図書/バックナンバー
「思想の散策」201509~
[2015年]
9月(第799号) 思うわ、ゆえに、あるわ 柄谷行人
10月(第800号) 実験の史学
11月(第801号) 山人と山地民
12月(第802号) 遊牧民と武士
[2016年]
1月(第803号)海上の道
2月(第804号)原無縁と原遊動性
3月(第805号)原父と原遊動性
4月(第806号)山人と山姥
5月(第807号)山人の歴史学
6月(第808号) 山人の動物学
7月(第809号)固有信仰と普遍宗教
http://www.iwanami.co.jp/tosho/back.html
図書/岩波書店 #ちくま文庫柳田国男全集
柄谷行人連載「思想の散策」201509~
[2015年]
9月(第799号) 思うわ、ゆえに、あるわ #19毎日の言葉「知ラナイワ」
10月(第800号) 実験の史学 #27実験の史学
11月(第801号) 山人と山地民 #4山の人生
12月(第802号) 遊牧民と武士 #20家の話
[2016年]
1月(第803号)海上の道
2月(第804号)原無縁と原遊動性
3月(第805号)原父と原遊動性
4月(第806号)山人と山姥
5月(第807号)山人の歴史学
6月(第808号) 山人の動物学
7月(第809号)固有信仰と普遍宗教
『遊動論』付論ラストの交換図の再分配Bには(強制と安堵)が加えられている(196頁)。
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配)(強制と安堵)| (贈与と返礼)
_______________|________
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
表 交換様式の4つの形態(196頁)
それ以上に興味深いのは固有信仰(交換様式D)が最古の形態であり未来的とされていることだ(195頁)。
自由の代わりに未来的、
平等の代わりに最古が座標軸の一方に設定され得る。
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配) | (贈与と返礼)
(強制と安堵) |
__________|________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
表 交換様式の4つの形態(196頁。<>は追記)
歴史研究がそのまま社会運動に直結する可能性があるのだ。
<安堵>と<強制>の座標への位置づけは間違っているかもしれない。しかし、
強制(神強制はウェーバーの主要概念)と反対の自主的かつ、安堵(頼朝の領土
支配のキーワードでもある)を打ち破る挑戦がアソシエーションなのだ。
表を多少恣意的に改変するなら、
<安 堵>
|
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配)| (贈与と返礼)
<強制>_________|_________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
表 交換様式の4つの形態(『遊動論』196頁。<>を追記、改変)
<未来的>と、<最古>、<安堵>と<強制>の座標への位置づけは間違っているか
もしれない。
しかし、(強制と反対の)本来的かつ、安堵を打ち破る挑戦がアソシエーションなのだ。
固有信仰が最古であると同時に未来的であるという『遊動論』付論の結論は、
第三章結論部(125頁)で紹介された以下の柳田の言葉に対応している。
「小児が我々の未来であるとともに、一方にはまたなつかしい眼の前の歴史、保存せられて
いる我々の過去でもあったことは、国内各地の言葉を比べてみていると、自然に誰にでも気
がつきます。」
(『遊動論』125頁。柳田國男 「子供と言葉」「小さき者の声」旧全集第20巻より。
ちくま文庫版では第22巻)
参考:日本民俗社会における子ども研究 蓼沼康子
http://libir.josai.ac.jp/infolib/user_contents/pdf/JOS-KJ00000589052.pdf
柄谷による『遊動論』における考察が、『日本近代文学の起源』における「児童の発見」を
さらに発展させ、その殻を打ち破るものであることは間違いない。
追記:
第四章(171頁~)にインドのヒンドゥー教の「固有信仰」探求者としてオーロビンドの名が出てくるが、
以下の彼の評伝を訳したのは柄谷夫人だろうか?
