(「『啓蒙とは何か?』という問いへの答え」)
以下はカント批判哲学と『人倫の形而上学』との関係にも関連する:
http://yojiseki.exblog.jp/11547653/
「公と私」
高橋源一郎がtwitterでカントを引用している。
最近の公務員によるリークにも関連する原理的な思考である。
http://togetter.com/li/58305
以下上記まとめサイトより引用。
「公と私」・この問題について、おそらくもっとも優れたヒントになる一節が、カントの「啓蒙とは何か」という、短いパンフレットの中にある。それは「理性の公的な利用と私的な利用」という部分で、カントはこんな風に書いている。
「どこでも自由は制約されている。しかし啓蒙を妨げているのはどのような制約だろうか。そしてどのような制約であれば、啓蒙を妨げることなく、むしろ促進することができるのだろうか。この問いにはこう答えよう。人間の理性の公的な利用はつねに自由でなければならない。理性の公的な利用だけが、人間に啓蒙をもたらすことができるのである。これに対して理性の私的な利用はきわめて厳しく制約されることもあるが、これを制約しても啓蒙の進展がとくに妨げられるわけではない。さて、理性の公的な利用とはどのようなものだろうか。それはある人が学者として、読者であるすべての公衆の前で、みずからの理性を行使することである。そして理性の私的な利用とは、ある人が市民としての地位または官職についている者として、理性を行使することである。公的な利害がかかわる多くの業務では、公務員がひたすら受動的にふるまう仕組みが必要なことが多い。それは政府のうちに人為的に意見を一致させて公共の目的を推進するか、少なくともこうした公共の目的の実現が妨げられないようにする必要があるからだ。この場合にはもちろん議論することは許されず、服従しなければならない」
ここでカントはおそろしく変なことをいっている。カントが書いたものの中でも批判されることがもっとも多い箇所だ。要するに、カントによれば、「役人や政治家が語っている公的な事柄」は「私的」であり、学者が「私的」に書いている論文こそ「公的」だというのである。
引用、ここまで。
高橋氏の考察に付け加えることはないのだが、以下のような図を提示することができる。
公と官は必ずしも一致しないということである。
公
|
官___|___民
|
|
私
追記:
啓蒙とは何か――カント、公私の逆転:
http://syaosu.blog40.fc2.com/blog-entry-8.html
永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 (光文社古典新訳文庫)
(2006/09/07)
カント
「啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ」(P.10)
「未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである」(P.10)
「未成年の状態にとどまっているのは、なんとも楽なことだからだ」(P.11)
「人々をつねにこうした未成年の状態においておくために、さまざまな法規や決まりごとが設けられている。これらは自然が人間に与えた理性という能力を使用させるために(というよりも誤用させるために)用意された仕掛けであり、人間が自分の足で歩くのを妨げる足枷なのだ」(P.12)
「公衆を啓蒙するには、自由がありさえすえればよいのだ。しかも自由のうちでもっとも無害な自由、すなわち自分の理性をあらゆるところで公的に使用する自由さえあればよいのだ」(P.14)
「理性の公的な利用とはどのようなものだろうか。それはある人が学者として、読者であるすべての公衆の前で、みずからの理性を行使することである。そして理性の私的な利用とは、ある人が市民としての地位または官職についている者として、理性を行使することである」(P.15)
「教会の牧師も、キリスト教の教義を学んでいる者たちや教区の信徒には、自分が所属する教会の定めた信条にしたがって講和を行う責務がある。それを条件として雇われたからだ。しかしこの牧師が学者として、教会の信条に含まれる問題点について慎重に検討したすべての考えを、善意のもとで公衆に発表し、キリスト教の組織と教会を改善する提案を示すことは、まったく自由なことであるだけではなく、一つの任務(ベルーフ)でもある。良心が咎めるようなことではないのである」(P.17)。
「だから教会から任命された牧師が、教区の信者たちを前にして理性を行使するのは、私的な利用にすぎない」(P.18)
「理性を公的に利用する聖職者として行動しているのであり、みずからの理性を利用し、独自の人格として語りかける無制約の自由を享受しているのである」(P.18)
ここで、カントの有名な「理性の公的な使用」という概念が出てきます。では、理性を公的に使用するとは、またその対となる、「理性の私的な使用」とは、どういうことなのでしょうか。「理性の公的な利用とはどのようなものだろうか。それはある人が学者として、読者であるすべての公衆の前で、みずからの理性を行使することである。そして理性の私的な利用とは、ある人が市民としての地位または官職についている者として、理性を行使することである」(P.15)
返信削除これだけではよくわからないかと思いますので、もう少し詳しくご説明いたしましょう。カントは、いろいろなところで「議論するな」という声を聞く、と言います。学校の先生は「議論するな、授業を受けよ」といい、税務所の役人は「議論するな、納税せよ」という。たくさんの人が集まり、たくさんの人の利害が絡まる現場、すなわち公的な領域においては、議論すなわち批判や非難、反抗の余地はなく、「決まり」に対して受動的に従わなくてはならない、という感覚は、私たちのなかに強く刻み込まれていると思います。だから、ほとんどの人は「公的な領域」においては「決まりに対して従わなければならない」とし、「私的な領域」では「決まりから離れて自由にふるまってもいい」と考えることでしょう。
しかし、カントはこれを逆転させます。いかに社会人であっても、またはストライキ権すら認められていない公務員であっても、みずからを共同体の一員として、あるいは世界市民の一人としてみなす場合には、能動的に議論=批判することが許されるべきだと言うのです。
もちろん、これは社会の決まり事すべてに抵抗せよという意味ではありません。カントは「議論せよ、ただし服従せよ」というフリードリヒ大王の言葉を挙げていますが、やはり社会がスムーズに動くためには、どうしても決まりや法規への服従は必要となります。
一方では議論・批判せよといわれ、もう一方では服従しなければならない、といわれてしまうと、じゃあ一体どうすればいいのかよくわからなくなってしまいます。では、具体的に理性の公的・私的な行使とはいかなるものなのか。ここでカントは将校と、税を納める市民と、牧師の3つの実例をあげていますが、このうちの牧師の例を取り上げてみましょう。
「教会の牧師も、キリスト教の教義を学んでいる者たちや教区の信徒には、自分が所属する教会の定めた信条にしたがって講和を行う責務がある。それを条件として雇われたからだ。しかしこの牧師が学者として、教会の信条に含まれる問題点について慎重に検討したすべての考えを、善意のもとで公衆に発表し、キリスト教の組織と教会を改善する提案を示すことは、まったく自由なことであるだけではなく、一つの任務(ベルーフ)でもある。良心が咎めるようなことではないのである」(P.17)。
教会の定めにしたがって、教会の仕事を遂行しなければならないとき、その牧師は自分の考えを自由に話すような権限はありません。この場合は、たとえ教会の教義に疑問をもっていたとしても、その教義をそのとおりにきちんと信者に語らねばなりません。その教会に自ら属し、雇われている以上、これはその牧師に課せられた義務なのです。
