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水曜日, 12月 19, 2012

中国文明の謎(NHK):メモ

NHKスペシャル:中国文明の謎   (→『四庫全書』の色区分リンク::::::

  (康有為『大同書』:メモ http://nam-students.blogspot.jp/2014/03/blog-post_14.html

    中国文明の謎 第一集 中華の源流 幻の王朝を追う
    四千年以上にわたってほぼ同じ地域で同じ文明を維持してきた中国文明の謎を探るシリーズ。第一集では「中華(=夏)」という言葉の源流となった幻の王朝・夏の実像を探る。   


    中国文明の謎 第二集 漢字誕生 王朝交代の秘密
   第二集のテーマは漢字。最初の漢字は異形の文字だったが、王朝交代と共に劇的に姿を変える。その理由とは?  

    中国文明の謎 第三集 始皇帝 “中華”帝国への野望
    第三集は、色鮮やかな兵馬俑(よう)などから始皇帝の戦略に迫る。乱世を統一するため始皇帝が生み出した「中華」は、皇帝が宇宙を支配するという壮大な世界観だった。

http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012044293SA000/?#
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/1202/index.html

初回放送
2012年12月2日(日) 午後9時00分~9時49分

再放送
2012年12月20日(木)午前0時25分~1時14分(19日深夜)

 ________


 1夏の秘密は五穀と儀礼で周辺諸国とつながったこと
 2殷の秘密は青銅武器と神と会話する甲骨文字
    周の秘密は殷から流出した漢字を諸国との契約に使ったこと
3秦は子孫を「夏子」として増やした

     黒
    白黄青
     赤

    兵馬俑に塗られた五色は各土地の色

メモ:

    殷 夏
    周

    秦は殷の位置へ逆回り
    ただし中華思想を北極星とのアナロジーを伴い完成させた?

周の封建制度、諸子百家を生んだ戦国は、アソシエーション、国家に抗する社会=ネーションということで、秦までは反時計回りで一周している、と考えることもできる。
周をネーションに置くのが普通だろうが。

以下は第一集より



以下は第二集より





以下は康熙字典より。
以下は第三集より


 兵馬俑の五色も全地域を象徴する意味がある。

 孫文、毛沢東も中華思想を利用した、という。


参考:
『四庫全書』の色区分  
 http://nam-students.blogspot.jp/2010/10/blog-post.html

    東京国立博物館 - 1089ブログ
    http://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/category/39/


ピラミッドはオリオン
始皇帝の極廟は北極星

中國文明之謎01:中華的起源 B

二里頭遺跡 - Wikipedia

ja.wikipedia.org/wiki/二里頭遺跡

二里頭遺跡(にりとういせき、二里头遗址、拼音: èrlǐtóu yízhǐ)は、中華人民共和国河南 省偃師市の二里頭村で発見された新石器時代末期から青銅器時代にかけての都市・ 宮殿遺跡である。1988年に全国重点文物保護単位に指定された。 1959年に発見され て以来発掘や研究が進められている。1960年には規模の大きな宮殿の基壇が発見 されており、中国初期王朝時代に属する最古の宮殿建築とされている。二里頭遺跡は 紀元前1800年から紀元前1500年頃の遺跡と見られ、中国の史書の夏の時期に相当 するため、 ...

二里頭文化 - Wikipedia

ja.wikipedia.org/wiki/二里頭文化

二里頭文化(にりとうぶんか、二里头文化、拼音: èrlǐtóu wénhuà, Erlitou culture, 紀元前2100年頃-紀元前1800年頃または紀元前1500年頃)は、中国の黄河中流から 下流を中心に栄えた新石器時代から青銅器時代初期にかけての文化であり、都市や 宮殿を築いた。殷初期と考えられる二里岡文化に先行する。 目次. [非表示]. 1 概要; 2 二里頭遺跡. 2.1 時期区分; 2.2 出土資料. 3 夏・殷朝との関連; 4 発掘研究史; 5 ギャラリー; 6 脚注; 7 関連項目; 8 参考文献; 9 外部リンク. 概要[ソースを編集]. 河南省 偃師市の二里頭 ...




70 件のコメント:

  1. NHKスペシャル 中国文明の謎 第三集 始皇帝 “中華”帝国への野望

    特選ライブラリー

    第三集は、色鮮やかな兵馬俑(よう)などから始皇帝の戦略に迫る。乱世を統一するため始皇帝が生み出した「中華」は、皇帝が宇宙を支配するという壮大な世界観だった。

    2012年放送(本編: 49分)

    http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012044293SA000/?#

    http://nam-students.blogspot.jp/2010/10/blog-post.html

    ______________

    NHKスペシャル 中国文明の謎 第一集 中華の源流 幻の王朝を追う

    四千年以上にわたってほぼ同じ地域で同じ文明を維持してきた中国文明の謎を探るシリーズ。第一集では「中華(=夏)」という言葉の源流となった幻の王朝・夏の実像を探る。 2012年放送(本編: 49分)

    http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012044291SA000/

    NHKスペシャル 中国文明の謎 第二集 漢字誕生 王朝交代の秘密

    なぜ同じ文明を継承してきたのか。中国文明の謎を探るシリーズ。第二集のテーマは漢字。最初の漢字は異形の文字だったが、王朝交代と共に劇的に姿を変える。その理由とは? 2012年放送(本編: 49分)

    http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012044292SA000/

    NHKスペシャル 中国文明の謎 第三集 始皇帝 “中華”帝国への野望

    第三集は、色鮮やかな兵馬俑(よう)などから始皇帝の戦略に迫る。乱世を統一するため始皇帝が生み出した「中華」は、皇帝が宇宙を支配するという壮大な世界観だった。2012年放送(本編: 49分)

    http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012044293SA000/?#

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  2. NHKスペシャル 中国文明の謎 第三集 始皇帝 “中華”帝国への野望

    第三集は、色鮮やかな兵馬俑(よう)などから始皇帝の戦略に迫る。乱世を統一するため始皇帝が生み出した「中華」は、皇帝が宇宙を支配するという壮大な世界観だった。2012年放送(本編: 49分)

    http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012044293SA000/?#

    http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/1202/index.html

    世界の古代「四大文明」の中でも、唯一つ中国文明だけは、数千年にわたってほぼ同じ地域で同じ文明を維持してきた。その理由を文明誕生の歴史に探るシリーズ。第3集は、始皇帝が生み出し、その後現在の中華人民共和国にまで継承された「中華」という世界観に迫る。
    紀元前770年頃に始まる春秋戦国時代は、群雄が割拠した激しい戦乱の時代だった。その戦乱を終わらせ、初めての統一王朝を築いたのが「秦」の始皇帝である。最近の研究で、「秦」が力を伸張させた理由は、軍事力や経済力だけにあるのではないことがわかってきた。「秦」は、様々な民族を支配するにあたって「夏」王朝の権威を巧みに利用していたのである。始皇帝の統一はどのようにして成し遂げられたのか?そして、そのとき「中華(中夏)」という世界観はどのような役割を果たしたのか?近年発掘された鮮やかな色彩の兵馬俑、秦の起源を物語る遺跡など、最新の考古学の成果を通して、始皇帝の統一帝国の秘密に迫っていく。


    初回放送

    2012年12月2日(日)
    午後9時00分~9時49分

    再放送

    2012年12月20日(木)午前0時25分~1時14分(19日深夜)

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  3. 周の封建制度、諸子百家を生んだ戦国は
    アソシエーション、国家に抗する社会=ネーションということで
    秦までは反時計回りで一周している
    周をネーションに置くのが普通だが

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  4. http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20121016/p1
    ■[中国史]Nスペ「中国文明の謎」第1集感想

    http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20121111/p1

    ■[中国史]Nスペ「中国文明の謎」第2集感想

    http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20121203/p1

    ■[中国史]Nスペ「中国文明の謎」第3集感想

    ▼彩色兵馬俑が黒・白・黄・青・赤の五色を使っていたという話。五行説ですね。しかし2006-2007年の彩色兵馬俑展の図録P23-24をみると、 「陶俑の表面に残存する主な彩色顔料は、紅(朱砂、鉛丹)緑(石緑:孔雀石で作った緑色の顔料)、藍(石青:藍銅鉱で作った藍色の顔料)、紫(紫色の銅バ リウムケイ酸)、黄(バナジウム鉛鉱)、黒(カーボンブラック)、白(燐灰石、鉛白)など多くは天然鉱物を材料とするものである」と書かれていて、五行説 に当てはまらない緑や紫の顔料も使われていたらしいのですがね。

    ▼秦の宮殿群の配置が北極星を中心とした星座の配置を模しているという説については、

    http://www.geocities.jp/wtbdh192/html/fusig01.htm

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  5. CからBへの退行は世界史の構造430頁に指摘されている

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  6. 貨幣の統一は漢の自由主義政策を待たねばならない

    世界史の構造138頁(482頁)の指摘
    : 貨幣の中国古代史 (朝日選書): 山田 勝芳: 本

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  7. http://dokochina.com/sim2tra.htm
    簡体字と繁体字の一覧表

    http://www.chinese-lab.com/search/cc.php
    簡体字変換サイト

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  8. 秦の軍事改革、首を取ればピラミッド状に出世、は商鞅の手柄らしい



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    番組タイトル:古代中国 よみがえる英雄伝説▽始皇帝と乱世の名臣たち~春秋戦国 天下統一への道~ ステレオ

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    チャンネル:BSプレミアム
    放送日時: 2013年1月4日(金)
    午後9:00~午後10:30(90分)
    ジャンル: ドキュメンタリー/教養 > 歴史・紀行
    ドキュメンタリー/教養 > カルチャー・伝統文化
    ドキュメンタリー/教養 > 文学・文芸
    番組HP: -

    番組内容
    中国史を彩る英雄たちの実像を新発見の遺跡や出土文物から探る。秦の始皇帝の統一はなぜ成し遂げられたのか。極彩色兵馬俑が明らかにする意外な真相や詩人屈原の悲劇とは?

    詳細
    中国史を彩る英雄たちは、どのような生涯をおくったのか。「史記」などの文献に描かれた伝説の物語を、その舞台となった新発見の遺跡や文物などの映像でたどり、ロマンあふれる歴史の真実を浮かびあがらせる。強大な権力とカリスマ性で戦乱の中国を統一したといわれる秦の始皇帝。統一はなぜ成し遂げられたのか。秦の誕生の地で進む発掘や兵馬俑が明らかにする意外な真相とは? 秦のライバルだった詩人屈原など名臣の悲劇とは?

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  9. http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012045635SC000/

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  10. 【中国】魯迅や梅蘭芳、文化人たちも愛した、閑静で心落ちつく棲み家…先人の生活の知恵が詰まった古きよき伝統住宅、北京の「四合院」
    1 :生徒もろきみ!φ ★:2013/02/23(土) 15:09:28.47 ID:???
     2013年2月20日、中国北部の伝統的な住宅様式と言えば、北京の四合院(しごういん)が代表として挙げられる。元代(1271~
    1368年)に建てられはじめたが、現存する四合院の大多数は清代(1644~1911年)から1930年代にかけて造られたもの。
    その多くが、入り組んだ細い路地・胡同(フートン)に面しており、昔ながらの風景をしのばせる。

     四合院の「四」の字は、東西南北の四面を表している。「合」は取り囲むという意味で、四合院は敷地の四面に家屋を配した、
    あるいは四面が壁に囲まれた家屋のこと。外に通じているのはひとつの門だけで、一般に敷地外から見通せる窓はない。
    四合院の住民はあまり隣人と往来がなく、中央の箱庭を囲んだそれぞれの家屋で一家族が過ごし、外界とのもめごともない。
    四合院は歴史の奔流、そして揺れ動く社会のなかで北京の人々が生み出した、閑静で心落ちつく棲み家なのだ。

     四合院に入ると、まずきれいな「影壁(えいへき)」が目に入る。それは目隠しと魔除けの役割があるという。「影壁」の脇から
    庭の中に入ったところにあるのが、中心の「内院」である。それは、北房・東房・西房からなっており、その中心には中庭がある。
    煉瓦と木材で建てられた家屋の梁や窓などには、装飾として彩色画が描かれており、色とりどりで華やか。通常、中国の
    伝統的な家庭観によって、一家の主人が北、子女が西、孫たちが東の部屋に住む。各棟がそれぞれ独立しているが、互いの
    行き来も便利になっている。四合院に住むことで、風雨と日差しから身を守り、中庭に木や花を植えたり、金魚鉢を置いたり、
    ブドウ棚を作ったりする“中国式ガーデニング”は、四季折々のさまざまな風物を楽しむことができる。

     時代は進んで、今日の北京は大きく変貌し、伝統的な四合院はますます少なくなった。市政府は昔ながらの北京の風情と
    伝統的生活のムードを残そうと、一部の四合院を文化財として保護している。北京観光をする時、独特の情緒に富んだこれらの
    四合院は見逃せない。有名なのは、魯迅故居、梅蘭芳故居、老舎故居。いずれも中国の文豪と京劇の名役者が住んだ邸宅で、
    いずれも特色がある四合院である。

     また、近年の北京ではこの四合院をリノベーションしたホテルがますます注目されてきた。歴史の残る古民家を改装し、
    現代的なホテルに負けない設備やサービスも整える。古き良き北京の生活を体験してみたがる観光客には、お勧めである。

    ソース(Yahoo・Record China) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130223-00000013-rcdc-cn
    写真=20日、中国北部の伝統的な住宅様式と言えば、北京の四合院が代表として挙げられる。四合院の多くが入り組んだ
    細い路地に面しており、昔ながらの風景をしのばせる。今回は、古きよき北京の伝統住宅「四合院」をご紹介する。
    http://amd.c.yimg.jp/amd/20130223-00000013-rcdc-000-0-view.jpg

