NAMs出版プロジェクト: モナドロジー:ライプニッツ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#m
NAMs出版プロジェクト: ライプニッツ 形而上学叙説 目次
http://nam-students.blogspot.jp/2013/09/blog-post_22.html
48. 神の中には、すべてのものの源泉である力(la puissance)と、
さまざまな観念の細部を含んでいる認識と、
さらに最善という原理にしたがって変化あるいは生産を生じさせる意志
とがある。この三つは、創造されたモナドの中にある主体すなわち基礎と、
表象の能力と、
欲求の能力
とに対応している。しかし、神においてはこうした属性は絶対的に無限つまり完全である。そして創造されたモナドつまりエンテレケイア(ヘルモウス・バルバルスの訳語ではペルフェクティハビエス)においては、その完全性の度合に応じてそれらの属性の模倣があるに過ぎない。 →完全性18,41,42,48,54,58,90
:ライプニッツ、モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note48
5定理四〇 おのおのの物はより多くの完全性を有するに従って働きをなすことがそれだけ多く、働きを受けることがそれだけ少ない。反対におのおのの物は働きをなすことがより多いに従ってそれだけ完全である。
:スピノザ、エチカ http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note5p40
1実体
/\
/無限\
/_無限定_\
________/_2a属性__\________
\知 抑制 / 小←/\→大 完全性 至福/
\ 悪/___2b様態\_____\善 /
\受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
\/ 憎しみ \努力/ 愛/ \/
/\対象/ /_\/_\ \認識/\
所産的自然/物体__欲望__観念\/ \
/[延長]\ 身体3感情/精神 /[思惟]\能産的
神/______\___\/_第三種認識____\自然
\ 4理性 /
\ /
\_徳_/
\/
5自由
柄谷トラクリ、中国講演1、ヘーゲル:
神学
国民 [精神]国家
資本[身体] アソシエーション
自由 友愛 平等
ライプニッツ:
欲求 表象
基礎
意志 認識
源泉
生産 観念
神、 力
作用原因 目的原因
79. 魂は目的原因の法則(les lois des causes finales )にしたがい、欲求や目的や手段によってふるまう。物体(身体)は作用原因(実現原因)の法則あるいは運動の法則(les lois des causes efficientes ou des mouvements)にしたがってふるまう。そしてこの二つの世界(règne)、 作用原因(実現原因)のそれと目的原因のそれとは互いに調和している。
:ライプニッツ、モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note79
ライプニッツ、モナドロジー:
http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note46
46. しかし、一部の人びとのように、永遠真理は神に依存しているから恣意的な
ものであり神の意志に拠るものである、などと想像してはならない。デカルト、
そして彼のあとポワレ氏がそう考えたらしい。けれどもこのことは偶然的真理に
ついてしか当てはまらない。偶然的真理の原理は、適合すなわち最善なものの選択
(la convenance ou le choix du meilleur)ということである。ところが、必然的
真理は、もっぱら神の悟性(entendement)に依存しておりその内的対象となっ
ているのである。
↑
↓
スピノザ、エチカ:
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1p17n
1:定理17
備考 他の人々はこう思っている~~神は、神の本性から生ずると我々の言っ
たことがら、言いかえれば神の力の中に在ることがら、そうしたことがらを生じ
ないようにしたり、あるいはそれを神自身産出しないようにしたりすることがで
きる(彼らはそう信ずる)がゆえに自由原因なのである~~と。しかしこれ
は、~~神は、三角形の本性からその三つの角の和が二直角に等しいことが起こ
らないようにしたり、あるいは与えられた原因から何の結果も生じないようにし
たりすることができる~~と言うのと同然であって、不条理である。
なお私は以下において、この定理の助けを借りずに、神の本性には知性も意志
も属さないことを示すであろう。
ライプニッツ、モナドロジー:
http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note53
53. ところで、神の持つ観念の中には無限に多くの可能的宇宙(univers possibles)
があり、かつ宇宙はただ一つしか存在できないのだから、神に他の宇宙でなくこの
宇宙を決定させる、神の選択の十分な理由があったはずだ。
↑
↓
スピノザ、エチカ:
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1p33
1 定理三三 物は現に産出されているのと異なったいかなる他の仕方、いかなる
他の秩序でも神から産出されることができなかった。
…宇野は,資本の物質的過程に則した原理の純粋化(方法の模写)と,その純粋
化によって要請される政策目標設定との「同時並行性」を指摘するのであるが,
この種の「唯物論」がスピノザの「心身二元論」に着想をえていると,宇野自身
によって述懐されていることは,十分に注意されてよい。 宇野自身によるその説
明がない以上,その真意は測りかねるが,たとえばアルチュセールによれば,
「無神論者」スピノザは,敵のもっとも強い陣地たる神=無限実体から始める。
これは並行する二つの属性,思惟(精神)と延長(身体)の無限様態に自己を実
現する。しかしスピノザの方法は,情念(身体)に対して,知性(精神)からの
制圧=改善を期待するところにあるのではない。「心身二元論」「心身並行論」
の名で知られるスピノザのテーゼは,しかし精神が身体から切り離されていると
いうことでもない。精神が身体と「ともに」思考するということであり,一方の
他方に対する優越を禁じているのである。 この関係は,国家と資本とのあいだに
おいても想定可能である。つまり国家(精神)は,資本(身体)から切り離され
えないばかりか,資本(身体)と「ともに」ありながら,資本と「ともに」思考
する。国家と資本もまた,厳密に「並行関係」を保ちながら,際限のない過程を
展開するのである。国家という「精神」は,ヴェーバーの認識とは反対に,資本
の動向に対して,外からその行程を歪めることなく,資本という「身体」と「と
もに」,あるいは資本という「身体」 に「おいて」 しか思考できない。 こうした
理解を示すかのように,宇野は政策と原理との関係を,スピノザにおける精神と
身体との関係になぞらえるのである(宇野弘蔵『資本論五十年』上,法政大学
出版局1973]:476)。
http://www.unotheory.org/files/daikoku.pdf
「宇野理論形成の思想的背景 ―純粋と模倣― 」大黒弘慈
_____
スピノザ補足:
I(全論理空間)
◯
/\
/ \
/ \
a=b=S / \ a/=b/=M
◯/ \◯
Sは実体\ / Mは様態
\ /
\ /
\ /
\/
◯
O(空なるクラス)
図は『論理学史』(山下正男)p208より、スピノザ哲学の論理構成。
デカルトの場合、属性は主にS(=実体)に連なり、スピノザの場合、属性はM(=様態)に連なる。
例を挙げるならば(スピノザ往復書簡の無限の説明)、実体Sが二つの円、様態Mが無限にある両円の比率ということになる。山下氏によればヘーゲルはその両者を混同してしまっているという。
デカルトの、属性がS(=実体)に連ながる部分がヘーゲルの過ちを生んだ。
上を延長、下を思惟ととらえれば(逆でもいい)両者の結合が神秘主義的思考回路と同じになってしまうということだ。
スピノザは属性を様態寄りに考えたとはいえ、実体から無限の属性が生じることを想定しかつ、思惟と延長に優越をつけなかった。
様態から属性を通って実体につながっているとはいえ、実体側からの属性を無視したわけではなく、属性は思惟と延長に限られず無限にあるというだけである。だから二項対立の変奏はあっても二元論の固定さらには思惟の優越にはならない。空なるクラスも定義としての否定において維持される。
ヘーゲルは(論理的思考が後退した場合における)デカルトの必然的帰結である。
また、
法よりも判例が大事というのと同じだ。ドゥルーズの感覚論はゆがんではいるが、、、
ドゥルーズが、共通感覚には懐疑的だが(『差異と反復』では積極的にも読める)、
(ドゥルーズがカントの主要テーマをランボーやシェークスピアの引用で要約したことが想起される。)
ドゥルーズもまた並行論者なのだ。
|
欲望する諸機械|器官なき身体
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I(全論理空間)
◯
/\
/ \
/ \
a=b=S / \ a/=b/=M
◯/ \◯
Sは実体\ / Mは様態
\ /
\ /
\ /
\/
◯
O(空なるクラス)
図は『論理学史』(山下正男)p208より、スピノザ哲学の論理構成。
デカルトの場合、属性は主にS(=実体)に連なり、スピノザの場合、属性はM(=様態)に連なる。
例を挙げるならば(スピノザ往復書簡の無限の説明)、実体Sが二つの円、様態Mが無限にある両円の比率ということになる。山下氏によればヘーゲルはその両者を混同してしまっているという。
デカルトの、属性がS(=実体)に連ながる部分がヘーゲルの過ちを生んだ。
上を延長、下を思惟ととらえれば(逆でもいい)両者の結合が神秘主義的思考回路と同じになってしまうということだ。
スピノザは属性を様態寄りに考えたとはいえ、実体から無限の属性が生じることを想定しかつ、思惟と延長に優越をつけなかった。
様態から属性を通って実体につながっているとはいえ、実体側からの属性を無視したわけではなく、属性は思惟と延長に限られず無限にあるというだけである。だから二項対立の変奏はあっても二元論の固定さらには思惟の優越にはならない。空なるクラスも定義としての否定において維持される。
ヘーゲルは(論理的思考が後退した場合における)デカルトの必然的帰結である。
また、
ドゥルーズによれば平行論なる命名はライプニッツが初めて行ったもので、スピノザ自身の
用語ではない。
(ドゥルーズ『スピノザ 表現の問題』邦訳単行本103,390頁参照)
さらにライプニッツの並行論は悪口ではない。ライプニッツも自身を並行論者と考えていた
(ドゥルーズ『スピノザ 表現の問題』邦訳単行本103,390頁参照)
さらにライプニッツの並行論は悪口ではない。ライプニッツも自身を並行論者と考えていた
からだ。
ただスピノザには個体による実体の分有を説明出来ないと考えていた(「唯一の普遍的精神の
ただスピノザには個体による実体の分有を説明出来ないと考えていた(「唯一の普遍的精神の
説についての考察」邦訳ライプニッツ著作集第八巻132頁)。
ライプニッツはこんな図式を描いている。
瞬間Aにおける肉体の状態 | 瞬間Aにおける魂の状態
次の瞬間Bにおける肉体の状態(チクリ)| 瞬間Bにおける肉体の状態(痛み)
「魂がチクリにかならず気がつくのは、関係の法則によっている。」
「魂は、いつもかならずしも判明に、チクリだの、その直後にやってくるはずの痛みだのが、
いったいなんで起こるのか、気がついているとはかぎりません。」
(アルノー宛書簡20邦訳ライプニッツ著作集第八巻361~362頁)
http://www2.human.niigata-u.ac.jp/~mt/ningen/docs/F.%20IMAI.pdf
ライプニッツは、物体は延長だとするデカルトの考え方のみをアルノーが前提としており、
物体が自身の力で運動することを否定しているといって批判する(書簡16『ライプニッツ著作
ライプニッツはこんな図式を描いている。
瞬間Aにおける肉体の状態 | 瞬間Aにおける魂の状態
次の瞬間Bにおける肉体の状態(チクリ)| 瞬間Bにおける肉体の状態(痛み)
「魂がチクリにかならず気がつくのは、関係の法則によっている。」
「魂は、いつもかならずしも判明に、チクリだの、その直後にやってくるはずの痛みだのが、
いったいなんで起こるのか、気がついているとはかぎりません。」
(アルノー宛書簡20邦訳ライプニッツ著作集第八巻361~362頁)
http://www2.human.niigata-u.ac.jp/~mt/ningen/docs/F.%20IMAI.pdf
ライプニッツは、物体は延長だとするデカルトの考え方のみをアルノーが前提としており、
物体が自身の力で運動することを否定しているといって批判する(書簡16『ライプニッツ著作
集 8』320 頁)。
共通概念(というより共通感覚?)としてスピノザの公理をドゥルーズは肯定的に捉えている。
