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水曜日, 1月 08, 2014

『論語』の君子と脳機能(by 篠浦伸禎)

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●『論語』の君子と脳機能
               /\
 四次元          /  \
  Where    不踰矩 君子 \
        左   /_    _\   右
 三次元       /  |  |  \
  What    /義(命)  信(行、権、耳順)
         /__  |  |  __\
 二次元    /   | |  | |   \
  How  /智(不惑、明)  仁(労、孝、道徳)
      /___  | |  | |  ___\
 一次元 /    | | |  | | |    \
  (対象)    |学| |ネし| |詩(立、思) \
   /______|_|_|__|_|_|______\ 
              (恭,泰,
               荘,威)
漢字一文字は熟語に対応

仁愛12-22
道徳
荘重
威厳(←→仁?)
正義
孝行

泰07-25
恭13-19

表情を読む=共感
p109

聡明
信用
行動
礼儀
天命
正直16-04


あるいは、

02-04 http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩

              /\      右
 四次元       不踰矩/  \
  Where      / 君子 \
           耳順_剛  勇_\
 三次元       /  |  |  \
  What(直、忠、天命)義  信(行、権)
         /__  |  |  __\
 二次元  (悌、明、不惑)智  仁(労、孝、道徳)
  How  /    | |  | |    \
      /___ 立| |  | |  ___\
 一次元 /    | | |  | | |    \
  (対象)    | | |ネし| |詩(思)   \
   /______|学|_|__|_|_|______\ 
              (恭,泰,
               荘,威)

一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
       礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
       例:挨拶
二次元左「智」=知識。智(学02-15(思),09-31,02-04、明12-06、立02-04)知06-23,09-30 学は一次元にも対応。
       例:名前を付けて覚える
二次元右「仁」=相手を思いやる心。
       仁06-22(不惑02-04左?、労13-01、孝02-21、道06-17,09-31,15-29)04-08 道は別次元?
       例:表情を読む
三次元左「義」=正義。 義15-18(命16-08,02-04) 直17-08
       例:本の執筆
三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24、権09-31、順13-03左?) 
       例:サッカーのパス
四次元 「君子」君子16-10,02-04(不踰矩)
       =脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
        (篠浦伸禎『脳は『論語』が好きだった』127頁。図も同書から引用及び改変。左を下位化。)
0,対象
1,How
2,What
3,Where
(同37頁)

日本では、忠(公権力)>孝(家)  by柄谷行人(『遊動論』156頁)

http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0931
09-31
子曰、可與共學、未可與適道、可與適道、
未可與立、可與立、未可與權、

子の曰わく、与(とも)に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。

先生が言われた、「ともに並んで学ぶことはでき[る人でも]、ともに道徳には進めない。ともに道徳に進めても、ともに[そこにしっかりと]立つことは出来ない。ともに立つことが出来ても、ともに[物事をほどよく]取り計らうことは出来ない」

17-08
子曰、由女聞六言六蔽矣乎、對曰、未也、居、吾語女、好仁不好學、其蔽也愚、好知不好學、其蔽也蕩、好信不好學、其蔽也賊、好直不好學、其蔽也絞、好勇不好學、其蔽也亂、好剛不好學、其蔽也狂、 

子の曰わく、由よ、女(なんじ)六言の六蔽(へい)を聞けるか。対たえて曰わく、未(いま)だし。居れ、吾れ女に語(つ)げん。仁を好みて学を好まざれ ば、其の蔽や愚。知を好みて学を好まざれば、其の蔽や蕩(とう)。信を好みて学を好まざれば、其の蔽や賊。直を好みて学を好まざれば、其の蔽や絞(こ う)。勇を好みて学を好まざれば、其の蔽や乱。剛を好みて学を好まざれば、其の蔽や狂。 

先生が言われた、「由よ、お前は六つの言葉にについての六つの害を聞いたことがあるか。」お答えして「未だありません。」と言うと、「お坐り、私がお前に 話してあげよう。仁を好んでも学問を好まないと、その害として[情に溺れて]愚かになる。智を好んでも学問を好まないと、その害として[高遠に走って]と りとめが無くなる。信を好んでも学問を好まないと、その害として[盲進に陥って]人をそこなうことになる。真っ直ぐなのを好んでも学問を好まないと、その 害として窮屈になる。勇を好んでも学問を好まないと、その害として乱暴になる。剛強を好んでも学問を好まないと、その害として気違い沙汰になる。[仁智な どの六徳はよいが、さらに学問で磨きをかけないといけない。]」 

01-06
子曰、弟子入則孝、出則弟、謹而信、汎愛衆而親仁、行有餘力、則以學文、 

子の曰わく、弟子(ていし)、入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信あり、汎(ひろ)く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力あれば則ち以て文を学ぶ。 

先生がいわれた、「若者よ。家庭では孝行、外では悌順、慎んで誠実にしたうえ、だれでも広く愛して仁の人に親しめ。そのようにしてなお余裕があれば、そこで書物を学ぶことだ」 

http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0930
09-30

子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。

子の曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。

先生が言われた、「智の人は惑わない、仁の人は憂えない、勇の人は恐れない」

知者=不惑=40歳

16-13
陳亢問於伯魚曰、子亦有異聞乎、對曰、未也、嘗獨立、鯉趨而過庭、曰、學詩乎、對曰、未也、曰、不學詩無以言也、鯉退而學詩、他日又獨立、鯉趨而過庭、 曰、學禮乎、對曰、未也、不學禮無以立也、鯉退而學禮、聞斯二者、陳亢退而喜曰、問一得三、聞詩、聞禮、又聞君子之遠其子也、

陳亢(ちんこう)、伯魚(はくぎょ)に問うて曰わく、子も亦た異聞ありや。対たえて曰わく、未(いま)だし。嘗(かつ)て独(ひと)り立てり。鯉(り)趨 (はし)りて庭を過ぐ。曰わく、詩を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。詩を学ばずんば、以て言うこと無し。鯉退りぞきて詩を学ぶ。他日又た独り立て り。鯉趨りて庭を過ぐ。曰わく、礼を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。礼を学ばずんば、以て立つこと無し。鯉退りぞきて礼を学ぶ。斯の二者を聞けり。 陳亢退ぞきて喜びて曰わく、一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又た君子の其の子を遠ざくるを聞く。

陳亢が[孔子の子である]伯魚に訊ねて「あなたは、もしや何か変わったことでも教えられましたか。」と言うと、答えて「いいえ。いつか[父上が]一人で 立っておられたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『詩を学んだか』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『詩を学ばなければ立派にものが言え ない。』ということで、私は引き下がってから詩を学びました。別の日にまた一人で立って居られたとき、この私が小走りで庭を通りますと、『礼を学んだ か。』と言いましたので、『いいえ』と答えますと、『礼を学ばなければ立っていけない。』ということで、私は引き下がってから礼を学びました。この二つを 教えられました。」陳亢は退出すると喜んで言った、「一つのことを訊ねて三つのことが分かった。詩のことを教えられ、礼のことを教えられ、また君子が自分 の子供を近付けない[特別扱いしない]と言うことを教えられた。」



02-02
子曰、詩三百、一言以蔽之、曰思無邪、

子の曰わく、詩三百、一言以てこれを蔽(おお)う、曰わく思い邪(よこしま)なし。

先生がいわれた、「詩経の三百篇、ただ一言で包み込めば『心の思いに邪なし』だ」

思は右に解釈し直した。


13-03
子路曰、衛君待子而爲政、子將奚先、子曰、必也正名乎、子路曰、有是哉、子之迂也、奚其正、子曰、野哉由也、君子於其所不知、蓋闕如也、名不正則言不順、 言不順則事不成、事不成則禮樂不興、禮樂不興則刑罰不中、刑罰不中則民無所措手足、故君子名之必可言也、言之必可行也、君子於其言、無所苟而已矣、

子路が曰わく、衛の君、子を待ちて政を為さば、子将に奚(なに)をか先にせん。子の曰わく、必ずや名を正さんか。子路が曰わく、是れ有るかな、子の迂 (う)なるや。奚(なん)ぞ其れ正さん。子の曰わく、野(や)なるかな、由や。君子は其の知らざる所に於ては、蓋闕如(かつけつじょ)たり。名正しからざ れば則ち言順(したが)わず、言順わざれば則ち事成らず、事成らざれば則ち礼楽興らず、礼楽興らざれば則ち刑罰中(あた)らず、刑罰中らざれば則ち民手足 を措(お)く所なし。故に君子はこれに名づくれば必ず言うべきなり。これを言えば必ず行うべきなり。君子、其の言に於て、苟(いやし)くもする所なきの み。

参考:
スピノザ『エチカ』第一部公理六
 「真の観念はその対象(観念されたもの)と一致しなければならぬ。」
  http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1a6



おまけ

漫画孔子:師、三友、三戒 、九思 、六言六蔽、三変、朱子


07-21 

子曰、我三人行、必得我師焉、擇其善者而從之、其不善者改之、 

子の曰わく、我れ三人行なえば必ず我が師を得(う)。其の善き者を択びてこれに従う。其の善からざる者にしてこれを改む。 

先生が言われた、「私は三人で行動したら、きっとそこに自分の師を見つける。善い人を選んでそれを見習い、善くない人にはその善くないことを[我が身について]直すからだ。」 
:師


三友
16-04 

孔子曰、益者三友、友直、友諒、友多聞、益矣、友便辟、友善柔、友便佞、損矣、 

孔子の曰わく、益者(えきしゃ)三友。直きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞を友とするは、益なり。便辟(べんへき)を友とし、善柔を友とし、便佞(べんねい)を友とするは損なり。  

孔子が言われた、「有益な友達が三種、有害な友達が三種。正直な人を友達にし、誠心の人を友達にし、物知りを友達にするのは有益だ。体裁ぶったのを友達にし、うわべだけのへつらい者を友達にし、口達者なのを友達にするのは、害だ。」 

:三友




三戒
16-07

孔子曰、君子有三戒、少之時、血氣未定、戒之在色、及其壯也、血氣方剛、戒之在鬪、及其老也、血氣既衰、戒之在得、

孔子の曰わく、君子に三戒あり。少(わか)き時は血気未だ定まらず、これを戒むること色に在り。其の壮なるに及んでは血気方(まさ)に剛なり、これを戒むること闘(とう)に在り。其の老いたるに及んでは血気既に衰う、これを戒むること得に在り。

孔子が言われた、「君子には三つの戒めがある。若いときは血気が未だ落ち着かないから、戒めは女色にある。壮年になると血気が今や盛んだから、戒めは争いにある。老年になると血気はもう衰えるから、戒めは欲にある。」



:三戒



九思
16-10

孔子曰、君子有九思、視思明、聽思聰、色思温、貌思恭、言思忠、事思敬、疑思問、忿思難、見得思義、

孔子の曰わく、君子に九思あり。視るには明を思い、聴くには聡を思い、色には温を思い、貌(かたち)には恭を思い、言には忠を思い、事には敬を思い、疑わしきには問いを思い、忿(いかり)には難を思い、得るを見ては義を思う。

孔子が言われた、「君子には九つの思うことがある。見るときにははっきり見たいと思い、聞くときには細かく聞き取りたいと思い、顔つきには穏やかでありた いと思い、姿には恭しくありたいと思い、言葉には誠実でありたいと思い、仕事には慎重でありたいと思い、疑わしいことには問うことを思い、怒りにはあとの 面倒を思い、利得を前にしたときは道義を思う。」





六言六蔽
17-08

子曰、由女聞六言六蔽矣乎、對曰、未也、居、吾語女、好仁不好學、其蔽也愚、好知不好學、其蔽也蕩、好信不好學、其蔽也賊、好直不好學、其蔽也絞、好勇不好學、其蔽也亂、好剛不好學、其蔽也狂、

子の曰わく、由よ、女(なんじ)六言の六蔽(へい)を聞けるか。対たえて曰わく、未(いま)だし。居れ、吾れ女に語(つ)げん。仁を好みて学を好まざれ ば、其の蔽や愚。知を好みて学を好まざれば、其の蔽や蕩(とう)。信を好みて学を好まざれば、其の蔽や賊。直を好みて学を好まざれば、其の蔽や絞(こ う)。勇を好みて学を好まざれば、其の蔽や乱。剛を好みて学を好まざれば、其の蔽や狂。

先生が言われた、「由よ、お前は六つの言葉についての六つの害を聞いたことがあるか。」お答えして「未だありません。」と言うと、「お坐り、私がお前に 話してあげよう。仁を好んでも学問を好まないと、その害として[情に溺れて]愚かになる。智を好んでも学問を好まないと、その害として[高遠に走って]と りとめが無くなる。信を好んでも学問を好まないと、その害として[盲進に陥って]人をそこなうことになる。真っ直ぐなのを好んでも学問を好まないと、その 害として窮屈になる。勇を好んでも学問を好まないと、その害として乱暴になる。剛強を好んでも学問を好まないと、その害として気違い沙汰になる。[仁智な どの六徳はよいが、さらに学問で磨きをかけないといけない。]」


剛勇
直信
知仁


三変
19-09

子夏曰、君子有三變、望之儼然、即之也温、聽其言也勵*

子夏が曰わく、君子に三変あり。これを望めば儼然(げんぜん)たり、これに即(つ)けば温なり、其の言を聴けば勵*(はげ)し。

子夏が言った、「君子に は三種の変化がある。離れて見るとおごそかで、そばによると穏やかで、その言葉を聞くと厳しい。」

:三変





曾子(大学)

:(朱子)

81 件のコメント:

  1. 『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。

    「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳のあらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した四次元的な存在として位置づけられそうだ。

    また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働きよりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視していることが分かってくる。

    (篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)

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  2. 05-08
    http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0508
    孟武伯問、子路仁乎、子曰、不知也、叉問、子曰、由也、千乘之國、可使治其賦也、不知其仁也、求也何如、子曰、求也、千室之邑、百乘之家、可使爲之宰也、不知其仁也、赤也何如、子曰、赤也、束帶立於朝、可使與賓客言也、不知其仁也、

    孟武伯(もうぶはく)問う、子路、仁なりや。子の曰わく、知らざるなり。又た問う。子の曰わく、由や、千乗の国、其の賦(ふ)を治めしむべし、其の仁を知 らざるなり。求や何如。子の曰わく、求や、千室の邑(ゆう)、百乗の家、これが宰(さい)たらしむべし、其の仁を知らざるなり。赤(せき)や何如。子の曰 わく、赤や、束帯して朝(ちょう)に立ち、賓客と言わしむべし、其の仁を知らざるなり。

