Glenn Gould reads "The Three-Cornered World" by Natsume Soseki
https://youtu.be/jvI5a3kZl0M(2017/2/8追記:以下はリンク切れ)
Gould-Glenn_The-Three-Cornered-World_1981.mp3
1981年、グレン・グールドGlenn GOULD(1932〜1982) 、カナダCBCラジオ放送にて。
「『草枕(三角の世界 The Three-Cornered World )』が書かれたのは1906年、日露戦争のころですが、そのことは最後の場面で少し出てくるだけです。むしろ、戦争否定の気分が第一次大戦をモチーフとしたトーマスマンの『魔の山』を思い出させ、両者は相通じるものがあります。
『草枕』は様々な要素を含んでいますが、とくに思索と行動、無関心と義理、西洋と東洋の価値観の対立、モダニズムのはらむ危険を扱っています。これは20世紀の小説の最高傑作のひとつだと、私は思います。最初の章を読んでみましょう。」"The Three-Cornered World"
NATSUME Soseki translation by Alan Turney
Going up a mountain track, I fell to thinking.
Approach everything rationally, and you become harsh.
Pole along in the stream of emotions ,
and you will be swept away by the current.
Give free rein to your desires ,
and you become uncomfortably confined .
It is not a very agreeable place to live , this world of ours.
草枕
夏目漱石
一
山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊(たっ)とい。
住みにくき世から、住みにくき煩(わずら)いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画(え)である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云(い)えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧(わ)く。着想を紙に落さぬとも※(「王へん+樛のつくり」)鏘(きゅうそう)の音(おん)は胸裏(きょうり)に起(おこ)る。丹青(たんせい)は画架(がか)に向って塗抹(とまつ)せんでも五彩(ごさい)の絢爛(けんらん)は自(おのず)から心眼(しんがん)に映る。ただおのが住む世を、かく観(かん)じ得て、霊台方寸(れいだいほうすん)のカメラに澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の俗界を清くうららかに収め得(う)れば足(た)る。この故に無声(むせい)の詩人には一句なく、無色(むしょく)の画家には尺※(「糸+賺のつくり」)(せっけん)なきも、かく人世(じんせい)を観じ得るの点において、かく煩悩(ぼんのう)を解脱(げだつ)するの点において、かく清浄界(しょうじょうかい)に出入(しゅつにゅう)し得るの点において、またこの不同不二(ふどうふじ)の乾坤(けんこん)を建立(こんりゅう)し得るの点において、我利私慾(がりしよく)の覊絆(きはん)を掃蕩(そうとう)するの点において、——千金(せんきん)の子よりも、万乗(ばんじょう)の君よりも、あらゆる俗界の寵児(ちょうじ)よりも幸福である。
世に住むこと二十年にして、住むに甲斐(かい)ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏(ひょうり)のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日(こんにち)はこう思うている。——喜びの深きとき憂(うれい)いよいよ深く、楽(たのし)みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片(かた)づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖(ふ)えれば寝(ね)る間(ま)も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支(ささ)えている。背中(せなか)には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽(あ)き足(た)らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……
余(よ)の考(かんがえ)がここまで漂流して来た時に、余の右足(うそく)は突然坐(すわ)りのわるい角石(かくいし)の端(はし)を踏み損(そ)くなった。平衡(へいこう)を保つために、すわやと前に飛び出した左足(さそく)が、仕損(しそん)じの埋(う)め合(あわ)せをすると共に、余の腰は具合よく方(ほう)三尺ほどな岩の上に卸(お)りた。肩にかけた絵の具箱が腋(わき)の下から躍(おど)り出しただけで、幸いと何(なん)の事もなかった。
立ち上がる時に向うを見ると、路(みち)から左の方にバケツを伏せたような峰が聳(そび)えている。杉か檜(ひのき)か分からないが根元(ねもと)から頂(いただ)きまでことごとく蒼黒(あおぐろ)い中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引(たなび)いて、続(つ)ぎ目(め)が確(しか)と見えぬくらい靄(もや)が濃い。少し手前に禿山(はげやま)が一つ、群(ぐん)をぬきんでて眉(まゆ)に逼(せま)る。禿(は)げた側面は巨人の斧(おの)で削(けず)り去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底に埋(うず)めている。天辺(てっぺん)に一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえ判然(はっきり)している。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布(けっと)が動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる難義(なんぎ)だ。
土をならすだけならさほど手間(てま)も入(い)るまいが、土の中には大きな石がある。土は平(たい)らにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。掘崩(ほりくず)した土の上に悠然(ゆうぜん)と峙(そばだ)って、吾らのために道を譲る景色(けしき)はない。向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。巌(いわ)のない所でさえ歩(あ)るきよくはない。左右が高くって、中心が窪(くぼ)んで、まるで一間幅(はば)を三角に穿(く)って、その頂点が真中(まんなか)を貫(つらぬ)いていると評してもよい。路を行くと云わんより川底を渉(わた)ると云う方が適当だ。固(もと)より急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七曲(ななまが)りへかかる。
たちまち足の下で雲雀(ひばり)の声がし出した。谷を見下(みおろ)したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙(せわ)しく、絶間(たえま)なく鳴いている。方幾里(ほういくり)の空気が一面に蚤(のみ)に刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音(ね)には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句(あげく)は、流れて雲に入(い)って、漂(ただよ)うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡(うち)に残るのかも知れない。
巌角(いわかど)を鋭どく廻って、按摩(あんま)なら真逆様(まっさかさま)に落つるところを、際(きわ)どく右へ切れて、横に見下(みおろ)すと、菜(な)の花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの黄金(こがね)の原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀と、上(あが)る雲雀(ひばり)が十文字にすれ違うのかと思った。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字に擦(す)れ違うときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。
春は眠くなる。猫は鼠を捕(と)る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂(たましい)の居所(いどころ)さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒(さ)める。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然(はんぜん)する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。
たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦(あんしょう)して見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。
We look before and after
And pine for what is not:
Our sincerest laughter
With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.
「前をみては、後(しり)えを見ては、物欲(ものほ)しと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極(きわ)みの歌に、悲しさの、極みの想(おもい)、籠(こも)るとぞ知れ」
なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌う訳(わけ)には行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛(ばんこく)の愁(うれい)などと云う字がある。詩人だから万斛で素人(しろうと)なら一合(ごう)で済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨(ぼんこつ)の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の悲(かなしみ)も多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。
しばらくは路が平(たいら)で、右は雑木山(ぞうきやま)、左は菜の花の見つづけである。足の下に時々蒲公英(たんぽぽ)を踏みつける。鋸(のこぎり)のような葉が遠慮なく四方へのして真中に黄色な珠(たま)を擁護している。菜の花に気をとられて、踏みつけたあとで、気の毒な事をしたと、振り向いて見ると、黄色な珠は依然として鋸のなかに鎮座(ちんざ)している。呑気(のんき)なものだ。また考えをつづける。
詩人に憂(うれい)はつきものかも知れないが、あの雲雀(ひばり)を聞く心持になれば微塵(みじん)の苦(く)もない。菜の花を見ても、ただうれしくて胸が躍(おど)るばかりだ。蒲公英もその通り、桜も——桜はいつか見えなくなった。こう山の中へ来て自然の景物(けいぶつ)に接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が草臥(くたび)れて、旨(うま)いものが食べられぬくらいの事だろう。
しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一幅(ぷく)の画(え)として観(み)、一巻(かん)の詩として読むからである。画(が)であり詩である以上は地面(じめん)を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲(ひともう)けする了見(りょうけん)も起らぬ。ただこの景色が——腹の足(た)しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も伴(ともな)わぬのだろう。自然の力はここにおいて尊(たっ)とい。吾人の性情を瞬刻に陶冶(とうや)して醇乎(じゅんこ)として醇なる詩境に入らしむるのは自然である。
恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局(きょく)に当れば利害の旋風(つむじ)に捲(ま)き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩(くら)んでしまう。したがってどこに詩があるか自身には解(げ)しかねる。
これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観(み)て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚(たな)へ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。
それすら、普通の芝居や小説では人情を免(まぬ)かれぬ。苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。見るものもいつかその中に同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。取柄(とりえ)は利慾が交(まじ)らぬと云う点に存(そん)するかも知れぬが、交らぬだけにその他の情緒(じょうしょ)は常よりは余計に活動するだろう。それが嫌(いや)だ。
苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通(しとお)して、飽々(あきあき)した。飽(あ)き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞(こぶ)するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界(じんかい)を離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌(しいか)の純粋なるものもこの境(きょう)を解脱(げだつ)する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世(うきよ)の勧工場(かんこうば)にあるものだけで用を弁(べん)じている。いくら詩的になっても地面の上を馳(か)けてあるいて、銭(ぜに)の勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀(ひばり)を聞いて嘆息したのも無理はない。
うれしい事に東洋の詩歌(しいか)はそこを解脱(げだつ)したのがある。採菊(きくをとる)東籬下(とうりのもと)、悠然(ゆうぜんとして)見南山(なんざんをみる)。ただそれぎりの裏(うち)に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗(のぞ)いてる訳でもなければ、南山(なんざん)に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的(しゅっせけんてき)に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。独(ひとり)坐幽篁裏(ゆうこうのうちにざし)、弾琴(きんをだんじて)復長嘯(またちょうしょうす)、深林(しんりん)人不知(ひとしらず)、明月来(めいげつきたりて)相照(あいてらす)。ただ二十字のうちに優(ゆう)に別乾坤(べつけんこん)を建立(こんりゅう)している。この乾坤の功徳(くどく)は「不如帰(ほととぎす)」や「金色夜叉(こんじきやしゃ)」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後(のち)に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。
二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気(のんき)な扁舟(へんしゅう)を泛(うか)べてこの桃源(とうげん)に溯(さかのぼ)るものはないようだ。余は固(もと)より詩人を職業にしておらんから、王維(おうい)や淵明(えんめい)の境界(きょうがい)を今の世に布教(ふきょう)して広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人(ひとり)絵の具箱と三脚几(さんきゃくき)を担(かつ)いで春の山路(やまじ)をのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間(ま)でも非人情(ひにんじょう)の天地に逍遥(しょうよう)したいからの願(ねがい)。一つの酔興(すいきょう)だ。
もちろん人間の一分子(いちぶんし)だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く訳(わけ)には行かぬ。淵明だって年(ねん)が年中(ねんじゅう)南山(なんざん)を見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹藪(たけやぶ)の中に蚊帳(かや)を釣らずに寝た男でもなかろう。やはり余った菊は花屋へ売りこかして、生(は)えた筍(たけのこ)は八百屋(やおや)へ払い下げたものと思う。こう云う余もその通り。いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情が募(つの)ってはおらん。こんな所でも人間に逢(あ)う。じんじん端折(ばしょ)りの頬冠(ほおかむ)りや、赤い腰巻(こしまき)の姉(あね)さんや、時には人間より顔の長い馬にまで逢う。百万本の檜(ひのき)に取り囲まれて、海面を抜く何百尺かの空気を呑(の)んだり吐いたりしても、人の臭(にお)いはなかなか取れない。それどころか、山を越えて落ちつく先の、今宵(こよい)の宿は那古井(なこい)の温泉場(おんせんば)だ。
ただ、物は見様(みよう)でどうでもなる。レオナルド・ダ・ヴィンチが弟子に告げた言(ことば)に、あの鐘(かね)の音(おと)を聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。一人の男、一人の女も見様次第(みようしだい)でいかようとも見立てがつく。どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮世小路(うきよこうじ)の何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。よし全く人情を離れる事が出来んでも、せめて御能拝見(おのうはいけん)の時くらいは淡い心持ちにはなれそうなものだ。能にも人情はある。七騎落(しちきおち)でも、墨田川(すみだがわ)でも泣かぬとは保証が出来ん。しかしあれは情(じょう)三分芸(ぶげい)七分で見せるわざだ。我らが能から享(う)けるありがた味は下界の人情をよくそのままに写す手際(てぎわ)から出てくるのではない。そのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長(ゆうちょう)な振舞(ふるまい)をするからである。
しばらくこの旅中(りょちゅう)に起る出来事と、旅中に出逢(であ)う人間を能の仕組(しくみ)と能役者の所作(しょさ)に見立てたらどうだろう。まるで人情を棄(す)てる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕(こ)ぎつけたいものだ。南山(なんざん)や幽篁(ゆうこう)とは性(たち)の違ったものに相違ないし、また雲雀(ひばり)や菜の花といっしょにする事も出来まいが、なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観察点から人間を視(み)てみたい。芭蕉(ばしょう)と云う男は枕元(まくらもと)へ馬が尿(いばり)するのをさえ雅(が)な事と見立てて発句(ほっく)にした。余もこれから逢う人物を——百姓も、町人も、村役場の書記も、爺(じい)さんも婆(ばあ)さんも——ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。もっとも画中の人物と違って、彼らはおのがじし勝手な真似(まね)をするだろう。しかし普通の小説家のようにその勝手な真似の根本を探(さ)ぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤(じんじかっとう)の詮議立(せんぎだ)てをしては俗になる。動いても構わない。画中の人間が動くと見れば差(さ)し支(つかえ)ない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる。面倒になればなるほど美的に見ている訳(わけ)に行かなくなる。これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、人情の電気がむやみに双方で起らないようにする。そうすれば相手がいくら働いても、こちらの懐(ふところ)には容易に飛び込めない訳だから、つまりは画(え)の前へ立って、画中の人物が画面の中(うち)をあちらこちらと騒ぎ廻るのを見るのと同じ訳になる。間(あいだ)三尺も隔(へだ)てていれば落ちついて見られる。あぶな気(げ)なしに見られる。言(ことば)を換(か)えて云えば、利害に気を奪われないから、全力を挙(あ)げて彼らの動作を芸術の方面から観察する事が出来る。余念もなく美か美でないかと鑒識(かんしき)する事が出来る。
ここまで決心をした時、空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂(もた)れ懸(かか)っていたと思ったが、いつのまにか、崩(くず)れ出(だ)して、四方(しほう)はただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花は疾(と)くに通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸が濃(こまや)かでほとんど霧を欺(あざむ)くくらいだから、隔(へだ)たりはどれほどかわからぬ。時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い山の背(せ)が右手に見える事がある。何でも谷一つ隔てて向うが脈の走っている所らしい。左はすぐ山の裾(すそ)と見える。深く罩(こ)める雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。
路は存外(ぞんがい)広くなって、かつ平(たいら)だから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。帽子から雨垂(あまだ)れがぽたりぽたりと落つる頃、五六間先きから、鈴の音がして、黒い中から、馬子(まご)がふうとあらわれた。
「ここらに休む所はないかね」
「もう十五丁行くと茶屋がありますよ。だいぶ濡(ぬ)れたね」
まだ十五丁かと、振り向いているうちに、馬子の姿は影画(かげえ)のように雨につつまれて、またふうと消えた。
糠(ぬか)のように見えた粒は次第に太く長くなって、今は一筋(ひとすじ)ごとに風に捲(ま)かれる様(さま)までが目に入(い)る。羽織はとくに濡れ尽(つく)して肌着に浸(し)み込んだ水が、身体(からだ)の温度(ぬくもり)で生暖(なまあたたか)く感ぜられる。気持がわるいから、帽を傾けて、すたすた歩行(ある)く。
茫々(ぼうぼう)たる薄墨色(うすずみいろ)の世界を、幾条(いくじょう)の銀箭(ぎんせん)が斜(なな)めに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にも咏(よ)まれる。有体(ありてい)なる己(おの)れを忘れ尽(つく)して純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保(たも)つ。ただ降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、われはすでに詩中の人にもあらず、画裡(がり)の人にもあらず。依然として市井(しせい)の一豎子(じゅし)に過ぎぬ。雲煙飛動の趣(おもむき)も眼に入(い)らぬ。落花啼鳥(らっかていちょう)の情けも心に浮ばぬ。蕭々(しょうしょう)として独(ひと)り春山(しゅんざん)を行く吾(われ)の、いかに美しきかはなおさらに解(かい)せぬ。初めは帽を傾けて歩行(あるい)た。後(のち)にはただ足の甲(こう)のみを見詰めてあるいた。終りには肩をすぼめて、恐る恐る歩行た。雨は満目(まんもく)の樹梢(じゅしょう)を揺(うご)かして四方(しほう)より孤客(こかく)に逼(せま)る。非人情がちと強過ぎたようだ。
1981年、グレン・グールドGlenn GOULD(1932〜1982) 、カナダCBCラジオ放送にて。
「『草枕(三角の世界 The Three-Cornered World )』が書かれたのは1906年、日露戦争のころですが、そのことは最後の場面で少し出てくるだけです。むしろ、戦争否定の気分が第一次大戦をモチーフとしたトーマスマンの『魔の山』を思い出させ、両者は相通じるものがあります。
『草枕』は様々な要素を含んでいますが、とくに思索と行動、無関心と義理、西洋と東洋の価値観の対立、モダニズムのはらむ危険を扱っています。これは20世紀の小説の最高傑作のひとつだと、私は思います。最初の章を読んでみましょう。」"The Three-Cornered World"
NATSUME Soseki translation by Alan Turney
Going up a mountain track, I fell to thinking.
Approach everything rationally, and you become harsh.
Pole along in the stream of emotions ,
and you will be swept away by the current.
Give free rein to your desires ,
and you become uncomfortably confined .
It is not a very agreeable place to live , this world of ours.