私たちはこれを「公的な態度」と呼称することと思いますし、社会人として当然の責務とみなすことでしょう。しかし、カントはちがいます。「だから教会から任命された牧師が、教区の信者たちを前にして理性を行使するのは、私的な利用にすぎない」(P.18)つまり、かれからしてみれば、教会の決まりに従っている状態は「理性の私的な使用」に属するのです。
カントからしてみれば、ある「決まり」によってまとまっている集団は、それがいかに大規模なものであっても「内輪の集まり」に過ぎません。社会に無数にある集団のなかのほんの一部分なのですから、ゆえに社会全体から見てみれば「私的」でしかないのです。この「私的集団」のなかでは、個人が自由に理性を行使することは許されません。「私的」であるがゆえに、つまり「決まり」によって成り立っているため、それを破ってしまえば集団が瓦解してしまうからです。けれど、その「決まり」に縛られている牧師といえども、学者として、つまり公衆に語りかける者として世界に向かって己の意見を表明するときには、かれは「理性を公的に利用する聖職者として行動しているのであり、みずからの理性を利用し、独自の人格として語りかける無制約の自由を享受しているのである」(P.18)。
カントは「個人の自由」を主張しているのです。しかし、この自由とは、個人が社会の諸々の制約から逃れて、自分の好き勝手ふるまうことをゆるす、という性質のものではありません。カントのいう自由とは、己の社会的な位置を保ちつつ、社会の内側から、自分の属する諸領域への批判――それは一個の私的集団から、その集合体たる社会全体まで幅広く及びうるものです――を何者の制約も受けずに展開する自由なのであります。
著作・論文・講義
返信削除http://ja.wikipedia.org/wiki/イマヌエル・カント
1747年04月22日 - 『活力測定考』Gedanken von der wahren Schätzung der lebendigen Kräfte
1754年06月 - 「地球が自転作用によって受けた変化の研究」
1754年09月 - 「地球は老化するか、物理学的考察」Die Frage, ob die Erde veralte, physikalisch erwogen
1755年03月 - 『天界の一般的自然史と理論』Allgemeine Naturgeschichte und Theorie des Himmels
1755年04月 - 学位論文「火に関する若干の考察の略述」
1755年09月 - 就職論文「形而上学的認識の第一原理の新しい解釈」Principiorum primorum cognitionis metaphysicae nova dilucidatio
1756年01月 - 「地震原因論」Von den Ursachen der Erdenschütterungen bei Gelegenheit des Unglücks, Welches die westliche Länder von Europa gegen das Ende des vorigen Jahres betroffen hat
1756年 - 「地震におけるきわめて注目すべき出来事について」
1756年 - 「続地震論」
1756年04月 - 「物理的単子論」Metaphysicae cum geometria iunctae usus in philosohia naturali, cuius specimen I. continet monadologiam physicam
1756年04月 - 「風の理論の説明のための新たな註解」
1757年04月 - 「自然地理学講義草案および予告」Entwurf und Ankündigung eines collegii der physischen Geographie nebst dem Anhange einer kurzen Betrachtung über die Frage: ob die Westwinde in unsern Gegenden darum feucht seinen, weil sie über ein großes Meer streichen.
1758年04月 - 「運動および静止の新説」
1758年10月 - 「オプティミズム試論」
1762年 - 「三段論法の四つの格」
1763年 - 『神の存在証明の唯一の可能な証明根拠』Der mögliche Beweisgrund zu einer Demonstration des Daseins Gottes
1763年 - 「負量の概念を哲学に導入する試み」Versuch den Begriff der negativen Größen in die Weltweisheit einzuführen
1764年 - 『美と崇高の感情に関する観察』Beobachtungen über das Gefühl des Schönen und Erhabenen
1764年 - 「頭脳の病気に関する試論」Versuch über die Krankheiten des Kopfes
1764年 - 『自然神学と道徳の原則の判明性』Untersuchung über die Deutlichkeit der Grundsätze der natürlichen Theologie und der Moral
1766年 - 『形而上学の夢によって解明された視霊者の夢』Träume eines Geistersehers, erläutert durch Träume der Metaphysik
返信削除1768年 - 「空間における方位の区別の第一根拠」Von dem ersten Grunde des Unterschiedes der Gegenden im Raum
1770年 - 『可感界と可想界の形式と原理』De mundi sensibilis atque intelligibilis forma et principiis
1781年 - 『純粋理性批判』第一版 1. Auflage der Kritik der reinen Vernunft
1782年 - 『学として現れるであろうあらゆる将来の形而上学のための序論』 Prolegomena zu einer jeden künftigen Metaphysik, die als Wissenschaft wird auftreten können
1784年 - 『啓蒙とは何か』Beantwortung der Frage: Was ist Aufklärung
1784年 - 「世界市民的見地における一般史の構想」Idee zu einer allgemeinen Geschichte in weltbürgerlicher Absicht
1785年 - 『人倫の形而上学の基礎付け』Grundlegung zur Metaphysik der Sitten
1786年 - 『自然科学の形而上学的原理』
1786年 - 『人類史の憶測的起源』Mutmaßlicher Anfang der Menschengeschichte
1787年 - 『純粋理性批判』第二版 2. Auflage der Kritik der reinen Vernunft
1788年 - 『実践理性批判』 Kritik der praktischen Vernunft
1790年 - 『判断力批判』 Kritik der Urteilskraft
1791年09月 - 『弁神論の哲学的試みの失敗について』
