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月曜日, 11月 12, 2012

ゲーデルとライプニッツ:付リンク::::


                 (論理学数学、リンク:::::::::
ゲーデルとライプニッツ:付リンク::::
http://nam-students.blogspot.jp/2012/11/blog-post_407.html@
NAMs出版プロジェクト: ゲーデル@横浜 1940年2月
http://nam-students.blogspot.jp/2017/02/19402.html
エルデシュから文句を言われたエピソード
http://pho.hatenablog.com/entry/20110804/p1
神の存在証明
https://nam-students.blogspot.com/2019/11/blog-post_4.html


ゲーデルとライプニッツ          (→カント『論理学』書評



ゲーデルの不完全定理の解説で一番解りやすいのは僕の知る限り、『はじめての現代数学』(瀬山士郎著)のそれだった。
以下引用です。

            内容
   | 1,  2,   ・・・,  n,   ・・・
___|____________________
f1(y)|f1(1) f1(2) ・・・ f1(n)  ・・・
f2(y)|f2(1) f2(2) ・・・ f2(n)  ・・・
・  |・   ・    ・   ・
・  |・   ・     ・  ・
・  |・   ・      ・ ・
fn(y)|fn(1) fn(2) ・・・ fn(n)   ・・・
・  |・   ・        ・    ・  
・  |・   ・        ・     ・ 
・  |・   ・        ・      ・

 ¬は否定だから最後につけ加えればよいから、ヨxP(x,n,n)について考えてみよう。これは、「ゲーデル数がnである一変数 y を含む命題(すなわちfn(y) )の変数 y に数nを代入した命題の形式証明のゲーデル数となる x が存在する」という内容を持ち、したがって¬∃xP(x,n,n)はこれの否定、すなわち繰り返しを嫌わずに書けば「ゲーデル数がnである一変数 y を含む命題の変数yに数nを代入した命題の形式証明のゲーデル数となる x が存在しない」となる。
 ところが、ゲーデル数nを持つ一変数を持つ一変数yを含む命題とは fn(y)のことであり、fn(y)とはすなわち¬ヨxP(x,y,y)であった。すなわち上の文章を簡単に書けば,「¬∃xP(x,n,n)の形式証明は存在しない」ということで「¬∃xP(x,n,n)は証明できない」ということになる。ところが、この「 」内の命題こそ¬∃xP(x,n,n)に他ならない!
 ついにわれわれは「この命題は証明できない」のきちんとした数学的表現を入手すること に成功したのである。

(略)

 ここで用いられた論法が一種の対角線論法であることに十分注意を払ってもらいたい。一変数の命題をすべて一列に並べ、f1(y) ,f2(y) ,・・・とし f1(1) , f1(2) ,・・・f n(n),・・・を考察するというのはまさしく対角線論法そのものである。カントールによって集合の階層構造を引き出すために考案された対角線論法は,集合論内のパラドックスと絡まりあいながら、ゲーデルによる決定不能命題の発見という20世紀数最高の結果の一つを生み出すにいたったのである。

(以上、『はじめての現代数学』瀬山士郎著、講談社現代新書p161-163より。早川文庫より復刊)

瀬山氏は対角線論法の後に不完全性定理のもうひとつの肝であるゲーデル数(ゲーデルによる素因数分解を使ったコード化)について説明している。

本題は、(瀬山氏も触れいてないのだが)このゲーデル数のアイデアがライプニッツの結合法論そのものであるということだ。

これはあまり言及されないが、もっと知られていい。

「われわれはその事物によって他の事物を表示するために素数を使用するのである。」

(『普遍的記号法の原理』Elementa Characteristicae universalis ,1679「計算の原理」1679、邦訳ライプニッツ著作集1、64−5頁より)

ゲーデルは生前,ライプニッツ研究ばかりしている時期があって友人のエルデシュに怒られたこともあるようだが(「君が学者になったのは皆が君の研究をするためであって、君がライプニッツの研究をするためではない」)、ゲーデルの功績は先人の研究を受け継いだものでもあったのだ。

カントール(対角線論法)×ライプニッツ(結合法論)=ゲーデル(不完全性定理)

ということになるだろうか。

ちなみに、 ライプニッツ再評価はどう考えてもラッセルの『ライプニッツ研究』が重要な位置を占めている。 復刊が待たれる。


        _資本論
       /___/|
       |   ||
       |   ||
       |   ||
       |   ||
    ゲゼル|   ||
  プルードン|   ||
       |   ||
    アソシ|   ||
  エーション|キャピ||
    ___|タル ||
  /________/|
ネーション  ステート |
 | |      | 柄谷
 | |      | |
 | |      | |
 | |      | |
文学      | |
 | |      | |
 | |      | |
 | |   ___|_|______フーコー
 | | /デュルケ|ム| / ウェーバー /|
 | |/_____|_|/_______/ |
 | / マルクス | /  フロイト /  |
 |/___|___|/_______/   | 
 |    |   |       |    |
 |    |   |       |    | 
 スポーツ |   |       |    |  
 |    |   |_______|____|____________________    
 |    |  /|       |    |  デカルト   人         /|オ
 |    | / |       |    | / |              / |
 |    |/  |       |    |/  |  (認識/教育論)   /  |プ
 |    /___________|____間___|____________/   |  
 |   /|   |       |   /|  (快、不快)       /|   |ス
 |  / |   |       |  / |   |          / |   |
 | / (欲求) |  学    | /  |   |         /  |   |・
 |/___|___________|/___|___|__(性格論)_/   |   |
 |    |   |       |    |   |       |    |   |ポ
 |永   |   |       |    |   |       |    |  論|
 |遠   |   |       |    | ライプニッツ    |    |   |ス
 |平   |   |_______|____|___|_______|____|__理|
 |和   |  /|       |    |  /|       |    |  /|ト
 |の   | / |  自   然| の  |形/ |而   上  |学   | /学|
 |た   |/  |       |    |/  |       |    |/  |ゥ
 |め   |___|_______|____|___|_______|____|   |
 |に  /|   |     (徳|論) /|   |       |   /|   |ム
 |  / |人 倫|の      |  / |理性の限界内における |  / |   |
 | /(法|学) |形 而 上 学| /宗教(目的論)       | /  |   |ム
 |/___|___|___(原論)|/___|___|_______|/   |   |
 |    |   |       |    |   |       |    |   |
 |    |   |       |   ヘーゲル |       |    |   |
 |    |   |_______|____|___|_______|____|___|
 |    |  /(テリックシステ|ム)  |  /(空間)(時間)|(数学)|  / 
 |    | /   純   粋 | 理  |性/  批   判  |カテゴリ|ー/
 |    |/(ス ピ ノ ザ )|    |/(物理学)     |    |/
 |    |___________|____アンチノミー______|____/
 |   /            |   /    (美 学)   |   /
 |  / 実 践 理 性 批 判 |  /  判 断 力 批 判  |  /
 | /(倫理学/徳or福)    | /              | /
 |/_______________|/__________(目的論)|/

 デカルト
    スピノザ
プルードン    ヘーゲル
 マルクス 空海 カント
 坂本龍馬    ハイデガー
     柄谷 フロイト
ドゥルーズ    老子
 アドルノ    パーソンズ
 カレツキ ゲゼル
    ライプニッツ
 スポーツ    文学
     ガンジー
     ラカン
     ニーチェ ショーペンハウアー 
      孔子 
          インド哲学


76 件のコメント:

  1. スポーツ、
    医学、
    栄養学(丸元)の位置は?

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  2. ゲーデル、
    世界史は?

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  3. http://yojiseki.exblog.jp/9138866/

    ライプニッツとゲーデル

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  4. 5つ星のうち 4.0 岩波版全集の最大の収穫, 2008/12/27



    レビュー対象商品: カント全集〈17〉論理学・教育学 (単行本)
    『オプス・ポストゥムム』は解説のみ、他の講義録は期待はずれだったので、本書の前半に収められた「論理学」は個人的には岩波版全集の最大の収穫だった。
    一般的にみても、理想社版では序文,序論、冒頭のみの翻訳だったので、本書は待望の邦訳だろう。
    ちなみにハイデガーもそのライプニッツ論で参照している。
    カントの弟子であるイエッシェ編集のこの講義録の信憑性に関しては解説に詳しいが、生前1800年の出版、カント自身の委託、といった経緯はこの講義録の重要性を証言するものだろう。
    カントらしく量、関係、質、様相(いつもの順番と違う)というカテゴリーを駆使した論理学の解説は第一批判以前に読んでもいいぐらいだ。
    むしろ、本家の用語が難しいから用語解説が判りやすいこちらを先に読んだ方が混乱しないだろうとさえ思う。

    p25,410を参照し、やや恣意的に論理学を分類すると以下のような第一批判と同じ構造になる。

                 論 理 学
                 |   |
        理論的な論理学(原理論)  実践的な論理学(方法論)
         |      |
    純粋な論理学(分析論) 応用的な論理学(弁証論,心理学)

    ライプニッツに関してはあまり触れられていないが、ライプニッツによって著名な論理学の主要原則である、矛盾律、十分根拠律、排中律を様相の各契機をあてはめ、それぞれ蓋然的、実然的、確然的な判断だと説明していた(p73)のは参考になった。

    また推論に関しては、定言、仮言、選言理性推論というように関係の契機を当てはめている(p169)。

    カントの明確な説明にも関わらず、カントの使う形式,実在、実質という用語が紛らわしい気がするが(形式=論理学的,実質=物理学的なのだが、実在と実質が混乱しやすい)、これはカントが普遍論争などとは手を切って,主観的な哲学を模索する最中だったからではないかと思う。つまりカント自身のテクストに内在する紛らわしさなのだろう。
    そう考えると結局、カントのライプニッツ批判は自身に跳ね返る種類のものだったのではないだろうか?
    (マイヤー版教科書との比較やオリジナリティの検証も含め)多くの宿題を読むものに課すテクストであるが、カントの思考の骨組みがよく分かるのは間違いない。

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  5. 東洋の合理思想 (1970年) (講談社現代新書) [古書] [新書]末木 剛博 (著)
     哲学好きにはこれ。単行本は入手できるはず。

    論理学史 (岩波全書) [単行本]山下 正男 (著)
     入手困難だが図書館でざっと眺めるだけでもいい。図が多くておすすめ。
    思想の中の数学的構造 (ちくま学芸文庫) [文庫]山下 正男 (著)
     上記書にピンときたらこちらも。
    はじめての現代数学 (数理を愉しむ)シリーズ (ハヤカワ文庫NF) [文庫]瀬山 士郎 (著)
     ゲーデルの不完全性定理の説明がわかりやすい。


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  6. ゲーデルの不完全定理の解説で一番解りやすいのは僕の知る限り、『はじめての現代数学』(瀬山士郎
    著)のそれだった。
    以下引用です。

                内容
       | 1,  2,   ・・・,  n,   ・・・
    ___|____________________
    f1(y)|f1(1) f1(2) ・・・ f1(n)  ・・・
    f2(y)|f2(1) f2(2) ・・・ f2(n)  ・・・
    ・  |・   ・    ・   ・
    ・  |・   ・     ・  ・
    ・  |・   ・      ・ ・
    fn(y)|fn(1) fn(2) ・・・ fn(n)   ・・・
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    ・  |・   ・        ・     ・ 
    ・  |・   ・        ・      ・

     ¬は否定だから最後につけ加えればよいから、ヨxP(x,n,n)について考えてみよう。これは、「ゲーデ
    ル数がnである一変数 y を含む命題(すなわちfn(y) )の変数 y に数nを代入した命題の形式証明のゲー
    デル数となる x が存在する」という内容を持ち、したがって¬∃xP(x,n,n)はこれの否定、すなわち繰り
    返しを嫌わずに書けば「ゲーデル数がnである一変数 y を含む命題の変数yに数nを代入した命題の形式
    証明のゲーデル数となる x が存在しない」となる。
     ところが、ゲーデル数nを持つ一変数を持つ一変数yを含む命題とは fn(y)のことであり、fn(y)とはすな
    わち¬ヨxP(x,y,y)であった。すなわち上の文章を簡単に書けば,「¬∃xP(x,n,n)の形式証明は存在しな
    い」ということで「¬∃xP(x,n,n)は証明できない」ということになる。ところが、この「 」内の命題
    こそ¬∃xP(x,n,n)に他ならない!
     ついにわれわれは「この命題は証明できない」のきちんとした数学的表現を入手すること に成功した
    のである。

    (略)

     ここで用いられた論法が一種の対角線論法であることに十分注意を払ってもらいたい。一変数の命題
    をすべて一列に並べ、f1(y) ,f2(y) ,・・・とし f1(1) , f1(2) ,・・・f n(n),・・・を考察するというの
    はまさしく対角線論法そのものである。カントールによって集合の階層構造を引き出すために考案され
    た一線論法は,集合論内のパラドックスと絡まりあいながら、ゲーデルによる決定不能命題の発見とい
    う20世紀数最高の結果の一つを生み出すにいたったのである。

    (以上、『はじめての現代数学』瀬山士郎著、講談社現代新書p161-163より。早川文庫より復刊)

    瀬山氏は対角線論法の後に不完全性定理のもうひとつの肝であるゲーデル数(ゲーデルによる素因数分
    解を使ったコード化)について説明している。

    本題は、(瀬山氏も触れいてないのだが)このゲーデル数のアイデアがライプニッツの結合法論そのも
    のであるということだ。

    これはあまり言及されないが、もっと知られていい。

    「われわれはその事物によって他の事物を表示するために素数を使用するのである。」

    (『普遍的記号法の原理』Elementa Characteristicae universalis ,1679「計算の原理」1679、邦訳ライ
    プニッツ著作集1、64−5頁より)

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  7. yojisekimoto shared from ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論 (講談社現代新書) (Japanese Edition) by 高橋昌一郎
    ゲーデルの存在論的証明は、五個の公理と三個の定義から、二つの定理を導く様相論理の公理系である。これを日常言語で表現すると、次のような意味になる。なお、番号と解釈について、わかりやすく変更した部分がある。

    肯定的であることは、一つの性質である。
    公理1 もしPが肯定的性質であり、Qも肯定的性質であれば、PかつQも肯定的性質である。(原注:任意の数の肯定的性質の連言は、肯定的性質である)
    公理2 性質は、肯定的であるか、肯定的でないかのどちらかである。(原注:両立はしない)
    定義1 対象xがすべての肯定的性質を持つときに限って、xは神性Gである。つまり、すべての性質Pに対して、Pが肯定的ならばPを所有する対象xが、神性Gである。
    定義2 任意の対象xが性質Pを持つとき、xの任意の性質Qに対して、Pを持つ任意の対象yが必然的にQも所有するとき、Pはxの本質である。(原注:対象xの所有する任意の二つの本質は、必然的に同値である)
    公理3 ある性質が肯定的であれば、それは必然的に肯定的である。ある性質が肯定的でなければ、それは必然的に肯定的でない。
    定理1 もし対象xが神性Gを持つならば、Gはxの本質である。
    定義3 対象xの任意の本質Pに対して、Pを持つ対象が少なくとも一つ存在するときに限って、xは必然的存在Eである。
    公理4 必然的存在Eは、肯定的性質である。 定理2 もし対象xが神性Gを持つならば、Gを持つ対象yが少なくとも一つ必然的に存在する。そこで、神性Gを持つ対象xが少なくとも一つ存在するならば、Gを持つ対象yが少なくとも一つ必然的に存在する。よって、神性Gを持つ対象xが少なくとも一つ存在することが可能ならば、Gを持つ対象yが少なくとも一つ必然的に存在することも可能である。したがって、Gを持つ対象xが少なくとも一つ存在することが可能ならば、Gを持つ対象yが少なくとも一つ必然的に存在する。
    公理5 もし性質Aが肯定的であり、すべてのxに対して、Aを所有するxが必然的にBも所有するならば、Bも肯定的である。このことは、自己同一性x=xが肯定的であり、自己矛盾性xxが否定的であることを意味する。(原注:基本的性質の標準選言形は、否定形を含まない)

