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土曜日, 11月 10, 2012

プルードン/マルクス往復書簡 一八四六年

プルードン/マルクス往復書簡
(初出:http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/50790313.html)

以下、マルクスとプルードンの往復書簡を『革命家の告白 ― 二月革命史のために』(作品社)より引用させていただきます。研究目的ということで許諾いただきたいと思います。他にも翻訳はありますが、ぜひ作品社バージョンを購入していただきたいです。なお、英訳は下記サイトにあります。
(なお柄谷行人が『世界史の構造』360〜1頁で引用したのは、『プルードン・セレクション』91~3頁に再録された河野健二氏訳による手紙の中段部分(以下の赤字部分)別訳。大月マルエン全集第27巻には 「プルドン」からの返信は収録されていない。)

http://dwardmac.pitzer.edu/anarchist_archives/proudhon/letters/marxtoproudhon.html

参考:
http://yojiseki.exblog.jp/5230243/

原文:

Réponse de P.-J. Proudhon à K. Marx (Lyon, 17 mai 1846)
Lyon, 17 mai 1846
Mon cher monsieur Marx,


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 一八四六年には、カール・マルクスとブルードンの間に手紙のやり取りがあった(1846.5.5-1846.5.17)。ブルードンの手紙は『書簡集』に収録されている。マルクスの手紙は長いこと未刊だったが、ブルードン家に保存されていた書類から最近、発見された。ここにその二通の書簡を収録する。マルクスの手紙の署名は自筆であるが、本文はそうではない。マルクスは自らの筆跡を使っていない。最初の追伸の筆者であるフィリップ・ジゴーは未詳である。二番目の追伸の筆者フリードリヒ・エンゲルスはカール・マルクスの周知の友人である(訳注?大月書店版マルクス=エンゲルス全集』に既訳があるが、マルクス主義的なバイアスがかかっている場合もあるので、煩を厭わず収録する)。

マルクスからブルードンへの手紙

 親愛なるブルードン

 パリを立って以来、あなたに何度も手紙を書こうとしましたが、私の意志とは別の環境がそれを今日まで許さなかったのです。仕事の増加やら、引越しのゴタゴタ等々が私の無沙汰のもっぱらの理由であると、どうかお考えくださいますよう。

 さて、ともあれ、話の核心に入りましょう。私の二人の友、フリードリヒ・エンゲルスとフィリップ・ジゴー(二人ともブリュッセルにおります)とともに、私はドイツの共産主義者および社会主義者たちと持続的に連絡を取っていますが、これは、科学的問題の議論、人民の著作物に行なわれるべきリサーチ、この方法によってドイツに起こすことが可能な、社会主義的プロパガンダに取?り組むものでなければならないでしょう。とはいえ、われわれの通信の主要な目的は、ドイツの社会主義者たちを、フランスやイギリスの社会主義者たちに紹介することであります。つまり、ドイツで起こるであろう社会主義運動の流れに外国人たちを結びつけ、フランスやイギリスにおける社会主義の進歩をドイツにいるドイツ人に知らせることです。このようにして、さまざまな見解の相違が明らかになるでしょうし、思想の交換や公正な批判が可能となるでしょう。これは、社会運動が国籍の限界から解放されて、文章上の表現となるための第一歩です。そして、実際の活動においても、自国においてと同様に外国の事情に通暁することは、誰にとっても大きな利益であることは確実です。

 この通信によって、ドイツの共産主義者だけではなく、パリやロンドンのドイツ社会主義者のこともわかるでしょう。イギリスとのコネクションは既にできています。フランスについては、われわれとしてはあなた以上のすぐれた通信員は考えられません。ご存知のように、今までのところ、お国の方々よりはイギリス人やドイツ人のほうがよいと、われわれは思っております。

 したがいまして、おわかりのように、問題は定期的な通信を樹立することであり、さまざまな国の社会運動をフォローする手立てをそこに保証することであり、豊かで多様な利益を得ることですが、それはたった一人では決してできない相談でありましょう。

 もしこの申し出にご同意くださるならば、そちらの文書通信費は当方からの通信費同様、こちらで負担致しますし、ドイツでの募金はこの通信費をカバーするために用いられます。

 宛先はボッデンブロック通り八番地フィリップ・ジゴー氏です。ブリュッセルからの連絡もやはり、彼からのものになるでしょう。

 つけ加えるまでもありませんが、この連絡はすべて内密にお願い致します。われわれのドイツの友は、トラべルを避けるべく、最大限の慎重さをもって行動しております。

 なにとぞ、すみやかなお返事をお願い申し上げます。

                                      敬具

                                カール・マルクス

                        一八四六年五月五日、ブリュッセル

追伸----ここでパリのグリュン氏のことを告発します。この男は単なる文学的。ペテン師であり、現代思想を商売にしようとする香具師(やし)にほかなりません。彼はおのれの無知を、もったいぶった倣慢な文章で隠していますが、そのわけのわからぬ内容によって、結局滑稽な存在になるはかはありません。加えてこの男は危険です。彼は名高い著作家たちから得た知己を悪用し、その常軌を逸した振る舞いによって彼らを崇め奉り、ドイツの読者に対しては彼らを胡乱なものにするのです。フランス社会主義義に関する本では、彼は図々しくもブルードンの先生(Privatdocent、ドイツ語でアカデミックな権威のこと)だと自称し、ドイツ的学問によるあなたの重要な原理のヴェールを剥ぐことを求め、あなたの著作についてデタラメを言っているのです。ですから、この寄生虫にはお気をつけください。この手合いのことは、おそらくはまたのちほどお話することになりましょう。

 あなたはどの卓越した人物にお近づきになることがいかに喜ばしいことか、申し上げる機会が得られたことをうれしく存じます。それでは失礼申し上げます。                                                                                              

                                       敬具                                         

                             フィリップ・ジゴー

私と致しましては、私どもが今提案致しました計画に貴方が同意され、私どもへのご協力を賜りますことを、ひとえに切望するものです。貴方の著作によって私に吹き込まれました、貴方への深甚なる敬意を表しつつ。

                                       敬具

                             フリードリヒ・エンゲルス



参照先

http://dwardmac.pitzer.edu/anarchist_archives/proudhon/letters/proudhontomarx.html

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ブルードンからマルクスへの手紙

                    一八四六年五月一七日、リヨン

 マルクス氏へ           

 親愛なるムッシュー・マルクス(注)、私は喜んであなたの言う通信----その目的と組織は、きわめて有益にちがいないと思われます----の一員となることに同意します。とはいえ、分量的にも回数的にも多くはお約束できません。生来の怠惰に加えて、本来の私の仕事がそうした手紙を書く努力を許さないからです。さらに私は若干の留保を申し上げたいのですが、それはあなたの手紙の数節から思いつかれたものです。

(注 ブルードンはパリの社会主義グループ----彼はそこでヘーゲル哲学のことを学んでいた----の中で、マルクスに出会っていた。マルクスは哲学と同時に政治組織のことをいつも気にかけており、ブルードンのうちにある影響力を見て取り、彼を引き入れようと思った。そこでマルクスは、その手紙で言っている通りに、ヨーロッパ諸国の社会主義活動家を結びつけることを目指した「定期的通信」組織に加わるよう勧めた。ブルードンの返事は、これから見られるように、多くの留保を伴うものである。実際、この二人の間には、不信感と互いに相いれぬものがあった。こうした意識については、ブルードンの未刊の日記にきわめて明瞭な表現が見られる。ブルードンはマルクスの絶えざる駆け引きを見守りつつ、友人たちにこう書くだろう--「マルクスは社会主義の寄生虫(サナダムシ)だ」。マルクスは彼に接近するために行なった努力が無駄なことにただちに気づき、ブルードンが『経済的諸矛盾の体系または貧困の哲学』を刊行した後には、『哲学の貧困』と題された辛辣な著作によってこれに応えた。そこでこの二人の関係は途絶えた。彼らの弟子たちの間にはある敵対関係が始まり、それを示すものは現在の社会主義にも依然として認められる。)

 まず第一に、組織化と実行に関する私の考えが、今の時点では全く中断しているとはいえ、少なくともその諸原則に関しては、なおしばらくの間は、批判的ないしは疑いの限を持った姿勢を保つことが私の務めであり、すべての社会主義者の務めであると思います。一言で言えば、私は公衆とともに、ほとんど絶対的な経済的反教条主義を表明するものです。

 もしよろしければ、共に探そうではありませんか。社会の諸法則を、その法則が実現されるような形態を、それに沿ってそれら諸法則が発見できるような進歩を。ただし、ああどうか、あらゆる先験的(ア・プリオリ)な教条主義を解体した後で、今度は自分たちが民衆を教化しようなどとは、考えないようにしようではありませんか。あなたの同胞マルチン・ルターの矛盾には、陥らないようにしようではありませんか彼はカトリック神学を覆した後で、----多くの追放と破門制裁とによって、ただちにプロテスタント神学を打ち立て始めたのです。この三世紀来、ドイツは M・ルターが塗り替えたものの解体に忙殺されてきました。人類に対して、新たな混乱による新たな労役というタイユ税(かつて領主が徴収した人頭税)を課すのは、やめようではありませんか。あらゆる言論を明るみに出すというあなたの考えには、私は心から賛同致します。公正にして、誠実なる論争をしようではありませんか。社会に対して、賢明で、将来に備えた忍耐の見本を示そうではありませんか。ただし、私たちは一つの運動の先頭にいる以上、新たな不寛容を導いてはなりませんし、新たなる宗教の布教者となるべきではありませんこの宗教がいかに論理の宗教、理性の宗教であろうとも。あらゆる抗議を受け入れ、励まそうではありませんか。あらゆる排除、あらゆる神秘主義を、糾弾しようではありませんか。ある問題が用済みであると見なすことは、やめようではありませんか。そして、最後の議論まで論じ尽くしたとしても、必要ならば雄弁とイロニーをもって、再び始めようではありませんか。こうした条件であれば、私は喜んであなたの組織に参加しましょう。そうでなければ、否! です。

