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土曜日, 4月 19, 2014

光文社文庫版『純粋理性批判』全体目次:メモ

            ( インデックス:TOPリンク:::::::::
光文社文庫版中山元訳カント『純粋理性批判』書評:

kindle版は紙版にある独語原書頁数記載がない。悟性verstandは知性と訳されるが、intellektuelleも知性と訳されてしまっている。石川文康版のようにこちらは知的もしくは知能的と訳し分けるべきだろう。各巻に長文の解説がつく。公式HPに全体の構成、独自見出しがpdfで公開されている↓。

『純粋理性批判』タイトル・リスト(PDF/5.1MB)
(中山 元さんがすべての段落につけたタイトルと通し番号をリストにしました。)
http://www.kotensinyaku.jp/special/pdf/kant01-07.pdf
http://www.kotensinyaku.jp/books/book97.html

巻末に索引がないのが残念(全4巻の天野訳は電子版でも索引あり)。ただし、iBooks版はkindle版と違い検索が出来る(iBooksは中公クラシックスでも可能)。iBooksはkindleのようにfacebookに断片引用投稿は出来ない。web検索経由すれば、その部分のテクストデータは1,2行づつにはなるが、入手可能だし新OSならPC対応しているので邦訳元頁数だけでもわかるiBooksがお勧め。

光文社文庫版『純粋理性批判』 全七巻の内訳
第一巻 「序文」「序論」と「超越論的な感性論」
第二巻 「超越論的な分析論」の第一篇「概念の分析論」
第三巻 「超越論的な分析論」の第二篇「原則の分析論」
第四巻 「超越論的な弁証論」の「序」、第一篇「純粋な理性の概念について」、第二篇第一章「純粋な理性の誤謬推論について」
第五巻 「超越論的な弁証論」の第二篇第二章「純粋な理性の二律背反」
第六巻 「超越論的な弁証論」の第二篇第三章「純粋理性の理想」
第七巻 「超越論的な方法論」

 ______純_粋_理_性_批_判______
緒 言◯  |     |     |  手引き=判断表
|     |     |  緒言 |概念分析 |範疇表
| 空間  |  時間 |     |演繹◯  |
|  (感 性 論)  |__(論 理 学)__|
|     |     |  /分 析 論   |  
|     |     |   図式| 付録: |
|     |     |原則分析 |反省概念 |
|_原  理  論___|体系_根拠◯___(無)
|  (感性論と論理学)|独断|論争|     |
| 概 念 |  霊魂 |_訓練__| 規準  |
|     |誤謬推理◯|仮説|証明|目的、理想|
|(論 理 学)推 理_|__|方 法 論__善|
|/弁 証 論  理想 |  (図式)     | 
量 世界 質|  神  | 建築術 | 歴史  |
|二律背反 |宇  神学(体系)  |     |
関係__様相|宙論___|_____|_____|

◯=初版と第二版に異同がある。図は左上からZ状にフラクタルに進む。

 純_粋_理_性_批_判_光文社文庫対応巻数①~⑦
|     |     |     |     |
|     |     |     ②     |    
|     |     |     |     |
|_____①_____|_____|_____|
|     |     |     |     |     
|     |     |     ③     |     
|     |     |     |     |     
|_____|_____|_____|_____|
|     |     |     |     |    
|     ④     |     |     |     
|     |     |     |     |     
|_____|_____|_____⑦_____|
|     |     |     |     |     
|  ⑤  |  ⑥  |     |     |     
|     |     |     |     |     
|_____|_____|_____|_____|


以下、
光文社文庫『純粋理性批判』全体目次(各巻目次をまとめたもの。上記pdfは見出し付き):

 エピグラム ヴェルラムのベーコン『大革新』序     ①

 献 辞

序 論
 第一節 純粋な認識と経験的な認識の違いについて
 第二節 わたしたちはアプリオリな認識を所有していること、日常的な知性の利用にもアプリオリな認識が含まれないわけではないこと
 第三節 哲学には、すべてのアプリオリな認識の可能性、原理、範囲を規定する学が必要である
 第四節 分析的な判断と総合的な判断の違いについて
 第五節 理性に基づくすべての理論的な学には、アプリオリな総合判断が原理として含まれる
 第六節 純粋理性の普遍的な課題
 第七節 純粋理性批判と呼ばれる特別な学の理念と区分

第一部 超越論的な原理論
  第一部門 超越論的な感性論
   第一項
  第一章 空間について
   第二項 空間の形而上学的な解明
   第三項 空間の概念の超越論的な解明前記の概念からえられる結論

  第二章 時間について
   第四項 時間の概念の形而上学的な解明
   第五項 時間の概念の超越論的な解明
   第六項 これらの概念からえられた結論
   第七項 説明
   第八項 超越論的な感性論についての一般的な注
       超越論的な感性論の結語

序文(第二版)
 補 遺
  序文(初版)
  序論(初版)
   第一節 超越論的な哲学の理念
       分析的な判断と総合的な判断の違いについて
   第二節 超越論的な哲学の区分

 第二部門 超越論的な論理学     ②
  序 超越論的な論理学の理念
  第一節 論理学一般について
  第二節 超越論的な論理学について
  第三節 一般論理学を分析論と弁証論に分割することについて
  第四節 超越論的な論理学は超越論的な分析論と弁証論に区分される
 第二部門の第一部 超越論的な分析論
 第一篇 概念の分析論
  第一章 すべての純粋知性概念を発見する方法について
   第一節 知性一般の論理的な利用について
   第二節
    第九項 判断における知性の論理的な機能について
   第三節
    第一〇項 純粋知性概念、すなわちカテゴリーについて
    第一一項
    第一二項
  第二章 純粋知性概念の根拠づけ[=演繹]
   第一節
    第一三項 超越論的な根拠づけ一般の原理について
    第一四項 カテゴリーから超越論的な根拠づけへの移行
   第二節 純粋知性概念の超越論的な根拠づけ
    第一五項 結合一般の可能性について
    第一六項 自己統合の意識[=統覚]の根源的で総合的な統一について
    第一七項 自己統合の意識の総合的な統一の原則は、知性の利用のための最高原理である
    第一八項 自己意識の客観的な統一とは
    第一九項 すべての判断の論理的な形式は、判断に含まれている概念の客観的な統合のうちから生まれる
    第二〇項 すべての感覚的な直観はカテゴリーにしたがう。カテゴリーは、多様なものそのものが意識のうちにまとまることができるための唯一の条件である
    第二一項 補足の注解
    第二二項 カテゴリーは、経験の対象に適用されるだけであり、物の認識のためにはほかの用途では利用されない
    第二三項
    第二四項 感覚能力の対象一般へのカテゴリーの適用
    第二五項
    第二六項 純粋知性概念を可能的な経験に普遍的に利用できることの超越論的な根拠づけ
    第二七項 知性の概念の根拠づけからえられた結論この根拠づけの要約補遺[初版の]純粋知性概念の根拠づけ[=演繹]
   第二節 経験が可能となるためのアプリオリな根拠についてさしあたりの注意
    一 直観における把握による総合について
    二 想像力による再生の総合について
    三 概念による再認の総合について
    四 アプリオリな認識としてのカテゴリーの可能性についてのさしあたりの注意
   第三節 知性と対象一般の関係について、対象をアプリオリに認識する可能性について
       純粋知性概念のこの根拠づけの正当性と、この根拠づけしか可能でない理由の概略的な提示

