NAMs出版プロジェクト: エマニュエル・トッド - Wikipedia
http://nam-students.blogspot.jp/2017/02/wikipedia-httpsja.html
NAMs出版プロジェクト: 柳田国男と孝(柄谷行人『遊動論』をめぐって)&蝸牛考
http://nam-students.blogspot.jp/2014/01/blog-post_30.html@並松信久「柳田国男の農政学の展開」(「京都産業大学論集 社会科学系列」所収、二〇一〇年)
https://ksu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_dow
nload&item_id=1516&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=21
荒政要覧
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/07/blog-post_29.html
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- 柄谷43頁
1607年に兪如為が記した中国の救荒書『荒政要覧』
http://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/data/open/cnt/3/354/1/SZK0002693_20040929055329451.pdf#search='荒政要覧とは'
きゅうこうしょ みんかんびこうろく 日本最初の本格的救 荒 書『民間備荒録』(Q611-2)
救荒書とは一般には飢饉を生き延びる術を記した書物を指します。飢饉への備えを説き、飢饉 の際にどのようにして食糧を食いつなげ、またどのような食物が食べられるかを伝えることを 目的としています。救荒書の登場は、中国では15世紀初頭の『救荒本草』が最初です。日本で
たてべせいあん はさらに遅れ18世紀後半に現れます。奥州一関藩藩医建部清庵(正徳2(1712)年~天明3
(1783)年)が記した『民間備荒録』が、本格的な日本最初の救荒書で、それ以降の救荒書の一つ の手本となりました。当館の久能文庫には、版本2巻が所蔵されています。(Q611-2)
建部清庵は漢方外科を修得しながら、 オランダ医学にも深い知識を持っていました。また『解 らんがくかいてい おおつきげんたく
体新書』で有名な杉田玄白と親交を結び、さらに『蘭学階梯』の著者大槻玄沢の師でもありま した。
ほうれき めい わ 『民間備荒録』の最初の刊行は宝暦5(1755)年、10(1760)年、明和8(1771)年と諸説がある
ものの、当館が所蔵するものは文政7(1824)年版です。 『民間備荒録』の記述からみると、宝暦5年に東北地方は 5 月から異常な低温となり、8 月
まで雨が降り続く冷害に遭い、16世紀末以来という惨状となったとあります。清庵はその惨状 ゆじょい こうせいようらん
を目の当たりにし、さらに1607年に兪如為が記した中国の救荒書『荒政要覧』を見たこと じょこうけい のうせいぜんしょ みやざきやすさだ
で同書の編纂を思い立ちました。本書は『荒政要覧』や徐光啓の『農政全書』をもとに、宮崎安貞 のうぎょうぜんしょ かいばらえきけん や ま と ほんそう てらじまりょうあん わ か ん さんさい ず え
の『農業全書』や貝原益軒の『大和本草』や寺島良安の『和漢三才図会』などの成果を参考 にしながら成立しました。建部はこの書を見てもわかるように中国の成果を受け継ぎ、農書・ 本草学分野の成果を活用し、地域性を考慮した植物の栽培にまで神経を払っていました。序の
きもいり くみがしら 部分で、「この書は、もっぱら肝煎・組頭という村役人に、飢饉に苦しむ貧しい農民を救わせ
る方法を教えることを目的としており、実のなる木々を植えて、今後の飢饉に備えさせようと するものである。」といい、村役人に飢え苦しむ民を救う方法を伝えるという現実的な飢饉対策 を唱え、同時に飢饉対策の責任が村役人にあることを断言しています。
本編は上下巻によって大きく内容を変えており、上巻では飢饉の際に食糧とする植物(なつ め・栗・柿・桑・菜種)の栽培法や飢饉に備えて食料を蓄える方法が記され、下巻では人々を 飢えから救うために草根木葉の正しい食べ方とその解毒法を述べています。
びこう
『民間備荒録』に記載した救荒のための植物を中心に、104種の植物を採録した図集が『備荒 そうもくず す ぎ たげんぱく す ぎ たはくげん
草木図』です。『備荒草木図』は、清庵死後、杉田玄白の娘婿になった息子杉田伯玄が、父の遺 稿を校訂し世に出しました。文字の読めない当時の庶民にも一見してわかるようにとの配慮の もとに編纂されたものです。
【参考資料】
『日本農書全集』第18巻・第68巻(610.8/11) 「日本における救荒書の成立とその淵源」白杉悦雄
(『東アジアの本草と博物学の世界 上』所収 499.9/16) 『近世農書に学ぶ』飯沼二郎(610.3/127)
『近世科学思想 上』古島敏雄
(『日本思想体系62』 121.08/100)
遊動論より
並松信久「柳田国男の農政学の展開」(「京都産業大学論集 社会科学系列」所収、二〇一〇年)
…つまり、この山地の社会に、平地の農村にない「社会主義」を見出したからである。彼にとって、それは「奇蹟」であった。並松信久はつぎのように述べている。
柳田は、椎葉村が稲作ではなく、焼畑や狩猟によって暮らしている山村であるということを発見し、その生活形態に関心をもっている。柳田が椎葉村に関心をもった背景には、稲作に依存しない山村ということもあった。柳田はそこに住む人々を「山人」とよび、平野部に住む人々と異なることを強調する。とくに著書『後狩詞記』は、主に猪猟の狩詞を紹介した書籍という体裁をとっているが、柳田にとって、その猪狩の形態は自身の産業組合論とのつながりを暗示させた。猪狩を行なう場合は、老練者の指揮のもとで各自が自分の役割を分担して遂行されている。柳田によれば、猪狩は協同と自助の精神を前提として成り立っている狩猟であった。柳田は椎葉村の猪狩について、産業組合の精神を重ね合わせて観察している。
(「柳田国男の農政学の展開」)
柳田が椎葉村に見たのは、妖怪のようなものではなかった。また、たんに前代の生産形態でもなかった。…
柳田国男は報徳社の意義を理解できなかったのだと思う。NAMと同じで報徳社は母体であって主体ではない。貨幣経済が浸透していないというより貨幣を持たない人たちにいきなり信用組合は無理だ。協同組合社会は法律だけでは獲得出来ない。柳田は報徳社を理解したふりをしているが理解していない。江戸から連続する協同組合の芽を摘んでしまった。明治官僚の枠を出られなかった。柄谷論考でも引用されている以下の並松論文を読んで改めてそう思う。
日本人は孝より忠を重視してきたという『遊動論』139頁以降における柄谷の儒教への言及は、
加地伸行や呉善花の指摘してきたことと同じだ。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
《「儒」の基本は、もともと「孝」にあった。なぜ「孝」であったかといえば、血族や家族が
「家」にまつわる死者を慰撫する原儒の本来からして、生前に「孝」を積んでおくことが最も
有効であると思われていたからだった。》
(加地伸行『儒教とは何か』の松岡正剛による要約)
特に呉とは「父爲子隱、子爲父隱」(『論語』子路13-18)という引用箇所も同じだ。
《中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先する
ことは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を
正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠
し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話がある。
儒教はこのように、血縁共同体を超えた規範になるためには最初から限界を抱えていた。その
ために『孝経』がつくられて、孝と忠の調整がはかられたとも言われるが、この問題は結局は
根本的には解決されなかったように思う。》
http://www.amazon.co.jp/dp/B00E60ARNA/
(新 スカートの風 角川文庫 呉善花=お・そんふぁ著)
ここで指摘したいのは柄谷の儒教への言及は必然だったということだ。
柳田は朱子学から社倉のアイデアを得ていたという指摘に加え(75,48,59頁参照)、
柳田の父は神官である以前に儒者だった。
柳田の思考パターンは神道以上に儒教的である。
柳田は孝行の重要性を語っている。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
《桑原武夫が柳田国男に、こういうことを尋ねたことがあるらしい。かつて日本には内藤湖
南、狩野直喜、西田幾多郎といった強靭な学者がいたと思うのですが、最近はどうも軟弱で、
線が細くなったと感じるんですが、先生はどういうふうに感じられますでしょうか。すると
柳田は、「それは孝行というものがなくなったからです」と答えたという。》
儒者が乱神を語るのはおかしいと思われるかもしれないが、白川静が指摘するように孔子はもと
もとは葬儀屋なのだ。とはいえ柳田は折口や熊楠のようには神秘体験を主張しない。ここは儒者
らしい。
そもそも『遊動論』で柄谷が指摘したように、「神道」は仏教や儒教を模倣することによって体系化された。
《神道学者らがいう日本固有の「神道」は、実は、仏教や道教・儒教から得た理論を用いて体系化した
ものにすぎない。》(『遊動論』129~130頁)
だから神道を儒教的に扱う柳田に矛盾はない(*)。
宣長の漢意批判は、別のレベルで柳田に受け継がれている。
柳田にとっては神道、儒教、仏教、道教、西欧文化はすべて補完関係にある。
ただし、必然的に柳田の体系も儒教を超えていない。
朱子学のように、構造主義ではなく構図主義にとどまる。(理論よりも事実を重視するわけだから)
『蝸牛考』も構図主義的だ(**)。
*
旧作インスクリプト『柳田国男論』27頁以下で柄谷は柳田を(古道を絶対化した)宣長よりも儒者である(歴史に意識的な)荻生徂徠に
近いと言っている(初出1986年)。
最新作が神道寄りなら儒学寄りにかつては(=1986年版。1975年版では宣長への言及から始まるが)柳田を解釈していたことになる。
それも先に述べたように神道が儒教を手本に構築されていったと考えれば矛盾はない(荻生徂徠の朱子学批判、本居宣長の荻生徂徠批判は観念
論批判として同質であり逆に彼らの同質性、継承性を示す)。
同書33頁(及び184~5頁=1974年初出「柳田国男試論」)では柳田が孝行を重視したという桑原武夫の証言も、花田清輝からの孫引き(「柳
田国男について」『花田清輝評論集』岩波文庫219頁参照。出典は桑原武夫「学問を支えるもの」『雲の中を歩んではならない』桑原武夫全集第
資本論 1:23:1 …
河出書房新社版
深澤論考 https://ygu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_ download&item_id=3363&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=4&block_id=82 その二人の中で、チューネンは『資本論』では第1巻に、一度だけ簡単に名が出てくるだけであり(6)、その後マルクスからエンゲルスへの書簡に三度ほど名が出てくる(7)。結局のところ、マルクスはチューネンに関して、あまり深い検討や考察をしてはいないのである。今日からすれば、「限界生産力の発見者」とか「農業経済学における数理経済学的・計量経済学的手法の開拓者」として名前と研究成果が挙げられるチューネンであるが、マルクスは当時そうした評価や扱いを全くしてはいないのである。
(6)K.Marx[1867]Band23,S.649/811ページ。そこでマルクスは、なぜ労働者は資本の支配者から奴隷となるのかというチューネンの起こした疑問に対して、「功績」という評価を与えているが、「だが、彼の答えはまったく子供じみたものでしかない」という評価を下している。
7)「このテューネン[チューネンのこと]にはどこかほろりとさせられるところがあります。メクレンブルクのユンカーで(ついでながら、ドイツ流の傑出した思考はもっている)、自分の領地テロを農村、メクレンブルク‐シュヴェリーンを都市として扱い、これを前提にすえて、観察、微分計算、簿記等を使いながら、リカードの地代論を自分で組み立てているのであるから。これこそまさに大したものでもあり、滑稽でもあります。」(「マルクスからルートヴィヒ・クーゲルマン(在ハノーファー)へ〔1968年〕K.Marx-F.Engels[1965]Band32,S.538/441ページ。)この他に『マルクスエンゲル全集』には、二箇所チューネンについての簡単な記載がある。(K.Marx-F.Engels[1965]Band32.S.533/437ページ。K.Marx-F.Engels[1966]Band34.S.151/125ページ。)
マルクスの仮想敵はデューリングだとわかる。不安、生意気など自己投影が見られる。