 さらに私は、あなたの手紙の「実際の活動において」という言葉について、若干の批判をしなければなりません。おそらくあなたは、いかなる改革もある奇襲----かつて革命と呼ばれたものがなければ実際には可能ではないという考えを、いまだに守っているでしょう。しかし、革命とは率直に言って、単なる揺れ動きにすぎません。私が抱き、弁明し、進んで異議を唱えもするかもしれないその考えを、私自身も長いこと共有してきたのですが、私の最近の研究によってそうした考えから、私は完全に抜け出したのです。成功するためには、私たちにはそうしたものは必要ではなく、社会改革の手段として革命的行動を主張する必要はないと思います。なぜならば、この渇望された手段はただ単に力に、専制に、要するに矛盾に訴えるものにすぎないからなのです。そういうわけで、私は自らに問題をこう設定してみます----ある経済的結合によって社会から引き出される富を、もう一つの経済的結合によって社会の中に回収させること。言い換えれば、あなた方もう一つのドイツ社会主義者たちが共同体と呼び、私としては今のところ自由、平等と呼ぶにとどめたいものを生み出すように、所有に抗して、所有の理論を政治経済学へと変えること、です。ところで、私はこの問題を短期に解決する方法を知っています。それゆえ私は、所有者たちの聖バルテルミーの日を作ることによって、所有に新たな力を与えるよりはむしろ、所有をジリジリと苦しめることのほうを選ぶのです。
 現在あらかた印刷されている私の次の著作は、このことをさらに詳細にあなたに語ることでしょう。

 わが親愛なる哲学者よ、これが現在私が立っている地点です。私は間違えることがあるかもしれないけれども、あなたの手によって鞭打たれる余地があるのならば、自分が巻き返すのを待機しつつ、喜んでそれに従うものです。ついでに言わなければなりませんが、以上はまた、フランスの労働者階級の傾向でもあると私には思われます。プロレタリアはあまりにも知識に渇いているので、彼らに血以外の飲み物を勧めてはならないとすれば、彼らを受け入れることはできないでしょう。要するに私の考えでは、皆殺しにする者として語るのは、私たちにとって悪しき政策によるものでしょう。是非とも必要な手段は、十分もたらされるでしょう。それゆえ民衆には、いかなる勧告も不要なのです。

 見たところ、ドイツ社会主義においては、既に細かな分裂状態が存在するらしいのがとても残念ですが、グリュン氏に対するあなた方の訴えも、その証左と私には受け取れます。あなた方は、この著作家を暗い明かりの中で見たのではないかと危倶されます。親愛なるムッシュー・マルクスよ、私はあなたの冷静さに訴えます。グリュンは亡命の身で、財産もなく、妻と二人の子供とともに、生きる手立てとしてはペンしかないのです。もし現代思想でないとすれば、彼が生きるためには、何を利用することをあなたは望むのでしょう。あなたの哲学的な怒りはわかりますし、人類の聖なる言葉は決して不正な取り引きの材料になるべきではないことは認めます。しかし、私としてはここにある不幸、ギリギリの必要性しか見たくはなく、その人間は大目に見ます。ああ、私たちがみな百万長者ならば、物事はもっとうまく行くでしょうし、私たちは聖者や天使でしょう。しかし、生きなければならないのです。それどころか、アソシアシオンの純粋な理論が与えるこの思想を、この言葉がいまだに表わしていないことをあなたはご存じだ。生きなければならない、すなわちパンを、薪を、肉を買い、一家の主人に給料を払わなければならない。もちろん、社会思想を売る者は説教を売る者と同様に卑劣だということはありません。グリュンが私の教師として振る舞ったかどうか、私は全く知りません。何の教師なのでしょう。私は政治経済学にしか興味はなく、これについては、彼はほとんど何も知りません。文学については、私は女子の慰み物だと見なしております。哲学に関しては、時折りそれを噸笑する権利を有するほどには知っております。グリュンは、私のヴェールを何も剥がさなかったのです。彼がそう言ったとすれば、理不尽なことを言ったわけですが、私はそのことを彼が後悔していると確信しています。

 些細な虚栄の発露を責めるよりも、私が知り、評価しているのは、親愛なるムッシュー・マルクスよ、あなたの著作や、エンゲルス氏の著作、そしてフォイエルバッハのかくも重要な仕事を私が知ったのは、グリュン氏の友人エバーべックともども彼のおかげだということです。彼らは私の頼みに応じて、最も重要な社会主義の出版物のいくつかの要約をフランス語で(というのは、私はあいにくドイツ語を全く解さないので)やろうとしてくれました。また、私の次の著作にマルクス、エンゲルス、フォイエルバッハ等の諸氏の仕事に関する言及をつけ加えたのも(そもそもはこれは独力でやるべきだったのですが)彼らの示唆によるものです。要するに、グリュンとエバーペックは、パリに住むドイツ人に聖なる火を絶やすまいと努めており、彼らに相談をもちかける労働者たちが彼らに抱いている敬意は、その日指すものの正しさを確かに保証するものと、私には思われます。

 親愛なるムッシュー・マルクス、束の間の苛立ちから生じた判断からあなたが抜け出られるのを、私は喜んで認めるでしょう。というのも、あなたが私に手紙を善かれた時、あなたは怒っておられたからです。グリュンは、私の今の本を翻訳したい旨、言ってくれました。ほかのすべてに優先してこの翻訳をすることが、彼に何らかの救いをもたらすのだろうと私は理解しました。それゆえ、この機会に、おそらくはあなたの助力とともに、私によりは彼の利益となるような一著作の販売に一役買っていただくことで、彼を援助してくださるならば、私は私のためではなく彼のために、あなたの友人ならびにあなたに感謝するものです。

 親愛なるムッシュー・マルクスよ、もしあなたが協力を確約してくださるというのならば、私はグリュン氏に、校正刷りをすぐにも送ることにしましょう。思いますのに、私が審判者になるつもりはないあなたの個人的な訴えにもかかわらず、これを行なうことは、私たちにとって万人の名誉でありましょう。(注)

 敬具

 あなたの友、エンゲルスとジゴー氏に限りない友情を。

(注 マルクスには、グリュンに疑いをかける、何か個人的ないし戦術的な理由があったのだろうか。マルクス主義史家は、おそらくそれを発見するだろう。ブルードンがこの告発をどのように、どんな口調で、そしてどんな気持ちで退けているかを読むのは、興味深いものがある。)

    『革命家の告白 ― 二月革命史のために 』(プルードン著、山本光久訳、作品社、2003.8)p498-505より

参照先

http://plaza.rakuten.co.jp/yojiseki/

 先に引用したプルードンの手紙は、後年の「マルクス主義」の行く方を予言するものでもあったが、その重要な部分をあえてピックアップするならば、以下の部分だろう。

 「おそらくあなたは、いかなる改革もある奇襲--かつて革命と呼ばれたもの--がなければ実際には可能ではないという考えを、いまだに守っているでしょう。しかし、革命とは率直に言って、単なる揺れ動きにすぎません。私が抱き、弁明し、進んで異議を唱えもするかもしれないその考えを、私自身も長いこと共有してきたのですが、私の最近の研究によってそうした考えから、私は完全に抜け出したのです。成功するためには、私たちにはそうしたものは必要ではなく、社会改革の手段として革命的行動を主張する必要はないと思います。なぜならば、この渇望された手段はただ単に力に、専制に、要するに矛盾に訴えるものにすぎないからなのです。そういうわけで、私は自らに問題をこう設定してみます----ある経済的結合によって社会から引き出される富を、もう一つの経済的結合によって社会の中に回収させること。言い換えれば、あなた方もう一つのドイツ社会主義者たちが共同体と呼び、私としては今のところ自由、平等と呼ぶにとどめたいものを生み出すように、所有に抗して、所有の理論を政治経済学へと変えること、です。ところで、私はこの問題を短期に解決する方法(注)を知っています。それゆえ私は、所有者たちの聖バルテルミーの日を作ることによって、所有に新たな力を与えるよりはむしろ、所有をジリジリと苦しめることのほうを選ぶのです。」

(注 これは交換銀行のこと。マルクスは周知のようにその後、それに対する批判を重ねることになるが、その批判は無知にもとづくもの、あるいは無知を装ったものであった。その理論的バックボーンとなる『貧困の哲学:経済的諸矛盾の体系』の刊行をプルードンは準備中だった。)

 これらの忠告を「律儀に」受け取って、マルクスはその後、『哲学の貧困』というプルードン批判を経由しつつも、『資本論』など経済学的批判に身を投じることになる。

 なお、注に述べられているヘーゲルとの関連について言えば、俗説とは違い、プルードンはマルクスらと会う以前に、大学でヘーゲルを学んで知っていた。(ただし、プルードンのアンチノミーはヘーゲルと違い解消されない。)

 また、プルードンの関心は価値論であり、他方マルクスの関心はあえて言えば価格論にあり、両者のすれ違いの原因となっている。プルードンの『経済的諸矛盾』に所収された「構成された価値論」がマルクスの「価値形態論」に大いに刺激を与えたと考えられる。

その後のゲゼルやエンデのマルクス批判は、マルクスが国家社会主義者であることを前提としているので、不十分だが、プルードンの交換銀行はマルクスの体系の前提(「価値形態論」を提出しても、マルクスは貨幣をその後の分析の中では固定されたものにしてしまう)となる貨幣(プルードンの言葉によれば「構成された価値」)それ自体を揺さぶるのでマルクスには受け入れ難かった。

 体系にこだわったマルクスとそれを内在的に壊し得るプルードンとの関係は、数学の分野で言えば、同じく体系にこだわったヒルベルトと不完全性定理を提出したゲーデルの関係に似ている。「構成された価値」およびその反対概念である「転態された価値」に関しては、未だ翻訳のない『経済的諸矛盾の体系』(斉藤悦則氏が藤原書店で準備中)などの詳細な検討が望まれる。

追記:

「ある経済的結合によって社会から引き出される富を、もう一つの経済的結合によって社会の中に回収させること。」というプルードンの言葉は、前述したように交換銀行を示すものだが、プルードンの別の言葉で言えば「新たな資本をつくり、その資本を動かすことで資本を揚棄する」ということになろう。

参考:プルードンアーカイブ(英語)は以下↓(『経済的諸矛盾』と往復書簡が読める)

http://dwardmac.pitzer.edu/anarchist_archives/proudhon/ProudhonCW.html

プルードンの交換銀行定款は以下↓

http://nam-students.blogspot.jp/2008/12/blog-post_12.html

P.S.