『評伝オーロビンド』[単行本](2011)
http://www.amazon.co.jp/dp/4900997269/
(書名未掲載。171,172@(110),176@(63),176@(110))
以下、
以下、 『遊動論』(68頁)より孫引き、
「▲社会主義の理想の実行さるる椎葉村
…この山村には、富の均分というがごとき社会主義の理想が実行せられたのであります。
『ユートピヤ』の実現で、一の奇蹟であります。しかし実際住民は必ずしも高き理想に
促されてこれを実施したのではありませぬ。全く彼らの土地に対する思想が、平地にお
ける我々の思想と異って居るため、何らの面倒もなく、かかる分割方法が行わるるので
あります。」柳田國男「九州南部地方の民風」より
(初出『斯民』第四編第一号、自治民政、明治四十二=1909年四月七日、報徳会。
再録『山人論集成』 角川ソフィア文庫 by 柳田 国男, 大塚 英志 61頁。新版『柳田國男全集 23 』)
環境運動もそうだし、石橋湛山の小日本主義もそうだが、アソシエーションにとって持続可能性が大事だ。
バディウのいう「継続せよ」である。
小さきものが無条件に称揚されているわけではない。
アンチノミーの維持が称揚される理由は思考の持続性を同時に維持することにあるし、
いわゆる弁証法の欠点はそうした持続性の欠如にある。
「農業組合なるものは小農を 存 続 せ し め て これに大農と同じ利益を得せし
むる方法であるのであります。…」
(柳田国男「時代ト農政」 ちくま文庫版全集第29巻119頁。『遊動論』62~3頁より)
「…この国民が 久 遠 の 歳 月 に わ た っ て、村で互いに助けてかろうじて活き
て来た事実までを、ウソだと言わんと欲する態度を示すことは、良心も同情もない話である。」
(柳田国男「都市と農村」 ちくま文庫版全集第29巻489頁。『遊動論』15頁より)
また、「柳田の協同組合は、究極的に、農村と都市、農業と工業の分割を揚棄することを目指す
ものである。」(『遊動論』64頁)という指摘は、プルードンや石原莞爾を想起させる。
ただ、柳田の都市や工業への視点は乏しいし、経済学史的にはマルクス的な抽象力があまりにも
はやく工業と農業を一つの経済原理のもとに還元しすぎたと思う。結果、フリードリッヒ・リス
トのような都市と農村の共存を考えた経済学者が無視されて来た。
『遊動論』の構成:
第一章1戦後の柳田国男(遊牧民的資本主義=吉本隆明批判)
第二章2山人 (協同組合=協同自助論)
第三章3実験の史学 (国家に抗する小日本主義=小さきもの)
第四章4固有信仰 (互酬制を脱する過去=未来の原理)
付論 ☆二種類の遊動性(遊動民と遊牧民)
3|☆1
柄谷行人『遊動論 柳田国男と山人』(文春新書2014.01.20)
目次 :
第1章 戦後の柳田国男 7
1戦中から戦後へ 8
2柳田の敗北 21
3農民=常民の消滅 29
4非常民論 33
第2章 山人 45
1近代と近代以前 46
2農政学 56
3焼畑狩猟民の社会 67
第3章 実験の史学 79
1供養としての民俗学 80
2山人と島人 87
3公民の民俗学 100
4オオカミと「小さき者」116
第4章 固有信仰 127
1新古学 128
2固有信仰 135
3祖霊信仰と双系制 145
4「場」としての家 150
5折口信夫と柳田国男 157
6固有信仰と未来 166
付論 二種類の遊動性 177
1遊動的狩猟採集民 178
2定住革命 182
3二種類のノマド 186
4柳田国男 193
あとがき 197
主要参考文献 202
柳田国男年譜 205
表を多少恣意的に改変するなら、
<安 堵>
|
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配)| (贈与と返礼)
<強制>_________|_________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
表 交換様式の4つの形態(『遊動論』196頁。<>を追記、改変)
<未来的>と、<最古>、<安堵>と<強制>の座標への位置づけは間違っているか
もしれない。
しかし、(強制と反対の)本来的かつ、安堵を打ち破る挑戦がアソシエーションなのだ。
固有信仰が最古であると同時に未来的であるという『遊動論』付論の結論は、
第三章結論部(125頁)で紹介された以下の柳田の言葉に対応している。
「小児が我々の未来であるとともに、一方にはまたなつかしい眼の前の歴史、保存せられて
いる我々の過去でもあったことは、国内各地の言葉を比べてみていると、自然に誰にでも気
がつきます。」
(『遊動論』125頁。柳田國男 「子供と言葉」「小さき者の声」旧全集第20巻より。
ちくま文庫版では第22巻)
参考:日本民俗社会における子ども研究 蓼沼康子
http://libir.josai.ac.jp/infolib/user_contents/pdf/JOS-KJ00000589052.pdf
柄谷による『遊動論』における考察が、『日本近代文学の起源』における「児童の発見」を
さらに発展させ、その殻を打ち破るものであることは間違いない。
追記:
第四章(171頁~)にインドのヒンドゥー教の「固有信仰」探求者としてオーロビンドの名が出てくるが、
以下の彼の評伝を訳したのは柄谷夫人だろうか?