ケインズは一次産品の価格安定のために国際緩衝在庫案(1942年)を出した。
柳田國男が着目した三倉(義倉・社倉・常平倉)の国際版ようなものだ(参考:柄谷行人『遊動論』他)。
バンコールはこれでわかりやすい実体を持つようになる。
(『危機の中でケインズから学ぶ』2011年・平井論考より)
協同組合というと小さすぎて軽視されるかもしれないが、国際社会でも結局同じ原理が応用できる。
似たアイデアを先に出したウォーレス副大統領は実際に中国の常平倉("The Ever-Normal
こう見るとチューネン自然労賃の認識はマルクスの認識とそこまで違いはない
(『資本論』123:1河出書房新社版)
特に呉とは「父爲子隱、子爲父隱」(『論語』子路13-18)という引用箇所も同じだ。
《中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先する
ことは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を
正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠
し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話がある。
儒教はこのように、血縁共同体を超えた規範になるためには最初から限界を抱えていた。その
ために『孝経』がつくられて、孝と忠の調整がはかられたとも言われるが、この問題は結局は
根本的には解決されなかったように思う。》
http://www.amazon.co.jp/dp/B00E60ARNA/
(新 スカートの風 角川文庫 呉善花=お・そんふぁ著)
ここで指摘したいのは柄谷の儒教への言及は必然だったということだ。
柳田は朱子学から社倉のアイデアを得ていたという指摘に加え(75,48,59頁参照)、
柳田の父は神官である以前に儒者だった。
柳田の思考パターンは神道以上に儒教的である。
柳田は孝行の重要性を語っている。
http://1000ya.isis.ne.jp/1205.html
《桑原武夫が柳田国男に、こういうことを尋ねたことがあるらしい。かつて日本には内藤湖
南、狩野直喜、西田幾多郎といった強靭な学者がいたと思うのですが、最近はどうも軟弱で、
線が細くなったと感じるんですが、先生はどういうふうに感じられますでしょうか。すると
柳田は、「それは孝行というものがなくなったからです」と答えたという。》
儒者が乱神を語るのはおかしいと思われるかもしれないが、白川静が指摘するように孔子はもと
もとは葬儀屋なのだ。とはいえ柳田は折口や熊楠のようには神秘体験を主張しない。ここは儒者
らしい。
そもそも『遊動論』で柄谷が指摘したように、「神道」は仏教や儒教を模倣することによって体系化された。
《神道学者らがいう日本固有の「神道」は、実は、仏教や道教・儒教から得た理論を用いて体系化した
ものにすぎない。》(『遊動論』129~130頁)
だから神道を儒教的に扱う柳田に矛盾はない(*)。
宣長の漢意批判は、別のレベルで柳田に受け継がれている。
柳田にとっては神道、儒教、仏教、道教、西欧文化はすべて補完関係にある。
ただし、必然的に柳田の体系も儒教を超えていない。
朱子学のように、構造主義ではなく構図主義にとどまる。(理論よりも事実を重視するわけだから)
『蝸牛考』も構図主義的だ(**)。
*
旧作インスクリプト『柳田国男論』27頁以下で柄谷は柳田を(古道を絶対化した)宣長よりも儒者である(歴史に意識的な)荻生徂徠に
近いと言っている(初出1986年)。
最新作が神道寄りなら儒学寄りにかつては(=1986年版。1975年版では宣長への言及から始まるが)柳田を解釈していたことになる。
それも先に述べたように神道が儒教を手本に構築されていったと考えれば矛盾はない(荻生徂徠の朱子学批判、本居宣長の荻生徂徠批判は観念
論批判として同質であり逆に彼らの同質性、継承性を示す)。
同書33頁(及び184~5頁=1974年初出「柳田国男試論」)では柳田が孝行を重視したという桑原武夫の証言も、花田清輝からの孫引き(「柳
田国男について」『花田清輝評論集』岩波文庫219頁参照。出典は桑原武夫「学問を支えるもの」『雲の中を歩んではならない』桑原武夫全集第
5巻再録)としてではあるが柄谷は引用している。
柳田のテクストをマルクスと同質のものとして救い上げる手腕(同書40,66,168頁)は、テクスト論としては最新作より一貫した重心の低
さがあり、(超越的な見取り図は提出されないが)見事と言っていい。
旧作(1986,1974,1975年初出)が、折口、熊楠との比較、小さき者への視座という最新作と同じ題材を扱いつつも、吉本隆明のような大上段の
見取り図=理論の下をくぐり抜けるテクスト群であるとし たら(1974年版68頁ではスピノザ、1974年版203頁ではデカルトを引用していたが、
特に1975年「柳田国男の神」ではパスカルとの類似が指摘される(***))、最新作は(74頁ではカントが言及される)吉本に真正面から向
かい合いかつそれを超越し、オルタナティブな見取り図を提出している。
デデムシ→マイマイ→カタツムリ→ツブリ→ナメクジ
**
参考:
方言周圏論(柳田国男『蝸牛考』1930年初版。柄谷行人『遊動論』111頁、旧『柳田国男論』37、93頁他参照):
(古い順に)
ナメクジ→ツブリ→カタツムリ→マイマイ→デデムシ
(斜めの長方形は日本列島。☆は京都)
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/ ナメクジ / \\
/ ________/______ \\
/ / ツブリ/ \ \\
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山人と島人との同質性もこれで説明できる(『遊動論』91頁参照)。
ちなみに、(柳田=柄谷はこうした一般化を認めないが)方言周圏論と同じことが基礎と
なる文化、宗教についても言えるだろう。
アイヌ→神道→仏教→道教→欧米(キリスト教)
キリシタン弾圧など、復古思想により新しい文化が周辺に追いやられることもある。
縄文人の子孫の人口分布も(これは明らかに弥生より古層にあるが)そうした傾向を持つ。
柳田のテクストをマルクスと同質のものとして救い上げる手腕(同書40,66,168頁)は、テクスト論としては最新作より一貫した重心の低
さがあり、(超越的な見取り図は提出されないが)見事と言っていい。
旧作(1986,1974,1975年初出)が、折口、熊楠との比較、小さき者への視座という最新作と同じ題材を扱いつつも、吉本隆明のような大上段の
見取り図=理論の下をくぐり抜けるテクスト群であるとし たら(1974年版68頁ではスピノザ、1974年版203頁ではデカルトを引用していたが、
特に1975年「柳田国男の神」ではパスカルとの類似が指摘される(***))、最新作は(74頁ではカントが言及される)吉本に真正面から向
かい合いかつそれを超越し、オルタナティブな見取り図を提出している。
デデムシ→マイマイ→カタツムリ→ツブリ→ナメクジ
**
参考:
方言周圏論(柳田国男『蝸牛考』1930年初版。柄谷行人『遊動論』111頁、旧『柳田国男論』37、93頁他参照):
(古い順に)
ナメクジ→ツブリ→カタツムリ→マイマイ→デデムシ
(斜めの長方形は日本列島。☆は京都)
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山人と島人との同質性もこれで説明できる(『遊動論』91頁参照)。
ちなみに、(柳田=柄谷はこうした一般化を認めないが)方言周圏論と同じことが基礎と
なる文化、宗教についても言えるだろう。
アイヌ→神道→仏教→道教→欧米(キリスト教)
キリシタン弾圧など、復古思想により新しい文化が周辺に追いやられることもある。
縄文人の子孫の人口分布も(これは明らかに弥生より古層にあるが)そうした傾向を持つ。
例えば「後狩詞記」でも九州の山人の小屋がアイヌと似ていることが指摘されている(文庫全集第5巻18頁)。
***
マルクス(通奏低音として)→スピノザ→デカルト→パスカル→カント
あるいは、
改訂稿:
柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが柳田と同質的なものだという肯定的文脈で言及され、
旧作1974年版50頁ではアラン、68頁ではスピノザ、
1974年版203頁ではデカルトが引用され(1974年版74,82頁ではデカルトと並べてベーコンが言及される。ベーコンは244頁でも言及される)、
***
マルクス(通奏低音として)→スピノザ→デカルト→パスカル→カント
あるいは、
改訂稿:
柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが柳田と同質的なものだという肯定的文脈で言及され、
旧作1974年版50頁ではアラン、68頁ではスピノザ、
1974年版203頁ではデカルトが引用され(1974年版74,82頁ではデカルトと並べてベーコンが言及される。ベーコンは244頁でも言及される)、
1975年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1974年版から一貫して言及される(旧作40,66,168頁、新作76~7頁)。
こうした柄谷の趣味を周圏論的に捉えると、
(古い順に)
マルクス&アラン→スピノザ&フロイト→デカルト&ベーコン→パスカル→カント
となる。
1974年版135頁で言及され、新作184頁付論でも言及されるフロイトをマルクスとともに
通奏低音として追加してもいいかもしれない。
(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
___________________
/ マルクス アラン \\
/ ________/______ \\
/ / スピノザ/フロイト \ \\
/ / ____/______ \ \\
/ / / デカルト ベーコン \ \ \\
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| | / / パスカル \ \ | |
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柳田は自然と人間の関係を考察するとされる(1975年論考)。だから図のさらに周辺に位置するとも考えられる。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。柳田の関わるのはあくまで歴史である。
マルクスは1974年版から一貫して言及される(旧作40,66,168頁、新作76~7頁)。
こうした柄谷の趣味を周圏論的に捉えると、
(古い順に)
マルクス&アラン→スピノザ&フロイト→デカルト&ベーコン→パスカル→カント
となる。
1974年版135頁で言及され、新作184頁付論でも言及されるフロイトをマルクスとともに
通奏低音として追加してもいいかもしれない。
(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
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/ マルクス アラン \\
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/ / / デカルト ベーコン \ \ \\
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柳田は自然と人間の関係を考察するとされる(1975年論考)。だから図のさらに周辺に位置するとも考えられる。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。柳田の関わるのはあくまで歴史である。
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俗 口 習
信 碑 俗
柳田国男(民間伝承の)「三部分類」
(『民間伝承論』ちくま文庫版全集第28巻373頁より。同26巻「国史と民俗学」にも同様の説明がある。「柄谷行人『柳田国男論』113頁参照)
柳田国男は民間伝承の三部分類(目・耳・心)を提唱している。
あくまで帰納法であり、宇野弘蔵のようなヘーゲル経由ではない。
座標が縦横にあるから応用が効き、秘教化しないところがミソだ。
柄谷の論考はこれらを精神分析的に遡行するものだ。
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俗 口 習
信 碑 俗
柳田国男(民間伝承の)「三部分類」
(『民間伝承論』ちくま文庫版全集第28巻373頁より。同26巻「国史と民俗学」にも同様の説明がある。「柄谷行人『柳田国男論』113頁参照)
柳田国男は民間伝承の三部分類(目・耳・心)を提唱している。
あくまで帰納法であり、宇野弘蔵のようなヘーゲル経由ではない。
座標が縦横にあるから応用が効き、秘教化しないところがミソだ。
柄谷の論考はこれらを精神分析的に遡行するものだ。
追記:
柳田は蝸牛考におけるチューネンからの影響を公言している。
孤立国 (近代経済学古典選集) 単行本 – 1989/12
水野論考
自然労賃は,以下のようにして導かれる8.
