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月曜日, 11月 12, 2012

マックス・ウェーバーと12音平均律の限界

                          (リンク::::::ウェーバー

ウェーバーはカルヴァン派を論じた『プロテスタンティズム〜』より、『音楽社会学』 の方が重要だ、、、と思う。

『音楽社会学』(創文社):目次(仮)
          (正確には「音楽の合理的・社会学的基礎,
           Die rationale und soziologische Grundlagen der Musik 」1921)
 1-19 音組織の合理化そのものをめぐる問題の分析     p 3- 141         
     =音楽の合理的基礎
       a 1- 4 合理化そのものをめぐる問題   p   3-  41
       b 5-19 音楽、音階の人類学       p 41-141
20-29 音組織の合理化の歴史的条件をめぐる問題    p141-190
     =音楽の社会学的基礎
       c20-24 多声性の記譜法        p141-190
       d25-29 合理化の担い手たる    
               楽器の社会学考察     p190-242
       (27 弦楽器
        28 オルガン
        29 ピアノ)

原文は29節に分かれた草稿。恣意的に引用者が章分けし、(解説p266-268,321を参考に)章題をつけてみた。

『音楽社会学』創文社(解説を参照せず、素朴に章分けすると、)

1-4音楽、音階の合理化p3-41
5-14音階の人類学p41-102
15-24音階の歴史p102-190
25-29楽器、ピアノ等の規範性p190-242



ウェーバーによる12音平均律の限界の指摘は、カントのカテゴリー論(これも全12個。数学的圏論ではない)の限界に呼応するだろう。

西欧の合理化を研究して行くなかで、逆にその不合理に気付いた所が偉大だ。

参考動画:
3種類の調律聞き比べ(平均律・純正律・キルンベルガー)/ 3 different tunings http://www.youtube.com/watch?v=fx3PwP6UP5s

以下、 ウェーバー『音楽社会学』より
http://monyabetter.dtiblog.com/?mode=m&menu=cno&cno=2&page=2

  和声的に合理化された音楽は、すべてオクターブ(振動数比1:2)を出発点とし、このオクターヴを5度(2:3)と4度(3:4)という二つの音程に 分割する。つまりn/n+1という式で表わされる二つの分数――いわゆる過分数――によって分割するわけで、この過分数はまた、5度より小さい西欧のすべ ての音程の基礎でもある。ところが、いま或る開始音から出発して、まず最初はオクターヴで、次に5度、4度、あるいは過分数によって規定された他の何ら かの〔音程〕関係で、「圏」状に上行または下行すると、この手続きをたとえどこまで続けても、これらの分数の累乗が同一の音に出くわすことはけっしてあり えない。例えば、(2/3)12にあたる第十二番目の純正5度は、(1/2)7にあたる第七番目の8度よりも、ビュタゴラス・コンマの差だけ大きいの である。このいかんとも成し難い事態と、さらには、オクターヴを過分数によって分ければそこに生ずる二つの音程は必ず大きさの違うものになるという事情 が、あらゆる音楽合理化の根本をなす事実である。この基本的事実から見るとき近代の音楽がいかなる姿を呈しているか、われれれはまず最初にそれを思い起こ してみよう。――M.ウェーバー『音楽社会学』創文社:3頁.

  旋律法の非合理性によって誘発されたかかる緊張がなかったならば、いかなる近代音楽も存在しえないであろう。なぜならこのような緊張こそ、近代音楽のもっ とも重要な表現手段のひとつだからである。それがどのように用いられるか、それはもはやここで論ずべき問題ではない。というのも、ここでは〔音楽の〕もっ とも単純な諸事実に基づいて、次のことを思い出すだけで十分だからである。すなわち、音楽の和音的合理化は、旋律上の諸事実との絶えざる緊張関係のうちに 身を置き、旋律上諸事実を完全に自分の中に同化することはけっしてできないということ。しかもそれだけではなく、音楽の和音的合理化は、それ自体のうちに も非合理的な要素を内蔵しているということである。それは7度が、――間隔的に見ると――非相称的な位置を占めていることの結果であって、そのような非合 理性は、前述した短音階の構造の避け難い和声的多義性のうちに、もっとも素朴な形で表れている。――同上:21-22頁

ドゥルーズによれば 、現代の音楽は転調が主要な課題だという。そう考えればモダンジャズなどでさえも十二音平均律が重宝されるのは無理もないし、個人的にも純正律を無理強いしようとは思わない。

それでもこの問題を知っているのと知らないのとでは大きな違いが出るだろう。
特に無知のままピアノ帝国主義に対抗することはできない(ウェーバーもヨーロッパにおけるピアノの普及に十二音平均律が支配的になった理由を見ている。ただし、そこには善悪、正誤の判断はない)。


http://toshihiroide.files.wordpress.com/2012/10/baion.jpg

以下、諸サイトより参照用に引用。

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http://blog.zaq.ne.jp/fortepianoyamamoto/article/44/

ピアノの起源 マックス・ウェーバー 音楽社会学からの引用
マックス・ウェーバー 音楽社会学   
訳解  安藤 英治、池宮 英才、 角倉 一朗
創文者 

p231
           二九
  近代に固有の第二の鍵盤楽器たるピアノは、技術的には非常に異なった二つの歴史的起源をもっている。一方にはクラヴィコードClavicord がある。  全西欧世界の合理的音測定の基礎となった初期中世の〝モノコード〟は、一本の弦と移動する駒を持った楽器であるが、クラヴィコードは、このモノコードの 弦を増やしてでき上がったものであって、多分間違いなく修道僧の発明になるものであろう。  ~ 略  ~

十四世紀には二十二の全音階の音(hと並んでbも含め、Gからe´まで)を包括るするだけの音域
p232
を 持っていたこの楽器は、アグリーコラの時代(十六世紀)にはすでに、Aからh"に及ぶ半音階的音階をもつまでになっていた。この楽器の音はすぐに消えるの で、これが装飾的恩恵を生む刺激となり、かくてこの楽器はとりわけ厳密な意味での芸術音楽に使う楽器となっていた。この楽器は、弦の鳴っている部分を区 切って沈黙させるタンジェントによって打鍵された。楽器の運命がもはや少数の音楽家や耳のこえた素人達(ディレッタント)の需要によっては決定されず、資 本主義的になった楽器生産の市場の諸状況によって決定されるまでになるまでは、この楽器は、ハンマークラヴィーアHammerklavierとの競争に負 けることはなかったが、それは、完成の域に達したこの楽器独特の音色の効果、つまりその特徴たる表現豊かな〝顫音〟Bebungenのおかげであった。