なお、政治革命ではなく社会革命を求めるプルードンは、いわゆる社民的発想に基づく議会主義も否定していた。

ここに以下、参考までにプルードンの普通選挙に関する考察を付記します(棄権運動やルソー批判に関するものではないので一般に言及されるプルードンの普通選挙批判とは引用箇所が違う)。代表制=表象の問題を、今日よく見られるような神学論争にすることなく、分節化し得ていると思います。

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 普通選挙はわれわれを政治的に大人にした。しかしわれわれにはなお社会的に自分たちを解放することが残っている。第三身分がかくも多くの活力と堅忍不抜とをもって勝ち取った自由は、民主国フランスにおいては、全市民に拡大されなければならない。平等な政治的権利は必然的に平等な社会的権利の意味を含んでいる。人々は飽きあきするほどくりかえしこういってきた。もはや階級は存在しない。一七八九年以来、フランス人はすべて法の前に平等である、と。
 だが、両腕のほかに財産というもののないわれわれ、資本の合法的もしくは悪意的な諸条件に毎日屈従しているわれわれ、団結法および一七八一年条項のごとく、われわれの尊厳と同時にわれわれの利益を毀損する異例な法律のもとで生活しているわれわれには、このような断言はまったく信じがたいのである。
 代表者を選出する権利をもつ国にあって、読むことを覚える手段をつねにもたないわれわれ、団結し、自由に組合を結成しえないため、職業教育を組織することができず、産業進歩のこの貴重な手段が資本の特権となっているのを眼にするわれわれは、このような幻想を描くことはできない。
 (中略)
 ~ 労働の自由、信用、連帯、これがわれわれの夢だ。これらが実現される日には、われわれに貴重な一国の光栄と繁栄にとっては、ブルジョアもプロレタリアも、雇主も労働者も存在しないであろう。市民すべてが権利において平等であろう。
 だが、と人はわれわれにいうだろう、君たちが必要とするこれら改革のすべては、君たちの選んだ代表者たちも、君たちと同様に、君たち以上に要求している。彼らはすべての人々の、またすべての人々によって選ばれた代表者なのだ。
 ところが! とわれわれは答えるだろう。そうではないのだ! われわれは代表などされていないし、だからこそ労働者立候補の問題を提起しているのである。産業人、商人、軍人、ジャーナリストの立候補などロにされていないことはわれわれも知っている。だが、言葉はなくても事実は存在するのだ。立法府の最大多数が大地主、大産業家、大商人、将軍、ジャーナリスト等々からなり、彼らは黙々として投票し、あるいは事務室でだけ語り、また専門的に知っている問題についてだけしか話さないのだ。
 (中略)
~ 彼らは欠けたものを立法府で補うが、そこには手仕事は代表されていない。富、有力者との縁故関係、公的機能等の諸手段をどれ一つとして利用していないわれわれは、われわれの候補者に、明白な、意味のはっきりした名称を付し、できるかぎり物事をその名でよぶことを余儀なくされている。
(中略)
 ~ おそらく、楽しかった昔、神の法が行なわれていた時代、国王や貴族たちが神に強いられて自分を民衆の父であり長子であると信じていたとき、幸福と平等とが天上に遠ざけられていたときには、慈善は一つの社会制度であったにちがいない。
 人民主権、普通選挙の時代には、慈善はもはや私的な徳でしかなく、それ以外ではありえない。ああ! 人間性の悪と弱さとはつねに友愛に広い活動の分野を残している。だが不当な悲惨、病気、不十分な賃金、失業等の形で、善意の非常に多くの勤労者を、無益にもがき苦しむ宿命の輪のなかに閉じこめている貧困、われわれが力強く立証するこの貧困ほ、消滅することが可能であり、また消滅するであろう。なぜこの区別が何人によってヰなされなかったのであろうか? われわれは被保護者や被救済者であろうとするものではない。われわれが欲するのは、平等者たることだ。われわれは、施しを拒否し、正義を欲するのだ。
 そうだ、われわれは代表されていない。なぜなら、敵対の精神が庶民階級に日々に弱まったとは誰もいっていないからだ。経験によって啓発されたわれわれは、人々を憎まず、物事を変えようとするのだ。誰もいわなかったが、団結法はもはやかかしでしかなく、悪を無くするどころか、抑圧されていると思いこんでいる者に出口を閉ざすことによって、悪を永久化したのである。
 そうだ、われわれは代表されていない。なぜなら、労働組合委員会の問題において、それを奨励する人々の精神に奇妙な混乱が起こっているからである。彼らによると、労働組合委員会は雇主と労働者とからなり、一種の職業的な労資調停者、生起する問題に日々決着をつけることに当たる裁判者ということになるであろう。ところが、われわれの要求するのは、普通選挙で選ばれた労働者のみからなる会議所であり、これは商業会議所にならって労働会議所ということができるであろう。そしてわれわれの要求に答えるものは裁判所である。
 そうだ、われわれは代表されていない。なぜなら、労働者階級の間に信用を組織するために現われた重要な運動のことを、誰も語らなかったからである。パリで三十五の相互信用組合が人知れず活動していることを今日誰が知っていようか? それらは実り豊かな萌芽をふくんでいる。しかしその完全な開花のためには自由の太陽を必要とするのだ。

(『労働者階級の政治能力』、「セーヌ県労働者六十名の宣言」(1864/2/17)より抜粋)

http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/9350995.html 

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Réponse de P.-J. Proudhon à K. Marx (Lyon, 17 mai 1846)

Lyon, 17 mai 1846

Mon cher monsieur Marx,

Je consens volontiers à devenir l’un des aboutissants de votre correspondance, dont le but et l’organisation me semblent devoir être utiles. Je ne vous promets pas, pourtant, de vous écrire ni beaucoup, ni souvent : mes occupations de toute nature, jointes à ma paresse naturelle, ne me permettent pas ces efforts épistolaires. Je prendrai aussi la liberté de faire quelques réserves, qui me sont suggérées par divers passages de votre lettre.

D’abord, quoique mes idées en fait d’organisation et de réalisation soient en ce moment tout à fait arrêtées, au moins pour ce qui regarde les principes, je crois qu’il est de mon devoir, qu’il est du devoir de tout socialiste, de conserver pour quelque temps encore la forme critique ou dubitative ; en un mot, je fais profession avec le public, d’un anti-dogmatismeéconomique presque absolu.

Cherchons ensemble, si vous voulez, les lois de la société, le mode dont ces lois se réalisent, le progrès suivant lequel nous parvenons à les découvrir : mais, pour Dieu ! après avoir démoli tous les dogmatismes a priori, ne songeons point à notre tour à endoctriner le peuple ; ne tombons pas dans la contradiction de votre compatriote Martin Luther qui, après avoir renversé la théologie catholique, se mit aussitôt à grands renforts d’excommunications et d’anathèmes, à fonder une théologie protestante. Depuis trois siècles, l’Allemagne n’est occupée que de détruire le replâtrage de M. Luther : ne taillons pas au genre humain une nouvelle besogne par de nouveaux gâchis. J’applaudis de tout mon cœur à votre pensée de produire un jour toutes les opinions ; faisons-nous une bonne et loyale polémique ; donnons au monde l’exemple d’une tolérance savante et prévoyante, mais parce que nous sommes à la tête du mouvement, ne nous faisons pas les chefs d’une nouvelle intolérance, ne nous posons pas en apôtres d’une nouvelle religion, cette religion fût-elle la religion de la logique, la religion de la raison. Accueillons, encourageons toutes les protestations, flétrissons toutes les exclusions, tous les mysticismes ; ne regardons jamais une question comme épuisée ; et quand nous aurons usé jusqu’à notre dernier argument, recommençons, s’il faut, avec l’éloquence et l’ironie. À cette condition, j’entrerai avec plaisir dans votre association, sinon, non !

J’ai aussi à vous faire quelques observation sur ce mot de votre lettre : au moment de l’action. Peut-être conservez-vous encore l’opinion qu’aucune réforme n’est actuellement possible sans un coup de main, sans ce qu’on appelait jadis une révolution, et qui n’est tout bonnement qu’une secousse. Cette opinion, que je conçois, que j’excuse, que je discuterais volontiers, l’ayant moi-même longtemps partagée, je vous avoue que mes dernières études m’en ont fait complètement revenir. Je crois que nous n’avons plus besoin de cela pour réussir ; et qu’en conséquence, nous ne devons point poser l’action révolutionnaire comme moyen de réforme sociale, parce que ce prétendu moyen serait tout simplement un appel à la force, à l’arbitraire, bref, une contradiction. Je me pose ainsi le problème : faire rentrer dans la société, par une combinaison économique, les richesses qui sont sorties de la société par une autre combinaison économique. En d’autres termes, tourner en Économie politique la théorie de la Propriété contre la Propriété, de manière à engendrer ce que vous autres socialistes allemands appelez communauté, et que je me bornerai pour le moment à appeler Liberté-égalité. Or, je crois savoir le moyen de résoudre, à court délai, ce problème : je préfère donc faire brûler la propriété à petit feu, plutôt que de lui donner une nouvelle force, en faisant une Saint-Barthélemy des propriétaires.

Mon prochain ouvrage, qui en ce moment est à moitié de son impression, vous en dira davantage.

Voilà, mon cher philosophe, où j’en suis pour le moment ; sauf à me tromper, et s’il y a lieu, à recevoir la férule de votre main ; ce à quoi je me soumets de bonne grâce, en attendant ma revanche. Je dois vous dire en passant que telles me semblent être aussi les dispositions de la classe ouvrière de France : nos prolétaires ont si grande soif de science qu’on serait fort mal accueilli d’eux si on n’avait à leur présenter à boire que du sang. Bref, il serait, à mon avis, d’une mauvaise politique pour nous de parler en exterminateurs : les moyens de rigueur viendront assez, le peuple n’a besoin pour cela d’aucune exhortation.