1792年04月 - 「根本悪について」
1793年04月 - 『単なる理性の限界内での宗教』 Die Religion innerhalb der Grenzen der bloßen Vernunft
1793年09月 - 「理論と実践に関する俗言について」
1794年05月 - 「天候に及ぼす月の影響」
1794年06月 - 「万物の終焉」Das Ende aller Dinge
1795年 - 『永遠平和のために』 Zum ewigen Frieden. Ein philosophischer Entwurf
1797年 - 『人倫の形而上学』 Die Metaphysik der Sitten
1798年 - 『学部の争い』Der Streit der Fakultäten
1798年 - 『実用的見地における人間学』
1800年9月 - 『論理学』 Logik
1802年 - 『自然地理学』
1803年 - 『教育学』
1804年 - 「オプス・ポストムム」 遺稿
岩波書店 - 新訳版『カント全集』 全22巻、2000年-2006年
Beantwortung der Frage
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返信削除http://d.hatena.ne.jp/nikubeta/20070223/1172246282
■[思想]啓蒙について:カント 「『啓蒙とは何か?』という問いへの答え」
イマヌエル・カント(1724-1804)の「『啓蒙とは何か?』という問いへの答え」(1784)は以下のように始まります。
啓蒙とは人間が自ら招いた未成年状態から抜け出ることである。未成年状態とは、他人の指導なしには自分の悟性を用いる能力がないことである。
この未成年状態の原因が悟性の欠如にではなく、他人の指導がなくとも自分の悟性を用いる決意と勇気の欠如にあるなら、未成年状態の責任は本人にある。
したがって啓蒙の標語は「あえて賢くあれ!」「自分自身の悟性を用いる勇気を持て!」である。
(中略)
なぜ彼ら〔多くの人間〕は生涯をとおして未成年状態でいたいと思い、またなぜ他人が彼らの後見人を気取りやすいのか。
怠惰と臆病こそがその原因である。未成年状態でいるのはそれほど気楽なことだ。
(福田喜一郎訳、『カント全集 14』、岩波書店、2000年、25頁。強調原文。)
啓蒙という概念について述べられた文章としては最も有名なものなので、読んだことのある方も多いかと思います。別の著作の中でカントは、この啓蒙の定義について次のように言い換えています。
自分で考えるとは、真理の最高の試金石を自分自身の中(つまり自分自身の理性の中)に求めることである。そして、いつでも自分で考えるべきだという格率は、啓蒙のことである。
ものごとを自分で考えるのを避けて、他人に考えてもらい、行動するときには他人の指導に従うことは人間にとって楽な生き方です。しかし、このような負担の少ない状態を脱して、あえて賢くあろうとする、すなわち、あえて自分で考えるようにすることが、カントの考える啓蒙ということになります。
ではこのような啓蒙はどのようにして実現されるべきなのか。カントによれば、「こうした啓蒙を実現するために要求されるのは自由以外の何ものでもない(27頁)」。カントがここで述べている自由とは、人間が自分の持つ理性を公的に使用する自由のことです。理性を公的に使用する自由という考えには、当然のことながら、その対として理性を私的に使用する自由という考えが存在します。ではカントは理性の公的使用と、理性の私的使用ということで、それぞれ何を指していたのか。
カントによれば、理性を私的に使用するとは、「ある委託された市民としての地位もしくは官職において、自分に許される理性使用のことである(27頁)」。具体的には、たとえば軍務に服しているときや、納税義務を履行するときや、聖職者としての勤めを果たすときに、各人が自分自身の理性を使用するのは、理性の私的使用とみなされることになります。
もし、上官に何かを命令された将校が、軍務についていながらその命令の合目的性または有用性について声を出して議論しようと欲したならば、それは組織を大変堕落させることになるだろう。彼は命令に従わなくてはならないのである(28頁)。
つまり、ある人が自らに課せられた責務を果たす際に、その責務を果たすことが正しいかどうかについて自分自身で判断しようとするならば、これは理性を私的に使用していることになります。そして、カントによれば「その〔=理性〕の私的使用はしばしば極端に制限されることがあってもかまわない(27頁)」。
一方、理性を公的に使用するとは、「ある人が読者世界の全公衆を前にして学者として(als Gelehrter)理性を使用すること(27頁)」であるとカントは解釈します。先ほどの軍務の例に即して、カントは次のように述べます。
しかし、彼が軍務における失策を学者として批評し、この批評についての判定を自分の公衆に求めるのは、当然のことながら禁じられてはならない(28頁)。
これと同じように、学者として課税が不適当であるという考えを公にすることや、聖職者が学者として宗教の教えや教会制度について自分の考えを公にすることも認められなくてはなりません。また、カントはこのような立場で意見を述べることを、「世界市民社会の成員」として議論することだとも述べています。
理性の私的使用と公的使用に関するカントの議論を整理すると以下のようになるかと思います。
立場 制限は許されるか
理性の私的使用 市民としての地位、もしくは官職 許される
理性の公的使用 学者、世界市民社会の成員 許されない
以上を大雑把にまとめると以下のようになるでしょうか。各人は市民として課せられた義務や責務を忠実に果たさなければならない。これを果たさずに批判的な議論を行うことは理性の私的な使用に当たる。そして、理性を私的に用いる自由が制限されるのはやむをえないことである。
一方で各人は世界市民社会の成員として、自由に考えを公表し、議論を行わなくてはならない。これは理性の公的な使用に当たる。このような理性の公的使用の自由は守られなくてはならない。また、世界市民社会の成員として議論を行うときには、他人の指導に従うのではなく、自分で考えて判断を下さなくてはならない。
そしてカントは、このような条件が満たされることによって、「自由があっても公共体の公安や統一を気遣う必要は少しもない(32頁)」という事態が生まれると考えました。安定した秩序のもとで自由な議論が行われることで、宗教体制や法制度がより優れたもへと発展していく。カントが人間本性の根本使命だと考えた啓蒙の進展とは、このような事態を指しているのではないかと思います。
ところで、批評家の柄谷行人氏が、カントのこの論文を取り上げています。柄谷氏は『倫理21』という著作中の「『私的』なものと『公的』なもののカント的転倒」という一節で、以下のように書いています。
カントの〔私的、公的をめぐる〕この主張には、それ以前あるいは今日の通念からみて、大きな転倒があります。通常、公的とされるのは国家的レベルの事柄です。しかるに、カントはそれを私的なものといい、逆にそこから離れて個人として考えることを公的だというわけですから。カントは、そのような個人を世界市民(コスモポリタン)と呼びました。(柄谷行人、『倫理21』、平凡社ライブラリー、2003年、91頁。)
ここでの柄谷氏の理解は以下のようにまとめることができます。
私的な事柄 公的な事柄
通常の考え方 個人として考えること 公的立場から考えること
カントの考え方 公的立場から考えること 個人として考えること