    孟武伯が訊ねた、「子路は仁ですか」先生は「分かりません」といわれた。さらに訊ねたので、先生はいわれた、「由は、大諸侯の国でその軍用の収入をきりも りさせることはできますが、仁であるかどうかは分かりません」「求はどうでしょうか」先生はいわれた、「求は千戸の町や大家老の家でその長官にならせるこ とはできますが、仁であるかどうかは分かりません」「赤はどうでしょうか」先生はいわれた「赤は、礼服をつけ朝廷に立って客人がたと応対させることはでき ますが、仁であるかどうかは分かりません。」

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  3. 06-30
    http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0630
    子貢曰、如能博施於民、而能濟衆者、何如、可謂仁乎、子曰、何事於仁、必也聖乎、尭舜其猶病諸、夫仁者己欲立而立人、己欲逹而逹人、能近取譬、可謂仁之方也已、

    子貢が曰わく、如(も)し能く博(ひろ)く民に施して能く衆を済(すく)わば、何如(いかん)。仁と謂うべきか。子の曰わく、何ぞ仁を事とせん。必らずや 聖か。尭舜も其れ猶(な)お諸(こ)れを病めり。夫(そ)れ仁者は己れ立たんと欲して人を立て、己れ達っせんと欲して人を達す。能く近く取りて譬(たと) う。仁の方(みち)と謂うべきのみ。

    子貢が[仁のことをお訊ねして]「もし人民にひろく施しができて多くの人が救えるというのなら、いかがでしょう、仁と言えましょうか」といった。先生はい われた、「どうして仁どころのことだろう、強いて言えば聖だね。尭や舜でさえ、なおそれを悩みとされた。そもそも仁の人は、自分が立ちたいと思えば人を立 たせてやり、自分が行き着きたいと思えば人を行き着かせてやって[他人のことでも自分の]身近にひきくらべることができる、[そういうのが]仁のてだてと 言えるだろう」

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  4. 15-29

    子曰、人能弘道、非道弘人也、

    子の曰わく、人能く道を弘む。道、人を弘むに非らず。

    先生が言われた、「人間こそ道を広めることが出来るのだ。道が人間を広めるのではない。」

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  5. ●『論語』の君子と脳機能                
                   /\
     四次元          /  \
                 / 君子 \  
            左   /_    _\   右
     三次元       /  |  |  \
              / 義(命) 信(行)\
             /__  |  |  __\
     二次元    /   | |  | |   \
           /  智(明、学) 仁(労、孝) \ 
          /___  | |  | |  ___\
     一次元 /    | | |  | | |    \
        /     | | |ネし| | |     \
       /______|_|_|__|_|_|______\
                  (恭,威,
                   荘,泰)

    一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
           礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
           例:挨拶
    二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21) 
           例:表情を読む
    二次元左「智」=知識。智(明12-06、学02-15)知06-23
           例:名前を付けて覚える
    三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24) 
           例:サッカーのパス
    三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17、命16-08)04-08 道は別次元かも?
           例:本の執筆
    四次元 「君子」君子16-10
           =脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
                     (『脳は論語が好きだった』127頁)

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  6. マンガ 孔子の思想 (講談社プラスアルファ文庫)
    蔡 志忠

    おすすめ

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  7. 先生が言われた、「忠と信とを第一にして、自分より劣った者を友人とするな。過ちがあれば、ぐずぐずせずに改めよ」



    12-10

    子張問崇徳辨惑、子曰、主忠信徒義、崇徳也、愛之欲其生、惡之欲其死、既欲其生、叉欲其死、是惑也、誠不以富、亦祇以異、

    子張、徳を崇(たか)くし惑(まどい)を弁ぜんことを問う。子の曰わく、忠信を主として義に徒(うつ)るは、徳を崇くするなり。これを愛しては其の生を欲 し、これを悪(にく)みては其の死を欲す。既に其の生を欲して、又た其の死を欲するは、是れ惑いなり。

    子張が徳をたかめ迷いをはっきりすることについてお訊ねした。先生は言われた、「[誠の徳である]忠と信とを第一にして正義へと移ってゆくのが、徳をたか めることだ。愛すれば生きて居て欲しいと思い、憎めば死んだらよいと思う[のは普通の人情だ]が、さきには生きていて欲しいと思いながら、また死んだらよ いと思う、それこそ迷いだ」


    14-08

    子曰、愛之能勿勞乎、忠焉能勿誨乎、

    子の曰わく、これを愛して能く労すること勿(な)からんや。忠にして能く誨(おし)うること勿からんや。

    先生が言われた、「[人を]愛するからには励まさないでおれようか。[人に]誠実であるからには教えないでおれようか。」


    17-04
    17-21

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  8. 09-25
    子曰、主忠信、無友不如己者、過則勿憚改、

    子の曰わく、忠信を主とし、己に如(し)かざる者を友とすること無かれ。過てば則ち改むるに憚(はば)かること勿かれ。

    先生が言われた、「忠と信とを第一にして、自分より劣った者を友人とするな。過ちがあれば、ぐずぐずせずに改めよ」

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  9. 12-10
    子張問崇徳辨惑、子曰、主忠信徒義、崇徳也、愛之欲其生、惡之欲其死、既欲其生、叉欲其死、是惑也、誠不以富、亦祇以異、

    子張、徳を崇(たか)くし惑(まどい)を弁ぜんことを問う。子の曰わく、忠信を主として義に徒(うつ)るは、徳を崇くするなり。これを愛しては其の生を欲 し、これを悪(にく)みては其の死を欲す。既に其の生を欲して、又た其の死を欲するは、是れ惑いなり。

    子張が徳をたかめ迷いをはっきりすることについてお訊ねした。先生は言われた、「[誠の徳である]忠と信とを第一にして正義へと移ってゆくのが、徳をたか めることだ。愛すれば生きて居て欲しいと思い、憎めば死んだらよいと思う[のは普通の人情だ]が、さきには生きていて欲しいと思いながら、また死んだらよ いと思う、それこそ迷いだ」

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  10. 漢字一文字は熟語に対応

    仁愛
    道徳

    荘重
    威厳
    正義

    孝行

    表情を読む=共感
    p109

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  11. 聡明

    信用
    行動

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  12. 17-08
    子曰、由女聞六言六蔽矣乎、對曰、未也、居、吾語女、好仁不好學、其蔽也愚、好知不好學、其蔽也蕩、好信不好學、其蔽也賊、好直不好學、其蔽也絞、好勇不好學、其蔽也亂、好剛不好學、其蔽也狂、

    子の曰わく、由よ、女(なんじ)六言の六蔽(へい)を聞けるか。対たえて曰わく、未(いま)だし。居れ、吾れ女に語(つ)げん。仁を好みて学を好まざれ ば、其の蔽や愚。知を好みて学を好まざれば、其の蔽や蕩(とう)。信を好みて学を好まざれば、其の蔽や賊。直を好みて学を好まざれば、其の蔽や絞(こ う)。勇を好みて学を好まざれば、其の蔽や乱。剛を好みて学を好まざれば、其の蔽や狂。

    先生が言われた、「由よ、お前は六つの言葉にについての六つの害を聞いたことがあるか。」お答えして「未だありません。」と言うと、「お坐り、私がお前に 話してあげよう。仁を好んでも学問を好まないと、その害として[情に溺れて]愚かになる。智を好んでも学問を好まないと、その害として[高遠に走って]と りとめが無くなる。信を好んでも学問を好まないと、その害として[盲進に陥って]人をそこなうことになる。真っ直ぐなのを好んでも学問を好まないと、その 害として窮屈になる。勇を好んでも学問を好まないと、その害として乱暴になる。剛強を好んでも学問を好まないと、その害として気違い沙汰になる。[仁智な どの六徳はよいが、さらに学問で磨きをかけないといけない。]」

    01-06
    子曰、弟子入則孝、出則弟、謹而信、汎愛衆而親仁、行有餘力、則以學文、

    子の曰わく、弟子(ていし)、入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信あり、汎(ひろ)く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力あれば則ち以て文を学ぶ。

    先生がいわれた、「若者よ。家庭では孝行、外では悌順、慎んで誠実にしたうえ、だれでも広く愛して仁の人に親しめ。そのようにしてなお余裕があれば、そこで書物を学ぶことだ」



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  13. 学17-08
    愛01-06,14-08

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  14. 17-08
    子曰、由女聞六言六蔽矣乎、對曰、未也、居、吾語女、好仁不好學、其蔽也愚、好知不好學、其蔽也蕩、好信不好學、其蔽也賊、好直不好學、其蔽也絞、好勇不好學、其蔽也亂、好剛不好學、其蔽也狂、

    剛勇
    直信
    知仁

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  15. 06-23

    子曰、知者樂水、仁者樂山、知者動、仁者静、知者樂、仁者壽、

    子の曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。

    先生が言われた、「智の人は[流動的だから]水を楽しみ、仁の人は[安らかにゆったりしているから]山を楽しむ。智の人は動き、仁の人は静かである。智の 人は楽しみ、仁の人は長生きをする。」

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  16. 16-04
    孔子曰、益者三友、友直、友諒、友多聞、益矣、友便辟、友善柔、友便佞、損矣、

    孔子の曰わく、益者(えきしゃ)三友。直きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞を友とするは、益なり。便辟(べんへき)を友とし、善柔を友とし、便佞 (べんねい)を友とするは損なり。

    孔子が言われた、「有益な友達が三種、有害な友達が三種。正直な人を友達にし、誠心の人を友達にし、物知りを友達にするのは有益だ。体裁ぶったのを友達に し、うわべだけのへつらい者を友達にし、口達者なのを友達にするのは、害だ。」

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  17. 16-02~08は3にこだわっている

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  18. 漢字一文字は熟語に対応

    仁愛
    道徳

    荘重
    威厳
    正義

    孝行

    表情を読む=共感
    p109


    聡明

    信用
    行動

    礼儀
    天命

    正直16-04

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  19. 【徳】より
    …その漢語の原義からすれば,〈徳〉は〈得〉に通じ心に得るものと解され,転じて人間の品性が人の道にかなったあり方に仕上げられ高められてあることを意味する。その限りでは,18世紀イギリスのモラリストたちが重視した仁愛benevolenceが最も基本的な徳である。一般的にいえば,人間が単なる動物的存在から脱して,動物的でもあるが同時に理性的でもあるという真の人間らしさ,人間としての優秀性を体得している状態が徳である。…

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  20. 漢字一文字は熟語に対応

    仁愛12-22
    道徳

    荘重
    威厳
    正義

    孝行

    表情を読む=共感
    p109


    聡明

    信用
    行動

    礼儀
    天命

    正直16-04

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  21. 07-08

    子曰、不憤不啓、不ヒ*不發、擧一隅而示之、不以三隅反、則吾不復也、

    子の曰わく、憤(ふん)せずんば啓せず。ヒせずんば発せず。一隅を挙げてこれに示し、三隅を以て反えらざれば、則ち復たせざるなり。

    先生が言われた、「[分かりそうで分からず]わくわくしているのでなければ、指導しない。[言えそうで言えず]口をもぐもぐさせているのでなければ、はっ きり教えない。一つの隅を取り上げて示すとあとの三つの隅で答えるというほどでないと、繰り返すことをしない。」

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  22. 16-05
    孔子曰、益者三樂、損者三樂、樂節禮樂、樂道人之善、樂多賢友、益矣、樂驕樂、樂佚遊、樂宴樂、損矣、

    孔子の曰わく、益者三楽(さんらく)、損者三楽。礼楽を節せんことを楽しみ、人の善を道(い)うことを楽しみ、賢友多きを楽しむは、益なり。驕楽を楽しみ、佚遊を楽しみ、宴楽を楽しむは、損なり。

    孔子が言われた、「有益な楽しみが三種、有害な楽しみが三種。礼儀と雅楽を折り目正しく行うのを楽しみ、人の美点を口にするのを楽しみ、優れた友達の多いのを楽しむのは、有益だ。我侭勝手を楽しみ、怠け遊ぶことを楽しみ、酒盛りを楽しむのは、害だ。」


    16-06

    孔子曰、侍於君子有三愆、言未及之而言、謂之躁、言及之而不言、謂之隱、未見顔色而言、謂之瞽、

    孔子の曰わく、君子に侍するに三愆(さんけん)あり。言未だこれに及ばずして言う、これを躁(そう)と謂う。言これに及びて言わざる、これを隠と謂う。未だ顔色を見ずして言う、これを瞽(こ)と謂う。

    孔子が言われた、「君子のお側にいて、三種の過ちがある。まだ言うべきでないのに言うのはがさつといい、言うべきなのに言わないのは隠すといい、[君子の]顔つきも見ないで話すのを盲という。」

    16-08
    孔子曰、君子有三畏、畏天命、畏大人、畏聖人之言、小人不知天命而不畏也、狎大人、侮聖人之言、

    孔子の曰わく、君子に三畏(さんい)あり。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らずして畏れず、大人に狎(おそ)れ、聖人の言を侮る。

    孔子が言われた、「君子には三つの畏れ[はばかり]がある。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言葉を畏れる。小人は天命を知らないで畏れず[我侭に振る舞い、]大人になれなれしくし、聖人の言葉を馬鹿にする。」

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  23. 忠は三次元左?義と同じ?