新たに農場を建設する場合,農場建設の直接的作業を行う者(第一班)と彼等の生活維持のために食糧生産を行う者(第二班)との二つに分かれる (『孤立国』邦訳p.377). 第一班の人達の生存維持に必要な食糧等は、第二班の人達の労働から生みだされるので,一人当たりの賃金を生活必要賃金a とそれを越える分(超過分9)y とすると,第一班の職糧は,第二班の人達の労賃のうちの(超過分)yによって賄われる必要があるので,全体人数を求め,一人当たり生産額pから賃金(a+y)を控除したものを微分して収益最大値を求めると,a + y =√ apが求められる.
これは賃金が労働者の必要生活費と労働の生産物の売り上げの比例中項となる場合であり,そのとき生産者の収益が最大になることを意味している.それを自然賃金と呼んだ.これが生産者の収益を最大にするためにあるべき賃金である。
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柳田の協同組合への着目(三倉=義倉・社倉・常平倉。柄谷行人『遊動論』、ケインズ全集#27参照)は
マルクス経由ではなく、飢饉の経験からくる
柳田はマルクスの抽象能力の影響下にはない
柳田は暴力革命を危惧していたから
マルクス資本論の影響はない。チューネン孤立國の影響はある(方言周圏論-柳田国男『蝸牛考』)
ただマルクスはチューネンの影響を受けていたから柳田とマルクスは学問的には同門であると言える
マルクスのチューネン評は以下で見られる。
資本論1:23:1(子供じみている)、クーゲルマン宛て書簡#32(ほろりとさせられる)。
参考:
チューネン自然労賃(生活必要賃金a+超過分y)=√ a一人当たり生産額p
http://jshet.net/docs/conference/76th/mizuno.pdf
差額地代しか見ていないと揶揄される傾向もあるが
こう見るとチューネン自然労賃の認識はマルクスの認識とそこまで違いはない
第二三章 資本制的蓄積の一般的法則
第一節 資本の構成が同等不変であれば労働力に対する需要は蓄積につれて増加する
人間は、宗教において自分じしんの頭の作物によって支配されるのと同じように、資本制的生産においては自分じしんの手の作物によって支配される(*77a)。
77a 「さて、資本そのものが人間の労働の産物にすぎないことを証明したわれわれの最初の研究にたち帰るならば、……人間が自分じしんの生産物たる資本の支配下におちいって、これに隷属させられうるということは、まったく理解できないように思われる。しかも、現実においては確かにそのとおりなのだから、おのずから次ぎのような疑問がおこる、──資本の創造者たる労働者がいかにして、資本の支配者から資本の奴隷となりえたか?」(フォン・テューネン『孤立国家』、第二部第二篇。ロシュトック、一八六三年、五、六頁。)疑問をおこしたのはテューネンの功績であるが、彼の解答はまったまったく子供じみたものである。
戦後世界の形成―雇用と商品 (ケインズ全集#27)単行本 – 1996/8
https://www.amazon.co.jp/dp/4492813276/
https://www.amazon.co.jp/dp/4492813276/
ケインズは一次産品の価格安定のために国際緩衝在庫案(1942年)を出した。
柳田國男が着目した三倉(義倉・社倉・常平倉)の国際版ようなものだ(参考:柄谷行人『遊動論』他)。
バンコールはこれでわかりやすい実体を持つようになる。
(『危機の中でケインズから学ぶ』2011年・平井論考より)
協同組合というと小さすぎて軽視されるかもしれないが、国際社会でも結局同じ原理が応用できる。
参考:
平井俊顕ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/49302436.html
https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/49302436.html
似たアイデアを先に出したウォーレス副大統領は実際に中国の常平倉("The Ever-Normal
Granary")からアイデアを得たようだ。
ゲゼルとケインズは長期的かつ世界的視野を持った数少ない経済学者だ。
ゲゼルとケインズは長期的かつ世界的視野を持った数少ない経済学者だ。
水野論考
http://jshet.net/docs/conference/76th/mizuno.pdf
チューネン自然労賃は,以下のようにして導かれる
新たに農場を建設する場合,農場建設の直接的作業を行う者(第一班)と彼等の生活
http://jshet.net/docs/conference/76th/mizuno.pdf
チューネン自然労賃は,以下のようにして導かれる
新たに農場を建設する場合,農場建設の直接的作業を行う者(第一班)と彼等の生活
維持のために食糧生産を行う者(第二班)との二つに分かれる (『孤立国』邦訳p.377).
第一班の人達の生存維持に必要な食糧等は、第二班の人達の労働から生みだされるので,
一人当たりの賃金を生活必要賃金a とそれを越える分(超過分)y とすると,第一班の
職糧は,第二班の人達の労賃のうちの(超過分)yによって賄われる必要があるので,
全体人数を求め,一人当たり生産額pから賃金(a+y)を控除したものを微分して収益
最大値を求めると,a + y =√ apが求められる.
これは賃金が労働者の必要生活費と労働の生産物の売り上げの比例中項となる場合であり,
これは賃金が労働者の必要生活費と労働の生産物の売り上げの比例中項となる場合であり,
そのとき生産者の収益が最大になることを意味している.それを自然賃金と呼んだ.これ
が生産者の収益を最大にするためにあるべき賃金である。
チューネン自然労賃(生活必要賃金a+超過分y)=√ a一人当たり生産額p
http://jshet.net/docs/conference/76th/mizuno.pdf
こう見るとチューネン自然労賃の認識はマルクスの認識とそこまで違いはない
ちなみに、柳田の協同組合への着目(三倉=義倉・社倉・常平倉。柄谷行人『遊動論』、ケインズ
全集#27参照)は マルクス経由ではなく、飢饉の経験からくる
柳田はマルクスの抽象能力の影響下にはない
柳田は暴力革命を危惧していたから
マルクス資本論(抽象能力の産物)の影響はない。チューネン孤立國の影響はある(方言周
圏論-柳田国男『蝸牛考』)
ただマルクスはチューネン、ハイネの影響を受けていたから柳田とマルクスは学問状況的には同門であると言える
マルクスのチューネン評は以下で見られる。
資本論1:23:1(子供じみている)、クーゲルマン宛て書簡#32(ほろりとさせられる)。
参考:
チューネン自然労賃:(生活必要賃金a+超過分y)=√ a一人当たり生産額p
http://jshet.net/docs/conference/76th/mizuno.pdf
(均衡賃金としての自然賃金は生存賃金と労働生産性の幾何平均であるというチューネンの公式)
差額地代しか見ていないと揶揄される傾向もあるが
こう見るとチューネン自然労賃の認識はマルクスの再生産表式の認識とそこまで違いはない
《「…次ぎのような疑問がおこる、──資本の創造者たる労働者がいかにして、資本の
支配者から資本の奴隷となりえたか?」(フォン・テューネン『孤立国家』、第二部
第二篇。ロシュトック、一八六三年、五、六頁。)疑問をおこしたのはテューネンの
功績であるが、彼の解答はまったまったく子供じみたものである。 》
《このチューネンにはどこかほろりとさせられるところがあります。メクレンブルクの
ユンカーで…観察、微分計算、簿記等を使いながら、リカードの地代論を自分で組み立て
ているのであるから。これこそまさに大したものでもあり、滑稽でもあります。》
(「マルクスからルートヴィヒ・クーゲルマンへ〔1868年〕K.Marx-F.Engels[1965]Band32
一般に生産手段が技術的に進歩するから生産様式(関係)まで発展的に進歩すると思われがちだが
覇権国家の力が強い時は自由主義が、
その覇権が衰えれば帝国主義が交互に現れる(今は後者)
国家が産業資本に働きかける時期も交互に現れる
技術の進歩は社会の不可逆的な進歩ではない
産業資本の衰えた覇権国家が金融資本に転化するのもパターン化している
オランダ、イギリス、アメリカ…
ソニーのような企業も似た傾向を持つ
欧米→江戸→仏教→道教→神道→アイヌ
返信削除デデムシ→マイマイ→カタツムリ→ツブリ→ナメクジ
返信削除デデムシ→マイマイ→カタツムリ→ツブリ→ナメクジ
返信削除方言周圏論と同じことが文化の基礎となる宗教について言える
欧米(キリスト教)→仏教→道教→神道→アイヌ
デデムシ→マイマイ→カタツムリ→ツブリ→ナメクジ
返信削除方言周圏論と同じことが基礎となる文化、宗教について言える。
欧米(キリスト教)→仏教→道教→神道→アイヌ
デデムシ→マイマイ→カタツムリ→ツブリ→ナメクジ
返信削除方言周圏論と同じことが基礎となる文化、宗教について言える。
欧米(キリスト教)→道教→仏教→神道→アイヌ
http://www5.ocn.ne.jp/~miyosino/dakesinko.html
