「固有信仰は民俗学によってしか接近できない。と同時に、それは民俗学では接近できない」
(『遊動論』133頁)
他にも重要な考察がある。
☆
狩猟採集によって得た収穫物は、不参加者であれ、客人であれ、すべての者に、平等に分配される。これは、この社会が狩猟採集に従事しているからではなく、遊動的だからである。彼らはたえず移動するため、収穫物を備蓄することができない。ゆえに、それを所有する意味もないから、全員で均等に分配してしまうのだ。これはまさに「純粋贈与」であって、互酬的ではない。…
定住以前の狩猟採集社会には、共同寄託はあるが互酬的交換はなかったと考えるべきである。
柄谷行人『遊動論 柳田国男と山人』(文春新書2014.01.20)
目次 :
第1章 戦後の柳田国男 7
1戦中から戦後へ 8
2柳田の敗北 21
3農民=常民の消滅 29
4非常民論 33
注 42
第2章 山人 45
1近代と近代以前 46
2農政学 56
3焼畑狩猟民の社会 67
注 73
第3章 実験の史学 79
1供養としての民俗学 80
2山人と島人 87
3公民の民俗学 100
4オオカミと「小さき者」116
注 125
第4章 固有信仰 127
1新古学 128
2固有信仰 135
3祖霊信仰と双系制 145
4「場」としての家 150
5折口信夫と柳田国男 157
6固有信仰と未来 166
注 174
付論 二種類の遊動性 177
1遊動的狩猟採集民 178☆
2定住革命 182
3二種類のノマド 186
4柳田国男 193
あとがき 197
主要参考文献 202
柳田国男年譜 205
『遊動論』の構成:
第一章①戦後の柳田国男(遊牧民的資本主義=吉本隆明批判)
第二章②山人 (協同組合=協同自助論)
第三章③実験の史学 (国家に抗する小日本主義=小さきもの)
第四章④固有信仰 (互酬制を脱する過去=未来の原理)
付論 ☆二種類の遊動性(遊動民と遊牧民)
③|☆①
ー+ー
②|
④
①と
④は両義的
以下、文庫版柳田国男全集において、柄谷行人が
文春新書『遊動論 柳田国男と山人』(全角頁数)で言及したもの。@は引用。(半角数字)はちくま文庫版の頁数。『遊動論』付録年譜参照。
第1巻
海上の道(28,87)……………………………………… 7
「鼠の浄土」(131@(203))
海南小記(27)…………………………………… 297
島の人生…………………………………… 525
「島々の話 その四」(90@(635)。沖縄での講演「世界苦と孤島苦」からの引用という形をとっている)
*解説(福田アジオ)(28@(697~8))…………………… 689
第2巻
雪国の春(94)……………………………………… 7
豆の葉と太陽……………………………… 345
第3巻
ジュネーブの思い出(92~3@(393))……………………… 389
第4巻
遠野物語(1,32,33,46,52,67,72@(9),76)………………………… 7
山の人生(70,85@(236)@(242),89@(88)@(88),116~7@(169))…………………77
「山人考」(41@(236),85@(236)@(242))
「山に埋もれたる人生のある事」(61@(81~2))
山人外伝資料(85~6@(385))……………………………… 385
第5巻
後狩詞記(35,52,67,69)……………………………………… 7
山民の生活(99)………………………………… 529
第6巻
妖怪談義……………………………………… 7
「天狗の話」(72)
第7巻 第8巻 第9巻 第10巻 第11巻
第12巻
婚姻の話……………………………………… 7
「聟入考」(146)
家閑談(154@(422),154~5@(344))……………………………………… 273
親方子方(151)…………………………………… 499
第13巻
先祖の話(22~,22@(208),22~3@(209),23,25@(11),43,
134@(65)@(77~8)@(91~2)@(115)@(182)@(196),136~7@(65),137~8@(198),140@(61),140~1@(181),150@(209),167@(166~7),168(@(167)),174)……………… 7
日本の祭(123@(248),129@(239),132~3@(404),153~4@(225),169@(239))…………………………………… 211
神道と民俗学(55@(434),121~2@(526),128~9@(444),129@(445),134~5@(518))……………………………… 431
祭礼と世間(135@(559)@(560)………………………………… 543
神道私見(49@(600)@(?『故郷七十年』?),55@(596~7)@(597),129@(596),170@(596~7))…………………………………… 587
第14巻
山宮考(24)……………………………………… 389
第15巻
山宮考?
第16巻 第17巻 第18巻
第19巻
蝸牛考(111@(137「方言周圏説×論○」))…………………………… 7
第20巻
家の話(152@(423))……………………………………… 419
第21巻
第22巻
小さき者の声(「子供と言葉」125@(441))……………………………… 335
第23巻
こども風土記(124~5@(82))………………………………… 7
第24巻
狼のゆくえ 583~「孤猿随筆」(117)
山宮考?
第25巻
第26巻
明治大正史 世相篇(62@(346)@(344)@(345),101~2@(376),102@(394),110)…………………… 7
第27巻
青年と学問………………………………… 115
「青年と学問」(97~8@(133~4))
「南島研究の現状」(90@(223),91~2@(225))
「郷土研究ということ」(108~9@(291))
「島の話」(89@(207))
東北と郷土研究(114@(506))…………………………… 486
実験の史学(11@(525),37,37,81@(518)@(518~9),108,112@(527),112~3@(526),115)………………………………… 518
第28巻
郷土生活の研究法(110@(216),118,130@(60『玉勝間』)@(60),151)…………………………… 7
民間伝承論(81~2@(395~6),110@(319)「重出立証法」,112@(300)@(260),113@336~7),115@(300))………………………………… 245
第29巻
時代ト農政(59~60@(122),62~3@(119),63~4@(372~3),(75朱子))……… 7
日本農民史(103,104@(489))………………………………… 229
都市と農村(15@(489))………………………………… 333
中農養成策(62)………………………………… 550
第30巻 第31巻
第32巻
炭焼日記(13@(426))………………………………… 163
野辺の小草(叙情詩)
「夕づゝ 」
かのたそがれの国にこそ/こひしき皆はいますなれ/うしと此世を見るならば/我をいざなへゆふづゝよ..(73~4@(50))...50
(定本柄谷行人集第一巻172頁参照)
文庫未収録:
「文学・学問・政治」中野重治との対談(16@(ちくま文庫~対談集138),17@(142))
「故郷七十年」(46~7@(255),48@(23)@(23),旧全集別巻三)
「故郷七十年拾遺」(53~4@旧全集別巻三(451),定本柄谷行人集一172~3頁参照)
『近世奇談全集』序言(50~1@最新版全集第22巻? 1 校訂近世奇談全集 15)
「世界苦と孤島苦」(27?,90@『ちくま文庫版全集1』(635),91,旧全集別巻三(320~1))
「東北研究者に望む」(94@(?最新版全集第27巻 60 東北研究者に望む 1-3 115-118))
「国際労働問題の一面」(95~6@旧全集第29巻)
「九州南部地方の民風」(68@,70~1@(最新版全集第23巻 169 九州南部地方の民風 624-631))
『評伝オーロビンド』(書名未掲載。171,172@(110),176@(63),176@(110))
「南方氏の書簡について」『柳田国男南方熊楠往復書簡集』上下(107~8@「南方熊楠宛書簡大正3年1914年5月12日(下236),108@「南方氏の書簡について」(下252),121@(上17))
『折口信夫対話集』(170,171@「日本人の神と霊魂の観念そのほか」(193))
「民俗学の話」(24@旧全集24巻(503))
『柳田国男論集成』橋川文三(12~3@(67),173@(76))
参考:
第13巻
「先祖の話」(22(208),23(209),150(209))より
「少なくとも国のために戦って死んだ若人だけは、何としてもこれを仏徒の言う無縁ぼとけの列に、疎外しておくわけにはいくまいと思う。もちろん国と府県とには晴の祭場があり、霊の鎮まるべきところは設けられてあるが、一方には家々の骨肉相依るの情は無視することが出来ない。」
「新たに困難に身を捧げた者を初祖とした家が、数多く出来るということも、もう一度この固有の生死観を振作せしめる一つの機会であるかも知れぬ。」
第23巻
「こども風土記」(124~5@(82))より
「児童は私が無く、また多感である故に、その能力の許す限りにおいて時代時代の文化を受け入れる。古く与えられたものでも印象の深さによって、これを千年・五百年の後に持ち伝えるとともに、いつでも新鮮なる感化には従順であった。そうして常に幾分か親たちよりも遅く、無用になったものを棄てることにしていたらしい。ことに国語のうるわしい匂い・艶・うるおいなどは、かつて我々の親たちの感じたものを、今もまだ彼らだけは感じているように思う。こういうところに歴史を学ぼうとする者の反省の種が潜んでいる。」
第22巻
「子供と言葉」「小さき者の声」(125@(441),旧全集第20巻)より
「小児が我々の未来であるとともに、一方にはまたなつかしい眼の前の歴史、保存せられて
いる我々の過去でもあったことは、国内各地の言葉を比べてみていると、自然に誰にでも気
がつきます。」
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柳田国男(民間伝承の)「三部分類」
(『民間伝承論』ちくま文庫版全集第28巻373頁より。柄谷行人『柳田国男論』113頁参照)
柳田国男は民間伝承の三部分類(目・耳・心)を提唱している。
あくまで帰納法であり、宇野弘蔵のようなヘーゲル経由ではない。
座標が縦横にあるから応用が効き、秘教化しないところがミソだ。
柄谷の論考はこれらを遡行するものだ。
ちなみに、あとがきによると付論「二種類の遊動性」は中国講演草稿として書かれた。
内容的には以下の②とほぼ重なる。
柄谷行人「中国で読む『世界史の構造』」
雑誌「現代思想」青土社 2013年5〜10月号:メモ
___________
|③ ⑤⑥| |
| | ② |
|④ | |
|_____①_____|
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| ⑥ | |
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著者が2012年9月から2カ月間にわたって中国の研究機関(中国の友人に頼まれ北京清華大学及び、北京哲学会、中央民族大学、社会科学院、上海大学)で『世界史の構造』の詳細な解説を行った記録。2013年5〜10月号、全六回。
5月号 第一回「『世界史の構造』について」
6月号 第二回「世界史における定住革命」☆
7月号 第三回「専制国家と帝国」
8月号 第四回「東アジアの帝国」
9月号 第五回「亜周辺としての日本(上)」
10月号 第六回「亜周辺としての日本(下)」
主要参考文献及び人名:
(登場順、重複あり)
吉野作造(10)
橋川文三『柳田国男論集成』作品社、二〇〇二年(12~3@(67),173)
柳田國男・中野重治「文学・学問・政治」(対談)(「展望」一九四七年一月号所収、のちに筑摩書房、宮国登編『柳田國男対談集』に収録、ちくま学芸文庫、一九九二年)(16@(138),17@(142))
中野重治『五勺の酒・萩のもんかきや』講談社文芸文庫、一九九二年(18,42~3)
花田清輝「柳田国男について」(松川哲夫編『花田浦輝評論集』所収、岩波文庫、一九九三年)(18@(199),19@(201))
中村哲『柳田国男の思想』法政大学出版局、一九八五年(23@(『柳田国男研究』1973年,102))
村井紀『南島イデオロギーの発生』福武書店、一九九二年(26,87)
吉本隆明『共同幻想論』角川文庫、一九八二年(31,32)
吉本隆明『マス・イメージ論』福武書店、一九八四年(33)
坪井洋文『イモと日本人』未来社、一九七九年(34)
坪井洋文『稲を選んだ日本人』未来社、一九八二年(34)
網野善彦「中世における天皇支配権の一考察」(「史学雑記」一九七二年八月号所収、山川出版社)(36)
網野善彦『蒙古襲来』小学館文庫、二〇〇〇年(37)/
中野重治『五勺の酒・萩のもんかきや』講談社文芸文庫、一九九二年(18,42~3)
グラムシ(42)
川田順造「最初期の柳田を讃える」(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(43,100~1)
古本隆明『超資本主義』徳間書店、一九九五年(43)
赤松啓介『夜這いの民俗学』明石書店、一九九四年 (44)
小熊英二『単一氏族神話の起源』新曜社、一九九五年(40,44)
大塚英志『怪談前夜』角川選書、二〇〇七年(46)
兪汝為『荒政要覧』(48,49,51)
柳田国男・田山花袋編校訂『近世奇談全集』、博文館、一九〇三年(50~1)
平田篤胤『仙境異聞』(51,130,131)
井上円了「妖怪学」?(52?,74?)
横井時敬(57)
ロバート・オーウェン(58)
J・S・ミル(59,75)
東畑精一(65)
字沢弘文『社会的共通資本』岩波新書、二〇〇〇年(65~7)
並松信久「柳田国男の農政学の展開」(「京都産業大学論集 社会科学系列」所収、二〇一〇年)(69)
松崎憲三「二つのモノの狭間で(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(72)/
菊地章太『妖怪学の祖 井上圓了』角川選書、二〇一三年(74)
カント『視霊者の夢』?(74)
島崎藤村『夜明け前』(75)
スマイルズ『自助論』or『西国立志編』(75)
J・S・ミル(59,75)
宮崎学『「自己啓発病」社会』祥伝社新書、二〇一二年(75)
朱子(75(『時代ト農政』参照))
ジェームズ・C・スコット、佐藤仁監訳『ゾミア』みすず書房、二〇一三年(76,190)
マルクス(58,76『共産党宣言』@,77)
ハインリヒ・ハイネ著、小沢俊夫訳『流刑の神々・精霊物語』岩波文庫、一九八〇年(76,77,83)
ハインリヒ・ハイネ著、小沢俊夫訳『流刑の神々・精霊物語』岩波文庫、一九八〇年(76,77,83)
ミシュレ『魔女』(83)
村井紀『南島イデオロギーの発生』福武書店、一九九二年(26,87)
赤坂憲雄『東北学/忘れられた東北』講談社学術文庫、二〇〇九年(94)
アダム・スミス(96)
三浦銕太郎(96)
石橋湛山(96)
川田順造「最初期の柳田を讃える」(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(43,100~1)
岡村民夫『柳田国男のスイス』森話社、二〇一三年(101)
大塚英志『公民の民俗学』作品社、二〇〇七年(102~3,104)
赤坂憲雄『一国民俗学を越えて』五柳書院、二〇〇一年 (106)
柳田国男・南方熊楠『柳田国男・南方熊楠往復書簡集』上下 平凡社ライブラリー、一九九四年(107~8@(下236),108@「南方氏の書簡について」(下252),121@(上17))
166 Comments:
先祖22-3@
43頁
1607年に兪如為が記した中国の救荒書『荒政要覧』
http://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/data/open/cnt/3/354/1/SZK0002693_20040929055329451.pdf#search='荒政要覧とは'
きゅうこうしょ みんかんびこうろく 日本最初の本格的救 荒 書『民間備荒録』(Q611-2)
救荒書とは一般には飢饉を生き延びる術を記した書物を指します。飢饉への備えを説き、飢饉 の際にどのようにして食糧を食いつなげ、またどのような食物が食べられるかを伝えることを 目的としています。救荒書の登場は、中国では15世紀初頭の『救荒本草』が最初です。日本で
たてべせいあん はさらに遅れ18世紀後半に現れます。奥州一関藩藩医建部清庵(正徳2(1712)年~天明3
(1783)年)が記した『民間備荒録』が、本格的な日本最初の救荒書で、それ以降の救荒書の一つ の手本となりました。当館の久能文庫には、版本2巻が所蔵されています。(Q611-2)
建部清庵は漢方外科を修得しながら、 オランダ医学にも深い知識を持っていました。また『解 らんがくかいてい おおつきげんたく
体新書』で有名な杉田玄白と親交を結び、さらに『蘭学階梯』の著者大槻玄沢の師でもありま した。
ほうれき めい わ 『民間備荒録』の最初の刊行は宝暦5(1755)年、10(1760)年、明和8(1771)年と諸説がある
ものの、当館が所蔵するものは文政7(1824)年版です。 『民間備荒録』の記述からみると、宝暦5年に東北地方は 5 月から異常な低温となり、8 月
まで雨が降り続く冷害に遭い、16世紀末以来という惨状となったとあります。清庵はその惨状 ゆじょい こうせいようらん
を目の当たりにし、さらに1607年に兪如為が記した中国の救荒書『荒政要覧』を見たこと じょこうけい のうせいぜんしょ みやざきやすさだ
で同書の編纂を思い立ちました。本書は『荒政要覧』や徐光啓の『農政全書』をもとに、宮崎安貞 のうぎょうぜんしょ かいばらえきけん や ま と ほんそう てらじまりょうあん わ か ん さんさい ず え
の『農業全書』や貝原益軒の『大和本草』や寺島良安の『和漢三才図会』などの成果を参考 にしながら成立しました。建部はこの書を見てもわかるように中国の成果を受け継ぎ、農書・ 本草学分野の成果を活用し、地域性を考慮した植物の栽培にまで神経を払っていました。序の
きもいり くみがしら 部分で、「この書は、もっぱら肝煎・組頭という村役人に、飢饉に苦しむ貧しい農民を救わせ
る方法を教えることを目的としており、実のなる木々を植えて、今後の飢饉に備えさせようと するものである。」といい、村役人に飢え苦しむ民を救う方法を伝えるという現実的な飢饉対策 を唱え、同時に飢饉対策の責任が村役人にあることを断言しています。
本編は上下巻によって大きく内容を変えており、上巻では飢饉の際に食糧とする植物(なつ め・栗・柿・桑・菜種)の栽培法や飢饉に備えて食料を蓄える方法が記され、下巻では人々を 飢えから救うために草根木葉の正しい食べ方とその解毒法を述べています。
びこう
『民間備荒録』に記載した救荒のための植物を中心に、104種の植物を採録した図集が『備荒 そうもくず す ぎ たげんぱく す ぎ たはくげん
草木図』です。『備荒草木図』は、清庵死後、杉田玄白の娘婿になった息子杉田伯玄が、父の遺 稿を校訂し世に出しました。文字の読めない当時の庶民にも一見してわかるようにとの配慮の もとに編纂されたものです。
【参考資料】
『日本農書全集』第18巻・第68巻(610.8/11) 「日本における救荒書の成立とその淵源」白杉悦雄
(『東アジアの本草と博物学の世界 上』所収 499.9/16) 『近世農書に学ぶ』飯沼二郎(610.3/127)
『近世科学思想 上』古島敏雄
(『日本思想体系62』 121.08/100)
柳田国男も三分分類を提案している。
宇野弘蔵のようにヘーゲル経由ではないようだが、、、、
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(民間伝承の)「三部分類」
(柳田国男『民間伝承論』ちくま文庫全集第28巻373頁より)
柳田国男も民間伝承の三部分類を提案している。
宇野弘蔵のようにヘーゲル経由ではないようだが、、、、
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(柳田国男『民間伝承論』ちくま文庫全集第28巻373頁より)
柳田国男も民間伝承の三部分類を提案している。
宇野弘蔵のようにヘーゲル経由ではないようだが、、、、
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(『民間伝承論』ちくま文庫版全集第28巻373頁より)
柳田国男も民間伝承の三部分類を提案している。
宇野弘蔵のようにヘーゲル経由ではないようだが、、、、
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(『民間伝承論』ちくま文庫版全集第28巻373頁より)
柳田国男は民間伝承の三部分類を提案している。
座標が縦横にあるから応用が効くところがミソだ。
宇野弘蔵のようにヘーゲル経由ではないようだが、、、、
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柳田国男(民間伝承の)「三部分類」
(『民間伝承論』ちくま文庫版全集第28巻373頁より)
柳田国男は民間伝承の三部分類を提案している。
宇野弘蔵のようにヘーゲル経由ではないようだが、、、、
座標が縦横にあるから応用が効くところがミソだ。
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柳田国男(民間伝承の)「三部分類」
(『民間伝承論』ちくま文庫版全集第28巻373頁より)
柳田国男は民間伝承の三部分類(目・耳・心)を提案している。
宇野弘蔵のようにヘーゲル経由ではないようだが、、、、
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俗 口 習
信 碑 俗
柳田国男(民間伝承の)「三部分類」
(『民間伝承論』ちくま文庫版全集第28巻373頁より)
柳田国男は民間伝承の三部分類(目・耳・心)を提案している。
あくまで帰納法であり、宇野弘蔵のようなヘーゲル経由ではない。
座標が縦横にあるから応用が効き、秘教化しないところがミソだ。
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俗 口 習
信 碑 俗
柳田国男(民間伝承の)「三部分類」
(『民間伝承論』ちくま文庫版全集第28巻373頁より)
22,23,150
先祖の話
少なくとも国のために戦って死んだ若人だけは、何としてもこれを仏徒の言う無縁ぼとけの列に、疎外しておくわけにはいくまいと思う。もちろん国と府県とには晴の祭場があり、霊の鎮まるべきところは設けられてあるが、一方には家々の骨肉相依るの情は無視することが出来ない。
新たに困難に身を捧げた者を初祖とした家が、数多く出来るということも、もう一度この固有の生死観を振作せしめる一つの機会であるかも知れぬ。
1,2,3,6,12,14,15,19,20,22,24,27
http://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/2012-06-02
『古琉球』と河上肇|『沖縄の記憶』(奥田博子著)を読むブログトップ
世界苦と孤島苦 [柳田国男の昭和]
《第240回》
2月5日に那覇の松山小学校でおこなわれた国男の講演は「世界苦と孤島苦」と題されていた。以前にも触れた講演ではあるが、ここでは晩年の『故郷七十年』の回想にしたがって、その内容をもう一度紹介することにしよう。先島諸島をまわり、ふたたび沖縄本島に戻って、明日はまた鹿児島に向かう船に乗る前日の話だという点に着目する必要がある。宮古島や石垣島での経験が反映されている。
『故郷七十年』では、講演の内容がこんなふうに語られている。
〈沖縄の文化には中心があるから、どうしてもそれをはずれると、割引をしなければならぬような食い違いが免れられない。私の知り合いの比嘉春潮君などは珍しくそういう偏頗(へんぱ)のない人だが、多くの人はみなその癖をもっていて「何島だからねえ」というようなことをすぐいう。八重山[主島は石垣島]とか宮古島とかいう、割に大きな島でも特殊扱いされていたのだから、もっと小さな離島はかなり別扱いされていたに相違ない。……
沖縄に行って話した演題を「世界苦と孤島苦」としたのも、そんなわけからであった。世界苦というのはほかにもお連れがあるから、皆と一緒につきあっていっていいが、この孤島苦のほうを沖縄の人が気づかないようでは駄目だ、沖縄県でも自分の村の仲間のうちの一つ低いものを軽くみるようでは駄目だということを、かなり強い言葉で話したのである。すると、大体の人はみな一様にちょっと嫌な顔をしたが、それ以来、沖縄には複雑な内容と気持ちとをもった孤島苦という言葉が行き渡っているらしい〉
沖縄は世界苦を味わっているというのが、当時の地元のとらえ方だった(そして、それは平成の現在でも緩和されるどころか、より深刻化しているというべきだろう)。世界苦とは何か。それは世界=中央からいやおうなく押しつけられる負担や桎梏のことである。沖縄にとって、世界苦とは「ヤマト世」の苦にほかならない。
ところが、那覇の講演で、国男は世界苦のことよりも孤島苦について話した。沖縄人は世界苦を味わっていると感じているが、自分たちがほかの島々に孤島苦を味わわせていることに気づいていないのではないか。
おそらく国男はこんなふうに話したはずだ(「島々の話」による)。
〈沖縄は決して最後の沖の小島ではない。宮古、八重山の島人らが、永い歳月のあいだ中山[琉球王国]の首都に対して感じている不便と不満とも同じものなれば、さらにまた宮古にあっては多良間の島、その多良間に対しては水納(みんな)の島の青年が、やはりこれを経験しているはずである。八重山の主島[石垣島]に対する与那国の波照間(はてるま)も、事情は等しくして、なお一層の不幸は、彼らが最後であり、また訴えても聴く人のなかったことである〉
この講演に立ち会った沖縄の人びとはおそらく虚をつかれたはずである。国男はまもなく「与那国の女たち」というエッセイを書くが、これは孤島苦にたいする見方をかれなりに示したものといえるだろう。
ここで国男が示そうとしたのは世界の構造である。世界には中心があって、周縁をみずからのルールに従わせようとする。ところが、その周縁も〈小中央〉を形づくり、さらにその周縁を支配しようとする。その連鎖が「世界苦と孤島苦」となってあらわれるのだ。
それは日本と沖縄の関係だけではない。日本自体も「世界苦」を味わっていた(それ自体が「孤島苦」でもあった)。この苦の連鎖、転嫁に次ぐ転嫁をどこかで断ち切ることはできないのだろうか。「この境遇にある者の鬱屈は、多数の凡人を神経質にし、皮肉にし、不平好きにするに十分だ」。だが、それでは何もはじまらない。
のちの記憶による再現ではあるが、国男は講演で、さらにこんなふうに話したと思われる。
〈諸君の不平には限界があってはならぬ。ひるがえってまた、諸君の「中央」と名づけているものも、こんな小さな地球においてすら、決して真の中央ではないのだ。……外交論といえば陰弁慶(かげべんけい)で、正論と身勝手の差別がわからぬ。これがわれわれの日本のいまの悩みで、同時に沖縄人の孤島苦をただ鏡餅の上下ぐらいに差等づけたにすぎぬものだ。論理が徹底しないと反抗にも価値がない。もう国の戸は開けたのに、独りで自分を縦からみたり、横からみたり、いたずらに憐れんでいても仕方がない。ひろい共同の不満を攻究してみようではないか〉
簡単な解決法や処方箋などない。むやみに詠嘆したり、ただ身勝手に主張したりするだけでは、前進にはつながらない。「共同の不満」を徹底して攻究すること、それがすべての出発点だと国男は訴えた。
最晩年にあっても、国男の沖縄研究にたいする意欲は衰えなかった。
『故郷七十年』でも、こう語っている。
〈もう一つ沖縄には500年この方、王朝があったといい、そしてその前にも1万2000年もつづいた王朝があったと文献に出ている。その考えが強く残っていて、歴史を書くときにも王朝のことばかり書いて琉球の歴史であるというので、そうではありませんといおうとすると、どうも衝突を起こす。琉球でも国際交通のはじまった元、明、清とだんだん文化が高まり、天下という観念がひろくなって、どうしても[琉球王国が]その中心ということを考えるようになった。それさえなければ離れた島々がのんびりと生活を楽しめるのではないか[楽しめたのではなかったか]という点がたくさんあるようである。沖縄のすぐれた学者であった伊波普猷君などは、王朝時代、藩政時代を経て明治になった当座の、明るくなった気持ちを主として書こうとしていたのではないかと思う[日琉同祖論もそのひとつだ]。私はさらにもう一つ前の三朝三代[三山時代、第一尚氏時代、第二尚氏時代]にさかのぼって、それ以来のことをずっと勉強しなければならないのではないかと考えている〉
国男はさまざまな話題を思いつくままに語っているが、すくなくともこうした姿勢を、日本の沖縄支配をロマン主義的に補完する「南島イデオロギー」と片づけるわけにはいかないだろう。
国男の旅をさらに追ってみることにしよう。
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先祖の話はiBook
山の人生はi文庫S、青空文庫がオススメ
検索が出来る
kindle.bookliveは検索が出来ない
第23巻
こども風土記(124~5@(82))………………………………… 7
i文庫S
児童は私が無く、また多感である故に、その能力の許す限りにおいて時代時代の文化を受け入れる。古く与えられたものでも印象の深さによって、これを千年・五百年の後に持ち伝えるとともに、いつでも新鮮なる感化には従順であった。そうして常に幾分か親たちよりも遅く、無用になったものを棄てることにしていたらしい。ことに国語のうるわしい匂い・艶・うるおいなどは、かつて我々の親たちの感じたものを、今もまだ彼らだけは感じているように思う。こういうところに歴史を学ぼうとする者の反省の種が潜んでいる。
ただしkindleはfacebook投稿により引用が出来る
第4巻
遠野物語(1,32,33,46,52,67,73@(9),76)
山の人生(70,85@(236)@(242),89@(88)@(88),116~7@(169))
「山人考」(41@(236),85@(236)@(242))
「山に埋もれたる人生のある事」(61@(81~2))
山人外伝資料(85~6@(385))
121
南方熊楠M44年=1911年3月21日付け柳田国男宛書簡
山人論集成より
神社濫滅のため土俗学・古物学上、また神林濫伐のため他日学術上非常に珍材料たるべき生物の影を止めず失せ果つるもの多く、さて神職等、素餐飽坐して何のなすところなく、淫祀狐蠱の醜俗蜂起し候こと、実に学問のためにも国体のためにも憂うべき限りに有之候。
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山人外伝資料 * 一~五 久米長目 山人外伝資料(山男山女山丈山姥山童山姫の話)