草枕
夏目漱石
一
山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊(たっ)とい。
住みにくき世から、住みにくき煩(わずら)いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画(え)である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云(い)えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧(わ)く。着想を紙に落さぬとも※(「王へん+樛のつくり」)鏘(きゅうそう)の音(おん)は胸裏(きょうり)に起(おこ)る。丹青(たんせい)は画架(がか)に向って塗抹(とまつ)せんでも五彩(ごさい)の絢爛(けんらん)は自(おのず)から心眼(しんがん)に映る。ただおのが住む世を、かく観(かん)じ得て、霊台方寸(れいだいほうすん)のカメラに澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の俗界を清くうららかに収め得(う)れば足(た)る。この故に無声(むせい)の詩人には一句なく、無色(むしょく)の画家には尺※(「糸+賺のつくり」)(せっけん)なきも、かく人世(じんせい)を観じ得るの点において、かく煩悩(ぼんのう)を解脱(げだつ)するの点において、かく清浄界(しょうじょうかい)に出入(しゅつにゅう)し得るの点において、またこの不同不二(ふどうふじ)の乾坤(けんこん)を建立(こんりゅう)し得るの点において、我利私慾(がりしよく)の覊絆(きはん)を掃蕩(そうとう)するの点において、——千金(せんきん)の子よりも、万乗(ばんじょう)の君よりも、あらゆる俗界の寵児(ちょうじ)よりも幸福である。
世に住むこと二十年にして、住むに甲斐(かい)ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏(ひょうり)のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日(こんにち)はこう思うている。——喜びの深きとき憂(うれい)いよいよ深く、楽(たのし)みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片(かた)づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖(ふ)えれば寝(ね)る間(ま)も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支(ささ)えている。背中(せなか)には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽(あ)き足(た)らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……
余(よ)の考(かんがえ)がここまで漂流して来た時に、余の右足(うそく)は突然坐(すわ)りのわるい角石(かくいし)の端(はし)を踏み損(そ)くなった。平衡(へいこう)を保つために、すわやと前に飛び出した左足(さそく)が、仕損(しそん)じの埋(う)め合(あわ)せをすると共に、余の腰は具合よく方(ほう)三尺ほどな岩の上に卸(お)りた。肩にかけた絵の具箱が腋(わき)の下から躍(おど)り出しただけで、幸いと何(なん)の事もなかった。
立ち上がる時に向うを見ると、路(みち)から左の方にバケツを伏せたような峰が聳(そび)えている。杉か檜(ひのき)か分からないが根元(ねもと)から頂(いただ)きまでことごとく蒼黒(あおぐろ)い中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引(たなび)いて、続(つ)ぎ目(め)が確(しか)と見えぬくらい靄(もや)が濃い。少し手前に禿山(はげやま)が一つ、群(ぐん)をぬきんでて眉(まゆ)に逼(せま)る。禿(は)げた側面は巨人の斧(おの)で削(けず)り去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底に埋(うず)めている。天辺(てっぺん)に一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえ判然(はっきり)している。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布(けっと)が動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる難義(なんぎ)だ。
土をならすだけならさほど手間(てま)も入(い)るまいが、土の中には大きな石がある。土は平(たい)らにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。掘崩(ほりくず)した土の上に悠然(ゆうぜん)と峙(そばだ)って、吾らのために道を譲る景色(けしき)はない。向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。巌(いわ)のない所でさえ歩(あ)るきよくはない。左右が高くって、中心が窪(くぼ)んで、まるで一間幅(はば)を三角に穿(く)って、その頂点が真中(まんなか)を貫(つらぬ)いていると評してもよい。路を行くと云わんより川底を渉(わた)ると云う方が適当だ。固(もと)より急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七曲(ななまが)りへかかる。
たちまち足の下で雲雀(ひばり)の声がし出した。谷を見下(みおろ)したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙(せわ)しく、絶間(たえま)なく鳴いている。方幾里(ほういくり)の空気が一面に蚤(のみ)に刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音(ね)には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句(あげく)は、流れて雲に入(い)って、漂(ただよ)うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡(うち)に残るのかも知れない。
巌角(いわかど)を鋭どく廻って、按摩(あんま)なら真逆様(まっさかさま)に落つるところを、際(きわ)どく右へ切れて、横に見下(みおろ)すと、菜(な)の花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの黄金(こがね)の原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀と、上(あが)る雲雀(ひばり)が十文字にすれ違うのかと思った。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字に擦(す)れ違うときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。
春は眠くなる。猫は鼠を捕(と)る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂(たましい)の居所(いどころ)さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒(さ)める。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然(はんぜん)する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。
たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦(あんしょう)して見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。
We look before and after
And pine for what is not:
Our sincerest laughter
With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.
「前をみては、後(しり)えを見ては、物欲(ものほ)しと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極(きわ)みの歌に、悲しさの、極みの想(おもい)、籠(こも)るとぞ知れ」
なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌う訳(わけ)には行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛(ばんこく)の愁(うれい)などと云う字がある。詩人だから万斛で素人(しろうと)なら一合(ごう)で済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨(ぼんこつ)の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の悲(かなしみ)も多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。
しばらくは路が平(たいら)で、右は雑木山(ぞうきやま)、左は菜の花の見つづけである。足の下に時々蒲公英(たんぽぽ)を踏みつける。鋸(のこぎり)のような葉が遠慮なく四方へのして真中に黄色な珠(たま)を擁護している。菜の花に気をとられて、踏みつけたあとで、気の毒な事をしたと、振り向いて見ると、黄色な珠は依然として鋸のなかに鎮座(ちんざ)している。呑気(のんき)なものだ。また考えをつづける。
詩人に憂(うれい)はつきものかも知れないが、あの雲雀(ひばり)を聞く心持になれば微塵(みじん)の苦(く)もない。菜の花を見ても、ただうれしくて胸が躍(おど)るばかりだ。蒲公英もその通り、桜も——桜はいつか見えなくなった。こう山の中へ来て自然の景物(けいぶつ)に接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が草臥(くたび)れて、旨(うま)いものが食べられぬくらいの事だろう。
しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一幅(ぷく)の画(え)として観(み)、一巻(かん)の詩として読むからである。画(が)であり詩である以上は地面(じめん)を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲(ひともう)けする了見(りょうけん)も起らぬ。ただこの景色が——腹の足(た)しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も伴(ともな)わぬのだろう。自然の力はここにおいて尊(たっ)とい。吾人の性情を瞬刻に陶冶(とうや)して醇乎(じゅんこ)として醇なる詩境に入らしむるのは自然である。
恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局(きょく)に当れば利害の旋風(つむじ)に捲(ま)き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩(くら)んでしまう。したがってどこに詩があるか自身には解(げ)しかねる。
これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観(み)て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚(たな)へ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。
それすら、普通の芝居や小説では人情を免(まぬ)かれぬ。苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。見るものもいつかその中に同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。取柄(とりえ)は利慾が交(まじ)らぬと云う点に存(そん)するかも知れぬが、交らぬだけにその他の情緒(じょうしょ)は常よりは余計に活動するだろう。それが嫌(いや)だ。
苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通(しとお)して、飽々(あきあき)した。飽(あ)き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞(こぶ)するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界(じんかい)を離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌(しいか)の純粋なるものもこの境(きょう)を解脱(げだつ)する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世(うきよ)の勧工場(かんこうば)にあるものだけで用を弁(べん)じている。いくら詩的になっても地面の上を馳(か)けてあるいて、銭(ぜに)の勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀(ひばり)を聞いて嘆息したのも無理はない。
うれしい事に東洋の詩歌(しいか)はそこを解脱(げだつ)したのがある。採菊(きくをとる)東籬下(とうりのもと)、悠然(ゆうぜんとして)見南山(なんざんをみる)。ただそれぎりの裏(うち)に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗(のぞ)いてる訳でもなければ、南山(なんざん)に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的(しゅっせけんてき)に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。独(ひとり)坐幽篁裏(ゆうこうのうちにざし)、弾琴(きんをだんじて)復長嘯(またちょうしょうす)、深林(しんりん)人不知(ひとしらず)、明月来(めいげつきたりて)相照(あいてらす)。ただ二十字のうちに優(ゆう)に別乾坤(べつけんこん)を建立(こんりゅう)している。この乾坤の功徳(くどく)は「不如帰(ほととぎす)」や「金色夜叉(こんじきやしゃ)」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後(のち)に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。
二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気(のんき)な扁舟(へんしゅう)を泛(うか)べてこの桃源(とうげん)に溯(さかのぼ)るものはないようだ。余は固(もと)より詩人を職業にしておらんから、王維(おうい)や淵明(えんめい)の境界(きょうがい)を今の世に布教(ふきょう)して広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人(ひとり)絵の具箱と三脚几(さんきゃくき)を担(かつ)いで春の山路(やまじ)をのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間(ま)でも非人情(ひにんじょう)の天地に逍遥(しょうよう)したいからの願(ねがい)。一つの酔興(すいきょう)だ。
もちろん人間の一分子(いちぶんし)だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く訳(わけ)には行かぬ。淵明だって年(ねん)が年中(ねんじゅう)南山(なんざん)を見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹藪(たけやぶ)の中に蚊帳(かや)を釣らずに寝た男でもなかろう。やはり余った菊は花屋へ売りこかして、生(は)えた筍(たけのこ)は八百屋(やおや)へ払い下げたものと思う。こう云う余もその通り。いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情が募(つの)ってはおらん。こんな所でも人間に逢(あ)う。じんじん端折(ばしょ)りの頬冠(ほおかむ)りや、赤い腰巻(こしまき)の姉(あね)さんや、時には人間より顔の長い馬にまで逢う。百万本の檜(ひのき)に取り囲まれて、海面を抜く何百尺かの空気を呑(の)んだり吐いたりしても、人の臭(にお)いはなかなか取れない。それどころか、山を越えて落ちつく先の、今宵(こよい)の宿は那古井(なこい)の温泉場(おんせんば)だ。