返信削除こうした日本の古い古神道的な山岳信仰が、神仙思想の道教、奈良時代の学問仏教と習合し、日本独自の宗教として発達をとげたのが修験(道)で、その開祖とされているのが役小角である。特に吉野や熊野地方は、山岳修行者の霊地とされ、山伏、修験などと呼ばれている修行者らが活動していた。中でも吉野の金峯山は有名である。彼らが尊崇する蔵王権現は日本の山岳信仰の原点であり、この神とも仏ともつかぬ神格は、金峯山寺の本尊である。その威容は、頭髪は逆立ち、目を吊り上げ、口を大きく開いた忿怒の形相で、右足を高く上げて空を踏んでいる。この蔵王権現は役優婆塞(えんのうばそこ)小角が祈り出したものと伝えられる。
ところで、道教と仏教はどちらが早く日本に伝来したのだろうか。
仏教の公伝は、『書紀』の記事にもある通り、一般的には欽明天皇十三年(五五二)の伝来とされている。
このことについて、『朝鮮と日本の古代仏教』の著者、佛教大学教授・中井真孝氏は、「仏教伝来の年次について、欽明天皇の戊午年(つちのえうま)(五三八)と壬申年(みずのえさる)(五五二)の両説があり、今日の学界では、継体天皇から欽明天皇にいたる紀年論と絡み合わせて、前者のほうが古い伝承で、史実に近いと考えられている。」としながらも、「仏教の公伝が欽明朝より以外の時期にあったというのではない。私は、仏教が私的に――渡来人という個別、または北九州という地域の限定をもって――五世紀後半にはわが国へ伝えられていたであろうと積極的に推論するが、それはまだ政治的に社会的に重大な影響を与えるには至らなかったと思われる」(引用終わり)。
つまり、西暦五〇〇年以前に、すでに一部の民間には伝来していたであろうといわれているのである。おそらくその通りだと思う。
また道教は、仏教と同じ位の時期に伝来したとされる。しかし、『書紀』に、天武天皇四年(六七五)春正月「庚戌。始興占星臺。」と、一月五日初めて占星台を建てるという記事がある。占星台は星を観察する櫓なので、六七五年以前に道教が伝来していたであろうことは分かるが、それ以前の記録はないので仏教より遅れての伝来であろうと思われる。
《和邇》
返信削除漢字の日本伝来については、かねて古事記の記載が根拠とされてきた。
即ち、応神記に、
「名和邇吉師、即論語十巻、千字文一巻、并十一巻、付是人即貢進」とあるのが、それである。
百済照古王の時と記述される。
この照古王は、百済6世近肖古王(346~375在位)とされるから、4世紀中頃の伝来と考えられている。
ところが書紀では、漢字伝来の記述はなく、古事記の対応記事は、
応神記16年に、「十六年春二月王仁來之、即太子菟道稚郎子師之。習諸典籍於王仁。」とあり、その前段では
応神記15年で、「阿直岐亦能讀經典。即太子菟道稚郎子師焉」とあり、不明である。
《倭の朝貢記事》
57年倭奴国、後漢光武帝に奉献朝賀
107年倭面土国王帥升等生口160人を後漢安帝に献ず
239年卑弥呼が「親魏倭王」の称号と、金印、銅鏡100枚を得る
等記載がある。
例えば57年朝賀の儀は、通常、上表文を読み上げることによって行われる。
という事は、この頃既に、通訳若しくは尚書のようなものが倭奴国にはいたはずで、
中国漢字文の読み書きが出来ていたはずである。
(この為か、平凡社世界大百科辞典では漢字の伝来は1世紀頃と記している)
by「風姿」
漢字の伝来は、通説より古いと考えられる。
紀元前と考える事も可能である。
列島各地に徐福伝承が残っているが、これは秦の始皇帝の時期の話である。
徐福は当然漢字使用に通じていたはずであるから、この伝承が事実なら、漢字伝来は紀元前200年頃という可能性も
出てくるのである。
又、倭人が、呉王大伯の裔を称していたという伝承に可能性を見いだすなら、漢字伝来は更に古い時代のことになる。
では、何故日本に漢字が伝来したのが4世紀中頃とされ、更に、古事記編纂に際して、稗田阿礼を用いたのであろうか。
私は此処に、焚書が行われたことを感じるのである。
http://www.interq.or.jp/www-user/fuushi/5-anc/5h-genngo/5h-genngo-a2.htm
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デデムシ→マイマイ→カタツムリ→ツブリ→ナメクジ
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デデムシ→マイマイ→カタツムリ→ツブリ→ナメクジ
方言周圏論:
返信削除デデムシ→マイマイ→カタツムリ→ツブリ→ナメクジ
斜めの長方形は日本列島
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ちなみに、方言周圏論と同じことが基礎となる文化、宗教について言える。
返信削除欧米(キリスト教)→道教→仏教→神道→アイヌ
方言周圏論にはチューネンの孤立国の影響があるという
返信削除参考:
返信削除方言周圏論:
ナメクジ→ツブリ→カタツムリ→マイマイ→デデムシ
(斜めの長方形は日本列島)
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ちなみに、方言周圏論と同じことが基礎となる文化、宗教について言える。
アイヌ→神道→仏教→道教→欧米(キリスト教)
キリシタン弾圧など、復古思想により新しい文化が周辺に追いやられることもある。
返信削除そもそも『遊動論』で柄谷が指摘したように、神道自体が仏教や儒教を模倣することによって体系化された。
<神道学者らがいう日本固有の「神道」は、実は、仏教や道教・儒教から得た理論を用いて体系化した
ものにすぎない。>
(『遊動論』129~130頁)
だから柳田に矛盾はない。
宣長の漢意批判は、別のレベルで柳田に受け継がれている。
柳田にとっては神道、儒教、仏教、道教、西欧文化はすべて補完関係にある。
ただし、必然的に柳田の体系も儒教を超えていない。
構造主義ではなく構図主義にとどまる。
『蝸牛考』も構図主義的だ。
http://www.inscript.co.jp/b1/978-4-900997-38-7
返信削除柳田国男論
2013年10月30日書店発売
柄谷行人 著
長らく封印されてきた著者32歳時の長篇評論「柳田国男試論」350枚、書下し序文を付して初の単行本化。柳田国男の〈方法〉を問い、柳田論に新たな視角を拓く。『マルクスその可能性の中心』と並行して執筆され、『日本近代文学の起源』に先駆・結実する最重要論考「柳田国男試論」(1974年)。他に「柳田国男の神」(1974年)、「柳田国男論」(1986年、既発表)を併録した柳田論集成として刊行する。
柳田の倫理学は、人間と人間の関係にではなく、人間と自然あるいは自然と自然との関係にすえられている。そのなかで、精神は何をなしうるか。柳田が突きつめて考えていたのはそういう問題だ。そこに、あの方法的意志があらわれる。方法的であることによってしか、精神は存立することができない。精神が負わされた宿命を、柳田国男ほどに考え且つ実行した人を私は知らないのである。(「柳田国男試論」より)
目次
序文
柳田国男論 一九八六年
柳田国男試論 一九七四年
柳田国男の神 一九七四年
引用出典一覧
返信削除そもそも『遊動論』で柄谷が指摘したように、神道自体が仏教や儒教を模倣することによって体系化された。
<神道学者らがいう日本固有の「神道」は、実は、仏教や道教・儒教から得た理論を用いて体系化した
ものにすぎない。>
(『遊動論』129~130頁)
だから神道を儒教的に扱う柳田に矛盾はない(*)。
宣長の漢意批判は、別のレベルで柳田に受け継がれている。
柳田にとっては神道、儒教、仏教、道教、西欧文化はすべて補完関係にある。
とはいえやはり、必然的に柳田の体系も儒教を超えていない。
朱子学のように、構造主義ではなく構図主義にとどまる。
『蝸牛考』も構図主義的だ。
注*
旧作インスクリプト『柳田国男論』27頁以下で柄谷は柳田を宣長よりも儒者である荻生徂徠に 近いと言っている。
最新作が神道寄りなら儒学寄りに柳田を解釈していたことになる。
それも神道が儒教を手本に構築されていったと考えれば矛盾はない。
同書33頁では先に引用した柳田が孝行を重視したという桑原武夫の証言も、花田清輝による孫 引き(「柳田国男について」)として柄谷は引用している。
柳田のテクストをマルクスと同質のものとして救い上げる手腕(同書66頁)は、テクスト論と しては最新作より一貫した重心の低さがあり、(超越的な見取り図は提出されないが)見事と言 っていい。
ただし、旧作が吉本隆明のような大上段の見取り図=理論をくぐり抜けるテクスト論であるとし たら、最新作は吉本に真正面から向かい合い、オルタナティブな見取り図を提出している。
返信削除<安 堵>頼朝
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B 再分配 |A 互酬
ウェーバー(略奪と再分配)| (贈与と返礼)
<強制>_________|_________<本来的>旧論考
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
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<未来的>
新論考
6:44 午後
yoji さんは書きました...