共通概念(というより共通感覚?)としてスピノザの公理をドゥルーズは肯定的に捉えている。
ライプニッツの複数性とスピノザの一元論とを調停する鍵がそこにある。
法よりも判例が大事というのと同じだ。ドゥルーズの感覚論はゆがんではいるが、、、
ドゥルーズが、共通感覚には懐疑的だが(『差異と反復』では積極的にも読める)、
共通概念に肯定的なのは(『批評と臨床』)、上記図のように感覚に概念を対応させる
ためであり、概念の優位を称えているのではない。
(ドゥルーズがカントの主要テーマをランボーやシェークスピアの引用で要約したことが想起される。)
ドゥルーズもまた並行論者なのだ。
|
欲望する諸機械|器官なき身体
|
(窓)https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/14240/1/isumiakyouyodezain_3_105.pdf
返信削除一六七九年一二月一日にホイヘンスに宛ててかれはなんと書いたか。それはつぎのような
ものである。「わたしはあなたが、故スピノザ氏の本を念入りにお読みになったかどうか
を知りたい。かれの証明なるものはきわめて厳密というわけにはいきません。たとえば、
神だけが実体であるとか、その他の事物は神的本性の様態であるといったことをかれが言
うときにそうです」。 かれがべつのところで書いたもののなかに、われわれは、もっと
も短いが同時にもっとも激しい判断を見いだす。その判断は、かれの同時代人の一人によ
ってもたらされたもので、つぎのことばのなかに込められている。すなわち、「『エチカ、
あるいは、神について』、驚くほど欠陥にみちた書物」。 一八五三年一〇
月二五日ハノーファにて
参考:
(窓)http://books.google.co.jp/books?id=PXEZc30z3BQC&pg=PA216&lpg=PA216&
(窓)http://books.google.co.jp/books?id=PXEZc30z3BQC&hl=ja&pg=PA216&img=1&zoom=3&hl=ja&sig=ACfU3U2eksT9rhsLggu3CDIVK73e6YF2dQ
(窓)http://books.google.co.jp/books?id=PXEZc30z3BQC&hl=ja&pg=PA217&img=1&zoom=3&hl=ja&sig=ACfU3U0--txKBNSrrfqOFcYVM2hQppUPgQ
The Project Gutenberg eBook of Theodicy, by G. W. Leibniz
(窓)http://www.gutenberg.org/files/17147/17147-h/17147-h.htm
173. Spinoza went further: he appears to have explicitly taught a blind necessity, having denied
to the Author of Things understanding and will, and assuming that good and perfection relate to
us only, and not to him. It is true that Spinoza's opinion on this subject is somewhat obscure: for
he grants God thought, after having divested him of understanding,cogitationem, non intellectum
concedit Deo. There are even passages where he relents on the question of necessity. Nevertheless,
as far as one can understand him, he acknowledges no goodness in God, properly
speaking, and he teaches that all things exist through the necessity of the divine nature, without
any act of choice by God. We will not waste time here in refuting an opinion so bad, and indeed
so inexplicable. My own opinion is founded on the nature of the possibles, that is,
of things that imply no contradiction. I do not think that a Spinozist will say that all the romances
one can imagine exist actually now, or have existed, or will still exist in some place in the
universe. …
(窓)http://d.hatena.ne.jp/dboodb/20120225/p1
マシュー・スチュアート 『宮廷人と異端者』 2006
この本は、スピノザがライプニッツに支配的な影響を及ぼした、
とする著者による、ライプニッツ伝である。
著者はどちらかといえばスピノザに共感していながら、
ここに描かれているのは、ライプニッツなのである。
なのでライプニッツ・ファンには必読の書であろう。
追記:
モナドの一点がライプニッツとスピノザの体系を分かつというのは正しい
マルクス、柄谷、ヘーゲル:
返信削除価格 価値
神学
資本[身体] 国民 [精神]国家
アソシエーション
自由 友愛 平等
ライプニッツ:
欲求 表象
基礎
意志 認識
源泉
変化、生産 [観念]
神、 力
作用原因 目的原因
:価値は精神的なもので価格は物質的なもの、ただし精神と物質とは厳密な対概念ではない。
Leibniz and his Monad -Iris | Philosophy 12
返信削除http://talonsphilosophy.wordpress.com/2012/10/25/leibniz-and-his-monad-iris/
http://talonsphilosophy.files.wordpress.com/2012/10/dualism-vs-monism1.png
Mind–body problem - Wikipedia, the free encyclopedia
返信削除http://en.wikipedia.org/wiki/Mind-body_dichotomy
返信削除スピノザ:
5定理四〇 おのおのの物はより多くの完全性を有するに従って働きをなすことがそれだけ多く、
働きを受けることがそれだけ少ない。
反対におのおのの物は働きをなすことがより多いに従ってそれだけ完全である。
:エチカ http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note5p40
マルクス、柄谷、ヘーゲル:
:価値は精神的なもので価格は物質的なもの、ただし精神と物質とは厳密な対概念ではない。
価格 価値
神学
資本[身体] 国民 [精神]国家
アソシエーション
自由 友愛 平等
1実体
/\
/無限\
/_無限定_\
________/_2a属性__\________
\知 抑制 / 小←/\→大 完全性 至福/
\ 悪/___2b様態\_____\善 /
\受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
\/ 憎しみ \努力/ 愛/ \/
/\対象/ /_\/_\ \認識/\
所産的自然/物体__欲望__観念\/ \
/[延長]\ 身体3感情/精神 /[思惟]\能産的
神/______\___\/_第三種認識____\自然
\ 4理性 /
\ /
\_徳_/
\/
5自由
ライプニッツ:
欲求 表象
基礎
意志 認識
源泉
[物体]変化、生産 [観念]
神、 力
作用原因 目的原因
48. 神の中には、すべてのものの源泉である力(la puissance)と、
さまざまな観念の細部を含んでいる認識と、
さらに最善という原理にしたがって変化あるいは生産を生じさせる意志
とがある。この三つは、創造されたモナドの中にある主体すなわち基礎と、
表象の能力と、
欲求の能力
とに対応している…
:モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note48
79. 魂は目的原因の法則(les lois des causes finales )にしたがい、欲求や目的や手段によってふるまう。
物体(身体)は作用原因(実現原因)の法則あるいは運動の法則(les lois des causes efficientes ou des
mouvements)にしたがってふるまう。
そしてこの二つの世界(règne)、
作用原因(実現原因)
のそれと目的原因
のそれとは互いに調和している。
:モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note79
15. 一つの表象から他の表象への変化や推移を引き起こす内的原理のはたらきを、
欲求( appétiton )と名づけることができる。
もちろん、欲求のはたらき( appétit )が、その目ざす表象の全体に完全に到達できるとは限らない。
しかし、いつもその表象から何かを得て、新しい表象に到達するのである。
: モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note15
31. われわれの思考のはたらき(raisonnements)は二つの大原理に基づいている。その一つは矛盾の原理で、これによってわれわれは矛盾を含んでいるものを偽(faux)と判断し、偽と反対なもの、偽と矛盾するものを真(vrai)と判断する。
32. もう一つの原理は十分な理由の原理で、これによってわれわれは、事実がなぜこうであってそれ以外ではないのかということに十分の理由がなければ、いかなる事実も真(vrai)であることあるいは存在することができず、またいかなる命題(énonciation)も真実である(véritable)ことはできない、と考えるのである。…
35. そうして最後に、定義することのできない単純概念がある。また、証明することができず証明する必要もない公理や公準、一口でいえば原始的な原理がある。これらは自同的命題〔énonciations identiques〕で、その反対は明白な矛盾を含んでいる。
矛盾の原理
偽 真
矛盾の原理 矛盾の原理
偽 真 偽 真
十分な理由の原理
真理
事実 思考
矛盾的命題
単純概念
自同的命題
被造物
完全性
受動 能動
完全性 完全性
受動 能動 受動 能動
50. ある被造物の中に、他の被造物に起こることの理由をア・プリオリに示すのに役立つものがあれば、その被造物は他の被造物よりも完全である。一方が他方に作用を及ぼすというのは、こうした意味なのである。
スピノザ:
返信削除5定理四〇 おのおのの物はより多くの完全性を有するに従って働きをなすことがそれだけ多く、
働きを受けることがそれだけ少ない。
反対におのおのの物は働きをなすことがより多いに従ってそれだけ完全である。
:エチカ http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note5p40
マルクス、柄谷、ヘーゲル:
:価値は精神的なもので価格は物質的なもの、ただし精神と物質とは厳密な対概念ではない。
価格 価値
神学
資本[身体] 国民 [精神]国家
アソシエーション
自由 友愛 平等
1実体
/\
/無限\
/_無限定_\
________/_2a属性__\________
\知 抑制 / 小←/\→大 完全性 至福/
\ 悪/___2b様態\_____\善 /
\受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
\/ 憎しみ \努力/ 愛/ \/
/\対象/ /_\/_\ \認識/\
所産的自然/物体__欲望__観念\/ \
/[延長]\ 身体3感情/精神 /[思惟]\能産的
神/______\___\/_第三種認識____\自然
\ 4理性 /
\ /
\_徳_/
\/
5自由
ライプニッツ:
欲求 表象 15
基礎
意志 認識 48
源泉
[物体]変化、生産 [観念]
神、 力
作用原因 目的原因 79
48. 神の中には、すべてのものの源泉である力(la puissance)と、
さまざまな観念の細部を含んでいる認識と、
さらに最善という原理にしたがって変化あるいは生産を生じさせる意志
とがある。この三つは、創造されたモナドの中にある主体すなわち基礎と、
表象の能力と、
欲求の能力
とに対応している…
:モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note48
79. 魂は目的原因の法則(les lois des causes finales )にしたがい、欲求や目的や手段によってふるまう。