    (参考)北京の四合院
    http://japanese.cri.cn/541/2008/03/19/1@114271.htm
    http://japanese.cri.cn/mmsource/images/2007/09/17/xin_232070303082579621521770.jpg
    http://japanese.cri.cn/mmsource/images/2007/09/17/500_bwaT534p.jpg
    http://japanese.cri.cn/mmsource/images/2007/09/17/2007449380.jpg
    http://japanese.cri.cn/mmsource/images/2007/09/17/200652216381411076.jpg
    http://japanese.cri.cn/mmsource/images/2007/09/17/W020070319491615088376.jpg
    http://japanese.cri.cn/mmsource/images/2007/09/17/69-2.jpg

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  11. 米国が日中戦争に参戦しない4つの理由 | 兵頭に訊こう
    http://m-hyodo.com/usa/#more-368
    国連憲章第53条第2項でいうところの「第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国」とは、日本とドイツのことである。

    国連憲章の「敵国条項」は、日本とドイツが、戦後において他国の侵略を行うなど、国際秩序を乱す行為を行ったときは、国連憲章第53条の規定にもかかわらず、その該当国の政府は独自の判断にしたがって、安全保障理事会にはかることなく、軍事的制裁を行うことができるということを規定している。

    もし、中国がこの敵国条項を使うと宣言して日本に対して軍事行動に出た場合、米国は動けなくなるのだ。

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  12. 24 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/05/07(火) 14:13:30.54 ID:4pi8ZAw5
    581 : 世界@名無史さん : 04/08/07 22:26
    どうでもいいけど、宮崎市定は中国史家のなかで唯一、
    中国の大国主義を批判した人物。「中国を叱る」という
    すげータイトルのエッセイがある。内容は清の康熙帝が
    清とベトナムの国境にある金山を中国側のものにしようとした
    臣下を怒鳴りつけ、「大国は小国の利を奪うことはしないものだ」
    と言い切った事実を明らかにしたあと、中国大陸政府の南沙諸島
    問題(だったと思うが尖閣かもしれない)に対する態度を批判したもの。

    未だ問題になっていないことがらをとりあげ、世間に知らせるのは聖人
    だというが、このエッセイの発表年代はなんと1980年代。
    今になって慌てて尖閣問題で騒ぎまわるようになった漏れたちの、
    遥か先を宮崎老は歩んでおられたわけだ。

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  13. [899]5/16(木)22:13 ID:P↓
    中国が米国に代わって覇権国家になるのは確かだ
    ただ共産党が腐敗しすぎているし
    軍部を掌握出来ていない
    一時的な混乱が予想される
    共産主義の看板は下ろさないだろうから
    アナキズム(異端的共産主義)の再評価が必要だ

    返信削除
  14. 海保船への中国漁船衝突事件を忘れるな!

    反日暴動(共産党が仕込み)を忘れるな!

    新幹線技術の無断特許申請を忘れるな!

    自衛艦へのレーダー照射を忘れるな!

    フリー チベット!

    フリー ウイグル!

    中国は、絶対に許さない!

    95 :名無しさん@13周年:2013/06/02(日) 21:02:59.86 ID:qzIvUdbn0
    ◇中国による戦後の周辺諸国への侵略と占領等

     1949年 東トルキスタン侵略、占領(ウイグル大虐殺)、民族浄化継続中(テロで抵抗)
     1950年 大躍進、文化大革命3000万人大虐殺
     1950年 朝鮮戦争参戦
     1951年 チベット侵略、占領(チベット大虐殺)、民族浄化継続中
     1959年 インド侵略(中印戦争)アクサイチン地方を占領
     1969年 珍宝島領有権問題でソ連と武力衝突
     1973年 中国軍艦が佐渡島に接近、ミサイル試射
     1974年 ベトナム、パラセル諸島(西沙諸島)を軍事侵略、占領
     1976年 カンボジア、クメール・ルージュによる大虐殺を強力支援
     1979年 ベトナム侵略(中越戦争)、中国が懲罰戦争と表明
     1988年 スプラトリー諸島(南沙諸島)を軍事侵略、占領
     1989年 天安門事件
     1992年 南沙諸島と西沙諸島の全てが中国領土と宣言
     1995年 フィリピンのミスチーフ環礁を軍事侵略、占領
     1996年 台湾総統選挙恫喝、台湾沖にミサイル攻撃
     1997年 フィリピンのスカーボロ環礁の領有を宣言
     1997年 日本の尖閣諸島の領有を宣言
     2000年 中国の軍艦が日本列島を一周
     2005年 反分裂国家法を制定し台湾に対して武力行使を明言
     2005年 台湾問題に介入するなら核攻撃を行うとアメリカを恫喝
     2005年 沖縄は歴史的に中国のものと主張
     2007年 チベット暴動制圧
     2008年 韓国の離於島の領有を宣言
     2008年 日本の尖閣諸島領域の管轄を強化する。実行支配が重要と表明

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  15. 254 :名無しさん@恐縮です:2013/06/10(月) 15:19:31.16 ID:ccR96u8p0
    「早春図」「谿山行旅図」「富春山居図」という現存中国絵画三大傑作が全て台湾側にあるしな

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  16. 「中国5000年の歴史」は嘘だった!? 【憲政史学者・倉山満氏×経済評論家・上念司氏】
    週刊SPA! 6月11日(火)17時51分配信

    「中国5000年の歴史」……。確かに、古代文明から連綿と続いていたり、三国志などの有名な古典の存在、
    さらにはエンタテインメントの世界でも謎の気を操るカンフーが登場したりと「悠久の歴史」的イメージで語られることが多い中国。

     しかし、『嘘だらけの日中近現代史』(扶桑社刊)の著者であり、憲政史学者の倉山満氏によると、
    その「5000年の歴史」というイメージがまやかしだったという。

     週刊SPA!6/11発売号では、経済評論家の上念司氏とともに倉山氏が日中史のタブーについて激論!
    その一端を紹介しよう。

    ――今回、「嘘だらけの日中近現代史」を書くことになったきっかけは何だったのでしょうか?

    倉山:中国は尖閣問題やいわゆる南京事件など、歴史を最大の武器として利用してきました。
    それに対して日本は70年間やられっ放し。その敗因は、日本人が正しい日中関係史というものを知らないという点にある。
    「国を憂う」などと立派なものではありませんが、歴史学者にも責任があると思うんです。
    この本を、すべての日本人、そしてマイケル・グリーン(日本に対し対アジア政策において穏健な立場を取るよう
    提言している米政治学者)に日本語で歴史書を読んでもらいたいという思いで書きました(笑)。

    上念:我々は「中国5000年の歴史」という言葉に騙されているわけですが、
    本当のところは70年くらいだったということがこの本を読んでよく分かりましたよ。どれだけサバ読んでいるのかと。

    倉山:中国の歴史サイクルはたったの8つ。

    1:新王朝の設立⇒2:功臣の粛清⇒3:対外侵略戦争⇒4:漢字の一斉改変と改鼠歴史書の作成
    ⇒5:宦官、閨閥など皇室側近への跳梁⇒6:秘密結社の乱立と農民反乱の全国化
    ⇒7:地方軍閥の中央侵入⇒8:1から繰り返しです。
    (つづく)
    http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130611-00454180-sspa-soci

    2 :わいせつ部隊所属φ ★:2013/06/11(火) 18:03:32.80 ID:???0
     夏王朝から明の時代まであらゆる民族が入り乱れて独裁、腐敗、革命を数千年繰り返しているだけです。
    「中国人」や「漢民族」が一貫して「中国」を5000年間支配したなどという歴史はありません。
    そして中国エリートは実はヨーロッパのような近代国家に憧れていましたが、マネできたのは帝国主義だけ。
    清や明の時代から、各国に移民を送り込んで力と陰謀で世界を乗っ取ろうとしてきたけど、
    現代の高級官僚が家族を海外に散らしてリスクヘッジしているのもそれと変わらない。

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  17. 上海国際映画祭、オープニングは何平監督の『麦田』に決定:エクスプロア ...
    第12回目となる今年は、オープニング作品に何平監督の『麦田』が上映されることが 決定した。 この『麦田』は、紀元前260年の中国戦国時代に趙と秦が激突した長平の 戦いを舞台にしたもので、今年最も注目を集めている映画の一つ。範氷氷(ファン・ ビンビン)、 ...
    www2.explore.ne.jp>...>What's New in 上海
    華流】ファン・ビンビン、『麦田 - サーチナニュース
    麦田』は戦国時代10年に及んだと言われている「長平の戦」を舞台に、ごく普通の兵士 が恐怖から錯乱、逃亡するという異色の戦争映画。準備期間に6年の歳月を費やした というフー・ピンは「戦争映画というと、常に君主や将軍に焦点が当て ...
    news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0616&f...
    HD Trailer: Wheat 麦田,高清海外版预告片- YouTube

    HD Trailer: Wheat 麦田,高清海外版预告片. bee7278zrr·285 videos ...
    再生時間:2:38

    長平の戦い - Wikipedia
    背景-対峙-趙軍の大敗北-戦後
    長平の戦い(ちょうへいのたたかい、中国語:長平之戰、Chángpíng zhī zhàn)は、中国 戦国時代の紀元前260年に秦と趙が長平(現山西省高平市の近く)で激突した戦い。秦 の勝利に終わり、戦後に秦の白起将軍により趙兵の捕虜40万が生き埋めにされて ...
    ja.wikipedia.org/wiki/長平の戦い
    長平の戦い後の白起による趙兵40万生き埋めって正しい判断ですか ...

    返信削除
  18. 【中国】農民レッドリボン軍が地方政府に“宣戦布告”、自家製大砲を手に建設現場を襲撃-広州(画像あり)[07/16]
    1 :帰って来た仕事コナカッタ元声優 φ ★:2013/07/16(火) 00:12:38.15 ID:???
    ■農民、地方政府に“宣戦布告”す

    2013年7月5日、広西チワン族自治区桂林市興安県高尚鎮済中村委五馬村で、“戦争”が起きた。
    農民たちは刀、銃、爆薬、さらに自家製大砲を武器に、政府が建設を進める風力発電所を襲撃。
    作業員らを蹴散らし、ショベルカー3台を爆破したという。9日付中国ジャスミン革命、RFAが伝えた。

    問題となったのは風力発電所の建設だ。五馬村の里山で10億元(約165億円)を投じた
    風力発電所の建設が進められているが、地方政府は村民に一銭たりとも補償金を支払おうとはしなかった。
    それどころか陳情を繰り返す村民に対し、マフィアを差し向け暴行を振るう始末。

    ついに村民たちは「中国共産党の成立から数十年。こんな風に刀や銃を持って抗議したことはなかったんですがね……」
    と言いつつ、立ち上がった。

    http://livedoor.blogimg.jp/kinbricksnow/imgs/3/3/33e00532-s.png
    *7月4日、五馬村にはりだされていた「宣戦公告」。

    ■レッドリボン軍

    事件そのものもなかなかのインパクトなのだが、それ以上に農民たちの装備が決まっているのである。

    http://livedoor.blogimg.jp/kinbricksnow/imgs/d/1/d17a9667-s.jpg
    *赤いリボンで仲間を見分ける。黄巾賊ならぬレッドリボン軍といったところか。
    http://livedoor.blogimg.jp/kinbricksnow/imgs/d/6/d6c16956-s.jpg
    *戦闘準備完了。つーか、こんなかっこいい刀をどこに隠していたんですか……。
    http://livedoor.blogimg.jp/kinbricksnow/imgs/9/8/985ab629-s.jpg
    *進軍を続ける農民軍。

    ■これが自家製大砲だ!

    装備といえば、なにより気になるのが大砲(原文は土炮)だ。行軍している写真を見る限り、
    大砲らしきものは見受けられない。が、おそらくこれが大砲ではないかと推測がついたのでご紹介したい。

    http://livedoor.blogimg.jp/kinbricksnow/imgs/2/0/2063748b-s.jpg
    左上の写真でおっさんが背負っている筒、おそらくこれが土炮ではないか。
    映画「もののけ姫」に出てくる石火矢そっくりである。

    五馬村の戦いでは発射シーンの写真は公開されていないが、
    2010年に湖北省武漢市で土炮で地方政府の土地収用部隊と戦っていた農民の写真がある(長江日報)。
    http://livedoor.blogimg.jp/kinbricksnow/imgs/b/5/b5133241-s.jpg
    http://livedoor.blogimg.jp/kinbricksnow/imgs/2/e/2e96898b.jpg

    この農民は映画「アバター」にヒントを得て、自宅脇にやぐらを組み、押し寄せる敵勢に土炮を発射。
    たった1人で100人の寄せ手を撃退したという。

    http://kinbricksnow.com/archives/51864569.html#more






    黄巾の乱(こうきんのらん、中国語: 黃巾之亂)は、中国後漢末期の184年(中平1年)に 太平道の教祖張角が起こした
    農民反乱。目印として黄巾と呼ばれる黄色い頭巾を頭に 巻いた事から、この名称がついた。


    紅巾の乱(こうきんのらん, 1351年 - 1366年)は、中国元末期の1351年(至正11年)に 起こった宗教的農民反乱。白蓮
    教を紐帯とし、目印として紅い布を付けた事からこの名 がある。反乱軍は紅巾賊または白蓮教徒が弥勒に焼香をする
    ため香軍と呼ばれる。

    返信削除
  19. 64 :名無しさん@13周年:2013/07/23(火) 11:09:01.44 ID:tl9u4YZY0
    江沢民の父親は漢奸

    それを隠すために,叔父さんの養子になって,必要以上の反日を行った。
    その結果が今の日中の不仲

    つまり,江沢民を吊すべき

    返信削除
  20. Amazon.co.jp: 自滅する中国: エドワード・ルトワック, 奥山 真司: 本
    http://www.amazon.co.jp/dp/4829505907/

    89 人中、88人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
    5つ星のうち 4.0 中国が対外的に行き詰まる理由 2013/8/7
    By Sun Tzu
    アメリカの戦略家による、中国はなぜ対外政策面で今後行き詰まるのかを、大雑把ながらも鋭く分析した異色の書。

    著者はその行き詰まる理由として、中国が巨大国家であるがゆえの「内向き」な思考を持っており、しかも古代からの漢民族の「戦略の知恵」を優れたものであると勘違いしており、それを漢民族の「同一文化内」ではなく、「他文化」に過剰に使用することによって信頼を失っていると指摘している。

    さらに追い打ちとして、中国(漢民族)は実は戦略が下手だという意外な指摘を行なっており、その理由として著者は「過去千年間に漢民族が中国を支配できていたのはそのうちの3分の1である」と言っている。そしてこの戦略の下手さが、現在の台頭にも随所に見られるというのだ。

    後半では日本を始めとする東アジアの周辺国の、過去五年間ほどの対中的な動きについて大まかに理解できる構成になっており、著者が驚くほど「嫌韓派」であることがわかるのは意外で面白いところだが、私が最も気になったのは、おそらく誰もが読み過ごしてしまうであろう22章の、アメリカの三つの対中戦略についての話だ。

    キッシンジャーがなぜここまで親中派なのか、その理由があからさまに書いてある。

    文章はやや固くて多少読みにくいと感じたが、それでも原著者の原文の読みにくさを考えれば、これは十分読みやすいほうの部類に入るのではないか。

    少々分厚いから★は4つにしておくが、内容の面白さは★5つ。

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  21. Amazon.co.jp: 世界を変えたいなら一度"武器"を捨ててしまおう: 奥山真司: 本
    http://www.amazon.co.jp/dp/4894515180/ref=sr_1_3?s=books
    最も参考になったカスタマーレビュー
    29 人中、26人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
    5つ星のうち 5.0 戦略的「哲学のすすめ」 2012/8/12
    By リアリズムを学ぶ
    本書でいう、捨てるべき「武器」とは何か?