ただ、物は見様(みよう)でどうでもなる。レオナルド・ダ・ヴィンチが弟子に告げた言(ことば)に、あの鐘(かね)の音(おと)を聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。一人の男、一人の女も見様次第(みようしだい)でいかようとも見立てがつく。どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮世小路(うきよこうじ)の何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。よし全く人情を離れる事が出来んでも、せめて御能拝見(おのうはいけん)の時くらいは淡い心持ちにはなれそうなものだ。能にも人情はある。七騎落(しちきおち)でも、墨田川(すみだがわ)でも泣かぬとは保証が出来ん。しかしあれは情(じょう)三分芸(ぶげい)七分で見せるわざだ。我らが能から享(う)けるありがた味は下界の人情をよくそのままに写す手際(てぎわ)から出てくるのではない。そのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長(ゆうちょう)な振舞(ふるまい)をするからである。
しばらくこの旅中(りょちゅう)に起る出来事と、旅中に出逢(であ)う人間を能の仕組(しくみ)と能役者の所作(しょさ)に見立てたらどうだろう。まるで人情を棄(す)てる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕(こ)ぎつけたいものだ。南山(なんざん)や幽篁(ゆうこう)とは性(たち)の違ったものに相違ないし、また雲雀(ひばり)や菜の花といっしょにする事も出来まいが、なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観察点から人間を視(み)てみたい。芭蕉(ばしょう)と云う男は枕元(まくらもと)へ馬が尿(いばり)するのをさえ雅(が)な事と見立てて発句(ほっく)にした。余もこれから逢う人物を——百姓も、町人も、村役場の書記も、爺(じい)さんも婆(ばあ)さんも——ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。もっとも画中の人物と違って、彼らはおのがじし勝手な真似(まね)をするだろう。しかし普通の小説家のようにその勝手な真似の根本を探(さ)ぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤(じんじかっとう)の詮議立(せんぎだ)てをしては俗になる。動いても構わない。画中の人間が動くと見れば差(さ)し支(つかえ)ない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる。面倒になればなるほど美的に見ている訳(わけ)に行かなくなる。これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、人情の電気がむやみに双方で起らないようにする。そうすれば相手がいくら働いても、こちらの懐(ふところ)には容易に飛び込めない訳だから、つまりは画(え)の前へ立って、画中の人物が画面の中(うち)をあちらこちらと騒ぎ廻るのを見るのと同じ訳になる。間(あいだ)三尺も隔(へだ)てていれば落ちついて見られる。あぶな気(げ)なしに見られる。言(ことば)を換(か)えて云えば、利害に気を奪われないから、全力を挙(あ)げて彼らの動作を芸術の方面から観察する事が出来る。余念もなく美か美でないかと鑒識(かんしき)する事が出来る。
ここまで決心をした時、空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂(もた)れ懸(かか)っていたと思ったが、いつのまにか、崩(くず)れ出(だ)して、四方(しほう)はただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花は疾(と)くに通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸が濃(こまや)かでほとんど霧を欺(あざむ)くくらいだから、隔(へだ)たりはどれほどかわからぬ。時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い山の背(せ)が右手に見える事がある。何でも谷一つ隔てて向うが脈の走っている所らしい。左はすぐ山の裾(すそ)と見える。深く罩(こ)める雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。
路は存外(ぞんがい)広くなって、かつ平(たいら)だから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。帽子から雨垂(あまだ)れがぽたりぽたりと落つる頃、五六間先きから、鈴の音がして、黒い中から、馬子(まご)がふうとあらわれた。
「ここらに休む所はないかね」
「もう十五丁行くと茶屋がありますよ。だいぶ濡(ぬ)れたね」
まだ十五丁かと、振り向いているうちに、馬子の姿は影画(かげえ)のように雨につつまれて、またふうと消えた。
糠(ぬか)のように見えた粒は次第に太く長くなって、今は一筋(ひとすじ)ごとに風に捲(ま)かれる様(さま)までが目に入(い)る。羽織はとくに濡れ尽(つく)して肌着に浸(し)み込んだ水が、身体(からだ)の温度(ぬくもり)で生暖(なまあたたか)く感ぜられる。気持がわるいから、帽を傾けて、すたすた歩行(ある)く。
茫々(ぼうぼう)たる薄墨色(うすずみいろ)の世界を、幾条(いくじょう)の銀箭(ぎんせん)が斜(なな)めに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にも咏(よ)まれる。有体(ありてい)なる己(おの)れを忘れ尽(つく)して純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保(たも)つ。ただ降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、われはすでに詩中の人にもあらず、画裡(がり)の人にもあらず。依然として市井(しせい)の一豎子(じゅし)に過ぎぬ。雲煙飛動の趣(おもむき)も眼に入(い)らぬ。落花啼鳥(らっかていちょう)の情けも心に浮ばぬ。蕭々(しょうしょう)として独(ひと)り春山(しゅんざん)を行く吾(われ)の、いかに美しきかはなおさらに解(かい)せぬ。初めは帽を傾けて歩行(あるい)た。後(のち)にはただ足の甲(こう)のみを見詰めてあるいた。終りには肩をすぼめて、恐る恐る歩行た。雨は満目(まんもく)の樹梢(じゅしょう)を揺(うご)かして四方(しほう)より孤客(こかく)に逼(せま)る。非人情がちと強過ぎたようだ。
参考:
青空文庫及び『「草枕」変奏曲』(1998年、横田庄一郎、67頁、69〜75頁)
『グレン・グールド複数の肖像』 ギレーヌ・ゲルタン(少し『草枕』に言及されているだけだが)
Ghyslaine Guertin, Glenn Gould pluriel, Québec, Louise Courteau, 1987. Nouvelle édition augmentée ...
Glenn Gould, Pluriel (Text Collected and Presented By Ghyslaine Guertin)1988
http://www.ubu.com/sound/gould.html
http://ubu.artmob.ca/sound/gould_glenn/Gould-Glenn_The-Three-Cornered-World_1981.mp3
グールド著作集1,2には漱石関連の情報はない。
以下、作業用対訳
1
山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
Going up a mountain track, I fell to thinking.
Approach everything rationally, and you become harsh. Pole along in the stream of emotions, and you will be swept away by the current. Give free rein to your desires, and you become uncomfortably confined. It is not a very agreeable place to live, this world of ours.
When the unpleasantness increases, you want to draw yourself up to some place where life is easier. It is just at the point when you first realise that life will be no more agreeable no matter what heights you may attain, that a poem may be given birth, or a picture created.
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こまかに云(い)えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧(わ)く。着想を紙に落さぬとも※(「王へん+樛のつくり」)鏘(きゅうそう)の音(おん)は胸裏(きょうり)に起(おこ)る。丹青(たんせい)は画架(がか)に向って塗抹(とまつ)せんでも五彩(ごさい)の絢爛(けんらん)は自(おのず)から心眼(しんがん)に映る。ただおのが住む世を、かく観(かん)じ得て、霊台方寸(れいだいほうすん)のカメラに澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の俗界を清くうららかに収め得(う)れば足(た)る。この故に無声(むせい)の詩人には一句なく、無色(むしょく)の画家には尺※(「糸+賺のつくり」)(せっけん)なきも、かく人世(じんせい)を観じ得るの点において、かく煩悩(ぼんのう)を解脱(げだつ)する
-I would go farther, and say that it is not even necessary to make this vision a reality. Merely conjure up the image before your eyes, and poettry will burst into life and songs pour fofth.
(Before even comitting your thoughts to paper, you will feel the crystal tinkling, as of a tiny bell, well up within you; )and the whole range of colours will of their own accord, and in all their brilliance, imprint themselves on your mind's eye, though your canvas stands on its easel, as yet untouched by the brush. It is enough that you are able to take this view of life, and see this decadent, sullied and vulgar world purified and beautiful in the camera of your innermost soul. Even the poet whose thoughts have never found expression in a single verse, or the painter who possesses no colours, and has never painted so much as a single square foot of canvas, can obtain sarvadon, and be delivered from earthly desires and passions.
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世に住むこと二十年にして、住むに甲斐(かい)ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏(ひょうり)のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日(こんにち)はこう思うている。——喜びの深きとき憂(うれい)いよいよ深く、楽(たのし)みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片(かた)づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖(ふ)えれば寝(ね)る間(ま)も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。
After twenty years of life I realised that this is a world worth living in. At twenty five I saw that, just as light and darkness are but opposite sides of the same thing, so wherever the sunlight falls it must of necessity cast a shadow. Today, at thirty my thoughts are these: In the depths of joy dwells sorrow, and the greater the happiness the greater the pain. Try to tear joy and sorrow apart, and you lose your hold on life. Try to cast them to one side, and the world crumbles. Money is important, but be that as it may, when it accumulates does it not become a worry which attacks you even in sleep? Love is a delight', yet should the delights of love, piling one upon another, begin to bear down on you, then you will yearn for those days long ago before you knew them.-
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余(よ)の考(かんがえ)がここまで漂流して来た時に、余の右足(うそく)は突然坐(すわ)りのわるい角石(かくいし)の端(はし)を踏み損(そ)くなった。平衡(へいこう)を保つために、すわやと前に飛び出した左足(さそく)が、仕損(しそん)じの埋(う)め合(あわ)せをすると共に、余の腰は具合よく方(ほう)三尺ほどな岩の上に卸(お)りた。肩にかけた絵の具箱が腋(わき)の下から躍(おど)り出しただけで、幸いと何(なん)の事もなかった。
立ち上がる時に向うを見ると、路(みち)から左の方にバケツを伏せたような峰が聳(そび)えている。
It was just as my meandering thoughts reached this point, that my right foot came down suddenly on the edge of a loose angular rock, and I slipped. To compensate for my
left foot, which I had hastily shot out in an effort to keep my balance, the rest of me-dropped ! Fortunately I came down on to a boulder about three feet across, and all that
happened was that my colour-box, which I bad been carrying slung from my shoulder, jerked forward from under my arm. Luckily no damage was done.