Je regrette sincèrement les petites divisions qui, à ce qu’il paraît, existent déjà dans le socialisme allemand, et dont vos plaintes contre M. G[rün] m’offrent la preuve. Je crains bien que vous n’ayez vu cet écrivain sous un jour faux : j’en appelle, mon cher Monsieur Marx, à votre sens rassis. G[rün] se trouve exilé, sans fortune, avec une femme et deux enfants, n’ayant pour vivre que sa plume. Que voulez-vous qu’il exploite pour vivre, si ce n’est les idées modernes ? Je comprends votre courroux philosophique, et je conviens que la sainte parole de l’Humanité ne devrait jamais faire la matière d’un trafic ; mais je ne veux voir ici que le malheur, l’extrême nécessité, et j’excuse l’homme. Ah ! si nous étions tous millionnaires, les choses se passeraient mieux : nous serions des saints et des anges. Mais il faut vivre, et vous savez que ce mot n’exprime pas encore, tant s’en faut, l’idée que donne la théorie pure de l’association. Il faut vivre, c’est-à-dire acheter du pain, du bois, de la viande, payer un maître de maison ; et ma foi ! celui qui vend des idées sociales n’est pas plus indigne que celui qui vend un sermon. J’ignore complètement si G[rün] s’est donné lui-même comme étant mon précepteur : précepteur de quoi ? Je ne m’occupe que d’économie politique, chose dont il ne sait à peu près rien ; je regarde la littérature comme un jouet de petite fille, et quant à la philosophie, j’en sais assez pour avoir le droit de m’en moquer à l’occasion. G[rün] ne m’a rien dévoilé du tout ; s’il l’a dit, il a dit une impertinence dont je suis sûr qu’il se repent.

Ce que je sais et que j’estime plus que je ne blâme un petit accès de vanité, c’est que je dois à M. G[rün], ainsi qu’à son ami Ewerbeck, la connaissance que j’ai de vos écrits, mon cher monsieur Marx, de ceux d’Engels, et de l’ouvrage si important de Feuerbach. Ces messieurs, à ma prière, ont bien voulu faire quelques analyses pour moi en français (car j’ai le malheur de ne pouvoir lire l’allemand) des publications socialistes les plus importantes ; et c’est à leur sollicitation que je dois insérer (ce que j’eusse fait de moi-même, au reste) dans mon prochain ouvrage, une mention des ouvrages de MM. Marx, Engels, Feuerbach, etc. Enfin, G[rün] et Ewerbeck travaillent à entretenir le feu sacré chez les Allemands qui résident à Paris, et la déférence qu’on pour ces Messieurs les ouvriers qui les consultent, me semblent un sûr garant de la droiture de leurs intentions.

Je vous verrais avec plaisir, mon cher Marx, revenir d’un jugement produit par un instant d’irritation ; car vous étiez en colère lorsque vous m’avez écrit. G[rün] m’a témoigné le désir de traduire mon livre actuel ; j’ai compris que cette traduction, précédant toute autre, lui procurerait quelques secours ; je vous serais donc obligé, ainsi qu’à vos amis, non pas pour moi, mais pour lui, de lui prêter assistance dans cette occasion, en contribuant à la vente d’un écrit qui pourrait sans doute, avec votre secours, lui donner plus de profit qu’à moi.

Si vous voulez me donner l’assurance de votre concours, mon cher monsieur Marx, j’enverrai incessamment mes épreuves à M. G[rün] et je crois, nonobstant vos griefs personnels dont je ne veux pas me constituer le juge, que cette conduite nous ferait honneur à tous.

Mille amitiés à vos amis, messieurs Engels et Gigot.

Votre tout dévoué.

P. J. Proudhon

À Monsieur

Philippe Gigot, rue de Bodenbroeck, 8,

à Bruxelles

Belgique

 _________

Le texte des deux lettres se trouve sous le titre « Un dialogue Marx-Proudhon (1846) » in Karl Marx,Œuvres. III, Philosophie, édition de Maximilien Rubel, Paris, Gallimard, « Pléiade », 1982, pp. 1480-1486. La lettre de Pierre-Joseph Proudhon est consultable aussi dans Correspondance de P.-J. Proudhon, Paris, Librairie internationale A. Lacroix et CieÉditeurs, 1875, t. II, pp. 198-202.

 

プルードン「マルクスへの手紙」一八四六年五月一七日

 もしよければ、社会の諸法則やこれらの法則が実現される様式、われわれがそれにそって諸法則を発見するにいたる進歩を一緒に探究したいものです。しかし、あらゆる先験的独断論をしりぞけたあとで、こんどはわれわれが人民を自分の教義に従わせようなどとは決して考えないでおきましょう。カトリック神学を転覆した直後に、破門と呪詛を多用してプロテスタント神学をうちたてはじめたお国のマルチン・ルターのような矛盾に陥らないようにしましょう。ここ三百年というもの、ドイツはルターの塗り替えた漆喰を破壊することだけに専心させられてきたのです。新たな混乱によって人類に新たな仕事を課するようなことはやめましょう。私は、すべての意見を公にするというあなたの考えに心から拍手を送ります。われわれは実り多い真面目な論争をやりましょう。賢明で先見の明に満ちた寛容の模範を世界に示しましょう。しかしわれわれは一つの運動の先頭に立っているのですから、新たな不寛容の頭目になったり、新しい宗教の使徒を自任したりしないでおきましょう。たとえそれが論理の宗教や理性の宗教であったとしても、です。あらゆる異議を歓迎し、奨励しましょう。すべての排他性や神秘主義を払拭しましょう。いかなる問題でも決して解明され尽くした問題とは見なさないようにしましょう。そしてわれわれがとことんまで議論を尽くしたあとでも、もし必要なら、雄弁と皮肉でもってもう一度議論をやりはじめましょう。この条件でなら私は喜んであなたの同盟に加わりましょう。だが、もしそうでないのならおことわりします。 
 私はまた、あなたの手紙のなかの「行動の時には」というくだりについて、いくつかの見解を述べておかねばなりません。いかなる改革も、実力行使なしには、すなわち、かつては革命と呼ばれていたが、せいぜいのところ動乱でしかないものの助けなしには、実際には不可能だという考えを、たぶんあなたはまだ持っておられるようです。私自身この考えを長いあいだ持ち続けてきたわけですから、この考えを理解していますし、喜んで議論するつもりですが、私はごく最近の研究によってこの見解を完全に放棄したことを告白しておきます。それはわれわれが成功するために必要なものではないと思います。つまり、革命的行動を社会改革の手段と見なしてはならないのです。なぜなら、この手段なるものはたんに力や専制への呼びかけ、要するに矛盾にすぎないからです。だから私は問題をつぎのように立てましょう。すなわち「ある経済組織によって社会から取り上げられた富を、別の経済組織によって社会に返還すること」です。いいかえれば、われわれは経済学において、あなたがたドイツの社会主義者が共産主義と呼んでいるもの──私はさしあたりそれを自由とか平等とかと呼ぶだけにしておきますが──を作り出すことを通じて、所有の理論を所有に対抗させねばならないのです。ところで、私はこの問題を近いうちに解決する方法を知ることができると思っています。つまり、私は、所有者にたいして聖バルテルミーの虐殺を行って所有に新しい力を与えるよりもむしろ、所有をとろ火で焼き上げることを選ぶものです。 
                         (「マルクスへの手紙」一八四六年五月一七日)


https://itunes.apple.com/jp/book/purudon-serekushon/id1038315012?mt=11

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 私はまた、あなたの手紙のなかの「行動の時には」というくだりについて、いくつかの見解
を述べておかねばなりません。いかなる改革も、実力行使なしには、すなわち、かつては革命
と呼ばれていたが、せいぜいのところ動乱でしかないものの助けなしには、実際には不可能だ
という考えを、たぶんあなたはまだ持っておられるようです。私自身この考えを長いあいだ持
ち続けてきたわけですから、この考えを理解していますし、喜んで議論するつもりですが、私
はごく最近の研究によってこの見解を完全に放棄したことを告白しておきます。それはわれわ
れが成功するために必要なものではないと思います。つまり、革命的行動を社会改革の手段と
見なしてはならないのです。なぜなら、この手段なるものはたんに力や専制への呼びかけ、要
するに矛盾にすぎないからです。だから私は問題をつぎのように立てましょう。すなわち「あ
る経済組織によって社会から取り上げられた富を、別の経済組織によって社会に返還すること」
です。いいかえれば、われわれは経済学において、あなたがたドイツの社会主義者が共産主義
と呼んでいるもの──私はさしあたりそれを自由とか平等とかと呼ぶだけにしておきますが─
─を作り出すことを通じて、所有の理論を所有に対抗させねばならないのです。ところで、私
はこの問題を近いうちに解決する方法を知ることができると思っています。つまり、私は、所
有者にたいして聖バルテルミーの虐殺を行って所有に新しい力を与えるよりもむしろ、所有を
とろ火で焼き上げることを選ぶものです。 
               (プルードン「マルクスへの手紙」一八四六年五月一七日)

『プルードン・セレクション』訳 阪上孝 & 河野健二 
https://itunes.apple.com/jp/book/purudon-serekushon/id1038315012?mt=11
https://www.amazon.co.jp/dp/B014II5ZOU

  我还要対您来信中的 "是行动的時候了" 一段,谈谈我的一
些見解。任何改革如果没有实力的行使,即以往所説的革命,或
者至少是动乱的协助,实际上都将是不可能的,您現在依然是这
样的想法吧。我个人長期以来也特有这样的看法,因此比較能够
理解,也愿意就此展开讨论,不过,我想坦白根据最近的研究我
完全放弃了这种視点。我想,这并不是我们成功所必需的东西。 
就是説,我们不能把革命行动視为社会改革的手段。因为,这样
的手段只能換来強力和专制,总之是一个矛盾。所以,我的解決
問題的方案是这样的。即 "通过另外的経済组织把某个経済组织
从社会所摂取的財富再返还給社会"。換句話説,我们必須在経
済学上通过创造出你们德意志社会主义者所説的共产主义--我
暫時称此为自由或平等--以所有来対抗所有的理論。另外,我
想最近我将发現解決達今同題的方法。就是説,与其対所有者采
取圣帕忒尼式的虐杀而使所有获得新的力量,不如选择用微火来
烧煮这个所有。

 蒲鲁东:《給马克思的信》1846年5月17日

柄谷行人『世界史的构造』赵京华訳 中央编译出版社, 2012. 9、217-218頁

岩波書店『世界史の構造』360頁で柄谷行人が引用した手紙は、平凡社『プルードンセレクション』(92-93頁)からのものである。


26 件のコメント:

  1. 世界史の構造p360で柄谷が引用した手紙は、平凡社プルードンセレクションp92-93からのものである。



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  2. [658]2012/11/15(木)23:14 P↓
     さらに私は、あなたの手紙の「実際の活動において」という言葉について、若干の批判をしなければなり
    ません。おそらくあなたは、いかなる改革もある奇襲----かつて革命と呼ばれたものがなければ実際には可
    能ではないという考えを、いまだに守っているでしょう。しかし、革命とは率直に言って、単なる揺れ動き
    にすぎません。私が抱き、弁明し、進んで異議を唱えもするかもしれないその考えを、私自身も長いこと共
    有してきたのですが、私の最近の研究によってそうした考えから、私は完全に抜け出したのです。成功する
    ためには、私たちにはそうしたものは必要ではなく、社会改革の手段として革命的行動を主張する必要はな
    いと思います。なぜならば、この渇望された手段はただ単に力に、専制に、要するに矛盾に訴えるものにす
    ぎないからなのです。