    この証明の要点は、次のように単純化できる。神性Gは、肯定的性質である。ゲーデルの様相論理体系においては、任意の肯定的性質Pに対して、Pを持つ対象が少なくとも一つ存在する可能性が導かれる。したがって、神性Gを所有する対象xが少なくとも一つ存在する可能性がある。この結果に定理2を適用すると、Gを所有する対象xが、少なくとも一つ必然的に存在する。さらに、定理1と定義2により、その対象xは、Gを唯一持つ対象である。ゆえに、唯一の神が存在する。




    yojisekimoto shared from 空海「般若心経秘鍵」 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫) (Japanese E by 空海
    九 心経を五つに分かつ 五分判釈  この『心経』は総じて五つの部分に分けられます。  第一は人法総通分、「観自在」から「度一切苦厄」までです。  第二に分別諸乗分、「色不異空」から「無所得故」までです。  第三に行人得益分、「菩提薩埵」から「三藐三菩提」までがこれに相当します。  第四に総帰持明分、「故知般若」から「真実不虚」までです。  第五に秘蔵真言分、「羯諦羯諦」から「娑婆訶」までがそれです。  この五つの部分それぞれで、心経には仏教のあらゆる教理が含まれているという趣旨を説いていこうと思います。

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  8. ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論 (講談社現代新書) (Japanese Edition) by 高橋昌一郎

     ゲーデルの存在論的証明は、五個の公理と三個の定義から、二つの定理を導く様相論理の公理系である。これを日常言語で表現すると、次のような意味になる。なお、番号と解釈について、わかりやすく変更した部分がある。

        肯定的であることは、一つの性質である。
    公理1 もしPが肯定的性質であり、Qも肯定的性質であれば、PかつQも肯定的性質である。(原注:任意の数の肯定的性質の連言は、肯定的性質である)
    公理2 性質は、肯定的であるか、肯定的でないかのどちらかである。(原注:両立はしない)
    定義1 対象xがすべての肯定的性質を持つときに限って、xは神性Gである。つまり、すべての性質Pに対して、Pが肯定的ならばPを所有する対象xが、神性Gである。
    定義2 任意の対象xが性質Pを持つとき、xの任意の性質Qに対して、Pを持つ任意の対象yが必然的にQも所有するとき、Pはxの本質である。(原注:対象xの所有する任意の二つの本質は、必然的に同値である)
    公理3 ある性質が肯定的であれば、それは必然的に肯定的である。ある性質が肯定的でなければ、それは必然的に肯定的でない。
    定理1 もし対象xが神性Gを持つならば、Gはxの本質である。
    定義3 対象xの任意の本質Pに対して、Pを持つ対象が少なくとも一つ存在するときに限って、xは必然的存在Eである。
    公理4 必然的存在Eは、肯定的性質である。
    定理2 もし対象xが神性Gを持つならば、Gを持つ対象yが少なくとも一つ必然的に存在する。そこで、神性Gを持つ対象xが少なくとも一つ存在するならば、Gを持つ対象yが少なくとも一つ必然的に存在する。よって、神性Gを持つ対象xが少なくとも一つ存在することが可能ならば、Gを持つ対象yが少なくとも一つ必然的に存在することも可能である。したがって、Gを持つ対象xが少なくとも一つ存在することが可能ならば、Gを持つ対象yが少なくとも一つ必然的に存在する。
    公理5 もし性質Aが肯定的であり、すべてのxに対して、Aを所有するxが必然的にBも所有するならば、Bも肯定的である。このことは、自己同一性x=xが肯定的であり、自己矛盾性xxが否定的であることを意味する。(原注:基本的性質の標準選言形は、否定形を含まない)

     この証明の要点は、次のように単純化できる。神性Gは、肯定的性質である。ゲーデルの様相論理体系においては、任意の肯定的性質Pに対して、Pを持つ対象が少なくとも一つ存在する可能性が導かれる。したがって、神性Gを所有する対象xが少なくとも一つ存在する可能性がある。この結果に定理2を適用すると、Gを所有する対象xが、少なくとも一つ必然的に存在する。さらに、定理1と定義2により、その対象xは、Gを唯一持つ対象である。ゆえに、唯一の神が存在する。

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  9. http://homepage1.nifty.com/kurubushi/card17378.html
    スピノザ × ゲーデル

    自由意志について

     決定論のステージにおいて、スピノザはまっとうにも「自由意志」を否定し、「自由意志」が存在するかのように思う、その「誤謬」の原因を、因果関係の認識の欠如;意識は結果(衝動)を認識するがその原因についてはしばしば認識しない、という点に求めた。
     これに対してゲーデルは、W.ジェームズのいう「堅い決定論」の立場を取りながらも、なおかつそれが「自由意志」と両立するのだ、と主張する。そのかわりに、ゲーデルが否定したのは、因果関係を成り立たせる「時間の矢」である。
     「過去に私がなしたこと」について考えてみよう。過去の行動は変えることができない。しかし私はその行動を取らないこともできた、つまり過去においてその行動をとる(あるいはとらない)「自由」があった。その限りで、過去の事象に対しては、決定論と自由意志説は両立可能である。しかし未来に関しては、我々はそのようには考えない。未来は開いている、未来は未定である。だが、我々がそのように思うのは、時間の向きと因果の向きが同じであり、なおかつ結果たる事象が原因たる事象に先立つことはあり得ないと信じているからにすぎない。いわば「反宿命論的確信」を、我々の宇宙に(そして時間に)押し付けているにすぎない。実際には相対性理論が示してみせるように、過去と未来の区分は存在しない。「私たちのように物理学を信じている人々は、過去と現在と未来の区分は一つの頑強にしがみついている幻想にすぎないことを知っています」(アインシュタイン)。
     ゲーデルは、未来が「すでに存在している」だけでなく、原理上完全に予想できると考えていた。さらにはタイムトラベルが可能であることを信じて疑わなかった。だがゲーデルの時間旅行は退屈なものとなるだろう。その時間旅行は、完全決定された歴史(時間上のあらゆる事象)を変更することは全くできない(時間旅行についてすら決定されているはずである)。「親殺しのパラドクス」が成立する余地などまるでない。

    [参考]
     K・S・ソーンは、1988年アメリカ物理学会誌に掲載された論文で、時間的閉曲線のない通常の時空間から、時間的閉曲線(時間が回帰するループ)を作る具体的手順を示した。いわば量子力学と相対論を使った「過去に戻れるタイムトンネルの作り方」である。旧ソ連のイゴール・ノビコフらは、そのような時間的閉曲線上では、因果の鎖が矛盾なくループし、したがってその上での物理現象について、そのような周期条件を付加して方程式を解かなくてはならないだろうと主張している。

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  10. http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/handle/11094/4517
    http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/4517/1/hs17-167.pdf


    私の課題はラッセルの論理学を内部から攻撃することではなく,外 部から攻撃すること で ある。

    即ち,ラ ッセルの論理学を数学的に攻撃す るのではなく,一 もし数学的にであれば私 は数学を営むことになる ラッセル論理学の位置,職 務を攻撃することである。

    私の課題 は,例 えばゲーデルの証 明につ いて論 じるので はな く,そ の証 明の傍 を通 りす がりた論 じることである。、

    (『数学の基醐 第W部19節)

    一言でいえば,数 学者ゲーデルよりも哲学者ゲーデルをウィトゲンシュタインは批判した の で あ る。 .





    タイトル: ウィトゲンシュタインのゲーデル理解について
    別タイトル: Wittgenstein on Gödel's Incompleteness Theorem
    タイトル (ヨミ): ウィトゲンシュタイン ノ ゲーデル リカイ ニ ツイテ
    著者: 奥, 雅博
    著者の別表記: Oku, Masahiro
    著者 (ヨミ): オク, マサヒロ
    公開者: 大阪大学人間科学部
    公開者の別表記: The Faculty of Human Sciences, Osaka University
    公開者 (ヨミ): オオサカ ダイガク ニンゲンカガクブ
    作成日付: 1991-03
    NII資源タイプ: Departmental Bulletin Paper
    ローカル資源タイプ: 紀要論文 Departmental Bulletin Paper
    dcmi資源タイプ: text
    URI: http://hdl.handle.net/11094/4517
    ISSN: 03874427
    NCID: AN00030290
    掲載誌名: 大阪大学人間科学部紀要
    巻: 17
    開始ページ: 167
    終了ページ: 183
    刊行年月: 1991-03
    言語: jpn
    著者版フラグ: publisher
    出現コレクション: 紀要論文 Departmental Bulletin Paper

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  11. ウィトゲンシュタインによれば,こ の証明の効用は人々に無駄な努力を断念させることに ある。「無駄な努力をやめたまえ,う まくいかないことが証明されているのだから」と証明は 物語る。もとより聞き手は,初 等幾何学が一っの代数系に投影されていることを見てとらね ばならない。しかし,彼が証明の眼目を理解すれば,角 の三等分法を求める努力は打ち切り
    とな るのであ る。
    同様に,カ ントールの対角線論法は全ての実数を何らかの順序で並べようとする試みが無
    駄であることを示す効用がある。その限り対角線論法は有用な技法であるが,技 法それ自身 としては特に高級なものではない。 しかしこの技法が考案 された状況 とそれに付加された
    「哲学 的散文」が種々 の問題 を生 じる,と ウ ィ トゲ ンシュ タイ ンは考 えたのであ る。
    対角線論法が高級な技法ではない ことを理解するには次のよ うな社会 を想像すればよ い。15)そこで は全 ての赤ん坊 に背番 号が命名 されねばな らない。名付 け親 は任意 の番号 を付
    けてよいがその番号 は未 使用でなければな らない。 このため使用 された番号の リス トとの照 合が不可欠だが,あ る時対角数の技法が発見される。それ以後この技法は「リストにない数
    を示せ」 という課題 と共に小学校で教えられる。そのような社会である。
    この社会では,全 ての実数をある順序で並べるという課題の空しさは,極 めて平易な事実
    として受 け容 れ られ るであろ う。

    15)これは 「数学の基礎』第 ∫∫部18節 の例の変形であ る。

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  12. http://pweb.sophia.ac.jp/process/society/tetugaku/imiron1.html
    議論を単純化するために、ここで言う「理論」とはカルナップ等が言った意味での、LOGICAL SYNTAX のように、言語にあくまでも内在的な、基本語と文法、構成規則、変換規則等々からなるシステムを意味すると仮定してみます。 徹底した logical syntax の立場に立てば、全ては言語の内部での話になります。 事実と命題、語と対象の関係の関係を語ることも同一の言語、(ただしメタ言語)のなかで行われます。

    さて、このメタ言語の中で、あくまでも言語内在的に、真理概念を普遍的に定義出来るでしょうか。

    私は、ここでタルスキーの仕事が決定的な意味を持ってくると思います。

    ただし、彼の仕事は、しばしば

    「真理の定義を与えた」と誤解されています。この誤解が、生じたのは、多くの論者が

    「雪が白い」は、雪が白い時、そしてそのときに限り真である

    という引用符排除の規則を「普遍的定義」と勘違いしたことに起因します。

    タルスキーが実際にしたことは、
    そのような「普遍的な定義の不可能性」です。

    もし我々が、算術の公理を含むような、十分に豊かな言語を問題にしているのであれば、そのような「真理」の普遍的定義は二律背反に陥る---これが、タルスキーの有名な論文の重要な結論であると、私は考えています。  

    この証明は、ゲーデルの「不完全性定理」とおなじく、対角線論法という帰謬法(間接証明)に基づきます。

    ゲーデルの場合は、数学を言語に内在的な規則のシステムに還元することは出来ないことを、かの有名な「不完全定理」で証明しました。ちなみに、ゲーデルは数学的対象についてはプラトン主義者(実在論者)ですが、それは、このことと深く関連しています。

    数学的対象が、数学的言語に内在的なものではないことを示すゲーデルの不完全性定理と同様、真理概念を主題とするタルスキーの定理は、「真理」が、言語的枠組みに内在的なものではないことを教えます。それは、そのような内在説を徹底した立場が二律背反を導くからです。

     このような事情は、我々の議論が進むべき方向を示唆しているように思います。

    私は、実在論を、言語以前の直接的な認識によって、その正しさを証明できるようなものであるとは思いません。言語の外延的意味を与えるべき対象を、ラッセルが言ったような「直接知(knowledge by acquaintance)」に還元することは出来ません。言語は、本質的に社会的なものであって、他者とのコミュニケーションという文脈を欠いた直接認識によっては外延的意味は確定しないのです。

     実在論は、言うなれば、「実在論を否定する議論の否定」として主張できるのです。この二重否定は、単純な肯定とは違います。

    実在論を否定する議論は誤りである----この二重否定の議論を個別に、様々な文脈に置いて示すプロセスにおいて、我々は、言語の枠組みの内部にとどまることの限界を学び、又、様々な概念枠の相違にもかかわらず、つねにそのようなパラダイムの相違を越えて、無限なる実在を探求しつづけるべきであることを、知ると言えましょう。

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  13. 数学の基礎におけるウィトゲンシュタインの対角線論法批判は、
    それが計算されたものではなく計算方法を示しているだけで
    全体を見渡せないというものだ
    ゲーデル数は後期の転回によって立場が近いから

    不完全性定理への疑義は対角線論法を認めるか否かにかかる
    再帰的でないという批判も素数部分ではなく対角線論法の部分にかかってくる

    個人的には対角線論法でも充分見渡していると思う。むしろ見渡している最高の例だと思うが。

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  14. 数学の基礎におけるウィトゲンシュタインの対角線論法批判は、
    それが計算されたものではなく計算方法を示しているだけで
    全体を見渡せないというものだ
    ゲーデル数は後期の転回によって立場が近いから
    不完全性定理への疑義は対角線論法を認めるか否かにかかる
    再帰的でないという批判も素数数部分ではなく対角線論法の部分にかかってくる

    個人的には対角線論法でも充分見渡していると思う。むしろ見渡している最高の例だと思うが。

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  15.    | 1,  2,   ・・・,  n,   ・・・
    ___|____________________
    f1(y)|f1(1) f1(2) ・・・ f1(n)  ・・・
    f2(y)|f2(1) f2(2) ・・・ f2(n)  ・・・
    ・  |・   ・    ・   ・
    ・  |・   ・     ・  ・
    ・  |・   ・      ・ ・
    fn(y)|fn(1) fn(2) ・・・ fn(n)   ・・・
    ・  |・   ・        ・    ・  
    ・  |・   ・        ・     ・ 
    ・  |・   ・        ・      ・

     ¬は否定だから最後につけ加えればよいから、ヨxP(x,n,n)について考えてみよう。
    これは、「ゲーデル数がnである一変数 y を含む命題(すなわちfn(y) )の変数 y に
    数nを代入した命題の形式証明のゲーデル数となる x が存在する」という内容を持ち、
    したがって¬∃xP(x,n,n)はこれの否定、すなわち繰り返しを嫌わずに書けば「ゲーデル
    数がnである一変数 y を含む命題の変数yに数nを代入した命題の形式証明のゲーデル数
    となる x が存在しない」となる。
     ところが、ゲーデル数nを持つ一変数を持つ一変数yを含む命題とは fn(y)のことであ
    り、fn(y)とはすなわち¬ヨxP(x,y,y)であった。すなわち上の文章を簡単に書けば,「¬
    ∃xP(x,n,n)の形式証明は存在しない」ということで「¬∃xP(x,n,n)は証明できない」と
    いうことになる。ところが、この「 」内の命題こそ¬∃xP(x,n,n)に他ならない!
     ついにわれわれは「この命題は証明できない」のきちんとした数学的表現を入手する
    こと に成功したのである。

    (略)

     ここで用いられた論法が一種の対角線論法であることに十分注意を払ってもらいた
    い。一変数の命題をすべて一列に並べ、f1(y) ,f2(y) ,・・・とし f1(1) , f1(2) ,・・・f
    n(n),・・・を考察するというのはまさしく対角線論法そのものである。カントールに
    よって集合の階層構造を引き出すために考案された一線論法は,集合論内のパラドック
    スと絡まりあいながら、ゲーデルによる決定不能命題の発見という20世紀数最高の結
    果の一つを生み出すにいたったのである。

    (以上、『はじめての現代数学』瀬山士郎著、講談社現代新書p161-163より。早川文
    庫より復刊)

    瀬山氏は対角線論法の後に不完全性定理のもうひとつの肝であるゲーデル数(ゲーデル
    による素因数分解を使ったコード化)について説明している。


    数学の基礎におけるウィトゲンシュタインの対角線論法批判は、
    それが計算されたものではなく計算方法を示しているだけで
    全体を見渡せないというものだ
    ゲーデル数は後期の転回によって立場が近いから
    不完全性定理への疑義は対角線論法を認めるか否かにかかる
    再帰的でないという批判も素数数部分ではなく対角線論法の部分にかかってくる

    個人的には対角線論法でも充分見渡していると思う。むしろ見渡している最高の例だと思うが。



    本題は、(瀬山氏も触れいてないのだが)このゲーデル数のアイデアがライプニッツの
    結合法論そのものであるということだ。

    これはあまり言及されないが、もっと知られていい。

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  16. 排中律の乱用が論理的矛盾を生むと、カント=ゲーデルは言っている。
    マルクスの経済学も例外ではない。
    アンチノミーは揚棄されない。
    資本と国家は同時に存在している。

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  17. 量子力学の「不確定性原理」とは異なります。
    ゲーデルの不完全性定理(ゲーデルのふかんぜんせいていり、独: Gödelscher Unvollständigkeitssatz)又は単に不完全性定理とは、数学基礎論における重要な定理の一つで、クルト・ゲーデルが1930年に証明したものである。

    第1不完全性定理
    自然数論を含む帰納的公理化可能な理論が、ω無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する。
    第2不完全性定理
    自然数論を含む帰納的公理化可能な理論が、無矛盾であれば、自身の無矛盾性を証明できない。
    目次
    概要
    詳細
    ゲーデル文の構成
    第一不完全性定理の証明
    第二不完全性定理の証明
    決定不能命題の例
    ゲーデルの定理に関する制限
    不完全性定理の成立しない体系
    その影響・応用
    ゲーデル以後の展開
    不完全性定理の代数化
    脚注
    参考文献
    関連項目
    外部リンク

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  18. http://ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-10544691007.html

    合衆国は合法的に独裁国家になる エェーッ???