    それは、ピラミッド型の「戦略の階層」で最低レベルに位置づけられる「技術」である。

    「戦略の階層」とは、個人が人生をコントロールするために必要な「戦略」を階層化し、そのレベルを軍事戦略をモデルに表現した概念であり、具体的には、頂点である「世界観」レベルの下に、「政策」>「大戦略」>「軍事戦略」>「作戦」>「戦術」>「技術」のレベルが位置づけられたものである。

    著者によれば、国家指導者を含む日本人の多くは、例えば「もの作り日本」というスローガンのように、最低レベルの「技術」レベルの「武器」に固執しているため、最高レベルの「世界観」を自己の人生の中心に据えて、徹底した個人主義とリアリズムに基づき、他人との生存競争に臨んでいる欧米人に有効に対抗することができないのだという。

    そして、このような「竹槍でB29と戦おうとしている」現状を打破し、環境を変化させ、日本人がその人生を成功に導いていくためには、一旦は、ハードウェアとしての「武器」を捨て、抽象度の高いソフトウェアとしての「世界観」を確立し、その頂に立って、具体的な人生戦略を再構築すべきであるとしている。

    つまり、本書の趣旨は、”人生においては、各個人が「技術」レベルの貧弱な武器ではなく、「世界観」レベルの強力な武器を手にして戦え”ということにあり、単に「武器を捨てる」ことではない。

    また、その方法論としては、強力な「世界観」を確立するためには、平社員であっても経営者のように考えること、つまり、物事を最高レベルからコントロールするイメージを持つことが必要であり、「世界観」の実現に当たっては、具体的な目標を定めて行動する「順次戦略」及び成功を導くための基礎訓練を習慣化した「累積戦略」の両方が必要であるという。

    以上のとおり、本書の本質は「哲学のすすめ」にあり、数多の自己啓発本のような「戦術」「技術」レベルのテクニックを説いたものでも、目新しい「武器」を紹介するものでもない。

    教育制度における小学校英語必修化に象徴されるように、国家規模で繰り返される日本人の「技術」レベルへの固執という必敗の戦略思考を必勝の戦略思考へと転換するために、私は、この「逆転の発想(最低レベルからのボトムアップ→最高レベルからのトップダウン)」を他の多くの読者の方々にも学んで実践していただきたいと、願う。

    追記 本書を読んで、Mac OSの壁紙がデフォルトで「銀河系」に設定されていることの意味と、アップルが世界一の企業であることの必然性を理解することが出来た上、世界トップレベルの思考レベルの高さに慄然とした(ソニーVAIOの壁紙は何か?)。

    返信削除
  22. 28 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/11/08(金) 01:22:30.37 ID:2wh4I0W1
    中国の歴史
    1:新王朝の設立
    2:功臣の粛清
    3:対外侵略戦争
    4:漢字の一斉改変と改鼠歴史書の作成
    5:宦官、閨閥など皇室側近への跳梁
    6:秘密結社の乱立と農民反乱の全国化 ←いまココ★
    7:地方軍閥の中央侵入←もうすぐココ
    8:1から繰り返し

    返信削除
  23. https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20130216-10-11036

    番組タイトル:発見!北のシルクロード「雲岡(うんこう)石窟・美の全貌」

    チャンネル:BSプレミアム
    放送日時: 2013年2月16日(土)
    午後1:30~午後3:00(90分)
    ジャンル: ドキュメンタリー/教養 > 歴史・紀行
    情報/ワイドショー > 暮らし・住まい
    趣味/教育 > 音楽・美術・工芸
    番組HP: -

    世界遺産で中国有数の仏教遺跡・雲岡石窟の全貌を徹底的に紹介する決定版。極彩色のインドの神々から、シルクロード伝来の女神、そして巨大な石仏までミラクルワールドが。

    世界遺産で、中国有数の仏教遺跡・雲岡石窟の全貌を徹底的に紹介する。極彩色のインドの神々から、シルクロード伝来の女神、巨大な石仏まで。1500年前の人々の祈りの空間が、タイムカプセルのように残されている。懐かしさを感じさせる微笑の仏。万里の長城の近く、辺境の地に巨大仏教遺跡を作った北の騎馬民族の正体とは? 石窟づくりに身をささげた王女の物語とは?【出演】いとうせいこう、夢枕獏、小沢真珠、六田知弘

    鮮卑族
    北魏

    仏教による調和、統一

    返信削除
  24.  中国建国の父、毛沢東の生誕から、26日で120年となる。共産党を率いて国造りを指導した一方、文化大革命などで
    社会、経済を大混乱に陥れ、功罪が混在する毛。だが、支持、反発を問わず、中国社会の底流には、毛時代の行動様式や
    思考が根強く残存しているようだ。習近平(シージンピン)総書記は毛の「DNA」を、政権の求心力向上に利用している。

     「共産党は許せない。だが、毛主席は別だ」

     中国西北部の新疆ウイグル自治区カシュガル地区で住民と警官計16人が死亡した衝突事件から2日後の17日。区都
    ウルムチでは、銃を手にした警官が各所で目を光らせていた。喫茶店の向かいの席に座った少数民族ウイグル族の男性
    (46)は、革ジャンの内ポケットから小さな丸いバッジをそっと取り出した。

     「人民に奉仕せよ」の標語をあしらった、赤地に金色の毛沢東の肖像を描いた「毛沢東バッジ」だ。

     男性は、自治区内で毛沢東思想を学習するウイグル族グループの有力メンバー。だが、口をついて出てくるのは、同胞を
    抑圧する共産党政権への不満だ。「我々は党から差別され、敵視されている。中国からの独立を主張するのは当然だ」

     10月末、ウイグル族の男女3人が北京・天安門前に車で突入、炎上した事件は、党の少数民族政策に不満を抱き、党の
    象徴である巨大な毛の肖像画を標的にしたとみられている。毛はウイグル族居住区を中国に併合した指導者でもある。

     だが、男性の胸中には、党への敵意と、毛沢東への崇拝の念が同居していた。

    (2013年12月25日12時34分 読売新聞)
    http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20131225-OYT1T00310.htm?from=main9
    (つづきます)

    2 :名無しさん@13周年:2013/12/25(水) 13:37:34.98 ID:3SA4bQU50
    陰毛が混入していました。

    3 :名無しさん@13周年:2013/12/25(水) 13:37:39.77 ID:1DsURk2TO
    は、ハゲちゃうわ!

    4 :名無しさん@13周年:2013/12/25(水) 13:38:19.26 ID:K20vnheBP
    はげてない
    はげてない
    はげてない

    5 :名無しさん@13周年:2013/12/25(水) 13:38:51.99 ID:C5qOhjkC0
    この無能のせいで何百万人も餓死したのに懲りない民族だな。

    6 :ハマグリのガソリン焼きφ ★:2013/12/25(水) 13:38:58.04 ID:???0
    (>>1のつづき)
     男性は小学校から大学まで無料で進学し、毛が進めた少数民族優遇政策の享受者の一人。毛の過去の「罪」に触れた歴史
    教育を受けていないことも一因だ。

     しかし、2009年7月、ウルムチで起きたウイグル族大暴動で、同胞が次々と警官に射殺される光景を目の当たりにし
    た。ウイグル族への就職差別も進むなか、党への信頼はみるみるうちに、薄らいでいった。

     そんな時、知人の薦めで手にした毛の著作で、毛がかつて「大漢民族主義を採ってはならない」と語っていたことを知り、
    救われた。誰もが平等だったという毛時代の再現を目指し、漢族とも連携して「新共産党」を作ろうとしている。

     一部とはいえ、毛崇拝は少数民族にも浸透している。河南省の毛研究者は、この現象について、「毛沢東はすでに中国人
    のDNAに根付いているからだ」と解説した。

     市場経済推進を主張する右派(改革派)の重鎮、茅于軾・天則経済研究所名誉理事長は、毛時代に迫害された体験もあり、
    厳しい毛批判で知られる。しかし茅氏も、毛が使用した独特の政治用語を「無意識で使ってしまう」という。「青春時代、
    社会に毛用語があふれていた。一種の洗脳だ」
    (以上です)

    返信削除
  25. 【数学】中国最古の実用的な「計算表」発見 2300年前の竹簡21枚
    1 :白夜φ ★:2014/01/12(日) 00:28:01.56 ID:???
    中国最古の「計算表」発見=2300年前の竹簡21枚

    【北京時事】約2300年前の中国・戦国時代のものと推定される実用的な「計算表」が記された竹簡が見つかったと、清華大学の研究チームが発表した。
    8日付の北京日報などが伝えた。2桁の数の掛け算が簡単にできる。
    これまで中国で発見された「九九表」などの計算表の中で最も古く、機能も優れているという。

    竹簡は紙の普及以前に、竹を細長く削り文字を書き込むのに用いられた。
    今回見つかった計算表は長さ約43センチ、幅1・2センチの竹簡21枚から成る。(2014/01/08-21:52)
    __________

    ▽記事引用元 時事ドットコム 2014/01/08-21:52
    http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2014010800843

    約2300年前の中国・戦国時代のものとみられる「計算表」が記された竹簡(姚小鴎中国伝媒大学教授のブログから)
    http://www.jiji.com/news/kiji_photos/0140108at47_p.jpg

    2 :名無しのひみつ:2014/01/12(日) 00:30:26.90 ID:/fYc10NG
    もちろん起源は

    3 :名無しのひみつ:2014/01/12(日) 00:34:29.91 ID:Szvn3Tbf
    この人竹簡ですっ!

    4 :名無しのひみつ:2014/01/12(日) 00:43:48.95 ID:2QWdC5bb
    もともと盗掘されて市場を渡り歩いてたもの
    2008年に清華大学に持ち込まれて調べたら戦国時代の年代が出て大騒ぎ
    大量の竹簡の解読作業が少しずつ進められて、今回報告書の第四巻が出た
    その中に乗算表(九九表)が含まれてた、って話
    「清華簡」と呼ばれてるやつよ

    返信削除
  26. 97 :名無しさん@13周年:2014/02/05(水) 23:36:37.70 ID:nHEH/Q3d0
    中国の権威ある政治研究者のなかには、朝鮮戦争によって中国の政治と国連の軌道は大きく変えられてしまった、
    と主張する者もいるほどだ。
    確かに、毛政権の世継ぎと期待された毛沢東の長男の毛岸英の死は、その後の毛沢東の性格や執政にも影響を与えたと考えられている。
    毛岸英が生きていれば、あの文化大革命が発動されることもなかったかもしれないと語る政治学者もいる。

    "特別な感情"の裏側にある背景といえば、それは中国と朝鮮が同じ運命の共同体だとの勘違いがあった、ということだろう。
    中国は長い間、ソ連を中心とした社会主義国家の大半と反目し、またその一方でアメリカとも敵対し続けてきた。
    孤立した中国は、やはり似たような状況にあった朝鮮に対し、まるで「同病相憐れむ」といった感情を抱いていたのである。
     綾野・富坂聰 『中国が予測する"北朝鮮崩壊の日"』より

    返信削除
  27. 【南シナ海】比大統領「中国はヒトラー。大戦を防ごうと譲歩して割譲されたことを忘れたか。世界は中国にいい加減にしろと言うべき」[2/6]
    1 :ニライカナイφ ★:2014/02/06(木) 10:19:50.24 ID:???
    ◆比大統領、国際社会に警鐘 「中国は第二次大戦前のヒトラー」

    フィリピンのアキノ大統領は、4日の米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)のインタビューで
    南シナ海の領有権を主張し海洋進出を強める中国を、第二次世界大戦前のヒトラーに
    なぞらえて批判した。

    大統領は「過ちだと信じていることをそのまま認めてしまえば、(中国の)誤った意思が
    一線を越えかねない」と指摘。
    「世界は中国に『いいかげんにしろ』と言うべきだ」と、国際社会に警鐘を鳴らした。
    その上で、1938年に当時のチェコスロバキアのズデーテン地方がナチス・ドイツに
    併合された歴史を挙げ、「ヒトラーをなだめて大戦を防ごうと割譲されたことを忘れたか」とし
    融和策の危険性を訴えた。