新論考は協同自助という経済的視点を第二章で取り上げることで縦の座標軸を明確にした。
返信削除<安 堵>頼朝
|
B 再分配 |A 互酬
ウェーバー(略奪と再分配)| (贈与と返礼)
<強制>_________|_________<本来的>旧論考
C 商品交換 |D X
(貨幣と商品) |
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<未来的>
新論考
新論考は協同自助という経済的視点を第二章で取り上げることで縦の座標軸を明確にした。
返信削除旧作(1986,1975,1974年初出)が、折口、熊楠との比較、小さき者への視座という最新作と同じ題材を扱いつつも、吉本隆明のような大上段の
見取り図=理論の下をくぐり抜けるテクスト群であるとし たら(1985年版68頁ではスピノザ、1975年版203頁ではデカルトを引用していたが、
特に1974年「柳田国男の神」ではパスカルとの類似が指摘される(***))、最新作は(74頁ではカントが言及される)吉本に真正面から向
かい合いかつそれを超越し、オルタナティブな 見取り図を提出している。
***
パスカル→マルクス(通奏低音として)→デカルト→スピノザ→カント
返信削除最新作74頁ではカントが言及され、旧作1985年版68頁ではスピノザ、1975年版203頁ではデカルトが引用され、
特に1974年「柳田国男の神」ではパスカルとの類似が指摘されている(***)。
***
パスカル→マルクス(通奏低音として)→デカルト→スピノザ→カント
返信削除最新作74頁ではカントが言及され、旧作1985年版68頁ではスピノザ、1975年版203頁ではデカルトが引用され、
特に1974年「柳田国男の神」ではパスカルとの類似が指摘されている。マルクスな1975年版から一貫して言及される。
これを周圏論的に捉えると、
パスカル→マルクス(通奏低音として)→デカルト→スピノザ→カント
返信削除柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが言及され、旧作1985年版68頁ではスピノザ、1975年版203頁ではデカルトが引用され、
特に1974年「柳田国男の神」ではパスカルとの類似が指摘されている。マルクスな1975年版から一貫して言及される。
これを周圏論的に捉えると、
パスカル→マルクス(通奏低音として)→デカルト→スピノザ→カント
返信削除柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが言及され、
旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され、
特に1974年「柳田国男の神」ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスな1975年版から一貫して言及される。
これを周圏論的に捉えると、
パスカル→マルクス(通奏低音として)→デカルト→スピノザ→カント
返信削除柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが言及され、
旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され、
特に1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される。
これを周圏論的に捉えると、
パスカル→マルクス(通奏低音として)→デカルト→スピノザ→カント
柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが言及され、
返信削除旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され、
特に1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される。
これを周圏論的に捉えると、
(古い順に)
パスカル→マルクス(通奏低音として)→デカルト→スピノザ→カント
となる。
柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが言及され、
返信削除旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され、
1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される(旧作66,168頁、新作76~7頁)。
これを周圏論的に捉えると、
(古い順に)
パスカル→マルクス(通奏低音として)→デカルト→スピノザ→カント
となる。
柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが言及され、
返信削除旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され、
1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される(旧作66,168頁、新作76~7頁)。
これを周圏論的に捉えると、
(古い順に)
パスカル→(通奏低音としての)マルクス→デカルト→スピノザ→カント
となる。
返信削除柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが柳田と同質的なものだという肯定的文脈で言及され、
旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され、
1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される(旧作66,168頁、新作76~7頁)。
これを周圏論的に捉えると、
(古い順に)
パスカル→(通奏低音としての)マルクス→デカルト→スピノザ→カント
返信削除柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが柳田と同質的なものだという肯定的文脈で言及され、
旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され、
1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される(旧作66,168頁、新作76~7頁)。
これを周圏論的に捉えると、
(古い順に)
パスカル→(通奏低音としての)マルクス→デカルト→スピノザ→カント
1975年版135頁で言及され、新作184頁付論でも言及されるフロイトをマルクスとともに通奏低音として追加してもいいかもしれない。
返信削除柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが柳田と同質的なものだという肯定的文脈で言及され、
旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され、
1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される(旧作66,168頁、新作76~7頁)。
これを周圏論的に捉えると、
(古い順に)
パスカル→(通奏低音としての)マルクス→デカルト→スピノザ→カント
1975年版135頁で言及され、新作184頁付論でも言及されるフロイトをマルクスとともに
通奏低音として追加してもいいかもしれない。
返信削除柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが柳田と同質的なものだという肯定的文脈で言及され、
旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され、
1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される(旧作66,168頁、新作76~7頁)。
これを周圏論的に捉えると、
(古い順に)
パスカル→(通奏低音としての)マルクス→デカルト→スピノザ→カント
となる。
1975年版135頁で言及され、新作184頁付論でも言及されるフロイトをマルクスとともに
通奏低音として追加してもいいかもしれない。
返信削除柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが柳田と同質的なものだという肯定的文脈で言及され、
旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され、
1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される(旧作66,168頁、新作76~7頁)。
こうした柄谷の趣味を周圏論的に捉えると、
(古い順に)
パスカル→(通奏低音としての)マルクス→デカルト→スピノザ→カント
となる。
1975年版135頁で言及され、新作184頁付論でも言及されるフロイトをマルクスとともに
通奏低音として追加してもいいかもしれない。
返信削除柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが柳田と同質的なものだという肯定的文脈で言及され、
旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され、
1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される(旧作66,168頁、新作76~7頁)。
こうした柄谷の趣味を周圏論的に捉えると、
(古い順に)
パスカル→(通奏低音としての)マルクス→デカルト→スピノザ→カント
となる。
1975年版135頁で言及され、新作184頁付論でも言及されるフロイトをマルクスとともに
通奏低音として追加してもいいかもしれない。
(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
___________________
/ マルクス /フロイト \\
/ ________/______ \\
/ / パスカル/ \ \\
/ / ____/______ \ \\
/ / / デカルト \ \ \\
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| | / スピノザ \ \ | |
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\\______/___________/
柳田はさらにその周縁で、自然と人間の関係を考察するとされる。
返信削除ただし、この分野は熊楠の方が一歩リードしている。
返信削除柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが柳田と同質的なものだという肯定的文脈で言及され、
旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され、
1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される(旧作66,168頁、新作76~7頁)。
こうした柄谷の趣味を周圏論的に捉えると、
(古い順に)
(通奏低音としての)マルクス→パスカル→デカルト→スピノザ→カント
となる。
1975年版135頁で言及され、新作184頁付論でも言及されるフロイトをマルクスとともに
通奏低音として追加してもいいかもしれない。
(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
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/ マルクス /フロイト \\
/ ________/______ \\
/ / パスカル/ \ \\
/ / ____/______ \ \\
/ / / デカルト \ \ \\
| / / /______ \ \ / |
| | / スピノザ \ \ | |
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柳田はさらにその周縁で、自然と人間の関係を考察するとされる。
ただし、この分野は熊楠の方が一歩リードしている。
返信削除柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが柳田と同質的なものだという肯定的文脈で言及され、
旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され、
1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される(旧作66,168頁、新作76~7頁)。
こうした柄谷の趣味を周圏論的に捉えると、
(古い順に)
(通奏低音としての)マルクス→パスカル→デカルト→スピノザ→カント
となる。
1975年版135頁で言及され、新作184頁付論でも言及されるフロイトをマルクスとともに
通奏低音として追加してもいいかもしれない。
(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
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/ マルクス /フロイト \\
/ ________/______ \\
/ / パスカル/ \ \\
/ / ____/______ \ \\
/ / / デカルト \ \ \\
| / / /______ \ \ / |
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柳田はさらにその周縁で、自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。
ただし、この分野は熊楠の方が一歩リードしている。
柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが柳田と同質的なものだという肯定的文脈で言及され、
返信削除旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され、
1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される(旧作66,168頁、新作76~7頁)。
こうした柄谷の趣味を周圏論的に捉えると、
(古い順に)
パスカル→(通奏低音としての)マルクス→デカルト→スピノザ→カント
となる。
1975年版135頁で言及され、新作184頁付論でも言及されるフロイトをマルクスとともに
通奏低音として追加してもいいかもしれない。
(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
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/ /パスカル \\
/ ________/______ \\
/ / マルクス/フロイト \ \\
/ / ____/______ \ \\
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柳田はさらにその周縁で、自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。
ただし、この分野は熊楠の方が一歩リードしている。
返信削除柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが柳田と同質的なものだという肯定的文脈で言及され、
旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され、
1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される(旧作66,168頁、新作76~7頁)。
こうした柄谷の趣味を周圏論的に捉えると、
(古い順に)
パスカル→(通奏低音としての)マルクス→デカルト→スピノザ→カント
となる。
1975年版135頁で言及され、新作184頁付論でも言及されるフロイトをマルクスとともに
通奏低音として追加してもいいかもしれない。
(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
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/ /パスカル \\
/ ________/______ \\
/ / マルクス/フロイト \ \\
/ / ____/______ \ \\
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柳田はさらにその周縁で、自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。
ただし、この分野は熊楠の方が一歩リードしている。
柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが柳田と同質的なものだという肯定的文脈で言及され、
返信削除旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され、
1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される(旧作66,168頁、新作76~7頁)。
こうした柄谷の趣味を周圏論的に捉えると、
(古い順に)
パスカル→(通奏低音としての)マルクス→デカルト→スピノザ→カント
となる。
1975年版135頁で言及され、新作184頁付論でも言及されるフロイトをマルクスとともに
通奏低音として追加してもいいかもしれない。
(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
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/ パスカル/ \\
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柳田はさらにその周縁で、自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。
ただし、この分野は熊楠の方が一歩リードしている。
柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが柳田と同質的なものだという肯定的文脈で言及され、
返信削除旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され、
1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される(旧作66,168頁、新作76~7頁)。