    2010-05-25 19:06:57
    テーマ: ブログ
    前回の記事で、哲学者や論理学者が実生活で奇矯なふるまいをする、ということに触れましたが、アリストテレス以来の論理学者と言われるゲーデルについてご紹介します。内容は「ゲーデル・不完全性定理」(吉永良正著)からのものです。

    ゲーデルはアインシュタインより27歳も若かったのですが、とても仲のよい友人同士でした。ともにプリンストン高等科学研究所に通っていたのですが、アインシュタインは若い友人の才能を愛して「私が毎日研究所に通っているのは、ゲーデルとの雑談の栄誉に浴せるからだ。」と言わしめたほどです。

    ゲーデルは1940年に渡米し、1948年に市民権を取得します。その時に一もんちゃく起ったのです。天下のアインシュタインが後見ですから、何の問題もなく認められるはずでした。

    市民権を得るためには簡単な口頭試問を受けねばなりません。そこで、気まじめなゲーデルはそれに備えて合衆国憲法の勉強を始めました。ところが、彼の明晰な頭脳にはその条文が矛盾だらけであることが分かってしまったんです。
    そして、こともあろうに「憲法に忠実である限り、論理的には合衆国が、いつでも合法的に独裁国になりうる。」という事実を発見してしまったのです。

    彼は早速この『発見』を親しい友人であるモルゲンシュタインに告げたのです。モルゲンシュタインは不安になります。
    合衆国が独裁国になる、という不安ではありません。口頭試問の日には、アインシュタインとモルゲンシュタインが付き添って、ゲーデルによけいなことをしゃべらせないようにしたことは言うまでもありません。

    アインシュタインは世界一有名な科学者です。そんな偉い科学者と自分の息子が友達づきあいをしていると知ったゲーデルのお母さんは感激します。興奮して息子に手紙で「アインシュタインの理論の勉強をしてみようと思う。」と手紙に書いたのだそうです。それに対するゲーデルの返事がふるっています。「抽象的な概念を恐れることはありません。最初はすべてを理解しようなどと思わず、小説を読むように読み進めてください。」

    確かにゲーデルの頭脳にとっては、相対性理論も小説より易しかっただろうと思います。しかし、ゲーデルのお母さんが相対性理論を理解できたかどうかは不明です。

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  19. 新・あいまいな本日の私: ゲーデルによるアメリカ合衆国を遵法的に独裁化する方法
    http://ytb-logic.blogspot.jp/2012/08/blog-post_4.html
    以前twitterに書いた既出な話なのですが、まとめとして書いておきます。
    ゲーデルがアメリカの国籍取得審査の際に「アメリカ憲法下で合法的に独裁体制樹立が可能だ」と述べた話は有名ですが、その詳細はあまり知られていません。本稿では、その詳細について解説したいと思います。

    経緯
    ゲーデルは1906年に現在のチェコ共和国のブルノに生まれました。ドイツ系でドイツ語を話し、チェコ在住時もチェコ語を話したという記録はほとんど残っていないそうです。そして1924年にウイーン大学入学を機にオーストリアに移住します。ハプスブルグ帝国は崩壊はしましたが、衰えたりとはいえウイーンはまだまだ中欧の学術と文化の中心であり、ゲーデルは充実した研究生活およびナイトライフを送ったようです(奥さんはナイトクラブのダンサーだったという説があります)。
    しかし、ドイツに続きオーストリアでもナチスが台頭すると、にわかに暗雲垂れ込めます。ゲーデル自身はドイツ人でしたが、左派の多かった論理実証主義を掲げる哲学者のグループ・ウイーン学団と近かったため、政治的に信用できない人物と見なされていたようです。そこでアメリカのプリンストン高等研究所がゲーデルをアメリカに招聘し、ビザでもめたりいろいろあったものの、ゲーデル夫婦は(既に西部戦線で第二次大戦が始まっていたため)ソ連(シベリア鉄道)→横浜経由で1940年にアメリカに到着しました。

    その後、1948年、ゲーデルはアメリカ市民権を取得します。有名な事件は、その国籍取得のための面接時(1947年12月5日)に起こりました。
    帰化審査には、憲法の試験があります。この審査はアメリカ国籍を取得する人なら誰でも受ける必要があるものなので、それほど難しいものではなく、たぶん現代日本の運転免許のペ−パー試験ぐらい簡単なものだと思います。ところが

    国籍申請者として、ゲーデルはアメリカの統治システムに関して質問されることになっていた。ゲーデルらしいことに、人並み以上どころか必要以上に完璧に試験の準備をした。面接日が近づくとゲーデルは明らかにいらいらして、あげくモルゲンシュテルンに、憲法に矛盾があるのを発見した、と言った。
    モルゲンシュテルンは面白がったが、ゲーデルがとても真剣なので、もし「発見」のことを言い出したら国籍申請が危ういかもしれないということに気がついた。そこでモルゲンシュテルンはアインシュタインと相談して、そんな事態が起こらないように2人で協力しなければならないとの意見の一致を見た。(ドーソンp248)

    さて、いよいよ審査の日です。面接はプリンストンからあまり遠くないトレントンで行われ、モルゲンシュタインが彼とアインシュタインを車で送り迎えしました。裁判所では先客がいましらが、有名人は得なもので、アインシュタインの国籍宣誓を担当したフィリップ・フォーアマン判事がアインシュタインを見つけ、三人を担当法廷に引っ張っていきます。審査では、アインシュタインとモルゲンシュテルンがもっぱら話したようですが、ついにフォアマン判事がゲーデルに向かって「ドイツのような独裁政権がアメリカ合衆国でも成立することがあると思いますか?」と聞きました。そして

    これはまさにゲーデルが待ち受けていた事態の幕開けだった。肯定的な回答を与えて、なぜアメリカ憲法が独裁政権を許しているかの説明をし始めた。幸いにもフォーアマンはすぐに事態を理解して、状況を解決すべく手を打った。「説明しなくていいです」と割り込んで、無難な質問を続けたのだ。(ドーソンp249)

    ということで、審査はパスし、1948年4月2日には国籍が認められました。後に、ゲーデルはフォーアマンのことを「ものすごく理解がある人」と手紙で描写したそうで。

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  20. アメリカ憲法の何が問題になったのか
    以上の逸話は、ゲーデルという人の個性を忠実に反映しているからか、ゲーデルの伝記には必ず出てくる話です。しかし、ゲーデルが見つけた方法とは何か、その発見はどの程度重要なのか、具体的な説明はあまり見あたりません。ここでは、その辺を解説したいと思います。

    憲法修正条項(AC)
    ざっくりとした話をすると、現代日本でも、日本国憲法には憲法改定のための規定(96条)があるので、国民が支持さえすれば、合法的に憲法を変更し独裁政権を樹立することが可能です(もちろん国会の2/3と国民の半数以上の賛成が必要で、非常にハードルは高いですが)。ゲーデルの例も大体はそんなところです。ただし、ゲーデルの例では、アメリカの個別事情、すなわちアメリカ憲法に独特の「憲法修正条項(AC)」の権限に関する問題が、非常に重要な役割を果たします。

    この憲法修正条項(AC)は、憲法の条項の修正方法の一つですが、日本のような憲法の本文をいじるやりかたの改正よりは遙かに簡単に、憲法が規定していない問題に関し、憲法の規定を補足することができます。これを定めるためには、連邦議会の各院の2/3以上の賛成による発議の後、3/4以上の州が批准することが必要です。
    歴史的には、アメリカ憲法は、18世紀に制定された、世界でもっとも古い成文憲法の一つですが、古い分、現代的な感覚からすると構成が変わっています。すなわち、憲法の本文は、連邦政府と州の権限分担についての話で終始しているのです。そして、基本的人権などの民主国家としての基礎は、「権利章典」と呼ばれる憲法修正第一条から第十条までで保証されています。また、奴隷制度の廃止(13条)や黒人参政権(15条)など、多くの重要な条項があります。
    AC は、非常に重要なのですが、変な条項もあります。例えば禁酒法(18条;1919年)です。アメリカ国内での酒の販売を禁じたこの法律は国内の混乱を招いたため、後に修正21条(1923年)によって18条は廃止されました。

    ここでのポイントは、
    ACは定めるプロセスは決まっている(手続き的な制限はある)
    ACの権限に関する客観的な制限は存在しない
    ということです。つまり、禁酒法の場合のように、ACでは他のACの条文を廃止することができます(18条を21条で廃止)。禁酒法についてできるのなら、権利章典を廃止できない訳はない、ということになる可能性もある訳です。
    つまり、憲法本文で規定されている州権を侵害しない限り、ACによって定められている言論の自由などの基本的人権条項を廃止することが可能かもしれません。特に、以下のACを考えてみましょう:
    憲法修正第十条:この憲法によって合衆国に委任されず、また州に対して禁止していない権限は、それぞれの州または人民に留保される。
    この条項を一つ廃止すれば、憲法で「政府がこれをしてはいけない」と書いていないこと(経済活動の自由など)は全て政府の許可が必要になる可能性があるわけです。

    ACの権限についての議論は、昔から憲法学者の間ではよく知られた問題でした。そしてこのようなその極端例、つまり民主的に選ばれた連邦議会はACによって独裁体制の樹立が可能、と言う話も、それなりに知られていたのではないかと思われます。ゲーデルは帰化審査時の憲法の試験の準備に憲法学の本を読んでこれを知ったのではないでしょうか。

    時代背景
    さて、こういう話ですが、1947年という時代背景を通してみると、多少違った色合いを持ちます。つまり、ヒトラーのドイツ帝国が崩壊したのはその二年前ですし、チャーチルによる「鉄のカーテン」演説は1946年で、今度はソ連が占領下の東欧で共産化を進めます。
    今の日本では、ゲーデルは学者バカで政治に興味がなさそう、というイメージがあるようですが、そんなことはなく、タカ派寄りだった可能性もあります(アイゼンハワーに投票したりしています)。本人はウイーン時代に社会が目の前で崩壊する様を目撃し、アメリカの民主主義に非常に思い入れを持っていたようです。

    ゲーデルという人
    さて、この「発見」ですが、「発見」そのものとしてはあまり意味はありません(憲法学者には既知の点でした)。それよりは、彼の人格に関していろいろなことを語るように思えます。

    ヒンティッカ大先生曰く、ゲーデルは「形式体系が当初意図された通りの振る舞いをするか」をテストすること強い関心があった、ということです。この説では、不完全性定理もアメリカの独裁化の可能性も、形式系が意図しない振る舞いをする反例として同じ方向性を持つ話と言うことになります。

    ただ、この話は、そんな前向きのものではないように思えます。どちらかというと、ドーソンの言うように、ゲーデルが数理論理学の領域外では「論理的には無矛盾だが外的には誤ったパラノイア的信念体系を展開した」(邦訳p349)と言う方が近いような気がしてなりません。

    この問題において、パラノイア的なのは以下の点です:
    法制度は、形式的な構造だけではなく、それに携わる人たちの歴史や文化が重要で、1947年のアメリカの法文化の下ではアメリカが独裁制に陥ることはまずなかったが、ゲーデルはそういう常識的な要素を無視した
    つけ加えれば、ゲーデルは、たぶん運転免許のペ−パー試験より簡単な帰化審査の憲法の試験のためにわざわざ憲法学の専門書を読んだ点からしてパラノイア的といえるのかもしれません。

    ドーソンが指摘するように、論理学者として、常識にとらわれず内的論理に基づいてどこまでも進むという点は素晴らしい業績を上げる原因となりました。しかし、この点は、日常生活で多くの問題点を招き、ついには残念な死に方に至った、ように思われます。

    参考
    「ロジカル・ディレンマ」ジョン・W・ドーソン Jr
    http://www.earlham.edu/~peters/writing/psa/sec16.htm#B
    On Godel (Jaakko Hintikka)

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  21. ロジカル・ディレンマ ゲーデルの生涯と不完全性定理
    著者名等  ジョン・W.ドーソン Jr/著  ≪再検索≫
    著者名等  村上祐子/訳  ≪再検索≫
    著者名等  塩谷賢/訳  ≪再検索≫
    著者等紹介 【ドーソン Jr】ペンシルヴァニア州立大学数学科名誉教授。
    著者等紹介 【村上】1968年生まれ。東京大学教養学部卒、同大学大学院理学系研究科科学史・科
    学基礎論専攻修士課程修了、総合文化研究科相関基礎科学専攻博士課程単位取得退学。フ
    ルブライト奨学生としてインディアナ大学大学院哲学専攻博士課程留学。現在、国立情報
    学研究所特任助教授。
    出版者   新曜社
    出版年   2006.12
    大きさ等  20cm 438p
    注記    Logical dilemmas./の翻訳
    NDC分類 289.3
    件名    ゲーデル K.
    要旨    論理的に完璧な構築物と思われてきた数学のなかに「不完全性」を発見したゲーデル。「
    世界は合理的である」という信念に貫かれた天才の生涯と思想を圧倒的な資料によって跡
    づけた、決定版ゲーデル伝。
    目次    なぜなぜ君(1906-1924);知的成熟(1924‐1929);予備的考察―1
    928年までの論理学の発展の概観;衝撃の瞬間(1929‐1931);不在の講師(
    1932‐1937);「今や、集合論だ!」(1937‐1939);帰郷と逃避(1
    939‐1940);変化の年(1940‐1946);哲学と宇宙論(1946‐19
    51);名声と隠遁(1951‐1961);連続体問題の進展(1961‐1968)
    ;隠棲(1969‐1978);死後(1978‐1981);ゲーデルの生涯と伝説
    内容    論理的に完璧な構築物と思われてきた数学の中に「不完全性」を発見したゲーテル。「世
    界は合理的である」という信念に貫かれた天才の生涯を思想を圧倒的な資料によって跡づ
    けた、決定版ゲーテル伝。
    ISBN等 4-7885-1028-6

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  22. ゲーデルは日本の地に降り立ったか? - Togetterまとめ
    https://togetter.com/li/109237
    高橋昌一郎 @ShoichiroT2011-04-27 09:07:44
    たしか『ロジカル・ディレンマ』にゲーデル夫妻が横浜滞在を楽しんだという記述が…。RT @sanotomo3 … @spicy_cocktail さんと同様に、日本近郊は陸路ではなく海路ではないかと思います。日本に上陸して何か痕跡を残してを残していないか、興味があるところです。
    さのともさん @sanotomo32011-04-28 01:20:09
    ありがとうございます。未読ですが、機会あれば確認してみます。 RT @ShoichiroT: たしか『ロジカル・ディレンマ』にゲーデル夫妻が横浜滞在を楽しんだという記述が…。RT @自分 … @spicy_cocktail
    高橋昌一郎 @ShoichiroT2011-05-16 09:36:32
    確認したところ横浜に18日間滞在して妻アデルが箱一杯の買い物した模様(笑)。RT @sanotomo3 ありがとうございます。未読ですが、機会あれば確認してみます。RT…『ロジカル・ディレンマ』にゲーデル夫妻が横浜滞在を楽しんだという記述が…。RT @spicy_cocktail
    さのともさん @sanotomo32011-05-16 23:44:27
    1940/2/2~2/20までの18日間。ゲーデルも何か買い物をしたのでしょうか(笑) 一歩も船から出なかったとか、ありそうですし(笑) RT @ShoichiroT: 確認したところ横浜に18日間滞在して妻アデルが箱一杯の買い物した模様(笑)。 @spicy_cocktail
    高橋昌一郎 @ShoichiroT2011-05-26 10:39:28
    それが思いのほか横浜のアメリカ風ホテルが気に入って夫妻で寛いだらしい(笑)。RT @sanotomo3 1940/2/2~2/20までの18日間。ゲーデルも何か買い物をしたのでしょうか(笑) 一歩も船から出なかったとか、ありそうですし(笑)RT… @spicy_cocktail

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  23. ドーソンによれば
    ゲーデルはアメリカに行く途中横浜で宿泊している
    18日間らしい
    お土産をたくさん買ったそうだ

    アメリカ風のホテルというのはバンドホテルではないか?