  ピアノの第二の源は、プサルテリウムPsalteriumに由来する〝クライヴィシムバル〟Clavicymbal、〝クラヴサン〟Clavecinまた は、〝チェンバロ〟Cembaloと、これと多くの点で異なったイギリスの〝ヴァージナル〟Virginalとである。これらの絃は、それぞれの音に一本 ずつあって羽茎で掻き鳴らされたので、強弱や音色を調節する能力はないが、タッチTonanschlagは非常に自由であり、明確であった。前に述べたよ うな短所はクラヴサンとオルガンに共通しており、ひとびとは同様の技術的手段をもってこの短所を匡正しようと努めた。十八世紀に入るまでオルガニストは正 規のクラヴィーア製造家であり、したがってまたクラヴィーア作品の創始者でもあった。
    ~ 途中 略  ~
p234
 ハンマークラヴィアは、一部はイタリアの土壌の上(クリストーフォリ)、一部はドイツの土壌の上に、種々の段階を経て発展して行った。しかしイタリアにおける諸発明は、最初そこでは実際上ほとんど利用されなかった。
  イタリアの文化は、(実際、近代の戸口に至るまで)北方の音楽文化の室内空間的性格には無縁であった。ア・カペッラ歌唱A-capella-gesang とオペラは、そして特にオペラはそのアリアが、理解し易い、歌い易いメロディーを求める家庭需要を充たすように作られており、市民的な〝家庭〟ホーム文化 がないという事実によって規定されたイタリア流の理想であった。こういう事情により、ピアノの生産とピアノのそれ以上の技術的発展との中心は、当時音楽的 にもっとも良く―つまりこの場合、もっとも広汎に―組織されていた国、すなわちザクセンにおかれていた。
 

2008-06-25
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http://www.socius.jp/lec/18.html

ウェーバーの合理化論

 音楽はあらゆる時代・あらゆる民族において発展した普遍的な営為だ。しかし、音楽に関して近代西欧においてのみ生じた特殊なことがある。それは独特の〈合理化〉である。
  ウェーバーは『宗教社会学論集』の有名な「序言」のなかで、つぎのように問うている。要約すると「なぜヨーロッパ以外の地では、科学・芸術・国家・経済の 発展が、西欧に特有の合理化の道をたどらなかったのか」-この「西欧に特有の合理化」のことをウェーバーが「呪術からの解放」とも呼んでいたことは前章で もふれた。ウェーバーは、この西欧に特有な合理化」の結果生まれたものとして、つぎのようなものをあげている▼2。
経済における資本主義的企業――形式的に自由な労働・合理的経営形態・家政と経営の分離・合理的な簿記
行政における官僚制組織
国家における議会制度・憲法・合理的法体系
学問における近代自然科学――数学的な表現と基礎づけ・実験による検証・組織的研究の場としての大学
芸術における市場向け生産物――文学出版物・雑誌・新聞・劇場・美術館
 絵画における遠近法
 音楽における和声音楽[対位法・和音和声法]
 以上の諸現象は今日わたしたちにとって自明な――それゆえ普遍的にみえる――ものばかりだが、じつはいずれも近代西欧にのみ発生した、歴史的にみてきわめて特殊な現象なのである。そこには独特の〈合理化〉が一様にみられた。
西欧音楽の合理化

 晩年のウェーバーの関心は、西欧近代社会がたどった合理化過程に集中しており、かれの未完の草稿「音楽の合理的社会学的基礎」(通称「音楽社会学」)もその視点につらぬかれている▼3。
  さしあたりウェーバーの関心は西欧音楽独自の音組織にあった。具体的には、合理的和声と調性である。和声音楽はトニック・ドミナント・サブドミナントの三 つの三和音の組み合わせによって構成される。これは近代西欧音楽独特のものである。これを可能にするのはオクターブ空間の均質的な構成である。つまり十二 平均律である。これがあってはじめて自在な転調が可能になり、和声音楽の表現力は飛躍的に高まる。ところが、じつは自然に聞こえる和音にもとづいて調律す ると、オクターブがあわないのである。音響物理学ではこれを「ピュタゴラス・コンマの問題」と呼ぶ。このさい近代西欧音楽は聴覚上の調和よりも十二音の間 隔の均一化を選択する。つまり、よく響くが音楽的ダイナミズムに欠ける純正律ではなく、聴覚上若干の不協和があるが自在な音楽表現を保証する平均律を選ぶ のである。J・S・バッハの「平均律クラヴィーア集」(第一集)は、その転換点を刻印する作品だった。
 以上の西欧独特の音組織は、他のさまざま な要素と連動していた。第一にあげなければならないのは記譜法の成立である。西欧以外の伝統的音楽はいずれも精密な楽譜を発達させなかった。五線符に音楽 をく書く記譜法は、もっぱら〈演奏する〉活動だった音楽を「書く芸術」に変化させた。ここではじめて作曲家と演奏家が分離し、〈音楽を書く人〉としての 「作曲家」が誕生することになる。第二に、楽器とくにピアノにいたる鍵盤楽器の発達が関係する。鍵盤楽器が他の諸楽器と異なるのは、調律を固定しなければ ならないことである。とりわけピアノは純正律から平均律への転換に大きな役割を果たした。
 もちろん、宗教をはじめとするあらゆる文化現象がそう であるように、音楽現象も、非合理的で神秘的な性質をもつ。じっさい、いわゆる民族音楽としてわたしたちが知っている多様な音楽のほとんどは、もともと非 合理的で神秘的な性質をもっている。しかし、近代西欧音楽は、しだいに非合理性と神秘性を溶解させ、独特の合理化を果たすのである。ウェーバーの歴史社会 学は、その合理化が、ひとり音楽のみならずあらゆる社会領域において浸透していった壮大な潮流のひとつの支流であることを教えてくれる。
▼1 ブレヒトの「歴史化」については2-2参照。
▼2  「宗教社会学論集序言」マックス・ヴェーバー、大塚久雄・生松敬三訳『宗教社会学論選』(みすず書房一九七二年)。なお、ユルゲン・ハーバーマス、河上 倫逸・フーブリヒト・平井俊彦訳『コミュニケイション的行為の理論(上)』(未来社一九八一年)第二章およびディルク・ケスラー、森岡弘通訳『マックス・ ウェーバー――その思想と全体像』(三一書房一九八一年)一五九ページ以下参照。
▼3 マックス・ウェーバー、安藤英治・池宮英才・角倉一朗訳 『音楽社会学』(創文社一九六七年)。くわしい解説が訳注として付された親切な訳本だが、本文前半に音響物理学を利用した非常に難解な部分があり、直接こ れを読んで理解できるのは、そうとう音楽理論と数学の得意な人ではなかろうか。そこでこの本に付せられた安藤英治の解説「マックス・ウェーバーと音楽」を はじめとして以下の解説を参照した。ディルク・ケスラー、前掲訳書。R・コリンズ、寺田篤弘・中西茂行訳『マックス・ウェーバーを解く』(新泉社一九八八 年)。吉崎道夫「ウェーバーと芸術」徳永恂編『マックス・ウェーバー――著作と思想』(有斐閣新書一九七九年)。吉崎道夫「非合理と合理の接点にあるもの ――ウェーバーの『音楽社会学』を廻って」『現代思想』一九七五年二月号。勝又正直「M・ヴェーバーの『音楽社会学』をめぐって」『社会学史研究』第九号 (一九八七年)。ウェーバーの音楽社会学はウェーバー研究の文脈では年々その重要性が評価されているようだが、一般には社会学として継承されていない。こ のあたりの事情については、アルノルト・ツィンゲルレ、井上博二・大鐘武・岡澤憲一郎・栗原淑江・野村一夫訳『マックス・ウェーバー-影響と受容』(恒星 社厚生閣一九八五年)参照。