物体(身体)は作用原因(実現原因)の法則あるいは運動の法則(les lois des causes efficientes ou des
mouvements)にしたがってふるまう。
そしてこの二つの世界(règne)、
作用原因(実現原因)
のそれと目的原因
のそれとは互いに調和している。
:モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note79
15. 一つの表象から他の表象への変化や推移を引き起こす内的原理のはたらきを、
欲求( appétiton )と名づけることができる。
もちろん、欲求のはたらき( appétit )が、その目ざす表象の全体に完全に到達できるとは限らない。
しかし、いつもその表象から何かを得て、新しい表象に到達するのである。
: モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note15
31. われわれの思考のはたらき(raisonnements)は二つの大原理に基づいている。
その一つは矛盾の原理で、これによってわれわれは矛盾を含んでいるものを偽(faux)と判断し、
偽と反対なもの、偽と矛盾するものを真(vrai)と判断する。
32. もう一つの原理は十分な理由の原理で、
これによってわれわれは、事実がなぜこうであってそれ以外ではないのかということに十分の理由がなければ、
いかなる事実も真(vrai)であることあるいは存在することができず、またいかなる命題(énonciation)も真実である(véritable)ことはできない、と考えるのである。…
35. そうして最後に、定義することのできない単純概念がある。
また、証明することができず証明する必要もない公理や公準、一口でいえば原始的な原理がある。
これらは自同的命題〔énonciations identiques〕で、その反対は明白な矛盾を含んでいる。
矛盾の原理 31
偽 真
矛盾の原理 矛盾の原理
偽 真 偽 真
十分な理由の原理 32
真理
事実 思考
矛盾的命題 35
単純概念
自同的命題
被造物 50
完全性
受動 能動
完全性 完全性
受動 能動 受動 能動
50. ある被造物の中に、他の被造物に起こることの理由をア・プリオリに示すのに役立つものがあれば、
その被造物は他の被造物よりも完全である。一方が他方に作用を及ぼすというのは、こうした意味なのである。
スピノザ:
返信削除5定理四〇 おのおのの物はより多くの完全性を有するに従って働きをなすことがそれだけ多く、
働きを受けることがそれだけ少ない。
反対におのおのの物は働きをなすことがより多いに従ってそれだけ完全である。
:エチカ http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note5p40
マルクス、柄谷、ヘーゲル:
:価値は精神的なもので価格は物質的なもの、ただし精神と物質とは厳密な対概念ではない。
価格 価値
神学
資本[身体] 国民 [精神]国家
アソシエーション
自由 友愛 平等
1実体
/\
/無限\
/_無限定_\
________/_2a属性__\________
\知 抑制 / 小←/\→大 完全性 至福/
\ 悪/___2b様態\_____\善 /
\受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
\/ 憎しみ \努力/ 愛/ \/
/\対象/ /_\/_\ \認識/\
所産的自然/物体__欲望__観念\/ \
/[延長]\ 身体3感情/精神 /[思惟]\能産的
神/______\___\/_第三種認識____\自然
\ 4理性 /
\ /
\_徳_/
\/
5自由
ライプニッツ:
欲求 表象 15
基礎
意志 認識
源泉
[物体]変化、生産 [観念]48
神、 力
作用原因 目的原因 79
48. 神の中には、すべてのものの源泉である力(la puissance)と、
さまざまな観念の細部を含んでいる認識と、
さらに最善という原理にしたがって変化あるいは生産を生じさせる意志
とがある。この三つは、創造されたモナドの中にある主体すなわち基礎と、
表象の能力と、
欲求の能力
とに対応している…
:モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note48
79. 魂は目的原因の法則(les lois des causes finales )にしたがい、欲求や目的や手段によってふるまう。
物体(身体)は作用原因(実現原因)の法則あるいは運動の法則(les lois des causes efficientes ou des
mouvements)にしたがってふるまう。
そしてこの二つの世界(règne)、
作用原因(実現原因)
のそれと目的原因
のそれとは互いに調和している。
:モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note79
15. 一つの表象から他の表象への変化や推移を引き起こす内的原理のはたらきを、
欲求( appétiton )と名づけることができる。
もちろん、欲求のはたらき( appétit )が、その目ざす表象の全体に完全に到達できるとは限らない。
しかし、いつもその表象から何かを得て、新しい表象に到達するのである。
: モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note15
31. われわれの思考のはたらき(raisonnements)は二つの大原理に基づいている。
その一つは矛盾の原理で、これによってわれわれは矛盾を含んでいるものを偽(faux)と判断し、
偽と反対なもの、偽と矛盾するものを真(vrai)と判断する。
32. もう一つの原理は十分な理由の原理で、
これによってわれわれは、事実がなぜこうであってそれ以外ではないのかということに十分の理由がなければ、
いかなる事実も真(vrai)であることあるいは存在することができず、またいかなる命題(énonciation)も真実である(véritable)ことはできない、と考えるのである。…
35. そうして最後に、定義することのできない単純概念がある。
また、証明することができず証明する必要もない公理や公準、一口でいえば原始的な原理がある。
これらは自同的命題〔énonciations identiques〕で、その反対は明白な矛盾を含んでいる。
矛盾の原理 31
偽 真
矛盾の原理 矛盾の原理
偽 真 偽 真
十分な理由の原理 32
真理
事実 思考
矛盾的命題 35
単純概念
自同的命題
被造物 50
完全性
受動 能動
完全性 完全性
受動 能動 受動 能動
50. ある被造物の中に、他の被造物に起こることの理由をア・プリオリに示すのに役立つものがあれば、
その被造物は他の被造物よりも完全である。一方が他方に作用を及ぼすというのは、こうした意味なのである。
スピノザ:
返信削除5定理四〇 おのおのの物はより多くの完全性を有するに従って働きをなすことがそれだけ多く、
働きを受けることがそれだけ少ない。
反対におのおのの物は働きをなすことがより多いに従ってそれだけ完全である。
:エチカ http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note5p40
マルクス、柄谷、ヘーゲル:
:価値は精神的なもので価格は物質的なもの、ただし精神と物質とは厳密な対概念ではない。
価格 価値
神学
資本[身体] 国民 [精神]国家 85~
アソシエーション
自由 友愛 平等
1実体
/\
/無限\
/_無限定_\
________/_2a属性__\________
\知 抑制 / 小←/\→大 完全性 至福/
\ 悪/___2b様態\_____\善 /
\受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
\/ 憎しみ \努力/ 愛/ \/
/\対象/ /_\/_\ \認識/\
所産的自然/物体__欲望__観念\/ \
/[延長]\ 身体3感情/精神 /[思惟]\能産的
神/______\___\/_第三種認識____\自然
\ 4理性 /
\ /
\_徳_/
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欲求 表象 15
基礎
意志 認識
源泉
[物体]変化、生産 [観念]48
神、 力
作用原因 目的原因 79
48. 神の中には、すべてのものの源泉である力(la puissance)と、
さまざまな観念の細部を含んでいる認識と、
さらに最善という原理にしたがって変化あるいは生産を生じさせる意志
とがある。この三つは、創造されたモナドの中にある主体すなわち基礎と、
表象の能力と、
欲求の能力
とに対応している…
:モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note48
79. 魂は目的原因の法則(les lois des causes finales )にしたがい、欲求や目的や手段によってふるまう。
物体(身体)は作用原因(実現原因)の法則あるいは運動の法則(les lois des causes efficientes ou des
mouvements)にしたがってふるまう。
そしてこの二つの世界(règne)、
作用原因(実現原因)
のそれと目的原因
のそれとは互いに調和している。
:モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note79
15. 一つの表象から他の表象への変化や推移を引き起こす内的原理のはたらきを、
欲求( appétiton )と名づけることができる。
もちろん、欲求のはたらき( appétit )が、その目ざす表象の全体に完全に到達できるとは限らない。
しかし、いつもその表象から何かを得て、新しい表象に到達するのである。
: モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note15
31. われわれの思考のはたらき(raisonnements)は二つの大原理に基づいている。
その一つは矛盾の原理で、これによってわれわれは矛盾を含んでいるものを偽(faux)と判断し、
偽と反対なもの、偽と矛盾するものを真(vrai)と判断する。
32. もう一つの原理は十分な理由の原理で、
これによってわれわれは、事実がなぜこうであってそれ以外ではないのかということに十分の理由がなければ、
いかなる事実も真(vrai)であることあるいは存在することができず、またいかなる命題(énonciation)も真実である(véritable)ことはできない、と考えるのである。…
35. そうして最後に、定義することのできない単純概念がある。
また、証明することができず証明する必要もない公理や公準、一口でいえば原始的な原理がある。
これらは自同的命題〔énonciations identiques〕で、その反対は明白な矛盾を含んでいる。
矛盾の原理 31
偽 真
矛盾の原理 矛盾の原理
偽 真 偽 真
十分な理由の原理 32
真理
事実 思考
矛盾的命題 35
単純概念
自同的命題
被造物 50
完全性
受動 能動
完全性 完全性
受動 能動 受動 能動
50. ある被造物の中に、他の被造物に起こることの理由をア・プリオリに示すのに役立つものがあれば、
その被造物は他の被造物よりも完全である。一方が他方に作用を及ぼすというのは、こうした意味なのである。
スピノザ:
返信削除5定理四〇 おのおのの物はより多くの完全性を有するに従って働きをなすことがそれだけ多く、
働きを受けることがそれだけ少ない。
反対におのおのの物は働きをなすことがより多いに従ってそれだけ完全である。
:エチカ http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note5p40
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作用原因 目的原因 79
48. 神の中には、すべてのものの源泉である力(la puissance)と、
さまざまな観念の細部を含んでいる認識と、
さらに最善という原理にしたがって変化あるいは生産を生じさせる意志
とがある。この三つは、創造されたモナドの中にある主体すなわち基礎と、
表象の能力と、
欲求の能力
とに対応している…
:モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note48
79. 魂は目的原因の法則(les lois des causes finales )にしたがい、欲求や目的や手段によってふるまう。
物体(身体)は作用原因(実現原因)の法則あるいは運動の法則(les lois des causes efficientes ou des
mouvements)にしたがってふるまう。
そしてこの二つの世界(règne)、
作用原因(実現原因)
のそれと目的原因
のそれとは互いに調和している。
:モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note79