山人外伝資料(85~6@(385))
拙者の信ずるところでは、山人はこの島国に昔繁栄して居た先住民の子孫である。その文明は大いに退歩した。古今三千年の間彼らのために記された一冊の歴史もない。それを彼らの種族がほとんど絶滅したかと思う今日において、彼らの不俱戴天の敵の片割たる拙者の手によって企てるのである。これだけでも彼らは誠に憫むべき人民である。しかしかく言う拙者とても十余代前の先祖は不定である。彼らと全然血縁がないとは断言することが出来ぬ。無暗に山の中が好であったり、同じ日本人の中にも見ただけで慄えるほど嫌な人があったりするのを考えると、ただ神のみぞ知しめす、どの筋からか山人の血を遺伝して居るのかも知れぬ。がそんなことは念頭に置かない。玆には名誉ある永遠の征服者の後裔たる威厳を保ちつつ、かのタシタスが日耳曼人を描いたと同様なる用意をもって、彼らの過去に臨まんと欲するのである。幸にして他日一巻の書を成し得たならば、恐らくはよい供養となることであろうと思う。
第4巻
「山に埋もれたる人生のある事」(61@(81~2))
i文庫S
眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。二人の子供がその日当りのところにしゃがんで、(頻りに何かしているので、傍へ行って見たら)一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いでいた。阿爺、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落してしまった。それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕えられて牢に入れられた。
第4巻
山の人生
「山人考」(41@(236) )
現在の我々日本国民が、数多の種族の混成だということは、じつはまだ完全には立証せられたわけでもないようでありますが、私の研究はそれをすでに動かぬ通説となったものとして、すなわちこれを発足点といたします。
「山人考」(41=85@(236)@(242↓))
自分の推測としては、上古史上の国津神が末二つに分れ、大半は里に下って常民に混同し、残りは山に入りまたは山に留まって、山人と呼ばれたと見るのですが、後世に至っては次第にこの名称を、用いる者がなくなって、かえって仙という字をヤマビトと訓ませているのであります
第4巻
山の人生
「山人考」(41=85@(236) )
現在の我々日本国民が、数多の種族の混成だということは、じつはまだ完全には立証せられたわけでもないようでありますが、私の研究はそれをすでに動かぬ通説となったものとして、すなわちこれを発足点といたします。
「山人考」(85@(242↓))
自分の推測としては、上古史上の国津神が末二つに分れ、大半は里に下って常民に混同し、残りは山に入りまたは山に留まって、山人と呼ばれたと見るのですが、後世に至っては次第にこの名称を、用いる者がなくなって、かえって仙という字をヤマビトと訓ませているのであります
第4巻
遠野物語(1,32,33,46,52,67,72@(9),76)
国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ
山の人生
89@(88)@(88),116~7@(169))
なんの頼むところもない弱い人間の、ただいかにしても以前の群とともにおられぬ者には、死ぬか今一つは山に入るという方法しかなかった
(。従って生活の全く単調であった前代の田舎には、存外に跡の少しも残らぬ遁世が多かったはずで、後世の我々にこそこれは珍しいが、じつは昔は普通の生存の一様式であったと思う。 それだけならよいが、)
人にはなおこれという理由がなくてふらふらと山に入って行く癖のようなものがあった
116~7
今こそ狼は山の神の使令として、神威を宣布する機関に過ぎぬだろうか、もし人類の宗教にも世に伴う進化がありとすれば、かつては狼をただちに神と信じて、畏敬祈願した時代があって、その痕跡は(数々の民間行事、ないしは覚束ない口碑の中などに、たどればこれを尋ね出すことができるわけである。)
第6巻
妖怪談義……………………………………… 7
「九州南部地方の民風」(68@,70~1@)
68
柳田国男 山人論集成 (角川ソフィア文庫) (Japanese Edition) by 柳田 国男, 大塚 英志
(▲社会主義の理想の実行さるる椎葉村 椎葉村で大字有または区有の土地を住民に割り当つる仕事は、組長というものがこれを行います。組長はこのことについては大なる権力を持って居りまして、その割当の方法には、不文の規則があります。すなわち常畠、常田を多く所有し、家族の少ない家には、最少額三反歩の面積を割り当て、家貧しくして家族多き家には、最多額三町歩までを割与えます。一体に人口の割合に土地が極めて広いために自家の得る土地の面積は、ただその所要を充せば足るので、その多きを貪るということは、この山村ではいっこうはやらぬのであります。大字松尾では、先年この共有地を分割しましたが、その方法も年々の割当と同一方針で、はなはだ理想的であります。すなわちまず一戸の分前を、一等三町歩、末等は三反歩の間におて数等に分かちます。一等の分け前を得るものは、家貧にして人手多く、しかも耕すべき常田常畠を持たぬという様な者であります。この共有地分割の結果を見ますと、)
この山村には、富の均分というがごとき社会主義の理想が実行せられたのであります。『ユートピヤ』の実現で、一の奇蹟であります。しかし実際住民は必ずしも高き理想に促されてこれを実施したのではありませぬ。全く彼らの土地に対する思想が、平地における我々の思想と異って居るため、何らの面倒もなく、かかる分割方法が行わるるのであります。
70~1
柳田国男 山人論集成 (角川ソフィア文庫) (Japanese Edition) by 柳田 国男, 大塚 英志
日本では、古代においても、中世においても、武士は山地に住んで平地を制御したのであります。古代には九州の山中にすこぶる獰悪の人種が住んで居りました。歴史を見ると肥前の基肆郡、豊後の大野郡、肥後の菊池郡というような地方に、山地を囲んで所々に城がありまするのは、皆この山地の蛮民に対して備えたる隘勇線であります。蛮民大敗北の後移住して来た豪族も、また概ね山中に住んで居りました。後年武士が平地に下り住むようになってからは、山地に残れる人民は、次第にその勢力を失い、平地人の圧迫を感ぜずには居られなかったのであります。いわば米食人種、水田人種が、粟食人種、焼畑人種を馬鹿にする形であります。この点については深く弱者たる山民に同情を表します。
日本の祭(123@(248),
日本の祭の最も重要な一つの変わり目は何だったか。一言でいうと見物と称する群の発生、すなわち祭の参加者の中に、信仰を共にせざる人々、言わばただ審美的の立場から、この行事を観望する者の現れたことであろう。それが都会の生活を花やかにもすれば、我々の幼い日の記念を楽しくもしたと共に、神社を中核とした信仰の統一はやや毀れ、しまいには村に住みながらも祭はただながめるものと、考えるような気風をも養ったのである。
Note: 祭から祭礼へ五(遊動論123頁参照)
129@(239),132~3@(404),153~4@(225),166@(239))…………………………………… 211
129@(239),
(全く偶然のことだが、今までの独断者流の当てずっぽうな説に、後から証拠をもって行ってやることのできることがいくつかある。そうしてまた彼らから邪魔もの扱いにせられそうな結論はあまり出て来ぬのである。だから我々は最も心置きなく、)日本神道の原始形態を、全力を尽くして尋ね求めること(ができる。私の講義はたぶんその片端にしか触れられまいが、少なくとも一つの門だけは開かれたのである。そっとのぞいてみるぐらいの好奇心は諸君の方にもあってよかろうと思う。)
Note: 学生生活と祭一三(遊動論239頁参照)
132~3@(404),
153~4@(225),
166@(239))…………
132~3@(404),
日本の祭 (角川ソフィア文庫) by 柳田 国男
個人各自の信心というものが、人生のために必要だという経験は、通例仏教によって得たもののように説かれているが、私などはむしろ人が家郷の地を出てあるくということが、もっと大きな機会であったろうとまで想像している。少なくとも一門一郷党が集合して、氏の神だけをお祭り申している間は、そういう一種の抜け駆けのような祈願は、もとは試みる余地はなかったはずである
Note: 三詣と参拝六(遊動論132~3頁参照)
153~4@(225),
日本の祭 (角川ソフィア文庫) by 柳田 国男
日本には各地の漁村にもその例があるが、信州諏訪などのも次々の新墾地を、長男次男にと与えゆくゆえに、結局末の児が自然に元の屋敷に残ることになっただけである。だから一方にはそれと反対の順序に、新しく開いた土地へ次男以下を連れて出て行くものもある。つまりは双方とも分割相続の一方法なのである。
Note: 学生生活と祭六(遊動論153~4頁参照)
169@(239))…………
129@(239),
(全く偶然のことだが、今までの独断者流の当てずっぽうな説に、後から証拠をもって行ってやることのできることがいくつかある。そうしてまた彼らから邪魔もの扱いにせられそうな結論はあまり出て来ぬのである。だから我々は最も心置きなく、)日本神道の原始形態を、全力を尽くして尋ね求め(169ること(ができる。私の講義はたぶんその片端にしか触れられまいが、少なくとも一つの門だけは開かれたのである。そっとのぞいてみるぐらいの好奇心は諸君の方にもあってよかろうと思う。)
Note: 学生生活と祭一三(遊動論239頁参照)
日本の祭(123@(248),
日本の祭の最も重要な一つの変わり目は何だったか。一言でいうと見物と称する群の発生、すなわち祭の参加者の中に、信仰を共にせざる人々、言わばただ審美的の立場から、この行事を観望する者の現れたことであろう。それが都会の生活を花やかにもすれば、我々の幼い日の記念を楽しくもしたと共に、神社を中核とした信仰の統一はやや毀れ、しまいには村に住みながらも祭はただながめるものと、考えるような気風をも養ったのである。
Note: 祭から祭礼へ五(遊動論123頁参照)
129@(239),132~3@(404),153~4@(225),166@(239))…………………………………… 211
129@(239),
(全く偶然のことだが、今までの独断者流の当てずっぽうな説に、後から証拠をもって行ってやることのできることがいくつかある。そうしてまた彼らから邪魔もの扱いにせられそうな結論はあまり出て来ぬのである。だから我々は最も心置きなく、)日本神道の原始形態を、全力を尽くして尋ね求めること(ができる。私の講義はたぶんその片端にしか触れられまいが、少なくとも一つの門だけは開かれたのである。そっとのぞいてみるぐらいの好奇心は諸君の方にもあってよかろうと思う。)
Note: 学生生活と祭一三(遊動論239頁参照)
132~3@(404),
日本の祭 (角川ソフィア文庫) by 柳田 国男
個人各自の信心というものが、人生のために必要だという経験は、通例仏教によって得たもののように説かれているが、私などはむしろ人が家郷の地を出てあるくということが、もっと大きな機会であったろうとまで想像している。少なくとも一門一郷党が集合して、氏の神だけをお祭り申している間は、そういう一種の抜け駆けのような祈願は、もとは試みる余地はなかったはずである
Note: 参詣と参拝六(遊動論132~3頁参照)
153~4@(225),
日本の祭 (角川ソフィア文庫) by 柳田 国男
日本には各地の漁村にもその例があるが、信州諏訪などのも次々の新墾地を、長男次男にと与えゆくゆえに、結局末の児が自然に元の屋敷に残ることになっただけである。だから一方にはそれと反対の順序に、新しく開いた土地へ次男以下を連れて出て行くものもある。つまりは双方とも分割相続の一方法なのである。
Note: 学生生活と祭六(遊動論153~4頁参照)
169@(239))…………
129@(239),
(全く偶然のことだが、今までの独断者流の当てずっぽうな説に、後から証拠をもって行ってやることのできることがいくつかある。そうしてまた彼らから邪魔もの扱いにせられそうな結論はあまり出て来ぬのである。だから我々は最も心置きなく、)日本神道の原始形態を、全力を尽くして尋ね求め(169ること(ができる。私の講義はたぶんその片端にしか触れられまいが、少なくとも一つの門だけは開かれたのである。そっとのぞいてみるぐらいの好奇心は諸君の方にもあってよかろうと思う。)
Note: 学生生活と祭一三(遊動論239頁参照)
130
28:6:
『玉勝間』抄
6章
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/shiryo/tamagatsu2.html
94 ゐなかに古ヘのわざののこれる事[四一九]
詞のみにもあらず、よろづのしわざにも、かたゐなかには、いにしへざまの、みやびたることの、のこれるたぐひ多し(、さるを例のなまさかしき心ある者の、立まじりては、かへりてをこがましくおぼえて、あらたむるから、)いづこにも、やうやうにふるき事のうせゆくは、いとくちをしきわざ也、
葬禮婚禮(ハフリワザトツギワザ)など、ことに田舎(ヰナカ)には、ふるくおもしろきことおほし、すべてかゝるたぐひの事共をも、國々のやうを、海づら山がくれの里々まで、あまねく尋ね、聞あつめて、物にもしるしおかまほしきわざなり、葬祭(ハフリマツリ)などのわざ、後ノ世の物しり人の、考え定めたるは、中々にからごゝろのさかしらのみ、多くまじりて、ふさはしからず、うるさしかし、
130
28:60『郷土生活の研究法』
『玉勝間』抄
8の巻
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/shiryo/tamagatsu2.html
94 ゐなかに古ヘのわざののこれる事[四一九]
詞のみにもあらず、よろづのしわざにも、かたゐなかには、いにしへざまの、みやびたることの、のこれるたぐひ多し(、さるを例のなまさかしき心ある者の、立まじりては、かへりてをこがましくおぼえて、あらたむるから、)いづこにも、やうやうにふるき事のうせゆくは、いとくちをしきわざ也、
葬禮婚禮(ハフリワザトツギワザ)など、ことに田舎(ヰナカ)には、ふるくおもしろきことおほし、すべてかゝるたぐひの事共をも、國々のやうを、海づら山がくれの里々まで、あまねく尋ね、聞あつめて、物にもしるしおかまほしきわざなり、葬祭(ハフリマツリ)などのわざ、後ノ世の物しり人の、考え定めたるは、中々にからごゝろのさかしらのみ、多くまじりて、ふさはしからず、うるさしかし、
『遊動論』付論ラストの交換図の再分配Bには(強制と安堵)
が加えられている(196頁)
それ以上に興味深いのは固有信仰を最古の形態であり未来的と述べたことだ(195頁)。
自由の代わりに未来的、
平等の代わりに最古が座標軸の一方に設定され得る
B 再分配 lA 互酬
(略奪と再分配)(強制と安堵)l (贈与と返礼)
_______________l________
C 商品交換 lD X
(貨幣と商品) l
表 交換様式の4つの形態(196頁)
『遊動論』付論ラストの交換図の再分配Bには(強制と安堵)
が加えられている(196頁)
それ以上に興味深いのは固有信仰を最古の形態であり未来的と述べたことだ(195頁)。
自由の代わりに未来的、
平等の代わりに最古が座標軸の一方に設定され得る
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配)(強制と安堵)| (贈与と返礼)
_______________|________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
<未来的>
表 交換様式の4つの形態(196頁。<>は追加)
『遊動論』付論ラストの交換図の再分配Bには(強制と安堵)が加えられている(196頁)。
それ以上に興味深いのは固有信仰を最古の形態であり未来的と述べたことだ(195頁)。
自由の代わりに未来的、
平等の代わりに最古が座標軸の一方に設定され得る。
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配)(強制と安堵)| (贈与と返礼)
_______________|________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
<未来的>
表 交換様式の4つの形態(196頁。<>は追加)
『遊動論』付論ラストの交換図の再分配Bには(強制と安堵)が加えられている(196頁)。
それ以上に興味深いのは固有信仰を最古の形態であり未来的と述べたことだ(195頁)。
自由の代わりに未来的、
平等の代わりに最古が座標軸の一方に設定され得る。
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配) | (贈与と返礼)
(強制と安堵) |
__________|________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
表 交換様式の4つの形態(196頁。<>は追加)
『遊動論』付論ラストの交換図の再分配Bには(強制と安堵)が加えられている(196頁)。
それ以上に興味深いのは固有信仰を最古の形態であり未来的と述べたことだ(195頁)。
自由の代わりに未来的、
平等の代わりに最古が座標軸の一方に設定され得る。
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配) | (贈与と返礼)
(強制と安堵) |
__________|________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
表 交換様式の4つの形態(196頁。<>は追加)
『遊動論』付論ラストの交換図の再分配Bには(強制と安堵)が加えられている(196頁)。
それ以上に興味深いのは固有信仰を最古の形態であり未来的とされていることだ(195頁)。
自由の代わりに未来的、
平等の代わりに最古が座標軸の一方に設定され得る。
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配) | (贈与と返礼)
(強制と安堵) |
__________|________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
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<未来的>
表 交換様式の4つの形態(196頁。<>は追加)
歴史研究がそのまま社会運動に直結する可能性がある。
『遊動論』付論ラストの交換図の再分配Bには(強制と安堵)が加えられている(196頁)。
それ以上に興味深いのは固有信仰を最古の形態であり未来的とされていることだ(195頁)。
自由の代わりに未来的、
平等の代わりに最古が座標軸の一方に設定され得る。
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配) | (贈与と返礼)
(強制と安堵) |
__________|________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
表 交換様式の4つの形態(196頁。<>は追加)
歴史研究がそのまま社会運動に直結する可能性がある?
『遊動論』付論ラストの交換図の再分配Bには(強制と安堵)が加えられている(196頁)。
それ以上に興味深いのは固有信仰が最古の形態であり未来的とされていることだ(195頁)。
自由の代わりに未来的、
平等の代わりに最古が座標軸の一方に設定され得る。
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配) | (贈与と返礼)
(強制と安堵) |
__________|________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
表 交換様式の4つの形態(196頁。<>は追記)
歴史研究がそのまま社会運動に直結する可能性がある?
『遊動論』付論ラストの交換図の再分配Bには(強制と安堵)が加えられている(196頁)。
それ以上に興味深いのは固有信仰(交換様式D)が最古の形態であり未来的とされていることだ(195頁)。
自由の代わりに未来的、
平等の代わりに最古が座標軸の一方に設定され得る。
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配) | (贈与と返礼)
(強制と安堵) |
__________|________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
表 交換様式の4つの形態(196頁。<>は追記)
歴史研究がそのまま社会運動に直結する可能性がある?
『遊動論』付論ラストの交換図の再分配Bには(強制と安堵)が加えられている(196頁)。
それ以上に興味深いのは固有信仰(交換様式D)が最古の形態であり未来的とされていることだ(195頁)。
自由の代わりに未来的、
平等の代わりに最古が座標軸の一方に設定され得る。
<安 堵>
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配) | (贈与と返礼)
(強制と安堵) |
<強制>______|________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
表 交換様式の4つの形態(196頁。<>は追記)
歴史研究がそのまま社会運動に直結する可能性がある?
強制と反対の自主的かつ、安堵を打ち破る挑戦がアソシエーションなのだ。
『遊動論』付論ラストの交換図の再分配Bには(強制と安堵)が加えられている(196頁)。
それ以上に興味深いのは固有信仰(交換様式D)が最古の形態であり未来的とされていることだ(195頁)。
自由の代わりに未来的、
平等の代わりに最古が座標軸の一方に設定され得る。
<安 堵>
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配) | (贈与と返礼)
(強制と安堵) |
<強制>______|________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
表 交換様式の4つの形態(196頁。<>は追記)
歴史研究がそのまま社会運動に直結する可能性がある?
<安堵>と<強制>の座標への位置づけは間違っているかもしれない。しかし、
強制と反対の自主的かつ、安堵を打ち破る挑戦がアソシエーションなのだ。
『遊動論』付論ラストの交換図の再分配Bには(強制と安堵)が加えられている(196頁)。
それ以上に興味深いのは固有信仰(交換様式D)が最古の形態であり未来的とされていることだ(195頁)。
自由の代わりに未来的、
平等の代わりに最古が座標軸の一方に設定され得る。
<安 堵>
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配) | (贈与と返礼)
<強制>______|________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
表 交換様式の4つの形態(196頁。<>は追記)
歴史研究がそのまま社会運動に直結する可能性がある?
<安堵>と<強制>の座標への位置づけは間違っているかもしれない。しかし、
強制と反対の自主的かつ、安堵を打ち破る挑戦がアソシエーションなのだ。
表を改変するなら、
<安 堵>
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配) | (贈与と返礼)
<強制>______|________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
表 交換様式の4つの形態(196頁。<>を追記、改変)
<安堵>と<強制>の座標への位置づけは間違っているかもしれない。しかし、
強制と反対の自主的かつ、安堵を打ち破る挑戦がアソシエーションなのだ。
表を改変するなら、
<安 堵>
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配) | (贈与と返礼)
<強制>______|________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
表 交換様式の4つの形態(『遊動論』196頁。<>を追記、改変)
<安堵>と<強制>の座標への位置づけは間違っているかもしれない。しかし、
(強制と反対の)自主的かつ、安堵を打ち破る挑戦がアソシエーションなのだ。
表を改変するなら、
<安 堵>
|
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配) | (贈与と返礼)
<強制>______|________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
表 交換様式の4つの形態(『遊動論』196頁。<>を追記、改変)
<未来的><最古>、<安堵>と<強制>の座標への位置づけは間違っているかもしれない。
しかし、(強制と反対の)自主的かつ、安堵を打ち破る挑戦がアソシエーションなのだ。
表を改変するなら、
<安 堵>
|
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配)| (贈与と返礼)
<強制>_________|_________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
表 交換様式の4つの形態(『遊動論』196頁。<>を追記、改変)
<未来的>と、<最古>、<安堵>と<強制>の座標への位置づけは間違っているか
もしれない。
しかし、(強制と反対の)自主的かつ、安堵を打ち破る挑戦がアソシエーションなのだ。
表を改変するなら、
<安 堵>
|
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配)| (贈与と返礼)
<強制>_________|_________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
表 交換様式の4つの形態(『遊動論』196頁。<>を追記、改変)
<未来的>と、<最古>、<安堵>と<強制>の座標への位置づけは間違っているか
もしれない。
しかし、(強制と反対の)自主的で本来的かつ、安堵を打ち破る挑戦がアソシエーションなのだ。
表を改変するなら、
<安 堵>
|
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配)| (贈与と返礼)
<強制>_________|_________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
表 交換様式の4つの形態(『遊動論』196頁。<>を追記、改変)
<未来的>と、<最古>、<安堵>と<強制>の座標への位置づけは間違っているか
もしれない。
しかし、(強制と反対の)本来的かつ、安堵を打ち破る挑戦がアソシエーションなのだ。
表を多少恣意的に改変するなら、
<安 堵>
|
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配)| (贈与と返礼)
<強制>_________|_________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
表 交換様式の4つの形態(『遊動論』196頁。<>を追記、改変)
<未来的>と、<最古>、<安堵>と<強制>の座標への位置づけは間違っているか
もしれない。
しかし、(強制と反対の)本来的かつ、安堵を打ち破る挑戦がアソシエーションなのだ。
柄谷行人「遊動論ー山人と柳田国男」下(第四章)、
文学界2013-12参考文献(柳田国男&柳田国男以外)リスト
柳田国男:
神道と民俗学273,275
日本の祭273,274-5,278,289
神道私見273
郷土生活の研究法274,282
先祖の話275,276,282,284,288-9,292
海上の道274
祭礼と世間275
婿入り考280
家閑談283
家の研究292
柳田国男対談
折口信夫対話集 安藤礼二編 (講談社文芸文庫)
折口 信夫 (文庫)
290
折口信夫:
神道の新しい方向285
民族教より人類教へ285
神道宗教化の意義285,287-8
以上、
折口信夫天皇論集 (講談社文芸文庫) 285
倭をぐな 292
////////////////
以下、章、節1~6ごとに列挙。
第四章 固有信仰
1 新古学 273~
神道と民俗学273
日本の祭273
神道私見273
宣長 玉勝間274
郷土生活の研究法274
海上の道274
日本の祭274-5
神道と民俗学275
祭礼と世間275
先祖の話275
2 固有信仰 276~
先祖の話276,
論語277
祖先崇拝の論理 (1980年)
マイヤー フォーテス (-) 277,286
日本の祭,278
メルフォード・スパイロ
母系社会のエディプス278
マリノフスキー278
バッハオーフェン 278
モルガン278
死の人類学 (講談社学術文庫)
内堀 基光 (文庫) 279
3 祖霊信仰と双系制 280~
婿入り考280
高群逸枝全集 第2巻 招婿婚の研究 1
高群 逸枝 280
高群逸枝と柳田国男―婚制の問題を中心に (1977年)
村上 信彦 (-) 280
庶民の発見 (講談社学術文庫)
宮本 常一 (文庫) 281
律令国家と古代の社会
吉田 孝 281
「日本」とは何か 日本の歴史00 (講談社学術文庫)
網野 善彦 (文庫) 281
東と西の語る日本の歴史 (講談社学術文庫)
網野 善彦 (文庫) 281
4 「場」としての家 282~
律令国家と古代の社会
吉田 孝 282
勝海舟282
郷土生活の研究法,282
先祖の話,282,284,288-9,292
タテ社会の人間関係
中根千恵 283
家閑談283
5 折口信夫と柳田国男 284~
折口信夫
神道の新しい方向285
民族教より人類教へ285
神道宗教化の意義285,287-8
セム族の宗教 前編 (1) (岩波文庫 白 215-1)
W.R.スミス (文庫)286
6 固有信仰と未来 288~
日本の祭,289
ウェーバー289
柳田国男対談
折口信夫対話集 安藤礼二編 (講談社文芸文庫)
折口 信夫 (文庫)
290
(抄訳 神の生命(いのち)―霊的進化の哲学
シュリー オーロビンド 290,292(単行本))人名のみ
橋川文三
柳田国男論集成291
注 291~292
谷崎潤一郎291
村井紀 反折口信夫論292
西田幾多郎292
家の研究292
折口信夫 倭をぐな 292
4:35 午前
yoji said...