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http://monyabetter.dtiblog.com/?mode=m&menu=cno&cno=2&page=2

・ ウェーバー『音楽社会学』(その1) 画像
02月21日

  和声的に合理化された音楽は、すべてオクターブ(振動数比1:2)を出発点とし、このオクターヴを5度(2:3)と4度(3:4)という二つの音程に 分割する。つまりn/n+1という式で表わされる二つの分数――いわゆる過分数――によって分割するわけで、この過分数はまた、5度より小さい西欧のすべ ての音程の基礎でもある。ところが、いま或る開始音から出発して、まず最初はオクターヴで、次に5度、4度、あるいは過分数によって規定された他の何ら かの〔音程〕関係で、「圏」状に上行または下行すると、この手続きをたとえどこまで続けても、これらの分数の累乗が同一の音に出くわすことはけっしてあり えない。例えば、(2/3)12にあたる第十二番目の純正5度は、(1/2)7にあたる第七番目の8度よりも、ビュタゴラス・コンマの差だけ大きいの である。このいかんとも成し難い事態と、さらには、オクターヴを過分数によって分ければそこに生ずる二つの音程は必ず大きさの違うものになるという事情 が、あらゆる音楽合理化の根本をなす事実である。この基本的事実から見るとき近代の音楽がいかなる姿を呈しているか、われれれはまず最初にそれを思い起こ してみよう。――M.ウェーバー『音楽社会学』創文社:3頁.
 20世紀初頭に活躍したドイツの社会学者、マックス・ウェーバーの『音楽社会学』の冒頭の1段落目。ウェーバーは、平均律における「異名同音」および「5度循環」システムもの持つ矛盾を指摘するところから議論を始め、以下のような指摘を行う。

  旋律法の非合理性によって誘発されたかかる緊張がなかったならば、いかなる近代音楽も存在しえないであろう。なぜならこのような緊張こそ、近代音楽のもっ とも重要な表現手段のひとつだからである。それがどのように用いられるか、それはもはやここで論ずべき問題ではない。というのも、ここでは〔音楽の〕もっ とも単純な諸事実に基づいて、次のことを思い出すだけで十分だからである。すなわち、音楽の和音的合理化は、旋律上の諸事実との絶えざる緊張関係のうちに 身を置き、旋律上諸事実を完全に自分の中に同化することはけっしてできないということ。しかもそれだけではなく、音楽の和音的合理化は、それ自体のうちに も非合理的な要素を内蔵しているということである。それは7度が、――間隔的に見ると――非相称的な位置を占めていることの結果であって、そのような非合 理性は、前述した短音階の構造の避け難い和声的多義性のうちに、もっとも素朴な形で表れている。――同上:21-22頁
 ウェーバーは、西洋近代音楽における和声理論の内法する、旋律と和音との非整合性(非合理性)を、「緊張関係」として析出し、これを西洋近代音楽を駆動する原理、ひいては西洋近代における「合理化」の根本原理として捉えようとした。
 冒頭の20頁程度でポピュラーミュージックの依拠しているシステムの根幹をつかみだすこの剛腕ぶりたるやもう。「緊張関係」ってのはかなり重要なキーワードだと思う。
 
※時間がないので今日は難しい本からの引用で時間稼ぎ。書誌情報は後ほどあらためて。

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5つ星のうち 4.0 音楽の社会学的基礎 2003/7/14
By yayoilab
原書のタイトルは「音楽の 合理的・社会学的基礎」。和声の調和分割原理(本書では、和声的分割)と旋律の間隔原理という二つの理念型で世界の音楽史を読み解いていく実にスリリング な本です。百年程前に書かれたとは思えないほど、今読んでもヴェーバーのセンスの良さには驚かされます。 _____________ リンク、http://toshihiroide.wordpress.com/2012/10/31


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マックス・ウェーバーと音楽社会学
投稿日: 2012年10月31日
音楽社会学

近 代知の巨人といわれるマックス・ウェーバーの生涯は西欧近代の本質を考え続けたことであった。――本質とは要因であり、担い手であり、果実である。これら は分化しつつ相互に影響して、場合によって統合される。彼の関心は多岐に亘る—それ故に巨人と称せられるのである—が、私が音楽社会学というカテゴリーに 気づいたのは比較的新しい。一般に『音楽社会学』といわれる文献は「音楽の合理的かつ社会学的基礎(Die rationale und soziologische Grundlagen der Musik)」であって、まだ読破してはいない。も読みこなせるかどうかも疑問なので、世の中に流布しているウェーバーの解説書を基にしての話をすすめ る。



ウェーバーは西欧音楽を「他の諸地域の歌唱や演奏がヨーロッパより優れている例はいくらでも挙げることが可能だが、 和声音楽の分野では西欧近代音楽の優位性は揺るぐことがなく、他地域ではこの分野を構築することができなかった」といったように位置づけている。音楽は近 代西欧が創りあげたと言っているに等しい。

西欧の文化が世界に一般化されて近代文明となったことの例証はたやすい。「経済における資本主 義生産様式」であり「国家体制としての憲法と三権分立の法治」である。「官僚制行政組織」に「自然科学の学問的探求と大学の設立」もそうだ。「芸術の市場 商品化」も進展した。それによって絵画に遠近法が共有され、また音楽に和声音楽が確立された。芸術としての絵画や音楽が人類の到達した高みとして定立され たのである。