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  24. ゲーデル夫妻がシベリア鉄道終着駅ウラジオストクから横浜へ入ったことは間違いないようです。RT @spicy_cocktail @Poyo_F @sanotomo3 現代新書、ゲーデルの哲学には「1940年1月…2人はリストニアからラトビアを経由してシベリア鉄道に…」とあります。…

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  25. バンドホテル以外あり得ない


    バンドホテル - Wikipedia
    https://ja.wikipedia.org/wiki/バンドホテル

    1929年12月に木造2階建てのバンドホテルは創業した[1]。関東大震災の被害を受けた横浜の本格的な復興が始まろうとしていた時期で、2年前にはホテルニューグランドが開業している[1]。海岸通りを意味する「バンド」の名の通り、ホテルは港の見える丘公園のふもとにあり、当時は目の前に海が広がっていた[1]。1930年には1階のホールで日本初の国際ダンス大会が開かれた[1][4]。1937年には、バンドホテルが舞台だと言われている淡谷のり子の「別れのブルース」が大ヒットした[4][5]。

    1940年、竹松がバンドホテルを購入する。前年にヨーロッパで第二次世界大戦が始まり戦争の影が濃くなっていた時期だが、アメリカから日本経由で欧州へ渡る外国人の旅行手続きを斡旋したり、敵国同士の外国人宿泊客を握手させるといった経営方針で、地元新聞から賞賛された。1942年半ばにかけて交換船に乗る外国人の宿泊に利用されたのち、ドイツ大使館と契約を結びドイツ軍専用のホテルとなる。コックや医者がドイツ人になり、Uボートの乗組員が宿泊した。ドイツ駐留所としての営業は、1945年5月にドイツが降伏するまで続いた[1]。

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  26. ゲーデル@横浜 1940年2月

    《ゲーデルたちが横浜に到着した2月2日には既にタフト号は出帆していたため、彼らはプレジデント・クリーヴランド号が入港する20日まで横浜に留まらぎるをえなかった。計画が変更になって彼らはますます不安になったが、予定が遅れて休養のとれる旅となったのはいいことだった。ゲーデルが見つけたアメリカ風のホテルでの滞在は「たいへんにすばらしいものだった」。アデーレは機会を見ては買い物をした。彼らが〔横浜を〕出発するとき、彼女は、記録されているように、「箱いっぱいの」買い物を持っていったレ倒(彼らのウイーンからの持参品の記録はないが、そう多くはなかったろう。大戦後、ゲーデルの兄が彼に書物や書類で詰まったトランクを送っているが、そのなかには請求書や受け取り、伝記作家以外にはほとんど価値のない覚書といったものも含まれていた)。》


    [29]FC212213,1964年11月29日、12月16日。
    FC:ゲーデル 母 兄の間の家族書簡。ウイーン国立図書館所蔵。

    ロディカル・ディレンマ
    ゲーデルの生涯と不完全性定理
    初版第1刷発行 2006年12月20日◎著者ジヨン・W.ドーソンJr

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  27. 背理法

    論理学初歩の疑問です。命題論理の定理4として「(D∧¬D)⊃A」とい... - Yahoo!知恵袋
    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10114496635?
    __ysp=44Ky44O844OH44OrIOirlueQhuWtpiDog4znkIbms5U%3D

    論理学初歩の疑問です。命題論理の定理4として「(D∧¬D)⊃A」というのがあり...
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    norio84saiさん2013/10/514:54:22
    論理学初歩の疑問です。命題論理の定理4として「(D∧¬D)⊃A」というのがありました。他の定理には排中律とか矛盾律とか名前がついていますが、これには呼び名がないようです。なんだかわけがわかない定理です
    あたりまえすぎるような、あるいは無意味なような、不思議な定理だなと思いました。少しでもよいので、なにかこの定理について解説してもらえると助かります。

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    twesgiさん編集あり2013/10/516:08:21
    背理法の原理にあたるもんだよ。矛盾(D∧¬D)が許容されんならすべての命題(ここではAでそれを代表させてんだ)が真になっちゃうってやつね。

    例えばゲーデルの不完全性定理(第2不完全性定理)は数学のある体系が無矛盾だってことは証明できないってことを証明してんだけど、なぜ無矛盾にこだわるかってゆーと、もしも数学の体系に矛盾がひそんでいたら、どんな定理でも証明できちゃうからなんだ。

    やってみるよ。

    ある数学の体系に矛盾(D∧¬D)がひそんでるとするね。で、
    1=3を証明するよ。

    (proof)

    1≠3と仮定する(背理法の仮定ね)

    すると、なんたらかんたら
    うんにゃらほんにゃらで
    D∧¬D、すなわち不合理である。

    ゆえに背理法の仮定は否定されなきゃいけない。

    ∴1=3 Q.E.D.

    ってな具合でなんでも証明できちゃうんだ。

    これが、矛盾があったらなんでも証明できちゃうよってゆー背理法の原理ね。

    すなわち (D∧¬D)⊃Aってことね。

    でも、ゲーデルの不完全性定理は数学に矛盾があるってことを証明したんじゃないよ。また、数学が不完全なもんだってことを証明したんでもないよ。あくまでも、無矛盾の証明が不可能だってことを証明しただけなんだ。不完全性定理の通俗解釈による早とちりだけはしないよーにしてね(*^^*)

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    質問した人からのコメント2013/10/6 18:39:41
    ありがとうございました。ゲーデルの定理を理解できるようになるのが目標ですが先は長いですね。また、途中でつまずいたときご指導ください。

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  28.  ここで用いられた論法が一種の対角線論法であることに十分注意を払ってもらいたい。一変数の命題
    をすべて一列に並べ、f1(y) ,f2(y) ,・・・とし f1(1) , f1(2) ,・・・f n(n),・・・を考察するというの
    はまさしく対角線論法そのものである。カントールによって集合の階層構造を引き出すために考案され
    た対角線論法は,集合論内のパラドックスと絡まりあいながら、ゲーデルによる決定不能命題の発見とい
    う20世紀数最高の結果の一つを生み出すにいたったのである。

    (以上、『はじめての現代数学』瀬山士郎著、講談社現代新書p161-163より。早川文庫より復刊)

    瀬山氏は対角線論法の後に不完全性定理のもうひとつの肝であるゲーデル数(ゲーデルによる素因数分
    解を使ったコード化)について説明している。

    本題は、(瀬山氏も触れいてないのだが)このゲーデル数のアイデアがライプニッツの結合法論そのも
    のであるということだ。

    これはあまり言及されないが、もっと知られていい。

    「われわれはその事物によって他の事物を表示するために素数を使用するのである。」

    (『普遍的記号法の原理』Elementa Characteristicae universalis ,1679「計算の原理」1679、邦訳ライ
    プニッツ著作集1、64−5頁より)

    返信削除
  29. 一般的な価値形態の前段にある相対的価値形態の複数性こそ絶対なのだ
    ゲーデルなら素数を割り当てるところだ

    相対的剰余価値として貶められた集合力こそ絶対であるのと同じだ

    商品の協業を指摘しつつ、マルクスは集合力を相対的なものとしか見ていない
    G-W-G'は集合力を説明し損ねている

    返信削除

  30. ゲーデルの不完全定理の解説で一番解りやすいのは僕の知る限り、『はじめての現代数学』
    (瀬山士郎著)のそれだった。以下引用です。

                内容
       | 1,  2,   ・・・,  n,   ・・・
    ___|____________________
    f1(y)|f1(1) f1(2) ・・・ f1(n)  ・・・
    f2(y)|f2(1) f2(2) ・・・ f2(n)  ・・・
    ・  |・   ・    ・   ・
    ・  |・   ・     ・  ・
    ・  |・   ・      ・ ・
    fn(y)|fn(1) fn(2) ・・・ fn(n)   ・・・
    ・  |・   ・        ・    ・  
    ・  |・   ・        ・     ・ 
    ・  |・   ・        ・      ・

     ¬は否定だから最後につけ加えればよいから、ヨxP(x,n,n)について考えてみよう。
    これは、「ゲーデル数がnである一変数 y を含む命題(すなわちfn(y) )の変数 y に
    数nを代入した命題の形式証明のゲーデル数となる x が存在する」という内容を持ち、
    したがって¬∃xP(x,n,n)はこれの否定、すなわち繰り返しを嫌わずに書けば「ゲーデル数
    がnである一変数 y を含む命題の変数yに数nを代入した命題の形式証明のゲーデル数
    となる x が存在しない」となる。
     ところが、ゲーデル数nを持つ一変数を持つ一変数yを含む命題とは fn(y)のことであり、
    fn(y)とはすなわち¬ヨxP(x,y,y)であった。すなわち上の文章を簡単に書けば,
    「¬∃xP(x,n,n)の形式証明は存在しない」ということで「¬∃xP(x,n,n)は証明できない」
    ということになる。ところが、この「 」内の命題こそ¬∃xP(x,n,n)に他ならない!
     ついにわれわれは「この命題は証明できない」のきちんとした数学的表現を入手
    すること に成功したのである。

    (略)

    返信削除

  31. (略)

     ここで用いられた論法が一種の対角線論法であることに十分注意を払ってもらいたい。
    一変数の命題をすべて一列に並べ、f1(y) ,f2(y) ,・・・とし f1(1) , f1(2) ,・・・f n(n),
    ・・・を考察するというのはまさしく対角線論法そのものである。カントールによって
    集合の階層構造を引き出すために考案された対角線論法は,集合論内のパラドックスと
    絡まりあいながら、ゲーデルによる決定不能命題の発見という20世紀数最高の結果の
    一つを生み出すにいたったのである。

    (『はじめての現代数学』瀬山士郎著、講談社現代新書p161-163より。早川文庫より復刊)

    瀬山氏は対角線論法の後に不完全性定理のもうひとつの肝であるゲーデル数(ゲーデルに
    よる素因数分解を使ったコード化)について説明している。

    本題は、(瀬山氏も触れいてないのだが)このゲーデル数のアイデアがライプニッツの
    結合法論そのものであるということだ。

    これはあまり言及されないが、もっと知られていい。

    「われわれはその事物によって他の事物を表示するために素数を使用するのである。」

    (『普遍的記号法の原理』Elementa Characteristicae universalis ,1679「計算の原理」1679、
    邦訳ライプニッツ著作集1、64−5頁より)

    ゲーデルは生前,ライプニッツ研究ばかりしている時期があって友人のエルデシュに怒ら
    れたこともあるようだが(「君が学者になったのは皆が君の研究をするためであって、
    君がライプニッツの研究をするためではない」)、ゲーデルの功績は先人の研究を受け
    継いだものでもあったのだ。

    カントール(対角線論法)×ライプニッツ(結合法論)=ゲーデル(不完全性定理)

    ということになるだろうか。

    ちなみに、 ライプニッツ再評価はどう考えてもラッセルの『ライプニッツ研究』が
    重要な位置を占めている。 復刊が待たれる。

    返信削除

  32. (略)

     ここで用いられた論法が一種の対角線論法であることに十分注意を払ってもらいたい。
    一変数の命題をすべて一列に並べ、f1(y) ,f2(y) ,・・・とし f1(1) , f1(2) ,・・・f n(n),
    ・・・を考察するというのはまさしく対角線論法そのものである。カントールによって
    集合の階層構造を引き出すために考案された対角線論法は,集合論内のパラドックスと
    絡まりあいながら、ゲーデルによる決定不能命題の発見という20世紀数最高の結果の
    一つを生み出すにいたったのである。

    (『はじめての現代数学』瀬山士郎著、講談社現代新書p161-163より。早川文庫より復刊)

    瀬山氏は対角線論法の後に不完全性定理のもうひとつの肝であるゲーデル数(ゲーデルに
    よる素因数分解を使ったコード化)について説明している。

    本題は、(瀬山氏も触れいてないのだが)このゲーデル数のアイデアがライプニッツの
    結合法論そのものであるということだ。

    これはあまり言及されないが、もっと知られていい。

    「われわれはその事物によって他の事物を表示するために素数を使用するのである。」

    (『普遍的記号法の原理』Elementa Characteristicae universalis ,1679「計算の原理」1679、
    邦訳ライプニッツ著作集1、64−5頁より)

    ゲーデルは生前,ライプニッツ研究ばかりしている時期があって友人のエルデシュに怒ら
    れたこともあるようだが(「君が学者になったのは皆が君の研究をするためであって、
    君がライプニッツの研究をするためではない」)、ゲーデルの功績は先人の研究を受け
    継いだものでもあったのだ。

    カントール(対角線論法)×ライプニッツ(結合法論)×背理法=ゲーデル(不完全性定理)

    ということになるだろうか。

    ちなみに、 ライプニッツ再評価はどう考えてもラッセルの『ライプニッツ研究』が
    重要な位置を占めている。 復刊が待たれる。

    返信削除
  33. 背理法(はいりほう、英: proof by contradiction, reduction to the absurd, indirect proof, apagogical argument など、羅: reductio ad absurdum)とは、ある命題 P を証明したいときに、P が偽であると仮定して、そこから矛盾を導くことにより、P が偽であるという仮定が誤り、つまり P は真であると結論付けることである。帰謬法(きびゅうほう)とも言う。

    返信削除
  34. 背理法
    aozoragakuen.sakura.ne.jp/houhou/houhou02/node24.html
    ユークリッドは歴史に残る人のなかで,はじめて背理法を用いた人である. 次の命題も, その証明は背理法の典型であるが, ...