As I rose and lwked around me, I noticed away off to the left of the track a towering peak shaped like an inverted bucket. -
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たちまち足の下で雲雀(ひばり)の声がし出した。谷を見下(みおろ)したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙(せわ)しく、絶間(たえま)なく鳴いている。方幾里(ほういくり)の空気が一面に蚤(のみ)に刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音(ね)には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句(あげく)は、流れて雲に入(い)って、漂(ただよ)うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡(うち)に残るのかも知れない。
Immediately below me a lark burst suddenly into song. But gaze down into the valley as I would, I could see no sign of the bird; (nor could I make out where he was singing. )I could hear his voice clearly, but that was all. The ceaseless attack and vigour of his song made me feel that this vast limitless body of air was dashing backwards and forwards in a frantic eaort to escape the unbearable irritation of a thousand flea-bites. That bird really did not stop even for an instant. It seemed that he would not be satisfied, unless he could sing his heart out incessandy day and might, throughout that idyllic springtime: not only sing, but go on climbing up and up forever. There was no doubt, but that that was where the lark would die, up there among the clouds. Perhaps at the peak of his long climb, he would Bide in among the drifting clouds, and there be lost for ever, with only his voice remaining, shrouded by the air.
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5:50
春は眠くなる。猫は鼠を捕(と)る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂(たましい)の居所(いどころ)さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒(さ)める。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然(はんぜん)する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。
In spring everything becomes drowsy. The cat forgets to chase the mouse, and men forget that they have debts. Sometimes, they even forget how to locate their own souls, and fall into a stupor. When, however, I gazed far out over that sea of rape-blossoms, I came to my senses. And when I heard the song of the lark, the mist cleared, and I found my soul again. It is not just with his throat that the lark sings, bt with his whole being. Of an the creatures who can give voice to the acdvity of their soul, there is none so vital, so alive, as the lark. Oh, this is real happiness. When you think thus, and reach such a pitch of happiness, that is poetry.
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p 18
これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観(み)て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚(たな)へ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。
それすら、普通の芝居や小説では人情を免(まぬ)かれぬ。苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。見るものもいつかその中に同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。
In order to appreciate the poetry, you must put yourself the position of an onlooker, who being able to stand well back, can really see what is happeming. It is only from this position that a play or novel can be enjoyed, for here you are free from personal interests. You are only a poet while you are watching or reading, and are not actually involved.
Having said this, however, I must admit that most plays and novels are so full of suffering, anger, quarrelling and crying, that even the onlooker cannot keep emotion at arm's length. He finds himself, at some point or other, drawn in, and in his turn suffers, gets annoyed, feels quarrelsome and cries. -
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苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通(しとお)して、飽々(あきあき)した。飽(あ)き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞(こぶ)するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界(じんかい)を離れた心持ちになれる詩である。
After thirty years of life h this world of ours, I have had more than enough of the suGering, anger, belligerence and
sadness which are ever present; and I find it very trying to be Subjected to repeated doses of stimulants designed to
evoke these emotion when I go to the theatre, or read a novel. I want a porm which abandons the commonplace,
and lifts me, at least for a short time, above the dust and grime of the workaday world; not one which rouses my
passions to an even greater pitch than usual.
:
ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌(しいか)の純粋なるものもこの境(きょう)を解脱(げだつ)する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世(うきよ)の勧工場(かんこうば)にあるものだけで用を弁(べん)じている。(いくら詩的になっても地面の上を馳(か)けてあるいて、銭(ぜに)の勘定を忘れるひまがない。)
-Western puts in partitular take human nature as their corner stone, and so are oblivious
to the existence of the realm of pure poetry. Consequently, when they reach its borders, they come to a halt, because
they are unaware that anything lies beyond. They are content to deal merely in such commodides as sympathy, love,
justice and freedom, all of which may be found in that transient bazaar which we call life.
p20
: 8m00
シェレーが雲雀(ひばり)を聞いて嘆息したのも無理はない。
うれしい事に東洋の詩歌(しいか)はそこを解脱(げだつ)したのがある。採菊(きくをとる)東籬下(とうりのもと)、悠然(ゆうぜんとして)見南山(なんざんをみる)。ただそれぎりの裏(うち)に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗(のぞ)いてる訳でもなければ、南山(なんざん)に親友が奉職している次第でもない。
No wonder Shelley heaved
a sigh when he heard the song of the lark.
Happily, oriental puts have on occasion gained sufficient insight to enable them to enter the realm of pure poetry.
Beneath the Eastern hedge I choose a chrysanthemum,
And my gaze wanders slowly to the Southern hills.
Only two lines, but reading them, one is sharply aware of how completely the poet has succeeded in breaking free
from this stifling world. There is no girl next door peeping over the fence; now is there a dear friend living far away
across the hills. He is above such things.
:
ただ二十字のうちに優(ゆう)に別乾坤(べつけんこん)を建立(こんりゅう)している。この乾坤の功徳(くどく)は「不如帰(ほととぎす)」や「金色夜叉(こんじきやしゃ)」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後(のち)に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。
Within the space of these few short lines, a whole new world has been created.( Entering this world is not at all
like entering that of such popular novels as Hototogisu and Konjiki Yasha. )It is like falling into a sound sleep, and
esaping from the wearying round of steamers, trains rights, duties, morals and etiquette.
:
Unforrtunately, however, all the modern puts, and their readers too for that matter, aJ'e
so enamoured of Western writers, that they seem unable to take a boat and drift leisurely to the reah of pure poetry.
余は固(もと)より詩人を職業にしておらんから、(王維(おうい)や淵明(えんめい)の境界(きょうがい)を今の世に布教(ふきょう)して広げようと云う心掛も何もない。(ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。)
I am not really a put by profession, so it is not my intendon to preach to modem society,
:
こうやって、ただ一人(ひとり)絵の具箱と三脚几(さんきゃくき)を担(かつ)いで春の山路(やまじ)をのそのそあるくのも全くこれがためである。(淵明、王維の)詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間(ま)でも非人情(ひにんじょう)の天地に逍遥(しょうよう)したいからの願(ねがい)。一つの酔興(すいきょう)だ。
もちろん人間の一分子(いちぶんし)だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く訳(わけ)には行かぬ。
This is the sole reason why in spring I trudge all alone along mountain tracks with my colour-box and tripod slung
from my shoulder. I long to absorb straight from Nature some of the atmosphere of Yuan-ming's and Wang Wei's
wodd; and, if only for a brief period, wander at will through a land which is cmpletely detached from feelings and
emotions. This is a pecuharity of mine.
Of course, I am only human. nerefore, however dear to me this sublime detachment from the world may be, there
is a limit to how much of it I can stand at any one time.
:
いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情が募(つの)ってはおらん。
However much I may be enthralled by the lark and the rape blossoms, I am still mortal enough to have no
desire to camp out in the middle of the mountains.
:
p21
:
山を越えて落ちつく先の、今宵(こよい)の宿は那古井(なこい)の温泉場(おんせんば)だ。
for I am crossing this mountain in the hope of being able to spend the might in an im at the hot-spring
resort of Nakoi.
:
p22 10m
しばらくこの旅中(りょちゅう)に起る出来事と、旅中に出逢(であ)う人間を能の仕組(しくみ)と能役者の所作(しょさ)に見立てたらどうだろう。まるで人情を棄(す)てる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕(こ)ぎつけたいものだ。
I wonder how it would be if, while I am on this short journey, I were to regard events as though they were part of the action of a Noh play, and the people I meet merely as if they were actors.
Since this trip is concerned fundamentally with p#try, I should like to take the opportumity of getting near tO the Nob atmosphere, by curbing my
emotions as much as possible, even though I know I cannot disregard them entirely.
:
なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観察点から人間を視(み)てみたい。芭蕉(ばしょう)と云う男は枕元(まくらもと)へ馬が尿(いばり)するのをさえ雅(が)な事と見立てて発句(ほっく)にした。余もこれから逢う人物を(——百姓も、町人も、村役場の書記も、爺(じい)さんも婆(ばあ)さんも—— )ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。もっとも画中の人物と違って、彼らはおのがじし勝手な真似(まね)をするだろう。しかし(普通の小説家のようにその勝手な真似の根本を探(さ)ぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤(じんじかっとう)の詮議立(せんぎだ)てをしては俗になる。)動いても構わない。画中の人間が動くと見れば差(さ)し支(つかえ)ない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる。)
(Nevertheless, )I should like, as nearly as possible, to view people from the same standpoint as I view the world of pure poetry. Bassho found even the sight of a horse urinating near his pillow elegant enough to write a Hokku about.
-I too from now on will regard everyone I meet, farmer, tradesman, village clerk, old man and old
woman alike, as no more than a component feature of the overall canvas of Nature. I know they are dilrerent from
figures in a painting, since each one I suppose will act and behave as he or she sees Gt. (However, I think it is just plain
vulgar the way the average novelist probes the, whys and wherefores of his characterS' behaviour, tries to see into the
workings of their minds, and pries into their daily troubles.)
:
(画中の人間が動くと見れば)差(さ)し支(つかえ)ない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。(平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる。面倒になればなるほど美的に見ている訳(わけ)に行かなくなる。)
(Even if the people move )it will not trouble me, for I shall just think of them as moving about in a picture, and figures
in a picture, however much they may move, are confined within two dimensions.