 第二部門 超越論的な論理学     ③
  第二部門の第一部 超越論的な分析論
  第二篇 原則の分析論
  序 超越論的な判断力一般について
   第一章 純粋な知性の概念の図式論について
   第二章 純粋な知性のすべての原則の体系
    第一節 すべての分析判断の最高原則について
    第二節 すべての総合判断の最高原則について
    第三節 純粋な知性のすべての総合的な原則の体系的な提示
     一 直観の公理
     二 知覚の先取り
     三 経験の類比
      A 第一の類比実体の持続性の原則
      B 第二の類比因果関係に基づいた時間的な継起の原則
      C 第三の類比同時存在の原則──これは相互作用または相互性の法則にしたがう。
     四 経験的な思考一般の前提要件観念論への論駁原則の体系についての一般的な注
   第三章 すべての対象一般を感覚的な存在と叡智的な存在に区別する根拠について
   付録 知性の経験的な使用と超越論的な使用の混同によって生まれる反省概念の両義性について
補 遺 初版の異稿

  第二部門の第二部 超越論的な弁証論     ④
  序
    第一節 超越論的な仮象について
    第二節 超越論的な仮象の座としての純粋理性
      A 理性一般について
      B 理性の論理的な使用について
      C 理性の純粋な使用について
  第一篇 純粋な理性の概念について
   第一章 理念一般について
   第二章 超越論的な理念について
   第三章 超越論的な理念の体系
  第二篇 純粋理性の弁証論的な推論について
   第一章 純粋な理性の誤謬推論について
       霊魂の持続性に関するメンデルスゾーンの証明への論駁
       心理学的な誤謬推論の解決のための結論
       合理的な心理学から宇宙論への移行についての一般的な注
補 遺
  初版の誤謬推論
   第一の誤謬推論──実体性の誤謬推論
    純粋な心理学が示すこの誤謬推論への批判
   第二の誤謬推論──単純性の誤謬推論
    超越論的な心理学による第二の誤謬推論への批判
   第三の誤謬推論──人格性の誤謬推論
    超越論的な心理学による第三の誤謬推論への批判
   第四の誤謬推論──(外的な関係の)観念性の誤謬推論
    超越論的な心理学の第四の誤謬推論への批判
    誤謬推論の結果に基づく純粋な心理学の総括的な検討

   第二章 純粋な理性の二律背反     ⑤
    第一節 宇宙論的な理念の体系
    第二節 純粋理性の対立論
     純粋理性の二律背反 超越論的な理念の第一の抗争
       定立命題
       反定立命題
      第一の二律背反についての注解
       定立命題についての注解
       反定立命題についての注解
     純粋理性の二律背反 超越論的な理念の第二の抗争
       定立命題
       反定立命題
      第二の二律背反についての注解
       定立命題についての注解
       反定立命題についての注解
     純粋理性の二律背反 超越論的な理念の第三の抗争
       定立命題
       反定立命題
      第三の二律背反についての注解
       定立命題についての注解
       反定立命題についての注解
     純粋理性の二律背反 超越論的な理念の第四の抗争
       定立命題
       反定立命題
      第四の二律背反についての注解
       定立命題についての注解
       反定立命題についての注解
    第三節 これらの抗争についての理性の関心
    第四節 必ず解決しなければならない純粋理性の超越論的な課題について
    第五節 全体で四つの超越論的な理念によって発生する宇宙論的な問題の懐疑的な考え方
    第六節 宇宙論的な弁証論を解決するための鍵となる超越論的な観念論
    第七節 理性の宇宙論的な自己矛盾の批判的な解決
    第八節 宇宙論的な理念についての純粋理性の統制的な原理
    第九節 すべての宇宙論的な理念にたいして、理性の統制的な原理を経験的に使用することについて
      第一項 宇宙論的な理念の解決──さまざまな現象を合成して世界の全体とみる場合の合成の全体性について
      第二項 宇宙論的な理念の解決──直観において与えられた全体を分割する際の分割の全体性について
          数学的な超越論的理念の解決のための結語と、力学的な超越論的理念の解決のための緒言
      第三項 宇宙論的な理念の解決──世界の出来事をその原因から導く場合の全体性に関して
          自由の原因性を、自然の必然性という普遍的な法則と和解させることができるか
          普遍的な自然の必然性と結びつけられた自由という宇宙論的な理念の解明
      第四項 宇宙論的な理念の解決──現象の現実存在一般という視点からみた現象の依存性の全体性について
          純粋理性のすべての二律背反についての結論

   第三章 純粋理性の理想     ⑥
    第一節 理想一般について
    第二節 超越論的な理想(超越論的な原型)について
    第三節 思索を営む理性が、最高の存在者の現存を推論する証明根拠について
         思索を営む理性によって神の現実存在を証明するための三種類の方法
    第四節 神の現実存在についての存在論的な証明が不可能であることについて
    第五節 神の現実存在についての宇宙論的な証明が不可能であることについて
         必然的な存在者が現実存在するというすべての超越論的な証明に含まれる弁証論的な仮象の発見と説明
    第六節 自然神学的な証明が不可能であることについて
    第七節 理性の思弁的な原理によって行われるすべての神学の批判
   超越論的弁証論 付録
    純粋理性の理念の統制的な使用について
    人間の理性に固有の自然の弁証論の究極の意図について