こうした柄谷の趣味を周圏論的に捉えると、
(古い順に)
パスカル→(通奏低音としての)マルクス→デカルト→スピノザ→カント
となる。
1975年版135頁で言及され、新作184頁付論でも言及されるフロイトをマルクスとともに
通奏低音として追加してもいいかもしれない。
(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
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/ パスカル/ \\
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柳田はさらにその周縁で、自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。
柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが柳田と同質的なものだという肯定的文脈で言及され、
返信削除旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され、
1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される(旧作66,168頁、新作76~7頁)。
こうした柄谷の趣味を周圏論的に捉えると、
(古い順に)
(通奏低音としての)マルクス→パスカル→デカルト→スピノザ→カント
となる。
1975年版135頁で言及され、新作184頁付論でも言及されるフロイトをマルクスとともに
通奏低音として追加してもいいかもしれない。
(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
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/ マルクス /フロイト \\
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/ / パスカル \ \\
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柳田はさらにその周縁で、自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。
柳田は自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。だから図のさらに周辺に位置するとも考えられる。
返信削除ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。
柳田は自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。だから図のさらに周辺に位置するとも考えられる。
返信削除ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。柳田の関わるのはあくまで歴史である。
旧作74,82頁ではデカルトと並べてベーコンが言及される。
返信削除柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが柳田と同質的なものだという肯定的文脈で言及され、
返信削除旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され、
1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される(旧作66,168頁、新作76~7頁)。
旧作74,82頁ではデカルトと並べてベーコンが言及される。
こうした柄谷の趣味を周圏論的に捉えると、
(古い順に)
パスカル→(通奏低音としての)マルクス→デカルト→スピノザ→カント
となる。
1975年版135頁で言及され、新作184頁付論でも言及されるフロイトをマルクスとともに
通奏低音として追加してもいいかもしれない。
(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
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/ パスカル/ \\
/ ________/______ \\
/ / マルクス/フロイト \ \\
/ / ____/______ \ \\
/ / / デカルト ベーコン\ \ \\
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柳田はさらにその周縁で、自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。
柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが柳田と同質的なものだという肯定的文脈で言及され、
返信削除旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され(1975年版74,82頁ではデカルトと並べてベーコンが言及される)、
1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される(旧作66,168頁、新作76~7頁)。
こうした柄谷の趣味を周圏論的に捉えると、
(古い順に)
パスカル→(通奏低音としての)マルクス→デカルト→スピノザ→カント
となる。
1975年版135頁で言及され、新作184頁付論でも言及されるフロイトをマルクスとともに
通奏低音として追加してもいいかもしれない。
(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
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/ パスカル/ \\
/ ________/______ \\
/ / マルクス/フロイト \ \\
/ / ____/______ \ \\
/ / / デカルト ベーコン \ \ \\
| / / /______ \ \ / |
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柳田はさらにその周縁で、自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。
柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが柳田と同質的なものだという肯定的文脈で言及され、
返信削除旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され(1975年版74,82頁ではデカルトと並べてベーコンが言及される)、
1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される(旧作66,168頁、新作76~7頁)。
こうした柄谷の趣味を周圏論的に捉えると、
(古い順に)
パスカル→(通奏低音としての)マルクス→デカルト→スピノザ→カント
となる。
1975年版135頁で言及され、新作184頁付論でも言及されるフロイトをマルクスとともに
通奏低音として追加してもいいかもしれない。
(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
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/ パスカル/ \\
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/ / マルクス/フロイト \ \\
/ / ____/______ \ \\
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柳田は自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。だから図のさらに周辺に位置するとも考えられる。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。柳田の関わるのはあくまで歴史である。
改訂稿:
返信削除柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが柳田と同質的なものだという肯定的文脈で言及され、
旧作1985年版68頁ではスピノザ、
1975年版203頁ではデカルトが引用され、
1974年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1975年版から一貫して言及される(旧作66,168頁、新作76~7頁)。
こうした柄谷の趣味を周圏論的に捉えると、
(古い順に)
パスカル→(通奏低音としての)マルクス→デカルト→スピノザ→カント
となる。
1975年版135頁で言及され、新作184頁付論でも言及されるフロイトをマルクスとともに
通奏低音として追加してもいいかもしれない。
(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
___________________
/ パスカル/ \\
/ ________/______ \\
/ / マルクス/フロイト \ \\
/ / ____/______ \ \\
/ / / デカルト \ \ \\
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| | / / スピノザ \ \ | |
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柳田は自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。だから図のさらに周辺に位置するとも考えられる。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。柳田の関わるのはあくまで歴史である。
返信削除(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
___________________
/ パスカル/ 1974\\
/ ________/______ \\
/ / マルクス/フロイト \ \\
/ / ____/___1975 \ \\
/ / / デカルト \ \ \\
| / / /______ \ \ / |
| | / / スピノザ \ \ | |
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柳田は自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。だから図のさらに周辺に位置するとも考えられる。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。柳田の関わるのはあくまで歴史である。
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(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
柳田は自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。だから図のさらに周辺に位置するとも考えられる。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。柳田の関わるのはあくまで歴史である。
返信削除___________________
/ パスカル/ 1974 \\
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(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
柳田は自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。だから図のさらに周辺に位置するとも考えられる。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。柳田の関わるのはあくまで歴史である。
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/ パスカル/ 1974\\
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(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
柳田は自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。だから図のさらに周辺に位置するとも考えられる。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。柳田の関わるのはあくまで歴史である。
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/ パスカル/ 1974 \\
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(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
柳田は自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。だから図のさらに周辺に位置するとも考えられる。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。柳田の関わるのはあくまで歴史である。
柳田国男(南方熊楠、折口信夫)
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/ パスカル/ 1974 \\
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(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
柳田は自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。だから図のさらに周辺に位置するとも考えられる。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。柳田の関わるのはあくまで歴史である。
柄谷行人『柳田国男論』参照文献の変遷図:
返信削除柳田国男(南方熊楠、折口信夫)
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(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
柳田は自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。だから図のさらに周辺に位置するとも考えられる。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。柳田の関わるのはあくまで歴史である。
柄谷行人『柳田国男論』参照文献の変遷図:
返信削除柳田国男(南方熊楠、折口信夫)
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(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
柳田は自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。だから図のさらに周辺に位置するとも考えられる。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。柳田の関わるのはあくまで歴史である。
柄谷行人『柳田国男論』参照対応文献の変遷図:
返信削除柳田国男(南方熊楠、折口信夫)
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/ 本居宣長 パスカル/ 1974 \\
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(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
柳田は自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。だから図のさらに周辺に位置するとも考えられる。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。柳田の関わるのはあくまで歴史である。
柄谷行人『柳田国男論』参照対応文献の変遷図(日本人名を追加):
返信削除柳田国男(南方熊楠、折口信夫)
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/ 本居宣長 パスカル/ 1974 \\
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柳田は自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。だから図のさらに周辺に位置するとも考えられる。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。柳田の関わるのはあくまで歴史である。
返信削除柄谷行人『柳田国男論』参照対応文献の変遷図(日本人名を追加):
柳田国男(南方熊楠、折口信夫)
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(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
柳田は自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。だから図のさらに周辺に位置するとも考えられる。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。柳田の関わるのはあくまで歴史である。
返信削除柄谷行人『柳田国男論』参照対応文献の変遷図(日本人名を追加):
柳田国男(南方熊楠、折口信夫)
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/ マルクス フロイト \\
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(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