しかしカントの文章をよく読んでみると、国家的レベルの事柄は私的であり、世界市民的に考えることが公的であるとは書かれていません。カントが書いているのは、国家的レベルの事柄について、国家的レベルの地位についている者として理性を用いることは理性の私的使用に当たる。一方、世界市民の立場から理性を用いることは理性の公的使用に当たる、ということにとどまります。
私は上で引用した柄谷氏の文章を最初に読んだとき、なるほどと思った記憶があります。しかし、少なくともカントの読解としては問題含みであるようです。しかも、カントの文章に実際に当たってみると、柄谷氏の読解はカントの思想の前提とも抵触する気がしてきます。とはいえ、これ以上のことはまだよく分からないので、ここに書くのは控えることにします。
立場 制限は許されるか
理性の私的使用 市民としての地位、もしくは官職 許される
理性の公的使用 学者、世界市民社会の成員 許されない
私的な事柄 公的な事柄
通常の考え方 個人として考えること 公的立場から考えること
カントの考え方 公的立場から考えること 個人として考えること
カントの〔私的、公的をめぐる〕この主張には、それ以前あるいは今日の通念からみて、大きな転倒があります。通常、公的とされるのは国家的レベルの事柄です。しかるに、カントはそれを私的なものといい、逆にそこから離れて個人として考えることを公的だというわけですから。カントは、そのような個人を世界市民(コスモポリタン)と呼びました。(柄谷行人、『倫理21』、平凡社ライブラリー、2003年、91頁。)
カントにおいては徳が法になる
返信削除公と私が逆転する
『フーコー・コレクション6 生政治・統治』
返信削除http://www.arsvi.com/b1990/9400fm.htm
啓蒙とは何か[pp.303-361]
カントの『啓蒙とは何か』の検討
(1) ドイツの啓蒙とユダヤ解放運動が、「両者ともに、どのような共通のプロセスに自分たちが依り処をもつものなのかを知ろうとするようになる」(p.364)。
(2) カントは、一つの全体や、将来の成就から出発して、〈現在〉を理解しようとはしない。彼は〈今日〉は、〈昨日〉にたいして、いかなる差異を導入するものなのか、一つの差異を求めるのである。
(3) カントが、どのように〈現在〉についての哲学的問いを立てるのかを理解するために、重要と思われる特徴を抽出する。以下4点
3-1:啓蒙の特徴は脱出にあり、カントは脱出とは「私たちを〈未成年〉の状態から脱却させる過程である」と記す(pp.366-367)。
3-2:〈脱出〉はカントにおいて、両義的である。「カントはそれを、一つの事実として、起こりつつあるプロセスとして性格づけている」が、「同時に一つの使命、義務として定時している」(p.367)。
3-3:「啓蒙は、人間存在の人間性を構成しているものに影響を及ぼす変化のこと」だというカントの答えは、両義性を伴う。カントは、未成年を脱出するためには二つの条件を定め、それらは二つとも「精神的であると同時に制度的、倫理的であると同時に政治的なものだ」(p.367)。
3-3-1:服従に属することと、理性の使用に属することを明確に区別しなければならない(p.367)。
3-3-2:理性はその公的な使用においてこそ自由であるべきであり、その私的な使用において服従させれれたものであるべきだ(p.370)。
3-4:いかにして理性の使用が、理性にとって必然的な形をとりえるのか、諸個人が可能なかぎり厳格に服従しているときに、いかにして知る勇気が堂々と行使されうるのか、という問題が問われる。→自律的な理性の公的で自由な使用は、服従の最良の保証となる(p.372)。
カントの三大批判都と『啓蒙とは何か』の間に結び付きが存在する。「啓蒙」を、人類が、いかなる権威にも服従することなく、自分自身の理性を使用しようとするモーメントであると描いている(p.372)。
↓
フーコーの仮説:『啓蒙とは何か』が批判的省察と歴史についての考察との、言わば連結部に位置する→歴史についての省察、さらに、自分が物を書く〈時〉、その時だからこそ物を書くというその単独な〈時〉についての個別的な分析、という三者を結び付けて考えたのは初めてのことだった。歴史における差異としての〈今日〉、また、個別的な哲学的使命の動機としての〈今日〉、についてのこのような反省こそ、このテクストの新しさだ、と私には思えるのである(p.374)。
↓
カントのテクストを参照することによって、私は、現代性を、歴史の一時期というよりは、むしろ一つの〈態度〉として考えることができないだろうか(p.375)。→ギリシア人たちのいうエートス
〈現代性〉の態度の必然的な例:ボードレール→一九世紀における現代性の最も先鋭的な意識のひとつを認められる(p.375)
ボードレールの現代性の4つのポイント
(1)「一時的なもの、うつろい易いもの、偶発的なもの」であるが、現代性は、時間の流れを追うだけの流行とは区別される。それは、現在性とは、逃げ去る現在についての感受性の事象ではなく、現在を「英雄化」一つの意志なのだ(p.376)。
→「あなた方は現在を軽蔑する権利がない」(p.377)。
(2)遊歩は、「眼を開き、注意を払い、思い出のなかに収集することで満足する」。ボードレールは遊歩の人に、現代性を対置する。→ボードレールの現代性の例=デッサン画家:コンスタンタン・ギース
ボードレールがいう現代性とは、「〈現在〉のもつ高い価値は、その〈現在〉を、そうであるのとは違うように想像する熱情、〈現在〉を破壊するのではなく、〈現在〉がそうある在り方の裡に、〈現在〉を捕捉することによって、〈現在〉を変形しようとする熱情」(p.378)である。
(3)現代性の意志的な態度は、それに欠かすことの出来ない禁欲主義と結びついている。現代的であるとは、過ぎ去る個々の瞬間の流れにおいて、あるがままに自分自身をうけいれることではなく、自分自身を複雑で困難な練り上げの対象とみなすこと(p.379)。
(4)上記の、1、アイロニカルな英雄化 2、現実的なものを変容させるために現実的なものと取り結ぶ自由の戯れ、3、自己禁欲的な練り上げは、社会ではなく、ボードレールが芸術と呼ぶ場所で成立する(p.380)。
フーコーはボードレールの現代性の特徴を、これらボードレール的な現代性の4点によって要約しているのではなく、そうではなく〈哲学的な問い〉が〈啓蒙〉に根差しており、「私たちを啓蒙に結び付けている絆が、教義の諸要素への忠誠というようなものではなく、むしろ一つの態度の絶えざる再活性化なのだ」(p.380)ということを指摘している。→この態度を、〈哲学的エートス〉として特徴づけることができる。
〈哲学的エートス〉のネガティヴな特徴づけ
(1) 啓蒙は受け入れる/拒否するという二者択一を拒否するということを意味している。「弁証法的なニュアンスを導入することなど、この恐喝の外にでることにはならないのだ」(p.381)。
(2) 人間主義のテーマと啓蒙の問題とを混同するような歴史的道徳的混迷主義をも逃れなければならない(pp.384-385)。
〈哲学的エートス〉のポジティヴな特徴づけ
(1)〈哲学的エートス〉は、一つの限界的態度として性格づけることができる。それは、拒絶の態度ではない。ひとは、外と内との二者択一を脱して、境界に立つべきなのだ。批判とは、まさしく限界の分析であり、限界についての反省なのだ(p.385)。
(2)限界に立つことで実行されるこの仕事が、一方では、歴史的調査の領域を開くものであるべきだということ、他方では、変化が可能であり、また望ましくもある場所を把握し、また、その変化がどのようなものであるべきかを決定するために、現実と同時代の試練を自ら進んで受けるべきだ(p.387)。
(3)Q:つねに部分的で局所的な実験にとどまり続けることによって全体的な諸構造に逆に規定されないか?