同柳田国男
神道と民俗学273,275
日本の祭273,274-5,278,289
神道私見273
郷土生活の研究法274,282
先祖の話275,276,282,284,288-9,292
祭礼と世間275
婿入り考280
家閑談283
家の研究292
論語277
ウェーバー289
宣長
玉勝間
274
海上の道274
フォーテス277,278,286
メルフォード・スパイロ
母系社会のエディプス278
マリノフスキー278
バッハオーフェン
モルガン278
吉田律令281,282
勝海舟282
タテ社会283
折口信夫民族教より人類教へ285
神道宗教化の意義285,287-8
橋川文三
柳田国男論集成291
谷崎潤一郎291
村井紀
反折口信夫論292
西田幾多郎292
オーロビンド290,292
柄谷、柳田国男論下、文学界2013-11参考文献(柳田国男以外)リスト
折口信夫対話集 安藤礼二編 (講談社文芸文庫)
折口 信夫 (文庫)
290
折口信夫天皇論集 (講談社文芸文庫)
折口 信夫 (文庫)
285
セム族の宗教 前編 (1) (岩波文庫 白 215-1)
W.R.スミス (文庫)
286
「日本」とは何か 日本の歴史00 (講談社学術文庫)
網野 善彦 (文庫)
281
タテ社会の人間関係
中根千恵
283
(抄訳 神の生命(いのち)―霊的進化の哲学
シュリー オーロビンド 290(単行本))
東と西の語る日本の歴史 (講談社学術文庫)
網野 善彦 (文庫)
281
庶民の発見 (講談社学術文庫)
宮本 常一 (文庫)
281
高群逸枝と柳田国男―婚制の問題を中心に (1977年)
村上 信彦 (-)
280
高群逸枝全集 第2巻 招婿婚の研究 1
高群 逸枝 (単行本)
280
律令国家と古代の社会
吉田 孝 (単行本)
281
死の人類学 (講談社学術文庫)
内堀 基光 (文庫)
279
祖先崇拝の論理 (1980年)
マイヤー フォーテス (-)
277,286
柳田国男 : その発想の根源を探る <2>
http://e-lib.lib.musashi.ac.jp/2006/Elib/S6/005/003.html#a02
柳田はこの長文を『郷土研究』に3回に分けて掲載し(大正3/1914年7月~9月。第2巻5~7号),それに付けるようにして「南方氏の書簡について」を載せた。(なお南方の「与うる書」と柳田の「南方氏の書簡について」との間に南方3通,柳田2通の書簡が交わされた。「南方氏の書簡について」は柳田側の結論ともいうべきものだ。煩を避けて2)とした。<3>でもふれる。参照されたい。)
柳田はまず,自分が5月12日付書簡で「小生専門はルーラル・エコノミーにして」と述べた「ルーラル・エコノミー」を南方が「地方経済または地方制度」などと訳したことを問題にして,次のように述べる。
「今日右の二語には一種特別の意味があります故,私はそう訳されることを望みませぬ。もし強いて和訳するならば農村生活誌とでもして貰いたかった。何となれば記者が志は政策方針や事業適否の論から立ち離れて,単に状況の記述闡明のみをもってこの雑誌の任務としたいからです。」(飯倉1994,下252-3)(強調は引用者)
柳田国男 : その発想の根源を探る <3>
http://e-lib.lib.musashi.ac.jp/2006/Elib/S6/005/004.html
『郷土研究』の読者に向けて書かれた「南方氏の書簡について」で,「ルーラル・エコノミー」を「もし強いて和訳するならば農村生活誌とでもして貰いたかった。何となれば記者が志は政策方針や事業適否の論から立ち離れて,単に状況闡明のみをもってこの雑誌の任務としたいからです。」(飯倉1994,下252-3) こう述べる背後には実は以上のようなやりとりがあったと解すると,「単に状況の記述闡明のみをもって云々」という抽象的な表現も具体性を帯びてくる。また,
「政治の善悪を批判するのは別に著述が多くあります。地方の事功を録するものは『斯民』その他府県の報告があり過ぎます。ただ「平民はいかに生活するか」または「いかに生活し来たったか」を記述して世論の前提を確実にするものがこれまではなかった。それを『郷土研究』が遣るのです。」(飯倉1994,下254)
──こう述べて,この雑誌は「荒野の開拓者」だと気負うのも理解できる。要するに,制度・政策そのものを直接に論ずることはしない。「平民はいかに生活するか」を念頭に置いて,制度・政策にかかわる「俗信風習」を探ることに力を注ごう。論ずるのはそのうえでのことだ,といいたいのだろう。
柳田は「南方氏の書簡について」を補足するような文章を『郷土研究』2巻5号(大正3/1914年7月)の「雑報及批評」欄に載せている。「編輯室から」と題するが,その一部を引いておく。
「我々素人が短い余暇を捧げて諸国の話を聞書しているのは,洒落や好事からでは勿論ない。此を基礎とした将来の田舎の問題の決定,即ちいづれは日本民族の生活が変遷せねばならぬとすれば,出来る限幸福なる変遷をさせたいがどうすれば善いかを知ること,仮令それ迄は六つかしいとしても,せめては今の日本人の生活を満足に且つ明白に理解したいと云う為である。」(柳田[1914]1975 : 63)
問題は,「俗信風習」をいかにして探るか,つまり資料をどうするか,だ。文書資料には限界がある。口碑の類が主となるだろう。これについて南方には確乎とした「民俗学材料」論がある。柳田はどうするか。信頼できる「材料」を得る方法を見出したとき,柳田の自負する「新しい学問」は現実のものとなるだろう。
柳田は「塚と森の話」(1912)を公にする前の年(明治44/1911年)の3月から大正5/1916年末まで,書簡を介して南方熊楠(慶応3/1867~昭和16/1941)と付き合った。その中身は柳田の南方宛の書簡74通とほゞそれに対応する南方の柳田宛書簡97通を収録・編集した飯倉照平編『柳田国男・南方熊楠往復書簡集上・下』(1994,平凡社)で知ることができる。
http://e-lib.lib.musashi.ac.jp/2006/Elib/S6/005/003.html
また,子どもと昔を結び付け,歴史を知るために子どもを理解しようとした。
小児が我々の未来であるとともに,一方にはまたなつかしい眼の前ゐ歴史,保存せられて
いる我々の過去でもあったことは,国内各地の言葉を比べてみていると,自然に誰にでも気 がっきます6)。
6) 柳田國男『子供と言葉』
http://libir.josai.ac.jp/infolib/user_contents/pdf/JOS-KJ00000589052.pdf
『遊動論』付論の結論は、第三章結論部と対応している。
ただし、そこで引用されている柳田の言葉の出典が間違っている。
125頁の引用の出典は『小さき者の声』ではなく「子供と言葉」(旧全集第20巻)だ。
「小児が我々の未来であるとともに,一方にはまたなつかしい眼の前ゐ歴史,保存せられて
いる我々の過去でもあったことは,国内各地の言葉を比べてみていると,自然に誰にでも気 がつきます」
(柳田國男『子供と言葉』)
参考:
http://libir.josai.ac.jp/infolib/user_contents/pdf/JOS-KJ00000589052.pdf
『遊動論』付論の結論は、第三章結論部(125頁)と対応している。
ただし、そこで引用される文の出典は『小さき者の声』ではなく「子供と言葉」だ。
「小児が我々の未来であるとともに、一方にはまたなつかしい眼の前の歴史、保存せられて
いる我々の過去でもあったことは、国内各地の言葉を比べてみていると,自然に誰にでも気 がつきます」
(柳田國男『子供と言葉』旧全集第20巻より)
参考:
http://libir.josai.ac.jp/infolib/user_contents/pdf/JOS-KJ00000589052.pdf
固有信仰が過去であると同時に未来であるという『遊動論』付論の結論は、
第三章結論部(125頁)と対応している。
ただし、そこで引用される文の出典は『小さき者の声』ではなく「子供と言葉」だ。
「小児が我々の未来であるとともに、一方にはまたなつかしい眼の前の歴史、保存せられて
いる我々の過去でもあったことは、国内各地の言葉を比べてみていると,自然に誰にでも気 がつきます」
(柳田國男『子供と言葉』旧全集第20巻より)
参考:
http://libir.josai.ac.jp/infolib/user_contents/pdf/JOS-KJ00000589052.pdf
固有信仰が過去であると同時に未来であるという『遊動論』付論の結論は、
第三章結論部(125頁)と対応している。
「小児が我々の未来であるとともに、一方にはまたなつかしい眼の前の歴史、保存せられて
いる我々の過去でもあったことは、国内各地の言葉を比べてみていると,自然に誰にでも気 がつきます」
(柳田國男『子供と言葉』旧全集第20巻より)
出典は125頁に記述された『小さき者の声』ではない。
参考:
http://libir.josai.ac.jp/infolib/user_contents/pdf/JOS-KJ00000589052.pdf
固有信仰が過去であると同時に未来であるという『遊動論』付論の結論は、
第三章結論部(125頁)で紹介された柳田の言葉に対応している。
「小児が我々の未来であるとともに、一方にはまたなつかしい眼の前の歴史、保存せられて
いる我々の過去でもあったことは、国内各地の言葉を比べてみていると,自然に誰にでも気 がつきます」
(柳田國男『子供と言葉』旧全集第20巻より。125頁に出典元として記述された『小さき者の声』は間違い)
参考:
http://libir.josai.ac.jp/infolib/user_contents/pdf/JOS-KJ00000589052.pdf
固有信仰が最古であると同時に未来的であるという『遊動論』付論の結論は、
第三章結論部(125頁)で紹介された柳田の言葉に対応している。
「小児が我々の未来であるとともに、一方にはまたなつかしい眼の前の歴史、保存せられて
いる我々の過去でもあったことは、国内各地の言葉を比べてみていると,自然に誰にでも気 がつきます」
(柳田國男『子供と言葉』旧全集第20巻より。125頁に出典元として記述された『小さき者の声』は間違い)
参考:
http://libir.josai.ac.jp/infolib/user_contents/pdf/JOS-KJ00000589052.pdf
固有信仰が最古であると同時に未来的であるという『遊動論』付論の結論は、
第三章結論部(125頁)で紹介された柳田の言葉に対応している。
「小児が我々の未来であるとともに、一方にはまたなつかしい眼の前の歴史、保存せられて
いる我々の過去でもあったことは、国内各地の言葉を比べてみていると、自然に誰にでも気がつきます」
(柳田國男『子供と言葉』旧全集第20巻より。125頁に出典元として記載された『小さき者の声』は間違い)
参考:
http://libir.josai.ac.jp/infolib/user_contents/pdf/JOS-KJ00000589052.pdf
固有信仰が最古であると同時に未来的であるという『遊動論』付論の結論は、
第三章結論部(125頁)で紹介された以下の柳田の言葉に対応している。
「小児が我々の未来であるとともに、一方にはまたなつかしい眼の前の歴史、保存せられて
いる我々の過去でもあったことは、国内各地の言葉を比べてみていると、自然に誰にでも気がつきます」
(柳田國男『子供と言葉』旧全集第20巻より。125頁に出典元として記載された『小さき者の声』は間違い)
参考:
http://libir.josai.ac.jp/infolib/user_contents/pdf/JOS-KJ00000589052.pdf
固有信仰が最古であると同時に未来的であるという『遊動論』付論の結論は、
第三章結論部(125頁)で紹介された以下の柳田の言葉に対応している。
「小児が我々の未来であるとともに、一方にはまたなつかしい眼の前の歴史、保存せられて
いる我々の過去でもあったことは、国内各地の言葉を比べてみていると、自然に誰にでも気がつきます」
(柳田國男『子供と言葉』旧全集第20巻より。『遊動論』125頁に出典元として記載された『小さき者の声』は間違い)
参考:
http://libir.josai.ac.jp/infolib/user_contents/pdf/JOS-KJ00000589052.pdf
固有信仰が最古であると同時に未来的であるという『遊動論』付論の結論は、
第三章結論部(125頁)で紹介された以下の柳田の言葉に対応している。
「小児が我々の未来であるとともに、一方にはまたなつかしい眼の前の歴史、保存せられて
いる我々の過去でもあったことは、国内各地の言葉を比べてみていると、自然に誰にでも気
がつきます」
(柳田國男『子供と言葉』旧全集第20巻より。『遊動論』125頁に出典元として記載された
『小さき者の声』は間違い)
参考:
http://libir.josai.ac.jp/infolib/user_contents/pdf/JOS-KJ00000589052.pdf
固有信仰が最古であると同時に未来的であるという『遊動論』付論の結論は、
第三章結論部(125頁)で紹介された以下の柳田の言葉に対応している。
「小児が我々の未来であるとともに、一方にはまたなつかしい眼の前の歴史、保存せられて
いる我々の過去でもあったことは、国内各地の言葉を比べてみていると、自然に誰にでも気がつきます」
(柳田國男『子供と言葉』旧全集第20巻より。『遊動論』125頁に出典元として記載された『小さき者の声』は間違い)
参考:
日本民俗社会における子ども研究 蓼沼康子
http://libir.josai.ac.jp/infolib/user_contents/pdf/JOS-KJ00000589052.pdf
固有信仰が最古であると同時に未来的であるという『遊動論』付論の結論は、
第三章結論部(125頁)で紹介された以下の柳田の言葉に対応している。
「小児が我々の未来であるとともに、一方にはまたなつかしい眼の前の歴史、保存せられて
いる我々の過去でもあったことは、国内各地の言葉を比べてみていると、自然に誰にでも気
がつきます」
(柳田國男『子供と言葉』旧全集第20巻より。『遊動論』125頁に出典元として記載された
『小さき者の声』は間違い)
参考:
日本民俗社会における子ども研究 蓼沼康子
http://libir.josai.ac.jp/infolib/user_contents/pdf/JOS-KJ00000589052.pdf
固有信仰が最古であると同時に未来的であるという『遊動論』付論の結論は、
第三章結論部(125頁)で紹介された以下の柳田の言葉に対応している。
「小児が我々の未来であるとともに、一方にはまたなつかしい眼の前の歴史、保存せられて
いる我々の過去でもあったことは、国内各地の言葉を比べてみていると、自然に誰にでも気
がつきます」
(柳田國男『子供と言葉』旧全集第20巻より。『遊動論』125頁に出典元として記載された
『小さき者の声』は間違い)
参考:
日本民俗社会における子ども研究 蓼沼康子
http://libir.josai.ac.jp/infolib/user_contents/pdf/JOS-KJ00000589052.pdf
これらが『日本近代文学の起源』における「児童の発見」をさらに発展させたものであるこ
とは間違いない。
固有信仰が最古であると同時に未来的であるという『遊動論』付論の結論は、
第三章結論部(125頁)で紹介された以下の柳田の言葉に対応している。
「小児が我々の未来であるとともに、一方にはまたなつかしい眼の前の歴史、保存せられて
いる我々の過去でもあったことは、国内各地の言葉を比べてみていると、自然に誰にでも気
がつきます」
(柳田國男『子供と言葉』旧全集第20巻より。『遊動論』125頁に出典元として記載された
『小さき者の声』は間違い)
参考:日本民俗社会における子ども研究 蓼沼康子
http://libir.josai.ac.jp/infolib/user_contents/pdf/JOS-KJ00000589052.pdf
柄谷による『遊動論』における考察が、『日本近代文学の起源』における「児童の発見」を
さらに発展させたものであることは間違いない。
固有信仰が最古であると同時に未来的であるという『遊動論』付論の結論は、
第三章結論部(125頁)で紹介された以下の柳田の言葉に対応している。
「小児が我々の未来であるとともに、一方にはまたなつかしい眼の前の歴史、保存せられて
いる我々の過去でもあったことは、国内各地の言葉を比べてみていると、自然に誰にでも気
がつきます」
(柳田國男『子供と言葉』旧全集第20巻より。『遊動論』125頁に出典元として記載された
『小さき者の声』は間違い)
参考:日本民俗社会における子ども研究 蓼沼康子
http://libir.josai.ac.jp/infolib/user_contents/pdf/JOS-KJ00000589052.pdf
柄谷による『遊動論』における考察が、『日本近代文学の起源』における「児童の発見」を
さらに発展させ、そのか殻を打ち破るものであることは間違いない。
固有信仰が最古であると同時に未来的であるという『遊動論』付論の結論は、
第三章結論部(125頁)で紹介された以下の柳田の言葉に対応している。
「小児が我々の未来であるとともに、一方にはまたなつかしい眼の前の歴史、保存せられて
いる我々の過去でもあったことは、国内各地の言葉を比べてみていると、自然に誰にでも気
がつきます」
(柳田國男『子供と言葉』旧全集第20巻より。『遊動論』125頁に出典元として記載された
『小さき者の声』は間違い)
参考:日本民俗社会における子ども研究 蓼沼康子
http://libir.josai.ac.jp/infolib/user_contents/pdf/JOS-KJ00000589052.pdf
柄谷による『遊動論』における考察が、『日本近代文学の起源』における「児童の発見」を
さらに発展させ、その殻を打ち破るものであることは間違いない。
固有信仰が最古であると同時に未来的であるという『遊動論』付論の結論は、
第三章結論部(125頁)で紹介された以下の柳田の言葉に対応している。
「小児が我々の未来であるとともに、一方にはまたなつかしい眼の前の歴史、保存せられて
いる我々の過去でもあったことは、国内各地の言葉を比べてみていると、自然に誰にでも気
がつきます」
(柳田國男「子供と言葉」旧全集第20巻より。『遊動論』125頁に出典元として記載された
『小さき者の声』は間違い)
参考:日本民俗社会における子ども研究 蓼沼康子
http://libir.josai.ac.jp/infolib/user_contents/pdf/JOS-KJ00000589052.pdf
柄谷による『遊動論』における考察が、『日本近代文学の起源』における「児童の発見」を
さらに発展させ、その殻を打ち破るものであることは間違いない。
第四章にインドのヒンズー教の固有信仰化の事例としてオーロビンドが出てきますが、
以下の彼の評伝を訳したのは柄谷夫人でしょうか?
評伝オーロビンド [単行本]
http://www.amazon.co.jp/dp/4900997269/
第四章(171頁~)にインドのヒンドゥー教の「固有信仰」探求者としてオーロビンドが出てきますが、
以下の彼の評伝を訳したのは柄谷夫人でしょうか?
評伝オーロビンド [単行本]
http://www.amazon.co.jp/dp/4900997269/
第四章(171頁~)にインドのヒンドゥー教の「固有信仰」探求者としてオーロビンドの名が出てきますが、
以下の彼の評伝を訳したのは柄谷夫人でしょうか?
評伝オーロビンド [単行本](2011)
http://www.amazon.co.jp/dp/4900997269/
1x,2,3x,6x,12,14,15,19,20,22,24,27x
1x,2x,3x,6x,12,14,15,19,20,22,24,27x
1x,2x,3x,6x,12,(14r,(15),19,20,(22),(24),27x
1x,2x,3x,6x,12,(14),(15),19,20,(22),(24),27x
付論は中国講演草稿として書かれた。
以下の2とほぼ重なる。
柄谷行人「中国で読む『世界史の構造』」
雑誌「現代思想」青土社 2013年5〜10月号:メモ
___________
|③ ⑤⑥| |
| | ② |
|④ | |
|_____①_____|
| | |
| ⑥ | |
| | |
|_____|_____|
著者が2012年9月から2カ月間にわたって中国の研究機関(中国の友人に頼まれ北京清華大学及び、北京哲学会、中央民族大学、社会科学院、上海大学)で『世界史の構造』の詳細な解説を行った記録。2013年5〜10月号、全六回。
5月号 第一回「『世界史の構造』について」
6月号 第二回「世界史における定住革命」☆
7月号 第三回「専制国家と帝国」
8月号 第四回「東アジアの帝国」
9月号 第五回「亜周辺としての日本(上)」
10月号 第六回「亜周辺としての日本(下)」
御茶ノ水で行われた長池講義とも重なる
『評伝オーロビンド』(171,172@(110),176@(63),176@(110))
『柳田国男南方熊楠往復書簡集』(107~8@「南方熊楠宛書簡大正3年1914年5月12日(236),108@「南方氏の書簡について」(252))
『折口信夫対話集』(171@「日本人の神と霊魂の観念そのほか」(193))
19:
蝸牛考(111@(137「方言周圏説x論o」))………………………………………… 7
29:157~171
「時代ト農政」柳田国男 | GAIA - 楽天ブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/5083/
ただ遺憾なことは信用組合が一般に金利が高く、最初信用組合を設けた趣旨を徹底しておらぬ点でありますが、是は一時的の現象に過ぎぬのであろうと思います。
報徳社批判部分
認識が甘い
http://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/2011-11-23
1909年(明治42)7月、内務省地方局主催の第1回地方改良事業講習会で、法制局参事官の柳田国男は「農業経済談」と題して講演し、その最後に土地と資本の配布(配分)が重要だとして、演説を次のように締めくくった。
〈而(しか)して既に配布という以上は、おのおの一私人の私欲ある判断にのみは任せておかれぬことは明白の道理でありまして、いやしくも公けのために利益を講ぜんとする者は、個人の希望注文の外に立って、別に一定の判断と見識を具えておらねばならぬのであります。何となれば国民の2分の1プラス1人の説は即ち多数説でありますけれども、われわれは他の2分の1マイナス1人の利益を顧みぬというわけにはいかぬのみならず、仮に万人が万人ながら同一希望をもちましても、国家の生命は永遠でありますからは、あらかじめいまだ生まれてこぬ数千億万人の利益を考えねばなりませぬ。いわんやわれわれは既に土に帰したる数千億万の同胞をもっておりまして、その精霊もまた国運発展の事業の上に無限の利害の感をいだいておるのであります〉
ほぼ29:40
62~3
時代ト農政 柳田国男
29:119
農業組合なるものは小農を存続せしめてこれに大農と同じ利益を得せしむる方法であるのであります。…
柄谷行人「遊動論ー山人と柳田国男」下(第四章)、
文学界2013-12参考文献(柳田国男&柳田国男以外)リスト
柳田国男:
神道と民俗学273,275
日本の祭273,274-5,278,289
神道私見273
郷土生活の研究法274,282
先祖の話275,276,282,284,288-9,292
海上の道274
祭礼と世間275
婿入り考280
家閑談283
家の研究292
柳田国男対談
折口信夫対話集 安藤礼二編 (講談社文芸文庫)
折口 信夫 (文庫)
290
折口信夫:
神道の新しい方向285
民族教より人類教へ285
神道宗教化の意義285,287-8
以上、
折口信夫天皇論集 (講談社文芸文庫) 285
倭をぐな 292
////////////////
以下、章、節1~6ごとに列挙。
第四章 固有信仰
1 新古学 273~
神道と民俗学273
日本の祭273
神道私見273
宣長 玉勝間274
郷土生活の研究法274
海上の道274
日本の祭274-5
神道と民俗学275
祭礼と世間275
先祖の話275
2 固有信仰 276~
先祖の話276,
論語277
祖先崇拝の論理 (1980年)
マイヤー フォーテス (-) 277,286
日本の祭,278
メルフォード・スパイロ
母系社会のエディプス278
マリノフスキー278
バッハオーフェン 278
モルガン278
死の人類学 (講談社学術文庫)
内堀 基光 (文庫) 279
3 祖霊信仰と双系制 280~
婿入り考280
高群逸枝全集 第2巻 招婿婚の研究 1
高群 逸枝 280
高群逸枝と柳田国男―婚制の問題を中心に (1977年)
村上 信彦 (-) 280
庶民の発見 (講談社学術文庫)
宮本 常一 (文庫) 281
律令国家と古代の社会
吉田 孝 281
「日本」とは何か 日本の歴史00 (講談社学術文庫)
網野 善彦 (文庫) 281
東と西の語る日本の歴史 (講談社学術文庫)
網野 善彦 (文庫) 281
4 「場」としての家 282~
律令国家と古代の社会
吉田 孝 282
勝海舟282
郷土生活の研究法,282
先祖の話,282,284,288-9,292
タテ社会の人間関係
中根千恵 283
家閑談283
5 折口信夫と柳田国男 284~
折口信夫
神道の新しい方向285
民族教より人類教へ285
神道宗教化の意義285,287-8
セム族の宗教 前編 (1) (岩波文庫 白 215-1)
W.R.スミス (文庫)286
6 固有信仰と未来 288~
日本の祭,289
ウェーバー289
柳田国男対談
折口信夫対話集 安藤礼二編 (講談社文芸文庫)
折口 信夫 (文庫)
290
(抄訳 神の生命(いのち)―霊的進化の哲学
シュリー オーロビンド 290,292(単行本))人名のみ
橋川文三
柳田国男論集成291
注 291~292
谷崎潤一郎291
村井紀 反折口信夫論292
西田幾多郎292
家の研究292
折口信夫 倭をぐな 292
4:35 午前
yoji said...