15. 一つの表象から他の表象への変化や推移を引き起こす内的原理のはたらきを、
欲求( appétiton )と名づけることができる。
もちろん、欲求のはたらき( appétit )が、その目ざす表象の全体に完全に到達できるとは限らない。
しかし、いつもその表象から何かを得て、新しい表象に到達するのである。
: モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note15
31. われわれの思考のはたらき(raisonnements)は二つの大原理に基づいている。
その一つは矛盾の原理で、これによってわれわれは矛盾を含んでいるものを偽(faux)と判断し、
偽と反対なもの、偽と矛盾するものを真(vrai)と判断する。
32. もう一つの原理は十分な理由の原理で、
これによってわれわれは、事実がなぜこうであってそれ以外ではないのかということに十分の理由がなければ、
いかなる事実も真(vrai)であることあるいは存在することができず、またいかなる命題(énonciation)も真実である(véritable)ことはできない、と考えるのである。…
35. そうして最後に、定義することのできない単純概念がある。
また、証明することができず証明する必要もない公理や公準、一口でいえば原始的な原理がある。
これらは自同的命題〔énonciations identiques〕で、その反対は明白な矛盾を含んでいる。
矛盾の原理 31
偽 真
矛盾の原理 矛盾の原理
偽 真 偽 真
十分な理由の原理 32
真理
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矛盾的命題 35
単純概念
自同的命題
被造物 50
完全性
受動 能動
完全性 完全性
受動 能動 受動 能動
50. ある被造物の中に、他の被造物に起こることの理由をア・プリオリに示すのに役立つものがあれば、
その被造物は他の被造物よりも完全である。一方が他方に作用を及ぼすというのは、こうした意味なのである。
スピノザ:
返信削除5定理四〇 おのおのの物はより多くの完全性を有するに従って働きをなすことがそれだけ多く、
働きを受けることがそれだけ少ない。
反対におのおのの物は働きをなすことがより多いに従ってそれだけ完全である。
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48. 神の中には、すべてのものの源泉である力(la puissance)と、
さまざまな観念の細部を含んでいる認識と、
さらに最善という原理にしたがって変化あるいは生産を生じさせる意志
とがある。この三つは、創造されたモナドの中にある主体すなわち基礎と、
表象の能力と、
欲求の能力
とに対応している…
:モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note48
79. 魂は目的原因の法則(les lois des causes finales )にしたがい、欲求や目的や手段によってふるまう。
物体(身体)は作用原因(実現原因)の法則あるいは運動の法則(les lois des causes efficientes ou des
mouvements)にしたがってふるまう。
そしてこの二つの世界(règne)、
作用原因(実現原因)
のそれと目的原因
のそれとは互いに調和している。
:モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note79
15. 一つの表象から他の表象への変化や推移を引き起こす内的原理のはたらきを、
欲求( appétiton )と名づけることができる。
もちろん、欲求のはたらき( appétit )が、その目ざす表象の全体に完全に到達できるとは限らない。
しかし、いつもその表象から何かを得て、新しい表象に到達するのである。
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31. われわれの思考のはたらき(raisonnements)は二つの大原理に基づいている。
その一つは矛盾の原理で、これによってわれわれは矛盾を含んでいるものを偽(faux)と判断し、
偽と反対なもの、偽と矛盾するものを真(vrai)と判断する。
32. もう一つの原理は十分な理由の原理で、
これによってわれわれは、事実がなぜこうであってそれ以外ではないのかということに十分の理由がなければ、
いかなる事実も真(vrai)であることあるいは存在することができず、またいかなる命題(énonciation)も真実である(véritable)ことはできない、と考えるのである。…
35. そうして最後に、定義することのできない単純概念がある。
また、証明することができず証明する必要もない公理や公準、一口でいえば原始的な原理がある。
これらは自同的命題〔énonciations identiques〕で、その反対は明白な矛盾を含んでいる。
矛盾の原理 31
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矛盾の原理 矛盾の原理
偽 真 偽 真
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完全性
受動 能動
完全性 完全性
受動 能動 受動 能動
50. ある被造物の中に、他の被造物に起こることの理由をア・プリオリに示すのに役立つものがあれば、
その被造物は他の被造物よりも完全である。一方が他方に作用を及ぼすというのは、こうした意味なのである。
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返信削除5定理四〇 おのおのの物はより多くの完全性を有するに従って働きをなすことがそれだけ多く、
働きを受けることがそれだけ少ない。
反対におのおのの物は働きをなすことがより多いに従ってそれだけ完全である。
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48. 神の中には、すべてのものの源泉である力(la puissance)と、
さまざまな観念の細部を含んでいる認識と、
さらに最善という原理にしたがって変化あるいは生産を生じさせる意志
とがある。この三つは、創造されたモナドの中にある主体すなわち基礎と、
表象の能力と、
欲求の能力
とに対応している…
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79. 魂は目的原因の法則(les lois des causes finales )にしたがい、欲求や目的や手段によってふるまう。
物体(身体)は作用原因(実現原因)の法則あるいは運動の法則(les lois des causes efficientes ou des
mouvements)にしたがってふるまう。
そしてこの二つの世界(règne)、
作用原因(実現原因)
のそれと目的原因
のそれとは互いに調和している。
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15. 一つの表象から他の表象への変化や推移を引き起こす内的原理のはたらきを、
欲求( appétiton )と名づけることができる。
もちろん、欲求のはたらき( appétit )が、その目ざす表象の全体に完全に到達できるとは限らない。
しかし、いつもその表象から何かを得て、新しい表象に到達するのである。
: モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note15
31. われわれの思考のはたらき(raisonnements)は二つの大原理に基づいている。
その一つは矛盾の原理で、これによってわれわれは矛盾を含んでいるものを偽(faux)と判断し、
偽と反対なもの、偽と矛盾するものを真(vrai)と判断する。
32. もう一つの原理は十分な理由の原理で、
これによってわれわれは、事実がなぜこうであってそれ以外ではないのかということに十分の理由がなければ、
いかなる事実も真(vrai)であることあるいは存在することができず、またいかなる命題(énonciation)も真実である(véritable)ことはできない、と考えるのである。…
35. そうして最後に、定義することのできない単純概念がある。
また、証明することができず証明する必要もない公理や公準、一口でいえば原始的な原理がある。
これらは自同的命題〔énonciations identiques〕で、その反対は明白な矛盾を含んでいる。
矛盾の原理 31
偽 真
矛盾の原理 矛盾の原理
偽 真 偽 真
十分な理由の原理 32
真理
事実 思考
矛盾的命題 35
単純概念
自同的命題
被造物 50
完全性
受動 能動
完全性 完全性
受動 能動 受動 能動
50. ある被造物の中に、他の被造物に起こることの理由をア・プリオリに示すのに役立つものがあれば、
その被造物は他の被造物よりも完全である。一方が他方に作用を及ぼすというのは、こうした意味なのである。
スピノザ:
返信削除5定理四〇 おのおのの物はより多くの完全性を有するに従って働きをなすことがそれだけ多く、
働きを受けることがそれだけ少ない。
反対におのおのの物は働きをなすことがより多いに従ってそれだけ完全である。
:エチカ http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note5p40
マルクス、柄谷、ヘーゲル:
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48. 神の中には、すべてのものの源泉である力(la puissance)と、
さまざまな観念の細部を含んでいる認識と、
さらに最善という原理にしたがって変化あるいは生産を生じさせる意志
とがある。この三つは、創造されたモナドの中にある主体すなわち基礎と、
表象の能力と、
欲求の能力
とに対応している…
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79. 魂は目的原因の法則(les lois des causes finales )にしたがい、欲求や目的や手段によってふるまう。
物体(身体)は作用原因(実現原因)の法則あるいは運動の法則(les lois des causes efficientes ou des
mouvements)にしたがってふるまう。
そしてこの二つの世界(règne)、
作用原因(実現原因)
のそれと目的原因
のそれとは互いに調和している。
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もちろん、欲求のはたらき( appétit )が、その目ざす表象の全体に完全に到達できるとは限らない。
しかし、いつもその表象から何かを得て、新しい表象に到達するのである。
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その一つは矛盾の原理で、これによってわれわれは矛盾を含んでいるものを偽(faux)と判断し、
偽と反対なもの、偽と矛盾するものを真(vrai)と判断する。
32. もう一つの原理は十分な理由の原理で、
これによってわれわれは、事実がなぜこうであってそれ以外ではないのかということに十分の理由がなければ、
いかなる事実も真(vrai)であることあるいは存在することができず、またいかなる命題(énonciation)も真実である(véritable)ことはできない、と考えるのである。…
35. そうして最後に、定義することのできない単純概念がある。
また、証明することができず証明する必要もない公理や公準、一口でいえば原始的な原理がある。
これらは自同的命題〔énonciations identiques〕で、その反対は明白な矛盾を含んでいる。
矛盾の原理 31
偽 真
矛盾の原理 矛盾の原理
偽 真 偽 真
十分な理由の原理 32
真理
事実 思考
矛盾的命題 35
単純概念
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完全性
受動 能動
完全性 完全性
受動 能動 受動 能動
50. ある被造物の中に、他の被造物に起こることの理由をア・プリオリに示すのに役立つものがあれば、
その被造物は他の被造物よりも完全である。一方が他方に作用を及ぼすというのは、こうした意味なのである。
スピノザ:
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働きを受けることがそれだけ少ない。
反対におのおのの物は働きをなすことがより多いに従ってそれだけ完全である。
:エチカ http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note5p40
マルクス、柄谷、ヘーゲル:
:価値は精神的なもので価格は物質的なもの、ただし精神と物質とは厳密な対概念ではない。
価格 価値
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資本[身体] 国民 [精神]国家 85~