A1:完全で決定的な認識を断念しなければならないのはその通り。
A2:しかし、無秩序と偶然性においてしか行われることを意味しない。その作業は、固有の賭けられたもの、均一性、体系性、一般性をもつ(pp.388-389)
・固有の賭けられたもの
能力と権力のパラドクスといった技術的諸能力の増大と権力関係の強化とをどのように切り離しうるかということ(p.390)
・均一性
行うことの諸々の様態を組織している合理性の諸形式を対象とするとともに、他人たちが行うことに反応しつつ、またある程度までは自らのゲーム規則を変更しつつ、人間がそれらの実践のシステムのなかで行動するときの自由を対象として扱う(p.390)。
・体系性
如何にして、私たちは私たちの知の主体として成立してきたのか、如何にして私たちは、権力関係を行使し、またそれを被るような主体として成立してきたのか、また、如何にして私たちは、私たちの行動の道徳的主体として成立してきたのか、という体系化である(p.391)。
・一般化
歴史的―批判的調査は、つねに、一つの素材、一つの時代、限定された実践と言説が作り出す一つのまとまりであり、非常に個別的なものだが、西欧社会という尺度において、それらの調査は一般性をもつ(p.391)。→〈問題化〉の諸様式の研究は、一般的な射程を持った諸問題を、歴史的に単独な諸形態において分析するという方法なのである(p.392)。
まとめ
私たち自身の批判的存在論、それをひとつの理論、教義、あるいは蓄積される知の恒常体と見なすのではなく、一つの態度、一つのエートス、私たち自身のあり方の批判が、同時に私たちに課せられた歴史的限界の分析であり、同時にまた、それらの限界のありうべき乗り越えの分析であるような、一つの哲学生活として、それは理解されるべきなのだ。 カントの啓蒙の問いは、一つの哲学態度として理解できる。そしてその哲学態度は、様々な調査の作業に翻訳されなければならない。それらの調査は、技術論的なタイプの合理性であると同時に、諸々の自由の諸戦略ゲームとしてとらえられた諸々の実践の、考古学的であると同時に系譜学的な研究においてこそ、方法論的一貫性を持つことになる(p.393)。
編者解説「啓蒙とは何か(2)」……石田英敬
「 およそ「西欧」の歴史全体を視野に入れ、そのなかで「発明」された「技法」や「政治テクノロジー」から、「認識」の歴史を捉え返し、私たちをとらえている「政治的理性」の批判を実行すること、そうした方法および態度はむしろフーコーにおいては全仕事を通してつねに一貫した戦略であったと考えるべきなのだ。」(p.450)
「「国家」とは、逆説的なことだが、「個人化」の政治テクノロジー抜きには成り立ちえないものだ。「私たちはどのようにして、自分たち自身を、社会として、社会的実体の要素として、国民や国家の一部として、認識するようになったのか」(「個人の政治テクノロジー」、コレクション第5巻408頁)という問いに答えることこそが、「国家」の問いに答えることである。」(p.451)
*作成:石田 智恵
更新:中田喜一, 箱田 徹
UP:20080831 REV:20091226 20100428
| 立場 | 制限は許されるか
返信削除_______|________________|_________
理性の私的使用| 市民としての地位、もしくは官職| 許される
_______|________________|_________
理性の公的使用| 学者、世界市民社会の成員 | 許されない
| 私的な事柄 | 公的な事柄
_______|____________|______________
通常の考え方 | 個人として考えること | 公的立場から考えること
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カントの考え方| 公的立場から考えること| 個人として考えること
http://d.hatena.ne.jp/nikubeta/20070223/1172246282
nikubeta 坂本邦暢
| 立場 | 制限は許されるか
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理性の私的使用| 市民としての地位、もしくは官職| 許される
理性の公的使用| 学者、世界市民社会の成員 | 許されない
| 私的な事柄 | 公的な事柄
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通常の考え方 | 個人として考えること | 公的立場から考えること
カントの考え方| 公的立場から考えること| 個人として考えること
http://d.hatena.ne.jp/nikubeta/20070223/1172246282
nikubeta 坂本邦暢
立場 制限は許されるか
理性の私的使用 市民としての地位、もしくは官職 許される
理性の公的使用 学者、世界市民社会の成員 許されない
私的な事柄 公的な事柄
通常の考え方 個人として考えること 公的立場から考えること
カントの考え方 公的立場から考えること 個人として考えること
http://d.hatena.ne.jp/nikubeta/20070223/1172246282
nikubeta 坂本邦暢
| 立場 | 制限は許されるか
返信削除_______|________________|_________
理性の私的使用| 市民としての地位、もしくは官職| 許される
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理性の公的使用| 学者、世界市民社会の成員 | 許されない
| 私的な事柄 | 公的な事柄
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通常の考え方 | 個人として考えること | 公的立場から考えること
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カントの考え方| 公的立場から考えること| 個人として考えること
http://d.hatena.ne.jp/nikubeta/20070223/1172246282 nikubeta 坂本邦暢
カントの〔私的、公的をめぐる〕この主張には、それ以前あるいは今日の通念からみて、大きな転倒があります。通常、公的とされるのは国家的レベルの事柄です。しかるに、カントはそれを私的なものといい、逆にそこから離れて個人として考えることを公的だというわけですから。カントは、そのような個人を世界市民(コスモポリタン)と呼びました。(柄谷行人、『倫理21』、平凡社ライブラリー、2003年、91頁。)
倫理21: 471 (平凡社ライブラリー 471) (Japanese Edition) by 柄谷 行人
返信削除自分の理性を公的に使用することは、いつでも自由でなければならない、これに反して自分の理性を私的に使用することは、時として著しく制限されてよい、そうしたからとて啓蒙の進歩はかくべつ妨げられるものではない、と。ここで私が理性の公的使用というのは、或る人が学者として、一般の読者全体の前で彼自身の理性を使用することを指している。また私が理性の私的使用というのはこうである、――公民として或る地位もしくは公職に任ぜられている人は、その立場においてのみ彼自身の理性を使用することが許される、このような使用の仕方が、すなわち理性の私的使用なのである。 (『啓蒙とは何か』、篠田英雄訳、岩波文庫)
しかしかかる機構の受動的部分をなす者でも、自分を同時に全公共体の一員――それどころか世界公民的社会の一員と見なす場合には、従ってまた本来の意味における公衆一般に向かって、著書や論文を通じて自説を主張する学者の資格においては、論議することはいっこうに差支えないのである、…… (同前)
yoji さんは書きました...