    脳科学的に重要↓
    http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0410
    04-10
    子曰、君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比、

    子の曰わく、君子の天下に於けるや、適も無く、莫(ばく)も無し。義にこれ与(とも)に比(した)しむ。

    先生がいわれた、「君子が天下のことに対するには、さからうこともなければ、愛着することもない。[主観を去って]ただ正義に親しんでゆく」

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  24.   行



    合一


    陽明学

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  25. wiki
    知行合一
    知行合一(ちこうごういつ)は、中国の明のときに、王陽明がおこした学問である陽明学の命題のひとつ。
    論語の為政第二にある「先ず其の言を行い、而して後にこれに従う」が元になっている。
    王陽明は、知って行わないのは、未だ知らないことと同じであることを主張し、実践重視の教えを主張した。朱熹の学(朱子学)が万物の理を極めてから実践に向かう「知先行後」であることを批判して主張した。
    明治維新[編集]

    幕末の頃の陽明学者や維新の志士たちに大きな影響を与えた

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  26. 02-12

    子曰、君子不器、

    子の曰わく、君子は器(うつわ)ならず。

    先生がいわれた「君子は器(うつわ)ものではない。[その働きは限定されなくて広く自由であるべきだ。]」


    02-13

    子貢問君子、子曰、先行其言、而後從之、

    子貢、君子を問う。子の曰わく、先ず其の言を行い、而して後(のち)にこれに従う。

    子貢が君子のことをおたずねした。先生はいわれた、「まずその言おうとすることを実行してから、あとでものをいうことだ。」


    02-14

    子曰、君子周而不比、小人比而不周、

    子の曰わく、君子は周して比せず、小人は比して周せず。

    先生がいわれた、「君子はひろく親しんで一部の人におもねることはないが、小人は一部でおもねりあってひろく親しまない。」

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  27. 知行合一(ちこうごういつ)は、中国の明のときに、王陽明がおこした学問である陽明学の命題のひとつ。
    論語の為政第二にある「先ず其の言を行い、而して後にこれに従う」(02-13,>>)が元になっている。

    王陽明は、知って行わないのは、未だ知らないことと同じであることを主張し、実践重視の教えを主張した。
    朱熹の学(朱子学)が万物の理を極めてから実践に向かう「知先行後」であることを批判して主張した。

    幕末の頃の陽明学者や維新の志士たちに大きな影響を与えた

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  28. 朱子
    (朱熹から転送)


    朱子像


    朱子


    朱子


    廬山の白鹿洞書院朱熹像


    四書集注
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    三孔
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    書院
    国子監
    科挙
    諸子百家
    表・話・編・歴
    朱子(しゅし 1130年10月18日(建炎4年9月15日) - 1200年4月23日(慶元6年3月9日))は中国宋代の儒学者。
    姓は朱、諱は熹(き)、字は元晦または仲晦。号は晦庵・晦翁・雲谷老人・滄洲病叟・遯翁など。また別号として考亭・紫陽がある。謚は文公。朱子は尊称である。祖籍は徽州婺源県(現在の江西省)。
    1130年(建炎4年)、南剣州尤渓県(現在の福建省)に生まれ、1200年(慶元)、建陽(現在の福建省)の考停にて没した。儒教の体系化を図った儒教の中興者であり、いわゆる「新儒教」の朱子学の創始者である。


    朱子の業績[編集]

    経書の整理[編集]
    『論語』、『孟子』、『大学』と『中庸』(『礼記』の一篇から独立させたもの)のいわゆる「四書」に注釈を施した。これは後に科挙の科目となった四書の教科書とされて権威的な書物となった。これ以降、科挙の科目は“四書一経”となり、四書が五経よりも重視されるようになった。
    朱子学の概要[編集]
    朱熹はそれまでばらばらに学説や書物が出され矛盾を含んでいた儒教を、程伊川による性即理説(性(人間の持って生まれた本性)がすなわち理であるとする)、仏教思想の論理体系性、道教の無極及び禅宗の座禅への批判とそれと異なる静座(静坐)という行法を持ち込み、道徳を含んだ壮大な思想にまとめた。そこでは自己と社会、自己と宇宙は、“理”という普遍的原理を通して結ばれ、理への回復を通して社会秩序は保たれるとした。
    なお朱熹の言う“理”とは、「理とは形而上のもの、気は形而下のものであって、まったく別の二物であるが、たがいに単独で存在することができず、両者は“不離不雑”の関係である」とする。また、「気が運動性をもち、理はその規範・法則であり、気の運動に秩序を与える」とする。この理を究明することを「窮理」とよんだ。
    朱熹の学風は「できるだけ多くの知識を仕入れ、取捨選択して体系化する」というものであり、極めて理論的であったため、後に「非実践的」「非独創的」と批判された。しかし儒教を初めて体系化した功績は大きく、タイム誌の「2000年の偉人」では数少ない東洋の偉人の一人として評価されている。

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  29. 性即理
    性即理(せいそくり)は、「性」(人間の持って生まれた本性)がすなわち「天理」であるとする説。宋明理学の命題の一つ。北宋の程頤(伊川)によって提言され、南宋の朱熹に継承された、朱子学の重要なテーゼである。
    朱熹は存在論として理気二元論を主張する。「理」とは天地万物を主宰する法則性であり、「気」とは万物を構成する要素である。理とは形而上のもの、気は形而下のものであって、まったく別の二物であるが、たがいに単独で存在することができず、両者は「不離不雑」の関係であるとする。また、気が運動性をもち、理は理法であり 気の運動に乗って秩序を与えるとする。
    そしてこのような存在論的な「理」は人間の倫理道徳にも貫かれている。「理」は「性」である。この場合「性」は孟子の性善説に基づき善とされる。人間の本来性(理)は善であるが、現実の存在(気)においては善を行ったり、悪を行ったりする。そこで儒者は「居敬」や静坐を行ったり、「格物」や読書によって、その本来性(理)に立ち戻り、「理」を体得しなければならない。朱子学では「聖人学んで至るべし」と学問の究極的な目標は「理」を体得し「聖人」となることとされた。

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  30. 2010-06-05
    続「論語と朱子学」講義メモAdd Star
    http://d.hatena.ne.jp/fusen55/20100605/1275714901



    「論語と朱子学」講義メモ

     おなじみの「論語集注」読書会の講義メモです。

    「吾、十有五にして学に志す、三十にして立つ…」

     有名な箇所だが、「五十にして天命を知る。六十にして耳したがう。七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)をこえず」は、「50歳で自分の限界を知り、60歳になって人のいいなりになり、70歳になったら欲望がしぼみ、やりたいことをやっても大したことができなくなった」とも解釈できる。しかし、朱子にとって、孔子は「完璧な聖人」なので肯定的解釈を行った。

    ここで朱子にとっての問題は、孔子が「生知安行(生まれながらにしてすべてを知り、苦労なく安んじて行う能力を持つ)」あるなら、なぜ段階的に学習する必要があったのかとの問いであった。

     もちろん朱子は孔子の完全性を疑うことはしない。

    朱子は、先達の程子の解釈を引用しながら、「学ぼうとする一般人に対し、段階を踏んで学ぶ必要性を説くためであった」とする。また、「孔子は客観的には生まれながらにして完全な聖人であったが、孔子自身の自己意識としては足らないものがあると思い、生涯、努力を続けた」という説明で折り合いをつけている。

     うーん、ちょっと苦しい解釈。「努力すればだれもが聖人になる可能性がある」というのが儒教の中心教説ならば、孔子を「努力の人」にしてもかまわない気がするが。孔子自身も、たしか別のところで「我は生まれながらにして之を知る者に非ず。古を好み、敏にして以って之を求めたる者なり」と自己を語っている。

     強制ではなく、自主的に従わせるのが、儒教式のソフトパワー。朝鮮、日本も、強制されたわけでもないのに、儒教や漢字を受け入れた。むしろ、モンゴル、チベットは、漢文化導入に抵抗した。現在、朝貢の歴史を持つ朝鮮、日本が「外国」になり、中国に対して「外国意識」が強かったチベット、モンゴル(内)が「中国国内」になっているのは、歴史の皮肉。

     「悪いことをすれば死んでからバツを受けるので、生きているうちに良いことをしなければ」というのは、損得勘定に基づいたものなので、儒教的にはこれは低級。「悪をなすことは、人として恥ずかしい」というのが儒教的な倫理の基本だ。「人は禽獣ではない。人たることの誇りこそ重要」との基本認識がある。これが、人間を超えた超越的な神を想定しなくても、人間社会の道徳を成立させる基盤となる。


     王陽明による陽明学は、「人の本性は万人に共通。孔子も人であり、私も人である。それならば私もあなたも孔子になれる」と説く。王陽明は人々に対し、「あなた方も、孔子として行動すればよい。今、ただちに孔子として生きろ」と説いて、熱狂的な一般からの支持を得た。

     アマチュアの陽明学者はいるが、アマチュアの朱子学者はいない。これは、朱子学と陽明学の対比をシンボリックに物語っている。

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  31. 論語序說
    史記世家曰、孔子名丘、字仲尼、其先宋人。父叔梁紇、母顏氏。以魯襄公二十二年、庚戌之歳十一月庚子、生孔子於魯昌平郷陬邑。爲兒嬉戯、常陳俎豆、設禮容。及長爲委吏。料量平。委吏、本作季氏史。索隱云、一本作委吏。與孟子合。今從之。
    【読み】
    史記の世家に曰く、孔子、名は丘、字は仲尼、其の先は宋人。父は叔梁紇、母は顏氏。魯の襄公二十二年、庚戌の歳十一月庚子を以て、孔子を魯の昌平郷の陬邑に生めり。兒爲りしときの嬉戯、常に俎豆を陳ね、禮容を設く。長[ひととなる]に及んで委吏と爲る。料量平かなり。委吏は、本に季氏の史に作る。索隱に云う、一本に委吏に作る、と。孟子と合う。今之に從う。

    爲司職吏。畜蕃息。職、見周禮牛人。讀爲樴。義與杙同。蓋繋養犧牲之所。此官卽孟子所謂乘田。
    【読み】
    司職の吏と爲る。畜[けもの]蕃息す。職は周禮の牛人に見ゆ。讀みは樴とす。義は杙と同じ。蓋し犧牲を繋養する所なり。此の官卽ち孟子謂う所の乘田なり。

    適周、問禮於老子。旣反、而弟子益進。昭公二十五年甲申、孔子年三十五、而昭公奔齊。魯亂。於是適齊。爲高昭子家臣、以通乎景公。有聞韶・問政二事。
    【読み】
    周に適いて、禮を老子に問う。旣に反って、弟子益々進む。昭公二十五年甲申、孔子年三十五にして、昭公齊に奔る。魯亂る。是に於て齊に適く。高昭子が家臣と爲って、以て景公に通ず。韶を聞き、政を問うの二事有り。

    公欲封以尼谿之田。晏嬰不可。公惑之。有季孟吾老之語。
    【読み】
    公、封ずるに尼谿の田を以てせんと欲す。晏嬰可[き]かず。公之に惑う。季孟、吾老いたりの語有り。

    孔子遂行、反乎魯。定公元年壬辰、孔子年四十三、而季氏強僭。其臣陽虎作亂專政。故孔子不仕而退、修詩書禮樂。弟子彌衆。九年庚子、孔子年五十一、公山不狃以費畔季氏。召孔子。欲往而卒不行。有答子路東周語。
    【読み】
    孔子遂に行[さ]って、魯に反る。定公元年壬辰、孔子年四十三にして、季氏強僭す。其の臣陽虎亂を作して政を專[ほしいまま]にす。故に孔子仕えずして退き、詩書禮樂を修む。弟子彌々衆し。九年庚子、孔子年五十一、公山不狃[ふじゅう]費を以[ひきい]て季氏に畔[そむ]く。孔子を召[よ]ぶ。往かまく欲して卒に行かず。子路に答うる東周の語有り。

    定公以孔子爲中都宰。一年四方則之。遂爲司空。又爲大司寇。十年辛丑、相定公、會齊侯于夾谷。齊人歸魯侵地。十二年癸卯、使仲由爲季氏宰、墮三都、收其甲兵。孟氏不肯墮成。圍之不克。十四年乙巳、孔子年五十六、攝行相事。誅少正卯。與聞國政三月、魯國大治。齊人歸女樂、以沮之。季桓子受之。郊又不致膰俎於大夫。孔子行。魯世家以此以上、皆爲十二年事。
    【読み】
    定公孔子を以て中都の宰とす。一年にして四方之に則る。遂に司空と爲る。又大司寇と爲る。十年辛丑、定公に相として、齊侯と夾谷に會す。齊人魯に侵[おか]せる地を歸す。十二年癸卯、仲由をして季氏が宰として、三都を墮[こぼ]ちて、其の甲兵を收めしむ。孟氏肯[あえ]て成を墮たず。之を圍んで克たず。十四年乙巳、孔子年五十六、相の事を攝[か]ね行う。少正卯を誅す。國政を聞くに與ること三月、魯國大いに治まる。齊人女樂を歸[おく]って、以て之を沮む。季桓子之を受く。郊に又膰俎を大夫に致さず。孔子行る。魯の世家、此れ以上を以て、皆十二年の事と爲す。

    適衛、主於子路妻兄顏濁鄒家。孟子、作顏讐由。
    【読み】
    衛に適いて、子路が妻の兄顏濁鄒が家を主とす。孟子、顏讐由に作る。

    適陳、過匡。匡人以爲陽虎而拘之。有顏淵後、及文王旣沒之語。
    【読み】
    陳に適かんとして匡を過[よぎ]る。匡人以て陽虎なりとして之を拘[とら]う。顏淵後る、及び文王旣に沒すの語有り。

    旣解、還衛、主遽伯玉家。見南子。有矢子路、及未見好德之語。
    【読み】
    旣に解けて衛に還り、遽伯玉が家を主とす。南子に見[あ]う。子路に矢[ちか]い、及び未だ德を好むものを見ずの語有り。

    去適宋。司馬桓魋欲殺之。有天生德語、及微服過宋事。
    【読み】
    去って宋に適く。司馬桓魋之を殺さまく欲す。天德を生ぜりの語、及び微服して宋を過ぐの事有り。

    又去適陳、主司城貞子家。居三歳、而反于衛。靈公不能用。有三年有成之語。
    【読み】
    又去って陳に適き、司城貞子が家を主とす。居ること三歳にして衛に反る。靈公用うること能わず。三年にして成すこと有らんの語有り。

    晉趙氏家臣佛肸、以中牟畔。召孔子。孔子欲往、亦不果。有答子路堅白語、及荷蕢過門事。
    【読み】
    晉の趙氏が家臣佛肸[ひつきつ]、中牟[ちゅうぼう]を以て畔く。孔子を召ぶ。孔子往かまく欲して亦果たさず。子路に答うる堅白の語、及び蕢を荷いて門を過ぐの事有り。

    將西見趙簡子、至河而反。又主蘧伯玉家。靈公問陳。不對而行。復如陳。據論語、則絶糧當在此時。
    【読み】
    將に西のかた趙簡子に見わんとして、河に至って反る。又蘧伯玉が家を主とす。靈公陳を問う。對えずして行る。復陳に如[ゆ]く。論語に據るに、則ち糧を絶つは當に此の時に在るべし。

    季桓子卒。遺言謂康子、必召孔子。其臣止之。康子乃召冉求。史記以論語歸與之歎、爲在此時。又以孟子所記歎詞、爲主司城貞子時語。疑不然。蓋語・孟所記、本皆此一時語、而所記有異同耳。
    【読み】
    季桓子卒す。遺言して康子に謂う、必ず孔子を召べ、と。其の臣之を止む。康子乃ち冉求を召ぶ。史記、論語歸んなんの歎を以て、此の時に在りとす。又孟子記す所の歎詞を以て、司城貞子を主とする時の語とす。疑うらくは然らず。蓋し語・孟の記す所、本皆此れ一時の語にして、記す所異同有るのみ。