    そういうわけで、私は自らに問題をこう設定してみます----ある経済的結合によって社
    会から引き出される富を、もう一つの経済的結合によって社会の中に回収させること。言い換えれば、あな
    た方もう一つのドイツ社会主義者たちが共同体と呼び、私としては今のところ自由、平等と呼ぶにとどめた
    いものを生み出すように、所有に抗して、所有の理論を政治経済学へと変えること、です。ところで、私は
    この問題を短期に解決する方法を知っています。それゆえ私は、所有者たちの聖バルテルミーの日を作るこ
    とによって、所有に新たな力を与えるよりはむしろ、所有をジリジリと苦しめることのほうを選ぶのです。

    ブルードンからマルクスへの手紙 

                        一八四六年五月一七日
    (窓)http://nam-students.blogspot.jp/2012/11/blog-post_10.html

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  3.  もしよろしければ、共に探そうではありませんか。社会の諸法則を、その法則が実現されるような
    形態を、それに沿ってそれら諸法則が発見できるような進歩を。ただし、ああどうか、あらゆる先験的
    (ア・プリオリ)な教条主義を解体した後で、今度は自分たちが民衆を教化しようなどとは、考えない
    ようにしようではありませんか。あなたの同胞マルチン・ルターの矛盾には、陥らないようにしようでは
    ありませんか彼はカトリック神学を覆した後で、----多くの追放と破門制裁とによって、ただちにプロテ
    スタント神学を打ち立て始めたのです。この三世紀来、ドイツは M・ルターが塗り替えたものの解体
    に忙殺されてきました。人類に対して、新たな混乱による新たな労役というタイユ税(かつて領主が徴
    収した人頭税)を課すのは、やめようではありませんか。あらゆる言論を明るみに出すというあなたの
    考えには、私は心から賛同致します。公正にして、誠実なる論争をしようではありませんか。社会に対
    して、賢明で、将来に備えた忍耐の見本を示そうではありませんか。ただし、私たちは一つの運動の先
    頭にいる以上、新たな不寛容を導いてはなりませんし、新たなる宗教の布教者となるべきではありませ
    んこの宗教がいかに論理の宗教、理性の宗教であろうとも。あらゆる抗議を受け入れ、励まそうではあ
    りませんか。あらゆる排除、あらゆる神秘主義を、糾弾しようではありませんか。ある問題が用済みであ
    ると見なすことは、やめようではありませんか。そして、最後の議論まで論じ尽くしたとしても、必要な
    らば雄弁とイロニーをもって、再び始めようでほありませんか。こうした条件であれば、私は喜んであな
    たの組織に参加しましょう。そうでなければ、否! です。

    ブルードンからマルクスへの手紙 

                        一八四六年五月一七日

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  4.  もしよろしければ、共に探そうではありませんか。社会の諸法則を、その法則が実現されるような
    形態を、それに沿ってそれら諸法則が発見できるような進歩を。ただし、ああどうか、あらゆる先験的
    (ア・プリオリ)な教条主義を解体した後で、今度は自分たちが民衆を教化しようなどとは、考えない
    ようにしようではありませんか。あなたの同胞マルチン・ルターの矛盾には、陥らないようにしようでは
    ありませんか彼はカトリック神学を覆した後で、----多くの追放と破門制裁とによって、ただちにプロテ
    スタント神学を打ち立て始めたのです。この三世紀来、ドイツは M・ルターが塗り替えたものの解体
    に忙殺されてきました。人類に対して、新たな混乱による新たな労役というタイユ税(かつて領主が徴
    収した人頭税)を課すのは、やめようではありませんか。あらゆる言論を明るみに出すというあなたの
    考えには、私は心から賛同致します。公正にして、誠実なる論争をしようではありませんか。社会に対
    して、賢明で、将来に備えた忍耐の見本を示そうではありませんか。ただし、私たちは一つの運動の先
    頭にいる以上、新たな不寛容を導いてはなりませんし、新たなる宗教の布教者となるべきではありませ
    んこの宗教がいかに論理の宗教、理性の宗教であろうとも。あらゆる抗議を受け入れ、励まそうではあ
    りませんか。あらゆる排除、あらゆる神秘主義を、糾弾しようではありませんか。ある問題が用済みであ
    ると見なすことは、やめようではありませんか。そして、最後の議論まで論じ尽くしたとしても、必要な
    らば雄弁とイロニーをもって、再び始めようではありませんか。こうした条件であれば、私は喜んであな
    たの組織に参加しましょう。そうでなければ、否! です。

    ブルードンからマルクスへの手紙 

                        一八四六年五月一七日

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  5. マルクスからの手紙には、フィリップ・ジゴとエンゲルスからの追伸がつく

    マルエン27
    383頁参照

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  6. [フィリップ・ジゴの追伸]
     私はこの手紙によって自分にあたえられた機会をよろこんで利用して、あなたのようなすぐれた方と結びつきをもつことが私にとってどんなにうれしいことかを申し上げたいと思います。
       あなたの忠実な
           フィリップ・ジゴ

    [エンゲルスの追伸]
     私に関しては、プルドン氏、あなたが、われわれがいま示した提案に同意されるとともに、好意をもってあなたの寄稿をおことわりにならないだろうという希望をいだくことができるだけです。あなたの著作によって私の心に深い尊敬の念が呼び起こされたことを申しあげます。いつまでも   あなたの忠実な  フリードリヒ・エンゲルス
         原文はフランス語

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  7.  さらに私は、あなたの手紙の「実際の活動において」という言葉について、若干の批判をしなけれ
    ばなりません。おそらくあなたは、いかなる改革もある奇襲----かつて革命と呼ばれたものがなければ
    実際には可能ではないという考えを、いまだに守っているでしょう。しかし、革命とは率直に言って、
    単なる揺れ動きにすぎません。私が抱き、弁明し、進んで異議を唱えもするかもしれないその考えを、
    私自身も長いこと共有してきたのですが、私の最近の研究によってそうした考えから、私は完全に抜
    け出したのです。成功するためには、私たちにはそうしたものは必要ではなく、社会改革の手段とし
    て革命的行動を主張する必要はないと思います。なぜならば、この渇望された手段はただ単に力に、
    専制に、要するに矛盾に訴えるものにすぎないからなのです。そういうわけで、私は自らに問題をこ
    う設定してみます----ある経済的結合によって社会から引き出される富を、もう一つの経済的結合によ
    って社会の中に回収させること。言い換えれば、あなた方もう一つのドイツ社会主義者たちが共同体
    と呼び、私としては今のところ自由、平等と呼ぶにとどめたいものを生み出すように、所有に抗して、
    所有の理論を政治経済学へと変えること、です。ところで、私はこの問題を短期に解決する方法を知
    っています。それゆえ私は、所有者たちの聖バルテルミーの日を作ることによって、所有に新たな
    力を与えるよりはむしろ、所有をジリジリと苦しめることのほうを選ぶのです。

      我还要対您来信中的 "是行动的時候了" 一段,谈谈我的一
    些見解。任何改革如果没有实力的行使,即以往所説的革命,或
    者至少是动乱的协助,实际上都将是不可能的,您現在依然是这
    样的想法吧。我个人長期以来也特有这样的看法,因此比較能够
    理解,也愿意就此展开讨论,不过,我想坦白根据最近的研究我
    完全放弃了这种視点。我想,这并不是我们成功所必需的东西。 
    就是説,我们不能把革命行动視为社会改革的手段。因为,这样
    的手段只能換来強力和专制,总之是一个矛盾。所以,我的解決
    問題的方案是这样的。即 "通过另外的経済组织把某个経済组织
    从社会所摂取的財富再返还給社会"。換句話説,我们必須在経
    済学上通过创造出你们德意志社会主义者所説的共产主义--我
    暫時称此为自由或平等--以所有来対抗所有的理論。另外,我
    想最近我将发現解決達今同題的方法。就是説,与其対所有者采
    取圣帕忒尼式的虐杀而使所有获得新的力量,不如选择用微火来
    烧煮这个所有。

     蒲鲁东:《給马克思的信》1846年5月17日

    柄谷行人『世界史的构造』赵京华訳 中央编译出版社, 2012. 9
    217-218頁

    实=実、愿=願、谈=談、种=種、弃=棄、总=総、为=為、
    专=専、并=並、协=協、创=創、过=過、另=別、发=発、
    圣=聖、杀=殺、帕=PA、忒=TOKU、烧=焼、个=個、
    选=選、择=択(选择=選択)、从=従(從)

    3:30 午後
    yoji said...
    国際書籍番号   ISBN:9789866112676
    書    名   《世界史的結構》       
    著 (編) 者    柄谷行人
    出  版  社   心靈工坊
    代金(円表示)  750人民(台湾)元 1冊
    http://www.psygarden.com.tw/book.php?func=visit&bookid=MjAxMzAxMjIxODMzMDA=

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  8. プルードン「マルクスへの手紙」一八四六年五月一七日