返信削除|立場 |制限は許されるか
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理性の私的使用|市民としての地位、もしくは官職|許される
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理性の公的使用|学者、世界市民社会の成員 |許されない
|私的な事柄 |公的な事柄
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通常の考え方 |個人として考えること |公的立場から考えること
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カントの考え方|公的立場から考えること|個人として考えること
http://d.hatena.ne.jp/nikubeta/20070223/1172246282 nikubeta 坂本邦暢
カントの〔私的、公的をめぐる〕この主張には、それ以前あるいは今日の通念からみて、大きな転倒があります。通常、公的とされるのは国家的レベルの事柄です。しかるに、カントはそれを私的なものといい、逆にそこから離れて個人として考えることを公的だというわけですから。カントは、そのような個人を世界市民(コスモポリタン)と呼びました。(柄谷行人、『倫理21』、平凡社ライブラリー、2003年、91頁。)
|立場 |制限は許されるか
返信削除_______|_______________|_________
理性の私的使用|市民としての地位、もしくは官職|許される
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理性の公的使用|学者、世界市民社会の成員 |許されない
|私的な事柄 |公的な事柄
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通常の考え方 |個人として考えること |公的立場から考えること
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カントの考え方|公的立場から考えること|個人として考えること
(http://d.hatena.ne.jp/nikubeta/20070223/1172246282 nikubeta 坂本邦暢)
カントの〔私的、公的をめぐる〕この主張には、それ以前あるいは今日の通念からみて、大きな転倒があります。通常、公的とされるのは国家的レベルの事柄です。しかるに、カントはそれを私的なものといい、逆にそこから離れて個人として考えることを公的だというわけですから。カントは、そのような個人を世界市民(コスモポリタン)と呼びました。(柄谷行人、『倫理21』、平凡社ライブラリー、2003年、91頁。)
「1983年1月5日の講義」(ミシェル・フーコー) - simply2complicated
返信削除http://d.hatena.ne.jp/hirokim21/20091006/1254764685
「1983年1月5日の講義」(ミシェル・フーコー)
Book
Michel Foucault, Le gouvernement de soi et des autres : Cours au College de France. 1982-1983., Paris, Gallimard et Seuil, 2008.
【一時限目】
・私がやろうとしているのは「思考の歴史(une histoire de la pensee)」だ。<思考>ということで私が意味しているのは<経験の源(foyers d'experience)>の分析である。すなわち、第一に可能な知の諸形式について、第二に諸個人にとっての行動の規範的な型について、そして第三に可能な諸主体にとっての潜在的な存在様式についての分析である。これら三つの要素の配置(articulation)こそが<経験の源>である。(pp. 4-5)
・これら三つの軸についての研究こそ私がこれまで試みてきたことだ。
(1)真と偽のゲーム、真理を言うこと(veridiction)の諸形式、connaissanceの歴史からsavoirsの分析への移動
(2)大文字の権力(Pouvoir)の分析ではなく、それによって他者(autres)の振る舞い(conduite)の指導(conduire)が企てられるところの諸テクニックや諸手続きについての分析
統治の手続きの領域での権力の行使(exercer)の分析
規範(norme)の分析から権力の諸実践(exercices)の分析へ
(3)主体の理論への参照からそれによって個人が自分自身を主体として構成するよう導かれるところの様々な形式についての分析へ(自己との関係についての諸テクニック/テクノロジー、すなわち自己のプラグマティックを介した主体化の諸形式)
→<諸経験(experiences)」>の歴史へ(pp. 5-7)
・自己の統治と他者の統治との関係
「啓蒙とは何か」Was ist Aufklarung? (カント)
1784年9月に執筆され12月にベルリン月報(Berlinische Monatsschrift)という雑誌に発表されたテクスト。
カント同じ雑誌で以下の所論考を発表。
1784年11月「世界公民的見地における一般史の構想」
1785年「人種の概念の規定」
1786年「人類の歴史の臆測的起源」
さらにカントは同時期に一般文芸新聞(Allegemeine Literaturzeitung)にヘルダーの著作について書いたり、ドイツ・メルクール(Teutsche Merkur)で「哲学における目的論的原理の使用について」を発表したりしていた。※さらに詳しいカントの年表はここ(リンク)。(pp. 8-9)
・これらの諸論考が発表されたのが「雑誌」であったということが「公衆(public,
Publikum)」概念との関係で重要である。
(1)第一に、それは作家と読者の関係の機能を意味する。カントが分析したのはこの関係についてであった。「公衆」とは一つの「現実(realite)」である。それは学者サークル(societes savantes)やアカデミー、雑誌、あるいはその界隈で流通しているものの存在によって制度化され描かれた現実である。