第二部 超越論的な方法論     ⑦
 序
  第一章 純粋理性の訓練
   第一節 独断的な使用における純粋理性の訓練
   第二節 論争的な使用における純粋理性の訓練自己矛盾に陥った純粋理性を、懐疑論では満足させられないことについて
   第三節 仮説についての純粋理性の訓練第四節理性の証明についての純粋な理性の訓練
  第二章 純粋理性の基準
   第一節 わたしたちの理性の純粋な使用の究極的な目的について
   第二節 純粋理性の究極の目的を規定する根拠となる最高善の理想について
   第三節 臆見、知、信念について
  第三章 純粋理性の建築術
  第四章 純粋理性の歴史

解説 中山元 
年譜 
訳者あとがき
©GenNakayama2012

参考:
 エピグラム ヴェルラムのベーコン『大革新』序

 われらはみずからについて語ろうとは思わぬ。しかしここで論じる事柄については、こう願っている。すなわち読者はここに書かれたことを、たんなる私見とみなすことなく、一つの〈事業〉とみなされんことを。また、たんなる学派や学説の創設を目指すものではなく、人類に恩恵をもたらす広大な土台を構築しようとするものであると確信されんことを。そしてそれぞれの人がみずからの利益を考慮し、……一般の利益を勘案し、……この事業に参与されんことを。わたしは読者が良き望みをもたれるように願うものであり、われらの大革新を無際限なもの、あるいは死すべき人間の業を超えたもののように考えたり、みなしたりしないことを願うものである。この大革新こそ、尽きざる誤謬を終わらせ、その正当な限界を示すものだからである。


http://de.wikipedia.org/wiki/Kritik_der_reinen_Vernunft#.C3.9Cbersicht_zur_Gliederung_der_.E2.80.9EKritik_der_reinen_Vernunft.E2.80.9C
以下、上記wikiより

 ________純粋理性批判のアウトライン_________________________光文社文庫
|献辞                                             |①~
|序文二種                                           |
|_______________________________________________|
|  |1、純粋認識と経験的知識との区別について                        | 
|序 |2、我々は或る種のア・プリオリな認識を有する、そして常識でも決してこれを欠くものではない|
|  |3、哲学は一切のア・プリオリな認識の可能、原理および範囲を規定するような学を必要とする |
|  |4、分析的判断と綜合的判断との区別について                       |
|  |5、理性に基づく一切の理論的な学にはア・プリオリな綜合的判断が原理として含まれている  |
|論 |6、純粋理性の普遍的課題                                |
|  |7、純粋理性批判という名をもつ或る特殊な学の構想と区分                 |
|__|____________________________________________|  
|  |       |1、空間                                |
|  |       |____________________________________|
|  |       |2、時間                                |
|  |       |____________________________________|
|  |1、感性論  |先験的感性論に対する一般的注                      | 
|  |       |____________________________________|
|  |       |先験的感性論の結語                           |
|  |_______|____________________________________|
|  |       |緒言:先験的論理学の構想                        |②~
|1 |       |____________________________________| 
|  |       |     |           |1純粋悟性概念を発見する手引き   |
|原 |       |     |1概念の分析     |__1悟性の一般的使用,2判断表,3範疇表  
|  |       | 分析論 |           |2純粋悟性概念の演繹について    |  
|  |       |     |___________|__________________|
|  |       |     |           |緒言:先験的判断力一般について   |③~
|  |       |     |           |__________________|
|  |       |     |           |1純粋悟性概念の図式論について   |
|  |       |     |2原則の分析     |__________________|
|  |       |     |           |2原則の体系            |
|  |       |     |           |__________________|
|理 |       |     |           |3現象的と可想的とに区別する根拠  |
|  |       |     |           |__________________|
|  |       |     |           |附録:反省の概念の二義性      |
|  |2、論理学  |_____|___________|__________________|
|  |       |     |はじめに       |1先験的仮象について        |④~
|  |       |     |           |__________________|
|  |       |     |           |2仮象の在処としての純粋理性について|
|  |       |     |___________|__________________|
|  |       |     | 1、純粋理性の概念について                |
|  |       |     |______________________________|
|論 |       | 弁証論 |           |1誤謬推理             |
|  |       |     |           |__________________|
|  |       |     | 2、        |心理学から宇宙論への移行に関する注 |
|  |       |     | 純粋理性の弁証法的 |__________________|
|  |       |     | 推理について    |2二律背反             |⑤~
|  |       |     |           |__________________|
|  |       |     |           |3理想               |⑥~
|  |       |     |___________|__________________|
|  |       |     |           |理念の統整的使用          |
|  |       |     | 附録:弁証論    |__________________|
|  |       |     |           |弁証法の究極意図          |
|__|_______|_____|___________|__________________|
|2 | はじめに                                       |⑦~
|  |1、訓 練                                       |
|方 |2、規 準                                       |
|法 |3、建築術                                       |
|論 |4、歴 史                                       |
|__|____________________________________________|

日独対訳:
カント 『純粋理性批判』

Kritik der reinen Vernunft“ von Immanuel Kant

*Nach der ersten und zweiten Original-Ausgabe herausgegeben von Raymund Schmidt, Felix Meiner Verlag, Hamburg.
邦訳は篠田英雄訳,岩波文庫,1961を参考にした.
ちなみに,このRaymund Schmidt 版はオリジナルの表記を現代風に直している個所が多くある.