    プルードン「マルクスへの手紙」一八四六年五月一七日

     もしよければ、社会の諸法則やこれらの法則が実現される様式、われわれがそれにそって諸法則を発見するにいたる進歩を一緒に探究したいものです。しかし、あらゆる先験的独断論をしりぞけたあとで、こんどはわれわれが人民を自分の教義に従わせようなどとは決して考えないでおきましょう。カトリック神学を転覆した直後に、破門と呪詛を多用してプロテスタント神学をうちたてはじめたお国のマルチン・ルターのような矛盾に陥らないようにしましょう。ここ三百年というもの、ドイツはルターの塗り替えた漆喰を破壊することだけに専心させられてきたのです。新たな混乱によって人類に新たな仕事を課するようなことはやめましょう。私は、すべての意見を公にするというあなたの考えに心から拍手を送ります。われわれは実り多い真面目な論争をやりましょう。賢明で先見の明に満ちた寛容の模範を世界に示しましょう。しかしわれわれは一つの運動の先頭に立っているのですから、新たな不寛容の頭目になったり、新しい宗教の使徒を自任したりしないでおきましょう。たとえそれが論理の宗教や理性の宗教であったとしても、です。あらゆる異議を歓迎し、奨励しましょう。すべての排他性や神秘主義を払拭しましょう。いかなる問題でも決して解明され尽くした問題とは見なさないようにしましょう。そしてわれわれがとことんまで議論を尽くしたあとでも、もし必要なら、雄弁と皮肉でもってもう一度議論をやりはじめましょう。この条件でなら私は喜んであなたの同盟に加わりましょう。だが、もしそうでないのならおことわりします。
     私はまた、あなたの手紙のなかの「行動の時には」というくだりについて、いくつかの見解を述べておかねばなりません。いかなる改革も、実力行使なしには、すなわち、かつては革命と呼ばれていたが、せいぜいのところ動乱でしかないものの助けなしには、実際には不可能だという考えを、たぶんあなたはまだ持っておられるようです。私自身この考えを長いあいだ持ち続けてきたわけですから、この考えを理解していますし、喜んで議論するつもりですが、私はごく最近の研究によってこの見解を完全に放棄したことを告白しておきます。それはわれわれが成功するために必要なものではないと思います。つまり、革命的行動を社会改革の手段と見なしてはならないのです。なぜなら、この手段なるものはたんに力や専制への呼びかけ、要するに矛盾にすぎないからです。だから私は問題をつぎのように立てましょう。すなわち「ある経済組織によって社会から取り上げられた富を、別の経済組織によって社会に返還すること」です。いいかえれば、われわれは経済学において、あなたがたドイツの社会主義者が共産主義と呼んでいるもの──私はさしあたりそれを自由とか平等とかと呼ぶだけにしておきますが──を作り出すことを通じて、所有の理論を所有に対抗させねばならないのです。ところで、私はこの問題を近いうちに解決する方法を知ることができると思っています。つまり、私は、所有者にたいして聖バルテルミーの虐殺を行って所有に新しい力を与えるよりもむしろ、所有をとろ火で焼き上げることを選ぶものです。
                             (「マルクスへの手紙」一八四六年五月一七日)


    https://itunes.apple.com/jp/book/purudon-serekushon/id1038315012?mt=11
    プルードン・セレクション
    ピエール=ジョゼフプルードン, 阪上孝 & 河野健二 カテゴリ: 哲学/思想




    POSTED BY YOJI AT 6:06 午前
    1 COMMENTS:

    yoji said...

    シルビオ・ゲゼル『自然的経済秩序』冒頭
     http://www3.plala.or.jp/mig/gesell/nwo1-0-jp.html(リンク切れ)
    《なぜマルクスの資本理論がプルードンの学説を追い出せ、社会主義を独裁制にできたのだろうか。どうしてマルクスと
    彼の理論が世界のあらゆる新聞で語られるのか。マルクス主義の絶望とそのための無害性だという人がいる。ちょうど
    資本家がキリスト教の教義を恐れないように、資本家は彼の理論を恐れない。むしろ、マルクスやキリストについてお
    おっぴらに話すのは資本家のためになる。マルクスは資本家を決して破壊できないが、それは彼が資本の性質を誤解し
    ているからだ。しかし、プルードンに注意しよう。彼は徹底的に無視するに限る。妨害や擾乱、または中断なしに労働
    者が働ければ、資本家は資本の供給過剰(商品の生産過剰と混乱しないように)ですぐに窒息するという彼の主張は正
    当なものなので、彼は危険人物である。直ちに実行できるため、資本家の攻撃のためのプルードンの提案は危険なもの
    である。マルクスのプログラムは最新の機械と道具を備えた現代の訓練された労働者の莫大な生産能力について語って
    いる。マルクスはこの莫大な生産能力で何も始められない。プルードンの手にかかるとこれは資本家に対する武器と
    なる。そのためプルードンを忘れてもらえるように、マルクスを喧伝せよ、と。》
    ゲゼル

    12:10 午前
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  9. プルードン「マルクスへの手紙」一八四六年五月一七日



    プルードン「マルクスへの手紙」一八四六年五月一七日

     もしよければ、社会の諸法則やこれらの法則が実現される様式、われわれがそれにそって諸法則を発見するにいたる進歩を一緒に探究したいものです。しかし、あらゆる先験的独断論をしりぞけたあとで、こんどはわれわれが人民を自分の教義に従わせようなどとは決して考えないでおきましょう。カトリック神学を転覆した直後に、破門と呪詛を多用してプロテスタント神学をうちたてはじめたお国のマルチン・ルターのような矛盾に陥らないようにしましょう。ここ三百年というもの、ドイツはルターの塗り替えた漆喰を破壊することだけに専心させられてきたのです。新たな混乱によって人類に新たな仕事を課するようなことはやめましょう。私は、すべての意見を公にするというあなたの考えに心から拍手を送ります。われわれは実り多い真面目な論争をやりましょう。賢明で先見の明に満ちた寛容の模範を世界に示しましょう。しかしわれわれは一つの運動の先頭に立っているのですから、新たな不寛容の頭目になったり、新しい宗教の使徒を自任したりしないでおきましょう。たとえそれが論理の宗教や理性の宗教であったとしても、です。あらゆる異議を歓迎し、奨励しましょう。すべての排他性や神秘主義を払拭しましょう。いかなる問題でも決して解明され尽くした問題とは見なさないようにしましょう。そしてわれわれがとことんまで議論を尽くしたあとでも、もし必要なら、雄弁と皮肉でもってもう一度議論をやりはじめましょう。この条件でなら私は喜んであなたの同盟(アソシアシオン)に加わりましょう。だが、もしそうでないのならおことわりします。
     私はまた、あなたの手紙のなかの「行動の時には」というくだりについて、いくつかの見解を述べておかねばなりません。いかなる改革も、実力行使(クー・ド・マン)なしには、すなわち、かつては革命と呼ばれていたが、せいぜいのところ動乱でしかないものの助けなしには、実際には不可能だという考えを、たぶんあなたはまだ持っておられるようです。私自身この考えを長いあいだ持ち続けてきたわけですから、この考えを理解していますし、喜んで議論するつもりですが、私はごく最近の研究によってこの見解を完全に放棄したことを告白しておきます。それはわれわれが成功するために必要なものではないと思います。つまり、革命的行動を社会改革の手段と見なしてはならないのです。なぜなら、この手段なるものはたんに力や専制への呼びかけ、要するに矛盾にすぎないからです。だから私は問題をつぎのように立てましょう。すなわち「ある経済組織によって社会から取り上げられた富を、別の経済組織によって社会に返還すること」です。いいかえれば、われわれは経済学において、あなたがたドイツの社会主義者が共産主義(コミユノテ)と呼んでいるもの──私はさしあたりそれを自由とか平等とかと呼ぶだけにしておきますが──を作り出すことを通じて、所有の理論を所有に対抗させねばならないのです。ところで、私はこの問題を近いうちに解決する方法を知ることができると思っています。つまり、私は、所有者にたいして聖バルテルミーの虐殺を行って所有に新しい力を与えるよりもむしろ、所有をとろ火で焼き上げることを選ぶものです。
                             (「マルクスへの手紙」一八四六年五月一七日)


    https://itunes.apple.com/jp/book/purudon-serekushon/id1038315012?mt=11
    プルードン・セレクション
    ピエール=ジョゼフプルードン, 阪上孝 & 河野健二 カテゴリ: 哲学/思想




    POSTED BY YOJI AT 6:06 午前
    1 COMMENTS:

    yoji said...

    シルビオ・ゲゼル『自然的経済秩序』冒頭
     http://www3.plala.or.jp/mig/gesell/nwo1-0-jp.html(リンク切れ)
    《なぜマルクスの資本理論がプルードンの学説を追い出せ、社会主義を独裁制にできたのだろうか。どうしてマルクスと
    彼の理論が世界のあらゆる新聞で語られるのか。マルクス主義の絶望とそのための無害性だという人がいる。ちょうど
    資本家がキリスト教の教義を恐れないように、資本家は彼の理論を恐れない。むしろ、マルクスやキリストについてお
    おっぴらに話すのは資本家のためになる。マルクスは資本家を決して破壊できないが、それは彼が資本の性質を誤解し
    ているからだ。しかし、プルードンに注意しよう。彼は徹底的に無視するに限る。妨害や擾乱、または中断なしに労働
    者が働ければ、資本家は資本の供給過剰(商品の生産過剰と混乱しないように)ですぐに窒息するという彼の主張は正
    当なものなので、彼は危険人物である。直ちに実行できるため、資本家の攻撃のためのプルードンの提案は危険なもの
    である。マルクスのプログラムは最新の機械と道具を備えた現代の訓練された労働者の莫大な生産能力について語って
    いる。マルクスはこの莫大な生産能力で何も始められない。プルードンの手にかかるとこれは資本家に対する武器と
    なる。そのためプルードンを忘れてもらえるように、マルクスを喧伝せよ、と。》
    ゲゼル



    http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/blog-post_14.html

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  10. http://www.aiguail71poet.com/article-48--proudhon.html?PHPSESSID=70e8a577e7d008be71759cc63f93001a

    Réponse de P.-J. Proudhon à K. Marx (Lyon, 17 mai 1846)

    Lyon, 17 mai 1846

    Mon cher monsieur Marx,

    Je consens volontiers à devenir l’un des aboutissants de votre correspondance, dont le but et l’organisation me semblent devoir être utiles. Je ne vous promets pas, pourtant, de vous écrire ni beaucoup, ni souvent : mes occupations de toute nature, jointes à ma paresse naturelle, ne me permettent pas ces efforts épistolaires. Je prendrai aussi la liberté de faire quelques réserves, qui me sont suggérées par divers passages de votre lettre.

    D’abord, quoique mes idées en fait d’organisation et de réalisation soient en ce moment tout à fait arrêtées, au moins pour ce qui regarde les principes, je crois qu’il est de mon devoir, qu’il est du devoir de tout socialiste, de conserver pour quelque temps encore la forme critique ou dubitative ; en un mot, je fais profession avec le public, d’un anti-dogmatismeéconomique presque absolu.