柳田は自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。だから図のさらに周辺に位置するとも考えられる。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。柳田の関わるのはあくまで歴史である。
返信削除柄谷行人『柳田国男論』参照対応文献の変遷図(日本人名を追加):
柳田国男(南方熊楠、折口信夫)
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/ マルクス フロイト \\
/ ________/__1974 \\
/ / デカルト/ベーコン \ \\
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(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
柳田は自然と人間の関係を考察するとされる(1974年論考)。だから図のさらに周辺に位置するとも考えられる。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。柳田の関わるのはあくまで歴史である。
柄谷の柳田論、最新作74頁ではカントが柳田と同質的なものだという肯定的文脈で言及され、
返信削除旧作1974年版50頁ではアラン、68頁ではスピノザ、
1974年版203頁ではデカルトが引用され(1974年版74,82頁ではデカルトと並べてベーコンが言及される)、
1975年「柳田国男の神」279頁ではパスカルとの類似が指摘されている。
マルクスは1974年版から一貫して言及される(旧作66,168頁、新作76~7頁)。
こうした柄谷の趣味を周圏論的に捉えると、
(古い順に)
マルクス&アラン→スピノザ&フロイト→デカルト&ベーコン→パスカル→カント
となる。
1974年版135頁で言及され、新作184頁付論でも言及されるフロイトをマルクスとともに
通奏低音として追加してもいいかもしれない。
(斜めの長方形は人間、☆はその可能性の中心?)
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柳田は自然と人間の関係を考察するとされる(1975年論考)。だから図のさらに周辺に位置するとも考えられる。
ただし、その分野は熊楠の方が一歩リードしている。柳田の関わるのはあくまで歴史である。
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返信削除モンテーニュ
文春学藝ライブラリー『「小さきもの」の思想』柳田国男 柄谷行人編 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS
返信削除http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784168130113
文春新書『遊動論 柳田国男と山人』によって、画期的な柳田論を提示した、柄谷行人が選び、解題を付した、まったく新しいアンソロジー。
柳田の「可能性の中心」がくっきりと浮かび上がります。
柳田を読むなら、この一冊。『遊動論』の必読のサブテキストです。
「柳田国男の仕事は、一言でいえば、近代の発展の中で急速に廃れ忘れられていくものを記録することであった。(……)柳田はこのような仕事を、たんに学者としてではなく、詩人、官僚、ジャーナリストとして現実に深くコミットする中で成し遂げた。(……)本書は、柳田のそのような生涯を展望できるように編集されている」(「はじめに」より)
主な収録作品は次のとおりです。
第一章 文学と柳田国男:柳田国男自伝/文学の思い出 抄 『故郷七十年』より
第二章 山の人生:幻覚の実験 『妖怪談義』より/幽冥談/九州南部地方の民風/遠野物語 抄/山の人生 抄/山人考 『山の人生』より/山民の生活
第三章 島の人生:島の話 抄 『青年と学問』より/南島研究の現状 抄 『青年と学問』より/島々の話 その四 抄 『島の人生』より/豆手帖から
第四章 「大正デモクラシー」を担う:ジュネーブの思い出/政党と階級意識/七月一日から愈々排日法の実施につき
第五章 民俗学=史学の方法:実験の史学 抄/単独立証法 『国史と民俗学』より
第六章 日本の歴史:親方子方 抄/労働『郷土生活の研究法』より/親分割拠『明治大正史世相篇』より/聟入考 抄 『婚姻の話』より/家の話
/第七章 小さき者と言語:子供と言葉/童児と昔 抄 『小さき者の声』より/キミ・ボク問題 『少年と国語』より/知ラナイワ 『毎日の言葉』より/昔話と伝統と神話 抄 『口承文芸史考』より/嗚滸の文学 抄 『不幸なる芸術』より
第八章 死者との交通:神道私見 抄/日本の祭 抄/先祖の話 抄
文春学藝ライブラリー『「小さきもの」の思想』柳田国男 柄谷行人編 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS
返信削除http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784168130113
「柳田国男の仕事は、一言でいえば、近代の発展の中で急速に廃れ忘れられていくものを記録することであった。(……)柳田はこのような仕事を、たんに学者としてではなく、詩人、官僚、ジャーナリストとして現実に深くコミットする中で成し遂げた。(……)本書は、柳田のそのような生涯を展望できるように編集されている」(「はじめに」より)
主な収録作品は次のとおりです。
第一章 文学と柳田国男:柳田国男自伝/文学の思い出 抄 『故郷七十年』より
第二章 山の人生:幻覚の実験 『妖怪談義』より/幽冥談/九州南部地方の民風/遠野物語 抄/山の人生 抄/山人考 『山の人生』より/山民の生活
第三章 島の人生:島の話 抄 『青年と学問』より/南島研究の現状 抄 『青年と学問』より/島々の話 その四 抄 『島の人生』より/豆手帖から
第四章 「大正デモクラシー」を担う:ジュネーブの思い出/政党と階級意識/七月一日から愈々排日法の実施につき
第五章 民俗学=史学の方法:実験の史学 抄/単独立証法 『国史と民俗学』より
第六章 日本の歴史:親方子方 抄/労働『郷土生活の研究法』より/親分割拠『明治大正史世相篇』より/聟入考 抄 『婚姻の話』より/家の話
第七章 小さき者と言語:子供と言葉/童児と昔 抄 『小さき者の声』より/キミ・ボク問題 『少年と国語』より/知ラナイワ 『毎日の言葉』より/昔話と伝統と神話 抄 『口承文芸史考』より/嗚滸の文学 抄 『不幸なる芸術』より
第八章 死者との交通:神道私見 抄/日本の祭 抄/先祖の話 抄
文春学藝ライブラリー『「小さきもの」の思想』柳田国男 柄谷行人編 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS
返信削除http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784168130113
「柳田国男の仕事は、一言でいえば、近代の発展の中で急速に廃れ忘れられていくものを記録することであった。(……)柳田はこのような仕事を、たんに学者としてではなく、詩人、官僚、ジャーナリストとして現実に深くコミットする中で成し遂げた。(……)本書は、柳田のそのような生涯を展望できるように編集されている」(「はじめに」より)
主な収録作品:
第一章 文学と柳田国男
柳田国男自伝
文学の思い出 抄 『故郷七十年』より
第二章 山の人生
幻覚の実験 『妖怪談義』より
幽冥談
九州南部地方の民風
遠野物語 抄
山の人生 抄
山人考 『山の人生』より
山民の生活
第三章 島の人生:
島の話 抄 『青年と学問』より/
南島研究の現状 抄 『青年と学問』より/
島々の話 その四 抄 『島の人生』より
豆手帖から
第四章 「大正デモクラシー」を担う
ジュネーブの思い出
政党と階級意識
七月一日から愈々排日法の実施につき
第五章 民俗学=史学の方法:
実験の史学 抄
単独立証法 『国史と民俗学』より
第六章 日本の歴史:
親方子方 抄/労働『郷土生活の研究法』より
親分割拠『明治大正史世相篇』より
聟入考 抄 『婚姻の話』より
家の話
第七章 小さき者と言語:子
供と言葉/童児と昔 抄 『小さき者の声』より
キミ・ボク問題 『少年と国語』より
知ラナイワ 『毎日の言葉』より
昔話と伝統と神話 抄 『口承文芸史考』より
嗚滸の文学 抄 『不幸なる芸術』より
第八章 死者との交通:
神道私見 抄
日本の祭 抄
先祖の話 抄
文春学藝ライブラリー『「小さきもの」の思想』柳田国男 柄谷行人編 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS
返信削除http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784168130113
「柳田国男の仕事は、一言でいえば、近代の発展の中で急速に廃れ忘れられていくものを記録することであった。(……)柳田はこのような仕事を、たんに学者としてではなく、詩人、官僚、ジャーナリストとして現実に深くコミットする中で成し遂げた。(……)本書は、柳田のそのような生涯を展望できるように編集されている」(「はじめに」より)
主な収録作品:
第一章 文学と柳田国男:
柳田国男自伝
文学の思い出 抄 『故郷七十年』より
第二章 山の人生:
幻覚の実験 『妖怪談義』より
幽冥談
九州南部地方の民風
遠野物語 抄
山の人生 抄
山人考 『山の人生』より
山民の生活
第三章 島の人生:
島の話 抄 『青年と学問』より
南島研究の現状 抄 『青年と学問』より
島々の話 その四 抄 『島の人生』より
豆手帖から
第四章 「大正デモクラシー」を担う:
ジュネーブの思い出
政党と階級意識
七月一日から愈々排日法の実施につき
第五章 民俗学=史学の方法:
実験の史学 抄
単独立証法 『国史と民俗学』より
第六章 日本の歴史:
親方子方 抄
労働『郷土生活の研究法』より
親分割拠『明治大正史世相篇』より
聟入考 抄 『婚姻の話』より
家の話
第七章 小さき者と言語:
子供と言葉
童児と昔 抄 『小さき者の声』より
キミ・ボク問題 『少年と国語』より
知ラナイワ 『毎日の言葉』より
昔話と伝統と神話 抄 『口承文芸史考』より
嗚滸の文学 抄 『不幸なる芸術』より
第八章 死者との交通:
神道私見 抄
日本の祭 抄
先祖の話 抄
文春学藝ライブラリー『「小さきもの」の思想』柳田国男 柄谷行人編 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS
返信削除http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784168130113
「柳田国男の仕事は、一言でいえば、近代の発展の中で急速に廃れ忘れられていくものを記録する
ことであった。(……)柳田はこのような仕事を、たんに学者としてではなく、詩人、官僚、ジャ
ーナリストとして現実に深くコミットする中で成し遂げた。(……)本書は、柳田のそのような生
涯を展望できるように編集されている」(「はじめに」より)
収録作品(はじめと各章に一頁づつの解題がつく):
はじめに
第一章 文学と柳田国男:
柳田国男自伝
文学の思い出 抄 『故郷七十年』より
新体詩 夕づゝ 「野辺の小草」より
第二章 山の人生:
幻覚の実験 『妖怪談義』より
幽冥談
九州南部地方の民風
遠野物語 抄
山の人生 抄
山人考 『山の人生』より
山民の生活
第三章 島の人生:
日本郷土の特色 『民間伝承論』より
島の話 抄 『青年と学問』より
南島研究の現状 抄 『青年と学問』より
島々の話 その四 抄 『島の人生』より
豆手帖から 抄 『雪国の春』より
第四章 「大正デモクラシー」を担う:
ジュネーブの思い出
青年と学問 抄 『青年と学問』より
政党と階級意識
七月一日から愈々(いよいよ)排日法の実施につき
第五章 民俗学=史学の方法:
実験の史学 抄
単独立証法 『国史と民俗学』より
我々の方法 『民間伝承論』より
東北と郷土研究 抄 『東北の土俗』より
比較民俗学の問題
第六章 日本の歴史:
親方子方 抄
労働『郷土生活の研究法』より
親分割拠『明治大正史世相篇』より
聟入考 抄 『婚姻の話』より
旅と商業 『明治大正史世相篇』より
家の話
第七章 小さき者と言語:
子供と言葉
童児と昔 抄 『小さき者の声』より
国語成長のたのしみ(一) 『少年と国語』より
キミ・ボク問題 『少年と国語』より
知ラナイワ 『毎日の言葉』より
昔話と伝統と神話 抄 『口承文芸史考』より
嗚滸の文学 抄 『不幸なる芸術』より
第八章 死者との交通:
神道私見 抄
日本の祭 抄
先祖の話 抄
柳田国男年譜
編集付記
山人について、農政学について、それぞれ柳田国男のアンソロジーはすでにある。
返信削除だから本書の独自性は『遊動論』との関係にある。
引用箇所の1/3~1/2はカバーしてる。
ただ農政学に関しては省略されているが。
文学的なプロフィールが冒頭に置かれ、その流れでも読める。
ただちくま文庫より一文字小さいし、高い。
計9頁?になる解題は『遊動論』をさらに圧縮しわかりやすいのでオススメ。
文春学藝ライブラリー『「小さきもの」の思想』柳田国男 柄谷行人編 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS
返信削除http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784168130113
山人について、農政学について、それぞれ柳田国男のアンソロジーはすでにある。
だから本書の独自性は『遊動論』との関係にある。
引用箇所の1/3~1/2はカバーしてる。
ただ学術的な農政学に関しては省略され、読み物として興味深い言葉の問題が追加されている。
文学的なプロフィールが冒頭に置かれ、その流れでも読める。
ただちくま文庫より一文字小さいし、高い。
計9頁?になる解題は『遊動論』をさらに圧縮しわかりやすいのでオススメ。
「柳田国男の仕事は、一言でいえば、近代の発展の中で急速に廃れ忘れられていくものを記録する
ことであった。(……)柳田はこのような仕事を、たんに学者としてではなく、詩人、官僚、ジャ
ーナリストとして現実に深くコミットする中で成し遂げた。(……)本書は、柳田のそのような生
涯を展望できるように編集されている」(「はじめに」より)
収録作品(はじめと各章に一頁づつの解題がつく。☆は『遊動論』で言及されていないもの):
はじめに
第一章 文学と柳田国男:
柳田国男自伝☆
文学の思い出 抄 『故郷七十年』より☆
新体詩 夕づゝ 「野辺の小草」より
第二章 山の人生:
幻覚の実験 『妖怪談義』より☆
幽冥談
九州南部地方の民風
遠野物語 抄
山の人生 抄
山人考 『山の人生』より
山民の生活☆
第三章 島の人生:
日本郷土の特色 『民間伝承論』より
島の話 抄 『青年と学問』より
南島研究の現状 抄 『青年と学問』より
島々の話 その四 抄 『島の人生』より
豆手帖から 抄 『雪国の春』より☆
第四章 「大正デモクラシー」を担う:
ジュネーブの思い出
青年と学問 抄 『青年と学問』より
政党と階級意識☆
七月一日から愈々(いよいよ)排日法の実施につき☆
第五章 民俗学=史学の方法:
実験の史学 抄
単独立証法 『国史と民俗学』より☆
我々の方法 『民間伝承論』より
東北と郷土研究 抄 『東北の土俗』より
比較民俗学の問題☆
第六章 日本の歴史:
親方子方 抄(☆)
労働『郷土生活の研究法』より
親分割拠『明治大正史世相篇』より(☆)
聟入考 抄 『婚姻の話』より☆
旅と商業 『明治大正史世相篇』より☆
家の話☆
第七章 小さき者と言語:
子供と言葉
童児と昔 抄 『小さき者の声』より☆
国語成長のたのしみ(一) 『少年と国語』より☆
キミ・ボク問題 『少年と国語』より☆
知ラナイワ 『毎日の言葉』より☆
昔話と伝統と神話 抄 『口承文芸史考』より☆
嗚滸の文学 抄 『不幸なる芸術』より☆
第八章 死者との交通:
神道私見 抄
日本の祭 抄
先祖の話 抄
柳田国男年譜
編集付記
報徳社批判を見れば柳田は明治官僚の枠内にいる
返信削除「父爲子隱、子爲父隱」(『論語』子路13-18)
返信削除《中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先する
ことは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を
正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠
し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話がある。
儒教はこのように、血縁共同体を超えた規範になるためには最初から限界を抱えていた。その
ために『孝経』がつくられて、孝と忠の調整がはかられたとも言われるが、この問題は結局は
根本的には解決されなかったように思う。》
http://www.amazon.co.jp/dp/B00E60ARNA/
(新 スカートの風 角川文庫 呉善花=お・そんふぁ著)
立地論 - Wikipedia
返信削除ja.wikipedia.org/wiki/立地論
立地論(りっちろん、ドイツ語: Standortstheorie、英語: location theory)は、経済活動の地理的立地に関わる理論であり、経済地理学、地域科学、空間経済学において重要な基礎的部分となっている。 立地論は、どのような経済活動がどこに立地するか、 それはなぜなのかを問題とする。立地論は、ミクロ経済学の理論が一般的にそうであるように、個々の経済主体(エージェント)は、自己の利益のために行動するという前提を置いている。したがって、事業所はその利益を最大化するように立地を選択し、個人は効用を最大化 ...
経営立地理論研究 (Location Theory): 経営位置の展開過程形成研究 (III)
ci.nii.ac.jp/naid/110000192691/
経営立地理論研究(Location Theory) : 経営位置の展開過程形成研究(III) Location Theory. 長谷川 知一 Hasegawa T. この論文にアクセスする. CiNii 論文PDF オープンアクセス · 機関リポジトリ. この論文をさがす. CiNii Books. 著者. 長谷川 知一 Hasegawa T. 収録刊行物. 紀要 [巻号一覧]. 紀要 13, 77-92, 1978-10-30 [この号の目次]. 東海学園大学. 国立情報学研究所大学院説明会 · Tweet. 各種コード. NII論文ID (NAID): 110000192691. NII書誌ID(NCID): AN00156470. 本文言語コード: JPN. 資料種別 ...