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神、 力
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48. 神の中には、すべてのものの源泉である力(la puissance)と、
さまざまな観念の細部を含んでいる認識と、
さらに最善という原理にしたがって変化あるいは生産を生じさせる意志
とがある。この三つは、創造されたモナドの中にある主体すなわち基礎と、
表象の能力と、
欲求の能力
とに対応している…
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79. 魂は目的原因の法則(les lois des causes finales )にしたがい、欲求や目的や手段によってふるまう。
物体(身体)は作用原因(実現原因)の法則あるいは運動の法則(les lois des causes efficientes ou des
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そしてこの二つの世界(règne)、
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のそれとは互いに調和している。
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15. 一つの表象から他の表象への変化や推移を引き起こす内的原理のはたらきを、
欲求( appétiton )と名づけることができる。
もちろん、欲求のはたらき( appétit )が、その目ざす表象の全体に完全に到達できるとは限らない。
しかし、いつもその表象から何かを得て、新しい表象に到達するのである。
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31. われわれの思考のはたらき(raisonnements)は二つの大原理に基づいている。
その一つは矛盾の原理で、これによってわれわれは矛盾を含んでいるものを偽(faux)と判断し、
偽と反対なもの、偽と矛盾するものを真(vrai)と判断する。
32. もう一つの原理は十分な理由の原理で、
これによってわれわれは、事実がなぜこうであってそれ以外ではないのかということに十分の理由がなければ、
いかなる事実も真(vrai)であることあるいは存在することができず、またいかなる命題(énonciation)も真実である(véritable)ことはできない、と考えるのである。…
35. そうして最後に、定義することのできない単純概念がある。
また、証明することができず証明する必要もない公理や公準、一口でいえば原始的な原理がある。
これらは自同的命題〔énonciations identiques〕で、その反対は明白な矛盾を含んでいる。
矛盾の原理 31
偽 真
矛盾の原理 矛盾の原理
偽 真 偽 真
十分な理由の原理 32
真理
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完全性
受動 能動
完全性 完全性
受動 能動 受動 能動
50. ある被造物の中に、他の被造物に起こることの理由をア・プリオリに示すのに役立つものがあれば、
その被造物は他の被造物よりも完全である。一方が他方に作用を及ぼすというのは、こうした意味なのである。
スピノザ:
返信削除5定理四〇 おのおのの物はより多くの完全性を有するに従って働きをなすことがそれだけ多く、
働きを受けることがそれだけ少ない。
反対におのおのの物は働きをなすことがより多いに従ってそれだけ完全である。
:エチカ http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note5p40
マルクス、柄谷、ヘーゲル:
:価値は精神的なもので価格は物質的なもの、ただし精神と物質とは厳密な対概念ではない。
価格 価値
神学
資本[身体] 国民 [精神]国家 85~
アソシエーション
自由 友愛 平等
1実体1~22
/\
/無限36~
/_無限定_\
________/_2a属性48\___18,__
\知29 抑制/ 小←/\→大 完全性41 至福90
\ 悪90__2b様態\_____\善46,55,90
\受動/\悲しみ_/\_喜び90\能動49,52
\/ 憎しみ \努力/ 愛90 \/
/\対象/ /_\/_\ \認識29,48,60
所産的自然/物体__欲望__観念33 \
/[延長]\ 身体3感情/精神 /[思惟]\能産的
神29,38__\___\/_第三種認識____\自然3,64
\ 4理性26~
\ /
\_徳86
\/
5自由
ライプニッツ:
欲求 表象 15
基礎
意志 認識
源泉
[物体]変化、生産 [観念]48
神、 力
作用原因 目的原因 79
48. 神の中には、すべてのものの源泉である力(la puissance)と、
さまざまな観念の細部を含んでいる認識と、
さらに最善という原理にしたがって変化あるいは生産を生じさせる意志
とがある。この三つは、創造されたモナドの中にある主体すなわち基礎と、
表象の能力と、
欲求の能力
とに対応している…
:モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note48
79. 魂は目的原因の法則(les lois des causes finales )にしたがい、欲求や目的や手段によってふるまう。
物体(身体)は作用原因(実現原因)の法則あるいは運動の法則(les lois des causes efficientes ou des
mouvements)にしたがってふるまう。
そしてこの二つの世界(règne)、
作用原因(実現原因)
のそれと目的原因
のそれとは互いに調和している。
:モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note79
15. 一つの表象から他の表象への変化や推移を引き起こす内的原理のはたらきを、
欲求( appétiton )と名づけることができる。
もちろん、欲求のはたらき( appétit )が、その目ざす表象の全体に完全に到達できるとは限らない。
しかし、いつもその表象から何かを得て、新しい表象に到達するのである。
: モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note15
31. われわれの思考のはたらき(raisonnements)は二つの大原理に基づいている。
その一つは矛盾の原理で、これによってわれわれは矛盾を含んでいるものを偽(faux)と判断し、
偽と反対なもの、偽と矛盾するものを真(vrai)と判断する。
32. もう一つの原理は十分な理由の原理で、
これによってわれわれは、事実がなぜこうであってそれ以外ではないのかということに十分の理由がなければ、
いかなる事実も真(vrai)であることあるいは存在することができず、またいかなる命題(énonciation)も真実である(véritable)ことはできない、と考えるのである。…
35. そうして最後に、定義することのできない単純概念がある。
また、証明することができず証明する必要もない公理や公準、一口でいえば原始的な原理がある。
これらは自同的命題〔énonciations identiques〕で、その反対は明白な矛盾を含んでいる。
矛盾の原理 31
偽 真
矛盾の原理 矛盾の原理
偽 真 偽 真
十分な理由の原理 32
真理
事実 思考
矛盾的命題 35
単純概念
自同的命題
被造物 50
完全性
受動 能動
完全性 完全性
受動 能動 受動 能動
50. ある被造物の中に、他の被造物に起こることの理由をア・プリオリに示すのに役立つものがあれば、
その被造物は他の被造物よりも完全である。一方が他方に作用を及ぼすというのは、こうした意味なのである。
スピノザ:
返信削除5定理四〇 おのおのの物はより多くの完全性を有するに従って働きをなすことがそれだけ多く、
働きを受けることがそれだけ少ない。
反対におのおのの物は働きをなすことがより多いに従ってそれだけ完全である。
:エチカ http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note5p40
マルクス、柄谷、ヘーゲル:
:価値は精神的なもので価格は物質的なもの、ただし精神と物質とは厳密な対概念ではない。
価格 価値
神学
資本[身体] 国民 [精神]国家 85~
アソシエーション
自由 友愛 平等
一実体1~22
/\
/無限36~
/_無限定_\
________/_二a属性48\___18,__
\知29 抑制/ 小←/\→大 完全性41 至福90
\ 悪90__二b様態\_____\善46,55,90
\受動/\悲しみ_/\_喜び90\能動49,52
\/ 憎しみ \努力/ 愛90 \/
/\対象/ /_\/_\ \認識29,48,60
所産的自然/物体__欲望__観念33 \
/[延長]\ 身体三感情/精神29[思惟]\能産的
神29,38__\___\/_第3種認識____\自然3,64
\ 四理性26~
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五自由
ライプニッツ:
欲求 表象 15
基礎
意志 認識
源泉
[物体]変化、生産 [観念]48
神、 力
作用原因 目的原因 79
48. 神の中には、すべてのものの源泉である力(la puissance)と、
さまざまな観念の細部を含んでいる認識と、
さらに最善という原理にしたがって変化あるいは生産を生じさせる意志
とがある。この三つは、創造されたモナドの中にある主体すなわち基礎と、
表象の能力と、
欲求の能力
とに対応している…
:モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note48
79. 魂は目的原因の法則(les lois des causes finales )にしたがい、欲求や目的や手段によってふるまう。
物体(身体)は作用原因(実現原因)の法則あるいは運動の法則(les lois des causes efficientes ou des
mouvements)にしたがってふるまう。
そしてこの二つの世界(règne)、
作用原因(実現原因)
のそれと目的原因
のそれとは互いに調和している。
:モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note79
15. 一つの表象から他の表象への変化や推移を引き起こす内的原理のはたらきを、
欲求( appétiton )と名づけることができる。
もちろん、欲求のはたらき( appétit )が、その目ざす表象の全体に完全に到達できるとは限らない。
しかし、いつもその表象から何かを得て、新しい表象に到達するのである。
: モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note15
31. われわれの思考のはたらき(raisonnements)は二つの大原理に基づいている。
その一つは矛盾の原理で、これによってわれわれは矛盾を含んでいるものを偽(faux)と判断し、
偽と反対なもの、偽と矛盾するものを真(vrai)と判断する。
32. もう一つの原理は十分な理由の原理で、
これによってわれわれは、事実がなぜこうであってそれ以外ではないのかということに十分の理由がなければ、
いかなる事実も真(vrai)であることあるいは存在することができず、またいかなる命題(énonciation)も真実である(véritable)ことはできない、と考えるのである。…
35. そうして最後に、定義することのできない単純概念がある。
また、証明することができず証明する必要もない公理や公準、一口でいえば原始的な原理がある。
これらは自同的命題〔énonciations identiques〕で、その反対は明白な矛盾を含んでいる。
矛盾の原理 31
偽 真
矛盾の原理 矛盾の原理
偽 真 偽 真
十分な理由の原理 32
真理
事実 思考
矛盾的命題 35
単純概念
自同的命題
被造物 50
完全性
受動 能動
完全性 完全性
受動 能動 受動 能動
50. ある被造物の中に、他の被造物に起こることの理由をア・プリオリに示すのに役立つものがあれば、
その被造物は他の被造物よりも完全である。一方が他方に作用を及ぼすというのは、こうした意味なのである。
スピノザ:
返信削除5定理四〇 おのおのの物はより多くの完全性を有するに従って働きをなすことがそれだけ多く、
働きを受けることがそれだけ少ない。
反対におのおのの物は働きをなすことがより多いに従ってそれだけ完全である。
:エチカ http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note5p40
マルクス、柄谷、ヘーゲル:
:価値は精神的なもので価格は物質的なもの、ただし精神と物質とは厳密な対概念ではない。
価格 価値
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アソシエーション
自由 友愛 平等