Inhalt
Zueignung
Vorrede zur ersten Auflage
Vorrede zur zweiten Auflage
Einleitung der zweiten Auflage
Ⅰ. Von dem Unterschiede der reinen und empirischen Erkenntnis (B1-3)
Ⅱ. Wir sind im Besitze gewisser Erkenntnisse a priori, und selbst der gemeine Verstand ist niemals ohne solche (B3-6)
Ⅲ. Die Philosophie bedarf einer Wissenschaft, welche die Möglichkeit, die Prinzipien und den Umfang aller Erkenntnisse a priori bestimme (B6-10)
Ⅳ. Von dem Unterschiede analytischer und synthetischer Urteile (B10-14)
Ⅴ. In allen theoretischen Wissenschaften der Vernunft sind synthetische Urteile a priori als Prinzipien enthalten(B14-18)
Ⅵ. Allgemeine Aufgabe der reinen Vernunft (B19-24)
Ⅶ. Idee und Einteilung einer besonderen Wissenschaft, unter dem Namen einer Kritik der reinen Vernunft (B24-30)
I. Transzendentale Elementarlehre
Erster Teil. Die transzendentale Ästhetik
§ 1 (B33-36; A19-22 )
1. Abschnitt. Von dem Raume
§ 2. Metaphysische Erörterung dieses Begriffs (B37-40; A22-25)
§ 3. Transzendentale Erörterung des Begriffs vom Raume (B40-41; fehlt in A)
Schlüsse aus obigen Begriffen (B42-45; A26-30)
2. Abschnitt. Von der Zeit
§ 4. Metaphysische Erörterung des Begriffs der Zeit (B46-48; A30-32)
§ 5. Transzendentale Erörterung des Begriffs der Zeit (B48-49; A32)
§ 6. Schlüsse aus diesen Begriffen (B49-53; A32-36)
§ 7. Erläuterung (B53-58; A36-41)
§ 8. Allgemeine Anmerkungen zur transzendentalen Ästhetik (B59-73; A41-49)
Zweiter Teil. Die transzendentale Logik
Einleitung. Idee einer transzendentalen Logik
Ⅰ. Von der Logik überhaupt  (B74-79)
Ⅱ. Von der transzendentalen Logik (B79-82)
Ⅲ. Von der Einteilung der allgemeinen Logik in Analytik und Dialektik  (B82-86)
Ⅳ. Von der Einteilung der transzendentalen Logik in die transzendentale Analytik und Dialektik (B87-88)
Erste Abteilng. Die transzendentale Analytik
Erstes Buch. Die Analytik der Begriffe
1. Hauptstück. Von dem Leitfaden der Entdeckung aller reinen Verstandesbegriffe
1. Abschnitt. Von dem logischen Verstandesgebrauche überhaupt
2. Abschnitt
§ 9. Von der logischen Funktion des Verstandes in Urteilen
3. Abschnitt
§ 10. Von den reinen Verstandesbegriffen oder Kategorien
§ 11
§ 12
2.Hauptstück. Von der Deduktion der reinen Verstandesbegriffe
1. Abschnitt
§ 13. Von den Prinzipien einer transzendentalen Deduktion überhaupt
§ 14. Übergang zur transzendentalen Deduktion der Kategorien
2. Abschnitt. Transzendentale Deduktion der reinen Verstandesbegriffe
§ 15. Von der Möglichkeit einer Verbindung überhaupt
§ 16. Von der ursprünglich-synthetischen Einheit der Apperzeption
§ 17. Der Grundsatz der synthetischen Einheit der Apperzeption ist das oberste Prinzip alles Verstandesgebrauchs
§ 18. Was objektive Einheit des Selbstbewusstseins sei
§ 19. Die logische Form aller Urteile besteht in der objektiven Einheit der Apperzeption der darin enthaltenen Begriffe
§ 20. Alle sinnliche Anschauungen stehen unter den Kategorien, als Bedingungen, unter denen allein das Mannigfaltige derselben in ein Bewusstsein zusammenkommen kann
§ 21. Anmerkung
§ 22. Die Kategorie hat keinen andern Gebrauch zum Erkenntnisse der Dinge, als ihre Anwendung auf Gegenstände der Erfahrung
§ 23
§ 24. Von der Anwendung der Kategorien auf Gegenstände der Sinne überhaupt
§ 25
§ 26. Transzendentale Deduktion des allgemein möglichen Erfahrungsgebrauchs der reinen Verstandesbegriffe
§ 27. Resultat dieser Deduktion der Verstandesbegriffe
Zweites Buch. Die Analytik der Grundsätze
Einleitung. Von der transzendentalen Urteilskraft überhaupt
1. Hauptstück. Von dem Schematismus der reinen Verstandesbegriffe
2. Hauptstück. System aller Grunds?tze des reinen Verstandes
1. Abschnitt. Von dem obersten Grundsatze aller analytischen Urteile
2. Abschnitt. Von dem obersten Grundsatze aller synthetischen Urteile
3. Abschnitt. Systematische Vorstellung aller synthetischen Grundsätze desselben
1. Axiome der Anschauung
2. Antizipationen der Wahrnehmung
3. Analogien der Erfahrung
A. Erste Analogie. Grundsatz der Beharrlichkeit der Substanz
B. Zweite Analogie. Grundsatz der Zeitfolge nach dem Gesetze der Kausalität
C. Dritte Analogie. Grundsatz des Zugleichseins, nach dem Gesetze der Wechselwirkung, oder Gemeinschaft
4. Die Postulate des empirischen Denkens überhaupt
Widerlegung des Idealismus
Allgemeine Anmerkung zum System der Grundsätze
3. Hauptstück. Von dem Grunde der Unterscheidung aller Gegenstände überhaupt in Phänomena und Noumena
Anhang. Von der Amphibolie der Reflexionsbegriffe
Anmerkung zur Amphibolie der Reflexionsbegriffe
Zweite Abteilung. Die transzendentale Dialektik
Einleitung
Ⅰ. Vom transzendentalen Schein
Ⅱ. Von der reinen Vernunft als dem Sitze des transzendentalen Scheins
A. Von der Vernunft überhaupt
B. Vom logischen Gebrauche der Vernunft
C. Von dem reinen Gebrauche der Vernunft
Erstes Buch. Von den Begriffen der reinen Vernunft
1. Abschnitt. Von den Ideen überhaupt
2. Abschnitt. Von den transzendentalen Ideen
3. Abschnitt. System der transzendentalen Ideen(A333-338; B390-396)
Zweites Buch. Von den dialektischen Schlüssen der reinen Vernunft(A338-340; B396-398)
1. Hauptstück. Von den Paralogismen der reinen Vernunft(A341-348; B399-413)
(nach Ausg. A)
Erster Paralogism der Substantialität (348-351)
Zweiter Paralogism der Simplizität(351-361)
Dritter Paralogism der Personalität
Der vierte Paralogism der Idealität (des äusseren Verhältnisses)
Betrachtungen über die Summe der reinen Seelenlehre, zufolge diesen Paralogismen
(nach Ausg. B)
Widerlegung des Mendelssohnschen Beweises der Beharrlichkeit der Seele(413-)
Beschluss der Auflösung des psychologischen Paralogisms
Allgemeine Anmerkung, den übergang von der rationalen Psychologie zur Kosmologie betreffend
2. Hauptstück. Die Antinomie der reinen Vernunft
1. Abschnitt. System der kosmologischen Ideen
2. Abschnitt. Antithetik der reinen Vernunft
Erster Widerstreit der transzendentalen Ideen
Zweiter Widerstreit der transzendentalen Ideen
Dritter Widerstreit der transzendentalen Ideen
Vierter Widerstreit der transzendentalen Ideen
3. Abschnitt. Von dem Interesse der Vernunft bei diesem ihrem Widerstreite
4. Abschnitt. Von den transzendentalen Aufgaben der reinen Vernunft, insofern sie schlechterdings müssen aufgelöset werden können
5. Abschnitt. Skeptische Vorstellung der kosmologischen Fragen durch alle vier transzendentalen Ideen
6. Abschnitt. Der transzendentale Idealism als der Schl?ssel zu Auflösung der kosmologischen Dialektik
7. Abschnitt. Kritische Entscheidung des kosmologischen Streits der Vernunft mit sich selbst
8. Abschnitt. Regulatives Prinzip der reinen Vernunft in Ansehung der kosmologischen Ideen
9. Abschnitt. Von dem empirischen Gebrauche des regulativen Prinzips der Vernunft, in Ansehung aller kosmologischen Ideen
Auflösung der kosmologischen Idee von der Totalität der Zusammensetzung der Erscheinungen von einem Weltganzen
Auflösung der kosmologischen Idee von der Totalität der Teilung eines gegebenen Ganzen in der Anschauung
Schlussanmerkung zur Auflösung der mathematisch-transzendentalen, und Vorerinnerung zur Auflösung der dynamisch-transzendentalen Ideen
Auflösung der kosmologischen Ideen von der Totalität der Ableitung der Weltbegebenheit aus ihren Ursachen
Möglichkeit der Kausalität durch Freiheit, in Vereinigung mit dem allgemeinen Gesetze der Naturnotwendigkeit
Erläuterung der kosmologischen Idee einer Freiheit in Verbindung mit der allgemeinen Naturnotwendigkeit
Auflösung der kosmologischen Idee von der Totalität der Abhängigkeit der Erscheinungen, ihrem Dasein nach überhaupt
Schlussanmerkung zur ganzen Antinomie der reinen Vernunft
3. Hauptstück. Das Ideal der reinen Vernunft
1. Abschnitt. Von dem Ideal überhaupt
2. Abschnitt. Von dem transzendentalen Ideal (Prototypon transscendentale)
3. Abschnitt. Von den Beweisgründen der spekulativen Vernunft, auf das Dasein eines höchsten Wesens zu schliessen
4. Abschnitt. Von der Unmöglichkeit eines ontologischen Beweises vom Dasein Gottes
5. Abschnitt. Von der Unmöglichkeit eines kosmologischen Beweises vom Dasein Gottes
Entdeckung und Erklärung des dialektischen Scheins in allen transzendentalen Beweisen vom Dasein eines notwendigen Wesens
6. Abschnitt. Von der Unmöglichkeit des physikotheologischen Beweises
7. Abschnitt. Kritik aller Theologie aus spekulativen Prinzipien der Vernunft
Anhang zur transzendentalen Dialektik
Von dem regulativen Gebrauch der Ideen der reinen Vernunft
Von der Endabsicht der natürlichen Dialektik der menschlichen Vernunft
II. Transzendentale Methodenlehre
1. Hauptstück. Die Disziplin der reinen Vernunft
1. Abschnitt. Die Disziplin der reinen Vernunft im dogmatischen Gebrauche
2. Abschnitt. Die Disziplin der reinen Vernunft in Ansehung ihres polemischen Gebrauchs
3. Von der Unmöglichkeit einer skeptischen Befriedigung der mit sich selbst veruneinigten reinen Vernunft
4. Abschnitt. Die Disziplin der reinen Vernunft in Ansehung der Hypothesen
5. Abschnitt. Die Disziplin der reinen Vernunft in Ansehung ihrer Beweise
2. Hauptstück. Der Kanon der reinen Vernunft
1. Abschnitt. Von dem letzten Zwecke des reinen Gebrauchs unserer Vernunft
2. Abschnitt. Von dem Ideal des höchsten Guts, als einem Bestimmungsgrunde des letzten Zwecks der reinen Vernunft
3. Abschnitt. Vom Meinen, Wissen und Glauben
3. Hauptstück. Die Architektonik der reinen Vernunft
4. Hauptstück. Die Geschichte der reinen Vernunft
対訳テクスト 目次