(If of course you allow yourself to think that they are pro]'ected into the third dimension, then
complicadons arise, for you will find them josding you,and once again you will be forced to consider your clash
of interests. It iS clearly impossible for anyone in such a Situation to view things aesthedally.)
これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、人情の電気がむやみに双方で起らないようにする。
- From now on I am going to observe all those I meet objectively going to observe all those I meet objectively.
p24
:
ここまで決心をした時、空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂(もた)れ懸(かか)っていたと思ったが、いつのまにか、崩(くず)れ出(だ)して、四方(しほう)はただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。
It was just as I had come to this cnclusion, that I glanced up and saw that the sky looked threateming. I felt
as though the uncertain clouds were weighing down right on top of me. Suddenly' however, almost without my
noticing, they spread out, turning the whole sky as far as I could See into a rolling, awe-inspiring sea of cloud, from
which thede began to fall a steady drizzle of spring rain.
:
時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い山の背(せ)が右手に見える事がある。(何でも谷一つ隔てて向うが脈の走っている所らしい。)左はすぐ山の裾(すそ)と見える。深く罩(こ)める雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。
(路は存外(ぞんがい)広くなって、かつ平(たいら)だから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。)
From time to time a gust Of wind would part the high curtain of cloud, revealing otr to the right a dark-grey ridge of mountain. (nero
seemed to be a range of mountains runming along there just across the valley.) hmediately to my left I could see the
foot of another mountain, and at times within the filmy depths of haze, Shadowy shapes of what might have been
pine trees showed themselves, only to hideAgain in an instant. Whether it was the rah or the trees that was moving,
or whether the whole thing was merely the unreal wavering of a dream, I did not know. Whatever it was, it struck me as
most unusual and wonderful.
24
:
帽子から雨垂(あまだ)れがぽたりぽたりと落つる頃、五六間先きから、鈴の音がして、黒い中から、馬子(まご)がふうとあらわれた。
「ここらに休む所はないかね」
「もう十五丁行くと茶屋がありますよ。だいぶ濡(ぬ)れたね」
まだ十五丁か(と、振り向いているうちに、馬子の姿は影画(かげえ)のように雨につつまれて、またふうと消えた)。
-The rain was just beginning to fall in drops ffom my hat, when, about
ten or twelve, yards ahead, I heard the jingling a sman bens, and from out of the blackneSs the shape of a packhorse driver matedalized.
'I suppose you don't happen to know anywhere to stay around here, do your
'There's a tea-house just over a mile up the road. You've got pretty wet, haven't you? '
sd another mile to go! ( )
:
糠(ぬか)のように見えた粒は次第に太く長くなって、今は一筋(ひとすじ)ごとに風に捲(ま)かれる様(さま)までが目に入(い)る。羽織はとくに濡れ尽(つく)して肌着に浸(し)み込んだ水が、身体(からだ)の温度(ぬくもり)で生暖(なまあたたか)く感ぜられる。気持がわるいから、帽を傾けて、すたすた歩行(ある)く。
The raindrops, which had before been like chaff flying in the wind, were now getting larger and longer, and I was
able to see each separate shaft clearly. My haori (=coat) of course was saturated, and the rainwater, which had soaked right
through to my underclothes, had become tepid with the heat of my body. I felt really wretched, and so pulling my
hat resolutely down over ne eye, I set off at a brisk pace.
茫々(ぼうぼう)たる薄墨色(うすずみいろ)の世界を、幾条(いくじょう)の銀箭(ぎんせん)が斜(なな)めに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にも咏(よ)まれる。有体(ありてい)なる己(おの)れを忘れ尽(つく)して純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保(たも)つ。ただ降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、われはすでに詩中の人にもあらず、画裡(がり)の人にもあらず。-
When I think of it as happening to somebody else, it seem that the idea of me soaked to the skin, surrounded
by countless driving streaks of silver, and moving through a vast grey expnse, would make an admirable poem. Only
when I completely forget my material existence, and view myself from a purely objective standpoint, can I, as a figure
in a painting, blend into the beautiful harmony of my natural surroundings. ne moment, however, I feel annoyed
because of the rain, or miserable because my legs are weary with waking, then I have already ceased to be a character
in a poem, or a figure in a painting, and I revert to the uncomprehending, insensitive man in the Street I was before.
by countless driving streaks of silver, and moving through a vast grey expnse, would make an admirable poem. Only
when I completely forget my material existence, and view myself from a purely objective standpoint, can I, as a figure
in a painting, blend into the beautiful harmony of my natural surroundings. ne moment, however, I feel annoyed
because of the rain, or miserable because my legs are weary with waking, then I have already ceased to be a character
in a poem, or a figure in a painting, and I revert to the uncomprehending, insensitive man in the Street I was before.
-依然として市井(しせい)の一豎子(じゅし)に過ぎぬ。雲煙飛動の趣(おもむき)も眼に入(い)らぬ。落花啼鳥(らっかていちょう)の情けも心に浮ばぬ。蕭々(しょうしょう)として独(ひと)り春山(しゅんざん)を行く吾(われ)の、いかに美しきかはなおさらに解(かい)せぬ。
I am then even blind to the elegance of the fleeting clouds; unable even to feel any bond of sympathy with a
falling petal or the cry of a bird, much less appreciate the great beauty in the image of myself, completely alone,
walking through the mountains in spring.
(At first I had pulled my hat down over one eye and walked briskly. Later I gazed down fixedly at my feet.
Finally, very subdued, I hunched my shoulder"nd took one de)'ected step after another. a all sides the wind shook
the tree-tops, hurrying a solitary Bgurewn his way. I felt that I had been carried rather too far in the direction of
detachment from humanity !)
I am then even blind to the elegance of the fleeting clouds; unable even to feel any bond of sympathy with a
falling petal or the cry of a bird, much less appreciate the great beauty in the image of myself, completely alone,
walking through the mountains in spring.
(At first I had pulled my hat down over one eye and walked briskly. Later I gazed down fixedly at my feet.
Finally, very subdued, I hunched my shoulder"nd took one de)'ected step after another. a all sides the wind shook
the tree-tops, hurrying a solitary Bgurewn his way. I felt that I had been carried rather too far in the direction of
detachment from humanity !)
追記:
グールドの前説は一部聴き取りにくい。
https://ubusound.memoryoftheworld.org/gould_glenn/Gould-Glenn_The%20Three-Cornered-World.mp3
https://vimeo.com/204314428
https://vimeo.com/204315029 作業用
The Three-Cornered World is written in 1906 but it actual point usually that term regard to so static work accept for two years Earlier at the time of the Russo-Japanese war.
The war place no direct part in the novel at least not until the last few pages but at that point it's rather jarring the more can easily read similarity to the World War I motif which brings to close another great Alpine novel Magic Mountain by Thomas Mann.
The Three-Cornered World is among other things about meditation versus action, detachment versus duty, about Western versus Eastern value systems, about people see parallel modernism.
In my opinion it is the greatest 20th-century and I gonna read a few esprit of the first chapter.
「『草枕(三角の世界 The Three-Cornered World )』が書かれたのは1906年、日露戦争のころですが、そのことは最後の場面で少し出てくるだけです。むしろ、戦争否定の気分が第一次大戦をモチーフとしたトーマスマンの『魔の山』を思い出させ、両者は相通じるものがあります。
『草枕』は様々な要素を含んでいますが、とくに思索と行動、無関心と義理、西洋と東洋の価値観の対立、モダニズムのはらむ危険を扱っています。これは20世紀の小説の最高傑作のひとつだと、私は思います。最初の章を読んでみましょう。」"The Three-Cornered World"
https://ubusound.memoryoftheworld.org/gould_glenn/Gould-Glenn_The%20Three-Cornered-World.mp3
https://vimeo.com/204314428
https://vimeo.com/204315029 作業用
The Three-Cornered World is written in 1906 but it actual point usually that term regard to so static work accept for two years Earlier at the time of the Russo-Japanese war.
The war place no direct part in the novel at least not until the last few pages but at that point it's rather jarring the more can easily read similarity to the World War I motif which brings to close another great Alpine novel Magic Mountain by Thomas Mann.
The Three-Cornered World is among other things about meditation versus action, detachment versus duty, about Western versus Eastern value systems, about people see parallel modernism.
In my opinion it is the greatest 20th-century and I gonna read a few esprit of the first chapter.
「『草枕(三角の世界 The Three-Cornered World )』が書かれたのは1906年、日露戦争のころですが、そのことは最後の場面で少し出てくるだけです。むしろ、戦争否定の気分が第一次大戦をモチーフとしたトーマスマンの『魔の山』を思い出させ、両者は相通じるものがあります。
『草枕』は様々な要素を含んでいますが、とくに思索と行動、無関心と義理、西洋と東洋の価値観の対立、モダニズムのはらむ危険を扱っています。これは20世紀の小説の最高傑作のひとつだと、私は思います。最初の章を読んでみましょう。」"The Three-Cornered World"
http://nam-students.blogspot.jp/2012/06/japanese-thoreau-of-twelfth-century.html
返信削除NAMs出版プロジェクト: A Japanese Thoreau of the Twelfth Century / Minakata Kumagusu and F. Victor Dickins/NOTES FROM A JO-SQUARE HUT.
http://nam-students.blogspot.jp/2012/06/japanese-thoreau-of-twelfth-century.html
返信削除NAMs出版プロジェクト: A Japanese Thoreau of the Twelfth Century / Minakata Kumagusu and F. Victor Dickins/NOTES FROM A JO-SQUARE HUT.