    返信削除
  35. (略)

     ここで用いられた論法が一種の対角線論法であることに十分注意を払ってもらいたい。
    一変数の命題をすべて一列に並べ、f1(y) ,f2(y) ,・・・とし f1(1) , f1(2) ,・・・f n(n),
    ・・・を考察するというのはまさしく対角線論法そのものである。カントールによって
    集合の階層構造を引き出すために考案された対角線論法は,集合論内のパラドックスと
    絡まりあいながら、ゲーデルによる決定不能命題の発見という20世紀数最高の結果の
    一つを生み出すにいたったのである。

    (『はじめての現代数学』瀬山士郎著、講談社現代新書p161-163より。早川文庫より復刊)

    瀬山氏は対角線論法の後に不完全性定理のもうひとつの肝であるゲーデル数(ゲーデルに
    よる素因数分解を使ったコード化)について説明している。

    本題は、(瀬山氏も触れいてないのだが)このゲーデル数のアイデアがライプニッツの
    結合法論そのものであるということだ。

    これはあまり言及されないが、もっと知られていい。

    「われわれはその事物によって他の事物を表示するために素数を使用するのである。」

    (『普遍的記号法の原理』Elementa Characteristicae universalis ,1679「計算の原理」1679、
    邦訳ライプニッツ著作集1、64-5頁より)

    ゲーデルは生前,ライプニッツ研究ばかりしている時期があって友人のエルデシュに怒ら
    れたこともあるようだが(「君が学者になったのは皆が君の研究をするためであって、
    君がライプニッツの研究をするためではない」)、ゲーデルの功績は先人の研究を受け
    継いだものでもあったのだ。

    カントール(対角線論法)×ライプニッツ(結合法論)×ユークリッド(背理法)=ゲーデル(不完全性定理)

    ということになるだろうか。

    返信削除

  36. 解析の元祖だから誤解されているがライプニッツのモナドは離散数学と親和性がある。
    ドゥルーズはうまく説明している。

    《ライプニッツは、欺かない神についてのデカルトの推論をかなり警戒し、これに不共可能性の
    水準で新しい根拠を与えている。神は戯れるが、戯れの規則を与えるのだ(略)。この規則とは可
    能世界は神が選んだ世界と不共可能的ならば、存在にたどりつくことがないということだ。ラ
    イプニッツによれば*『アストレー』のような小説だけが、われわれにこのような不共可能的
    (incompossible)なものの理念を与えるのである。》
    (ドゥルーズ『襞 ライプニッツとバロック』邦訳単行本 110頁)

    *(Lettre a Bourguet,decembre 1714)未邦訳

    オノレ・デュルフェ作の『アストレ(ー)』は17世紀パリの貴婦人に流行ったロマン小説で、日本
    では無名だが、今度エリック・ロメールによって(小説の一部が)映画化され2009年に公開された。
    http://youtu.be/0JRwGGndvyk (日本語字幕つき予告編)

    可能世界なるものがデカルトのような推論によって「本質」に回収されるのを嫌ったライプニッツが
    小説(しかもラブストーリー)を念頭においていたというのは面白い。

    ちなみにフーリエは『アストレ』からセラドニーCeladonieという概念を抽出し展開している。この
    造語は精神的ないし感傷的な恋愛情念を意味するらしい。その精神的愛はフーリエの唱える共同体
    では重要度を増すという。

    ロメールの遺作『我が至上の愛 アストレとセラドン』
    予告編
    https://youtu.be/0JRwGGndvyk
    冒頭
    https://youtu.be/vdj-P7m5fII
    The Romance of Astrea And Celadon Scene 7.rmvb
    https://youtu.be/edrJ5t20EzM
    ラストシーン
    https://youtu.be/iQCfj36X07c

    返信削除
  37. http://haniu.a.la9.jp/040828.html
    ゲーデルは1951年第1回アルバート・アインシュタイン賞を受賞した。その受賞式で, フォン・ノイマンが「ゲーデル博士への賛辞」と題して述べたことから抜粋引用する。

    クルト・ゲーデルの現代論理学における業績は, たぐいまれで記念碑的なものです. ・・・・・ 本当にそれは記念碑以上のもので, 空間と時間を遠く離れたところでも目にすることのできる目標物であります. ・・・・・ 論理学の主題はゲーデルの業績によって, はっきりと完全にその性質と可能性を変えました. ・・・・・
    ゲーデルは, ある数学の定理が, 一般に受け入れられている厳密な数学の手段では, 証明もその否定もできないことを示した最初の人であります。いいかえると, 彼は決定不可能な命題の存在を示したのです。彼はさらに, この決定不可能な問題の中にひじょうに重要で特別な命題があることを証明しました. その命題とは, 数学が内部矛盾しているかどうかというものです. この結果には, ある意味で逆説的な"自己否定"という点で注目すべきものがあります. すなわち数学が矛盾をはらんでいないという確信は, "数学的手段"では決して得ることができないのです. 強調しなければならない重要な点は, これが哲学的原理とかもっともらしい知的態度ではなく, 極端に複雑な種類の厳密な数学的証明の結果だということです.
    ・・・・・
    ゲーデルが実際に証明したこの定理は, 数学だけに関係したものではなく, 現代論理学の言葉で形式化しうる, すなわち厳密徹底的な記述をもったすべての体系についてのものなのです. つまりそのようなどんな体系であっても, 内部矛盾していないことを, その体系自身の方法では示すことができないのです.
    ・・・・・(広瀬 健・横田一正 著「ゲーデルの世界」海鳴社 19ページ~)

    返信削除
  38. 41 考える名無しさん[sage] 2018/12/08(土) 23:16:55.50 ID:0
    http://haniu.a.la9.jp/040828.html
    ゲーデルは1951年第1回アルバート・アインシュタイン賞を受賞した。その受賞式で, フォン・ノイマンが
    「ゲーデル博士への賛辞」と題して述べたことから抜粋引用する。

    《クルト・ゲーデルの現代論理学における業績は, たぐいまれで記念碑的なものです. ・・・・・ 本当にそれは
    記念碑以上のもので, 空間と時間を遠く離れたところでも目にすることのできる目標物であります. ・・・・・
    論理学の主題はゲーデルの業績によって, はっきりと完全にその性質と可能性を変えました. ・・・・・
    ゲーデルは, ある数学の定理が, 一般に受け入れられている厳密な数学の手段では, 証明もその否定もでき
    ないことを示した最初の人であります。いいかえると, 彼は決定不可能な命題の存在を示したのです。
    彼はさらに, この決定不可能な問題の中にひじょうに重要で特別な命題があることを証明しました.
    その命題とは, 数学が内部矛盾しているかどうかというものです. この結果には, ある意味で逆説的な
    "自己否定"という点で注目すべきものがあります. すなわち数学が矛盾をはらんでいないという確信は,
    "数学的手段"では決して得ることができないのです. 強調しなければならない重要な点は, これが哲学的
    原理とかもっともらしい知的態度ではなく, 極端に複雑な種類の厳密な数学的証明の結果だということです.
    ・・・・・
    ゲーデルが実際に証明したこの定理は, 数学だけに関係したものではなく, 現代論理学の言葉で形式化しうる,
    すなわち厳密徹底的な記述をもったすべての体系についてのものなのです. つまりそのようなどんな体系で
    あっても, 内部矛盾していないことを, その体系自身の方法では示すことができないのです.》
    ・・・・・(広瀬 健・横田一正 著「ゲーデルの世界」海鳴社 19ページ~)

    返信削除
  39. 63 名無し名人[sage] 2018/12/07(金) 16:53:25.51 ID:L7kuQoeJ
    >>58
    これ。強いソフト作ったーじゃなくて、
    「二人零和有限確定完全情報ゲーム」であればどんなゲームでも
    強いのを作れるだろうと、他のチェスや囲碁と共に示した間接的な証明だよ

    将棋が選ばれて光栄だわ。5年後なら中国象棋になってたかもしれん

    返信削除

  40. https://ameblo.jp/matoinoba/entry-12220012639.html

    そのアインシュタインと友達になったということに一番驚き、そして喜んだのはゲーデルの
    母マリアンヌだったかもしれません。

    アインシュタインと息子との友情を聞いて、思わず感極まったそうです。母とはありがたいものです。

    そして早速マリアンヌはアインシュタインの業績を勉強し始めたそうです。

    それに対してゲーデルはこう優しくアドバイスします。

    「抽象観念を恐れることはない、最初はすべてを理解しようとしないで、小説を読むように進みなさい」
    (ゲーデルの世界 海鳴社 p.14)

    このアドバイスは、きわめて重要だと思います。

    返信削除
  41. *明日はいよいよ寺子屋再始動です!!

    「はじめての数理経済学」です。天才フォン・ノイマンが経済学を眺めたら、、、という設定で経済数学を考えます!!来週追加開催です!!!

    お申込みはこちらから!!

    寺子屋が終わったら一段落で、来月の予定も出せるのではないかと、、、思っています、、、、(・_・;)

    来週はいよいよラージャ・スクール!!!!

    そしてはじめての気功も来週です!!!



    時の人であったアインシュタインとお友達になったことを一番喜んでいたのは、もしかしたら母親だったのかもしれません。

    天才が集まるプリンストン高等研究所で、クルト・ゲーデルは30歳近く年長のアインシュタインと親しい友人になります。

    これはどちらにとっても実りの多いものであったのでしょう。

    アインシュタインが晩年、自分にとって一番楽しかったのはゲーデルとプリンストンで散歩をすることだったと言っているほどです。


    *ゲーデルとアインシュタインの散歩
    *アインシュタインはまた若きハイゼンベルクにアドバイスをして、それが不確定性原理の発見につながります。そこらへんのドラマはこちらの記事「おそらく私はその種の哲学を使ったでしょう。しかし、それでもやはりそれは無意味です」を参照してください!!


    アインシュタインは当時、猛烈な有名人であり偉人です(いまだにそうです)。

    そのアインシュタインと友達になったということに一番驚き、そして喜んだのはゲーデルの母マリアンヌだったかもしれません。

    返信削除
  42. 数学において、ユニタリ変換(ユニタリへんかん)とは、2つのベクトルの内積の値が変換の前後で変わらないような変換である。

    詳細 編集
    より正確には、ユニタリ変換とは2つのヒルベルト空間の間の同型写像である。言い換えれば、ユニタリ変換は、全単射

    U
    :
    H
    1

    H
    2
    {\displaystyle U\colon H_{1}\to H_{2}}
    であって、ここで H1, H2 はヒルベルト空間であり、H1 上のすべての x と y について


    U
    x
    ,
    U
    y

    =

    x
    ,
    y

    \langle Ux,Uy\rangle =\langle x,y\rangle
    が成り立つもののことである。ユニタリ変換は等長写像である。

    H
    1
    H_{1} と
    H
    2
    H_{2} が同じ空間の場合、ユニタリ変換はそのヒルベルト空間の自己同型写像でユニタリ作用素と呼ばれる。

    反ユニタリ変換 編集
    反ユニタリ変換は以下のような複素ヒルベルト空間の間の全単射である。

    U
    :
    H
    1

    H
    2
    .
    {\displaystyle U\colon H_{1}\to H_{2}.}
    ここで
    H
    1
    H_{1} 上のすべての
    x
    x と
    y
    y で


    U
    x
    ,
    U
    y

    =

    x
    ,
    y

    ¯
    =

    y
    ,
    x

    .
    {\displaystyle \langle Ux,Uy\rangle ={\overline {\langle x,y\rangle }}=\langle y,x\rangle .}
    ここで水平バーは複素共役を表す。

    関連項目 編集
    時間反転
    反ユニタリ作用素

    返信削除
  43. 論理学は小学校低学年の国語で教えるべきもの
    集合論は中学あたりの算数数学が適当だろう
    記号論理学は数学にはいるがあくまでも論理学は問題を読み取る以前のカリキュラムだ

    ゲーデルの不完全性定理はユニタリ変換自体を相対化し
    経済学で言えばエルゴード性の前に位置付けられる

    情報理論が四則演算を活用する以前の場所に論理学は位置付けられる

    返信削除
  44. 論理学は小学校低学年の国語で教えるべきもの
    集合論は中学あたりの算数数学が適当だろう
    記号論理学などは数学に入るだろうがあくまでも論理学は問題を読み取る以前のカリキュラムだ

    例えばゲーデルの不完全性定理はユニタリ変換自体を相対化し
    経済学で言えばエルゴード性の前に位置付けられる
    情報理論が四則演算を活用する以前の場所に論理学は位置付けられる

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  45. 論理学は小学校低学年の国語で教えるべきもの
    集合論は中学あたりの算数数学が適当だろう
    記号論理学などは数学に入るだろうがあくまでも論理学は問題を読み取る以前のカリキュラムだ

    例えばゲーデルの不完全性定理はユニタリ変換自体を相対化し
    経済学で言えばエルゴード性の前に位置付けられる
    情報理論が四則演算を活用する以前の基礎に論理学は位置付けられる

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  46. 104 92[] 2019/01/23(水) 06:44:57.53 ID:0
    >>102
    ゲーデルの不完全性定理 1930年クルト・ゲーデルが証明
    ω無矛盾という条件がつく

    チャイティンの不完全性定理
    情報理論の分野で不完全性定理を得た

    ゲーテルの場合は、数学の極めて限定した条件(ω無矛盾)で不完全性定理を証明したが、
    チャイティンの場合は、情報理論という物理現象において(限定的であるが)不完全性定理を証明した

    つまり、数学の限定された理論のみで不完全性定理が有効なのではなく、物理現象においても不完全性定理が有効なことを証明した。

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  47. ゲーデルの不完全性定理と数学ガール
    May 7, 2011
    テーマ★つ・ぶ・や・き★ (321424)

    カテゴリ 自然・環境・健康・水 (79)

    たまたま、本屋に立寄り、漫画コーナーを眺めていると、もしドラと数学ガールが目に入る。

    して、もしドラは、既に会社での標準図書にも指定済みだし、いまさらなので、数学ガールを手に取ってみる。 

    なんじゃこれは。
    「ゲーデルの不完全性定理」がそのお題ではないか。

    なんとも、フェルマーに続いて、ゲーデルとは素晴らしい。

    残念ながら、最新刊?の数学ガールの中では、ゲーデルの解説はごく一部に限られ、自然数に関するペアノ公理+αまでについて述べられているにとどまるのだが、興味は俄然と湧いてくる内容となっている。
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    漫画でなく、オリジナル版には、最終章にゲーデルの不完全性定理が収録されているようだ。
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    ゲーデルは、その不完全性定理によって、ごく簡単にいえば、「世の中に完全な理論はない」ということを証明してしまったようなものだ。

    しかし、ゲーデルのこの不完全性定理自身も、不完全ではないのかという疑問もわいてくる。

    これについては、たとえば、竹内薫氏の解説によれば、
    -
    ゲーデルの不完全性定理は、「理論」についての定理であり、不完全性定理自体は理論ではなく、「論理」証明なので、不完全ではない。
    -
    とのことである。


    理論と論理の違いも含めて、あれあれ、また、なんとなくだまされたかのような感がある。
    このような話をきくと、いつもシュレディンガーの猫実験のお話的な印象を受ける。


    我々は、一般的には、意味論的に正しければ、証明可能と考えている。

    論理学では、証明可能な文が正しい文であれば、完全。
    構文論と意味論とが一致することが、「完全」。

    即ち、意味論的に正しい文==証明可能な文。

    しかし、
    ゲーデルは正しいにも関わらず、証明できない文があることを示してしまった。

    より正確には、ゲーデルの不完全性定理は、算術を含む理論において、「真であるにもかかわらず、証明できない文が存在する」ことを示してしまった。

    -
    第1不完全性定理・・・自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、ω無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する。
    第2不完全性定理・・・ 自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、無矛盾であれば、自身の無矛盾性を証明できない。
    -
    なお、やや不完全であった第一不完全性定理について、1936年に、ジョン・バークリー・ロッサーは、ゲーデルの当初の目的である「無矛盾ならば不完全」であることを示し、今日では、通常これを第1不完全性定理と呼んでいるようだ。


    tyeesコメント
    あれまー、大変だ。ほとんどの数学理論は算術を含んでいる。
    ほとんどの数学理論は証明できない部分が存在するということか。

    「この命題は証明不能である」という命題Gが正しいとすると、その命題Gは正しいのに証明不能となってしまう。もし、その命題Gが正しくない、証明はできると否定すると、命題Gが証明可能となり、矛盾を起こす。真なのに証明できない命題があるということによって、ヒルベルトが目指した数学の完全性は壊れてしまう。


    -memo-
    ゲーデルの不完全性定理(1931)
    ロッサーの第一不完全性定理の拡張(1936)
    チャイティンの数学全般への拡張(1989)。
    これらにより、超数学が発展した?