    Cherchons ensemble, si vous voulez, les lois de la société, le mode dont ces lois se réalisent, le progrès suivant lequel nous parvenons à les découvrir : mais, pour Dieu ! après avoir démoli tous les dogmatismes a priori, ne songeons point à notre tour à endoctriner le peuple ; ne tombons pas dans la contradiction de votre compatriote Martin Luther qui, après avoir renversé la théologie catholique, se mit aussitôt à grands renforts d’excommunications et d’anathèmes, à fonder une théologie protestante. Depuis trois siècles, l’Allemagne n’est occupée que de détruire le replâtrage de M. Luther : ne taillons pas au genre humain une nouvelle besogne par de nouveaux gâchis. J’applaudis de tout mon cœur à votre pensée de produire un jour toutes les opinions ; faisons-nous une bonne et loyale polémique ; donnons au monde l’exemple d’une tolérance savante et prévoyante, mais parce que nous sommes à la tête du mouvement, ne nous faisons pas les chefs d’une nouvelle intolérance, ne nous posons pas en apôtres d’une nouvelle religion, cette religion fût-elle la religion de la logique, la religion de la raison. Accueillons, encourageons toutes les protestations, flétrissons toutes les exclusions, tous les mysticismes ; ne regardons jamais une question comme épuisée ; et quand nous aurons usé jusqu’à notre dernier argument, recommençons, s’il faut, avec l’éloquence et l’ironie. À cette condition, j’entrerai avec plaisir dans votre association, sinon, non !

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  11. J’ai aussi à vous faire quelques observation sur ce mot de votre lettre : au moment de l’action. Peut-être conservez-vous encore l’opinion qu’aucune réforme n’est actuellement possible sans un coup de main, sans ce qu’on appelait jadis une révolution, et qui n’est tout bonnement qu’une secousse. Cette opinion, que je conçois, que j’excuse, que je discuterais volontiers, l’ayant moi-même longtemps partagée, je vous avoue que mes dernières études m’en ont fait complètement revenir. Je crois que nous n’avons plus besoin de cela pour réussir ; et qu’en conséquence, nous ne devons point poser l’action révolutionnaire comme moyen de réforme sociale, parce que ce prétendu moyen serait tout simplement un appel à la force, à l’arbitraire, bref, une contradiction. Je me pose ainsi le problème : faire rentrer dans la société, par une combinaison économique, les richesses qui sont sorties de la société par une autre combinaison économique. En d’autres termes, tourner en Économie politique la théorie de la Propriété contre la Propriété, de manière à engendrer ce que vous autres socialistes allemands appelez communauté, et que je me bornerai pour le moment à appeler Liberté-égalité. Or, je crois savoir le moyen de résoudre, à court délai, ce problème : je préfère donc faire brûler la propriété à petit feu, plutôt que de lui donner une nouvelle force, en faisant une Saint-Barthélemy des propriétaires.

    Mon prochain ouvrage, qui en ce moment est à moitié de son impression, vous en dira davantage.

    Voilà, mon cher philosophe, où j’en suis pour le moment ; sauf à me tromper, et s’il y a lieu, à recevoir la férule de votre main ; ce à quoi je me soumets de bonne grâce, en attendant ma revanche. Je dois vous dire en passant que telles me semblent être aussi les dispositions de la classe ouvrière de France : nos prolétaires ont si grande soif de science qu’on serait fort mal accueilli d’eux si on n’avait à leur présenter à boire que du sang. Bref, il serait, à mon avis, d’une mauvaise politique pour nous de parler en exterminateurs : les moyens de rigueur viendront assez, le peuple n’a besoin pour cela d’aucune exhortation.

    Je regrette sincèrement les petites divisions qui, à ce qu’il paraît, existent déjà dans le socialisme allemand, et dont vos plaintes contre M. G[rün] m’offrent la preuve. Je crains bien que vous n’ayez vu cet écrivain sous un jour faux : j’en appelle, mon cher Monsieur Marx, à votre sens rassis. G[rün] se trouve exilé, sans fortune, avec une femme et deux enfants, n’ayant pour vivre que sa plume. Que voulez-vous qu’il exploite pour vivre, si ce n’est les idées modernes ? Je comprends votre courroux philosophique, et je conviens que la sainte parole de l’Humanité ne devrait jamais faire la matière d’un trafic ; mais je ne veux voir ici que le malheur, l’extrême nécessité, et j’excuse l’homme. Ah ! si nous étions tous millionnaires, les choses se passeraient mieux : nous serions des saints et des anges. Mais il faut vivre, et vous savez que ce mot n’exprime pas encore, tant s’en faut, l’idée que donne la théorie pure de l’association. Il faut vivre, c’est-à-dire acheter du pain, du bois, de la viande, payer un maître de maison ; et ma foi ! celui qui vend des idées sociales n’est pas plus indigne que celui qui vend un sermon. J’ignore complètement si G[rün] s’est donné lui-même comme étant mon précepteur : précepteur de quoi ? Je ne m’occupe que d’économie politique, chose dont il ne sait à peu près rien ; je regarde la littérature comme un jouet de petite fille, et quant à la philosophie, j’en sais assez pour avoir le droit de m’en moquer à l’occasion. G[rün] ne m’a rien dévoilé du tout ; s’il l’a dit, il a dit une impertinence dont je suis sûr qu’il se repent.

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  12. Ce que je sais et que j’estime plus que je ne blâme un petit accès de vanité, c’est que je dois à M. G[rün], ainsi qu’à son ami Ewerbeck, la connaissance que j’ai de vos écrits, mon cher monsieur Marx, de ceux d’Engels, et de l’ouvrage si important de Feuerbach. Ces messieurs, à ma prière, ont bien voulu faire quelques analyses pour moi en français (car j’ai le malheur de ne pouvoir lire l’allemand) des publications socialistes les plus importantes ; et c’est à leur sollicitation que je dois insérer (ce que j’eusse fait de moi-même, au reste) dans mon prochain ouvrage, une mention des ouvrages de MM. Marx, Engels, Feuerbach, etc. Enfin, G[rün] et Ewerbeck travaillent à entretenir le feu sacré chez les Allemands qui résident à Paris, et la déférence qu’on pour ces Messieurs les ouvriers qui les consultent, me semblent un sûr garant de la droiture de leurs intentions.

    Je vous verrais avec plaisir, mon cher Marx, revenir d’un jugement produit par un instant d’irritation ; car vous étiez en colère lorsque vous m’avez écrit. G[rün] m’a témoigné le désir de traduire mon livre actuel ; j’ai compris que cette traduction, précédant toute autre, lui procurerait quelques secours ; je vous serais donc obligé, ainsi qu’à vos amis, non pas pour moi, mais pour lui, de lui prêter assistance dans cette occasion, en contribuant à la vente d’un écrit qui pourrait sans doute, avec votre secours, lui donner plus de profit qu’à moi.

    Si vous voulez me donner l’assurance de votre concours, mon cher monsieur Marx, j’enverrai incessamment mes épreuves à M. G[rün] et je crois, nonobstant vos griefs personnels dont je ne veux pas me constituer le juge, que cette conduite nous ferait honneur à tous.

    Mille amitiés à vos amis, messieurs Engels et Gigot.

    Votre tout dévoué.

    P. J. Proudhon

    À Monsieur

    Philippe Gigot, rue de Bodenbroeck, 8,

    à Bruxelles

    Belgique



    Le texte des deux lettres se trouve sous le titre « Un dialogue Marx-Proudhon (1846) » in Karl Marx,Œuvres. III, Philosophie, édition de Maximilien Rubel, Paris, Gallimard, « Pléiade », 1982, pp. 1480-1486. La lettre de Pierre-Joseph Proudhon est consultable aussi dans Correspondance de P.-J. Proudhon, Paris, Librairie internationale A. Lacroix et CieÉditeurs, 1875, t. II, pp. 198-202.

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  13. 《さらに私は、あなたの手紙の「実際の活動において」という言葉について、若干の批判をしなければなり
    ません。おそらくあなたは、いかなる改革もある奇襲----かつて革命と呼ばれたものがなければ実際には可
    能ではないという考えを、いまだに守っているでしょう。しかし、革命とは率直に言って、単なる揺れ動き
    にすぎません。私が抱き、弁明し、進んで異議を唱えもするかもしれないその考えを、私自身も長いこと共
    有してきたのですが、私の最近の研究によってそうした考えから、私は完全に抜け出したのです。成功する
    ためには、私たちにはそうしたものは必要ではなく、社会改革の手段として革命的行動を主張する必要はな
    いと思います。なぜならば、この渇望された手段はただ単に力に、専制に、要するに矛盾に訴えるものにす
    ぎないからなのです。

    そういうわけで、私は自らに問題をこう設定してみます----ある経済的結合によって社
    会から引き出される富を、もう一つの経済的結合によって社会の中に回収させること。言い換えれば、あな
    た方もう一つのドイツ社会主義者たちが共同体と呼び、私としては今のところ自由、平等と呼ぶにとどめた
    いものを生み出すように、所有に抗して、所有の理論を政治経済学へと変えること、です。ところで、私は
    この問題を短期に解決する方法を知っています。それゆえ私は、所有者たちの聖バルテルミーの日を作るこ
    とによって、所有に新たな力を与えるよりはむしろ、所有をジリジリと苦しめることのほうを選ぶのです。》

    ブルードンからマルクスへの手紙 

                        一八四六年五月一七日
    http://nam-students.blogspot.jp/2012/11/blog-post_10.html

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  14. 《私はまた、あなたの手紙のなかの「行動の時には」というくだりについて、いくつかの見解を述べておかねばなりません。いか
    なる改革も、実力行使(クー・ド・マン)なしには、すなわち、かつては革命と呼ばれていたが、せいぜいのところ動乱でしかない
    ものの助けなしには、実際には不可能だという考えを、たぶんあなたはまだ持っておられるようです。私自身この考えを長いあいだ
    持ち続けてきたわけですから、この考えを理解していますし、喜んで議論するつもりですが、私はごく最近の研究によってこの見解
    を完全に放棄したことを告白しておきます。それはわれわれが成功するために必要なものではないと思います。つまり、革命的
    行動を社会改革の手段と見なしてはならないのです。なぜなら、この手段なるものはたんに力や専制への呼びかけ、要するに矛盾に
    すぎないからです。だから私は問題をつぎのように立てましょう。すなわち「ある経済組織によって社会から取り上げられた富を、
    別の経済組織によって社会に返還すること」です。いいかえれば、われわれは経済学において、あなたがたドイツの社会主義者が
    共産主義(コミユノテ)と呼んでいるもの──私はさしあたりそれを自由とか平等とかと呼ぶだけにしておきますが──を作り出す
    ことを通じて、所有の理論を所有に対抗させねばならないのです。ところで、私はこの問題を近いうちに解決する方法を知ること
    ができると思っています。つまり、私は、所有者にたいして聖バルテルミーの虐殺を行って所有に新しい力を与えるよりもむしろ、
    所有をとろ火で焼き上げることを選ぶものです。
                             (「マルクスへの手紙」一八四六年五月一七日)
    https://itunes.apple.com/jp/book/purudon-serekushon/id1038315012?mt=11
    プルードン・セレクション
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  15. マルクスに経済学研究を始めさせたのはプルードンとの往復書簡(1846)だろう
    あの手紙にはすべてがある
    経済決定論も
    マルクス主義陣営のその後の課題も