『評伝オーロビンド』[単行本](2011)
http://www.amazon.co.jp/dp/4900997269/
(書名未掲載。171,172@(110),176@(63),176@(110))
以下、
以下、 『遊動論』(68頁)より孫引き、
「▲社会主義の理想の実行さるる椎葉村
…この山村には、富の均分というがごとき社会主義の理想が実行せられたのであります。
『ユートピヤ』の実現で、一の奇蹟であります。しかし実際住民は必ずしも高き理想に
促されてこれを実施したのではありませぬ。全く彼らの土地に対する思想が、平地にお
ける我々の思想と異って居るため、何らの面倒もなく、かかる分割方法が行わるるので
あります。」柳田國男「九州南部地方の民風」より
(初出『斯民』第四編第一号、自治民政、明治四十二=1909年四月七日、報徳会。
再録『山人論集成』 角川ソフィア文庫 by 柳田 国男, 大塚 英志 61頁。新版『柳田國男全集 23 』)
環境運動もそうだし、石橋湛山の小日本主義もそうだが、アソシエーションにとって持続可能性が大事だ。
バディウのいう「継続せよ」である。
小さきものが無条件に称揚されているわけではない。
アンチノミーの維持が称揚される理由は思考の持続性を同時に維持することにあるし、
いわゆる弁証法の欠点はそうした持続性の欠如にある。
「農業組合なるものは小農を 存 続 せ し め て これに大農と同じ利益を得せし
むる方法であるのであります。…」
(柳田国男「時代ト農政」 ちくま文庫版全集第29巻119頁。『遊動論』62~3頁より)
「…この国民が 久 遠 の 歳 月 に わ た っ て、村で互いに助けてかろうじて活き
て来た事実までを、ウソだと言わんと欲する態度を示すことは、良心も同情もない話である。」
(柳田国男「都市と農村」 ちくま文庫版全集第29巻489頁。『遊動論』15頁より)
また、「柳田の協同組合は、究極的に、農村と都市、農業と工業の分割を揚棄することを目指す
ものである。」(『遊動論』64頁)という指摘は、プルードンや石原莞爾を想起させる。
ただ、柳田の都市や工業への視点は乏しいし、経済学史的にはマルクス的な抽象力があまりにも
はやく工業と農業を一つの経済原理のもとに還元しすぎたと思う。結果、フリードリッヒ・リス
トのような都市と農村の共存を考えた経済学者が無視されて来た。
『遊動論』の構成:
第一章1戦後の柳田国男(遊牧民的資本主義=吉本隆明批判)
第二章2山人 (協同組合=協同自助論)
第三章3実験の史学 (国家に抗する小日本主義=小さきもの)
第四章4固有信仰 (互酬制を脱する過去=未来の原理)
付論 ☆二種類の遊動性(遊動民と遊牧民)
3|☆1
ー+ー
2|4
1と4は両義的
2|4
1と4は両義的
柄谷行人『遊動論 柳田国男と山人』(文春新書2014.01.20)
目次 :
第1章 戦後の柳田国男 7
1戦中から戦後へ 8
2柳田の敗北 21
3農民=常民の消滅 29
4非常民論 33
第2章 山人 45
1近代と近代以前 46
2農政学 56
3焼畑狩猟民の社会 67
第3章 実験の史学 79
1供養としての民俗学 80
2山人と島人 87
3公民の民俗学 100
4オオカミと「小さき者」116
第4章 固有信仰 127
1新古学 128
2固有信仰 135
3祖霊信仰と双系制 145
4「場」としての家 150
5折口信夫と柳田国男 157
6固有信仰と未来 166
付論 二種類の遊動性 177
1遊動的狩猟採集民 178
2定住革命 182
3二種類のノマド 186
4柳田国男 193
あとがき 197
主要参考文献 202
柳田国男年譜 205
「この山村には、富の均分というがごとき社会主義の理想が実行せられたのであります。
返信削除『ユートピヤ』の実現で、一の奇蹟であります。しかし実際住民は必ずしも高き理想に
促されてこれを実施したのではありませぬ。全く彼らの土地に対する思想が、平地にお
ける我々の思想と異って居るため、何らの面倒もなく、かかる分割方法が行わるるので
あります。」
『斯民』(第四編第一号、自治民政、明治四十二=1909年四月七日、報徳会)
柳田国男 山人論集成 (角川ソフィア文庫)
by 柳田 国男, 大塚 英志
角川ソフィア文庫61頁
全集版では以下に所収(旧全集=定本には未掲載?):
「柳田國男全集 23 明治22年〜明治43年 」
『遊動論』(68)
139
返信削除13-18
http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note1318