音楽の3要素といわれるものは旋律melodyと律動rhythm及び和声harmonyである。和声音楽とは和音和声 chord harmonyであり、自由な転調や移調を可能とした均質なオクターブを保障した12平均律に基づく。12平均律とは1オクターブを12等分する音律をい う。隣り合う半音の周波数比は一定である。楽譜が生まれ記譜がなされ、生まれた曲をwrite downすることで作曲が可能になった。ひいては近代産業資本の勃興にも資することとなったのである、と。

12平均律が今ある楽譜を生み 出して芸術の市場化に与ったのは理解できる。だが一挙に産業資本の勃興まで論じられては少し鼻白む。西洋音楽が地球の覇権を握ったことは諒解できる。たと え世界No.1の国が中国になったとしてもチャルメラがトランペットに代わることはありえない。メロディーとリズムはあってもハーモニーがないエスニック 音楽では(たとえば勇気といった)感情を表現するのは不十分である。

「君が代」の作曲は原曲を英国公使館軍楽隊長のジョン・ウィリアム・ フェントンが作り、宮内省雅楽部の林廣守が改作した演奏を同僚の奥好義が曲に起こし、お雇い外国人音楽教師だったドイツ人フランツ・エッケルトが西欧的和 声をつけて編曲したものである。和声がなくては国家の荘重が表現されなかったのであろう。

合理的な和声音楽と、自由な転調や移調によって 豊かな感情を表現する調性音楽の完成は、「産業資本の勃興に与った」というテーゼも牽強付会ではない気がしてくる。明治新政府が西洋文化の“なんでも猿真 似”に狂奔したのも、強ち税金の無駄遣いではないのかもしれない。富国強兵を実現するのは軍楽隊のマーチが不可欠だったのである。



平均律を択った意味

音 としての和音和声が西欧以外の他の諸地域、東洋やインドなどの人々が無知だったわけではない。古代黄河文明ではすでに12音程の知覚があり、江戸期の和算 でも音程の差を12乗根で開く方法を会得している。となると、むしろ平均律への冒険を敢えて行った西欧文化の「勇気」を賞賛するべきかもしれない。

楽音とはヒトが快いと感ずる音であって、文字通り音楽に使われる音である。共鳴という概念は固有周波数による音の増幅といっていいが、これによって音楽は鈴鈴と鳴り響いて強く大きくなる。その音を楽音は掬いとる。

平 均律は1オクターブの音を12音程に等分したが、それは経験値による音程数を数学的に平均した結果である。平均律の反対概念を純正律という。純正律は経験 値によって和音が濁らない音程でつくられた音階である。平均律が「1オクターブの周波数比は2」で「隣り合う音程の周波数比は12√2:1」であること、 純正律とは「和音の周波数比が整数になる」ことが定義となったのは科学的後追いである。1オクターブを12分する科学的根拠はなく、純正律和音の調和も説 明できない。すべてはヒトの感性の賜としかいいようがない。



平均律の音程と周波数は対数曲線で表される。対数の解はほと んどが無限小数であるようにanalogueであるに対し、純正律の解である整数はいわばdigitalである。アナログ楽器である弦楽器の場合、演奏者 の耳と腕によって和音の音程を調和させることができる。しかしデジタル楽器であるピアノの調律は難しい。マックス・ウェーバーは『音楽社会学』のなかでピ アノの起源に言及していが、「ピアノによる音感訓練は微妙な聴覚を鈍らせる」とも述べている。そもそもピアニストはコンサートホールにMy pianoを持ち込めない。

12平均律は音の美しさを犠牲にして音楽表現の多彩な可能性を選択したということもできる。その結果主題が確 固としていた調性音楽は、さらに自由な感情表現をもたらす無調整音楽に取って代わられた。絵画が具象の覊束を脱して印象派から絢爛たる抽象へと自由に手足 を伸ばすようになったように、芸術の様々の分野においてタイトルに束縛されない「芸術のための芸術」が花開いてきたのである。

ウェーバーの限界性

近代西欧音楽が産業資本の勃興にどう与ったのか、ウェーバーも精緻な論証によって解明したわけではない。『音楽社会学』は彼の死の翌年に未完のままで発表された。

さ らに言及すれば、ウェーバーの論じた西欧近代の本質の前提であった「西欧の優位」が破綻したことのなかに彼の洞察力の限界を思うのである。破綻とはEUの 経済的な揺らぎといったことではなく、資本主義生産様式が近代的合理主義の確立—国家体制の法治や行政官僚機構及び高等教育機関を軸とする自然科学の進展 など—がなくとも容易に成功できるようになったことである。

逆説的にいえば、音楽や絵などの文化的な近代西欧化がなされなくともいい。そ うした「国家としてのハビトゥス」は不必要なのだとなると、本気で「西欧の没落」がやってきたとすら思える。—これについては「ハビトゥスの妖怪」 (1)~(4)(2011/06/24~06/30)を参照してほしい。—

だれもが「資本主義の精神とは節制と禁欲である」との彼の“箴言”を信じなくなっている。資本主義がその瑞々しい精神が蘇生させることができるかどうかが問われているのである。

1920年と今日の音楽情況はまるで異なる。音楽社会学が意味するものは現代こそ大きくなっているようだ。<

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http://toshihiroide.files.wordpress.com/2012/10/baion.jpg



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クラシカル・ギターを止められない:So-netブログ
http://classical-guitar.blog.so-net.ne.jp/archive/201101-1


こ れは,長3度純正が旗印です。そのために5度をs.c.基準で狭めます。その代償として広過ぎて使えない5度(ウルフ)を発生します。図のものはEs型と 呼ばれるものですが,ウルフの位置は必要に応じてずらすようです。しかし,この約+41セントのウルフすら使い様によっては面白く,平均律が広まるまでの 永い期間の鍵盤楽曲を豊かにしてきた側面があるようです。

次は5度も長3度も純正にとる純正律です。前回取り上げた15音のオイラー純正律から,12音を拾い上げたのが以下のものです。拾い上げ方には3通りほどあるようですが,これはその一例です。

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http://meantone.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301172129-1

0716ヒントの解答補足(三連休特別企画w)バンの「完全鍵盤」を解明する [純正律(Just Intonation)]