    孔子如蔡及葉。有葉公問答、子路不對、沮溺耦耕、荷蓧丈人等事。史記云、於是楚昭王使人聘孔子。孔子將往拜禮。而陳蔡大夫、發徒圍之。故孔子絶糧於陳蔡之閒。有慍見、及告子貢一貫之語。按是時、陳蔡臣服於楚。若楚王來聘孔子、陳蔡大夫安敢圍之。且據論語、絶糧當在去衛如陳之時。
    【読み】
    孔子蔡及び葉に如く。葉公の問答、子路對えず、沮溺耦耕、荷蓧丈人等の事有り。史記に云う、是に於て楚の昭王、人をして孔子を聘せしむ。孔子將に往きて禮を拜せんとす。而して陳蔡の大夫、徒を發して之を圍む。故に孔子糧を陳蔡の閒に絶つ。慍見、及び子貢に告ぐる一貫の語有り、と。按ずるに是の時、陳蔡楚に臣服す。若し楚王來て孔子を聘せば、陳蔡の大夫安んぞ敢えて之を圍まんや。且[また]論語に據るに、糧を絶つは當に衛を去りて陳に如く時に在るべし。

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  32. 楚昭王將以書社地封孔子。令尹子西不可。乃止。史記云、書社地七百里。恐無此理。時則有接輿之歌。
    【読み】
    楚の昭王將に書社の地を以て孔子を封ぜんとす。令尹子西可かず。乃ち止む。史記に云う、書社の地は七百里、と。恐らくは此の理無からん。時に則ち接輿の歌有り。

    又反乎衛。時靈公已卒。衛君輒欲得孔子爲政。有魯衛兄弟、及答子貢伯夷叔齊、子路正名之語。
    【読み】
    又衛に反る。時に靈公已に卒す。衛君輒[ちょう]、孔子を得て政をせまく欲す。魯衛は兄弟、及び子貢に答うる伯夷叔齊、子路名を正さんの語有り。

    而冉求爲季氏將、與齊戰有功。康子乃召孔子。而孔子歸魯。實哀公之十一年丁巳、而孔子年六十八矣。有對哀公及康子語。
    【読み】
    而して冉求季氏が將と爲り、齊と戰って功有り。康子乃ち孔子を召ぶ。而して孔子魯に歸る。實に哀公の十一年丁巳にして、孔子年六十八なり。哀公及び康子に對うる語有り。

    然魯終不能用孔子。孔子亦不求仕。乃敍書傳禮記、有杞宋、損益、從周等語。
    【読み】
    然れども魯終に孔子を用うること能わず。孔子も亦仕えんことを求めず。乃ち書傳禮記を敍[つい]で、杞宋、損益、周に從わん等の語有り。

    刪詩正樂、有語大師、樂正之語。
    【読み】
    詩を刪[けず]り樂を正し、大師に語り、樂正しの語有り。

    序易彖・繋・象、說卦・文言。有假我數年之語。
    【読み】
    易の彖・繋・象、說卦・文言を序[つい]ず。我に數年を假さばの語有り。

    弟子蓋三千焉。身通六藝者七十二人。弟子顏囘最賢蚤死。後唯曾參得傳孔子之道。
    【読み】
    弟子蓋し三千。身六藝に通ずる者七十二人。弟子の顏囘最も賢にして蚤死す。後唯曾參のみ孔子の道を傳うるを得。

    十四年庚申、魯西狩獲麟。有莫我知之歎。
    【読み】
    十四年庚申、魯、西のかた狩して麟を獲たり。我を知るもの莫しの歎有り。

    孔子作春秋。有知我罪我等語。論語請討陳恆事、亦在是年。
    【読み】
    孔子春秋を作る。我を知り我を罪する等の語有り。論語、陳恆を討つを請う事も、亦是の年に在り。

    明年辛酉、子路死於衛。十六年壬戌、四月己丑、孔子卒。年七十三。葬魯城北泗上。弟子皆服心喪三年而去。惟子貢廬於冢上凡六年。孔子生鯉。字伯魚。先卒。伯魚生伋。字子思。作中庸。子思學於曾子、而孟子受業子思之門人。
    【読み】
    明年辛酉、子路衛に死んぬ。十六年壬戌、四月己丑、孔子卒す。年七十三。魯の城北の泗上に葬る。弟子皆心喪を服すること三年にして去る。惟子貢のみ冢上に廬すること凡て六年。孔子、鯉を生む。伯魚と字す。先ず卒す。伯魚、伋を生む。子思と字す。中庸を作る。子思曾子に學び、而して孟子業を子思の門人に受く。

    何氏曰、魯論語二十篇、齊論語別有問王・知道、凡二十二篇。其二十篇中、章句頗多於魯論。古論出孔氏壁中。分堯曰下章子張問以爲一篇。有兩子張。凡二十一篇、篇次不與齊・魯論同。
    【読み】
    何氏曰く、魯の論語二十篇、齊の論語別に問王・知道有り、凡て二十二篇。其の二十篇の中、章句頗る魯の論よりも多し。古論は孔氏の壁中より出づ。堯曰の下の章、子張問うというを分けて以て一篇とす。兩つの子張有り。凡て二十一篇、篇次、齊・魯の論と同じからず。

    程子曰、論語之書、成於有子・曾子之門人。故其書獨二子以子稱。
    【読み】
    程子曰く、論語の書は、有子・曾子の門人に成る。故に其の書獨[ただ]二子のみ子を以て稱す。

    程子曰、讀論語、有讀了全然無事者。有讀了後、其中得一兩句喜者。有讀了後、知好之者。有讀了後、直有不知手之舞之、足之蹈之者。
    【読み】
    程子曰く、論語を讀み、讀み了って全然無事なる者有り。讀み了って後、其の中一兩句を得て喜ぶ者有り。讀み了って後、之を好むことを知る者有り。讀み了って後、直ちに手の之を舞い、足の之を蹈むことを知らざること有る者有り。

    程子曰、今人不會讀書。如讀論語、未讀時、是此等人、読了後、又只是此等人。便是不曾讀。
    【読み】
    程子曰く、今の人、書を讀むことを會さず。論語を讀むが如き、未だ讀まざる時、是れ此れ等の人、読み了って後も又只是れ此れ等の人なるは、便ち是れ曾て讀まざるなり。

    程子曰、頤自十七八讀論語。當時已曉文義。讀之愈久、但覺意味深長。
    【読み】
    程子曰く、頤、十七八より論語を讀む。當時已に文義を曉る。之を讀むこと愈々久しうして、但意味の深長なることを覺う。


    論語卷之一

    學而第一 此爲書之首篇。故所記多務本之意。乃入道之門、積德之基、學者之先務也。凡十六章。
    【読み】
    學而第一 此れ書の首篇爲り。故に記す所、本を務むるの意多し。乃ち道に入るの門、德を積むの基にして、學者の先務なり。凡て十六章。

    學而1
    ○子曰、學而時習之、不亦說乎。說、悦同。○學之爲言效也。人性皆善。而覺有先後。後覺者必效先覺之所爲、乃可以明善而復其初也。習、鳥數飛也。學之不已、如鳥數飛也。說、喜意也。旣學而又時時習之、則所學者熟、而中心喜說、其進自不能已矣。程子曰、習、重習也。時復思繹、浹洽於中、則說也。又曰、學者將以行之也。時習之、則所學者在我。故說。謝氏曰、時習者、無時而不習。坐如尸、坐時習也。立如齊、立時習也。
    【読み】
    ○子曰く、學んで時[よりより]之を習わす、亦說ばしからざらんや。說は悦に同じ。○學の言爲るは效なり。人の性は皆善。而して覺るに先後有り。後覺者は、必ず先覺のする所を效えば、乃ち以て善を明らかにして其の初に復る可し。習うは、鳥の數々飛ぶなり。之を學びて已まざる、鳥の數々飛ぶが如し。說は、喜ぶ意なり。旣に學びて又時時之を習うときは、則ち學ぶ所の者熟して、中心喜說し、其の進むこと自ら已むこと能わざるなり。程子曰く、習は重習なり。時復思繹し、中に浹洽するときは、則ち說ぶなり、と。又曰く、學者は將に以て之を行わんとす。時之を習うときは、則ち學ぶ所の者我に在り。故に說ぶ、と。謝氏曰く、時習うは、時として習わざること無し。坐するに尸の如しは、坐す時の習いなり。立つに齊の如しは、立つ時の習いなり、と。

    有朋自遠方來、不亦樂乎。樂、音洛。○朋、同類也。自遠方來、則近者可知。程子曰、以善及人、而信從者衆。故可樂。又曰、說在心。樂主發散在外。
    【読み】
    朋有り遠方より來る、亦樂しからざらんや。樂の音は洛。○朋は同類なり。遠方より來るときは、則ち近き者は知る可し。程子曰く、善を以て人に及ぼして、信じ從う者衆し。故に樂しむ可し、と。又曰く、說は心に在り。樂は發散して外に在るを主とす、と。

    人不知而不慍。不亦君子乎。慍、紆問反。○慍、含怒意。君子、成德之名。尹氏曰、學在己。知不知在人。何慍之有。程子曰、雖樂於及人、不見是而無悶、乃所謂君子。愚謂、及人而樂者、順而易。不知而不慍者、逆而難。故惟成德者能之。然德之所以成、亦由學之正、習之熟、說之深、而不已焉耳。○程子曰、樂由說而後得。非樂不足以語君子。
    【読み】
    人知らざれども慍[いきどお]らず。亦君子ならざらんや。慍は紆問の反。○慍は怒を含む意。君子は成德の名。尹氏曰く、學ぶは己に在り。知ると知らざるとは人に在り。何ぞ慍ることか之れ有らん、と。程子曰く、人に及ぶを樂しむと雖も、是とされずして悶ること無きは、乃ち所謂君子なり、と。愚謂えらく、人に及んで樂しむは、順にして易し。知られずして慍らざるは、逆にして難し。故に惟成德なる者のみ之を能くす。然れども德の成る所以も、亦學の正、習の熟、說の深くして、已まざるに由るのみ、と。○程子曰く、樂しむは說ぶに由りて後に得。樂しむに非ざれば以て君子を語るに足りず、と。

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  33. http://mokusai-web.com/shushigakukihonsho/rongo/rongo1_body.html

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  34. http://mokusai-web.com/shushigakukihonsho/rongo/rongo2_body.html

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  35. http://homepage1.nifty.com/kjf/China-koji/P-048.htm
    格物致知
     
     
     四書・五経は儒教の聖典である。この四書、つまり『大学』『孟子』
    『中庸』の四経典のうち『大学』は、儒教の教義を簡潔に体系的に述べ
    た名著として知られてるが、その内容は、三綱領、八条目ということに
    要約される。三綱領とは、「明徳を明らかにし、民を新たにし(民を親
    しましむと読む説もある)、至善に止る」の三項、八条目とは、「格物
    ・致知」の二項と、「意を誠にし、心を正し、身を修め、家を斉え、国
    を治め、天下を平らぐ」の六項を合せた八項目のこと、これらは全体と
    して、儒教思想の体系を巧みに論理だてて説きあかしている。ところが
    八項目のうち六項目については、『大学』の文中で詳しい解説があたえ
    られているのに、「格物致知」の二項については、一言も説明が加えら
    れていない。「格物致知」がわからなかければ、段階を追って組みたて
    られている八条目の思想が出発点から曖昧になることになる。そこで、
    とくに宋代以降、儒学者のあいだで、この解釈をめぐって異説百出し、
    儒教哲学の根本問題として論争の的となってきた。なかで、代表的な学
    説をとなえたのが、朱子と王陽明である。
     
     王陽明は、周知のとおり陽明学の祖とされる明代の大学者だが、この
    陽明は、まだ二十代の若い頃、朱子の学問に心から傾倒していた。とこ
    ろが、朱子は、「格物致知」について、
     
     「万物はすべて一木一草にいたるまで、それぞれ理をそなえている。
      この理を一つ一つ窮めてゆけば、
      ある時、豁然として万物の表裏精粗を明らかにする事ができる。」
     
     といっている。つまり、「格物」の格とは至るということ、「格物」
    は「物に至る」ということで、万物にそなわる理を窮める「窮理」と同
    じ意味の語だとし、物に格り理を窮めることから知識を推し進めて「知
    を致す」こと、これが「格物致知」ということだと説いたのである。
     
     朱子に心服していた陽明は、この教えに従い「格物致知」の真義を体
    得しようとして、理は一木一草にまであるというからには、家の囲りに
    生い茂っている竹にも、もちろん理はあるはずだと考え、竹を一本一本
    切りとって、まず竹の理を窮めようとした。ところが、竹をみつめ幾日
    も沈思黙考を続けたのだが、どうしても竹の理なるものがわからない。
    煩悩のあまり、陽明は病気になってしまった。そこでかれは朱子の学説
    に疑いを起し、やがて、朱子から離れ、朱子とはちがったつぎのような
    「格物致知」の解釈を考えだすことになる。
     
     「格物の物とは事である。
      事とは親につかえるとか君につかえるとか、
      すべて心の動き意のあるところのものだ。
      事というからにはそこに心があり、心の外には物もなく理もない。
      だから、格物の格とは、正すと読むべきで、
      事を正し、心を正すことが格物である。
      悪を去り、心を正すことによって、
      人は心のなかに先天的に備える良知を明らかにすることができる。
      これが知を致すことであり、致知である。」
     
     知的分析を重んじた朱子の解釈に反対し、陽明は「心則理」とか「知
    行合一」とかいう実践を重んじて行的立場を重視するところから、この
    ような「格物致知」の解釈を考え出したのである。両者のいずれが「格
    物致知」の真の意味をつかんでいるか、両者の解釈はともに朱子学なり
    陽明学なりの独自の学説を合理づけようとするところから生まれた恣意
    的な理解ではないか、『大学』本来の意味はまた別のところにあるので
    はないか、といった議論が、その後、学者のあいだで繰り返されて、今
    日も、この言葉については定説をみないといわれている。
     

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  36. http://kotowaza.avaloky.com/pv_yoj109.html
    ●格物致知
    読み(ひらがな)
    かくぶつ ちち