葉公語孔子曰、吾黨有直躬者、其父攘羊、而子證之、孔子曰、吾黨之直者異於是、父爲子隱、子爲父隱、直在其中矣、
葉公(しょうこう)、孔子に語りて曰わく、吾が党に直躬(ちょくきゅう)なる者あり。其の父、羊を攘(ぬす)みて。子これを証す。孔子の曰わく、吾が党の直(なお)き者は是れに異なり。父は子の為めに隠し、子は父の為に隠す。直きこと其の内に在り。
葉公が孔子に話した、「私どもの村には正直者の躬という男がいて、自分の父親が羊を誤魔化したときに、息子がそれを知らせました。」孔子は言われた、「私 どもの村の正直者はそれとは違います。父は子の為に隠し、子は父の為に隠します。正直さはそこに自然に備わるものですよ」
139
返信削除儒教の場合、孝は、家父長制にもとづくものであるが、孔子はそれを互酬的なものとし
て見ていた。孝は子にだけ課される義務ではなく、父もその義務を負う。たとえば、「
(犯罪を)父は子の為に隠し、子は父のために隠す」(『論語』13-16(>>))と孔子はいう。
儒教では「孝」が重視され、「忠」よりも上に置かれる。しかし、日本では、孝と忠が争えば、文句なしに忠が優位に置かれる。それは必ずしも孝を否定することではない。忠はある意味で、オヤ(親分)への孝だからだ。儒教では、親に対する孝は、公権力に抵抗する原理ともなりうる。だが、日本の儒教では、孝は、公権力(オヤ)への服従を正当化することにしかならない。この意味で、日本に本来の儒教が根づくことはなかった。
(柄谷行人『遊動論』文春新書139頁,156頁)
儒教の場合、孝は、家父長制にもとづくものであるが、孔子はそれを互酬的な
返信削除ものとして見ていた。孝は子にだけ課される義務ではなく、父もその義務を負
う。たとえば、「(犯罪を)父は子の為に隠し、子は父のために隠す」(『論語』13-18(>>435))
と孔子はいう。
…
儒教では「孝」が重視され、「忠」よりも上に置かれる。しかし、日本では、
孝と忠が争えば、文句なしに忠が優位に置かれる。それは必ずしも孝を否定す
ることではない。忠はある意味で、オヤ(親分)への孝だからだ。儒教では、親に
対する孝は、公権力に抵抗する原理ともなりうる。だが、日本の儒教では、孝
は、公権力(オヤ)への服従を正当化することにしかならない。この意味で、日本
に本来の儒教が根づくことはなかった。
(柄谷行人『遊動論』文春新書139頁,156頁)
96
返信削除三浦銕太郎
三浦 銕太郎(みうら てつたろう、1874年3月20日 - 1972年5月8日)は、日本のジャーナリスト、評論家。東洋経済新報社主幹として小日本主義を唱え、石橋湛山・高橋亀吉らを鍛え上げた。
静岡県志太郡相川村(現・焼津市)出身。
人物[編集]
地主・山本太左衛門の次男として生まれる。1893年、東京専門学校に入学し、天野為之に師事する。1897年、三浦貞と結婚、この時、三浦家の養子となる予定であったが、すぐには実父の承諾を得られなかった(正式入籍は1906年)。
1899年、師の天野為之が経営していた東洋経済新報社に入社し、論説を執筆するようになる。1907年、代表社員となり、1910年には月刊誌『東洋時論』を創刊し、編集長となる。1912年、主幹に就任し、『東洋時論』を『東洋経済新報』に併合する。1913年、論説「満洲放棄か軍備拡張か」、「大日本主義か小日本主義か」を相次いで発表、帝国主義を批判して小日本主義を提唱した(石橋湛山の小日本主義は、三浦の議論を継承・発展させたもの)。
1921年、東洋経済新報社を株式会社化し、代表取締役となる。1924年には主幹を退任、1925年には代表取締役を退任した(いずれも後任は石橋湛山)。その後、商工審議会・日満経済懇談会・昭和研究会・損害補償委員会の委員や、経済倶楽部の幹事(1947年、理事長)などを歴任した。
1946年、山川均が民主人民戦線の結成を提唱すると、高野岩三郎・大内兵衛・荒畑寒村・石橋湛山らとともに世話人となる。同年、財団法人日本経済研究所の設立に伴い、理事に就任(1948年、理事長)。また石橋湛山が大蔵大臣に就任したため、東洋経済新報社の会長となった(1951年、相談役)。1949年、社団法人日本関税協会の設立に伴い、会長に就任した(1952年、顧問)。
著書[編集]
『金融六十年史』(東洋経済新報社、1925年)
『新経済体制の理論と試案』(東洋経済新報社、1939年)
『世界転換史』(東洋経済新報社、1944年)
『世界経済の転換』(日本経済研究所、1949年)