 純正律論がヒートアップしていることもあり、折角なので、ここらで一つ「純正律用」分割鍵盤論などを。
 先日書いたように、「古楽の音律(東川清一編、春秋社)」によれば、鍵盤楽器の世界では、(ミーントーンでなく)「純正律で演奏するための」分割鍵盤を付けた楽器が16,17世紀に色々制作されていた、ということでした(67頁)。
  で、その中でも、ヨハン・アルベルト・バン(Joan Albert Ban, 1597/1568-1644)が考案したといわれる分割鍵盤(の仕組み)が、現在の音律関係資料として有名、というか(おそらく)我々が書籍 を通じて知ることのできる唯一のもの、と思われます。
 J.A.バンは、ハーレム生まれの聖職者で、音楽理論家、作曲家でもあり、自ら考案した下記図(クリックで拡大可能)による特製チェンバロの鍵盤を「完全鍵盤」と呼んでいた、とのことです。

http://meantone.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_f86/meantone/IMG_5746.JPG

19 件のコメント:

  1. 神認識=自己認識:カルヴァンの再評価 : 関本洋司のブログ
    http://yojiseki.exblog.jp/12798982/

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  2. 『音楽社会学』創文社

    1-4音楽、音階の合理化p3-41
    5-14音階の人類学p41-102
    15-24音階の歴史p102-190
    25-29楽器、ピアノ等の規範性p190-242

    原文は29節に分かれた草稿
    恣意的に引用者が章分けしてみた

    返信削除
  3. 純正律」という呼称について/黒木朋興
    http://just-int.com/upper_grade_4.html
     一方フランスはこの時期、音楽に関してはいわゆる停滞期に入るのに対し、さらにドイツでは、医師、生理学者、物理学者の肩書きを持つヘルムホルツが『音感覚論─音楽理論のための生理学的基礎』(1863)を記すに到る。ヘルムホルツはこの著作の中でreine Stimmung[純正律]の美しさの重要性を強調しているわけだが、彼の弟子には「純正調オルガン」を作成した田中正造氏がいるということを指摘しておく。
    このヘルムホルツの仕事を受け継ぐのが、『諸民族の音階』(1885)という書物によりセント法を世に広め民族音楽学に多大なる功績を残したイギリス人、ジョン=アレクサンダー・エリスである。彼の功績はヘルムホルツの著作を英訳した(1875)ことにあるわけだが、特に増補改訂第2版(1885)はより多くの世界に広まり、現在の日本においても「調律技術者の必携書」として大きな影響力を保ち続けている。

     さて、このエリスであるが、彼はこのreine Stimmung[純正律]に対して、just intonationという訳語を当てている。ここで、フランス語の学術書において純正律を指すintonations puresやgamme naturelleという表現に英語のjust intonationのことであるという但し書きが付いていたことを思い起こしておこう。すなわち、自然倍音列という現象自体は17~18世紀のフランスにおいて綿密に観察されたものであり、その意味でメルセンヌ、ラモーといったフランス人の手によって純正律研究の礎が築かれたことに疑いはないが、純正律という言葉自体は19世紀のドイツで脚光を浴び、その後ドイツ語の著作の英訳を通じて世界に広まった、ということが言えるの

    返信削除
  4. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%B3%E3%83%97
    カール・シュトゥンプ


    カール・シュトゥンプ(1900年)
    カール・シュトゥンプ (Carl Stumpf 1848年4月21日 ヴィーゼンタイド生 -1936年12月25日 ベルリン没) はドイツの哲学者で心理学者。カール・シュトゥンプフとも表記される。
    目次 [非表示]
    1 生涯と業績
    2 カール・シュトゥンプの助手
    3 著作
    4 関連項目
    5 外部リンク
    生涯と業績 [編集]

    シュトゥンプはフランツ・ブレンターノとルドルフ・ヘルマン・ロッツェの下で学んだ。シュトゥンプは現代現象学の樹立者であるエドムント・フッサールや、ゲシュタルト心理学の共同樹立者であるマックス・ヴェルトハイマー、ヴォルフガング・ケーラーとクルト・コフカ、同様にクルト・レヴィンに決定的な影響を与えた。また「事態(Sachverhalt)」の概念を哲学に導入したことでも知られる。この概念はとりわけフッサールの著作によって広まった。
    シュトゥンプはブレンターノの最初の学生の一人で、ブレンターノの初期の理論の極めて近くに留まった。1868年にゲッティンゲン大学のロッツェの下で論文を書き、1870年には大学教授資格をもそこで取得した。後に実験心理学の経験的方法により一層の興味を抱き、この新しい学問のパイオニアの一人となった。彼はゲッティンゲンで教鞭をとり、それからヴュルツブルクの教授となり、後にプラハ、ハレ、ミュンヘン、そして最後にベルリンで教授となった。そこでは彼の弟子のマックス・ヴェルトハイマー、クルト・コフカとヴォルフガング・ケーラーがゲシュタルト理論のベルリン学派を築いた。
    弟子のオスカー・プングストと共同で1907年には賢いハンスの謎を解き、それによって実験心理学が一般に受け入れられるようにした。
    1890年にシュトゥンプはバイエルン科学アカデミーの正会員に選ばれた。1929年からはプール・ル・メリット科学芸術勲章の会員となった。
    カール・シュトゥンプの助手 [編集]

    フリードリヒ・シューマン (de:Friedrich Schumann) (1863-1940), 在任期間 1894-1905
    エーリヒ・モーリツ・フォン・ホルンボステル (Erich Moritz von Hornbostel) (1877-1935), 1905-1906
    ナルツィス・カスパー・アッハ (Narziß Kasper Ach) (1871-1946), 1906-1907
    ハンス・ルップ (1880-1954), 1907-1910
    アデマール・ゲルプ (1887-1936), 1910-1912
    ヨハネス・グスタフ・アレシュ (1882-1967), 1912-1921
    著作 [編集]

    Verhältnis des Platonischen Gottes zur Idee des Guten, Halle 1869
    「空間表象の心的起源について Über den psychologischen Ursprung der Raumvorstellung」, 1873
    『音響心理学 Tonpsychologie』 2巻 1883 - 1890 (主著)
    Psychologie und Erkenntnistheorie, München 1891
    Tafeln zur Geschichte der Philosophie, Berlin 1896
    Die pseudo-aristotelischen Probleme der Musik, Berlin 1897
    Eröffnungsrede des Präsidenten, Prof. Dr. Carl Stumpf, Berlin, in: Dritter Internationaler Congreß für Psychologie im München vom 4.-7. August 1896, 1897
    Der Entwicklungsgedanke in der gegenwärtigen Philosophie, Festrede,