    中国はフィリピンと領有権を争うスカボロー礁を2012年に実効支配。
    フィリピンは昨年、国連海洋法条約に基づき国際仲裁裁判所に中国を提訴、
    反発した中国が参加を拒否したまま審理が続いている。

    一方、中国国営新華社通信は5日、大統領を
    「無神経に隣国をナチス・ドイツと比較した」と批判。
    「歴史と現実を無視した未熟な政治家」とし、
    南シナ海での中国の領有権主張に正当性があると繰り返した。

    MSN産経ニュース 2014年2月6日08:11
    http://sankei.jp.msn.com/world/news/140206/asi14020608120000-n1.htm 

    ■関連スレ
    【南シナ海問題】「中国は大戦前夜のヒトラー、国際社会が譲歩を止めねば」 フィリピンのアキノ大統領、「ズデーテン化」を警告[02/05]
    http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1391596242/

    返信削除
  28. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%B7%E6%9C%89%E7%82%BA
    大同三世説と『大同書』[編集]

    上記の思想的特徴が化学反応して形成されたのが、康有為の代表的な思想、大同三世説である。大同三世説とは端的に言えば、歴史が「拠乱世」(野蛮な世の中)から順次発展して「升平世」へ、そして最後に「太平世」という理想社会に至ると説く歴史発展理論である。これは『礼記』礼運篇の小康・大同という理想社会観に、董仲舒や清代の今文公羊学者たちの唱える三世説を組み合わせ、さらに西欧の社会進化論やユートピア思想をも取り込み成立した思想である。

    この思想は、まず発展史観をとっていることが特徴となっている。それまでの中国の伝統的歴史観は三代を理想としこの時代に立ち返ることを求める尚古史観か、あるいは治と乱が交互に循環するとした循環史観であった。時代を経るにつれ理想社会に近づくとする康有為の考えは全く新しいスタイルの歴史観であった。次に理想とされる社会「大同」は以下のような特徴を持つ。まず全人類が男女・民族・人種に関係なく自由平等となる。政治的には世界が統一された上、共和政体をとり、民主的選挙で選ばれた議員の合議制で運営される。経済的には全く不自由のない生活を営め、そして自動運転の車や船が活躍する。またあらゆる境界概念が消滅する。すなわち家族や国境という個々人を束縛するものは消滅し、婚姻もなくなる。このようにプリミティブな共産思想に未来技術を加味したような社会が「大同」とされた。

    ただ、康有為の思想には社会進化論も強い影響もみられ、人種差別思想もみられる。たとえば黒人を劣等種と断定し、いずれ死滅するだろうとも述べていた。したがって康有為のいう理想の大同世界が、万人にとって理想であったとはいえない。

    康有為は自身の生きる清末は未だ「拠乱世」であって、次の「升平世」へと進化するためには立憲君主制を取る必要があると認識していた。共和政体を取るフランスやアメリカはすでに「升平世」の中頃まで進んだ社会と考えていたようだ。康有為の立憲君主制への執念は、こうした発展史観に裏打ちされたものであった。しかしそれが強固であればあるほどフレキシビリティを欠き、辛亥革命が成就し皇帝という存在がなくなっても立憲君主制という理想を捨てきることができなかったのである。

    さてこの大同三世説を詳述した書物こそ『大同書』である。しかし康有為の代表作とされながらも、それが生前に完全な形で刊行されることはなかった。このことが大同三世説を康有為がいつ着想を得たのか、という問題を惹起した。『大同書』はそのあまりに時代離れした内容から、康有為自身が公開をためらい刊行しようとしなかった。生前にはその一部が 1913年に冒頭の二章が『不忍雑誌』に掲載されたのみで、ようやく全体が刊行されたのは、死後の1935年になってからである。『我史』(『康有為自編年譜』)には、1884年に「『大同書』を著した」とあるが、『大同書』の記述内容や使用されている語彙から考えて、これはあり得ない。通説では1901年から翌年の間までにほぼ形が固まり、その後も小さい訂正・追加がなされたとなっている。

    返信削除

  29. http://www.ritouki-aichi.com/chido_chugoku_235.html

                 『大同書』(康有為 華夏出版社 2002年)

     著者の康有為(1859年から1927年)は、19世紀末から20世紀初頭に至る清朝末期における中国の政治と学問の世界で極めて大きな影響力を持ったことで知られる。政治の世界では一種の宮廷革命を画策。清朝帝室から保守派を一掃し、開明的な光緒帝を戴く近代的な政治体制の確立を目指した。だが、康を頂点とする保皇派による変法自疆と呼ばれる改革運動は西太后を中核とする保守派の頑迷固陋な堡塁を突破できずに失敗し、彼は命からがら日本に逃げ延びることになる。既得権益を守ろうとする保守派を甘く見すぎたということだろう。一方、学問の世界では「現代の孔子」と称されるほどの存在であり、『新学偽経考』『孔子改制考』などを著し、儒教の学統において大きな足跡を残した。

     この本は、そんな康が長い歳月を掛けて書き上げたものだが、現在の中国の学界では、一般的に「この本は、主権独立国家から半植民地・半封建社会へと堕ち込んでゆく特殊な歴史の歩みの中で、伝統儒学と西欧近代の思潮とを結合させ格闘する著者の思考を反映したものである」(陳得媛・李伝印「《大同書》評介」)と評価されている。

     清末の大学者たる著者は、いずれ将来、人類は民族・国家・性別・貧富・職業などの違いを超越し、心穏やかで対立も苦しみも痛みもない快適至極の極楽のようなユートピアに立ち至る――なんとも夢のような、見方によったらノー天気なゴ託宣を語ってくれる。

    まあ、じつに有り難く夢のようなゴ高説だが、どうすれば実現可能なのか。はたまた「伝統儒学と西欧近代の思潮とを結合させ格闘する著者の思考を反映したものである」とまで持ち上げていいものかどうか。首を傾げたくなる。率直にいわせてもらえば学者の“暇つぶし”。とはいうものの、この本を儒教的ユートピア世界を描き出したものと見做すなら、それはそれで儒教に対する考えも“衝撃的”に変わろうというものだ。

    たとえば「去家界為天民」と書かれた一章では、「家界」というから家族の縛りとでも訳せばいいのだろうか。いずれ人は家界を抜け出て「天民」になると説く。この章の最終部分の「考終院」の項をみると、未来社会では死もまた平等に公的管理されるようだ。人は死んだら考終院という役所に届け、遺体は帛で包むなり棺に納めるなりして考終院に安置する。考終院にはお別れのための一切の設備が整えてあり、葬儀の次第は死者の社会的地位や年齢によって事細かに規定されている。ここで興味深いのが死体処理方法だ。

     孔子の弟子であることを自任する著者は孔子の考えに従って、「人の生気」は「魂知」に在り「体魄骨肉(にくたい)の中には在らず」とする。だから遺体は土葬でも火葬でもかまわないのだが、さすがに火葬は残酷で見るに忍びないと綴る。とはいうものの一転して、将来のハイテク科学技術を思い描く。千数百年後の「大同の世」になったらハイテク装置が完成する。それが熱風を起こしゴーッと唸りをあげた途端、「形骸骨肉(にくたい)」は消えてなくなってしまう。かくて「上(こころ)」は虚無の世界に還り、「下(いはい)」は山や谷に撒かれ時の流れの中で消えて行く、という。よくまあ、そこまで考えるものだ。

     康が心血を注いで著した『大同書』と聞くと、さぞや難解な本のようだが、儒教的ユートピアを描いた“謹厳実直な未来小説”といったところ。ともあれユートピアでも死体処理に目配りが必要なほど、中国は膨大な人口に悩まされ続ける運命にあるのです。

    返信削除
  30. <…中国で、私の『世界史の構造』を読んだ人から、康有為の「大道世界」
    に似ていると言われました。実は、それで急に興味を抱いたのです(笑)。
    康有為は将来的に国家や民族が消滅するという理念をもっていた。孔子
    から引き出した理念ですね。これはカント的な意味で「統整的理念」
    であり、現実には、漸進主義的であった。まず清朝を立憲君主制にして、
    そののちに君主を排していくという道筋を描いたわけですね。そこから
    漸進的に大道世界へ向かう、という。これは清朝という帝国を生かそう
    という考えだったと思います。>

    柄谷行人×丸川哲史「帝国・儒教・東アジア」『現代思想』2014.03、42頁


    大同書 - Chinese Text Project Wiki
    http://ctext.org/wiki.pl?if=en&res=306261

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  31. 【世界史】後退する中国、「大惨事」のヨーロッパ 歴史人口学者エマニュエル・トッド氏インタビュー(上)[14/04/28]
    1 : ◆BoHYalwbrSpk @ラスカル ★:2014/04/28(月) 00:21:45.01 ID:??? ?2BP(1000)
    【歴史人口学的に中国は後退している】  2014年04月14日 黒沢 正俊

    私は中国については、非常に悲観的だ。ほとんどの歴史人口学者はそうだと思う。その人口が膨大であるのに対し、
    出生率が極端に低いという問題を抱えている。中国は全員が豊かになる前に高齢化社会に突入する。

    他方、社会保障制度が未整備で、男の子を選択するための偏った人工中絶が行われている結果、男女比率のバランスが取れていない。

    経済については、膨大な輸出能力を持っている。しかし、私はこの国が自分で運命を操れる怪物であるとは思わない。
    共産党のビートルズ(成功した世界的スター)ではなく、西側が経済成長を実現するための輸出基地と言える。
    利益率を上げるために中国の安い労働力を使うことは西側にとって自然な決定だった。

    現状の中国経済は設備投資比率がGDPの40%、50%に達している。それは経済バランスから見て
    異様であり、スターリン時代の旧ソ連がそうであったように、経済が非効率であることを示している。

    以下略:ソース 日経BP
    http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140408/262573/?P=3&ST=smart

    2 :七つの海の名無しさん:2014/04/28(月) 00:23:31.83 ID:EXVu8qjj

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  32. 中国には「純粋な漢民族」は存在しない!DNA鑑定で明らかに
    Y! 【社会ニュース】 2010/02/08(月) 10:42



    拡大写真
      DNA測定の結果、中国にはすでに純粋な漢民族は存在しないことが分かった。7日、重慶晩報が伝えた。

      蘭州大学生命科学学院の謝副教授の話によると、特定の定義は存在しないものの、「漢民族」とは現在の河南省および山西省南部などを含めた「中原(ちゅうげん)」に居住もしくはルーツを持つ人びとを指し、本来は周辺地域に住む人びとと区別するために設けられた概念であると話す。

      しかし、中原に居住していた「漢民族」は服役や戦乱からの逃避などさまざまな原因で中原から各地へ移動し、長い時間をかけて周辺の国や民族と融合していったため、現在の中国にはもはや純粋な漢民族は存在しないという。

      その一方で、客家(ハッカ)と呼ばれる人びとは言葉や生活習慣、風俗などの面で「漢民族」の文化を継承しており、謝副教授は「現在、客家は少数民族として存在しているが、彼らこそが本物の漢民族と言えるだろう」としている。

      このニュースに対し、中国ネット上では、漢民族かどうかは遺伝子によって決まるものではなく、同じ文化背景を持つ人びとを指すべきだなどといったコメントが寄せられていた。(編集担当:畠山栄)

    http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0208&f=national_0208_005.shtml

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  33. 131 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載は禁止:2014/06/07(土) 09:24:20.22 ID:aMqn6CZ3
    屈原曰く、
    「世を挙げて皆濁り、
    我独り清めり。
    衆人皆酔ひ、
    我独り醒めたり。
    是を以て放たれたり」と。

    132 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載は禁止:2014/06/07(土) 09:27:56.04 ID:aMqn6CZ3
    http://www.aichi-gakuin.ac.jp/~kamiyama/ko.htm
    『太平広記』巻291所引『続斉諧記』 

     屈原は五月五日に汨羅(べきら)に入水した。楚人は毎年その日に竹筒に米を
    入れて水中に投じ、屈原を弔った。ある時、屈原の霊が現れて、「供え物がミズ
    チに取られぬよう、ミズチの苦手な楝の葉で包み五色の糸で縛るように」と教え
    た。これが粽(ちまき)の起源である。

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  34. http://ja.wikibooks.org/wiki/高等学校古文/散文・説話/漁父辞

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  35. 現代語訳[編集]
    第一段落[編集]
    屈原は追放されて湘江の淵や岸をさまよい、歩きながら沢のほとりで歌を口ずさんでいた。顔色はやつれはて、その姿は痩せ衰えている。老人の漁師が彼を見るとたずねて言った。「あなたは三閭大夫さまではありませんか。どうしたわけでこんなお姿になったのですか。」屈原は言った。「世の中がすべて濁っている中で、私独りが清らかである。人々すべて酔っている中で、私独りが(酔いから)さめている。だから追放されたのだ。」
    第二段落[編集]
    老漁師は言った。「聖人は物事にこだわらず、世間と共に移り変わるのです。世の人がみな濁っているならば、なぜ(ご自分も一緒に)泥をかき乱し、その濁った波を高くあげようとしないのですか。人々がみな酔っているなら、なぜ(ご自分も)その酒かすを食べて、薄い酒を飲もうとしないのですか。どうして深刻に思い悩み、お高くとまって、自ら追放されるようなことをなさるのですか。」
    第三段落[編集]
    屈原は言った、「私はこう聞く。『髪を洗ったばかりの者は、必ず冠の塵を弾き(よごれを払ってから被り)、入浴したばかりの者は、必ず衣服をふるって(塵を落として)から着るものだ』と。私自身の潔白な身に、汚れたものを受けることができるだろうか。(それなら)いっそのことの湘江の流れに行って(身を投げて)、川魚の(えさとなって)腹の中に葬られても、どうして純白の身を世俗の塵やホコリを受けられるだろうか。」
    第四段落以降[編集]
    老漁師はにっこりと笑い、(ふなばたを)櫂で叩きながら漕ぎ去った。そしてそのとき、こう歌った。
    滄浪の水が澄んでいるのなら、
    (大切な)冠の紐を洗おう。
    滄浪の水が濁っているのなら、
    (汚れた)私の足を洗おう。
    とうとうそのまま去って、二度と語り合うことがなかった。