『米国の世界政策』(日本経済研究所、1949年)
『ソ連四十年』(東洋経済新報社、1960年)
『世界経済の転換と米国』(東洋経済新報社、1965年)
(松尾尊兌編)『大日本主義か小日本主義か 三浦銕太郎論説集』(東洋経済新報社、1995年)
参考文献[編集]
松尾尊兌 『大正デモクラシーの群像』 岩波書店〈同時代ライブラリー〉、1990年。ISBN 978-4-00-260035-2。
小さき者、児童への視点と、小日本主義とは重なり、交換様式Dを形作る。
返信削除スモールイズビューティフルは国連主義と矛盾しない。
『遊動論』(68頁)より
返信削除「この山村には、富の均分というがごとき社会主義の理想が実行せられたのであります。
『ユートピヤ』の実現で、一の奇蹟であります。しかし実際住民は必ずしも高き理想に
促されてこれを実施したのではありませぬ。全く彼らの土地に対する思想が、平地にお
ける我々の思想と異って居るため、何らの面倒もなく、かかる分割方法が行わるるので
あります。」
『斯民』(第四編第一号、自治民政、明治四十二=1909年四月七日、報徳会)
柳田国男『山人論集成』 (角川ソフィア文庫)by 柳田 国男, 大塚 英志 61頁 、
新版『柳田國男全集 23 』
『遊動論』(68頁)より孫引き、
返信削除「この山村には、富の均分というがごとき社会主義の理想が実行せられたのであります。
『ユートピヤ』の実現で、一の奇蹟であります。しかし実際住民は必ずしも高き理想に
促されてこれを実施したのではありませぬ。全く彼らの土地に対する思想が、平地にお
ける我々の思想と異って居るため、何らの面倒もなく、かかる分割方法が行わるるので
あります。」
(初出『斯民』第四編第一号、自治民政、明治四十二=1909年四月七日、報徳会)
(柳田国男『山人論集成』 角川ソフィア文庫)by 柳田 国男, 大塚 英志 61頁 、
新版『柳田國男全集 23 』)
『遊動論』(68頁)より孫引き、
返信削除「この山村には、富の均分というがごとき社会主義の理想が実行せられたのであります。
『ユートピヤ』の実現で、一の奇蹟であります。しかし実際住民は必ずしも高き理想に
促されてこれを実施したのではありませぬ。全く彼らの土地に対する思想が、平地にお
ける我々の思想と異って居るため、何らの面倒もなく、かかる分割方法が行わるるので
あります。」
(柳田國男「九州南部地方の民風」より。初出『斯民』第四編第一号、自治民政、明治四十二=1909年四月七日、報徳会)
(『山人論集成』 角川ソフィア文庫)by 柳田 国男, 大塚 英志 61頁 、
新版『柳田國男全集 23 』)
『遊動論』(68頁)より孫引き、
返信削除「この山村には、富の均分というがごとき社会主義の理想が実行せられたのであります。
『ユートピヤ』の実現で、一の奇蹟であります。しかし実際住民は必ずしも高き理想に
促されてこれを実施したのではありませぬ。全く彼らの土地に対する思想が、平地にお
ける我々の思想と異って居るため、何らの面倒もなく、かかる分割方法が行わるるので
あります。」
(柳田國男「九州南部地方の民風」より。初出『斯民』第四編第一号、自治民政、
明治四十二=1909年四月七日、報徳会)
(『山人論集成』 角川ソフィア文庫)by 柳田 国男, 大塚 英志 61頁 、新版『柳田國男全集 23 』)
『遊動論』(68頁)より孫引き、
返信削除「この山村には、富の均分というがごとき社会主義の理想が実行せられたのであります。
『ユートピヤ』の実現で、一の奇蹟であります。しかし実際住民は必ずしも高き理想に
促されてこれを実施したのではありませぬ。全く彼らの土地に対する思想が、平地にお
ける我々の思想と異って居るため、何らの面倒もなく、かかる分割方法が行わるるので
あります。」
(柳田國男「九州南部地方の民風」より。初出『斯民』第四編第一号、自治民政、
明治四十二=1909年四月七日、報徳会)
(『山人論集成』 角川ソフィア文庫 by 柳田 国男, 大塚 英志 61頁。新版『柳田國男全集 23 』)
『遊動論』(68頁)より孫引き、
返信削除「▲社会主義の理想の実行さるる椎葉村
…この山村には、富の均分というがごとき社会主義の理想が実行せられたのであります。
『ユートピヤ』の実現で、一の奇蹟であります。しかし実際住民は必ずしも高き理想に
促されてこれを実施したのではありませぬ。全く彼らの土地に対する思想が、平地にお
ける我々の思想と異って居るため、何らの面倒もなく、かかる分割方法が行わるるので
あります。」