同柳田国男
神道と民俗学273,275
日本の祭273,274-5,278,289
神道私見273
郷土生活の研究法274,282
先祖の話275,276,282,284,288-9,292
祭礼と世間275
婿入り考280
家閑談283
家の研究292
論語277
ウェーバー289
宣長
玉勝間
274
海上の道274
フォーテス277,278,286
メルフォード・スパイロ
母系社会のエディプス278
マリノフスキー278
バッハオーフェン
モルガン278
吉田律令281,282
勝海舟282
タテ社会283
折口信夫民族教より人類教へ285
神道宗教化の意義285,287-8
橋川文三
柳田国男論集成291
谷崎潤一郎291
村井紀
反折口信夫論292
西田幾多郎292
オーロビンド290,292
柄谷、柳田国男論下、文学界2013-11参考文献(柳田国男以外)リスト
折口信夫対話集 安藤礼二編 (講談社文芸文庫)
折口 信夫 (文庫)
290
折口信夫天皇論集 (講談社文芸文庫)
折口 信夫 (文庫)
285
セム族の宗教 前編 (1) (岩波文庫 白 215-1)
W.R.スミス (文庫)
286
「日本」とは何か 日本の歴史00 (講談社学術文庫)
網野 善彦 (文庫)
281
タテ社会の人間関係
中根千恵
283
(抄訳 神の生命(いのち)―霊的進化の哲学
シュリー オーロビンド 290(単行本))
東と西の語る日本の歴史 (講談社学術文庫)
網野 善彦 (文庫)
281
庶民の発見 (講談社学術文庫)
宮本 常一 (文庫)
281
高群逸枝と柳田国男―婚制の問題を中心に (1977年)
村上 信彦 (-)
280
高群逸枝全集 第2巻 招婿婚の研究 1
高群 逸枝 (単行本)
280
律令国家と古代の社会
吉田 孝 (単行本)
281
死の人類学 (講談社学術文庫)
内堀 基光 (文庫)
279
祖先崇拝の論理 (1980年)
マイヤー フォーテス (-)
277,286
http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/cat113/
『売国奴』 黄文雄&呉善花&石平 (ビジネス社)
→bookwebで購入
中国、台湾、韓国から日本に留学し、そのまま日本にとどまって、著述活動をつづけている三人の論客による鼎談集である。座談の記録なのですらすら読めるが、語られている内容は深く、時に腕組みをしながら読んだ。
「売国奴」という表題は穏やかではないが、母国の側から見れば、日本から母国批判をおこなっているのだから、立派な売国奴である。黄文雄氏は台湾が民主化したので売国奴とは呼ばれなくなったが、韓国出身の呉善花氏と中国出身の石平氏は今現在、売国奴呼ばわりされているそうである。
中国も、台湾も、韓国も、日本も漢字文化圏であり、漢語を基礎とする共通のボキャブラリーをもっているが、実はこの共通のボキャブラリーが曲者である。なまじ共通であるために、誤解が生じるからだ。
たとえば「国家」という言葉である。日本人はごく当たり前に、近代的な国民国家の意味に解するが、他の国ではなかなかそうはいかない。
たとえば、近代以前の中国には、今の日本人が考えるような「国家」概念は存在しなかった。中国人の念頭にあったのは「国家」ではなく、中原を中心とする「天下」という世界であり、天下観はあっても国家観はなかった。
「国家」は『易経』に出てくる古い言葉だが、『易経』の中の「国家」とは朝廷のことであって、国民は含んでいない。杜甫の「国破れて山河あり」の「国」も朝廷を意味していた。
そもそも中国には国名がなかった。秦や漢、明は王朝名であり、支那は地域名だった。清末になって、天下が全世界を覆っているのではないと気がつき、国名をどうしようという議論になった。その時、候補にあがったのは「大夏」、「夏華」、「中国」に三つで、三番目の「中国」が選ばれた。天下から近代的な国家にいかに転じるかが、中国近代知識人の思想的課題だったのだという。
儒教思想も近代国家「国家」概念の定着を危うくしている。
儒教の影響が中国よりも強い韓国では「孝」を最上位におくために、「国家」への忠誠という概念がなかなか受けいれられなかった。
日本の場合は、ヨーロッパと同じように、戦士階級による中世的支配の期間が長かったので、先祖に対する「孝」よりも主君に対する「忠」が優先されるようになり、それが「国家」への忠誠に発展したが、韓国では「孝」の優位が崩れなかったので、家族の拡大版としての「国家」概念しか生まれなかった。
微妙な話なので、呉善花氏の発言を引こう。
「というより、近代国家を形成するにあたって、どうしても家族への孝を国家への孝へと本格的に拡大する考えの必要性が生じたわけです。そういう孝の価値観による以外に、国家への忠誠というモラルを生み出すことができなかったんですね。孝を超える忠ではなく、国家への孝が忠となるということです。
私が家の父に対して親孝行する、それを民族的に拡大したところで大統領が体現している国家に対して孝を尽くす。本来は家族と国家は次元の異なる世界なのに、韓国では連続するひとつの世界であるかのように感じてしまうんです」
このように説明してもらうと、韓国の歴代大統領の身内が懲りもせずに汚職をする理由も、北朝鮮で金正日のことを「情愛あふれるお父様」と呼ぶ理由も、なるほどと納得できる。
http://www.sanko-sha.com/bookinfo.php?no=85
新・スカートの風
新・スカートの風
日韓=合わせ鏡の世界
発売日:1992年12月01日
呉善花(お・そんふぁ)著
ISBN:978-4-87919-541-8 / C0036 / 四六判上製 / 216頁
定価1305円(税込)
日韓は、お互いに見えない部分を写しあう「合わせ鏡」の関係にある。
日本と韓国はなぜ接近すればするほど摩擦が激しくなるのか? その背景を形づくる日韓文化、社会、ことば、人間もようなどを縦横に語る、味わいの深い文化エッセイ集。韓国人特有の「自民族優越主義」と日韓摩擦の関係など、これまでにないハードな評論も収録。 合わせ鏡の関係としての日韓。 自分の前にかざした鏡に後ろからもうひとつの鏡をかざして写 し合わせると、自分後ろ姿が見える、それが合わせ鏡。そのように自分の後ろ姿(無意識の自分のようなもの)を見るには、韓国にとっての日本は、またおそらくは日本にとって韓国は、お互いまたとない写 しあわせを可能にする関係にあるように思える。
序-合わせ鏡の関係としての日韓
I 大いなる小異をめぐつて
日韓摩擦の根源には何があるのか
ロス暴動と日韓摩擦の固有性/「身内問題」となっている従軍慰安婦問題/韓国側のこれまでみられなかった反応/相互に支え合う仕組みに根を下ろす日韓摩擦/問題の根にある「いき違い」/「カバンをあけなさい」という韓国税関/驚きと「気持ち悪さ」の感覚/日本人の中位 主義と韓国人の黒自主義/「助けてもらいたい」ではなく「助けるべき」という発想/なぜ個人的な関係ではうまくゆくのか/ともにアジア的自己をみつめるとき
なにげない日常から
「スカートの風」の反響/母国語独自の表現の面白さと落とし穴/顔つきの価値観/権威と名刺の関係/贅沢生活が嫌いな日本人の不思議/韓国薬剤師の権威と弁舌/日本の3Kと韓国の3D/ロス暴動後の韓国人の反省/ロスのコリアタウン
II 文化の合わせ鏡
韓国人は「間」をとることが苦手
「あいだをとる」ことの難しさ/野球には「まをとる」技術が大切/韓国人が中間が嫌いな理由
韓国の味と日本の味
韓国人はキムチなしでは生きられない?/洗練された味よりも家庭の温かみを求める韓国/量 も豊富なら味も豊富なものがよい
オンドルとコタツ
コタツ、日本茶、庭の三点セット/夜間暖房としてのオンドル効果/部屋飾りとしての布団といけ花
弱さの日本語、強さの韓国語
覚えやすく上達しにくい日本語と韓国語の間がら/「コーヒーを飲まれた」と言う日本語の印象/日本語特有の「~させられた」「~してもらう」
韓国的なサービスとは何か
感覚に直接うったえる韓国の伝統的なサービス/派手やかさと賑やかさに終始した宴会/文字どおりの皇帝待遇/相手しだいで差をつけるサービス
ハレの場の象徴としてのネクタイ
ソウルビジネス術の色鮮やかなネクタイ/日本では着られない韓国で似合う服/仕事の場はハレの場か?
ロスの日本人教会・韓国人数会
平日はオフィス、日曜日は教会/小さな日本人教会でのお説教/「許しても忘れてはいけない」という韓国人牧師
プライド=高慢・誇り・自尊心をめぐって
逆境にあってこそ身仕舞をただす/他者に助けられる資格/異文化間のプライド表現
III 韓国の女、韓国の社会
なぜ韓国女性は美人なのか
美人への過激な執念/韓国美人は美人であることをより強調する/「派手さ」という美/セクシーな美についての日韓の違い/目を強調する美の感性/美人に会いたければソウルヘ/美人への執念から貴婦人への執念へ
女と男雑考
日本に来て変わった男性観/日本の男が韓国の女を誘うとき
韓国、その中央集権化の力学
韓国人は「体育会、応援部」的?/急速に消費社会の顔を見せはじめた韓国/過剰消費の背景にある虚栄心と自己顕示欲/同一性内部で進行する韓国政界の多様化/ヘンダーソンの「韓国社会=上昇渦巻パターン説」/韓国社会の極度な中央集権化の構造/日韓関係が鍵を握っている
IV 儒教的世界と神道的世界
韓国の孝と日本の忠
儒教の倫理観を逆転させた日本人/自然な生まれつきに価値を求める社会/孝優先の韓国と忠優先の日本/忠優先で成功した日本
「恨」と「もののあわれ」
情緒表現と美意識の二つの典型/自然観と人生観/儒教と神道を支える心情
日本人の「おかげ」信仰
「反省すべき日本人」というアジア人のワンパターン/「努力」の強調と「おかげ」の強調/負けたくない相手へのご都合主義
A Highlight and Note by yojisekimoto
yojisekimoto highlighted:
孝優先の韓国と忠優先の日本 私が日本へ来てしばらく経ってからのことだったが、韓国ならばだいたい「孝弟忠信」のように並ぶ徳目が、日本では「忠孝弟信」という具合に、忠を筆頭に並べられている本をある人から見せられ、日本ではこの序列が普通だと聞かされて驚いたことがある。 韓国で最高の徳目はもちろん孝である。日本では一般に、孝と言えば親孝行のことで両親への敬愛の範囲を出るものではない。しかし、儒教本来の孝は、両親と祖先に対する孝であると同時に、結婚して子供、とくに家系を継ぐべき男の子を生むことまでを含んでいる。したがって孝とは、人間の生命の源という、自然な人間の根元から流れ出た、儒教思想の核心を形づくる倫理にほかならない。日本ではどうやら忠をその上におくのである。 日本人が忠を孝に優先させるのは、武家社会の倫理観が大きく作用してのことだろうが、その根本には、日本の伝統的な家族制度が、韓国とはちがって、非血族を含むイエとしてあり、血統ではなくイエの存続を目的とするものだったことがあるように思う。そこに、ややもすれば、家族(孝)よりも会社(忠)を優先することが多いとも言われる、現代日本人ビジネスマンのルーツもあるのではないだろうか。 中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先することは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話
5 minutes ago
新 スカートの風 日韓=合わせ鏡の世界 (角川文庫)
by 呉 善花
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呉善花(お・そんふぁ)著
@yojisekimoto: http://t.co/2z1FsueYyt 一方の恨の情緒は、万物の生命的な流れをいかにまっとうしているか、というように人を倫理的に価値づける理念に対応している。それは自然界の決定を受けて人間界の規範・道徳があるという、儒教的な徳治思想に裏打ちされていると言える...
第一章1戦後の柳田国男
第二章2山人
第三章3実験の史学
第四章4固有信仰
31
24
目次 :
第1章 戦後の柳田国男
1戦中から戦後へ
2柳田の敗北
3農民=常民の消滅
4非常民論
第2章 山人
1近代と近代以前
2農政学
3焼畑狩猟民の社会
第3章 実験の史学
1供養としての民俗学
2山人と島人
3公民の民俗学
4オオカミと「小さき者」
第4章 固有信仰
1新古学
2固有信仰
3祖霊信仰と双系制
4「場」としての家
5折口信夫と柳田国男
6固有信仰と未来
付論 二種類の遊動性
1遊動的狩猟採集民
2定住革命
3二種類のノマド
4柳田国男
あとがき
主要参考文献
柳田国男年譜
目次 : 第1章 戦後の柳田国男(戦中から戦後へ/ 柳田の敗北/ 農民=常民の消滅/ 非常民論)/ 第2章 山人(近代と近代以前/ 農政学/ 焼畑狩猟民の社会)/ 第3章 実験の史学(供養としての民俗学/ 山人と島人/ 公民の民俗学/ オオカミと「小さき者」)/ 第4章 固有信仰(新古学/ 固有信仰/ 祖霊信仰と双系制/ 「場」としての家/ 折口信夫と柳田国男/ 固有信仰と未来)/ 付論 二種類の遊動性(遊動的狩猟採集民/ 定住革命/ 二種類のノマド/ 柳田国男)
目次 :
第1章 戦後の柳田国男
(戦中から戦後へ/
柳田の敗北/
農民=常民の消滅/
非常民論)/
第2章 山人
(近代と近代以前/
農政学/
焼畑狩猟民の社会)/
第3章 実験の史学
(供養としての民俗学/
山人と島人/ 公民の民俗学/
オオカミと「小さき者」)/ 第
4章 固有信仰
(新古学/
固有信仰/
祖霊信仰と双系制/
「場」としての家/
折口信夫と柳田国男/
固有信仰と未来)/
付論 二種類の遊動性
(遊動的狩猟採集民/
定住革命/
二種類のノマド/
柳田国男)
「農業組合なるものは小農を存続せしめてこれに大農と同じ利益を得せしむる方法であるのであります。…」
(柳田国男「時代ト農政」 ちくま文庫版ぜん第29巻119頁。『遊動論』62~3頁より)
柄谷行人『遊動論 柳田国男と山人』
(文春新書2014年1月20日)
目次 :
第1章 戦後の柳田国男 7
1戦中から戦後へ 8
2柳田の敗北 21
3農民=常民の消滅 29
4非常民論 33
第2章 山人 45
1近代と近代以前 46
2農政学 56
3焼畑狩猟民の社会 67
第3章 実験の史学 79
1供養としての民俗学 80
2山人と島人 87
3公民の民俗学 100
4オオカミと「小さき者」116
第4章 固有信仰 127
1新古学 128
2固有信仰 135
3祖霊信仰と双系制 145
4「場」としての家 150
5折口信夫と柳田国男 157
6固有信仰と未来 166
付論 二種類の遊動性 177
1遊動的狩猟採集民 178
2定住革命 182
3二種類のノマド 186
4柳田国男 193
あとがき 197
主要参考文献 202
柳田国男年譜 205
主要参考文献(登場順、重複あり)
橋川文三『柳田国男論集成』作品社、二〇〇二年(12,13,173)
柳田國男・中野重治「文学・学問・政治」(対談)(「展望」一九四七年一月号所収、のちに筑摩書房、宮国登編『柳田國男対談集』に収録、ちくま学芸文庫、一九九二年)(16)
中野重治『五勺の酒・萩のもんかきや』講談社文芸文庫、一九九二年(18,42~3)
花田清輝「柳田国男について」(松川哲夫編『花田浦輝評論集』所収、岩波文庫、一九九三年)(19)
中村哲『柳田国男の思想』法政大学出版局、一九八五年(23)
村井紀『南島イデオロギーの発生』福武書店、一九九二年(26,87)
吉本隆明『共同幻想論』角川文庫、一九八二年(31,32)
吉本隆明『マス・イメージ論』福武書店、一九八四年(33)
坪井洋文『イモと日本人』未来社、一九七九年(34)
坪井洋文『稲を選んだ日本人』未来社、一九八二年(34)
網野善彦「中世における天皇支配権の一考察」(「史学雑記」一九七二年八月号所収、山川出版社)(36)
網野善彦『蒙古襲来』小学館文庫、二〇〇〇年(37)
中野重治『五勺の酒・萩のもんかきや』講談社文芸文庫、一九九二年(18,42~3)
川田順造「最初期の柳田を讃える」(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(43,100~1)
古本隆明『超資本主義』徳間書店、一九九五年(43)
赤松啓介『夜這いの民俗学』明石書店、一九九四年 (44)
小熊英二『単一氏族神話の起源』新曜社、一九九五年(40,44)
大塚英志『怪談前夜』角川選書、二〇〇七年(46)
柳田国男・田山花袋編校訂『近世奇談全集』、博文館、一九〇三年(50~1)
字沢弘文『社会的共通資本』岩波新書、二〇〇〇年(65~7)
並松信久「柳田国男の農政学の展開」(「京都産業大学論集 社会科学系列」所収、二〇一〇年)(69)
松崎憲三「二つのモノの狭間で(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(72)
菊地章太『妖怪学の祖 井上圓了』角川選書、二〇一三年(74)
宮崎学『「自己啓発病」社会』祥伝社新書、二〇一二年(75)
ジェームズ・C・スコット、佐藤仁監訳『ゾミア』みすず書房、二〇一三年(76,190)
ハインリヒ・ハイネ著、小沢俊夫訳『流刑の神々・精霊物語』岩波文庫、一九八〇年(76,77,83)
ハインリヒ・ハイネ著、小沢俊夫訳『流刑の神々・精霊物語』岩波文庫、一九八〇年(76,77,83)
村井紀『南島イデオロギーの発生』福武書店、一九九二年(26,87)
赤坂憲雄『東北学/忘れられた東北』講談社学術文庫、二〇〇九年(94)
川田順造「最初期の柳田を讃える」(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(43,100~1)
岡村民夫『柳田国男のスイス』森話社、二〇一三年(101)
大塚英志『公民の民俗学』作品社、二〇〇七年(102~3,104)
赤坂憲雄『一国民俗学を越えて』五柳書院、二〇〇一年 (106)
柳田国男・南方熊楠『柳田国男・南方熊楠往復書簡集』平凡社ライブラリー、一九九四年(107~8)
マルク・ブロック著、井上泰男・渡邊昌美訳『王の奇跡』刀水書房、一九九八年 (109)
ショーン・エリス、ペニー・ジューノ著、小牟田康彦訳『狼の群れと暮らした男』築地書館、二〇〇ー二年(118,126)
三浦佑之『オオカミはいかに論じられたか』(「現代思想」二〇一二年年十月臨時増刊号所収、青土社)(125)
ショーン・エリス、ペニー・ジューノ著、小牟田康彦訳『狼の群れと暮らした男』築地書館、二〇〇ー二年(118,126)
本居宣長著、村岡典嗣校訂『王勝間』上・下、岩波文庫、一九八七年(130)
マイヤー・フォーテス著、田中真砂子編訳『祖先崇拝の論理』ぺりかん社、一九八〇年(138~141)
メルフォード・E・スパイロ著、井上兼行訳『母系社会のエディプス』紀伊国屋書店、一九九〇年(142)
内堀基光・山下晋司『死の人類学』講談社学術文庫、二〇〇六年(144~5)
高群逸枝『招婿婚の研究』(『高群逸枝全集2』『高群逸枝全集3』所収、理論社、一九六六年(146~7)
村上信彦・『高群逸枝と柳田国男』大和書房、一九七七年(147)
吉田孝『律令国家と古代の社会』岩波書店、一九九三年(148,152)
宮本常一『庶民の発見』講談社学術文庫、一九八七年(149)
網野善彦『東と西の語る日本の歴史』講談社学術文庫、一九九八年(149)
網野善彦『「日本」とは何か』講談社、二〇〇〇年(150)
吉田孝『律令国家と古代の社会』岩波書店、一九九三年(148,152)
中根千枝『タテ社会の人間関係』講談社現代新書、一九六七年(155)
折ロ信夫著、安藤礼二編『折口信夫天皇論集』講談社文芸文庫、二〇一一年(158,159,160,164,165)
平岩米吉『狼―その生態と歴史』築地書館、一九九二年(167)
折口信夫『折口信夫対話集』講談社交芸文車、二〇一三年(170)
橋川文三『柳田国男論集成』作品社、二〇〇二年(12,13,173)
原洋之介『アジアの「農」日本の「農」』書籍工房早山、二〇一三年(174)
村井紀『反折口信夫論』作品社、二〇〇四年(176)
ジェームズ・C・スコット、佐藤仁監訳『ゾミア』みすず書房、二〇一三年(76,190)
その他:
柳田國男『定本柳田國男集』筑摩書房、一九六二年〜七一年
柳田國男『柳田國男全集』筑摩書房、一九九七年〜
柳田國男『柳田國男全集』ちくま文庫、一九八九年〜九一年
主要参考文献(著者五十音順)
赤坂憲雄『一国民俗学を越えて』五柳書院、二〇〇一年 (106)
赤坂憲雄『東北学/忘れられた東北』講談社学術文庫、二〇〇九年(94)
赤松啓介『夜這いの民俗学』明石書店、一九九四年 (44)
網野善彦「中世における天皇支配権の一考察」(「史学雑記」一九七二年八月号所収、山川出版社)(36)
網野善彦『東と西の語る日本の歴史』講談社学術文庫、一九九八年(149)
網野善彦『蒙古襲来』小学館文庫、二〇〇〇年(37)
網野善彦『「日本」とは何か』講談社、二〇〇〇年(150)
字沢弘文『社会的共通資本』岩波新書、二〇〇〇年(65~7)
内堀基光・山下晋司『死の人類学』講談社学術文庫、二〇〇六年(144~5)
ショーン・エリス、ペニー・ジューノ著、小牟田康彦訳『狼の群れと暮らした男』築地書館、二〇〇ー二年(118,126)
大塚英志『公民の民俗学』作品社、二〇〇七年(102~3,104)
大塚英志『怪談前夜』角川選書、二〇〇七年(46)
岡村民夫『柳田国男のスイス』森話社、二〇一三年(101)
小熊英二『単一氏族神話の起源』新曜社、一九九五年(40,44)
折ロ信夫著、安藤礼二編『折口信夫天皇論集』講談社文芸文庫、二〇一一年(158,159,160,164,165)
折口信夫『折口信夫対話集』講談社交芸文車、二〇一三年(170)
川田順造「最初期の柳田を讃える」(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(43,100~1)
菊地章太『妖怪学の祖 井上圓了』角川選書、二〇一三年(74)
ジェームズ・C・スコット、佐藤仁監訳『ゾミア』みすず書房、二〇一三年(76,190)
メルフォード・E・スパイロ著、井上兼行訳『母系社会のエディプス』紀伊国屋書店、一九九〇年(142)
高群逸枝『招婿婚の研究』(『高群逸枝全集2』『高群逸枝全集3』所収、理論社、一九六六年(146~7)
坪井洋文『イモと日本人』未来社、一九七九年(34)
坪井洋文『稲を選んだ日本人』未来社、一九八二年(34)
中根千枝『タテ社会の人間関係』講談社現代新書、一九六七年(155)
中野重治『五勺の酒・萩のもんかきや』講談社文芸文庫、一九九二年(18,42~3)
中村哲『柳田国男の思想』法政大学出版局、一九八五年(23)
並松信久「柳田国男の農政学の展開」(「京都産業大学論集 社会科学系列」所収、二〇一〇年)(69)
ハインリヒ・ハイネ著、小沢俊夫訳『流刑の神々・精霊物語』岩波文庫、一九八〇年(76,77,83)
橋川文三『柳田国男論集成』作品社、二〇〇二年(12,13,173)
花田清輝「柳田国男について」(松川哲夫編『花田浦輝評論集』所収、岩波文庫、一九九三年)(19)
原洋之介『アジアの「農」日本の「農」』書籍工房早山、二〇一三年(174)
平岩米吉『狼―その生態と歴史』築地書館、一九九二年(167)
マイヤー・フォーテス著、田中真砂子編訳『祖先崇拝の論理』ぺりかん社、一九八〇年(138~141)
マルク・ブロック著、井上泰男・渡邊昌美訳『王の奇跡』刀水書房、一九九八年 (109)
松崎憲三「二つのモノの狭間で(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(72)
三浦佑之『オオカミはいかに論じられたか』(「現代思想」二〇一二年年十月臨時増刊号所収、青土社)(125)
宮崎学『「自己啓発病」社会』祥伝社新書、二〇一二年(75)
宮本常一『庶民の発見』講談社学術文庫、一九八七年(149)
村井紀『南島イデオロギーの発生』福武書店、一九九二年(26,87)
村井紀『反折口信夫論』作品社、二〇〇四年(176)
村上信彦・『高群逸枝と柳田国男』大和書房、一九七七年(147)
本居宣長著、村岡典嗣校訂『王勝間』上・下、岩波文庫、一九八七年(130)
柳田国男・田山花袋編校訂『近世奇談全集』、博文館、一九〇三年(50~1)
柳田國男・中野重治「文学・学問・政治」(対談)(「展望」一九四七年一月号所収、のちに筑摩書房、宮国登編『柳田國男対談集』に収録、ちくま学芸文庫、一九九二年)(16)
柳田國男『定本柳田國男集』筑摩書房、一九六二年〜七一年
柳田國男『柳田國男全集』筑摩書房、一九九七年〜
柳田國男『柳田國男全集』ちくま文庫、一九八九年〜九一年
柳田国男・南方熊楠『柳田国男・南方熊楠往復書簡集』平凡社ライブラリー、一九九四年(107~8)
吉田孝『律令国家と古代の社会』岩波書店、一九九三年(148,152)
吉本隆明『共同幻想論』角川文庫、一九八二年(31,32)
吉本隆明『マス・イメージ論』福武書店、一九八四年(33)
古本隆明『超資本主義』徳間書店、一九九五年(43)
巻末未掲載:
マルクス(58,76『共産党宣言』@,77)
カント(74)
島崎藤村『夜明け前』(75)
スマイルズ『自助論』or『西国立志編』(75)
J・S・ミル(75)
孔子『論語』(139)
ウェーバー(167)
谷崎潤一郎(175)
西田幾多郎(176)
サーリンズ(179)
梅棹忠夫『狩猟と放牧の世界』(182)
フロイト『トーテムとタブー』(184,(186))
オーロビンド(176)
主要参考文献(登場順、重複あり)
橋川文三『柳田国男論集成』作品社、二〇〇二年(12,13,173)
柳田國男・中野重治「文学・学問・政治」(対談)(「展望」一九四七年一月号所収、のちに筑摩書房、宮国登編『柳田國男対談集』に収録、ちくま学芸文庫、一九九二年)(16)
中野重治『五勺の酒・萩のもんかきや』講談社文芸文庫、一九九二年(18,42~3)
花田清輝「柳田国男について」(松川哲夫編『花田浦輝評論集』所収、岩波文庫、一九九三年)(19)
中村哲『柳田国男の思想』法政大学出版局、一九八五年(23)
村井紀『南島イデオロギーの発生』福武書店、一九九二年(26,87)
吉本隆明『共同幻想論』角川文庫、一九八二年(31,32)
吉本隆明『マス・イメージ論』福武書店、一九八四年(33)
坪井洋文『イモと日本人』未来社、一九七九年(34)
坪井洋文『稲を選んだ日本人』未来社、一九八二年(34)
網野善彦「中世における天皇支配権の一考察」(「史学雑記」一九七二年八月号所収、山川出版社)(36)
網野善彦『蒙古襲来』小学館文庫、二〇〇〇年(37)
中野重治『五勺の酒・萩のもんかきや』講談社文芸文庫、一九九二年(18,42~3)
川田順造「最初期の柳田を讃える」(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(43,100~1)
古本隆明『超資本主義』徳間書店、一九九五年(43)
赤松啓介『夜這いの民俗学』明石書店、一九九四年 (44)
小熊英二『単一氏族神話の起源』新曜社、一九九五年(40,44)
大塚英志『怪談前夜』角川選書、二〇〇七年(46)
柳田国男・田山花袋編校訂『近世奇談全集』、博文館、一九〇三年(50~1)
字沢弘文『社会的共通資本』岩波新書、二〇〇〇年(65~7)
並松信久「柳田国男の農政学の展開」(「京都産業大学論集 社会科学系列」所収、二〇一〇年)(69)
松崎憲三「二つのモノの狭間で(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(72)
菊地章太『妖怪学の祖 井上圓了』角川選書、二〇一三年(74)
カント(74)
島崎藤村『夜明け前』(75)
スマイルズ『自助論』or『西国立志編』(75)
J・S・ミル(75)
宮崎学『「自己啓発病」社会』祥伝社新書、二〇一二年(75)
ジェームズ・C・スコット、佐藤仁監訳『ゾミア』みすず書房、二〇一三年(76,190)
マルクス(58,76『共産党宣言』@,77)
ハインリヒ・ハイネ著、小沢俊夫訳『流刑の神々・精霊物語』岩波文庫、一九八〇年(76,77,83)
ハインリヒ・ハイネ著、小沢俊夫訳『流刑の神々・精霊物語』岩波文庫、一九八〇年(76,77,83)
村井紀『南島イデオロギーの発生』福武書店、一九九二年(26,87)