    -memo-
    ・ニーチェは「神は死んだ」と言った。(1885)
    ・リチャードドーキンスは、The God Delusion、神は妄想であると言っている。
    ・苫米地氏は、ゲーデル1931、チャイティン1989、グリムの定理1991により、神の完全性は否定されたと述べている。


    -memo-
    理論・・・論理によって構築された建物。理論と論理は別のもの。
    これを理解しておく必要があるようだ。

    また、意味論(セマンティクス)と構文論(シンタックス)の違いも理解しておく必要がある。
    論理学で言う「完全」とは、構文論と意味論が一致せねばならない。

    3+2=5を例にとると、

    '3+2=5'
    「3」という記号の右に「+」という記号を描いて、その右に「2」と「=」を書く。これが、構文論。3も+も=も単なる記号である。

    意味論では、記号を具体的なものに置き換えて意味として成立することをいう。
    即ちたとえば、三個と二個のりんごを加えると、合計五個のりんごとなる。これが意味論。

    日本語でいえば、文法は構文論で、読解は意味論的。

    返信削除
  48. 上述したように、チャイティンの定数 Ω の先頭 n ビットは、n-O(1)ビット未満の停止するアルゴリズムで計算できないという意味において、ランダムまたは圧縮不可能である。しかし、あらゆるプログラムを体系的に列挙して実行する、短くて停止しないアルゴリズムがあるとする。このとき、列挙されたプログラムが停止する場合は、その確率を出力(初期値は0)に加算する。ある有限時間が経過すると、出力の先頭 n ビットはそれ以上変化しなくなる(この経過時間自体が停止するプログラムで計算できないことは、ここでは重要ではない)。従って、その出力が有限時間内に Ω の先頭 n ビット(n は任意)に収束するような停止しない短いアルゴリズムが存在する。言い換えれば、Ω の枚挙可能な先頭 n ビットは、非常に短いアルゴリズムで極限計算可能という意味で、圧縮可能である。つまり数え上げアルゴリズムの集合という観点からはランダムではない。Jürgen Schmidhuber(en) (2000) は、極限計算可能な「スーパーオメガ」を構築したが、これはオリジナルの極限計算可能なΩ(オメガ)よりも或る意味で更にランダムである。スーパーオメガは、停止しない如何なる数え上げアルゴリズムを用いてもあまり圧縮できない。

    関連項目 編集
    コルモゴロフ複雑性
    ゲーデルの不完全性定理
    脚注 編集
    ^ Thomas M. Cover and Joy A. Thomas, Elements of Information Theory, 2nd Edition, Wiley-Interscience, 2006.
    参考文献 編集
    Cristian S. Calude (2002). Information and Randomness: An Algorithmic Perspective, second edition. Springer. ISBN 3-5404-3466-6
    Cristian S. Calude, Michael J. Dinneen, and Chi-Kou Shu. Computing a Glimpse of Randomness.
    R. Downey, and D. Hirschfeldt (200?), Algorithmic Randomness and Complexity, monograph in preparation, Springer-Verlag. 準備稿はこちらにある。
    Ming Li and Paul Vitányi (1997). An Introduction to Kolmogorov Complexity and Its Applications. Springer. 概要部分の全文はこちら
    Jürgen Schmidhuber (2000). Algorithmic Theories of Everything (arXiv: quant-ph/ 0011122). Journal reference: J. Schmidhuber (2002). Hierarchies of generalized Kolmogorov complexities and nonenumerable universal measures computable in the limit. International Journal of Foundations of Computer Science 13(4):587-612.
    外部リンク 編集
    Omega and why math has no TOEs グレゴリー・チャイティンの論文に基づいた記事。2004年8月。Mathematics Today(アラン・チューリング没後50周年記念)
    The Limits of Reason, Gregory Chaitin, オリジナルは Scientific American, March 2006.
    Limit-computable Super Omega more random than Omega and generalizations of algorithmic information, by Jürgen Schmidhuber

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  49. 編集
    0と1のあらゆる無限の並びの集合をカントール空間と呼ぶ。停止確率は、カントール空間上の通常の確率測度におけるカントール空間のある部分集合の測度と解釈できる。

    カントール空間上の確率測度(fair-coin 測度とも呼ばれる)は、任意のバイナリ列 x について x で始まるバイナリ列の集合の測度が 2-|x| となるよう定義される。それぞれの自然数 n について、カントール空間内のバイナリ列の集合 f が f(n) = 1 であるとき、その測度は 1/2 であり、n 番目の要素が 0 であるバイナリ列の集合の測度も 1/2 である。

    F を接頭属性のある完備計算可能関数であるとする。F の定義域 P は次のような無限のバイナリ文字列の集合である。

    P
    =
    {
    p
    1
    ,
    p
    2
    ,

    }
    P = \{p_1,p_2,\ldots\}

    個々の文字列 pi は、カントール空間の部分集合 Si に対応する。集合 Si は pi で始まるカントール空間内の全てのバイナリ列を含む。P は接頭属性を持つため、これらの集合は重ならない。総和


    p

    P
    2

    |
    p
    |
    \sum_{p \in P} 2^{-|p|}

    は次の集合の測度を表す。


    i

    N
    S
    i
    \bigcup_{i \in \mathbb{N}} S_i

    かくして、ΩF は、無作為に選択された 0 と 1 から成る無限列が、F の定義域にあるような(有限長の)ビット列から始まる確率を表している。ΩF が停止確率と呼ばれるのはこのことが理由である。

    属性 編集
    チャイティンの定数 Ω は以下のような属性を有する。

    アルゴリズム的無作為性を有する。すなわち、任意の特定のプログラミング言語において定数 C が存在し、その言語で書かれたチャイティンの定数の先頭 n ビットを出力して停止するプログラムは、(n — C) ビットより短くなることはない。
    正規数である。すなわち、歪みの無い硬貨を投げて決めたように各数字が等しい確率で出現する。
    計算可能数ではない。すなわち、バイナリ列として展開した値を計算できる関数は存在しない。
    q ≤ Ω となる有理数 q の集合は帰納的可算集合である。このような属性を持つ実数を再帰理論では 左-c.e.実数 と呼ぶ。
    停止問題とチューリング同値であり、したがって算術的階層の
    Σ
    1
    0
    \Sigma^0_1 に属する。
    停止問題とチューリング同値なあらゆる集合が停止確率というわけではない。より強い同値関係(Solovay equivalence) を用いて、左-c.e.実数の中で停止確率を特徴付けることができる。

    停止確率の計算不可能性 編集
    ある実数が計算可能であるとは、n を入力として与えられたとき、その実数の先頭から n 桁を出力するアルゴリズムが存在する場合である。これは、実数の数字を列挙するプログラムの存在と等価である。

    停止確率は計算可能ではない。この事実の証明は、Ω の先頭 n 桁を与えるアルゴリズムがあるとすれば、そのアルゴリズムを用いれば長さ n までのプログラムの停止問題が解けてしまうことに拠る。停止問題は決定不能であるため、矛盾が生じ、Ω が計算できないことが示される。

    このアルゴリズムは次のように進行する。Ω の先頭 n 桁と k ≤ n が与えられているとして、アルゴリズムは F の定義域を数え上げていき、数え上げた要素群が表す確率が Ω の 2-(k+1) 以内である限り続ける。この時点を過ぎると、最早長さ k であるような如何なるプログラムも定義域に存在し得ない。何故なら、もしそのようなプログラムがあれば、それぞれが測度に 2-k を追加することになってしまい、これは不可能だからである。従って、定義域内の長さ k の文字列の集合は、まさに既に列挙した文字列の集合である。

    停止確率の不完全性定理 編集
    詳細は「コルモゴロフ複雑性#チャイティンの不完全性定理」を参照
    自然数を扱う無矛盾で有効に表現された公理系(例えばペアノ算術など)それぞれにおいて、Ωの値を求める際、Ω の先頭 N ビットを過ぎてしまうと、以降はそれらの体系内でΩの桁が 0 なのか 1 なのか証明できないような定数 N が存在する。定数 N の値は、その形式体系がどのように有効に表現されているかに依存し、従ってその公理体系の複雑さを直接反映しない。この不完全性は、算術のどのような無矛盾な形式的理論も完全でないことを示すゲーデルの不完全性定理に類似している。

    返信削除
  50. チャイティンの定数(チャイティンのていすう、英: Chaitin's constant)は、計算機科学の一分野であるアルゴリズム情報理論の概念で、非形式的に言えば無作為に選択されたプログラムが停止する確率を表した実数である。グレゴリー・チャイティンの研究から生まれた。停止確率(ていしかくりつ、英: Halting probability)とも。

    停止確率は無限に多数存在するが、Ω という文字でそれらをあたかも1つであるかのように表すのが普通である。Ω はプログラムを符号化する方式に依存するので、符号化方式を特定せずに議論する場合は Chaitin's construction と呼ぶことがある。

    個々の停止確率は正規かつ超越的な実数であり、計算不可能である。つまりその各桁を列挙するアルゴリズムは存在しない。

    目次
    背景
    停止確率の定義
    数論の未解決問題への応用
    確率としての解釈
    属性
    停止確率の計算不可能性
    停止確率の不完全性定理
    スーパーオメガ
    関連項目
    脚注
    参考文献
    外部リンク
    背景 編集
    停止確率の定義は「接頭属性のある完備計算可能関数」の存在に依存している。そのような関数は直観的には、どの妥当なプログラムも他の妥当なプログラムの適当な拡張として得られないという属性を持つプログラミング言語で表される。

    2つの引数をとる関数 F があり、それら引数は有限なバイナリ列であり、出力として1つのバイナリ列を返すとする。この関数を計算できるチューリングマシンがあるとき、F は計算可能関数と呼ばれる。

    次のような属性を持つとき、この関数 F は計算完備であると言われる。すなわち、1つの変数 x の全ての計算可能関数 f について、あらゆる x について F(p,x) = f(x) となるような定数 p が存在する場合である。これは、F が1変数のあらゆる計算可能関数をシミュレートするのに使えることを意味する。大まかに言えば、p は計算可能関数 f のプログラムを表し、F はそのプログラムを入力としてそれを実行するエミュレータを表す。任意の定数 p について f(x) = F(p,x) を計算できるため、計算完備性とはあらゆる1変数の計算可能関数をこの形式で表せることを示している。

    F の定義域は、x の少なくとも1つの値について F(p,x) の値が定義されている全てのプログラム p の集合である。言い換えれば、その定義域は空関数以外の関数を符号化した全てのプログラムの集合である。

    関数 F が接頭属性を持つとは、定義域に p と p の適切な拡張である p′ が存在することはないことを意味する。言い換えれば、F の定義域は有限バイナリ文字列の集合上の接頭符号である。任意の完備計算可能関数の定義域は帰納的可算集合だが、帰納的集合ではない。その定義域は停止性問題とチューリング同値 (Turing equivalent) である。

    停止確率の定義 編集
    接頭属性つき完備計算可能関数 F の定義域を PF とする。すると、定数 ΩF は次のように定義される。

    Ω
    F
    =

    p

    P
    F
    2

    |
    p
    |
    \Omega_F = \sum_{p \in P_F} 2^{-|p|}

    ここで、
    |
    p
    |
    \left|p\right| は文字列 p の長さである。これは、F の定義域にある全ての p について一つずつ被加数が存在する級数である。定義域は接頭属性を持つ必要があるため、クラフトの不等式を考慮すると、この総和は0から1の間の実数に収束することが保証される。文脈上 F が明らかであれば ΩF を単に Ω と書いても良いが、接頭属性つき完備計算可能関数が異なれば、そこから導かれるΩの値は異なる。

    数論の未解決問題への応用 編集
    チャイティンの定数は、原理的には、ゴールドバッハ予想やリーマン予想といった数論の未解決問題を解くのに用いることが出来る[1]。ゴールドバッハ予想とは、2より大きい全ての偶数は2つの素数の和で表せる、というものである。ある偶数が与えられたとき、それを2つの素数の和に分解するプログラムを考える。ゴールドバッハ予想が正しければ、このプログラムは偶数を次々に2つの素数に分解していくだろう。素数に分解できない偶数という反例が見つかった場合、プログラムは停止し、ゴールドバッハ予想は間違いだったことが示される。このプログラムの長さを N ビットとする。計算資源と時間に制限がない場合、チャイティンの定数を使ってゴールドバッハ予想を次のように証明できる。同時並行的に、長さが N + 1 ビット以下であるような全てのプログラムを実行する。Nビットであるゴールドバッハプログラムが停止すれば、予想は偽であったと証明される。もしこの逆に、他のプログラムがどんどん停止してあと一つでも停止すればチャイティンの定数を超えてしまう状況となり、その時点でまだゴールドバッハプログラムが停止していないなら、最早ゴールドバッハプログラムは停止し得ないので、ゴールドバッハ予想が正しいことが証明される。この方法を用いる上では、チャイティンの定数の先頭から N + 1 ビットまでの値さえ分かればよい。

    同様に、リーマン予想などの数学上の未解決問題の多くも、チャイティンの定数を使って証明(または反証)できる。

    上の説明は再帰的公理化可能理論の可証性述語がチャイティン定数から相対的に計算可能であるということを示しているに過ぎない。上記の方法で未解決問題の可証性を判定するために必要なビット長は長大であり、チャイティン定数の正確な値を必要なだけ求めることは困難である。仮に必要なだけのビットが求められたとしても、上のアルゴリズムの計算量は膨大である。したがって上記の方法で未解決問題の可証性を判定することが実際的な意味で可能であるというわけではない。

    返信削除
  51. 編集
    詳細は「コルモゴロフ複雑性#チャイティンの不完全性定理」を参照
    自然数を扱う無矛盾で有効に表現された公理系(例えばペアノ算術など)それぞれにおいて、Ωの値を求める際、Ω の先頭 N ビットを過ぎてしまうと、以降はそれらの体系内でΩの桁が 0 なのか 1 なのか証明できないような定数 N が存在する。定数 N の値は、その形式体系がどのように有効に表現されているかに依存し、従ってその公理体系の複雑さを直接反映しない。この不完全性は、算術のどのような無矛盾な形式的理論も完全でないことを示すゲーデルの不完全性定理に類似している。

    スーパーオメガ

    返信削除
  52. コルモゴロフ複雑性(コルモゴロフふくざつせい、英語: Kolmogorov complexity)とは、計算機科学において有限長のデータ列の複雑さを表す指標のひとつで、出力結果がそのデータに一致するプログラムの長さの最小値として定義される。コルモゴロフ複雑度、コルモゴロフ=チャイティン複雑性 (Kolmogorov-Chaitin complexity) とも呼ばれる。


    この画像はフラクタル図形であるマンデルブロ集合の一部である。このJPEGファイルのサイズは17KB以上(約140,000ビット)ある。ところが、これと同じファイルは140,000ビットよりも遥かに小さいコンピュータ・プログラムによって作成することが出来る。従って、このJPEGファイルのコルモゴロフ複雑性は140,000よりも遥かに小さい。



    編集
    殆どの文字列は、より「圧縮された」形では表現できないという意味で複雑である。しかしながら、文字列の長さがある閾値を超える場合、その文字列が複雑であることを形式的に証明することは出来ない、ということが言えてしまう。正確な定式化は以下の通り。まず、自然数を扱う特定の公理系 S を固定する。この公理系は次のことが出来る程度には強いものとする。即ち、S に含まれる式 FA を、文字列の複雑さに関する或る主張 A に関連付けることが出来る。この際、FAが S の公理から証明可能なら、これに対応する主張 A も真になるとする。この「定式化」に際しては、ゲーデル数化のような人工的な符号化を用いてもよいし、適用しようとする S をもっと明快に表現するような定式化を用いても良い。

    定理:次の式(をS の中で定式化したもの)を公理系 S の中で証明できるように文字列 s を取れないような、定数 L(具体的な値は公理系と記述言語にのみ依存する) が存在する。

    K
    (
    s
    )

    L
    .
    K(s) \geq L.
    圧縮不能に近い文字列は大量にあることから、殆ど全ての場合にこの式は真である筈なことに注意されたい。

    この結果の証明はベリーのパラドックスに似た自己言及的な構成を用いる。以下、背理法による。この定理が偽だと仮定すると、次のことが言える。

    主張(X):任意の整数 n について、ある文字列 s が存在し、体系Sの中で式 「K(s)≧n」(がSの中で定式化できると仮定して)を証明できる。
    S内の形式的証明全てを実効的に枚挙する何らかの手段を見つけることができる。

    function NthProof(int n)
    は入力として n を取り、適当な証明を出力する。この関数は全ての証明を枚挙する。その中には我々にとって差し当たり興味のない証明も混ざるだろう(NthProof()が枚挙する証明の中には例えば平方剰余の相互法則の証明、フェルマーの小定理の証明、フェルマーの最終定理の証明など、様々な既知の証明をS内の形式的言語に翻訳したものが現れるだろう)。この中の幾つかは K(s)≧n という形をした複雑性に関する式の証明である(s と n はS内の言語における定数)。さて、次のプログラムが存在する。

    function NthProofProvesComplexityFormula(int n)
    このプログラムは n 番目の証明が式 K(s)≧L を証明しているどうかを判定する。文字列 s と整数 L はそれぞれ以下のプログラムで計算可能である:

    function StringNthProof(int n)
    function ComplexityLowerBoundNthProof(int n)
    ここで次のようなプログラムを考えよう。

    function GenerateProvablyComplexString(int n)
    for i = 1 to 無限大:
    if NthProofProvesComplexityFormula(i) and ComplexityLowerBoundNthProof(i) >= n
    return StringNthProof(i)
    quit
    任意の n について、このプログラムは形式体系S内のありとあらゆる証明を調べ上げて、K(s)≧L(但しL ≧ n )を満たす文字列と証明を探し出そうとする。主張(X)によりこのプログラムは必ず停止する。このプログラムの長さを U としよう。 このとき、ある整数 n0 があって、U + log2(n0) + C < n0 を満たす。ここで C は、次のプログラムがGenerateProvablyComplexString()を呼び出す前後の固定的な長さである。

    function GenerateProvablyParadoxicalString()
    return GenerateProvablyComplexString(n0)
    quit
    プログラム GenerateProvablyParadoxicalString() は文字列 s を出力するが、このとき L が存在して K(s)≧L(但し L ≧ n0)を満たし、S内でこれを形式的に証明できる。特に K(s)≧n0 は真である。ところが、s は長さが U+log2(n0)+C であるプログラムでも生成できるので、その複雑性は n0 よりも小さい。これは矛盾である。よって主張(X)は成り立たないことが証明された。