(柳田國男「九州南部地方の民風」より。初出『斯民』第四編第一号、自治民政、
明治四十二=1909年四月七日、報徳会)
(『山人論集成』 角川ソフィア文庫 by 柳田 国男, 大塚 英志 61頁。新版『柳田國男全集 23 』)
『遊動論』(68頁)より孫引き、
返信削除「▲社会主義の理想の実行さるる椎葉村
…この山村には、富の均分というがごとき社会主義の理想が実行せられたのであります。
『ユートピヤ』の実現で、一の奇蹟であります。しかし実際住民は必ずしも高き理想に
促されてこれを実施したのではありませぬ。全く彼らの土地に対する思想が、平地にお
ける我々の思想と異って居るため、何らの面倒もなく、かかる分割方法が行わるるので
あります。」
柳田國男「九州南部地方の民風」より
(初出『斯民』第四編第一号、自治民政、明治四十二=1909年四月七日、報徳会)
(再録『山人論集成』 角川ソフィア文庫 by 柳田 国男, 大塚 英志 61頁。新版『柳田國男全集 23 』)
『遊動論』(68頁)より孫引き、
返信削除「▲社会主義の理想の実行さるる椎葉村
…この山村には、富の均分というがごとき社会主義の理想が実行せられたのであります。
『ユートピヤ』の実現で、一の奇蹟であります。しかし実際住民は必ずしも高き理想に
促されてこれを実施したのではありませぬ。全く彼らの土地に対する思想が、平地にお
ける我々の思想と異って居るため、何らの面倒もなく、かかる分割方法が行わるるので
あります。」柳田國男「九州南部地方の民風」より
(初出『斯民』第四編第一号、自治民政、明治四十二=1909年四月七日、報徳会)
(再録『山人論集成』 角川ソフィア文庫 by 柳田 国男, 大塚 英志 61頁。新版『柳田國男全集 23 』)
『遊動論』(68頁)より孫引き、
返信削除「▲社会主義の理想の実行さるる椎葉村
…この山村には、富の均分というがごとき社会主義の理想が実行せられたのであります。
『ユートピヤ』の実現で、一の奇蹟であります。しかし実際住民は必ずしも高き理想に
促されてこれを実施したのではありませぬ。全く彼らの土地に対する思想が、平地にお
ける我々の思想と異って居るため、何らの面倒もなく、かかる分割方法が行わるるので
あります。」柳田國男「九州南部地方の民風」より
(初出『斯民』第四編第一号、自治民政、明治四十二=1909年四月七日、報徳会。
再録『山人論集成』 角川ソフィア文庫 by 柳田 国男, 大塚 英志 61頁。新版『柳田國男全集 23 』)
返信削除『遊動論』(68頁)より孫引き、
「▲社会主義の理想の実行さるる椎葉村
…この山村には、富の均分というがごとき社会主義の理想が実行せられたのであります。
『ユートピヤ』の実現で、一の奇蹟であります。しかし実際住民は必ずしも高き理想に
促されてこれを実施したのではありませぬ。全く彼らの土地に対する思想が、平地にお
ける我々の思想と異って居るため、何らの面倒もなく、かかる分割方法が行わるるので
あります。」柳田國男「九州南部地方の民風」より
(初出『斯民』第四編第一号、自治民政、明治四十二=1909年四月七日、報徳会。
再録『山人論集成』 角川ソフィア文庫 by 柳田 国男, 大塚 英志 61頁。新版『柳田國男全集 23 』)
環境運動もそうだし、石橋湛山の小日本主義もそうだが、アソシエーションにとって持続可能性が大事だ。
バディウのいう「継続せよ」である。
返信削除『遊動論』(68頁)より孫引き、
「▲社会主義の理想の実行さるる椎葉村
…この山村には、富の均分というがごとき社会主義の理想が実行せられたのであります。
『ユートピヤ』の実現で、一の奇蹟であります。しかし実際住民は必ずしも高き理想に
促されてこれを実施したのではありませぬ。全く彼らの土地に対する思想が、平地にお
ける我々の思想と異って居るため、何らの面倒もなく、かかる分割方法が行わるるので
あります。」柳田國男「九州南部地方の民風」より
(初出『斯民』第四編第一号、自治民政、明治四十二=1909年四月七日、報徳会。
再録『山人論集成』 角川ソフィア文庫 by 柳田 国男, 大塚 英志 61頁。新版『柳田國男全集 23 』)
環境運動もそうだし、石橋湛山の小日本主義もそうだが、アソシエーションにとって持続可能性が大事だ。
バディウのいう「継続せよ」である。
アンチノミーが称揚されいわゆる弁証法の欠点はそこ(持続性の欠如)にある。
12
返信削除昔話と文学8
木綿以前の事17
国語の将来22
返信削除『遊動論』(68頁)より孫引き、
「▲社会主義の理想の実行さるる椎葉村