    意味
    まず、物事の本質をしっかりと理解してから、知識や学問をみがきあげる、こと。

    解説
    この四字熟語は、「大学」という本に載っている言葉で、世の中の平安を望む者が、持つべきこととして8つの段階をあげ、 その一番初めにある最も基本的なことを述べた言葉のようです。物をよく見て観察し、物の本質を正しく理解してから、知識を深め、 さらに、その知識をもとにして知恵を働かせることではないかと思います。また、この2つの基本に加え、同時に 別の6つのことも実行するようにすすめているようです。その8つの段階とは、

    「格物、致知、誠意、正心、 修身、斉家、治国、平天下」

    です。この言葉は、朱子学と陽明学で取り上げられ、いろいろな考え方があり、難しいもののようです。

    重要語の意味
    格=「かく」と読み、①いたる。②ただす。 物=「ぶつ」と読み、もの。実際に目で見て知覚できるようなもの。 致=「ち」と読み、きわめる。 知=「ち」と読み、①知ること。知識。②知恵。 知識=「ちしき」と読み、物事を理解し記憶にとどめること。 知恵=「ちえ」と読み、物事をよく理解し適切に処理する能力。 学問=「がくもん」と読み、知識を得るため知らないことを探し求め学ぶこと。 みがきあげる=より優れたものにすること。 格物=「かくぶつ」と読み、①物にいたる。②物をただす。 致知=「ちち」と読み、知識が深まり知恵がみがきあげられること。 誠意=「せいい」と読み、思いを誠実にし嘘をつかないこと。まごころ。 正心=「せいしん」と読み、心を正しくすること。 修身=「しゅうしん」と読み、正しい行いに努め身を整えること。 斉家=「せいか」と読み、家の中が互いに仲良くなるよう整えること。家庭内を平安にすること 治国=「ちこく」と読み、正しく国を治めること。 平天下=「へいてんか」と読み、世の中を平安にすること。 大学=「だいがく」と読み、中国の古典、儒教の四書のひとつ。

    いわれ(歴史)と重要度
    大学・第一章のニ。 重要度=☆☆☆

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  37. 02-24

    子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不爲、無勇也、

    子の曰わく、其の鬼(き)に非ずしてこれを祭るは、諂(へつら)いなり。義を見て為ざるは勇なきなり。

    先生がいわれた、「わが家の精霊でもないのに祭るのは、へつらいである。[本来、祭るべきものではないのだから。]行うべきことを前にしながら行わないの は憶病ものである。[ためらって決心がつかないのだから]」

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  38. 3 新渡戸稲造の評価した鷹山
    新渡戸稲造の著述した「武士道」は、「日本の魂―日本思想 の解明」という副題がついている。この中で稲造は、道徳体
    系としての武士道、さらに武士道の淵源を説いた上で、義、 勇、仁、礼、誠、名誉、忠義、克己などの意味を、章を分け て記述している。
    そして第5章「仁・惻隠(そくいん)の心」の中で、彼は鷹山 について書いている。ちなみに惻隠とは、憐れみを垂れるこ と、いたわしく思うことである。
    「孔子も孟子も、人を治むる者の最高の必要条件は、仁に 存することを繰り返した。
    孔子曰く“君子はまず徳を慎む、徳有ればこれ人有り、人 有ればこれ土有り、土有ればこれ財有り、財有ればこれ用有 り、徳は本也(なり)、財は末也”(大学)と。
    また曰く“上仁を好みて下義を好まざる者、いまだ有らざ る也”(大学)と。孟子はこれを祖述して曰く“不仁にして国を 得る者これ有り、不仁にして天下を得る者はいまだこれ有ら ざる也”と。
    また曰く“天下心服せずして王たる者は、いまだこれ有ら ざる也”と。
    (中略)封建制の政治は武断主義に堕落しやすい。その下 において最悪の種類の専制から吾人(ごじん―われわれ)を救いし ものは仁であった」
    稲造は、為政者の根本部分に「仁」がなければ、最悪の種 類の専制になってしまうと説いている。鷹山にはその根本に 「仁」があったことをいっているのだ。
    稲造はこれに続けていっている。
    「私は如何なる種類の専制政治をも支持するものでは断じ てない。しかしながら封建制を専制政治と同一視するのは誤 謬(ごびゅう)である。フレデリック大帝が“王は国家の第一の召 使いである”といいし言をもって、自由発達の一新時代が来 たと、法律学者たちの評したことは正しい。
    不思議にもこれと時を同じくして、東北日本の僻地におい て、米沢の上杉鷹山は正確に同一の宣言をなし――国家人民 のために立てたる君にして、君のために立てたる国家人民に はこれなく候――封建制の決して暴虐圧制にあらざることを
    示した。封建君主は臣下に対して相互的義務を負うとは考え なかったが、自己の祖先ならびに天に対して高き責任感を有 した。彼は民の父であり、民は天より保護を委(ゆだ)ねられ たる子であった」
    鷹山の「宣言」というのは、明和5年(1785)に彼が藩主の 座を、第11代の治廣に引き継ぐ際に手渡した、藩主としての 心得の中に書いた言葉である。これは後々、「伝国の辞」と呼 ばれている。
    この文書は藩主の座を引き継ぐ際に、代々受け渡されてい き、その現物が今日残っている。就封時の神への誓詞と異な り、この書体は極めてまろやかで達筆である。鷹山の人格的 な成長を感じることができる。
    この「伝国の辞」の内容は、三ヵ条からなっており、稲造 がとりあげているのはその最後の項目である。
    その前の項目は以下の二つである。
    「一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして、我私(われわた くし)すべきものにはこれなく候。
    一、人民は国家に属したる人民にして、我私すべきものには
    これなく候」
    鷹山はこの文書の最後、左端に次の言葉を書き入れている。
    「右三条、御遺念あるまじく候こと」
    稲造はこの彼の思想を高く評価し、それが専制君主制とは 全く異なることを論証したかったのである。
    21世紀の現代においても、このような思想を全く理解でき ていない国家があり、元首がいる。国家の経済は殆ど破綻し、 特権階級以外の国民全体は、極度に生活窮迫の状態に陥って いる。元首とその取りまきの特権階級は、その状況を一顧だ にしていない。
    しかもその元首の座は世襲されてゆく。 遅かれ早かれこの国は歴史的な大審判を受けるはずだ。 とにかく鷹山の時代から歴史は流れて、既に約230年もた
    っているのである。



    http://www.d1.dion.ne.jp/~uetoko/ronkou08.pdf

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  39.  宮崎市定は孔子の思想を考える材料として論語に出てくるキーワードの回数を示している(「論語の新しい読み方 」岩波現代文庫、2000年)。

     「仁」は「さすがに孔子の教育の目標でありますから非常に多く」、97回とトップとなっている。

    「礼」は「孔子の職業に最も深く関係しますから」次に多くなっている。75

    信頼の「信」は「君主に対して使えないこともないがむしろ人民と人民との間、国民同士の間の道徳」として、3番目に多い。38

    親孝行の「孝」と忠節の「忠」は同じ18回だが、
    「君に対して忠と言った場合は、わずかに3回だけであります。他の15回は忠信とか忠恕とかいうふうに、むしろ一般的な道徳として使われております。」

     孔子を葬儀屋集団のリーダーと位置づけたのは白川静であるが(『孔子伝』)、古来より伝わった儀式(常に音楽を伴う)の指南役として俸給、謝礼を得る職業集団を率いていた孔子は、この儀式のしきたりや精神、すなわち「礼」について「学んで時に之を習う。亦悦ばしからずや」だった訳である。

     紀元前5世紀から紀元前後にかけて、新しい宗教運動が世界各地で起こった。知性に目覚めた人類は、当時、知性をコントロールできず、復讐、残虐、杞憂、迷信、淫蕩、煩悩といった諸悪から抜け出せなくなって社会が成り立たなくなる程度にまで達していた。この時期に及んで、偉大な宗教家が愛や解脱を説いて人類救済に乗り出したが、孔子も「礼」を拡大適用する方式で人々に人生の指針を与え、不要な混乱から社会を救い出すこととなったのだと考えられる。

     他の宗教に比較して世俗的な人の道で混乱から人類を救い出した儒教は各種の道徳項目を人々に教えたが、のちに国家体制の秩序原理としては重要性を増す「忠」は、もっと深刻な局面が多い精神救済ジャンルの中でその一部分を占めるに過ぎなかったといえる。

     宮崎市定(1977)「中国史 」にはこう述べられている。論語は「忠孝を柱として道徳を説いたように考えられているが、実際は孔子の忠はそんな意味ではなかった。忠とは君に対してのみならず、特定の知人に対して誠実なることの謂であった。(中略)孔子が最も力説したのは信であった。信は一般的人間生活、特に(孔子の生きた時代に支配的であった)都市国家における市民間の信頼関係であった、正に社会道徳の根幹たるべきものであった。」(カッコ内は引用者による)

    「都市国家時代の社会には、士族と庶民との階級対立があった他に、奴隷も存在した。男を臣と称し、女を妾と称した。(中略)君主に側近の奴隷群があり、その中の有能な者が政治上の顧問となって君主を助け、君主の愛顧を受けて地位が高まり、権力が強大となると、身は奴隷でありながら世上からも尊敬の念を以て遇せられるようになる。すると自ら進んで彼等の群に身を投ずる者も現れて官僚群を形成するに至ったのであろう。そこでこの官僚たちは、君主に対して自ら臣と称した。君臣の関係が此処に成立したのであって、それはもともと君主と人民との間の関係とは異なるものであった。」

     日本で人民を臣と位置づけ、君臣の間の「忠」が儒教道徳の中でとりわけ重要視されるに至った理由は以下のように考えられる。

     日本の現代の映画監督が儒教の言葉で、映画づくりのテーマを語ることはまずないが、韓国の映画監督はそうではない。アジア・フォーカス福岡映画祭で韓国映画『祝祭』(1996)が上映されたときの林権澤(イム・グォンテク)監督はこう述べた。「儒教の徳目のうち、中国では仁がいちばん重んじられ、日本では忠が強調されてきたと思われますが、韓国ではあくまで孝が大切にされてきました。」(佐藤忠男(2000)「韓国映画の精神―林権沢監督とその時代 」岩波書店)

     佐藤忠男(2000)によれば、韓国が「孝」を最重視するにたったのは、隣接する大国中国に対して、道徳をテコにした独立維持意識が働いたためだとする。「いまや韓国にこそ、儒教本来の祖霊崇拝の思想は最も純粋かつ強固に保持されている。朝鮮は中国から儒教を学んだが、その結果、本家の中国以上に忠実に儒教を受け入れ、実践した。朝鮮は超大国である中国に隣接する小国であり、武力で対立すれば負けるのが当然だった。負けてもしかし、決してその一部に吸収されてしまうのではなく、独立を保った。武力ではかなわない代り、中国が中国文化の根幹とする儒教をしっかりと学び、学問と道徳において中国に劣らないというところに民族の誇りをうちたてた。」

     他方、日本が「忠」を最重視するに至ったのは、明治維新後に列強に対して、武力をテコにした独立を維持しようとする意識によるものだと考えられる。日本の江戸時代の儒教は「民百姓向きの孝第一と、武士向きの忠第一とに解釈が分裂」していた。明治国家は、富国強兵へ向かう国民教化のため「孝を忠の思想体系の下部組織に組み込む」に至った。自国防衛戦争であれば、孝でも足りる。家族を守るために戦うという論拠づけが可能だからだ。他国への侵略戦争の場合はそうはいかない。国家や君主への忠が強調されなければ成り立たない。韓国の場合は、どこまでも防衛戦争が主であったので孝で足りた。日本の場合、朝鮮、台湾、満州、中国、アジア太平洋とうち続く在外戦争を忠が支えたともいえよう。すなわち「忠」は封建時代の名残りではなく、近代日本の産物だということを意味している。

     こうして、古来よりの注釈家の迷妄を払って、歴史的に論語を解釈するという立場の宮崎市定から、「忠」を孔子がそう重視していたわけではないことが示されると日本人としては意外であり、また新鮮な感じがすることになる訳である。

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  40. 『ここまで違う日本と中国』を読んだら中国人の人格が更に良く分かると...

    kabunarikinnomaroさん 2010/09/22 09:52:14
    『ここまで違う日本と中国』を読んだら中国人の人格が更に良く分かると思うが、皆さんはどのように思いますか?
    産経新聞より抜粋加瀬英明氏と「元中国人」石平氏との対談集『ここまで違う日本と中国』を読むと、「目から鱗(うろこ)」の話ばかりだ。
    例えば「公」を大切にする日本と「私」しかない中国だ。
    お二人は「論語」にある「父親が羊を盗む話」をあげて説明する。

    ▼ある人が孔子に「友人は正直者で、父親が隣の人の羊を盗んだことを知ると、父親を告発しました」と語る。
    すると孔子は怒る。「何よりも、孝が大事だ。父親がどんなに悪いことをやっても、外に言ってはいけない」。
    石平氏は「孔子は公を無視している」という。

    ▼これに対し中国とは別の儒教を作り上げた日本人は「孝」よりも「公」に尽くす「忠」を重視してきたそうだ。
    何事か起きると、日本人が「相手に悪い」と思うのに対し中国人は「相手が悪い」と思う。
    明らかに「公」と「私」の精神の違いだろう。

    ▼そう考えると、沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件での中国側の対応はよくわかる。
    現場が日本領海であるとか、国際社会の秩序に従うとかいった「公」の気持ちはさらさらない。
    ただ自国の船を守り、日本への恨みを晴らす「私」の基準で騒ぎ、日本を恫喝(どうかつ)しているのである。

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  41. 忠?忠?
      孝

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  42. 中国、日本

     忠?忠?
       孝

    心情的に忠を孝の上に置く日本
    孝を忠に対峙させる中国

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  43. 儒教の場合、孝は、家父長制にもとづくものであるが、孔子はそれを互酬的な
    ものとして見ていた。孝は子にだけ課される義務ではなく、父もその義務を負
    う。たとえば、「(犯罪を)父は子の為に隠し、子は父のために隠す」(『論語』13-18(>>435))
    と孔子はいう。

    儒教では「孝」が重視され、「忠」よりも上に置かれる。しかし、日本では、
    孝と忠が争えば、文句なしに忠が優位に置かれる。それは必ずしも孝を否定す
    ることではない。忠はある意味で、オヤ(親分)への孝だからだ。儒教では、親に
    対する孝は、公権力に抵抗する原理ともなりうる。だが、日本の儒教では、孝
    は、公権力(オヤ)への服従を正当化することにしかならない。この意味で、日本
    に本来の儒教が根づくことはなかった。