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/\
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/_無限定_\
________/_2a属性48\___18,__
\知29 抑制/ 小←/\→大 完全性41 至福90
\ 悪90__2b様態\_____\善46,55,90
\受動/\悲しみ_/\_喜び90\能動49,52
\/ 憎しみ \努力/ 愛90 \/
/\対象/ /_\/_\ \認識29,48,60
所産的自然/物体__欲望__観念33 \
/[延長]\ 身体3感情/精神29[思惟]\能産的
神29,38__\___\/_第三種認識____\自然3,64
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欲求 表象 15
基礎
意志 認識
源泉
[物体]変化、生産 [観念]48
神、 力
作用原因 目的原因 79
48. 神の中には、すべてのものの源泉である力(la puissance)と、
さまざまな観念の細部を含んでいる認識と、
さらに最善という原理にしたがって変化あるいは生産を生じさせる意志
とがある。この三つは、創造されたモナドの中にある主体すなわち基礎と、
表象の能力と、
欲求の能力
とに対応している…
:モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note48
79. 魂は目的原因の法則(les lois des causes finales )にしたがい、欲求や目的や手段によってふるまう。
物体(身体)は作用原因(実現原因)の法則あるいは運動の法則(les lois des causes efficientes ou des
mouvements)にしたがってふるまう。
そしてこの二つの世界(règne)、
作用原因(実現原因)
のそれと目的原因
のそれとは互いに調和している。
:モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note79
15. 一つの表象から他の表象への変化や推移を引き起こす内的原理のはたらきを、
欲求( appétiton )と名づけることができる。
もちろん、欲求のはたらき( appétit )が、その目ざす表象の全体に完全に到達できるとは限らない。
しかし、いつもその表象から何かを得て、新しい表象に到達するのである。
: モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note15
31. われわれの思考のはたらき(raisonnements)は二つの大原理に基づいている。
その一つは矛盾の原理で、これによってわれわれは矛盾を含んでいるものを偽(faux)と判断し、
偽と反対なもの、偽と矛盾するものを真(vrai)と判断する。
32. もう一つの原理は十分な理由の原理で、
これによってわれわれは、事実がなぜこうであってそれ以外ではないのかということに十分の理由がなければ、
いかなる事実も真(vrai)であることあるいは存在することができず、またいかなる命題(énonciation)も真実である(véritable)ことはできない、と考えるのである。…
35. そうして最後に、定義することのできない単純概念がある。
また、証明することができず証明する必要もない公理や公準、一口でいえば原始的な原理がある。
これらは自同的命題〔énonciations identiques〕で、その反対は明白な矛盾を含んでいる。
矛盾の原理 31
偽 真
矛盾の原理 矛盾の原理
偽 真 偽 真
十分な理由の原理 32
真理
事実 思考
矛盾的命題 35
単純概念
自同的命題
被造物 50
完全性
受動 能動
完全性 完全性
受動 能動 受動 能動
50. ある被造物の中に、他の被造物に起こることの理由をア・プリオリに示すのに役立つものがあれば、
その被造物は他の被造物よりも完全である。一方が他方に作用を及ぼすというのは、こうした意味なのである。
スピノザ:
返信削除5定理四〇 おのおのの物はより多くの完全性を有するに従って働きをなすことがそれだけ多く、
働きを受けることがそれだけ少ない。
反対におのおのの物は働きをなすことがより多いに従ってそれだけ完全である。
:エチカ http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note5p40
マルクス、柄谷、ヘーゲル:
:価値は精神的なもので価格は物質的なもの、ただし精神と物質とは厳密な対概念ではない。
価格 価値
神学
資本[身体] 国民 [精神]国家 85~
アソシエーション
自由 友愛 平等
1実体1~22
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/無限36~
/_無限定_\
________/_2a属性48\___18,__
\知29 抑制/ 小←/\→大 完全性41 至福90
\ 悪90__2b様態\_____\善46,55,90
\受動/\悲しみ_/\_喜び90\能動49,52
\/ 憎しみ \努力/ 愛90 \/
/\対象16,30/_\ \認識29,48,60
所産的自然/物体61欲望__観念33 \
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神29,38__\___\/_第三種認識____\自然3,64
\ 4理性26~
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欲求 表象 15
基礎
意志 認識
源泉
[物体]変化、生産 [観念]48
神、 力
作用原因 目的原因 79
48. 神の中には、すべてのものの源泉である力(la puissance)と、
さまざまな観念の細部を含んでいる認識と、
さらに最善という原理にしたがって変化あるいは生産を生じさせる意志
とがある。この三つは、創造されたモナドの中にある主体すなわち基礎と、
表象の能力と、
欲求の能力
とに対応している…
:モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note48
79. 魂は目的原因の法則(les lois des causes finales )にしたがい、欲求や目的や手段によってふるまう。
物体(身体)は作用原因(実現原因)の法則あるいは運動の法則(les lois des causes efficientes ou des
mouvements)にしたがってふるまう。
そしてこの二つの世界(règne)、
作用原因(実現原因)
のそれと目的原因
のそれとは互いに調和している。
:モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note79
15. 一つの表象から他の表象への変化や推移を引き起こす内的原理のはたらきを、
欲求( appétiton )と名づけることができる。
もちろん、欲求のはたらき( appétit )が、その目ざす表象の全体に完全に到達できるとは限らない。
しかし、いつもその表象から何かを得て、新しい表象に到達するのである。
: モナドロジー http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_1.html#note15
31. われわれの思考のはたらき(raisonnements)は二つの大原理に基づいている。
その一つは矛盾の原理で、これによってわれわれは矛盾を含んでいるものを偽(faux)と判断し、
偽と反対なもの、偽と矛盾するものを真(vrai)と判断する。
32. もう一つの原理は十分な理由の原理で、
これによってわれわれは、事実がなぜこうであってそれ以外ではないのかということに十分の理由がなければ、
いかなる事実も真(vrai)であることあるいは存在することができず、またいかなる命題(énonciation)も真実である(véritable)ことはできない、と考えるのである。…
35. そうして最後に、定義することのできない単純概念がある。
また、証明することができず証明する必要もない公理や公準、一口でいえば原始的な原理がある。
これらは自同的命題〔énonciations identiques〕で、その反対は明白な矛盾を含んでいる。
矛盾の原理 31
偽 真
矛盾の原理 矛盾の原理
偽 真 偽 真
十分な理由の原理 32
真理
事実 思考
矛盾的命題 35
単純概念
自同的命題
被造物 50
完全性
受動 能動
完全性 完全性
受動 能動 受動 能動
50. ある被造物の中に、他の被造物に起こることの理由をア・プリオリに示すのに役立つものがあれば、
その被造物は他の被造物よりも完全である。一方が他方に作用を及ぼすというのは、こうした意味なのである。
宇野は東北大学時代にライプニッツの訳者河野与一と友人でスピノザを薦められ二元論を経済学に応用した短文を書いたという
返信削除スピノザ補足
返信削除( スピノザ、リンク:::::::::)本頁
I(全論理空間)
◯
/\
/ \
/ \
a=b=S / \ a/=b/=M
◯/ \◯
Sは実体\ / Mは様態
\ /
\ /
\ /
\/
◯
O(空なるクラス)
図は『論理学史』(山下正男)p208より、スピノザ哲学の論理構成。
デカルトの場合、属性は主にS(=実体)に連なり、スピノザの場合、属性はM(=様態)に連なる。
例を挙げるならば(スピノザ往復書簡の無限の説明)、実体Sが二つの円、様態Mが無限にある両円の比率ということになる。山下氏によればヘーゲルはその両者を混同してしまっているという。
デカルトの、属性がS(=実体)に連ながる部分がヘーゲルの過ちを生んだ。
上を延長、下を思惟ととらえれば(逆でもいい)両者の結合が神秘主義的思考回路と同じになってしまうということだ。
スピノザは属性を様態寄りに考えたとはいえ、実体から無限の属性が生じることを想定しかつ、思惟と延長に優越をつけなかった。
様態から属性を通って実体につながっているとはいえ、実体側からの属性を無視したわけではなく、属性は思惟と延長に限られず無限にあるというだけである。だから二項対立の変奏はあっても二元論の固定さらには思惟の優越にはならない。空なるクラスも定義としての否定において維持される。
ヘーゲルは(論理的思考が後退した場合における)デカルトの必然的帰結である。
また、
ドゥルーズによれば平行論なる命名はライプニッツが初めて行ったもので、スピノザ自身の
用語ではない。
(ドゥルーズ『スピノザ 表現の問題』邦訳単行本103,390頁参照)
さらにライプニッツの並行論は悪口ではない。ライプニッツも自身を並行論者と考えていた
からだ。
ただスピノザには個体による実体の分有を説明出来ないと考えていた(「唯一の普遍的精神の
説についての考察」邦訳ライプニッツ著作集第八巻132頁)。
ライプニッツはこんな図式を描いている。
瞬間Aにおける肉体の状態 | 瞬間Aにおける魂の状態
次の瞬間Bにおける肉体の状態(チクリ)| 瞬間Bにおける肉体の状態(痛み)
「魂がチクリにかならず気がつくのは、関係の法則によっている。」
「魂は、いつもかならずしも判明に、チクリだの、その直後にやってくるはずの痛みだのが、
いったいなんで起こるのか、気がついているとはかぎりません。」
(アルノー宛書簡20邦訳ライプニッツ著作集第八巻361~362頁)
http://www2.human.niigata-u.ac.jp/~mt/ningen/docs/F.%20IMAI.pdf
ライプニッツは、物体は延長だとするデカルトの考え方のみをアルノーが前提としており、
物体が自身の力で運動することを否定しているといって批判する(書簡16『ライプニッツ著作
集 8』320 頁)。
共通概念(というより共通感覚?)としてスピノザの公理をドゥルーズは肯定的に捉えている。
ライプニッツの複数性とスピノザの一元論とを調停する鍵がそこにある。
法よりも判例が大事というのと同じだ。ドゥルーズの感覚論はゆがんではいるが、、、
ドゥルーズが、共通感覚には懐疑的だが(『差異と反復』では積極的にも読める)、
共通概念に肯定的なのは(『批評と臨床』)、上記図のように感覚に概念を対応させる
ためであり、概念の優位を称えているのではない。
(ドゥルーズがカントの主要テーマをランボーやシェークスピアの引用で要約したことが想起される。)
ドゥルーズもまた並行論者なのだ。
|
欲望する諸機械|器官なき身体
|
deleuze#6
返信削除英訳脚注
17. By “parallelism” Leibniz understands a conception of soul and body that makes them in a certain way inseparable, while excluding any real relation of causality between them. But it is his own conception he designates thus. Cf. “Reflections on the Doctrine of a Universal Spirit” (1702; Loemker 58), § 12.