赤坂憲雄『東北学/忘れられた東北』講談社学術文庫、二〇〇九年(94)
川田順造「最初期の柳田を讃える」(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(43,100~1)
岡村民夫『柳田国男のスイス』森話社、二〇一三年(101)
大塚英志『公民の民俗学』作品社、二〇〇七年(102~3,104)
赤坂憲雄『一国民俗学を越えて』五柳書院、二〇〇一年 (106)
柳田国男・南方熊楠『柳田国男・南方熊楠往復書簡集』平凡社ライブラリー、一九九四年(107~8)
マルク・ブロック著、井上泰男・渡邊昌美訳『王の奇跡』刀水書房、一九九八年 (109)
ショーン・エリス、ペニー・ジューノ著、小牟田康彦訳『狼の群れと暮らした男』築地書館、二〇〇ー二年(118,126)
三浦佑之『オオカミはいかに論じられたか』(「現代思想」二〇一二年年十月臨時増刊号所収、青土社)(125)
ショーン・エリス、ペニー・ジューノ著、小牟田康彦訳『狼の群れと暮らした男』築地書館、二〇〇ー二年(118,126)
本居宣長著、村岡典嗣校訂『王勝間』上・下、岩波文庫、一九八七年(130)
マイヤー・フォーテス著、田中真砂子編訳『祖先崇拝の論理』ぺりかん社、一九八〇年(138~141)
孔子『論語』(139)
メルフォード・E・スパイロ著、井上兼行訳『母系社会のエディプス』紀伊国屋書店、一九九〇年(142)
内堀基光・山下晋司『死の人類学』講談社学術文庫、二〇〇六年(144~5)
高群逸枝『招婿婚の研究』(『高群逸枝全集2』『高群逸枝全集3』所収、理論社、一九六六年(146~7)
村上信彦・『高群逸枝と柳田国男』大和書房、一九七七年(147)
吉田孝『律令国家と古代の社会』岩波書店、一九九三年(148,152)
宮本常一『庶民の発見』講談社学術文庫、一九八七年(149)
網野善彦『東と西の語る日本の歴史』講談社学術文庫、一九九八年(149)
網野善彦『「日本」とは何か』講談社、二〇〇〇年(150)
吉田孝『律令国家と古代の社会』岩波書店、一九九三年(148,152)
中根千枝『タテ社会の人間関係』講談社現代新書、一九六七年(155)
折ロ信夫著、安藤礼二編『折口信夫天皇論集』講談社文芸文庫、二〇一一年(158,159,160,164,165)
平岩米吉『狼―その生態と歴史』築地書館、一九九二年(167)
ウェーバー(167)
折口信夫『折口信夫対話集』講談社交芸文車、二〇一三年(170)
オーロビンド(171,172,176)
橋川文三『柳田国男論集成』作品社、二〇〇二年(12,13,173)
原洋之介『アジアの「農」日本の「農」』書籍工房早山、二〇一三年(174)
谷崎潤一郎(175)
西田幾多郎(176)
村井紀『反折口信夫論』作品社、二〇〇四年(176)
オーロビンド(171,172,176)
サーリンズ(179)
梅棹忠夫『狩猟と放牧の世界』(182)
フロイト『トーテムとタブー』(184,(186))
ジェームズ・C・スコット、佐藤仁監訳『ゾミア』みすず書房、二〇一三年(76,190)
その他:
柳田國男『定本柳田國男集』筑摩書房、一九六二年〜七一年
柳田國男『柳田國男全集』筑摩書房、一九九七年〜
柳田國男『柳田國男全集』ちくま文庫、一九八九年〜九一年
オーロビンド『評伝オーロビンド』(171,172@(110),176@(63),176@(110))
主要参考文献(登場順、重複あり)
橋川文三『柳田国男論集成』作品社、二〇〇二年(12,13,173)
柳田國男・中野重治「文学・学問・政治」(対談)(「展望」一九四七年一月号所収、のちに筑摩書房、宮国登編『柳田國男対談集』に収録、ちくま学芸文庫、一九九二年)(16)
中野重治『五勺の酒・萩のもんかきや』講談社文芸文庫、一九九二年(18,42~3)
花田清輝「柳田国男について」(松川哲夫編『花田浦輝評論集』所収、岩波文庫、一九九三年)(19)
中村哲『柳田国男の思想』法政大学出版局、一九八五年(23)
村井紀『南島イデオロギーの発生』福武書店、一九九二年(26,87)
吉本隆明『共同幻想論』角川文庫、一九八二年(31,32)
吉本隆明『マス・イメージ論』福武書店、一九八四年(33)
坪井洋文『イモと日本人』未来社、一九七九年(34)
坪井洋文『稲を選んだ日本人』未来社、一九八二年(34)
網野善彦「中世における天皇支配権の一考察」(「史学雑記」一九七二年八月号所収、山川出版社)(36)
網野善彦『蒙古襲来』小学館文庫、二〇〇〇年(37)
中野重治『五勺の酒・萩のもんかきや』講談社文芸文庫、一九九二年(18,42~3)
川田順造「最初期の柳田を讃える」(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(43,100~1)
古本隆明『超資本主義』徳間書店、一九九五年(43)
赤松啓介『夜這いの民俗学』明石書店、一九九四年 (44)
小熊英二『単一氏族神話の起源』新曜社、一九九五年(40,44)
大塚英志『怪談前夜』角川選書、二〇〇七年(46)
柳田国男・田山花袋編校訂『近世奇談全集』、博文館、一九〇三年(50~1)
字沢弘文『社会的共通資本』岩波新書、二〇〇〇年(65~7)
並松信久「柳田国男の農政学の展開」(「京都産業大学論集 社会科学系列」所収、二〇一〇年)(69)
松崎憲三「二つのモノの狭間で(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(72)
菊地章太『妖怪学の祖 井上圓了』角川選書、二〇一三年(74)
カント(74)
島崎藤村『夜明け前』(75)
スマイルズ『自助論』or『西国立志編』(75)
J・S・ミル(75)
宮崎学『「自己啓発病」社会』祥伝社新書、二〇一二年(75)
ジェームズ・C・スコット、佐藤仁監訳『ゾミア』みすず書房、二〇一三年(76,190)
マルクス(58,76『共産党宣言』@,77)
ハインリヒ・ハイネ著、小沢俊夫訳『流刑の神々・精霊物語』岩波文庫、一九八〇年(76,77,83)
ハインリヒ・ハイネ著、小沢俊夫訳『流刑の神々・精霊物語』岩波文庫、一九八〇年(76,77,83)
村井紀『南島イデオロギーの発生』福武書店、一九九二年(26,87)
赤坂憲雄『東北学/忘れられた東北』講談社学術文庫、二〇〇九年(94)
川田順造「最初期の柳田を讃える」(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(43,100~1)
岡村民夫『柳田国男のスイス』森話社、二〇一三年(101)
大塚英志『公民の民俗学』作品社、二〇〇七年(102~3,104)
赤坂憲雄『一国民俗学を越えて』五柳書院、二〇〇一年 (106)
柳田国男・南方熊楠『柳田国男・南方熊楠往復書簡集』平凡社ライブラリー、一九九四年(107~8)
マルク・ブロック著、井上泰男・渡邊昌美訳『王の奇跡』刀水書房、一九九八年 (109)
ショーン・エリス、ペニー・ジューノ著、小牟田康彦訳『狼の群れと暮らした男』築地書館、二〇〇ー二年(118,126)
三浦佑之『オオカミはいかに論じられたか』(「現代思想」二〇一二年年十月臨時増刊号所収、青土社)(125)
ショーン・エリス、ペニー・ジューノ著、小牟田康彦訳『狼の群れと暮らした男』築地書館、二〇〇ー二年(118,126)
本居宣長著、村岡典嗣校訂『王勝間』上・下、岩波文庫、一九八七年(130)
マイヤー・フォーテス著、田中真砂子編訳『祖先崇拝の論理』ぺりかん社、一九八〇年(138~141)
孔子『論語』(139)
メルフォード・E・スパイロ著、井上兼行訳『母系社会のエディプス』紀伊国屋書店、一九九〇年(142)
内堀基光・山下晋司『死の人類学』講談社学術文庫、二〇〇六年(144~5)
高群逸枝『招婿婚の研究』(『高群逸枝全集2』『高群逸枝全集3』所収、理論社、一九六六年(146~7)
村上信彦・『高群逸枝と柳田国男』大和書房、一九七七年(147)
吉田孝『律令国家と古代の社会』岩波書店、一九九三年(148,152)
宮本常一『庶民の発見』講談社学術文庫、一九八七年(149)
網野善彦『東と西の語る日本の歴史』講談社学術文庫、一九九八年(149)
網野善彦『「日本」とは何か』講談社、二〇〇〇年(150)
吉田孝『律令国家と古代の社会』岩波書店、一九九三年(148,152)
中根千枝『タテ社会の人間関係』講談社現代新書、一九六七年(155)
折ロ信夫著、安藤礼二編『折口信夫天皇論集』講談社文芸文庫、二〇一一年(158,159,160,164,165)
平岩米吉『狼―その生態と歴史』築地書館、一九九二年(167)
ウェーバー(167)
折口信夫『折口信夫対話集』講談社交芸文車、二〇一三年(170)
オーロビンド(171,172,176)
橋川文三『柳田国男論集成』作品社、二〇〇二年(12,13,173)
原洋之介『アジアの「農」日本の「農」』書籍工房早山、二〇一三年(174)
谷崎潤一郎(175)
西田幾多郎(176)
村井紀『反折口信夫論』作品社、二〇〇四年(176)
オーロビンド(171,172,176)
サーリンズ(179)
梅棹忠夫『狩猟と放牧の世界』(182)
フロイト『トーテムとタブー』(184,(186))
ジェームズ・C・スコット、佐藤仁監訳『ゾミア』みすず書房、二〇一三年(76,190)
その他:
柳田國男『定本柳田國男集』筑摩書房、一九六二年〜七一年
柳田國男『柳田國男全集』筑摩書房、一九九七年〜
柳田國男『柳田國男全集』ちくま文庫、一九八九年〜九一年
オーロビンド『評伝オーロビンド』(171,172@(110),176@(63),176@(110))
巻末未掲載:
マルクス(58,76『共産党宣言』@,77)
カント(74)
島崎藤村『夜明け前』(75)
スマイルズ『自助論』or『西国立志編』(75)
J・S・ミル(75)
孔子『論語』(139)
ウェーバー(167)
オーロビンド『評伝オーロビンド』(171,172@(110),176@(63),176@(110))
谷崎潤一郎(175)
西田幾多郎(176)
サーリンズ(179)
梅棹忠夫『狩猟と放牧の世界』(182)
フロイト『トーテムとタブー』(184,(186))
主要参考文献(登場順、重複あり)
橋川文三『柳田国男論集成』作品社、二〇〇二年(12,13,173)
柳田國男・中野重治「文学・学問・政治」(対談)(「展望」一九四七年一月号所収、のちに筑摩書房、宮国登編『柳田國男対談集』に収録、ちくま学芸文庫、一九九二年)(16)
中野重治『五勺の酒・萩のもんかきや』講談社文芸文庫、一九九二年(18,42~3)
花田清輝「柳田国男について」(松川哲夫編『花田浦輝評論集』所収、岩波文庫、一九九三年)(19)
中村哲『柳田国男の思想』法政大学出版局、一九八五年(23)
村井紀『南島イデオロギーの発生』福武書店、一九九二年(26,87)
吉本隆明『共同幻想論』角川文庫、一九八二年(31,32)
吉本隆明『マス・イメージ論』福武書店、一九八四年(33)
坪井洋文『イモと日本人』未来社、一九七九年(34)
坪井洋文『稲を選んだ日本人』未来社、一九八二年(34)
網野善彦「中世における天皇支配権の一考察」(「史学雑記」一九七二年八月号所収、山川出版社)(36)
網野善彦『蒙古襲来』小学館文庫、二〇〇〇年(37)
中野重治『五勺の酒・萩のもんかきや』講談社文芸文庫、一九九二年(18,42~3)
川田順造「最初期の柳田を讃える」(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(43,100~1)
古本隆明『超資本主義』徳間書店、一九九五年(43)
赤松啓介『夜這いの民俗学』明石書店、一九九四年 (44)
小熊英二『単一氏族神話の起源』新曜社、一九九五年(40,44)
大塚英志『怪談前夜』角川選書、二〇〇七年(46)
柳田国男・田山花袋編校訂『近世奇談全集』、博文館、一九〇三年(50~1)
字沢弘文『社会的共通資本』岩波新書、二〇〇〇年(65~7)
並松信久「柳田国男の農政学の展開」(「京都産業大学論集 社会科学系列」所収、二〇一〇年)(69)
松崎憲三「二つのモノの狭間で(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(72)
菊地章太『妖怪学の祖 井上圓了』角川選書、二〇一三年(74)
カント(74)
島崎藤村『夜明け前』(75)
スマイルズ『自助論』or『西国立志編』(75)
J・S・ミル(75)
宮崎学『「自己啓発病」社会』祥伝社新書、二〇一二年(75)
ジェームズ・C・スコット、佐藤仁監訳『ゾミア』みすず書房、二〇一三年(76,190)
マルクス(58,76『共産党宣言』@,77)
ハインリヒ・ハイネ著、小沢俊夫訳『流刑の神々・精霊物語』岩波文庫、一九八〇年(76,77,83)
ハインリヒ・ハイネ著、小沢俊夫訳『流刑の神々・精霊物語』岩波文庫、一九八〇年(76,77,83)
村井紀『南島イデオロギーの発生』福武書店、一九九二年(26,87)
赤坂憲雄『東北学/忘れられた東北』講談社学術文庫、二〇〇九年(94)
川田順造「最初期の柳田を讃える」(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(43,100~1)
岡村民夫『柳田国男のスイス』森話社、二〇一三年(101)
大塚英志『公民の民俗学』作品社、二〇〇七年(102~3,104)
赤坂憲雄『一国民俗学を越えて』五柳書院、二〇〇一年 (106)
柳田国男・南方熊楠『柳田国男・南方熊楠往復書簡集』平凡社ライブラリー、一九九四年(107~8)
マルク・ブロック著、井上泰男・渡邊昌美訳『王の奇跡』刀水書房、一九九八年 (109)
ショーン・エリス、ペニー・ジューノ著、小牟田康彦訳『狼の群れと暮らした男』築地書館、二〇〇ー二年(118,126)
三浦佑之『オオカミはいかに論じられたか』(「現代思想」二〇一二年年十月臨時増刊号所収、青土社)(125)
ショーン・エリス、ペニー・ジューノ著、小牟田康彦訳『狼の群れと暮らした男』築地書館、二〇〇ー二年(118,126)
本居宣長著、村岡典嗣校訂『王勝間』上・下、岩波文庫、一九八七年(130)
マイヤー・フォーテス著、田中真砂子編訳『祖先崇拝の論理』ぺりかん社、一九八〇年(138~141)
孔子『論語』(139)
メルフォード・E・スパイロ著、井上兼行訳『母系社会のエディプス』紀伊国屋書店、一九九〇年(142)
内堀基光・山下晋司『死の人類学』講談社学術文庫、二〇〇六年(144~5)
高群逸枝『招婿婚の研究』(『高群逸枝全集2』『高群逸枝全集3』所収、理論社、一九六六年(146~7)
村上信彦『高群逸枝と柳田国男』大和書房、一九七七年(147)
吉田孝『律令国家と古代の社会』岩波書店、一九九三年(148,152)
宮本常一『庶民の発見』講談社学術文庫、一九八七年(149)
網野善彦『東と西の語る日本の歴史』講談社学術文庫、一九九八年(149)
網野善彦『「日本」とは何か』講談社、二〇〇〇年(150)
吉田孝『律令国家と古代の社会』岩波書店、一九九三年(148,152)
中根千枝『タテ社会の人間関係』講談社現代新書、一九六七年(155)
折ロ信夫著、安藤礼二編『折口信夫天皇論集』講談社文芸文庫、二〇一一年(158,159,160,164,165)
平岩米吉『狼―その生態と歴史』築地書館、一九九二年(167)
ウェーバー(167)
折口信夫『折口信夫対話集』講談社交芸文車、二〇一三年(170)
オーロビンド『評伝オーロビンド』(171,172@(110),176@(63),176@(110))
橋川文三『柳田国男論集成』作品社、二〇〇二年(12,13,173)
原洋之介『アジアの「農」日本の「農」』書籍工房早山、二〇一三年(174)
谷崎潤一郎(175)
西田幾多郎(176)
村井紀『反折口信夫論』作品社、二〇〇四年(176)
オーロビンド『評伝オーロビンド』(171,172@(110),176@(63),176@(110))
サーリンズ(179)
梅棹忠夫『狩猟と放牧の世界』(182)
フロイト『トーテムとタブー』(184,(186))
ジェームズ・C・スコット、佐藤仁監訳『ゾミア』みすず書房、二〇一三年(76,190)
その他:
柳田國男『定本柳田國男集』筑摩書房、一九六二年〜七一年
柳田國男『柳田國男全集』筑摩書房、一九九七年〜
柳田國男『柳田國男全集』ちくま文庫、一九八九年〜九一年
16
http://www011.upp.so-net.ne.jp/kaijinkimu/kuni40.html
これに対し中野は懸命に「共産党では、ということになりますが、日本の平和革命のパースペクティブを早く発表したい」と弁解した。しかし、国男は納得しない。平和革命の見通しと展望を早くつくらないと、「いま平和革命と口では言っても、どさくさ紛れに暴力革命をやるんだろうという懸念があるだろうと思うんです」と中野が正直に告白すると、国男ははっきりと、「[その懸念が]あります」と応えている。
このあたりで、ふたりの考え方のちがいははっきりしてくる。
柳田 ……偽善だと言われるかもしれないけれども、夢でいいんだよ、野坂君なんか、帰ってきて、愛される党でなければならないといういい言葉を吐いたけれども、それっきりでしょう。やっぱり闘争意識が前に出すぎてるんだ。平和革命といいながら、実は撲滅をしなければならないというような気持ちもまだおさまらないのだね。
中野 私は闘争意識というものが少し足りないのだろうと思う。
柳田 あなたの言われるのは、邪悪と戦うということまで含んでいるんでしょう。
中野 悪と戦う志がまだ薄いために、具体案が出てくるのが遅くなるのだろうと思います。
柳田 それはそうでしょう。しかし害悪はわれわれの共同の敵だからね、なにもそちらばかりが戦うわけではなかろう。
中野 もちろんそうです。
国男がかつて大正デモクラシーの洗礼を受けたのに対し、中野はマルクス主義の昂揚の波をくぐって、戦後の時代に直面した。したがって、世代間の意識のズレは、とうぜんある。だが、それよりも、ここではふたりの政治観のちがいがきわだっているような気がする。
18,42~3
雑誌「展望」の企画で、柳田国男と中野重治の対談が実現したのは、1946年(昭和21)11月14日のことである。この日、国男は枢密院の皇室関係法案委員会に出席し、帰宅後、成城の自宅でこの対談に臨んだ。
1947年1月号の「展望」に、中野重治は小説「五勺の酒」を発表している。ある中学の校長が、憲法特配の残り五勺(1合の半分)の酒を飲んで、友人の共産党員に長い手紙を書くという話だ。手紙にはいろいろなことが綴られているが、中野が取りあげる中心テーマは、戦後の天皇をめぐって、ふつふつとわき上がる思いだった。
こんな箇所がある。
それは千葉県行幸で学校だの農業会だのへ行く写真だった。そして、あいもかわらぬ口うつし問答だった。しかしそのとき、僕はあらためて、言葉はわるいかも知れぬがこの人を好きになった。少なくとも今まで以上好きになれる気になった。
「この人」とは昭和天皇のことである。
これは食糧メーデーのときに掲げられた「朕はタラフク食ってるぞ」という扇情的なプラカードや、「アカハタ」に掲載される「天皇は贋金(にせがね)づくりの王である」といった冷たい論評とは対極的な見方だと言わねばならない。
次のような部分もある。
つまりあそこには家庭がない。家族もない。どこまで行っても政治的表現としてほかそれがないのだ。ほんとうに気の毒だ。羞恥を失ったものとしてしか行動できぬこと、これが彼らの最大のかなしみだ。個人が絶対に個人としてありえぬ。つまり全体主義が個を純粋に犠牲にした最も純粋な場合だ。どこに、おれは神でないと宣言せねばならぬほど蹂躙(じゅうりん)された個があっただろう。
これは現在の皇室にまでつづく評言だとみてもよい。
そして、小説の主人公に託しながら、中野はこう考えていた。
恥ずべき天皇制の頽廃(たいはい)から天皇を革命的に解放すること、そのことなしにどこに半封建制からの国民の革命的解放があるのだろう。そしてどうしてそれを『アカハタ』が書かぬのだろうか。道義、民族道徳樹立の問題をのけておいて、どこに国の再生があるだろうか。
天皇制という制度が、敬愛する天皇本人ばかりでなく、日本国民全体を呪縛しているところに、中野はこの国の道徳的退廃を感じていた。天皇制とは、古来の伝統というより、明治期、伊藤博文によってつくられた制度であり、さらにGHQのもとで改変され、パッケージしなおされた制度にほかならなかった。
共産党は天皇の人格を政治的に攻撃する扇動に回れば、国民から人気が得られると踏んでいた。中野はそういう卑劣さに嫌悪を覚えたのだ。問題は天皇制から天皇を革命的に解放することだ。新憲法はその課題をまだはたしていないと思っていた。
****
これとは別の話である。
1947年4月23日付の「アカハタ」に「私は共産党へ投票する」という衝撃的な見出しのついた柳田国男の談話が掲載されている。
新憲法の公布を受けて、4月20日に初の参議院選挙、25日に衆議院選挙がおこなわれた。中野重治は20日の参院選に全国区から立候補して当選するのだが、国男はおそらく参院選の前に「アカハタ」記者のインタビューに応じたのだろう。
あまり知られていない談話なので、長くなるのをいとわず、引用しておくことにしよう。
こんなふうに話している。
今の世の中は修羅道である。これをぜひ明るく、たのしいものにしなくてはならないが、そのいみで共産党も混乱をもっと建設的になおしてゆくようにしなければならない。私は中野重治氏を通じてしか共産党を知らないが、中野氏のごとき純粋な文化人は大切にして、真正面からどうどうと政治をやるべきで、小またすくいではいけない。共産党もまだまだ苦しまなくてはならないと思われる。
私は農村問題を扱うにしても、日本古来の伝統を考え、例えば家督ということがこんど民法で廃止されることになっているが、これにかわるものを農民のためにつくらなくてはならぬ。すなわち農村では組合が必要であるし、都市とおなじく浮浪児の収容所、託児所、養老院などをつくり、それが心からたのしいあたたかいものにしなくてはならず、これは必ず国営の必要がある。とにかく政党政治の堕落はこれまで私有財産制度をあまり擁護しすぎたことにある。
それから共産党の考えなくてはならぬのは宗教であるが、とくに地方にのこっている神道である。これも単純に西洋式にゴッド(神)と考えてはいけない。この点勉強しなくてはならないと思う。
柳田国男の入れ込み具合については<展望>1947年1月の中野重治との対談「文学・学問・政治」の中で編集者にふられて答えた部分
編輯者 先生が外国の本で一ばん影響を受けられたのは・・・・
柳田 アナトール・フランスですね。非常に影響を受けてるんです。半分以上は英訳ですけどね。フランスに行つてる時分にも、フランス語の稽古にだいぶ読みました。小説や作品で繰返して読んだ本といへば、アナトール・フランスぐらゐです。ものによると三ぺんも四へんも読みました。例へば「白き石の上にて」などといふのは、英訳で読み、フランス語で読み、日本訳で読みました。
ですってよ。あとこの対談で、日露戦争の取材に出掛けた田山花袋が、ロシア軍の兵士が捨てて行ったアナトール・フランスの独訳版「白き石の上にて」を拾って来て森鴎外に渡したんだとか、言ってるわけですが、これは違うんじゃね、と書いていた人がいたかと。
ともかくその後平林初之輔による『白き石の上にて』が1924年、新潮社の現代仏蘭西文芸叢書より、さらに『アナトオル・フランス長篇小説全集 第11巻』として権守操一訳が1950年、白水社より刊行されている。なお、権守訳は終戦直後に出版が計画されていたが、翻訳権が取れずにお蔵入りしてたものが陽の目を見たんだとか。
平林訳は国会図書館近代デジタルライブラリーおよびグーグル・ブックスでネット公開されている。
1924年5月15日の<読売新聞>に出た広告からひいておこう。
「此小説は人間の過去と現在と未来との批評である。キリスト教文明に対する一流の皮肉な批評である。科学文明の発達史である。更に、ユウトピアの物語として最も有名である。それは、従来凡ゆる文人小説家の手になつたやうな神の世界や、完全な世界ではなく、現在よりも少しく高度な人間の社会であつて、それは簡単な科学的社会主義のプログラムから驚くべき程の正確さをもつて描き出されたものである。新しい時代のための勇敢な戦士である此の老文豪の最も特色的な代表作だ。」
中身? 起きてみたら未来だった。見物して回った。はっとさめたら夢だった、だよっ。
なんか日本での紹介が大正時代になったことで、ウエルズと対置して読まれてるみたいだけれど、結構ジオスコリデスの影響があるような気が。気のせいかなあ。
http://www.asahi-net.or.jp/~li7m-oon/thatta01/that295/nzsf.htm
156,175,139
http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/cat113/
『売国奴』 黄文雄&呉善花&石平 (ビジネス社)
→bookwebで購入
中国、台湾、韓国から日本に留学し、そのまま日本にとどまって、著述活動をつづけている三人の論客による鼎談集である。座談の記録なのですらすら読めるが、語られている内容は深く、時に腕組みをしながら読んだ。
「売国奴」という表題は穏やかではないが、母国の側から見れば、日本から母国批判をおこなっているのだから、立派な売国奴である。黄文雄氏は台湾が民主化したので売国奴とは呼ばれなくなったが、韓国出身の呉善花氏と中国出身の石平氏は今現在、売国奴呼ばわりされているそうである。
中国も、台湾も、韓国も、日本も漢字文化圏であり、漢語を基礎とする共通のボキャブラリーをもっているが、実はこの共通のボキャブラリーが曲者である。なまじ共通であるために、誤解が生じるからだ。
たとえば「国家」という言葉である。日本人はごく当たり前に、近代的な国民国家の意味に解するが、他の国ではなかなかそうはいかない。
たとえば、近代以前の中国には、今の日本人が考えるような「国家」概念は存在しなかった。中国人の念頭にあったのは「国家」ではなく、中原を中心とする「天下」という世界であり、天下観はあっても国家観はなかった。
「国家」は『易経』に出てくる古い言葉だが、『易経』の中の「国家」とは朝廷のことであって、国民は含んでいない。杜甫の「国破れて山河あり」の「国」も朝廷を意味していた。
そもそも中国には国名がなかった。秦や漢、明は王朝名であり、支那は地域名だった。清末になって、天下が全世界を覆っているのではないと気がつき、国名をどうしようという議論になった。その時、候補にあがったのは「大夏」、「夏華」、「中国」に三つで、三番目の「中国」が選ばれた。天下から近代的な国家にいかに転じるかが、中国近代知識人の思想的課題だったのだという。
儒教思想も近代国家「国家」概念の定着を危うくしている。
儒教の影響が中国よりも強い韓国では「孝」を最上位におくために、「国家」への忠誠という概念がなかなか受けいれられなかった。
日本の場合は、ヨーロッパと同じように、戦士階級による中世的支配の期間が長かったので、先祖に対する「孝」よりも主君に対する「忠」が優先されるようになり、それが「国家」への忠誠に発展したが、韓国では「孝」の優位が崩れなかったので、家族の拡大版としての「国家」概念しか生まれなかった。
微妙な話なので、呉善花氏の発言を引こう。
「というより、近代国家を形成するにあたって、どうしても家族への孝を国家への孝へと本格的に拡大する考えの必要性が生じたわけです。そういう孝の価値観による以外に、国家への忠誠というモラルを生み出すことができなかったんですね。孝を超える忠ではなく、国家への孝が忠となるということです。
私が家の父に対して親孝行する、それを民族的に拡大したところで大統領が体現している国家に対して孝を尽くす。本来は家族と国家は次元の異なる世界なのに、韓国では連続するひとつの世界であるかのように感じてしまうんです」
このように説明してもらうと、韓国の歴代大統領の身内が懲りもせずに汚職をする理由も、北朝鮮で金正日のことを「情愛あふれるお父様」と呼ぶ理由も、なるほどと納得できる。
『売国奴』新装版(52~3)
人物名ヨミ ユ ジョイ
人物別名 兪汝為
Yu Joi
生年 -
没年 -
本の一覧
タイトル 著作者等 出版元 刊行年月
荒政要覧 兪汝為 編 興農書院
明15,16
1883?