【文化】夏目漱石「余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、善かつたと思つた」 全集未収録随筆を発掘 作家の黒川創さんが国会図書館で★2
返信削除1 :春デブリφ ★:2013/01/07(月) 22:33:11.91 ID:???0
★漱石の全集未収録随筆を発掘 作家の黒川創さんが小説に
文豪、夏目漱石(1867~1916年)が新聞に寄稿した全集未収録の随筆が
見つかったことが6日、分かった。初代韓国統監を務めた伊藤博文の暗殺などに触れた
内容で、研究者は「初めて見る貴重な資料だ」と評価している。作家の黒川創(そう)
さん(51)が国立国会図書館などから発掘した。7日発売の文芸誌「新潮」2月号
に、随筆の執筆背景などを盛り込んだ黒川さんの小説「暗殺者たち」の一部として全文
掲載される。
随筆は「韓満所感」と題し、明治42(1909)年11月5、6日付「満洲日日
新聞」に2回掲載された。1面トップの扱いで、計約2800字の分量がある。同紙
は、日露戦争後に日本の租借地となった満州(現在の中国東北部)の大連で発行されて
いた邦字新聞。新潮社によると、随筆は全集や単行本には収録されておらず、約100
年間忘れられた作品になっていた。
伊藤博文暗殺の報に接した驚きに始まり、満州や朝鮮で活躍する日本人に頼もしい
印象を受けたことが記されている。漱石は同年9~10月、親友の満鉄総裁、中村是公
の招きで満州・朝鮮各地を旅行していた。
(続く)
■ソース(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130107/art13010714090006-n1.htm
※写真 「満洲日日新聞」明治42年11月5日掲載の夏目漱石の随筆「韓満所感(上)」
(新潮社提供)
http://sankei.jp.msn.com/images/news/130107/art13010714090006-p1.jpg
前スレ 1の立った日時 1/07(月) 20:50:19
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1357559419/
2 :春デブリφ ★:2013/01/07(月) 22:33:40.77 ID:???0
(>>1の続き)
黒川さんは平成22年、韓国開催のシンポジウムに参加した際、伊藤を暗殺した安重
根に関する現地の資料集に随筆の一部が収録されているのを発見。国会図書館所蔵の
満洲日日新聞のマイクロフィルムで全体を確認した。黒川さんは「政治など天下国家の
問題を正面から論じることを避ける態度が明らかで、漱石の低(てい)徊(かい)趣味
(俗事を避け、余裕を持って人生を眺める態度)がよく出ている」と話す。
東北大付属図書館の「漱石文庫」の研究に関わってきた仁平道明・和洋女子大教授
(国文学)は「漱石のアジア観を考える時に重要な意味を持つ部分もあり、貴重な資料
だ」と今回の発見に注目しており、「漱石全集」を刊行する岩波書店も「全集改訂時に
ぜひ収録したい」と話している。
(続く)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130107/art13010714090006-n2.htm
Amazon.co.jp: 『草枕』の那美と辛亥革命: 安住 恭子: 本
返信削除http://www.amazon.co.jp/dp/4560082049
内容紹介
孫文・黄興・宋教仁ら亡命革命家を支援し、男女同権の志を貫き生きた一女性の、波乱の生涯を描き切る力作評伝。
出版社からのコメント
漱石『草枕』には才気溢れ、美しく、しかし奇矯な行動をとるヒロイン那美が登場する。このヒロインのモデル前田卓の、波乱に満ちた知られざる生涯を描き出すのが本書だ。 卓は明治元年、熊本藩随一の剣豪前田案山子の次女として生まれた。維新後の案山子は中江兆民らを招くほどの民権派の活動家となり、この父の下で卓は自由民権・男女同権の雨をあびて育ってゆく。明治30年漱石が泊まったのは温泉宿を兼ねたこの案山子の別邸であり、そこには二度の結婚に破れた卓もいた。 明治38年卓は上京する。そこで待っていたのは清朝打倒の革命運動の波であった。義弟宮崎滔天の依頼により中国同盟会の機関紙『民報』の編集所に住み込み、孫文らを支えた。単なるお手伝いさんではなく、「危ない橋」をも渡る同志だった。 著者は新発見の文書や証言を掘り起こし、1維新後の父の活動と卓への影響、2漱石との出会い、その再会と心の交流、3前田家没落の一因ともなる辛亥革命への加担と黄興・宋教仁との友情、以上の三点に焦点を当て、卓の70年の生涯を追ってゆく。ここには、赤貧を生きて悔いなく、自由と男女平等を求めて最後まで自立した生き方を貫いた女性の、凛々しく、堂々とした闘いの軌跡がある。
980夜『グレン・グールド著作集』グレン・グールド|松岡正剛の千夜千冊
返信削除http://1000ya.isis.ne.jp/0980.html
フォーリーはフランシスコ・ザビエル大学で化学を教えていた教授で、カナダ人。このフォーリーが『草枕』の話をした。グールドはそれが気にいって自分の鞄からストコフスキーと共演したベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第5番』のレコードを進呈した。その返礼に英訳『草枕』があとから送られてきた。
アラン・ターニーの翻訳で、“The Three-Cornered World”(三角の世界)というタイトルになっていた。例の、「四角な世界から常識と名のつく一角を摩滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう」から採ったタイトルだ。
ターニーさんは清泉女子大学で比較文学を教えているイギリス人である。
フォーリーから送られてきた『草枕』にグールドは埋没してしまった。以降、グールドの漱石への徹底した傾倒が始まっていく。オタワのコレクションには『吾輩は猫である』『三四郎』『こころ』『それから』『道草』『行人』が残っている。けれどもやはり『草枕』が最も好きだった。『草枕』だけには書きこみもある。
グールドは一人っ子である。親しい従姉にジェシー・グレイグがいた。このジェシーに、グールドは『草枕』の全部を2晩にわたって朗読して聞かせた。これはよっぽどだ。ぼくはこれを知って、そうか、好きな誰かにぼくなりの『草枕』を読んであげるべきだったと思ったほどだ。
1981年のカナダ・ラジオでも、グールドは『草枕』第1章を朗読した。英訳そのままではなく、自分で要約編集までしていた。ギレーヌ・ゲルタンの『グレン・グールド 複数の肖像』(立風書房)に収録された論文によると、この朗読はよく練られたリズム感や推進感に富んでいて、自分の声と漱石の声をひとつにしているように聞こえたという。
また、そのときの解説では、マンの『魔の山』との共通性にふれ、「『草枕』はさまざまな要素を含んでいますが、とくに思索と行動、無関心と義理、西洋と東洋の価値観の対立、モダニズムの孕む危険を扱っています。これは二十世紀の小説の最高傑作のひとつだと、私は思います」と語ったという。
ともかく、ぞっこんである。何を気にいったのか。漱石が散りばめた東洋哲学や俳諧趣味なのか。それとも、そういうことをしてみせる漱石の思索そのものが気にいったのか。
おそらくは両方だろう。横田さんは、50年間のグールドの前半生は『魔の山』に擬せられ、後半生は『草枕』に擬せられるのではないかと書いている。これも当たっているかもしれない。
きっと漱石の文体(英訳ではあるが)も気にいったのだろうと思われる。それも芭蕉の俳句に代表されるアーティキュレーションと、そのパッセージが了解できたにちがいない。そして、そのモノクロームで、意味とリズムと表現が一瞬にして凝縮しながら提示できているその感覚に、敬意と共感をもったのだ。
もし、グールドが芭蕉の「あけぼのや白魚白きこと一寸」の俳句を日本語の意味と文字で知ったなら、これを作曲したくすらなったであろう。
/道/逆説/物//
返信削除41. Following b
上士聞道、勤而行之。中士聞道、若存若亡。下士聞道、大笑之。 不笑不足以爲道。
故建言有之。明道若眛、進道若退、夷道若■。上徳若谷、太白若辱、廣徳若不足、建徳若偸。質眞若渝、
大方無隅、
大器晩成、大音希聲、大象無形。 道隱無名。夫唯道、善貸且成。
優れた才能をもってる人が「道」に耳をかたむけたとき、熱心にそれを行う。
普通の人が「道」に耳をかたむけたとき、それを信じるように見えるが信じていない。
最も劣った人が「道」に耳をかたむけたとき、大声で笑う。
笑わなかったら、それは「道」でないかもしれない。
だから、「建言」にある。
理解しないように「道」を理解せよ。
そこから出てくるように「道」の中に入れ。
困難があるかのようになめらかに「道」とともに動け。
最高の徳は、徳でないかのようである。
すべてを包む徳は、徳を欠いているかのようである。
厳しい徳は怠けたぶらつきのようである。
真の本質は空であるかのようである。
大いなる白は黒であるかのようである。
大いなる方形には隅がない。
大いなる容器はできあがるのがおそい。(*晩→免で、大器は完成しない意という説が今日では主流。)
大いなる音楽は音がない。
大いなる象は形がない。
「道」は隠れたもので、名前がない。
しかし、「道」はあるゆるものに援助を与え、成しとげるようさせるものである。
グレン・グールド複数の肖像
返信削除著者名等 ギレーヌ・ゲルタン/編 ≪再検索≫
著者名等 浅井香織,宮沢淳一/共訳 ≪再検索≫
出版者 立風書房
出版年 1991.7
大きさ等 20cm 319,30p
注記 Glenn Gould, pluriel./の翻訳 グレン・グールドの肖像あり
NDC分類 762.51
件名 グールド G.