    同様のアイディアはチャイティンの定数の性質を証明する際にも使われている。

    返信削除
  53. 105 考える名無しさん[sage] 2019/01/23(水) 23:04:08.73 ID:0
    >>104
    物理現象と物理現象の記述との区別が付かないで哲学を論じようとするとはどうしようもない人間だね。
    チャイティンの本、例えば彼の情報理論について最も基本的な彼自身によるテキストであるAlgorithmic Information Theoryすら正しく理解できていないみたいだな。


    105は結構痛いところをついている
    ただし比喩のレベルを軽視すべきではない
    インド論理学は三段論法に必ず比喩が入って五段論法になるらしい

    根本的には論理学を小学校の国語の授業で教えていないからこうした誤解が生じる
    論理学を数学、算数だと考えると新しい記号の読み方で終わってしまうことになる
    問題文の読解のレベルにまず論理学はある
    これが理解されていない
    素数を使うからゲーデルの定理は算数というより数学と言われるかもしれないが
    背理法は国語だ

    ゲーデルが素数を使うにしても情報理論とはレベルが違う
    ゲーデルの使用法は意味を理解する根本に関わる
    テクノロジーとは関係ない

    返信削除

  54. 105 考える名無しさん[sage] 2019/01/23(水) 23:04:08.73 ID:0
    >>104
    物理現象と物理現象の記述との区別が付かないで哲学を論じようとするとはどうしようもない人間だね。
    チャイティンの本、例えば彼の情報理論について最も基本的な彼自身によるテキストであるAlgorithmic Information Theoryすら正しく理解できていないみたいだな。


    105は結構痛いところをついている
    ただし比喩のレベルを軽視すべきではない
    インド論理学は三段論法に必ず比喩が入って五段論法になるらしい

    根本的には論理学を小学校の国語の授業で教えていないからこうした誤解が生じる
    論理学を数学、算数だと考えると新しい記号の読み方で終わってしまうことになる
    問題文の読解のレベルにまず論理学はある
    これが理解されていない
    素数を使うからゲーデルの定理は算数というより数学と言われるかもしれないが
    背理法はあくまで国語だ

    ゲーデルが素数を使うにしても情報理論とはレベルが違う
    ゲーデルの使用法は意味を理解する根本に関わる
    テクノロジーとは関係ない

    返信削除
  55. http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/handle/11094/4517
    http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/4517/1/hs17-167.pdf


    私の課題はラッセルの論理学を内部から攻撃することではなく,外部から攻撃することである。

    即ち,ラッセルの論理学を数学的に攻撃するのではなく,もし数学的にであれば私は数学を営むことになる
    ラッセル論理学の位置,職務を攻撃することである。

    私の課題は,例えばゲーデルの証明について論じるのではな く,その証明の傍を通りすがりに論じることである。

    (『数学の基礎第W部19節)

    一言でいえば,数 学者ゲーデルよりも哲学者ゲーデルをウィトゲンシュタインは批判したのである。

    返信削除
  56. http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/handle/11094/4517
    https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/4517/hs17-167.pdf

    《私の課題はラッセルの論理学を内部から攻撃することではなく,外部から攻撃することである。
    即ち,ラッセルの論理学を数学的に攻撃するのではなく,~もし数学的にであれば私は数学を営むことになる~
    ラッセル論理学の位置,職務を攻撃することである。
    私の課題は,例えばゲーデルの証明について論じるのではな く,その証明の傍を通りすがりに論じることである。》
    (『数学の基礎』第VII部19節)

    一言でいえば,数学者ゲーデルよりも哲学者ゲーデルをウィトゲンシュタインは批判したのである。

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  57. http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/handle/11094/4517
    https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/4517/hs17-167.pdf
    奥論考

    《私の課題はラッセルの論理学を内部から攻撃することではなく,外部から攻撃することである。
    即ち,ラッセルの論理学を数学的に攻撃するのではなく,~もし数学的にであれば私は数学を営むことになる~
    ラッセル論理学の位置,職務を攻撃することである。
    私の課題は,例えばゲーデルの証明について論じるのではな く,その証明の傍を通りすがりに論じることである。》
    (『数学の基礎』第VII部19節)

    一言でいえば,数学者ゲーデルよりも哲学者ゲーデルをウィトゲンシュタインは批判したのである。

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  58. 論理学は出口某が言うように小学校の国語でまず教えるべきだ
    そうでないと後に神秘化しやすい

    例えば出口は以下の教材を小学一年生に用意する

    (もんだい)つぎの えは  「にくを くわえた 犬」の はなしを
          えに したものです。はなしの じゅんばんに ならべて
         「あ」「い」「う」「え」の きごうを あとの ( )に
          かきましょう。
    http://2.bp.blogspot.com/-Ejfb7oX6BWU/VHxR-aqxEsI/AAAAAAAAn1U/9SaTZJqnj4E/s1600/ronri3.jpg
    出口汪(でぐち ひろし)「論理エンジン 一年生」(水王舎2007)より


    こたえ( い→ え→ う→  あ)

    不完全性定理は>>19で指摘されるように素数を使うから算数の素養は必要だがそれでも
    >>84 の3つの作業の順番を守らないと意味がないから上の小学生用の問題と同じだ


    84 a[sage] 2018/12/27(木) 02:15:37.08 ID:0
    1定理の目印に素数を使う
    2対角線論法で数え尽くす
    3背理法で証明する

    この理解であってますか?

    19 考える名無しさん[] 2018/11/23(金) 23:39:56.38 ID:0
    >>18の続き


     ここで用いられた論法が一種の対角線論法であることに十分注意を払ってもらいたい。一変数の命題
    をすべて一列に並べ、f1(y) ,f2(y) ,・・・とし f1(1) , f1(2) ,・・・f n(n),・・・を考察するというの
    はまさしく対角線論法そのものである。カントールによって集合の階層構造を引き出すために考案され
    た一線論法は,集合論内のパラドックスと絡まりあいながら、ゲーデルによる決定不能命題の発見とい
    う20世紀数最高の結果の一つを生み出すにいたったのである。

    (以上、『はじめての現代数学』瀬山士郎著、講談社現代新書p161-163より。早川文庫より復刊)

    瀬山氏は対角線論法の後に不完全性定理のもうひとつの肝であるゲーデル数(ゲーデルによる素因数分
    解を使ったコード化)について説明している。

    本題は、(瀬山氏も触れいてないのだが)このゲーデル数のアイデアがライプニッツの結合法論そのも
    のであるということだ。

    これはあまり言及されないが、もっと知られていい。

    「われわれはその事物によって他の事物を表示するために素数を使用するのである。」

    (『普遍的記号法の原理』Elementa Characteristicae universalis ,1679「計算の原理」1679、邦訳ライ
    プニッツ著作集1、64-5頁より)

    返信削除
  59. 数学の基礎におけるウィトゲンシュタインの対角線論法批判は、
    それが計算されたものではなく計算方法を示しているだけで
    全体を見渡せないというものだ
    ゲーデル数は後期の転回によって立場が近いから

    不完全性定理への疑義は対角線論法を認めるか否かにかかる
    再帰的でないという批判も素数部分ではなく対角線論法の部分にかかってくる

    個人的には対角線論法でも充分見渡していると思う。むしろ見渡している最高の例だと思うが。

    返信削除
  60. ライプニッツ
    カントール
    ユークリッド

    返信削除
  61. 定理の目印に素数を使うアイデアはライプニッツから
    対角線論法はカントールから
    背理法は一説には最初の使用者とされるユークリッドから

    ゲーデルは学んだ
    つまり

    ライプニッツ×カントール×ユークリッド=ゲーデル不完全性定理


    この中で対角線論法についてはヴィトが文句を言っている

    返信削除
  62. ライプニッツに関してはゲーデルがライプニッツ研究に入れ込み過ぎだとエルデシュから文句を言われている

    返信削除
  63. http://pho.hatenablog.com/entry/20110804/p1
    「互いにライプニッツをよく勉強していたので、わしはかれによくこう言ったものだ。『きみが数学者になったのはみんながきみを学ぶためであって、きみがライプニッツを学ぶためではない』」

    これはエルデシュがゲーデルに言った言葉。大切なのは何か新しいものをアウトプットすることであり、インプットに終始していてはいけないんだな。

    返信削除
  64. 定理の目印に素数を使うアイデアはライプニッツから
    対角線論法はカントールから
    背理法は一説には最初の使用者とされるユークリッドからゲーデルは学んだ
    つまり
    ライプニッツ×カントール×ユークリッド=ゲーデル不完全性定理

    この中で対角線論法についてはヴィトが文句を言っている

    数学の基礎におけるウィトゲンシュタインの対角線論法批判は、
    それが計算されたものではなく計算方法を示しているだけで
    全体を見渡せないというものだ
    ゲーデル数は自体は後期の転回によって立場が近いから
    不完全性定理への疑義は対角線論法を認めるか否かにかかる
    再帰的でないという批判も素数部分ではなく対角線論法の部分にかかってくる

    個人的には対角線論法でも充分見渡していると思う。むしろ見渡している最高の例だと思うが。

    ライプニッツに関してはゲーデルがライプニッツ研究に入れ込み過ぎだとエルデシュから文句を言われている

    http://pho.hatenablog.com/entry/20110804/p1
    『きみ(ゲーデル)が数学者になったのはみんながきみを学ぶためであって、きみがライプニッツを学ぶためではない』





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  65. 定理の目印に素数を使うアイデアはライプニッツから
    対角線論法はカントールから
    背理法は一説には最初の使用者とされるユークリッドからゲーデルは学んだ
    つまり
    ライプニッツ×カントール×ユークリッド=ゲーデル不完全性定理

    この中で対角線論法についてはウィトが文句を言っている

    数学の基礎におけるウィトゲンシュタインの対角線論法批判は、
    それが計算されたものではなく計算方法を示しているだけで
    全体を見渡せないというものだ
    ゲーデル数は自体はウィトの後期の転回によって立場が近いから
    不完全性定理への疑義は対角線論法を認めるか否かにかかる
    再帰的でないという批判も素数部分ではなく対角線論法の部分にかかってくる
    個人的には対角線論法でも充分見渡していると思う。むしろ見渡している最高の例だと思うが。

    ライプニッツに関してはゲーデルがライプニッツ研究に入れ込み過ぎだとエルデシュから文句を言われている

    http://pho.hatenablog.com/entry/20110804/p1
    『きみ(ゲーデル)が数学者になったのはみんながきみを学ぶためであって、きみがライプニッツを学ぶためではない』



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  66. 定理の目印に素数を使うアイデアはライプニッツから
    対角線論法はカントールから
    背理法は(人名をあげるとすれば最初の使用者とされる)ユークリッドからゲーデルは学んだ
    つまり
    ライプニッツ×カントール×ユークリッド=ゲーデル不完全性定理

    この中で対角線論法についてはウィトが文句を言っている

    数学の基礎におけるウィトゲンシュタインの対角線論法批判は、
    それが計算されたものではなく計算方法を示しているだけで
    全体を見渡せないというものだ
    ゲーデル数は自体はウィトの後期の転回によって立場が近いから
    不完全性定理への疑義は対角線論法を認めるか否かにかかる
    再帰的でないという批判も素数部分ではなく対角線論法の部分にかかってくる
    個人的には対角線論法でも充分見渡していると思う。むしろ見渡している最高の例だと思うが。

    ライプニッツに関してはゲーデルがライプニッツ研究に入れ込み過ぎだとエルデシュから文句を言われている

    http://pho.hatenablog.com/entry/20110804/p1
    『きみ(ゲーデル)が数学者になったのはみんながきみを学ぶためであって、きみがライプニッツを学ぶためではない』

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  67. 定理の目印に素数を使うアイデアはライプニッツから
    対角線論法はカントールから
    背理法は(人名をあげるとすれば最初の使用者とされる)ユークリッドからゲーデルは学んだ
    つまり
    ライプニッツ×カントール×ユークリッド=ゲーデル不完全性定理

    この中で対角線論法についてはウィトが文句を言っている

    数学の基礎におけるウィトゲンシュタインの対角線論法批判は、
    それが計算されたものではなく計算方法を示しているだけで
    全体を見渡せないというものだ
    ゲーデル数は自体はウィトの後期の転回によって立場が近いから
    不完全性定理への疑義は対角線論法を認めるか否かにかかる
    「その証明の傍を通りすがりに論じる」というのは対角線論法に対する態度に対応する
    再帰的でないという批判も素数部分ではなくやはり対角線論法の部分にかかってくる
    個人的には対角線論法でも充分見渡していると思う。むしろ見渡している最高の例だと思うが。

    ライプニッツに関してはゲーデルがライプニッツ研究に入れ込み過ぎだとエルデシュから文句を言われている

    http://pho.hatenablog.com/entry/20110804/p1
    『きみ(ゲーデル)が数学者になったのはみんながきみを学ぶためであって、きみがライプニッツを学ぶためではない』

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  68. 定理の目印に素数を使うアイデアはライプニッツから
    対角線論法はカントールから
    背理法は(人名をあげるとすれば最初の使用者とされる)ユークリッドからゲーデルは学んだ
    つまり
    ライプニッツ×カントール×ユークリッド=ゲーデル不完全性定理
    といいことになる

    この中で対角線論法についてはウィトが文句を言っている

    数学の基礎におけるウィトゲンシュタインの対角線論法批判は、
    それが計算されたものではなく計算方法を示しているだけで
    全体を見渡せないというものだ
    ゲーデル数は自体はウィトの後期の転回によって立場が近いから
    不完全性定理への疑義は対角線論法を認めるか否かにかかる
    「その証明の傍を通りすがりに論じる」というのは対角線論法に対する態度に対応する
    再帰的でないという批判も素数部分ではなくやはり対角線論法の部分にかかってくる
    個人的には対角線論法でも充分見渡していると思う。むしろ見渡している最高の例だと思うが。

    ライプニッツに関してはゲーデルがライプニッツ研究に入れ込み過ぎだとエルデシュから文句を言われている

    http://pho.hatenablog.com/entry/20110804/p1
    『きみ(ゲーデル)が数学者になったのはみんながきみを学ぶためであって、きみがライプニッツを学ぶためではない』

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  69. 定理の目印に素数を使うアイデアはライプニッツから
    対角線論法はカントールから
    背理法は(人名をあえて一人挙げるとすれば最初の使用者とされる)ユークリッドからゲーデルは学んだ
    つまり
    ライプニッツ×カントール×ユークリッド=ゲーデル不完全性定理
    ということになる

    この中で対角線論法についてはウィトが文句を言っている

    数学の基礎におけるウィトゲンシュタインの対角線論法批判は、
    それが計算されたものではなく計算方法を示しているだけで
    全体を見渡せないというものだ
    ゲーデル数は自体はウィトの後期の転回によって立場が近いから
    不完全性定理への疑義は対角線論法を認めるか否かにかかる
    「その証明の傍を通りすがりに論じる」というのは対角線論法に対する態度に対応する
    再帰的でないという批判も素数部分ではなくやはり対角線論法の部分にかかってくる
    個人的には対角線論法でも充分見渡していると思う。むしろ見渡している最高の例だと思うが。