1607年に兪如為が記した中国の救荒書『荒政要覧』
オーロビンド(ピーター・ヒース, Peter Heehs)『評伝オーロビンド』(171,172@(110),176@(63),176@(110))
狩猟と遊牧の世界―自然社会の進化 (講談社学術文庫 24) [文庫]
梅棹 忠夫 (著)
最も参考になったカスタマーレビュー
5つ星のうち 5.0 エッセンスのみの分かりやすい本です。 2009/4/9
By k9057
狩猟、遊牧、農耕といった生活様式に関する非常に分かりやすい説明です。私が説明するよりも、むしろとても短い本だから読んでもらったほうが早いのですが、ざっと説明してみましょう。
まず生活様式の発展段階を、自然社会、農業社会、産業社会という3つに分けます。で、最初の自然社会がこの本のメイン。この自然社会を狩猟、牧畜、農耕の3つに分けてしまいます。素人にも全体像が見えるように、すぱっすぱっと論を切っていく、この手さばきが読んでいて心地よいです。門外漢の私にもシンプルに分かるぐらいだから、専門家の著者にとってはよほど多くのことを切り捨てているのだろうと思います。
本書メインテーマは、これら採集・狩猟、牧畜、農耕の3つの様態それぞれの起源とか、歴史的な順序なんかの話です。
少し細かくみていくと、たとえば採集・狩猟にも一応順序がありそうで、人間が道具を使えるようになったことから狩猟という生活様式が出てきたといいます。さらに、狩猟生活によって食糧の分配の必要性から、家族が生まれたと説いたりします。また、牧畜の起源はどうも農耕がそれっぽいけれども、農耕にもいろいろな種類があってもしくは多元的な起源があるかもしれないという話も出てきます。
個人的に興味深かったのは、農業は農業革命(灌漑施設)という生産性の向上を経る... 続きを読む ›
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5つ星のうち 5.0 俗言に惑わされない脳をつくる 2005/11/1
By ゆみへん
現代資本主義文明が農耕社会の後継であることを明らかにし、近代以前の歴史のダイナミズムを農耕文明と遊牧文明の拮抗という図式で説いていく。梅棹忠夫の成した仕事といえば『文明の生態史観』が有名だが、このわずか174ページの小著もその学術的価値は決して引けをとらない。俗言あふれる世の中に、ゆるぎない学問的基盤を築く指針となる作品である。政治家、経営者、官僚・・・、いや忙しいなんて言ってるすべての現代人が読むべきだ。
柄谷の孝への言及は、呉や加地の指摘してきたことだ。
特に呉は引用箇所も同じだ。
13-18
ここで指摘したいのは柄谷の儒教への言及は必然だったということだ
柳田は朱子学から社蔵のアイデアを得ていたという指摘に加え
柳田の父は神官であるとともに儒学教師だった
柳田の思考パターンは神道以上に儒教である
乱神を語るのはおかしいと思われるかもしれないが、
白川静が指摘するように孔子は葬儀屋なのだ
柄谷の孝への言及は、呉や加地の指摘してきたことだ。
特に呉は引用箇所も同じだ。
13-18
ここで指摘したいのは柄谷の儒教への言及は必然だったということだ
柳田は朱子学から社蔵のアイデアを得ていたという指摘に加え
柳田の父は神官であるとともに儒学教師だった
柳田の思考パターンは神道以上に儒教である
柳田は孝行の重要性を語っている
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
儒者が乱神を語るのはおかしいと思われるかもしれないが、
白川静が指摘するように孔子は葬儀屋なのだ
A Highlight and Note by yojisekimoto
yojisekimoto highlighted:
孝優先の韓国と忠優先の日本
私が日本へ来てしばらく経ってからのことだったが、韓国ならばだいたい「孝弟忠信」のように並ぶ徳目が、日本では「忠孝弟信」という具合に、忠を筆頭に並べられている本をある人から見せられ、日本ではこの序列が普通だと聞かされて驚いたことがある。 韓国で最高の徳目はもちろん孝である。日本では一般に、孝と言えば親孝行のことで両親への敬愛の範囲を出るものではない。しかし、儒教本来の孝は、両親と祖先に対する孝であると同時に、結婚して子供、とくに家系を継ぐべき男の子を生むことまでを含んでいる。したがって孝とは、人間の生命の源という、自然な人間の根元から流れ出た、儒教思想の核心を形づくる倫理にほかならない。日本ではどうやら忠をその上におくのである。
日本人が忠を孝に優先させるのは、武家社会の倫理観が大きく作用してのことだろうが、その根本には、日本の伝統的な家族制度が、韓国とはちがって、非血族を含むイエとしてあり、血統ではなくイエの存続を目的とするものだったことがあるように思う。そこに、ややもすれば、家族(孝)よりも会社(忠)を優先することが多いとも言われる、現代日本人ビジネスマンのルーツもあるのではないだろうか。
中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先することは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話がある。儒教はこのように、血縁共同体を超えた規範になるためには最初から限界を抱えていた。そのために『孝経』がつくられて、孝と忠の調整がはかられたとも言われるが、この問題は結局は根本的には解決されなかったように思う。
5 minutes ago
新 スカートの風 日韓=合わせ鏡の世界 (角川文庫)
by 呉 善花
呉善花(お・そんふぁ)著
孝優先の韓国と忠優先の日本
私が日本へ来てしばらく経ってからのことだったが、韓国ならばだいたい「孝弟忠信」のように並ぶ徳目が、日本では「忠孝弟信」という具合に、忠を筆頭に並べられている本をある人から見せられ、日本ではこの序列が普通だと聞かされて驚いたことがある。
韓国で最高の徳目はもちろん孝である。日本では一般に、孝と言えば親孝行のことで両親への敬愛の範囲を出るものではない。しかし、儒教本来の孝は、両親と祖先に対する孝であると同時に、結婚して子供、とくに家系を継ぐべき男の子を生むことまでを含んでいる。したがって孝とは、人間の生命の源という、自然な人間の根元から流れ出た、儒教思想の核心を形づくる倫理にほかならない。日本ではどうやら忠をその上におくのである。
日本人が忠を孝に優先させるのは、武家社会の倫理観が大きく作用してのことだろうが、その根本には、日本の伝統的な家族制度が、韓国とはちがって、非血族を含むイエとしてあり、血統ではなくイエの存続を目的とするものだったことがあるように思う。そこに、ややもすれば、家族(孝)よりも会社(忠)を優先することが多いとも言われる、現代日本人ビジネスマンのルーツもあるのではないだろうか。
中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先することは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話がある。儒教はこのように、血縁共同体を超えた規範になるためには最初から限界を抱えていた。そのために『孝経』がつくられて、孝と忠の調整がはかられたとも言われるが、この問題は結局は根本的には解決されなかったように思う。
5 minutes ago
新 スカートの風 日韓=合わせ鏡の世界 (角川文庫)
by 呉 善花
呉善花(お・そんふぁ)著
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
しかし孔子の時代前後、「儒」の基本は、もともと「孝」にあった。なぜ「孝」であったかといえば、血族や家族が「家」にまつわる死者を慰撫する原儒の本来からして、生前に「孝」を積んでおくことが最も有効であると思われていたからだった。
この「孝」は、のちに日本の徳川社会で喧伝された「忠孝」の孝徳感覚とはいささかちがっている。もっと本来の「孝」というもので、その「孝」は古代中国の生命論全域にわたっていた。
完全な身体を父母から与えられたのだから、その完全なシステムを父母に返すこと、さらには祖先に返すこと、それが「孝」なのである。「身体髪膚、これを父母に受く。あえて毀着せざるは孝の始めなり」と『孝経』にもある。自分の身体は父母の遺体であり、父母の身体は祖父母の遺体なのである。
ここに過去・現在・未来を貫く「生命の連続」としての東アジア的で、すこぶる中国的な「孝」というものが位置づけられた。孔子も、さまざまな身近な者たちの死の観察を通して「孝」を自覚したはずだ。
桑原武夫(272夜)が柳田国男(1144夜)に、こういうことを尋ねたことがあるらしい。かつて日本には内藤湖南、狩野直喜、西田幾多郎といった強靭な学者がいたと思うのですが、最近はどうも軟弱で、線が細くなったと感じるんですが、先生はどういうふうに感じられますでしょうか。
すると柳田は、「それは孝行というものがなくなったからです」と答えたという。加地さんがある本に引いている話だ。
柳田国男と孝
『遊動論』139頁以降における柄谷の孝への言及は、加地伸行や呉善花の指摘してきたことと同じだ。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
「「儒」の基本は、もともと「孝」にあった。なぜ「孝」であったかといえば、血族や家族が「家」にまつわる死者を慰撫する原儒の本来からして、生前に「孝」を積んでおくことが最も有効であると思われていたからだった。」
特に呉は引用箇所も同じだ。
13-18
「日本人が忠を孝に優先させるのは、武家社会の倫理観が大きく作用してのことだろうが、その根本には、日本の伝統的な家族制度が、韓国とはちがって、非血族を含むイエとしてあり、血統ではなくイエの存続を目的とするものだったことがあるように思う。そこに、ややもすれば、家族(孝)よりも会社(忠)を優先することが多いとも言われる、現代日本人ビジネスマンのルーツもあるのではないだろうか。
中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先することは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話がある。儒教はこのように、血縁共同体を超えた規範になるためには最初から限界を抱えていた。そのために『孝経』がつくられて、孝と忠の調整がはかられたとも言われるが、この問題は結局は根本的には解決されなかったように思う。」(新 スカートの風 角川文庫 呉善花=お・そんふぁ著)
ここで指摘したいのは柄谷の儒教への言及は必然だったということだ。
柳田は朱子学から社倉のアイデアを得ていたという指摘に加え、柳田の父は神官であるとともに儒学教師だった。
柳田の思考パターンは神道以上に儒教である。
柳田は孝行の重要性を語っている。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
「桑原武夫(272夜)が柳田国男(1144夜)に、こういうことを尋ねたことがあるらしい。かつて日本には内藤湖南、狩野直喜、西田幾多郎といった強靭な学者がいたと思うのですが、最近はどうも軟弱で、線が細くなったと感じるんですが、先生はどういうふうに感じられますでしょうか。すると柳田は、「それは孝行というものがなくなったからです」と答えたという。」
儒者が乱神を語るのはおかしいと思われるかもしれないが、白川静が指摘するように孔子は葬儀屋なのだ。とはいえ柳田は折口や熊楠のようには神秘体験を主張しない。ここは儒者らしい。
柳田国男と孝
『遊動論』139頁以降における柄谷の孝への言及は、加地伸行や呉善花の指摘してきたことと同じだ。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
「「儒」の基本は、もともと「孝」にあった。なぜ「孝」であったかといえば、血族や家族が「家」にまつわる死者を慰撫する原儒の本来からして、生前に「孝」を積んでおくことが最も有効であると思われていたからだった。」
特に呉とは「父爲子隱、子爲父隱」(『論語』子路13-18)という引用箇所も同じだ。
「日本人が忠を孝に優先させるのは、武家社会の倫理観が大きく作用してのことだろうが、その根本には、日本の伝統的な家族制度が、韓国とはちがって、非血族を含むイエとしてあり、血統ではなくイエの存続を目的とするものだったことがあるように思う。そこに、ややもすれば、家族(孝)よりも会社(忠)を優先することが多いとも言われる、現代日本人ビジネスマンのルーツもあるのではないだろうか。
中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先することは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話がある。儒教はこのように、血縁共同体を超えた規範になるためには最初から限界を抱えていた。そのために『孝経』がつくられて、孝と忠の調整がはかられたとも言われるが、この問題は結局は根本的には解決されなかったように思う。」(新 スカートの風 角川文庫 呉善花=お・そんふぁ著)
ここで指摘したいのは柄谷の儒教への言及は必然だったということだ。
柳田は朱子学から社倉のアイデアを得ていたという指摘に加え、柳田の父は神官であるとともに儒学教師だった。
柳田の思考パターンは神道以上に儒教である。
柳田は孝行の重要性を語っている。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
「桑原武夫(272夜)が柳田国男(1144夜)に、こういうことを尋ねたことがあるらしい。かつて日本には内藤湖南、狩野直喜、西田幾多郎といった強靭な学者がいたと思うのですが、最近はどうも軟弱で、線が細くなったと感じるんですが、先生はどういうふうに感じられますでしょうか。すると柳田は、「それは孝行というものがなくなったからです」と答えたという。」
儒者が乱神を語るのはおかしいと思われるかもしれないが、白川静が指摘するように孔子はもともとは葬儀屋なのだ。とはいえ柳田は折口や熊楠のようには神秘体験を主張しない。ここは儒者らしい。
柳田国男と孝
『遊動論』139頁以降における柄谷の孝への言及は、加地伸行や呉善花の指摘してきたことと同じだ。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
「「儒」の基本は、もともと「孝」にあった。なぜ「孝」であったかといえば、血族や家族が「家」にまつわる死者を慰撫する原儒の本来からして、生前に「孝」を積んでおくことが最も有効であると思われていたからだった。」
特に呉とは「父爲子隱、子爲父隱」(『論語』子路13-18)という引用箇所も同じだ。
「中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先することは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話がある。儒教はこのように、血縁共同体を超えた規範になるためには最初から限界を抱えていた。そのために『孝経』がつくられて、孝と忠の調整がはかられたとも言われるが、この問題は結局は根本的には解決されなかったように思う。」(新 スカートの風 角川文庫 呉善花=お・そんふぁ著)
ここで指摘したいのは柄谷の儒教への言及は必然だったということだ。
柳田は朱子学から社倉のアイデアを得ていたという指摘に加え、柳田の父は神官であるとともに儒学教師だった。
柳田の思考パターンは神道以上に儒教である。
柳田は孝行の重要性を語っている。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
「桑原武夫(272夜)が柳田国男(1144夜)に、こういうことを尋ねたことがあるらしい。かつて日本には内藤湖南、狩野直喜、西田幾多郎といった強靭な学者がいたと思うのですが、最近はどうも軟弱で、線が細くなったと感じるんですが、先生はどういうふうに感じられますでしょうか。すると柳田は、「それは孝行というものがなくなったからです」と答えたという。」
儒者が乱神を語るのはおかしいと思われるかもしれないが、白川静が指摘するように孔子はもともとは葬儀屋なのだ。とはいえ柳田は折口や熊楠のようには神秘体験を主張しない。ここは儒者らしい。
柳田国男と孝
『遊動論』139頁以降における柄谷の孝への言及は、加地伸行や呉善花の指摘してきたことと同じだ。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
「「儒」の基本は、もともと「孝」にあった。なぜ「孝」であったかといえば、血族や家族が「家」にまつわる死者を慰撫する原儒の本来からして、生前に「孝」を積んでおくことが最も有効であると思われていたからだった。」
特に呉とは「父爲子隱、子爲父隱」(『論語』子路13-18)という引用箇所も同じだ。
「中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先することは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話がある。儒教はこのように、血縁共同体を超えた規範になるためには最初から限界を抱えていた。そのために『孝経』がつくられて、孝と忠の調整がはかられたとも言われるが、この問題は結局は根本的には解決されなかったように思う。」(新 スカートの風 角川文庫 呉善花=お・そんふぁ著)
ここで指摘したいのは柄谷の儒教への言及は必然だったということだ。
柳田は朱子学から社倉のアイデアを得ていたという指摘に加え、柳田の父は神官であるとともに儒学教師だった。
柳田の思考パターンは神道以上に儒教的である。
柳田は孝行の重要性を語っている。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
「桑原武夫が柳田国男に、こういうことを尋ねたことがあるらしい。かつて日本には内藤湖南、狩野直喜、西田幾多郎といった強靭な学者がいたと思うのですが、最近はどうも軟弱で、線が細くなったと感じるんですが、先生はどういうふうに感じられますでしょうか。すると柳田は、「それは孝行というものがなくなったからです」と答えたという。」
儒者が乱神を語るのはおかしいと思われるかもしれないが、白川静が指摘するように孔子はもともとは葬儀屋なのだ。とはいえ柳田は折口や熊楠のようには神秘体験を主張しない。ここは儒者らしい。
柳田国男と孝
『遊動論』139頁以降における柄谷の孝への言及は、加地伸行や呉善花の指摘してきたことと同じだ。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
「「儒」の基本は、もともと「孝」にあった。なぜ「孝」であったかといえば、血族や家族が「家」にまつわる死者を慰撫する原儒の本来からして、生前に「孝」を積んでおくことが最も有効であると思われていたからだった。」
特に呉とは「父爲子隱、子爲父隱」(『論語』子路13-18)という引用箇所も同じだ。
「中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先することは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話がある。儒教はこのように、血縁共同体を超えた規範になるためには最初から限界を抱えていた。そのために『孝経』がつくられて、孝と忠の調整がはかられたとも言われるが、この問題は結局は根本的には解決されなかったように思う。」(新 スカートの風 角川文庫 呉善花=お・そんふぁ著)
ここで指摘したいのは柄谷の儒教への言及は必然だったということだ。
柳田は朱子学から社倉のアイデアを得ていたという指摘に加え(75,48,59頁参照)、柳田の父は神官であるとともに儒学教師だった。
柳田の思考パターンは神道以上に儒教的である。
柳田は孝行の重要性を語っている。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
「桑原武夫が柳田国男に、こういうことを尋ねたことがあるらしい。かつて日本には内藤湖南、狩野直喜、西田幾多郎といった強靭な学者がいたと思うのですが、最近はどうも軟弱で、線が細くなったと感じるんですが、先生はどういうふうに感じられますでしょうか。すると柳田は、「それは孝行というものがなくなったからです」と答えたという。」
儒者が乱神を語るのはおかしいと思われるかもしれないが、白川静が指摘するように孔子はもともとは葬儀屋なのだ。とはいえ柳田は折口や熊楠のようには神秘体験を主張しない。ここは儒者らしい。
(タイトルなし)
柳田国男と孝
『遊動論』139頁以降における柄谷の孝への言及は、加地伸行や呉善花の指摘してきたことと
同じだ。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
「「儒」の基本は、もともと「孝」にあった。なぜ「孝」であったかといえば、血族や家族が「家」にまつわる死者を慰撫する原儒の本来からして、生前に「孝」を積んでおくことが最も
有効であると思われていたからだった。」
特に呉とは「父爲子隱、子爲父隱」(『論語』子路13-18)という引用箇所も同じだ。
「中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先する
ことは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を
正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠
し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話がある。
儒教はこのように、血縁共同体を超えた規範になるためには最初から限界を抱えていた。その
ために『孝経』がつくられて、孝と忠の調整がはかられたとも言われるが、この問題は結局は
根本的には解決されなかったように思う。」
(新 スカートの風 角川文庫 呉善花=お・そんふぁ著)
ここで指摘したいのは柄谷の儒教への言及は必然だったということだ。
柳田は朱子学から社倉のアイデアを得ていたという指摘に加え(75,48,59頁参照)、
柳田の父は神官であるとともに儒学教師だった。
柳田の思考パターンは神道以上に儒教的である。
柳田は孝行の重要性を語っている。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
「桑原武夫が柳田国男に、こういうことを尋ねたことがあるらしい。かつて日本には内藤湖
南、狩野直喜、西田幾多郎といった強靭な学者がいたと思うのですが、最近はどうも軟弱で、
線が細くなったと感じるんですが、先生はどういうふうに感じられますでしょうか。すると
柳田は、「それは孝行というものがなくなったからです」と答えたという。」
儒者が乱神を語るのはおかしいと思われるかもしれないが、白川静が指摘するように孔子はもと
もとは葬儀屋なのだ。とはいえ柳田は折口や熊楠のようには神秘体験を主張しない。ここは儒者
らしい。
柳田国男と孝
『遊動論』139頁以降における柄谷の孝への言及は、加地伸行や呉善花の指摘してきたことと
同じだ。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
「「儒」の基本は、もともと「孝」にあった。なぜ「孝」であったかといえば、血族や家族が
「家」にまつわる死者を慰撫する原儒の本来からして、生前に「孝」を積んでおくことが最も
有効であると思われていたからだった。」
特に呉とは「父爲子隱、子爲父隱」(『論語』子路13-18)という引用箇所も同じだ。
「中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先する
ことは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を
正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠
し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話がある。
儒教はこのように、血縁共同体を超えた規範になるためには最初から限界を抱えていた。その
ために『孝経』がつくられて、孝と忠の調整がはかられたとも言われるが、この問題は結局は
根本的には解決されなかったように思う。」
(新 スカートの風 角川文庫 呉善花=お・そんふぁ著)
ここで指摘したいのは柄谷の儒教への言及は必然だったということだ。
柳田は朱子学から社倉のアイデアを得ていたという指摘に加え(75,48,59頁参照)、
柳田の父は神官であるとともに儒学教師だった。
柳田の思考パターンは神道以上に儒教的である。
柳田は孝行の重要性を語っている。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
「桑原武夫が柳田国男に、こういうことを尋ねたことがあるらしい。かつて日本には内藤湖
南、狩野直喜、西田幾多郎といった強靭な学者がいたと思うのですが、最近はどうも軟弱で、
線が細くなったと感じるんですが、先生はどういうふうに感じられますでしょうか。すると
柳田は、「それは孝行というものがなくなったからです」と答えたという。」
儒者が乱神を語るのはおかしいと思われるかもしれないが、白川静が指摘するように孔子はもと
もとは葬儀屋なのだ。とはいえ柳田は折口や熊楠のようには神秘体験を主張しない。ここは儒者
柳田国男と孝
『遊動論』139頁以降における柄谷の孝への言及は、加地伸行や呉善花の指摘してきたことと
同じだ。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
「「儒」の基本は、もともと「孝」にあった。なぜ「孝」であったかといえば、血族や家族が
「家」にまつわる死者を慰撫する原儒の本来からして、生前に「孝」を積んでおくことが最も
有効であると思われていたからだった。」
特に呉とは「父爲子隱、子爲父隱」(『論語』子路13-18)という引用箇所も同じだ。
「中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先する
ことは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を
正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠
し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話がある。
儒教はこのように、血縁共同体を超えた規範になるためには最初から限界を抱えていた。その
ために『孝経』がつくられて、孝と忠の調整がはかられたとも言われるが、この問題は結局は
根本的には解決されなかったように思う。」
(新 スカートの風 角川文庫 呉善花=お・そんふぁ著)
ここで指摘したいのは柄谷の儒教への言及は必然だったということだ。
柳田は朱子学から社倉のアイデアを得ていたという指摘に加え(75,48,59頁参照)、
柳田の父は神官であるとともに儒学教師だった。
柳田の思考パターンは神道以上に儒教的である。
柳田は孝行の重要性を語っている。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
「桑原武夫が柳田国男に、こういうことを尋ねたことがあるらしい。かつて日本には内藤湖
南、狩野直喜、西田幾多郎といった強靭な学者がいたと思うのですが、最近はどうも軟弱で、
線が細くなったと感じるんですが、先生はどういうふうに感じられますでしょうか。すると