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純粋理性批判 05

カント & 中山元
哲学, ブック, ノンフィクション
2011年5月20日
世界には時間的な始まりがあるか、空間的な限界はあるか。
 世界は無限に分割できるか、それ以上は分割できなくなるのか。 
人間に自由はあるか、それとも必然的な自然法則にしたがうだけなのか。 そして、
世界には必然的な存在者[=神]が存在するのかどうか。 

この四つの「二律背反」を考察。これまで多くの読者の前に立ちはだかってきたこの難関を、カントの思考の流れがみえるクリアな訳文と詳細な解説で、完全理解へ。

 <このカントの四つの二律背反は、第一と第四の二律背反が次の「純粋理性の理想」で扱われる神の存在の問題を考察し、第二と第三の二律背反は、前の「純粋な理性の誤謬推論について」で扱われた自我の問題を考察するのである。その意味ではこの四つの二律背反は前後の章をつなぐ形で巧みに構成されていると言えるだろう。
 ただしこれらの二律背反の問題はすでに哲学の世界で重要な問題として考察されてきたものである。たとえば一八世紀の初頭にライプニッツとニュートンのあいだで、世界、神、自由について激しい論争が行われた。ニュートンの代理としてクラークいう科学者がライプニッツと往復書簡を交わす形で、この論争は行われたが、ニュートンの遺稿の中にクラークの書簡の草稿が残っていたというから、これはライプニッツとニュートンの論争と考えてよいだろう。一七五六年にライプニッツの著作集が刊行され、カントはこの論争に大きな関心をもっていた。
 そしてこの二律背反で取り上げられる四つの論点はすべて、ライプニッツとクラークの論争で取り上げられている。そしてつねにニュートン派が定立命題を主張し、ライプニッツが反定立命題を主張していたのである。この論争を手掛かりに考えると、プラトンとエピクロスという古代ギリシアの哲学者の対立として考えるよりも、カントの真意がはっきりとみえてくるところがある。…>226頁~解説より 

(参照:『ライプニッツとクラークとの往復書簡』米山優+佐々木能章訳、『ライプニッツ著作集 9』工作舎。ニュートン『自然哲学の数学的諸原理』河辺六男訳、中央公論社。) 

各巻の解説は必要ない気もするが、第五巻における上記の解説は非常に有益だ(『自由の哲学者カント』第五章にも多少簡潔になったほぼ同内容の解説がある)。

13 件のコメント:

  1. 第16節をどうドイツ語に翻訳しますか? お願いします

    werdeistさん 2013/11/06 20:57:20
    第16節をどうドイツ語に翻訳しますか?
    お願いします
    回答数:2 閲覧数:147 お礼:知恵コイン25
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    ベストアンサー

    romanonoranekoさん 2013/11/08 19:19:43
    こんにちは。

    何の「節」かによると思います。

    小説の○章×節の「節」なら der Abschnitt で、第16節は der 16. (sechzehnte) Abschnitt

    それから、最近回答した質問から知ったのが、サッカーリーグの第1節、第2節の表現です。
    ドイツ語では der erste Tag、der zweite Tag で、第16節なら der 16. (sechzehnte) Tag です。
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    カテゴリマスター
    classic_libraryさん 2013/11/07 11:18:06
    Paragraf 16 (sechzehn)

    英語の section 16 に相当します。
    § マークで表されます。

    詩とか聖書などでは Vers を使います。

    Matthäus fünf, Vers drei マタイによる福音書5章3節
    die ersten beiden Verse des Gedichtes その詩の第1節と第2節

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  2. ただしこれらの二律背反の問題はすでに哲学の世界で重要な問題として考察されてきたものである。たとえば一八世紀の初頭にライプニッツとニュートンのあいだで、世界、神、自由について激しい論争が行われた。ニュ

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  3.  ただしこれらの二律背反の問題はすでに哲学の世界で重要な問題として考察されてきたものである。たとえば一八世紀の初頭にライプニッツとニュートンのあいだで、世界、神、自由について激しい論争が行われた。ニュートンの代理としてクラークいう科学者がライプニッツと往復書簡を交わす形で、この論争は行われたが、ニュートンの遺稿の中にクラークの書簡の草稿が残っていたというから、これはライプニッツとニュートンの論争と考えてよいだろう。一七五六年にライプニッツの著作集が刊行され、カントはこの論争に大きな関心をもっていた。
     そしてこの二律背反で取り上げられる四つの論点はすべて、ライプニッツとクラークの論争で取り上げられている。そしてつねに派が定立命題を主張し、ライプニッツが反定立命題を主張していたのである。この論争を手掛かりに考えると、プラトンとエピクロスという古代ギリシアの哲学者の対立として考えるよりも、カントの真意がはっきりとみえてくるところがある。

    227頁

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  4. 第六節 ライプニッツ・クラーク論争
    論争の経緯
    このカントの四つの二律背反は、第一と第四の二律背反が次の「純粋理性の理想」で扱われる神の存在の問題を考察し、第二と第三の二律背反は、前の「純粋な理性の誤謬推論について」で扱われた自我の問題を考察するのである。その意味ではこの四つの二律背反は前後の章をつなぐ形で巧みに構成されていると言えるだろう。

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  5. (13)『ライプニッツとクラークとの往復書簡』クラークの第三返書。邦訳は米山優+佐々木能章訳、『ライプニッツ著作集 9』工作舎、二九四ページ。

    (25)ニュートン『自然哲学の数学的諸原理』。邦訳は河辺六男訳、中央公論社、六五ページ。 (本文に戻る)

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  6. http://yokato41.blogspot.jp/2011/02/blog-post.html
    【女性の論理=数学的アンチノミー】
    これに対し女性の側は∃x Φx, ∀x Φxと書かれ、それぞれ〈ファルス関数に従わないxは存在しない〉、および〈すべてのxがファルス関数に包摂されるわけではない〉と読まれる。コプチェク によれば、ここで示されているラカンのいわゆる〈非全体(すべてではない pas-tout)〉のパラドクスは、カントの数学的アンチノミーに対応している。数学的アンチノミーとは、「世界は時間的な始まりと空間的な限界を有す る」というテーゼと「世界は時間的にも空間的にも無限である」というアンチテーゼからなる純粋理性の第一アンチノミーのように、その両者が前提としている 〈すべて〉としての世界の存在が否定されるために、テーゼ、アンチテーゼの双方が偽とされるものである。

    それは帰結として、われわれの直観に与えられる対 象で現象の領域に属さないものは存在しないにもかかわらず、この領域が決して〈すべて〉ではなく、完結していないという事態を示すことになる。このような 意味で、〈女性においてすべてがファルス関数に包摂されるわけではない〉という命題は、〈女性は非全体である〉という無限判断として理解されなければなら ない。一方、〈女性においてファルス関数に従わないものは何もない〉のであるとすれば、例外は存在しない。しかし、まさに例外が存在しえないからこそ、そ こには限界がありえず、女性の〈全体〉について判断を下すことは不可能になる。いずれにしても、ここでは〈すべて〉の存在が否定される。男性的アンチノ ミーが〈例外〉を伴う〈不完全性〉の障害であるのに対して、女性的アンチノミーは境界を欠いた〈非全体〉の表層における〈矛盾(非一貫性)〉の障害なので ある。

    返信削除
  7. http://philosophy.hix05.com/Kant/kant114.newton.html
    ニュートンとライプニッツの形而上学論争


    カントが取り上げた四つのアンチノミーは、伝統的な形而上学のテーマと密接な関係がある。それらはいずれも理念的なものを巡る問題なのだが、これらの問題は、プラトンがイデアを発見し、アリストテレスがそれを形而上学の中心テーマに据えて以来、ヨーロッパの形而上学にとっての主要課題であり続けてきたのである。

    理念的なもの、すなわちイデアを巡っては、何をイデアとするか、あるいはそのイデアにはどんな存在性格があるかについて、様々な議論があった。カントがアンチノミー論で対象とした四つの理念(世界、実体、精神、神)のほかにも、歴史上様々な理念のタイプが提出されたところだ。その中からあえてこの四つを取り上げたことについて、カントは、小むつかしい議論を展開しているが、カント以前にも、この四つを形而上学の主要理念としてとらえていたものがあった。ニュートンとライプニッツである。

    ニュートンとライプニッツは、この四つの理念を巡って、18世紀の初めに激しい論争を行った。今日ニュートンとライプニッツの(形而上学)論争として知られているものである。論争自体は、ニュートンの意を体したクラークと言う男とライプニッツとの間の往復書簡と言う形を取っているが、実質的にはニュートンとライプニッツとの間の論争なのである。

    この論争がカントに大きな影響を与えた。カントはこの論争に刺激されて、四つのアンチノミー論を着想したのではないか。カントの翻訳者中山元氏はそのように推測している。その推測がなかなか興味深かったので、ここで紹介してみたい。(中山元「純粋理性批判5」の解説参照)