    ^ 『新釈漢文大系34 楚辞』(明治書院) p.278

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  36. http://ja.wikibooks.org/wiki/高等学校古文/散文・説話/漁父辞

    現代語訳

    屈原は追放されて湘江の淵や岸をさまよい、歩きながら沢のほとりで歌を口ずさんでいた。顔色は
    やつれはて、その姿は痩せ衰えている。老人の漁師が彼を見るとたずねて言った。「あなたは三閭
    大夫さまではありませんか。どうしたわけでこんなお姿になったのですか。」屈原は言った。「世
    の中がすべて濁っている中で、私独りが清らかである。人々すべて酔っている中で、私独りが(酔い
    から)さめている。だから追放されたのだ。」

    老漁師は言った。「聖人は物事にこだわらず、世間と共に移り変わるのです。世の人がみな濁って
    いるならば、なぜ(ご自分も一緒に)泥をかき乱し、その濁った波を高くあげようとしないのですか。
    人々がみな酔っているなら、なぜ(ご自分も)その酒かすを食べて、薄い酒を飲もうとしないのですか。
    どうして深刻に思い悩み、お高くとまって、自ら追放されるようなことをなさるのですか。」

    屈原は言った、「私はこう聞く。『髪を洗ったばかりの者は、必ず冠の塵を弾き(よごれを払って
    から被り)、入浴したばかりの者は、必ず衣服をふるって(塵を落として)から着るものだ』と。私
    自身の潔白な身に、汚れたものを受けることができるだろうか。(それなら)いっそのことの湘江
    の流れに行って(身を投げて)、川魚の(えさとなって)腹の中に葬られても、どうして純白の身を
    世俗の塵やホコリを受けられるだろうか。」

    老漁師はにっこりと笑い、(ふなばたを)櫂で叩きながら漕ぎ去った。そしてそのとき、こう歌った。
    滄浪の水が澄んでいるのなら、
    (大切な)冠の紐を洗おう。
    滄浪の水が濁っているのなら、
    (汚れた)私の足を洗おう。
    とうとうそのまま去って、二度と語り合うことがなかった。

    ^ 『新釈漢文大系34 楚辞』(明治書院) p.278

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  37. 84 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載は禁止:2014/09/25(木) 22:58:44.58 ID:3580sCab
    http://walkerhide.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_d124.html
    中国国歌記念碑と「ここは湘南」の碑

    湘南海岸公園を歩いていると、完成間近の碑が目に付きました。



    近づいてみると、読み方も難しい聶耳記念碑とあります。聶耳は日本語読みでは「じょうじ」だそうですが、解説を読むと中国人の聶耳(ニエ・アル)氏の碑だそうです。



    聶耳(ニエ・アル)氏は中国国歌「義勇軍行進曲」を作曲した人で、1935年に来日し日本で生活をしていましたが、湘南海岸(鵠沼海岸)で友人と遊泳中に行方不明にな

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  38. 曇曜
    曇曜(どんよう、 生没年不詳)は、中国の南北朝時代北魏第3代太武帝の廃仏より復興した仏教教団の中心人物となった僧である。
    曇曜の詳細な伝記は残されていないが、『魏書』中の仏教・道教関係の事柄を記した「釈老志」の記述によれば、元は涼州(甘粛省)の僧であったという。仏教復興後、彼は師賢の後を継いで、2代目の沙門統となった。文成帝の和平元年(460年)のことであったという。
    その後、献文帝から孝文帝の太和年間(477年 - 499年)に至るまで、30年以上にわたり、3代の皇帝に仕えて、その職にあった。
    曇曜の業績として一番に挙げられるのは、雲崗に石窟寺院を造営したことである。中でも、曇曜五窟と称せられる5体の大仏は、北魏仏教の性格を端的に表すものとして著名である。その、第16窟より第20窟に至る石窟に彫られた大仏は、それぞれ、北魏の太祖道武帝・2代明元帝・3代太武帝・4代南安王・5代文成帝の5代の皇帝の姿に似せて彫らせたものであると言われている。これは、「皇帝即如来」とまで言う北朝仏教の考え方を造形化したものである。
    また曇曜は、僧祇戸・仏図戸を創設して復仏事業の財政基盤を確立した。
    参考文献[編集]
    塚本善隆「沙門統曇曜とその時代」(『支那仏教史研究』「北魏篇」、1942年)
    石松日奈子「雲岡中期石窟新論:沙門統曇曜の失脚と胡服供養者像の出現」(『MUSEUM』第587号, 2003年12月, 第16回國華賞受賞)
    カテゴリ: 中国の僧魏晋南北朝時代の人物

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  39. 山の地形によって、石窟全体は東部・中部・西部の3つに分けられ、東から西に番号が付けられている。東方の丘には第1窟から第4窟、中央の丘には第5窟から第13窟、西方の丘には第14窟から第45窟がある。西方の丘は、さらに東側半分と西側半分に区分され、東側半分に位置する第16窟から第20窟は、和平元年(460)に沙門統の曇曜が提出した建議によって皇室が造営したもので、曇曜五窟と呼ばれている。これらの石窟は第一期の造営に属し、和平年間(460 - 465)に開鑿された。

    第一期に開鑿された曇曜五窟(第16-20窟)は、床面が楕円形をしていて、天井は穹窿状になっているのが特徴である。主要な造像は三世仏と千仏で、三世仏は石窟内の大部分を占め、千仏は外壁に彫られている。曇曜五窟のもう一つの特徴は、窟内いっぱいに16.8m、15.5m、13.7mといった巨大な仏像を彫りだしている点にある。五窟を企画した曇曜は、敦煌莫高窟の第275窟などのように、主尊が窟内いっぱいに安置して、見る者を圧倒するような故郷涼周の石窟を頭に描いていたものと思われる。その背景には、4世紀から5世紀にかけてガンダーラ地方で巨大化した粗像製作の影響が指摘されている。

    http://www.bell.jp/pancho/travel/china-1/unko%20sekkutsu.htm

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  40. 雲崗石窟
    www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/8209/yungang.htm
    洛陽の龍門石窟、敦煌の莫高窟と並ぶ、中国3大石窟の一つです。 ... 見学にどの程度 時間を掛けるかは人にもよるでしょうが、雲崗石窟は東西1kmありますので、仏像や 壁面の彫刻をゆっくりご堪能されたい場合は最低でも半日程度 .... 〔第18窟 千仏袈裟〕




    第一期石窟 (文成期、460~465年):第16窟から第20窟

    雲崗石窟の中で最も古く、曇曜五窟と呼ばれています。
    仏像は何れも13.5~16.8mと他の窟比一際大きく、中でも窟が崩落して露出している第20窟は雲崗石窟のシンボルになっています。それぞれ、北魏王朝の曇曜の時代までの5人の皇帝(道武帝、明元帝、太武帝、太子晃景穆、文成帝)に似せて作られていると言われています。
    いずれも第二期に比べると印度・中央アジア的色彩の濃い仏像です。

    〔第16窟〕
    褒衣博帯式(中国式の「僧祇支(そうぎし)」という下着をつけ、腰に裙(くん)をまき、「大衣(だいえ)」で全体をおおう)の服装

    〔第18窟 千仏袈裟〕
    高さ15.5m、右肩を出して袈裟を羽織り、右手を下に垂らして、左手を胸の前に置いています。
    左写真ではよく全く判りませんが、袈裟には小さな仏像が多数掘り込まれており、「千仏袈裟」と呼ばれています。
    また、後方壁には十大弟子が掘り込まれており、仏陀が弟子に説教する様子と、当時の王朝に各国が朝貢する様子を重ねたのではないかと言われています。
    http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/8209/yungang.htm

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  41. 第11窟東側の千仏。
    http://blogs.yahoo.co.jp/sounion0218/GALLERY/show_image_v2.html?id=http%3A%2F%2Fblogs.c.yimg.jp%2Fres%2Fblog-e7-e0%2Fsounion0218%2Ffolder%2F907647%2F12%2F33991612%2Fimg_13%3F1294588378&i=1

    http://blogs.yahoo.co.jp/sounion0218/33991612.html

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  42. 発見!北のシルクロード「雲岡(うんこう)石窟・美の全貌」[字][再] ウェブ検索
    12/1 (月) 15:30 ~ 17:00 (90分) この時間帯の番組表
    NHK BSプレミアム(Ch.3)
    ドキュメンタリー/教養 - 歴史・紀行 , 情報/ワイドショー - 暮らし・住まい , 趣味/教育 - 音楽・美術・工芸
    番組概要
    世界遺産で中国有数の仏教遺跡・雲岡石窟の全貌を徹底的に紹介する決定版。極彩色のインドの神々から、シルクロード伝来の女神、そして巨大な石仏までミラクルワールドが。
    番組詳細
    世界遺産で、中国有数の仏教遺跡・雲岡石窟の全貌を徹底的に紹介する。極彩色のインドの神々から、シルクロード伝来の女神、巨大な石仏まで。1500年前の人々の祈りの空間が、タイムカプセルのように残されている。懐かしさを感じさせる微笑の仏。万里の長城の近く、辺境の地に巨大仏教遺跡を作った北の騎馬民族の正体とは? 石窟づくりに身をささげた王女の物語とは?【出演】いとうせいこう、夢枕獏、小沢真珠、六田知弘

    【出演】いとうせいこう,夢枕獏,小沢真珠,六田知弘

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  43. 「甲午戦争」の惨敗によって、中国人は覚醒した。開戦後の1894年11月に興中会を旗揚げした孫文は、1911年の辛亥革命によって清朝を打倒。その10年後には中国共産党が結成される。1893年生まれの毛沢東、1904年生まれの鄧小平たちは甲午戦争の敗北が引き起こした中国社会の激動のなかで青年期を過ごし、救国への意識を強めた。

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  44. 舜 - Wikipedia
    ja.wikipedia.org/wiki/舜

    舜(しゅん)は中国神話に登場する君主。五帝の一人。姓は姚(よう/とう。子孫は媯水の ほとりに住み媯(ぎ)を姓とした)、名は重華(ちょうか)、虞氏(ぐし)または有虞氏(ゆう ぐし)と称した。儒家により神聖視され、堯(ぎょう)と並んで堯舜と呼ば...

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  45. 五帝[編集]
    誰をもって五帝となすかは下の表に示すように様々であり、その話の内容に付いても様々な前後矛盾がある。『史記』「五帝本紀」に於いて五帝を一応歴史の範疇内に置いた司馬遷であるが、「黄帝伝説は史実とは思っていないが、黄帝伝説のあるところに限って共通の民俗風土があり、いくばくかの史実が紛れ込んでいることは否定できない。よって、これらを記録することに価値を見出すものである。」と断りを入れている。
    伏羲 神農 太昊 炎帝 黄帝 少昊 顓頊 嚳 尭 舜 禹 湯  
            1   2 3 4 5     『大載礼記』・『史記』
    1 2     3       4 5     『戦国策』・『易経』
        1 2 3 4 5           『礼記』・『淮南子』
              1 2 3 4 5     『世経』
                  1 2 3 4 5 『三統経』
            1 2 3 4 5       『資治通鑑外記』

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  46. 黄帝 顓頊 嚳 尭 舜 史記

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  47. 【河村直哉の国論】南京「30万人」固執する中国は「モンゴル人30万人」を虐殺した 文化大革命…今なおチベットなどジェノサイ [転載禁止]©2ch.net
    1 :もろ禿 ◆SHINE.1vOk @もろ禿HINE! ★@転載は禁止:2015/01/23(金) 18:13:51.69 ID:???
    【河村直哉の国論】南京「30万人」固執する中国は「モンゴル人30万人」を虐殺した 文化大革命…今なおチベットなどジェノサイド(1/4ページ) - 産経WEST
    http://www.sankei.com/west/news/150123/wst1501230009-n1.html


     中国が南京事件犠牲者「30万人」に固執している。中国のこの言い分はおそらく変わることがあるまい。習近平国家主席自身が、昨年3月の
    ベルリンでの演説や同12月の南京事件の追悼式典でこの数字を挙げた。日本政府はこの数字を「適切でない」と中国に申し入れていたが、中
    国外務省の洪磊副報道局長はこのほど、「動かぬ証拠があり、結論は出ている」「南京大虐殺は日本軍国主義が侵略戦争下で犯した残忍な
    犯罪」などとするコメントを出した。主席自身がいうのだから、この数字に異を唱える声が中国国内で出てくるとは思えない。


    『肛門に焼いた鉄、獣姦、零下40度で水牢、胎児を引っ張り出す…』文化大革命という大虐殺

     当欄ですでに何度か触れたが、この数字はあまりにも過大なものだ。事件当時(昭和12=1937年)の人口が20万-30万人とみられる南
    京で、その全員を殺害することなどありえない。しかし現在の中国で実証主義による歴史は成立しない。党の公式見解が優先されるのが中国
    である。

     「30万人」という数字に中国は今後も固執するだろうから、ここで中国現代史のもう一つの「30万人」を見ておこう。

     「内モンゴル自治区政府幹部で、ジェリム盟出身のアムルリングイは、地面に押さえつけられて、真っ赤に焼いた鉄棒を肛門に入れられ、鉄釘
    を頭に打ち込まれました」