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  5. gehalten am Stiftungstage der Kaiser Wilhelms-Akademie für das militärärztliche Bildungswesen, 2. Dezember 1899, Berlin 1899
    Der Entwicklungsgedanke in der gegenwärtigen Philosophie, Berlin 1900
    Tontabellen, in: Beiträge zur Akustik und Musikwissenschaft, Heft 3/1901, S. 139-146, Tafeln I-IX
    Zur Einteilung der Wissenschaften, Berlin 1906
    Erscheinungen und psychische Funktionen, In: Abhandlungen der Königlich Preußissischen Akademie der Wissenschaften. Philosophisch-historische Abhandlungen, IV (1906), S. 1-40 (2. Auflage 1907)
    Die Wiedergeburt der Philosophie, Berlin 1907
    Richtungen und Gegensätze in der heutigen Psychologie, In: Internationale Wochenschrift für Wissenschaft, Kunst und Technik. Beiträge der "Münchner Allgemeinen Zeitung" vom 19. Oktober 1907, S. 903-914
    Vom ethischen Skeptizismus, Berlin 1908
    Das Berliner Phonogrammarchiv, In: Internationale Wochenschrift für Wissenschaft, Kunst und Technik. Beilage der "Münchner Allgemeine Zeitung" vom 22. Februar 1908, S. 225-246
    Philosophische Reden und Vorträge, Leipzig 1910
    Das psychologische Institut, In: Lenz, M. (Hrsg.), Geschichte der Königlichen Friedrich-Wilhelms-Universität zu Berlin, 3. Band, Halle, 1910, S. 202-207
    Konsonanz und Konkordanz, In: Vertreter deutscher Musikwissenschaft (Hrsg.): Festschrift zum 90. Geburtstage Rocchus Freiherrn von Liliencron, Leipzig, 1910, S. 329-349
    Die Anfänge der Musik, 1911
    Zum Gedächtnis Lotzes, In: Kantstudien, XXII (1917), Heft 1-2, S. 1-26
    Empfindung und Vorstellung, 1918
    Erinnerungen an Franz Brentano, In: Krause, O. (Hrsg.) Franz Brentano. Zur Kenntnis seines Lebens und seiner Lehre, München, 1919, S. 87-149
    Singen und Sprechen. In: Beiträge zur Akustik und Musikwissenschaft, Heft 9/1924, S. 38-74
    Phonetik und Ohrenheilkunde, In: Beiträge zur Anatomie. Physiologie, Pathologie und Therapie des Ohres, der Nase und des Halses, 22(1925), S. 1-8
    Die Sprachlaute. Experimentell-phonetische Untersuchungen. Nebst einem Anhang über Instrumentalklänge, Berlin 1926
    『感情と感情感覚 Gefühl und Gefühlsempfindung』, 1928
    William James nach seinen Briefen. Leben - Charakter - Lehre, Berlin 1928
    C. S. Selbstdarstellung In: Raymund Schmidt (Hrsg.) : Die Philosophie der Gegenwart in Selbstdarstellungen, Bd. 5, Leipzig 1924
    Schriften zur Psychologie, neu herausgegeben und mit einer biographischen Einleitung versehen von Helga Sprung, Frankfurt/Main 1997
    Erkenntnislehre, Band 1, Leipzig 1939
    Erkenntnislehre, Band 2, Leipzig 1940
    関連項目 [編集]

    ブレンターノ学派 (de:Brentanoschule)
    ゲシュタルト心理学
    外部リンク [編集]

    カール・シュトゥンプの著作およびカール・シュトゥンプを主題とする文献 - ドイツ国立図書館の蔵書目録(ドイツ語)より。
    Carl-Friedrich Geyer: Carl Stumpf. In: de:Biographisch-Bibliographisches Kirchenlexikon (BBKL). Band 16, Herzberg 1999, ISBN 3-88309-079-4, Sp. 1480?1482.
    マックス・プランク科学史研究所の仮想研究室内の略歴とデジタル情報源上の全文の参考文献 (英語)
    「Carl Stumpf」 - Denis Fisette(英語)
    カテゴリ: ドイツの哲学者ドイツの心理学者フンボルト大学ベルリンの教員ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘンの教員マルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルクの教員プラハ・カレル大学の教員ユリウス・マクシミリアン大学ヴュルツブルクの教員ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲンの教員1848年生1936年没

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  7. エートス (古希: ἦθος, ἔθος; ethos, 複: ἤθη ἤθεα; ethe, ethea) は、「いつもの場所」 (ἤθεα ἵππων) を意味し、転じて習慣・特性などを意味する古代ギリシア語である。他に、「出発点・出現」または「特徴」を意味する。
    それを元に、「道徳」や「道徳観の発露」を意味する ἠθικός (ethikos) という言葉が生まれ、ラテン語には ethicus として流用される。また、その女性形である ἠθική φιλοσοφία (ethica) は古フランス語の ethique 、中世英語の ethik を通じて、現代の英語の ethics へと変化した。
    アリストテレスのエートス論 [編集]

    アリストテレスが著書『弁論術』で述べたところによると、エートスは説得法の重要な三つの方法的条件の一つ(他はロゴスとパトス)である。まず、始めに話者はエートスを確立しなくてはいけない。この言葉は単に「道徳の能力」を意味するが、アリストテレスはこれに専門的意見と知識(エピステーメー)を加えた。アリストテレスは特に、エートスは、聞き手の予想によってではなく、話者の発言により生み出されるべきとした。この考え方はしばしば非難の的となり、イソクラテスなどは、エートスはとりわけ道徳的な特徴、またその話者の生涯と結びついているとした。
    エートスには三つのカテゴリーがあり、発言の状況に従って、低次から高次へと発展する。
    フロネシス - 実践的な技術と知
    アレテー - 徳・美徳
    エウノイア - 聞き手に対する好意
    エートスは話者にではなく、聞き手に属する。聞き手がその話者が高いエートスかそれとも低いエートスを持っているかを判断する。エートスの反則にはたとえば以下のものがある。
    話者が会話の結果に直接の関心を持つ(例えば、無実を主張している人)
    話者が会話の結果に秘密の動機を持つ
    話者が専門意見を持たない(その事柄の専門家でない人)
    留意すべきは、上記の反則にあたるような議論を無効として退けることは形式的誤謬である。

    社会学におけるエートス論 [編集]