    (柄谷行人『遊動論』文春新書139頁,156頁)

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  44. カントの啓蒙論によれば公私は逆転し得る(例えばユダヤ人を助けた日本人外交官等)。
    論語が焚書坑儒を生き延びることができたのは忠より孝を優先して原論語を壁に埋めたからだ。
    忠と孝が柄谷の言うように対立する場合があるとして、「中」というのは
    アンチノミーを維持することを意味する。
    ふつうは人間の心の「中」という忠の語釈に近い読みをする。
    中庸の称揚と解釈しても間違いではないが。


    http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note422
    子張問崇徳辨惑、子曰、主忠信徒義、崇徳也、愛之欲其生、惡之欲其死、既欲其生、叉欲其死、是惑也、誠不以富、亦祇以異、

    子張、徳を崇(たか)くし惑(まどい)を弁ぜんことを問う。子の曰わく、忠信を主として義に徒(うつ)るは、徳を崇くするなり。これを愛しては其の生を欲 し、これを悪(にく)みては其の死を欲す。既に其の生を欲して、又た其の死を欲するは、是れ惑いなり。

    子張が徳をたかめ迷いをはっきりすることについてお訊ねした。先生は言われた、「[誠の徳である]忠と信とを第一にして正義へと移ってゆくのが、徳をたか めることだ。愛すれば生きて居て欲しいと思い、憎めば死んだらよいと思う[のは普通の人情だ]が、さきには生きていて欲しいと思いながら、また死んだらよ いと思う、それこそ迷いだ」


    14-08

    子曰、愛之能勿勞乎、忠焉能勿誨乎、

    子の曰わく、これを愛して能く労すること勿(な)からんや。忠にして能く誨(おし)うること勿からんや。

    先生が言われた、「[人を]愛するからには励まさないでおれようか。[人に]誠実であるからには教えないでおれようか。」

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  45. カントの啓蒙論によれば公私は逆転し得る(例えばユダヤ人を助けた杉原千畝の判断)。
    さらに言えば論語が焚書坑儒を生き延びることができたのは忠より孝を優先して原論語を壁に埋めたからだ。
    忠と孝が柄谷の言うように対立する場合があるとして、「中」というのは
    アンチノミーを維持することを意味する。
    ふつうは人間の心の「中」という忠の語釈に近い読みをする。
    中庸の称揚と解釈しても間違いではないが。

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  46. カントの啓蒙論によれば公私は逆転し得る(例えばユダヤ人を助けた杉原千畝の判断)。
    さらに言えば論語が焚書坑儒を生き延びることができたのは忠より孝を優先して原論語を壁に埋めたからだ。
    忠と孝が柄谷の言うように対立する場合があるとして、「中」というのは
    アンチノミーを維持することを意味する。
    このアンチノミーの維持が反省主義を可能にするし、
    脳科学的には右脳と左脳が別の機能を持つ意義を裏付ける。
    ふつうは人間の心の「中」という忠の語釈に近い読みをする。
    中庸の称揚と解釈しても間違いではないが。

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  47. カントの啓蒙論によれば公私は時に逆転し得る(例えばユダヤ人を助けた杉原千畝の判断)。
    論語が焚書坑儒を生き延びることができたのも忠より孝を優先して原論語を壁に埋めたからだ。
    忠と孝が柄谷の言うように対立する場合があるとして、「中」というのは
    アンチノミーを維持することを意味する。
    このアンチノミーの維持が反省主義02-17(>>54)を可能にするし、
    脳科学的>>688には右脳と左脳が別の機能を持つ意義を裏付ける。
    ふつうは人間の心の「中」という忠の語釈に近い読みをする。
    中庸の称揚と解釈しても間違いではないが。

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  48. 13-18に関しては、
    14-08
    子曰、愛之能勿勞乎、忠焉能勿誨乎、
    のように心の重視と解釈するのがいいと思う。

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  49. カントの啓蒙論によれば公私は時に逆転し得る(例えばユダヤ人を助けた杉原千畝の判断)。
    論語が焚書坑儒を生き延びることができたのも忠より孝を優先して原論語を壁に埋めたからだ。
    忠と孝が柄谷の言うように対立する場合があるとして、「中」というのは
    アンチノミーを維持することを意味する。
    このアンチノミーの維持が反省主義02-17(>>54)を可能にするし、
    脳科学的>>688には右脳と左脳が別の機能を持つ意義を裏付ける。
    13-18に関しては、
    ふつうは人間の心の「中」という忠の語釈に近い読みをする。
    中庸の称揚と解釈しても間違いではないが。
    個人的には、
    14-08
    子曰、愛之能勿勞乎、忠焉能勿誨乎、
    のように心の重視と解釈するのがいいと思う。

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  50. カントの啓蒙論によれば公私は時に逆転し得る(例えばユダヤ人を助けた杉原千畝の判断)。
    論語が焚書坑儒を生き延びることができたのも忠より孝を優先して原論語を壁に埋めたからだ。
    忠と孝が柄谷の言うように対立する場合があるとして、「中」というのは
    アンチノミーを維持することを意味する。
    このアンチノミーの維持が反省主義02-17(>>54)を可能にするし、
    脳科学的>>688には右脳と左脳が別の機能を持つ意義と重なる。
    13-18(>>435)に関しては、
    ふつうは人間の心の「中」という忠の語釈に近い読みをする。
    中庸の称揚と解釈しても間違いではないが。
    個人的には、
    14-08(>>456)
    子曰、愛之能勿勞乎、忠焉能勿誨乎、
    のように心の重視と解釈するのがいいと思う。

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  51. カントの啓蒙論によれば公私は時に逆転し得る(例えばユダヤ人を助けた杉原千畝の判断)。
    論語が焚書坑儒を生き延びることができたのも当時の権力に対する忠より孝を優先して原論語
    を壁に埋めたからだ。
    忠と孝が柄谷の言うように対立する場合があるとして、「中」というのは
    アンチノミーを維持することを意味する。
    このアンチノミーの維持が反省主義02-17(>>54)を可能にするし、
    脳科学的(>>688)には右脳と左脳が別の機能を持つ意義と重なる。
    13-18(>>435)に関しては、
    ふつうは人間の心の「中」という忠の語釈に近い読みをする。
    中庸の称揚と解釈しても間違いではないが。
    個人的には、
    14-08(>>456)
    子曰、愛之能勿勞乎、忠焉能勿誨乎、
    のように心の重視と解釈するのがいいと思う。

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  52. カントの啓蒙論によれば公私は時に逆転し得る(例えばユダヤ人を助けた杉原千畝の判断)。
    論語が焚書坑儒を生き延びることができたのも当時の権力に対する忠より孝を優先して原論語
    を壁に埋めたからだ。
    忠と孝が柄谷(>>709)の言うように対立する場合があるとして、「中」というのは
    アンチノミーを維持することを意味する。
    このアンチノミーの維持は反省主義02-17(>>54)を可能にするし、
    脳科学的(>>688)には右脳と左脳が別の機能を持つ意義と重なる。
    13-18(>>435)に関しては、
    ふつうは人間の心の「中」という忠の語釈に近い読みをする。
    中庸の称揚と解釈しても間違いではないが。
    個人的には、
    14-08(>>456)
    子曰、愛之能勿勞乎、忠焉能勿誨乎、
    のように心の重視と解釈するのがいいと思う。

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  53. カントの啓蒙論によれば公私は時に逆転し得る(例えばユダヤ人を助けた杉原千畝の判断)。
    論語が焚書坑儒を生き延びることができたのも当時の権力に対する忠より孝を優先して原論語
    を壁に埋めたからだ。
    忠と孝が柄谷(>>709)の言うようなものだとすると、「中」というのは
    カントの言うアンチノミー(二律背反)を維持することと解釈できる。
    このアンチノミーの維持は反省主義02-17(>>54)を可能にするし、
    脳科学的(>>688)には右脳と左脳が別の機能を持つ意義と重なる。
    13-18(>>435)に関しては、
    ふつうは人間の心の「中」という忠の語釈に近い読みをする。
    中庸の称揚と解釈しても間違いではないが。
    個人的には、
    14-08(>>456)
    子曰、愛之能勿勞乎、忠焉能勿誨乎、
    のように心の重視と解釈するのがいいと思う。

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  54.         左      /\      右
     四次元       不踰矩/  \
      Where      / 君子 \
               耳順_    _\
     三次元       /  |  |  \
      What  (直、天命)義  信(行、権)
             /__  |  |  __\
     二次元    (明、不惑)智  仁(労、孝、道徳)
      How  /    | |  | |    \
          /___  | |  | |  ___\
     一次元 /    |立| |  | | |    \
      (対象)    | | |ネし| |詩(思)   \
       /______|_|_|__|_|_|______\ 
               学  (恭,泰,
                   荘,威)


    http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
    02-04
    子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、

    http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0930

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  55.         左      /\      右
     四次元       不踰矩/  \
      Where      / 君子 \
               耳順_    _\
     三次元       /  |  |  \
      What  (直、天命)義  信(行、権)
             /__  |  |  __\
     二次元    (明、不惑)智  仁(労、孝、道徳)
      How  /    | |  | |    \
          /___ 立| |  | |  ___\
     一次元 /    | | |  | | |    \
      (対象)    | | |ネし| |詩(思)   \
       /______|_|_|__|_|_|______\ 
               学  (恭,泰,
                   荘,威)


    http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
    02-04
    子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、

    http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0930

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  56.         左      /\      右
     四次元       不踰矩/  \
      Where      / 君子 \
               耳順_    _\
     三次元       /  |  |  \
      What  (直、天命)義  信(行、権)
             /__  |  |  __\
     二次元    (明、不惑)智  仁(労、孝、道徳)
      How  /    | |  | |    \
          /___ 立| |  | |  ___\
     一次元 /    | | |  | | |    \
      (対象)    | | |ネし| |詩(思)   \
       /______|学|_|__|_|_|______\ 
                  (恭,泰,
                   荘,威)


    http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
    02-04
    子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、

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  57.         左      /\      右
     四次元       不踰矩/  \
      Where      / 君子 \
               耳順_    _\
     三次元       /  |  |  \
      What(直、忠、天命)義  信(行、権)
             /__  |  |  __\
     二次元    (明、不惑)智  仁(労、孝、道徳)
      How  /    | |  | |    \
          /___ 立| |  | |  ___\
     一次元 /    | | |  | | |    \
      (対象)    | | |ネし| |詩(思)   \
       /______|学|_|__|_|_|______\ 
                  (恭,泰,
                   荘,威)


    http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
    02-04
    子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、

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  58.      孔子『論語』概念構造図:
         ___________
        |行政|歴史|農業|音楽|
        |__政__|__礼__|
        |  |叛乱|孝 |詩経|
        |__|__徳__忠__|
        |年齢|知 |中庸|君子|
        |__学__|__仁__|
        |経済|言葉|義信| 死|
    ____道__|__|日常|弟子|
        | 
      聖 |
        |    
    天   |       
       
    あるいは、

         孔子『論語』概念構造図:
         ___________
        |行政|歴史|農業|音楽|
        |__政__忠__礼__|
        |義信|叛乱|孝 |詩経|
        |__|__徳__|__|
        |年齢|知 |中庸|君子|
        |__学__|__仁__|
        |経済|言葉|  | 死|
    ____道__|__|日常|弟子|
        | 
      聖 |
        |    
    天   |       
       

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  59.      孔子『論語』概念構造図:
         ___________
        |行政|歴史|農業|音楽|
        |__政__忠__礼__|
        |義 |叛乱|孝 |詩経|
        |__|__徳__|__|
        |年齢|知 |中庸|君子|
        |__学__|__仁__|
        |経済|言葉| 信| 死|
    ____道__|__|日常|弟子|
        | 
      聖 |
        |    
    天   |       
       

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  60.      孔子『論語』概念構造図:
         ___________
        |行政|歴史|農業|音楽|
        |__政__忠__礼__|
        |義 |叛乱|孝 |詩経|
        |__|__徳__|__|
        |年齢|知 |中庸|君子|
        |__学__|__仁__|
        |経済|言葉|信 | 死|
    ____道__|__|日常|弟子|
        | 
      聖 |
        |    
    天   |       
       

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  61. 02-22
    子曰、人而無信、不知其可也、大車無軛*、小車無軛*、其何以行之哉、

    子の曰わく、人にして信なくんば、其の可なることを知らざるなり。大車ゲイなく小車ゲツなくんば、其れ何を以てかこれを行(や)らんや。

    先生がいわれた、「人として信義がなければ、うまくやっていけるはずがない。牛車に轅(ながえ)のはしの横木がなく、四頭だての馬車に轅のはしの軛(くび き)止めがないのでは[牛馬を繋ぐこともできない]一体どうやって動かせようか。」

    02-21
    或謂孔子曰、子奚不爲政、子曰、書云、孝于惟孝、友于兄弟、施於有政、是亦爲政也、奚其爲爲政、

    或るひと孔子に謂いて曰わく、子奚(なん)ぞ政を為さざる。子の曰わく、書に云う、孝なるかな惟(こ)れ孝、兄弟に友(ゆう)に、有政に施すと。是れ亦た 政を為すなり。奚ぞ其れ政を為すことを為さん。

    或る人が孔子に向かって「先生はどうして政治をなさらないのですか。」といった。先生はいわれた、「書経には『孝行よ、ああ孝行よ。そして兄弟ともむつみ あう。』とある。政治ということにおよぼすなら、それもやはり政治をしているのだ。何もわざわざ政治をすることもなかろう」

    15-06
    子張問行、子曰、言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣、言不忠信、行不篤敬、雖州里行乎哉、立則見其参於前也、在輿則見其倚於衡也、夫然後行也、子張書諸紳、

    子張、行なわれんことを問う。子の曰わく、言 忠信、行 篤敬(とくけい)なれば、蛮貊(ばんぱく)の邦(くに)と雖ども行なわれん。言 忠信ならず、行  篤敬ならざれば、州里と雖ども行なわれんや。立ちては則ち其の前に参するを見、輿(くるま)に在(あ)りては則ち其の衡(こう)に倚(よ)るを見る。夫 (そ)れ然る後に行なわれん。子張、諸(こ)れを紳(しん)に書す。

    子張が[思どおり]行なわれるにはとお訊ねした。先生は言われた、「言葉に真心があり、行いが懇(ねんご)ろであれば、野蛮な外国でさえ行なわれる。言葉 に真心がなく、行いも懇ろでないなら[国内の]町や村の中でさえ行なわれようか。立っているときにはそのこと[真心と懇ろ]が前にやって来るように見え、 車に乗っているときにはそのことが車の前の横木に寄り掛かっているように見える、まあその様になってはじめて行なわれるのだ。」子張はその言葉を[忘れな いように]広帯の端に書き付けた。

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  62. 02-05

    孟懿子問孝、子曰、無違、樊遲御、子告之曰、孟孫問孝於我、我對曰無違、樊遲曰、何謂也、子曰、生事之以禮、死葬之以禮、祭之以禮、

    孟懿子(もういし)、孝を問う。子の曰わく、違(たが)うこと無し。樊遲(はんち)御(ぎょ)たり。子これに告げて曰わく、孟孫、孝を我れに問う、我れ対 (こた)えて曰く、違うことなしと。樊遲が曰わく、何の謂(い)いぞや。子の曰わく、生けるにはこれに事(つか)うるに礼を以てし、死すればこれを葬るに 礼を以てし、これを祭るに礼を以てす。

    孟懿子が孝のことをたずねた。先生は「まちがえないように」と答えられた。[そのあと]樊遲が御者(ぎょしゃ)であったので。先生は彼に話された。「孟孫 さんがわたくしに孝のことを問われたので、わたくしは『まちがえないように、』と答えた。」樊遲が「どういう意味ですか。」というと、先生はいわれた、 「[親が]生きているときには礼のきまりによってお仕えし、なくなったら礼のきまりによって葬り、礼の決まりによってお祭りをする[万事、礼のきまりを間 違えないということだよ]」

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  63. ベストアンサー

    edelweiss_edelweiss87さん 2010/03/08 09:44:06
    これは,孟子様が梁の恵王に拝謁した時の話ですね.答えは

    『何必曰利』=『(王)何ぞ必ずしも利を曰わん』=『恵王様,何故,利益の話のみをなさるのですか?』

    というタイトルの中に有ります.