柳田は、「それは孝行というものがなくなったからです」と答えたという。」
儒者が乱神を語るのはおかしいと思われるかもしれないが、白川静が指摘するように孔子はもと
もとは葬儀屋なのだ。とはいえ柳田は折口や熊楠のようには神秘体験を主張しない。ここは儒者
柳田国男と孝
『遊動論』139頁以降における柄谷の孝への言及は、加地伸行や呉善花の指摘してきたことと
同じだ。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
「「儒」の基本は、もともと「孝」にあった。なぜ「孝」であったかといえば、血族や家族が
「家」にまつわる死者を慰撫する原儒の本来からして、生前に「孝」を積んでおくことが最も
有効であると思われていたからだった。」
特に呉とは「父爲子隱、子爲父隱」(『論語』子路13-18)という引用箇所も同じだ。
「中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先する
ことは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を
正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠
し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話がある。
儒教はこのように、血縁共同体を超えた規範になるためには最初から限界を抱えていた。その
ために『孝経』がつくられて、孝と忠の調整がはかられたとも言われるが、この問題は結局は
根本的には解決されなかったように思う。」
(新 スカートの風 角川文庫 呉善花=お・そんふぁ著)
ここで指摘したいのは柄谷の儒教への言及は必然だったということだ。
柳田は朱子学から社倉のアイデアを得ていたという指摘に加え(75,48,59頁参照)、
柳田の父は神官であるとともに儒学教師だった。
柳田の思考パターンは神道以上に儒教的である。
柳田は孝行の重要性を語っている。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
「桑原武夫が柳田国男に、こういうことを尋ねたことがあるらしい。かつて日本には内藤湖
南、狩野直喜、西田幾多郎といった強靭な学者がいたと思うのですが、最近はどうも軟弱で、
線が細くなったと感じるんですが、先生はどういうふうに感じられますでしょうか。すると
柳田は、「それは孝行というものがなくなったからです」と答えたという。」
儒者が乱神を語るのはおかしいと思われるかもしれないが、白川静が指摘するように孔子はもと
もとは葬儀屋なのだ。とはいえ柳田は折口や熊楠のようには神秘体験を主張しない。ここは儒者
らしい。
柳田国男と孝
『遊動論』139頁以降における柄谷の孝への言及は、加地伸行や呉善花の指摘してきたことと
同じだ。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
<「儒」の基本は、もともと「孝」にあった。なぜ「孝」であったかといえば、血族や家族が
「家」にまつわる死者を慰撫する原儒の本来からして、生前に「孝」を積んでおくことが最も
有効であると思われていたからだった。>
特に呉とは「父爲子隱、子爲父隱」(『論語』子路13-18)という引用箇所も同じだ。
<中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先する
ことは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を
正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠
し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話がある。
儒教はこのように、血縁共同体を超えた規範になるためには最初から限界を抱えていた。その
ために『孝経』がつくられて、孝と忠の調整がはかられたとも言われるが、この問題は結局は
根本的には解決されなかったように思う。>
(新 スカートの風 角川文庫 呉善花=お・そんふぁ著)
ここで指摘したいのは柄谷の儒教への言及は必然だったということだ。
柳田は朱子学から社倉のアイデアを得ていたという指摘に加え(75,48,59頁参照)、
柳田の父は神官であるとともに儒学教師だった。
柳田の思考パターンは神道以上に儒教的である。
柳田は孝行の重要性を語っている。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
<桑原武夫が柳田国男に、こういうことを尋ねたことがあるらしい。かつて日本には内藤湖
南、狩野直喜、西田幾多郎といった強靭な学者がいたと思うのですが、最近はどうも軟弱で、
線が細くなったと感じるんですが、先生はどういうふうに感じられますでしょうか。すると
柳田は、「それは孝行というものがなくなったからです」と答えたという。>
儒者が乱神を語るのはおかしいと思われるかもしれないが、白川静が指摘するように孔子はもと
もとは葬儀屋なのだ。とはいえ柳田は折口や熊楠のようには神秘体験を主張しない。ここは儒者
らしい。
柳田国男と孝
『遊動論』139頁以降における柄谷の孝への言及は、加地伸行や呉善花の指摘してきたことと
同じだ。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
<「儒」の基本は、もともと「孝」にあった。なぜ「孝」であったかといえば、血族や家族が
「家」にまつわる死者を慰撫する原儒の本来からして、生前に「孝」を積んでおくことが最も
有効であると思われていたからだった。>
特に呉とは「父爲子隱、子爲父隱」(『論語』子路13-18)という引用箇所も同じだ。
<中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先する
ことは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を
正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠
し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話がある。
儒教はこのように、血縁共同体を超えた規範になるためには最初から限界を抱えていた。その
ために『孝経』がつくられて、孝と忠の調整がはかられたとも言われるが、この問題は結局は
根本的には解決されなかったように思う。>
(新 スカートの風 角川文庫 呉善花=お・そんふぁ著)
ここで指摘したいのは柄谷の儒教への言及は必然だったということだ。
柳田は朱子学から社倉のアイデアを得ていたという指摘に加え(75,48,59頁参照)、
柳田の父は神官である以前に儒者だった。
柳田の思考パターンは神道以上に儒教的である。
柳田は孝行の重要性を語っている。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
<桑原武夫が柳田国男に、こういうことを尋ねたことがあるらしい。かつて日本には内藤湖
南、狩野直喜、西田幾多郎といった強靭な学者がいたと思うのですが、最近はどうも軟弱で、
線が細くなったと感じるんですが、先生はどういうふうに感じられますでしょうか。すると
柳田は、「それは孝行というものがなくなったからです」と答えたという。>
儒者が乱神を語るのはおかしいと思われるかもしれないが、白川静が指摘するように孔子はもと
もとは葬儀屋なのだ。とはいえ柳田は折口や熊楠のようには神秘体験を主張しない。ここは儒者
らしい。
柳田国男と孝
『遊動論』139頁以降における柄谷の孝への言及は、加地伸行や呉善花の指摘してきたことと
同じだ。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
<「儒」の基本は、もともと「孝」にあった。なぜ「孝」であったかといえば、血族や家族が
「家」にまつわる死者を慰撫する原儒の本来からして、生前に「孝」を積んでおくことが最も
有効であると思われていたからだった。>
特に呉とは「父爲子隱、子爲父隱」(『論語』子路13-18)という引用箇所も同じだ。
<中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先する
ことは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を
正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠
し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話がある。
儒教はこのように、血縁共同体を超えた規範になるためには最初から限界を抱えていた。その
ために『孝経』がつくられて、孝と忠の調整がはかられたとも言われるが、この問題は結局は
根本的には解決されなかったように思う。>
http://www.amazon.co.jp/dp/B00E60ARNA/
(新 スカートの風 角川文庫 呉善花=お・そんふぁ著)
ここで指摘したいのは柄谷の儒教への言及は必然だったということだ。
柳田は朱子学から社倉のアイデアを得ていたという指摘に加え(75,48,59頁参照)、
柳田の父は神官である以前に儒者だった。
柳田の思考パターンは神道以上に儒教的である。
柳田は孝行の重要性を語っている。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
<桑原武夫が柳田国男に、こういうことを尋ねたことがあるらしい。かつて日本には内藤湖
南、狩野直喜、西田幾多郎といった強靭な学者がいたと思うのですが、最近はどうも軟弱で、
線が細くなったと感じるんですが、先生はどういうふうに感じられますでしょうか。すると
柳田は、「それは孝行というものがなくなったからです」と答えたという。>
儒者が乱神を語るのはおかしいと思われるかもしれないが、白川静が指摘するように孔子はもと
もとは葬儀屋なのだ。とはいえ柳田は折口や熊楠のようには神秘体験を主張しない。ここは儒者
らしい。
宣長の漢意批判は、別のレベルで柳田に受け継がれた
柳田にとっては神道、儒教、仏教、西欧文化はすべて補完関係にある
129~130で柄谷が指摘したように、神道自体、仏教、儒教によって体系化された
よって柳田の体系も儒教を超えていない
構造主義ではなく構図主義にとどまる
蝸牛考も構図主義だ
そもそも『遊動論』129~130頁で柄谷が指摘したように、神道自体が仏教や儒教を模倣することによって体系化された。
だから柳田に矛盾はない。
柳田は宣長の漢意批判を、別のレベルで柳田に受け継いだ。
柳田にとっては神道、儒教、仏教、西欧文化はすべて補完関係にある。
そもそも『遊動論』129~130頁で柄谷が指摘したように、神道自体が仏教や儒教を模倣することに
よって体系化された。
だから柳田に矛盾はない。
宣長の漢意批判を、柳田は別のレベルで受け継いだ。
柳田にとっては神道、儒教、仏教、西欧文化はすべて補完関係にある。
そもそも『遊動論』129~130頁で柄谷が指摘したように、神道自体が仏教や儒教を模倣することに
よって体系化された。
だから柳田に矛盾はない。
宣長の漢意批判は、別のレベルで柳田に受け継がれている。
柳田にとっては神道、儒教、仏教、西欧文化はすべて補完関係にある。
そもそも『遊動論』129~130頁で柄谷が指摘したように、神道自体が仏教や儒教を模倣することに
よって体系化された。
だから柳田に矛盾はない。
宣長の漢意批判は、別のレベルで柳田に受け継がれている。
柳田にとっては神道、儒教、仏教、西欧文化はすべて補完関係にある。
ただし、必然的に柳田の体系も儒教を超えていない。
構造主義ではなく構図主義にとどまる。
蝸牛考も構図主義だ。
<神道学者らがいう日本固有の「神道」は、実は、仏教や道教・儒教から得た理論を用いて体系化したものにすぎなない。>
『遊動論』129~130頁
<神道学者らがいう日本固有の「神道」は、実は、仏教や道教・儒教から得た理論を用いて体系化した
ものにすぎなない。>
(『遊動論』129~130頁)
そもそも『遊動論』で柄谷が指摘したように、神道自体が仏教や儒教を模倣することによって体系
化された。
だから柳田に矛盾はない。
宣長の漢意批判は、別のレベルで柳田に受け継がれている。
柳田にとっては神道、儒教、仏教、西欧文化はすべて補完関係にある。
ただし、必然的に柳田の体系も儒教を超えていない。
構造主義ではなく構図主義にとどまる。
蝸牛考も構図主義だ。
<神道学者らがいう日本固有の「神道」は、実は、仏教や道教・儒教から得た理論を用いて体系化した
ものにすぎない。>
(『遊動論』129~130頁)
そもそも『遊動論』で柄谷が指摘したように、神道自体が仏教や儒教を模倣することによって体系化さ
れた。
だから柳田に矛盾はない。
宣長の漢意批判は、別のレベルで柳田に受け継がれている。
柳田にとっては神道、儒教、仏教、西欧文化はすべて補完関係にある。
ただし、必然的に柳田の体系も儒教を超えていない。
構造主義ではなく構図主義にとどまる。
蝸牛考も構図主義だ。
安堵は頼朝の国家デザインのキーワード
主要参考文献(著者五十音順)
赤坂憲雄『一国民俗学を越えて』五柳書院、二〇〇一年 (106)
赤坂憲雄『東北学/忘れられた東北』講談社学術文庫、二〇〇九年(94)
赤松啓介『夜這いの民俗学』明石書店、一九九四年 (44)
網野善彦「中世における天皇支配権の一考察」(「史学雑記」一九七二年八月号所収、山川出版社)(36)
網野善彦『東と西の語る日本の歴史』講談社学術文庫、一九九八年(149)
網野善彦『蒙古襲来』小学館文庫、二〇〇〇年(37)
網野善彦『「日本」とは何か』講談社、二〇〇〇年(150)
字沢弘文『社会的共通資本』岩波新書、二〇〇〇年(65~7)
内堀基光・山下晋司『死の人類学』講談社学術文庫、二〇〇六年(144~5)
ショーン・エリス、ペニー・ジューノ著、小牟田康彦訳『狼の群れと暮らした男』築地書館、二〇〇ー二年(118,126)
大塚英志『公民の民俗学』作品社、二〇〇七年(102~3,104)
大塚英志『怪談前夜』角川選書、二〇〇七年(46)
岡村民夫『柳田国男のスイス』森話社、二〇一三年(101)
小熊英二『単一氏族神話の起源』新曜社、一九九五年(40,44)
折ロ信夫著、安藤礼二編『折口信夫天皇論集』講談社文芸文庫、二〇一一年(158,159,160,164,165)
折口信夫『折口信夫対話集』講談社交芸文車、二〇一三年(170)
川田順造「最初期の柳田を讃える」(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(43,100~1)
菊地章太『妖怪学の祖 井上圓了』角川選書、二〇一三年(74)
ジェームズ・C・スコット、佐藤仁監訳『ゾミア』みすず書房、二〇一三年(76,190)
メルフォード・E・スパイロ著、井上兼行訳『母系社会のエディプス』紀伊国屋書店、一九九〇年(142)
高群逸枝『招婿婚の研究』(『高群逸枝全集2』『高群逸枝全集3』所収、理論社、一九六六年(146~7)
坪井洋文『イモと日本人』未来社、一九七九年(34)
坪井洋文『稲を選んだ日本人』未来社、一九八二年(34)
中根千枝『タテ社会の人間関係』講談社現代新書、一九六七年(155)
中野重治『五勺の酒・萩のもんかきや』講談社文芸文庫、一九九二年(18,42~3)
中村哲『柳田国男の思想』法政大学出版局、一九八五年(23)
並松信久「柳田国男の農政学の展開」(「京都産業大学論集 社会科学系列」所収、二〇一〇年)(69)
ハインリヒ・ハイネ著、小沢俊夫訳『流刑の神々・精霊物語』岩波文庫、一九八〇年(76,77,83)
橋川文三『柳田国男論集成』作品社、二〇〇二年(12,13,173)
花田清輝「柳田国男について」(松川哲夫編『花田浦輝評論集』所収、岩波文庫、一九九三年)(19)
原洋之介『アジアの「農」日本の「農」』書籍工房早山、二〇一三年(174)
平岩米吉『狼―その生態と歴史』築地書館、一九九二年(167)
マイヤー・フォーテス著、田中真砂子編訳『祖先崇拝の論理』ぺりかん社、一九八〇年(138~141)
マルク・ブロック著、井上泰男・渡邊昌美訳『王の奇跡』刀水書房、一九九八年 (109)
松崎憲三「二つのモノの狭間で(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(72)
三浦佑之『オオカミはいかに論じられたか』(「現代思想」二〇一二年年十月臨時増刊号所収、青土社)(125)
宮崎学『「自己啓発病」社会』祥伝社新書、二〇一二年(75)
宮本常一『庶民の発見』講談社学術文庫、一九八七年(149)
村井紀『南島イデオロギーの発生』福武書店、一九九二年(26,87)
村井紀『反折口信夫論』作品社、二〇〇四年(176)
村上信彦・『高群逸枝と柳田国男』大和書房、一九七七年(147)
本居宣長著、村岡典嗣校訂『王勝間』上・下、岩波文庫、一九八七年(130)
柳田国男・田山花袋編校訂『近世奇談全集』、博文館、一九〇三年(50~1)
柳田國男・中野重治「文学・学問・政治」(対談)(「展望」一九四七年一月号所収、のちに筑摩書房、宮国登編『柳田國男対談集』に収録、ちくま学芸文庫、一九九二年)(16)
柳田國男『定本柳田國男集』筑摩書房、一九六二年〜七一年
柳田國男『柳田國男全集』筑摩書房、一九九七年〜
柳田國男『柳田國男全集』ちくま文庫、一九八九年〜九一年
柳田国男・南方熊楠『柳田国男・南方熊楠往復書簡集』平凡社ライブラリー、一九九四年(107~8)
吉田孝『律令国家と古代の社会』岩波書店、一九九三年(148,152)
吉本隆明『共同幻想論』角川文庫、一九八二年(31,32)
吉本隆明『マス・イメージ論』福武書店、一九八四年(33)
古本隆明『超資本主義』徳間書店、一九九五年(43)
主要参考文献(著者五十音順)
赤坂憲雄『一国民俗学を越えて』五柳書院、二〇〇一年 (106)
赤坂憲雄『東北学/忘れられた東北』講談社学術文庫、二〇〇九年(94)
赤松啓介『夜這いの民俗学』明石書店、一九九四年 (44)
網野善彦「中世における天皇支配権の一考察」(「史学雑記」一九七二年八月号所収、山川出版社)(36)
網野善彦『東と西の語る日本の歴史』講談社学術文庫、一九九八年(149)
網野善彦『蒙古襲来』小学館文庫、二〇〇〇年(37)
網野善彦『「日本」とは何か』講談社、二〇〇〇年(150)
字沢弘文『社会的共通資本』岩波新書、二〇〇〇年(65~7)
内堀基光・山下晋司『死の人類学』講談社学術文庫、二〇〇六年(144~5)
ショーン・エリス、ペニー・ジューノ著、小牟田康彦訳『狼の群れと暮らした男』築地書館、二〇〇ー二年(118,126)
大塚英志『公民の民俗学』作品社、二〇〇七年(102~3,104)
大塚英志『怪談前夜』角川選書、二〇〇七年(46)
岡村民夫『柳田国男のスイス』森話社、二〇一三年(101)
小熊英二『単一氏族神話の起源』新曜社、一九九五年(40,44)
折ロ信夫著、安藤礼二編『折口信夫天皇論集』講談社文芸文庫、二〇一一年(158,159,160,164,165)
折口信夫『折口信夫対話集』講談社交芸文車、二〇一三年(170)
川田順造「最初期の柳田を讃える」(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(43,100~1)
菊地章太『妖怪学の祖 井上圓了』角川選書、二〇一三年(74)
ジェームズ・C・スコット、佐藤仁監訳『ゾミア』みすず書房、二〇一三年(76,190)
メルフォード・E・スパイロ著、井上兼行訳『母系社会のエディプス』紀伊国屋書店、一九九〇年(142)
高群逸枝『招婿婚の研究』(『高群逸枝全集2』『高群逸枝全集3』所収、理論社、一九六六年(146~7)
坪井洋文『イモと日本人』未来社、一九七九年(34)
坪井洋文『稲を選んだ日本人』未来社、一九八二年(34)
中根千枝『タテ社会の人間関係』講談社現代新書、一九六七年(155)
中野重治『五勺の酒・萩のもんかきや』講談社文芸文庫、一九九二年(18,42~3)
中村哲『柳田国男の思想』法政大学出版局、一九八五年(23)
並松信久「柳田国男の農政学の展開」(「京都産業大学論集 社会科学系列」所収、二〇一〇年)(69)
ハインリヒ・ハイネ著、小沢俊夫訳『流刑の神々・精霊物語』岩波文庫、一九八〇年(76,77,83)
橋川文三『柳田国男論集成』作品社、二〇〇二年(12,13,173)
花田清輝「柳田国男について」(松川哲夫編『花田浦輝評論集』所収、岩波文庫、一九九三年)(19)
原洋之介『アジアの「農」日本の「農」』書籍工房早山、二〇一三年(174)
平岩米吉『狼―その生態と歴史』築地書館、一九九二年(167)
マイヤー・フォーテス著、田中真砂子編訳『祖先崇拝の論理』ぺりかん社、一九八〇年(138~141)
マルク・ブロック著、井上泰男・渡邊昌美訳『王の奇跡』刀水書房、一九九八年 (109)
松崎憲三「二つのモノの狭間で(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(72)
三浦佑之『オオカミはいかに論じられたか』(「現代思想」二〇一二年年十月臨時増刊号所収、青土社)(125)
宮崎学『「自己啓発病」社会』祥伝社新書、二〇一二年(75)
宮本常一『庶民の発見』講談社学術文庫、一九八七年(149)
村井紀『南島イデオロギーの発生』福武書店、一九九二年(26,87)
村井紀『反折口信夫論』作品社、二〇〇四年(176)
村上信彦・『高群逸枝と柳田国男』大和書房、一九七七年(147)
本居宣長著、村岡典嗣校訂『王勝間』上・下、岩波文庫、一九八七年(130)
柳田国男・田山花袋編校訂『近世奇談全集』、博文館、一九〇三年(50~1)
柳田國男・中野重治「文学・学問・政治」(対談)(「展望」一九四七年一月号所収、のちに筑摩書房、宮国登編『柳田國男対談集』に収録、ちくま学芸文庫、一九九二年)(16)
柳田國男『定本柳田國男集』筑摩書房、一九六二年〜七一年
柳田國男『柳田國男全集』筑摩書房、一九九七年〜
柳田國男『柳田國男全集』ちくま文庫、一九八九年〜九一年
柳田国男・南方熊楠『柳田国男・南方熊楠往復書簡集』平凡社ライブラリー、一九九四年(107~8)
吉田孝『律令国家と古代の社会』岩波書店、一九九三年(148@(132)@(133),152@(182))
吉本隆明『共同幻想論』角川文庫、一九八二年(31,32)
吉本隆明『マス・イメージ論』福武書店、一九八四年(33)
古本隆明『超資本主義』徳間書店、一九九五年(43)
「固有信仰は民俗学によってしか接近できない。と同時に、それは民俗学では接近できない」
(『遊動論』133頁)
『柳田国男論集成』吉本 隆明著
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4796600329/
旧柳田国男論(16頁)で柄谷が引用している「無方法の方法」所収。
吉本が考察していて柄谷が無視している山人の属性に製鉄民としてのそれがある。(前掲書283頁参照)。
支配者と被支配者というよりも、支配者側に二種類あった。
出雲神話などはそれを伝える。
農民と製鉄民との関係は農業と工業の関係に近い。
今現在は工業が強いが、長年歴史的には逆だった。
柄谷の指摘では、先住民としての山人と後からきた『山の人生』などに描かれた山民が区別される。椎葉村村民も実は後者だが、前者への研究を促したとされる。
(『遊動論』194,70頁参照)
農民と交易のあった鍛治職人などを含む山民は「遊牧民」的な存在に区分されるのだろう。
2014年12月10日、学校法人城西大学(水田宗子理事長)東京紀尾井町キャンパスのホールで、哲学者・評論家の柄谷行人氏による講演会「山人(やまびと)と山姥(やまんば)」が開かれました。来年の創立50周年を記念したもので、多文化共生センターが主催し城西国際大学のジェンダー・女性学研究所が共催しました。
柄谷氏は文芸批評から出発しながらも、マルクスやカントなどを論じ、その枠に収まらない根源的思考を展開されてきました。今年1月、「山人」を捨て「常民」に向かったとされる柳田国男を考察した『遊動論 柳田国男と山人』(文春新書)を上梓されました。柄谷氏が講演されるのはまれですが、かねてから表現やジェンダーなどをテーマにした対談などで親交のある水田理事長が柄谷氏に依頼して講演会が実現しました。
柄谷氏は世阿弥の『山姥』や馬場あき子氏の『鬼の研究』(ちくま文庫)などを引きながら、「山人は山地民や平地民とは違い、定住に関心がない。柳田によると、いわば天狗のような表徴としての存在。また、山姥も野の女や里の女と異なり、やはり山人であるということを水田さんの論文から学んだ」「山姥は性差への反発もない、ジェンダーを超えた存在」などと話されました。ホールは教職員や学生、一般の方々らでほぼ満席となり、柄谷氏の興味深い論考に熱心に耳を傾けていました。
講演会後は柄谷氏を囲んでレセプションが開かれ、和やかなひとときを過ごしました。柄谷氏と親しい、詩人で城西国際大学客員教授の吉増剛造氏は乾杯の挨拶で「今日の講演は革命的に面白く、果てしなく聴いていたい内容だった。城西大学でこんな素晴らしい人のこんな良い話が聴けることは嬉しいことです」と述べました。
なお、柄谷氏と水田理事長らによる共同討議「日本文化とジェンダー〈家父長制とその批判〉から始めて」は『家父長制とジェンダー』(水田宗子編・学校法人城西大学出版会、2014年2月刊)に収録されています。
講演する柄谷氏
http://www.josai.jp/news/2014/20141210.html
http://www.kinokuniya.co.jp/c/label/20141204162950.html
《第254回新宿セミナー@Kinokuniya》『現代思想』2015年1月臨時増刊号「総特集 柄谷行人の思想」(青土社)刊行記念 柄谷行人 講演会 批評と移動----トランスクリティーク (2015年1月9日)
柄谷行人の思想の特徴は、思考がたえず「移動」を伴いながら深化していくところにある。 変化を続ける状況のなかで、『トランスクリティーク』で提起した「交換様式」の問題をいまもなお発展させつづけ、同時にそこから社会運動の実践にも向き合いつづける。『現代思想』(総特集 柄谷行人の思想)の刊行を契機とした本講演では、『トランスクリティーク』以降強く意識するようになったという自身の「移動」を振り返ります。
柄谷行人(からたに・こうじん)
1941年、兵庫県生まれ。著書に『定本 柄谷行人集』『世界史の構造』『哲学の起源』『遊動論――柳田国男と山人』など多数。
日 時|2015年1月9日(金)19:00開演(18:30開場)
会 場|紀伊國屋ホール(紀伊國屋書店新宿本店4階)
料 金|1,500円(全席指定・税込)
前売取扱|キノチケットカウンター(紀伊國屋書店新宿本店5階10:00~18:30)
電話予約|紀伊國屋ホール 03-3354-0141(受付時間10:00~18:30)
《12月5日(金)より、チケット発売・電話予約受付開始》
※10歳未満のお子様はご入場いただけません。
主 催|紀伊國屋書店
共 催|青土社
※イベントの日時・時間については急な変更等ある場合がございます。詳細は各店にお問い合わせください。
※定員になり次第、チケットの発行を終了させていただきます。尚、当サイトでのチケット完売のご案内は遅れる場合があります。チケットの残数については上記へお問い合わせください。
書籍情報 12月19日発売予定
書名:『現代思想』2015年1月臨時増刊号「総特集 柄谷行人の思想」
価格:1300円(税込)
出版社:青土社
2014.12.04 イベントに行こう 人文 あの人が来る!!