    エートスを、社会認識の基軸として捉え返したのがドイツの社会学者マックス・ヴェーバーである。ヴェーバーによれば、エートスは、以下の三つの性向を併せ持つ。
    生活態度 - 古代ギリシア語のエートスが、「習慣」を意味しているように、エートスは、それにふさわしい行為を営む中で体得される「習慣によって形作られた」行為性向である。社会化によって人々に共有されるようになった行為パターンないし生活形式ともいえよう。
    心的態度 - しかし、ある行為がいくら機械的に反復されてもエートスは作り出されない。その行為性向は意識的に選択される必要があるからだ。この「主体的選択に基づく」行為性向がエートスである。
    倫理的態度 - そして、この行為を選択する基準が「正しさ」である。「正しい」行為とは、内在性の基準(行為に固有の価値)が選択され、(目的達成の手段ではなく)行為それ自体が目的として行なわれるような行為のことである。外的な賞罰なしには存続しえない行為性向はエートスではない。したがって、エートスの究極的な支えは個人の内面にある。
    こうした行為性向の中で、習慣の契機が強調されると、エートスは、文化人類学における「文化パターン」概念に生まれ変わり、選択性あるいは主観性の契機が強調されると、エートスは倫理学における倫理・道徳概念へと転化することになる。これに対し、ヴェーバー社会学は、倫理的態度を生活態度の特定の方法的・合理的な在り方と捉えることで、以上の性向を総合的に認識しようとするものである。
    関連項目 [編集]

    アリストテレス
    ニコマコス倫理学
    カテゴリ: 哲学の概念社会学ギリシア語の語句アリストテレス

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  8. 倫理生活
    心的

    エートス

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  9. アリストテレス
    政治学8

    プラトン
    国家
    法律
    2,7

    262ページ

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  10. 『音楽社会学』創文社
     目次?:
     1- 4 音楽、音階の合理化    p3- 41
     5-14 音階の人類学        p41-102
    15-24 音階の歴史       p102-190
    25-29 楽器、ピアノ等の規範性 p190-242
      (27 弦楽器
       28 オルガン
       29 ピアノ)

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  11. 『音楽社会学』創文社
    :目次
     1- 4 音組織の合理化そのものをめぐる問題の分析 p 3- 41
     5-20 音楽、音階の人類学            p41-144
          =音楽の合理的基礎
    21-24 音組織の合理化の歴史的条件をめぐる問題  p144-190
    25-29 合理化の担い手たる楽器の社会学考察    p190-242
          =音楽の社会学的基礎
      (27 弦楽器
       28 オルガン
       29 ピアノ)

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  12.  (リンク::::::)
    『音楽社会学』創文社
    目次?
    1-4音楽、音階の合理化p3-41
    5-14音階の人類学p41-102
    15-24音階の歴史p102-190
    25-29楽器、ピアノ等の規範性p190-242

    原文は29節に分かれた草稿。
    恣意的に引用者が章分けしてみた。

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  13. 月曜日, 11月 12, 2012
    マックス・ウェーバーと12音平均律の限界
                                (リンク::::::)

    ウェーバーはカルヴァン派を論じた『プロテスタンティズム〜』より、『音楽社会学』 の方が重要だ、、、と思う。

    『音楽社会学』(創文社)
    (正確には「音楽の合理的・社会学的基礎, Die rationale und soziologische Grundlagen der Musik 」1921)
     目次:
     1- 4 音組織の合理化そのものをめぐる問題の分析 p 3- 41
     5-14 音楽、音階の人類学            p41-102
    15-24 音組織の合理化の歴史的条件をめぐる問題  p102-190
    25-29 合理化の担い手たる楽器の社会学考     p190-242
      (27 弦楽器
       28 オルガン
       29 ピアノ)

    あるいは、

     1-19 音組織の合理化、音楽の合理的基礎      p 3-141
    20-29 楽器の社会学的考察、音楽の社会学的基礎   p141-242
      (27 弦楽器
       28 オルガン
       29 ピアノ)

    または、

     1-20 音組織の合理化、音楽の合理的基礎      p 3-144
    21-29 楽器の社会学的考察、音楽の社会学的基礎   p144-242
      (27 弦楽器
       28 オルガン
       29 ピアノ)

    原文は29節に分かれた草稿。恣意的に引用者が章分けし、(解説p266-268,321を参考に)章題をつけてみた。

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  14. 多声性の記載法に関しては岡崎乾二郎『経験の条件』V多声と記譜に詳しい。

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  15. 月曜日, 11月 12, 2012
    マックス・ウェーバーと12音平均律の限界
                                (リンク::::::)

    ウェーバーはカルヴァン派を論じた『プロテスタンティズム〜』より、『音楽社会学』 の方が重要だ、、、と思う。

    『音楽社会学』(創文社):目次(仮)
         (正確には「音楽の合理的・社会学的基礎,
          Die rationale und soziologische Grundlagen der Musik 」1921)
     1- 4 音組織の合理化そのものをめぐる問題の分析  p 3- 41
     5-20 音楽、音階の人類学             p 41-144
          =音楽の合理的基礎
    21-24 音組織の合理化の歴史的条件をめぐる問題   p144-190
    25-29 合理化の担い手たる楽器の社会学考察     p190-242
          =音楽の社会学的基礎
      (27 弦楽器
       28 オルガン
       29 ピアノ)

    原文は29節に分かれた草稿。恣意的に引用者が章分けし、(解説p266-268,321を参考に)章題をつけてみた。

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  16. 『音楽社会学』(創文社):目次(仮)
         (正確には「音楽の合理的・社会学的基礎,
          Die rationale und soziologische Grundlagen der Musik 」1921)

     1-19 音組織の合理化そのものをめぐる問題の分析  p 3- 141                    
         =音楽の合理的基礎
          a 1- 4 合理化そのものをめぐる問題  p 3- 41
          b 5-19 音楽、音階の人類学      p 41-141
    20-29 音組織の合理化の歴史的条件をめぐる問題   p141-190
         =音楽の社会学的基礎
          c20-24 多声性の記譜法        p141-190
          d25-29 合理化の担い手たる    
                  楽器の社会学考察     p190-242
          (27 弦楽器
           28 オルガン
           29 ピアノ)

    原文は29節に分かれた草稿。恣意的に引用者が章分けし、(解説p266-268,321を参考に)章題をつけてみた。


    ウェーバーはカルヴァン派を論じた『プロテスタンティズム〜』より、『音楽社会学』 の方が重要だ、、、と思う。

    『音楽社会学』(創文社):目次(仮)
         (正確には「音楽の合理的・社会学的基礎,
          Die rationale und soziologische Grundlagen der Musik 」1921)

     1-19 音組織の合理化そのものをめぐる問題の分析  p 3- 141                    
         =音楽の合理的基礎
          a 1- 4 合理化そのものをめぐる問題  p 3- 41
          b 5-19 音楽、音階の人類学      p 41-141

    20-29 音組織の合理化の歴史的条件をめぐる問題   p141-190
         =音楽の社会学的基礎
          c20-24 多声性の記譜法        p141-190
          d25-29 合理化の担い手たる    
                  楽器の社会学考察     p190-242
          (27 弦楽器
           28 オルガン
           29 ピアノ)