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  16. 世界史の構造では

    聖パルテルミー

    とpaになっている


    誤植だ

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  17. 集団か個人主義かという問題は1846年マルクスとプルードンの往復書簡に全てがある

    ただし今日の経済学は
    集団主義にせよ個人主義にせよ成長理論に全てが飲み込まれてしまった

    マルクスもシュンペーターも成長を前提とするし
    拡大再生産もイノベーションも成長理論に過ぎない

    プルードンとそこから影響を受けたゲゼルだけが成長及び成長理論の神話から免れている

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  18. 集団か個人主義かという問題は1846年マルクスとプルードンの往復書簡に全てがある

    ただし今日の経済学は
    集団主義にせよ個人主義にせよ成長理論に全てが飲み込まれてしまった

    マルクスもシュンペーターも成長を前提とするし
    拡大再生産もイノベーションも成長理論に過ぎない

    プルードンとそこから影響を受けたゲゼルだけが成長及び成長理論の神話から免れている


    自由はあなたにとってすぐそこまで来ている
    だが真理がそんなに遠くにあるなら何の益があるだろう
    (ボブ・ディラン)

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  19. 矛盾
    J’ai aussi à vous faire quelques observation sur ce mot de votre lettre : au moment de l’action. Peut-être conservez-vous encore l’opinion qu’aucune réforme n’est actuellement possible sans un coup de main, sans ce qu’on appelait jadis une révolution, et qui n’est tout bonnement qu’une secousse. Cette opinion, que je conçois, que j’excuse, que je discuterais volontiers, l’ayant moi-même longtemps partagée, je vous avoue que mes dernières études m’en ont fait complètement revenir. Je crois que nous n’avons plus besoin de cela pour réussir ; et qu’en conséquence, nous ne devons point poser l’action révolutionnaire comme moyen de réforme sociale,

    parce que ce prétendu moyen serait tout simplement un appel à la force, à l’arbitraire, bref, une contradiction.


    Je me pose ainsi le problème : faire rentrer dans la société, par une combinaison économique, les richesses qui sont sorties de la société par une autre combinaison économique. En d’autres termes, tourner en Économie politique la théorie de la Propriété contre la Propriété, de manière à engendrer ce que vous autres socialistes allemands appelez communauté, et que je me bornerai pour le moment à appeler Liberté-égalité. Or, je crois savoir le moyen de résoudre, à court délai, ce problème : je préfère donc faire brûler la propriété à petit feu, plutôt que de lui donner une nouvelle force, en faisant une Saint-Barthélemy des propriétaires.

    また、お手紙の中の「アクション」という言葉についても、少しコメントさせていただきます。もしかしたら、今の時代、一撃、かつての革命と呼ばれた「衝撃」がなければ、改革はできないという意見もあるかもしれません。この意見は、私自身も長い間共有してきたもので、理解し、弁解し、喜んで議論したいと思っていましたが、最近の研究で完全に考えを改めたことを告白します。私は、成功するためには、もはやこれを必要としないと考えています。したがって、社会改革の手段として革命的行動を提起してはなりません。

    なぜなら、このようないわゆる手段は、単に力に訴え、恣意性に訴え、つまり、矛盾を引き起こすからです。

    私はこの問題を、ある経済的な組み合わせによって社会から出て行った富を、別の経済的な組み合わせによって社会に戻す、という形で提起しています。言い換えれば、財産に対する財産の理論を政治経済学に変えて、ドイツの社会主義者が共同体と呼ぶものを生み出すようにすることです。私はこの問題を短期的に解決する方法を知っている。つまり、所有者に聖バーソロミューの日を作って新たな力を与えるのではなく、財産をゆっくりと燃やしていくことを好む。

    www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。

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  20. しかし、革命とは率直に言って、単なる揺れ動きにすぎません。私が抱き、弁明し、進んで異議を唱えもするかもしれないその考えを、私自身も長いこと共有してきたのですが、私の最近の研究によってそうした考えから、私は完全に抜け出したのです。

    上の訳は意訳?

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  21. https://fr.m.wikisource.org/wiki/Correspondance_de_P.-J._Proudhon/Marx


    J’ai aussi à vous faire quelque observation sur ce mot de votre lettre : Au moment de l’action. Peut-être conservez-vous encore l’opinion qu’aucune réforme n’est actuellement possible sans un coup de main, sans ce qu’on appelait jadis une révolution, et qui n’est tout bonnement qu’une secousse. Cette opinion que je conçois, que j’excuse, que je discuterais volontiers, l’ayant moi-même longtemps partagée, je vous avoue que mes dernières études m’en ont fait complètement revenir. Je crois que nous n’avons pas besoin de cela pour réussir ; et qu’en conséquence, nous ne devons pas poser l’action révolutionnaire comme moyen de réforme sociale, parce que ce prétendu moyen serait tout simplement un appel à la force, à l’arbitraire, bref, une contradiction. Je me pose ainsi le problème : faire rentrer dans la société, par une combinaison économique, les richesses qui sont sorties de la société par une autre combinaison économique. En autres termes, tourner en Économie politique, la théorie de la propriété, contre la propriété, de manière à engendrer ce que vous autres socialistes allemands appelez communauté, et que je me bornerai, pour le moment, à appeler liberté, égalité. Or, je crois savoir le moyen de résoudre, à court délai, ce problème : je préfère donc faire brûler la propriété à petit feu, plutôt que de lui donner une nouvelle force, en faisant une Saint-Barthélemy des propriétaires.

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  22. また、お手紙の中の「アクション」という言葉についても、少しコメントさせていただきます。もしかしたら、今の時代、一撃、かつての革命と呼ばれた「衝撃」がなければ、改革はできないという意見もあるかもしれません。この意見は、私自身も長い間共有してきたもので、理解し、弁解し、喜んで議論したいと思っていましたが、最近の研究で完全に考えを改めたことを告白します。私は、成功するためには、もはやこれを必要としないと考えています。したがって、社会改革の手段として革命的行動を提起してはなりません。なぜなら、このようないわゆる手段は、単に力に訴え、恣意性に訴え、つまり、矛盾を引き起こすからです。私はこの問題を、ある経済的な組み合わせによって社会から出て行った富を、別の経済的な組み合わせによって社会に戻す、という形で提起しています。言い換えれば、財産に対する財産の理論を政治経済学に変えて、ドイツの社会主義者が共同体と呼ぶものを生み出すようにすることです。私はこの問題を短期的に解決する方法を知っている。つまり、所有者に聖バーソロミューの日を作って新たな力を与えるのではなく、財産をゆっくりと燃やしていくことを好む。

    www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。

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  23.  私はまた、あなたの手紙のなかの「行動の時には」というくだりについて、いくつかの見解
    を述べておかねばなりません。いかなる改革も、実力行使なしには、すなわち、かつては革命
    と呼ばれていたが、せいぜいのところ動乱でしかないものの助けなしには、実際には不可能だ
    という考えを、たぶんあなたはまだ持っておられるようです。私自身この考えを長いあいだ持
    ち続けてきたわけですから、この考えを理解していますし、喜んで議論するつもりですが、私
    はごく最近の研究によってこの見解を完全に放棄したことを告白しておきます。それはわれわ
    れが成功するために必要なものではないと思います。つまり、革命的行動を社会改革の手段と
    見なしてはならないのです。なぜなら、この手段なるものはたんに力や専制への呼びかけ、要
    するに矛盾にすぎないからです。だから私は問題をつぎのように立てましょう。すなわち「あ
    る経済組織によって社会から取り上げられた富を、別の経済組織によって社会に返還すること」
    です。いいかえれば、われわれは経済学において、あなたがたドイツの社会主義者が共産主義
    と呼んでいるもの──私はさしあたりそれを自由とか平等とかと呼ぶだけにしておきますが─
    ─を作り出すことを通じて、所有の理論を所有に対抗させねばならないのです。ところで、私
    はこの問題を近いうちに解決する方法を知ることができると思っています。つまり、私は、所
    有者にたいして聖バルテルミーの虐殺を行って所有に新しい力を与えるよりもむしろ、所有を
    とろ火で焼き上げることを選ぶものです。
                   (プルードン「マルクスへの手紙」一八四六年五月一七日)

    『プルードン・セレクション』訳 阪上孝 & 河野健二
    https://itunes.apple.com/jp/book/purudon-serekushon/id1038315012?mt=11
    https://www.amazon.co.jp/dp/B014II5ZOU

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  24. une révolution, et qui n’est tout bonnement qu’une secousse.

    革命というのは、単に衝撃を与えることです。

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  25. Manifesto (1848), he argues that communism will be the realization of free associations. The fissures between Marx and Proudhon began appearing around 1846, after Proudhon rejected a proposal from Marx to combine their efforts. In a letter to Marx, Proudhon wrote: I have also some observations to make on this phrase of your letter: at the moment of action. Perhaps you still retain the opinion that no reform is at present possible without a coup de main, without what was formerly called a revolution and is really nothing but a shock. That opinion, which I understand, which I excuse, and would willingly discuss, having myself shared it for a long time, my most recent studies have made me abandon completely. I believe we have no need of it in order to succeed; and that consequently we should not put forward revolutionary action as a means of social reform, because that pretended means would simply be an appeal to force, to arbitrariness, in brief, a contradiction. I myself put the problem in this way: to bring about the return to society, by an economic combination, of the wealth which was withdrawn from society by another economic combination. In other words, through Political Economy to turn the theory of Property against Property in such a way as to engender what you German socialists call community and what I will limit myself for the moment to calling liberty or equality. But I believe that I know the means of solving this problem with only a short delay; I would therefore prefer to burn Property by a slow fire, rather than give it new strength by making a St Bartholomew’s night of the proprietors.11

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