展開されたものを媒介
する作用などを行なっている。芸術は宗教のこの統体に出会うとき、一つの全体に総括されるだけではな
く、単純な精神的直観に統一され、そのときこの直観の中で自己意識的な思惟に高められている。以上のよ
うな限りで哲学は芸術と宗教の統一である。そのため、哲学というこの知は芸術および宗教の概念を思惟
によって認識したものである。この概念においては、内容の点で異なったものが必然的なものとして、また
この必然的なものが自由なものとして認識されている。
初期ヘーゲル哲学の軌跡 断片・講義・書評/ヘーゲル/〔著〕 寄川条路/編訳 本・コミック : オンライン書店e-hon
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031649807&Action_id=121&Sza_id=C0
初期ヘーゲル哲学の軌跡 断片・講義・書評
ヘーゲル/〔著〕 寄川条路/編訳
出版社名 : ナカニシヤ出版
出版年月 : 2006年1月
ISBNコード : 978-4-88848-986-7
(4-88848-986-6)
税込価格 : 2,808円
頁数・縦 : 164P 22cm
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商品の内容
[要旨]
ドイツ観念論へと結晶する、青年期ヘーゲルの思索。フランクフルト期からハイデルベルク期までの、ヘーゲルの断片集・講義録・書評の本邦初訳を含む。
[目次]
第1章 ヘーゲル「初期断片集」(一七九七‐一八〇〇年)(ドイツ観念論の最初の体系プログラム
ユダヤ精神 ほか)
第2章 ヘーゲル「論理学・形而上学講義」(一八〇一/〇二年)(論理学
反省による分析 ほか)
第3章 ヘーゲル「F.H.ヤコービ著作集第三巻の書評」(一八一七年)(スピノザ主義との出会いとヤコービの「実体」解釈
形而上学の衰退とヤコービの登場 ほか)
第4章 ラインホルト「シェリング『超越論的観念論の体系』の批評」(一八〇〇年)(哲学の目指す知
自然と知性 ほか)
[目録情報]
フランクフルト期からハイデルベルク期までのヘーゲルの萌芽的作品群を収録。(哲学・思想図書総目録より)
[出版社商品紹介]
フランクフルト期からハイデルベルク期までのヘーゲルの萌芽的作品群を収録。本邦初訳を含む若きヘーゲルの思索の跡。
「つぼみは、花が咲くと消えてしまう。そこで、つばみは花によって否定されると言ってもよい。
同じように、果実によって花は植物の偽なる定在と宣告され、植物の真として果実が花の
代りとなる。これらの形式は互いに異なっているだけでなく、互いに相容れないものとして
斥け合う。しかし、これらの形式は、流動的な性質をもっているため、同時に有機的統一の
契機となり、この統一にあっては形式は互いに対抗しないばかりか、一方は他方と同じように
必然的である。この等しい必然があって初めて、全体という生命が成り立つのである。けれど
も或る哲学体系に自分の体系が矛盾する場合、一方では今言った仕方で矛盾を理解しない
のが普通である。」
精神現象学序論
世界の大思想版
親子に弁証法の原型を見た「愛」など、ここでしか読めない作品がいくつかある。
題名で損をしているが、ヘーゲル研究者必携である。
初期ヘーゲル哲学の軌跡 断片・講義・書評
ヘーゲル/〔著〕 寄川条路/編訳
よりかわ じょうじ、1961年 - )は、日本の哲学研究者、随筆家、明治学院 大学教授。筆名は紀川しのろ。
国家論大綱 第2巻
著者名等 滝村隆一/著 ≪再検索≫
出版者 勁草書房
出版年 2014.12
大きさ等 22cm 804p
NDC分類 311
件名 国家 ≪再検索≫
要旨 世界史的国家を理論的に捉え、体系化するための土台となった壮大な作業の記録。
目次 第1部 序論 学的理論の“原理と方法”(わが学的方法について;ヘーゲル弁証法と学
的世界史;ヘーゲル哲学の展開・総括・批判と継承);第2部 総説 第一巻の学的国家
論の総括と補足(前提と方法;“国家の本質”と内的構成;学的国家論における“歴史的
始源と形成”の問題 ほか);第3部 本論 歴史的・世界史的国家の理論的解明(歴史
的国家論)(国家の歴史的始源と形成;アジア的国家論;西欧絶対王政とアジア的国家
ほか)
内容 世界史的国家を理論的に捉え、体系化するための土台となった壮大な作業の記録。半世紀
に及ぶ著者渾身の『国家論大綱』はここに完結。
ISBN等 4-326-30236-4
ISBN等 978-4-326-30236-9
国家論大綱 第1巻 上
著者名等 滝村隆一/著 ≪再検索≫
出版者 勁草書房
出版年 2003.5
大きさ等 22cm 711p
NDC分類 311
件名 国家 ≪再検索≫
要旨 権力と国家を主体とした政治的世界の仕組みと一般的な運動法則を提示する。古代から現
代に至る国家の歴史的動態を大きく捉え、厳密に論究する雄渾な理論書。
目次 序論 “政治”とは何か、についての予備的考察;総説 権力とは何か?―権力論(権力
の本質;組織的権力の構成と形態;権力と暴力(Gewalt);権力主体をめぐる観念
的諸契機 ほか);本論 国家とは何か?―一般的国家論(前提と方法;国家論総説;国
家権力と社会;国家権力の実質的構成 ほか)
ISBN等 4-326-30148-1
国家論大綱 第1巻 下
著者名等 滝村隆一/著 ≪再検索≫
出版者 勁草書房
出版年 2003.7
大きさ等 22cm 717p
NDC分類 311
件名 国家 ≪再検索≫
目次 本論 国家とは何か?―一般的国家論(国家権力の現実的構成;国家・国家権力の現実的
構成;国家の思想的・観念的構成;総括);補論 特殊的国家論(“近代”専制国家登場
の意味;死滅せざる国家について)
ISBN等 4-326-30149-X
書誌番号 3-0203049832
う~ん
4. In Arithmetica vera nee additioni nisi unitatis ad dyadem, nee subtractioni nisi dyadis a triade neque triadi ut summae,
neque unitati ut differentiae est locus.
4.真なる算術にては、一を二に加うるほかに加法はなく、三より二を引くほかに滅法はなし。また三は和と考うベからず、
一は差と考うベからず
ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770- 1831)が1801年、大学で講義資格を得るための討論に際して事前に提出
した12ヶ条からなる「討論テーゼ(Dissertationi philosophiae. De orbitis Planetarum decía en su segunda tesis)」(あるいは
ドイツ語で"Hegel's Habilitationsthesen")。ローゼンクランツが伝記で触れているが、残念ながら討論そのものの内容は残されて
いない(参考『ヘーゲル哲学の基本構造』中野肇308頁)
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