    原文は29節に分かれた草稿。恣意的に引用者が章分けし、(解説p266-268,321を参考に)章題をつけてみた。



    ウェーバーはカルヴァン派を論じた『プロテスタンティズム〜』より、『音楽社会学』 の方が重要だ、、、と思う。

    『音楽社会学』(創文社):目次(仮)
         (正確には「音楽の合理的・社会学的基礎,
          Die rationale und soziologische Grundlagen der Musik 」1921)
     1- 4 音組織の合理化そのものをめぐる問題の分析  p 3- 41
     5-19 音楽、音階の人類学             p 41-141
          =音楽の合理的基礎
    20-24 音組織の合理化の歴史的条件をめぐる問題   p141-190
    25-29 合理化の担い手たる楽器の社会学考察     p190-242
          =音楽の社会学的基礎
      (27 弦楽器
       28 オルガン
       29 ピアノ)

    原文は29節に分かれた草稿。恣意的に引用者が章分けし、(解説p266-268,321を参考に)章題をつけてみた。

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  17. 青山秀夫ウェーバー
    http://www.tante2.com/maxweber-d.html#mokuji
    《かつてウェーバーに「彼自身にとって彼の学問は一体どんな意味をもっているか」 たずねたことがある。
    「どれだけ耐えられるか、それを私はしりたい。」
    これがそのときのウェーバーの答えである。どういうつもりで彼はこういったのであろうか。おそらくこういうつもりであろう。

    彼が自分の仕事と考えるのは、生のアンティノミー(二律背反)を逃避せず、さらに力のつづくかぎり、幻想なしに生の現実に直面することにつとめ、しかもその理想が不朽不壊の生命をもち献身に値する次第をたしかめること、これである。
    ウェーバーはおそらくこういう意味で上記のように答えたのであろう。》
    ──マリアンネ夫人「マックス・ウェーバー傳」690頁──

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  18. 「官僚制」の概念
    ・・ 近代的合理的官僚制
       内部的特徴・・・・・ディシプリン
    ・ 外部的特徴
    (1) 責任の範囲が明示
    (2) 指揮系統の確立
    (3)

    勤務者はサラリーマン(勤務に必要な物的手段が分離)
    報酬は一定化した貨幣
    (4) すべての事務は文書で(文書主義)
    (5) 勤務者は自由な雇用関係に立つ   
    ウェーバーの貢献の一つ
    近代社会全体の特徴を運営組織の構造分析・官僚制の概念でとらえる

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  19. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%
    E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%
    83%9B%E3%83%AB%E3%83%84
    ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ
    ヘルマン・ルートヴィヒ・フェルディナント・フォン・ヘルムホルツ

    人物情報
    誕生 1821年8月31日
    プロイセン王国 ポツダム
    死没 1894年9月8日(満73歳没)
    ドイツ帝国 シャルロッテンブルク
    居住 ドイツ
    国籍 ドイツ
    学問
    研究分野 物理学
    生理学
    研究機関 ケーニヒスベルク大学
    ボン大学
    ハイデルベルク大学
    ベルリン大学
    母校 フリードリヒ・ヴィルヘルム医学学校
    博士課程
    指導教員 ヨハネス・ペーター・ミュラー
    博士課程
    指導学生 アルバート・マイケルソン
    ヴィルヘルム・ヴィーン
    ハインリヒ・ヘルツ
    ミカエル・ピューピン
    他の指導学生 ヘンリー・ローランド
    ヴィルヘルム・ヴント
    田中正平
    主な業績 熱力学の第1法則
    ギブズ-ヘルムホルツの式
    ヤング=ヘルムホルツの三色説
    電気二重層のヘルムホルツモデル
    テンプレートを表示
    ヘルマン・ルートヴィヒ・フェルディナント・フォン・ヘルムホルツ(Hermann Ludwig Ferdinand von Helmholtz, 1821年8月31日 - 1894年9月8日)はドイツ出身の生理学者、物理学者。
    生涯 [編集]

    1821年ポツダムにて生まれる。父は哲学教師、母はアメリカ、ペンシルベニア州の創立者ウィリアム・ペンの子孫であった。
    1838年、ベルリンのフリードリヒ・ヴィルヘルム医学学校に入学。医学、生理学のみならず、化学や高等数学を学んだ。1842年、無脊椎動物の神経繊維と神経細胞に関する研究により、学位を取得。同年、軍医としてポツダム連隊に配属。兵舎の中に研究室を作り、実験を行った。ここでの研究が認められ、1849年、ケーニヒスベルク大学生理学教授に就任。1855年ボン大学生理学教授、1858年ハイデルベルク大学生理学教授、1871年ベルリン大学物理学教授を歴任した。1887年以降はシャルロッテンブルク国立理工学研究所の理事を兼任。
    19世紀半ばのドイツ科学を代表する科学者として、多くの弟子を輩出した。例えば、ハインリヒ・ヘルツはヘルムホルツの指導のもと電気力学に関する研究を行い、のちに電磁波の存在を証明した。日本人の弟子として、田中正平がいる。
    業績 [編集]

    ヘルムホルツの研究は物理学から生理学まで多岐にわたる。
    ジェームズ・プレスコット・ジュールが行ってきた熱の仕事当量に関する実験をもとに、熱力学の第1法則を導き出した。1847年、この成果をベルリン物理学会にて論文『力の保存について』として発表。マイヤー、ジュール、ウィリアム・トムソン(ケルビン卿)と並ぶエネルギー保存則の確立者の一人とみなされるようになった。
    さらに、熱力学に関する知見を化学に応用し、系の全エネルギーを自由エネルギー、温度、エントロピーに関連付けることで、化学反応の方向の決定を可能とした(1882年)。この研究はウィラード・ギブズも独立して行っていたが、発見者としての栄誉は、ギブズ-ヘルムホルツの式としてヘルムホルツ、キブズ双方に与えられた。
    生理学の分野では生理光学、音響生理学における貢献が大きい。トマス・ヤングが、かつて提示した光の三原色に関する理論を発展させ(ヤング=ヘルムホルツの三色説)、残像の色彩や、色盲についての説明を可能にした。
    音色は、楽音に含まれる倍音の種類、数、強さによって決定されることを明らかにした。また、母音に含まれる振動数と、声道の形による共鳴音との関係に関する理論を打ち立てた。また、内耳が音の高さと音色を感知する機能について説明する理論を打ち立てた。
    その他、流体力学において、渦の運動に関する数学的原理の確立(1858年)、電気二重層の理論(1879年)など、多くの分野で重要な貢献をした。

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