…この山村には、富の均分というがごとき社会主義の理想が実行せられたのであります。
『ユートピヤ』の実現で、一の奇蹟であります。しかし実際住民は必ずしも高き理想に
促されてこれを実施したのではありませぬ。全く彼らの土地に対する思想が、平地にお
ける我々の思想と異って居るため、何らの面倒もなく、かかる分割方法が行わるるので
あります。」柳田國男「九州南部地方の民風」より
(初出『斯民』第四編第一号、自治民政、明治四十二=1909年四月七日、報徳会。
再録『山人論集成』 角川ソフィア文庫 by 柳田 国男, 大塚 英志 61頁。新版『柳田國男全集 23 』)
環境運動もそうだし、石橋湛山の小日本主義もそうだが、アソシエーションにとって持続可能性が大事だ。
バディウのいう「継続せよ」である。
アンチノミーが称揚される理由及びいわゆる弁証法の欠点はそこ(持続性の欠如)にある。
ハイネ
返信削除流刑の神々83
ちくま31幽冥談(601)では諸神流鼠?記
返信削除『遊動論』(68頁)より孫引き、
「▲社会主義の理想の実行さるる椎葉村
…この山村には、富の均分というがごとき社会主義の理想が実行せられたのであります。
『ユートピヤ』の実現で、一の奇蹟であります。しかし実際住民は必ずしも高き理想に
促されてこれを実施したのではありませぬ。全く彼らの土地に対する思想が、平地にお
ける我々の思想と異って居るため、何らの面倒もなく、かかる分割方法が行わるるので
あります。」柳田國男「九州南部地方の民風」より
(初出『斯民』第四編第一号、自治民政、明治四十二=1909年四月七日、報徳会。
再録『山人論集成』 角川ソフィア文庫 by 柳田 国男, 大塚 英志 61頁。新版『柳田國男全集 23 』)
環境運動もそうだし、石橋湛山の小日本主義もそうだが、アソシエーションにとって持続可能性が大事だ。
バディウのいう「継続せよ」である。
アンチノミーの維持が称揚される理由及びいわゆる弁証法の欠点はそこ(持続性の欠如)にある。
儒教の場合、孝は、家父長制にもとづくものであるが、孔子はそれを互酬的な
返信削除ものとして見ていた。孝は子にだけ課される義務ではなく、父もその義務を負
う。たとえば、「(犯罪を)父は子の為に隠し、子は父のために隠す」(『論語』13-18(>>435))
と孔子はいう。
…
儒教では「孝」が重視され、「忠」よりも上に置かれる。しかし、日本では、
孝と忠が争えば、文句なしに忠が優位に置かれる。それは必ずしも孝を否定す
ることではない。忠はある意味で、オヤ(親分)への孝だからだ。儒教では、親に
対する孝は、公権力に抵抗する原理ともなりうる。だが、日本の儒教では、孝
は、公権力(オヤ)への服従を正当化することにしかならない。この意味で、日本
に本来の儒教が根づくことはなかった。
(柄谷行人『遊動論』文春新書139頁,156頁)
カントの啓蒙論によれば公私は時に逆転し得る(例えばユダヤ人を助けた杉原千畝の判断)。
論語が焚書坑儒を生き延びることができたのも当時の権力に対する忠より孝を優先して原論語
を壁に埋めたからだ。
忠と孝が柄谷(>>709)の言うようなものだとすると、「中」というのは
カントの言うアンチノミー(二律背反)を維持することと解釈できる。
このアンチノミーの維持は反省主義02-17(>>54)を可能にするし、
脳科学的(>>688)には右脳と左脳が別の機能を持つ意義と重なる。
13-18(>>435)に関しては、
ふつうは人間の心の「中」という忠の語釈に近い読みをする。
中庸の称揚と解釈しても間違いではないが。
個人的には、
14-08(>>456)
子曰、愛之能勿勞乎、忠焉能勿誨乎、
のように心の重視と解釈するのがいいと思う。
第一章1戦後の柳田国男
返信削除第二章2山人
第三章3実験の史学
第四章4固有信仰
3l1
ー+ー
2l4
1と4は両義的
返信削除<安 堵>
返信削除|
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配)| (贈与と返礼)
<強制>_________|_________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
こちらの方が歴史的概念としては正しい
<強 制>
|
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配)| (贈与と返礼)
<安堵>_________|_________<最古>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