    ライプニッツに関してはゲーデルがライプニッツ研究に入れ込み過ぎだとエルデシュから文句を言われている

    http://pho.hatenablog.com/entry/20110804/p1
    『きみ(ゲーデル)が数学者になったのはみんながきみを学ぶためであって、きみがライプニッツを学ぶためではない』

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  70. カントールの対角線論法をいじろう記事をクリップするクリップ追加
    書庫日記
    カテゴリその他自然科学
    2015/8/29(土) 午後 9:59
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    https://blogs.yahoo.co.jp/midnightsunsagain/33694293.html?__ysp=5a%2B%2B6KeS57ea6KuW5rOVIOODm%2BODhuODqw%3D%3D
    集合論に多大なる進歩をもたらし、不完全性定理の拠り所ともなっている対角線論法をいじってみよう。

    その前にまず、無限ホテルの話を紹介しておく必要がある。無限ホテルとは、部屋数が無限にあるホテルだ。今、部屋が満室だとする。しかし、1号室の客は2号室に、2号室の客は3号室にという風に、一つずつ部屋を移動してもらうと、必ず1号室が空き、どんなに客が来ても必ず泊まることができる、という話である。これは自然数が無限であり、必ず次の数が存在するという性質から可能な議論であり帰結である。

    さて、本題の対角線論法だが、次のようなものである。

    0以上1未満の実数を考える。仮に、この実数が自然数と1対1対応がつくとすれば、次のような無限可算の表が出来上がる。

    1: 0.1414213562…
    2: 0.6328239125…
    3: 0.3141592653…


    対角線論法ではこの表に実数のすべてが記載されているとし(背理法使用のための仮定)、もしそうなら実数の濃度は自然数のそれと等しくアレフ0となる。

    ところが、上の表はまだ不十分で記載漏れがある。それは、1番目の実数の小数第一位、2番目の実数の小数第二位、n番目の実数の小数第n位、、にそれぞれ1を足す。すると、

    0.245…

    という実数が出来上がり、この数字の小数第n位は、上の表のすべての実数についてn番目の少数第n位が異なっている。だから表には無い数字であり、実数は自然数では数えられないので、その濃度は自然数よりも大きいと主張するものである。

    ではここからそんな対角線論法をいじっていく。いじると言っても簡単にあっという間に終わってしまうのだが、無限ホテルの話を思い出して欲しい。満室のホテルに追加客が来ても泊めることが出来たということは、実はまだ満室ではなかったのである。

    同様に、実数の表においても、新たな実数0.254…が出てきたら、1番目の実数は2番目に、2番目の実数は3番目に、順にずれてもらえば新たに表に加えることができるのだ。


    対角線論法では背理法を用いて、実数をすべて記載したのだが記載漏れがあったから仮定は間違いで、、、としている。私がいじっているのは、こうだ。カントールさん、記載漏れじゃなくて記載途中だったんでしょう。だから実数を全部記載し終えたと私が納得するまで条件を整えてから背理法を使いなさいよ。それまであたしゃ認めませんよ。カントールさん、どうするぅ?

    あなたはこのイジリの破壊力にお気づきだろうか。

    カントールが考えた表に無い実数を作り出す無限の操作を認めるならば、ひとつずつ場所をずれてもらう無限の操作も認めなければならない。なぜならば、この二つの操作は完全に対応している同じものだからだ。第n番目の第n桁に1を加える操作が可能なら、第"n"番目の"n"に1を加える操作も可能であり、これこそ場所をずれてもらう操作を意味するからだ。

    言い換えると、表に無い実数を作ると同時にその実数のための場所が表に確保されていき、いくらやっても表に無い実数を作り出すことができないのだ。

    つまり、実数に記載漏れがあると主張する対角線論法は、じつは実数数え挙げの途中でしかなく、1対1対応を仮定してしまっているからいくつでも実数に自然数を割り当てることができ、記載漏れがあることをきちんと説明していないのだ。だから仮定に起因する矛盾は導かれず、実数の方が自然数よりも多いというにはまだ証拠不十分なのである。その結果、自然数の濃度と実数の濃度が異なることも対角線論法からは説明出来なくなる。

    以上の指摘と説明は重要である。カントールはここに葬り去られた。

    まあ普通に考えても、無限集合の対応関係に背理が成り立つかどうも分からないのに連続体仮説の濃度について、いきなり背理法を使いまーすというほうがムリだろう。

    無限ホテルの例えは別名ヒルベルトのホテルとも呼ばれる。かつて、"カントールの楽園"とカントールを絶賛したヒルベルトだが、その楽園からカントールを追放する皮肉。

    それはともかく、えらいこっちゃ。大発見をしてもうた。誰かがこのブログを読んであたかも自分が発見したかのように学会で発表したらどうしよう。今の時代、すぐに盗作はばれると思うが心配だ。ええい、いっそのこと本でもだそうかしら。この手の本は文芸社がいい。そして題名はどっかで聞いたウケるやつにする。

    『対角線論法から不完全性定理への誤りについて』

    で、セールスコピーは

    『数学界に衝撃! 連続体仮説崩壊の危機! あるいはラッセルのパラドクスを越える破廉恥なスキャンダルなのか!不完全性定理を真っ向否定。対角線論法は間違っていた!? 多くの不完全性定理に関する本を買い漁ってきた著者は出版社に対しかんかんに怒っている。金返せつって』

    なんつって。

    ーーーーーーーーーーーーーーー

    後日、とある片田舎の図書館で、何気無く手に取った本に、私のようにアルゴリズムは提示していないものの、同じ主張が既に書いてあった。市川さんというお医者さんが趣味で研究した内容を出版したものである。パレードという聞いたことのない出版社で恐らく自費だと思うが、カントールの対角線論法という本だ。例によって数学ガールのような会話形式がウザイのでとても読む気になれないのが残念である。

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  71. https://math-fun.net/20180731/996/
    ヒルベルトの無限ホテル

    ヒルベルトの無限ホテルとは、無限に部屋があるホテルのことです。廊下をどれだけ歩いても、新しい部屋が登場し続けます。このようなホテルが満室のとき、新しいお客さんは入れるでしょうか?

    無限はわかりにくいので、有限ホテルと対比させてみます。
    有限ホテルが満室のとき、入室しているお客さんをどんなに動かしても、新しいお客さんは入れません(同室させるのはナシ)。ホテルがどんなに大きかろうが、満室であれば新しいお客さんは泊まれません。これは当たり前ですね(笑)。
    満室の無限ホテルはどうでしょうか。1,2,3,…と部屋に番号が振られていて、どの部屋を見てもお客さんが入っています。ここに新しいお客さんが来たときでも、このホテルには泊まることができてしまうのです。


    1号室のお客さんには2号室に、2号室のお客さんには3号室に……といったように、n号室の人にはn+1号室に移ってもらえば良いのです。無限に部屋があるのですから、後ろがつっかえてしまうことがありません(有限ホテルだと、ここが無理)。
    そうすると、1号室が空いていますね。ここに新しいお客さんが入れるわけです。
    満室なのに泊まれてしまう。これをヒルベルトの無限ホテルのパラドックスといいます。パラドックスといっても、数学的な意味での矛盾ではなく、一見して奇妙が起こっているように見えるという話ですね。
    参考:ヒルベルトの無限ホテルのパラドックス – Wikipedia

    新しいお客さんが一人ではなく、複数人でも、あるいはいくらでも多くても(無限)泊まれます。n号室の人に2n号室に移ってもらえば、n人分の空室ができますよね。
    またホテルを考えたのは本質的ではなく、例えば車のパーキング(無限パーキング)を考えても同じ議論ができますね。いろいろ考えてみてください。

    返信削除
  72. ヒルベルトの無限ホテルのパラドックス(ヒルベルトのむげんホテルのパラドックス、Hilbert’s paradox of the Grand Hotel)とは、集合論で無限集合を認めると、有限集合の場合と全く違った奇妙な事態が起こることを示すパラドックスで、ダフィット・ヒルベルトによって示された。論理的・数学的には正しいが、直観に反するという意味でのパラドックスである。

    簡単のため、以下の記述においては、無限とは可算無限を意味するものとする。しかし、選択公理を仮定すれば、任意の無限集合は可算無限集合を部分集合に持つため、一般の無限の場合には少し議論を修正するだけでよい。

    パラドックスの内容
    編集
    客室が無限にあるホテルを考える。現実にある客室が有限のホテルの場合には、「満室である」ということと「もう1人も泊められない」ということは同値である。しかし「無限ホテル」ではそうはならない。無限ホテルが「満室である」としよう。この場合でも次のようにして新たな客を泊めることができる。客室数は無限とはいえ 1, 2, 3, … と番号を付けられる。客が1人来たら、1号室にいた客を2号室へ、2号室の客を3号室へ、3号室の客を4号室へ、…、n 号室の客を n + 1 号室へ、…と順番に移す。客室は無限にあるのだから誰もあぶれることはない。新たな客は1号室に泊めればよい。新たな客は1人どころか、複数でも、(可算)無限でもよい。例えば、1号室の客を2号室へ、2号室の客を4号室へ、3号室の客を6号室へ、…、n 号室の客を 2n 号室へ、…と移せば、1号室、3号室、5号室、…つまり奇数号室は空室になるから、無限の客を新たに泊めることができる。

    さらに次のようなこともできる。それぞれに無限の乗客が乗った無限台の車がホテルに乗りつけたとする。この場合、まず奇数号室を上のようにして空け、1台目の乗客を 3n(n = 1, 2, 3, …)号室に、2台目の乗客を 5n(n = 1, 2, 3, …)号室に、…というふうに入れる。i 台目の乗客は pn(ここで p は i + 1 番目の素数)に入れればよい。

    現実にある(2室以上ある)有限ホテルでは、当然奇数号室の数は全室数より少ないが、無限ホテルではそうではない。数学的には、全室からなる集合の基数(有限集合における要素の個数に当たる)は、その真部分集合である奇数号室すべての集合の基数と等しい。これは無限集合の特徴である。この可算無限集合の基数は

    0
    \aleph _{0}(アレフ・ゼロ、アレフ・ヌル)と表される。

    関連項目
    編集
    集合論
    無限
    可算集合
    濃度 (数学)

    返信削除

  73. https://mathtrain.jp/cantor

    B={a∣a∉f(a)}
    という集合を用いた上記のような証明手法を対角線論法と言います。上の証明を以下のように言い換えると「対角線論法」と呼ばれることが納得できるでしょう。

    証明(言い換え)
    対角線論法のイメージ
    全単射 f
    が存在すると仮定する。

    各行、各列がそれぞれ A
    の要素に対応した(無限のサイズの)行列を考える。行が a
    ,列が a′
    に対応する部分には a′∈f(a)
    なら 1
    を格納し,そうでないなら 0
    を格納する。

    対角成分の 0
    と 1
    とを反転させたものを並べたベクトル B→
    に対応する集合を B
    とする。すると,B→
    は行列のどの行とも一致しないので,いかなる a∈A
    に対しても f(a)≠B
    である。

    一方,背理法の仮定より,f
    は A
    から 2A
    への全単射なので f(b)=B
    となる b∈A
    が存在しなくてはならない。

    これは矛盾である。よって,背理法により全単射が存在しないことが証明された。

    返信削除

  74. https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB%
    E3%81%AE%E4%B8%8D%E5%AE%8C%E5%85%A8%E6%80%A7%E5%AE%9A%E7%90%86

    第1不完全性定理
    自然数論を含む帰納的公理化可能な理論が、ω無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する。
    第2不完全性定理
    自然数論を含む帰納的公理化可能な理論が、無矛盾であれば、自身の無矛盾性を証明できない[4]。

    返信削除

  75. ゲーデルの不完全性定理はライプニッツの普遍計画が関係している。
    ゲーデルは各命題を数値化する際に素数を使ったが素数を使うアイデアはライプニッツが先駆なのだ。

    《われわれはその事物によって他の事物を表示するために素数を使用するのである。》
    (『普遍的記号法の原理』Elementa Characteristicae universalis ,1679「計算の原理」1679、邦訳ライプニッツ著作集1、64~5頁より)

    ゲーデル不完全性定理に関しては『はじめての現代数学』(瀬山士郎著、講談社現代
    新書p161-163。早川文庫より復刊)が簡潔に説明しておりお勧めだが、残念ながら
    ライプニッツについては言及していない。

    ちなみにゲーデルは後年ライプニッツ研究に没頭して数学者エルデシュに怒られた。
    (「君が学者になったのは皆が君の研究をするためであって、君がライプニッツの
    研究をするためではない」)
    素数のアイデアをゲーデルがライプニッツから受け継いだことを知らないと無理もない。

    返信削除
  76. 改訂版


    https://twitter.com/tiikituukahana/status/1642008415525572611?s=61&t=bOoKbZcjid3acLGnWqEfCQ


    ¬は否定だから最後につけ加えればよいから、∃ xP(x,n,n)について考えてみよう。これは、「ゲーデル数がnである一変数y を含む命題(すなわちfn(y) )の変数 y に数nを代入した命題の形式証明のゲーデル数となる x が存在する」という内容を持ち、したがって¬∃xP(x,n,n)はこれの否定、すなわち繰り返しをいとわずに書けば「ゲーデル数がnである一変数 y を含む命題の変数yに数nを代入した命題の形式証明のゲーデル数となる x が存在しない」となる。
     ところが、ゲーデル数nを持つ一変数 yを含む命題とは fn(y)のことであり、fn(y)とはすなわち¬∃xP(x,y,y)であった。すなわち上の文章を簡単に書けば,「¬∃xP(x,n,n)の形式証明は存在しない」ということで「¬∃xP(x,n,n)は証明できない」ということになる。ところが、この「カッコ」内の命題こそ¬∃ xP(x,n,n)に他ならない!
     ついにわれわれは「この命題は証明できない」のきちんとした数学的表現を入手することに成功したのである。




     ところが、ゲーデル数nを持つ一変数 yを
    含む命題とは fn(y)のことであり、
    fn(y)とはすなわち¬∃xP(x,y,y)であった。
    すなわち上の文章を簡単に書けば、
    「¬∃xP(x,n,n)の形式証明は存在しない」
    ということで
    「¬∃xP(x,n,n)は証明できない」
    ということになる。ところが、この「」内の
    命題こそ¬∃ xP(x,n,n)に他ならない!

     ついにわれわれは
    「この命題は証明できない」
    のきちんとした数学的表現を入手することに
    成功したのである。




     ここで用いられた論法が一種の対角線論法
    であることに十分注意を払ってもらいたい。
    一変数の命題をすべて一列に並べ、f1(y) ,
    f2(y) ,・・・とし f1(1) , f1(2) ,・・・
    f n(n),・・・を考察するというのはまさしく
    対角線論法そのものである。カントールによ
    って集合の階層構造を引き出すために考案さ
    れた対角線論法は,集合論内のパラドックス
    と絡まりあいながら、ゲーデルによる決定不
    能命題の発見という20世紀数学の最高の
    結果の一つを生み出すにいたったのである。

    (以上、『はじめての現代数学』瀬山士郎著、
    早川文庫より)

    瀬山氏は対角線論法の後に不完全性定理のも
    うひとつの肝であるゲーデル数(ゲーデルに
    よる素因数分解を使ったコード化)について
    説明している。

     本題は、(瀬山氏も触れていないのだが)
    このゲーデル数のアイデアがライプニッツの
    結合法論そのものであるということだ。

    これはあまり言及されないが、もっと知られ
    ていい。

    「われわれはその事物によって他の事物を表
    示するために素数を使用するのである。」

    (『普遍的記号法の原理』、
    Elementa Characteristicae universalis ,1679、
    邦訳ライプニッツ著作集1より)

    ゲーデルは生前、ライプニッツ研究ばかりして
    いる時期があって友人のエルデシュに怒られた
    こともあるようだが(「君が学者になったのは
    皆が君の研究をするためであって、君がライプ
    ニッツの研究をするためではない」)、ゲーデ
    ルの功績は先人の研究を受け継いだものでもあ
    ったのだ。

    カントール(対角線論法[背理法を含む])
        ×
    ライプニッツ(結合法論)
        ll
    ゲーデル(不完全性定理)

    ということになるだろうか。

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