(2)同時期に同じ雑誌でユダヤ人哲学者のモーゼス・メンデルスゾーンが同じ「啓蒙とは何か」という論考を書いていた。カントとメンデルスゾーンにおいて共に問題となっていたのは、意識することにとどまらず、私的実践と考えられる宗教的実践の表現の絶対的自由の必要性であった。自己の宗教への勧誘(proselytisme)や私的に秩序づけられた共同体内部での権威などとは全く関係なく、自らの宗教にどのような態度をとるかという問題がここでは問われている(キリスト教でもユダヤ教でも)。
(3)哲学的省察の領域における新しいタイプの問いの出現――現在(present)の問い、現在性(actualite)の問い――「今日何が起こっているか?」「我々がそこでそれぞれとしてあり、そこで私が書いている場であり点であるところの、この<今>とは何か?」
もはやある教義や伝統、あるいは人間共同体一般への所属が問われるのではなく、この現在への所属が問われる。すなわちこの<我々(nous)>、それ固有の現在性に特徴的な文化的総体と関わる<我々>への所属が問われるのである。この<我々>こそ哲学による省察の対象でなければならず、あるいはそうならなければならない。哲学は近代の/についての言説となる。
「啓蒙」とは自分自身を指し示す一つの時代であり、自分自身の信条(devise)や掟(precepte)を定める時代である。それはまた一つの名である。
(4)18世紀の終わりから19世紀にかけて<現代の(moderne)>哲学が始まる。フランス革命(Revolution)はその時代を画す出来事である。「啓蒙とは何か?」という問いとともに「革命とは何か?」という問いが問われる。これは1794年にフィヒテが『フランス革命論』を刊行して以来の問いである。カントは1798年の『諸学部の争い』の一部でこれを取り上げる。カントは哲学部と法学部の関係について書かれた第二論文のなかで、この関係の本質を「人類にとっての恒常的な進歩はあるか?」という問いの周囲に位置づける。歴史自身において原因の存在の恒久的なしるし(signe)があるかが問題となる。そのしるしはrememoratif、demonstratif、pronostiqueの三種である。そして革命はこの出来事のしるしとして導入される。
しかし革命の中身が重要なのではない。意味がある(signicatif)のは革命に参加していない傍観者(spectateurs)が、しかしそれを見物することでそれに巻き込まれるそのやり方なのである。革命そのものは単なる無駄遣いである。重要なのは革命を行っておらず、革命の主要なアクターでもない者たちの頭のなかで何が起きるか、なのである。それは彼らが自身とこの革命との間に結ぶ関係である。革命への熱狂(enthousiasme)にこそ意味がある。
この革命は、第一に、全ての人々が自分たちにとって都合がよく自分たちが望む政体(constitution politique)をもつのは当然の権利であると考えるというしるしである。第二に、それは人々がすべて攻撃的戦争を避ける政体を求めるというしるしでもある。ここでは革命が啓蒙のプロセスとなっている。革命は啓蒙のプロセスを完了し継続させるものなのだ。
そして過去に革命があったということが一つの永続的な潜在性(virtualite)を構成する。未来の歴史のために進歩に向けた足取りの非忘却(non-oubli)と継続性を保証するのである。(pp. 9-21)
・啓蒙はカント以降の哲学的思考を貫通している。革命もまた然りである。そしてカント以降の哲学は大きく分けて二つの伝統を形成するに至った。
(1)真理の分析学、アングロ・サクソンの分析哲学
(2)現在の、現在性の、現代の、我々自身の存在論――我々の可能な諸経験の現在的な(actuel)領域は何か?
そして我々が現在的に(actuellement)直面している哲学的な選択がこれである。もちろん、私ができうるかぎり自らを結びつけるところの省察の形式を基礎づけたのは、ヘーゲルからニーチェとウェーバーを経てフランクフルト学派に至る哲学の形式のほうである。(pp. 21-22)
啓蒙とは何か 他四篇 (岩波文庫 青625-2)
作者: カント,篠田英雄
出版社/メーカー: 岩波書店
発売日: 1974/06/17
メディア: 文庫
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フランス革命論―革命の合法性をめぐる哲学的考察 (叢書・ウニベルシタス)
啓蒙とは何か――カント、公私の逆転 | Communication and Deconstruction
返信削除http://syaosu.blog40.fc2.com/blog-entry-8.html
ここで、カントの有名な「理性の公的な使用」という概念が出てきます。では、理性を公的に使用するとは、またその対となる、「理性の私的な使用」とは、どういうことなのでし…
http://blog.goo.ne.jp/himeros_2011/e/fe8708fde44a5e3ccea534c19ae6ee1b
返信削除フーコーによると、「現代の哲学とは、二世紀前に、かくも不用意に投げかけられた問い、
『啓蒙とは何か』(カントが「ベルリン月刊」に載せたテクスト)に答えようと試みる哲学
である」という。カントのこのテキストによって、一つの問い、「私たちが今そう在るとこ
ろのもの、私たちが今考えていること、私たちが今おこなっていることを、少なくとも部分
的には決定してしまったその出来事とは何なのか」という問いが思考の歴史のなかに入りこ
むことになった、とフーコーは主張する。そこで提起されているのは「現在についての問い」
であり、「今何が起こっているのか」、「この今とは何なのか」という問いである。フーコー
はデカルトとの相違を、『方法序説』を例に取り出し述べている。デカルトは、当時の学問
の歴史的状況に対して自分を顧みている。つまり「現存しているものとして布置のなかに哲
学的な決定のための動機を見出すこと」であることに対して、カントは「現在のなかの一体
何が、現在、哲学の考察にとって意味あるものであるか」を問うている。哲学者自らが「哲
学へと関わるプロセスの担い手」であり、要素であると同時に行為者なのである。「哲学が
自らの言説の現在性を問題化する」ことである、つまり、カントの主張は己の帰属を問うこ
とであるとフーコーはいう。
Blogger yoji さんは書きました...