返信削除こちらの方が歴史的概念としては正しい
<強 制>
|
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配)| (贈与と返礼)
<安堵>_________|_________<本来的>
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
返信削除こちらの方が歴史的概念としては正しい
<強 制>
|
B 再分配 |A 互酬
(略奪と再分配)| (贈与と返礼)
<安堵>_________|_________<本来的>旧論考
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
新論考
返信削除<安 堵>頼朝
|
B 再分配 |A 互酬
ウェーバー(略奪と再分配)| (贈与と返礼)
<強制>_________|_________<本来的>旧論考
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
|
<未来的>
新論考
新論考は協同自助という経済的視点を第二章で取り上げることで縦の座標軸を明確にした。
返信削除柄谷行人の「思うわ、ゆえに、あるわ」 ( 哲学・思想 ) - 鳥 - Yahoo!ブログ
返信削除http://blogs.yahoo.co.jp/torinojimusho/13694922.html
柄谷行人の「思うわ、ゆえに、あるわ」
柄谷行人の連載エッセイ「思想の散策」が岩波書店のPR誌『図書』で始まった*。 恐らく、この種の比較的軽い体裁の連載エッセイを柄谷さんが引き受けるのは、全てを調べあげたわけではないが、ほぼ初めてのことではないか?
無論、軽いと言っても哲学的な内容であることは云うまでもない。
さて、この妙な題名について説明することは、いわゆるネタバレになってしまうので、避けて通ることにするが、 どうも柳田国男について触れられていくらしい。今回はデカルトの例の「我思う、故に我あり」の「我」と照らし合わせることで、柳田が考えていた一人称代名詞の問題を展開している。
内容についてはご一読いただくのが、もっとも手っ取り早い、ということになるが、ここからは、全くの個人的な感想になるが、哲学や思想の文章は、それを本当に必要としている人たちにとっては極度に難しすぎる、ということだ。
柄谷さんについても、残念ながら初期から中期にかけての文章はほとんど読者の存在を顧慮しない断崖絶壁のような文章だった**。
ところがある時点から(例えば『倫理21』のあたりか?)非常に読みやすくなった。これは文体のせいもあるが、それよりも筆者自身がテーマをしっかりと把握した上で書いている、という印象を受ける。 それは『トランスクリティーク』のような大著でもそうである。
今回の連載について云うと、必ずしも結論が見えて書いているわけではないだろうが、いずれにしても読み易く、とてもユーモアにあふれている。
―――――――――――――――――
*柄谷行人「思想の散策」 1/『図書』2015年9月号・岩波書店。
**これが必ずしも悪いと云っているわけではない。
返信削除http://www.iwanami.co.jp/tosho/back.html
図書/バックナンバー
「思想の散策」201509~
[2015年]
9月(第799号) 思うわ、ゆえに、あるわ 柄谷行人 #19
10月(第800号) 実験の史学 #27
11月(第801号) 山人と山地民 #4山の人生
12月(第802号) 遊牧民と武士 #20家の話
[2016年]
1月(第803号)海上の道
2月(第804号)原無縁と原遊動性
3月(第805号)原父と原遊動性
4月(第806号)山人と山姥
5月(第807号)山人の歴史学
6月(第808号) 山人の動物学
7月(第809号)固有信仰と普遍宗教
http://www.iwanami.co.jp/tosho/back.html
図書/バックナンバー
「思想の散策」201509~
[2015年]
9月(第799号) 思うわ、ゆえに、あるわ 柄谷行人
わ
私は
一人称代名詞
関西
柳田説
ちくま文庫『柳田国男全集』全32巻:目次
第19巻 1990.7.31
蝸牛考………………………………………… 7
西は何方…………………………………… 177
毎日の言葉………………………………… 417 「知ラナイワ」
*解説(真田信治)……………………… 559
*解題……………………………………… 569