    まず、世界について。ニュートンは、宇宙は無限であり、その中に有限な世界が存在していると考える。それに対してライプニッツは、有限な世界が無限の宇宙の中に存在するということはなく、世界自体が無限だと考える。カントの問題意識からすれば、ニュートンは第一アンチノミーの定立命題(世界は有限である)の立場に立ち、ライプニッツは反定立命題(世界は無限である)の立場になっているわけである。

    ニュートンの立場は絶対空間の考え方に立っている。ニュートンによれば、宇宙は無限大の空虚(真空)であり、その中に物質が遊泳している、それが我々にとっての世界である。これに対してライプニッツは、真空と言うものを認めない。空間は物質と切り離せない。物質を取り除くと、その後には真空が残るのではなく、空間そのものが焼滅してしまうのだ。それ故、世界とは無限の物質からなる無限の空間なのだ。

    また、ニュートンは、世界には時間的な端緒があったと考えるのに対して、ライプニッツは、そのような端緒はなく、したがって世界は永遠だと考える。この点でも、ニュートンが定立命題、ライプニッツが反定立命題の立場に立っているわけである。

    次に、実体について。ニュートンは原子論の立場から究極の単位としての単純なものを認める。その単純なものが空虚の中で結合しあって複雑なものができると考えるのだ。それに対してライプニッツは、そのような単純なものの存在を認めない。なぜなら物質と空間とは密接不可分であり、その空間は無限に分割可能なものであるからだ。ここでも、ニュートンは第二アンチノミーの定立命題、ライプニッツは反定立命題の立場に立っているわけである。

    第三に、精神について。ニュートンは人間の精神の自由を認め、自由な意思が因果関係の端緒になりうることを認める。それに対してライプニッツは、基本的には人間の意思の自由を認めない。人間の行為が自由意思に基づくと見えるのは、神がそのように取り計らっている事の結果に過ぎない。人間の行為はすべて、神の意志によって制約されている。ライプニッツにとって、人間とは神の作った時計のようなものである。あまりにも完璧に作られているので、機械であることを感じさせないのである。

    第四のアンチノミーとの関連においては、二人とも神の存在そのものは肯定しているから、表向きの対立は生じない。問題は、神が世界を作った後に、それにどのように関わるかと言う点だった。ニュートンは、世界を創造した後でも、神はたえずそれに干渉の手を加える。そうでなければ、世界の動きが止まってしまうからだ、と考える。それに対してライプニッツは、神は世界を創造した後、それに何らの干渉も加えない。そんな干渉をしないでも世界は立派に動いていける。神が世界を中途半端につくるわけがないというのである。この点では、ニュートンは第四アンチノミーの定立命題、ライプニッツは反定立命題の立場に立っているわけである。

    こうしてみると、ニュートンとライプニッツが、伝統的な形而上学のテーマを巡って正反対の議論を展開していることがわかる。カントはそれを読んで深い感銘を受けたに違いない。というのも、両者はどちらもまことらしく見えるからだ。何故そうなるのか。そこのところを深く考えるうちに、二律背反を巡るあの議論にたどり着いたのではないか。そう、中山氏は推測するわけである。




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  8. 第三節 これらの抗争についての理性の関心

    534

    538 経験論と独断論の論争
     この争いにわたしたちは暫定的な判定を下そうとするのだが、この判定が厳密に、そして適切に行われるためには、どのような観点から考察すべきだろうか。わたしたちは双方の主張の出発点となっている原理はどのようなものかという比較の観点から、この論争を調べるべきなのである。ところでこれまで述べてきた四つの反定立命題の主張は、まったく共通した思考方法で貫かれていて、その主観的な原理は完全に統一されていることがわかる。それは純粋な経験論の原理なのである。世界の現象を説明するためだけでなく、世界の全体そのものという超越論的な理念を解決するために、この原理が採用されているのである。
     これにたいして四つの定立命題の主張は、現象の系列を説明するためには経験的な説明方法を採用するが、その根底には[それぞれに異なる]知的な端緒を認めているのであり、それだけに主観的な原理も同一ではない。そこでこれららの命題を、[反定立命題との]違いを明確にする特質に基づいて、純粋理性の独断論と名づけよう。


    1:04 午前
    yoji さんは書きました...
    光文社5より

    1:06 午前
    yoji さんは書きました...
    A466
    B494

    返信削除
  9. 5解説


    第三節 第二の二律背反
    二つのテーゼの紹介
      「単純なもの」をめぐる第二の二律背反は、第一の二律背反が世界にかかわる問題であったのにたいして、主として世界と自我にかかわるテーゼである。定立命題は、「世界において、合成された実体はすべて単純な部分で構成されている。また世界には、単純なものか、単純なものから合成されたものしか現存しない」(507)と主張する。これにたいして反定立命題は「世界のうちのいかなる合成されたものも、単純な部分で構成されたものではない。だからまた世界のうちには単純なものはまったく現存しない」(509)と主張する。
     どちらのテーゼも背理法で証明を試みる。まず定立命題の側は、もしも世界のすべての合成された実体が単純な部分で構成されていないと想定すると、合成されたものは部分で構成されたものではないことになると指摘する。すると世界には合成されたものは存在しえなくなることになる。その場合には世界には何ものも存在しないか、世界には単純なものだけが存在することになる。世界にはものが存在するのはたしかだから、存在するのはすべて単純なものだけであり、「合成された状態は、これらの単純な存在者の外的な状態」(508)だということになる。これはデモクリトスとエピクロスの原子論であり、ライプニッツのモナド論である。反定立命題は反対に、合成された実体が単純な部分で構成されていると想定すると、合成された実体が占めている空間も、この単純な部分に対応する「一つの空間」(509)に分割されることになると指摘する。しかし単純な部分が占めているこの「一つの空間」は、ある実在的なものによって占められているのであった。これは多様なものを含むのであって、合成されたものである。そうすると単純な部分は合成されたものとなって自己矛盾することになる。だからそれ以上は分割できない原子のようなものは存在せず、原子のような粒子も、それが場所を占めるのであれば、さらに分割することができるはずである。空間は理念的に無限に分割することができるからである。
     これは少し分かりにくいが、アリストテレスによる古代の原子論への批判で、すでに提起されていた難問である。原子が存在していて他の原子に働きかけるためには、他の原子と接触しなければならないだろう。そのためには原子は場所をもっていなければならない。しかし場所というものは連続的なものである。しかし「どんな連続的なものも、不可分なものではない(5)」。だから原子はさらに分割されることになり、単純なものではないことになる。これは時間と空間の無限分割の可能性の問題として、ゼノンの「飛ぶ矢」のパラドックスの背景にある難問なのである。