     「あるモンゴル人は、マイナス四〇度まで下がるモンゴル高原の冬に、膝まで水を満たした『水牢』に入れられ、その足は水とともに凍ってしま
    いました」

     「ブタやロバとの性行為を強制する、燃えている棍棒(こんぼう)を陰部に入れるなど、中国人たちはおよそ人とは思えない残虐な行為を行っ
    ていました」

     「妊娠中の女性の胎内に手を入れて、その胎児を引っ張り出すという凄惨(せいさん)な犯罪も行われ、中国人たちは、これを『芯を抉(えぐ)り
    出す』と呼んでいました」


    モンゴル人ジェノサイド…善なる『革命行為』

     静岡大学教授、楊海英(大野旭)氏の著書「狂暴国家 中国の正体」(http://www.fusosha.co.jp/books/detail/9784594071196)から引いた。
    楊氏は内モンゴル自治区出身で、自らを「亡国の知識人」とみなしている。

     これら引用文が示す事例の、なんと残忍なことか。これらは1966年から中国で吹き荒れた文化大革命で、モンゴル人に対してなされたとされ
    る事例である。主導したのは漢族。被害者数について楊氏はいくつかの数字を挙げている。欧米の研究者の数字として、拘束されたモンゴル人
    約50万人、うち殺害された者10万人。内モンゴル自治区のジャーナリストや研究者の数字として、殺害された者と釈放され自宅に戻ってから
    亡くなった人の合計は「30万人」。楊氏も、これは妥当な数字だとしている。

     楊氏の編集による大部の本「モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料」(http://www.fukyo.co.jp/author/a44790.html)の一部を見たことがあ
    るが、内部資料などを丹念に集め、モンゴル人の被害の実態を明らかにしている。基底には楊氏の、同胞が味わった苦しみへの怒りと、モンゴ
    ルへの愛情があるのはいうまでもあるまいが、姿勢は大変に実証的である。

     氏は「狂暴国家 中国の正体」で、モンゴル人にとって文化大革命はジェノサイド=民族抹消行為だったとしている。「毛沢東と、人民の味方
    たる共産党の首長が断罪した『民族分裂主義者』たちを殺害することは、躊躇(ちゅうちょ)ない善なる『革命行為』に発展していった」と。内モン
    ゴル自治区のモンゴル人が「民族分裂主義者」と断罪されたとき、中国人(漢族)は「善」として虐殺をなしたというのである。

     中国はこのようなことを認めようとしない。文化大革命全体の実態も闇に沈んでいるのである。そのような国が南京事件「30万人」を言い募
    っているということは、南京事件のこの数字が過大なものであると国際社会にアピールする際、紳士的に付記しておいてよいと思う。



    2 :もろ禿HINE! ★@転載は禁止:2015/01/23(金) 18:14:01.93 ID:???
    辻褄合わせたいから「30万人」…親中派・媚中派の「左傾」人士は鑑とせよ

     楊氏の「狂暴国家 中国の正体」については、きちんと紹介しておくのが公平な姿勢だろう。本稿は「30万人」という数の偶然の一致から南京
    事件に関して同書を引用させてもらったが、同書は別に南京事件を扱ったものではない。中国による民族抑圧の実態とその背景にある中国の
    思考法を、抑圧される民族の側の視点で描いた著書である。

     モンゴル問題に限らずウイグル問題もチベットのそれも、同じ視点で取り上げられていく。中国という異形の国の実態を浮き彫りにする好著で
    あり、日本人に複眼的な視点を与えてくれるものだ。日本人は日本人の立場で中国について考えることに終始しがちだが、ユーラシア大陸で
    中国に苦しんできた民族の側から中国を見る目を教えてくれるのである。

     楊氏の提言に学べるところは大きい。日本はモンゴルをはじめユーラシア外交にもっと目を向けるべきだという提言もそうだし、あるいは集団
    的自衛権をめぐる日本国内の議論について述べた次のようなくだり。「自衛権のない国家は去勢された男のような存在です」。泰平の平和のな
    かで集団的自衛権反対を叫ぶ左傾人士は、これをなんと読むか。

     あるいは能天気に日中友好を説く日本人への、次のような文章。「ぜひ、『日中友好論者』たちにも中国共産党支配下の内モンゴル自治区や
    『反テロの前線』たる新疆ウイグル自治区、焼身自殺による抗議活動が続いているチベットにも足を運んでほしいものです」。

     媚中派、親中派、さらに「南京大虐殺」説を日本であおる人士たちにも、よく読んでほしいものである。   (大阪正論室長)   =随時掲載し
    ます


    http://www.sankei.com/images/news/150123/wst1501230009-p1.jpg
    自らを「亡国の知識人」とみなしている静岡大学教授の楊海英氏。「狂暴国家 中国の正体」(扶桑社)や「モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料」(風響社、写真)などを出版している

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  48. 【考古学】世界最古の茶葉発見=漢代皇帝の墓から―中国 [無断転載禁止]©2ch.net
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    0001 もろ禿HINE! ★@転載は禁止 2016/01/29 23:22:56
    世界最古の茶葉発見=漢代皇帝の墓から―中国 (時事通信) - Yahoo!ニュース
    http://headlines.yah...9-00000107-jij-sctch


     【パリAFP=時事】中国の古代王朝、漢の景帝(紀元前188〜同141年)の墓近くから、世界最古とみられる茶葉が発見された。
    中国と英国の研究チームが、英科学誌サイエンティフィック・リポーツで発表した。
     同誌によると、茶を飲むことに関する最も古い文献は紀元前59年に記され、茶葉そのものは北宋(紀元960〜1127年)時代が最古。
    研究チームは、今回の発見で「2100年以上前、漢代の皇帝らが茶を飲んでいたことが判明した」と強調している。
     見つかった茶葉は腐敗のため識別できない状態で、分子解析で正体が突き止められた。
     発見された茶葉が、2〜3世紀のものとみられるチベットのグルジャム墓地で見つかった副葬品と関係していることも分かった。
    チベットで茶葉は生産されておらず、これまで中国からチベットに運ばれたことを示す最古の記録は唐(618〜907年)の時代だった。 
     研究チームは「シルクロードの1本が当時、チベット西部を通過していたことが示された」と説明。
    「茶葉は織物などと共に貴重な交易品として、シルクロードを通ってチベットに運ばれていた」と指摘している。

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  49. 傾国の語源は、漢の武帝のとき、宮中に仕えた李延年が、
    「北の方に佳人あり 世に絶(すぐ)れて独り立つ
     一度の顧(ながしめ)は人の城を傾け、
     二度の顧は人の国を傾く…」
    と詠ったことから由来としている。

    そこから君主またある程度の地位に就いた人が、心を奪われて自国や自身の破滅を呼ぶ危険性を
    持つほどの美人のことを指すようになった。
    本来は悪い意味で取られるが、場合によっては絶世の美女に対する賞賛の言葉として
    使用されることもある。

    歴史上では、中国の妲己、楊貴妃などが有名である。

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  50. 傾国の美女

    傾国の語源は、漢の武帝のとき、宮中に仕えた李延年が、
    「北の方に佳人あり 世に絶(すぐ)れて独り立つ
     一度の顧(ながしめ)は人の城を傾け、
     二度の顧は人の国を傾く…」
    と詠ったことから由来としている。

    そこから君主またある程度の地位に就いた人が、心を奪われて自国や自身の破滅を呼ぶ危険性を
    持つほどの美人のことを指すようになった。
    本来は悪い意味で取られるが、場合によっては絶世の美女に対する賞賛の言葉として
    使用されることもある。

    歴史上では、中国の妲己、楊貴妃、日本(沖縄)の比嘉愛未などが有名である。

    返信削除
  51. 曹操 - Wikipedia
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E6%93%8D
    曹操は家柄や品行にとらわれず、才能ある人材を積極的に登用することを求めた。建安15年(210年)に布告した「求賢令」では、呂尚や陳平のエピソードを挙げ、「才能を重視し、家柄や過去にこだわらず、当時身分の低かった専門職の人々も厚く用いる(唯才是挙)」という登用姿勢を打ち立てている。また『世説新語』軽詆篇によると、荊州の劉表は荷車は引けないが大食の巨大な牛を所有していて、それを自慢していた。だが曹操は荊州を征服した際、その牛を「どんなに大きくても役に立たないのでは意味が無い」と見なし、屠殺して宴の肴にしてしまったという。

    曹操は司空府・丞相府において尚書令の荀彧、中軍師の荀攸らを中心に軍師祭酒による参謀集団を構成し、政策・戦略決定に関与させた[25]。袁紹・劉表・劉備・孫権ら同時代の他の群雄は、客将・名士層や豪族を抱きかかえる目的を含めて、評定において従えた程度であったのに対し、曹操はより積極的に軍師・参謀を組織的な軍事・政治顧問として用いた。建安七子に数えられる陳琳・王粲・阮禹・徐幹ら文人は、曹操の秘書として機密を扱った。

    「孝廉」には儒教知識人が主に推挙されるが、曹操や曹操勢力の幹部である荀彧・荀攸・賈詡・董昭・鍾繇・華歆・王朗らが孝廉に推挙されている。川勝義雄は「曹操の元に多くの名士(主に儒教知識人)が集まり、やがて武将を抑えて曹操政権内で大きな権力を持った。魏公国が出来たとき、政府の(文官系の)重要官職は名士らによって占められた」としている[26]。

    農政において、他の群雄達が兵糧確保の為に農民から略奪のような事をしていた当時、曹操は韓浩・棗祗らに提言された屯田(屯田制)と呼ばれる農政を行った。屯田とは、戦乱のために耕すものがいなくなった農地を官の兵士が農民を護衛して耕させる制度である。屯田制は当初は難航したが、袁渙の提案や任峻の尽力などにより軌道に乗せることに成功した。これによって潤沢な食料を抱えることになった曹操は、各地の民衆を大量に集めることができるようになった。この屯田制が、後漢の群雄割拠の中でそれほど出自的に有利ではない曹操が、他の群雄を退け勝ち残る理由の一つとなった。

    また強制婚姻による兵雇制度の改革(屯田制と相まって、軍の盤石化に効果を上げた)、朝廷内の意思を統一するため三公を廃止し丞相と御史大夫の復活による権限の一元化、禁酒法、軍閥の抑制を目的とした地方分権型から中央集権型軍隊への移行、州の区分けを再編することを目的とした合併独立などである。さらに建安10年(205年)には、世間の頌徳碑建立の盛行および厚葬の風潮を正し、石室・石獣・碑銘などを造り、豪奢な葬礼を行ない墓碑を立てることを禁止する薄葬令を発した[27]。

    曹操は勢力圏の境界付近に住む住民を勢力圏のより内側に住まわせた。[要出典]これは戦争時にこれらの人々が敵に呼応したりしないようにするためであり、敵に戦争で負けて領地を奪われても住民を奪われないようにするためでもある。[要出典]後漢末・三国時代は相次ぐ戦乱などにより戸籍人口が激減しており、労働者は非常に貴重だった。曹操は降伏させた烏桓族を中国の内地に住まわせ、烏桓の兵士を曹操軍に加入させた。曹操軍の烏桓の騎兵はその名を大いに轟かせた。

    渡邉義浩は曹操の税制に注目し、彼がこれを制定しなければ中国は統一国家として機能しなかっただろうとしている[28]。


    [28] ^ 『第Ⅳ部|非常之人~三国志の覇者・曹操の人物像|二松学舎大学』

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  52. http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1352673343
    三国志で最終的に勝ったのは、「ぎ・ご・しょく」のどれですか?(>_<)

    luv02luv02luv02luv02さん2010/12/26 21:56:56
    三国志で最終的に勝ったのは、「ぎ・ご・しょく」のどれですか?(>_<)
    回答数:7 閲覧数:11,729 お礼:知恵コイン0
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    ベストアンサー

    frogman03544さん2010/12/27 09:21:43
    最後に勝ち残ったのは『晋(西晋)』です。

    「蜀漢」は、
    諸葛亮亡き後(234年)ジリ貧となり、
    「魏」の侵攻を支えきれず滅亡します。(263年)

    「魏」は、
    司馬懿が、曹操の死後に曹丕・曹叡の信任を受けて権力を握り、
    249年、クーデターにより、
    時の皇帝曹芳を傀儡として、魏を牛耳ったあと、
    息子の司馬師、司馬昭兄弟が司馬一族の力を強固にし、
    司馬懿の孫の司馬炎が、
    265年、魏の元帝(曹操の孫「曹奐」)より無理やり禅譲を受け、
    『晋(西晋)』王朝を立てます。

    「呉」は、
    孫権の帝位が長く続き、幼帝や暴君が続いて疲弊し、
    晋の侵攻を受け280年滅びます。

    『晋(西晋)』は中国を後漢滅亡後60年ぶりに統一し、
    三国時代は終焉を迎えます。

    しかし、王朝の基盤が脆弱で、暗愚な皇帝が続いたこともあり、
    異民族の侵攻を受け、316年、わずか36年で滅亡、
    司馬懿の曾孫元帝が南の建業に都を移して「東晋」を建てますが、
    南北に分断された中国は、
    それぞれ数多くの国が興亡を繰り返す混乱の時代に突入します。
    後漢滅亡から、混乱の時代を589年再統一する「隋」までを、
    「魏晋南北朝時代」と呼びます。
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  53. 【考古学】中国・伝説の大洪水、初の証拠を発見 文明史書き換えか [無断転載禁止]©2ch.net

    1 : もろ禿HINE! ★@無断転載は禁止2016/08/05(金) 07:29:05.63 ID:CAP_USER
    中国・伝説の大洪水、初の証拠を発見 文明史書き換えか (AFP=時事) - Yahoo!ニュース
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160805-00000002-jij_afp-sctch


    【AFP=時事】中国の黄河(Yellow River)で4000年前に大洪水が起きたことを示す初めての証拠を発見したとの研究結果が4日、発表された。この大洪水は、夏(Xia)王朝とその後の中国文明の誕生につながったとされる。