    質問者様が引用なされた文章だけを見ていると余計に理解が難しくなります.

    その文だけを抜粋するのでは無く,話の前後関係に注意して御覧下さいませ.

    文章が長くなりますが,話の前後関係に注意して読んで下さいませ.

    (面倒でしたら,最後の[結論]の部分だけ読んで下さっても結構です.)
    ____
    書き下し文)

    孟子,梁の恵王に見ゆ(王曰く(いわく),叟,千里を遠しとせずに来たる.

    亦(また)将に以って吾が国を利することあらんとするか.

    孟子対えて(こたえて)曰く,王何ぞ必ずしも利を曰わん,亦(ただ)仁義あるのみ.

    王は何を以って吾が国を利せんと曰い,大夫(たいふ)は何を以って吾が家を利せんと曰い,

    士・庶人は何を以って吾が身を利せんと曰う.上下(しょうか)交(こもごも)利を征(と)らば,

    而ち国危うし.『万乗の国,その君を弑する者は,必ず千乗の家なり.』

    千乗の国,その君を弑する者は,必ず百乗の家なり.

    『万に千を取り千に百を取るは,多からずといえず.』

    苟くも(いやしくも)義を後にして利を先にすることあらば,

    奪わざれば厭かず.未だ仁にしてその親を遺つる(すつる)者はあらざるなり.

    未だ義にしてその君を後にする者はあらざるなり.王も,ただ仁義を曰わんのみ.何ぞ必ずしも利を曰わん.


    『』で括った部分が,質問者様が引用された部分です.これを現代語訳いたしますと
    __
    現代語文)

    孟子が梁の恵王に拝謁した.恵王が言われた.「老先生.あなたは千里の道を遠いとも思わずに私のもとへやってきてくださった.きっと今にも私の国に利益をもたらしてくれるのでしょうな.」孟子はそれに答えて言われた.「王よ,どうして利益のことなどお話になるのですか?王はただ仁義の実践のみに努めるべきです.もし,王がどうすれば我が国の利益になるかと言われ,大夫(家老=上級貴族)がどうすれば我が家の利益になるかといい.士(官吏=下級貴族)や庶民がどうすれば我が身の利益になるかといったとします.すると,上も下も入り乱れて利益を争い合うことになり,国家が危うくなってしまいます.『一万台の戦車を持つ国で,その国の君主を弑す(しいす)者があれば,それは必ず千台の戦車を出せる大家老の家です』千台の戦車を持つ国で,その国の君主を弑す者があれば,それは必ず百台の戦車を出せる家老の家です.『一万の戦車(国力)を持つ主君から千を与えられ.千の戦車を持つ主君から百を与えられる家臣は,その禄が少ないとは決して言えません.』しかし,もしも義理を後回しにして,利益を優先することがあれば,主君の権力や財産を奪い取らねば飽き足らなくなるでしょう.私は,まだ仁の徳を実践している人で,親を見捨てる者は見たことがありません.義を実践する臣下で,主君を後回しにする人も見たことがありません.ですから,王もただ仁義のみを考えて実践すれば良いのです.どうして利益のことなど言う必要があるのでしょうか?」

    『』で括った部分が,質問者様が引用なされている部分です.
    ____
    解説致します.

    孟子が拝謁した梁の恵王とは魏の恵王のことであり,

    恵王は周辺諸国に圧迫されてB.C.361年に大梁(開封)に遷都したので

    それ以降は梁と呼ばれるようになった.戦国時代の大儒として名の知れていた孟子が,

    遠路遥々自分を訪ねてくれたことに感激した梁の恵王は,

    「孟先生,私の国にどのような利益を与えてくれるのでしょうか?」

    といった実利主義的な直截な質問をぶつける.しかし,道徳主義の政治を説く孟子は,

    利害得失(損得勘定)を国政の中心に据えることは国難や反乱を招くとして恵王を戒めます.

    孟子は,功利的な実用主義に批判的であり,

    他人を温かく思いやる「仁」と正しい行為を率先して行う「義」こそが善性の根幹だと語っているのです.
    ___
    [結論]

    ですから,質問者様がなさった部分だけを意訳しますと,(王が利益の事ばかりを考えているので)

    もしも,仁義よりも利益の事ばかりを考えていると,

    『一万台の戦車を持つ国で,その国の君主を弑す者があるとすれば,

    それは必ず千台の戦車を出せる重臣の家です』

    『一万の戦車(国力)を持つ主君から千を与えられ.

    千の戦車を持つ主君から百を与えられる家臣は,その禄が少ないとは決して言えません.』

    しかし,もしも義理を後回しにして,利益を優先することがあれば,

    主君の権力や財産を奪い取らねば飽き足らなくなるでしょう.

    という意味です.

    最後の『』の前後の文章が肝心なポイントです.

    もし,この回答が御質問の趣旨に適っておりませんでしたら,どうか補足欄を御使い下さい.

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  64. 孔子の人間学
    藤尾秀昭(監)著
    エディション: 単行本(ソフトカバー)
    価格: ¥ 1,028

    5つ星のうち 4.0 『論語』の君子と脳機能   , 2014/5/11


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    レビュー対象商品: 孔子の人間学 (単行本(ソフトカバー))
    期待していなかったが、篠浦伸禎氏による寄稿「孔子の教えは脳に効く」が興味深い。
    『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまり、「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳のあらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した四次元的な存在として位置づけられるそうだ。

    また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働きよりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視していることが分かってくる、という。

    ●『論語』の君子と脳機能                
                   /\
     四次元          /  \
                 / 君子 \  
            左   /_    _\   右
     三次元       /  |  |  \
              / 義(命) 信(行)\
             /__  |  |  __\
     二次元    /   | |  | |   \
           /  智(明、学) 仁(労、孝) \ 
          /___  | |  | |  ___\
     一次元 /    | | |  | | |    \
        /     | | |ネし| | |     \
       /______|_|_|__|_|_|______\
                  (恭,威,
                   荘,泰)

    一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
           礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
           例:挨拶
    二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21) 
           例:表情を読む
    二次元左「智」=知識。智(明12-06、学02-15)知06-23
           例:名前を付けて覚える
    三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24) 
           例:サッカーのパス
    三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17、命16-08)04-08 道は別次元かも?
           例:本の執筆
    四次元 「君子」君子16-10
           =脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。

          (『孔子の人間学』致知出版社79頁より。篠浦伸禎『脳は論語が好きだった』127頁も参照し改変)
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  65. 期待していなかったが、篠浦伸禎氏による寄稿「孔子の教えは脳に効く」が興味深い。
    『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまり、「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳のあらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した四次元的な存在として位置づけられるそうだ。

    また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働きよりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視していることが分かってくる、という。

    ●『論語』の君子と脳機能                
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      Where      / 君子 \  
            左   /_    _\   右
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      What    / 義(命) 信(行)\
             /__  |  |  __\
     二次元    /   | |  | |   \
      How  /  智(明、学) 仁(労、孝) \ 
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     一次元 /    | | |  | | |    \
     (対象)     | | |ネし| | |     \
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                  (恭,威,
                   荘,泰)

    一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
           礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
           例:挨拶
    二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21) 
           例:表情を読む
    二次元左「智」=知識。智(明12-06、学02-15)知06-23
           例:名前を付けて覚える
    三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24) 
           例:サッカーのパス
    三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17、命16-08)04-08 道は別次元かも?
           例:本の執筆
    四次元 「君子」君子16-10
           =脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。

          (『孔子の人間学』致知出版社79頁より。篠浦伸禎『脳は論語が好きだった』127頁も参照し改変)

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  66. 期待していなかったが、篠浦伸禎氏による寄稿「孔子の教えは脳に効く」が興味深い。
    『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまり、「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳のあらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した四次元的な存在として位置づけられるそうだ。

    また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働きよりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視していることが分かってくる、という。

    ●『論語』の君子と脳機能                
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      Where      / 君子 \  
            左   /_    _\   右
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                   荘,泰)

    一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
           礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
           例:挨拶
    二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21) 
           例:表情を読む
       左「智」=知識。智(明12-06、学02-15)知06-23
           例:名前を付けて覚える
    三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24) 
           例:サッカーのパス
       左「義」=正義。 義15-18(道06-17、命16-08)04-08 道は別次元かも?
           例:本の執筆
    四次元 「君子」君子16-10
           =脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。

          (『孔子の人間学』致知出版社79頁より。篠浦伸禎『脳は論語が好きだった』127頁も参照し改変)

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  67. 期待していなかったが、篠浦伸禎氏による寄稿「孔子の教えは脳に効く」が興味深い。
    『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまり、「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳のあらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した四次元的な存在として位置づけられるそうだ。

    また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働きよりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視していることが分かってくる、という。

    ●『論語』の君子と脳機能                
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    一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
           礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
           例:挨拶
    二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21) 
           例:表情を読む
       左「智」=知識。智(明12-06、学02-15)知06-23
           例:名前を付けて覚える
    三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24) 
           例:サッカーのパス
       左「義」=正義。 義15-18(道06-17、命16-08)04-08 道は別次元かも?
           例:本の執筆
    四次元 「君子」君子16-10
           =脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。

    (『孔子の人間学』致知出版社79頁より。篠浦伸禎『脳は論語が好きだった』127頁も参照し改変)

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  68. 《将とは、智、信、仁、勇、厳なり》 リーダー「五つの条件」孫子の兵法より
    将軍とは、智、信、仁、勇、厳の五条件を満たす人物でなければならない。
     第一は、「智」である。
    l 勝算のあるなしを見分けるのが智にほかならない。状況を読む力、あるいは先見力といってもよい。
     第二は、「信」である。
    l 信とは、ウソをつかない、約束を守るということだ。将たる者が二枚舌を使っていたのでは、部下はついてこない。とたんに統率力の低下を招く。
    第三は、「仁」である。
    l わかりやすくいえば、思いやりである。部下をこき使うだけで思いやりのないリーダーは、部下を心服させることが出来ない。組織としてのまとまりにも欠けてくる。
    第四は、「勇」である。
    l これは勇気と理解してよい。あるいは決断力といってよいかもしれない。
    l 勇というと、われわれ日本人は、とにかく前へ前へとやみくもに進むことが勇だと思いがちである。だが、それは、勇は勇でも「匹夫の勇」にすぎない。
    l 将たる者の勇とは、勝算なしと見極めたときには、ためらわず撤退する勇である。つまり、あえて後へ退く勇、これが孫子のいう勇にほかならない。
    第五が、「厳」である。
    l 厳しい態度、すなわち信賞必罰をもって部下に臨むということだ。
    l 部下に対する統率力についていえば、先にあげた仁だけでは、どうしても組織に甘えの構造を生みやすい。そこで必要になるのがこの厳である。
       厳と仁をどう使い分けるのかが、部下を統率するカギになる。

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  69. http://hirosasaki36.blog.fc2.com/blog-entry-18.html
    ○重沢孫子:第四は、指揮官の問題です。およそ指揮官たる者は、その地位の高下にかかわりなく、すべてこの五種の能力を身につけていなければならない。智は、創造性ゆたかな、思考・判断能力の総称。もちろん臨機応変の作戦能力を含みます。信は、他人を欺かない、他人に欺かれない道徳性。仁は、自分自身と同じように、他人を大切にする道徳性。当然、犠牲的精神が含まれます。勇は、正義を愛し不義を憎む実践的精神力。厳は、他人に対するのと同じように、自己に対して厳格である道徳性。この五者を兼ね備えていない限り、死生を争う条件下で部隊を指揮し、勝利を得ることはできないと、孫子は考えるのでした。ここにいう”将”は現地の指揮官を意味し、中央のいかなる高官でもまた君主でもありません。部隊の指揮官としてひとたび君命を受けた時点から、その部隊の全責任は完全に指揮官の手中に収められ、任命権者の君主でさえも何ら干渉できないという、厳然たる掟があります。このくらい厳格な指揮系統を確立しておかないと、実戦部隊の実効的活動に支障を来す可能性があったためですが、”将”に要求されているこの五条件は、こういう実情を背景において考えるとき、その必然性がよく理解できるのではないでしょうか。