件名 Gould Glenn.
要旨 1987年、モントリオールでのグールドをめぐる初の国際学会に寄せられた研究報告の
中からその精髄13本を収録。
目次 序論 グレン・グールドという存在をいかにとらえるか;1 創造の戦略(グレン・グー
ルドとフランツ・リスト;〈ヴァリアシォン〉とヴァリアント;グレン・グールド逆説的
オルガニスト;グールドの身振り;バッハとオルガンにおけるグールド;唯一のグールド
);2 音楽としてのラジオ(対位法的ラジオ・ドキュメンタリー〈孤独三部作〉;コミ
ュニケーションの作曲家グレン・グールド;グレン・グールドとマス・コミュニケーショ
ンをめぐって;グレン・グールド・コレクション;ディオニソス的エクスタシーをもたら
すテクノロジー;才能の現われ);グレン・グールド年譜
内容 グレン・グールド年譜:p314-319
Ghyslaine Guertin, Glenn Gould pluriel, Québec, Louise Courteau, 1988. Nouvelle édition augmentée ...
返信削除Glenn Gould, Pluriel (Text Collected and Presented By Ghyslaine Guertin)
返信削除1988
あけぼのやの意味 - 古文辞書 - Weblio古語辞典
返信削除kobun.weblio.jp>...>古語辞典>学研全訳古語辞典
あけぼのやの意味。・分類俳句「あけぼのや白魚(しらうを)白きこと一寸(いつすん)」 出典野ざらし 俳文・芭蕉(ばせう)[訳] 冬の浜辺、今、夜がしらじらと明けようとしている。 その光の中で、とれたばかりの一寸(=約三センチ)...- 古文辞書なら「Weblio古語辞典 」
あけぼのや白魚白きこと一寸
www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/.../nozara21.htm
明ぼのやしら魚しろきこと一寸. 初案は、「雪薄し白魚しろきこと一寸」だった。推敲の 後に現在のものになったが、おかげで作品の季題は冬から、春のあけぼのに変って しまった。10月桑名での作だから、初案が自然であるものの、詩的価値ではこちらの方 が数倍 ...
松尾芭蕉の旅 野ざらし紀行 (9)
www.bashouan.com/Database/Kikou/Nozarashikikou_09.htm
_明ぼのや白魚白きこと一寸, 白みはじめた伊勢の浜辺に、幼い白魚が一寸ほどの 生涯を終えて、白く横たえているのは、神々(こうごう)しくも、 ... よもぎや、しのぶ草が、 自由に広がり生えているのが、かえって、りっぱな佇まいであるよりも、心がひきつけ られる。
返信削除参考:
青空文庫及び『「草枕」変奏曲』(1998年、横田庄一郎、67頁、69〜75頁)
『グレン・グールド複数の肖像』 ギレーヌ・ゲルタン
Ghyslaine Guertin, Glenn Gould pluriel, Québec, Louise Courteau, 1987. Nouvelle édition augmentée ...
Glenn Gould, Pluriel (Text Collected and Presented By Ghyslaine Guertin)1988
http://www.ubu.com/sound/gould.html
http://ubu.artmob.ca/sound/gould_glenn/Gould-Glenn_The-Three-Cornered-World_1981.mp3
返信削除_________________
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| [社会思想] | [宗教] / |
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| 国家 | ネーション |
| B | A / |
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| | / |平
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| [経済学] | |
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| 資本 |アソシエーション|
| C | D X |
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自 由
文化(宗教) http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1482497288/984
グールド関連 http://www.nhk.or.jp/e-tele/onegai/detail/23681.html
社会思想 htts://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1482497288/982
経済学 http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1482497288/983
グールド関連:
國分功一郎 @lethal_notion 先生の『浅田彰が語るグレン・グールドの世界』を観たい!
- Togetterまとめ
https://togetter.com/li/588572
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion2013-11-05 10:43:52
俺はあの番組で初めて浅田彰という人を知ったと思う。なんか面白い喋り方の人だなぁって
思った。グールドの解説が笑えた。一番笑えたのが、ピアノを弾きながら身体でとっている
リズムが曲のリズムとあってないってやつ。映像観ると確かにあってないんだよな(笑)。
●浅田彰氏によるまとめ~グールドの5大特徴
(1)行儀の悪い座り方
(2)極端に低い椅子・高さ35cm
(3)弾きながら歌う
(4)曲のリズムと合わない体の揺れ
(5)自分の演奏への指揮
検討中「浅田彰が語るグレン・グールドの世界(教育テレビスペシャル)」
http://www.nhk.or.jp/e-tele/onegai/detail/23681.html
NHK教育で1992年の9月にO.Aされました、『浅田彰が語るグレン・グールドの世界』を
リクエストさせて頂きます。現在もなおクラシックのピアニストとして異端であり、最
先端であり続ける天才の軌跡を、浅田彰氏の解説とインタビューで構成する内容の番組
だったと思います。是非、検討をお願い致します。(黒川さん)
2013年11月5日(火)投稿 30代 男性
グールドの前説は一部聴き取りにくい
返信削除https://ubusound.memoryoftheworld.org/gould_glenn/Gould-Glenn_The%20Three-Cornered-World.mp3
https://vimeo.com/204314428
https://vimeo.com/204315029 作業用
The Three-Cornered World is written in 1906 but it actual point usually that term regard to so static work accept for two years Earlier at the time of the Russo-Japanese war.
The war place no direct part in the novel at least not until the last few pages but at that point it's rather jarring the more can easily read similarity to the World War I motif which brings to close another great Alpine novel Magic Mountain by Thomas Mann.
The Three-Cornered World is among other things about meditation versus action, detachment versus duty, about Western versus Eastern value systems, about people see parallel modernism.
In my opinion it is the greatest 20th-century and I gonna read a few esprit of the first chapter.
Concord Road was written in 1906 detection use that term with regard to static work set the time of the Japanese war the war please no direct part in the novel at least not until the last few pages but at that point it's rather jarring is an uncanny similarity to the war one which brings to clothes nothing great Alpine novel the Magic Mountain by Thomas
「『草枕(三角の世界 The Three-Cornered World )』が書かれたのは1906年、日露戦争のころですが、そのことは最後の場面で少し出てくるだけです。むしろ、戦争否定の気分が第一次大戦をモチーフとしたトーマスマンの『魔の山』を思い出させ、両者は相通じるものがあります。
『草枕』は様々な要素を含んでいますが、とくに思索と行動、無関心と義理、西洋と東洋の価値観の対立、モダニズムのはらむ危険を扱っています。これは20世紀の小説の最高傑作のひとつだと、私は思います。最初の章を読んでみましょう。」"The Three-Cornered World"
【映画】宮崎駿監督、新作タイトルは「君たちはどう生きるか」
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1湛然 ★2017/10/28(土) 18:56:27.78ID:CAP_USER9>>3>>6>>52>>54
2017年10月28日18時38分 小原篤
宮崎駿監督、新作タイトルは「君たちはどう生きるか」
アニメーション監督の宮崎駿さん(76)は28日、制作中の新作の題名が「君たちはどう生きるか」になると明かした。1937年に吉野源三郎が発表した名著から取った。「その本が主人公にとって大きな意味を持つという話です」と内容にも触れた。「完成には3年か4年かかる」と言う。
宮崎監督は2013年に長編制作から引退を表明したが、今年に入り撤回。新作に取りかかっていた。
28日に東京都新宿区の早稲田大学で開催された新宿区立漱石山房記念館開館記念イベント「漱石と日本、そして子どもたちへ」(新宿区主催、朝日新聞社など共催)に登壇。作家・半藤一利さんとの対談で、約1千人の参加者を前に新作について語った。
夏目漱石の「草枕」を「何度読んだか分からないくらい好き」と言う宮崎監督に、半藤さんが「5分間でいいので好きな場面をアニメにしてほしい。記念館で流せば、たくさんの人が来てくれる」。突然の提案に宮崎監督は苦笑しつつ「大変難しそうですけど、宿題として持って帰ります」と答えた。
(以下略、全文はソースをご覧ください。)
http://www.asahi.com/articles/ASKBX5T4ZKBXUCLV008.html
[Music] the three-cornered world was written in 1906.
but its action if one can use that term with regard to so static work is set two years earlier at the time of the Russian-japanese war the war plays no direct part in the novel at least not until the last few pages.
but at that point it's rather jarring de moi has an uncanny similarity to the world war one motif which brings to a close another great alpine novel the magic mountain by thomas mann.
the three-cornered world is among other things about meditation versus action detachment versus duty about western versus eastern value systems about the perceived perils of modernism.
in my opinion it's one of the greatest novels of the 20th century and i'm going to read just a few excerpts from its first chapter.
going up a mountain track i felt thinking…
[Music] the three-cornered world was written in 1906.
but its action if one can use that term with regard to so static work is set two years earlier at the time of the Russo-japanese war the war plays no direct part in the novel at least not until the last few pages.
but at that point it's rather jarring the more has an uncanny similarity to the world war one motif which brings to a close another great alpine novel the magic mountain by thomas mann.
the three-cornered world is among other things about meditation versus action detachment versus duty about western versus eastern value systems about the perceived perils of modernism.
in my opinion it's one of the greatest novels of the 20th century and i'm going to read just a few excerpts from its first chapter.
going up a mountain track i felt thinking…