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山姥
http://www.syuneikai.net/yamanba.htm
演目の紹介 →「演目の一覧」に戻る
山姥(やまんば)
【分類】五番目物 (切能)
【作者】世阿弥
【主人公】前シテ:山の女、後シテ:山姥
【あらすじ】(仕舞の部分は下線部です。)
京都に、山姥の山巡りの曲舞を得意としたので、百万山姥と仇名されていた遊女がありました。彼女は、善光寺参詣を思い立ち、従者をつれて旅に出ます。途中、越中国(富山県)・越後国(新潟県)の国境の境川まで来ます。従者は里の男を呼び出し、善光寺への道を尋ねると、男は三つの道があるが、そのうち最も険難ではあるが、阿弥陀如来が通られたという上路越をすすめ、自分が道案内をしようと言います。遊女も乗り物を捨て、徒歩で後について行きます。しばらく進むと、にわかにあたりが暗くなり、一行は当惑します。すると、一人の女が現れ、宿を貸そうといい、自分の庵へと案内します。そしてその女は、山姥の歌を聞かせてほしいと頼みます。遊女の事や山姥の曲舞の事をよく知っているので、一行の者が不思議に思って、名を尋ねると、自分こそ山姥であると明かし、夜更けてから歌ってくれたら、もう一度姿を現して、歌に合わせて舞おうと告げて消え失せます。
<中入>
里の男は、従者に問われるまま、山姥の素性について、いろいろ物語ります。やがて夜も更けたので、遊女が笛を吹いて待ち受けると、山姥が怪異な姿で現われます。山姥に促されて、遊女は恐れながら謡い始めると山姥もそれに合わせて舞います。そして深山の光景、山姥の境涯を物語り、さらに春秋冬に、花月雪をたずねて山巡りする様を見せた後、いずくともなく去っていきます。
【詞章】(仕舞の部分の抜粋です。)
暇申して帰る山の。春は梢に咲くかと待ちし。花を尋ねて山めぐり。秋はさやけき影を尋ねて。月見る方にと山めぐり。冬は冴えゆく時雨の雲の。雪をさそいて山めぐり。めぐりめぐりて輪廻を離れぬ妄執の雲の。塵積もって。山姥となれる。鬼女が有様見るや見るやと。峰にかけり。谷に響きて今までここに。あるよと見えしが山また山に。山めぐり。山また山に.山めぐりして.行方も知らず.なりにけり。
[ ホーム ] [ 能のミニ知識 ] [ 能の演目の紹介 ]
kenchi525さん 2012/04/16 00:45:53編集あり
鬼と天狗はどちらも中国伝来の妖怪です。
本来、中国の「鬼」という漢字は、日本語での「死霊」「霊魂」を意味していたそうです。日本へ入ってきたばかりの頃には「亡霊」に近い姿でしたが、時代が進むに連れ、「悪いもの」「強いもの」「怖いもの」の象徴として現代のツノや牙が生えている姿に形作られてきました。現在、各地に伝わる鬼の性質は、たいてい「恐ろしいもの」「悪いもの」なのですが、民衆に語り継がれるうち、「愉快なもの」「神様のようなもの」までいるようになりました。
それに対して中国の「天狗」は、当初「山猫」や「キツネ」のようだったといいます。「日本書紀」の中で、ものすごい音をたてて空から落ちてくるもの(流星)を、唐から帰った僧が「流星にあらず、これ天狗アマキツネなり」と呼んだという記載があります。このように流星のように空を飛んだり、どこからか突然現れたり、何か異界の霊人を感じさせるところが「鬼」と違うところです。やがて日本へ渡ってきてもこの性質を受け継ぎ、修験道、仏教と結びつき今の姿となりました。たいていは「鬼」のように悪の権化のように扱われるものは少なく、山の神様、守護神として信仰されるものがほとんどです。
オーロビンド『評伝オーロビンド』(171,172@(110),176@(63),176@(110))
ヒース、ピーター
主要参考文献(著者五十音順)
赤坂憲雄『一国民俗学を越えて』五柳書院、二〇〇一年 (106)
赤坂憲雄『東北学/忘れられた東北』講談社学術文庫、二〇〇九年(94)
赤松啓介『夜這いの民俗学』明石書店、一九九四年 (44)
網野善彦「中世における天皇支配権の一考察」(「史学雑記」一九七二年八月号所収、山川出版社)(36)
網野善彦『東と西の語る日本の歴史』講談社学術文庫、一九九八年(149)
網野善彦『蒙古襲来』小学館文庫、二〇〇〇年(37)
網野善彦『「日本」とは何か』講談社、二〇〇〇年(150)
井上圓了「妖怪学」?(52?,74?)
字沢弘文『社会的共通資本』岩波新書、二〇〇〇年(65~7)
内堀基光・山下晋司『死の人類学』講談社学術文庫、二〇〇六年(144~5)
ショーン・エリス、ペニー・ジューノ著、小牟田康彦訳『狼の群れと暮らした男』築地書館、二〇〇ー二年(118,126)
大塚英志『公民の民俗学』作品社、二〇〇七年(102~3,104)
大塚英志『怪談前夜』角川選書、二〇〇七年(46)
岡村民夫『柳田国男のスイス』森話社、二〇一三年(101)
小熊英二『単一氏族神話の起源』新曜社、一九九五年(40,44)
折ロ信夫著、安藤礼二編『折口信夫天皇論集』講談社文芸文庫、二〇一一年(158,159,160,164,165)
折口信夫『折口信夫対話集』講談社交芸文車、二〇一三年(170)
川田順造「最初期の柳田を讃える」(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(43,100~1)
菊地章太『妖怪学の祖 井上圓了』角川選書、二〇一三年(74)
ジェームズ・C・スコット、佐藤仁監訳『ゾミア』みすず書房、二〇一三年(76,190)
メルフォード・E・スパイロ著、井上兼行訳『母系社会のエディプス』紀伊国屋書店、一九九〇年(142)
高群逸枝『招婿婚の研究』(『高群逸枝全集2』『高群逸枝全集3』所収、理論社、一九六六年(146~7)
坪井洋文『イモと日本人』未来社、一九七九年(34)
坪井洋文『稲を選んだ日本人』未来社、一九八二年(34)
中根千枝『タテ社会の人間関係』講談社現代新書、一九六七年(155)
中野重治『五勺の酒・萩のもんかきや』講談社文芸文庫、一九九二年(18,42~3)
中村哲『柳田国男の思想』法政大学出版局、一九八五年(23)
並松信久「柳田国男の農政学の展開」(「京都産業大学論集 社会科学系列」所収、二〇一〇年)(69)
ハインリヒ・ハイネ著、小沢俊夫訳『流刑の神々・精霊物語』岩波文庫、一九八〇年(76,77,83)
橋川文三『柳田国男論集成』作品社、二〇〇二年(12,13,173)
花田清輝「柳田国男について」(松川哲夫編『花田浦輝評論集』所収、岩波文庫、一九九三年)(19)
原洋之介『アジアの「農」日本の「農」』書籍工房早山、二〇一三年(174)
平岩米吉『狼―その生態と歴史』築地書館、一九九二年(167)
マイヤー・フォーテス著、田中真砂子編訳『祖先崇拝の論理』ぺりかん社、一九八〇年(138~141)
マルク・ブロック著、井上泰男・渡邊昌美訳『王の奇跡』刀水書房、一九九八年 (109)
松崎憲三「二つのモノの狭間で(「現代思想」二〇一二年十月臨時増刊号所収、青土社)(72)
三浦佑之『オオカミはいかに論じられたか』(「現代思想」二〇一二年年十月臨時増刊号所収、青土社)(125)
宮崎学『「自己啓発病」社会』祥伝社新書、二〇一二年(75)
宮本常一『庶民の発見』講談社学術文庫、一九八七年(149)
村井紀『南島イデオロギーの発生』福武書店、一九九二年(26,87)
村井紀『反折口信夫論』作品社、二〇〇四年(176)
村上信彦・『高群逸枝と柳田国男』大和書房、一九七七年(147)
本居宣長著、村岡典嗣校訂『王勝間』上・下、岩波文庫、一九八七年(130)
柳田国男・田山花袋編校訂『近世奇談全集』、博文館、一九〇三年(50~1)
柳田國男・中野重治「文学・学問・政治」(対談)(「展望」一九四七年一月号所収、のちに筑摩書房、宮国登編『柳田國男対談集』に収録、ちくま学芸文庫、一九九二年)(16)
柳田國男『定本柳田國男集』筑摩書房、一九六二年〜七一年
柳田國男『柳田國男全集』筑摩書房、一九九七年〜
柳田國男『柳田國男全集』ちくま文庫、一九八九年〜九一年
柳田国男・南方熊楠『柳田国男・南方熊楠往復書簡集』平凡社ライブラリー、一九九四年(107~8)
吉田孝『律令国家と古代の社会』岩波書店、一九九三年(148,152)
吉本隆明『共同幻想論』角川文庫、一九八二年(31,32)
吉本隆明『マス・イメージ論』福武書店、一九八四年(33)
古本隆明『超資本主義』徳間書店、一九九五年(43)
139
儒教の場合、孝は、家父長制にもとづくものであるが、孔子はそれを互酬的な
ものとして見ていた。孝は子にだけ課される義務ではなく、父もその義務を負
う。たとえば、「(犯罪を)父は子の為に隠し、子は父のために隠す」(『論語』13-16(>>))
と孔子はいう。
儒教では「孝」が重視され、「忠」よりも上に置かれる。しかし、日本では、
孝と忠が争えば、文句なしに忠が優位に置かれる。それは必ずしも孝を否定す
ることではない。忠はある意味で、オヤ(親分)への孝だからだ。儒教では、親に
対する孝は、公権力に抵抗する原理ともなりうる。だが、日本の儒教では、孝
は、公権力(オヤ)への服従を正当化することにしかならない。この意味で、日本
に本来の儒教が根づくことはなかった。
(柄谷行人『遊動論』文春新書139頁,156頁)
定住以前の狩猟採集社会には、共同寄託はあるが互酬的交換はなかったと考えるべきである。
原武史「〈女帝〉の日本史」
なお、原始的な段階で母系制がまずあり、それが父系制に移行したという吉本隆明の説は、
哲学者の柄谷行人によっても否定されています。柄谷によれば、どちらでもない状態が最初
にあり、次に単系(母系ないし父系)または双系というかたちをとったのであり、中国や朝鮮は
父系制、日本は父系と母系が混在する双系制になりました。そして次に、それらがそれぞれ家
父長制へと移行したのです(『〈戦前〉の思考』および『遊動論』)。
梅原猛によればアイヌは家が物理的に小さいから長子から順に家を出て
結果、残った末子が家を継ぐことになるという(『日本の原像』)。
家が小さい場合はアイヌ以外でも同じ。
末子が男か女か?が重要
双系制に必然的になる
母権
《 柳田の仕事はその出発点から農政と切り離せないものであった。さらに、民俗学とい
っても、それは根本的に史学であった。それはいわば、「経済的下部構造」と密接したもの
であった。しかし、この時期から、柳田の仕事は、そのような面を還元した「民俗学」ない
し「文学」として読まれるようになった。そのように柳田を読む態度を代表したのが、吉本
隆明の『共同幻想論』(一九六八年)である。
…
吉本隆明は、家族、共同体、国家におよぶ幻想領域を考察するにあたって、柳田の『野
野物語』を素材にした。六〇年代に、柳田国男が新左翼の間で有名になったのは、このた
めである。しかし、『遠野物語』は、吉本がなそうとした人類史的な考察の材料としてふさ
わしくなかった。たとえば、近親相姦の禁止をふくむ人類社会の遠い過去に関して、『遠野
物語』を素材とすることはできない。遠野の民間伝承はそんな太古のものではない。柳田自
身、民俗学で遡行できる過去はせいぜい一四、五世紀までだ、といっている。したがって、
それにもとづいて先史的社会を考えることは、近世以後の家族体験を太古に投射することに
しかならない。
『共同幻想論』のおかげで柳田国男は広く読まれるようになったが、それはまた柳田に関
するそれまでの見方を強化することになった。民俗学者は一般に、柳田は初期に山人を実在
として扱っていたが、以後、心的な対象として見るようになった、と考えてきた。『遠野物
語』にあらわれる世界を農民や猟師らの〝共同幻想〟とみなす吉本隆明の書は、そのような
見方を強化したのである。しかし、柳田にとって、山人はあくまで実在であった。》
《 一九世紀半ば、バッハオーフェンやモルガン以来、人類社会が本来母系的・母権的であ
ったという考えが支配的になった。それは家父長制に対する批判として歓迎されたが、この
見方は、人類学的調査が進むとともに、疑われるようになった。第一に、母系と母権を区別
しなければならない。母系制社会に必ず母権制があるわけではない。そこでは、むしろ男が
政治経済的実権をもつ場合が多いのだ。だから、母系制においても父と子の葛藤が存在する
のである。第二に、母系制が人類にとって最初の形態であるとはいえない。テクノロジーの
面で見て最も未開であると見える社会でも、母系と父系とがあり、さらに、そのどちらでも
ないものが多い。特に、遊動的な狩猟採集民のバンド社会では、出自(リネージ)による組
織化がない。》
『遊動論』より
《 柳田の仕事はその出発点から農政と切り離せないものであった。さらに、民俗学とい
っても、それは根本的に史学であった。それはいわば、「経済的下部構造」と密接したもの
であった。しかし、この時期から、柳田の仕事は、そのような面を還元した「民俗学」ない
し「文学」として読まれるようになった。そのように柳田を読む態度を代表したのが、吉本
隆明の『共同幻想論』(一九六八年)である。
もともと、戦後のマルクス主義者はファシズムに敗れた反省から、観念的上部構造を重視
するようになった。ドイツでは、ナチズムに負けた経験から、フランクフルト学派はフロイ
トを導入した。戦後日本でも、〝天皇制ファシズム〟の問題を解くために、政治学や社会学
が導入された。それは丸山真男に代表される。吉本隆明の『共同幻想論』は、それらの延長
線上にある。彼がいう幻想領域とは、観念的上部構造のことである。吉本のような見方は、
経済成長とともに、経済的下部構造の重石から解放されたことによってもたらされたといっ
てよい。
吉本隆明は、家族、共同体、国家におよぶ幻想領域を考察するにあたって、柳田の『野
野物語』を素材にした。六〇年代に、柳田国男が新左翼の間で有名になったのは、このた
めである。しかし、『遠野物語』は、吉本がなそうとした人類史的な考察の材料としてふさ
わしくなかった。たとえば、近親相姦の禁止をふくむ人類社会の遠い過去に関して、『遠野
物語』を素材とすることはできない。遠野の民間伝承はそんな太古のものではない。柳田自
身、民俗学で遡行できる過去はせいぜい一四、五世紀までだ、といっている。したがって、
それにもとづいて先史的社会を考えることは、近世以後の家族体験を太古に投射することに
しかならない。
『共同幻想論』のおかげで柳田国男は広く読まれるようになったが、それはまた柳田に関
するそれまでの見方を強化することになった。民俗学者は一般に、柳田は初期に山人を実在
として扱っていたが、以後、心的な対象として見るようになった、と考えてきた。『遠野物
語』にあらわれる世界を農民や猟師らの〝共同幻想〟とみなす吉本隆明の書は、そのような
見方を強化したのである。しかし、柳田にとって、山人はあくまで実在であった。》
《 一九世紀半ば、バッハオーフェンやモルガン以来、人類社会が本来母系的・母権的であ
ったという考えが支配的になった。それは家父長制に対する批判として歓迎されたが、この
見方は、人類学的調査が進むとともに、疑われるようになった。第一に、母系と母権を区別
しなければならない。母系制社会に必ず母権制があるわけではない。そこでは、むしろ男が
政治経済的実権をもつ場合が多いのだ。だから、母系制においても父と子の葛藤が存在する
のである。第二に、母系制が人類にとって最初の形態であるとはいえない。テクノロジーの
面で見て最も未開であると見える社会でも、母系と父系とがあり、さらに、そのどちらでも
ないものが多い。特に、遊動的な狩猟採集民のバンド社会では、出自(リネージ)による組
織化がない。》
『遊動論』より
戦後世界の形成―雇用と商品 (ケインズ全集#27)単行本 – 1996/8
https://www.amazon.co.jp/dp/4492813276/
ドナルド モグリッジ (編集), 平井 俊顕 (翻訳), 立脇 和夫 (翻訳)
戦後の経済システムに関する三巻(第25~27巻)完結。本巻では、雇用政策、社会保障計画、1次産品の価格安定化の問題を主に扱う。
https://www.cambridge.org/core/books/collected-writings-of-john-maynard-keynes/39AD2ECC7FBDE8A8C59B0EB484CF3B5E
本文(7th草案)133頁,解説591頁に常平倉なる言葉(訳語)がある。
似たアイデアを先に出したウォーレス副大統領は実際に中国の常平倉("The Ever-Normal Granary")からアイデアを得たようだ。
柄谷西部の用語では協同組合は資本主義に対して超出的、
階級闘争は内在的ということになる
逆のような気もするが
ケインズは一次産品の価格安定のために緩衝在庫案を出した。
柳田國男が着目した三倉(義倉・社倉・常平倉)の国際版ようなものだ(参考:柄谷行人『遊動論』他)。
バンコールはこれでわかりやすい実体を持つようになる。
(『危機の中でケインズから学ぶ』2011年・平井論考より)
協同組合というと小さすぎて軽視されるかもしれないが、国際社会でも結局同じ原理が応用できる。
ケインズ「コモド・コントロール」――国際緩衝在庫案(一九四二年) 平井俊顕ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/49302436.html
競争システムは、大きな需要と小さな需要の時期を平均化させることができる緩衝在庫の
存在を、それが負の収益を引き起こすがゆえに――自然が真空を嫌うのと同じように強く―
―反射的に嫌う(「原材料の国際統制」一九四二年四月。JMK. 27, p. 131)。
似たアイデアを先に出したウォーレス副大統領は実際に中国の常平倉("The Ever-Normal Granary")からアイデアを得たようだ。
ゲゼルとケインズは長期的かつ世界的視野を持った数少ない経済学者だ。
フィッシャーが国際連盟を発案したという説があるが詳細不明。
戦後世界の形成―雇用と商品 (ケインズ全集#27)単行本 – 1996/8
https://www.amazon.co.jp/dp/4492813276/
ケインズは一次産品の価格安定のために国際緩衝在庫案(1942年)を出した。
柳田國男が着目した三倉(義倉・社倉・常平倉)の国際版ようなものだ(参考:柄谷行人『遊動論』他)。
バンコールはこれでわかりやすい実体を持つようになる。
(『危機の中でケインズから学ぶ』2011年・平井論考より)
協同組合というと小さすぎて軽視されるかもしれないが、国際社会でも結局同じ原理が応用できる。
平井俊顕ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/49302436.html
競争システムは、大きな需要と小さな需要の時期を平均化させることができる緩衝在庫の
存在を、それが負の収益を引き起こすがゆえに――自然が真空を嫌うのと同じように強く
――反射的に嫌う(「原材料の国際統制」一九四二年四月。JMK. 27, p. 131)。
似たアイデアを先に出したウォーレス副大統領は実際に中国の常平倉("The Ever-Normal
Granary")からアイデアを得たようだ。
ゲゼルとケインズは長期的かつ世界的視野を持った数少ない経済学者だ。
フィッシャーが国際連盟を発案したという説があるが詳細不明。
柳田はマルクスの抽象能力の影響下にはない
暴力革命を危惧していた
チューネン孤立國の影響はある
NAMs出版プロジェクト: 柳田国男と孝(柄谷行人『遊動論』をめぐって)&チューネン『孤立国』
http://nam-students.blogspot.jp/2014/01/blog-post_30.html
水野論考
http://jshet.net/docs/conference/76th/mizuno.pdf
チューネン自然労賃は,以下のようにして導かれる
新たに農場を建設する場合,農場建設の直接的作業を行う者(第一班)と彼等の生活維持のために食糧生産を行う者(第二班)との二つに分かれる (『孤立国』邦訳p.377). 第一班の人達の生存維持に必要な食糧等は、第二班の人達の労働から生みだされるので,一人当たりの賃金を生活必要賃金a とそれを越える分(超過分9)y とすると,第一班の職糧は,第二班の人達の労賃のうちの(超過分)yによって賄われる必要があるので,全体人数を求め,一人当たり生産額pから賃金(a+y)を控除したものを微分して収益最大値を求めると,a + y =√ apが求められる.
これは賃金が労働者の必要生活費と労働の生産物の売り上げの比例中項となる場合であり,そのとき生産者の収益が最大になることを意味している.それを自然賃金と呼んだ.これが生産者の収益を最大にするためにあるべき賃金である。
自然労賃はマルクスの認識とそこまで差はない
戦後世界の形成―雇用と商品 (ケインズ全集#27)単行本 – 1996/8
https://www.amazon.co.jp/dp/4492813276/
ケインズは一次産品の価格安定のために国際緩衝在庫案(1942年)を出した。
柳田國男が着目した三倉(義倉・社倉・常平倉)の国際版ようなものだ(参考:柄谷行人『遊動論』他)。
バンコールはこれでわかりやすい実体を持つようになる。
(『危機の中でケインズから学ぶ』2011年・平井論考より)
協同組合というと小さすぎて軽視されるかもしれないが、国際社会でも結局同じ原理が応用できる。
平井俊顕ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/49302436.html
競争システムは、大きな需要と小さな需要の時期を平均化させることができる緩衝在庫の
存在を、それが負の収益を引き起こすがゆえに――自然が真空を嫌うのと同じように強く
――反射的に嫌う(「原材料の国際統制」一九四二年四月。JMK. 27, p. 131)。
似たアイデアを先に出したウォーレス副大統領は実際に中国の常平倉("The Ever-Normal
Granary")からアイデアを得たようだ。
ゲゼルとケインズは長期的かつ世界的視野を持った数少ない経済学者だ。
フィッシャーが国際連盟を発案したという説があるが詳細不明。
柳田はマルクスの抽象能力の影響下にはない
暴力革命を危惧していた
チューネン孤立國の影響はある
水野論考
http://jshet.net/docs/conference/76th/mizuno.pdf
チューネン自然労賃は,以下のようにして導かれる
新たに農場を建設する場合,農場建設の直接的作業を行う者(第一班)と彼等の生活
維持のために食糧生産を行う者(第二班)との二つに分かれる (『孤立国』邦訳p.377).
第一班の人達の生存維持に必要な食糧等は、第二班の人達の労働から生みだされるので,
一人当たりの賃金を生活必要賃金a とそれを越える分(超過分)y とすると,第一班の
職糧は,第二班の人達の労賃のうちの(超過分)yによって賄われる必要があるので,
全体人数を求め,一人当たり生産額pから賃金(a+y)を控除したものを微分して収益
最大値を求めると,a + y =√ apが求められる.
これは賃金が労働者の必要生活費と労働の生産物の売り上げの比例中項となる場合であり,
そのとき生産者の収益が最大になることを意味している.それを自然賃金と呼んだ.これ
が生産者の収益を最大にするためにあるべき賃金である。
チューネン自然労賃の認識はマルクスの認識とそこまで違いはない
戦後世界の形成―雇用と商品 (ケインズ全集#27)単行本 – 1996/8
https://www.amazon.co.jp/dp/4492813276/
ケインズは一次産品の価格安定のために国際緩衝在庫案(1942年)を出した。
柳田國男が着目した三倉(義倉・社倉・常平倉)の国際版ようなものだ(参考:柄谷行人『遊動論』他)。
バンコールはこれでわかりやすい実体を持つようになる。
(『危機の中でケインズから学ぶ』2011年・平井論考より)
協同組合というと小さすぎて軽視されるかもしれないが、国際社会でも結局同じ原理が応用できる。
参考:
平井俊顕ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/49302436.html
似たアイデアを先に出したウォーレス副大統領は実際に中国の常平倉("The Ever-Normal
Granary")からアイデアを得たようだ。
ゲゼルとケインズは長期的かつ世界的視野を持った数少ない経済学者だ。
柳田の協同組合への着目はマルクス経由ではなく、飢饉の経験からくる
柳田はマルクスの抽象能力の影響下にはない
暴力革命を危惧していた
マルクス資本論の影響はない。チューネン孤立國の影響はある
水野論考
http://jshet.net/docs/conference/76th/mizuno.pdf
チューネン自然労賃は,以下のようにして導かれる
新たに農場を建設する場合,農場建設の直接的作業を行う者(第一班)と彼等の生活
維持のために食糧生産を行う者(第二班)との二つに分かれる (『孤立国』邦訳p.377).
第一班の人達の生存維持に必要な食糧等は、第二班の人達の労働から生みだされるので,
一人当たりの賃金を生活必要賃金a とそれを越える分(超過分)y とすると,第一班の
職糧は,第二班の人達の労賃のうちの(超過分)yによって賄われる必要があるので,
全体人数を求め,一人当たり生産額pから賃金(a+y)を控除したものを微分して収益
最大値を求めると,a + y =√ apが求められる.
これは賃金が労働者の必要生活費と労働の生産物の売り上げの比例中項となる場合であり,
そのとき生産者の収益が最大になることを意味している.それを自然賃金と呼んだ.これ
が生産者の収益を最大にするためにあるべき賃金である。
こう見るとチューネン自然労賃の認識はマルクスの認識とそこまで違いはない
マルクスの方が動学的だ
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