返信削除【報告】「哲学と大学」 第2回「カント『学部の争い』」 | Blog | University of Tokyo Center for Philosophy
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/from/blog/2007/12/-philosophy-and-university-2-k/
Blog / ブログ
【報告】「哲学と大学」 第2回「カント『学部の争い』」
2007.12.09 └哲学と大学, 宮崎裕助
公開共同研究「哲学と大学」第2回は、UTCP共同研究員・宮崎裕助によるカントの『学部の争い』に関する発表だった。
IMG_1133a.jpg
⇒発表レジュメ「カントの『諸学部の争い』をめぐって」
『学部の争い』(1798年)は、『人間学』と並んで、カントが生前に公表した最後の著作である。初版の諸論文は検閲に遭って発禁処分となったため、序言には検閲を行ったフリードリッヒ・ヴィルヘルム二世への弁明が綴られている。大学論は第1部「哲学部と神学部との争い」で展開されており、この部分は日本語訳にしてわずか20頁ほどだが実に豊かな問題を提起している。
カントの時代、大学は三つの上級学部(神学部、法学部、医学部)と下級学部(哲学部)とから構成されている。上級学部の教説は国民に強力な影響力をもつ。神学部は各人の永遠の幸せを、法学部は社会の各成員の市民的な幸せを、医学部は肉体的な幸せ(長寿と健康)を対象とする。上級学部は政府から委託されて、文書にもとづく規約(聖書、国法、医療法規)を整備することで公衆の生活に直接的な影響を及ぼす。政府は上級学部の教説を認可し統御することで、国家権力を行使するのである。
他方、下級学部(哲学部)は国家の利害関心からは独立しており、その教説は国民の理性のみに委ねられる。哲学部は国家権力の後ろ盾がないが、しかし、すべての教説を判定する理性の自由を保証されている。哲学部は国家権力に対して反権力を対置するのではなく、一種の非権力、つまり権力とは異質の理性を対置することによって、この権力の限界画定を内側から試みるのだ(デリダ)。哲学部は大学の一学部として制度的に限定されると同時に、批判的理性を行使する無条件な権利をもつという点で学問の全領域を覆う。それゆえ、哲学部をめぐるアポリアは、ひとつの有限な場所と遍在的な非場所(シェリング)という二重性をもつ哲学部をどのように大学制度のうちに定着したらよいのか、という問いになるだろう。
上級学部と下級学部の争いは合法的なものであって、戦争ではない。上級学部が右派として政府の規約を弁護するならば、下級学部(哲学部)は反対党派(左派)として厳密な吟味検討をおこない、異論を唱える。理性という裁判官が真理を公に呈示するために判決を下すかぎりにおいて、この争いは国家権力に対しても有益なのである。その場合、まるで梃子の作用が働くように、真理への忠実さという点で哲学部は右派となり、上級学部は左派となるだろう。こうした大学の建築術的な図式において重要なことは、各勢力の争いの両極を分かつ支点において大学全体の方向を転換するような「梃子(モクロス)」(デリダ)の作用が維持されること、そうすることで、真理をめぐる複数の政治的戦略が可能性として残されることであるだろう。
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討議の時間では、カントの大学論を現在の視点から読む上での注意事項が挙げられた。まず、カントのいう哲学部と哲学を分けて考える必要性だ。カントの時代の哲学部から文学部や理学部、経済学部などが派生してくるわけで、それは狭義の哲学部ではない。また、この大学論はカントの政治的な振る舞いが込められたテクストであり、その文脈を十分に考慮しなければならない。
大学の各学部の上級/下級という区分は、現在で言うと専門と基礎教養に対応するものだろうが、カントの区分は実によく練り上げられている。神学は来世、法学と医学は現世を対象とし、さらに法学と医学は社会的次元と身体的次元に関係する。上級学部は人間の生活に関わるほとんどすべての領域を包括するのであり、これを統御する国家は優れた「統治性」(フーコー)を発揮することができる。これに対して、下級学部(哲学部)には理性の自由が許可されるとカントは幾度も書いているのだが、意外にも、真理に関する記述は手薄である。つまり、カントは真理を実定的なものとして提示するのではなく、むしろ真理の可能性の条件を提示し、理性の自由な判断はいかにして可能かを論及するのだ。例えば、真理とは虚偽を発見し、これを排除する手続きであって、そのためには公開性の原則が保持されなければならない、というように。
「学者の形象」に関しても議論となった。カントは『啓蒙とは何か』において「als Gelehrter(学者として)」という表現を何度か使用して、理性の公的使用を説明した。日常生活において聖職者や士官として社会的役割をはたす人々が、「Gelehrter」として理性を世界市民的な視点から行使しうるとされる。この場合、「Gelehrter」は敢えて「知識人」と解した方がよい、という意見が出た。カントは大学教育を受けた者を原像として「Gelehrter」を使用し、これを「自分の見解を書くことを通じて表現できる者」という意味合いで使っているのではないか。こうした「学者の形象」を踏まえて、それでは、誰もが「自分の見解を書くことを通じて表現できる」この高度情報化社会において、「在野の学者」とはいったい誰のことを指すのか、という問いも発せられた。
前回に引き続き関西から参加してくれた斉藤渉氏(大阪大学)は、カントの時代の大学制度に関して詳細なコメントを加えてくれた。次回(1月28日)は、フンボルト研究者である斉藤氏による発表である。あのフンボルトの大学理念がいよいよ登場するわけだ。
(文責:西山雄二)
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6:17 午後 削除
Blogger yoji さんは書きました...
【報告】「哲学と大学」 第2回「カント『学部の争い』」 - UTCP
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発表レジュメ「カントの『諸学部の争い』をめぐって」. 『学部の争い』(1798年)は、『人間 学』と並んで、カントが生前に公表した最後の著作である。初版の諸論文は検閲に遭って 発禁処分となったため、序言には検閲を行ったフリードリッヒ・ヴィルヘルム二世への 弁明が綴られている。大学論は第1部「哲学部と神学部との争い」で展開されており、 この部分は日本語訳にしてわずか20頁ほどだが実に豊かな問題を提起している。 カントの時代、大学は三つの上級学部(神学部、法学部、医学部)と下級学部( ...
カント全集〈18〉諸学部の争い・遺稿集 | イマヌエル カント, Immanuel ...
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諸学部の争い - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/諸学部の争い
カントによれば、人生には三つの重大な幸福の追求がある:1)健康の追求(肉体(物質) 的)、2)社会的な平和の追求(社会的)、3)信仰上の平安(宗教的)。これらのぞれぞれ を研究する学問の学部である医学部と法学部と神学部は社会上の権威と同時に権力も 握っていた。カントはこれらを上級学部と名づける。これに対し当時の哲学部は下級学部 として上級学部より劣った立場として扱われていた。諸学部の争いとは以上の上級学部 と下級学部の争いを指す。カントは、上級学部の価値判断はすべて歴史的・経験的で ...