     米科学誌サイエンス(Science)に発表された研究結果によると、大洪水が発生したのはこれまで考えられてきたよりも数百年遅い紀元前1920年。これは、禹(Yu)王による夏王朝樹立の時期が通説よりも遅かったことを意味し、この発見により歴史が書き換えられる可能性がある。

     禹王はこの大洪水で、水の流れを元の水路に導くために必要なしゅんせつ工事を指揮し、治水の才能を発揮した人物として名声を得た。研究を主導した南京師範大学(Nanjing Normal University)地理科学部の呉慶竜(Wu Qinglong)教授によると、禹王は秩序の回復を果たしたことにより「中国初の王朝である夏朝を樹立する聖なる権能を手にした」という。

     禹王の物語は儒教に基づく統治制度の基礎となったが、近年では洪水が実際に起こったことを疑問視する学者も現れ、王朝国家体制を正当化するための作り話にすぎなかったのではないかと指摘していた。

     地質学者からなる研究チームは、青海(Qinghai)省の黄河に沿って調査を行い、土砂崩れによってできた天然ダムの名残や、せき止め湖や突発的洪水で生まれた堆積物を調べた。

     論文を共同執筆した米パデュー大学(Purdue University)地球大気惑星科学部のダリル・グレンジャー(Darryl Granger)教授が電話記者会見で語ったところによると、調査の結果、過去1万年間に発生したことが分かっている中でも最大級の大洪水があったことが示された。その際の水位は、現在の黄河よりも38メートル高い位置まで上昇したという。

     これほどの大洪水が起きると、岩屑(岩石の破片)などの堆積物が攪拌(かくはん)され、古い土壌と新しい土壌が混ざるため、研究チームは堆積物ではなく、大洪水の原因となったとされる地震の犠牲者の骨から大洪水が発生した年代を測定した。

     研究チームによると、この地震により発生した土砂崩れが、川をせき止めて天然ダムを形成。これが後に決壊し、大洪水が発生した。研究チームは、地震で崩壊した建物のがれきの中から見つかった3人の子どもの骨に対し、放射性炭素年代測定を実施。その結果、3人が紀元前1920年に死亡したことが分かった。同地域ではちょうどこの時期、大きな文化革新が起きたという。【翻訳編集】 AFPBB News

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  54. 書き込みや動画を次々削除[9/05]©2ch.net

    1 : ねこ名無し ★@無断転載は禁止 ©2ch.net2016/09/05(月) 18:33:57.85 ID:CAP_USER
     【杭州=西見由章】G20首脳会議の関連会議「ビジネスサミット」で、講演した習近平国家主席が古典から引用した語句を読み間違え、ネット上で話題になっている。中国当局は誤りを指摘する書き込みや動画などを次々と削除している。

     G20の一部の国家指導者や企業経営者らが参加した3日の開幕式で、習氏が中国の改革開放に触れた際、「通商寛農(貿易を促進し農政にゆとりをもたせる)」との語句を、春秋時代の歴史書「国語」から引用。
    だが、「寛農」を「寛衣(服を脱ぐ)」と言い間違えた。中国で使われている簡体字の「農」と「衣」は形が似ているためだ。

     習氏は講話などで古典を好んで引用するが、ハプニングによりスピーチライターの原稿を読んでいることが裏付けられてしまった格好で、ネット上では「寛衣」が流行語になり、「彼の威信への打撃は少なくない」との声も上がった。

    http://www.sankei.com/world/news/160905/wor1609050029-n1.html

    http://www.sankei.com/images/news/160905/wor1609050029-p1.jpg
    G20首脳会合の関連会合で演説する中国の習近平国家主席=3日、中国・杭州(共同)

    返信削除

  55. 27 : (´・ω・`)(`ハ´  )さん@無断転載は禁止2016/10/16(日) 08:37:37.24 ID:qxP1Hy4m
    http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-1134.html

     しかも秦の始皇帝は金髪碧眼だったという伝説があります。そして始皇帝は側近以外には絶対に自分
    の姿を見せませんでした。従来は、始皇帝が金髪碧眼だったのは、実の父親呂不韋が胡人だったから、そ
    して始皇帝が人前に姿を現さなかったのは幼少期に人質としていじめられて人間不信に陥っていたから
    と言うことになっています。

     しかし、秦が元々タクラマカン砂漠のオアシス都市に住むコーカソイド出身であり、秦の王族と側近は
    砂漠からの移住以降も白人の血が色濃く残っていたとすれば、始皇帝が金髪碧眼だったのも理解ができます。

     そして、歴代の秦王が何故か本拠地に籠もっていて、中原の会盟に姿を現さず付き合いが悪かったことや、
    始皇帝が人に見られることを極度に嫌がったのは、自分たちが異民族であることを自覚しており、それを知ら
    れたら、領民から排斥されて国が崩壊するする可能性があったからではないでしょうか。

     宮殿奥に隠れて、極端に人目にさらされることを嫌う中国の皇帝の伝統は始皇帝に始まっているのですが、
    その理由は秦王朝が胡人(コーカソイド・白人)だったことにあるのではないでしょうか。

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  56. 【中国】兵馬俑は古代ギリシャの影響を受けた?考古学の新説にキレる中国人[10/16] [無断転載禁止]©2ch.net

    1 : ねこ名無し ★@無断転載は禁止2016/10/16(日) 07:53:59.76 ID:CAP_USER
    http://img.recordchina.co.jp/thumbs/m720/201610/20161014-04663321.jpg
    http://img.recordchina.co.jp/thumbs/m720/201610/20161014-04663322.jpg
    http://img.recordchina.co.jp/thumbs/m720/201610/20161014-04663323.jpg
    写真は兵馬俑。

    2016年10月14日、参考消息網は記事「兵馬俑は古代ギリシャの彫像にインスピレーションを受けたもの」を掲載した。

    BBCは13日、ウェブニュースで兵馬俑に関する最新の考古学研究結果を報道した。なぜ始皇帝の時代になって突然、等身大の陶像が作られるようになったのは大きな謎だったが、遠く離れた古代ギリシャの影響を受けたとの説が浮上している。秦始皇帝陵博物院の李秀珍(リー・シージェン)研究員によると、従来考えられていたよりもずっと早い始皇帝の時代から中国と西洋は交流があったことが明らかになったという。ウィーン大学のルーカス・ニッケル教授は、最近兵馬俑から見つかった曲芸師の像が古代ギリシャの彫刻との関連を示しており、古代ギリシャ人の職人が中国で兵馬俑製作を指導した可能性すらあると考えている。

    紀元前からユーラシア大陸の東西で文化的交流があったとすれば心躍る大発見だが、中国ネットユーザーの反応は意外なものだった。

    「兵馬俑はギリシャが源流?そんなバカな」

    「ギリシャは彫像、兵馬俑は陶像。別物でしょ」

    「どんだけ離れているのかわかってる?ギリシャの影響なんかあるわけない」

    「兵馬俑がギリシャの影響なら、ストーンヘンジは万里の長城のパクリ」

    「源流は韓国じゃないの?ほら、すべての起源は韓国に通ずっていうし(笑)」

    「兵馬俑の起源はギリシャにありか。なんだかヨーロッパも韓国みたいになってきたな」

    (翻訳・編集/増田聡太郎)

    http://www.recordchina.co.jp/a152721.html

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  57. 【中国】日本人が最も崇拝してきた古代中国の偉人、多くの中国人が聞いたことのない人物だった=中国メディア[11/29] [無断転載禁止]©2ch.net

    1 : たんぽぽ ★@無断転載は禁止2016/11/29(火) 10:56:47.07 ID:CAP_USER
    http://news.searchina.net/id/1623993?page=1

     日本には、中国の古代史や歴史上の人物に興味を抱き、研究する人が多い。中でもやはり一番人気が高いのは魏・呉・蜀による三国鼎立の時代だろうか。中国メディア・今日頭条は25日、「日本人が最も崇拝する中国人は曹操ではなく、多くの中国人が聞いたことのない人物だった」とする記事を掲載した。

     記事は、「日本のネット上で行われた調査で、日本人が最も崇拝する中国人は曹操であるとの結果が出た、と言う人がいるが、これは間違いである」と説明。「本当に日本人が心から崇拝したのは、明代の聖人・王陽明だったのだ」と伝えた。

     そして、王陽明が唱えた心学は明代に最も大きな影響力を持った哲学思想であり、「知行合一」(知識と行動は不可分のもの)という思想によって、孔子、孟子、朱熹と並び称される程の地位を確立したと説明。一方で、「歴史を知らない中国人でこの人物を知っている人は少ないだろう」としている。

     記事は、王陽明の思想に心酔し崇拝した日本の人物について紹介。ロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎のほか、倒幕のリーダーだった西郷隆盛、明治の元勲・伊藤博文、日露戦争の総指揮にあたった山縣有朋などの政治家、軍人を挙げた。また、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎、国立銀行の創始者・渋沢栄一、早稲田大学を創設した大隈重信、日本の経営界のカリスマ・稲森和夫氏も「王陽明の追随者である」と紹介した。

     さらに、蒋介石がかつて「日本留学中、列車でも船でも多くの日本人が王陽明の『伝習録』を読み、精神を集中させて思索に耽っていた」とし、本人も書店に駆け込んで王陽明の著作を買いこみ研究するようになったと語ったというエピソードも併せて伝えた。

     日本人の思想に影響を与えてきた中国の歴史上の人物は、枚挙に暇がない。大陸から伝わって来る様々な人物のエピソードや思想、講話を吸収し、現地の社会に合わせて消化する過程を繰り返してきたことで、日本人の思想は形作られてきたのだ。記事のように王陽明だけを「最も崇拝する人物」とするのは憚られるが、彼が日本人、そして日本の運命に多大な影響を与えた人物の1人であることは間違いないのである。

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  58. 岡田斗司夫のニコ生では言えない話
     岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2016/12/17

    ────────────────────
    ───────────────────────────────────

    "「“乱世” はじまりました」

    "

     中国では始皇帝が紀元前221年に中華を統一して、それから440年たって世は乱れに乱れました。

     いわゆる「三国時代」です。

     三国時代では、誰もが「始皇帝は天下を統一したんだから、また中国を統一しなきゃいけない」と思ったんだよね。

     でも三国志を描いた『蒼天航路』というマンガでは、劉備玄徳は「“天”は一つじゃない」って言ったんだよ。

     この作品の主役は曹操だから、劉備はたまに出てきて名セリフを言うぐらいしか役割が無いんだけどね(笑)。

     諸葛孔明が唱えた「天下三分の計」とは、「蜀は中立を保って三国時代を作る」という戦略だと思ってた。
     そこに劉備は「そうじゃないよ」と言ったんだ。

     劉備は「“天”が三つあったら、どの世界に住むのかを選べて、みんな豊かになるじゃないか」という、すごく面白い事を言い出したんだよね。
     それに曹操は「あれ!? 面白い!」って思っちゃったんだ。

     「これより“天”は三倍に増えて、未曾有の成長の時代がやってくる」

     これを負け惜しみと捕らえるのかイノベーションと捕らえるのかは、その人の考え方 次第だよね。

     今の日本には“リア充”と“非モテ”と“ドロップアウト”の三種類の民族がいるんだ。
     だけど、この三つは対立しないんだよ。

     「正義は三つになる」「三倍増しの世界がやってくる」と考えると、未曾有の成長の時代がやってくる。

     みんな信じたいものを信じればいい世界。
     僕はそれが“乱世”だと思ってる。

     僕が考える“乱世”の定義とは、「たった一つの、これまで信じていたもの」が崩れていくこと。
     一つの事に無理にこだわっちゃうと「侍になりさえすれば幸せになれる」と思ってた新撰組のような悲劇が起こってしまうんだよね。

     “乱世”とは、あらゆる価値観が混在して、どれが正しいとは言えない状態。
     それはポリティカル・コレクトネスの思想とは違う。

     ポリティカル・コネクトとは、政治的に正しい、男女やあらゆる民族は平等じゃなければいけない、差別をしてはいけないっていうヤツ。
     もう面倒だから、これからポリティカル・コレクトネスのことを「ポリ・コレ」って言う事にするよ(笑)。

     ポリ・コレとは多様性を認めるように見えるけど、実は違う。
     これは「多様性を認めなければいけない」って思想なんだ。

     でも、この世界は「白人男性が一番偉い」って考え方もアリだし、「あらゆる民族は平等である」って考え方もアリ。

     すでに“価値観”が何倍にもなった世界になってる。
     
     それを分かっているかどうかで、未来の格差まで発生しちゃうと思いますよ。




    ───────────────────────────────────



    いかがでしたか?