レッシュ経済立地論
返信削除版情報 新訳版
著者名等 アウグスト・レッシュ/著 ≪再検索≫
著者名等 篠原泰三/訳 ≪再検索≫
出版者 大明堂
出版年 1991.1
大きさ等 22cm 622p
注記 Die ra¨umliche Ordnung der Wirtschaft. 3
.Aufl./の翻訳
NDC分類 332.9
件名 経済地理 ≪再検索≫
件名 工業立地 ≪再検索≫
件名 農業立地 ≪再検索≫
目次 第1編 立地(立地問題の体系的記述;立地に関する若干の重要問題);第2編 経済地
域(単純な条件の下における経済地域;複雑な条件の下における経済地域);第3編 交
易(均衡に関する記述;均衡の撹乱);事例的研究(立地;経済地域;交易)
内容 文献目録:p598-609
ISBN等 4470030244
並松信久「柳田国男の農政学の展開」(「京都産業大学論集 社会科学系列」所収、二〇一〇年)
返信削除https://ksu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_dow
nload&item_id=1516&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=21
遊動論より
並松信久「柳田国男の農政学の展開」(「京都産業大学論集 社会科学系列」所収、二〇一〇年)
…つまり、この山地の社会に、平地の農村にない「社会主義」を見出したからである。彼にとって、それは「奇蹟」であった。並松信久はつぎのように述べている。
柳田は、椎葉村が稲作ではなく、焼畑や狩猟によって暮らしている山村であるということを発見し、その生活形態に関心をもっている。柳田が椎葉村に関心をもった背景には、稲作に依存しない山村ということもあった。柳田はそこに住む人々を「山人」とよび、平野部に住む人々と異なることを強調する。とくに著書『後狩詞記』は、主に猪猟の狩詞を紹介した書籍という体裁をとっているが、柳田にとって、その猪狩の形態は自身の産業組合論とのつながりを暗示させた。猪狩を行なう場合は、老練者の指揮のもとで各自が自分の役割を分担して遂行されている。柳田によれば、猪狩は協同と自助の精神を前提として成り立っている狩猟であった。柳田は椎葉村の猪狩について、産業組合の精神を重ね合わせて観察している。
(「柳田国男の農政学の展開」[5:1,105頁])
柳田が椎葉村に見たのは、妖怪のようなものではなかった。また、たんに前代の生産形態でもなかった。…
柳田国男は報徳社の意義を理解できなかったのだと思う。NAMと同じで報徳社は母体であって主体ではない。貨幣経済が浸透していないというより貨幣を持たない人たちにいきなり信用組合は無理だ。協同組合社会は法律だけでは獲得出来ない。柳田は報徳社を理解したふりをしているが理解していない。江戸から連続する協同組合の芽を摘んでしまった。明治官僚の枠を出られなかった。柄谷論考でも引用されている以下の並松論文を読んで改めてそう思う。
戦後世界の形成―雇用と商品 (ケインズ全集#27)単行本 – 1996/8
返信削除https://www.amazon.co.jp/dp/4492813276/
ケインズは一次産品の価格安定のために国際緩衝在庫案(1942年)を出した。
柳田國男が着目した三倉(義倉・社倉・常平倉)の国際版ようなものだ(参考:柄谷行人『遊動論』他)。
超国家通貨案バンコールはこれでわかりやすい実体を持つようになる。
(『危機の中でケインズから学ぶ』2011年・平井論考より)
協同組合というと小さすぎて軽視されるかもしれないが、国際社会でも結局同じ原理が応用できる。
参考:
平井俊顕ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/49302436.html
似たアイデアを先に出したウォーレス副大統領は実際に中国の常平倉("The Ever-Normal
Granary")からアイデアを得たようだ。これは柳田の研究対象と同じ。
5つ星のうち4.0国際的な常平倉 「コモド・コントロール」――国際緩衝在庫案(一九四二年)
返信削除2017年12月5日
形式: 単行本Amazonで購入
「コモド・コントロール」――国際緩衝在庫案(一九四二年)#27,133~223頁
1942年、ケインズは一次産品の価格安定のために緩衝在庫案を出した。
柳田國男が着目した三倉(義倉・社倉常・常平倉)の国際版ようなものだ(特に常平倉。参考:柄谷行人『遊動論』他)。
バンコールはこれでわかりやすい実体を持つようになる。
(『危機の中でケインズから学ぶ』平井論考より)
参考:
ケインズ「コモド・コントロール」――国際緩衝在庫案(一九四二年) 平井俊顕 (Toshiaki Hirai)ブログ
競争システムは、大きな需要と小さな需要の時期を平均化させることができる緩衝在庫の存在を、それが負の収益を引き起こすがゆえに――自然が真空を嫌うのと同じように強く――反射的に嫌う(「原材料の国際統制」一九四二年四月。JMK. 27, p. 131,152頁)。
一九二〇年代の初頭以来、ケインズは一貫して「自由放任哲学」ならびにそれに依拠する「自由放任経済学」を批判していた。市場メカニズムに任せておいても、最適な資源配分が達成されることはない。それは現実を無視した想定に立つものであり、実際の市場社会を安定化させるには政府による介入・調整が必要、と考えるからだ。
右の引用文は、ケインズによる国際緩衝在庫案からのものである。競争的市場システムは緩衝在庫を嫌うため一次産品の価格は激しい変動にさらされる。ケインズの提案は、「コモド・コントロール」(Commod Control)と名づけられた国際機関による一次産品の売買活動を通じて、短期的な価格の安定化と、一定の生産の拡張を許容する長期的な価格政策の結合を目指すものであった。同案はその後、妥協を重ね、「生産制限」を大幅に取り入れたものに変更されていったにもかかわらず、イギリス内部でも合意を得るには至らず、結局のところ廃案となった。
本文(7th草案[8にはない])133頁,解説591頁に常平倉なる言葉(訳語)がある。
似たアイデアを先に出したウォーレス副大統領は実際に中国の常平倉("The Ever-Normal Granary")からアイデアを得たようだ。
もっと少なく読む
戦後世界の形成―雇用と商品 (ケインズ全集#27)単行本 – 1996/8
返信削除https://www.amazon.co.jp/dp/4492813276/
ケインズは一次産品の価格安定のために国際緩衝在庫案(1942年)を出した。
柳田國男が着目した三倉(義倉・社倉・常平倉)の国際版ようなものだ(特に常平倉。参考:柄谷行人『遊動論』他)。
超国家通貨案バンコールはこれでわかりやすい実体を持つようになる。
(『危機の中でケインズから学ぶ』2011年・平井論考より)
協同組合というと小さすぎて軽視されるかもしれないが、国際社会でも結局同じ原理が応用できる。
参考:
平井俊顕ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/49302436.html
似たアイデアを先に出したウォーレス副大統領は実際に中国の常平倉("The Ever-Normal
Granary")からアイデアを得たようだ。これは柳田の研究対象と同じ。
返信削除ケインズは一次産品の価格安定のために国際緩衝在庫案(1942年)を出した。
柳田國男が着目した三倉(義倉・社倉・常平倉)の国際版ようなものだ(特に常平倉。参考:柄谷行人『遊動論』他)。
超国家通貨案バンコールはこれでわかりやすい実体を持つようになる。
(『危機の中でケインズから学ぶ』2011年・平井論考より)
協同組合というと小さすぎて軽視されるかもしれないが、国際社会でも結局同じ原理が応用できる。
参考:
平井俊顕ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/49302436.html
似たアイデアを先に出したウォーレス副大統領は実際に中国の常平倉("The Ever-Normal
Granary")からアイデアを得たようだ。これは柳田の研究対象と同じ。
柄谷世界史の実験
返信削除22:
方言周圏論 - WIKIPEDIA
ja.wikipedia.org/wiki/方言周圏論
方言周圏論(ほうげんしゅうけんろん、英: center versus periphery)は、方言分布の解釈の原則仮説の一つ。方言周圏説(ほう ...
概要-日本での例-見かけ上の周圏分布-脚注
重出立証法
『民間伝承論』「我々の方法」より
「現在の生活面を横に切断して見ると、 地方々々で事情は千差万別である。其事象を集めて並べて見ると、起原或は原始の態様はわからぬとしても、其変化過程だけは推理することは容易である」
「現在の生活面を横に切断して見ると、 地方地方で事情は千差万別である。その事象を集めて並べてみると、起原あるいは原始の態様はわからぬとしても、その変化過程だけは推理することは容易である」『民間伝承論』文庫版全集28
http://www.yasaka.org/KOBO/minzokgak.html
「民俗学」とは、一言で言えば「民間の生活様式や伝統文化を研究する学問」と言えると考えられるが、福田アジオ[日本民俗学方法序說: 柳田国男と民俗学?]は「民俗学は全国各地において世代を超えて伝承されてきた ならわし、しきたり、いいつたえ、という民俗事象を資料として研究する学問である」という説明を加えている。
日本の民俗学は、柳田国男がその基礎を築き、弟子の折口信夫らが継承したと言えるだろう。柳田の民俗学は歴史批判から出発したという。つまり、従来の史学が文献に偏重しすぎて、真の歴史を見誤っているのではないかとの疑問をから、民俗学的な立場から日本の正しい歴史を明らかにしようとし、『民間伝承論』などを著して柳田独自の理論を展開している。そこで柳田は「重出立証法」と呼ぶ研究方法について述べている。
まず、文献史料のみに頼る歴史学の手法を批判した上で柳田は、文献や史料ではなく日常のありふれた事象に注目し、それらの事象を広域から蒐集して重ね合わせ、比較することによって、それぞれが過去からどのように変遷してきたかを知ることができるとしてこの手法を「重出立証法」と名づけ、歴史学の文献に代わる事象が民俗であって、この変遷が歴史に他ならないと言い、この方法による学問を「民俗学」と呼んだ。柳田の著した『民間伝承論』には次のようにある。
「…書物はもとより重要なる提供者と認めるが、決して是を至上最適の資料とは認めないのである。現地に観察し、採集した資料こそ最も尊ぶべきであって、書物は之に比べると小さな傍証にしか役立たぬものである」と述べて、現地調査(フィールドワーク)の重要性を説くとともに、民俗学における伝承資料の有用性を主張、かつ文献史料の安易な使用を戒めている。
ここでいうところの「重出立証法」は「比較研究法」ともいわれ、この「比較」という手法は他の学問においても重要な研究法であるが、民俗学においては、より多くの民間伝承を採集して、比較することに重点をおいた資料作成の方法である。この比較研究法の具体的な例示として柳田は「周圏論」ということを言っている。 それは民俗事象に見られる「地域差」は「時間差」でもあり、つまりは歴史的変遷を示していると言い、この現象は中央から地方へと、同心円的に伝播して行くという結論である。
以上が“柳田民俗学”のあらましだが、しかし彼が示した研究の手法は方法論として具体性に欠け問題点も多いいわれている。そこで、その問題点と柳田後の民俗学の新しい動きを述べてみる。…
参考:
ブートストラップ法(『計量経済学』末石直也)、クロスセクション計量経済学・入門―三日間の経済学 佐和 隆光他
http://nam-students.blogspot.jp/2016/02/blog-post_70.html
佐和隆光 タイムシリーズデータ、クロスセクションデータ
https://nam-students.blogspot.com/2018/10/blog-post_21.html
73:
フランス言語地理学 (1958年) - – 古書, 1958
Albert Dauzat (著), 松原 秀治 (翻訳), 横山 紀伊子 (翻訳)アルベール・ドーザ
民俗学者柳田国男 - 44 ページ
https://books.google.co.jp/books?id=5...
福田アジオ - 2000 - スニペット表示
福田アジオ 44 の『民間伝承論』の中で彼は「重出立証法」と呼びました。比較研究というと、比較の ... するようになりました。イギリスの一九世紀末から二 O 世紀にかけての代表的な民俗学者であった、ジョージ・ローレンス・ゴム( G ・ L ・ Gonne )の一九○七年.