    ○天野孫子:将者智信仁勇厳也-「将」は一国の軍の総大将。その下の武将は地形篇・行軍篇で、大吏・吏と言う。「智」は事を見通し、また臨機応変するところの智恵。『直解』は「人の情に達し、事の微を見、詐も惑はす能はず、讒も入る能はず、変に応じて常無く、禍を転じて福と為す。此れ将の智なり」と。「信」は将の部下からの信頼。九地篇に「令せずして信あり」と。一説に『直解』は「進んで重賞あり、退きて重罰あり。賞は親しきに私せず、罰は貴きを避けず。政に二三無く、誠に能く衆を服す。此れ将の信なり」と。「仁」は部下に対する仁愛の心情。地形篇に「卒を視ること嬰児の如し」と。「勇」は何ものにも恐れない勇気。『諺義』は「勇は恐れざるなり。強きものに臨んでよく忍びつとめ、危きを恐れざるなり。専ら勇剛の一事をさすにあらず」と。「厳」は軍の統率力としての威厳。行軍篇に「軍、擾るるは、将、重からざるなり」と。『直解』は「軍政整斉し、号令一の如く、三軍、将を畏れて敵を畏れず、令を奉じて詔を奉ぜず。望む可くして近づく可からず、殺す可くして敗る可からず。此れ将の厳なり」と。

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  70. http://www.kokin.rr-livelife.net/classic/classic_oriental/classic_oriental_423.html
    孫子-始計[1]
    孫子曰く、
    兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり、察せざる可からず。
    故に之を経おさむるに五事を以てし、之を校こうするに計を以てして、其の情を索もとむ。
    一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法。
    道は、民をして上と意を同じうせしめ、之と死す可く、之と生く可くして、危を畏れざるなり。
    天は、陰陽寒暑時制なり。
    地は、遠近険易広狭死生なり。
    将は、智信仁勇厳なり。
    法は、曲制官道主用なり。
    凡そ此の五者、将しょうは聞かざる莫かれ。
    之を知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。
    故に之を校こうするに計を以てして、其の情を索もとむ。
    主孰いづれか有道なる、将孰いづれか有能なる、天地孰いづれかか得たる、法令孰いづれか行はる、兵衆孰いづれか強かる、士卒孰いづれか練れたる、賞罰孰いづれか明らかなる。
    吾れ此れを以て勝負を知る。
    現代語訳・抄訳
    孫子が言った。
    兵事のことは国家の大事にして、人民の死生するところ、国家存亡のよるところである。
    決して忽ゆるがせせにしてはならない。
    故にこれを修めるに五事を常にわきまえ、これを謀るに七計を常に較べ、以てその為すべき所を求めるのである。
    五事とは、一に道、二に天、三に地、四に将、五に法をいう。
    道とは、上は君主から下は人民に至るまで意こころを一にし、生死を共にし、危難に畏れざらしめるものである。
    天とは、時勢に通じてこれに沿い、以てこれを制することである。
    地とは、地勢を得てこれを用い、これを利して生死を分つことである。
    将とは、智にして事機に通じ、信にして変節せず、仁にして人心を捉え、勇にして断行し、厳にして泰然たる者である。
    法とは、守るべきを守り、律すべきを律して乱れざることである。
    およそこの五つの事は、将たる者なれば聞かねばならない。
    これを知る者は勝ち、これを知らざる者は勝たず。
    故にこれを謀るに七計を以て較べ、その為すべき所を求めるのである。
    主君はどちらが道に適っているか、将はどちらが有能であるか、天の時、地の利はどちらが得ているか、法令はどちらが実行されているか、兵器や軍衆はどちらが精強であるか、士卒はどちらが鍛錬されているか、賞罰はどちらが明白であるかと。
    吾これを以て勝負を知る。
    出典・参考・引用
    山鹿素行注・解「孫子諺義」18-29/183
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  71. ライプニッツの孔子擁護などは文化史的事件だ
    著作集10:60頁
    中庸が訳されていたらしいが、

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  72. 435 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載禁止:2014/05/08(木) 02:08:17.34 ID:v3EYfFhZ
    ●『論語』の君子と脳機能                
                   /\
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                  (恭,威,
                   荘,泰)

    一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
           礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
           例:挨拶
    二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21) 
           例:表情を読む
    二次元左「智」=知識。智(明12-06、学02-15)知06-23
           例:名前を付けて覚える
    三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24) 
           例:サッカーのパス
    三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17、命16-08)04-08 道は別次元かも?
           例:本の執筆
    四次元 「君子」君子16-10
           =脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
                     (『脳は論語が好きだった』127頁)

    436 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載禁止:2014/05/08(木) 02:09:07.07 ID:v3EYfFhZ
    「父爲子隱、子爲父隱」(『論語』子路13-18)

     <中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先する
    ことは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を
    正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠
    し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話がある。
    儒教はこのように、血縁共同体を超えた規範になるためには最初から限界を抱えていた。その
    ために『孝経』がつくられて、孝と忠の調整がはかられたとも言われるが、この問題は結局は
    根本的には解決されなかったように思う。>
    http://www.amazon.co.jp/dp/B00E60ARNA/
    (新 スカートの風 角川文庫 呉善花=お・そんふぁ著)

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  73. NAMs出版プロジェクト: ドラッカーと孔子
    http://nam-students.blogspot.jp/2016/02/blog-post_11.html

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  74. ●『論語』の君子と脳機能                
                   /\
     四次元          /  \
                 / 君子 \  
            左   /_    _\   右
     三次元       /  |  |  \
              / 義(命) 信(行)\
             /__  |  |  __\
     二次元    /   | |  | |   \
           /  智(明、学) 仁(労、孝) \ 
          /___  | |  | |  ___\
     一次元 /    | | |  | | |    \
        /     | | |ネし| | |     \
       /______|_|_|__|_|_|______\
                  (恭,威,
                   荘,泰)

    一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
           礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
           例:挨拶
    二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22,12-22(労13-01、孝02-21) 
           例:表情を読む
    二次元左「智」=知識。智(明12-06、学02-15,17-08)知06-23
           例:名前を付けて覚える
    三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24) 
           例:サッカーのパス
    三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17、命16-08)04-08 道は別次元かも?
           例:本の執筆
    四次元 「君子」君子16-10
           =脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
                  (篠浦伸禎『脳は『論語』が好きだった』127頁)


    (ちなみに白川静『常用字解』によれば礼は酒を使った儀式、仁は敷物に人が寄り添うこと、
    徳は強い目の呪術が原義だそうだ)。

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  75. 南総里見八犬伝 - Wikipedia
    ja.wikipedia.org/wiki/南総里見八犬伝
    南総里見八犬伝
    南総里見八犬伝』(なんそうさとみはっけんでん、旧字体: 南總里見八犬傳)は、江戸 時代後期に曲亭馬琴(滝沢馬琴)によって著わされた大長編読本。 ... 共通して「犬」の字 を含む名字を持つ八犬士は、それぞれに仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の...
    概要-構成と出版事情-物語の内容-発端

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  76. 五常(ごじょう)または五徳(ごとく)は、儒教で説く5つの徳目。仁・義・礼・智・信を指す。三綱(君臣・父子・夫婦間の道徳)とあわせ、「三綱五常」と表現することも多い。

    目次
    概要 編集

    儒教では、五常(仁、義、礼、智、信)の徳性を拡充することにより、父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の五倫の道をまっとうすることを説いている(但し“弱者の保護”は説かれていない)。


    人を思いやること[注釈 1][注釈 2]。孔子は、仁をもって最高の道徳であるとしており、日常生活から遠いものではないが、一方では容易に到達できぬものとした[1][注釈 3]。
    『論語』では、さまざまな説明がなされている。ある場合は「人を愛すること」と説明し、顔回の質問に対しては、「克己復礼」すなわち「己に克ちて礼を復むを仁と為す(私心を克服して礼を重んじること。それが仁である)と答えている[1][2][注釈 4]。前者は外部に対する行為を指し、後者すなわち顔回に対する答えは自身の内なる修養のあり方を指している。具体的な心構えとしては、「己れの欲せざるところ、これを人に施すなかれ」(『論語』顔淵篇、黄金律)がよく知られている[1]。すなわち、「仁」とは、思いやりの心で万人を愛し、利己的な欲望を抑えて礼儀をとりおこなうことである[1]。

    利欲にとらわれず、なすべきことをすること[注釈 5]。正義。中国思想においては、常に「利」と対比される概念である[3]。

    「仁」を具体的な行動として表したもの。もともとは宗教儀礼でのタブーや伝統的な習慣・制度を意味していた。のちに上下関係で守るべきことを意味するようになった。儒者のなかでも、性悪説の立場に立った荀子は特に「礼」を重視した[4]。

    道理をよく知り得ている人。知識豊富な人。

    友情に厚く、言明をたがえないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。孟子の四端説における「仁義礼智」の四徳に対し、前漢の董仲舒は五行説にもとづいて「信」を加えた[5]。
    補説 編集

    中華人民共和国黒竜江省ハルビン市にある県級市の五常市は、儒教の徳目「五常」に由来する。

    脚注 編集

    [ヘルプ]
    注釈 編集
    ^ 白川静『孔子伝』によれば「狩衣姿も凛々しい若者のたのもしさをいう語」である。白川(2003)
    ^ 最古の字典である『説文解字』では「親」に通じると述べている。
    ^ 孔子はまた、「君子」について、「造次」(急変)のときも、「顚沛」(ひっくりかえること)のときも「仁に違ふことなし」として、生活のいかなる場面でもつねに身につけるべき至高の倫理とした。
    ^ ともに『論語』顔淵篇に収載されている。
    ^ 『説文解字』では、語源的に「宜」に通じると説明している。
    参照 編集
    ^ a b c d 本田「仁」(2004)
    ^ 白取(2005)pp.50-51
    ^ 澤田「義」(2004)
    ^ 高橋「礼」(2004)
    ^ 廣常「五常」(2004)
    参考文献 編集

    白川静『孔子伝』中央公論社、2003年1月。ISBN 4122041600
    廣常人世「五常」小学館編『日本大百科全書』(スーパーニッポニカProfessional Win版)小学館、2004年2月。ISBN 4099067459
    本田濟「仁」小学館編『日本大百科全書』(スーパーニッポニカProfessional Win版)小学館、2004年2月。
    澤田多喜男「義」小学館編『日本大百科全書』(スーパーニッポニカProfessional Win版)小学館、2004年2月。
    高橋忠彦「礼」小学館編『日本大百科全書』(スーパーニッポニカProfessional Win版)小学館、2004年2月。
    白取春彦『「東洋哲学」は図で考えると面白い』青春出版社、2005年3月。ISBN 4-413-00771-9
    関連項目 編集

    三徳 (儒学)…智・仁・勇の三達徳
    五倫…親・義・別・序・信

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  77. 中国哲学で考える - 仁義なき戦い - Baicaiの欠片
    bungeibaicai.hatenablog.jp/entry/2015/07/26/055544
    中国哲学で考える - 仁義なき戦い · 中国哲学 ... ということは、”仁義なき戦い”とは「人 の心も、人の路も踏み外した戦い」って事ですね。人でなしの ... 老子先生は、人間の 行いは「道、徳、仁、義、礼、智」の順番で現れると言っているんですね。

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  78. 2003-10-20(月):自律者の徳目(仁義礼智信)と従属者の徳目(忠孝悌) 2003-10-20( 月):ロゼッタさんのページ たけ(tk)の卑弥呼 ... 2000-05-28(日):『訓読みなのに中国語 ?』【「くび」は「頸」?】 2000-05-23(火):『訓読みなのに中国語?』【「動く」は中国語?】 ...
    犬士(けんし)とは - コトバンク
    kotobank.jp/word/犬士-1311297
    ... 犬田小文吾悌順(やすより),犬坂毛野胤智(たねとも),犬村大角礼儀(まさのり)らが それで,〈犬〉の字を姓とし,仁,義,礼,智,信,忠,孝,悌の仁義八行(武士道の8徳目) の1字を刻んだ聖玉を持ち,身体のどこかに牡丹型のあざがある,というのが犬士たち ...
    スライド 1 - 学校法人順天堂 (Adobe PDF) -htmlで見る
    www.juntendo.ac.jp/obmed/img/yamagata2010.pdf
    みを続ける一方で、不易に守り通してきた精神、これこそが中国の古典・易. 経に表され ... 順天応人. 「天地革而四時成。湯武革命、順乎天而應乎人。革之時、大矣哉」. 天地革 (あらた)まって四時(しいじ)成り、. 湯武(とうぶ) ... 弟に対する「悌(てい)」がこれに次ぐ とされる。 儒教の仁は ... 仁義」を並称することは孟子(も. うし)(孟 ...
    現代語訳 - 新建懐徳堂
    kaitokudo.jp/Kaitokudo1.../HtmlWordRep3.exe?...
    また、〔中国の〕宋の時代に、ある学堂の柱に、誰がかは知らないが「〔もしも〕天が孔子 を生まなければ、〔以降の〕万世は長夜のようだったであろう」と書いたが、〔これは〕よく 孔子を知る者である。 .... その「学問」はどのようにするのかというと、孝行と悌順とをまず 手始めに実行することである。 ... 〔それが〕孟子の時代になると、ただ功績をあげて利益 を追求することばかりを考えて、仁義礼楽のことはまったく関心がなくなってしまった。
    諸子百家(中国哲学)
    kuriba.la.coocan.jp/smp/dat/PChina2.htm
    以後、中国思想史において陰陽五行説は昼夜や四季の自然現象の交代循環を説明 する自然哲学と歴史哲学の基礎理論となっていく。 ... 仁義礼智順善は天の命生する ところ。 完全なる仁に至るに ... その人間の本性に本づいて定められた道義の節目 父は 慈、子は孝、兄は良、弟は悌、夫は義、婦は徳、長は恵、幼は順、君は仁、臣は忠 3) 子 夏派 ...

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  79. NAMs出版プロジェクト: 宥坐の器(ゆうざのき):再掲
    http://nam-students.blogspot.jp/2013/12/blog-post_4869.html

    ●『論語』の君子と脳機能
                   /\
     四次元          /  \
                 / 君子 \ 
            左   /_    _\   右
     三次元       /  |  |  \
              /   義  信   \
             /__  |  |  __\
     二次元    /   | |  | |   \
           /    | 智  仁 |    \ 
          /___  | |  | |  ___\
     一次元 /    | | |  | | |    \
        /     | | |ネし| | |     \
       /______|_|_|__|_|_|______\ 

    『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。

    「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳のあらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した四次元的な存在として位置づけられそうだ。

    また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働きよりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視していることが分かってくる。

    (篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)

    一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶
    二次元右「仁」=相手を思いやる心。     例:表情を読む
    二次元左「智」=知識。           例:名前をつけて記憶する
    三次元右「信」=信用。           例:サッカーのパス
    三次元左「義」=正義。           例:本の執筆
    四次元「君子」=脳全体をバランスよく使う。

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