    返信削除

  10. 2011-05-01 02:36:29
    『判断力批判』第1部第2篇55
    感覚の自由な遊び。
    賭事遊び(一種の関心を必要とする)、音調の遊び(音楽。感覚の交替を必要とし、美学的理念を喚びおこす)、思惟の遊び(機知。表象の交替から生じ、心を生き生きさせる)http://twitter.com/miniaturebook/statuses/64518523426312192

    2011-05-01 07:22:23
    『判断力批判』第1部第2篇56
    趣味のアンチノミー
    正命題:趣味判断は概念に基づかない。もし基づくと、趣味判断は証明により決定されうることになるから。
    反対命題:趣味判断は概念に基づく。もし基づかないと、我々の判断への必然的な同意を他人に要求できなくなるから。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/64590472110284800

    2011-05-01 09:53:28
    『判断力批判』第1部第2篇57
    趣味のアンチノミーの解決
    趣味判断はなんらかの概念に関係せねばならないが、一定の概念にもとづいて証明されうるものではなく、不定の概念である。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/64628494625280000

    2011-05-02 23:35:56
    『判断力批判』第1部第2篇57 注1
    美学的理念:主観的原理に従って直観に関係される理念。概念的に表示できない構想力の表象。
    理性理念:客観的原理に従って概念に関係される理念。直感的に証示できない理性概念。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65197864564965376

    2011-05-03 01:14:03
    『判断力批判』第1部第2篇57 注2
    純粋理性の3種の認識能力、アンチノミー、理念を順に列挙する。
    1 悟性。認識能力に対しては無条件者にまで及ぶ悟性の理論的使用に関する理性のアンチノミー。
    自然の基体としての超感性的なもの一般の理念。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65222553114918913

    2011-05-03 01:14:23
    『判断力批判』第1部第2篇57 注2(続き1)
    2 判断力。快・不快の感情に対しては判断力の美学的使用に関する理性のアンチノミー。
    判断力に対する自然の主観的合目的性の原理としての超感性的なものの理念。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65222639471431681

    2011-05-03 01:14:48
    『判断力批判』第1部第2篇57 注2(続き2)
    3 (実践)理性。欲求能力に対してはそれ自体立法的な理性の実践的使用に関するアンチノミー。
    自由の目的の原理および道徳的なものにおける自由とかかる目的との一致の原理としての超感性的なものの理念。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65222742835855360

    2011-05-03 02:14:24
    『判断力批判』第1部第2篇58
    自然・美における合目的性の観念論(ア・プリオリな根拠に基づいて判断すること)は、美の判定において判定のア・プリオリな基準を我々自身のうちに求めること及び美学的判断力は美の判断に関して立法的であることを証明する。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65237742405160960

    2011-05-03 13:52:35
    『判断力批判』第1部第2篇59
    感覚的表示の仕方。
    1 図式的:概念の直接的表示を直観的証示によって行なう。
    2 象徴的:概念の間接的表示を類比(経験的直観を含む)を用いて行なう。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65413447659159552

    2011-05-03 13:53:03
    『判断力批判』第1部第2篇59(続き1)
    「美は道徳的善の象徴である」
    美と道徳の比較。
    1美は直接に快いものである。道徳は概念によって快い。
    2美は一切の関心にかかわりなく快いものである。道徳的善はある種の関心と必然的に結びついている。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65413563925274624

    2011-05-03 13:53:23
    『判断力批判』第1部第2篇59(続き2)
    3構想力の自由は美の判定で悟性の合法則性と一致、調和すると考えられる。
    意志の自由は道徳的判断で意志が理性の普遍的法則に従って自分自身と一致すると考えられる。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65413645689032704

    2011-05-03 13:53:48
    『判断力批判』第1部第2篇59(続き3)
    4美を判定する主観的原理は普遍的なものと考えられるが、普遍的概念によって表示され得ない。
    道徳的判断は格律(主観的原理)の根拠を構成的原理とその普遍性に求めることによって可能となる。
    ※第1部美学的判断力の批判の実質的なまとめの節。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65413752190808064

    2011-05-05 02:20:05
    『判断力批判(下)』読了。
    第2部は第1部とは変わり、自然、目的論、神について語られる。
    『実践理性批判』では「神の要請」だったのが、「神の存在の道徳的証明」となり、神、心の不死、自由をめぐる(カントの考える)形而上学の課題をまとめて解く。
    うーん。こう解くのか。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/65963947081211904

    2011-05-06 12:05:13
    『判断力批判』第1部第2篇60
    予備的なものとして学より前にある純粋理性や実践理性への批判とは異なり、趣味の予備的訓練は道徳的理念の開展、道徳的感情の涵養のためにある。
    感情が道徳的感情と一致させられる場合に、真正の趣味は一定不変の形式を帯びることができる。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/66473588357738496

    2011-05-06 12:44:18
    『判断力批判』を1790年に著したカントが、1794年に現れ突然消えた写楽をもしも知っていたら?
    役者絵のブロマイド的販売→報酬のための仕事
    木版画、肉筆絵画→造形芸術
    人間の個性・表情を大胆に描く→≠自然美
    せいぜいこんなところか、うーん。http://twitter.com/miniaturebook/statuses/66483423635701760

    僕のツイッター「哲学書読みの哲学知らず」からカント『判断力批判』第1部第2篇に関するツイートをまとめました。
    投稿時間がどうもおかしいようですが、おおよその日付と投稿間隔がわかるので入れておきました。


    http://tetsugakusya2.blog38.fc2.com/?mode=m&no=16



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  11. [3] 翻訳語をめぐる問題

    以上の意味で、Mehrwertを「増殖価値」と訳すという中山の提案は理論的根拠をもつと判断される。しかし、カントのいうVerstandが永らく「悟性」と訳され、すでに三枝博音が戦中に「知性」に変更すべきであると提案しているにもかかわらず、いまなお「悟性」という訳語が通用している。最近の『純粋理性批判』の訳でも「悟性」が踏襲されている。このように、一旦ある訳語が定着すると知的惰性態となって容易には変更されない。しかも、その訳語の原語の本来の意味が研究と意見交換のなかで不適訳語に浸透し、意味が転換してくるのでなおさら、変更は困難である。http://chikyuza.net/archives/23500

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  12. 三枝博音(1947)『哲学と文学に関する思索』酣燈社。

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  13. 光文社5のアンチノミー解説は必読

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