17. ライプニッツは「並行論」によって、魂と肉体をある意味で不可分としながら、両者の間に現実の因果関係を一切排除するような観念を理解しているのである。しかし、彼がこのように指定するのは彼自身の概念である。参照:「普遍的精神の教義に関する考察」(1702;ロームカー 58)、§12. 18. E II.17s [451]。
返信削除CONSIDERATIONS ON THE DOCTRINE OF A UNIVERSAL SPIRIT
G W. Leibnitz and A. E. Kroeger
The Journal of Speculative Philosophy
The Journal of Speculative Philosophy
Vol. 5, No. 2 (April, 1871), pp. 118-129 (12 pages)
Published by: Penn State University Press
1702
英訳
https://www.jstor.org/stable/25665749?seq=1#metadata_info_tab_contents
返信削除122-123
the permanency of the one universal spirit. I have carefully examined this matter, and have shown that there are veritably in the soul some objects of thought or of the intellect which the external senses do not furnish; namely, the soul itself and its functions*?nihil est in intel lectu quod non f uerit in sensu, nisi ipse intellectus ; ? and those who uphold the universal spirit will easily agree to this since they distinguish it from matter: but, nevertheless, I find that there is never an abstract thought which is not accompanied by some material images or traces, and I have established a perfect parallelism between that which occurs
In the soul and that which happens in the material world,* having demonstrated that the soul with its functions is some thing altogether distinct from matter, but that nevertheless It is always accompanied by organs which must respond to It, and that this relation is reciprocal and will remain so always.f Now so far as the complete separation of body and soul is concerned?although I can say nothing in regard to the laws of grace and to what God has ordained concerning the human and particular souls, beyond what the Scriptures say?since these are things we cannot know through reason, depending as they do upon revelation itself and God himself?I see no reason, neither of philosophy nor of religion, which would oblige me to abandon the doctrine of the parallelism of body and soul, and to adopt in its place the doctrine of a complete separation. For why cannot the soul always retain a subtle body, organized according to its condition, which might even resume some day ? on resurrection ? that part of its visible body which is necessary; since we do accord to the blessed a glorious body, and since the fathers of the Church have ac corded a subtle body to the angels ?
一つの普遍的な精神の永続性。私はこの問題を慎重に検討し、魂の中には、外部の感覚が提供しない思考や知性の対象が確かに存在することを示した;すなわち、魂そのものとその機能である。しかし、それにもかかわらず、私は、物質的なイメージや痕跡を伴わない抽象的な思考は決して存在しないことを発見し、私は、そのような思考が起こることの間に完全な並行関係を確立したのである。
魂と物質世界で起こること*は、その機能を持つ魂は物質とは全く異なるものであるが、それでも魂はそれに応答しなければならない器官を常に伴っており、この関係は相互的であり、常にそうであることを証明したf さて、肉体と魂の完全分離に関する限り、どうであろうか。 私は、恵みの法則と、神が人間と特定の魂に関して定めたことに関して、聖書に書かれている以上のことは何も言えないが、これらは理性では知り得ないことであり、啓示そのものと神ご自身に依存しているからだ。哲学でも宗教でも、肉体と魂の並行性の教義を放棄し、その代わりに完全分離の教義を採用しなければならない理由はないだろう。なぜならば、魂はその状態に応じて組織された微細な体を常に保持することができず、それはいつの日か、復活の際に、その目に見える体の必要な部分を再開することさえあり得るからである。
邦訳は著作集8
返信削除『唯一の普遍的精神の説について』(1702 年) ...
ライプニッツはデカルト哲学に強い関心をもち、若い頃のパリ滞在期には熱心にデカ ... する」痕跡がある、と述べられ、『唯一の普遍的精神の説について』(1702 年) ...
www.kousakusha.co.jp > NEWS > weekly20180807
『ライプニッツ著作集 第I期』 9月より新装復刊 - 工作舎
2018/8/7 -「表出」の哲学を開示した『形而上学叙説』、『アルノーとの往復書簡』を軸に、『認識、真理、観念についての省察』、『唯一の普遍的精神の説についての ...
www.kousakusha.co.jp > BOOK > ISBN4-87502-175-5
ライプニッツ著作集 [8] 前期哲学 - 工作舎
17世紀の哲人・ライプニッツの普遍精神精選・翻訳した世界初の本格的著作集。第8巻前期哲学は、「形而上学叙説」、「アルノーとの往復書簡」を軸に、1702年までの小品 ...
www.kinokuniya.co.jp > dsg-01-9784875024965
前期哲学 - 紀伊國屋書店
極端な機械論が流布し、無神論が台頭して思想的にも混迷をきわめた一七・八世紀、生涯宮廷 ... 唯一の普遍的精神の説についての考察』など、1702年までの小品を収載。
PDF
researchmap.jp > shinjike > published_papers > attachment_file
想像と秩序 - researchmap
ライプニッツの理想は、想像力にまったく依存しない普遍的計算を作ることにあった。 ... 「精神の眼」に映る心像という経験的想像力の領分を越えて、対象の可能的存在 ...
PDF
researchmap.jp > shinjike > presentations > attachment_file
ライプニッツの普遍数学における想像力の問題 - researchmap
2009/11/5 -半精神的かつ半物体的なものとして想像力をどう考えればよいのか、問題はいよい. よ深刻になる。 ライプニッツは、デカルトの普遍数学と想像力への ...
未指定:1702
www.hmv.co.jp > 本・雑誌・コミック > 哲学・歴史・宗教 > G.W.ライプニッツ
前期哲学 ライプニッツ著作集 第1期 - HMV&BOOKS online
前期哲学 ライプニッツ著作集 第1期 | G.W.ライプニッツ | 発売国:日本 | 書籍 ... 唯一の普遍的精神の説についての考察』など、1702年までの小品を収載。
ライプニッツ
返信削除唯一の普遍的精神の説についての考察
8巻126-128頁
有能な人々が唯一の普遍的精神の説を奉ずるようになったもう一つの要因は、私が思うに、俗流哲学者たちが
[身体から]分離した魂に関する説や身体器官から独立した魂の働きに関する説を、ろくに正当化もできないくせに言いち
らしているということである。彼らは正当にも、魂の不死が神の完全性にも真の道徳性にも合致すると主張しょうとして
いたのだが、動物の内にある器官が死によって崩壊し遂には腐敗するのを見ると、魂の分離説に頼って、魂は身体なしに
も存続しそれでも思惟や働きを失うことはないと考えざるを得なくなったと思った。そしてそのことをもっと巧く証明す
るために彼らが明らかにしようとしたのは、この生命体の中にある魂が物質の観念からは独立した抽象的な思惟を有して
いるということである。しかし、こうした分離の状態とか独立とかを経験にも理性にも反することだとして拒否した人
は、その勢いで、個別的魂の消滅と唯一の普遍的精神の保存とを信じるに至ったのである。
私はこの問題を注意深く検討してみた。そして、実は魂の内には思惟の何らかの素材もしくは知性の対象がある
ということを示した。この素材もしくは対象は、外的感覚によっては与えられないもので、魂そのものとかその働きがそ
れにあたる (知性の内には、既に感覚になかったものは何もない、ただし知性そのものは別にして*9)。普遍的精神の説に与する者は、精
神を物質から区別しているので、この点にはあっさりと同意するであろう。しかし私は、如何なる形象もしくは物質の痕
跡をも伴っていないような抽象的思惟など存在しないと考えている。そして私は、魂に起きることと物質に起きることと
の間の完全な並行説を確立した*。この並行説によって私は次のことを示した。つまり、魂とその働きは、物質とは区別さ
れる何らかの事物であるが、しかしその魂は常に物質的な器官を伴っているし、魂の働きの方も常に物質の働きを伴って
いる、そして一方は他方に対応し、またその逆も成り立ち、しかも常にそうなっている、と。
では魂と身体を完全に分離するという説についてはどうか。ここで私は、恩寵の法や、とりわけ人間の魂に対し
て神が課した法については、聖書に記されていること以上には言えない。それらは理性によっては知り得ぬことで神自身
の啓示に俊つものだからである。しかしだからといって、魂と身体との間の並行説を退け両者を完全に分離せよとするよ
うな論拠は、宗教的なものであれ哲学的なものであれ見出せない。というのも、魂が、それぞれの仕方で有機化されて微
細な身体を常に保持していると言えないはずはないからである。しかもこの魂はまた、いつの日にか[死後の]復活に際し
て然るべき可視的身体を再び獲得することであろう。福者には栄光の身体が許されているのだし、古代の教父は天使にも
徴細な身体を認めているからである。
さらに、この並行説は、経験によって確立された自然の秩序にも合致している。なぜなら、極めて有能な観察者
が調べたところによれば、動物においては、普通誕生したと思われているときでも実は誕生しているのではなく、種子的
な動物もしくは生命を与えられた種子が天地開闘以来既に存続していたと判断できるが*11、これと同じく、秩序と理性の側