    「え?!それってどういうこと?」「そこのところ、もっと詳しく知りたい!」という人は、どんどん、質問してみて下さい。

    番組内で取り扱う質問はコチラまで!( http://ch.nicovideo.jp/ex/letter )

    よい質問は、よい回答にまさる、と言われます。
    みなさんの質問で、僕も予想外の発想ができることも多いです。
    だから僕は、質疑応答が大好きです。

    みなさんからの様々な質問をお待ちしています
    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    企画編集:のぞき見のミホコ(FREEex)
         起こしのヤスタカ(FREEex)
         筆耕のヒロキ(FREEex)
         横浜のヨシアキ(FREEex)
         遊牧のマサヒサ(FREEex)

    ───────────────────────────────────


    岡田斗司夫
    and
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  59. 古代中国 よみがえる英雄伝説「紂王と太公望~王朝交代 古代最大の決戦~」[再] ウェブ検索
    1/17 (火) 16:30 ~ 18:00 (90分) この時間帯の番組表
    NHK BSプレミアム(Ch.3)
    ドキュメンタリー/教養 - 歴史・紀行 , ドキュメンタリー/教養 - カルチャー・伝統文化 , ドキュメンタリー/教養 - 文学・文芸
    番組概要
    中国史を彩る英雄たちの実像を新発見の遺跡や出土文物から探る。酒池肉林の淫とうを重ねた殷の紂王を太公望が破った古代最大の決戦「牧野の戦い」。その意外な真相とは?
    番組詳細
    中国史を彩る英雄たちの実像とは? 「史記」などに描かれた伝説の物語を、新発見の遺跡や出土文物からたどり、ロマンあふれる歴史の真実を浮かびあがらせる。酒池肉林の淫とうを重ね、残虐な生けにえや刑罰を繰り返したと伝わる殷の紂王。その強力な大軍を太公望率いる周が破り、新王朝をうち立てたのが古代史最大の決戦「牧野の戦い」だ。弱小国だった周の勝因とは? 意外な真相を美しい青銅器や古代遺跡が語り始めている。

    【出演】中井貴一,【語り】井上二郎

    HD 16:9 コピー可

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  60. 論語19-20

    子貢が言った、「[殷の]紂王が善くないということも、それほどひどいわけではなかった。[その悪事にによって下等に落ち込んだので、後から事実以上の大 悪人に仕上げられたのだ。]だからして君子は下等に居るのをいやがる。世界中の悪事が皆そこに集まって来るからだ。」

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  61. 古代中国 よみがえる英雄伝説▽始皇帝と乱世の名臣たち~春秋戦国 天下統一への道[再]
    12/29 (金) 7:30 ~ 9:00 (90分) NHK BSプレミアム(Ch.3) ドキュメンタリー/教養
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    古代中国 よみがえる英雄伝説「紂王と太公望~王朝交代 古代最大の決戦~」[再]
    12/30 (土) 7:30 ~ 9:00 (90分) NHK BSプレミアム(Ch.3) ドキュメンタリー/教養
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    古代中国 よみがえる英雄伝説「伝説の王・禹~最古の王朝の謎~」[再]
    12/31 (日) 7:30 ~ 9:00 (90分) NHK BSプレミアム(Ch.3) ドキュメンタリー/教養
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    古代中国 よみがえる伝説 第一集「曹操と孔明~乱世の英雄 知られざる素顔~」[字][再]
    1/2 (火) 7:30 ~ 8:30 (60分) NHK BSプレミアム(Ch.3) ドキュメンタリー/教養
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    古代中国 よみがえる伝説 第二集「項羽と劉邦 王者の条件」[字][再]
    1/2 (火) 8:30 ~ 9:30 (60分) NHK BSプレミアム(Ch.3) ドキュメンタリー/教養
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    古代中国 よみがえる伝説 第三集「司馬遷と武帝~“史記”誕生秘話~」[字][再]
    1/2 (火) 9:30 ~ 10:30 (60分) NHK BSプレミアム(Ch.3) ドキュメンタリー/教養
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  62. 第一集

    楚の屈原

    秦の始皇帝
    夏を偽証

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  63. 帝=北極星


    始皇帝の星信仰

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  64. 【歴史修正主義】なんと文革を「無かったこと」に!? 習近平のあまりに強引な歴史改革[01/23]

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    1ろこもこ ★2018/01/23(火) 17:53:20.12ID:CAP_USER>>51
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180123-00054192-gendaibiz-int

    改めて中国人にとっての文革とは

     30年ほど前に買った「中国文学館」(黎波著、大修館書店)は、古代から現代までの中国文学の歴史を概括的に学ぶことができる良著だ。その中に、中華人民共和国建国(1949年)後「人民作家」と呼ばれ、文学界の重鎮として活躍した趙樹理(ちょう・じゅり)が文化大革命中(1966~76年)に紅衛兵らの批判にさらされる場面が出てくる。

     「彼は頭に高い帽子をかぶり、首には数十斤(1斤は500グラム)もする重い鉄板をぶら下げ、机を3つ積み重ねた高い台の上に立っている。机の上に跪かせると思うと、今度は立てと迫る。その立ち上がった瞬間であった。酷い暴徒が後ろから力任せに突き落としたのだ。この一突きで(……略……)腰骨は砕けてしまい、肋骨も折れ、折れた骨が肺を突き刺してしまい…4日もたたないうちに、趙樹理同志は怨みをのんで世を去った……」

     文革の被害を受けたのは、趙樹理だけでない。「実に多くの作家、評論家、文筆家が、殺害され、獄死し、迫害されて病死し、自殺した」(同著より)。

     この他にも、国家主席だった劉少奇や、朝鮮戦争を指導した彭徳懐ら、多くの建国の功臣が文革中に死亡したほか、広西チワン族自治区では粛清の犠牲者の人肉を食べるといったおぞましい事件も報告されている(この事件については最近刊行された『文化大革命 〈造反有理〉の現代的地平』(白水社)が詳述している。)

     文革による犠牲者は公式には死者40万人、被害者1億人だが、一説には死者2000万人とも言われている。

     この「10年の浩劫(中国語で大災害の意味)」の公的評価については、1981年の中国共産党第11期6中総会が採決した「建国以来の党の若干の歴史問題についての決議」(歴史決議)では、「毛沢東が誤って発動し、反革命集団に利用され、党、国家や各族人民に重大な災難をもたらした内乱である」として、完全な誤りであったとされた。

     ところが、最近になり、この文革の災禍を「希薄化」、すなわちなかったことにする動きが大きな議論を呼んでいる。

    中略

    歴史決議否定に傾く習近平

     ところで、今回、教科書の内容がこのように書き換えられたのは、どのような背景からであろうか。在ドイツの中国人ジャーナリスト、長平氏は、今回の決定は最高指導者、習近平の考え方を反映したものだと、筆者の質問に次のように答えた。

     「これは習近平の『改革開放の30年によってその前の30年を否定しない』の具体的に体現したものだ。鄧小平時代、共産党の執政の合法性は改革開放にあったが、憲政民主による政治改革への要求が常に(共産党政権への)挑戦となった。習近平はこの合法性を『中国の夢』へと変え、この矛盾を解決しようとした。つまり、西側の民主を拒否するのは当然だが、文革の『名誉回復』は、共産党の統治の合法性の障害を減らすためだ」

     「改革開放の30年によってその前の30年を否定しない」とは、正確には「改革開放後の歴史により改革開放前の歴史を否定せず、また改革開放前の歴史により改革開放後の歴史も否定しない」というもので、習近平が2013年1月に行った談話に登場する言葉だ。

     1949年以降の中国の歴史を大別すれば、文革に代表される政治闘争が続いた「革命」の前30年と、鄧小平が指導者として進めた「改革」の後30年となる。

     「革命」が正しいとなれば「改革」は誤りであり、「改革」が正しければ「革命」は誤りとなる。この間政権に居座り続けた共産党の合法性は、いずれにしても問われることになるが、習はこの矛盾を「どちらも否定しない」として巧みに回避しようとしたのだった。

     もちろん、これは習が毛沢東的な個人崇拝を進める中で、毛が神格化された「革命」時代の評価を高めておきたいという意図がある。だが結果として、文革を肯定することになり、前述の「歴史決議」を公然と否定することになる。

     これについて、長平氏は「民間では共産党は『歴史決議』を守れとの声があるが、あてにならない。どのような決議を上げようが、一党独裁政権は簡単に反故にすることができる。当時は文革を否定し、現在は決議を否定できるのだ。結党の自由や報道の自由を実現し、民主政治を行うことで、文革は初めて真に反省が可能となるのだ」と指摘した。

    以下ソース

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  65. 23名無しさん@1周年2019/04/25(木) 14:34:54.96ID:mecEZK1J0>>29>>47>>99
    中国の兵法書「六韜(りくとう)」

    「交渉の為に隣国から使者が来て、もしその者が有能ならば何一つ与えず返せ。
    交渉の為に隣国から使者が来て、もしその者が無能ならば大いに与え、歓待せよ。
    そうすれば、隣国では無能な者が重用され、有能な者が失脚する。そしてやがては滅ぶ」
      

      _ノ乙(、ン、)ノ これねw

    24名無しさん@1周年2019/04/25(木) 14:35:26.64ID:Nw9kUVtn0>>28

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  66. 三国志はカント三批判書に匹敵する

    魏呉蜀は真善美

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  67. 検索

    【歴史】三国志の英雄・曹操、劉備、孫権は史実でも本当にすごかったのか ★3

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    1樽悶 ★2019/08/28(水) 02:36:28.75ID:7ymxuKcb9
    https://amd.c.yimg.jp/amd/20190827-00010000-php_r-000-1-view.jpg



    東京国立博物館の特別展で話題となっている「三国志」。現在発売中の月刊誌『歴史街道』9月号では、「三国志・男たちの五大決戦」と題し、官渡、赤壁、五丈原など5つの決戦を取り上げ、名将たちがいかに決断したかに迫っている。

    (前略)ここでは、三国志研究の第一人者である渡邉義浩氏による解説を紹介しよう。

    ※省略

    『演義』では悪玉とされる曹操ですが、史実においては、桁外れの行動力と変革力を発揮しており、規格外の「時代の変革者」と評せます。当代随一の兵法家でもあり、この時代における一番の天才といってもいいでしょう。

    彼が成そうとした最大の変革として、「儒教の相対化」が挙げられます。漢の国教とされた儒教は、漢を「聖漢」、すなわち「聖なる漢」との教えを説き、その体制を支えていました。

    しかし、そうした漢の体制が行き詰って、国が乱れているわけですから、曹操は新たな時代を創造するためには、儒教第一主義を否定しなければならないと考えました。

    その手始めとして、「唯才主義」による人材登用を主張します。それまでの漢の官僚登用は「孝廉」、つまり人として優れていれば、官僚としての才能も保証される、という儒教理念に基づいて行なわれてきました。

    それに対して曹操は、貪欲だったり、賄賂を受け取るような人物であっても、才能さえあればいいとしたのです。

    あわせて文学を宣揚し、儒教に通じているか否かではなく、文学に優れているか否かを人事基準として、儒教を相対化しようとしました。

    中国史上でも、儒教に異議申し立てをしたのは、ほかに近代以降の魯迅と毛沢東しかいません。曹操が果たそうとしたことは、それほどまでに革新的なことだったのです。

    余談ですが、それによって儒教は打撃を受け、それまで普及していなかった仏教が後に広まる契機となります。それがなければ、日本への仏教渡来もどうなったかわからず、その意味で曹操は日本史にも影響を与えているのです。

    それから曹操は、漢の土地制度と税制を根本から変える改革も行なっており、「中国史上屈指の改革者」と評して過言ではありません。

    三国志の時代は、順当に行けば、袁紹による国家ができたことでしょう。名門の家系に生まれただけでなく、戦い方も王道です。彼は、漢と同じ国家像を志向しています。しかし滅びゆく漢と同じことをしても、無理があります。

    そうした袁紹に対し、曹操は漢に代わる新たな国家像を提示できた。だからこそ、勝利を収められたのではないでしょうか。

    なお、10年ほど前、中国河南省で西高穴二号墓が発掘され、曹操の墓ではないかと話題となったことは、記憶に新しいのではないでしょうか。発掘状況と文献を精査すると、曹操の墓で確実だといえます。

    ■劉備は諸葛亮に利用された

    ※省略

    三国志の時代に、裸一貫から皇帝にまで上り詰めたのは、劉備ただ一人です。曹操は漢の高官の息子ですし、孫権も弱小とはいえ豪族の出身。何もないところから成り上がった劉備の能力は、やはり極めて高かったといえます。

    劉備を支えた諸葛亮は、『演義』では天才軍師として描かれます。しかし、持ち上げられすぎているきらいがあり、それがために苦手という人もいるでしょう。

    実際の諸葛亮は、自分の得手不得手をよくわきまえた人物で、経済政策を苦手としていました。ですから例えば、劉備に嫌われていながらも、経済手腕には長じていた劉巴を、何とか高い地位につけようとしています。

    戦いの面で言えば、戦略と戦術に分けられますが、諸葛亮は戦術が苦手でした。戦術は騙し合いの世界なので、どちらかというと、人格者ではないほうが優れている。その点、諸葛亮はまっとうな人間であり、嘘や騙し合いの必要な戦術は、さほど得意ではなかったと思われます。

    しかし、戦略には優れていました。よく「天下三分の計」といいますが、それ自体は、あの時代であれば考え得ることでしょう。むしろ特筆すべきは、劉備という存在に目をつけたことにあります。

    諸葛亮は、漢を敬慕し、純粋に「漢再興」を目指していました。ですから、劉備に三顧の礼を受けた時、内心狂喜したのではないでしょうか。

    諸葛亮は、劉備が漢帝室の姓を持つことと、彼が優れた武人であることに注目し、漢再興の旗頭として位置づけることを考え出した──。(続きはソース)

    8/27(火) 12:14配信
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190827-00010000-php_r-pol

    ★1:2019/08/27(火) 23:45:46.81
    https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1566921900/

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  68. ふらむ (@Fu_Ra_Mu)
    2020/05/30 21:41
    六韜発祥の国が安倍晋三を優遇。

    ・六韜(りくとう)とは
    有能な使者は冷遇し、無能な使者は歓待せよ。さすれば無能な使者は本国で評価され、その国では無能が蔓延り、戦わずして滅ぼすことが出来る。

    中国が国営メディアに安倍首相批判を控えるよう指示 米中対立で考慮か
    news.livedoor.com/article/detail…
    https://twitter.com/fu_ra_mu/status/1266711254820769792?s=21

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  69. 89(´・ω・`)(`ハ´  )さん2020/12/09(水) 22:44:14.31ID:PPu5ZbCz>>99
    >>2
    「一帯一路」は、隋の文帝が、南朝の陳を油断させるため、お隣同士仲良くしようなと言ったときに使った言葉。
    その後、文帝は隙を見て陳に攻め込んで滅ぼした。

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