からも次のように主張できるからである。つまり、天地開闘以来存在していたものは終結することもなく、そのため、発
生が、変態し展開した動物の増大でしかないように、死滅も、変態し包蔵された動物の減少でしかないであろう。しか
し、カイコと蝦が同一の動物であるように、動物は変態を繰り返しながらも常に同じものであり続ける。さて、ここでつ
いでに指摘しておくが、自然が有している巧みさと善さとのお蔭でわれわれは自然の秘密を幾つかの見本の内に発見する
ことができ、そのためわれわれはそれ以外のものもすべてが互いに対応し調和的であると判断できるのである。例えば毛
虫など虫類の変態において自然が示しているものがそうである。なぜなら、蝿も幼虫から生ずるため、われわれは変態が
至るところにあるのだと推断するようになるからである。一般の見解では虫などの小動物は生殖によらず栄養状態次第で
繁殖できるとされているが、虫類に関する経験がこの見解を打ち消した。同様に、鳥類においても、自然はすべての動物
の発生の見本を卵生のあり方によってわれわれに示したのである。この点は新たな発見によって今やっと認められるょう
になったことである。
このことは顕徹鏡によってわかったことでもある。…
*
9-ロック批判の有名な言葉。『人間知性新論』2:1:2参照。
10-この「並行説」(parallelisme)」は、 言うまでもなく予定調和のことであり、
問題の説明として教科書風に持ち出されるスピノザの説とは違う。もっとも、解釈上
スピノザとライプニッツとの相違を見極めることは決して容易ではない。
11-動物の発生に関してライブッツが必ず言及する観察者は、マルビーギ、レーウ
メンフック、スワムメルダムである。彼らは当時発明された顕徽鏡を用いて幾多の発見
をし、それがライブムックの思素に大きな影響を与えた。『実体の本性と実体相互の交
渉ならびに心身の結合についての新たな説』(本巻所収)第六節参照。
ライプニッツ
返信削除唯一の普遍的精神の説についての考察
Leibniz Considérations sur la doctrine d'un esprit universel. 1702
8巻126-128頁
有能な人々が唯一の普遍的精神の説を奉ずるようになったもう一つの要因は、私が思うに、俗流哲学者たちが
[身体から]分離した魂に関する説や身体器官から独立した魂の働きに関する説を、ろくに正当化もできないくせに言いち
らしているということである。彼らは正当にも、魂の不死が神の完全性にも真の道徳性にも合致すると主張しようとして
いたのだが、動物の内にある器官が死によって崩壊し遂には腐敗するのを見ると、魂の分離説に頼って、魂は身体なしに
も存続しそれでも思惟や働きを失うことはないと考えざるを得なくなったと思った。そしてそのことをもっと巧く証明す
るために彼らが明らかにしようとしたのは、この生命体の中にある魂が物質の観念からは独立した抽象的な思惟を有して
いるということである。しかし、こうした分離の状態とか独立とかを経験にも理性にも反することだとして拒否した人
は、その勢いで、個別的魂の消滅と唯一の普遍的精神の保存とを信じるに至ったのである。
私はこの問題を注意深く検討してみた。そして、実は魂の内には思惟の何らかの素材もしくは知性の対象がある
ということを示した。この素材もしくは対象は、外的感覚によっては与えられないもので、魂そのものとかその働きがそ
れにあたる (知性の内には、既に感覚になかったものは何もない、ただし知性そのものは別にして*9)。普遍的精神の説に与する者は、精
神を物質から区別しているので、この点にはあっさりと同意するであろう。しかし私は、如何なる形象もしくは物質の痕
跡をも伴っていないような抽象的思惟など存在しないと考えている。そして私は、魂に起きることと物質に起きることと
の間の完全な並行説を確立した*10。この並行説によって私は次のことを示した。つまり、魂とその働きは、物質とは区別さ
れる何らかの事物であるが、しかしその魂は常に物質的な器官を伴っているし、魂の働きの方も常に物質の働きを伴って
いる、そして一方は他方に対応し、またその逆も成り立ち、しかも常にそうなっている、と。
では魂と身体を完全に分離するという説についてはどうか。ここで私は、恩寵の法や、とりわけ人間の魂に対し
て神が課した法については、聖書に記されていること以上には言えない。それらは理性によっては知り得ぬことで神自身
の啓示に俊つものだからである。しかしだからといって、魂と身体との間の並行説を退け両者を完全に分離せよとするよ
うな論拠は、宗教的なものであれ哲学的なものであれ見出せない。というのも、魂が、それぞれの仕方で有機化されて微
細な身体を常に保持していると言えないはずはないからである。しかもこの魂はまた、いつの日にか[死後の]復活に際し
て然るべき可視的身体を再び獲得することであろう。福者には栄光の身体が許されているのだし、古代の教父は天使にも
徴細な身体を認めているからである。
さらに、この並行説は、経験によって確立された自然の秩序にも合致している。なぜなら、極めて有能な観察者
が調べたところによれば、動物においては、普通誕生したと思われているときでも実は誕生しているのではなく、種子的
な動物もしくは生命を与えられた種子が天地開闘以来既に存続していたと判断できるが*11、これと同じく、秩序と理性の側
からも次のように主張できるからである。つまり、天地開闘以来存在していたものは終結することもなく、そのため、発
生が、変態し展開した動物の増大でしかないように、死滅も、変態し包蔵された動物の減少でしかないであろう。しか
し、カイコと蝦が同一の動物であるように、動物は変態を繰り返しながらも常に同じものであり続ける。さて、ここでつ
いでに指摘しておくが、自然が有している巧みさと善さとのお蔭でわれわれは自然の秘密を幾つかの見本の内に発見する
ことができ、そのためわれわれはそれ以外のものもすべてが互いに対応し調和的であると判断できるのである。例えば毛
虫など虫類の変態において自然が示しているものがそうである。なぜなら、蝿も幼虫から生ずるため、われわれは変態が
至るところにあるのだと推断するようになるからである。一般の見解では虫などの小動物は生殖によらず栄養状態次第で
繁殖できるとされているが、虫類に関する経験がこの見解を打ち消した。同様に、鳥類においても、自然はすべての動物
の発生の見本を卵生のあり方によってわれわれに示したのである。この点は新たな発見によって今やっと認められるょう
になったことである。
このことは顕徹鏡によってわかったことでもある。…
*
9-ロック批判の有名な言葉。『人間知性新論』2:1:2参照。
10-この「並行説」(parallelisme)」は、 言うまでもなく予定調和のことであり、
問題の説明として教科書風に持ち出されるスピノザの説とは違う。もっとも、解釈上
スピノザとライプニッツとの相違を見極めることは決して容易ではない。
11-動物の発生に関してライブッツが必ず言及する観察者は、マルビーギ、レーウ
メンフック、スワムメルダムである。彼らは当時発明された顕徽鏡を用いて幾多の発見
をし、それがライブムックの思素に大きな影響を与えた。『実体の本性と実体相互の交
渉ならびに心身の結合についての新たな説』(本巻所収)第六節参照。
邦訳ライプニッツ著作集第8巻127頁
返信削除ライプニッツ
唯一の普遍的精神の説についての考察
Leibniz Considérations sur la doctrine d'un esprit universel. 1702
《…私は、魂に起きることと物質に起きることと
の間の完全な並行説を確立した*10。この並行説によって私は次のことを示した。つまり、魂とその働きは、物質とは区別さ
れる何らかの事物であるが、しかしその魂は常に物質的な器官を伴っているし、魂の働きの方も常に物質の働きを伴って
いる、そして一方は他方に対応し、またその逆も成り立ち、しかも常にそうなっている、と。》
ただし
脚注はスピノザとの類似に否定的
《10-この「並行説」(parallelisme)」は、 言うまでもなく予定調和のことであり、
問題の説明として教科書風に持ち出されるスピノザの説とは違う。もっとも、解釈上
スピノザとライプニッツとの相違を見極めることは決して容易ではない。》
一人一人の個別性をライプニッツは強調し
返信削除スピノザと差異化している
132頁
132
返信削除|きないのだが。かくして、魂は、多数の魂からなる大海に再結合されても、常に以前どおりの個別的魂として別々なまま
であることになる。
こうして、次のように考えれば一層合理的であり自然の常道にも適ったことだということが明らかになった。ま
ず、個別的魂を動物そのものの内で存続すると考え、動物の外に出て神のところに行くとは考えないということである。
|そしてそれゆえ魂だけではなく動物そのものも保存されると考えることである。ただしこの点は既に説明した通りだし他
|所でも述べた。そしてさらに、この個別的魂を常に活動的なものとすること、つまり、その魂にふさわしくしかも宇宙の一
|美と秩序にも与っているような個別的働きをするものと考えることである。したがって、それらの魂を静寂主義者の言う
|神のサバト[安自息]に追い込み怠情と無為の状態に陥れることなどはしない。なぜなら、福者の魂の至福直観は、その魂一
にとっての栄光ある身体の働きと両立し、その身体も固有の仕方で有機化されているはずだからである。
しかしある人が、個別的魂などどこにもない、身体器官の助けを借りて感覚や思惟の働きを行使している今でも
|同じことだ、と主張しようとするならば、その主張はわれわれの経験によって論駁されるであろう。思うに、経験が教え|
|るところによれば、われわれは人一人が、思惟し自覚し欲する何ものかであり、他のことを思惟し欲している他者から
|は区別されているのである。そう考えないと、スビノザや他の同類の人々の考え方に陥ってしまう。彼らの考えでは、た
|だ一つの実体すなわち神だけが存在し、その神は私の内にあっては或ることを思惟し信じ欲し、他の人の内にあっては反
|対のことを思惟し信じ欲するというのである。このような見解は、ベール氏が彼の『歴史批評辞典興』の幾つかの箇所で朝
笑していた。
ー -ママーミ『型試 」の特に「トグェロエス」「Kビノザ」の
項参照(野沢協訳『ビエール,ベール著作集』法政大学出版局、第三巻四五七ー七〇
真、第五巻六二八ー七○六質)。
|きないのだが。かくして、魂は、多数の魂からなる大海に再結合されても、常に以前どおりの個別的魂として別々なまま
返信削除であることになる。
こうして、次のように考えれば一層合理的であり自然の常道にも適ったことだということが明らかになった。ま
ず、個別的魂を動物そのものの内で存続すると考え、動物の外に出て神のところに行くとは考えないということである。
そしてそれゆえ魂だけではなく動物そのものも保存されると考えることである。ただしこの点は既に説明した通りだし他
所でも述べた。そしてさらに、この個別的魂を常に活動的なものとすること、つまり、その魂にふさわしくしかも宇宙の一
美と秩序にも与っているような個別的働きをするものと考えることである。したがって、それらの魂を静寂主義者の言う
神のサバト[安自息]に追い込み怠情と無為の状態に陥れることなどはしない。なぜなら、福者の魂の至福直観は、その魂
にとっての栄光ある身体の働きと両立し、その身体も固有の仕方で有機化されているはずだからである。
しかしある人が、個別的魂などどこにもない、身体器官の助けを借りて感覚や思惟の働きを行使している今でも
同じことだ、と主張しようとするならば、その主張はわれわれの経験によって論駁されるであろう。思うに、経験が教え
るところによれば、われわれは人一人が、思惟し自覚し欲する何ものかであり、他のことを思惟し欲している他者から
は区別されているのである。そう考えないと、スピノザや他の同類の人々の考え方に陥ってしまう。彼らの考えでは、た
だ一つの実体すなわち神だけが存在し、その神は私の内にあっては或ることを思惟し信じ欲し、他の人の内にあっては反
対のことを思惟し信じ欲するというのである。このような見解は、ベール氏が彼の『歴史批評辞典』の幾つかの箇所で嘲
笑していた。
14-ピエール・ベール『歴史批評辞典』の特に「トヴェロエス」「スビノザ」の
項参照(野沢協訳『ビエール,ベール著作集』法政大学出版局、第三巻四五七ー七〇
真、第五巻六二八ー七○六質)。
132頁